ピグマリオンの妻

統合失調症の男が十数年の手紙の遣り取りの後、清水の舞台から飛び降りるように結婚するが、人との接触が負担になる男の神経が同居によりぶれだしてくる。
だが男は妻にそれが打ち上げられないままに、日々は過ぎて行く。 そして怯えは強まり、或日、水死体となって発見される。
その日から妻の夫の心を訪ねる日々が続き。
そして見えてきた物とは。

ある統合失聴者の足跡

   ピグマリオンの妻
          

 ―しがない彫刻家のピグマリオンは己の腕以上のそれは見事な女性像を彫り上げてしまったのです。
 そして、日々が立つに、見入れば見入るほどに、自ら作り上げた彫像に、その美しきご夫人に恋をしてしまわれたのです。叶わぬ恋とはいえ、日増しにピグリオンの思いは募り、痩せ細るばかり。
 それを天上からお目にしてしまわれた、愛と美と豊饒の女神、アフロディーテは、哀れと思し召され、彫像に魂を籠めれ、ピグマリオンの妻となされたのです。
        ―「ギリシャ神話」より
  

 俯き加減の含羞んだ遺影の前には小菊が三本供えられている。
 葬式は上げずに石寂寺に葬った。
 
 共に過ごしたのは、一月ちょっと。

 主人の手帳には、一人の電話番号が記されていた。私が慌てて電話をかけると、彼はすぐに駆けつけて、全てを取り仕切った。
 銘苅さんは主人のハワイ留学の頃の先輩であった。
 警察署にも付き添い、弔いの準備をして、お棺に入れて、火葬場で火入れをして、骨を骨壷に収め、白木の箱と遺影が家に飾られた。
 よく小まめに動く人だと、銘苅さんを見て過ごしていた。ふわっとした風船の感じだが、気持ちはどんどん減り込んでゆく。
 主人は村の桟橋近くで、浮いているのを釣り人に発見された。
 足を滑らしての事故死と警察は告げた。
 現実が狐に摘まれたようで、ピンと来なかった。

