鬼姫吟味書付

わろし

初めてお目にかかります。
わろしと申します。

第22回電撃大賞にオハラヒトシ名義にて応募し、2次で落選した作品です。画面でも読みやすいよう改行を入れますが、基本的には応募作そのままです。

こちらでも連載しています。ご笑読いただければ幸いです。
http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=199595

今後とも、よろしくお願い致します。

手厳しくご批判など頂ければなお幸いです。

プロローグ

 むせ返るような血の匂いが、湿気の多い屋敷に立ち込めていた。
 暗がりに横たわる死体は、すべて心臓をひと突きにされている。

 その傍らに、がっくりと膝をつく若者がいた。


「私は―――なんてことを―――」


 ひゅっ―――。

 と、部屋の片隅で風を斬る音がした。
 刀を振って血を払ったのは浪人風の侍だった。

 この凄惨な現場に平然とたたずんで、むしろ、かすかな微笑さえ浮かべている。
 死体は店主から奉公人までざっと二十人余。最後のひとりまで物音ひとつたてずに殺された。
 すべてこの男の仕業なら、相当な使い手ということになる。

 闇のなかを、男が小走りに寄ってきた。


「先生、すべて積み込みましたぜ」
「ふむ―――いかほどであった」
「へへ、ざっと三千両は下りませんよ」


 浪人は、うちひしがれる若者に声をかけた。


「聞いたか、おぬしの手柄だ」
「私の―――?」


 浪人を見あげる若者の目は、すでに尋常の色ではなかった。


「先生、こいつは―――」
「ふむ。もういかぬか」


 浪人は心を動かしたそぶりもなく、


「仕方なかろう」
「あとで口を割られても面倒でさ」
「いかにも―――おい」


 そう呼びかけると、


「どれ、早速だが報酬をやろう。おぬしが待ちわびたものだ。はずんでおくぞ」
「お―――おお、おお!」


 しかし―――。
 若者が這い寄った瞬間、ころりとその首が落ちた。


「おみごと―――」
「なに、こんなもの、斬ったうちにも入らんさ」
「いやいや。いつ見ても、ぞっとしまさあ」


 浪人はぱちりと刀を鞘におさめた。
 首を刎ねたられた胴体から、おびただしい血がほとばしる。
 しかしその亡骸は、這いつくばった姿勢のまま動かなかった。


「へっ。野郎、首を刎ねられたことも気づいちゃいませんぜ」
「ふん」
「見なせえ、いまごろ胴が倒れていきやがら」


 だが浪人は、目もくれようとしない。


「どれ、引き上げよう。そろそろ夜が明ける」
「おっと、いけねえ。先生との仕事はこれだから」


 と、頭をかきながら、


「先生、まだ小雨が降ってますぜ。ついでに傘も失敬していきましょうや


 配下の男は口を歪めて笑った。


「どうせもう、こいつらにゃ要らねえんだから」

一 豆腐小鉢

 善八は仕込みに入っていた。

 彼は本所で小料理屋をいとなんでいる。
 料理屋といっても土間に椅子が三脚だけで、その奥には寝床をかねた四畳半の小座敷がある、ごく小さな店だった。

 鈍重にみえる善八だが、実は器用だった。
 見かけによらず、ちまちまと手が動いて、ありあわせの材料で、それなりの料理をこしらえてしまう。


「皿が上等なら、日本橋の料亭でも通用する―――」


 か、どうかはわからない。
 なにしろ客は、日銭をにぎって呑みにくる職人ばかりで、料亭の味など誰も知らないのだ。
 常連はそんな職人ばかりだが、ひとり、例外がいるといえばいた。


「善八。善八はいるか」


 昨夜からの雨もあがった昼下がり、その例外がやってきた。
 いるもいないも、この店は善八がひとりでやっているので、いないことには店があかない。
 彼女なりの挨拶なのだろう。

 彼女―――齢は十を二つ三つ、こえたくらいだろうか。今日は町娘の姿をしている。


「初栄さま―――また、そのような格好をされて―――」
「にあうであろう?」
「お父上がお嘆きかと」
「にあわぬと申すか?」
「い、いえ、そんなことは」
「ならば、よい」


 初栄と呼ばれた少女は、土間の椅子に腰かけた。


「何をつくっている?」
「へえ。豆腐にかける、くず餡でして」
「たべる」
「は、初栄さまの、お口に入れるようなものでは」
「いいから出せ。空腹なのだ」


 やむなく善八は、土鍋に豆腐を入れた。
 別の小鍋に、細切りの筍と三河島の菜、唐辛子を少々、それに酒、みりん、醤油で薄味をつけ、溶いた葛粉でとろみをつけた餡がある。
 頃合いみて、くず餡を豆腐にかけまわし、おろしショウガをそえて、なるべくヒビが入ってない小皿にのせ、両手をそえて差し出した。


「ふむ。ウマい」


 初栄はモグモグとやりながら、


「濃厚な豆腐の滋味もさることながら、唐辛子のぴりとした刺激がまた心地よい。善八、また腕をあげたな」
「へえ。おそれいります」
「酒などあれば、もっとウマいのだが」
「そ、それだけはいけません」
「わかっておる。酔って帰れば、さすがの母上もゆるすまい」
「お父上に知れれば、私の首がとびます」


 善八が首をすくめたのも、大袈裟ではない。
 初栄の父親である池田播磨守は、ときの南町奉行をつとめていた。
 奉行所は八丁堀にあるが、家族は郊外の本邸でくらしている。
 しかし娘の初栄には、しょっちゅう窮屈な屋敷を抜け出してしまうという、困ったクセがあった。


「千冬さまも、おかわいそうに―――」


 池田播磨守には、佐々木某という老同心がいる。千冬はその娘だった。
 父と同じく神林流抜刀術のつかい手であり、その達人だという。
 彼女は池田播磨守より、本邸にすむ家族の警護をおおせつかっている。
 その目を盗んでほっつき歩く初栄が、職務上、千冬の悩みのタネだった。
 なにしろ、初栄の身に「万一のこと」があれば、父娘ともども切腹を覚悟しなければならない。
 善八は、初栄をさがして市中を駆けまわる女剣士が、気の毒でならなかった。


「千冬には悪いが、やむをえぬ理由があるのだ」


 初栄はすまして、そんなことを言う。


「それは、もしかして」
「ちと母上のお申し付けでな」


 やはり―――。

 この娘にして、この母あり。
 町奉行の奥方は、やんちゃ娘がそのまま成人したような人柄だった。
 さすがにみずから出歩くようなことは慎むが、何かあると娘にあれこれと指令をだして、こっそり屋敷から送り出してしまう。
 母娘ともども、困った女たちではあった。


「お調べごとでございますか」
「置網町の十手持ちが、同ちと面白そうなハナシをもってきたのだが、同心がとりあわなかったそうでな」
「そこに、首をつっこんでいかれると」
「いちいち、うるさい言い方をするやつだの。いいから一緒に来るのだ」
「えっ、私もでございますか」
「あたり前だ。私になにかあれば千冬は切腹だぞ。それでもよいのか」
「そんな、ご無体な―――」


 善八は半べそをかいて、


「初栄さまが、初栄さまをお護りする千冬さまを人質にとって、関係のない私をつかまえて脅すなんて、もう頭がこんがらがって何が何やら」
「ええ、つべこべと女のような。来るのか、来んのか」
「ああ、もう、いきます、いきますとも。ああ、でも、仕込みがもったいない。せっかくこしらえたのに、もったいないなあ」
「心配いたすな。あとで同心をまとめてよこす」
「ええッ!」


