咲いて、咲いて
「大きなあくび」
ずーっと深い深い夢の中にいたはずなのに、気付けば目の前にはコウジがいたりして。
「え?」
「おっきなあくびをしてたよ、今」
「私?」
「そう、あなた」
そうして、ようやく私は自分が目覚めたのだと気付いた。
「あ、おはよ」
「うん、おはよう。……遅いよ」
コウジはそう言って笑っていた。
「え、コウジはいつ起きたの?」
「いや、俺もさっき目が覚めたばっかり」
「そう」
「うん」
カーテンの小さな隙間を抜けて、外の陽の光が部屋の中に入り込んできている。
「今何時だろう」
と私が言うと
「分からない。コンタクト入ってないから時計も見えないんだよ」
「メガネは?」
「どこに置いたか忘れた」
そう、あなたはずっと見えないままでいいのに、と私は思った。
コウジの整った顔立ちに比べれば、私なんてそこら辺にいそうな平均的な顔立ち。ましてやスッピンで寝起きの顔なんて見られないに越した事はないんだ。
「メガネ、昨日俺どこに置いてたっけ?」
「え?知らないよ」
「そうだよな……」
「別にいいじゃない。今日は休みなんだから、時間なんて気にする必要ないでしょ?」
「うん、まあね」
そうすると、また私の口からあくびが漏れた。
「まだ眠いの?」
コウジはそう言いながら笑っていた。
「ううん、別に」
「だってあくびしてた」
「眠いからした訳じゃない」
「じゃあ、なんで?」
「別に意味なんてない」
「あくびって眠い時にするんじゃないの?」
「そうだっけ?」
「うん、たしかね」
「どうでもいいじゃない」
「どうでもいいか」
外で工事をしているのは、いつからだっただろうか。もう半年くらいやっているような気がするけど、私たちから見ればそれが一向に進んでいる感じには見えなかった。それほど迷惑な音が飛んでくる訳でもないのだけれど、でも、工事をやっていないに越した事はない。
「工事いつ終わるかな?」
「うーん、そうだなあ」
「あの工事っていつからやってるんだっけ?」
「一年くらい前からじゃない?」
「え?半年くらいじゃない?」
「そうだっけ?……分かんない。もう忘れたよ」
「うるさいね」
「そうだね、うるさいよ」
体重が急に増えてしまったみたいに、体をこのベッドから起こすのが面倒に思えた。どうしてこうも起きる瞬間に自分の気持ちと格闘しなくてはいけないのだろう。
しかもそれは毎日起こる出来事なのだ。もしもうちょっとでも、この睡眠から目覚めへの流れをスムースにしてくれたら、人生はもっと楽しく思えるんじゃないかって思うのに。
「よーし、起きようかな」
と先に言いだしたのはコウジだった。
「うん、頑張れ」
「え、ミサキさんは起きないの?」
「起きるよ、もうすぐ」
「もうすぐって、いつ?」
「だから、もうすぐだって」
「そうやってもう一回寝るんでしょ?ミサキさんいつもそうじゃん」
「いいじゃない、休みなんだから」
「別にいいけどさ。せっかくの休みだからこそ、起きた方がいいと思わない?」
「ちょっと、……私には意味がよく分からない」
「まあいいよ。休みの日をどう使うかは、ミサキさんの自由だもん」
「そう、よく分かってるじゃない」
「そう、僕はよく分かってるんだよ。分かった上でミサキさんに助言を」
「はいはい、起きればいいんでしょ」
「やればできるじゃん」
コウジに促されるまま、私たちは揃って重い体をベッドから起こして、そしてパンをトースターに入れた。
「なんか、いつも当たり前のようにパンを食べてるけどさ、これってなんだかおかしいと思わない?」
「何が?」
「だから、毎朝パンを食べ続けられる現実が」
「よく分からないけど」
「なんか普通なら飽きると思うんだ。だってパンだよ?」
「そうね、これはパンね」
「でも、飽きずに毎日食べてる」
「知ってるわ。……ねえ、この話はどこの行き着くの?」
「いや、特に意味はない」
「だったら、それでいいんじゃない?」
私がそう言うと、コウジは黙ってしまった。納得いかないといった目を私の方へ向けてきていたけど、それは次第に薄れていった。
コウジの言いたい事は分からない訳じゃない、私たちは今までにたくさんのものに飽きてきたはずなのだ。だけど、毎日の朝食は同じものを食べている。確かにそれは不自然な現象だ。でもそれは”パンに飽きていない”という訳でもないような気がする。私たちはきっと既にパンには飽きてしまっているんじゃないだろうか。
それでも、生活のリズムとして朝一のパンを摂らざるを得ないのだ。既に飽きる飽きないの問題ではなく、生活スタイルの一部となって、私たちの体の中に浸透してしまっているのじゃないだろうか。
そう、きっと私にとってのコウジだって同じだと思う。私たちはもう7年付き合っている。もちろん、お互いがお互いに飽きているとは思う。だけど、それでも一緒にいたいと思う、もっと心の奥の方にある芯がそう訴えてくるんだ。たぶん、コウジも同じなんじゃないだろうか。
私たちがなぜ一緒にいるのかと問われたら、きっとすぐにそれに答えることはできないと思う。理由を見つけるのは難しい。だけど、離れる理由は一切ないと思うし、それに、それは私の心が拒んでしまう。今日の会話だって、何か意味があったのだろうか?それは分からない。それでも、私はそこに大きな安らぎを覚える事ができるんだ。
「あ、コウジ」
「ん?」
「咲いてる」
「ああ、ほんとだ」
ベランダに置かれた小さな鉢植えの、バーベナの花がやっと顔を見せた。
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咲いて、咲いて