旧作(2014年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…3」(芸術神編)

旧作(2014年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…3」(芸術神編)

TOKIの世界。
壱‥‥現世。いま生きている世界。
弐‥‥夢、妄想、想像、霊魂の世界。
参‥‥過去の世界。
肆‥‥未来の世界。
伍‥‥謎
陸‥‥現世である壱と反転した世界。
三部の三話目です。
絵括神、ライが生まれた由来や甲賀望月家、更夜との意外な関連性が明らかになります。

夜が明けないもの達

夜が明けないもの達

 生きているものが持つ心の世界、弐。弐の世界は嘘や妄想、想像などの世界である上辺の弐と心の真髄、精神である正真正銘の弐の世界がある。この内、本当の弐の世界の中には霊魂も住んでいる。霊魂はそれぞれ現世を生きる人間達を見守る役目を持つ。
 その弐の世界をさらに守る神々、時神がいた。
 その時神、トケイは現在行方不明だ。
 「ふむ……。」
 銀髪蒼眼の男、更夜は怪我を癒しながら少女漫画「クッキングカラー」を読んでいた。
 「更夜―!」
 更夜が漫画を読んでいると突然、赤い着物姿の少女、スズが現れた。
 「なんだ。」
 更夜はそっけなく言葉を発しながら素早く漫画を隠した。
 「え?何?また少女漫画読んでたの?だからそれって少女が読む漫画じゃないの?」
 「置いてあったから手に取っただけだ。」
 「またまた……。素直になりなって。」
 頬に若干の赤みが差している更夜をスズはからかうように笑った。
 「……スズも読むといい。お前が読むくらいがちょうどいい。」
 更夜はなげやりに手に持っていた漫画をスズにほうった。スズは目の前に落ちた漫画をパラパラとめくる。
 「ふーん。けっこう読み込んでるじゃない。置いてあったんじゃなくて自分でここに置いたんでしょ。何がいいの?この漫画。」
 「お、俺に聞くな。」
 ニヤニヤした顔でこちらを見ているスズから更夜は目をそらした。
 「更夜、俺に気がつかないとは気が緩んでんぜ。忍失格じゃねぇか?昔みてぇに痛~い罰がいるか?」
 「!」
 ふとスズの後ろに更夜の兄である逢夜(おうや)が厳しい顔で立っていた。更夜にそっくりな鋭い瞳に銀の髪。額にハチガネをしている。
 「お、お兄様。も……申し訳ありません。お許しください。」
 更夜は素早く姿勢を正すと逢夜に向けて頭を深く下げた。
 「……痛い罰?更夜、お兄さんに何かされてたの?」
 「……聞くな。」
 いそいそと近づいてくるスズに更夜は顔色悪くつぶやいた。
 「聞かない方がいいぜ。おじょーちゃん。更夜は痛みに慣れている。拷問されても平然としていられるように俺が更夜を育てた。最初は泣き叫んでやがったがその内、泣かなくなったな。そういえば。」
 逢夜はため息交じりに更夜を見た。
 「……なんか酷いわね。人じゃないみたい。」
 スズは更夜をかばうように立つと逢夜を睨みつけた。
 「そんな目で睨まねぇでくれ。ああやって俺達の家系は強くなっていったんだ。死んでいく忍が多い中で俺は更夜には死なねぇように教育したつもりだ。この俺も姉に同じ教育を受けたんだぜ。まあ、一番悲惨だったのは姉だな。姉は男として育てられて父の教育を受けていた。そりゃあ死んだ方がマシだったんじゃねぇかな。俺達の家系は甲賀望月の中でも異色だったが誰よりも強かった。教育、習練が辛すぎでどいつもこいつも髪の毛が真っ白になっちまっていたがな。」
 逢夜は「なあ。」と更夜に同意を求めた。
 「お兄様、お兄様がここにいらっしゃるという事は何か情報をお持ちになったのでしょうか?」
 更夜は逢夜の同意を無視し、要件を話しはじめた。更夜自身、あまり昔の事を思い出したくないようだ。
 「っち、相変わらずつれねぇ男だな。おめぇは。……ああ、もちろん。話は後でお姉様からあると思うが才蔵と半蔵を捕まえたぜ。」
 「半蔵と才蔵を!」
 更夜の横でスズが声を上げた。信じられないといった表情だ。
 「それはおいおい話すから声を上げんじゃねぇ。で、尋問は俺が更夜になりすましてやる。まだあの二人は目を覚ましてねぇからこれから叩き起こしに行ってくる。だから更夜とおじょうちゃんはここから動くんじゃねぇぞ。わかったな?」
 「……なんであんたが更夜になりすますの?」
 スズは疑いの目を逢夜に向け声を発した。
 「俺達という余計な情報をあいつらに与えないためだぜ。幸い、俺と更夜は外見が似ている。変装して俺の演技力がありゃあ問題ねぇ。」
 「なるほど……徹底しているのね。」
 少し怯えているスズに逢夜はにっこりと微笑んだ。
 「逢夜、何をしているか。時間がかかりすぎておるぞ。その緩んだ心で万が一失敗でもしたらどうなるかわかるな?」
 ふと逢夜のすぐ後ろで凛々しい女の声がした。
 「お、お姉様。も、申し訳ありません。今、向かいます。お許しください。」
 逢夜はビクッと肩を震わせると後ろに佇む銀髪の少女に頭を下げた。瞳は更夜、逢夜に良く似て鋭く、少し癖のある銀髪は肩先で切りそろえられていた。羽織袴で男装をしている。
 「よい。すぐに向うのだ。影縫いはかけておいた故、簡単には動けまい。」
 「ありがとうございます。すぐに向かいます。」
 逢夜は顔を引き締めると消えるようにその場から去って行った。
 「さて。」
 小柄な少女、更夜、逢夜の姉、千夜(せんや)はスズと更夜の側に寄り、腰を下ろした。
 「お前達は色々と知りたい事があるようだから順を追って最初から説明する。」
 「お願い致します。」
 更夜とスズは小さく頷き、千夜の話に耳を傾けた。
 「私達はトケイがセイを連れて進むのを見、後をつけた。入った世界は平敦盛の世界。敦盛は平家物語での有名どころだがその敦盛が持っていた笛から生まれた神がセイだったようだ。何が起きたかわからんがセイはその敦盛に笛を返しに行ったようだな。笛を返したその直後だ。セイは突然に倒れ、死んだ。」
 「死んだ!?」
 千夜の言葉にスズが驚愕の表情で叫んだ。
 「スズ、静かにしろ。」
 更夜に止められてスズは慌てて口を塞いだ。
 「小娘、まだ話の途中だ。我が家系ならば仕置きとして鞭打ち百回といった所か。……まあ、よい。お前は私の家系ではないからな。話を続ける。」
 千夜は厳しい顔つきでスズを睨みつけた。
 「うわー……話の途中で声を上げただけで鞭打ち百回……?重すぎる……。」
 スズはこっそりと更夜を仰いだ。更夜の頬からは汗がつたっていた。千夜がスズに対し、何かするのではないかと思ったようだった。何もないとわかり更夜は少し安心したようだ。
 「更夜、次、小娘が声を上げたならばお前が代わりに罰を受けろ。わかったな。」
 「……はい。」
 更夜は鋭い千夜の言葉に静かに返事をした。
 「い、いや……はいって……更夜、怪我してんのよ……ダメでしょ。あんたの家系……厳格すぎない?」
 スズは小さくつぶやいたが更夜に止められた。
 「時間の無駄になる。……お姉様。申し訳ありません。お話をお続けください。」
 厳格な雰囲気が漂う中、千夜は小さく頷き、口を開いた。
 「セイは死んだ。だが、ここは霊魂の世界だ。彼女は霊として蘇った。もちろん、あの神は現世には行けなくなったようだがこちらの世界では存在できている。霊になったとたんに禍々しいものがその世界の時空を歪ますほど溢れ出し、敦盛の世界を壊した。世界が壊れた刹那、橙の髪の男……トケイだったか?がまるで機械のようにセイに暴力を振るい始めた。」
 「トケイがセイを!」
 スズがまた千夜に向かい叫んだ。叫んだ後にまた慌てて口を塞ぐ。
 更夜は隣で深いため息をついた。千夜はスズの側に寄ると鋭い瞳でスズを睨みつけた。
 「小娘……よいか?今、この家の外で才蔵と半蔵が逢夜に尋問を受けている最中だ。あやつらは並みの忍ではない。お前の声が万が一聞きとられていたらどうする?我々の仕事は何かで不利な状況に変わるのだ。わかるか?お前も忍なのだろう?」
 「う……。ごめんなさい……。」
 千夜の睨みが怖かったスズは震える声で素直にあやまった。
 「……よい。お前は素直で良い子のようだな。」
 千夜はふと柔らかい表情を見せ、スズの頭をそっと撫でた。更夜は姉がそんな事をするとは思っておらず、声には出さなかったが戸惑っていた。
 「……あの……更夜には何もしないで。お願い。更夜のひどい怪我、あんたも見たでしょ。更夜をこれ以上傷つけないで。お願い。」
 スズも困惑した表情のまま、千夜から更夜をかばうように立った。
 「……スズ、黙って身を引け。お前の厚意はありがたいが。」
 更夜はスズを自分の横に座らせた。
 「更夜、死んでからも甲賀望月に縛られているのは辛かろう。今のはなかった事にしてやる故、とにかく話を最後まで聞け。」
 「はい。ありがとうございます。申し訳ありません。」
 ため息交じりに更夜を見た千夜に更夜もため息交じりに答えた。
 「話の続きをするぞ。……その後、才蔵と半蔵は崩れゆく世界の中で気を失い、階下の別の世界で倒れていた。その間にセイは敦盛に渡したはずの笛を再び出現させ、禍々しいものを纏わせながらトケイから逃げて行った。トケイは逃げたセイを追い、なんの感情もなく飛び去って行った。その後に私達は才蔵と半蔵を捕縛し連れてきた……というわけだ。おそらくセイは死んだ。だからもうこちらの世界の住人。この世界をもう自由に動けるのだろうな。話は以上だ。」
 「そうですか。」
 話は終わったと千夜が言ってから更夜は声を発した。
 「今は待機だ。……お前の傷を本格的に見てやろう。着物を脱ぎなさい。」
 「……はい。申し訳ありません。お姉様。」
 千夜の言葉に更夜は素直に従い、着物を脱いだ。
 「うつぶせになれ。もう一度背中の傷を治療する故な。」
 「……はい。」
 更夜はまるで赤子のように千夜の言葉に逆らわず、素直にうつぶせになった。
 スズは更夜の体中にある古傷や重たい背中の傷を怯えた目で見つめながら彼らの家系の恐ろしさをはっきりと感じた。
 ……自分よりも年上の人間に逆らってはいけない……。上の人間も判断を誤ってはいけない。
 千夜、逢夜と会話している更夜の瞳はまるで操り人形のように光がなかった。幼いころからの教育が彼らの心を奪ったようだった。
 ……わたしがまだ現世にいた時……更夜に斬り殺された時……一瞬見えた更夜のせつなげで悲しい顔。……あの時……更夜にも監視役がついていたに違いない。更夜もきっとわたしと同じようにあの境遇から逃げ出したかったのかもしれない。
 スズは複雑な表情で光のなくなった更夜の瞳をただ見つめていた。
 

二話

 「さて。あなた達は俺に捕まったわけだが……少し話がしたい。」
 更夜になりすました逢夜は鋭い瞳で才蔵と半蔵を睨みつけた。才蔵と半蔵は鎖で縛られた上、影縫いもかけられており動けないようだ。
 「なんですかい?今度はおめぇさんがそれがし達を拷問すると?」
 半蔵は苦笑を浮かべ、逢夜に呆れた声を上げた。
 「拷問はしない。あなた達と一緒にするな。」
 「ずいぶんとお優しいですね。傷も治っているようですし……不思議ですね。更夜。」
 才蔵はまったく疑わずに逢夜を更夜と間違えていた。
 「セイについて聞きたい。……セイは今、どこにいる?」
 逢夜はさっさと本題に入った。逢夜は一部始終を一応見ていたが更夜は見ていない。更夜になりすましているので発言には気を付ける必要があった。
 「セイ?今は知らねぇですよ。どこかへいっちまいました。ただ、ありゃあ、もうセイじゃねぇ。それがしらはとんでもねぇ事を手伝っちまったみてぇですな。」
 「半蔵……。やめなさい。」
 才蔵は半蔵の発言に顔をしかめ、半蔵を止めた。
 「才蔵、この世界にゃあ、それがし達の子孫も存在している。……このままじゃ、セイが世界を壊すのも時間の問題じゃねぇですかい?魂が解放された今、もうしゃべっちまってもいい気がするんですよ。あのセイって神、弐の世界を壊してやるって笑っていやがったぜ。」
 「……。」
 半蔵の言葉に才蔵は困惑した顔で黙り込んだ。
 「ふむ。ではトケイもセイと共にいるのか?」
 逢夜は一つ頷くと再び質問を投げた。
 「……それは知らねぇです。才蔵がかけた催眠術がどこまで効いているかわからねぇですからね。」
 「もう効いてはおりません。どちらにしろ、催眠術は術者が倒れれば消える。トケイがこの世界に帰って来ないのであればおそらく、セイを……追った可能性があります。」
 半蔵と才蔵は苦渋の表情で逢夜に答えた。
 ……ふーん。全然真新しい言葉が出てこねぇな。新しくわかった事と言えばセイが弐の世界を壊そうとしている……という事だけか。まいったねぇ。こんだけじゃあ、情報と呼ばねぇよ……。
 逢夜は更夜になりすましながらもうちょっと良い情報を仕入れようと言葉を探した。
 「セイは弐の世界に何か恨みでもあるのか?それともただの自暴自棄か?」
 「それは知りません。……ですがもう一人、セイと関係のある女がいます。お前にそっくりな女です。」
 才蔵はそこまで言って言葉を切った。逢夜の反応を見ている。逢夜の眉がわずかに動いたが表情は変えなかった。
 「……お前は知りませんか?すごい後悔の念を持った女のようですが……。」
 才蔵は逆にさぐりを入れている。才蔵と半蔵はセイの件の他に何かを調べているようだった。
 「名前は憐夜(れんや)。ついでにおめえさんにこの人物について聞こうと思っていたんですよ。ふーん……その顔は知ってやがるな……。」
 半蔵は逢夜のわずかな表情で感情を読み取った。逢夜はわずかに動揺していた。
 逢夜に一つの記憶が蘇る。
 とある山の中で幼い面影が残る更夜に細い竹を振り上げている若い自分がいた。更夜は上半身裸、土下座状態で肩を震わせていた。
 更夜を叱りつけている自分の瞳にはあからさまに自己の感情が入り混じり、怒りと憎しみが包んでいた。
 ……お前、自分が何をしたのかわかってんのか!ああ?
 逢夜は更夜の顔面を思い切り蹴りつけ、叫んだ。
 ……申し訳ありません……。お兄様。
 更夜は涙声で震えていた。
 ……お前が余計な事をしなければお姉様が酷い折檻を受ける事も俺が憐夜を殺すこともなかったんだ!
 逢夜は憎しみのこもった瞳で更夜の背に鞭のようにしなる竹を振り下ろした。そのまま何度も何度も振り下ろす。乾いた音と血が辺りに散らばる。更夜は痛みに顔をしかめてはいたが声を出す事はなかった。声を上げるなと教育されているからだ。
 ……俺はお前のせいで妹に手をかけなきゃならなかったんだぞ!いままで何も起きないように頑張ってきたのにお前がそれを壊した!お姉様もお前に加担したせいでお父様から暴行を受けた……。俺が憐夜を殺して戻って来た時……姉は傷だらけで血まみれで憐夜の名前を呼びながら泣いていたんだぞ!
 逢夜は涙を流しながら叫び、更夜を何度も叩いた。
 ……なんで俺が憐夜を殺さないとなんないんだよ!なんで姉が身体を斬り刻まれるような折檻を受けなければならないんだ!俺達は望月家からは逃げられねぇ!そんな事わかっていただろうが!更夜ァ!
 何度も何度も更夜に竹を振り上げた逢夜はやがて竹を捨てその場に崩れるように膝を折った。血にまみれ意識もあるのかないのかわからない更夜の背をじっと見つめ、呆然とつぶやいた。
……俺もお前の教育係として責任を取らされる。お前よりも遥かに痛い罰を受ける……。俺が逃げたらそれは姉に及び、俺も捕まって殺される。俺は逃げられない。俺はお父様から更夜も守らないとならない。今回の件、更夜が刑としては一番重いだろう。だが……俺が更夜の分も引き受ければ……更夜は俺の仕置きだけで済む。
……憐夜……ダメな兄と姉、そして更夜を許してやってくれ……。
逢夜は涙をぬぐうと冷たい瞳で屋敷へと歩いて行った。これは歪んだ一族の歪んだ記憶だった。……もう思い出したくもない。
「で、その憐夜という女……今どこにいるのですか?」
才蔵に問いかけられ、逢夜はハッと我に返った。
「知らんな。……セイと何の関係がある?」
「それがし達には関係あるがな、おめえさん達は関係がねぇですよ。」
才蔵に代わり今度は半蔵が声を出した。
 「残念だったな。俺はその女を知らん。しかし、妙だな。憐夜……夜とつく。俺達の家系の確率は高い。」
 逢夜は憐夜について知らないフリをする事にした。
 「兄妹……ではないのですか?」
 才蔵の問いかけに逢夜は薄く微笑んだ。
 ……こいつ、ある程度の事を知ってやがるな……。
 「なるほど。知っているのか。では隠しても仕方ないな。憐夜は俺の妹だ。だがそれっきりだ。他は知らん。」
 「お前には関係ありませんが憐夜はセイと絡み、何かをする様子ですね。私達の任はセイの護衛と笛を返す事でした。それ以外は命令されていません。話すなとも言われていませんので言いますがセイと何か関係を持っている事は確かです。私達は憐夜が追っている者の真相を知りたいのです。」
 才蔵は不敵に笑いながら逢夜を見据えた。
 「憐夜が追っている者……?セイが関わっていて憐夜が誰かを追っているのか?」
 逢夜の言葉に才蔵はクスクスと笑った。
 「それはわかりません。わからないからお前に聞いたのです。もうお前が知らない真新しい事は何もないですよ。素直に話したのですからそろそろ放していただいてもいいですか?」
 「それはできない。もう少しここにいてもらおうか。」
 逢夜は鋭い瞳で才蔵と半蔵を睨みつけるといったん、家の中に入って行った。
 逢夜が家の中に消えてから半蔵は声を発さずに才蔵に言葉を伝えた。口パクだ。
 「それがしはある程度の演技でしたが……才蔵、そんなにベラベラしゃべっちゃって大丈夫だったんですかい?」
 「……問題はないです。尋問は裏を返せば心理戦。黙ろうとするからいけない。ある程度の事を正直に話せばそれ以外は知らないのだと向こうが勝手に判断してくれます。そして私の知っている情報で更夜は間違いなく動き出す。憐夜は更夜の妹です。他に兄弟がいるのかはわかりませんがあの表情からすると更夜と憐夜には何かあったようですね。……まあ、しばらくはこのまま待機で更夜がある程度、憐夜の情報を掴んで来たら逃げる術を探しましょう。」
 才蔵も口を動かしているだけで実際は声を発していない。忍の耳はどこまでいいか予想がつかない。故に才蔵も口パクで伝えているのだ。
 「しかし、とんでもねぇくらい強い影縫いですね。あのスズとかいう小娘か?伊賀忍って言ってましたっけね。」
 半蔵は動こうと試みるが身体はまったく動かなかった。
 「スズは術は得意のようですが経験がまったく足りていません。この影縫いはわずかな綻びも見せない素晴らしい術です。あの子がここまでできるとは思いませんね。更夜でしょうか?他の気はまったく感じ取れないので更夜しかいない。」
 「そう考えるのが妥当ってやつですかい?ふぃー。だが、さっきの更夜といい、なんか変な感じしましたね。不思議だ。」
 半蔵と才蔵は深くため息をつくとそこから黙り込んだ。


