40年目の奇跡

撤退


私は昨年1月に19年営業していた映画村のテナントを突然撤退
することになりました。

実は2年前に契約期間が切れて交渉の末超一等地に移転し売り上げ
も少しづつ上がってきたころでした。

村内はリニューアルであちこち手直しし観光客もこれからますます
増えてくるというその矢先でした。

新しい場所がありません。高齢者で後継がいない。売り上げが今一つ。
ということでかなり粘りましたがついに19年間続いた名物「切文字屋」
は1月16日に完全撤退いたしました。

思えば今からちょうど19年前。と言えばそうあの神戸淡路大震災の時です。
友人と共同設立した木工切り文字の株式会社の倒産が確定し経理責任役員
の私だけが毎日夜遅くまで残務整理をしていた時です。
一本の電話がかかってきました。

「こちら映画村ですが。営業の方おられますか?」
「私が担当ですが」
「テナントに空きが出ましたので打ち合わせに来てください」

ということでした。私一人しかいない夕方。もし誰かいたらと思うと
今でもぞっとします。

19年前

毎日必死で祈って1ヶ月。残務処理と自分の有限会社設立とを

同時にやりながら営業はそのあとにと思っていた時でしたから、

ほんとにびっくりしました。

「私が責任もってやります」思わずそう答えていました。

それから19年間。シネマ村名物として「切文字屋」

は定着してきました。お客様の目の前で北山杉を

糸鋸でで切り抜いて表札などを作ります。外人さん

にも結構人気がありました。

何事もなければ自動更新で65歳までの17年間という契約でした。

さらに2年延長していただきましたが、1昨年の5月、ついに2014年

1月16日に撤収完了するようにと宣告されました。観光客も増え

全てはこれからだと意気込んでいましたのでとてもショックでした。

立つ鳥跡を濁さず。まずは半年間できれいにお店をかたずけて

撤収しようということで、妻と二人で毎日少しずつかたずけ始めました。

それともう一つは大いにこの半年間売り上げをあげようということ、

仕事探しはそれからでいいのではないかそう二人は決めました。

私としては白樺湖ファミリーランドやホームセンターにまだ口座があるので

また実演販売に回るとか、べつに京都でなくてもハワイでも販売実績がある

ことだしと思って、この際京都を離れるか?と言うと、家族はこぞって猛反対でした。

そこで日はまだあるので信心の先輩に相談に行くことにしました。

ハローワーク

先輩は私の話をじっくりと聞き、次の三つのアドバイスをくれました。
(1)京都を離れてはいけない。
(2)北山杉、糸鋸に執着しない。
(3)家族の言うことをよく聞いてゼロからスタートすること。
というわけで、しっかりとお題目をあげてハローワークに行くことになりました。

あのわがままな私が素直にみんなの意見を聞いて行動するなんて、
自分が一番びっくりしました。ハローワークはとても親切で思いのほか
高齢者にも仕事がありそうです。そこで3件電話してもらいました。

ところが3件とも年齢問わずと書いてあるのにもかかわらず65歳まで。
4件目でやっと面接OK。球場の清掃。免許有。いたって元気。67歳。3人。
結果がわかるのは1週間後と言うことでその間に京北町に行ってみました。

できれば糸鋸の仕事があればと思いつつ道の駅でいろいろと話を聞きました。
内容はとても厳しいものでした。念願の京北トンネルがもうできるそうで、すべては
それから、そんな感じ。実は9年前に京北町は京都市右京区に合併されました。
議員の方は自らの失職を覚悟の上で合併に尽力されたそうです。

1週間後不採用通知が来ました。引き続き8t免許を生かして送迎、これも不採用。
母子寮の宿直、面接では大いに盛り上がったにもかかわらず不採用通知。嫁はんは
さっさと撮影所にコネで会館の清掃。ルンルンでもう働いています。朝5時起き。
ほとんどお題目も上げないのになぜ?と思いつつめげずに10件目。これはいける!

