ミナモノコイ

にーとん


 私は行きつけのカフェテリアで、ただゆっくりとカフェラテを飲んでいた。平日の昼間という時間帯のため講義をサボった私しか客はいなかった。満席になっても15人入る程度の狭い店だが、私には大事な場所だった。行きつけ、と言ったがここ1年ほどこのカフェには来ていなかった。私にとって今日の来店には大事な意味があった。一つの区切りだ。1年間抱えてきた感情を思い出にするために、私は今日ここにきた。
 冷房が効いていてよかった、と思う。ここは私の想いとは関係なく、居心地のいい場所のままだったのだ。もっと早くに来ていればよかった。
 そんなことを考えながら私がコーヒーカップを持ち上げたのと同時に、ドアが開いた。カランカランというベルの音が店内に響く。いらっしゃい、とマスターの声。こんな時間に珍しいな、という思いで私はふとそちらを見やった。
 その女はドアを片手に支えたまま、私のことをじっと見ていた。金色に染めた髪に、派手目な服装。私の知っている相手だった。智弘の恋人だった女だ。
「こんにちは、麗華さん」
 案外丁寧なその口調よりも、名前を知られていることに驚いた。私は彼女のことを知っていたが、彼女は私のことを知らないはずだと思っていたからだ。彼女の顔を直に見るのは私にとってもこれが初めてだ。
「あなたは?」
 私にはそう答えるのが精一杯だった。
 彼女が開けっ放した入り口から、冷気が逃げていくのを感じた。その代わりに、不快な蒸し暑さが店内を侵食していく。
「あたしは愛梨です。よろしく」
 そう言って彼女はようやくドアを閉め、こちらへと歩いてきた。まさか、と思っている内に彼女は私の隣に座り、マスターに豆乳ラテを注文した。


 不快な空気が、まだ店内を巡っている。じっとりとした空気が私の肌を撫ぜていくのを感じた。
 隣りに座った派手な女は豆乳ラテを美味しそうに飲んでいた。ふと横目で見ると彼女の耳にはピアスがしてあった。やはりギャルというやつなのだろうか。
 私はそんな女の隣に座っていることが信じられなかった。今すぐお会計を済ませて、帰りたい。しかし蛇に睨まれた蛙のようにそこから動くことができなかった。苦し紛れにちびちびとカフェラテを飲んでみたりしていたが、もうすぐカップの中身も空になってしまう。
 ねえ、とふいに彼女は言った。
 私はその言葉につい身構えてしまう。
「なんで麗華さんはここにきたんですか」
「なんでって、言われても……」
 私はつい言葉を濁してしまう。そもそも私はこういう人種が苦手なのだ。髪を染めたり、ピアス穴を開けたりするような人間。それが突然隣に座り、来店の理由を聞いてくる。
 私は彼女の言葉の意味をはかりかねていた。純粋に質問しているのか、そこになんらかの意図があるのか、それとも私を責める嫌味なのか。そもそも彼女は、私のことをどこまで知っているのだろうか。
 だが横目に彼女を見てみても黙って豆乳ラテを飲んでいるだけだ。ずっと沈黙が続いている。会話が終わったと思っていいのだろうか。それならばとっとと出てしまおうと私は一気にカフェラテを飲み干した。
「彼女おかわりだそうです」
「なっ!」
 しかし、飲み終えたカップを置いた瞬間彼女は追加のオーダーをする。
 愛梨の言葉にマスターは応え、新しくカフェラテを淹れ始める。
「勝手に……」
「まあまあ、あたしが奢りますから」
 彼女は指輪をした手で私を制した。
「答えてくださいよ、どうしてここに来たのか」
「あなたには関係ない」
「そんなこと言わずにね、ほら」
 私は少し考えた。話さなくては帰してもらえないのだろう。それに彼女はきっと答えをわかっていて聞いているのだ。それならば答えてとっとと終わらせてしまったほうが早い。
「死んだ人との思い出の場所だからよ」
 私はそれだけ言って二杯目のカフェラテを一口飲んだ。
「それではなぜ今日?」
 彼女は重ねて尋ねてくる。
「……彼の命日だから」
「偶然ですね。あたしの彼氏の命日も今日なんです」
「愛梨さん、私に何か用なの?」
 私は、彼女の言葉の意味を一つ一つ探ることに疲れてきていた。あれほどかぐわしいと感じたコーヒーの香りが、ベタベタと肌にまとわりつくような感覚がする。私は目の前のコーヒーカップを見つめながらぼんやりと、これからどうしようか考えた。
「あいつは、なんで死んだんですかね」
 少しの時間を置いて、彼女はそう言った。私はその言葉に苛立ちを覚えた。
「死因は火事よ。あなたも知ってるでしょう」
「そうじゃなくて、どうして死ななくちゃならなかったのかってことですよ」
 たまらず私は俯いた。
 この女は分かっていないのだ。彼がなぜ、なんの為に死んだのか。
 こんなくだらない女の為に智弘は死んだのか。
 怒りの言葉をぶつけようと、愛梨に向き直った。しかし、彼女の顔を見て私はそうすることが出来なくなってしまった。
 愛梨は瞳に涙を浮かべていた。
「どうして、あたしなんかを庇って、死んだんですかね……」
 鼻声で彼女はそう言った。
 彼女にとって今日は恋人の命日。そしてその恋人は、自分を庇って死んだのだ。
 そうか、と私は思った。彼女も最愛の男を喪ったのだ。
「泣かないで」
 そうだ。私のすべきことは愛梨を責めることなんかじゃない。私のやるべきこと、それは――。
「愛梨さん、あなたにはそんな顔似合わないわ」
 私は彼女をそっと抱き寄せた。狭いカフェテリア内に小さく、彼女のすすり泣く声が響いていた。


