雲南伝説胡蝶泉
あらすじ
若林治は京都嵯峨野の小さな民芸品店の主で毎年買い付けに東南アジアや中国を旅しています。今年やっと念願の雲南省に行くことができました。上海まで船旅、義烏までバス。長沙まで夜行バス。空路昆明へ。今回の目的は大理古城から草木染め藍染の周城そして謎の泉胡蝶泉を訪ねることでした。ところが私は胡蝶泉の祠でついうとうとと・・・・。目が覚めると私は城の上。向こうから蒙古軍が攻めてきます!
私は一目散に逃げ出しました。そして・・・・・?
船旅
今年も仕入れに船旅です。船は大阪と神戸から週一回ずつ出ています。
慌ただしい一年を終えやっとほっとする自分の時間です。
新鑑真号のほうが蘇州号よりゆったりしているようですが
蘇州号には展望室と展望風呂があります。
新鑑真は2段ベッドの8人部屋。蘇州号は雑魚寝です。
それが又色んな人と知り合いになれて旅は道ずれ船旅に限ります!
穏やかな船旅。ところが今回は天津旅遊団が乗り合わせていて
60代の婦人が大半、ダンスやマージャン、カラオケ大好きの団塊世代。
男性はひ弱で圧倒的に婦人パワーが強力。これは日本以上のようです。
デッキで男性がイーアルサンスーと怒られながら
ダンスを指導されていました。
この年代はとにかくあつかましい。1Fフロアを占有して
器用に羽けりをやっている。マージャン室はお金を取られるので
フロアのテーブルでマージャン、トランプ。食堂からトレイを持ってきて
食事ととにかくマナーというものがない。
彼らの部屋の通路手すりにはでかいパンツや真っ赤なブリーフ、
下着類がびっしりと乾かしてある。
今から40年前には皆紅顔の美少女美少年だったはずなのですが・・。
忘れもしない文化大革命、紅衛兵運動は青春そのものだった。
全共闘の世代と写し重なりますね。
このパワーが今全世界に打って出ようとしています。
マナーも何もあるものか、これが現実。
まさに中国のエネルギーが世界を変える。
この流れはもう止められない!
あ、申し遅れました。私は京都の嵯峨野で小さな民芸品店を開いている
若林治32歳。独身。毎年冬のシーズンオフになるとタイやバリ島、
中国に買い付けに行きます。今年も舟で上海に上陸です。
義烏(イーウー)
大陸が近づくと海の色が泥色に変わってきます。
やっと陸地が見えてもなかなか近づきません。
黄浦江に入って初めて中国に来た感じです。
ここからさらに2時間さかのぼります。
大橋をくぐり電視塔が見えてきてあのなじみのアングル。
上海だあ!心和む一時です。上陸後すぐに南站に向かい、
高速バスで義烏へ7時間。日が暮れるころ義烏に着きます。
世界の格安総合雑貨のほとんどをこの町で作っています。
義烏にある3大バザールの中でも一番でかい国際貿易商城。
どういうわけかS字型のビル、福田フーデンⅠ期とⅡ期といいます。
福田Ⅰ期は10年前にできたビルで主に宝飾、雑貨、玩具など。
1階玩具だけで3000ブース。2階宝飾で3000ブース。こんな調子。
福田Ⅱ期は数年前にできた新館で工具、時計、めがねなどでⅠ期の10倍規模。
この夏博覧会が開かれ、さらにいま福田Ⅲ期を建築中です。
世界の中国雑貨はここから全世界へ発送されていきます。
値段は交渉次第ですが10分の1、20分の1はざらで。
ものによっては100分の1。ここがバイヤーの腕の見せ所。
とにかく立ち止まらず歩いていくだけで1日はかかります。
近代的大バザールといったところですがそこは中国、
赤子がいたり、脇でご飯食べたり、サトウキビの皮を放ったり。
唾はいたり。しょっちゅう掃除はしているものの、どこか汚い。
思えば今まで世界中の色んなバザールを見てきた。
超特大はイスタンブールのグランバザール。屋根つきドーム内に迷路のように
古典的なブースが続く。アフガンコートにパズルリングをたくさん買った。
カイロもでかかった。香水と象嵌。露店バザールではマドリードの蚤の市。
火縄ライターをたくさん買った。チェンマイの夜市。木猫、シルバー。
インドでは更紗、バチック、銀指輪。バリ島ではろうけつ染め、などなど。
よく考えると義烏の国際商貿城いかにでかいかがよく分かる。
ここはひとつ腰をすえてかからねば。目的は木猫と鎖だ。
買付
翌日は朝から昼過ぎまで歩きに歩いて59件ほどのブースで
値段交渉をする。1000本2000本3000本と
まとまるとやっと1個1元。これが限界か?