 いかつい同心が、狭い店にあふれては、ほかの客が寄りつかなくなる。


「それはあまりに、あんまりで―――」


 とうとう、善八は泣き出してしまった。

二 姉御親分

 岡っ引きは、江戸の町における、公然とした非公式の役職だった。
 なにか事件があれば、情報収集にあたる。
 小さなイザコザは、自分の裁量で解決してしまう。
 それでいて、町奉行から給料がでるわけではなかった。

 だから、たいていお役目とは別に副業をもっており、それは小間物屋や煙草屋など、小体な商家であることが多い。
 役職に収入がない以上、むしろ、そちらが本業であるともいえる。
 もっとも、商いは女房にまかせてしまうのがほとんどで、当人はあくまで、お役目をうけた岡っ引きとして、市中にニラミをきかせているのだった。
 いわば、地域の「顔役」といったところで、


「○○町の親分」


 などと呼ばれていたが、


「八丁堀の旦那には、申し上げたんですがね―――」


 と、今回ばかりは置網町の親分こと、律も困惑の態だった。

 無理もない。

 このところ強盗が相次ぎ、もう四件もの商家が、みなごろしの憂き目にあっていた。
 同心はもちろん、岡っ引き、下っ引きまで総動員がかかっている。

 昨夜も、律は思いつくところがあり、夕暮れに家をでた。
 結局たいした収穫もなく、今朝になって長屋にかえったところ、


「ちょっと姐さん。たいへん、たいへん」


 小間物屋をまかせてある、女房役のお染が飛び出してきた。
 何ごとかと思えば、噂にきく町奉行の娘が、待ちかねているという。
 あわてて雪駄を脱ぎ散らかし、


「こいつはどうも、おまたせをしちまって」


 と会ってみれば、まだ年端もいかない子供だった。
 律は思わずポカンとして、


「さあ話してみるがよい」


 と言われてみても、どうしていいかわからない。

 町奉行の身内といえば、律にとっては、雲の上の存在ではある。
 とはいえ、目の前にいるのはほんの子供。
 お供といえば、なんともニブそうなデクノボウがひとり。


(ここは説教のひとつもしてやって、屋敷まで送ってやるほうが、いいのではないか―――)


 そんなことまで考えていた。


「ふん」


 初栄は、片目をつぶって首をかしげた。
 なにか考えているときのクセだった。


「ところで、親分」
「親分だなんて―――リツと呼んで下せえ」
「そそっかしい駕籠かきだったようだの」
「は?」
「が、役目柄とはいえ、ほどほどにしておくがよい。と、思うがの」
「え?え?」
「昨夜の話よ」


 律は、ぎょっとした。


「はは―――何のことでございやしょう」
「ここで言うてもよいかの」


 律は、あわててお染に用事をいいつけ、外に出してしまい、


「へへ、冗談は勘弁してくださいまし」


 そう言いながら、めまぐるしく記憶をたどった。


(どこかに、ぬかりがあったか?)


 朝一番にひとっ風呂あびた。
 胸にしっかりとサラシを巻きなおした。
 きつめの股引きに尻と腰とを押しこんだ。
 締めた帯に十手をぶちこんだ。
 カンペキ。いつも通り。

 乱れなど、どこにもないはずだ―――まして、白粉の残り香など。
 ところが、初栄はみつけていた。


「親分。かえってきたときに、足を洗わなんだの」
「はあ」
「昨夜は雨が降っていたのに、雪駄や股引きに泥がついておらぬ」
「あっ」
「どこぞ、はやばやと上がりこんだとみえるが」
「そ、それは」
「雪駄や股引きは汚れておらぬが、サラシの胸元には、泥の飛沫が跳んでおる」
「え?―――これは、その」
「おそらく、そそっかしい駕籠かきが、蹴あげたのであろ」
「うう―――」
「さて。親分が出入りに、わざわざ駕籠をつかうのは、どこであろうの」


 あわれ律。
 すっかりパニクって、言葉もでない。


「鉄火な姐御と音にきく置網町の親分も、廓に通うは、さすがに人目をはばかるか」
「い、いや」
「ほれ親分。肩に、ながい髪の毛が」
「なな、な―――」


 律は両手をついた。


「お、おそれ入りましてございます」
「あたったかの」
「へえ。たいそうな目利きという、噂は本当でございました」
「いや、最後のは冗談じゃ。ゆるしてたも」


 初栄は、にっと笑って、


「置網町の親分は切れ者ときく。凶賊の跋扈する折も折、ただ遊んでいるワケでもなかろうと思ったまでよ。それに―――」


 と、すこし声をひそめ、


「さすがに私の知るところではないが、ああしたところの女人は、裏の世俗によく通じる、というからの」


 律はいまいちど、深々と頭をさげた。

三 若旦那の放蕩

 有名な吉原のほかにも、江戸には娼館があつまる歓楽街があった。

 岡場所と呼ぶのがそれである。
 庶民にとってはリーズナブルな遊び場ではある。
 だが同時に、犯罪者にとっては、いい隠れ場所だった。

 だから、幕府としては公営の吉原と四宿(品川、板橋、千住、新宿)ていどにとどめたい。
 が、それも、ままならないのが悩みの種で、いつの時代も歓楽街の連中はしぶとく、なんど追い払っても、いつの間にか帰ってきてしまう。

 それは、それとして―――。

 律のような稼業にとっては、こうした連中の扱いは、腕の見せどころでもあった。
 日ごろから手なずけておけば、いざという時の情報源になる。

 捜索もはかどらないなか、江戸を騒がす連続強盗について、噂のひとつでも転がってやしないかと、なじみの遊女をたずねたのだったが―――。

 もちろんそこは、ただ話をしただけ、というわけでもなく。


「どうか、お染には、ひとつ内緒に」


 ズバリ当てられて、すっかり参った律は、


「あれで、けっこう嫉妬ぶかいんでさ」
「それはよいが、同心に報告した例の件は、話してくれる気になったかの」
「へえ、そりゃもう」


 と、語りはじめたのだった。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「八幡町に、富岡屋という呉服屋がございます」
「ふむ。たいそう繁盛しているそうだの」
「そりゃあもう。先代までは、ほんの小商いでしたが、三代目が店を建て増したところ、これがあたりまして」
「ほう」
「いまでは、京からも反物を仕入れている、なかなかの大店となっております。ところが、そうなるとツキモノなのが、不肖の倅というやつで―――」


 話の続きはこうだった。
 富岡屋のあと継ぎを、伝一郎という。いたってマジメな若者だそうだ。

 ただ、このごろ夜遊びを嗜むようになった。それで、ときどき朝帰りをする。
 朝帰りをしても、さすがに若いだけあって、仕事はいつも通りにこなす。

 それどころか、夜通し遊んだあとは、妙に陽気で機嫌がよい。
 それが二日も三日も続くので、すこし気味が悪いほどだった。
 とりあえずということで、番頭が相談をもちかけたが、


「遊ぶことも、ちゃんと覚えなきゃあ、いい商人になれやしないさ」


 という富岡屋・当代店主の判断もあり、しばらく見ぬふりをすることにした。
 それから半年ほどは、なにごともなかった。

 ところが、ある日のこと―――。
 とうとう羽目をはずしすぎたのか、朝になっても伝一郎の姿が見えない。
 どうしたことかと案じていると、昼頃になって、ふらつきながら帰ってきた。
 番頭は、ここがクギのさしどころ、と胆をきめて、


「若旦那。いったい、どこへ行かれていたんです」


 と、詰め寄った。
 伝一郎は青い顔をして、うつむくばかりだった。


「いいえ、だんまりは通しません」


 どうせバクチで大負けしたか、女にでもフラれたんだろうと、内心では苦笑しながら、


「いまに、若旦那がいないと、店がまわらないって日もくるんです。さあ、おっしゃっていただきますよ。どこで何をされていたんです」


 番頭はなおも、こんこんと説教をしたそうだ。
 さすがにこたえたのか、伝一郎はしおれきっていたという。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「ふむ。結局、どこに行っていたのであろうの」


