与那町発酵

与那町の変な住民たちのエピソードが書かれている。
人には知られず、いざ鎌倉に備える、憂国の士の話。
私はアフガニスタンに平和が来るまで、左手を使いませんと神様に願掛けをした。すでに二年目に入る。
子供達に構って欲しくて、入院を繰り返す老人。
エトセトラの話。

きっと思い当たる人がいます。

   与那町発酵

 一円玉の数ほどの星が点滅し、太陽が燦然と暗く、銀河と与那町が溶鉱炉の中でシェークされ泡を立てて発酵していた。
 もっと光を、窓を開けてくれ、ここは外だ。真夜中に太陽は出ない。
 真夜中ではない、真昼だ。昼なのに世の中真っ暗。悲観して死のうと思っている訳ではない。これは心象風景ではない、実際真っ暗なのだが、どうして昼だと言えるのか分からない。鎮火した後の焦げ臭い臭いが充満し、息も絶え絶えの太陽がうち捨てられていた。
 昨日、丸い三角飴を一昨日死んだ新垣真一郎から貰った。確かなことだが、もう過ぎてしまったので、確かめようがない。善意の第三者がいなかったのだ。
 グアバの木からリンゴの実が落ちたので、自転車に乗りニューヨークまでお願いしますと向こうの人に言った。たったそこまで、光の速度は秒速三十万キロですよと嘆いた。これがママチャリだということを知らないのか、ただ知識をひけらかしただけなのかよく分からないので、「これは自転車ですよ」と言ったら、今にも泣きそうな顔で、「ロマンだ」だと怒鳴り、私は猛スピードでペダルを漕いだ。

 仕事を終えて、居酒屋で仲間達と一杯、わいわいがやがや、これに勝る至福はない、何物にも代え難い。それから風呂上がりの一杯、これも捨て難い。家族の笑い声、子供は男二人に、女一人、妻に、一家団欒、それを支えているとの充実感、生きているとの感慨も一(ひと)入(しお)である。
 管理職を諦めたら、仲間が見えた。それと子供達の将来のために教育に目覚めた。スナックのリサを何とか工面しながら金を注ぎ込んで、口説いたら、翌晩には店を辞めていた。失望したら、女房がいた。
 清く、正しく、生きる、これが鉄則だ。それに健康だ。毎朝、三十分のウォーキング、メタボリックの防止、長寿の秘訣。人生百までだ。
 後六十五年もある。曽孫(ひまご)、玄孫(やしやご)まで、子孫繁栄、万々歳。
 明日は月に一度の床屋だ、千円の散髪に、髭を剃って貰って、五百円の上乗せ、奮発。 パチスロにでも行くか、しかし、カジノ解禁を目指して、大衆の娯楽のパチスロは大勝ちしないようになった。万枚台ぐらい出せ、糞国会議員、コイン一万枚でパチスロで二十万だ。それぐらい庶民に実現可能な夢を見させろ。汗水垂らして真面目に働くには、潤滑油、娯楽が必要だ。
 庶民にとっての鼻先の人参は、パチスロの僅かな戦果だ。それを金持ちだけの娯楽、カジノ解禁にして、胴元が一人勝ちするラスベガスか。
 聞いた話によると、ラスベガスのホテルには大負けして、自殺した客のテーブルが見せ物として、スーイサイドテーブル呼ばれて有るらしい。
 一攫千金はいいが、一攫月給分は許せないらしい。格差社会の始まりだ。
 日々是好日、もっと肩の力を抜いて、歩かないとな、長寿、長寿。

 私は死んだ、一回確実に死んだ、そして蘇った。
 生きる気がしなかった。何で皆が楽しそうに歩いているのか、スクランブル交差点の前で一月ぐらい眺めていた。
 押し寄せる波だった。人間の水滴が集まって波になった。ざわめきだけがあった。皆、赤の他人だ、それがそれぞれの場所へ向かって行き、仕事をしている。何のために。
 飲み喰いするために、衣食住のために。
 動物と変わらない、生きるために獲物を捕らえて、喰う。
 何を喰っても、不味かった、生きてるように不味かった。
『何で、生きてる』のと耳元で嬌声が聞こえて、悪寒が背筋を走り、震えが暫く止まらなかった。
 道端で鉢を持ち安全第一と書かれたヘルメットを被ったシスターが念仏を唱えていた。
「南無観世音菩薩、ハレルーヤ、ハレルーヤ、神は降臨なされ、山(さん)川(せん)草木(そうもく)悉(しつ)皆(かい)マリヤ、祝福したもう、全てはアラーの御心なり」
 夢を見ている頭をぶん殴られたように覚醒した、起き上がって、シスターを捜したが、どこにもいなかった。台北、パリにさえいなかった。
 でも変わったんだ。踏み潰された不二家のキャンディを拾って食べた。
 生まれてこの方、こんなに旨い物があろうかと思った、涙が溢れた、人生はこんなにも美味しい物に満ちあふれているのだと思った。スクランブル交差点の真ん中で大の字に寝て空を見上げた。青い空に入道雲が浮かんでいた、喜びに満ち溢れていた、実に美味しかった。
 餓鬼から救われて、腹を満たした至福、かぐわしい匂いが沖縄中の空に、与那町に充満していた。
 食べるもの全てが美味だ。
 腹鼓の音があちらこちらか聞こえる。
 地上に、一変にして平和が蘇った。
 そして見回しながら安全第一のヘルメットのシスターを捜したが、見つからなかった。あれこそが救い主、メシアであった。
 諦めの溜息を吐き、空をふと見上げるとトナカイの橇(そり)に乗ってゆくシスターの笑顔が鼻先まで近づいてきて、消えた。どこからともなくジングルベルの歌が聞こえてきた。真夏の怪奇だ。だが誰も訝ることなくスクランブル交差点を四方八方に散っていった。
 メシアは私のためにのみお姿を現した。その証拠に歩行者は誰も足を止めることがなかった。
 この満たされた歓喜は、今までの悶々不楽の日々を一掃した。
 心がこのように変わるとは、まさに奇跡だった。心の中の天変地異がヘルメットシスターが一瞬に治めた。
 観音菩薩の七変化だ。
 神様、神様、神様を信じます。