歩き疲れてベンチで休んでいると、又一軒見つけた。
客が2人いる。ベンチの裏側だ。この客がいなくなったら
覗いてみるかと思っていたら、話し声が聞こえた。
「いくらだった?」えっ?日本語?
黙って成り行きを観察していた。
「前とおんなじ」
「じゃあ、3000本ね」
「そうしよう」
なるほど日本人の行きつけらしい。
一回りしてここを最後にチャレンジしてみよう。
「称好。これ3000本いくら?」
「1個0.3元」
ええっ?1個0.3元?紙に書いてもう一度確認する。
1個0.3元だから3000個は900元。
「間違いないか?」
「間違いない」
0.3元て1個4円50銭。やったー!
小売値の100分の1だ。卸値の10分の1。
ここに決めた。
1袋120個36元。30袋3600個1080元。
即金で払ってざっと検品する。
ずしりと重い。20kgはありそう。
又来年くると言って出た。ここは英語も日本語も通じない。
筆談がベストの商談だった。はたして毎年こうなのかは
全く分からない。ここは中国何が起きるか分からない。
さあ明日は夜行バスで長沙。そこから昆明まで一っ飛び、あこがれの雲南だ!
初めての長距離夜行バス。うわさには聞いていたが・・・・。やっと
乗車時間が来た。5:30長沙⇔義烏5:30とバスの前面に大きく書いてある。
どうも毎晩双方から出ているようだ。見ると、なんと2段ベッド3列の寝台バス。
床には靴を脱いで上がる。通路にも人が寝るのだ。何かあったらどうやって逃げる
のか不安になる。男も女も一緒になって雑魚寝。上から丸見えだ。
こちらの足元に向こうの頭が来るという感じ。暗闇をナイトバスは走り出した。
満月がちょっと欠けたくらいの名月がずっとついてくる。
父母兄姉が見守ってくれているようだ。不思議と死んだ人の顔が浮かんだ。
『夜行バス 父母見守り 一人征く 長沙の山並み 月の影の冴やけさ』
真夜中の休憩トイレは、お見合い連れウンコトイレだった。
いざ雲南へ!
朝8時。長沙にはいると皆終点前に降りだした。
つられて降りて空港へ直行した。
検査が国際線並みに厳しくボディタッチや荷物内検査まであった。
朝9時30分の便に乗る。とてもチャーミングなジェット機だ。
1000元。荷物はそのまま担いで座った。
1時間半くらいのはずだ。機内食はとてもまずく
硬い米をよくかんで飲み込んだ。
いよいよ雲南入りだ。茶褐色の土が見えてきて
昆明空港に無事着陸。まずすることは帰りの上海行きを確保すること。
うまくいったが27日早朝7時55分発。早朝なので
何度も遅れないようにと注意された。1520元。
これだったら最初から上海往復にしておけばよかった。
さて次は長途汽車西站へ行くこと。もうタクシーを使おう。
これが正解35元(バス1元)。
昆明は大きな町だがいずこも同じ中国的大都会だった。
西站で大理行きを買う100元すぐに発車。
もう時間が来てるのに発車は10分後だった。
高速で4時間くらいのはずなのに
調子がよかったのはここまで。
大理まであと20キロのところで山道入った。これがすさまじい山岳道路で
すれ違うのがやっと。しかもトラックが多く皆トラクター並みの早さだから
バスは追い越そうとする。どんどん追い抜いていく。
対向車もとてものろいのでぶつかることはないみたい。
峠でついに事故渋滞。パトカー(公安)がきた。
道はぬかるみもう最悪、いつつくやら6時間がたった。
やっと大理高速へと入ったが舗装が悪いのか平らではない。
スピードを出すとジャンプする。そのように造ってあるのか?
すぐに大理下関シアカンに着いた。
地方のターミナル然としていて人も少ない。誰かに大理古城と
聞いても知らんと首を横に振る。ほんまかいな?
仕方なくしばらく歩いて新装の火車站からタクシーに乗る。
50元、30分ほど。(バスだったら2元!)
耳海は琵琶湖の半分くらいかな。雰囲気がよく似ている。
琵琶湖の湖西道路を行く感じだ。
夕暮れ(8時ごろ)城壁門が見えてきてついに着いた大理古城。
南の城門前で白族がきれいに着飾って踊っている。
子供の衣装がとてもかわいい。髪飾りが独特だ。
ここから最も近いユースホステル三友客桟にチェックイン。
ドミトリーでなんと一泊20元(300円)。ほんとにほんと!
