竜は蝶を追う 刹那に舞う

竜は蝶を追う 刹那に舞う

竜軌と荒太の刃を、一片の清かな雪が別った。

竜は蝶を追う 刹那に舞う

刹那に舞う

 雪が舞い降り、二つの刃を別った。
 澄んだ金属音が鳴る。
 神器である懐剣・雪華の柄を掴んだ真白が荒太と竜軌の間に佇んでいた。
「美羽さんの傍についててあげるんじゃなかったんですか、先輩」
「……真白。お前の差し金か、これは」
「はい。私が荒太君に頼みました。あなたはきっと、物騒な物を隠し持っているだろうと思ったから」
「銃を返せ」
「火縄銃で満足したでしょう?」
「お前とは戦り合いたくない。負けるからな」
「あなたが罪を犯せば、美羽さんはどうなります。銃を使わないと約束してくれますか」
「約束せねばどうする」
 真白がふわりと微笑む。
「力ずくで」
「力ずくか」
「はい」
 竜軌は槍から手を放した。

誰かに似たあなた

 シャワーを浴びたあと美羽が部屋に戻ると、竜軌が蘇芳色の机の前にある椅子に座って脚を組んでいた。
 美羽のささくれ立った心が寄り掛かれるように、待ってくれていたのだ。
 美羽は自分が情けなくなった。立ったままでメモ帳に書く。
〝竜軌。私は弱いのかしら〟
「いや。そういう問題ではない」
〝本当はもっと強いのよ〟
「知っている」
〝あなたを見ると甘えてしまう〟
「知っている。甘えれば良い」
〝弱い女みたいで自分が嫌になる〟
「つべこべ抜かすな。俺は甘えた奴は甘やかさない」
 でも、と書こうとすると、文字が二重にぶれた。
 足元がふらつき、立ち上がった竜軌に支えられる。
「腹の中身を全部出したんだ。休め。それから何か喰え」
 美羽は返事を書くことも頷くことも出来ず、脱力してそのまま畳に座り込んだ。
 竜軌も横に腰を下ろしてくれる。
 悔しいと強く感じる。
 一体自分の身に、何が起きているのだろう。
 竜軌は恐らくそれを知っているのに、教えるつもりはないようだ。
 やはりこの人は誰かに似ている。

水面の下の下

 襲われたことがあるのかと訊いたら、彼女は綺麗な顔立ちを強張らせた。
 誰にだと更に問うと、痛みを堪えるように、紅を注した唇を噛んだ。
 まさかとは思うが、と前置きしてその名前を出した。
〝斎藤義龍。お前の兄か〟
 帰蝶の顔が青ざめた。
 なぜその名を出したかと言えば、斎藤道三に体面した折、義龍が自分を激しく睨み据えていたからだ。単純な敵愾心には見えなかった。
 彼の顔を醜く歪めていたものの正体は嫉妬だ。
 嫉妬の顔の醜悪さは判りやすい。特に男のそれは。
 義龍が異母妹に恋慕していたとすれば得心がいく。
 帰蝶は生き地獄にいたのだと信長は察した。
 信長の目に映る蝶から、鎧が剥がれ落ちた瞬間だった。
 女を哀れと感じたのは、あれが初めてだったかもしれない。
〝守ってやると言えば信じるか〟
 信長の言葉に、帰蝶は不可解な表情を示した。
 長い間のあと彼女は、信じたい、と答えた。
 今にして思えばそれがぎりぎりの本音だったのだろう。
(だから守ってやることにした)
 そう思った対象は帰蝶だけだった。
 朝林秀比呂は一筋縄では行かない男に見えた。
(万一、俺に何かがあろうと真白がいる)
 彼女ならば美羽を守ろうと動く。
(その為に、情の深いあの女を引き摺りこんだ)
 真白を利用する竜軌の目論見に、荒太は気付いている。
 荒太の取り扱いには慎重を期さねばならない。
 真白と美羽を秤にかける事態が起これば、荒太は美羽を切り捨てる。
 諸要素に気を配り、洞察と計略を重ねる必要がある。
 この局面を過ぎれば、蝶と一緒に飛び立つのだから。