 あの世を見た。外を歩いていると、お皿が空を飛んでいて、白く光ると私にぶつかった。その衝撃で気を失った。目覚めると、夜の公園の砂場に俯せになっていた。あの皿は私の体を通り抜けたのだ、内臓感覚が残っていた。
 空飛ぶ円盤、UFOだと一瞬に頭に浮かんだ。
 黒のカーテンに無数の針の穴が開き、向こうから光が瞬いていた。それが捲れ途方もない大きな目がウインクをしていた。すうっと気が抜け、心が体から飛び出して、白い気の勾玉状となり、飛び回って大空をあっという間に四度回った。
 あの世は、実にいいんだ。ほんとにいい香りがするんだ。強いて言えば。福木の花の匂いだ。実ではない、実は悪臭がするんだ。
 あの世ではしたいことをし続ける。
 殺人鬼は毎日同じ血の出るマネキンを違う人のように殺し続けるんだ。しかし、殺人に興奮して、それに気づかない。
 隣では、枕元の壺の中の札束を数えている草臥れたワンピースを着た老婆がいる。老婆は夜になるとわくわくして札束を数えて、幸福の絶頂の顔になる、減りもしない、増えもしない札束なのに、毎夜数える毎に、どんどん増えていると思っている。笑いが止まらない。
 タクシーを十八時間走らせ続けている人がいる、七十近くだ。一人しか乗っていない客なのに、何度もドアを開けて、違った客が乗り降りしたように思いこみ、ハンドルを握る。
 自分の子供を殴り続ける、後悔したかと思うと、さらに大きな暴力の衝動が起こり、殴り続ける。子供は綿入りの皮人形だ。だが気づかない、子供をぶっ叩くとすかっとして、後悔が始まり、それに耐えきれず、暴力を振るう、すかっとする。これの繰り返し…。
 毎日酒を浴びるほど飲んで、寝ては起きて、浴びるほど飲む。年がら年中酔っぱらっている。それが毎日だ。
 それが楽しい、だから迷いはない、無我夢中で生きている。だがあの世よりもう一つの世界がある。
 そこに行こうとしても、行けなかった。
 絶世の美女が真っ裸で呼ぶ、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町、女優の涼風真由子とも一戦した。

 私は人殺しをしないと、十七の時に目覚めて、その誓いを守り、三十七歳、琉球大学卒の警備員だ。充実はしているが、結婚はしてない。
 銀行の面接の際に、「入行の前に運転免許を取りなさい」と言われ、「それは私の思想信条に背くのでできません」ときっぱり言ったら、落とされた。見合いの席も、車の免許は持ってませんし、取る気もありませんと、素直に答えたら、怪訝な目で見られて、破談となった。
 交通事故で人を殺す確率の高い車の運転を拒否することが、世間から敬遠される理由になるのだろうか。世の中、何かが間違っている。私は車の代わりに自転車で十分だ。
「サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤホー」
 私は車社会で生きている、だから車を運転しないのは、国家存亡の機の徴兵拒否と同じようなものなのだ。戦意高揚に反する。国益に反する。交通戦争だ。
 だが周りにはそれを理解する者はいない。運転しない、それでは今の世の中不便だろう。タクシーは贅沢だろう。
「車を運転しないほど、金持ちではないだろう」と暗に言う。
 一寸の虫にも五分の魂、私はそれでいい。

 父親がいて、母親がいて、子供達がいる。それが家族だ。私の庇護を受けいている限り、私に従って貰う。
 私は後ろめたいことは若い時に沢山やってきたから、他人がそれをするのが許せない。それを作動させるのが家族だ、だから結婚した。亭主関白だ。
 無論、町の若者には注意はしない、何をしでかすか、己の若い時を振り返れば分かる。
 時効だから話すが、五月蠅い爺が偉そうに喋るので、殺そうかと思ったが、それを実行するほどの根性はない、それで謝った。しかし、後を付け、夜中に庭に忍び込み、シーマを拾った石で傷を付け回り、フロントガラスに投げつけて逃げた。
 挨拶は無論、家族から先である。お早うございます、行ってらっしゃい、お帰りなさい、お休みなさいは基本中の基本である。受け答えも、私には敬語を使う。
 私から遅くなるとの電話が有れば、家族は食事をしてもよい。もし忘れたらということは、緊急事態にならない限りあり得ない。それこそ不良に忍び寄られて突然襲われた時だろう。
 子供は二人でよかったが、長女、次女、三度目に老後のために長男を期待をしたが、三女だった。これ以上、家族を増やしては家計が苦しくなるので、長男は諦めた。
 だが問題が起こった。娘等に悪い虫が付きそうで、不安が沸き上がり、同時に、不良とロリコンに怒りが込み上げてくる。
 私は長女が生まれてから居酒屋以外で飲んだことがない。水商売の女を見ると、ぞっとする。 