3泊予約してベッドを確認。こぎれいで共同シャワーはちゃんと熱湯が出る。
長期滞在者もいるみたいだ。ひとまず荷物を下ろし城壁の中へ。
もう日が暮れていたがすごい人だ。シーズン中で観光客が多いのだ。
洋人街。中国銀行。頼人ユース。チベタンカフェ。西城門を確認して
”きくや”で煮込みうどんを食べた。12元、上海で蘭州ラーメンが
5元(70円)位だから高いほうだ。まいいか。
日本の漫画がたくさんおいてあるが店の人は日本語はまったくしゃべらない。
隣の店でトイレットペーパーとピーナツ、水を買って出ようとしたら
大粒の雨が降ってきた。かなり本降りだ。急いでユースに戻る。
途中で傘を売りに来たが高そうだったので買わなかった。
洗濯をしてシャワーを浴びて10時半ごろ就寝。
8人部屋にまだ2人しかいない。12時ごろ続々帰還してきた。
ぎょっ!朝薄明かりに見ると女が寝ている。
何かわけがわからない?男子部屋のはずだが。また寝る。
やはり二人の女性が出て行った。みんなが出て行って起きる。
一人の英国風老人が向かいで眠っている。ほっとする。
今日は一日中雨か、これなら昨日かさを買っとくんだった。
とにかく食べに出る。すぐのところに折り畳み傘があった。
スーカイ(スー元)。このスーが4のスーと10のスーと
まったく区別がつかない。指を4本立てると首を横に振る。
両手の人差し指を重ねて十の字を作るとうなずく。
やはり10元だった。傘を差してきくやにむかう。
強烈なケチャップのかかったオムレツをよくかんで食べる。
さあどうしたものか。便意を催してきそうだが手紙ティッシュ
は十分あるし途中でもいいか。バス停を確認しようと思ったら、
胡蝶泉まで5元。安い!もうそのまま乗ってしまった。
琵琶湖の湖西道路をミニバスで行く感じ。
喜州からわき道に入り凸凹道を抜けると胡蝶泉に着いた。
約40分くらい。憧れの胡蝶泉に着いた!!
大理
胡蝶泉は私が来るのをじっと静かに待ちわびていた、
はずだったが。たくさんの観光バスが並んでいる。
60元払って憧れの胡蝶泉景区に入った。
蒼山のふもと、うっそうとした森の中だ。
各団体のガイドさんは皆白族の民族衣装で
とても美しくおしゃれに見える。
竹林の坂を上り詰めたところに泉は湧いていた。
ちょうど富士のふもと忍野八海のような泉で
かなり深いがきれいにすんでいて湧き水が見える。
あちこちと水中洞穴でつながっていそうだ。
忍野八海もそうらしいが飛び込んだが最後
戻ってこられそうにない。
うっそうとした樹木が周りに茂っていて
とても神秘的なところだった。
泉にまたこれるようにとお題目をあげ
こぎれいなトイレで用を足して
胡蝶泉を後にした。
さあ最後の大仕事藍染を買い付けに周城へ向かう。
胡蝶泉の駐車場からバタンコに乗ると、
「どこへ行く?」
「周城」
「5カイ(元)」
「ハオ」
ところが後でよく考えると、胡蝶泉から続く街道沿いが
ずっと周城らしくて2kmで町並みは終わった。
「どこへ行く?」
「藍染工房」と言いながら書くと、
「ハオ」と言ってとある染物工場へ連れて行く。
それは町並みのすぐ裏手でこじんまりとした民家。
中に藍染のハンカチ、風呂敷サイズが一杯。
いろいろ見せてはくれるが他がない。
こんなのを探していると暖簾の絵を描くと
バタンコのおじさんは大きくうなづいて
次の工房へ連れて行ってくれた。
ここは本格的な工場だった。ここだここだ!
染めは木製の大きな樽で行う。
この樽がいくつも作業場においてある。
藍染のほかに草木染め、菊、ウコン、芥子、茶などなど。
同じアイでも染めの回数、葉と茎と根によって色がぜんぜん違う。
暖簾だけでも相当の量があって安ければここが一番かな。
問題はデザインだ。かつてインドネシアやインドで
探したバチックの図柄は独特だが宗教的で難しい。
なんとか日本的なものを京都的なものをと探すと
草花の一本描きがなかなかいい。藍、菊などいろいろとある。
これはいけそうだが、1枚60元という。
何度も交渉して、ここが大事。結構有名なところなのだろう
客が多い。係りの段小姐は早く交渉を決めようとする。
「いいよ、そっちのお客さんかまってて」
手が空いたら次から次へと暖簾を広げる。
「いいよいいよ自分でチェックするから」
「また明日も来るから」と言って、
まずは10枚で400元まで値切って買う。
1枚40元=600円。これが3000円で売れればよし。
まあ最初はこんなもんだろう。肩の荷が下りたがお金がなくなった。
明日換金して再チャレンジだ。
古城に戻り一休みして夜店に向かう。同じような暖簾があった。
最初は100元。ついには33元まで下がって買った。
これをもって明日周城まで掛け合いに行くことにする。
三友客桟よる9時。女性が二人入ってきた。間違いなくこの
ドミトリーは共同なのだ。一泊20元(300円)だものね!
