騎士物語 第三話 ~夏休み~ 第三章 王族の家
第三話の第三章です。
なにやら堅い雰囲気のタイトルになってますが、そんな事はありません。
単純に「エリルん家」です。
つまり、話には出てくるけど登場はまだだった「お姉ちゃん」の出番ですね。
第三章 王族の家
第三章 王族の家
「大将、アフューカスって知ってるか?」
十二騎士の一角、《オウガスト》を襲名した男、フィリウスが彼の弟子である青年に語った話は、半ばおとぎ話になりつつあるモノであった。
その名前が今の騎士にあたる正義の執行者の間に広まってから優に百年単位の時間が過ぎ去っているが、名前が指しているモノは変わっていないし、代わってもいない。
アフューカスとはとある人物――女性の名前である。
曰く、壮絶な過去を持つが故に世界を憎んだ少女。
曰く、自然発生した悪という名の災害。
曰く、最上位にして最悪の魔法生物。
人間である事は確かなはずだが、時にそれ以上の存在として様々に語られる彼女が行った事は単純明快――悪い事である。
人を殺してはいけないと言われれば小高い死体の山を作り、自然を保護しよう言われれば広大な森林地帯を焼き尽くす。触れてはいけない秘宝があれば遺跡を破壊して宝を撫で回し、起こしてはならない魔法生物がいれば尻尾を引きちぎって大都市にけしかける――彼女の行為はその全てが悪行の一言で語る事ができるとさえ言われている。
彼女がどういう方法で数百年の時を生きているかは不明だが、問題はそんな彼女を歴史上の正義と呼ばれる者たちが一度たりとも粛清できていないという点だ。
大小に関わらず全ての悪行を行う彼女は当然それを可能にする力を持っている。今の十二騎士に相当する当時最強の正義らが彼女一人に返り討ちにされたという話もあり、その実力が桁外れなのは確実だ。しかし、その時々の正義の使者が彼女を恐れ、そして倒すことが出来ない最大の理由は彼女自身の実力ではなく――彼女のとある才能にある。
それが『世界の悪』と呼ばれる彼女の――悪としてのカリスマ性である。
その時代時代にて名を轟かせる悪党を心酔させ、従わせる力――魅力が彼女にはあるのだ。自らの悪道に従って悪逆に走る者を惹きつけるモノとはなんなのか。それこそ悪党にしかわからない事である為に具体的なモノはわからないが、一人いるだけでも手を焼く大悪党を複数人束ねてしまうその力にこそ、世の正義は戦慄しているのだ。
彼女が束ねる悪党。彼女のこだわりなのか、その人数は決まって七人である。彼女が率いる集団は、その七人と彼女、それに彼女の傍に常に立つ一人を加えて九人で成り立っている。
悪の道を行き、ある程度まで歩を進めた者らは、個人差はあるものの、その七人に入る事に憧れるようになる。悪の道を進めば進む程に彼女の偉大さと魅力が理解できるのだと、とある悪党が語ったという記録もあったりする。
紅い蛇をシンボルに掲げるその集団が引き起こす悪事は、そのどれもが国や世界を揺るがすモノであり、実際、過去に二度ほど世界は滅びかけたと言われている。
正義を志す者――いや、世界が避けて通れぬ最凶最悪の悪である彼女なのだが……ここしばらくの間は何もしていない。常に彼女への警戒を行っていた正義の者らは、油断してはいけないと思いながらも何も起きない平和な世界を前にホッとしていた。
共通の敵が無くなったからなのか、国家間のいざこざが多くなってきた為に正義の者たちもそちらに忙しく――次第に彼女の名前は伝説となっていった。
『悪い事をしているとアフューカスに食べられる』などという本来の意味も知らずに子供を叱りながらその名を使う世代も出てきた程で、彼女の名前はおとぎ話に出て来る悪魔か何かの名前にまで成り下がった。
アフューカスという名前の人物がどういう存在なのか。これを知る者は現在、上級以上の騎士と各国の一部の為政者のみとなっている。どこかの誰かが討伐した、ついに寿命を迎えたなどかなり希望的な憶測で片づけてしまっているが、だからと言って来ない相手に無駄に怯える事もない。十二騎士や各国の情報部が目を光らせ、国民は知らずに過ごす。そんな状態がしばらく続いていたのだが――
「姉御、風邪引きますぜ?」
「お前……あたいが風邪引くように見えんのか?」
ダンスパーティーの一つも開けそうな広い部屋。見るからに高そうなソファに座る女を部屋の隅っこでピザを切り分けずに食べる太った男が案じたが、女は太った男を見ずに本を読みながらそう言った。
太った男が心配するのもそのはずで、女はタオル一枚を身体に巻いているだけなのだ。その上いつもなら波を打っている髪も濡れていて、顔や腕などにはりついている。状況的に、風呂上りに髪も乾かさずにいるというところだろう。
「あっしも男なんすが……」
「知ってる。だがなぁ、バーナード。女って生き物は目の前に肉の塊があるから裸にはなれないなんて言わねーんだ。」
「へぇ……」
太った男が油でテカテカした指でほほをポリポリかく。
『要するに、男として認識されていないのだな。』
小さなタオルとドライヤーのようなモノを手に、長身のフードの人物が部屋に入って来た。そして女の後ろに立ってその髪を乾かし始める。
『しかしバーナード、お前にも性欲はあるのだな。てっきり食欲となけなしの睡眠欲だけで動いているのかと思っていたが。』
「ぶはは! 良い事言うな、アルハグーエ! どうなんだ、バーナード。」
「さっきのは一応言ってみただけでさぁ。アルハグーエの言う通り、あっしにあるのは主に食欲でさぁ。」
「はぁん? んじゃあお前には裸の女が何に見えるんだ?」
「柔らかそうな肉でさぁ。」
恐ろしい会話が飛ぶその部屋に、さらに二人が入って来た。
「! お姉様! あたしはまだ任務を完了していないのにもうご褒美を下さるのですか!?」
「ぐああ! 妹、どうしてボクの目を潰した!」
両手をわなわなさせながらタオル一枚の女をよだれを垂らしながら見つめる金髪の女と、その女に目つぶしをされて両目を覆う金髪の男。そんな二人を見てタオル一枚の女はため息をつく。
「ポステリオール……お前はどっちかつーと男を食う方だよな? なんであたい相手の時だけ同性愛に目覚めんだ気色悪い。」
「性別なんて関係ありませんわ! お姉様が美し過ぎ――いやだわ、鼻血が……」
嬉しそうにティッシュを取り出す金髪の女――ポステリオールの横で金髪の男は目をしぱしぱさせる。
「あー、やっと見えてきたな……あれ、姉さんお風呂上りですか? 相変わらず美しい。普段の女神の如きウェーブも良いですが、そのストレートをつたう水滴が宝石のように煌めく姿も甲乙付け難く。加えて雪のような素肌も露わとあれば、姉さんをボクの腕の中に抱きしめてその美を堪能したいという禁忌を思い描かずにはいられません。あぁ、うやましいぞアルハグーエ。その御髪に触れるその役目、あと数分早く到着していればこのボクが引き受けたモノを……」
『ウェーブ? あの髪型はただの壮絶なくせっ毛だぞ、プリオル。』
「手を加えずに女神という事だろう?」
キザな事を口から垂れ流した金髪の男――プリオルは爽やかな笑顔をフードの人物に見せた。
「美しいだの女神だの――誰をつかまえてんな事言ってんだったく――あ? おい、アルハグーエ。こりゃ何の真似だ。」
髪を乾かし終えたフードの人物がタオル一枚の女の周りを、どこから出したのかカーテンのようなモノで覆い隠し、彼女がいつも着ている黒いドレスをその中に放り込んだ。
「生娘じゃあるまいし、誰に裸見られたって構やしねーぞ?」
『知ってはいるが、このままいつも通りに堂々と着替えられるとポステリオールが鼻血を吹き出して倒れるだろうし、プリオルが延々とお前の美を言葉にするだろ? 話が進まなくなる。』
「めんどくせぇ……」
カーテンの中でゴソゴソと着替え、そして出てきた女は首から下げた逆さ髑髏を揺らしながらソファにドカッと座った。
「――で、何がわかったんだ?」
タオル一枚から、真っ黒なドレスになった女がそう言うと、ポステリオールが頭を下げた。
「申し訳ありませんわ、お姉様。正直、『何もわからないという事がわかった』という感じです。」
「あぁん?」
「セイリオスに入る前の記録がごっそりないのです。故郷もあの剣術を教えた者も不明なのですわ。」
「まるで公的機関に一切関わらない生活をしてきたかのような記録の無さ……生まれてからずっと放浪の旅でもしていたのですかね、この少年。」
プリオルが調査した事をまとめたのであろう資料をスッと出しながらそう言った。
『資料に残らない人生を送って来たとなると、これは本人やその周囲を直に観察する必要があるな。それこそバーナードの力を借りて誰かを誰かに変身させて傍につけるか……』
黒いドレスの女が動かない為、一歩前に出て資料を受け取ったフードの人物がそう言うと部屋の隅の太った男が口を開く。
「誰かを変身させて学院の学生とか教師に紛れ込ませるのは無理でさぁ。さすがのあっしも、あの爺さんが発動させた防御魔法を騙せる自信はないんでさぁ。」
『――となると結局外から眺めるだけだな。今と状況が変わらない。』
「面目ないでさぁ……」
フードの人物と太った男が悩む中、プリオルが不思議そうな顔でドレスの女にたずねた。