 天下国家のために、身を捧げる。尊いことだ。空手二段、柔道三段、国を守るために、日々切磋琢磨し、いざ鎌倉に備える、それが憂国の士だ。
 朝起きたら、直立不動で、自分の部屋で東に向かい、君が代を歌う。 高校一年の二月十一日、建国記念日からはじめ、もう十五年で三十一歳になった。高校を卒業すると、迷わずに町役場に入った。最も誘惑と危険が少ないと思ったからだ。
 健全な肉体に健全な精神を宿す、それこそが基本中の基本だ。
 盤石の国家の形には、気高い志士の盤石の型がなけれならない、その精神は隙のない、無駄のないフォルムである。
 しかしその心はいざの時の備えであり、平時の時には目立たず無事に暮らさなければならない。いかに弱い相手との喧嘩であろうが、相手を仕留めなければ、完全な身の保証はない。
 だから私が右翼である思っているのは、この与那町には一人もいない。
 右翼と呼ぶと他国を武力でねじ伏せて、占領することだと思っているが、それは大きな間違いである。なぜなら、どこの国にも国を愛する志士がいる。国を愛する一点において、同じであるならば、いかなる他人も他国も制圧できない。それが志士の魂である。
 志士は互いを知り、争わず、共存する。
 志士であれば、いかなる国の者と雖も、平等且つ同等に遇しなければならない。
 志士は争い事を最も悪(にく)むものだ。

 皆は私の左手は利かないものだと思っている。そうではない、右腕と同様自由に動く。私はアフガニスタンに平和が来るまで、左手を使いませんと神様に願掛けをした。すでに二年目に入る。
一度目、十二日目に、転んで左手を使う、三月目に又しても転びかけて、壁に左手をかけてしまった。三度目は人の良さそうな外人から握手を求められて、左手を出してしまった。相手が左利きだった。うっかりミス、これがネックだ。しかし十二度目から今までは無事に来ている。
「左腕をどうした」と聞かれるので、交通事故で麻痺して、動かなくなったと言っている。大変だなで話は終わる。
 だが妻は左腕が利くのを知っている。寝ている時には寝返りなどで左腕を使うらしい。どうして起きている時は、利かないのかしらと問うので、きっと精神的なものだろう。心療内科の古謝先生もそう言っていた。気にしなければそのうちに治りますよと言っていた。「あの先生の口癖は、気にしなければ、どうにかなりますよですもの、頼りにならないわ。でもあなたの体だし、あなたが気にしなければ、私は全然平気」
 会社は外回りから、事務方に変わった。ワープロや表計算ソフトをマスターし右手だけのブラインドタッチさえできる。両手の時より速くなった。

 糞野郎から、いつものように金を一万円ずつ、回収していた。ところが二年生の冬休みから、登校拒否になった。勿論、苛められてとは言わない。根っからの臆病者なのだ。携帯に掛けたら、変えてやがった。月々の一万円の損失は大きかった。噂では部屋に籠もって、お経のようなものを一日中呟いているらしい。巫女(ユタ)の婆さんの呪文だと言う。その婆が糞野郎は神人(カミンチユ)の素質があると吹き込んだらしく、必至にその呪文を唱えるようになり、目は飛んでいるそうだ。親でさえ、兄弟でさえ、滅多なことがない限り、話しかけないらしい。
 所が、昨日の夜、九時頃に家に戻ったら、門柱の脇から右手にバットを振りかざし、この逃げる俺の臀部に容赦なくバットを見舞った。余りの強さに前のめりに、息が一瞬止まった。そして体を返すと、糞野郎が馬乗りになり、バットで鳩尾を押さえつけて、笑った。俺の前に来ると、いつもトイレに行く糞野郎が叫んだ。
「儂はお前を今は殺さない。ゆっくりゆっくり呪い殺すんだ、毎日殺虫剤を味噌汁に入れるようにな。お前は…」
 俺は気を失って倒れていたら、犬に舐められて飛び起きて、家の中に駆け込んだ。
 胃の中から糞野郎の呪文が聞こえた。吐き気と恐怖が込み上げ、トイレに走った。
 キリシタンの火炙りにされた信者は「マリア様、マリア様」と頬笑みながら死んだと歴史の授業で聞いた。今では自爆テロだ。それにあの糞野郎がなりやがった。取り憑かれている。
 触らぬ神に祟りなしだ、もうけしてあの糞野郎のことは思い出すものか。
 仏壇に正座して向かい、ご先祖様に災いが起こらないように祈った。

