sayonaraanata.

藤森圭樹 作

惟親雨情 編

私は倖せだった。
そう言い残してこの世界を去りたいと思うの。
だからお願い、約束して。
彼と結婚してあげて欲しいの。
きっとその頃、私は有名で知的で美しすぎるアナウンサーって呼ばれていると思うわ。
だから。
だからあなたを選んだのよ。
彼がじゃない、私があなたを選んだのよ。

あなたのことを、いつまでも想っています。

「彼と結婚してあげてほしいの」

彼女との出会いが私を変えた。
彼を私に紹介したのも彼女だったし、その時既にふたりは結婚していた。
子供はいなかったが、後になって彼女が妊娠していた、
そしてその認知は求めては来なかったというのが、真実だった。

「このままじゃ、私のために彼がダメになってしまう、彼を救えるのはあなただけなの」

何を持って彼女はそう頼み込んできたのか。
それを語るには、その前のこと、これまでのことを話す必要があるだろう。

「あなたのことを、いつまでも想っています」
彼女はそう言って彼の目の前から消えた。
それきり、私も彼も、微妙にピントがずれたような世界で、
息を殺して生きようとしていた。

筒浦祥吾

まだ、私も彼も誰かを好きになってはいなかったし、
お互いに惹かれていることも気づいていなかった。

「今度のミサにはふたりで行きましょう」
彼がそう誘ってきたのが、始まりだった。

私は決してクリスチャンではなかったのに、彼はぬけぬけと私を連れ出した。
そう、部屋という私の逃げ場所から、彼は私を引っ張り出してくれたのだ。
引きこもりだった私に、初めて世界の色鮮やかさを教えてくれたひと。
それが彼、筒浦祥吾(つつうらしょうご)だった。

「ここ最近陽に当たってなかったでしょう、色が白いです」

祥吾が優しいテンポで声を出すのが、何故か愛しく思えた。
変に敬語をひけらかすわけでもなく、
かと言って心にずかずかと入り込んでこない。

それが、祥吾だった。

「聖書は読みましたか」
「いいえ」
ではこのページを読んでください、と彼がしおりを挟んであったページを開いた。
「これだけは、あなたに向けられたメッセージなんです」

たくさんのメッセージを発信する彼は、私にとって太陽だった。
陰湿なイジメが原因で高校を中退した私には、大学生の彼がひどく羨ましく思えたのだ。
高校すら出られない、
そんな自分が将来何かで食べていけるとは思っていなかった。
資格もない、手に職つけたわけでもない。
これはもう、永遠の就職をする必要があるなと、変にひとり納得していた。

それが、彼ではないと、そのときは思っていたのに。

私は17歳

私は彼の虜になった。
決して傷つけまいという強い感情も感じられたし、何より、太陽であったから。

私のいる世界は、暗くじめっとしている。
太陽などなかった。
灯りすらなかった。
何も見えない。
私をからかう人間と、その邪悪さだけは分かっていた。


上履きを隠されたり、体操着を燃やされたりしたのは可愛い方で、
最終的に私は見知っていない誰かにいきなり犯された。
その相手が女性だったのか、男性だったのかも分からない。
気持ちの悪いこと、と思わなかったのが不思議なくらいで。

「おい、早くしろよ」
「こっちはまだ出してねえって」
「先生が来ちゃうわよ、早くして!」
「何だよ、好きなだけやっていいって言っただろ」
声が複数ある。
私は両手両足を縛り上げられ、口元はガムテープを貼られていた。

「なあ、こいつ胸でかいな」
「調子こいてんじゃねえよ、早くどけって」

ああ、神様?
私が何か悪いことでもしたんでしょうか。

ドイツ人の祖父がいるおかげで、私は生粋の日本人ではなかった。
目が青かったし、いくらか髪が薄い色だった。
まるでお人形さんみたいね、といろんな人に言われたものだ。



気が付けば、全裸で私は体育用具室に転がされていた。
悲しいとは思わなかった。
ただ痛めつけられた部分が悲鳴をあげていた。
何も知らずに放課後の部活動の時間になった。
発見されたのは、そんな時だった。