「そもそも、どうしてこんな面倒な方法を? いつもの姉さんならとりあえず学院を襲撃していらない連中を片付けてからゆっくりと捕まえて、欲しい情報を吐かせるでしょうに。」
「そうですわ。人目をはばかるなんてお姉様らしくないと言いますか……」
金髪の双子の疑問を受けたドレスの女は、ため息交じりにそれに答えた。
「あたいが欲しいのは情報じゃなく、思想――考え方なんだよ。」
「思想……姉さんが欲しがる程の悪の考えをそいつが?」
プリオルがフードの人物の手にある資料に載っている青年の写真を怪訝な顔で見る。するとドレスの女は、その場にいる全員が見た事のない艶のある表情で語りだす。
「予想も予感もねぇある日に見つけたんだ。色んな奴から悪って呼ばれて満足してたあたいに一喝! 身体中に衝撃が走るってのはああいう感覚なんだな。セイリオスの生徒っつーから、とりあえず死にはしねぇし街も崩れない程度の魔法生物をこの前ぶつけた。こういう世界に生きてるんだ、まずは実力が知りたいだろ? したらまさかの――くっくっく! ますます興味が湧いた。んで、そんな思想と実力を身につけるに至った理由が気になったっつーことだ。」
ドレスの女の見た事の無い表情によだれを垂らしながら、ポステリオールは質問する。
「で、ですがそれなら尚更、さらって聞きだせば……」
「馬鹿、生き物ってのは環境が変わると思想とか人格も変わんだろ? お前らも悪党やってんなら見た事あるはずだ。」
「それは勿論……家族とかを奪われた男や女の変わりようときたら見ていて可笑しくなるほどですわ。まぁ、あたしたちが生む狂乱なんて、お姉様が生む凶乱に比べたらままごとですけど。」
「要するに、いつもの方法でやっちまうとあたいの欲しい考え方が手にはいんねーんだよ。傷なくゲットする為にはそもそもどういう奴なのか知っとく必要があんだが……ったく、それがわかんねーってんだろ? くそが。」
『慣れない事はするものじゃないな。せめて学院の外に出てくれれば、じっくり観察できるモノを。』
「なら今は丁度いい時期だろ。」
ドレスの女でも、フードの人物でも、太った男でも、金髪の双子でもない誰かの渋い声が広い部屋に響いた。見ると部屋の入口の扉が開いており、そこに一人の男が立っていた。
頭頂部には何もないのに頭の両側には翼のように白い髪が伸びているという、高い山とは逆の色合いをした頭にしわの目立つ顔。背中はピンと伸びているが、その顔や肌の具合からして老人と表現できる年齢だろう。
クリーニングしたてかと思うほどにパリッとした白衣に両の手を突っ込んで葉巻をふかしており、科学者のような格好ではあるが渋みがある。
「ケバルライ? おまえ、なんでここにいんだ?」
ドレスの女がそう言うと、老人は――奇妙な事に直立不動のまま部屋に入って来た。まるで浮いて移動しているかのようにドレスの女のところまで来ると、老人はぷはぁと煙をはいてにやりと笑う。
「ワレらがヒメサマが恋する乙女になったという連絡を受けたら何をおいても駆けつけるだろ。あのヒメサマが恋愛だぞ?」
「おいおい。あたいだって恋の一つもした事あんぞ?」
「昔の話だろ。今のヒメサマを惚れさせる男なんざ、天変地異の中心に仁王立ちするくらいのポテンシャルは前提であると考えられるからな。」
「……連絡したのはおまえか、アルハグーエ。」
『ついでに、私たちを殺したがっているという事も伝えた。全員にな。当然だろう?』
「めんどくせぇことしやがって……」
苛立ち顔で組んでいた脚を組みなおすドレスの女。それを正面から見ていたポステリオールが鼻血を吹き出すのを横目に、プリオルが老人に尋ねた。
「それでケバルライ。丁度いいというのは?」
「まったく……生まれた時から悪党やってる奴はこれだから。学校に一年だけでも通っていればこの時期がどういう時期かすぐに理解できるんだがな。」
『ん? そうか、夏季休暇か。』
フードの人物がそう言うとドスドスと近づいてきた太った男がポンと腹を叩いた。
「今なら全員学院の外って事か。こりゃお目当ての学生にも近づけるってモンでさぁ。」
「あぁん? んならイェド、おまえらが引き続き見てこい。」
「了解です、姉さん。」
「わ、わかりましたわ、お姉様……」
金髪の双子が床に血痕をつけながら部屋から出ていくと、老人が白衣のポケットから小さなケースを取り出してドレスの女に渡した。
「修理した。踏んづけても壊れないくらいにはしたぞ。」
ケースを受け取り、中身を取り出したドレスの女はニヤッと笑った。
「ったく、おまえもケバルライと同じくらいの頭はあるはずなんだがな?」
ドレスの女の横目を受けたフードの人物はやれやれと肩を落とす。
『魔法が絡むモノを私にどうにかさせるというのは無理な話だぞ。』
ドレスの女はソファから立ち上がり、ケースに入っていた物――眼鏡をかけた。するとその容姿がみるみる内に清楚な女性のそれになっていき、ドレスの女は上品に笑った。
「楽しくなってきましたわ。」
エリルの家に遊びに行くにあたり、オレはパムから王族について色々な事を教えてもらった。
とりあえず、オレが今いてオレたちサードニクス兄妹が生まれた所でもあるこの国の名前はフェルブランド王国。首都はセイリオス学院のあるラパンという街――都だ。
そしてラパンの中心に建つ王宮にこの国の王様がいる。その名はザルフ・クォーツ。本当ならもっと長い名前らしいのだけど、大抵これで通っている。
ザルフ・クォーツは御年七十のおじいちゃんなのだが、小さい子供なら泣き出すくらいの迫力がある王様らしく、まだまだ現役だとか。
そんな王様にはキルシュ・クォーツという弟がいる。地位は大公というモノになるらしい。
それが普通なのかは知らないが、王様であるザルフ・クォーツが政治を、大公であるキルシュ・クォーツが軍事を主に担当しているとか。
威厳たっぷりの王様の弟で軍事担当とあれば王様以上の風格――かと思いきやそうではないらしく、二人を見た諸国の王様方はどうして逆じゃないのかと首を傾げるそうだ。
しかし外見は逆でも、キルシュ・クォーツという人はその柔らかな雰囲気からは想像できない程に才能ある指導者――軍の指揮官なのだとか。
そして……んまぁ、ここからが本題なのだが、このキルシュ・クォーツには息子が一人いて、その息子さんには子供がいる。つまりキルシュ・クォーツの孫……全部で五人いるその孫たちの一番下――長男、次男、長女、次女、三女の三女がつまり、エリル・クォーツという女の子だ。
エリルはまだ学生だが、他の兄弟は皆何かしらの地位について国の為に働いていて……そんな中、長女は賊に襲われて命を落とした。結果、賊が襲うくらいに重要度の高い地位にそのまま繰り上がる形で次女がついた。
この次女というのがエリルの守りたい相手であり――これはオレの印象だけどエリルが尊敬もしている人、カメリア・クォーツ。オレたちを王家に招待した人物だ。
軍を指揮する立場ならともかく、悪い言い方をすれば使われる側である騎士になりたいと言ったエリルに対する風当たりが強い中、このカメリアさんだけはエリルを後押し、結果エリルは王家の人間ながらセイリオス学院に通う騎士見習いとなった。
出会いに運命以外のめぐり合わせ的な歯車みたいのを考えるなら、エリルとの出会いを感謝する相手としてカメリアさんという人はかなり大きい。エリルを守ってくれたお礼がしたいという事で招待されたけど、オレとしてはその辺りのありがとうを言おうと思ってやってきた。
やってきたのだが家の前に立つや否や、オレは王家の迫力に開いた口が塞がらない。
「おに――兄さん。口を閉じてください、みっともないですよ。」
上級騎士ともなれば身分の高い人の護衛もやったりするのだろう、目の前の豪邸に驚きもしないパムに注意されたオレは、都会の賑やかさに目を丸くするおのぼりさん気分をなんとか押しとどめる。
初めは正装という事で制服でここに来るつもりだったのだが、エリルからの連絡でカメリアさんが私服でと言っている事を知り、少し気を楽にして私服でやってきた事を若干後悔し始めたオレは一緒に門の前に並んでいる他の面々を横目で見た。
「はっはっは。これが実家なのだから、寮の部屋は犬小屋くらいにしか見えなかったのではないか?」
私服と言ってもラフな感じではない、お散歩するお嬢様みたいにその容姿に合った服を着て相変わらず美人なローゼルさん。
「お、お庭でスポーツできそうだね……」
部屋着だとダボダボの服装だけどちょっとオシャレをして一層可愛くなっているティアナ。
「こういうとこに住む人が欲しがる物ってなんだろうね。」
オレとしてはとても安心できるオレと同じ感じの普通の服だけど商人の目を光らせるリリーちゃん。
「ほら兄さん、誰か来ましたよ。しゃんとしてください。」
国王軍の騎士という身分上、私服では行けないと言って今日も軍服のパム。
指定された場所から馬車に拾われて美術館みたいな豪邸の前に降ろされて立ち尽くす事五分程、門が開いて一人の女性がぺこりと頭を下げた。
「ようこそおいで下さいました。」
ローゼルさんのとはちょっと違うフリフリのついたカチューシャを頭の上に乗っけて、エプロンみたいな服を着た女性……なんということか、この人は――
「メ、メイドさん!? 本物!?」
オレがそう言うと、ローゼルさんが不思議そうな顔をこっちに向ける。