 与那町民はどうも信心が足りない。拙僧がキャバレーで商工会議所の者と飲むのは俗世を知るためである。それをスケベ住職、葬式坊主などと聞こえるように話す。礼儀知らずだ、陰口とは本人がいないところで叩くもので、本人が同席しているときに言うものではない。それは言いがかりだ。しかし拙僧は微動だにしない、仏に仕える身だからである。
 救われない有象無象の町民を穢土から救い上げんと一念発起して、辛い修行を一年も凍り付く山の中の永岳寺で積んだと思っているのだ。何度、山の中で泣いたことか。一度は脱走しようと深い森の暗闇に入ってしまい、三日三晩飲まず食わずで彷徨って、偶然熊撃ちの猟師に救われて、寺まで運ばれた。
 それから一週間の独居房、こんな地獄に我が身を落としてまでなぜ与那町民を救うのかと男泣きした。そして自分の宿命を呪った。
 無情を知らぬ愚か者達が、だが愚かであるが故に、拙僧は町民を救わねばならぬ、
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
 拙僧の慈悲である。
 欲と無欲があり、拙僧は二つの我執から離れて、何物にも囚われぬ自在から欲を選んだのである。それを愚かな町民はスケベがスケベしていると大変な誤解をしている。拙僧でなければ名誉毀損で訴えられても文句も言えまい。まさにこれぞ俗人という見本である。
 和光同塵(わこうどうじん)、まさに光を和ませて、塵と同じくす、つまり菩薩が知恵のないようにして、煩悩の塵となった民と同等の場所に身を置いて、救済する。
 その気高さがも分からず、スケベ坊主と呼び腐ってからに、仏の面も三度までだ、馬鹿たれどもが…。
 昔から聖者は故郷に受け入れられずとい言うが、その通りだ。
 拙僧がキャバレーに行は泥土からその身を伸ばし、花咲く一輪の睡蓮を顕現せんとするためであり、女人に触りたいがためではない。その睡蓮をエロ坊主呼ばわりする愚かな輩(やから)だ。
 一蓮托生とは死んで、極楽浄土で同じ蓮の花に身を寄せることであり。そもそも罰当たりどもが同じ罪を被るという趣旨ではない。
 バカは下品な言葉使いから覚える。
 拙僧が町長派の金持ちの新築祝いに掛け軸を進呈したら、それを広げて見た町長は怒ってしまい、「無」では一文無しの無しで縁起が悪いと、「友情」と書き直せと言う始末。つくづく物の哀れを感じるに至った。
「咳をしても一人」、人口一万四千の町にたった一つの寺の住職が放哉の心境が身に染みる、とは何たること、まさに末法、末世。

 従業員は給料が安いと言っている。小さい建築会社だから、すぐに社長である私の耳にまで入る。
 文句を言う前に、働け、誰が給料を払っているんだ。最低賃金以下なら、文句を言え。リストラもしてない。冠婚葬祭にはきちんとそれなりに包んでいる。それもポケットマネーからだ。
 会社が潰れないから、働ける、それを忘れてはいないか。
 月々お給料がもらえると言うことは、どんなに有り難いのか知らない。それを支えているのが私の経営手腕だ。
 私もすぐに社長になった訳じゃない。皆と一緒で汗水垂らして、お金を貯めて、会社を興した。それも順風満帆じゃない、谷有り山有り、首を括ろうかとさえ、思ったことも何度もあった。だがその艱難辛苦を自分の汗で乗り越えてえて来たからこそ、今が有るのだ。
 仕事をしない奴ほど、他人の成功は甘い汁を吸っているとしか考えない。だからいつも欲求不満で、人には仕事の愚痴ばかりで、パチンコで大負けしてはヤケ酒、大勝ちしてはバーで盛り上がる。いずれにして金は残らない、そして借金して、のうのうと自己破産する。金欠の悪循環だ。そう言うのに限って、ニヤニヤ笑いながら金を借りに来る。そんな奴には散々悪態を吐いて、一円も貸しはしない。
 世の中、寝ていて金が入るのなら、誰が働くか、馬鹿が、金のなる木は世界中探し回ってもない。
 日進月歩と言っても、古今東西、会社に怠け者は要らない、利益の妨げになるだけである、百害あって一利なし、獅子身中の虫である。
 人間裸一貫、為せば成る、成さねばならぬ、何事も、成らぬは人の、為さぬなりけり。
 そう言えば、結婚式のスピーチがある、それを考えよう、怠け者に時間を取られては、損ばかりで一銭にも成らぬ。
 大城君は我が社のホープであり、将来を大いに属望された幹部候補であります。彼の良さは陰日向なく働く、真面目さであります。それに加えて、明朗闊達で会社の人気者でも有ります。
 それから正義感の強い青年でもあります。
 それから猫好きの優しさもあります。
 それから美男子であります。
 それから……。
 一生に一度の晴れ舞台には、どんな社員でも一度は褒め尽くす、これが社長の情けだ。