 初栄は片目をつむり、小首をかしげながら訊いた。


「さあ、それだけは、どうしても口を割らなかったそうで」
「伝一郎は、隠しごとをする性分だったかの」
「いえ、きいた話じゃ、いたって正直なヤツのようなんですがね」
「ふむ」
「ケンカで青アザをこしらえたときも、これこれしかじかと、そうなったわけをきっちり説明したようですぜ」
「なるほどの。話の腰を折ってわるかった。つづけてほしい」
「実は、こっからが、おかしな話なんでさあ」


と、律は声をひそめた。

四 津軽、津軽

 朝帰りならぬ昼帰りをやらかして、こってり絞られた伝一郎。
 そのおかげか、それからは夜遊びもやめていた。
 番頭以下、皆も胸をなでおろしていたのだが―――。

 やはり、どうも様子がおかしい。


「あの、どこか、お悪いんですか」


 そう呼びかけられても上の空。
 三度目にやっと気づいて、


「えっ?な、なんでしょう?」


 と、慌てふためくというありさま。

 いつも、そわそわと落ちちきなく、食事もろくにノドを通らない。
 寝ていても急に叫んで跳ねおきるといった具合で、やはり医者でも呼ぼうか、と話をしていた矢先に―――。

 ふい、と姿を消してしまった。

 しかも、今度はただの夜遊びではない。
 熱をだした手代にかわって集金にいき、そのまま売掛金もろとも消えたのだ。


「あきれたやつめ」


 さすがの当代も頭から湯気をたて、


「これからはもう、親でも子でもない。番頭さん、これはもう決めたことだよ」


 と、勘当を宣言した。

 だが、とりあえず放っておくわけにもいかない。
 慌ててその日は看板をおろし、皆で手分けして探すことにした。
 なにしろ店の評判にかかわることなので、大っぴらに訪ねてまわるわけにもいかない。

 だが、そこは番頭もかつては若い衆、すこしは遊んだクチである。
 昔の仲間から、口のかたいのをえらんで、


「まあ、どうせ賭場か岡場所だとは思うが、ひとつ、みつけておくれ」


 と、小判をにぎらせた。
 だが、それでも伝一郎はみつからない。
 よもやと思い、沼や池まで見まわったが、


「はて、どこへ行ったものか―――」


 そう首をかしげるしかなかった。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


「こっからは、私がじかに見聞きした話になりやす」


 律はエヘンと咳払いをした。


「ふむ。富岡屋から届けがあったのだな」
「左様で。看板に傷がつかぬよう、内密にさがせぬか、と頭を下げられました」
「ふむ」
「そこで、まあその、ちょいとひと肌、脱いだわけでして」
「冨岡ほどの大店となれば『付け届け』も楽しみというわけだの」
「姫さんにゃ、かないませんや」


 岡っ引きに給料はない。
 ただ、裕福な町人からは、たまに金銭が贈られて、貴重な収入になった。
 これを『付け届け』という。
 賄賂というほどの目的はないが、謝礼というほど理由が定かでもない、いわばグレーゾーンの贈答金だった。


「いや、こちとら金で目があいたり、つむったりする外道じゃありませんぜ」
「親分のことだ。そうであろう」
「まあ人捜しくらいなら、きいてやってもと思ったまででさ」
「で、どこから手をつけたかの」
「縁日で、伝一郎にそっくりなやつが、婆さんがさげてる巾着を、かっぱらったって話にしときました」


 初栄は吹きだした。


「なるほど。きいたか善八、さすが置網町の親分だ」
「おだてちゃいけません」
「で、伝一郎によく似たスリを見なかったかと、自身番にふれまわったのだな」


 自身番は、こんにちでいう交番のようなものだが、そこに詰めているのは、警官ではなく町人自身だったので『自身番』といった。


「姫さんは話が早いや」


 出会って早々に心服してしまった律は、初栄に『姫さん』とあだ名をつけたらしい。


「伝の字も迷惑してるから、そいつを見かけたら、すぐ知らせてくれ―――そう言ってまわりました」
「しかし、本人なら見たが―――とは、誰もいわなんだかの」
「そうなんでさ。いったい、どこへ消えちまったんだか」


 と、いかにも悔しげに、


「ところが野郎、三日目の晩になって、ひょっこり帰ってくるんだから馬鹿にしてやがら」


 その姿というのが、すごかったらしい。

 ほつれて逆毛立った髪。
 だらしなく伸びた髭。
 ぎょろりと落ちくぼんだ両眼。
 半開きの口からヨダレ。
 はだけた、ぼろぼろの着物。

 そんな伝一郎が、すり傷だらけの裸足で、店先に立っていたのだという。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *


「まあ、乗りかかった船ですから、あっしもすぐに駆けつけました」


 目立たないよう裏から入った律は、伝一郎が寝ている離れに通されたという。


「ああいうのを、半死半生っていうんですかね」


 律は腕組みをして、


「さすがに着替えちゃいましたが、もう目の前にいる相手も、よくわからねえような有り様で、ぼんやり天井を見上げてたと思うと、急に跳ね起きて出て行こうとする。押さえつけても泣くやら、わめくやら。からっ傘みてえに痩せほそってるくせしやがって、いやに馬鹿力なもんだから、こちらも骨が折れました」
「何か言ってはなかったかの。どこに行っていたとか」
「それが、さっぱり要領を得ないんで。ただ時々『津軽、津軽』とうわ言みてえのを言ってましたが」
「津軽―――?」


 さすがの初栄も怪訝な顔で、


「みちのくの津軽のことかの」


 言うまでもないが『みちのく』は、こんにちの青森県西部にあたる。


「さあ、そう思うんですがね。薮から棒に津軽と言われても、三日で行ってこれるわけじゃないが、まあ他に手掛かりもねえもんですから、とりあえずは街道筋は、あたってみましたが」
「なにも出てこなんだかの」
「板橋どころか本郷でも、伝一郎を見かけた奴はいませんでした」
「津軽に縁のある親戚とか、知り合いは?」
「富岡の初代は近江だそうで、江戸より北に縁のある奴は、いねえって話です」
「ふむ」


 初栄が考えこんだときだった。


「親分、てえへんだァ!」


 律の配下である下っ引きが、挨拶もはしょって駆けこんできた。


「なんだ熊公、朝っぱらから騒々しい。客がいるのが見えねえのか」
「おっと、いけねえ。こいつは、とんだ失礼を」
「まあ、来ちまったもんは仕方ねえ。どうした、何があったんだ」
「そいつ、そのことよ。親分、富岡に、富岡屋に―――」
「なんだ。あの馬鹿が、また津軽にでも、いっちまいやがったか」
「そうじゃねえ。富岡屋に、例の押し込みが入りやがった」
「な、なに?」


 律が思わず腰を浮かせた。

五 みな殺し

「よりにもよって、おいらの縄張りで、しかも、つい最近かかわった店で、ふざけたマネをしてくれやがって」


 律は目を真っ赤にして、


「こいつは世間様に申し訳がたたねえ。どうあっても引っつかまえて、お白州なんて、まだるっこしいことに及ばねえ。この置網町の律が、冥土の道連れにしてやらあ」


 などと、物騒なことをいいだしている。
 そんな律をなだめながら、初栄が下っ引きに質問をしようとすると、


「だれでえ、このガキは」


 すかさず律が、凄まじい怒声をとばした。


「あいすみません。どうにもこうにも、世間を知らねえ馬鹿ときてやがるんで」
「そう叱るものではない。子供は子供だからの。では、あらためて訊ねるが」
「へえ。奉行様のお姫様に、まことに失礼をしましたです。あっしみたいな下っ引風情の話が、役にたちゃいいんですが」
「そう、へりくだらずともよい」


