夏葬

 ある夏の日、麦わら帽子をかぶって何もない砂浜を歩いた。相変わらずこの海は人が少ない。ここに住む人たちが共に生活してきた海で、遊泳は許されていないからだろうか。時々こうしてよそ者が砂浜を歩くだけの、綺麗な海だった。
四年前の夏、初めてこの高校を訪れた私は、眩しい海と輝く砂浜を見て思ったのだ。もしここに受かったら、きっと誰かとあの砂浜を歩こう、と。
 三回目の夏休みの最終日に、私はようやくその決意を実現することが出来た。今、私の前を制服姿の陽子が歩いている。
「ねえ」と声がする。少し先で立ち止まった彼女が何かを拾っていた。「形が綺麗な貝殻よ」
 陽子は私に手のひらを差し出した。私は近づいて白い手のひらの上を見る。陽子は「そうじゃなくて」と言って、私の手を取った。軽く結ばれた私の手をそっと開くと、貝殻を私の手のひらに乗せる。とても軽かった。
「貝が死んで残したものだから、貝の骨のようなものかしらね」
 優しいつぶやきに私は小さくうなずく。
「良い小説が書けそうかしら」
 私は小さく首を振る。
「もう私は三年生だから、部活動はおしまい。だから、書かない」
 そう言ったら、陽子は「そう」と軽く言って、また歩き始めた。陽子はすぐ私の先を行ってしまう。足元を見ると、もう一つ同じような貝殻があった。私はそれを拾って陽子の後を追う。
「陽子」
 私の声で彼女は歩くことをやめる。次は私が陽子の白い手を取って、その上に貝殻を乗せた。陽子は「ありがとう」と受け取ってポケットにしまう。
 歩き続けると、海を見渡すことが出来そうな崖を上に見た。「あそこに行きたい」と陽子は崖を指さす。「行こう」と応えて、私たちは石の階段を上り道路に出て、そこから少し坂道を上ったところで左の行き止まりに向かった。そこから、遠くへ海が広がっているのを見ることが出来る。
 じっとりと頬を伝い落ちる汗をぬぐって、陽子を見た。私と同じ麦わら帽子をかぶった陽子は、ポケットから色々なものを取り出す。「これはさっき星子がくれた貝殻。これは少し前に遠出して見に行った向日葵畑で拾った花びら…………――これは終業式の日の帰り道に見つけた蝉の羽」
 陽子の手の中に色々な夏がある。私たちの綺麗な夏。
「この貝殻、粉々にしてもいいかしら」と陽子が言う。好きにしていいよ、と答える。彼女は「ごめんね」と言ってから、そばにあった石で貝殻をすりつぶしていった。それから蝉の羽も粉々にして、丁寧にそれらを拾った。白い欠片、薄い透明な羽の欠片。ラムネのビー玉は割れなかったのでそのままだ。
「夏はこれでおしまい」
 陽子はそういうと、端に向かって歩いた。私は後姿を見守る。彼女はぎりぎりまで来ると、両の手のひらを下に向けて開いた。透明なビー玉が落ちていく。花びらや欠片が風に吹かれて飛んでゆく。一度反射した透明な欠片は、すぐに見えなくなってしまった。黄色もひらひらと宙を舞いながら、下へ下へと向かっていく。
 夏はおしまい。私は陽子の白いサンダルから、自分の青いサンダルへ目を移す。陽子は私との夏をすべて捨ててしまった。私は拒絶を恐れて、何も始めることなくおしまいにしようとしている。
 突然、視界がひらけた。直射日光が私を照らして、眩しさに目を細める。陽子が私の麦わら帽子を取ったのだ。陽子の大きな瞳が私を見ている。触れられるほどに私たちは近い。どうか消えないで、とその瞳に願う。でも、続かないのであれば消えてしまって、とも思う。私は澄んだ陽子の目を見て「好き」と告げた。「陽子が好き」
 彼女はほほえんで「知ってる」と答えた。違う、私が欲しいのはその言葉ではない。嘘かもしれないけれど、確かな言葉が欲しいのだ。
「どうして粉々にして、捨ててしまったの」と尋ねる。
「捨てたんじゃないわ。これは、夏のお葬式」
 お葬式、と私はつぶやく。彼女はうなずく。それから私の両手を取って、「ちゃんと弔ったから、忘れないでね」と言った。「綺麗なまま葬ったから、どうか、また来年一緒にいなくても、思い出して頂戴ね」
 私はにじむ視界の中で陽子の姿を捉えながら、うん、うんと何度もうなずいた。
「私、星子が大好き」と陽子は言った。私は陽子の手を強く握り返した。
 私たちに次の夏が訪れなかったとしても大丈夫、陽子がちゃんと夏を葬ってくれた。だから、いつまでも磨かれた宝石のような輝きを残して、今日の思い出が夕日の光を反射し続けるのだ。


 

夏葬

夏葬

ふたりの女の子と海辺の夏。 ※2017年8月20日のCOMITIA121で頒布した本『夏葬』の原形(または核)です。『夏葬』中盤の一場面と少し被りますが、完全なネタバレにはなりません。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-15

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