 愛梨が落ち着いてから、私は彼女を家に招待した。
 綺麗なお部屋ですね、と愛梨は言った。綺麗というより、無機質なのだ。彼女はきっと言葉を選んでくれたのだろう。
 私はホットミルクを作って、愛梨に渡してあげた。
「あたし、ホットミルク好きなんです」
「知ってるわ、智弘がよく言っていた」
「あいつそんなことまで喋ってたんですか」
 立場は違えど私達二人にとって、智弘は大切な人だった。私にとっては幼馴染。愛梨にとっては恋人。
「あたし、本当はあいつのことよく知らないんです。歳も私の方が下だし、付き合っていたのも1年くらい。麗華さんからあいつのこと、ちゃんと聞きたくて」
 ホットミルクを飲みながら、愛梨はゆっくりとそう告げた。彼女なりに心のなかで区切りをつけたいのだろう。
「忘れられない?」
「でも、いつまでも引きずってちゃいけないのかなって」
 愛梨は明らかに智弘のことを忘れられないようだった。1年しかたっていないのだ。忘れられる方がおかしい。
「コクられたりしても、そういう気になれなくって」
 その言葉に、私は頷いた。聞く人によっては嫌味に聞こえるかもしれない。けれども、彼女の切実な痛みを表している言葉だ。
「でも、区切りを付けたいと思っている?」
「死んだ人のことを想っていても、幸せにはなれないですから」
 私は、喉まで出かかっている言葉を抑えた。
 空調の効いた涼しい部屋でホットミルクを飲む愛梨。先ほど泣いたせいでその目はまだ赤い。
「死ぬ間際に、あいつは言ったんです」
 黙り込んだ私に愛梨は言った。
「俺のことは忘れろ、って」
 頭の中にそのビジョンが鮮明に描かれていく。燃え盛る炎の中、智弘は愛梨を救出するが、怪我のせいでそれ以上動けない。行け、と彼は叫ぶのだ。俺のことは忘れろ、お前は幸せに生きろと。
 私はなんだか、息が苦しくなった。まるでこの部屋でも炎が上がっているかのように、空気中の酸素が、薄くなっているように感じる。黙って立ち上がり、乱暴に窓を開けた。生ぬるい空気が部屋の中へ取り込まれていく。私は必死にその空気を吸った。
 まるで餌を貪ろうと必死に口を動かす水面の鯉みたいだ。心のなかで私は自嘲した。
「麗華さん……? 冷房が」
 心配したのか、愛梨が背中に声をかけてきた。深呼吸をしてから、私は向き直った。
「ごめんなさい、少し換気しようかと思って」
 ふう、と私は息をついた。窓を閉め、座り直す。
「昔からね、ヒーローみたいな奴だったわ」
 私のことをナンパから守ってくれたこともあった。そんなことをふと思い出す。
 ヒーローになりたい、と彼は子どもの頃よく言っていた。
「私にとっては本当にヒーローでした。お前がピンチの時はいつでも駆けつけるなんて言って、本当にいつでも駆けつけてきてくれて。あの時も……。でもあっさり死んじゃった」
「あいつが勝手に死んだのよ」
 そう言うと、私は少し気が楽になったような気がした。
 そうだ、これは智弘が選んだことなのだ。だから私も勝手に、智弘のためにやらなくてはならないことがある。それを今選択しよう。
「ねえ、犯人が誰なのか一緒に考えてみない?」