 初栄は善八を横目でみながら、


「さむらいだの町人だの、そのように生まれついただけのことだ」
「こいつは、どうも―――あんまり、穏やかじゃねえことを」
「本当のことだ。げんに七、八年ばかり昔、浦賀にきた黒船のペルリ(ペリー)とやらは、さむらいでもないのに、たいそう威張っていたというではないか」


 下っ引きは困惑した顔をして、


「へえ。あっしは、よく知りませんで、なんとも」
「清国といくさをして勝った『えげれす』にも、さむらいは、おらぬという」
「そうなんで。そいつは、どうも」
「黒船にのった異国人が、大手を振って東洋を行き交っておるのに、なにもできないさむらいが、陸で威張ってばかりいるのも、ばからしいことだの」
「ちょ、ちょ、初栄さま、滅多なことを」


 たまらず善八が、とめにはいった。


「まあ、よい。熊とやら、知っているかぎりを話してもらいたいが」
「へえ、なんなりと」
「盗まれたのは、どのくらいかの」
「へえ、土蔵から千両箱が、少くともみっつ、なくなってるそうでございます」
「少くとも、とは?」
「へえ、一昨年に暖簾をわけたっていう元の番頭が、駆けつけまして」
「ふむ」
「そいつが言うには、蔵に千両箱みっつを切ったことがねえんだそうで、そいつが綺麗さっぱり消えている、と」
「千両箱が消えた―――」


 初栄は片目をつむり、小首をかしげた。
 どうやら、考えるときのクセらしい。


「土蔵には錠がかけられていようが」
「へえ、熊の手みてえにでかい南京錠が、かけられていたそうでして」
「それを、どうやって開けたのであろう。壊して強引に、こじ開けたか」
「いえ、どうやら鍵を探しだしたようでして」
「鍵はどこに?」
「店主が保管していたようですが、みつかったときには、カラになった土蔵の前に落ちていたそうです」
「うむ―――伝一郎も、やはり殺されたかの」
「へえ、こう首を後ろから、スッパリやられたと聞きやした」
「首を刎ねられたのか。では、寝ていたわけではないのだな」
「へえ、言われてみれば、そうなりますね」
「喋りだすときに、毎回『へえ』と言わずともよい」
「へえ―――おっと」
「まあ、よい。他の者も、同じようにして殺されたかの」
「いえ、みんな寝ていたところを心臓ひと突き、でして」
「みんなそうか」
「へえ、同じエモノだと。なんでも傷跡と深さからみて、匕首みてえな短い刃物じゃなく、八丁堀の旦那方みてえな二本差しの長えほうだろう、って話でした」
「ふむ」
「なかには背中まで刺し通されちまってるホトケもいたそうで、並大抵の腕じゃないと、旦那方も唸ってましたっけ」
「で、あろうの」


 日本刀は扱いがむずかしく、素人がつかうと、すぐに刃がこぼれて斬れなくなる。
 また、男ひとりの首を一刀のもとに刎ねるのも、相当な技術と腕力がないと、できることではない。
 賊の一味に、かなりの手練れがいるのは、間違いないようだった。
 これは、このところ立て続けに起きている、連続強盗の特徴とも一致する。


「実はこれまでの事件にも、殺められた人々にかならずひとり、伝一郎と同じく、他とは違う殺され方をした者がいるのだ」
「本当ですかい」


 と、律が身をのりだした。


「うむ、親分は縄張りちがいで知るまいが、佃町の旅籠・田丸屋では、やはり跡継ぎが袈裟がけに斬られ、三河町の茶問屋・吉乃屋善治郎では、若くして暖簾を継いだ三代目当主が、肩口から腰のあたりをやられている」
「ちっ、むごいことをしやがる」
「漆器商の亀岡屋にいたっては、店主の三男が行方知れずとなり、三日して新川に浮いているのがみつかった。腕に抵抗したとみられる刀痕があったそうだ」
「ううむ―――旅籠や茶問屋でも、他のホトケさんは、みんな寝てるところをひと突き、でございますか」
「うむ」
「よし、だいたい読めてきたぜ」


 律が膝をたたいた。


「伝の字はじめ、違う殺され方をした連中は、よくねえやつらの恨みをかっていたに違えねえ。そいつらに三日ばかりいたぶられて、這う這うの態で逃げたはいいが、とうとう家をつきとめられたんだ」
「ほう。そうみるかの」
「でなきゃ伝一郎達だけが、違う殺され方ってのに合点がいかねえ」


 律は続けた。


「しばらく様子がおかしかったのは、悪いやつらに脅えてやがったんだな。聞いてみりゃあ、伝一郎にしろ茶問屋にしろ、若い連中ばかりじゃねえか。そいつら、どっかでつるんでたんじゃねえか」
「さすがは親分だの。目のつけどころがいい」
「それで悪いやつらと悶着をおこし、恨みをかって殺られたんだろうぜ。家族や使用人はその巻き添えだ」
「いや、そこは恨まれたのではなく、ただ目をつけられただけであろうな」


 初栄は腕を組みなおして、


「いたぶられてもおるまい。むしろ大事にされたはずだ。脅えていたのでもなかろう。ことによると、その逆かもしれぬ」
「大事にされたやつが、ぼろ雑巾みてえな半死半生になって、帰ってきたっていうんですかい?」
「うむ」
「疑うわけじゃあありませんが、いったいどんな筋書きなのか、教えてくださいませんかね」
「そうしたいところだが、ちと急ぐ。あとで説明するゆえ、さきに江戸市中の地図を貸してもらえぬか」
「地図、ですかい?」


 律は怪訝な顔をしたが、


「見そこなっちゃいけません。あっしが地図みてえなもんで」


 と胸をはった。


「では次のような条件で見つくろってぬか。

 ・富岡屋より一里から一里半。
 ・山谷堀に臨むか程近く。
 ・少なくとも土蔵か穴蔵がふたつ。
 ・奄美や薩摩の黒砂糖ではなく唐物(輸入品)の白砂糖を扱う。
 ・それでいて商いは昔より下火になっている。

 このうち三つ以上あてはまる薬種問屋に、心あたりはあるかの」


 今度は律が腕組みをする番だった。


「薬種問屋、でございますか」
「断言できぬが、蘭方医とつきあいがあるやもしれん」


 蘭とはオランダをさす。
 この時代、中国伝来の漢方が医学の中心ではあった。
 一方、長崎・出島のオランダ商館が西洋医学を日本につたえ、これを蘭方医学、略して蘭方という。
『解体新書』より八十年。蘭方への感心も、たかまりつつあった。


「それでしたら―――仁河町の楠屋」
「ふむ。それから?」
「張方町の豊後屋」
「あとは甲西町の市川屋といったところが思い当たりますが」
「近いのは?」
「市川屋、楠屋、豊後屋の順で」
「さすが親分。よし、日暮れまでの勝負だ。善八、背負え」


 言いながら、初栄は立ちがった。

六 馬と迷子

 初江は、ふたりを急ぎに急がせた。
 律も日頃から健脚を自慢にしていたが、


「こいつは、また―――」


 子供とはいえ、人ひとり背負った善八の足腰には、舌を巻くしかなかった。


(こいつ、馬なんじゃねえか)


 呆れかえるほかはない。
 なにしろ、ついて行くのがやっとなのだ。
 ともあれ、急いだ甲斐あって、ほどなくして市川屋に着いた。
 なるほど、大店の名に恥じない店構えではある。


「さて」


 初栄は、店構えから裏木戸までぐるりと見てまわった。
 屋敷の裏手は山谷堀にあたり、舟をつけられるようになっている。

 薬種問屋の多くは砂糖商もかねており、どちらも江戸後期まで輸入に頼っていたので、長崎、大坂を経由して江戸に運び入れていた。
 江戸に着くと、大型の廻船から小舟に積みかえて、運河をつかうことになる。
 そうなると舟着き場は、自前のをもつか、近いほうがよい。