 私は十七年前に、比屋根と沖縄で出会った。
 二股かけていた男に捨てられた。情けない言葉だ。
『結婚するから、もう付き合えない。不倫はイヤなんだ』
 選択の自由は誰にでもある、フィットする服を選ぶ。それに結婚を前提として、付き合うのは古くさい。
 そう思ったものの、居た堪れずに、私は気分転換に沖縄へ遊びに来た。
 国際通りの書店に何気なく入り、レジでぶつかった人が彼だった。
「中原中也ですか」と呟いた。
 随分失礼な奴だと思った。
 私は金を払い、横により、栞を選んで、「星新一ですか」と呟いた。
 男は笑った。
「すぐに読めますから」
「詩集もすぐに一つは読めますから」
「南の島に雪は降らないですよ」
「ハッ」
「汚れっちまった悲しみに、今日も小雪の降りかかる、でしたよね、このフレーズしか、中也は知らないんです」
 私は一瞥で上から下まで観察した。紺の無地のTシャツに、茶色の綿のパンツにスニーカー、頭には惚けたグレイのフィールドハット、遊び人では無いらしい、だがサラリーマンをしているようにも思えない。
「私も、そうですよ」
「雪は汚れてしまった悲しみを、安らかに凍死させるのでしょうか」
 この男は何を言っているのだと、思ったが、一人でいるよりはいいかと妥協した。
「少し、お話しませんか」
 いいですね、と男は外の自販機から、コカコーラを二つ、買って、ショッピングセンターの前のベンチで、手を上げて、ここで坐って飲みましょうと合図した。
 喫茶店ぐらいには連れてゆくかと思ったのだが、私は隣に坐り、コーラを飲んだ。男は上を指さした。
「いつも抜けるような青なんですよ。間抜けなんです」
 私はこれはジョークなのか、本気なのか見当もつかずに、顔を上げた。
 目映い青空が覆い被さっていた。
「見上げなければ、ただ暑いだけです。コーラはそんな日の飲み物ですね」
 確かに百円のコーラでも美味しかった。しかし、それなら冷えた水でも同じだろうと思った。私はがぶがぶコーラを飲んで咽せて、顔が火照った。
「美味しいでしょう。糖分は頭のエネルギーですから」
『私はその頭を空っぽにしに来たのよ、あいつとの過去を忘れたいのよ』
 脈絡は繋がっているのだが、話の歯車が合わない、いや、私の歯車が金属なら、この男のは何て言うのか、ゴム、ゴムなのだ。
「私はスカッとしにここに来たの」
「そうですか、海に行きますか、私は泳ぎませんけど」
 私はヤケクソな気持ちを楽しもうと思った。
「ええ、行きましょう」
 男は立って、通りの前でタクシーを止め、中に入って、呼び込んだ。
 マイカーじゃないのかと腹が立ってきた。それに男から乗るなんて、バカにしている。
 タクシーは二人を乗せて、新原ビーチに走りだした。
 私はのんびり景色を眺めている男に腹が立ってきた。
「あなた、車は女性から乗せるものでしょう」
「そうですかねー」
「そうです、エチケットです」
「もしあなたから乗って、車が走り出したら、私は追いつけませんよ。万が一のことですけど」
 頭にかっと血が登った。
『こいつの歯車はゴムだゴムだ、心配してくれているのか、バカにされているのか、掴めないのが余計に腹が立つ』
「済みませんでした」
「イヤ、今のは冗談なんです。余り女性の方とお付き合いが無くて、マナーを知らないんです」
 口も利かずに、ビーチについて、私は海に見取れて、料金の事には気づかぬ振りをした。
 メーターは千六百円ぐらいだった。さすがに金を払えとは言わなかった。スカッとした。
 村の小さなビーチだったが、アクアの緑と青の濃淡の海は美しかった。
 阿檀の木陰で休んでいると、男がストロベリーのかき氷を両手に一つずつ持って、一つを差し出して、隣に坐った。
「海には片かなのミゾレですよ、ツーンと頭に来る冷たさ、それがビーチには合うんです」
「かき氷でしょう」
「沖縄ではミゾレと言うんです。ミゾレは小学校の低学年の冬に一度、見ましたよ、雪は降りませんけど」
「寒いのが好きなんですか、雪とか氷とか」
「いいえ、二十度を割ったら、ここでは冬ですよ。でも二三日なら、雪を味わってみたい。幻想です、ファンタジーです。夏の海は輝いていて、いいですね」
 やっとまともな事を言ったと思って、海をゆっくり眺めた。
『何で、男のことで、むしゃくしゃしなければならないのよ、嫌いになれば別れる、私だってそうするわ、義理を通して死ぬまで一緒なんて、生き地獄じゃないの』
「海はいいですよ、何で読んだのか、忘れましけど、変な海の歌が有りましたよ。聞きたいですか」
「いいですよ、アメリカの映画みたいに、ビーチに寝転がって、文庫本を読むのをかっこいいと思う方ですから」

 那覇に戻って、別れた。タクシー代は私が払うことになった、あいつが払わずに先に下りたからだ。
 柄にもなく、私はお礼の葉書でも書きますのでと、言うと、男は手帳を取り出し、住所氏名を書いて渡した。
 いいんですよと言うのが、世間の常識ではないのだろうか。
 比屋根春彦が来た道の反対方向のバス停に立って、バスを待っていた。
 どうせ私に払わせるのなら、途中で下りれば、よかったのだ。

 私は比屋根と手紙の遣り取りしてから四年目に別の男性と結婚をした。
 彼の返事は一週間以内には必ず届いた。
 最後に「あなたと同じ名前の人と結婚しようかと思います」と私は書いた。
 その四日後の返事は、祝福を込めて、と結ばれていた。
 私は三宅という姓の男性と結婚し、二年の春を満喫し、後の三年は針の筵だった。前の交際相手との軽い気持ちで受けた堕胎が原因で、子供は産めないとのことだった。
 夫も夫の両親も子供を待ち望んでいた。人のいい夫は親にも私にも何も言えずに、酒を飲むようになり、暴れるようになった。
 離婚して三月後に、自棄になっていた私は比屋根を思い出して、手紙を書いた。返事は無くてもよかった、だが、誰かに話したかった。
 