 逢夜は足音も立てずに更夜達がいる部屋に戻ってきた。
 「更夜!?いつの間にそこに……。」
 スズは戻ってきた逢夜があまりにも更夜に似ているため、驚いた。
 「スズ、俺はここにいる。お兄様だ。」
 更夜は千夜に包帯を巻いてもらいながらスズにつぶやいた。
 「逢夜、やつらは何か話したか?」
 千夜は鋭い瞳を逢夜に向けた。逢夜は髪で隠していた顔の右側を掻き分けて元に戻すと三人の近くに寄り座った。
 「はい。新しい情報はセイが弐の世界を壊したがっている事と……れ、憐夜が……セイと関係していると。」
 逢夜は言いにくそうにつぶやいた。更夜の眉がピクンと動き、千夜の目がせつなげに変わった。
 「……憐夜……。」
 千夜は小さくつぶやいた。
 「憐夜って誰なの?」
 状況が良く飲み込めていないスズが恐る恐る千夜に声をかけた。
 「憐夜は私達兄弟の末の妹だ。」
 千夜はスズに向かい静かに答えた。
 「でも……更夜が末っ子だって言ってたわよ?」
 「あの子の名を出したくなかったのだ。」
 更夜はぼそりとつぶやいた。
 「え……?」
 「俺達兄弟と縁を切ったからだ。もうあの子には静かに幸せに死後の世界を生きてほしい。凄く優しい子だった。忍の要素が何一つなかった。」
 更夜は何かを思いだすようにそっと目を閉じた。
 「小娘、憐夜は我が望月家から逃げた者。お前もわかると思うが忍の里から逃げた忍はどうなる?甲賀よりも伊賀の方が厳しかっただろう?」
 千夜は突然、スズに問いかけた。
 「え……?そ、そんなの殺されるでしょ。情報の漏えいを防ぐために。たしかに伊賀は凄い厳しかったよ。」
 「その通りだ。つまり、そういう事だった。」
 「……っ。」
 千夜の言葉にスズは息を詰まらせた。憐夜は忍から逃げようとして殺された。スズも何度も逃げたいと思った。だが逃げる事は許されなかった。抜けられない組織集団の恐ろしさをスズは骨身にしみるほどわかっていた。
 「殺したのは俺だぜ。俺達はどこまでも歪んでいたんだ。もう俺も憐夜に会えねぇよ。トラウマだ。憐夜くらいの歳の娘に関わらないといけねぇ時、しばらく何度も吐いたぜ。」
 逢夜は更夜に目線を送った。更夜はただ頭を下げているだけだった。
 「まあ、それはよい。それよりも、憐夜が何故、セイに関係してくるのか?」
 千夜は一息つくと逢夜に再び目線を送った。
 「……それはわかりませぬ。向こうも憐夜についてさぐりを入れてきたので憐夜についてはよく知らないのだと思われます。我々がやるべき事はセイと繋がっているらしい憐夜を探す事だと思います。トケイやセイについては探すのは困難ですが憐夜ならば縁を切ったとはいえ、家族。魂の波形を感じる事ができるやもしれませぬ。」
逢夜は丁寧に答えた。
 「ふむ。では私が憐夜がどこにいるかさぐりを入れてこよう。逢夜はここにいなさい。才蔵と半蔵が何か企んでいる可能性もある。お前は更夜になりすまし、奴らを見張れ。」
 「……かしこまりました。」
 逢夜が頭をそっと下げた時、千夜は音もなくその場から去って行った。
 「千夜って凄いんだね……。本当にその場に誰もいないみたいに気配がない。」
 「そうだな……。」
 スズのつぶやきに更夜は静かに頷いた。
 「さてと。じゃあ、俺は奴らの監視をする。奴らに見えない場所で奴らの近くに気配を消して潜む。何かあれば気配を消して俺の所に来い。小娘、おめえが一番心配なんで言っておくがむやみやたらに動くなよ。俺に近づくのは大事な用がある時だけにしておけ。わかったな?」
 逢夜の鋭い声にスズは怯えながらコクコクと頷いた。
 逢夜はそれを見、微笑むとスズの頭をポンポンと叩き、足音なく去って行った。
 「……あー、怖かった……。ちょっとちびりそうだったわ。」
 スズは力が抜けたようにため息をついた。
 「すまんな。スズ。」
 更夜も一息つき、壁に寄り掛かった。丁寧に巻かれた包帯を一通り撫でた後、着物の袖に腕を通した。
 「更夜……憐夜って……。」
 「気になるのか?」
 更夜は部屋に置いてあったスペアの眼鏡をかけ直すとスズに目を向けた。
 「気になるね……。更夜の妹って事は更夜が憐夜の教育係だったって事?」
 「ああ。そうだ。」
 「ああいう風に憐夜も服従させてたの?」
 スズの問いに更夜の瞳が悲しく揺れた。
 「まあな。元々が父の教育だ。俺が教育係になった時はもうすでに逆らうという事をまったくしなくなっていた。命令すればやる……そんな感じだったな。甲賀忍は伊賀忍と違い、規律があまり厳しくなかった。だが、俺の家系とその周辺の集団は甲賀の質を上げようとしていたようだ。やたらに規律が厳しく、とにかくすべてが厳格だった。」
 「……そうだったんだ……。」
 「あの子は全然強くならなかった。忍としての術もほとんどできず、体術も相手がかわいそうだからと言って泣いて拒否をする。手裏剣も相手を殺してしまうからと拒否をする。どうしようもない子だった。」
 更夜はそっと目を伏せた。
 「それで……逃げたんだね。」
 「俺の指導はかなり甘かったらしいが、俺は何度も冷酷に指導した。だがあの子の心は全く変わらなかった。だから……俺が逃がしてやろうと思ったのだ……。」
 「え!更夜が……逃がしたの?」
 スズの驚きの表情を見、更夜は静かに頷いた。
 「暇になってしまったのでお前には話してやろう。俺が仕事を仕事だとハッキリと認識した時の事だ。俺がまだ……十四の時か。憐夜はきれいな風景や花などを妄想で絵によくしていたな。」
 更夜はゆっくりと思い出しながら語り出した。
 

三話

 これはおかしな一族の狂った物語。
 更夜が十四の時、十の妹、憐夜の教育を父親から言い渡された。
 父の話によると憐夜は出来損ないとの事だった。ある程度の所までは成長させろと父に命令をされた。おそらく、憐夜はある程度使い物になるようになったら千夜達の裏方をやるようになるだろうと予想していた。
 「憐夜、目隠しをしたまま、まっすぐに歩く練習だ。その縄の上を素早く渡りきれ。」
 更夜は地面に置いた縄を指差し、冷たい瞳で憐夜を見据えた。憐夜は銀の髪を揺らしながら弱々しい瞳で更夜を仰いでいた。
 「返事をしなさい。憐夜。」
 更夜は憐夜の頬を平手で勢いよくはたいた。憐夜はその場に倒れ、震えながら更夜を再び見つめた。
 「……は、はい。更夜お兄様。」
 「立て。さっさとしろ。時間の無駄だ。」
 更夜は無理やり憐夜を立たせると目隠しをした。
 「更夜お兄様……真っ暗で何も見えません……。お兄様!」
 憐夜は怯え、ただ更夜の名を呼んでいた。
 「わかりやすく縄を引いてやった。足の指の感触でまっすぐ縄を歩けばいい。」
 憐夜は更夜の言いつけどおり足の指で縄を探し、歩き始めた。しかし、最初からうまくはいかない。憐夜は縄から離れて歩き始めた。
 更夜は竹刀で外れた方の足を叩いた。
 「うぅっ……。」
 憐夜は痛みに顔をしかめ、足を元の縄に戻した。
 「右足が若干ずれたな。慣れてくれば俺の気配も感じるようになる。これができるようになったら縄なしで真っすぐ歩く練習、その次に俺の攻撃を避けながら前へ進む練習だ。こうすればお前はわずかな光もない闇夜でもすんなりと動けるようになるだろう。」
 更夜は練習内容を話しながら今度は憐夜の左足を竹刀で叩く。
 「あっ……。」
 憐夜は小さく呻くと再び縄に足を戻した。憐夜が地面に置いた縄を渡りきった時には憐夜の足は痣だらけになっていた。
 「うう……ひっ……うう……。」
 憐夜は嗚咽を漏らしながら泣いていた。
 「憐夜、もう一度だ。先程の場所まで戻れ。竹刀で打たれたくなければできるようになりなさい。いいな。」
 「……はい。」
 更夜の言葉に憐夜はまた、縄を歩き始めた。
 「更夜、そんなんだといつまで経ってもできるようにならねぇよ。」
 「お兄様……。」
 更夜の前に突然逢夜が現れた。
 「いいか、更夜、憐夜には時間がねぇ。俺達がこの年齢でできていたことがこいつは何一つできない。危機感を持ちやがれ。」
 「申し訳ございません……。」
 更夜が声を発した刹那、逢夜はよくしなる木の枝で憐夜の足を思い切り打ち始めた。
 「あぐっ!」
 先程の痛みとは比べ物にならない痛みが憐夜を襲い、憐夜は泣き叫んだ。憐夜の足首からは血が滲んでいた。
 「泣くな。泣いてる暇があんだったらまっすぐ進め。」
 逢夜は憐夜の背中を思い切り蹴り飛ばした。逢夜は底冷えするような声で憐夜を叱りながら前へ進ませた。
 「ひっ……。」
 「もう一度だ。さっさと進め。痛い思いをしたくなけりゃあさっさと覚えるんだな。」
 泣いている憐夜を逢夜は再び蹴り飛ばし、もう一度前へ進ませた。
 確かに、逢夜のやり方で憐夜はかなり上達した。しかし、更夜にはここまでする勇気がなかった。
 憐夜の足首は逢夜により血にまみれていた。
 憐夜が一通り縄を渡りきれるようになってから逢夜は更夜につぶやいた。
 「これくらいやらねぇとこいつは伸びない。お前が無理そうならば俺が代わってやろうか?これは憐夜の死活問題なんだ。憐夜が使えるか使えないかで憐夜の扱いが変わってしまう。俺は憐夜に生き延びてほしいんだ。特に兄弟は誰も死んでほしくねぇ……。」
 「……わかりました。お気持ちはありがたいのですがもう少し、私が見て行こうと思います。憐夜は私が守ります……。」
 更夜の言葉に逢夜は顔をしかめた。
 「……忍は常に独りでなんとかしなければならねぇ……。守られる方は足手まといなんだよ。お前はまだ……重要な任についた事がねぇからそんな軽い事が言えるんだ。俺はそれで何度も死んだ奴を見てきた。忍の世界はそんなに甘くねぇ。独りでも死なねぇようにしなければなんねぇんだ。……まあいい。今みたいな感じでやりゃあ、憐夜は伸びるはずだ。俺はしばらくここに滞在する予定だから何かあったら言え。わかったな。」
 「はい。ありがとうございます。」
 逢夜は更夜を一瞥すると音もなくその場から去って行った。
 逢夜が去ってから更夜は憐夜に目を向けた。憐夜は泣きながら自身の足の傷の止血作業をしていた。
 「忍は何でも独りでしなければならないか……。……憐夜。」
 更夜はそっと憐夜の側に寄った。
 「は、はい……。」
 「止血はそこを押さえるのではない。ここだ。」
 膝辺りを布で縛ろうとしていた憐夜に更夜は足首に布を押し当てる事を教えた。
 「あ、ありがとうございます。」
 憐夜は涙をぬぐうと更夜に丁寧に頭を下げた。
 「その足では続けて同じ訓練をする事は厳しいな。飛び道具の訓練でもするか。」
 更夜は消毒の方法とさらしの巻き方を教え、憐夜を再び立たせた。憐夜は小さく呻きながら立ち上がり、更夜を見上げた。
 「この手裏剣をあの木に向かって投げろ。身長は俺と同じくらいを想像し、確実に殺せる部位、もしくは動けなくなる部位に刺さるように飛ばせ。」
 「……はい。」
 憐夜は更夜から鋭利な手裏剣を三つ受け取ると木に向かい素早く投げた。
 手裏剣は額、心臓、そして足あたりの場所に刺さった。
 「これは得意だと聞いていたがややずれているな。」
 更夜が手裏剣を見ながら指摘すると憐夜が控えめにつぶやいた。
 「当たったら死んでしまいますから……。かわいそうです……。」
 「……憐夜、俺はなんと言った?」
 憐夜の悲しげな顔を見据えながら更夜は冷酷に問いかけた。
 「確実に殺せる部位、もしくは動けなくなる部位に刺さるように飛ばせと……。」
 更夜は憐夜が最後まで言い終わる前におもいきり頬を張った。憐夜は倒れ込むと頬を押さえ、鼻血を垂らしながら更夜を見上げた。
 「そうだ。俺はそう言ったはずだ。お前は俺を馬鹿にしているのか。」
 威圧を込めた声で更夜は憐夜に冷たく言い放った。
 「ごめんなさい……。でも違うんです……。当たったら死んでしまうんです……。少しずらせばもしかしたら生きられるかもしれないんです。」
 「なるほど。つまりは俺の言う事が聞けないという事だな……。」
 更夜は竹刀で再び泣きはじめた憐夜の肩を強く打った。
 「あうっ!」
 憐夜は低く呻き、うなだれた。
 「次に俺に逆らったら生身の身体に鞭痕が残るぞ。」
 更夜の脅しに憐夜は両手で顔を覆い、嗚咽を漏らしながら泣いた。
 「ごめんなさい。お兄様。もう叩かないでください。」
 「ならば逆らわずに修行に励め。お前が生きる場所はここしかない……。」
 更夜はうずくまる憐夜に諭すように言葉を発した。
 「うう……うう……。」
 ただ、静かに泣いている憐夜を更夜は複雑な表情でただ見つめていた。
 ……おかしな家族の狂った規律は幼い憐夜を傷つけていく。
 

 あれからしばらく経っても憐夜は成長しなかった。飛び道具も必ず少しずらして投げ、体術はまったくやろうとしなかった。
 更夜は何度か酷い体罰を憐夜に与えた。しかし、憐夜は相変わらずだった。
 「憐夜、何をしている。まだ四つ身の訓練は終わっていない。返事をしなさい。憐夜。」
 憐夜は高い木のかなり上の方の枝に立ち呆然と景色を眺めていた。夜通しで訓練をし、山は夜明けを迎えていた。
 更夜はまた憐夜に体罰を加えなければならないのかとうんざりしながら憐夜がいる木の枝まで飛んで行った。更夜は憐夜の隣に軽やかに着地した。
 「……お兄様……。朝日ってなんでこんなにきれいなのでしょう?私はこんなにきれいな世界をどうして歩くことができないのでしょう……。」
 朝日に照らされた憐夜はせつなげで光の入った瞳はとても美しかった。
 「俺達は影だからだ。日の元を歩く人間ではない。」
 更夜は憐夜の横顔を見ながら目を伏せつぶやいた。
 「私は……運命を呪います……。私は……自分の生を呪います……。お兄様は本当は優しいお方……私は知っています……。ですが、それを出してはいけないのですね。」
 憐夜は更夜にせつなげに微笑むと瞳の色を失くし、続けた。
 「ごめんなさい。あまりにきれいな風景だったものですから見惚れてしまっていました。どういう風に描いたら一番きれいか考えてしまいました。……もういいです。」
 憐夜は素早く木から降りる。木から降りる瞬間、憐夜は四人になった。四つ身分身をしたようだ。
 「……憐夜……四つ身ができるのか?あの子は……ただやる気がないだけなのか。本当は才能が一番あるのかもしれない。」
 更夜も木から降り、地面に足をつけた。憐夜は何かを悟ったような目で着物を脱ぎ、木の幹に手をついた。背中を更夜に向ける。
 「……罰はしっかりと受けます。お兄様の手を痛めてしまいますね。申し訳ありません。でももう大丈夫です。もう泣きませんし、叫びません。」
 憐夜は冷たく暗い瞳で更夜を見ていた。更夜は憐夜の心変わりがはっきりとわかった。
 それは諦めの心と自身の運命を呪う心。これが望月の中でも異端である凍夜(とうや)望月家の一族が通る道。
 このように徐々に感情を失っていき、何に対しても何も感じなくなる。操り人形のように上の命令には逆らわなくなってくるのだ。
 更夜もそうだったからか憐夜の気持ちもなんとなくわかっていた。
 「……ふむ。良い心がけだな。」
 更夜は静かにつぶやくと憐夜のしなやかな背に木の枝を振り上げた。
 ……おかしな家族の狂った規律は憐夜から大切なものを非情にも奪っていく。


 憐夜に鞭打ちをした後、更夜は血のついた木の枝を見つめながら歯を噛みしめた。
 ……俺はあの子を変えてしまった……。あの子はとても優しい子だったはずだ。あんなに冷たい目ができる子ではなかった。
 ……これで……良かったのか?
 更夜は血で濡れている木の枝を捨てると立ち上がり、傷を癒しているはずの憐夜を探した。憐夜はすぐに見つかった。木々が少し開けた場所で傷口にさらしを巻くわけでもなく憐夜は呆然と座っていた。
 「……憐夜……。」
 更夜は憐夜にそっと声をかけた。
 「お兄様。きれいなお花が沢山咲いています。紙と筆があれば描いたのに。」
 憐夜は何事もなかったかのように目の前に咲く白い花を笑顔で見つめていた。
 「そんな事を言っている場合ではない。止血しなければ……。」
 「おかしなお兄様ですね。お兄様が私を叩いたのでしょう。こんなに、血が流れ出るくらいに何度も何度も。……もう痛くもないので問題はありません。」
 憐夜は感情のない声で更夜に答えた。
 憐夜は他の兄弟とは少し違う方面へ心が動いたようだった。
 この世界を恨んでいる……自分の事なんてもうどうでもいい。ただ、この世界を恨む。憐夜の顔はそう言っていた。
 「憐夜……。」
 「お兄様、それよりもお花がきれいです。こんなきれいなお花を絵にしてみたい……。お兄様はきれいなお花には興味はありませんか?あ、筆がなくても私の血でお花を描けばいいんでしたね。ちょうど出てますし。」
 憐夜の問いに更夜がどう答えるか悩んでいるとふと近くで女の声がした。
 「本当にきれいな花畑だ。こんなところにこんなものがあるとはな。」
 「お姉様。」
 更夜と憐夜の隣に音もなく立っていたのは千夜だった。千夜は一番年上のはずだが身長は憐夜よりも小さかった。
 「憐夜、しばらく見ぬ間に大きくなった。……だが、お前の心は間違っている。」
 千夜は憐夜の横に座るとそっと肩を抱いた。
 「お姉様……?」
 「感情を捨て、痛みを感じなくなる事は忍としては良い。だが、自分の事をどうでも良いと思うのは間違いだ。私達は常に生きようとしている。ただ、まわりに迷惑がかからんように自分で自分を守れるように我々は過酷な事をしているのだ。私達は家族だが仕事に出れば守ってやれん。だが、お前達が傷つくのは辛い。難しいがそれをまわりに知られてはいかんのだ。なぜならば敵の忍に逆手にとられるからだ。……ん?憐夜、怪我をしておるな?」
 千夜は優しい瞳で憐夜に声をかけた。
 「はい。木の枝で叩かれました。私がいう事を聞かなかったからです。」
 憐夜は平然と千夜に言い放った。
 「そうか。更夜はこんなもので済ませてくれたのか。良かったな。憐夜。傷は浅いがしっかりと処置をしなさい。これも修行だ。」
 千夜は感情なくつぶやくと憐夜の頭をそっと撫で立ち上がった。
 「……はい。……お姉様、もう行かれるのですか?」
 憐夜の問いかけに千夜は小さく頷くと更夜に近づいた。
 「お前の判断は間違っていない。憐夜の成長はこれからだ。あと三年、しっかり憐夜を作り上げるのだ。いいな。更夜。」
 「……はい。」
 千夜の言葉に更夜は素直に頷いた。千夜はそれを見、悠然と歩き出した。
 「……やはり妹に手を上げるのは辛いか?更夜。」
 千夜はふと思いついたように歩み出した足を止め、更夜を振り返った。
 「……いえ。問題ありません。これから徐々にしつけを厳しくしていきます。お姉様に対するご無礼、申し訳ありません。」
 更夜は憐夜のしつけが甘い事を指摘されたのだと思い謝罪したが千夜はゆっくり首を振った。
 「憐夜ではない。お前自身だ。だいぶん疲れた顔をしていた故な。大丈夫ならばそれでよい。私は齢二十二だ。故に仕事が忙しい。後は軽い任についている逢夜に頼むと良い。」
 千夜は一言つぶやくと足音もなく去って行った。
 「ありがとうございます。お姉様。」
 更夜は千夜の背中にそっと頭を下げた。
 ふと顔を上げると憐夜がいつの間にかいなかった。更夜は頭を抱え、憐夜の気配をさぐり、歩き出した。憐夜は花畑の下に流れているきれいな沢で傷ついた背中に水を流していた。そして一通り血を流すと自分でさらしを巻き始めた。
 「……憐夜、水をよく拭き取りなさい。そのままさらしを巻いてはいけない。」
 横で見ていた更夜は憐夜に注意をした。憐夜は突然現れた更夜に驚いていたが素直に頷くと自身の着物を少し裂き、腕を回して背中を丁寧に拭き、さらしを巻いた。
 「さて。では食事にしよう。憐夜、食べられるものを持って来なさい。食べられる野草については教えたな?」
 更夜は鋭く憐夜を睨みつけると憐夜の頬を思い切りはたいた。
 「……返事をしろ。」
 「……はい。お兄様。行ってまいります。」
 憐夜は頬を押さえながら足早に去って行った。
 「……あの子の足だとしばしかかるか。憐夜も腹を空かせているだろうから俺が魚を取っておいてやろう。」
 更夜は独りつぶやくと沢を泳ぐ大きめの魚をクナイで四匹仕留めた。
 更夜は沢の側に腰かけ精神統一をして憐夜を待った。しかし、憐夜は一向に戻ってこなかった。
 「……遅いな……。あの子は何をしている……。」
 更夜は心配になり少し気配を探ったが気配を感じなかった。
 「……探すか……。」
 更夜がそう思い始めた時、二つの気配を感じた。刹那、更夜は二つの人影を発見した。
 「……お兄様と……憐夜か?」
 人影は逢夜と憐夜のようだった。逢夜は素早くやや乱暴に更夜の前に着地すると憐夜を放り投げた。憐夜は全身傷だらけで身体は水で濡れていた。
 「お、お兄様……これは……。」
 更夜は逢夜と気を失っている憐夜を交互に見つめながら戸惑っていた。
 「更夜、憐夜が山から出ようとしていた。すげぇ抵抗されたんで二度とできねぇようにお仕置きしてやった。目的を吐かせようと頭を川に突っこんで拷問したが途中で気を失っちまったから連れてきた。心配すんな。手加減はしたし、水も吐かせた。しかし、こうも聞き分けがねぇとはな。」
 逢夜の非道さに更夜は何も言えなかった。更夜もこうやって何度も逢夜に暴行された。
 逢夜の折檻はいつも残酷だったがそれをやるには必ず理由があった。
 規律に厳しい伊賀忍者とは違い、甲賀忍者は忍をやめても殺される事はないが更夜の家系、その周辺の集団だけは厳格だった。これは甲賀忍者の質を高めるための手段だったようだ。里から出る事は抜け忍とみなされ、殺害される。憐夜のような弱い忍ならばすぐに見つかり処刑されるだろう。逢夜はそれに一番気を使っていた。
 「……甲賀でも俺達の家系じゃなけりゃあ逃がしてやるんだがこいつはちょっとまずかったな。絶対的な恐怖を与えねぇとまたやりそうだからな。泣き叫ばれようが謝罪されようが関係なく殴った。……妹とはいえ、齢十の小娘……俺ぁ、もう二度とやりたくねぇ。」
 逢夜は泣き叫んでいた憐夜を思い出し、顔を曇らせた。
 「もう泣かないと言っておりましたがやはり十の娘。お兄様は恐ろしい存在のようです。」
 「そんな事はどうでもいい。更夜、これはお前にも責任がある。よってお前にも仕置きがいるようだ。俺達の家系は連帯責任だ。わかるな?」
 「はい……申し訳ありません。お兄様。」
 逢夜の言葉に更夜は素直に頷き、着物を静かに脱いだ。
 ……おかしな家族の狂った規律はさらに憐夜を追い詰めていく。