「ふむ」


 初栄は、塀の向こうに白壁の蔵が見える場所で、立ち止まった。


「ここしかあるまい。善八、また背を貸してくれるかの」
「どうなさるんで」
「肩の上に立って、壁の向こうを覗く」


 こともなげに言う。
 善八は渋ったが、


「急ぐと言うておろうがの!」


 一喝されて、渋々、壁際に身を屈めた。
 ところが、身をかがめた善八の肩にのった初江は、立ちあがるさいの反動を利用して、


「ゆるせよ」


 と、そのままひょいと壁を越えてしまったのである。


「あっ」


 見あげたが、もう遅い。
 うろたえる善八だが、幸いにも、さほど長くはかからなかった。
 ほどなくして壁のむこうから、


「うわあぁぁぁん―――」


 と、子供の泣き声が聞こえた。
 裏木戸へ突進した善八が、戸を壊さんばかりに叩きまくると、やがて男が初栄の手を引いて、


「まったく、どこから入り込んだんだか。困りますよ、本当に」


 ポロポロと涙をこぼし、大きな口をあけて泣きじゃくる初栄は、驚くほど幼く見える。


「まったく、迷子になるような子から、目をはなすからですよ」
「まあまあ、そのくらいにしといてやんな」


 律が仲裁に入った。


「おいらは、置網町で十手を預かる律ってもんだ」
「ああ―――お噂はかねがね」
「こいつら親子には、この俺がようく言ってきかせるよ、今日のところは、それで勘弁してやってくれねえか」
「まあ、親分さんがそうおっしゃるなら―――」


 ぶつぶつ言いながら男が戸が閉めると、初栄は途端にけろりとして、


「シロだった。ここは違う。つぎは楠屋であったな」


 と、またもや善八の背に飛びのった。


「いやはや、こいつはまったく、たいした姫さんだ」


 苦笑しながら律も走りだす。


「時に親分。実に時宜をえた仲裁で、時を稼げてたすかった」
「そいつは何よりでした」
「しかし親子はないであろう」
「はあ、そうですかね」


 年格好からすれば、親子でちょうどいいだろう、とは思うが、


「じゃあ、次はどう言っておきましょうかね」
「兄妹ということにしておる」


 むせかえるほど律が笑うので、さすがの初栄も憮然とした。

七 もののふ

 楠屋の店構えは市川屋に負けず、なかなかの豪商にみえる。
 しかし、ぐるりと見てまわった初江は、


「くさい」


 と、緊張の面持ちを強めた。


「俺じゃねえですぜ。なあ善の字、お前、やったか?」


 善八は尻をおさえて首を振る。


「ちがう」


 初栄は小声で、


「往来にふたり。路地にもふたり。それ、そこの男も―――顔を向けるな。目だけで見よ」


 初江の言う方角には男がひとり、風呂敷包みを背にウロウロしている。


「あの野郎がなにか」
「袖口に入れ墨が見える」
「あ―――なるほど、こいつはくせえや」


 律は合点して、


「どうします。ちょいと締め上げますか」
「いや、あやつらはただの見張りだ。相手をしている暇はない」


 言いつつ横目で善八を見るが、答えはもちろん、


「いけません。今度は肩も駄目です、初江さま」


 と、善八が珍しくきっぱり断った、そのとき―――。


「ぐあっ」


 と、善八がもんどりうって倒れた。
 一瞬、身構えた初栄と律だったが、相手の姿をみとめると、


「なんだ。おぬしか」


 そう言って、初栄は緊張を解いた。
 それは大小を差した若い女だった。
 しかも精悍な顔つき、隙のない佇まい、さらには動作のひとつひとつが機敏でムダのない『もののふ』である。
 ただ、散々、走り回ったとみえて、さすがに肩で息をしていた。
 老同心・佐々木のひとり娘にして、神林流抜刀術の達人、千冬にほかならない。

 千冬は陽炎のような怒気を、全身からたちのぼらせている。
 初栄が声をかけた。


「千冬。不意打ちは、さむらいのすることではないぞ」
「初栄さまをかどわかす、不埒な輩には、これで充分でござる」
「私が連れだしたのだ。千冬の当て身をまともにもらっては、善八も堪るまい」
「禽獣のごとき奴と思えばこそ。相手が人なら、斬り捨ててござる」


 千冬は、地べたで身悶える善八をひと睨みすると、律に目をうつした。
 さすがの親分も身をすくませている。


「こやつは?」
「置網町の親分だ。手伝ってもらっている」
「同心のマネゴトはやめて、お屋敷に帰るのです」
「そうはいかん。件の押し込みまであと一歩なのだ」
「お戯れを」
「そうだ。どのみち善八が頑固なので、どうやって入り込むか思案していたが、千冬がいるなら話が早い」


 そう言った初江が、くるりと白目を剥いて、その場に倒れ込んだ。


「初江さま!」


 悶絶していた善八が、よろめきながら立ち上がり、駆け寄った。


「ええい、貴様は手を触れるな!」
「姫さん!どうしたんですかい」


 見ると、初江は喘ぎながら、


「走り回ったせいで、どうも立ち眩みのようだ」
「いえ、走り回ったのは私―――痛てて」


 内股をつねられた善八が、口をつぐむ。


「千冬。少し休めば大丈夫だから、そこの薬種問屋で休ませてくれるよう、頼んでくれんかの。できれば気付けを少々、都合してくれると助かる」
「初江さま。本当に気分を悪くされたのでありましょうな?」
「これも、千冬の言いつけを守らなかったせいだ。反省しておる」


 あからさまな懐疑の目をむける千冬に、


「少し休めばきっと帰るが、このままでは帰らぬ人になるやもしれん。思えば、みじかい人生であった―――」
「こいつはいけねえ。おい善の字、そっち持て。おさむらいさん、こういう場合によくねえのは、お天道様の下に放っておくことですぜ」
「さらばだ、千冬―――父上と母上には、最期にひと目、会いたかったと伝えてたもれ。では、達者でな」
「ああ、もう!」


 憤然としながらも、千冬は立ちあがって、


「半時ほど休んだら、きっと帰るのですぞ!」


 そう言い残して、橘屋の暖簾をくぐっていった。


「へへ、うまくいきましたね。おさむらいに頼まれちゃあ、店のもんだって断れませんぜ。おまけに商売が商売ときてやがる。店先の病人を放っとくわけにゃ、いきませんや」


 律が、こっそり舌をだした。

八 花と傘

 店の者も数名でて、ぐったりした初江を座敷に運びこむと、よく肥えた男があらわれて、店主の橘屋庄右衛門と名のった。


「まことに、かたじけない」
「どういたしまして。薬売りの冥利につきるというものです」


 庄右衛門は、鷹揚に笑った。


「今でこそ、こうして店を構えておりますが、私どもも先祖は行李をせおった行商でしてな」
「さようか」
「病に苦しむ人々の、もとめに応じて薬をお分けする。この庄右衛門、やっと先祖に顔むけができる思いです」


 そう言いながら、庄右衛門はぽんぽんと手をうって、手代を呼んだ。
 手代が捧げる盆には、丸薬と水差しがのっている。
 初栄は、ふるえる指で薬を口にふくみ、水で流しこんだ。


「雨上がりに、この陽気ですからな。若い娘さんには堪らぬことでしょう」


 庭を見やりながら、庄右衛門が眩しそうに目を細めた。
 池端に咲く白い花に、あたたかい陽光が降りそそいでいる。
 昨夜の雨にさしたのか、雨傘をみっつ、土蔵の脇に広げて干していた。
 その向こうには、やや水かさを増した山谷堀が流れている。