「以前の苗字に戻られたのですね。ちょっと嬉しかった。
 結婚はしてもしなくても、後悔するもののようですが、でも一度は結婚してみるものです。一度も結婚したことの無い、私の意見で、何が分かるのよ、と美佐子さんに言われたら、困ってしまいますが。
 でも不幸と思う状態を我慢し続けるほど、猶も不幸なは有りません。自分の一生を幸せのものにするために、私たちは歩いているのですから。
 沖縄はいつもの青空が広がっています
      
           比屋根より」

 郵便受けで、この手紙を見た時には、私にも誰か居るんだわと、救われたような気がした。内容は以前と同じ、優しいだけの文面だったが、私には嬉しかった。
 それから、十年ほど遣り取りし、表計算とワープロ、表計算、ホームページ作成をマスターし、パソコン教室に、個人営業店の経理業務などの処理を請け負って、生活できるようになっていた。
 これも比屋根がアドバイスしたのだ。
 だが比屋根は自分のことなど一行も書いてなかった。書けなかったと言った方がいい。
 毎日、家で本を読んで居ますと書いても、多分、私は、たまには遊ぶんだろうと自分で思い込んで、疑問さえ抱かず、軽く流していただろう。

 米軍統治下の一九六四年、比屋根が小学校三年生の頃の話であった。
 二時限目の授業に、半ズボンにTシャツのアメリカ人の二人の大男に捕まえられて、一つ上の男子児童が廊下を通り、校長室に連れて行かれた。
 すぐに緊急職員会が開かれて、授業は自習となり、教室がざわめき立った。
 四年生は海水浴に来たアメリカ人に、米兵に石を投げたのだ。
 静まり返ったクラスの全員が心の底で拍手喝采を送っていた。
 小学校六年生の少女が暴行されて殺されて、浜辺に捨てられた。その犯人のアメリカ人は本国へ強制送還されただけであった。アメリカ人が沖縄人に何をしようが治外法権であった。轢き殺しても、強姦しても、罪はない、それがアメリカ人であった。
 その巨大な野蛮人のアメリカ人に自らの手で石を投げつけた、その四年生は、比屋根のヒーローだった。
 それから数ヶ月して、ケネディ大統領が暗殺され、比屋根はは小躍りしたと言う。
 沖縄で酷いことをしているアメリカ人の大本が殺されることは当然の報いであった。
 それだけが比屋根が私に直接聞かしてくれた彼の唯一のプライベートな事だった。

 私は比屋根の日記を読んでいる。
「中二、一九七〇年十一月二十五日に、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で、三島由紀夫が割腹自殺をした。
 私は米軍統治下の沖縄で遠い祖国「日本」を重ね合わせて、憧憬を持ってその画面に見入っていた。
 沖縄戦での住民の集団自決の哀れさと惨めさを思った。
 戦後のアメリカの治外法権、、沖縄人の少女が殺されても、自由と民主主義の国、アメリカ国民の殺人者は強制送還となって、無罪放免である。
 琉球政府、沖縄人の無力感、を払拭するかのような驚き、目的を以って自ら死ぬことへの畏敬の念、三島由紀夫が私を魅了した。私は高三まで彼の本を読み漁った。
 だが、一九七五年、高二の祖国復帰で、「核抜き・基地撤去・反戦平和」の沖縄の願いを無視し、日本国沖縄県となった瞬間から、昨日まであったはずの祖国「日本」は消えた。
 信じていたものが一瞬に消えた、沖縄戦で日本に捨て石にされながらも祖国祖国と復帰運動をし、それでも日本を頼りにした沖縄が惨めで情けないものに思えた。
 私は沖縄人でもなく、日本人でもなくなっていた。増してやアメリカ人でもない。
 そのような私がアメリカ合衆国ハワイ州へ沖縄から飛び出して、一九七九年、私はハワイ大学ハワイ島ヒロ校にて、私自身を失った、統合失調症を発病した。
 その一年後、ホノルルのマノア校に転入。再発、帰国。
 三島の自殺と作品を私は怯えの中で反芻する。彼の華麗な日本語・形、同じように鍛え作り上げた肉体。
 彼が作品の中で「鼠が自分を猫と一生思い続け死んだら、どうなるのか」との問いを発している。それは人生は主観で生きてこそ価値があるということだと思う。鼠は鼠で、一生過ごせとの屈辱には耐えられない鼠が在る。だから猫の真似美を貫き通した。
 他人が笑おうと彼は誇らしげに猫として死んだ」