一本の電話

ユースホステル、年齢問わず、少し英会話できる方、経験者優遇。
しかも3人。これならなんとか行けそうだ。8t免許もある。
コペンでの経験もある。面接は大いに盛り上がりました。

採用を確信して次の座談会に体験発表が決まりました。ところが
1週間後、不採用の手紙。「間もなく題目100万遍、嫁さんは
早々と職が見つかりましたが私はまだまだ見つかりません。次の
座談会(6月)までにはかならずみつけまーす!」になりました。

ハローワークではシルバー人材センターを紹介されました。自分の
特技や資格、趣味、希望時間などを細かく登録しておきますとセンター
から随時連絡が入ります。保険もついています。ところがなかなか
仕事がありません。座談会から1週間後、人材センターに登録を済ませ
た帰り道、突然携帯に電話がかかってきました。「村山?」

「もしもし松林さんですか?村山です。その昔アルバイトで糸鋸を
教わった村山です」
「ああ、村山君、ロックバンドやってた」
「そうです。松林さん、映画村止めて今何してはります?」
「ハローワークで仕事探してるんやけどなかなか・・・」
「ああよかった。ぜひうちの木工所手伝いに来てください。お金は
いくらでも出します。できるだけ早く。お願いできませんか?」
「ちょちょちょっとまて。なんでやねん?」

「3年前に友人のデザイナーと協力して結婚式場の内装パネルを制作
したところ反響がすごく、昨年広島の空港ホテルの式場の契約がまとまり、
デザイン、パネル設計図ができてみると、45cmx45cmx1cmの
檜集成材を約1000枚この2か月で切らねばならぬということになり、
そこで思い出したのが今年の年賀状でした!」

「なるほど、そういうこと」
「そう言うことです」
「わかった、この連休は?」
「やってます」
「よし、嫁はん連れて明日行くわ。工場はどこ?」
「京北細野町。できたばかりの京北トンネルの手前の信号を左折したところです!」
と言うわけで、ほんまかいなと思いつつ、

京北細野町

ほんまかいなと思いつつ、春分の日に嫁はん連れて京北へ向かいました。
高雄の峠は2か所もがけ崩れの工事中で交互通行。山道が続きます。杉の里トンネル、
中川トンネルを抜けて小野郷へ。ここら辺は北区です。温度差は5度以上もあって夜は
もちろん凍結注意!!

笠トンネルを抜けると(このトンネルは40km制限なのでよくネズミ取りやってます)
信号があります。向こうに京北トンネルが見えます。今までは最大の難所栗尾峠を
越えなければなりませんでした。左折して駐在所、郵便局をすぎると杉の山に囲まれた
村山木工が見えてきました。

一応機械も道具も整っています。メンバーは中年の村山君と30歳の男女計3人。さらに二人増えるそうです。出荷直前には応援が10名ほど。
創作組子の伝統工芸士でもある村山君はなかなかのものだ。
そう思いました。ところが、

「とりあえず時給1000円、6月末までは仕事一杯です」
え?、少し話のニュアンスが違う。が、そんなもんか。
「嫁はん朝5時起きやから7時半には来るわ、ええか」
「大いに結構です」
と言うことで京北で糸鋸を切ることになりましたー!!!!

木漏れ日チャペル

と言うわけで毎朝7時半から夕方まで、他のスタッフはさらに夜遅く
まで檜集成材特殊パネルを切りまくっています。大好きな糸鋸でしかも
オートマチック大型糸鋸機械は超優れものです。なんと鋸刃の取り外し
と差し込みがワンタッチで可能なのです。はじめてこの工場を訪れた時
この機械を使いまわしてみたいとの衝動に駆られました。それが決めて。

後々あまりに早くきれいに切るので相当嫌われたみたいです。だって
楽しいんだもん。と言うわけでカットは予定よりも早く切り終わり、
すぐ着色に入りました。乾燥は天日干しです。山里ではかなり目立ちます。
正面が県道ですのでいろんな人が訪ねてきます。親会社からの応援も
たくさん入りいよいよパネルは出荷されます。第一次第二次第三次と。

出荷も終わりいよいよ広島に乗り込みました。空港ホテル結婚式場。広さ
16mx14mそこに特製切り抜きアーチ型檜パネルが全面内装されました。
世界に誇る芸術品です。素晴らしいデザイナーと頼れる村山君に感謝!
このプロジェクトに微細なりとも参加させていただいたことを心の底から
幸せに思い感謝に耐えません。微力ですが今後ともよろしくお願い申し上げます。