 なぜだか、死ぬのが怖くなった。昨日まで会社に行くのも、家族四人の我が家も楽しかった。楽しいと言うよりも、淡々と過ぎていた。妻、長女、五歳、長男、四歳と共に暮らしていた。
 どんな生活をしても、必ず死ぬ。大金持ちも、貧乏人も、精々百年ぐらいで確実に死ぬ。どうせ死ぬのならと思うと、生きようという気が極端に薄められたようで、気怠さが付まとい、何をしても溜息が出る。この寂しさ、遣る瀬なさは何なんだろう。
 これまでよく生きてこれたものだ。だからと言って、死ねるか、死ねない。
 仕事を辞めようか、そうなると退屈だ、それに世間体を考えれば気も滅入るだろう。辞めたら二度と今のようなまともな会社には入れないだろう。中堅企業の経理課の課長が、建築現場で働くのは苦しい。肉体的に、精神的に。それに一族は金持ちでもないし、収入が無くては、飢えてしまう、とても耐えられない。
 生まれてから今まで、平穏無事に来られたから、何か罰が当たったのか。
 しかし、その様なことで罰とは理に適わない。罪と言っても、車の接触事故や、五年も前に一度で最後の浮気だけだ。
 浮気はあれだけで半年もはらはらし通しではとても引き合わないと懲りた。
 いつかは死ぬからなと、一仕事終える毎に、口を突いて出る。死が口からたれる。
 死ぬって、考えようがない、死って何、全く分からない。あの世もあるのか分からない。生まれ変わる言うが、前世のテレビ番組は誰が見ても胡散臭い。
 本屋を覗いて立ち読みすると、誰も死ねない、誰も死を経験することはできないからだ。死ねば意識はない。誰かが私の死を見ているであろうということだけである。祖父母も死んだが、死んだって事は知らない、ずっと死に続けるしかないのだから。これもおかしい、死に続けるではなく、完全に消えるのだ、誰もこの世で祖父母を見ることはない。
 変わった奴もいる。人間、はいそうですかと簡単に綺麗さっぱり死ねるものじゃないと言う。そうかなと頷きたくもなる。
 マイブームが「死」、暗いよな。
 死ぬまで生きている、生きてる事には時間がある、死はずっとだからな。と言っても、影も形も意識もないのだから、感じる訳がない。
 と言うと、俗に言う、「生きてる内が花」「生きてるだけで丸儲け」、死は置いといてか。死ぬ間際になって、死ぬんだなと思えばいい。短ければ、短いほどいい。嫌なことそれでいい。
 死ぬのに嫌とは言えない、絶対死ぬのだから。しかし、死ぬまで、死ぬことばかり考えて憂鬱に暮らすのはなお馬鹿らしい。
 何かがいつも胸に支えているような気分なんだな、すきっと爽やかにならない。
 苛められて、死を選ぶ子供達が可哀相でならない。絶対、そう思っている、確信だ。もしその様な子供に会えば、死ぬなとアドバイスするだろう。だが生きているのが怖いのですと言われたら、返す言葉はあるのか、死ぬのが怖くて、生きていられませんと言えるか、言えない。彼らはリアルに苛められているのだ。
 私には分からないことが多すぎる
 悩むって言うのは、明日の生活の金をどうしようか、相手の会社が倒産しそうだから、早く取り立てないととか、どうしても嫌な上司がいるとか、現実的なものだったはずだ。
 それが「死ぬのが怖い」と悩み始めた。この世界のどこかで紛争で死ぬ人々がいる、それを悩んだことはない。なぜなら一瞬、平和になればなと思って忘れ、又何かの切っ掛けで、平和になれば、と思い、忘れる。
 それなのに、「死ぬのが怖くて」どうしようもない自分がいる。
 生きててよかった、生き続けないことには言えない話である。死んでてよかったとはけして当人は言えない。だがそんなことをいつになったら言えるのだろうか、そんな日が訪れるのだろうか、大いに疑問だ。

 好きだけど、愛せないの、頭が真っ白になった。結婚しようと、ダイヤモンドの指輪を差し出したら、その答えが返ってきた。
「別れましょう」女はテーブルから立ち去った。
 フランス料理のフルコースは平らげていた。後ろ姿は映画のヒロインのように堂々としていた。悲しみの一欠片もなく、新しい旅立ちに感動しているようにさえ見えた。
 全て計算され尽くされた大女優の演技であった。見せ場だった。
 何日も前から考えていた台詞だろうが、自己陶酔で相手のことなど眼中にない自己中の頭がしか考えつかない代物だ。
「モンローウォークして行く、いかした女は誰」とかつてのヒット曲が流れていただろう。
「本当の愛って、何かしら」、本当が上に付いた時から、愛は腐り始めていたが、こっちの方の愛は現実味を帯びて、結婚まで考えてしまった、この「本当」の落差。ナイアガラの滝から落ちてしまったのはこちらだけ。精神が砕け散らないのが不思議だ。
 しかし、あんな女のどこがよかったんだろう。顔は可もなく不可もなく、美人という訳でもないのに、好きだという内に美人に見え、あちらはクレオパトラだと思い込み、庶民の並の男などに興味など持てないまでに舞い上がってしまった。それに気づかないあっちは幸福の絶頂で、こっちは不幸のどん底だ。
 どんな醜女でも美人だと言われ続けると、鏡を見ても、本当に美人に見えるに違いない。それに惚れてしまったこっちが火に油を注いだのだ。自業自得、それではあんまりだ。踏んだり蹴ったりだ。
 あんな醜女に振られてかと思うと、何かしら怒りが胸に支え、燻り出て、噎せて、死にそうになった。
 醜女に付ける薬はない、死ぬまで美人だと思って死ぬのではと居た堪れなくなる。自分を美人だと信じて、恋愛して、振られますように、その前に貯金を全部貢ぎますように、交通事故で右手を折りますように…。
 何であんな女のために、爆発寸前なんだ。今あったら、バットでケツを思い切り打っ叩いて、死ぬほど己の醜さを認めさせてやる。死ぬまで夢見ていたでは、こちらの腹が納まらない、煮え繰り返る。
 頭に来た、アルバムを本棚から取り、足であの醜い顔をギュウギュウ踏みつけた。鉄拳も喰らわせてやった。唾も掛けたかったが、部屋が汚れるの踏み止まった。
 マーカーであいつの顔の上に「呪」と書き潰してやろうか。ああ、これでは異常者になってしまう。こうなったのも、あの最低最悪の女が原因だ。
 転んで、足でも折れ。死ぬまで、一人で、孤独死しろ、糞女。
 ああ、ホントに馬鹿らしい、もう眠るぞ。
 明日はスイカを買ってきて、バットで叩き潰して、庭でアルバムを焼いて、クソ女の消滅だ、これで終わりだ、本当に終わりだ。