「私は沖縄戦で日本軍人と米国兵に戦わず、集団自決した人々を情けない、否、悔しいと思った。
 もし私なら日本軍人を、米国兵を道連れにして死ぬと思った。
 だが私はそれ以下だった。
私は長閑なハワイ島のヒロ大学のキャンパスでは正体不明の声に怯えて、自殺未遂で終わったのです。
『もし私が沖縄戦の壕の中で子供と一緒なら、子供を道連れに、私は真っ先にに死んでいた』
 自殺未遂で、病室で目が覚めた途端に、そのことが浮かんで来た。
 否応なく、自分の一生の覚えている全てを、いや、忘れていたものさえ、呼び起こされて、否定されて、罵倒され脅され怯えるしかない。
 涙を流して、謝り続けても、けして許されることがなく、ただ怯えだけがこの世界に充満する、私は怯え続けた。
 二十二から三十六七まで、中でも町工場での六年間は怯えの上に、悲惨だった」

「ムンクの『叫び』がある。
 この絵は全ての人が、空間が歪んでいる。所が私の場合は自分だけが骸骨のように痩せ細り、歪んでいて、それ以外は異次元のように明るく輝いている」

『交通事故で死ぬのも願いました、米軍機が、私の頭に落っこちて死ぬのも、落ちたバナナの皮で滑って、頭を打ち付けて、死ぬのも願いました、兎に角、私は自殺はしない。私は自殺では死ねないんです。沖縄戦の壕で集団自決した住民を軽蔑したんですから。そのような私がホントは有りもしない私だけの怯えで自殺するのは、出来ないことです。バカに見えるでしょう。でもそれだけが私の彼等への真摯な思いを現わすのです。
 中三の頃、日の丸に《武士道とは死ぬことと見つけたり》と墨で書いて、勉強室に貼り付けていた私の、それが三島由紀夫への私なりの返事です。
 それは私がこの病の中で生き延びるための身勝手な理由付けかも知れませんが
       未知なる者へ』