広島

広島クラウンホテルの結婚式場アーチ型特殊パネルの出来具合は
最高のものでした。歩いて10分ほどで平和公園です。

私は長崎で原爆の翌年に生まれ10歳の時広島に引っ越しし、
高校卒業まで市内に通っていました。原爆の子の像は小学生の時
映画「千羽鶴」にエキストラで出ました。その頃はまだ廃墟が
至る所にあって、ドームの周りはがれきだらけバラックでは
被ばく瓦やガラスなどをたくさん売っていたのを覚えています。

長崎もそうですが広島にも京都の市電が走っています。
カラフルな中にあの懐かしい京都市電です。50年ぶりです。
街はすっかり変わりましたがドーム前の川の流れは変わりません。
女子高生たちがたくさんドームをスケッチしていました。
68年前この川は劫火で焼かれた人々の死体で埋
め尽くされました。

高校生の頃の懐かしい初恋の思い出があります。
興味ある方は読んでみてください。

「杏子の墓」⇒ http://ncode.syosetu.com/n0637e/

京都新聞

2014.6.18付けの京都新聞朝刊21面地方欄に
村山木工が写真入で載ってました。

「京組子でバージンロード。中京の木工作家、
京北産木材でアーチ!」

「京都市右京区京北に二つの工房を構える
木工作家村山伸一さん(51)は京北産ひのき
を使い伝統技法を用いて結婚式場用巨大アーチ
パネルを作っている。
全長19m幅7m高さ6mでバージンロードと
参列者席を柔らかく覆う」

「ひのきパネル4000枚を5か月で。
2mx1mのでかパネルで120枚。
広島のホテルで7月1日完成!
京都の伝統工芸と京北産木材が現代建築にも
通用することを示したい(村山)」

この結婚式場は後日「木漏れ日チャペル」と
名づけられました。大満足です。

掛け持ち

魔は天界に棲むとはよく言ったもので6月いっぱい
かかるはずの所を何と5月末までに1000枚を
切り抜くと同時に着色まで済ませてしまいました。

有頂天になってやりすぎてしまったようです。
その後の仕上げ作業は急きょ親元がやることになり
仕上げまでやる予定を組んでいた村山社長は担当者に
ぶつぶつ文句を言っていました。

どうもそのしわ寄せは私に集中したようで私の作業は打ち切られ
7月末まで待機と言うことになってしまいました。
もちろん給料は出ません。ここが一人親方の辛いところです。

これならもっとゆっくり時間をかけて切っとけばよかったなどと
悔やんでももう後の祭り馬鹿正直な自分を恨みつつ真剣にお
題目を上げ続けました。すると、

今度は忘れかけていたシルバーセンターから花園駅駐輪場の
仕事が回ってきました。欠員一名パソコンレジのできる人、
定期券を発行したり現金を扱うのでそれにふさわしい人、
と言うわけで週三日駐輪場に行くことになりました。

村山社長はブログで私の技術とバイタリティを絶賛していました。
今後のこともあるので何とかつないでおきたいと思ったのでしょう
週三日くらいなら定番の行燈パネルを切っていただけませんか、
と言うことになりました。

ありがたいことです。これもひとえにお題目と諸天の働きの
たまものだと心より感謝しています。

全員解雇?

秋口からは京北と駐輪場とを行ったり来たりの日々が始まりました。
紅葉葉色づき始め高尾あたりは
その名に恥じずそれはそれは素晴らしい眺めです。
人が車道にはみ出してすごく混雑。
この1ヶ月それは続きます。

毎日がとても充実しているかに見えました。12月のかかり、
どうもシルバーが入札に失敗したらしいとのうわさが立ちました。
それは事実で駐輪場始まって以来の出来事のようです。

皆動揺する中説明会が開かれ、ついに来年3月全員解雇が言い渡されました。
これから冬にかけて京北は悪天候の日は凍結が危険で行けません。
さあどうしたものかと祈りに熱がこもってきました。

毎日2時間のお題目はこの12月7日で丸一年になります。
この日は私の誕生日です。ついに毎日欠かさず200万遍をあげきりました。
すると、これはまた奇跡だと思いますが、

撮影所の夜勤の方が、10数年務めた方なんですが、二人のうち
1人が老齢のためとうとうおやめになるという話がきました。
清掃会社の社長が嫁さんに、

「お父さん仕事決まったんかいな?」
と話しかけられたそうです。

奇跡?