「そんなに驚く事か? 別に王家でなくとも、そこそこの身分の家であれば使用人の一人や二人いるものだ。わたしの家にもいるしな。」
「えぇ!? オレ、今が人生初メイドさんなんだけど……」
「どれだけ田舎も――いや、ロイドくんは田舎者だったか。」
「あ! まさか執事も!? 執事も実在するのか!?」
オレがここ最近で一番のテンションでそう言うと、メイドさんがくすくす笑った。
首から下はオレのイメージの中にいるメイドさんと変わらないから、このメイドさんを他のメイドさんと区別するモノは首から上になる。
遠目には黒に見えそうな濃い赤色の髪の毛をスカートの裾あたりまで伸びたポニーテールにまとめている、デキる女性っぽいけどキリッとしているというよりはほんわかした優しい笑顔のメイドさんだ。
「おりますよ。勿論、こちらのお屋敷にも。メイドも私だけではありませんし。」
「ほ、本当ですか!」
「ええ。どうぞ中へ。」
メイドさんに導かれ、オレたちはエリルの家の敷地内に入る。門から建物まではそこそこあって、綺麗に整備された庭を眺めながら歩いていると、何故かふくれっ面のリリーちゃんがオレのほっぺをつねりながら聞いてきた。
「ロイくんてば、メイドさんに会えたのがそんなに嬉しいの?」
「うん。セイリオス学院に入る前は絵本にしか出てこない人ってくらいにしか思ってなかったんだけど……大切な人を守る騎士を目指している今のオレにはメイドさんとか執事さんを他人とは思えないんだ。」
「? どーゆーこと?」
「メイドさんとか執事さんって、「この人は」って決めた人に仕えて色々手助けする人だろ? んまぁ、全員が全員そうじゃないかもしれないけど――大切な人の為に何かをしてあげるんだから、そりゃあもう騎士みたいなもんでしょ?」
「確かに……中には護衛を兼ねてる使用人もいるからね。そういう意味じゃ騎士って呼べるメイドさんとか執事さんもいるかもしれないね。」
「別に戦う力なんてなくても――いや、戦う力はあるのか。ただそう……世に言う騎士とは戦場が違うだけなんだよ。」
我ながらうまい言い回しだと思い、キリッとした顔でリリーちゃんを見たのだけど、リリーちゃんは目をパチクリさせて「ふぅーん」と言うだけだった。
そうこうしている内に両開きの大きな扉に到着。メイドさんがそれを開くと、そこには――それこそ絵本とかでしか見た事のない豪華な世界が広がっていた。ピカピカの照明とかキラキラの装飾品とか……まさにお屋敷だ。
「あ、あのぅ……」
オレがそんな眩しい物にびっくりしていると、ティアナがメイドさんに尋ねた。
「ぶ、武器を回収したりしないん……ですか?」
騎士たるもの自分の武器は肌身離さず、そうでなくても常に手の届く所に置いておくべき――という事をオレたちは先生から言われている。実際、現役の騎士はみんなそうしているらしく、イメロのついた武器が騎士である証みたいなモノなのだとか。んまぁ、どうやってかは知らないけどイメロを手に入れた悪い人もいるから、それとは別に騎士の免許書みたいなモノもあるらしいのだが。
ともかく、オレたちは今それぞれの武器を手にここまでやってきたのだ。だけどここは王族の家。騎士の卵として教えに従うものの、きっとどこかのタイミングで回収されるだろうと思っていたのだが、何もなく建物の中まで来てしまったのだ。
「回収は致しません。どうぞそのまま。」
しかしメイドさんはニコリとそう言った。
「ふむ……わたしたちを信用してか、あるいは――わたしたちがこの武器を手に何かをしようとしてもそれを完全に防ぐ事ができるということか……」
何か仕掛けでも探す風にまわりを見るローゼルさんに、リリーちゃんがため息をつく。
「ここには《エイプリル》がいるんでしょ? ボクたちひよっこが何したってどうとでもできちゃうよ。」
《エイプリル》……十二騎士の一人で第四系統の火の頂点。エリルのお姉さんの護衛をしていて、たぶんエリルが色々な所をお手本にしている人だ。エリルの話によると《エイプリル》も殴る蹴るの徒手空拳が主体らしい。エリル以上に燃え盛るファイターなのだろう。
「理由はいくつかありますが、主たる要因は皆様が騎士であるからです。」
「……まだ卵ですけど。」
「成熟未熟に関係なく、騎士の方から武器を取り上げるという行為は大変失礼な事なのです。騎士の誇りを取り上げる事になりますから。」
「そういうモノですか……」
あまり馴染みのない風習というか文化というか、今のオレには不思議に思えるそんな考えをぼんやり頭に記録していると、正面の豪華な階段を一人の女性が下りて来るのが見えた。
「あらあら、間に合わなかったのね。」
綺麗な人だった。エリルと同じ色の髪の毛を特にいじらずに背中へ降ろし、パーティードレスと私服ワンピースの間ぐらいの服を着たその人は足早に階段を下り、オレたちの所にやってきた。
「ごめんなさいね。普段嫌がって着ないものだから、いざ着るとなると手間取っちゃって。騎士の学校に行って心身強くなって帰って来る事は嬉しいけど、女の子らしさも磨いて欲しいところだわ。」
「そう思うでしょ?」という風な表情をオレたちに向けるその女性の顔は、なんでかどこかで見た事がある気がした。するとメイドさんがやれやれという顔でその女性をたしなめた。
「昨日からそうですが、普段のおしとやかさがどこかへ行ってしまっていますよ、カメリア様。」
「! カメリア様……エリルのお姉さんか!」
ついそう呟いたオレの横で、こっちもやれやれという風にローゼルさんがオレの腕をつつく。
「その前に、この国の政治に関わっておられる偉いお方だぞ、ロイドくん。」
そう言いながら頭を下げようとするローゼルさんに、なんと当の本人であるカメリア様がチョップをお見舞いした。
「!?」
目をパチクリさせるローゼルさんに、カメリア様はニッコリ微笑む。
「それよりも前に私はエリーのお姉ちゃん。自分の妹の友達に頭を下げられる姉なんて、私は嫌だわ。それでもそうはいかないと言うのなら命令するわね? 私の事はカメリアさんと呼ぶこと。少しでも高い身分の人間に行うような態度を見せたらあなたを打ち首にするわ。」
笑顔で処刑を言い渡されたローゼルさんが過去、類を見ない困惑顔をオレに向ける。とりあえずオレはグッと親指を立ててニッと笑った。
「……まぁ、そういう事なら……そうするか。」
優等生モードに成りかけたローゼルさんが普段の顔に戻ると、カメリア――さんはとても満足そうに笑った。……しかしこの人、初対面なのにどこまでも気を許してしまいそうになる安心感みたいのがあるな……
「改めて。私はカメリア・クォーツ。エリーのお姉ちゃんよ。」
「えっとオレは――」
「ロイドくんでしょう? それとローゼルちゃん、ティアナちゃん、リリーちゃん、ロイドくんの妹さんのパムちゃん。エリーから大抵の事は聞き出し――聞いたわ。」
「そ、そうで――あ、エリ――ル?」
「なんで疑問形なのよ!」
カメリアさんがやってきた階段を、同じように下りて来るのは確かにエリルだ。首から上はいつものエリルなのだが、首から下はそうじゃない。ジャージや制服ではない、髪の色に合った赤いドレスを着ているのだ。
「あらあらエリー、やっと着られたのね?」
「な、なんでドレスなんか着る必要があるのよ!」
「お客様をお迎えするのよ? 当然だわ。」
「で、でもお客って言ったって――」
「そうね。お友達を迎えるのにめかしこむのはちょっと変だけど……そのお友達の中に、ねぇ? あらあら、全部言わせる気なの、エリー。」
「なんの話よ!」
よくローゼルさんとこんなやりとりをしているエリルだけど、ローゼルさんよりもカメリアさんの方が強いようだ……
オレたちの前まで来たエリルはばつの悪そうな顔でドレスの裾をいじっている。
「えーっと……大丈夫だぞ、エリル。見慣れてないからビックリしたけど似合っているから。」
「――!!」
髪と服が赤いのに、その上顔まで赤くなっていよいよ色塗りしたら赤の絵の具が空になりそうな感じになるエリルと、最早お約束のようにローゼルさんにほっぺをつねられるオレ。
「あらあら。」
カメリアさんがふふふと笑うと、メイドさんがため息をつく。
「立ち話もなんですから、どうぞ奥の部屋に。お茶をお持ちしますから。」
小型の体育館じゃないかと思うくらいの広い部屋にふかふかのソファがいくつか並び、真ん中にテーブルが置いてあるだけの――いや、壁に絵とか鎧とか並んでいるんだけどそういう装飾を除けば応接室という感じの部屋にオレたちはやってきた。
「くつろいでね。お昼まではまだ少しあるから、お話しましょう。」
「お話ですか。」
「そうよ。でもその前に――」
ソファに沈み込んでいたオレの前にそそっと立ったカメリアさんは、オレの両手を握ってぺこりと頭を下げた。
「エリーを助けてくれてありがとう。」
つい数秒前とは口調の違う真剣な声。そういえばそれが理由でここに招待された事を思い出し、オレも真面目に答えた。
「オレが助けたかったから助けたんです。お礼と言うならむしろ――エリルがセイリオスに入る事を後押ししてくれてありがとうございます。」
オレの言葉に、きょとんとした顔を見せるカメリアさんだったが――どういう風に捉えてくれたのか、満面の笑みでオレに抱き付い――いぃいぃ!?