 スナック「最愛」での勤めは十一時から午後五時まで時給二千円で、締めて一万二千円の日当となる。酔っ払いで居酒屋でできあがった頃に遣ってきて、私を口説きながら触り始める。それが目的で「最愛」に来るのである。そうでなければ家で飲むだろう。店は照明が暗いので、余程の醜女でない限り言い寄られ、太股を撫でられる。無論、それで感じているのはお客様だけである。私達は一缶千円のウーロン茶が頂ければ、それも無視できる。
 翌日は今の事など忘れているのに、通い詰める男の肉欲はなんとおかしなものだろうとつくづく思う。記憶に残らない事をして、何が楽しいのか。酒は飲んでも飲まれるな、これが私の座右の銘だ。まあ、それは酒だけではないが、余り夢中になるな、ほどほどにしときなさいと言う意味である。私は現在三十二だが、二十九の時、ホストに入れ揚げて、気付いた時には老後のためにも蓄えていた金がなくなっていた。いい夢を見させて貰ったお礼だとの台詞で収まるはずもない二百万、三日三晩酒を飲み続け、急性膵炎になり四十九日も入院する羽目になった。死亡率二十パーセントから三十パーセントだと医師から知らされて、運がいいのだと思う事にした。生きた。病院代は今のママに借りて払った。それから「最愛」で三年目となる。
 いつも酔っ払い相手なので、スーパーやコンビニに行くと、目の遣り場に困る。この七三分けでスーツの男も酒を飲むと本性を現し茹で蛸となり女を抱き付いてくるのだ。あのジャージのスポーツマンも酒の勢いで、太股やら乳房を触るのだ。確信犯だ、酒のせいにすれば、罪が軽くなると思っている。お前こそ、羊の皮を被ったオオカミだ、質が悪く始末に負えない。酔ってないからだ。一見スケベに見えない男が真性のスケベに見えて、世間がおぞましくなる。
 かと言って、いい加減かと思うと、そうでもない、会社ではきっちり働いて首にもされず給料を貰っている。だから「最愛」にも通えるのだ。男は酒を飲めば、あれのことしか頭にない人格に変わる。それで商売して、それを批判するなど身の程知らずだ。まあ、必要人格なのだ、それがなければ、きっと婦女暴行が軒並み多くなってしまうだろう。その最前線で警察の代わりソフトに対処しているのが水商売だ。薄らいでゆく常識と濃度を増してゆく肉欲の防波堤で働く仕事だ。
 だが酔っ払いと話して、時間が稼げるから話をしているのだ。意味など考えていたら、こっちの頭がどうにかなってくる。意味を考えない話し相手となる商売である。時給なのだから、話はどうでもいい。相手をできるだけ喋らせて、肉欲を刺激して閉店までキープする。最後には「又来てね」最高の笑顔で告げ、タクシーまでお見送り。これでも結構しんどい。

 晴美がスパゲティを作ったが、太るので少しだけ食べたら、そんなにしてまで長生きして、どうするのと怒鳴った。頭に来たので、そのまま外に出て、東新浜をジョギングを開始した。それを言ったらお仕舞いでしょうが。夫婦の中にも礼儀あり。カロリー消費にどれだけの運動量を要するか、あいつは知らない、無知だ。じゃあ、お前は長生きが嫌なら、今死ね、できるか、できないだろうが、誰でも長生きしたいが、食欲に負けて、敗北するんだ。緩慢な自殺だ。命とお前の料理自慢のどっちが大切なんだ。馬鹿野郎が。すっとした、はい、深呼吸。