「どういう訳だか、この頃、この心の平安に満足していた私が、誰かと生きたい、誰かと思い切り話したいとの泡が心の底から、忘れかけたところに、何かをしているさ中に再び、ブク、ブクブクと浮かび上がってくる。
 私はいつも心の平安さえ蘇れば、それでいい、それだけで、私は幸福だと、歯軋りして望み、それが十六、七年後に叶った。
 嬉しかった。第三者の声が、罵りが、侮蔑の視線が消えて、私は表を以前のように歩いている。幸福というものを肌身で感じた、生きていると、私は確かに実感し、現実の中に在る。
 それが五、六年で、他人と暮らしてみたいなどと願っているのだ。
 欲望は切りが無い。
 私に確実なことは、再び怯えの状態に戻れば、絶対に耐えられないという事だけだ。
 人に関わるとは感情移入無しでは、テレビのドラマを見ることより、味気ない。
 私は友人、知人以外の人、例えば、電気屋さんの店員とのトラブルなどの交渉は、人より上手に運ぶことが出来る。そこには、どちらがより妥当かしかないからだ。
 NHKのモニターにしてもそうだ、私はどんどん批評し、キャスターのなどの言い間違いや、読みの浅さを指摘する。全く、感情移入しないからだ。
 だがモニターなどの集まりには何かを口実にして出席はしない。私はテレビやラジオ番組のモニターであり、お付き合いまでは出来ない、知り合いも増やしたくはない。
 私は人と関わらないことことで、私の怯えの復活を阻止し続けてきた。
 怯えの中での人との付き合いは、虚しいだけではなく、その人の罵倒と罵りを何日も何日も聞き続け、怯えることになる。それは又一つ消えぬ怯えの対象が一つ増えたことを意味する。
 それを覚悟で人を好きなる理由が何処に有る。
 確かにそうだ。
 だが、ブク、ブクブクとどうしようのもない望みの泡が浮き上がってくる。
 私は自分を説得にかかっている自分に驚くようになった。
『何を考えている、世間の皆さん全てを愛せよ、と言っている訳ではない、一人の人間と付き合うだけだ』
『命が大事なら、無謀なことをするな、優秀な登山家ほど、冒険はしない。怯えの中で生きられると思っているのか、自分を過信するなよ』
『果たして、こうして一人で生きている事に何が有るんだ』
『有るさ、生き抜いてゆく、それが価値であり、意味だ。大臣でも、大工でも、トラックの運転手でも、何であろうが同じ人生だ、人が生きている。人生に幻想を持つほど、甘くはないだろう。私はアルコール依存症から立ち直った人に、もう大丈夫だ、酒を飲んだらどんなに気持ちがいいだろうと酒を勧めるほどの無神経なバカではないね。それとお前がしようとしていることはよく似ているよ』
『だが人を好きになるのは止められない』
『性欲か』
『それだけなら、どうにでも出来る。結婚は墓場と言うけれど、既婚者は何か失ったものが有るだろうか』
『お前は命を捨てるとでも言いたいのか』
『バカらしい、ただ怯えと好きの天秤が平衡に成りかけている、それだけだ』
『見る前に飛び込んで、溺れるか』
『ただある人を好きになってしまった。ニーチェの意志も、三島の美学、仏教の慎みの影さえ見えない、
【誰かを好きになった】
 何なんだろうか、この人を好きになるって」
『寒気がするよ』
 ドストエフスキーは「畜生みたいな人間の頭に宿る神の不可思議」と言ったが、私のはそんな頭に「恋」が宿るてんてこ舞いだ』

『比屋根は私と結婚しなければよかったんですよ。そしたら今でも手紙を書き続けていたでしょう。あの人だけ、すっきり死んでしまうなんて、こんなこと許せないですよ』
『でも、美紗子さん、十六年目に蘇った平安と引き換えてでも、結婚して、所帯をもって、生活してみたかったんです。奪われた生活をもう一度、味わってみたかった。それも好きな人とです。幸せになりたかったんです。
 毎日、何を読んだ、何を考えた。高校を卒業して、沖縄を出て行った時のように、そんな日々から出て見たかった。でも今度は自分の海を越えて行こうと思ったんです』と同じハワイ帰りの銘苅さんは呟いた。