 逢夜はしばらく更夜を痛めつけると何も言わずに消えて行った。
 更夜は逢夜が去って行くのを見届けると憐夜の怪我の具合を見た。憐夜は傷だらけではあったが重たい傷ではなかった。逢夜が手加減をしたのは本当の事のようだ。
 むしろ更夜の傷の方が重たいくらいだった。更夜は自身の傷の処置をする前に憐夜の傷の処置をしてやった。気を失っている憐夜を柔らかい土の上に寝かせると自身の傷の手当に入った。更夜が手当てをして憐夜の元に戻ると憐夜は目を覚ましていた。
 「憐夜、兄がそんなもので許してくれたのだ。感謝しなさい。そしてもう二度とやらないと誓え。」
 更夜が憐夜を叱りつけると憐夜は寂しそうに更夜を仰いだ。
 「お兄様、お兄様もお怪我を……。」
 「……お前が規律を破ると俺にも罪が飛ぶ。」
 「……そんなのおかしいです。普通の兄弟はちょっと喧嘩したりとか……助け合ったりとかするんです。こんなの酷いです……。」
 憐夜は更夜に小さくつぶやいた。
 「……憐夜、お前、里から勝手に下りたな……。もう少しで抜け忍になる所だったぞ。」
 更夜の言葉に憐夜はビクッと肩を震わせた。この周辺のことしか知らないはずの憐夜が普通の兄弟の事を知っている……これは憐夜が更夜の目を盗み、勝手に山を下りていた事を意味する。
 「……ごめんなさい。私は兄が妹に優しく接している所を見ました。兄と妹が小さい事で喧嘩をしている所も見ました。私達とは違っていました。……なんだか悔しくて殺してやりたくなりました。お兄様がいつも教えて下さるやり方で殺してやろうと思ってしまいました。」
 憐夜は憎しみのこもった目で拳を握りしめた。自分の環境では絶対に手に入らないものを羨む子供の目だった。地面に指で更夜を描き、さっと手でかき消した。
 「憐夜、仕事以外で人を殺すな。目立つ行動もするな。俺達から逃げたら殺される、そう思え。俺達の命令なしでここから出たら俺も、兄も、姉もお前を容赦なく殺すぞ。俺達は規律を守れば何もされない。だから兄も姉もこの規律を全力で守る。守る事で俺達も守られているのだ。」
 更夜は憐夜を諭すようにささやいた。しかし、憐夜は更夜を睨み返してきた。
 「こんなに痛い事して死んでしまいそうな暴力をずっと振るっておいて守る?それをおかしいとは思わないんですか!お兄様は大馬鹿ものです!」
 憐夜は更夜と兄弟喧嘩をしたかったようだった。半分演技のようであったが憐夜は更夜に怒鳴った。
 「憐夜、いい加減にしろ。」
 更夜は一言それだけ言った。殺気と威圧を込め、憐夜を睨みつける。
 「ううう……。」
 憐夜の顔に恐怖の色が浮かんだ。憐夜がふっかけた兄弟喧嘩の種はすぐになくなった。
 憐夜は更夜も逢夜も千夜も父である凍夜(とうや)も皆怖かった。上に逆らえば酷い罰がくる。そうやって恐怖心を植え付けられた憐夜は勇気を振り絞って口答えするだけで精一杯だった。
 ……私は動物?道具?それとも人間?お兄様……教えて……。
 「メシにするぞ。……憐夜。」
 更夜が冷たく言い放ち、憐夜に背を向けた時、憐夜が声を上げた。
 「あの……っ。演技でもいいです……。私に優しくしてください……。お願いします。お兄様……。私に優しく接して……。」
 憐夜は切なげに更夜を見ると更夜の着物の袖を掴んだ。
 「……いい加減にしろ。……俺に触るな。」
 更夜は憐夜の頬を再びきつくひっぱたくと歩き出した。
 「……そう……わかりました。私は道具……。道具なのね……。」
憐夜のむせび泣く声が更夜の背で聞こえた。更夜にはどうする事もできなかった。ただ、いままで自分が信じてきたものがすべて壊れていくような感じがした。
 ……おかしな家族の狂った規律は抗う憐夜を壊し続ける。


 しばらく時間が経った。やはり憐夜は修行をまじめにはやらなかった。更夜は若干の焦りを見せていた。父から言われたある程度まで憐夜はまったく到達できていない。むしろ、常人よりも少しだけ動きの速いレベルだった。このままでは憐夜の道は暗い。憐夜の身体には傷が残るばかりでこのままではいつ処断されるかわからない状態だった。
 「憐夜、いい加減にしろ。これは体術の練習だ。なぜ俺の言う事を聞かない。」
 更夜は憐夜の腹に軽い蹴りを入れた。憐夜は腹を押さえうずくまりゴホゴホと咳を漏らしていた。
 「憐夜、これは酷いな。」
 ふと横に千夜がいた。
 「お姉様……申し訳ありません。」
 更夜は憐夜の状態が酷い事について深く頭を下げた。千夜は刀の柄を更夜の腹に勢いよく打ちつけた。更夜は呻きその場に膝をつく。
 「一時はよいと思っておったがしばらく経っても状況が変わっておらんではないか。」
 千夜は更夜を叱りつけた。そのまま鞘に納められている刀で更夜の顔を殴る。
 「ごほっ……。も、申し訳ありませぬ……。お姉様。」
 更夜は口から血を吐き、苦しそうに呻いた。千夜は表情なく更夜に刀を振るう。更夜の顔を殴り、腹を殴り、背中を打った。鞘に入っているとはいえ、重たい刀、更夜は耐えがたい苦痛を受ける事となった。
 「お姉様!やめてください。」
 憐夜が更夜の前に慌てて入り込んだ。
 「憐夜、何故私達の言葉を聞かない。」
 あの時の優しげだった千夜の面影はなく、厳しい顔つきで憐夜を睨みつけていた。
 「こんなの兄弟の形としておかしいんです!違うんです!」
 「違うからなんだ?お前はそんな事を理由に我らに逆らうのか。お前は運命を恨み、我らに逆らっているようだが意味はない事を知れ。」
 千夜は刀の鞘部分で憐夜の顔を何度も殴り、体を刀で薄く斬り刻んだ。憐夜の顔が腫れていても身体から血を流していても構わずに暴力を続けた。
 憐夜は更夜が一番優しかった事に気がついた。
 憐夜は泣き叫び、千夜に許しを乞うた。
 「ごめんなさい……。許してください。もう……逆らいません。逆らいませんから!」
 千夜は憐夜の謝罪を聞き、手を引いた。憐夜の身体は血にまみれ、震えていた。
 「次、このような事があればその時は私が許さぬ。お前を監視しておるのが更夜だけだと思うな。」
 千夜は憐夜の髪を乱暴に掴むと目線を合わせさせて底冷えするような声でささやいた。
 「は、はい……お姉様……ご、ごめんなさい。」
 憐夜はガクガクと震えながら千夜に素直にあやまった。
 「次に逆らったら……そうだな、死にはしない程度になます斬りにしてそこの木に吊るすとしよう。一度、逢夜にはやった事があるがな。逢夜も私に反抗的だった故な。かなり痛いぞ。拷問だ。どうだ?やられたいか?……聞いておるか?憐夜。」
 「うっ……うう。」
 千夜の感情の入っていない声に憐夜は言いようのない恐怖心を抱いた。
 「返事をしろ。」
 千夜は憐夜の腹を刀の柄部分で容赦なく突いた。
 「うぐっ……がふっ……。」
 憐夜は胃液を口から吐くと苦しそうに呻いた。
 「返事をしろ……憐夜。」
 「は、はい……。申し訳ありません。お姉様。」
 千夜は憐夜を冷徹な瞳で一瞥すると更夜に向き直った。
 「更夜、ぬるいやり方では憐夜は死ぬ。真面目にやらないようであれば逆らえなくさせろ。憐夜は大事な妹だ。お父様から全力で守るのだ。」
 「……はい……。」
 更夜が静かに返事をした時、千夜は悲しそうな瞳で更夜を仰いだ。
 「……あと二年で憐夜がそこそこ成長しなければお父様は憐夜を斬り捨てる算段をたてている。憐夜を斬り捨てたら次は腹違いの弟である狼夜(ろうや)をお父様が育てる事になるそうだ。更夜……私は……どうすればよい?本当に……こんなやり方で良いのか……。」
 千夜は更夜に聞きとれるようにだけ話した。千夜も焦っているようだった。千夜の瞳は戸惑いで揺れていた。
 「お姉様……私が……なんとかいたします。」
 「……時間がない……お前では憐夜を育てきれない。逢夜に渡せ。逢夜はお前と違い、しつけるのがうまい。少々荒いがお前よりはマシだろう。その判断はお前がしろ。」
 千夜はそう言うと去って行った。
 「はい……。」
 更夜は苦しそうにつぶやくとうずくまって呻いている憐夜に目を向けた。
 ……おかしな家族の狂った規律は憐夜だけでなく更夜も壊しはじめる。


 更夜は憐夜の修行に力を入れ、気がつくと夜になっていた。真っ暗だが憐夜も更夜も夜目の訓練をしているため夜でも関係なかった。
 「メシにするぞ。いつものように食べられるものを持ってこい。」
 「……はい。」
 憐夜は珍しく素直に返事をした。更夜は憐夜の調子を見、何か様子がおかしい事に気がついた。
 憐夜が足早に去って行くのを見、しばらく経ってから憐夜の尾行をする事にした。
 更夜は木から木へと飛び移りながら下で走っている憐夜を監視した。憐夜は更夜が指定した場所ではない所へと入って行った。
 ……そちらへ向かうと山を降りてしまうぞ……憐夜。
 更夜は憐夜が何をしようとしているのかわかった。憐夜は更夜の目を盗み、逃げるつもりのようだ。
 ……そんなにここから逃げたいか……憐夜。
 更夜はさらに憐夜の後を追った。
 ……ん?あの子はこの周辺をウロウロと何をしている?
 憐夜は同じところをグルグルと回っていた。
 「あれ?おかしいな。たしかこっちのはずだったんだけど……道が……わかんなくなってしまったわ。」
 憐夜は不安げに独り声を漏らした。どうやら逃げ道を見つけていたようだが夜だったため場所がわからなくなってしまったようだ。
 ……場所が……わからなくなってしまったのか。このまま右に行けば山を下りられるが……。
 更夜はふと甘い考えが浮かんだ。
 ……このまま俺が憐夜を逃がしてやれば……今ならば誰の気配も感じないので憐夜を逃がしてやれるかもしれない。逃げた後、探されるがそれをうまく操れば見当違いの場所を探させることができるかもしれない。そうすれば憐夜は遠くに逃げられる……。
 更夜は右に行くように誘導してしまった。憐夜がいる木の近く目がけてクナイを放った。憐夜は飛んでくる風に気づき、咄嗟に更夜の方を向いた。
 「見つかった?あっちからクナイが……。逃げなきゃ!捕まったらまた……。」
 憐夜はクナイが投げられた方向とは逆に逃げて行った。
 ……そうだ。そっちに走れ。
 更夜は必死で走る憐夜を黙って見つめていた。憐夜を追い、わざと足音を立てたりクナイを放ったりなどして的確に誘導してやった。憐夜が山を下り、もう少しで抜け忍とみなされる場所まで来た時、更夜は淡い幻想を抱いていた事に気がついた。
 ……ダメだ。俺は何をしている。俺の家系を甘く見てはいけない!あの子の能力では俺の家系には勝てない……。いますぐ捕まえて連れ戻さないと殺されてしまう……。
 更夜は慌てて木から飛び降りると憐夜を追って走り出した。更夜が走っていると千夜に前を塞がれた。
 「おっ……お姉様!憐夜が……。」
 更夜は必死の表情で千夜に声を上げた。
 「ん?憐夜?憐夜がどうしたのだ?ああ、それより近くに隠れられそうな洞窟を見つけたのだ。あそこはなかなか見つかりにくいぞ。確か、ここから北の方角にあったな。村にだいぶ近いぞ。ああ、そういえば南にも同じような洞窟があったがあれは使えんな。私はあそこへはいかん。お前も……南のあそこは知っているか?大きな岩がある所でな……。」
 「お、お姉様?今はそんな事を言っている場合では……。」
 更夜がそうつぶやいた時、近くに憐夜の気配を感じた。憐夜は足音が近い事に気がつき、動くのをやめたらしい。近くで隠れているつもりのようだ。
 「……ここから北の洞窟はお兄様たちが来る可能性がある……でも南の洞窟なら……。」
 ふと憐夜の独り言が聞こえてきた。憐夜は更夜達に聞こえていないと思っているらしいが更夜達にははっきりと聞き取れた。もう憐夜の居る場所も更夜にはわかっていた。
 おそらく千夜にもそれがわかっているだろう。
 更夜は千夜の意図がわかった。
 ……お姉様も憐夜を逃がしてやろうと思っているのか?
 「さて、更夜、お前はこんなところで何をしているのだ?憐夜がこんなところまで来る事ができるはずがないだろう。私が監視をしているのだから。いつもの場所で憐夜が腹を空かせて待っているやもしれぬぞ。今回は私も食事に同席させてもらおうか。今は仕事がない故な。」
 千夜はいつになく饒舌に話すと更夜を促し、元の道へと歩き出した。
 「……は、はい。」
 更夜は千夜に促されるまま憐夜に背を向け歩き始めた。
 ……お姉様は自分が監視していると言った。この山から逃げたら俺のせいではなく、自分の過失にしようとお姉様はしている。そして忍がまずいかないだろう南の洞窟に行くように憐夜を動かした……。
 「お姉様……これは私の過失でございます……。いますぐ憐夜を……。」
 「何の話だ?」
 千夜は更夜にちらりと目を向けるとさっさと先へ行ってしまった。
 「お姉様……。」
 更夜は千夜の背中を黙って見つめ、歩き出した。
 

 次の日、憐夜が逃げた事はすぐに発覚してしまった。千夜は父である凍夜の元へ呼び出された。
 「千夜、憐夜はどこに行った?」
 更夜達と同じ銀色の髪に鋭い目で凍夜は千夜を睨みつけていた。望月の隠れ里にある集会所のような所に千夜はいた。まわりは他の甲賀望月が同席していた。この中で厳格な体制を敷いているのは三つの望月家だった。
 「……憐夜がおりませぬか?私にはわかりかねますが……。」
 「本気で言っておるのか?お前は居場所を知っているだろう?」
 凍夜は千夜を見透かすように言葉を発した。
 「いいえ。わかりませぬ。」
 「昨夜、他の者がお前と更夜とそして憐夜を見ている。お前は知っているはずだ。どこへ行った?」
 「知りませぬ。」
 千夜は断固として認めなかった。
 「認めぬ気か……。」
 他の望月家の者達が立ち上がり千夜に襲い掛かった。千夜は軽やかにかわし、襲い掛かって来た者をすべて倒した。
 「さすがだな。千夜。この父に逆らうとは……。」
 千夜は凍夜の低く鋭い声にビクッと肩を震わせた。幼少の時からの記憶が千夜を縛る。
 ……父親に逆らってはいけない。
千夜ならば今の凍夜には勝てるはずだった。だが千夜の身体は何かの術にかかったかのように動かなくなった。
 「……くっ……。」
 「勝てると思ったか?千夜。」
 千夜の頬を絶えず汗が流れる。凍夜が近づくにつれて千夜の身体の震えは大きくなっていった。
 「……っ。も、申し訳ありませぬ……。お父様……。」
 千夜は意思とは裏腹、凍夜に許しを乞うてしまった。
 「ふむ。認めるんだな?では、憐夜はどこにいる?」
 「しっ……知りませぬ。」
 「なるほどな。逢夜を呼んで来い。」
 凍夜は顔を千夜に近づけると他の忍に逢夜を呼ぶように言った。
 「お、逢夜は……逢夜は関係ありませぬ。」
 「黙れ。これは見せしめだ。」
 凍夜は指で千夜の顎を持ち、クイッと上げた。
 「うっ……うう。」
 千夜は恐怖心で満たされて行く自分をただ受け入れるしかなかった。
 ……千夜の心はもうすでに狂った規律に壊された後だった。