その一人がトイレットペーパー持ってませんかと言ってきた。
若い四川省の女ひとだった。
大理古城
翌朝6時起床。2000kmも離れているのに北京時間だから
朝7時に夜が明けて夜は8時まで明るい。
中国銀行が開くのは9時のはずだから散歩に出る。
路地裏で庶民が米線かおかゆを列を作って食べている。
なかなか入りにくい。
9時。換金はスムーズだった。きくやで卵焼き定食をたべて
周城へ向かう。そっと染物工場の中に入って写真を撮り続けていると、
段小姐がやってきた。結構客が多い。また10枚買うというと
すぐに決めようとする。夜店の暖簾を広げて、
「昨日の夜30元で買った。同じものだ」
「いやいや藍の葉が違う」
と言って段小姐は私を庭の隅に連れて行く。
野生の藍の葉っぱを掴み手にとって見せながら、
「大理と周城では藍の葉が違う」
『うそつけ!』
「10枚ほしいが250元しかない」
「8枚!」
「8枚じゃ240元じゃないか?9枚!」
「・・・」
「来年もっと買う」
ということでついに1枚30元になった。
領収証に段小姐のサインをもらった。
今後はこれがものを言う。
こういうことが一番大事で最高に楽しいひと時だ。
時間を掛けて荷造りをする。リュックに目一杯つめる。
隅々までピチピチにつめて30kgはありそう。
気合を掛けて背負う。街道にはミニバスが走っている。
手を上げると止まってくれる田舎のバスだ。
懐かしい昔の日本がここにはある。夕方菊屋で
チキンチャーハンを食べて大理古城の町並みを散策する。
立ち止まって眺めているといろいろと庶民の生活が見えてくる。
あめを焼いているプレートは大理石だとか、
あれがひまわりの種なのだとか。子供たちはいつも元気に
水路で水浸しで遊んでるとか。これはゴミ箱なのだとか。
私は今までひたすら走り続けてきて立ち止まることがなかったように思う。
立ち止まることに恐怖を感じていたのだ。そしていま、
胡蝶泉に誘われて周城までやって来た。ついに藍染と草木染めを見つけた。
これが売れれば毎年来れる。しかしやってみなければわからない。
夜久しぶりに日本人と語る。チベット好きの青年医師と世界を駆け巡る
中年婦人。頑張れ熟年!その人が言った一言が気になる。
「染めの難点は日焼けと色落ちでしょ。ほんとに売れるんですか?」
うーん、そうか。ひょっとしたらそういうこともありうるな。そう思うと夜も眠れない。
もう一度胡蝶泉に行ってみよう。売れなければもう二度と来れないかもしれない。
あれほど憧れていた胡蝶泉。そうだ朝早くいけばいいんだ。観光客が来ないうちに。
そう思うともう居ても立ってもおられない。治は夜明け前にユースを飛び出していた。
胡蝶泉
夜明けだ。タクシーを降りてわずかに勾配のある砂利道を歩む。
昼は観光バスでごった返していた広場。見覚えのある駐車場に出た。
土産品店は皆しまっていて屋台には色とりどりの布がかけてある。
商品は全く見当たらない。毎日持ってきてまたもって帰るらしい。
空から見るとおそらくこの辺りだけ森を切り開き、最近になって
ようやくバスが来れるようになったみたいだ。園の入り口のゲートに出た。
屈強なガードマンが二人立っていたところだが今は誰もいない。
隙間からそっと中に入った。石畳を歩む。振り返ると向こうの山の端に
朝日が昇り始めた。まるで京都の西山から東山を望むようだ。
耳海が眼下右手に見える。標高2000mそれでも気温は15度くらい。
かなり湿気が多い、緯度は香港と同じだ。思わず旭日に手を合わせる。
緩い勾配の石畳を15分ほど歩む。両脇は竹林になっていてそのやぶの
向こうは灌木が茂っている。その先はうっそうとした原始林。おそらくだが
迷い込んだら二度とは出てこられそうにないかなり深い密林だ。
やっと胡蝶泉のほとりに出た。周りは大理石の階段と回廊、泉には手すり、
これも大理石で相当の年代物だ。人が手に触れないところは苔むしている。
泉の北側(山側)は少し小高くなっていて小さな祠がある。
これもすべて大理石で苔が一杯だ。
胡蝶泉を取り巻く回廊の周りは竹林ではなくてかなりの喬木が密集している。
その枝先が高い位置から泉を覆っているので旭日はほとんど届かない。治は
薄暮の天空を見上げながら祠の脇に腰を下ろしゆるりと泉を見下ろした。
静かに目を閉じて耳を澄ます。小鳥のさえずりが遠くから近くから、かなりの
種類だ。その時ほんの一すじの旭日が治の顔面をとらえた。暖かく眩しい光に治は
ついうとうとと、強烈な睡魔が襲ってくる。そのまま治は祠の脇に心地よく
眠り込んでしまった。
大理国
馬のいななき蹄の音。雑踏の中で強烈な臭い。目が覚めるとそこは、
異様な服を着た人々の殺気立った街中だった。
「蒙古が攻めてくるぞ早くみんな南へ逃げろ」
大声で叫ぶ屈強そうな大男。左手に亀の甲羅のような盾を持ち右手には
一抱えもありそうな薙刀を突っ立て何度も大声で叫んでいる。
蒙古?いつの話だ?攻めてくる?これは何とか逃げねばならぬ。
殺気立った人と荷車の流れを避けて治は城壁を駆け上った。
とても身軽で飛んでるようだ。しっ!見張りの兵隊がいる。
物音にこちらをじっと見つめている。視線が合ってしまった。まずい。
見つかってるはずなのにちょうど交代が来たようだ。何事もなかった
かのように兵隊は交代した。見えてないのか?