 何か胸苦しくなって、与那中央病院に駆け込んだ。これで三度目だが三日前に退院したばかりだ。同じ大部屋の同じベッドになった。最初は個室に入ったが退屈で死にそうになったので、大部屋に代えた。個室は一日二千円で、大部屋、四人一室は五百円だ。
「もう入院して、一週間だ。曾孫まで三十人で子供が五人で、一人も見舞いに来んか。宏に電話したら、タクシー乗って孫を見に来ればいいと言うんだよ、あれは人じゃないよ。私は入院しているんだよ、目眩がして胸が苦しくなって来たんだ、それがタクシーに乗って行けるか、立派な大人がこれだけも分からんか。
 畑仕事して、盆栽いじって、カラオケサークル行って、忙しいよ。一人で家に籠もって居られるか。そしたら水曜日に、死にはせんかと入院した訳だ。
 いいから、私は子供もたくさんいて、身寄りのいない一人者とは違うよ、それが一週間しても、誰も見舞いに来んよ、寂しくて居られるか。兎に角、顔が見たいから、分かった、それならいいよ、じゃあ、切るよ」
 次女の佐和子が遣ってきた。
「何もお父さんを心配しないじゃないのよ。もう何回も入院して、検査で体は健康でしょう。精神的なものでしょう。母さんが亡くなって、父さんも一人で住んでるから、大変でしょう。でも父さんが均とも住まないんでしょう。気を遣うからと言って。
 もうヘチマやゴーヤーを植えるのは、畑は止めなさい。年を考えないさい、八十歳よ。誰でも年を取るの、いつまでも体力あると思っても、無くなっているの。寂しいのなら、カラオケに盆栽にゲートボールでもしなさい。美枝子も宏も稔も誠も皆自分の家を賄うのに一生懸命働いていて、暇はないの。何度も何度も電話して、仕事にならないと言ってたわ。
 三時から、踊りの稽古があるから、帰るよ」
 ありがとう、稽古頑張りなさいと告げた。親の心子知らずである。どんなに私が子供たちを愛しているか知らない。
 先生は自分で元気になったと思ったら帰っていいと仰った。毎日、頼んでリンゲルを点滴して貰っている。今度の同部屋の人は健康そうなのに話を聞いてはくれない。看護師さんも五分も話すと、もう仕事ですから、さっさと行ってしまう。労を犒(ねぎら)ったヘルパーさんには軽くいなされて、私達に暇はありませんと、家庭の内情を聞きたいとこだけ聞いて、何事なかったかのようにさっさと行ってしまう。
 病院は退屈でストレスが溜まって大変だ。

 好き、愛している、胸が疼く、彼女を意識してから、知った十五の夏の言葉だ。重みが違った。その言葉を思い出すたびに切なくなり、胸が圧し潰されそうになる。溜息ばかりの今日この頃だ。夜の十時、我慢できなくなり、A・Kの家にママチャリで向かう。二階の明かりはまだ点いていた。彼女は椅子から立ち上がり、背伸びをしているシルエットがカーテンに映る。パジャマだ、ネグリジェは想定外だ、クソ婆の着る物だ。A・K宅の前の曲がり角の電柱の陰から仰いでいる。僕にしか見えない星、ビーナスだ。詩人の気持ちが分かるようになった、ディープになった。命短し、恋いせよ乙女、待てど暮らせど来ぬ人を宵待草は待ちにけり、恋いなくば世界は世界にあらじ。おお、A・K、どうしてあなたはA・Kなの。
 あの動きは僕への感謝を表している。なのにカーテンを開けて、僕に姿を見せようとはしない。女は意地悪な生き物なのだ。これは「納得情報・女の生態」で知った。自分の地位が上にあることを望むからだ。簡単に言えば、女王様でいたいのだ。
 デジカメで写した、携帯のでは駄目だ、メリハリがない。より自然に近い状態で撮りたい。
 ほっそりとしたボディに上をつんと向いた少しだけ小さな胸、すっきりした顔立ち、平安美人を細顔にした顔、一重だ、きつそうな目が生きている。なぜA・Kだけに興奮とときめきと高鳴りを感じるのだろうか。美人なら芸能人を検索すればいくらでも出てくる。だが鼓動がない、痺れない。電気がほんとに爪先から頭に走る。
 機械じゃないなと人間はつくづく思う。好きだという気持ちはロボットでは起動しない。だがロボットを愛することは人間にはできる。私はA・Kに目覚めるまで、コミックの「ブリーチ」の副主人公、朽木ルキアに夢中になっていた。A・Kに似ているとかと問えば似ている、私の好みの範囲内の出来事になるからだ。
 A・Kに愛して欲しいと思っているだろうか、そうでもない愛したいのだ。セックスも入るが、それだけではない、ひたすらに愛したい。この愛したいの意味も不明になって行くに連れて、心の、肉体のマグマは憎しみではないが、煮えくり返って、僕の全てがウォーウォーと雄叫び、同時にエネルギーが迸る。A・Kが好きになっただけで、このように悩ましくなるのは生まれて初めてだ。何だか死にたいような気分が雑音のように入ってくる。A・Kに好きだと言ってしまえば、一瞬に溶けて無くなるのではと怖い。だから頭文字でしか呼ばない。
「それでどうしたいの」
 セックスがしたい、それもあるがもっとがあるのだ。
「ああ、A・K、どうしてあなたはA・Kなの」
 この繰り返しだ、永遠の疑問が鼻先の肉欲と共にぶら下がっている。それで堂々巡りをしている馬なのだ。していることは同じだが、私は人間だ、切なくて、胸が苦しい。どうすればこの渇きは満たされるだろうか。
 一生このような思いで暮らすにはやりたいことが多すぎる、でも他のことは全く手に付かない。
溜息が溢れる、肉体的どうしようもなさと、精神的どうしようもなさが共鳴し、この胸が頭が壊れそうだ。
 好きになることが性欲だけならよかったのに。