 しばらくして逢夜が集会所に慌てて現れた。
 「何事ですか。お父様……。はっ!」
 逢夜が入るとすぐに千夜が目に入った。逢夜は息を飲み、千夜をじっと見つめた。千夜は裸にされ、両の腕を縄で縛られ吊るされていた。
 「お父様……これは……。」
 「お前は憐夜の場所を知っておるか?」
 「憐夜?憐夜は今、更夜と共に……。」
 逢夜は怯えた表情で凍夜と千夜を見つめていた。
 「逃げた。抜け忍となった。」
 「にげっ……。」
 逢夜は凍夜の鋭い声を聞きながら動揺していた。逢夜の瞳には弱々しい顔でこちらを見ている千夜が映った。
 「更夜が逃がし、千夜は黙認したようだ。これから千夜は仕置きだ。」
 凍夜は持っている青竹で千夜の背中を三回ほど打った。千夜は痛みに顔をしかめたが何も言わなかった。
 「……っ。」
 顔色が悪くなる逢夜に凍夜はさらに冷たい声で語った。
 「憐夜は忍としては出来損ないだが我が里の事がばれてはいかん。逢夜、いますぐ殺して来い。」
 「そ、そんな事はできませぬ……。お、おそらくまだ更夜と共におります。」
 「行け。我々も暇ではないのだ。憐夜は里から逃げた。お前が殺せぬというならば……。」
 凍夜は千夜の胸を薄く刀で斬った。
 「……。」
 千夜は痛みに顔をしかめた。千夜の胸に一筋の切り傷が出来、そこから血が溢れるように流れた。
 「おやめください。わ、私が憐夜を殺せばお姉様は傷つかずに済むのでしょうか?」
 「……憐夜を逃がした罪は大きい。だがお前が殺しに行けば最小限で済ませてやる。我らは連帯責任だ。わかるな。そして殺したという証拠をちゃんと持ってこい。お前がもたもたと憐夜を探しておると千夜の身体に傷が残っていくぞ。」
 凍夜は続いて千夜の頬を刀の柄で殴った。
 「うぐっ……。」
 千夜は低く呻いた。
 「俺が数えて十で千夜は何かしらの罰を受けるという事にする。今から始めるぞ。一、二、三……」
 「……っ!そんなっ……そんな事がっ……俺が……憐夜を殺す……?」
 逢夜はしばらく頭が真っ白になり、ただ震えていた。
 「十だな。」
 凍夜はそうつぶやくと千夜の左胸を薄く斬った。
 「んっ……。」
 千夜の身体に痛みが走り千夜は小さく呻く。
 「声を上げるなと教えたはずだぞ。千夜。」
 凍夜は冷たく言い放つと周りを囲んでいる忍のひとりに合図を送った。忍は何も言わずに立ち上がると千夜の口を布で縛り上げた。
 「んん……んん……。」
 千夜は逢夜を視界に入れながら何かを訴えていた。
 逢夜には千夜が何を言いたいのか伝わった。
 ……憐夜を逃がせ。殺すな……。殺してはいけない……逢夜!
 千夜は逢夜にそう言っているようだった。
 「十だ。」
 凍夜は太い青竹を取ると千夜の腹に深く打ちつけた。
 「んぐぅ!」
 千夜を縛っている縄が大きく動くほどの衝撃だった。千夜は胃液を吐き、痛みに悶え、体を折り曲げた。
 「十だな。」
 凍夜は青竹で今度は千夜の背を打つ。
 「んんん!」
 千夜は目に涙を浮かべ痛みに耐えるがあまりの痛みに今度はのけ反った。
 逢夜は拷問のような折檻をとても見ていられなかった。
 「十だ。早くせんと千夜が死ぬぞ。」
 凍夜はそうつぶやき、今度は千夜の背に鞭を入れた。乾いた音と共に千夜の背から血が飛び散った。
 「うっ……!」
 「お、お姉様……申し訳ありませぬ……。お許しください。」
 逢夜はそう言うと千夜に背を向け、走り出した。
 「はっ……はっ……。」
 逢夜は無我夢中で憐夜の元へ駆けていた。憐夜の居場所はなんとなくわかっていた。
 昨夜、人一人分が隠れられる場所がどこかにあるかと千夜から尋ねられたからだ。
 候補として挙げた場所の内、一番近い所に憐夜がいると踏んだ。
 ……俺が憐夜を殺さないといけねぇ……。こんな事ってねぇよ……。
 逢夜は山を下り、南にある洞窟へ向かった。草木が覆い茂る場所に人一人くらいが隠れられるような穴があった。憐夜は逢夜が来た事を知り、背を低くして穴に隠れていた。逢夜は気配で憐夜がいる場所を見つけて憐夜を引っ張り出した。
 憐夜は青い顔で逢夜に背を向け逃げ出したが逢夜は後ろから憐夜を押さえつけた。
 「逃げんじゃねぇよ。」
 「お、逢夜お兄様……。」
 「お前は俺達を裏切った……。もう俺はお前を止める事もしないし、手をあげる事もない……。もう遅い。」
 「……。」
 逢夜の言葉で憐夜は急に大人しくなった。憐夜は色々と悟ったようだ。
 「お前がお父様の仕置きを受けるというならば山の中からは出ていなかった事にしてやる。戻る気がないのであれば……死ぬしかない。だが、俺はお前を斬りたくない。」
 「お兄様、もう前者は無理ですね。私が戻ったら更夜お兄様もお姉様も皆酷い罰をうけます。痛い事はいけません。皆幸せになれません。」
 「馬鹿野郎……。なんでそこまでわかっていて逃げたんだ!」
 逢夜は目に涙を浮かべながら憐夜を地面に押し付けた。
 「一瞬でも光の中を歩いてみたかった……ただそれだけでした。貧しくてもいい、辛くてもいい……だから人と笑い合って楽しく暮らしたかったんです!できればお兄様、お姉様と楽しくお話しがしたかった!優しくされたかった!それがかなわなかったから私は自分でかなえようとしたんです!人を殺すことなんて嫌だ!人を傷つけるなんて嫌だ!私は道具じゃない!動物でもない!私は心を持った人間なの!」
 憐夜は幼い子供の様に泣きじゃくっていた。
 逢夜はそんな憐夜を見ながら悟った。
 ……こいつはもうダメだ。いらない事に気がついてしまった。もう連れ戻す事は不可能だ。
 俺が見逃したとしても他の忍に惨殺されるだろう。ならば俺が優しく殺してやるしかない……。
 逢夜はそのような判断しかできない自分をとても悲しく思った。
 「憐夜……。」
 逢夜は憐夜を離してやると少し距離を取り、優しく名前を呼んだ。
 「お兄様?」
 逢夜が見せた優しげな声に憐夜はきょとんとした顔をしていた。
 「こっちにおいで。」
 逢夜は優しい顔で憐夜を手招いた。憐夜は戸惑いながらも逢夜の前まで来た。
 逢夜はそっと憐夜を抱きしめた。
 「お兄様?」
 「お前はとても良い子で優しい子だ。俺達の世界にはいちゃいけなかった……。辛かったな。いままでごめんな。憐夜。」
 逢夜はゆっくりと憐夜の頭を撫でた。憐夜は初めて優しくされ、戸惑っていたが逢夜の背に手をまわし、大声で泣き始めた。逢夜はそんな憐夜を強く抱きしめ、ただあやまった。
 「……ごめんな……。憐夜。……ダメな兄と姉を許してやってくれ……。」
 逢夜は優しい言葉をかけ、そっと頭を撫でながら背中から憐夜を小刀で突き刺した。
 「うっ!」
 憐夜は低く呻き、わずかに動いた。刹那、袖に隠してあった絵筆がぽとりと地面に落ちた。
 「……筆?お前……こんなものどこで……。」
逢夜は自分達が散々傷つけてしまった憐夜の身体をそっと抱きながら小さくつぶやいた。
 「絵描きさんに……もらったんです……。おにい……さま……。私は運命を……呪います……。自分の生を……呪います……。私は道具じゃない……。生まれ変わったら……子供に絵を配る絵描きさんに……なりたい……な。」
 憐夜の身体から温かさが消えいき、瞳にも光が消えた。憐夜は更夜達の目を盗んでかたまたま会っただけかわからないが絵描きから筆をもらったようだ。そして自分も絵描きになりたいと思い、山を下りたのだった。
 「くそっ……。」
 逢夜が歯を食いしばった時と憐夜の身体から力が抜けるのが同時だった。逢夜は自分が散々殴った憐夜の顔をそっと撫でる。
 ……皆が楽しく生きられる人生なんてねぇんだよ。俺はこうなる事がわかっていたから全力で止めたんだ!俺達はあの家系からは逃げられない。だから俺はあの家系から逃げなくても兄弟が生きていられる環境を作ろうと努力したんだ!本当はお前なんかに手は上げたくなかったんだよ!なんでどいつもこいつも俺の事をわかってくれねぇんだ!
 「畜生!」
 逢夜はそうつぶやくと憐夜の身体を抱き、去って行った。
 ……おかしな家族の狂った規律に逢夜もすでに壊された後だった。
 

 逢夜は光のない瞳で里に戻ってきた。冷たくなった憐夜を抱きかかえ、集会所へと入る。
 そこにはすでに誰もおらず、ただ、酷い暴行を受けた千夜が血だまりの中で倒れていただけだった。逢夜を監視していたものがいたようで憐夜が死んだことはもう伝わっていたようだった。
 ……どちらにしろ……憐夜が逃げられるはずもなかった。先程逃がしてやろうと思ったが俺が見逃しても俺を監視していた忍が殺すだろう。
 「……お姉様……申し訳ありませぬ……。」
 「憐夜……憐夜ァ……。」
 千夜は頭を抱えるようにしてうずくまりながらただ憐夜の名を呼んでいた。
 ……千夜、逢夜、更夜の心にほんの少しだけ残っていた優しさはこれを期に完全に消え失せた。

四話

 「酷いね……。憐夜って子、かわいそう。」
 スズは一通り話を聞き、せつなげな表情を浮かべた。
 「あの後、俺はお兄様に折檻を喰らい、お兄様はお父様に折檻を喰らった。お兄様が意識を失うほどの怪我をしたのはあれが初めてだと思う。俺の分まで仕置きを受けたようだった。もう頭が上がらない。あれから俺は完全に感情を消した。俺達にもう心はなかった。」
 更夜はため息をつくとなんだか懐かしくなったのかスズを優しげに見つめた。
 「……わたしも更夜の家系はおかしいと思うわ。お仕置きが重すぎるよ。……狂ってる。」
 「拷問の訓練も兼ねていたのだ。仕方ない。」
 今の更夜は昔と比べると幾分か柔らかくなった。長年かぶってきた忍の仮面が今頃になってやっとはずれてきたようだ。
 「それにしても憐夜がなんで今頃になってセイと関係するんだろう?」
 スズの疑問に更夜は低く唸った。
 「それはわからん。俺は平和に過ごしている事を望んでいるが……何かに巻き込まれていたら俺がなんとかしなければ。」
 「……わたしも頑張るよ。」
 スズと更夜は千夜の情報を待つ体勢に入った。


 天記神の図書館でライは平敦盛の資料に埋もれていた。
 「もー……どれが本物なのか全然わからないよ。」
 「そうなると思ったけど……。」
 半分涙目のライの隣で天記神は呆れた目を向けた。
 「こうなったらかたっぱしから行ってみるしかないですよね!」
 「ライちゃん、ライちゃん……よく考えたら資料になっている段階で書いた人の主観が入るから本物の平敦盛じゃないかもしれないわ。」
 「えーっ!じゃあ、いままでのはなんだったんですか……。」
 天記神の言葉にライは頭を抱えて呻いた。
 「ごめんなさい。気がつくのが遅かったわね。」
 「うう……じゃあ他にやる事は……。あっ!そうだ!ノノカって女の子の事を調べよう!天記神さん!クッキングカラーって漫画、ここにありますか!?」
 勢いよく天記神の方を向いたライは大声で叫んだ。
 「え?クッキングカラー?あったと思うけど……。」
 天記神は顔をひきつらせながらライに目を向けた。
 「ノノカって女の子のお姉さんの世界でもしかしたらノノカさんもいるかもしれない!」
 「あら、これね。少女漫画の。」
 天記神はどこからか少女漫画を沢山持って来た。タイトルは「クッキングカラー」。
 「あ、これです!これ!」
 ライは漫画の一冊を取ると天記神を仰いだ。
 「私、これからこの世界に行ってきます!えっと、本を持っていけば天記神さんの図書館に戻れるんですよね?」
 「えー……それはわからないけど……以前ライちゃんで成功しているし……大丈夫じゃないかしら?私は心配よ……。時神は動くなって言ったんでしょ!?」
 天記神は不安げな顔でライを見ていた。
 「ですが……何がセイちゃんに繋がるかわかりませんから。」
 「あ、じゃあ、時神の本も持っていきなさい。もし失敗したらこの本で時神の所へいきなさい。」
 天記神はやる気満々のライに弐の世界の時神の本を差し出した。
 「ありがとうございます!行ってきます!」
 ライは勢いよく立ち上がると本を片手に天記神の図書館から出て行った。
 「なんというか……やる気満々だわね……。」
 天記神は颯爽と去るライに目を丸くしていた。


 「よし!じゃあ、私の能力で……。」
 ライは弐の空間に入ってから想像の弐を出現させるため筆を振るった。弐の世界で絵を描き、自分の世界を作る。ライは一つのドアを描いた。
 「お姉さんの世界に行けますように……。」
 ライは手をそっと合わせるとドアノブを握り、中へと入った。ライが持っていた少女漫画が突然、空を飛び始めライを引っ張って行った。
 気がつくと西洋風のお城の前に立っていた。あたりは暗く、月が出ていた。
 「つ、着けた?……着けた……ね。」
 ライはあたりをよく見まわし、この間来た場所なのかを念入りに見た。
 ライは以前、この世界に来た事があった。本来、壱の世界の者は弐の世界に入れない。だがライは以前、この世界観を持っているノノカの姉を救った事があったため、入れたようだ。
 ……この世界で以前、笛の争奪戦があった……。
 ライは思い出すように頷きながら一歩一歩歩き出した。
 ……そこから笛はセイちゃんに渡り、セイちゃんは平敦盛の世界を探している……。
 ……ああ……ダメだわ。ここに来て何かわかるわけないか。ノノカさんのお姉さん、関係ないし……。おまけにノノカさんいないし。
 しばらく探偵気分だったライは深いため息をついた。
 ライは唸りながら歩いていると木々の隙間から銀髪の女の子が立っているのを見た。
 「……?霊かな……。あれ?なんか昔から知っているような気が……。」
 ライはその銀髪の女の子にそっと近づいた。とりあえず近くの草むらに隠れ、観察を始めた。
 「……すごくきれいな世界……絵に描いたみたい。……この世界も後悔の念に縛られた世界……。どこへいってもそうだわ。」
 銀髪の少女はぼそりとつぶやいた。
 ライはその少女が更夜に似ている事に気がついた。
 「あの子……更夜様に似ている。ちょっと話しかけてみよう……。」
 ライはそっと草むらから出た。その時、わずかに草を揺らしてしまい、がさっとやや大きめの音が響いた。刹那、銀髪の少女はハッとこちらを向いた。
 「……誰?K?」
 「……K?」
 銀髪の少女の言葉にライは首を傾げた。Kという言葉……どこかで聞いたことがあった。
 「……Kじゃない……?」
 少女はライを見て小さくつぶやくとそのまま走り去った。
 「ああ!待ってよう!」
 ライは少女に向かい叫んだが少女がこちらを振り向く事はなかった。
 ライは追いかけるのを諦め、先程の単語、Kについて考え始めた。
 ……K……どこかで……あっ!
 ライは更夜の日記を読んでしまった時の事を思い出した。
 ……あの秘密の日記にKについて書いてあった!Kって何なんだろう?
 ライが唸っているとすぐ後ろで威圧感のような気配がした。
 「ひっ!?」
ライはビクッと肩を震わせ、恐る恐る後ろを振り向く。すぐ後ろには先程の少女と似ているが先程の少女よりも身長が低い少女がいた。銀髪の髪に羽織袴。
「あっ!えっと……更夜様のお姉さん!」
「千夜だ。」
ライの後ろに立っていたのは千夜だった。
「せ、千夜さん。どうしてここに?」
「妹を追って来たのだ。名を憐夜と言う。今の少女……憐夜の可能性が高い。」
「憐夜さんをなぜ追っているのですか?」
ライは恐る恐る千夜に質問をする。ライにとって千夜はよくわからないがとても怖かった。
「セイに関係するとの事だからだ。」
「セイちゃんに!?」
「ああ。言っておらんかったか?そうか。お前はいなかったな。」
千夜は顔色が悪いライに丁寧にいままでの事を説明した。
「そんな……セイちゃんが……。」
ライはその場に崩れ、泣きはじめた。
「ライだったか?泣いても変わらんぞ。セイは死んだ。それは事実。だが弐の世界ではまだ生きておる。暴れるセイを止められるのはライだけかもしれぬのだぞ。」
千夜はライの背中をそっと撫でると優しく声をかけた。
「じゃあ、もう平敦盛さんの世界に行っても意味はないって事ですね。」
「そうだ。もうない。」
「……何とかして敦盛さんの世界も元に戻してあげないと……。」
ライがかなしげにそうつぶやいた時、世界が歪むような感じがした。
「……む……。この感覚は……。」
千夜はライをかばうように立つと夜空を見上げた。ライも千夜に習い空を見上げる。
「……っ!セイ……ちゃん!」
千夜とライの上空に禍々しいものが纏いついているセイが表情なく浮いていた。
「やはり……。」
千夜はつぶやくとクナイを構えた。セイはそんな二人には構わず、世界を壊しはじめた。
持っていた笛を乱暴に吹く。まわりの風景がまるで爆弾でも落とされたかのように弾けて消えた。
「ううっ!」
ライと千夜は気味の悪い音色に思わず耳を塞いだ。まったく動くことができなかった。
ふとライの瞳にオレンジ色の髪が映った。オレンジ色の髪の男はセイを攻撃し、遠くへ弾いた。
「あ、あれは……トケイさん!?」
ライは無表情で飛び去るトケイをただ茫然と見つめていた。
「あれはセイを排除しようとしているのかなんなのかわからんな。」
千夜は耳から手を離すとため息をついた。
「鎮圧システム……。トケイさんが言ってたあれだわ!きっと!」
「ふむ。よくわからぬがセイを止める方法はないのか?」
「わかりません……。」
ライは戸惑いの表情で千夜に目を向けた。
「そうか。ならば仕方あるまい。一時退くことにしよう。」
千夜がそうつぶやいた時、ライの頭に先程の事が浮かんだ。
「ちょっと待ってください!千夜さん!」
「ん?」
「さっき、憐夜さんって方がセイちゃんと関係があるって言ってましたよね?その憐夜さんがKという単語を漏らしました。Kは以前、更夜様のご自宅の日記に名前が書いてあって……。」
「更夜の日記?では一度更夜の元へ行くとしよう。この世界はセイから守られたようだが早めにここから出る事をお勧めする。」
千夜は表情なくつぶやくとさっさと消えてしまった。
「……千夜さんって感動とか驚きとかそういうのないのかな……。」
ライは千夜を追う事を諦め、セイを追う事にしたがセイはもうこの世界からは出て行ってしまったようだ。トケイも見つからなかった。
「……やはりKにいきつきましたか。」
「ひぃ!」
ふとライの背後で先程とは別の女の声がした。ライはビクッと肩を震わせゆっくりと後ろを向いた。
「え……えーと……。チヨメさん?」
ライの背後にいつの間にか立っていたのは茶色かかった髪を腰辺りまで伸ばしている女だった。体つきは細いがどこか色っぽさがある。ライは以前、この女と何回か会っているので顔は知っていた。名前は望月チヨメという。
「さっきのは千夜ですか?私も望月家ですから顔くらいは知っていますが彼女についてはほとんど知りませんね。」
チヨメは妖艶に笑うとライをじっと見つめた。
「な、なんでしょうか?」
「別に何でもないのだけれど、あなた、Kについてはどれだけ御存知?」
「え?まったく知りません。」
「ふーん。そう。私もほとんど知らないわ。Kの使いはこういう弐の世界での事件の時に現れるって聞いた事はあります。もしかしたらノノカちゃんの心も救ってはくれないかと思って探しているのですが……。」
チヨメはため息交じりにライを見つめた。
「あれ?チヨメさん……笛を追う事は諦めたんですか?」
「馬鹿ね。今更あんなもの追ってどうするのよ。私は途中で笛をノノカちゃんに渡す事が無意味であることに気がついたの。だから状況を少しかき混ぜて、Kを出そうと思い始めたのですよ。……今はああやって世界を壊していくものが出て来ちゃったからそれを防ぐ事も考えないと。ノノカちゃんの世界が壊れてしまったら大変ですからね。」
「そ、そうですか……。」
ライはチヨメに押されるように頷いた。
「あ、そうだわ。私も甲賀望月でしたからわかりますが更夜の妹、憐夜ちゃんは後にあの辺の村一体の昔話になっているそうです。なにせ幸薄な人生でしたから。……その昔話をあなた、読んであげなさい。あなたは絵の神様なんでしょう?」
「……?は、はい。」
ライはチヨメの言動がよくわからずに首を傾げた。
「この世界のほとんどが後悔の念に縛られている……。その後悔の念を解き放つ方法をわたくしは探しています。Kならば何か知っているはずなのでわたくしはKを追っているのです。おそらく憐夜ちゃんもそうなのでしょう。……あなたと憐夜ちゃんは何か関係しているのではとわたくしは思うのです。」
チヨメはよくわからない言葉を言い残し、その場から去って行った。
「……更夜様の妹さんの昔話?セイちゃんにも繋がってKにも繋がる?……とりあえずそこから調べて行こうかな……。天記神さんの図書館に置いてあるかな……。」
ライはいったん天記神の図書館に戻る事にした。ドアを描き中に入る。「クッキングカラー」がタイトルの少女漫画が光りだし、ライを導いた。
 