見張りの脇をすり抜けて城内に入る。石造りの堅固な城だ。一番
奥の部屋で何か言い争っている。重い扉の隙間から中をのぞくと
何と外とは大違いの豪華な部屋。中央に玉座があって王様が座っている。
その前にこれぞ雲南白族の民族衣装で着飾った王女と姫がいる。
(国王)「蒙古の軍はもうそこまで来ておる」
国王、いらいらとうろつく。
(王女)「姫は南へとお逃げなさい。私は王と共に戦います」
(姫)「お母様!」
(王女)「あなたの事はよく分かっています。村の若者が着いたら
ふたりですぐにお逃げなさい」
(姫)「お母様!」
(王女)「ふたりの仲の事は母である私が一番よく分かっています。
王子の北の城が落ちたらすぐさま知らせに来るようにと、
あの若者に頼んでおきました」
(姫)「お母様!」
姫、王女に泣き崩れる。
下手より若者現れる。
走りつかれて倒れそうである。
(若者)「申し上げます。蒙古軍は総攻撃をかけてきました。
王子様の守りは撃破され総崩れになってこの城へ撤退中です」
(国王)「王子は?」
(若者)「王子はご無事です。攻め来る敵と戦いながら
この城へ向かっておられます」
(国王)「蒙古は皆殺しの民と聞く」
(王女)「姫!直ちにお逃げなさい!この若者とともに南の地へ!」
若者と姫、互いに見詰め合う。
(国王)「ええい!早く行け!」
(王女)「早く行きなさい。この城は王子とともに
最後の最後まで戦い抜きます。あなたの使命は生き延びて
わが一族の子孫を残すことです。早く行きなさい」
(姫)「分かりましたお母様」
下手より戦いつかれた王子現れる。
剣は抜いたまま大きく息をしている。
(国王)「おお息子よ」
(王女)「王子・・・・・」
王女、王子の下に駆け寄る。
王子、大きく息をつきながら、
「父上、もはやこれまで。蒙古の軍は十万を越える大軍で、
わずか数千の大理国が滅びるのは時間の問題だ。姫を、
早く姫を逃がしてやってくれ」
(王女)「もう姫は逃げました。あの若者とふたりで」
(王子)「そうか、それは良かった。なんとしてでも
生き延びてくれ・・・・・」
王子はここで息絶える。
背中に大きな矢が刺さっている。
国王、王女「王子!」
ふたり駆け寄り王子の体を支え抱く。
蒙古襲来
森の中を手を取り合い逃げる若者と姫。蔦に絡まり
ぬかるみに足をとられやっとの思いで泉にたどり着く。
二人はのどがカラカラだ。
若者、姫の手を取り泉を覗き込む。
(姫)「まあ、とてもきれいな泉だこと」
姫、水辺に降りて手で泉のの水をすくう。
(姫)「ねえ、見てみて。とても清らかで美しいわ」
姫、ひと飲みする。
(姫)「とてもおいしい!」
若者は向こうを見こちらを見、見張っている。
(姫)「あなたも飲んでみて、とても冷たくて美味しいわ」
(若者)「・・ああ」
若者、水辺に降りていく。水をすくいごくりと一飲み。
(若者)「ああ、とても美味しい。水面が透き
通っていて吸い込まれそうだ」
ふたり、目を合わせて微笑む。
(若者)「何か書いてあるぞ」
ふたり、立て札を見つめる。
(若者)「飛び込むなかれ、底なしの泉なり。
地下水脈にて死体は二度と上がらない。・・か。
ふーむ、とても古い字だな、これは」
(姫)「底なしの泉なの?」
(若者)「ああ、底なしの泉だ」
遠くで蒙古兵の声。
(兵1)「足跡があるぞー、こっちだ!」
姫と若者、泉の脇に隠れる。
森の中から蒙古兵三人が現れる。
(兵2)「こんな所に泉があるぞ?」
(兵3)「飲めそうか?」
(兵2)「飲めそうだ」
蒙古兵1は盛んに付近を捜している。
他のふたりは水を飲んでいる。
姫と若者は身をよじらせながら
泉の裏側へ回ろうとしている。
(兵1)「あっ、みつけたぞーっ!」
兵2,3身構える。
にじり寄る3人の兵。
姫と若者、泉の裏手に後ずさりする。
(若者)「用意はいいか?姫!」
(姫)「もちろんですとも!」
(若者)「それっ!」
ふたり、瞬時に泉へ飛び込む。
(兵3)「あっ、飛び込んだ」
兵2、飛び込もうとする。
