Ⅴ アヤタカ 「アヤタカとアポロン」
暖炉の中で優しいオレンジの炎が穏やかに燃えている。
小さな部屋の中でその灯りが揺らぐたび、 表情をなくした生徒たちの顔が代わる代わる照らし出されていった。
彼らは星っこゲームに弄ばれ、 蹂躙された新入生たちである。
ここは今回の新入生たちの憩いの場のひとつで、 今そこには三十体程の新入生たちが居た。
ウッドハウス仕様の洒落た部屋は、 普段ならば陽気な笑い声の耐えない陽だまりのような場所だった。 しかし今は陰気な静寂の音無き音が部屋中にのし掛かっている。
「絶対に、 このまま引き下がってたまるか…。」
一体の少年が意を決したように目をあげ、 周りの生徒たちの闘志を燃やさんと目で訴える。しかし疲れ果てた彼らにその元気はなく、 誰も賛同どころか反応も無かった。 情熱が空回りをした生徒は居心地が悪そうな顔をして、 再び目を落とし小さく縮こまった。
アヤタカも今は何も考えたくないほど疲れていて、 麻の布で覆われた木製のソファにもたれて天井を見上げていた。
アヤタカたち精霊は眠らない。 代わりに自分が生まれたものからエネルギーを貰っているのだ。 そしてそれを生気と呼ぶ。 例えばフレイヤなら炎、 ラムーンならば月の光を浴びて生気を養うのである。 今は月が出ているので、 ラムーンはルナの子たちと一緒に月の光を浴びている。 従ってアヤタカは太陽が昇るまで体力を回復できない。 ただ、 この学園であれば話が別だ。 この学園には全ての種族が生気を養える広間があるらしい。 そこにはあの先輩たちがいるだろう、 と怯えながら小さな部屋に収まっている同級生たちを尻目に、 一緒に行く友達もいないアヤタカはその広間に赴くことにした。
光の間と呼ばれるその広間は、 部屋ではなく人工的に開けられたひとつの空間であった。 そこは壁も境目もない真っ白な空間で、 紫の透けた布がオーロラのように垂れている以外、 何もない場所だった。
アヤタカはそこに足を踏み入れた途端に感じた、 澄みわたった空気に驚いた。 そしてここに溢れている光は驚くほど純粋で、 汚れのないものであった。 静かな心地よい空間には誰もいない。
アヤタカはきらきらと輝く紫の布をくぐり、 奥へと進んで行く。 透けた布は次第に手が届くほど下まで垂れてきて、 ハンモックのように吊り下げられていた。
奥へ進めば進むほど光が強くなり、 体も軽くなる。
するとまばらに人も見え始め、 思い思いに床に寝そべる者、美しく輝く紫の布をハンモックにして光を浴びている者もいた。
そこにいる生徒の数は多いといえば多いが、 この学園の総人数から考えるとかなり少ない気がした。生気を養うことは人間でいう睡眠と同じことなので、 ほぼ全生徒が居てもおかしくない気がした。
不思議に思いながらも更に奥へと進むと、 光はより強くなっていく。先程とはうって変わって何故か光が強くなるほど人が減っていった。
はじめは強いほど心地よかった光も、 あまりに強くなりすぎてアヤタカはだんだんと居心地が悪くなってきた。
さらに進むともう誰もいない。しかし光源へは未だ辿り着けない。
アヤタカはもうそれ以上先に進めなくなって、 その場にへたれこんだ。紫の布も眩しすぎてもう見えない。熱くも冷たくもない光が、徐々に体を侵食していく。
「すごいね、もうここまで来れるんだ。」
アヤタカはびくっと体を震わせて隣を見た。 自分に声をかけた何者かが居るらしき場所を凝視する。 あまりの光の強さに、そこに誰かが居たことすら気がつかなかったのだ。もしや自分が気付かなかっただけで、 他にも人は沢山いたのかと思い周りに目を凝らす。
アヤタカは誰もいないのをいいことに先程まで大声で歌っていたのだ。
「大丈夫。 ここは今ぼくしかいないよ。 君、 今日のすごく物体浮遊術が上手かった子だよね? ……あぁ、 もうここにいるのは辛いか。 もう少し暗いところに行って話そう。」
アヤタカは光の中で会った誰かに腕を掴まれ、光を背に歩いて行った。
やがて光もだんだん弱まってくる。 されるがままだった自分の腕をゆるく掴む、 何者かの顔が見えてきた。