「して。この娘さんとは、どういうご関係ですかな。失礼ながら、ご身分が違うように見うけられますが」


 にこやかな笑顔の下で、相手を探っている。
 それが商売人の習性なのか、それとも別の理由があるのか―――。
 まだ、この時はわかりかねた。


「うむ」


 千冬は渋い顔である。
 へたに素性を明かして、主君の家名が傷つくことを、おそれているのだろう。
 下座に座る律は、目だけで周囲を探っていた。
 襖の向こうに数人いて、物珍しそうに、こちらを覗いている。


「それがしは、池田播磨守の家臣にて、佐々木千冬と申す。散歩をしておったら、たまたま、この娘が行き倒れたところに出くわしたのだ」


 下手な嘘だが、すべてが嘘ではない。


「ほう。お知り合いでは、ないのでございますか」
「む、知り合いでは、ある」
「詮索するようで、何でございますが」
「うむ―――かつて世話になった方の、ご息女でな」


 どうにも、しどろもどろになってきて、


(こいつはいけねえ―――)


 と、律が首をすくめた時だった。
 初江がむくりと起き上がって、


「世話になったの」
「おや、もうよろしいので?」
「うむ。用事は済んだ」
「用事?」
「立派な津軽だの、主人」


 そう言って庭を指さす。
 庄右衛門の顔色が変わった。


「はて、何を言い出すやら」
「さすがのわたしも、凶行の証拠をこうも大胆に、庭先へ放り出してあろうとは、さすがに思わなんだわ」
「あの白い花は、たしかに芥子でございますが―――芥子など、今はそれほど珍しくはないというのに」
「語るに落ちたな、悪党め。しかし証拠というのは、そちらではない。親分、そこの雨傘を、一本、もって帰ろうか」


 それを聞いた律が、干してあった傘に気がついて、


「あッ!と、と、富岡屋ッ!」


 それは宣伝がてら、得意客にくばるものだろう。雨傘にはたしかに『富岡屋』の三文字と、屋号が描きこまれていた。


「ち、しまった」


 庄右衛門が舌打ちをした、その時―――。
 音もなく開いた襖から、浪人風の男が疾風のように駆け寄って、ものも言わずに腰の大刀を抜きはなった。

九 鬼の天分

 浪人は無言のまま、つむじ風のように襲いかかる。


「む!」


 目にも留まらず一閃した刃を、千冬が鞘で受けた。
 その寸前、善八は初江を抱えて、ひととびに庭まで跳んでいる。


「ほう。よく防いだな」
「こ、こやつらは―――」
「うかつだったな、庄右衛門どの」


 刃を押し返した千冬も庭に降り、慌てて続く律とともに、初栄を護るべく肩を並べた。
 屋敷の奥からは、見る間に三人、五人とあらわれて、短刀を手に庭の四人を囲みにかかる。
 いずれも商人の風体ではなく、ならず者のそれであった。
 その囲みを静かに割って、


「富岡屋の得意客だったとでも言えば、とりあえず、この場はしのげたかもしれんがね。もっとも―――」


 そう言いながら、浪人も庭におりてきた。


「その娘、呑んだとみせかけて、こっそり袂に丸薬を隠すなど、なかなか抜け目のないことだ」
「な、なんですと」
「おそらくは噂にきく、町奉行の娘だろう。子供ながら、おそろしく目端が利くと噂にきくが、なるほど侮れん」
「こやつらは、いったい―――」


 浪人は千冬をみた。


「鬼同心・佐々木といえば、その道で知らぬ者はいまいよ。その名を聞いただけで、江戸中の悪党どもは、眠れなくなるだろうさ」


 浪人は、刀の峰で肩を叩きながら、目を細めた。


「その娘もまた、神林流の達人という。さらに、その隣はにいる姐御は、置網町の十手持ちだろう。女だてらに、たいした親分だと評判だ。これだけ顔が揃って、ただの行き倒れもなかろう」
「密偵―――」
「まあ、斬り捨てるほか、ないだろうな」


 ところが、初栄は涼しい顔で、善八をちらりと見ながら、


「ふん。ひとり忘れておるわ」


 そう言うと、袂から丸薬をとりだして、


「ひそかに持ちかえり、漢方医にみせようかと思ったが、あからさまな証拠が庭にあるので、これも無駄になったの」


 と、池に投げてしまった。
 律は油断なく十手を構えながら、


「今のは、なんですかい?」
「一粒金丹の、まがい物でも扱ってはしないかと、思ったまでじゃ」


 当時の津軽藩が製造していた、芥子を主成分とする沈痛・強壮薬を『一粒金丹』といった。


「成分の割合がちがえば、独自に阿片を調合している、という証拠にもなろうがの。粗忽にも、富岡の雨傘などを持ちかえっているので、手間がはぶけた」
「アヘン―――アヘンってなんでしたかね?」
「まあ、そのあたりは、あとで話そう。親分はわたしの隣で、護っていてくれればよい。あとは善八と千冬が片づける。そこの浪人は、善八が相手いたせ」


 それを聞いて、及び腰の橘屋庄右衛門も、どうやら腹を据えたらしい。


「殺せ!けっして帰すでないぞ」


 途端に、ならず者が包囲をせばめて攻めかかる。
 千冬も、すかさず刀を抜きあわせた。
 左右から飛び込んでくるのを、


「う、うわっ!」
「ぎゃああッ!」


 と、瞬く間に三人、四人と切り伏せ、なおも息を乱さない。
 さすがは、神林流の免許皆伝。
 一方の善八は、奇妙な動きをみせていた。


「こいつぁ、どうなってんだ」


 律は目を疑った。


 丸腰の善八は、ただ歩いているだけに見える。
 まるで羽虫でも避けるように、ときおり、ひょいと上体を揺らすが、どうもそれだけの動きで、繰り出される刃を躱しているらしい。
 らしい、というのは、ならずもの達が善八の間合いに入ることもできず、誰もいない宙を突いては、つんのめっているからだ。
 何かの錯覚をおこしたのかと、律はなんども目をこすった。

 善八は、顔だけまっすぐ浪人に向けて、立ちどまるでも急ぐでもなく、ゆっくりと相手に近づいていく。
 その動きは、修行を積んだ武芸者のものではない。
 素人くさい足運びが、どうにも頼りないが、それでいて無駄がない。


 それを見ていた浪人が、


「思い出したぞ。姿が変わって気づかなかったが―――」


 と、殺気のこもる笑顔をみせた。


「長谷川―――そう、長谷川宣為。かの長谷川宣以の血を引く男だな」


 長谷川宣以。
 通称を長谷川平蔵という、火付盗賊改方として名高い『鬼平』が活躍した天明年間は、およそ七十年ほど昔になる。
 善八こと長谷川宣為は、平蔵からかぞえて四代目の子孫にあたった。


「その名は、捨てました」
「そのようだな。修行に耐えられず逐電し、家も勘当されたというが、どこでどうしていたのやら」
「おさむらい様には、かかわりのないことで」


 浪人はふん、と鼻を鳴らした。


「一度、手合わせをしたいと思っていた。そういう俺は―――」


 浪人が名乗りかけるのを、初栄が遮った。


「名のるな!畜生にも劣る外道の名など、我らに興味のないことだ」
「立ち合おうとする侍に、女子供が口を出すな」
「厚かましくも、まだ、さむらいのつもりか。貴様ごときは、白洲で裁かれ打ち首になろう。切腹など許されぬと思え」
「な、なんだと」
「嘘だと思うなら、善八に打ち込んでみることだ。ひとすじでも傷をつけたなら『さむらい』ということにしてやる」
「言わせておけば―――」