「なんていい子! 私がもらおうかしら!」
「お姉ちゃん!」
エリルが叫ぶとカメリアさんはゆるゆると力を抜いてオレから離れた。
「あらあら、冗談よ。」
カメリアさんがととっと自分が座っていた場所に戻り、オレはいきなりの事に停止した頭を再起動させた。エリルに真っ赤な顔で睨まれるオレは慌てて話題を変える。
「え、えっと……そ、そうだ! 他の兄弟の方は――今日はいないんですか?」
「いないわよ。学生は夏休みでも大人の大半はまだまだお仕事だからね。」
「……カメリアさんは……」
「私は今日の為に頑張ったから今日はいわゆるオフなのよ。」
「お茶が入りました。」
カメリアさんの仕事というのが具体的にどういうモノなのかよくわからないが、そりゃあお休みの一つもあるかと当たり前の事に納得していると、さっきのメイドさんが紅茶を持ってきてくれた。
「あらあら、アイリスさん。あなたも一緒にお茶しない?」
メイドさん――アイリスという名前なのか。
「私ですか? いえ、私は――」
「今からロイドくんたちに学校でのエリーの様子を聞こうと思うの。興味あるでしょう?」
「そ、それはそうですが……」
「それに、ロイドくんたちもあなたの話を聞きたいはずよ。」
んん? なんでオレたちがメイドさんの話を? エリルのお屋敷での様子を聞けるとかか?
「あらあらふふふ。きっと知っているのだろうけど、こんなんだから気づかないわよね。」
カメリアさんはニッコリ笑ってメイドさんをこう紹介した。
「こちらこの家の使用人をまとめているアイリスさん。もしくは《エイプリル》さん。」
……
? えいぷりる?
「――えぇ!?」
オレが驚くのはまぁいつもの事だけど、ローゼルさんたち――なんとパムまでビックリしていた。オレはともかくローゼルさんやパムなんかは十二騎士の顔とかは知ってそうなのに……
そう思ってローゼルさんを見ると、オレの疑問に気づいたのかさらっと答えてくれた。
「本や新聞で顔は見た事あるから会えばわかると思っていたが――まさかメイドをしているとは思いもよらなかった……い、言われてみれば確かに《エイプリル》だ……」
「あらあら。アイリスさんはどちらかと言うとこちらが本職なのよ?」
「えぇ? それはどういう……」
「十二騎士の一人である《エイプリル》にメイドをしてもらっているんじゃなくて、メイドのアイリスさんが《エイプリル》になっちゃったのよ。ほらほら、あなたから説明してあげて。」
カメリアさんがソファをポフポフ叩き、メイドさん――アイリスさんはため息をついた。
「……私の家は代々、貴族や王族に仕える使用人を生業としておりまして……私の母もメイドでしたし、父は執事でした。勿論、祖母と祖父もその先代も。」
代々使用人の家系……んまぁ、代々騎士の家もあるし、街に出れば代々お肉屋さんという家だってあるだろうから……別に変な話じゃない。
「そういう家系は私の家の他にもいくつかありますが、私の家はいざという時に主人を守る事ができるようにと、使用人としての技術に加えて戦う力も教え込まれておりまして……家の者全員がある一定の強さを持っているのです。」
なるほど、さっきリリーちゃんが言っていたみたいな戦う事もできる使用人……の家系というわけか。
「主人を守る為に心身を鍛え、一人前のメイドとなった私は――縁あってこのクォーツ家にお仕えする事が決まりました。」
「アイリスさんの家は優秀な上に頼もしい使用人を育てる事で上の方の人たちの間じゃ有名なの。その頃うちは長く仕えてくれた使用人が引退された事もあってね。だからおじいさまがアイリスさんを指名したのよ。」
王族から指名されるって事は……使用人の世界じゃ名門という事か。
「ご指名を頂いた事は嬉しかったのですが……何せ王族ですから。きっと敵も多いのだろうと思いまして……お屋敷に入る前に自身の修行と実力の確認を兼ねて――その、十二騎士を決める大会に出場したのです。」
「……えぇ? まさか……」
オレが呟くとカメリアさんがくすくす笑い、アイリスさんが少し恥ずかしそうにこう言った。
「結果――《エイプリル》の称号を得てしまったのです……」
すごい事なのに経緯が経緯だから唖然とするオレたち。そしてローゼルさんが信じられないという顔でアイリスさんがした事をかみ砕く。
「で、ではこういう事か? 正真正銘のメイドさんが凄腕の騎士たちを蹴散らしてうっかり優勝してしまい、その上当時の《エイプリル》に勝利してしまったと……」
「そうなのよ! こうして前代未聞、騎士じゃない十二騎士が誕生したの! しかもそれ以来アイリスさんは《エイプリル》であり続けているわ。」
本当にすごい事なのに、本人ですら恥ずかしそうに――申し訳なさそうにしている。というか――
「じゅ、十二騎士って騎士じゃなくてもいいのか?」
「あ、ああ。身分がはっきりしていて、悪党でないのなら誰にでも十二騎士になる資格はある。しかし大抵は戦う事を本業とする騎士がなる……当然、強いからな。だがそんな騎士たちを超える強さを持っているのなら……極端な話、お花屋さんでも十二騎士になれる。」
「ふふふ。騎士からしたら面目丸つぶれだけどね。おかげでうちは十二騎士の一人を使用人として迎え入れる事ができたし、アイリスさんの家は十二騎士クラスの使用人を育てるという事でさらに有名になったわ。」
メイドさんが第四系統の火を得意な系統とする騎士――ああいや、人たちの頂点。第四系統の使い手が他の系統の使い手からバカにされそうな話だけど……たぶん、そんな事を言っていられないくらいにアイリスさんが桁外れに強いのだろう。その気も無かった人がその気満々だった騎士たちを倒してしまうのだから、相当な強さのはずだ。
「わ、私の話はこの辺にしましょう。エリル様の学院でのご様子や――《オウガスト》様のお弟子さんのお話も聞きたいです。」
せっかく話題がアイリスの方に行ったのに、とうとうあたしになった。
王族の子供がする事……偉い人が集まるパーティに出るだとか、国民にいい笑顔を向けるだとか、そういう事は兄や姉がやっちゃってたから、あたしはそういう世界とちょっと離れたところにいた。だから全然着慣れないドレスなんかを着て、あたしは居心地悪くソファに座ってる。
当たり前と言えばそうだけど、学院でのあたしの事を聞こうとしてお姉ちゃんが質問する相手は相部屋のロイド。ロイドは――変な事は言わないけどそのまんま話すから、あたしはいちいち恥ずかしくなってギャーギャー言うはめになった。そのたんびにローゼルがボソッと変な事を言って、それに乗っかってリリーも変な事を言って、ついにはティアナまで――たぶんそうとは思ってない感じに変な事を言う。会ってから全然経ってないパムだけは何も言わないけど、時々ロイドの事をしゃべって――ロイドが恥ずかしい思いをする。
結局、九対一くらいの割合であたしとロイドが恥ずかしい目にあっていった。
「あらあら。でも良かったわ。色々あったみたいだけど、今は楽しそうだし――幸せそうだもの。」
「お、大げさよ、お姉ちゃん。」
「でも、せっかくそういう相手ができたんだから、ドレスくらいささっと着られる女性になって欲しいわねぇ。ここぞって時に攻められないじゃない。」
「なんの話よ!」
あたしがそう言うと、ロイドがふむふむって顔しながらあたしを見た。
「学院じゃあともかく、エリルの実家の部屋にはドレスがたくさんあるんだろうなぁと、思っていたんだけど……案外とそうじゃないんだな。」
「悪かったわね……」
「別に悪くないよ。ただ――なんかこう、ゴージャスエリルが見られるのかなと思っていただけだ。んまぁ、今の服でも充分豪華だし、オレとしては満足だけど。」
「そ、そう……」
さっき似合ってるって言われたのを思い出してドキドキするあたしを見て、お姉ちゃんがニパッとひらめく。
「そうよ、そうよね! 日頃見ている女の子の華麗な変身って、男の子にはウキウキよね!」
「カ、カメリア様?」
アイリスがおずおずとそう言うと、お姉ちゃんが真剣な顔でアイリスに命を出した。
「アイリスさん! 女の子たちをドレスルームに! 今日のお昼は豪華なドレスで優雅に食べましょう!」
「お、お姉ちゃん!?」
「エリー、あなたもよ! ゴージャスエリルを見せてあげなさい! 勿論ロイドくんもおめかしよ! ダンディーロイドになるのよ!」
時々兄弟全員を振り回すお姉ちゃんのフィーバーしたテンションに驚くみんなをよそに、お姉ちゃんは部屋の扉をバーンと開いた。
「さぁ、変身よ!」
お姉ちゃんのドレスをしまってる部屋につれてこられたあたしたちは、どう見たってお姉ちゃんとはサイズの合ってないのまであるたくさんのドレスの前に立った。
「参ったな。ゴージャスエリルくんは慣れているかもしれないが、わたしはドレスで会食なんて初めてだぞ。」
「その呼び方やめなさいよ!」
「で、でも綺麗なお洋服を着せてもらえるなら……う、嬉しいな。」
「うわぁ……これだけで自分のお店を持てるよ、これ。」
「好きなモノを選んでね。なんなら速攻でサイズも合わせるわ!」
何度か来たことはあるけど自分が着るのを選ぶのは初めてなあたしは、他の三人といっしょに部屋の隅から隅までドレスを眺めながら歩いた。