(兵1)「待て!再び浮上してきた所を掴まえればよい。
ここで待て、必ず浮き上がってくる」
兵3人、武器を構えて待つ。
突然、おどろおどろしい雷の音。
稲妻が光り雷鳴が轟く。
兵3人ひれ伏す。
大きな蝶が二匹羽ばたいて泉から
飛び出で空にに消えていく。
その後を無数の蝶が天空を舞い消えていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あ夢だったのか治は目覚めた。確かに朝の日差しの中にたくさんの蝶が
舞ってはいるが。眼をこすりながら古びた高札を見た。
『忽翔入水 不再確認 您的遺体』
「飛び込むなかれ死体は二度と上がらない」
ふーむと腕組みしながら古い字体を眺めていると。突然足元が崩れ落ちた。
「わーっ!」
人民法廷
再び目が覚めるとそこにはたくさんの赤旗が天空にはためいていた。
森の中。どうも舞台のようだ。奥に見慣れた泉の柵が見える。
仙人を真ん中に左右に赤いスカーフの男の子と女の子が座っている。
仙人にスポットが当たる。
(仙人)「それはすさまじい殺戮じゃった。蒙古軍の去った
後には生きとし生けるものは何一つ見あたらなった」
(女の子)「姫と若者は生き延びたの?」
(仙人)「さあ・・・・・どうだか」
(男の子)「いま、紅衛兵の時代にはもうその様な無益な戦いは終了した」
(仙人)「さあ・・・・・どうだかな?」
ー暗転ー
(仙人)「つい最近のことじゃが、文化大革命というのが起きた。
南の広西チワン族自治区でそれは極限に達した」
ー明転ー
中央に『貧下中農最高法廷』と書かれた横断幕。
何本かの紅旗が翻る。上手に軍幹部がいて横にジャーナリスト。
ふたりの男女が引き出されている。
中央に女幹部が立って演説をしている。
周りを紅衛兵と民兵が取り囲んでいる。
(女幹部)「二人は極秘会議を開き共産党打倒を謀議した」
(男)「うそだ!」
(女幹部)「嘘なものか。お前は精華大学のエリートではないか」
(男)「確かに技術者ではあるが人民の敵ではない!」
(女幹部)「ええいだまれ!この女も大学出の人民の敵だ。
ふたりで密会している所を目撃されているのだぞ」
(女)「私達は人民の敵ではありません!」
(女幹部)「お高くとまってんじゃないよ人民の敵!
皆どう思う?生かすべきか、殺すべきか?」
(民兵たち)「殺せ!人民の敵!共産党万歳!」
稲妻が走り雷鳴が轟く。
ー暗転ー
スポットが軍幹部とジャーナリストに当たる。
(ジャーナリスト)「人間をこんなにやたらに殺してよいのですか?」
(軍幹部)「これは大衆闘争ではないか。プロレタリア独裁というのは
民衆の専制である。軍もこれには手出しができない」
ー暗転ー
稲妻が光り雷鳴が轟く。
闇の中で民兵の声が響く。
(民兵たち)「二人が逃げたぞ!探せ探せ!」
逃避行
闇の中で声が響く。
(女の子)「うまく逃げ延びて欲しいわ」
(仙人)「うまく逃げ延びて欲しいな」
(男の子)「何を言ってる。二人は反動右派分子だ。
人民の敵だ。早く掴まえて処刑しなければ、
我々人民が逆に殺されてしまう」
(仙人)「もうそういう時代は終わったのだ」
(女の子)「そうよそうよ。ふたりに何とか逃げ延びて欲しいわ」
暗闇の中スポットが当たり、上手より
若者と姫が逃げながら下手に消える。
スポットが当たり下手よりエリート
二人が逃げながら上手に消える。
明転ー若者と姫が上手より現れ泉の前で立ち止まる。
(若者)「ここまでくればもう大丈夫だろう」
若者、姫の手を取り泉を覗き込む。
(姫)「まあ、とてもきれいな泉だこと」
姫、水辺に降りて手で泉のの水をすくう。
(姫)「ねえ、見てみて。とても清らかで美しいわ」
姫、ひと飲みする。
(姫)「とてもおいしい!」
若者は向こうを見こちらを見、見張っている。
(姫)「あなたも飲んでみて、とても冷たくて美味しいわ」
(若者)「・・ああ」
若者、水辺に降りていく。水をすくいごくりと一飲み。
(若者)「ああ、とても美味しい。水面が透き
通っていて吸い込まれそうだ」