「ええ一応決まったみたいですが、今見習い中ですので聞いてみます」
ともに週三日づつですのでやれないことはないと、とにかく面接を受けました。
若い社長さんで退職された守衛の主任さんと懇意だったそうで、
その主任さんはとても人柄もよく我々もよく知っている方でした。

というわけでこちらも試用期間に入りました。
午後三時から撮影が終わるまで。
撮影がなければ午後九時終了。撮影があれば11時ごろ。
たまに12時回ることがあるとのことでしたが、はじめの
三日のうち初日が12時あと二日は午前三時になりました。

「めったにこういうことはないんですが」
と若社長は心配顔。
「いえいえ仕事に慣れてくればもっと早く終われます」
何せ撮影が終わりみんなが帰ってから90近い部屋を点検消灯施錠。
トイレにお風呂場、事務所もありますから優に2時間はかかります。

それでも早番の家内と交代という日もありますしなにしろ
話題が共有できるし息子も同じ敷地内にいるということで
こちらを最優先にと願い祈りぬきました。

40年目の真実

その結果、年末からの撮影所が本決まりになりましたが、駐輪場は
なかなかやめさせてもらえませんでした。虫が良すぎますね、12月
退職とは。辞表は撤回されましたが2月末の円満退職が決定しました。

よくよく考えてみればまことにぜいたくな悩みでした。
ちょうど京北が暇になり真冬は凍結で危険ということもあり
村山社長とも相談して冬場2か月は休むことにしました。

そしてこの元旦は夫婦そろって撮影所の会館の4階にいました。
雪の中しみじみとこの激動の1年を振り返って東天に感謝し祈りました。
おかげさまで今家族3人同じ敷地内で仕事ができています!
何でもないようなことがつくづく幸せだと思えてきました。

ありがたいことに私たちの仕事には定年がありません。
働ける限り働けますので健康第一、世のため人のためそして
何よりも、去年、御授戒を受けたかわいい孫たちのために
元気いっぱい長生きし働き続けて行こうと夫婦決意いたしました。

年が明けていよいよ地方選が間近に迫ってきました。
旧交を温め新しく友人を作っていく戦いです。年賀状には
心配してくれている友人たちへこの1年の出来事を語り
投票を依頼しました。

さらにお題目を上げ続け勇気を奮い起こして新たに京北で2枚、
駐輪場で2枚。なんやかんだで11枚のMハガキを書いてもらう
ことができました。そして京都大勝利!

すると奇跡がまたまた続きます。この3月24日に最大希望の常盤
府営住宅3DK(倍率30倍)に4回目1年めにして当選いたしました!

冬は必ず春となり週の半分、京北で糸鋸を再開いたしました。
今何を切っているのかと言いますと、これは企業秘密で公表できませんが、
何とかゲイツという世界一の大金持ちの別荘が軽井沢にできるらしい
のですが、その日本式庭園回廊パネルを切りまくっています!

これってひょっとして奇跡の連続だと思いませんか?
私は心底そう思っています。           

御書に「われ並びにわが弟子諸難ありとも疑う心無くば、自然じねんに
仏界に至るべし。天の加護無き事を疑わざれ現世の安穏ならざることを
嘆かざれ」とあります。

何が起ころうと疑うことなく、嘆くことなくお題目をあげ通せば
必ず必ず道は開ける!

これが入信40周年目の私の真実でした!以上です。    -完-

40年目の奇跡

40年目の奇跡

19年間営業を続けてきたテナントを突然撤退することになりました。ちょうど入信40周年目にあたるこの時にです。 さあどうなることでしょう?お題目をあげきってこの難局を乗り越えることができるでしょうか?奇跡は起きるのでしょうか? この2年間の実話です!

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-11

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 撤退
  2. 19年前
  3. ハローワーク
  4. 一本の電話
  5. 京北細野町
  6. 木漏れ日チャペル
  7. 広島
  8. 京都新聞
  9. 掛け持ち
  10. 全員解雇?
  11. 奇跡?
  12. 40年目の真実