「? パムはどこ行ったのよ。」
「パ、パムちゃんならロイドくんの方に行ったよ……」
「ロイくんの方!? ききき、着替えを覗きに!?」
「リリーくん、二人は兄妹だぞ。きっとあのお兄ちゃん子のパムのことだ……自分を綺麗にするよりも自分の兄をかっこよくする方に興味があるのだろう。」
ロイドが着る服を楽しそうに選ぶパムを思い浮かべて、これはありそうな光景だわと思うあたしは、ふと同じ色のドレスが並ぶ場所で立ち止まった。
「え……お姉ちゃん、これって……」
今あたしが着てるのよりもっと豪華で動きにくそうなドレス。それは真っ白で……ところどころにレースがあって……
「そ、ウェディングドレスよ。」
「な、なんでこんなの持ってるのよ! け、結婚するの?」
「ふふふ、まだそういう話はないわね。」
ウェディングドレスの一つを手に取ってくるくる回るお姉ちゃん。
「こんなに素敵なのに結婚式の時にしか着ないなんて勿体ないじゃない? だからオシャレな服として着ているのよ。」
「へぇ。変わった趣味だね……ま、服職人からしたら、そんな高い服をこんなに買ってくれるんだからいいお客だけど。」
「そうだ! みんなでこれを着ましょう! 丁度男の子がいるわけだし、豪華な変身ならこれ以上はないわ! みんなで結婚式ごっこするのよ!」
「お、お姉ちゃん!? 何言ってるのよ!」
「ロ、ロイドくんとけ――い、いやしかし……うぅん……」
「花嫁さんかぁ……憧れるよね……」
「あはは。ボクはいいよ。」
「ダメよ商人ちゃん! あなたも着るの! 王族命令よ!」
「い、いいよ……ボ、ボクにはほら、似合わないし……キャラじゃないし……」
「キャラも何もないわ! 女の子は生まれた時からお姫様なんだから!」
「でも……」
なんでか、知ってる事をわざと教えないでニタニタしてるような意地の悪いリリーがみるみるしおらしくなっていって――
「ボ、ボクが花嫁衣裳だなんて…………ロイくんに笑われちゃうよ…………」
最後にはイジイジした乙女になった。
そういえばこんなリリーを前に見たわね。初めて知り合ったあの日、結構露出のある商売衣裳を初めてロイドに見られたとかで馬車の後ろで恥ずかしがってた時もこんなんだった。
あのリリーがことロイドが絡むとこんなんになるのはたぶん、リリーがロイドを好――だからなんでしょうね……
……なんかアレだわ……
「そうかしら? 見たところ、ロイドくんは素直に褒めそうだけど。」
お姉ちゃんの言う通り、たぶん褒めるわ……ロイドは。
「そ、そうかな……褒めてくれるかな……」
なにこのリリー。
「さぁさぁ、男の子を待たせるのは女の子の特権だけど、あんまり新郎を待たせちゃいけないわ。パパッと変身よ!」
パム以外の女の子勢がつれていかれた後、そそっと戻って来たアイリスさんがオレとパムを別の部屋につれていった。
「ロイド様はこちらで。」
様付けで呼ばれてビックリしながらその部屋に入ると、パリッとした素敵な服が視界いっぱいに広がった。
「わぁ、すごいねお兄ちゃん!」
「そうだね。」
「しばらくしたら呼びに来ますので。」
アイリスさんが扉を閉め、着る本人よりもテンションの高いパムが部屋の中を駆けだした。
「これも――それもあれも! わぁ、どれも似合いそうだよ、お兄ちゃん!」
「なんでパムの方がお兄ちゃんよりもウキウキなのさ……」
「だって、お兄ちゃんにちゃんとした服を着せるチャンスなんだもん。」
くるっとこっちを向いたパムはふくれ顔だった。
「お兄ちゃんはちゃんとすればカッコイイ人なのに、小さい時から服は適当なんだもん。オシャレすればモテモテだよ?」
「そ、そうかな。というか、パムはお兄ちゃんにモテモテになって欲しいの?」
「カッコイイお兄ちゃんを自慢したいだけだよ。ほらお兄ちゃん、これとこれとこれ着てみて。」
一着一着がきっととてもいいお値段なんだろうと思えるステキな肌触りの服を大安売りで買い込むみたいに重ねてオレに渡すパム。正直、着かたもよくわからないそれらを、オレは一つ一つ着ていった。
数分後、オレは……スーツっぽいけどそれよりはパーティー向けのような気がする名前も知らない種類の服をまとっていた。
「いいよお兄ちゃん! こっち向いて!」
どこから出したのやら、カメラを持って絶賛するパム。それと丁度いいタイミングで戻って来たアイリスさんが「お似合いですよ。」と言ったからきっと変ではないんだろうけど自分でそれがわからないというのは奇妙な気分だ。
「早く行くよ、お兄ちゃん!」
新しいおもちゃを見せびらかしたい子供みたいな顔のパムに引っ張られるオレだったが――
「ロイド様、少しよろしいでしょうか。」
ふとアイリスさんに呼び止められた。
「お嬢様方はもう少しかかるかと思いますから……少し、私の話を聞いていただけませんか?」
「? はい……」
こういう時に使うのかわからないが、廊下に何故か設置されているベンチっぽい椅子に促され、オレたちは腰かけた。当然のようにアイリスさんは立ったまま。
「まずはお礼です。」
「お礼?」
「ええ。先ほど、ロイド様は嬉しい事を言って下さいました。」
「えぇ?」
「エリル様から聞きましたが、ロイド様は地方……俗な言い方をしますと田舎の方の御出身だとか。」
「はい……」
「その上、《オウガスト》殿とこれまた地方を旅され、首都のような大きな街からは離れて生活されていたとか。エリル様が大袈裟に言っているのでしょうと思っていましたが、使用人を初めて見るとの事で……ふふふ、失礼ながらその――「田舎者」の程度がよくわかりました。」
くすくす笑うアイリスさんだったけど、別にバカにしている感じではない。
「しかしだからこそのあの言葉なのでしょう。『騎士と使用人は戦場が違うだけ』というあの言葉。」
リリーちゃんに流されたやつか……あれが嬉しい事?
「騎士と聞くととても立派なお仕事という印象を持つ方がほとんどです。対して使用人と聞くと――それしか出来ないからそれをしているという、どこか下に見るような――そうですね、空気が残念ながらあります。」
「そう……なんですか。」
「……事実、とある国では使用人という言葉が奴隷と同義だったりしますから、そうでないこの国でもそういった空気が漂う事は仕方がないのかもしれません。ですが、使用人にも使用人の誇りがあって主にお仕えしているのです。その辺りを勘違いされている方が……特に騎士には多いのです。加えてそういう考えは次の世代にも受け継がれてしまいがち……使用人に対する認識はなかなか良くなりません。」
残念そうにため息をつくアイリスさんだったけど、ふと笑顔になってオレの手を握った。
「しかしロイド様は違います。私たち使用人にとって嬉しい考え方をお持ちです。」
「は、はぁ……」
「その上、ロイド様は《オウガスト》殿のお弟子様。エリル様をお守りした実績までありますから、ロイド様が将来騎士として有名になる事は必定かと思います。」
「えぇ!?」
「ロイド様のような方が騎士の中でも上の立場になれば、使用人への認識にも変化が生じるでしょう。私はそう思っているのです。」
「そ、そうですかね……」
「ですから、先ほどの嬉しい一言のお礼と、この先の成長の為の応援を送ります。」
手を握ったままペコリと頭を下げるアイリスさん。まったく同じ光景をカメリアさんバージョンで見た気がするな。
「ど、努力します……」
「ありがとうございます。」
手を離し、さっき立っていた場所にススッと戻ったアイリスさんはニッコリ笑顔をパッと真剣な顔にした。
「そしてもう一つ。これはお願いです。」
「は、はい。」
「《オウガスト》殿から話を聞いているかと思いますが……アフューカスについてです。」
「!」
「そしてこれは……極秘扱いなので聞いてはいないでしょうが、先日エリル様を襲撃した者たちの大元を辿ると彼女に行き着きます。」
「な!?」
オレは思わず立ち上がった。あの時間使いとあいつをけしかけた奴はもう捕まっていて、他にもエリルを狙う輩はいるかもしれないものの、一先ず片が付いたと思っていたのに……
「じゃあやっぱりまだエリルは……」
「……幸い……と言うのは少し違う気がしますが……確かに大元はアフューカスなのですが、おそらくエリル様は単なる暇つぶしです。」
「暇つぶし? エリルの誘拐が!?」
「あの時、他の国でも高貴な方やそのご子息、ご息女が狙われる事件が起きていたのです。」
「じゃ、じゃあエリルは……その中の一人に過ぎなかったって事ですか……?」
「そうです。何か目的がある場合は彼女が自分で動きますが、特に目的がなくて暇なだけの場合……ただ騒ぎを起こしたい時は裏から扇動してそういう大事件を引き起こす……それがアフューカスという人物だそうです。」
「そんな……」
「……これだけだったなら、アフューカスにとってエリル様はそれほど重要でないのだろうと、油断はしないものの少しは安心できました。ですが先日の魔法生物の侵攻を考えるとそうも言っていられません。」
「え……」