恥ずかしいとは思わなかった。
私には、もう何もすることがない。
そう、勝手に思い込もうとしていたのだ。


「雨情?」
ええ、はい。
私は目を開けた。
私に優しくキスをしてくれていた祥吾が怪訝そうに覗き込んでくる。
「大丈夫ですか、少し心配です」
大丈夫よ、そう言って私は彼の胸に飛び込んだ。
それを受け止めてくれる熱い胸が、私の頬を火照らせる。
「どうしましょうか」
「どうもしないわ」
ぱっと離れて、私も彼もそのまま、歩道を歩き続けていた。

私がまだ、17歳の時の話だけれども。

学生結婚、リイヤと祥吾

ミサに行きましょう、と彼女が話しかけてきたのはそんな時。
ボロボロになった私を連れ出したのは彼女の明るさだった。
典型的な、そしてどことなく儚げな、そんな印象の彼女が私を見つけてくれた。

彼女はすぐに彼、筒浦祥吾を私に引き合わせた。
出会ってまだ1日くらいしか経っていないのに、目まぐるしく彼女が私を引っ張った。
そう、彼女は結婚していた。
学生結婚というもの。

「同い年で、私は大学三年生、彼は二年生よ」
「一浪したんですよ」
そうなの、と私はソーダ水を飲んでいる。
「おや、興味ないですか」
「ええ」
「ねえ、通信制の高校に入ったらどうかしら」
「それはいいですね、リイヤもなかなかなことを言います」
勝手に決めないでよ、と私は口を尖らせた。
「でも、雨情さん、リイヤはまっとうなこと言ってますよ」
リイヤという名前が、実は里依(りい)という名前だと知ったのは結構後の話。
そして、彼が本当に彼女を愛していたというのは、すぐに知る話。

「私、就活中なの。大学三年生からとことんアタックしてみるつもり」
「何になるの」
「アナウンサー。特に政治部に興味があるわ」
「そうね、リイヤは頭もいいし、知的なアナウンサーになれるわ」
彼は黙って私たちの会話を聞いている。
というより、何か違う世界でこちらを見ているような気分にさせた。

「祥吾?」
リイヤが気付いて、目の前で手をひらひらとさせる。
「ああ、ごめんなさい」
彼はリイヤではなく、私を見ていたのだ。
「とにもかくにも、祥吾も来年には就活よ。今のうちから私を見本にしてなさいな」
「そうですね、そうします」

そして私は視線をあげた。
ソーダ水が口の中でパチパチとなっている。
視線がぶつかるのは当たり前のこと。
私たちは、何かに惹かれるかのように、見つめ合う。
「なによ」
「ごめんなさい」
いつものように、彼は謝ったのだけれども。

高校に通う

通信制の高校に通いだしたのは、今までの高校をやめてからすぐのことだった。
私は、ふたりに諭されたのだ。
今やっておいたほうがいいこと、という名目で。

ふたりはいつでも仲良く、並んで歩いていた。
私はその後ろをついていくだけ。
たまにふたりが振り返ってくれて、それが当たり前だった。

高校が忙しくなってくると、よくふたりに会えない日が続いた。
それはそれで少し寂しかったが、目の前のレポートの山に私は夢中になった。
今まで溜めてきた何かが噴出したような、そんな勢いだった。

「久しぶりですね」
そんな生活が一ヶ月ほど続いて、折を見て祥吾が様子を見に来てくれた。
「その分だと外に出ていないですね」
「ええ、こんなに!」
私はレポートの山を祥吾に見せつけた。
「何だか、一生分の勉強をしてしまったわ」
「そのようです、大学生よりしています」

何かのきっかけだったのか。
祥吾が私にキスをした。
それも、額とか頬じゃなく、唇に。

「リイヤに怒られるわよ」
「ええ、そのことなんですが」
祥吾は申し訳なさそうに、頭を掻いてぼそっと呟いた。

「リイヤが死にました」

私が高校にかまけている間に、リイヤが死んだ。

それは恐ろしく不安定な出来事で、幾分祥吾の目が赤いのは本当のことなんだと、
私は実感した。
でも、急すぎて何が何だかわからないでいる。
それがきっと、こういうことなんだ。