ふたり、目を合わせて微笑む。
(若者)「何か書いてあるぞ」
ふたり、立て札を見つめる。
(若者)「飛び込むなかれ、底なしの泉なり。
地下水脈にて死体は二度と上がらない。・・か。
ふーむ、とても古い字だな、これは」
(姫)「底なしの泉なの?」
(若者)「ああ、底なしの泉だ」
遠くで蒙古兵の声。
(兵1)「足跡があるぞー、こっちだ!」
姫と若者、泉の脇に隠れる。
上手より蒙古兵三人が現れる。
(兵2)「こんな所に泉があるぞ?」
(兵3)「飲めそうか?」
(兵2)「飲めそうだ」
蒙古兵1は盛んに付近を捜している。
他のふたりは水を飲んでいる。
姫と若者は身をよじらせながら
泉の裏側へ回ろうとしている。
(兵1)「あっ、みつけたぞーっ!」
兵2,3身構える。
にじり寄る3人の兵。
姫と若者、泉の裏手に後ずさりする。
(若者)「用意はいいか?姫!」
(姫)「もちろんですとも!」
(若者)「それっ!」
ふたり、瞬時に泉へ飛び込む。
(兵3)「あっ、飛び込んだ」
兵2、飛び込もうとする。
(兵1)「待て!再び浮上してきた所を掴まえればよい。
ここで待て、必ず浮き上がってくる」
兵3人、武器を構えて待つ。
突然、おどろおどろしい雷の音。
ー暗転ー
稲妻が光り雷鳴が轟く。
兵3人ひれ伏す。
大きな蝶が二匹羽ばたいて泉から
飛び出で上手に消えていく。
その後を無数の蝶が天空を舞い上手へと消えていく。
胡蝶の舞い
中央に仙人、両脇に男の子と女の子。
(女の子)「二人とも蝶になったのね」
(仙人)「ああ、蝶になった。たくさんの蝶は
たくさんの魂かもしれない」
(男の子)「無意味だ!革命前の貧農の暮らしに比べれば、
ブルジョワ的悲恋物語など全く無意味だ」
(女の子)「何言ってるのよ、どんなに世の中が
良くなっても、悲恋物語は無くならないわ」
(男の子)「体制が変われば人の心も変わる」
(女の子)「なんですって、このわからずや!」
(仙人)「まあまあ、人間そのものが変わらない限り、
世の中がいくら変わっても人の心は変わらない」
(男の子)「人の心は変わらない」
(仙人)「そうじゃ、同じことの繰り返しじゃ」
(男の子)「同じことの繰り返し?」
(仙人)「人間生命に宿る宿命を転換しない限り
同じことの繰り返しじゃ」
ー暗転ー
徐々に明るくなる。
下手よりエリート二人が登場。
逃避行のため顔も服も汚れている。
(男)「ここまで来ればもう大丈夫だ」
ふたり、泉を覗き込む。
(女)「まあ、とてもきれいな泉だこと」
女、水辺に降りて泉の水をすくう。
(女)「ねえ、見てみて、とても清らかで美しいわ。
(ひと飲みして)ああおいしい」
男、向こうを見こちらを見て追っ手を見張っている。
(女)「あなたも飲んでみて、とても冷たくて美味しいから」
(男)「ああ・・・」
男、水辺に下りていく。
水をすくいごくりと飲み込む。
(男)「ああ、とても美味しい。
水面が透き通っていて吸い込まれそうだ」
ふたり、目を見合わせて微笑む。
男、立て札に気付く。
(男)「何か書いてあるぞ?」
男、立て札を見つめる。
(男)「『飛び込むなかれ底なしの泉なり。
地下水脈にて死体は二度と上がらない』・・
古い字だなこれは」
(女)「底なしの泉なの?」
(男)「ああ、底なしの泉だ」
遠くで民兵の声。
(民兵1)「足跡があるぞー!こっちだ」
男と女は泉の裏側に回る。
民兵3人が出てくる。
(民兵2)「こんな所に泉があるぞ」
(民兵3)「飲めそうか?」
(民兵2)「飲めそうだ」
民兵1は盛んに付近を捜している。
他のふたりは水を飲んでいる。
(民兵1)「あっ、見つけたぞ!」
民兵2,3急いで身構える。
にじり寄る三人の民兵。
後ずさりする男と女。
(男)「用意はいいか?」
(女)「もちろん!ほかに道はないわ!」
(男)「よし!それっ!」
ふたり、瞬時に泉に飛び込む。
(民兵3)「あっ、飛び込んだ!」
民兵2、飛び込もうとする。
(民兵1)「あ、まて!再び浮上してきた所を
掴まえればよいから、ここで待て。