 怒り心頭の浪人が、中腰に身を沈めた。
 善八は、ぶらりと両手を垂らしたままである。


「貴様、剣は」
「それも昔、捨てました」
「おのれ、剣もいらぬ相手と言うか」
「いらぬ!」


 かわりに答えたのは初栄だった。


「少しばかり剣をかじっていい気になり、罪なき人々を手にかけた外道が貴様だ。本物の天賦の才を目に焼きつけ、驕りを恥じながら首を晒すがよい」


 もはや怒りで言葉もなくした浪人が、気合とともに地を蹴って、嵐のような一撃を善八に見舞った―――いや、見舞おうとした。


「!?」


 いつの間にか、相手が目と鼻の先にいた。
 飛び込むつもりが、飛び込まれたか―――それすらも理解できないうちに、顔の中心に拳を打ちこまれ、鼻骨が砕けていた。
 思わずのけぞって、がら空きになった脇腹に、胴に穴を穿つような強打が襲う。
 あばら骨が数本こなごなになって、がくりと膝が落ちた。


「ぐ、う―――」


 見上げると、霞む視界の向こうで、善八が拳を振り上げていた。
 その表情には何の感情もなく、無造作に、無感動に、ただ拳を振りおろそうとしている。


「お、鬼―――」


 脳天を打たれて転がった時には、浪人はもう昏倒していた。


「善八、殺してはおるまいの」
「はあ、それは大丈夫かと」


 傍らで千冬が、怒りに全身を震わせていた。


「貴様というやつは」


 すっかり血がのぼり、容易に言葉も出てこない。


「これほどの、これほどの天分がもちながら―――」
「あのう、いったい何が起こったんで?」


 釈然としない律が訊くと、


「言うなれば、間合いの達人といったところかの」


 初栄が解説した。


「この善八はの。相手が誰であれ、また何人であれ、すべての動きを先読みして、然るべき自分の間合いに身を置くことができるのだ。攻撃しようと思えば届かぬ間合いに離れている。防御しようと思えど叶わぬ間合いに寄られている。考えてのことではない。皮膚がそれを感じて、自然と身体が動くらしい。まさに天賦の才よの」
「へええ―――」
「脚力は先ほどみたであろう。膂力のこの通りじゃ。本来であれば、まさに戦うために生まれついたような男なのだ」


 千冬は、ますます口を固くへの字に結んで、善八を睨みつけた。


「千冬。そう怒るな」
「貴様が真面目に修行を積んでおれば、江戸一の剣士、いや天下一さえ夢ではなかったものを!」


 彼女は幼少の一時期、善八と同じ道場に通っていた。
 それだけに積もる憤りがあったのだろう。
 怒りは、なかなかおさまりそうもなかった。


「それでも、わたしは剣というものが、どうしても好きになれませんでした」


 善八はそう言って、寂しげな笑みを浮かべた。


「争いが嫌い、血が嫌い。身体の天分は十分だったが、心の天分は備わってなかったということよ。人は望んだものを持てるわけでもないが、望まぬものを持っていることもあるのだ」


 初栄が、ふたりを取りなすように、


「それにな、千冬。天下一と言うが―――どうも我らの知る天下の向こうには、まだ見ぬ天下もあるようだ」
「それがしは、それがしの知る天下だけで結構」


 憮然としたままの千冬に笑顔をみせて、


「そんな千冬の頑固なところも私は好いておる。しかし誰より強いくせに、さむらいを捨てるほど優しい善八も、私は好いておるのだ」


 千冬は、思わず睨みつけた。


「なりませぬ!滅相もございませぬぞ」
「勘違いいたすな―――それにな、千冬。善八は剣を捨てたが、なんの、包丁の天分は剣それを凌駕するやもしれぬぞ」

十 芥子供養

「いや、こいつはたまげた。本当だ」


 場所はかわって、本所にある善八の小料理屋である。
 律はぬるく燗した酒を片手に、餡かけ豆腐を三丁も、たいらげていた。


「佐々木さま、姫さんの言ったことは本当ですぜ。こいつはいける」


 初江と律にしつこく勧められて、渋々と箸をつけた千冬だったが、


「む―――」


 と唸ったきり動かなくなってしまったのを、ふたりが面白がって笑うものだから、また箸をおいて横を向いてしまった。


「で、いったいぜんたい、何だったんでしょうかね」


 いい加減に慣れて来た律が、事件のことを切り出した。


「世が世だからの。盗賊もいろんな手を使うようになったと聞くが、まさか津軽とはの」
「それだ。その津軽ってのは、けっきょく何なんで?」
「阿片の俗名だ。芥子の実から出る液を、飴状になるまで煮詰めたものが阿片で、少量であれば薬になる。津軽の特産である『一粒金丹』は、これに様々な生薬を混ぜ合わせてつくる」
「姫さんは、何でも知っていますねえ」
「その阿片を専用の煙管につめ、煙草のように火をつけて煙を吸うと、酒など問題にならぬほど酔いがまわって、わけもなく楽しくなり、悩みもすべて忘れ、この世から怖いものがなくなるそうだ」
「なんだか、夢でもみてるような」
「起きながら夢をみることもあるそうだが、じっさいには体をむしばむ毒なのだ。しかも一度でも味をしめるや、必ずたちの悪い癖になる。阿片を求めずには生きられず、そのうちに痩せていき、やがて苦しみ死に至る。清国ではこれをめぐり、いくさまで起こったそうだ」


 阿片戦争―――。

 この時代より二十年ほど昔におこった、清(中国)とイギリスのあいだに勃発した戦争は、阿片禍に手を焼いた清国政府が、イギリスが持ち込む阿片を取り締まったことに発端だと、こんにちでは誰でも知っている。


「その常習性を、橘屋庄右衛門の一味が利用したのだ。まず商家の若い者に博打をけしかけ、最初はわざと勝たせる―――といった手口だろう」
「ふん。惰弱な習いに、手を染めるからだ」


 と、吐き捨てるように言ったのは、すっかりふてくされた千冬だった。
 もちろん、善八へのあてつけでもある。
 善八は、小さな板場の隅で、さらに小さくなっていた。


「伝一郎が夜遊びから帰り、妙に機嫌がよかったのはその頃だろう。勝った金で阿片を買わせ、最初は少しだけ嗅がせるにとどめ、徐々に量を増やして溺れさせていく。昼まで帰らなかった時には、もう、ここまできていたであろうの」
「ふむ、それで?」
「そのうち金はなくなるが、もう阿片なしではいられなくなる。金を借りてでも欲しがるようになるが、借用するにも限度がある」
「何だか、酒で身を持ち崩す野郎に似てますねえ」
「やがて骨の髄まで阿片にはまりこみ、善悪の分別すらなくなって、どんなことをしても手に入れようという状態にしてから、おぞましい取り引きを持ちかけたのであろう」
「押し込み強盗の片棒を担げ、と―――」
「おそらくは、家人の人数や屋敷の間取りを聞き取ったうえで、いったんは家に帰し、寝静まるのを待って、内側から侵入の手引きをさせた―――こんなところではないかの」
「ちっ、悪い奴がいたもんで」


 律は酒のはいった茶碗を、ぐいと煽った。


「ついでに、もうひとつ訊いても、よござんすかね」
「ふむ」
「姫さんは、強盗どものヤサは富岡屋から一里から一里半、山谷掘沿いかその近くだ、と言い当てなさった。ありゃあ、どういうカラクリなんですかね?」
「ああ、そこは確率のはなしでの」
「かくりつ?」
「いかに夜とはいえ、一ヶ所に大勢いては目だつ。残忍なやり口からみても、賊は数人、多くても十人はいくまい。でないと、いたずらに分け前を減らすのみで、二十人からを音もなく葬る浪人を雇っておく意味がなくなる」
「なるほど。言われてみりゃあ、そうですな」
「さて、そうなると、どうやって三千両を運んだものであろう」
「さあて―――たしかに、こいつは厄介だ」