「《ディセンバ》殿から聞きました。あの騒ぎを引き起こした者の名はバーナードというS犯罪者で……その背後にはアフューカスがいます。」
「あ、あれもアフューカスの!?」
「それ、パム――自分も初耳ですけど……」
人前モードになったパムが驚く。
「そうでしょうね。十二騎士の中で極秘として話された事ですから。」
「えぇ? そんな事オレなんかに話しちゃっていいんですか?」
「私は、十二騎士の前にクォーツ家に仕える使用人です。なので主を守る事を優先します。」
再び頭を下げるアイリスさん。
「アフューカスの目的は未だ不明です。しかしどうであれ、王家の人間に危機が迫っていると考える事は早計ではないはずです。王宮には《ディセンバ》殿を始めとする多くの騎士が、この家には私がいます。ですがエリル様だけは……私の目の届かない所にいるのです。ですからロイド様、どうか……これからもエリル様をお守り下さい。」
顔は見えないけど、さっきのお礼の時とは明らかに空気が――重みが違う。
そういえばエリルが言っていた。一番上のお姉さんは《エイプリル》――アイリスさんの目を盗んで出かけた先で命を落としたと。エリルはどこか自業自得のように言っていたけど、使用人のアイリスさんからしたら言い訳のできない失敗。きっと二度と起こさないと、オレの想像以上の決意で思っているはず。
「……勿論です。オレは、大切な人を守る騎士を目指していますから。」
「……ありがとうございます。」
「あらあら? ロイドくんがいないわね。」
よく立食パーティーをやる庭園に来たあたしたちは、てっきりあたしたちよりも早く来てると思ってたロイドがいなくて少しホッとした。
四人が四人とも、式場に直行できる格好。ブーケまで手に持っている。
「ダメねぇ。新郎が後から来る結婚式なんて聞いた事ないわ。みんなこんなに素敵に待ってるのに。」
お姉ちゃんに強引に着せられたウェディングドレス。結婚する相手がいない状態で着ることになるなんて思ってもみなかったけど……確かに素敵ね。動きにくいし座るのだって一苦労だけど、そういうのを全部無視して綺麗さだけを形にしたみたいな服。
「あぁあぁぁあああぁぁ……」
恥ずかしがってたけど結局着て、それでやっぱり恥ずかしくなって「あ」しか言わない生き物になってるのはリリー。いつもは結んでる髪をほどいてちょっと大人っぽくみえて……あたし的には似合ってると思うんだけど、リリーは鏡を見てからずっとこんなだ。
「だだだ、大丈夫だリリーくん。ロイドくんは人の服を見て笑う人ではないよ。」
リリーを落ち着かせるローゼルだけど、表情はこわばってる。真っ白なウェディングドレスにローゼルの紺色の髪は対照的ですごく映えるし……四人の中で一番お嬢様っぽいわね。
「えへへ。」
唯一素直に喜んでるのはティアナ。その嬉しそうな顔とティアナのやわらかい雰囲気で、今にも両親に涙の手紙を読みそうな……すごく幸せそうに見える。なんていうか、パーフェクト女の子だわ。
「あらあら。心配ないわよエリー。あなたもとってもかわいいから。ロイドくんも胸キュンよ!」
さっきからテンションが高いままのお姉ちゃんは日頃言わない事をペラペラ言う。まぁ、あたしにとってはこのお姉ちゃんがお姉ちゃんなんだけど、仕事をしてる姿しか見た事ない人からしたら別人に見えるわね。
「これは、お待たせして申し訳ありま――」
庭園にあたしたちがいるのに気づいて早足でやってきたのはアイリス。だけどあたしたちの格好を見て唖然とした。
「カカカ、カメリア様!? これは一体……」
「あらあら。どうせならあなたにも着せたかったわね。アイリスさんのメイド服じゃない姿ってそういえば見た事ないわ。まさかと思うけどクローゼットの中はメイド服だけ? パジャマメイド服とかもあるの?」
「ありませんよ……しかしこれは……」
「うわ! なんですかこれ!」
アイリスの後ろから出てきたのはパム。服は変わらず軍服。
「ま、まさか兄さんと!? 自分は許可してませんよ! だいたい四人て――」
「あらあら。どうやら新郎と結ばれるには小姑を何とかしないといけないみたいね。鬼千匹以上の強者かもしれないわ。」
真面目に「まずいわね」っていう顔をするお姉ちゃん。そして――
「どうしたんだ?」
のろのろとパムの後ろから出てきたのはロ――イド? え、あれロイドよね……
「あらあら! 見違えたわねロイドくん! やっぱり私がもらおうかしら。」
制服が白いから余計だけど、今の黒いロイドはかなり新鮮だわ。ダンスパーティーに出る男性が着るみたいなパリッとした服を着て、髪も少し整えて……きちっとした格好すればこれくらいになるだろうなって思ってたのをかなり上回る感じ。
しょ、正直――すごくカッコイイ。
……ロイドのくせに。
「わ、わ! ロイくんてばわ! あ、あとで写真撮っていいかな?」
やっと「あ」以外の言葉をしゃべったリリーは今日一番のいい笑顔だった。
「すごく……かっこいい。ロイドくんかっこいいよ。」
素直にそう言うティアナが少しうらやましいんだけど、その隣のローゼルは……逆に無言だった。
「……」
ほんのり顔を赤らめてぼーっとロイドの事を見るローゼル。ああいうのを……見とれるって言うのね……
「あらあら。ロイドくんをビックリさせるつもりがこっちがヤラレタ感じになったわね! 嬉しい意味で。さぁさぁロイドくん、こちらの花嫁たちを見た感想はどうかしら?」
お姉ちゃんにそう言われたロイドは……なんか、いつもなら素直に驚いたり恥ずかしそうになるだろうところを、そうはならなくて……顔を赤くするでも喜ぶでもなく、ロイドの顔はみるみる――「なんてことだ」って顔になっていった。
「? どうしたのよ。」
ちょっと予想外の表情にあたしがそう聞くとロイドはおろおろし出した。
「ど、どうって――あぁ、ど、どうしよう……」
「なんでそんなに慌ててるのよ。」
「ま、前にクレイネレっていう村で結婚式を見物した事があって……で、その時に神父様に教えてもらったんだよ……」
「な、なにをよ。」
「男性はともかく、女性にとっての――その、ウェディングドレスっていうのは特別な服だから、その服を着たところを最初に見る男性は――その人の夫でないといけないって……」
それは……そうかもだけど……別に気にしないわよ――って言おうと思ったら続けてロイドはとんでもない事を言った。
「だ、だから、ある女性のウェディングドレス姿を見た男性はその女性と結婚しなきゃいけないって……」
「……は?」
あたしと同じように他の三人もポカンとする。だけどロイドだけは真剣な顔で慌ててた。
「カ、カメリアさん。」
「ぷふ――なぁに?」
笑うのをこらえるお姉ちゃん。
「この国って、一夫多妻はいいんでしたっけ?」
「は、ちょ、ロイド! 何言ってん――」
「認められてるわけじゃないけど、認められていないわけでもないわ。要するに、特に何も決まってないの。だからやれない事はないはずよ?」
「そ、そうですか。よし……」
くるっとこっちを向いたロイドは、ウェディングドレス姿のあたしたちに――
「オ、オレは立派な騎士になって、四人を幸せにするぞ!」
プロポーズしてきた。
「ほぇ!? い、いやいやロイドくん、何を言っているのだ!」
「オレじゃ嫌かもしれないけど――オレ頑張るから! 安心してくれローゼルさん!」
「うぇぇ!?」
ギュッと両手を握られたローゼルはあたしの髪くらいに真っ赤になった。そのまま式場に行きそうなロイドだったけど、赤いローゼルがなんとかしゃべった。
「ま、まへまへ――待つのだロイドくん! 少なくとも、わたしたちはそういうシキタリを聞くのは初めてだぞ! そ、そんな話聞いた事ない!」
「えぇ?」
ここで初めて、ロイドの顔がいつもの顔に戻りかける。
「お、落ち着こうではないか。そのなんとか村というのは――もしかして物凄く田舎の方にあるのではないか?」
「クレイネレ村? んまぁ……国の隅っこだし……そもそもこの国でもないけど……だ、だけど神父様が言ったんだし、世界共通のルールなんじゃあ……」
「し、しかし、世界中の神父様が同じ場所に集まってその道の修行や勉強をするわけでもないからな……どうしても地方の風習は出るものだよ……」
「ち、地方の風習!? じゃ、じゃああれはあの村だけの……」
「お、おそらくな……」
相変わらず手を握られたままのローゼルはそれに気づいてまた少し赤くなるけど、握ったままのロイドはそのまま大きくため息をついた。
「な、なんだよかった……と、というかそうだよな。もしもあのルールがあったら、みんなこの服は着ないよな……あぁビックリした……いやぁ、よかったよかった……」
「ロイくん、いつまでローゼルちゃんの手を握ってるの?」
「ん? わっ! ご、ごめんローゼルさん!」
「か、構わないさ……」
慌ててたロイドは結構早く、ケロッといつものすっとぼけた顔になって、お姉ちゃんはお腹を抱えて静かに笑って、パムが面白くなさそうな顔でふくれて、アイリスはやれやれっていう呆れ顔で――でもあたしたちはホッとしたようなざんね――と、とにかく複雑な顔で赤かった。
ロ、ロイドと結婚なんて……今の寮生活と大して変わんな――って何考えてんのよあたし!