五話

 ライは気がつくと天記神の図書館の前にいた。
 「やった!やっぱり元に戻れた。」
 ライは鳥のように飛んでいる少女漫画を手で掴むとそっと図書館の重たい扉を開け、中に入った。
 「あら、お帰りなさい。ライちゃん。やっぱりちゃんと戻れたのね!……よかったわ。何か収穫はあったかしら?」
 「天記神さん!すぐに甲賀望月の憐夜さんについての昔話を出してもらえますか!」
 ライは戻るなりまっすぐに天記神を見つめ、勢いよく言葉を発した。
 「えっ?ええ?憐夜って子の昔話……?ええっと……確か……。」
 天記神はライに押され、戸惑った顔で手を横にかざした。すると天記神の手にどこからか一冊の本が現れた。
 「……これ……かしら?」
 天記神は『忍の少女』という物語本をライに差し出した。物語の表紙絵は銀髪の少女が悲しげに佇んでいるものだった。
 「……あ!たぶんこれです。ありがとうございます。」
 「これが……どうしたの?」
 天記神はライに本を渡すと不思議そうに表紙絵を眺めた。
 「実は憐夜さんは弐の世界の時神である更夜様の妹さんでセイちゃんにも繋がっているらしいのです。」
 「そうなの?」
 天記神の言葉に頷いたライは本をそっと広げた。
 

 昔々のお話でございます。絵を描きながら歩く少し変わったお爺さんがおりました。紙は貴重なものだからと子供達に見せるのはいつも砂地に描く絵でした。
 お爺さんは毎日、木の棒で絵を描き、村の子供達を喜ばせておりました。
 そんなお爺さんはある時、たまたま、森の奥深くへと入ってみようと思いました。
 明け方、険しい山道を歩いていると幼い少女に出会いました。少女はまだ子供だというのに髪が何故か銀色でした。
 「こちらにおいで。」
 お爺さんはそっとささやきましたが少女はお爺さんが持っている木の棒に怯え、こちらに来ませんでした。
 そこでお爺さんは木の棒で地に馬を描いてやりました。それを見た少女は興味津々にお爺さんに近づき、輝かしい笑顔を向けました。
 「お馬さんだわ!凄い!」
 少女は楽しそうに笑い、お爺さんも幸せな気持ちになりました。お爺さんはまたここに来て絵を描いてあげようと約束し、少女と別れました。
 それからお爺さんと少女は明け方近くによく会うようになりました。絵の描き方も教えてやりました。
 「君はなかなか上手だねぇ。地面ではなく筆と紙で描かせたいくらいだよ。」
 お爺さんは少女の腕前に驚き、楽しそうな少女にそう語りかけました。
 「ほんと!?」
 「ああ。今度は紙を持ってくるから約束として筆は君が持っていなさい。君、名前は?」
 お爺さんは喜ぶ少女に筆を渡し、名前を尋ねました。
 「私、憐夜。望月憐夜。」
 「望月!」
 少女は自分の名前を笑顔で言うと颯爽とその場から去って行きました。お爺さんはその去って行く少女の背を見、呆然としました。
 「忍の者か……。」
 お爺さんに恐怖の色が浮かびましたがあの少女を放っておけずにおりました。
 その次の日、お爺さんは再び少女がいるであろう場所へと向かいました。
 少女は何故か怪我を負っておりましたが筆を眺めながらお爺さんを待っていました。
 「君、君、その怪我はどうしたんだい?」
 お爺さんが少女に尋ねると
 「こ、これは何でもないの。それよりも紙持って来てくれた?」
 少女は戸惑いながらお爺さんに答えました。お爺さんは他に何も聞かず、少女と一緒に紙に絵を描きました。少女は自分が描いた絵にとても感動しておりましたがふと悲しげな顔に変わりました。
 「どうしたのかな?憐夜。」
 お爺さんは少女の悲しげな顔を不思議に思い、話しかけました。
 「私は……絵が好き。だけど……私は……。」
 「逃げたいならば逃げてもいいんじゃないかな。」
 お爺さんは少女が何かから逃げていると思い、優しく言葉をかけました。
 少女は何も言わずにせつなげに微笑むとその場から去って行きました。
 それからお爺さんはその少女に出会う事はありませんでした。
 山を下り、しばらく歩いた先で少女に渡したはずの筆が血に塗れて落ちていました。
 少女は絵描きになるために忍から逃げましたが仲間に殺されてしまったようでした。
 お爺さんは自身の言動と判断を悔やみ、少女にあげた筆を祭り、少女の幸せと絵をこれからも愛してくれますようにと祈ったのでした。
 「……悲しいお話ですね。」
 ライは一通り物語を読み終わり、せつなげにため息をついた。
 「ライちゃん、その後のページに解説が載っているわよ。」
 天記神に言われ、ライは慌てて次のページに目を向けた。
 「え……。……憐夜の説は色々とありますが現在、芸術の神である絵括神憐(れん)(現代は莱〈らい〉)として祭られております。のちに音括神静(せい)、語括神舞(まい)と姉妹として蘇り、現代の芸術三姉妹として夢見神社の御祭神となっております。……って……ええっ!?」
 ライは最後のページを読みながら叫んでしまった。
 「あ、あらあら……。」
 「憐夜さんが……私の産みの親?」
 「そうみたいね……。」
 「その憐夜さんがセイちゃんと関係するの?」
 ライはふと天記神を見上げた。
 「それはわからないわよ……。私を見ても……お力にはなれません。」
 困惑している天記神を一瞥し、それもそうかと思ったライは本を静かに閉じた。
 「……弐の世界で会った、望月チヨメさんという忍者さんがこの世界は後悔に縛られている世界でその後悔の念をなくすためにKを探しているって言っていました。Kとはそんなに有名なのですか?」
 「Kについては全く知りませんが……Kの使いであれば多少知っているわ。……弐の世界を自由に動けるし壱の世界の神を運べるようよ。」
 「それはつまり、トケイさんと同じ能力を持っているという事ですか?!」
 ライの声が大きかったのか天記神は押されるように答えた。
 「え、ええ。そのようですが……Kの使いの場合、多数の者を連れる事ができるみたいで肌に触れなくても運べるようね。私も一度Kの使いに会った事がありますが後ろをついていくだけで弐の世界を渡れました。あ、この図書館外に出るのは私にとっては違法だから他の神には言わないでね。」
 「は、はい。……それにしても不思議ですね……。Kの使いに会う事はできるのでしょうか?Kの使いに会ってセイちゃんの件の協力を仰ぐとかって難しいですかね。」
 ライの言葉に天記神は顔を曇らせた。
 「うーん……。実はKの使いはどこにいるのかいまいちわからないの。高天原の権力者ですら西と東しかKの存在を知らなかった。」
 「……という事は東のワイズと西の剣王は存在を知っているって事ですね。」
 「そうですけど……ライちゃん、この件は上の神に漏らしたくないのでしょう?」
 「……っ。は、はい。」
 ライはうっと言葉を詰まらせ、小さく頷いた。
 「Kの使いはそう簡単に現れません。弐の世界で何かしらの仕事をしているのは間違いないようですが……。」
 「じゃあ、Kの使いは弐の世界にいる事は間違いないんですね?」
 ライは天記神に鋭い目線を送る。
 「そうとも言えないですが……おそらくいるでしょうね。でもね、そのKの使いをどうやって見つけるの?」
 「うう……。」
 またまた天記神に言われ、ライは言葉を詰まらせた。
 「……Kの使いを呼ぶ方法を私は知らないわ。ライちゃん、どうする?」
 「……じゃあ……一度、更夜様の所に行きます。更夜様の日記にKについて書いてありました。もしかしたら知っているかもしれません。」
 ライは迷いながら天記神に声を発した。
 「……弐の世界の時神ね。あのね、ライちゃん、何度も言うけど向こうの神達からここにいろって言われたんじゃなかったの?」
 「は、はい。ですが……頼ってばっかりもいられませんので。」
 「……もー……しかたないわね。」
 ライはすぐさま、時神の本を持つと天記神に一礼して走り去って行った。残された天記神は深いため息を漏らしていた。
 
 
 ライは時神の本を使い、更夜達の世界にたどり着いた。
 「やった!また来れた!ここまで来ると確実ね!」
 ライはひとり喜び、白い花畑の中を走る。走りながら瓦屋根の家を目指していると
 「おい。」
 と鋭い声と共に目の前に銀髪の男が現れた。
 「……っ!?更夜様!」
 「……んん?」
 ライが更夜と勘違いした男は逢夜だった。逢夜は外の気配をいち早く感じ取り、更夜の姿のままライの前に現れたのだった。
 「更夜様、お怪我は……。」
 ライが心配そうに逢夜を見ているが逢夜はライを知らない。
 ……んん?誰だこいつ。まあ、更夜が怪我してる事を知っているってこたぁ、なんか関係しているやつだな。
 「いや、色々あったのだ。心配はない。」
 「そ、そうですか……。無理しないでください。あ……、それとごめんなさい。向こうの世界にいなさいって言われていましたがどうしてもお聞きしたい事があって来ちゃいました。」
 ライは怯えた目で逢夜を仰いだ。おそらく叱られると思ったのだろう。
 ……向こうの世界……?現世か。……という事はこいつは壱の世界の神か。
 ……なるほど……読めて来たぜ。
 「そうか。それならばしかたあるまい。……話は中で聞こうか。」
 逢夜はライに優しく声をかけ、ライを抱きかかえた。
 「きゃあ!」
 「黙れ。静かにしていろ。」
 逢夜の鋭い声でライは身体を震わせながらコクコクと頷いた。逢夜はわざと遠回りをし、半蔵と才蔵がいる玄関先を避けて裏手に回った。
 ライは逢夜の足の速さに目をまわし、涙目でごにょごにょ何か言っていた。
 「スズ、俺だ。開けろ。」
 逢夜はスズ達がいる障子戸の前で小さく声をかけた。すぐにスズが障子戸をわずかに開けた。
 「スズちゃん!」
 「え?ライ?」
 スズは突然、現れたライに驚いていた。
 「いやー、まいったな。やっぱ知り合いだったか?正面から走って来られた時はどうしようかと思ったぜ。」
 「……ん?更夜様……?」
 ライは更夜になりすましている逢夜に不思議そうな顔を向けていた。
 「悪かったな。俺は更夜じゃねぇよ。あいつの兄、逢夜だ。」
 逢夜はライの耳元でそっとささやいた。
 「おっ、おにい……!」
 ライが大きな声で叫ぼうとしたので逢夜は素早く手で口を塞いだ。
 「あァ、でけぇ声上げんな。俺ァ、うるせぇ女が嫌いなんだ。」
 逢夜の冷たい声がライを震えさせた。逢夜は涙目で小さく頷いているライをそっと離した。
 「お兄様、申し訳ありません。後はこちらで何とか致します。」
 ふと部屋の隅で存在を消していた更夜が小さく声を発した。
 「更夜様!」
 「だから声をあげんじゃねぇって……。」
 逢夜は頭を抱えたがそのまま元の持ち場に戻って行った。ライは慌てて更夜の元へ駆け寄ると切ない顔を向けた。
 「更夜様……お怪我の具合は……。」
 「絵括……ライ、なぜここに来た?向こうで大人しくしていろと言ったはずだが……。」
 ライは更夜に睨まれ、声を詰まらせたがささやくような声でつぶやいた。
 「じ、実は少し気になる事ができて……。その……憐夜さんとKについてで……。」
 「……っ。」
 ライの発言でスズと更夜の表情が一瞬驚きの表情に変わった。
 「なんでライが憐夜の事を知ってんのよ?」
 スズは静かにライに詰め寄った。
 「うん、実はね……味覚大会が行われた世界に行ってみたんだけど、そこで銀髪の女の子を見たの。その後に千夜さんに会ってあれは憐夜さんだって教えられてその後……望月チヨメさんに会った。」
 「ほう……それで?」
 更夜の相槌に頷いたライは話を続けた。
 「チヨメさんはKに会ってノノカさんの世界を救ってもらおうって考えに変わったみたいです。そして憐夜さんもKを探しているようでした。セイちゃんとの関係性はよくわかりません。」
 「ふむ。なるほど。」
 「それともう一つ……憐夜さんはお亡くなりになってから絵括神レンとして祭られたそうです。現在は絵括神ライとして芸術神三姉妹として蘇ったとか。つまり……憐夜さんは私なんです。」
 「なにっ!」
 ライの最後の言葉に更夜は思わず叫んでしまった。更夜は慌てて口を塞いだ。
 「更夜、声を上げるな。」
 ふといつからいたのかわからないが千夜が立っていた。千夜は更夜の顔を刀の柄で殴ると更夜を睨みつけた。
 「……も、申し訳ありません。お姉様……。」
 更夜は丁寧にあやまるとらしくない自分に頭を抱えた。
 「せ、千夜さん……いつの間にそこに?」
 「ずいぶん前からいる。」
 更夜を心配そうに見ているライに千夜はそっけなく答えた。
 「ほんと、全然気がつかなかったわ……。」
 スズも目を丸くしながら千夜を見ていた。
 「まあ、私の事は良い。それよりもライの言った事同様、Kについて知りたいのだ。更夜、お前は何か知っているようだな。」
 千夜は更夜に鋭く尋ねた。
 「……そこまで詳しくは知りませんがKの使いについては少々、トケイから聞いたことがあります。弐の世界を自由に動き回る事ができ、ある時はネズミ、ある時は人形だったりと神ではない生物や物のようです。Kについての情報はないのですが使いに関しては目撃者は少しはいるようです。」
 「では迷信ではないと。」
 「おそらく。」
 「では、探せるな。お前が持っている情報はそれだけか?」
 「申し訳ありません。それだけです。」
 「そうか。」
 更夜の言葉に目を伏せた千夜は何かを考え、再び目を開けた。
 「では、私は憐夜を追う。憐夜が何か知っているかもしれんからな。」
 千夜がその場から去ろうとした刹那、大きな破裂音と凄まじい衝撃がライ達を襲った。
 「きゃあ!何!?」
 叫んだのはライだけだった。スズが素早く大人の姿になりライを守る姿勢を取った。地震のような地響きはまだ続いている。
 「動くな。」
 咄嗟に動こうとした更夜を千夜は厳しい声で止めた。更夜は動きを止め、元の位置に戻った。
 「セイが来た確率が高い。」
 「セイちゃんが!」
 千夜の言葉にライは反応し叫んだが千夜の睨みで慌てて口を閉じた。
 「騒ぐな。状況は逢夜が伝える。しばし待て。この騒がしさに乗じて才蔵と半蔵が逃げるかもしれん。スズ、お前は奴らに見られても良い者だから監視して来い。」
 「う……わ、わかったわよ。」
 千夜が怖かったスズは怯えながら頷くとライを離し、立ち上がった。
 「お前の姿はすぐにバレてしまうだろうが、とりあえず、バレないように監視しろ。いいな。」
 「りょーかい。」
 スズはビクビクと怯えながら部屋を後にした。
 「さて、そろそろ逢夜が来るか。」
 千夜がぼそりとつぶやいた刹那、障子戸の外でわずかに声がした。
 「私です。」
 「……入れ。」
 千夜は迷う事無く答えた。障子戸がゆっくりと開き、逢夜が現れた。ライはそのタイミングの良さに驚いたが声は出さなかった。
 「お姉様、セイが現れました。この世界を攻撃しています。」
 「逢夜、ここにいてはライが怪我をする恐れがある。お前はライを連れ、外を逃げ回れ。家の中にいるよりも外で攻撃を直に見た方が避けやすかろう。私と更夜はここでスズと半蔵と才蔵を守る。」
 千夜は更夜を見据えた。
 「はい。」
 更夜は軽く頷き返事をした。
 またも大きな爆発音が響き、地面が大きく揺れた。
 「逢夜、さっさと行け。」
 「はい。」
 逢夜は怯えているライを抱きかかえると障子戸から外へと飛び出して行った。
 「きゃああ!」
 ライはあまりの速さに声を上げた。逢夜は高く飛び着地すると白い花畑を走り始めた。逢夜が高く飛んだ場所は隕石か何かが降って来たみたいに陥没していた。
 「騒ぐんじゃねぇ。うるせぇぞ。俺はうるせぇ女が嫌いだって言わなかったか?」
 「……ごめんなさい。」
 逢夜の一睨みでライは素直にあやまった。
 逢夜は少し距離を取り、攻撃してきたセイを探した。セイは少し離れた所で笛を吹いていた。禍々しい笛の音は空弾となって激しく飛び、白い花畑のまわりを囲う木々を破壊していた。
 「せ、セイちゃん……。」
 「……泣くんじゃねぇ。泣いたらこの状況が良くなんのか?無駄な事はやめるんだな。」
 「……セイちゃんはかけがえのない妹で……死んだって言われて……今はあんな状態で……。」
 ライは耐えきれずに涙を流していた。セイに対しての状況が悪くなりすぎた。ライはどうする事もできずにただ泣くだけしかできなかった。
 「おい。じゃあ俺ァ、どうすりゃあいいんだよ。おめぇをセイってやつの所に投げ捨てりゃあいいのか?ああ?」
 「セイちゃんとお話ができれば……。」
 「話ってあれじゃあ無理だと思うがな。……ん?」
 逢夜は遥か上空でトケイが浮いているのを見つけた。トケイは動いていなかったがロボットのように攻撃対象であるセイを目で追っていた。
 「あいつ……セイを攻撃しねぇのか?……いや、ありゃあ、攻撃できねぇんだな。」
 逢夜は飛んでくるセイの攻撃を軽やかにかわし、トケイを再び見上げる。ここはトケイ達、時神が住む世界。トケイは攻撃対象に攻撃をした時、この世界を傷つけてしまう事を避けているようにも見えた。
 「しかしなあ、事実あいつが攻撃してくれねぇと俺達は神に勝てねぇってな。」
 「トケイさん……セイちゃん……どうしてこんな事に……。」
 「……お前、やっぱり現世に帰れ。邪魔だ。後は俺達が何とかしてやる。」
 静かに泣いているライに逢夜は困惑した顔でつぶやいた。
 「そ、それは出来ません!私にも何かやる事が……。」
 「なんでそこだけは頑固なんだ……。さっき、めそめそ泣いてやがったのに。理解できねぇな。」
 何故か急に元気になったライに逢夜は頭を抱えた。
 「でもなんか更夜様の外見でそう荒っぽくされるのも何かいいですね……。なんだか新しいです。」
 「お前な、危機感持ってんのかふざけてんのかどっちなんだ?」
 「ご、ごめんなさい。」
 逢夜はライをちらりとみるとため息をつき、飛んでくるセイの攻撃を軽やかにかわした。
 「……お前の妹、先程から全く意識を感じねぇな。感情がねぇ。」
 「……どうしたらセイちゃんを元に戻せるのでしょうか……。」
 ライがそうつぶやいた時、セイの攻撃が瓦屋根の家に向いていた。
 「はっ!まずい!」
 逢夜がそう叫んだ刹那、瓦屋根に直撃だったはずの空弾が突然横に逸れ、逢夜達に飛んできた。逢夜はかろうじて避けると後ろで弾ける轟音を聞きながら瓦屋根に目を向けた。
 「な、なんだ?はずれた?」
 「……?」
 逢夜とライが目をこらしてよく見ると、屋根の部分に小さい人影が揺れた。身長十一センチくらいの少女のようだった。少女は魔女がよくかぶっているような紺色のとんがり帽子をかぶっており、それと同じ色のマントをつけていた。下は花柄の上着にピンク色のスカートを履いており、足は素足だった。
 少女は茶色の髪をなびかせ、屋根から飛び降り消えた。
 「なんだよ……ありゃあ……。」
 「お人形さん……みたい。」
 ライの言葉に逢夜はそっと目を細めた。