「死んだって、どうして」
「殺されました」
「誰に」
まさかあなたに?という状況で祥吾はひらひらと手を振った。
「ストーカーにです」
「いたの?」
「残念ながら」
僕のほうが先にリイヤに出会ってしまったものですから、と祥吾は苦笑した。
「でも、最期までリイヤはあなたを心配していました」

私は思わず祥吾の背中に手を回した。
そうでもしないと、彼はきっと泣くことをやめられない。
淡々と語るくせに、目から涙が止まらないのだ。

「ああもう、情けないわねえ、リイヤが心配してたのは本当はあなたの方よ」

リイヤにはストーカーがいた。
という事実は私は知らなかった。
だって、リイヤは祥吾の全てだったし、私にとっても、ふたりは私の全てだったから。
他の人間が入る余地など、なかったはずだから。
そういう、世界だったから。

「夢、叶わなかったのね」
アナウンサーになりたいという、リイヤの夢。
「どうせだったらあなたが叶えなさいよ」
「無理です、僕には」
「なぜ決め付けるのよ、私だってこんなにレポートが書ききれる天才だって、
やっとこ理解したところなのに」

それもそう。
リイヤがいたから。
リイヤが私と祥吾をぐるぐると回していたんだ。
その、リイヤが死んでしまった。

その詳細を聞かないまま今に至るが、私はどうしても腑に落ちないのだ。
どうして、リイヤは黙っていたんだろう。
祥吾も、リイヤが殺されてからストーカーの存在を知ったようなのだ。

ねえ、リイヤ教えて。
私たちはこれからどうすればいいの。

子供子供しいの

私たちは出会ってまだほんの数ヶ月だった。
ふたりは大学生で、私は高校生。
まだまだ子供子供しいの私が、ふたりの後をくっついて回っていただけの。

その軌跡が今となっては憧れる。
まだ、あの数ヶ月は今も心の中で鮮やかになっている。

「祥吾と結婚してあげて欲しいの」
あなたたちはよく似ていて、それでいて片方が割れてしまうと壊れちゃう。
そういう関係だけなのに、どうしても惹かれてしまうのね。
私はそういう祥吾が好きだったし、あなたのこと、雨情のことも好きよ。
だからふたりが結婚してくれたら、きっと倖せになれるわ。
それは保証できる。
だって、あなたたちは私の青春の全てなんだもの。

ねえお願いよ。



お葬式は小さな、そっけないものだった。
私を家まで迎えに来てくれた祥吾は、少し痩せた気がした。

「リイヤ、今までありがとう」
遺影は素晴らしく、貧弱なものだった。
ただ、生きていたという事実を伝えるだけに存在しているような。
笑顔の素敵だったリイヤじゃなくて。

「元々は暗い人間だったって言っていましたよ」
「じゃああの写真は本物の、リイヤなの」

バタンと音を立ててリイヤのお父さんが入ってきたのには、私も祥吾も覚悟していた。
学生結婚なんぞしおって、娘をこんな目に遭わせやがって。
そう、罵られるのだと覚悟していた。

でも。

「祥吾君、ありがとうな、ありがとうな」
それは夏の終わり、長く伸びた影に少しだけやつれた父親の姿だった。
「君が雨情さんかい」
「ええ」
「ありがとうな、里依は倖せだった、そうわかるんだよ」

リイヤのお父さんはずっと頭を下げ続けた。
何だか、萎縮してしまう。

「お腹の中に子供がいたんだそうだ」
え、と祥吾が驚く。
「祥吾君の子供だったと、そう信じているがね」

帰り道、祥吾は終始だまりきりだった。
私も何も言わなかった。
ただ、初めて着た礼服を眺めていた。

そういう、お葬式だった。


「まだまだ僕は子供だったようですね」
ぽつりと、彼は言う。
私は頷くこともせず、ただリイヤの笑顔ばかり思い出していた。

これから、どうすればいいのかを考えていた。

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更新日
登録日
2015-09-15

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  1. あなたのことを、いつまでも想っています。
  2. 筒浦祥吾
  3. 私は17歳
  4. 学生結婚、リイヤと祥吾
  5. 高校に通う
  6. 子供子供しいの