悪口

 織田信長を覇者たらしめたもの。
 武力。財力。権力。
 実のところそのどれでもない。それらはあとから彼に付随した、言わば些少なエレメントだ。
 真に恐ろしいのは、触れれば切れるような頭脳。
 状況を冷静に見極め、把握し、先の先まで展開を読む眼力。
 それに望む者の声を聴く巫の力が加われば、天下を掌握しないほうが自然の理に反している。
(本気になったあの男と渡り合えるのは真白さんと、あと一人くらいなものだ)
青嵐の間の座椅子に重心を預ける荒太をフリーライターの河本直、前生名・兵庫は眺めた。彼の主君の顔は、子供のようにむくれていた。
「御機嫌斜めですねえ、荒太様」
「当たり前だ。現状はどう考えても面白くない。俺はさっさとけりをつけて、真白さんと家に帰りたいんだ。俺たちの愛の巣に!妻に触れられない日がもうどれだけ続いているか。真白さんはこの邸では首を縦に振ってくれない。可哀そうな俺」
「はてさて。どうけりがつくかが問題ですな。穏便にことが収束しますか。信長公がぶちキレられれば一波乱は必至でしょう。で、結局、拳銃はどうしたんです?」
 そう訊いたのは、兵庫の横に二足で立つグレーの猫だ。
 人語を喋る猫に荒太も兵庫も驚かない。生まれ変わったら猫か犬になりたい、が口癖だった風変りな忍びが、望み叶って今、ここにいるのだから世の中とは計り知れない。
「斑鳩に渡した」
 猫の金色の目が納得したように光る。ひくひくと髭を動かして評する。
「持つべきは警察の身内と」
「そういうことだ、山尾」
「どうせ、もう二、三丁は隠し持ってるでしょうに。煮ても焼いても食えない信長公ですよ?」
 茶髪を軽く掻き上げながら兵庫が言う。
「それは俺も真白さんも解ってるよ。ただ、牽制の必要はあった」
「まあ確かに」
「この会話も、聞こうと思えば信長公には筒抜けですけどね」
 山尾が尻尾を振りながらにい、と笑う。
「あーほ、ばーか、まーぬーけ。ふーぬーけーのー魔王ー」
「…荒太様」
 兵庫が呆れ顔になる。
「人間盗聴器にこのくらい言って何が悪い。それより胡蝶の間には近付くなよ、山尾。新庄に皮を剥がれるからな」
「心得ておりますよ」
 ぱたり、と長い尻尾が畳を打った。

そんな事実

「……あいつめ」
 胡蝶の間で低く唸った竜軌に、美羽が首を傾げる。
〝どうしたの?〟
 答えずに波打つ黒髪の一房をつまみ上げる。
「お前、猫は好きか?」
〝好きだけど〟
「なら、皮は剥ぐまい」
 一房からパッと手を放す。
 竜軌は美羽の髪にじゃれるのが好きだ。玩具じゃないんだから、と思いながらも美羽は自由にさせている。竜軌に髪を触られるのは、嫌ではない。
〝何の話よ。何て残酷なこと言ってんのよ〟
「だから、しないと言っているだろう。来い、美羽」
 ポンポン、と胡坐をかいた自分の膝を叩く。
 じり、と美羽が躊躇う。
「―――――おいで」
 そう言ってやれば、蝶はふわりと舞い降りる。
〝ねえ、竜軌。私、子供のころにあなたと会った?〟
 間近にその文字を読み、竜軌は首を横に振る。
「いや。そんな事実はない」
〝本当?どこかで以前、会ってない?〟
「美羽」
 呼びかける吐息が唇に当たる。
「俺が今、お前の目の前にいる。お前は、それでは足りないか?」
 夜のような瞳に覗き込まれ、メモ帳とペンを取り落す。
 ずるい言い方、と美羽は思う。それから竜軌の台詞が引っかかる。
〝そんな事実はない〟
 何だか他に、重視すべき事実があったかのような物言いだ。

竜は蝶を追う 刹那に舞う

竜は蝶を追う 刹那に舞う

竜軌と荒太の刃を、一片の清かな雪が別った。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-20

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