 自殺であれ、事故であれ、統合失調症であれ、まともであれ、何であれ、腹が立ってきた。そんなことは出会った時に、言え、好きになって、結婚までして、気にするもなにも、私は共に暮らせればよかったのだ。それをわざわざ、結婚届を村役場まで二人して出しに行ったのだ。これはケジメだからと殊勝なことを言って、誤って海に落っこちたのか、飛び込んだのか知らないけれど、すぐに死ぬことはないでしょう。せめて一年、半年は暮らしたかったわよ。もしあなたが狂うのなら、狂ったところを見たかったわよ。ドスエフスキーやニーチェや仏経全集を読んでいるあなたしか、見せないなんて、卑怯だわよ。
 どうして、あなたは「私は統合失調症ですが、私はあなたが好きです」と十数年も手紙の遣り取りをして書けなかったのよ。
 それはショックでしょうよ、でもあなたとの十数年を消して仕舞うほどじゃないわよ。私にだって、あなたを励ましてくれるチャンスを上げたってよかったじゃないの。一人だけ、カッコつけんじゃないわよ、バカヤロウ。
 初めて会った時、中原中也の詩集を買った私に、汚れてしまう悲しみは有るんですかと聞いたわよね。あなたの影響で、今まで無いと思い込んでいたわ。でも、あなたにされた仕打ちで、今までの全てが汚れっちまった悲しみよ。
 これで×二(バツニ)になってしまったわよ。
 それでもバカみたいにのうのうと沖縄の青空が広がっているわよ。
 それを見ていると、何が何だか、分からなくなって、何だかバカらしくなってしまうわよ。
 中年の男と女が二人で、お洗濯に、お掃除に、二人のお食事、オママゴトか。よくやったわよ。

 比屋根が亡くなった現実にぴんと来ない。
 何と言われようと、すぐに未亡人にするなんて、酷い仕打ちだ。でも、あなたの位牌は私が持って上げる。だけど、私は好きな人が出来たら迷わず結婚します。それでも、ずっとここに住み着きますから。私はあなたみたいに本を読んで一日を過ごすタイプじゃないわよ。位牌からずっとずっとあなたは見てなさい、結婚て、こんなものですか、という顔をしてね。
 私は人間が怖いなんて、嫌いなんて事は有りませんから、ご心配なく。
 比屋根のビーチでの下手くそな詩が聞こえた。
神様に『どうしたらいいの』と聞いたら
瞳の中に、海がお空が、地球が、
ふわりふうわり浮いていた
海は死んでもいいよと抱きしめて
星は生きてもいいよとキスをした   

 何様の積もりなのよ
 比屋根のノートを拾って 位牌に投げつけ 罵り 恨み 辛み をぶちまけた
 こんなことを夫婦喧嘩と言うのよ 生きてててやるものよ 
 泣いた。

 私は琉球大学の図書館に三ヶ月も通い続けた。
 比屋根をお浚いするために読み続けた。
 全てを自分に関係していると認識してしまう関係妄想、幻聴も怯えも統合失調症という病の一つの症状なのです。
 だから比屋根が人間不信として、私を目の前にして、恐怖したと自分を責める必要は無かった。
 私が何を言っても、比屋根は怯えから発した優しさの言葉で包んでくれた。あなたは私の内角を抉る豪速球の言葉でも、優しい言葉のスローカーブのストライクで返してくれた。
 比屋根は統合失調症だから優しくなったとしても、元々、優しい人だったとしても、問題じゃない。
 中断は有っても、手紙を延べ十七年も書き続けてくれる男の人に愛を、誠実を感じなければ、男なんて信じられるものですか。×一の大人の女性が結婚までするものですか、沖縄までのこのこ来るものですか。
 精神病理学者のヤスパースは統合失調症の患者をこう書き記している。
「何かが起こってしまった、……、何が起こったのか教えて下さい」
 これは発病した比屋根が恐怖の真っ只中で、救いを求め発することの出来るぎりぎりの哀願であり、祈りだった。
 比屋根は病気の理由を見つけようとして、考えた、読んだ、書いた、でもそれは原因じゃない。医学は哲学でもない、文学でもない、倫理学でも美学でも道徳でもない、科学なのよ、そんな眼差しはあなたの偏見であり、私の、世間の病への偏見でしか過ぎない。
 怯えで充満した比屋根が一人で喜怒哀楽を享受できるまでになった。そして私と、詰まり自分でない他人と分かち合いたいと願った、それえがあなたの私への『愛』だった。
 あなたは警察の見解のように事故死した、私はそう思うことにした。涙を拭う。あなたは少なくとも生きようとした、人生を謳歌しようとした。
 あなた一人だけで…

ピグマリオンの妻

とにかくきつい病気です。

ピグマリオンの妻

統合失調症のどうしようもなさを描いた。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-06

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