六話

 一方スズは才蔵と半蔵の側にいた。
 「スズ、バレていますよ……。出て来なさい。」
 才蔵に言われ、玄関先に隠れていたスズはため息をつきながら出てきた。
 「やっぱりバレてしまうのね。」
 「おめぇさん、全然隠れられてねぇですからな。」
 今度は半蔵がスズに対し、ため息をついた。
 「そんな事よりもセイがなんだか暴れているようですね。私達の安全は確保されているのでしょうか?」
 才蔵は薄く笑い、スズを仰いだ。
 「さあね。」
 スズはそっけなくつぶやいた。才蔵と半蔵にいいように扱われた自分が少し腹立たしかったためだ。
 「しかし、この影縫い、なかなか素晴らしいですな。まったく動きやせん。」
 半蔵はクスクスと笑いながら黒い瞳をスズに向けた。
 「……やっぱり凄いわね。」
 スズはそれだけつぶやいた。スズは半蔵と才蔵がただで会話をしない事を知っている。この会話もスズから情報を聞き出すための手口なのだ。
 「お前は幼く死んだはずですがなかなか頭が良いようですね。」
 「……こちらでの生活のせいかな。」
 才蔵の言葉に軽く答えたスズは才蔵の横に腰かけた。遠くで爆発音がするがスズは落ち着いていた。
 「スズ、これは単純な質問ですが……答えなくても構いません。……お前は生前、後悔をしましたか?」
 「……え?」
 才蔵の質問にスズは戸惑いを見せた。才蔵の瞳はせつなげでとても優しかった。
 「別に答えなくても構いませんよ。ただの興味ですから。」
 「……後悔……?わたしは……よくわからない。忍が仕事だったから。別の生き方なんてなかったし、考えてもいなかったから……だから後悔がなんなのかよくわからない。」
 スズは話している内に子供の姿になっていた。これはスズの本心だった。スズはこの世界で見聞を広げたが弐の世界では毎日が不変。当然、本人の心は成長もしない。スズはいまでも十二歳の少女のままだった。本心を語る時のスズはあの時代のあの時のままの子供だった。
 「そうですか。」
 才蔵はそれだけ言うと口を閉ざした。そのかわりに半蔵が口を開いた。
 「いやね、それがし達はもう後悔なんてなかったはずだった。平和に自分の世界を生きていた。……魂を呼びよせられて気がついた。こちら側にそれがしらの世界はないと。」
 「……?どういう事?」
 「わかんなくてもしかたねぇですよ。こちらの世界では自分の世界を持つことができる。しかしな、いままで平和に過ごしてきたそれがし達の世界がこちらにはないんだ。」
 スズが困っていると半蔵はケラケラと笑い出した。
 「おめえさんはこの世界の事……どれだけ知ってる?」
 「……知らない……。まったく……知らない。」
 スズが小さくつぶやいた時、空弾が横に逸れ、激しく爆発した。
 「あなた達の心はもうすでに負の感情から解き放たれているはず。あの少女、音括神セイが負の感情を再びあなた達に植え付け、こちらの世界に呼んだ。」
 ふと誰の声でもない女の声が響いた。
 「……?誰?」
 スズは声の主を探した。しかし、声のみ響いてどこにいるのかわからない。
 「この周辺の弐の世界は後悔を持つ者が創り出す世界。あなた達二人の魂はもうすでにここの領域にはない。故に自分の世界が見つからない。本来はここにいてはいけない魂。」
 声はスズのすぐ下で聞こえた。スズは慌てて下を向く。
 「えっ!?」
 するとすぐ下に十一センチくらいしかない少女がとんがりぼうしとマントをなびかせて立っていた。
 「なんですかい?……こいつぁ……人間ですかい?」
 半蔵のつぶやきに少女は別に隠す風もなく答えた。
 「わたくしはKの使いの人形、名をセカイと言う。」
 「Kの使い!?」
 「ええ。この世界は時神の世界、トケイが手を出せない今、わたくしが守らねばと思い参上した。」
 セカイと名乗った人形は丁寧にお辞儀をした。
 「Kの使いとはなんです?」
 才蔵は顔を曇らせてセカイに目を向けた。
 「Kの使い。そのまんまの意味。」
 セカイは可愛らしい瞳を才蔵に向けるとそのまま答えた。
 「Kという者の使い……って事ですかい?」
 半蔵がさぐるようにセカイを見据えた。
 「……ええ。私はこの弐の世界、『後悔』を担当するシステム。」
 セカイは何事もないかのように普通に答えた。
 その会話を聞きながらスズは半蔵と才蔵がKについては何も知らないのだという事に気がついた。
 ……逢夜の話によると才蔵と半蔵は憐夜が追っている者の正体を知りたいと言っていたとの事。わたし達はもうすでに憐夜に接触したライから憐夜はKを探しているのではないかという事を聞いている……。つまり、わたし達の方が情報は先に進んでいるって事ね。
 スズはそう思い、あまりボロを出さないように気をつけようと決めた。
 「……あなた達……早めにこの世界から出る事をおススメする。セイに攻撃される前に。」
 「そうしたいのはやまやまなのですが……動けませんので。」
 セカイの言葉に才蔵はため息交じりに答えた。
 「では私は全力で守る事にする。」
 セカイはごり押しをしてくるわけでもなく、素直に意見を変えた。
 「ねえ、Kって何者なの?」
 スズは自分が不利にならないよう気をつけながらセカイに尋ねた。
 「……お答えできない。少なくともあなた達の前に現れることはない。」
 「そう。」
 スズはそれ以上セカイから何かを聞くのをやめた。とても口が堅そうだ。
 「ところで何故、音括神セイがああなってしまったのか知っていないか?」
 「ああ、それは……。」
 「なるほど。」
 スズはまだ何も言っていないのだがセカイは何かを理解したようだった。
 「あ、あのねぇ……まだ何も言ってないんだけど。」
 「人形は人の心に作用する物体。人の心、魂は簡単に読める。」
 「そ、そう。じゃあなんで聞いたの?」
 スズは呆れた顔でセカイを見つめた。
 「……質問を投げかけてその答えを人は想像する。私はそれを読み取っただけ。」
 「ふーん……今のわたしの心を読んだって事?凄いのね……。」
 反応に困ったスズはとりあえず納得をしておいた。
 「では、私は一時的にセイを遠くに飛ばす事を最優先に考える。」
 セカイは可愛らしい瞳を伏せ、丁寧にお辞儀すると消えるようにその場からいなくなった。
 「……速い……。」
 才蔵と半蔵はセカイの足の速さに目を疑ったが人ではないのだと思い直していた。
 

 空弾は今も逢夜とライを襲っていた。またも遠くで弾けるような音が響く。
 「っち。セイに近づけない!」
 逢夜はライを抱えたまま、避ける事で精一杯だった。
 「逢夜さん……。」
 ライは不安げな顔で逢夜を見あげていた。その顔が何故か憐夜と重なった。
 「……そんな顔してんじゃねぇ。抱えているこっちも疲れんだろうが。」
 逢夜はそっけなくつぶやいた。
 ……くそ……。こいつ……外見も顔もすべてがまったく違うのになんで憐夜が映るんだ……。
 「あの……私重くてごめんなさい。」
 ライは自分の体重の事を気にしていただけらしい。
 「あァ?俺がそんな非力に見えんのか?問題ねぇよ。」
 逢夜はライに再びそっけなく言い放った。
 そのまま逢夜は飛んできた空弾を避ける。比較的安全そうな場所に軽快に足をつけた逢夜はライが自分の胸に顔をうずめている事に気がついた。
 ……俺が……憐夜を守ってやれてたら……。憐夜もきっとこの娘と同じ普通の子だったんだろう。俺が……俺達が……あいつを変えようとしてしまったから……。
 「おい。お前、大丈夫か?」
 優しい言葉をかけるつもりなど全くなかったのだが逢夜はこんな言葉を口にしていた。
 「え?あ!ごめんなさい。ちょっと衝撃が強くて……。」
 ライは頬を赤く染め、小さくつぶやいた。
 「しっかりしろよ。俺が逃げてばっかで全く進展がねぇけどな。」
 「私、一生懸命に考えてますから!大丈夫です!」
 ライは逢夜をなぐさめるつもりで元気よく答えた。それを見た逢夜は深いため息をつくとライをしっかり抱きなおした。
 またも空弾が飛んできた。逢夜が避けようとした刹那、十一センチくらいしかないとんがり帽子の少女が逢夜達の前に飛び込んできた。
 「……っ!?」
 逢夜は驚き、動きを止めたが少女は冷静に言葉を紡いでいた。
 「弐の世界管理者権限システム内にアクセス……『止まれ』。」
 少女はまるで呪文をつぶやくように声を出した。すると迫って来ていた空弾が突然ピタリと止まった。
 「『弾き返せ』。」
 それを確認した少女はもう一言追加でつぶやいた。つぶやいた刹那、空弾は飛んできた方向へと弾き返され、セイに飛んで行った。
 「……なっ!」
 逢夜とライは目の前で起こった謎の現象に目を見開き、驚いていた。
 少女はちらりと逢夜とライを視界に入れるとそのままセイに向かい走り去って行った。
 「……。」
 「神としての本能を忘れた者。ここは時神の世界である。一端退くがよい。『いなくなれ』。」
 少女はセイの元に素早く近づくとまたもプログラムを打ちこむように声を発した。
 刹那、セイは跡形もなくその場から消えた。
 「……っ!?」
 ライと逢夜は目を見開いて眼前で起こっている事を呆然と見つめていた。
 「せ、セイちゃんがっ!?」
 「……心配はいらない。この世界から消しただけ。全体的な魂も神も私はそう簡単になくす事はできない。」
 いつの間に戻って来たのか目の前に少女が立っていた。
 「お前、何者だ?」
 更夜になりすましている逢夜に少女は一礼すると丁寧に答えた。
 「私はKの使い、弐の世界を担当するセカイと申す。この世界は後悔を持つ者が生活する世界。人々の心、動物の心は壱では解明されていないエネルギー。宇宙の物質ダークマター。私はそれらを守る役目をしている者。その私も人間の心から生まれた者。弐の世界は宇宙のようなもの。逢夜さん。あなたは先程会った才蔵さんと半蔵さんに自分の姿を見られたくないので更夜さんになりすましている……。という事。」
 「……っ。」
 セカイと名乗った少女に逢夜は珍しく動揺していた。まるで心が見透かされているようだった。
 「嘘はつかないでほしい。私に嘘をついても無意味。私は人間達の感情というエネルギーを読むことができる。大丈夫。この件については黙っている。今、あなたは一瞬私を殺そうと思った。壱の世界ではそうやって生きてきたから。でも押し留まった。ここは弐の世界だから。私が幼い女の子の風貌だから。」
 「……。」
 セカイは淡々と言葉を紡ぎ、逢夜の心を見透かす。逢夜の頬からは汗がつたっていた。
 「あなたは女の子に手を上げる事も女の子を殺す事もできない。憐夜という少女があなたのトラウマになっているから……。……もう言うなとあなたの心が言っているのでやめる。」
 セカイはそこで言葉を切った。
 「恐ろしいちびっこだな……。お前ならわかりそうだから聞くが俺達はなんで生きている?」
 「それは存在しているから。それ以外にない。」
 セカイの言葉に逢夜はため息をついた。
 「そういう事じゃねぇよ……。なんで人間も動物も存在してんだって聞いてんだ。」
 「それはあるから存在している。人間の心も妄想も想像も架空と定義しているものも物体もすべて存在しているからある。頭の中であっても想像すればそれは存在する事になる。この宇宙も世界もすべて存在しているからある。人間は壱の世界以外は気がついていない。だが他にも世界はある。理由はない。あるからある。人も動物も神も我々も大きな流れで見れば生きている意味はない。存在しているという事実だけが意味がある。何もなくなったら……それは我々も知りえない事。私達も存在しないのだからそれは知る事すらできない。存在するという事はとても意味のある事。」
 セカイは吸い込まれそうなほど澄んだ茶色の瞳を逢夜に向ける。逢夜はセカイから目を逸らした。
 「じゃあ……幸福な人生も不幸な人生も意味はないと言いたいのか……。」
 逢夜はライを強く抱くと怒りを少し含んだ表情でセカイを睨みつけた。
 「違う。人の生も動物の生も物の生も必ず後に影響している。例えば大切にしていた物が壊れたとする。そうすると人は次は壊れないようにしようとする。それだけだがその人にその物が影響を与えている。動物の進化もそうやって行われてきた。陸上で生活すると敵に食べられてしまう。だから海で生活するようになった……など。」
 「……。」
 「あなたは憐夜さんの事を言っているようだから教える。憐夜さんはあなたが大切に抱いている絵括神ライを生んだ。ライは沢山の人を助けている。……この世界は大きな流れの中で存在している。憐夜さんを想像した人々が絵を愛す神を創った。憐夜さんはそういう影響力を持っていた。」
 セカイの言葉に逢夜は複雑な顔でライを見つめた。
 「逢夜さん……。憐夜さんには私、感謝しているんです。私が生まれたのは憐夜さんのおかげ。憐夜さんに会いたいって思います。」
 ライは逢夜を見上げ、小さく言葉を発した。
 「そうか。そりゃあ良かったな。」
 逢夜は納得のいっていない顔でライに答えた。
 「セイは追い払った。……少し、あなた達にお話がある。瓦屋根の中にいる魂達にも聞いてほしい話。家に上がらせてもらう。」
 「おい……。待て。」
 「心配する事はない。才蔵さんと半蔵さんに気がつかれないよう裏からまわる。千夜さんからのお仕置きはあなたにはこない。」
 セカイは背中越しで言葉を発するとさっさと歩き出してしまった。
 「……っ。」
 逢夜は心を完全に見透かされ怯えながら少女の後を追って歩き出した。
 セカイと名乗った少女とライと逢夜は更夜達がいる部屋へ裏から回った。
 「……。入れ。」
 静かに千夜の声がし、逢夜はそっと障子戸を開けた。
 「……ん?」
 千夜は逢夜に目を向けた後、セカイに目を向けた。
 「私はセカイと言う名の人形。弐の世界のシステムの一。Kの使い。」
 セカイは丁寧に自己紹介をすると静かに頭を下げた。
 「Kの使いだと……。」
 千夜の目が鋭くなりセカイを射抜いた。
 「はい。あなた達……更夜さんとスズさんは弐の世界のシステムの一。時神なので助力をしようと参った。セイは私が追い払った故、心配は無用。私はそれよりも話をしにきた。」
 セカイは魔女帽子を正すとその場に座った。スズはもう部屋に戻ってきており、セカイを戸惑いながら見つめていた。
 「何の話だ?」
 更夜が掌くらいしかない小さな少女を鋭い瞳で見据えた。
 「セイを救う方法を提示する。セイが暴れる事は弐の世界にとってマイナス。だからといってセイを弐の世界から消してしまうとあなた達の心に障害が残る。故に、セイを消さずにこれを乗り越える方法を提示する。」
 「そんな方法があるの?」
 ライは少しだけ希望が出てきたのか真剣な表情でセカイに声を上げた。
 「神は人間とは違い、プログラムのようなもの。神は人間が自分達の心、感情のコントロールの為に創ったプログラムでしかない。幻想、妄想……弐の世界もそれと同じようなもの。人や動物の想像……、死後の世界観……それが組み込まれてこの世界がある。人間や動物が生み出す感情というエネルギー物質は今も、弐の世界を変え続けている。……セイは人間が創り、想像してできた神。神はプログラムのようなものだから虚像の世界である陸と一つにできる可能性がある。」
 セカイの説明はあまり理解できるものではなかった。とても離れた所の話をしているようだ。
 「あー……何言ってんかわかんねぇな……。」
 逢夜は頭を抱えながらセカイにつぶやいた。しかし、セカイは話す事をやめない。
 「電子……パソコンで説明すると壱の世界のセイのプログラムと陸の世界のセイのプログラムの統合。そして新しいプログラムを生み出す。壱と陸のセイを融合させ、一つの神にする。そのセイが壱の世界で存在し始めると『一神では許されない。存在する者は虚像の世界にも存在する』という壱と陸の世界のルールから陸の世界に新しく生み出したセイが生まれる。つまり、壱と陸にプログラムを改変したセイが誕生する事になる。そうすれば弐の世界も安定する。」
 「ごめん。全然わかんないの。陸の世界って何?まず。」
 スズはポカンとしながらセカイに説明を求めた。
 「陸の世界は現世である壱の世界とまったく同じだが虚像の世界。神も動物も人も他のものも壱の世界に存在すればまったく同じものが陸の世界にも存在している。壱の世界は陸の世界と実像と虚像の世界。陸の世界から見れば壱の世界は虚像の世界。」
 「ええと……つまりはライも壱の世界と陸の世界にいるって事?」
 スズはライにちらりと目を向けると疑問を口にした。
 「そういう事。」
 セカイはこくんと頷いた。
 「現世、壱の世界で起きた出来事は陸に反映されるのか?」
 更夜は部屋の隅に片膝を立てて座りながらセカイに目を向けた。
 「……反映されない事もある。」
 「では壱の世界で俺が唐突に死んだとする。そうしたら陸の俺はどうなるんだ?もし反映されないのだとしたら死んだ俺は弐の世界に入るわけだから矛盾が生じるな。」
 更夜の疑問にセカイは表情を変えずに説明した。
 「矛盾は生じない。あなたは壱の世界の弐で存在している事になる。この世界は生死でコントロールされているわけではない。壱のあなたが死んでも陸のあなたが死ぬとは限らない。」
 「壱の世界の弐、陸の世界の弐があるという事か……。となると……今のあなたの話をまとめ、考えると『陸の世界のセイはおかしくなっておらず、まだ現世に存在している』と言っているように見えるが。」
 更夜の言葉にセカイは大きく頷いた。
 「その通り。だいたいわずかなズレしかないのだがセイはまだ現世で存在している。そして壱の世界のセイと同じことをこれからする予定のよう。」
 「……っ!」
 そこまでセカイが言った時、ライはセカイの打開策が何かがやっとわかった。
 「陸の世界のセイちゃんが壱の世界のセイちゃんと同じことをしないようにすれば良いって事なのかな?」
 ライの発言にセカイはまた小さく頷いた。
 「その通り。」
 「……憐夜もそれで救ってやれてたら……。」
 千夜がせつなげに小さくつぶやいた。それを聞きとったセカイは重そうに口を開く。
 「それは無理。……神は想像でできたもの……特に芸術神は人間自体に関わってはいけない事になっている。それを破った今回の行為は世界としてはいけない。本来ないはずの行為で現世を生きていた死ぬはずのない人間を二人も殺した。故に修正がいるが憐夜さんの場合は理にそったもの。自然。それはこちらの管轄外。」
 セカイは淡々と言葉を発していた。
 「そうか。陸の世界では憐夜はどうなっていたのだ?」
 千夜の質問にセカイはまた重そうに口を開いた。
 「……陸では多少のズレはあったものの結末は一緒だった。憐夜さんを殺したのは逢夜さんではなく……更夜さんだった。それだけしか違わない。」
 「俺が……憐夜を……。」
 更夜は何とも言えない顔で畳に目を落とした。
 「憐夜さんを逃がそうとした更夜さんは世界から救ってあげる方法として殺す事を選んだ。優しい言葉をかけ、憐夜さんに優しく振る舞いながら背中から憐夜さんを刺した。人の生は多少のズレがあるものの結末はだいたい変わらない。人間を形造るプログラムDNAとは違い、これは世界のプログラム……つまり運命。」
 「更夜……憐夜を俺と同じ方法で殺したのかよ……。」
 逢夜は顔をしかめて苦しそうにつぶやいた。
 「よくわからないが人形のようなあなた達が干渉するかしないかは起こるはずのない運命か……起こる運命かの違いか……。」
 千夜はかなしみを含んだ声で静かにつぶやいた。
 セカイは再び小さく頷いた。
 ライ達がしばらく黙り込んでいると突然、玄関先で荒々しい気配を感じた。更夜達は目を鋭く光らせ、廊下を歩く足音を聞く。
 「……っ。この気配は……。」
 更夜はこの独特の気配を知っていた。更夜だけではなく、逢夜も千夜も知っていた。
廊下側の障子戸が荒々しく開いた。ライもその人物をみて目を丸くした。
 現れたのは銀髪の少女、憐夜だった。憐夜は憎しみのこもった目でセカイを睨みつけていた。
 「れ、憐夜……!」
 突然現れた憐夜に更夜も千夜も逢夜も驚いた。そんな中、セカイはまっすぐに憐夜を見つめていた。
 「あなたは憐夜さん。すごく私達に怒りの感情を抱いている。」
 「……やっと見つけた。Kの使い……。Kに会わせてよ……。いますぐに!」
 憐夜は表情の変わらないセカイに叫んだ。更夜達は憐夜の声の大きさでまずいと感じた。外には半蔵と才蔵がいる。玄関先からやってきたところをみるともうすでに半蔵と才蔵には知られているかもしれない。
 「Kに会わせる事はできない。私が要件を聞く。」
 「ふざけんじゃないわ!私の人生返してよ!Kならそれができるんでしょ!」
 憐夜はセカイを右手で掴むと力強く握りしめた。
 「……。それはできない。あなたが存在するかしないかは世界が決めた事。運命は世界が決めた事。あなたが生きた環境はあなただけのもの。」
 「何言ってんのかわかんないのよ!何?あんたは運命が見えるのに私を助けてくれなかったの?なんで?あんなにいっぱい叩かれて殴られて殺したくないのに殺しの事ばかりで挙句の果てに私は殺されて……。いいことなんて何一つなかったのよ!」
 「それはあなたの運命。世界の大きな流れ。私達は神ではない。あなたの優しさ、願いを聞き入れる事はできない。」
 セカイが困った表情でつぶやいたが憐夜の心には憎しみが溢れるばかりだった。
 「ふざけんな!じゃあ私はどうすれば幸せになれたの?なんで私をあの世界に産んだの?」
 「終わってしまった運命を変える事はできない。幸せになれた方法はもうわからない。あなたが存在しているのは世界が決めたから。それ以外はない。」
 憐夜は怒りに満ちた顔でセカイの首を両手で締めた。行き場のない怒りをぶつける場所もなく、この世界を恨み続けた憐夜はKとKの使いを憎む方向へと変わった。
 「まずあんたを拷問してKの居場所を吐かせてやるわ!」
 「やめろ。憐夜。」
 更夜が静かに鋭く声を発した。憐夜はビクッと肩を震わせると怯えた表情でセカイを離した。
 「お兄様……。また私を叩くのですか?また痛い事をするのですか?死んでからも私は……。」
 「違う……。違うんだ。憐夜。」
 更夜は怯える憐夜に戸惑いの表情を見せた。更夜だけでなく、千夜も逢夜も同じ表情をしていた。
 「憐夜、その人形に当たっても意味ないぜ。もっと違うやり方で真実を見つけようぜ?な?」
 逢夜は憐夜に手を上げる事はなく、憐夜を優しくなぐさめた。
 「私達が憐夜をここまで追い込んでしまっていたのはもうわかっている。もう望月家に私達は縛られていない。だから、やっとお前を妹として扱ってやれる……。」
 千夜は憐夜に優しい表情を向け、近づいた。しかし、憐夜は千夜を拒んだ。
 「来ないでください!逢夜お兄様もお姉様もどうしたのですか?なんで叩かないんですか?」
 「お前は叩かれたいのか?だが私達はもうそんな事をしたいとは思わない。」
 千夜の言葉に憐夜はどうしたらいいかわからずにその場にぺたんと座り込んだ。
 「なんで……今更そんな優しい顔をするのですか……。私が望んだ時は酷い罰を与えられたのに……なんで?どうして?」
 憐夜の目からは涙がこぼれていた。
 「これが俺達の本当の姿だ。俺達は家族を大切に想っているんだ。お前はもう甘えていいんだ。憐夜。」
 逢夜がなるだけ優しく憐夜に声をかけた。
 「私は世界を恨んでいます。この世に私を生んだ事を恨んでいます。お兄様、お姉様があんな事をしなければならなかった運命を呪っています。そしてお兄様、お姉様が私にした事は消えません。」
 憐夜は更夜達と一定の距離を保って立ち、近づこうとはしなかった。それを見た更夜はせつなげに憐夜に声を発した。
 「その通りだ。あの時代、あの頃は俺達は狂っていた。お前が死んでからいつも思っていたんだ。俺も一緒に逃げてやれば良かったと……お前に優しくしてやれば良かったと……。」
 「……更夜様……。」
 更夜の言葉を聞いたライは悲しそうに目を伏せた。憐夜は更夜を暗く濁った瞳で見つめていたが、心では戸惑っていたようだった。
 「お兄様が言っている事は嘘かもしれません。私はもう信用できません。信用できないんです……。」
 憐夜は目に涙を浮かべ、畳に目を落とした。
 「……そうか……。俺の言葉は信用できないか。当然だ。」
 更夜の返答に憐夜は再び動揺の色を見せた。
 「だから……何故、そんな優しく私に話しかけるのですか……。私はわかりますよ……。油断させて近づかせて殺すのでしょう?忍の手口です。私にはわかっています!」
 怯える憐夜に更夜は悲しげな表情を見せた。ライもスズも更夜のこんな顔は初めて見た。
 普段からあまり感情を表に出さない更夜が憐夜の前で忍の本能を忘れていた。
 「憐夜さん……。私は違うと思うよ。」
 更夜の表情に耐えられなくなったライが憐夜に強引に近づいた。
 「な、何?あ、あなたはさっきの……。」
 憐夜は突然近づいてきたライに驚いていた。
 「更夜様は本当は優しい人なの。私は更夜様の過去を知らないけど、でも私はわかるの。」
 「……あなたはわかってないわ。皆私に優しくなんてしてくれなかったもの。あなたは木の枝で背中から血が流れ出るくらいに叩かれた事はある?鼻血が出るくらい何度も頬を叩かれた事はある?身体を斬り刻まれて血まみれにされた事はある?人を殺せと言われた事はある?あなたは夜の地獄を見た事はある?」
 憐夜はライに向かい泣きながら叫んだ。
 「……ないよ……。だけど……私は更夜様の事がわかるよ。」
 ライは憐夜の手をそっと握った。しかし、憐夜はライの手を振り払った。
 「ふざけないで!あなたにわかるわけないのよ!痛かった!辛かった!逃げたかった!私はなんで生まれてしまったのかってずっと考えて……なんでこの世界に私を生んだのかって何度も考えて……うう……。」
 泣きじゃくる憐夜をライはぎゅっと抱きしめた。
 「憐夜さんが生まれた理由はあるよ。私はあなたから生まれたのよ。私はあなたに感謝しているの……。私ね、絵を描く事が大好きで芸術を守る神様なんだよ。更夜様の事、すぐに好きになってね……。それって憐夜さんの心が私にもあるから……なのかなって思ってたの。」
 「そんな事……そんな事ない……。だって私はお兄様が大嫌いなのだから……。」
 憐夜がライにちいさくつぶやいた。ライは憐夜を抱きしめる力を少しだけ強めた。
 「そんな事ないよね?本当は更夜様の優しさに気がついていたはずだよ。だから……優しくしてもらいたかった。違う?」
 「……。」
 ライの言葉に憐夜は何も話さなかった。ライはさらに言葉を続ける。
 「私もね、妹がいるの。今、その妹を……セイちゃんを助けるためになんでもしようって思っている。更夜様も、逢夜さんも千夜さんもきっと何をしてでもあなたを助けたいって思ってたと思う。そのやり方が……少しいけなかったんだね。私、その気持ちよくわかるわ。だから……大嫌いだなんて言わないで。」
「う……うう……。」
 憐夜から静かに嗚咽が漏れた。今更、兄と姉にどう接すればいいかわからない。接していいのかすらわからない。しばらく何も話さなかった憐夜がふと小さく声を発した。
 「セイは幸せ者だね……。うらやましい……。こんな優しいお姉ちゃんがいて……なんで甘えられるのに相談できるのに……。」
 「憐夜さんはセイちゃんとどういう関係なの?セイちゃんを知っているの?」
 ライの問いかけに憐夜は小さく頷いた。
 「知ってはいる。けど、関わった事はないわ。ずっと追い回してKが現れるのを待っていたの。ただ……それだけ。」
 憐夜が涙をぬぐいながら言葉を発した時、二つの気配が障子戸からあふれ出し、更夜達は素早く構えた。
 「なーるほど。ただ、それだけでセイを追い回していたのですかい。」
 「……まだ、Kについて何か知っていますね……。望月憐夜。」
 障子戸が開き、半蔵と才蔵が現れた。千夜が小さく舌打ちをしていた。
 「っち……。憐夜に気を取られて影縫いが緩んだか……。失態だ。……後で私を殴れ。」
 「そ、そんな事はできませぬ……。」
 逢夜と更夜は同時に同じ言葉を発した。
 「それに……兄弟でしたか。更夜の回復が異常だと思いました。本当にソックリで騙されました。」
 才蔵は細い目をさらに細くして逢夜を睨みつけた。
 「っち。嫌な時にバレちまったぜ。」
 「望月憐夜とKの使いに用があります。少しお話させていただいてもよろしいですか?」
 「……要件があるならばここで言え。」
 才蔵の言葉に逢夜は鋭く返答した。
 「別に問題ねぇですぜ。それがしらは別にそんな幼い少女に拷問なんてしねぇですから。ただKについて聞きたいのと自分の世界に帰りたいだけですぜ。」
 やれやれとため息をついた半蔵にセカイが口を開いた。
 「あなた達の世界には私が帰してあげる。」
 「っと、帰る前にKの事とこの世界の事を知りたいんだよ。それがし達は。Kの使いだったか?まず教えてくだせぇな。」
 半蔵にセカイは首を振った。
 「教えられない。」
 「Kとはなんです?」
 「お答えできない。」
 才蔵の言葉にもセカイは答える気はなかった。
 「この機会を逃すわけにはいきません。多少力づくでも聞きますよ。」
 才蔵が構えた時、更夜達も構えた。
 「おめえさんらはその得体のしれねぇものをかばうんですかい?なぜ、この世界があるのか知りたくはねぇんですかい?」
 半蔵は目を見開くと突然襲い掛かって来た。逢夜は飛んできた半蔵のクナイを身体に仕込ませていた小刀で素早く弾いた。
 「知ってもなんの足しにもならねぇから言えねぇんだろ。……更夜、女どもを連れて逃げろ。お姉様は……お任せいたします。」
 逢夜は乱暴に更夜に言い放つと千夜に目を向けた。
 「私も逢夜に乗る。久々に腕がなるな……。」
 「逃がしはしませんよ。」
 才蔵がセカイに手を伸ばそうとした刹那、千夜がクナイを放った。
 「行け。更夜。」
 才蔵が千夜の投げたクナイを避けている間に軽く更夜に目配せをした。更夜は一つ頷くとライと憐夜の手を引き、走り出した。逃げる更夜の後ろからクナイを放ちながらスズも走り去った。スズの肩にはセカイが乗っていた。
 「おめぇさん達は今が平和ならそれでいい考えですかい?」
 半蔵は自分を阻んだ逢夜と千夜を睨みつけた。
 「ああ。そうだぜ。これ以上、状況をひっくり返さないでほしいんだが。」
 「同感だ。」
 逢夜と千夜の返答に才蔵と半蔵は顔を曇らせた。
 「お前達は邪魔です。」
 「ああ、邪魔ですねぇ。」
 才蔵と半蔵は更夜を追うべく千夜、逢夜にぶつかっていった。