「そ、それで――ふふふ。ロイドくん、こちらの花嫁たちを見た感想は?」
ただでさえいっぱいいっぱいなのにお姉ちゃんが追い打ちをかけてきた。
「? そりゃあ――」
「これ以上なんも言わなくていいわよ!」
部屋で二人の時の勢いでロイドの口を塞ぎにかかるあたしだったけど、動きにくい服の王様みたいなドレスでそれをやったから見事に裾を踏んづけてバランスを崩して――
「あらあら! エリーったら、お姉ちゃん嬉しいわ! いつからそんなに積極的になったのかしら?」
気が付くとあたしは――
「……だ、大丈夫かエリル……」
ロイドに抱き――し、しがみついてた!
「アイリスさん、写真よ! 写真を撮るのよ! タイトルは『花婿の胸に飛び込む花嫁』!」
パシャリと、どこから出しのかよくわからないカメラのシャッターを切るアイリスは、撮った後にふぅとため息をついた。
「確かに良い画ですが……ロイド様の服は花婿とは少し違いま――」
「ななな、なに撮ってんのよ!!」
ロイドを突き飛ばしてアイリスのカメラを奪おうとするけど、また裾を踏んで倒れるあたしを後ろからロイドが支える。
「お、落ち着けエリル。その格好で素早い動きは無理だぞ……」
あたしの肩をつかまえて上から覗き込むロイド――!!
「みゃあああああっ!」
「うわっ!」
目つぶしをよけて「危なかった」って顔でホッとするロイドと、頭がぐるぐるのあたしをほっこりした笑顔で見つめるお姉ちゃんとアイリス。
でもって、それぞれにちょっと怖い顔をしたローゼルとティアナとリリー。
「エリルちゃんだけずるいんだ。ボクも記念写真撮って欲しいな。」
そういってロイドの腕に抱き付くリリー……!!
「リリリ、リリーちゃん!? な、なんか! ほら、あれが! 腕に!」
「わ、わたしも……き、記念だしな。」
「あああ、あたしも写真……」
そのまま写真大会になって、一人から集合写真まで色んな写真を撮ったり撮られたりした。我慢が限界になったのか、途中からパムも参戦してカオスな事になっていく中で一足早くお昼ごはんを食べ始めたお姉ちゃんとその横に立ってるアイリスがこんな会話をしてた。
「見てアイリスさん。これが青春という奴よ。」
「はい。」
「私もあなたも、お家柄素通りしてしまった時間ね。」
「カメリア様……」
「でもやっぱり、そうであってはいけない時間よね……姉様の件でそれに気づいて……エリーの話で確信して……それで今日、決心したわ。」
「! ではあの話……」
「ええ。進めようと思うわ。あれは形にしなきゃいけないことなのよ。手伝ってくれるかしら?」
「勿論です。」
「ふふふ、ありがとう。」
ドタバタしながらもちょっと食べた事のない美味しいお昼ごはんを食べて、やっぱり動きづらいから着てきた服に戻ったオレたちが庭園のベンチみたいなとこでくつろいでいると、ドレスじゃない服になったエリルにアイリスさんがこう言った。
「エリル様。食後の運動でもいかがですか?」
「……その内やろうとは思ってたわ。待ってて、すぐに取ってくるわ。」
数分後、庭園――の外側と言えばいいのだろうか。この家の庭である事は確かだけど、特に囲われていないだだっ広い草の上で、ガントレットとソールレットを装備したエリルと、変わらずにメイド服のアイリスさんが向かい合った。
「……なるほど。エリルくんの師匠はアイリスさん――《エイプリル》だったのか。お姫様にしては形になった格闘術だと思っていたが……」
ローゼルさんの納得顔に対し、アイリスさんが「とんでもない」という顔で首をふった。
「師匠と言うほどではありませんよ。使用人としての仕事もありますから……エリル様の質問に答えたり、見かけた時に少し手助けをしたりという程度です。実のところ――」
いつもの構えになって炎を吹き出すエリルを見てニッコリ微笑み――
「エリル様の強さの九割はエリル様の努力と才能です。」
「はぁっ!」
叫びと共に、得意の爆発的な加速で一気に距離を詰めたエリルは、アイリスさんに拳をつきだす。
「! 一段と速くなりましたね。」
しかしそこはさすがの十二騎士、難なくかわす。そこからのエリルのブレイズ・アーツの猛攻もするりするりと……
「あれ……?」
……変だな。そこまで余裕そうには見えない? いや、実際かなり余裕でかわしているんだけど……なんでかそこまですごく感じない?
「ガッカリさせてすみません。」
あの炎の中、ぼーっと見ているオレの表情が見えているのか、アイリスさんは申し訳なさそうにそう言った。
「聞きましたよ。セイリオス学院で《ディセンバ》殿が模擬戦をしたとか。ですからきっと、十二騎士は全員が《ディセンバ》殿のような動きが出来ると誤解してしまっているのですよ。」
「えぇ? ご、誤解?」
エリルの攻撃を避け、大きくさがったアイリスさんは可愛く首を傾げてこう言った。
「現在の十二騎士において、『一対一』という条件下であれば最も強いのは《ディセンバ》殿なのですよ。」
一対一なら最強は《ディセンバ》――セルヴィアさん?
そういえばフィリウスがいつだったか言っていたな。戦いで起こり得る状態……『一対一』と『一対多数』、『多数対一』、『多数対多数』は――その全部が全く違うモノだって。
世界最強の男がいるとしても、きっとそいつはそのどれかにおいて最強なだけだと。
「《ディセンバ》殿は時間の使い手ですから、そもそもにして一対一で戦いたくない騎士ではありますが……それを除いても彼女の戦闘スキルは群を抜いているのです。」
と、セルヴィアさんをすごいと褒めるアイリスさんもたいがいで、オレにそんな事を教えながらエリルの攻撃を避けている。
「――しかしこれは驚きです。ロイド様に体術を教わっているとは聞きましたが、これほどとは。さすが《オウガスト》殿のお弟子さんというところですか。」
「それだけじゃないわよ!」
大きく炎を巻いてアイリスさんの視界を覆ったエリルは、一歩下がりながら拳を引き――
「これはどう!?」
至近距離で炎のガントレットを発射した。あの距離であれを受けたら――いや、普通に死んでしまう攻撃なのだが、エリルは遠慮も何もない全力。
一瞬ヒヤッとしたオレだったが、その直後……さすがに十二騎士をなめすぎかと改めて思った。
目にも止まらない速さで迫るガントレットは、アイリスさんの手前で――まるで何かに弾かれたみたいに真横に飛んでいった。
あの威力を完璧に殺して横に飛ばすとなると相当なパワーのはず……だけどアイリスさんの周りには炎一つない。《エイプリル》であるアイリスさんだから強力な火の魔法かと思ったんだが……
「これはこれは……これを使わせるとは、本当にお強くなられました。」
そう言いながらアイリスさんは……んん? 特に何もないのだが、まるでそこに何かあるみたいに片手を広げている。風の魔法なのか……?
「あらあら。やっぱり初めてだとよくわからないのね。」
オレが目を細めていると隣にカメリアさんが並んだ。
「得意な系統って、別に遺伝するわけでもないんだけどね。なんでかクォーツ家に生まれる人の得意な系統は第四系統の火。そんな我が家に《エイプリル》が来るっていうんだからピッタリと思ったのだけど……ふふふ、アイリスさんはちょっと違っててね。」
「違う……?」
「火の使い手って、ボーボー燃えて派手な感じを想像するでしょう? でもアイリスさんは……そうね、きっと史上最も地味な第四系統の使い手よ。」
「ロ、ロイドくん……」
相変わらず首を傾げると、オレの服をティアナが引っ張った。
「あの、アイリスさんの手の上あたりがね……その、すっごく……熱くなってるの。」
金色の眼で何かを捉えたのかと、もう一度アイリスさんの手の平の上を凝視する。言われてみれば少し……風景が歪んでいる気がする。つまり蜃気楼のように。
「今の《エイプリル》は熱の使い手なんですよ、兄さん。」
さすがの上級騎士は最初から知っていたらしく、アイリスさんの技を教えてくれる。
「彼女は特定の場所や物の温度を上昇させる事を得意としています。燃焼が始まるよりも早く、物が膨張して破壊されてしまうくらい急激に。なので彼女の魔法には火が出ないのです。」
「た、確かに地味だな……でも見えないだけですごく熱いっていうのは結構……」
「ええ。彼女と戦う者にとっては恐ろしい限りです。例えば空気などは元々火を出しませんからね。彼女に攻撃しようと不用意に近づけば、実は数百度になっている彼女の周りの空気に突っ込んでしまうなどという事もあるわけです。」
「なーるほどー。さっきエリルちゃんのパンチを弾いたのは急に熱くなって膨張した空気。つまりは炎のない爆発だったんだね。」
「おお、そういう事だったのか。リリーちゃんよくわかったね。」
「すごいでしょー。」
ウェディングドレスを着てから妙に――オ、オレにくっついてくるリリーちゃんはオレの腕にギュッと抱き付いてきた。
「リ、リリーちゃん!?」
「なぁに?」
「な、なぁにじゃなくて……」
あるとすればフィリウスの剛腕のヘッドロックだったオレのちょっと前までの人生にこういう柔らかさは稀も稀。最近妙にこの感触を覚える時が多い気がす――
「ほらロイドくん。アイリスさんが攻撃の態勢に入ったぞ?」
ほっぺに走る痛み。稀って程じゃなかったけれど、最近の頻度は異常だな、これ。
リリーちゃんのムスッとした顔が見えたけど……んまぁ、おかげで頭の中に消しゴムをかけてしまう恐ろしい感触から離れて冷静になれた。
「――って、えぇ?」
防御から攻撃に転じたアイリスさんはエリルが言ったようにパンチキックなのだが――
「見切りや避け方も上達されましたね。」
口調は変わらず、動き自体はおしとやかなメイドさんの流れるような挙動。だというのに空振りした拳は何にも触れていないのに周囲の地面をえぐるのだ。
「あらあら。お庭がどんどん耕されていくわね。野菜でも育てようかしら。」
エリルが避けるたびに緑色だった地面がみるみる茶色に染まっていく。
「ア、アイリスさんが攻撃するたんびに……一瞬だけだけど手とか足の周りがすごく熱くなってるよ……」
「そうか。パンチやキックのインパクトの瞬間に高温による空気の膨張を重ねているのだな。」
「よ、要するに全ての攻撃が爆発するって事か……」
エリルのブレイズ・アーツも炎の爆発でとんでもない威力になってるけど、たぶんそれ以上のパワーがある。しかも攻撃範囲が広い。
「今の《エイプリル》の必勝パターンとして有名なのは、高温の空気を周囲に展開させた状態で相手に迫り、起爆する拳で攻撃というモノです。第四系統の使い手は同時に高温耐性の魔法の使い手でもあるはずですが、彼女の作り出す高温は桁違いだそうです。殴られる前に炭になるか、大やけど状態で巨人の拳のような一撃を受けるか。大抵はその二択ですね。」
近づいて戦うタイプは手の届く場所までそもそも近づけなくて、遠くから何かを発射するタイプでも――例えばティアナの銃弾やオレの剣はアイリスさんの手前で溶けてしまうんだろう。
うわ、どうやったら勝てるんだ?