必ず浮き上がってくる」
民兵三人、じっと武器を構えて待つ。
突然、おどろおどろしい雷の音。
ー暗転ー
稲妻が光り雷鳴が轟く。
民兵三人はひれ伏す。
大きな蝶が二匹、大きくゆっくりと
羽ばたいて泉から飛び出で
上手に消えていく。
その後を無数の蝶が天空を舞い
上手へと消えていく。
稲妻
仙人と男の子女の子が中央に。
(男の子)「ほんとだ、同じことの繰り返しだ」
(女の子)「どうしても、あのふたりは
救えないのかしら?」
ふたりじっと仙人の方を見る。
(仙人)「救えないことはないさ。すごく時間が
かかるかもしれないが、意外とそうでもないかもしれない」
(女の子)「どういうこと?」
(男の子)「可能性はあるんだ」
(仙人)「そうとも。可能性は十分にある。さっきも言い
かけたが、人間そのものを良い方向へと変えていく運動を
根気よく続けていくしかあるまいて」
(男の子)「なあんだ」
(女の子)「信じるのね!」
(仙人)「そうだ、信じるのだ。これからは蝶を見たら
あの二人だと思い、必ずふたりが死なないでいい時代が
来るように祈ることだ」
(二人)「祈ることだ!」
(仙人)「戦うことだ!」
(二人)「戦うことだ!」
(仙人)「この運動を広げることだ!」
(二人)「広げることだ!」
(仙人)「諦めずに持続することだ!」
(二人)「持続することだ!」
(仙人)「仲間を励まし、人間を革命する戦いを
根気よく全世界で繰り広げることだ!」
(二人)「繰り広げることだ!」
(仙人)「そうすれば、人類の宿命の転換は必ずできる!」
(二人)「必ず達成できる!」
|暗転|
大きな蝶、無数の蝶が舞い続ける中を
若者と姫が上手から下手へ。
エリート二人が下手から上手へ。
稲妻が光り、雷鳴が轟き渡って、
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「起きてください!起きてください!」
「むむむ」
「40元払ってください」
「柵を乗り越えて入ってはいけませんよ」
何人かの人声が聞こえる。
「あ、すみません。私は日本人の旅行者です。
40元。はい、今払います」
皆の笑い声が聞こえた。膝に抱えていたリュックから必死になって財布を探す。
そうだ財布はポケットの中だった。みんなの視線を感じながら40元渡す。
また大きな笑い声が聞こえた。
「リーベン、ハオハオ」
今は一応冬場なので蝶の季節ではない。ところがどこからともなく蝶が一つ
また一つと集まり始めた。
天空はにわかに掻き曇り。人っ気はどこにもない。
稲妻が光る!雷電、閃光。ものすごい雷の轟き。
『まさか』
ぽつりと大粒の雨しずく。
『これはやばい。あの建物に逃げ込もう』
その間にも雨は大降りになってきた。
篠突く雨だ。濡れた服を拭きながら胡蝶泉を見やる。
水面は雨しぶきで霞のようにも見える。
『あの蝶たちはどこに行ったのか?』
するとおぼろげながら二匹の蝶の大きな幻が見えた。
あ、その後ろにもまた二匹。
皆こちらに頭を下げているように見えた。
こちらも手を振るとやがて幻は遠くかすんで消えてしまった。
後にはただ天空との境目のない胡蝶泉の水面だけが残っていた。
渡り蝶(最終回)
帰りの黄海も穏やかだった。暖かい日差しに甲板に出る。
雲南はもう遠くになったが胡蝶泉の森は太古の昔から豊かな水と
うっそうとした木々に今もおおわれて不思議な物語は潜んだままだ。
デッキに固定された椅子に座り遠くを見やった。すると蝶が、
2匹の蝶が絡まりながらこちらにゆらりひらりと飛んできた。
半透明な水色をしたアゲハチョウだ。
2匹は治を一回りすると向こうの椅子の背に止まった。
よく見ると一匹は褐色の尾をしている。この海を渡るのか?
そんな話を聞いたことがある。まさか?まじまじと2匹の蝶を
見つめると、蝶たちは飛び立ち船尾へと消えていった。
日本のはるか西南、大陸の地に胡蝶泉という小さな泉がある。
今も蒸し暑い真夏の頃にたくさんの蝶がこの泉から舞い上がる。
-完-
雲南伝説胡蝶泉