 言ってしまった。
 だが、妙な高揚感があった。これで智弘のために行動することが出来る。
「犯人……? 放火の?」
「そう」
「でも、警察が動いているし」
「あなたにとって、憎むべき仇でしょう? 自分で突き止めたいとは想わない?」
「だからって、私達にできることなんて……」
 愛梨はいまいち乗り気ではないようだった。確かに現実的に考えて、警察にも分からない犯人を探すことは不可能に近いだろう。
 だが私には情報があった。
「あなた、智弘に何度助けてもらった?」
「え?」
 彼女は困惑気味だったが、すぐに指を折り数え始めた。小指まで到達し、今度は指を開いていく。
 私はそれをじっと見つめていた。
「12回、くらいかな」
「あまりにも多いと思わない? どういうことか分かる?」
 愛梨はそっと目を伏せた。その仕草に、私は彼女の美しさを感じる。
「私が、不幸を呼びこむとか……」
「ある意味正解。だけど不幸にならなかった。智弘のおかげで」
 そして、と私は続ける。
「智弘の死によって完全にそういったことから遠ざかった」
「どういうことですか……?」
 彼女は困惑気味に声を出した。
「智弘が死んでから、あんまり嫌な目に合わなくなったんじゃない?」
 愛梨はこれまでのことを思い返しているようだった。思い当たる節があるのだろう。彼の死を境に起きた変化に。
「あいつが、命を狙われていた……とか?」
「そんなことじゃないわ」
 どうしてだろう。窓を閉めているはずなのに、冷房がついているはずなのに、空気が熱い。
 考えこむ愛梨が、ひとつの考えに行き着いたらしい。目を見開き、そんなわけはないと首を横に振っている。自分の頭からその考えを追い出すように。
「何か考えついたの?」
「いや、あまりにも馬鹿げているし、辻褄が合わない……」
「なんでもいいから言ってみて。ブレインストーミングってやつ」
「あいつが不幸を呼び込んでいた……とか……」
 そう小さく口にする愛梨は、きっと死んだ智弘への申し訳無さに押しつぶされそうなのだろう。
 死んだ人のことを想っていてもと、そう言っていたのに。
「そろそろ正解を教えてあげる」
 愛梨の反応が見たかった。この金色に髪を染め、派手な服装に身を包んだ彼女が、私の発言によってどういう顔をするのか。
「あなたは智弘に助けられるために危険な目に合ってきたのよ」
 何を言っているのか分からない、そんな顔で愛梨は私のことを見ていた。彼女は、なんて可愛らしいのだろう。
「そう、あなたに似合うのは泣き顔じゃなくて、そういう顔」
 彼女の大きく見開かれた瞳にぞくぞくとする。全てを語る時がきたのだ。


 ――好きな人ができたんだ。
 片想いの相手から聞かされたそんな言葉。私は絶望に飲まれた。彼はずっと私のそばにいて、私のことを守ってくれると、そう思っていた。
 ――協力してくれないか。
 愛梨、という名前の女の子だと言う。私は会ったこともないその少女を憎んだ。
 しかし、智弘の考えた案に私は度肝を抜かれることになる。
「人を脅して、愛梨を襲わせる。そして俺が助ける」
 赤鬼と青鬼という物語がある。人と仲良くしたい赤鬼の為に、青鬼は一つの作戦を考える。青鬼が村を襲う、赤鬼は村人を助け、青鬼を追い出す。赤鬼はヒーローとなり、人と仲良くなれる。そんな作戦だ。
 その物語を私はふと思い浮かべた。
 しかし彼の発想はそんな生易しいものではなかった。言ってしまえば、狂気じみている。
 だが私には彼を止めることができなかった。愛梨の何が彼にそこまでさせるのか。それを知るために私は智弘に協力すると伝えた。
 幸か不幸か、彼の作戦が成功を重ねていく中で、私も愛梨についての情報を集めていった。
 そしてその中で、愛梨は交友関係が広く気軽に話せる男友達も多い、そんなことがわかった時、私は悟ってしまったのだ。
 智弘は、恐れているのだと。


「それだけのことよ」
 私は愛梨の髪を撫でた。何度も髪を染めているのだろう、あまり髪質がいいとは言えない。しかし彼女が浮かべている複雑な表情が私を昂ぶらせた。
 彼が自ら死を選んだことに、私は案外特に何かを感じることはなかった。当然の流れ、というように思えたのだ。
 彼は怪我などしていなかった。火事も彼の計画によるもの。彼女の家族を全員助けて、その代償に命を落とす――。そんな”演出”だったのだ。
 智弘が死んで私は初めて、自分が彼を狂信していたことに気がついた。そして今も変わらず、私は智弘の為にこんなことをしている。
 彼の願いを叶えるために、愛梨には智弘を忘れてもらうわけにはいかないのだ。
「私が傷をつけてあげる。これで忘れられないでしょう」
 私は愛梨の服をゆっくりと脱がせていく。愛梨は絶望の表情を浮かべたまま、抵抗することもしない。
 彼女の乳房にキスをしながら、私は思った。どうして私達はこんな関わり方しか出来ないのだろうかと。
 私も恐れていたのだ。見向きもされなくなることを。
 だけどそれももう終わる。今日は彼の命日。区切りをつける日だ。
「やっとひとつになれる……」
 私は震える彼女の唇に口づけをした。そこに全てが詰まっているような気がして、私は必死に彼女の唇を貪った。
 けれども、そこには期待したものは何もなかった。
 それは空っぽの接吻だった。

ミナモノコイ

初めて百合作品というものを書きました。ふふ。

ミナモノコイ

ある男の死から、二人は出会う。一人は彼の幼馴染、一人は彼の恋人。彼女たちは彼の死に区切りをつけるために言葉を交わす。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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