「ところでああやってえぐれた地面は誰が直すんだろーね?」
爆発で威力の増した格闘戦を繰り広げる二人の足元はもはや荒地だ。
「心配いらないわ。すぐに直せるから。」
そう言ってカメリアさんは使用人の人に電話を一本かけさせた。
「急いでかけつけてみればまったく……たまに可笑しな事をなさりますね、カメリア姫。」
アイリスとの久しぶりの手合せが終わって、気が付くとデコボコになってる庭を見て顔を青くするアイリスだったけど、いつの間にかお姉ちゃんの隣に立ってた《ディセンバ》がため息交じりに庭の時間を戻した。
そして、いい汗をかいたあたしとアイリスがシャワーを浴びると言ったらお姉ちゃんが「みんなでお風呂よ!」って叫んだ。
そんなこんなで、まだ午後の明るい時間なのにあたしたちはそろってお湯の中にいた。
も、もちろんロイドは男湯に。
「いいじゃない。たまには。」
王様のザルフ・クォーツの子供や孫はみんな男の子なのに対して、そのザルフ・クォーツの弟のあたしのお爺様の子供や孫には女の子が何人かいる。そのせいなのか、《ディセンバ》は女性騎士としてうちの方に来る事が結構あるらしい。
あたしが会ったのは学校でが初めてだったけど。
「でも残念だわ。ロイドくんもこっちに入ればよかったのに。」
「何言ってるのお姉ちゃん!」
「だって彼あっちで一人よ? さみしいわ。」
壁の向こうにいるはずのロイドの方を見るお姉ちゃん。
「ロイドくんか……ここにはいないし別人とはわかっているのだが――一瞬ドキッとしてしまうな。二人は双子だったりするのか?」
そう言いながら、ローゼルはパムの方を見た。
普段はクセ毛なのかあっちこっちがぴょんぴょんはねてる髪型なんだけど、今は濡れてペタッとしてる。だから今はロイドの髪型にそっくりで、しかも兄妹だからか顔のラインとかがどことなく似てて……目とかを見れば違うってわかるんだけど、横顔とか後ろからだとロイドに見える。
「自分と兄さんは双子じゃないですよ。でもまぁ、普通の兄妹よりは似ていると思います。」
「タイショーくんの妹さんか。まさかあの天才騎士と呼ばれる子がそうだったとは。」
「自分も、《ティセンバ》と兄さんが知り合いだったとは驚きです。《オウガスト》の弟子になっているだけで充分驚きなのに。」
初対面ってわけじゃないみたいだけど、知り合いって言う程でもなかった二人が軽く挨拶をする。そしたら、なんでかローゼルがスーッとあたしたちから遠ざかって「ふむ」って顔をした。
「お風呂場にお姫様が二人に十二騎士が二人に天才と呼ばれる上級騎士が一人。そんな中にわたしもいるというのは……やれやれ、セイリオスに入った頃には考えもしなかったな。」
「ロゼちゃんだって……め、名門の騎士の人だよ……あ、あたしがビックリだよ。」
「あはは。そんな事言ったらボクなんてただの商人だったんだけどな。」
入学した頃は家のせいで結構面倒だったのに、今じゃそういうのを感じないくらいに普通に話せる相手が周りにいる。
あの田舎者が来てから……
「あらあら、私の目の錯覚じゃなかったのね。」
あたしがしんみりしてたらお姉ちゃんがそんな事を言った。
「どうかしたのですか、カメリア様。」
「遠近法のせいかと思っていたのだけど、こうやって離れて見てもやっぱり大きいわ。」
お姉ちゃんが見てるのはローゼル……というかローゼルの――
「な! ど、どこを見ているのですか!」
ザブッと首から下をお湯に沈めるローゼル。
「これだけ女の子がいて、しかも大人の女性もいるってゆーのに……それでもローゼルちゃんのインパクトは強烈だね。やっぱりそれ反則だよ。」
「あらあら。これじゃあロイドくんもイチコロね。」
「ロ、ロイドくんが……? い、いや、しかしこの前そういうのでは判断しないと言っていた。ロイドくんは――そ、そういう男ではないから……し、しかし……」
ぶつぶつぶくぶく言いながら口も沈めるローゼル。なんとなく自分のを見て気分が沈んだけど、お姉ちゃんを見てちょっと元気になるあたし――ってなんの話よ!
「あらあらそうなの? 大きいのも小さいのもオッケーって感じなの? ロイドくん。」
まるでロイドに話しかけるみたいにそう言ったお姉ちゃん。そしたら――
『みんなの事を見づらくなる質問やめて下さい。』
と、ロイドの声がお姉ちゃんの方から聞こえてきた。
「ロ、ロイドくんの声……? どこから……」
「おや。実は近くにいたのか、タイショーくん。どこだい?」
『そんなわけないじゃないですか。ちゃんと男湯にいますよ。』
みんながビックリする中、お姉ちゃんがコップみたいな道具をお湯に浮かべた。
「うふふ。ちょっとした電話みたいなものよ。ほら、糸電話ってあるじゃない? あれの糸無しバージョンよ。」
お姉ちゃんが浮かべたマジックアイテム。これと同じのが今ロイドの方にもあるらしく、会話ができるようになってるんだとか。
「みんな恥ずかしがっちゃって一緒に入らないから、せめてこれくらいはしないと――やっぱりさみしいわよね、ロイドくん。」
『んまぁ……』
「さみしくってローゼルちゃんの胸元に飛び込みたいわよね。」
『だ、だからそういう質問は……』
「わわわ、わたしに――!? 飛び込む!?」
基本的に偉そうか悪そうな顔のローゼルは、ものすっごくワタワタする。この前のフィリウスさんのいたずらでロイドの――お、思ってる事を聞いた時みたいに。
「あ、なんなら映像も送りましょうか? 一応そういうのもあるんだけど。」
『ダ、ダメですよ! 燃やされる前に鼻血で死にますから!』
「燃やす……ってことはロイくん。今真っ先にエリルちゃんの事を想像したの?」
ちょっと怖いトーンのリリー。
『えぇ!? あ、いや、そういうわけじゃ……エ、エリル、違うぞ! オレはちゃんとみんなの事を想像――ああ! もっとひどいじゃないか!』
リリーが変な事言うから顔が熱くなったんだけど、糸無し電話の向こうで一人バタバタしてるロイドを想像したらくすっと笑ってしまった。
「あらあら? エリーったらいい笑顔ね。きっと恥ずかしがるところよ?」
「な、べ、別にあたし……」
それはもちろん恥ずかしいんだけど……だってロイドだし。
「なんていうか、ルームメイトもちゃんとできてる上に仲もいいって事は、お互いに信頼があるって事よね。それってとっても素敵な事よ。」
柔らかく笑うお姉ちゃん。
「ねぇロイドくん、あとでちゃんと言うけど――これからも私の妹をよろしくね。」
『はい。オレからもよろしくです。』
「それでロイドくん。」
『はい?』
「式はいつ挙げるのかしら?」
「お姉ちゃん!!」
騎士物語 第三話 ~夏休み~ 第三章 王族の家
ロイドやエリルたちの夏休みの計画として、実家を持つ人の家に遊びに行こうというモノがあり、その第一弾がこれでした。
つまりあと二回、こういうのが続くのです。
「こういうのがラノベ」というのを書こうと思ってお約束な世界を色々いれていますが……こんなに長く夏休みを満喫するお話ってあるんでしょうかね?