 私は小説家になると言って、文学部を受けた同級生を笑った。就職に有利なように法律を学べと言ったが、無駄だった。私は今国の出先機関の部長だ。地元大学出では予定の出世だ。無論所長にはなれない、所長は国家公務員試験の上級の合格者に限る。中央のエリートだ。私は地方のエリートで満足だ。だから県外の大学など、学費も考え眼中にはなかった。兄など一流大学を卒業したのに、就職もせず大学院まで行って、何になるのかと思ったら、今でも私立大の非常勤講師だ。
 私の両親は揃って教員だ。生活の安定した家庭だった。私の人生も安定したものを望んだ。プロ野球選手になろうと本気で思っている野球部員を馬鹿だと思った。そのぐらいの覚悟があるのなら、甲子園常連校に受からないと駄目だ、まあ、スカウトの目に止まらなかった時点でプロは無理で、整骨とか、コックとか、手に職をつける、野球を趣味でやればいいと助言したら、この馬鹿は暴れ出した。お前の勝手にしろと逃げた。今では小学生の野球チーム、与那ファイターズの監督をしている。仕事はガードマン、全国大会に二度行っている。子供たちと父兄に監督と呼ばれて、喜んでいる、同級生としては辛くて見ていられない。なのに監督だとご満悦だ。
 私は三人にの子供をいる、人口増加のために最低の三人、それ以上だと大学まで行かせるのに金がない。男二人は私と同じ大学で、工学部と建築学部を目指している。長女は小学校の教諭で教育学部だ。歌手になりたいだの、総理大臣、知事になりたいだの、社長になりたいだのと聞いた覚えがない。皆、いい子だ、現実をよく見ている、しっかりした子供だ。
 今も昔もよき家庭を提供している。不良にでもなられたら、大変だ。だから浮気をしたことなど一度もない。美人などテレビで見るだけで十分だ。現実の世界では家族の衣食住を切り盛りするのに大変だ。なのに気取って十数万もするワインなど飲まれたら、許せるものではない。まあ、妻が専業主婦であることが、私の自慢だ。共稼ぎだった両親は母親にだけ負担がかかったのは理不尽だからだ。
 良き家庭の維持のためには健康が第一だ。妻も私も半年に一度は病院で健康診断を受けている。お部屋で手軽健康ラクラク体操も朝起きたらやっている。鈍った体を解す。ゴルフなどと上司の接待のときだけ、ついて行く。どう見ても綺麗なスイングではないが、褒める。それが上司へ、接待相手への礼儀である。ゴマすりと言う奴もいるが、そのような気持ちで接待などやるな。地位が物を言うのは競争社会の原理であり、当然のことであり、下っ端ではどうのこうの言える立場にないことを自覚してないのだ。
 老後は畑でも借りて、野菜を作る。適度な運動と自然に触れることで若返り効果を狙っている。人生は地道な計画的さえすれば、困ることに陥らない。それに夢だとか戯言で、みすみす人生を破綻に追いやってしまう。後悔先立たずの厳しい現実がある。そのとき泣いても悔やんでも、どうにもならない。忠告を無視した結果だ、実に哀れな同級生だ。

 人は這い、魚は歩き、猫が羽ばたいていた。
 上には木々が茂り、緑が溢れ、私が縦横無尽に漲っていた。全ては私であった。肉体が宇宙規模に、無限大に爆発し、無限小にまで縮小した。
 こんなことを言うのは馬鹿げている。誰にも理解されないからだ。
 ひたすらにこの風景を見よ、そうすればハンマーの破壊の感性で感じることができるのだ。
 下には蒼穹が横たわり、真昼が燃えている。極寒の灼熱を行くように悠々自適だ。もはやこの宇宙に困難はなかった、憂鬱はなかった。
 地球は燃え、太陽は青かった。
 白昼堂々と御業はなされた。
 どうして全てが見える、この小さな頭の更に小さな目で、全て、これこそ法螺吹きの始まりだ。視界の限りで見える、望遠鏡で、顕微鏡で見えるようにしたから、見えるのだ。視覚に変えるのだ。要はどうしよと目玉の能力までしか見えない。脳髄にとってそれを全てと言えば収まりがいい。見えるようにする技術が範囲を広くする。全てが徐々に大きくなっていく。
 私はアーティストだと言ったら、アーティストであるように、これが全てと言えば、全てなのだ。
 これが犬だと猫を指すことは間違いとされる。だがそのように見える私の事実は妄想とされて、頭がおかしいとされるが、皆と同じ妄想ならいいのである。だが妄想をいちいち他人と比べない、皆そうだろうと信じて疑わず、世界は始まる。
 夜が明けて、犬が話し、人が吠え、ウナギが囀る。日は暮れて、犬は家に、人は巣に、ウナギは穴に入る。
 蝶々が泳いで、パイナップルの音がして、通りすがりに出目金に恋をした。
 愛って何だろうと考えた、すると正義が、自由が、平和が真っ赤な顔して飛び付いた。
 ウナギが歌い、ハイビスカスが踊り、人が鳴き、犬が説教する、目の前で起こっている、これこそが現実だ。
 人は放し飼いであるから、朝まで徘徊して、腹を空かすと帰ってくる。
 世の中は動いている。
 宇宙の全体が見え、与那町与那一七六一番地の巣の塵一つまで見える、即ち、
 誰も知らないが、私は一切合切を創造した人間だ、けして神ではない。

与那町発酵

あなたの身近に与那町民と重なる人がいましたか。

与那町発酵

与那町民の人それぞれの生き様を描いてみた。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-02

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