数ある結晶

数ある結晶

数ある結晶

  霜を踏んだら"サクッ"って音がして、

「わー」

と真琴が言った。

 何もないところ、それこそそこにあるのは霜だけなのに、この子はどうしてそんなにもキラキラした目を私に向ける事ができるのだろう。

  ひょっとしたら真琴はそんな些細な物事にも敏感に気付くことができるなんらかの才覚を持った子供なのかもしれないけど、でも、私がその敏感さをただ失くしてしまっただけなのかもしれない。
  

  人は成長するにつれ経験を積む。成長するという事自体が経験でもある訳だけど、そんな実感もできない経験は今は考えないとする。だとしたら私はいつから霜を"ただの霜"あるい”水蒸気が固体化したもの”としか見なくなった……いや、見えなくなってしまったのだろう。

  経験を積む事はもちろん悪い事ばかりじゃない。その経験のおかげで今の旦那と出会えのだと思うし、こんなにも可愛らしい我が子の真琴と出会う事ができたのは嘘じゃない。だけど、やっぱりそれらと引き換えに失くしてしまったものも、それなりの大きさを伴っているんじゃないかって思う。

 「じゃあ、どちらかを今選びなおせるとしたらどちらを選ぶんだ?」

と聞かれたら、私はたぶん困るだろう。そして迷っている自分に困惑もすると思う。霜を踏んだだけで喜び、私までも幸せにしてしまう我が子を前にして言える事なんかじゃないんじゃないか。

「じゃあ、お前は今とは違う……、経験をなしにした人生を選ぶと?」

答えを急いでは欲しくない。その答えを出すには十分な時間と十分な労力が必要だと思う。

 ……でも、本当にそんな岐路に立たされた時、私はどういった答えを出すのだろう。真琴を置いてまで、”真っ新な私自身”を私は本当に選ぶのだろうか?
 ……いくら考えてみても分からない。とにかく、私には時間が少な過ぎる。


 今はただ、真琴の笑顔が私のすぐ側にあるという事が間違いのない事実だ。そしてこの子の中にも私の一部は入っているはずだから。そう考えてみれば、私は今の、この”経験を積んできた自分”でもいいのではないかと思う。私は成長という名の元に経験値を与えられたけれど、真琴はまだ何も知らない。
 私の一部を背負ったこの子はまだ霜を踏んだくらいの事で、こんなにも笑顔になれるのだから、私はそれに満足できるんじゃないかって……。

「ママも踏んで!」

真琴が私の手を引いて、私はそれにつられて霜を踏んだ。”サクッ”と音がなる。

 そしてその時に、私の手の中にあるその小さな手を離す事の怖さを思い知った。……そっか、感じ方が変わっただけなんだ。

 真琴の笑顔がずっとそこにあればいい。それだけでいい。

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数ある結晶

数ある結晶

今の私を作ったのは、昔の私。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-25

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