七話

 更夜はライ達を連れ、瓦屋根の家から外へ出た。そのまま白い花畑を走り抜ける。
 「更夜様、お怪我は……。」
 ライは更夜に手を引かれながら不安げな声で話しかけた。
 「問題ない。」
 更夜は一言だけ言うと口を閉ざした。更夜の怪我は問題ないわけがなかった。だがまるで野生動物のようにきれいに深手を隠していた。
 「お、お兄様……離してください。」
 ライとは反対側の折れた右手で手を握られている憐夜は小さく声を発した。
 「駄目だ。もうしばし待て。」
 「……はい。」
 憐夜はビクッと肩を震わせると素直に返事をした。
 更夜は花畑を抜け、雑木林に入り込んで立ち止った。
 「ここから先はこの世界から出る。ライ、あなたはどうするんだ?」
 「えっ……。あ、じゃあ、皆さんで味覚大会が開かれた世界に行きませんか?私はクッキングカラーの漫画を使えばその世界に行けますから。」
 ライは木々に隠れながらそっと言葉を発した。
 「それができるのならばそうしよう。俺達もその世界に行く。あなたは先に行きなさい。」
 「は、はい。」
 ライは更夜に返事をし、少女漫画クッキングカラーを服の中から取り出すと筆で絵を描き始めた。
 「どこに漫画隠し持ってたの?」
 スズはため息をつきながらライの筆の動きを見ていた。
 「上着とスパッツの間……。ちょっと恥ずかしいから聞かないで。スズちゃん。」
 ライは頬を赤く染めると描き上げたドアをそっと開けた。
 「じゃ、じゃあ、先に行ってますね。」
 ライは更夜とスズと憐夜に手を小さく降ると開けたドアの中へと入って行った。少女漫画が鳥のように羽ばたきはじめ、ライを引っ張った。ライはそのままドアに吸い込まれるようにドアごと消えて行った。
 「不思議だね。よくわからないけど芸術神って凄い。」
 スズはドアがあったところを念入りに見たが本当に何もなくなっていた。
 「まあ、それは今はいい。俺達も早く行くぞ。」
 更夜が再び歩き出そうとした刹那、憐夜が更夜の手を振りほどこうとしていた。
 「も、もういいですよね。離してください……。」
 「……憐夜、俺に守らせてくれないか?」
 「……っ。」
 いつもの威圧的な目ではなく、せつなげに揺れている更夜の目に憐夜は戸惑った。
 「あんたね、いい加減にしなよ。更夜は昔の更夜じゃない。わたしだって怖いけどそのトラウマを失くすように頑張っているの。更夜は色々とわかってる。頭の良い男。過去にやった事をとても後悔している優しい人。」
 スズは憐夜に言い放った。
 「あなたに何がわかるっていうのよ?というかあなた誰?」
 憐夜もやや挑戦的にスズを睨みつけていた。
 「わたしの事はいいの!あんたのお兄ちゃんお姉ちゃん、逢夜も千夜もあんたを逃がした罪で酷い体罰を受けたって聞いたわ。千夜は裸で吊るされて殴られたり斬られたりの拷問、逢夜は気を失うほどの酷い拷問。逆に考えればあんたが逃げたせいであの二人は酷い目に遭った。だけどあの二人も更夜もあんたを責めていない。凄く優しい人達だと思わない?少し考えを変えなさいよ。あんたは悪く言えば自分勝手。」
 「じ……自分勝手って……。」
 スズの言葉に憐夜は困惑していた。
 「スズ……お前の厚意はありがたいが……もういい。」
 更夜が静かにスズを止めたがスズは更夜を睨みつけ声を上げた。
 「よくない。このまんまじゃ気分が悪い!」
 「あっ!」
 スズは声を発しながら憐夜を更夜に向けて押し出した。憐夜は突然の事にバランスを崩し、更夜が慌てて憐夜を抱きとめた。
 「スズ……。憐夜は忍ではない。お前の感覚で押し出したら転んでしまうだろう。」
 更夜はスズを睨みつけたがスズは平然と更夜と憐夜を見据えていた。
 「わたしの事はいいから優しく抱きしめてやんなよ。」
 更夜はスズの言葉でハッと目を見開くと憐夜をそっと抱きしめた。
 「ひっ!」
 憐夜は怯えて身体を震わせていた。目を瞑り、身を固くしていた。
 「憐夜……。俺はトラウマか?……覚えているか?お前は俺に優しくしてくれと願った。あの時はできなかったが今なら努力できる。俺も長年、人に親身になって接した事がないからお前の思うようにはいかないかもしれないが努力する。だから……普通の兄妹に戻りたい。……いままですごく小さな世界で異様な掟に縛られて……お前を本当に傷つけた。普通にお兄様、お姉様、そしてお前を連れて逃げれば良かったのだ。ただ、それだけだったのだ。だが……俺にはそれができなかった。だから俺は今、お前に精一杯優しくするつもりだ。」
 更夜の優しげな声に憐夜は恐る恐る目を開けた。
 「お兄様……。」
 憐夜の目に涙が浮かんだ。
 「お兄様、私、どうすればいいのかわかりません。」
 「大丈夫だ。今後はお前の好きなように発言するといい。俺はそれに精一杯答えよう。……とりあえずここから出るぞ。憐夜、それでもいいか?」
 「はい……。お兄様に従います。お兄様はお怪我をなさっているのでご無理はなさらずに。」
 そっけなく言い放った憐夜に更夜はわずかに優しく微笑んだ。憐夜がまだ納得がいっていない顔をしていたが更夜はあまり気にしなかった。
 「堅苦しいわね……。」
 スズは不器用な兄妹にため息をつきながら半蔵と才蔵が来ないか確認していた。
 「……では行くか。お兄様とお姉様が足止めをしてくださっている間に。」
 更夜は憐夜を抱き上げると折れている方の手でスズの手をとった。
 「ちょ、ちょっと、更夜?わたしはそんなに子供じゃないんだけど。腕折れてるんでしょ。手なんて握んなくていいって。」
 スズは焦った声を上げたが更夜はスズに鋭いまなざしを向け、小さく言葉を発した。
 「俺は勝手に動いてしまうお前も心配なんだ。……お前には傷ついてほしくない。この件を解決してトケイを連れ戻してまた幸せに俺は暮らしたいんだ。」
 更夜はそう言うとスズを引っ張り歩き出した。
 「更夜……。わたし達との生活、幸せだったんだ。」
 スズはわずかに微笑むと素直に従った。
 「お兄様、私も自分で歩けます。お怪我をなさっているので無理はしないでください。」
 憐夜も更夜の負荷を気にして声をかけた。
 「俺は大丈夫だ。お前達幼女を放っておくほうが俺の負荷になる。」
 「幼女って……更夜……。」
 スズの呆れた声を最後に更夜達は時神の世界から外へと出て行った。