 小判の詰まった千両箱は、いまで言う二十五キロほどに相当する。
 合計で七十五キロ、仮に分けて運んだとしても、賊が五人であれば、ひとり十五キロ。
 十人であったとしても七・五キロを持たねばならない計算になるが、


「賊は千両箱ごと奪っている。これは手分けをしたのではなく、まとめて持ち去ったことを意味する。では、千両箱をみっつ、まとめて運んだ手段はなにか。ひと箱に二人つけば持てないことはないが、それが何組もいれば目につくし、いざというとき身動きがとりにくい。荷車であれば、みっつとも乗せて運ぶこともできようが、町木戸を抜けられまい」


 荷車をひけるような表通りには、町ごとに木戸が設けられおり、夜間は木戸番がついていたので、目にふれず通り抜けることは、まず不可能だろう。


「―――舟!」


 そう叫んだのは、むくれていたはずの千冬だった。
 いつの間にか、話に引き込まれている。


「なるほど、舟ならいっぺんに運べて、自身番も町木戸もねえってわけだ。ムシロでもかけときゃあ、他の舟とすれ違っても、わかりゃしねえしな」

「さよう。であるならば、三千両を運びこむ先は、舟をつけられるか、それにほど近い場所にあるとみても、そう遠くはあるまい。ただし夜であるうえに、雨もふっていたので、舟足は人が歩くくらいか、もう少し速いところが精一杯だろう。一方で、いかに目だたぬとはいえ、千両箱を舟から揚げるのは、日の出前にすましておくに違いない。凶行がおこなわれたのは、夜八つか八つ半(午前一~二時)以降であろうが―――その理由は、親分が詳しかろうの」

「からかっちゃいけません」


 律は頭を掻いた。


「岡場所がひける時刻でさ」

「その時刻までは夜回りも出ようから、賊が押し入ったのは、概ね夜八つ半から、明六つ(午前四時)までのあいだ、ということになる。富岡屋の凶行と、千両箱を舟から揚げるのに、それぞれ半時(約一時間)はかかるだろうから、舟が移動できるのは一里、せいぜいが一里半であろうな」

「薬種問屋が、くさいと思いなさったわけは」

「阿片は、ただ液を煮詰めて火をつけただけでは駄目での。焦がさず煙をたてるには、それなりの知識と経験がいるので、清国には専門の職人までいるときく。唐物(輸入品)をあつかう者なら、異国の知識も得られようし、薬種問屋であれば、実際にためして経験もつめるのではないか」

「白砂糖の件と、昔より商売がうまくいってねえってのは、どう見当をつけられたんで」

「人目につくところで、阿片の煙をたてるわけにもいくまい。締めきった蔵でもあれば、そこを使うだろう。ただ、表向きは商いをつづけねばならんので、そちらにも蔵がいる。薬種問屋があつかうもので、蔵をふたつも使うほど量があるのは砂糖だが、うちひとつを阿片を吸うのに使えるならば、表の商いは以前ほどではない、と言えるだろう。減るとすれば、流通の増えてきた讃岐産や奄美の黒砂糖ではなく、長崎にきていた白砂糖であろうな」


 日本の開国をうけて、二百余年つづいた長崎・出島のオランダ商館も、近ごろ廃止になっていた。
 時代は、変わってきている。


「それにしても、なんでもかんでも答えちまう姫さんだな」


 もう笑うしかねえや、と律が茶碗を干したとき、板場の隅で小さくなっていた善八が、奇妙なものを小皿にのせて差し出した。


「これは、なんだ?」
「へえ。名前はよく知りませんが、なんでも京には、こういう食べ物があると聞いたことがありまして」


 見ると、平鍋で両面を焼いて何やら種子を無数に散らしたものが、小さく小皿に切り分けられて、それぞれ香ばしい薫りをたてていた。
 それが何かと訊く前に、初栄はふうふうと息をかけ、早くもそれを口にした。


「む―――」
「なにぶんにも急ごしらえなもので、お口にあうか、わかりませんが」
「いや、ウマい」


 そう言うと、初栄は小首をかしげて箸をおき、片目をつぶって腕組みをした。
 そのまま、しばらく考えていたが、


「わからぬ。善八、これはどういう意味じゃ」
「へえ。津軽がちょっと、かわいそうだと思いまして」


 善八は伏し目がちに、


「うどん粉と水飴を水で溶き、味噌と練り合わせて焼きました。本当は砂糖をつかうそうですが、あいにく切らしておりまして」
「津軽、砂糖―――今回の事件にちなむものだの」


 初栄は身を乗りだして、


「そうか。表面に散らしたこの種子は、芥子か」
「芥子ぃ?」


 律と千冬が異口同音に叫んだ。


「貴様、よくもそんなものを、初栄さまに!」
「おいおい、おいら達も食っちまったぜ。大丈夫か」


 ふたりは椅子を倒していきりたったが、初栄はすました顔で、


「ふたりとも座れ。種子を食べるぶんには問題ない」


 善八は頭をさげた。


「七味をつくろうと思って、薬研堀にゆずってもらった芥子ですが。こんな際ですから、どうにか旨く食べられないかと、ない知恵をしぼりました。津軽は悪くないんです。こいつはこいつの都合で花を咲かせ、身をつけただけなのに、人間が勝手に煙を吸って、悪者あつかいをするなんて。それに―――」


 善八にしては珍しく、よく喋った。


「それに、何て言いますか。津軽で人が苦しんで、たくさん亡くなったんでございましょうが、やりかたひとつで、こうして食べることもできる。それをやってみせるというのも、賊への意趣がえしというか、亡くなった人にたいする、そのう―――」
「供養か」


 うまく言葉が出てこない善八にかわって、初栄が言葉を引きとった。
 一同はしばし沈黙した。しばらくして、


「そうだの」


 と、初栄が言った。


「賊を突きとめようとするあまり、富岡屋はじめ、賊の犠牲となった人々を悼む気持ちが、どこか疎かだったやもしれぬ。善八、学ばせてもらったぞ」
「め、め、めっそうもございません」
「どうだ千冬。剣を振るのみがすべてではない。こういう戦いかたもあるのだ」
「それがしは剣のみにて結構―――なれど、故人を悼む気持ちは、別でござる」


 律も、


「善の字も、なかなかオツなマネをするじゃねえか―――じゃあ、おいらも」


 そう言って、初栄と千冬ともども、小皿にのった『津軽』に、手を合わせたのだった。


 春の夜風が暖簾を揺らしていた。

鬼姫吟味書付

奇特にもお読みいただいた方には先刻判明のこととは思いますが、かの池波正太郎大先生の影響をモロに受けて書いた作品です。もっとも第22回電撃大賞に応募するにあたり、若者文化を誤読した作者が、ウケを狙って完成した作品の登場人物を女性化してしまった点がほろ苦いところです。おかげで“置網町の親分”のその“女房”など関係がおかしくなっていますが“現代”なら実際の江戸と違っても、これはこれでありじゃないか・・・と自分を慰めてます。というか不肖作者としては、偶然うまれた親分にも思わぬ愛着を抱いており、そのうち2作目を書いてみたい、という程度には姐LOVEなんだな、という発見があった次第です。

お読みいただいた皆様に心から感謝いたします。今後とも、何とぞ。

鬼姫吟味書付

残忍な強盗が相次ぐ江戸末期。置網町で十手を預かる律は、町奉行の娘・初栄と小料理屋を営む善八の来訪をうけて、八幡町の呉服商人・富岡屋の珍事を語る。それは、巷を騒がす連続強盗との関連を示唆するものであった・・・。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 一 豆腐小鉢
  3. 二 姉御親分
  4. 三 若旦那の放蕩
  5. 四 津軽、津軽
  6. 五 みな殺し
  7. 六 馬と迷子
  8. 七 もののふ
  9. 八 花と傘
  10. 九 鬼の天分
  11. 十 芥子供養