「あっ……!」
アヤタカはその顔に見覚えがあった。 星っこゲームの司会をやっていたあの気さくそうな男だ。
「集団リンチ首謀者!!」
アヤタカは先輩を指差して、 声高だかにそう叫んだ。
「…別に首謀したわけじゃないよ? ただ、 あれは恒例の伝統行事ってだけで…。」
悪しき習慣、 時代の遺物。
呼び名は色々ありそうだったが、 伝統と言うだけで尊いものになる。
警戒を解かないアヤタカに、 先輩はやれやれという顔で話しかけた。
「とにかく、この光の間のことで僕は君に話しかけたかっただけだよ。 僕の名前はアポロン。 よろしくね。」
アポロン、 神話に出てくる太陽神の名前。
「……大層な、名前ですね……。」
アヤタカは眉根を寄せ、 唇だけを微かに動かした。
「名前だけね。 子供への過剰な期待ってやつだ。 僕はこの通り、 そんな名前は相応しくない。」
アヤタカから見て、 その言葉にはあまり重みが感じられないように聞こえた。
微妙な空気が漂う中、 アポロンが本題を切り出す。
「この場所について何か説明は受けたかい?」
アヤタカは施設紹介に書いてあっただけで、 説明は受けていないと伝えた。 アポロンは 全く、 こういうことこそ説明すべきなのに……。 と、自分の髪をくしゃっと掴んで苦笑をした。
「えっとね、さっきのことで分かったと思うけど、 ここの光は奥に行けば行くほど神聖な光になってゆく。 でもその光を受け止められるだけの強い器を君が持っていないと、 強すぎるエネルギーに君は逆に苦しめられてしまう。 さっき、 途中からだんだん辛くなってこなかったかい?」
「はい……。 でも、その器って何ですか? 実力とか……才能ですか?」
アポロンは微かに困ったような笑みを浮かべ、 光の方を仰ぎ見た。
「…それは分からない。『器』が何を指すのか…。 技術、 体力、 心、 才能……。 僕はその全てを包括したものじゃないかと思っている。 でも知っているのは……この光を創り出した者だけなんじゃないかな。」
何処か恍惚とした表情で遠くを見つめるアポロンは、 素敵なおとぎ話に目を輝かせる子供のようでもあり、 また不気味なほど目を爛々と輝かせた獣のようでもあった。
アヤタカはアポロンから目をそらし、 別の質問をすることにした。
「……あの先にはまだ人がいるんですか?」
アポロンはまた、 気さくそうな笑顔で返事をした。
「あぁ、 いるよ。 でもほとんどが大分高学年……それに、 優秀な者たちばかりさ。」
その優秀な者たちには、 きっと彼自身も入れて言ってのことなのだろう。 アヤタカはそう思い、 少し冷めた目でアポロンの方を見た。
対してアポロンは目を細めてにこりと笑い、 アヤタカの感情を見透かすのように言葉を紡ぐ。
「ぼくはたいして優秀じゃないけどね。 仲良くなれた人が増えるたびに、 より奥へ行けるようになったんだ。」
友達が1人もいないアヤタカをその言葉は深くえぐった。
アポロンは、 そんなアヤタカに優しい声で語りかける。
「良かったら今度、 ぼくの部屋に遊びに来ない? 君とまた話したいな。」
良い人だ、アヤタカは手のひらを返した。
アヤタカにとって自分と仲良くしてくれる人は良い人で、 自分と仲良くしてくれない人は嫌な人なのだ。
そしていろんな人と仲良くしているにも関わらず、 自分とはそこまで親しくない人は、 アヤタカにとって無条件に感じの悪い人になるのだ。
そうしてアポロンと約束の日取りを決めて、 二人はしばらく他愛のない話で盛り上がっていた。 やがてアヤタカは生気を十分養ったことを確認し、 一年の憩いの場へと帰って行った。
アヤタカの去っていく足音だけが響き渡る。
光を背に、 アポロンは佇んでいる。
影が顔を隠し、 その表情はうっすらとしか見えない。
笑っている。
そして唇の端から、 何か言葉を漏らしていた。
「君なら、きっと選んでくれる……。」
とても嬉しそうな目が、 影の中で爛々と輝いた。
上機嫌で、 アポロンは光の中へと消えていった。
Ⅴ アヤタカ 「アヤタカとアポロン」