 ライは一足先に西洋風のお城が建っている世界へとたどり着いていた。
 「やっぱりきれいな世界だわ。」
 ライは目の前にそびえる美しい城をぼんやりと眺めた。刹那、ライの肩先から声が聞こえた。
 「人が想像するエネルギーとはすばらしいもの。存在するとはとても大切な事。」
 「うわぁ!セカイさん!」
 驚いたライの肩にセカイがちょこんと乗っていた。セカイはスズの肩から知らぬ間にライの肩に乗り換えていたらしい。
 「そう。私はセカイ。……この世界に三つ……迷っている魂がいる。」
 「三つの魂?……忍者さん達か、ノノカさん達か……よね。」
 「……。」
 セカイはライの声には反応を示さず、ただ一点を凝視していた。
 「セカイさん?」
 ライがセカイを不安げに見た時、すぐに聞き覚えのある声がした。
 「あんたがKの使いとか呼ばれているやつかィ?ワシはァ、あんたに用があって来たァ。」
 ライの真下で銀の髪が揺れ、目の前にサスケが現れた。
 「うっ……。」
 ライは嫌な事を思い出し、顔を青くしたがサスケはライをまるで見ていなかった。
 「で、ワシは笛が本神に渡ってしまったんであれから色々調べたわけよォ。タカト君はただノノカちゃんを助けたいだけだからァな、別に笛を壊してセイを殺そうとしなくてもいいってわけ。なんかわかんねィがセイは死んでも弐の世界で蘇っちまったァ。こりゃあこれからセイを殺そうとしても意味はねィ。違う世界で何度も蘇っちまうからァな。笛を壊せばセイが消えるかと思ったがァ……よく考えりゃァ死んだらこっちの世界に来るだけだァな。」
 サスケはうなずきながら説明をした。
 「セイちゃんは私の妹。なんで殺そうとかそんな事を言うの……?酷いよ。」
 「わるィ。これは主の目的だァよ。」
 悲しげに瞳を伏せたライにサスケは感情なく言い放った。
 「それで?私に用とは?」
 セカイはそっけなくサスケに言葉を発した。
 「……ワシはてっとり早い方法を考えたィ。Kに直接ノノカちゃんを救ってもらえばそれでいいってなァ。」
 サスケがそこまで言った時、すぐ近くでまたも聞き覚えのある声がした。
 「……それじゃあ、ショウゴ君の恨みが晴れないだろう。俺はショウゴ君を落ち着かせてあげないといけないんだよ……。」
 「やっぱり来たかィ。マゴロク。」
 サスケはカゲロウのように現れたマゴロクを鋭く睨みつけた。
 「ついでに言いますと……わたくしもおりますよ。」
 「望月チヨメまで来たかィ……。」
 サスケはマゴロクの隣にいた女に目を向けた。
 「まあ……どいつも同じ考えに至ってここに来たんだと思うがね。どいつも同じKについて調べてたって事だ。」
 マゴロクはうんざりした顔でサスケとチヨメを見た。
 「しかしまあ、こんなにかわいらしいお人形さんがKの使いだったとは思いませんでしたけど。どのように動いてらっしゃるのか少し疑問ですわね。」
 チヨメはセカイにそっと目を向けた。セカイは瞬きをしただけで特に何も言わなかった。ライはふとセカイが先程言っていた事を思い出し、言ってみる事にした。
 「さ、サスケさんにチヨメさんにマゴロクさん。実はノノカさんの心を救ってあげられるかもしれない方法があるの。ノノカさんの心を救ってあげればもしかしたらショウゴさんもタカトさんも救えるかもしれない。私、気づいたの……。ノノカさんの心がタカトさんとショウゴさんを作っているんだと。タカトさんはノノカさんの心の葛藤で生まれている。いまでも自分を守ってくれる存在という理由で、ノノカさんの心にはタカトさんがいる。ショウゴさんは逆。ショウゴさんには恨まれても仕方がないという感情でノノカさんはショウゴさんを作り上げてしまっている。」
 「ほう……それでなんだィ?」
 ライは一生懸命に言葉を発したが忍達は感情的になるわけでもなく冷静だった。
 「現世はもう一つあるの。陸の世界という現世。そっちの方ではセイちゃんはまだ狂っていなくてタカトさんもショウゴさんも生きているわ。でも同じ結末に向かおうとしている。だからノノカさんに陸の世界を救ってもらう。そうすれば陸の世界は平穏に進んで現世にいるノノカさんは少し救われると思うの……。」
 「世界が二つあるという事はあまり信じられませんがもしあったのならばそれは……現世のノノカちゃんを完全に救う事にはなりませんね。その陸の世界とやらのノノカちゃんなら救えますけど。」
 チヨメの言葉にライは何も言えなくなった。今を生きているノノカを救う術はない。もうタカトは死に、ショウゴも死んでいる。一度犯した過ちは消える事はない。
 ただ、心は少し軽くなるかもしれない。
 「……現世を生きるノノカさんの心を軽くするには自分自身の心で解決するしかない。それのきっかけを作るのに陸の世界の自分を救うのはいいのかもしれない。」
 ふとセカイが口を開いた。
 「それよりもだな、Kがなんとかしてくれれば丸く収まるんじゃないか?」
 マゴロクはセカイを鋭く睨みつけた。
 「Kは……万能ではない。起こってしまった事実を変える事はできない。心はあくまで自分自身のモノ。自分でなんとかするしかない。そのお手伝いはする事はできる。」
 セカイは淡々と言葉を紡いだ。
 「……そうか。Kに頼れば何とかなると思っていたが間違いだったようだな。そもそもKとはなんだい?」
 「お答えできない。」
 マゴロクの質問にセカイは先程と同じ回答をした。
 「……答えられないのか?」
 「……。」
 マゴロクの問いかけにセカイは再びこくんとひとつ頷いた。
 「じゃあ、そこの芸術神の方法を試してみるしかねィって事かェ?」
 サスケがポリポリと頭をかきながらセカイに尋ねた。
 「……私達はそれ以外にする事はない。陸の世界を救う事は我々にとってもプラス。それはお手伝いする。それ以外はノノカさんの心次第。」
 「……心次第……。心が変われば後悔が蠢く世界から出られるの?」
 チヨメは小さくつぶやいた。黙り込んだ忍達を見つめながらセカイはそっと目を閉じた。
 「……後悔という感情はなかなか取り除けない。もう取り返しがつかない事が多いから。だからこういうたぐいの感情のエネルギーは同じところに集まり、渦巻いてしまう。……やはり人の感情が一番不可思議。あのまま伍の世界が続いてしまっていたら人は戦争をやめなかっただろう……。肆……未来も変わって良かった。」
 「……え?」
 ライは後半のセカイの独り言に眉をひそめた。しかし、セカイはそれ以降は何も話さなかった。

最終話

 「ところで……憐夜はKについて他に何か知っているの?」
 ネガフィルムのように入り混じっている世界を飛びながらスズは隣にいた憐夜に声をかけた。憐夜は更夜に抱えられていた。
 「……ずっとKを追いかけまわしていてたまたま不思議な世界に紛れ込んだの。……そこには十人の少女がいたわ。皆楽しそうにしてた。国はバラバラで肌色が黒い子、白い子……どこかの民族衣装の子、色々な国の女の子がいた。その中に日本かなって思う女の子がいてその子と目が合ったの。その瞬間にネズミなのか猫なのかよくわからない動物姿のぬいぐるみが『こっちに来ちゃいけない』って言って私が本来いるべき世界に私を連れて行った。後はほとんど覚えていないの。」
 憐夜はそこで言葉を切り、目を細めた。
 「どこかの魂の世界に入り込んだのか?」
 更夜の問いかけに憐夜は首を振った。
 「あれは……きっとKの世界です。あのぬいぐるみもきっとKの使いだと思います。Kが一人じゃないんだとしたらあの少女達が全員Kなのかもしれない。あの少女達がKかどうか調べたかったのとこの世界を作ったのがKだとするならばあの少女達を恨もうと思ってました。」
 「……そうか。だが憐夜、憎んでも悲しいだけだ。俺も恨むものがほしかった。恨まれる事の方が多かったからな。だが、恨んでも憎んでも悲しくなるだけだと俺はある時、気がついた。いっそのこと感情がなくなればいいと思った。だが、感情がなくなったらそれはそれで悲しいのだ。俺は死んでから恨むとか憎むとかそういう事はせずに今、あるモノを大事にし、ずっと守って行こうと思った。憐夜にそれを押し付けるつもりはないができれば俺は楽しそうに生きているお前が見たい。」
 更夜は憐夜に再び優しく声をかけた。
 「……まさか死んでからこんな幸せな気持ちになるなんて思いませんでした。Kについては解明したいのですが私はこちらで楽しく生きる事にします。恨んだり憎んだりするよりも楽しく生きていた方が確かに心が軽いです。」
 「憐夜……。」
 憐夜は更夜の胸に顔をうずめ、甘えていた。憐夜の心も若干ほぐれてきたようだった。だがまだ、運命を恨む感情は完全には消えていなかった。
 「憐夜、憐夜がいいっていうなら友達になろうよ。」
 スズは憐夜に期待を込めて声を上げた。
 「友達……?友達!仕事以外で人と仲良くなっていいの?お兄様がお許しになってくださるならその……。」
 憐夜は更夜を怯えた目で見上げた。いまだに憐夜を縛る望月家の恐怖はそう簡単に消えるはずはなかった。
 「俺に聞かなくていい。友達になりたいかなりたくないかで判断しなさい。判断は全部お前に任せる。」
 更夜はあえてこう言った。更夜が友達になれと言ってしまったら憐夜は自分の感情なしに無理やりでもスズと友達になろうとするからだ。
 「私、友達になりたいです。一緒に遊んだりしたいです。お、お兄様……。」
 「俺に聞かなくていい。お前がなりたいならなればいい。」
 更夜はまわりの気配を伺いながらそっと憐夜に囁いた。
 「……あの……。」
 「じゃあ、友達でいいわね。よろしくね。わたしはスズ。わたしも忍だったんだよ。」
 まごまごしている憐夜にスズはさっさと話を進めた。
 「う、うん……。よ、よろしくね。」
 憐夜は押されるようにかろうじて声を上げた。
 「……スズ、すまんな。ありがとう。」
 更夜はスズにホッとした顔でお礼を言った。
 「はいはい。」
 「スズ、憐夜、例の世界が近い。話は後にしろ。」
 更夜はスッと表情を元に戻すと憐夜とスズを黙らせた。
 

 「あ、あの……。」
 ライは先程話した提案がどこまで通ったのかを確認するために声を上げた。忍達は皆、複雑な表情を浮かべていたがライの提案に乗る気のようだった。
 「なんとかしてノノカちゃんの心を軽くしてあげないといけませんね。」
 チヨメが潤んだ瞳でサスケとマゴロクを仰ぐ。
 「その流し目、やめてくれないか……。俺はあんたの手助けをしてやろうとしてんだからさ。」
 マゴロクはチヨメの流し目に流されかけたがライの策に乗っかってくれるようだ。
 「チヨメ、そりゃあ、長年の癖かェ?おめぇみてぇな女は危険な香りがするから男が怖くて寄ってこねェよ。ま、今回はあんたらに従うとするかィ。タカト君を救えるならァな。」
 サスケもそれしか手立てが浮かばず、あまり納得がいってなさそうだったが乗っかってくれた。
 「サスケさん、チヨメさん、マゴロクさん。ありがとうございます。」
 ライは三人を眺め、お礼を言った。
 刹那、目の前に更夜、スズ、憐夜が現れた。
 「遅くなってごめんね。ライ。……って……あんたらは……。」
 スズは声を発すると共に素早く構えた。しかし、それを更夜が柔らかく止めた。
 「ちょっと更夜?」
 「あなた達は何故、ここにいる?ライに何かしたか?」
 更夜は感情なく三人の忍を見据えた。
 「別にィ。ライちゃんの策に乗っかってやろうって話をしていただけだィ。な?」
 サスケがマゴロクに同意を求めた。
 「ま、そういう事だね。」
 マゴロクも感情なく頷いた。その横でチヨメがハッと目を見開いて憐夜に目を向けていた。
 「あら?あなたは憐夜ちゃん?あの狂った家系は辛かったでしょう?あなたの所の望月家と他の望月家で修練があった時、更夜ったら私の色香を痛みで飛ばすのに何の感情もなしに左腕にクナイやら小刀やらを刺して襲って来たのです。ただの練習だったのですよ?あなたのとこの家系、やばすぎ……って思いましたわ。自分の腕に何の躊躇もなく刃物を刺せて表情も無表情。化け物かと思いましたわ。」
 チヨメは憐夜にそっと微笑んだ。憐夜は何も話さなかったがそっと更夜の影に隠れていた。チヨメはそのまま言葉を続ける。
 「あなたが抜け忍になったって聞いた時、望月家が集まっていたのだけれど、わたくしは後から集会所に行ったのよ。そうしたら、あなたのお兄さんかしら?血まみれでよくわからなかったのですが、身体中、鞭痕と打撲痕だらけで全裸で吊るされていましたわ。意識がなくて死んだかと思っていましたね。それで血まみれの拷問道具が……。」
 「チヨメ……。もうやめてくれ。」
 チヨメの会話を更夜が打ち切った。
 「あら……ごめんなさい。もう言いませんわ。」
 チヨメは憐夜を見て口を閉ざした。憐夜の顔は恐怖とせつなさが混じったような表情で目には涙を浮かべていた。
 「……お兄様……ごめんなさい。」
 「……憐夜。大丈夫だ。大丈夫。」
 更夜は震えている憐夜を抱きしめ、そっと頭を撫でてやっていた。チヨメはその光景を見て首を傾げた。
 「更夜、あなたの家系はそんなに優しくする家系ではなかったはずですが。……ちなみにあなた達とは腹違いの子、狼夜はお仕置きの最中に死んでしまったとか。狼夜が弱かったとあなたの父親、凍夜がもう一人の奥さんを攻め立てたそうですね。やはり狂っていますね。」
 「……そうか……。狼夜には会った事はないがこちらの世界で幸せに過ごしている事を願う……。俺は……俺達兄弟は小さな世界に縛られ狂っていた。あの時、全員で抜け忍になっていれば良かった……。その考えが俺達の頭になかった。」
 更夜は憐夜を強く抱きしめ、チヨメを見据えた。
 「……あなたにも後悔があるのですね。ちなみに言っておきますが狼夜は死後、わたくしと仲良く生活していますからご安心を。まあ、今は仕事中なのでほったらかしですが。」
 チヨメは軽く微笑んだ。
 「……そうか。」
 更夜はどことなく安心した顔で一言つぶやいた。
 「まあ、あんたらのそういう話は後でいィ。ワシもマゴロクも甲賀にいたが家系が違ったからなァ、ほとんどおめィらを知らん。それよか、これからどうすんだィ?」
 サスケが話に加わり、話を元に戻した。
 「……ところでライ、あなたの策とやらはなんだ?」
 更夜はライに目を向けた。
 「あ、えっと……。先程、セカイさんが言っていた事なんですが、陸の世界のセイちゃんとノノカさんを救うってお話です。もしかしたらノノカさんの心を軽くしてあげられるかもしれないと思って……。」
 ライは更夜に先程話した内容を説明した。
 「……そうか。それでトケイも元に戻るのか?」
 更夜の問いかけに今度はセカイが答えた。
 「……トケイは今、弐の世界の脅威を払う存在になっている。この一件が落ち着けば元に戻るがそれまではセイを消そうと動くだろう。トケイがセイを消してしまったら最悪の方面にいく。」
 「しかし、セイは一つの世界で消されてもまた別の世界では生きている事になるのだろう?」
 更夜の問いかけにセカイは首を横に振った。
 「その認識は間違い。神は元々想像の存在。現世の神が死に、その神が弐の世界に来て弐の世界で死んでしまうともう存在するという定義が崩れてしまう。故にトケイは完全にセイを消し去る事ができる。」
 「そうなのか。」
 「トケイさんが……セイちゃんを消してしまう……。どうしよう……。」
 ライは怯えた表情で更夜を仰いだ。
 「その前に行動すればいいのだろう?今回は協力者がいるんだ。問題はない。」
 更夜は鋭い瞳でサスケ達を睨んだ。
 「そんなに睨まんでもいィ。なんだィ?セイに見つからんようにセイを監視すりゃァいいのかィ?」
 サスケは不敵に笑いながらライの肩に乗っているセカイに目を向けた。
 「その役目は必要。セイがトケイに襲われたら私を呼んでほしい。すぐに飛んで行き、トケイを遠くに飛ばす。襲われていない時、私はその間に陸の世界を出す準備をする必要がある。」
 「んじゃァ、マゴロクのが適任かもなァ。自分はその場から動かずに動物を使って相手に連絡ができるんだからなァ。ほら、おめェは蛇とか猫とかがいるだろィ?」
 サスケは気難しい顔をしているマゴロクに不気味に笑いかけた。
 「俺の仕事仲間かな。まあ、いつも手伝ってもらっているしいいが。」
 「で、おめェが勝手な行動とらねィようにワシもその任につく。」
 「まあ、別にいいが……足手まといはごめんだな。」
 「へっ、いうねィ……。」
 サスケとマゴロクは勝手に話を進めていた。
 「それで?陸の世界とやらが出てからどうするのですか?」
 今度はチヨメがセカイに質問をした。
 「そうしたら陸の世界に行く。後はノノカさん次第。私達はお手伝い。」
 「では、ノノカちゃんを連れて来なければなりませんね。」
 チヨメの言葉にセカイは頷いた。
 「その役目、わたくしがやりましょう。ノノカちゃんを連れてきます。」
 「そうしてほしい。」
 セカイはまたこくんと頷いた。その中、スズだけは納得のいっていない顔だった。
 「なんだか、皆敵同士だったのにすぐに仲間になったり、飲み込み良すぎじゃない?」
 「忍はそういうものだ。今回は目的が一緒だっただけだ。」
 更夜が深いため息をついた。
 「じゃ、ワシはさっさと行く事にすらァ。」
 「では俺も。」
 サスケとマゴロクはこちらが了承する前にさっさと消えて行った。
 「ではわたくしも。」
 チヨメもライがぽかんとしている間に素早く去って行った。
 「え……。え?あの……。」
 ライはあっという間に決まった事に頭がまだついていっていないようだ。セカイとスズと更夜の顔を交互に見ていた。
 「話は進んだ。俺達も何かできる事があればする。」
 「では私の警護をしてもらいたい。」
 更夜の言葉にセカイはまた大きく頷いた。
 「更夜、お兄さん、お姉さんの事、心配じゃないの?」
 スズは眉をひそめて更夜につぶやいた。
 「……俺が心配したら失礼に値するくらいあの二人は強い。……問題はない。」
 「ふーん……。心配だったらわたし、戻ってもいいよ。様子だけでも見てきてあげる。更夜は怪我しているから無理だけど。」
 「駄目だ。お前は戻るな。」
 「そ、即答?わ、わかったわよ。」
 更夜の鋭い声に委縮したスズは素直に頷いた。
 「わ、私も何かお手伝いできる事があればします!逢夜さんと千夜さんの助けにも頑張ってなります!」
 今度はライが声を発した。
 「あなたも行ってはいけない。あなたは自分の事だけ考えていればいいんだ。」
 「は、はい……。」
 しゅんと肩を落としたライを見つめながら更夜は少し嬉しそうにしていた。
 「お兄様……?どこか嬉しそう……。」
 「……いままでずっと独りでいたせいかこんなに沢山の仲間を持つことがどことなく恥ずかしくてな。それにお前とも和解できた。俺は今、こんな事を言っている場合ではないが幸せを感じているのだ。すべては絵括神、ライのおかげだな。」
 憐夜のつぶやきに更夜はぶっきらぼうに答えた。
 「そ、そうですか。」
 憐夜は更夜の脇腹あたりに顔をうずめながら小さくつぶやいた。
 「わ、私のおかげなんてそんな……!私こそ更夜様達にたまたま会えてすごく良かったです!」
 ライは顔を真っ赤にしながら上ずった声で更夜に叫んだ。
 「ふむ。そう言ってもらえるとこちらもやりがいがあるな。これも運命か。運命はよくも悪くもよくできている……。」
 更夜はしみじみとつぶやいた。
 「ここまで来たら最後まで付き合ってあげるよ。」
 ライ、憐夜に挟まれたスズはため息交じりに声を漏らした。
 「スズちゃん、ありがとう。」
 「では、この世界を使い、陸を出す準備をする。ここはノノカさんのお姉さんの世界。ノノカさんがいる陸の世界に繋がりやすい。」
 セカイの言葉にライ達は大きく頷いた。
 どうやって陸の世界を出すのかはわからないがライは少しだけ安心した。

旧作(2014年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…3」(芸術神編)

旧作(2014年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…3」(芸術神編)

TOKIシリーズ本編、三部の三話目です。 絵括神、ライが生まれた由来や甲賀望月家、更夜との意外な関連性が明らかになります。 小さな世界にとらわれていると大事なものが見えない…そういうお話です。 人の心はエネルギーである。感情がわき出るこの心というエネルギーはいまだによくわからないダークマター。 後悔という感情は取り返しがつかないことが多く、人を縛り付けるものである。それを取り除く方法は…自分自身の心で解決するということ。それしかないようだ。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-15

CC BY
原著作者の表示の条件で、作品の改変や二次創作などの自由な利用を許可します。

CC BY
  1. 夜が明けないもの達
  2. 二話
  3. 三話
  4. 四話
  5. 五話
  6. 六話
  7. 七話
  8. 最終話