私的文芸観

長谷川廣秀

創作するということを考えるとどういうことになるのか?考えてみました。。

                      
1)著作権法を読み解くと、著作物とは次のように定義されている。
「著作者の思想または感情を創作的に表現したものであって、武芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの。」
この定義に関して、疑う余地があるだろうか。古今の文芸作品を見ると、その作品の背後に、作者の表現したかった何らかしの感情、思想が存在している事に気付くだろう。最近、川端康成の2)「雪国」と小林多喜二の3)「蟹工船」を読んだが、前者にはヒロイン駒子と雪国の描写を通じて美しい日本的美を感じたし、後者には厳しいプロレタリア階層に置かれた労働者たちの境遇を描く事で、資本主義体制と対立する労働者の労働運動の芽生えを感じた。これは私が感じた解釈であるが、二つの作品の作者がその作品を描く際に、何らかのの思想、感情を大本に創作を広げていった事は想像に難くない。作者の創作性とは個々の作者の内面に本質的に宿っているこの思想、感情を作者の内面から外側の世界にどのように具現化して表現するかという点においてまさに発揮される。そこに人類の歴史を通じて様々な表現技法が練られ、作られて行ったという点において、創作とは極めて人間的な営みだと思う。
この創作を行う作者の背後には、創造を産み出すある情緒が存在する事にまた気づく。この辺りについての私の議論は、フランスの哲学者ベルグソンの4)道徳と宗教の二つの源泉」に負うところが大きいが、私自身も創作を産み出す情緒の存在を認めている。それは子供を産む母親に宿ったエモーションに類似していると思われる。子供を身籠った母親は、子供を産むために何らかの抵抗の存在を感じながらも、湧きあがる喜びと強い力を感じてはいないだろうか。その時、彼女の周囲に存在している抵抗とは自然そのものであり、彼女が子を産むと言う行為を通じて、自然に対して新たな領域を獲得しようとする時、それを推し進めるようなエモーションが彼女自身に働いている事を彼女自身もまた認めるだろう。
我々が自身の生にその意味と喜びを見出すとは、この創造という行為を通じてであろうと思われる。人はその人生を通じて何かを生み出そうとするし、また生み出さずにはいられない。創造するとは、人間の根源的な欲求ではないか。人として生まれて、何かを為して生きたいという思い、願いは人の生の根幹を為す本質的な部分ではないかと思う。
話を文芸論に戻そう。谷崎潤一郎の短編小説5)「刺青」では、艶めかしい美しさを持つ若い女体の美に心魅かれた刺青師が、精魂を込めてその背中に、女郎蜘蛛の刺青を彫る。刺青を彫られた娘は、刺青師の命を吸い取ったかのように、これまでとは打って変わった様な強さを放つ新しい女としての美しさを手に入れる。ここで、表現された艶めかしさを持った若い女体の美とそれを越えた(「刺青」内では、男をひれ伏させる)新しい強さを放つ女の美。美を主題に物語は展開される。  
美しいものに直面して我々はある種の感情を持つ。それは、自然の風景の美しさに直面して湧いた感情かも知れない、「刺青」に語られた刺青師のように美しい娘に対して湧いた感情かも知れない。または、美しく作られた絵画のような造形物に対して湧いた感情かも知れない。その時々おいて、美に直面する事で生じた美的感情をいかに表現するかにまさに作者の創作性がかかっており、人は、その時、詩人になりまた表現者になる。
私は何かを表現するとは、個人の内面において何かしらの形で自覚されている思想、感情の全体観から、分析的に分割される細部へと表現の思考を推し進めて、それから新たな全体を構築する一連のプロセスではないかと考えている。抽象的に書いたが、個人の内面に湧き起こる自覚された全体を、一度、分析的に把握し、そこから新しい表現を生み出すのだ。創作のプロセスには、一定のパターンが確かに存在しており、その解明は、現在の脳科学の研究が向かっていく分野だと思う。私は仕事で、自然法則を利用した技術的創作物である「発明」を扱っているが、発明に至る道筋には一定の思考のパターンが存在しているのを理解している。一度、何らかの形で自覚される全体へと思考が飛躍した後、細かな分析へと向かう道筋が存在している。この創作のプロセスを数学者の岡潔は、6)知的情緒とまた呼んでいる。
人生において何かを為す行為もこれら創作と同じはないかと思う。我々は、為したい何かを確かに全体的に捉えている。それは、最初は夢、具体的になれば目標となり、それに至る細かなプランが構築される。そして、全体的な感覚である夢から、具体的に細かく向かうプランの道筋の道程で、我々を推し進める情緒の存在を感じるだろう。
我々が表現を行う創作について一定のパターンの存在を考えたが、先ず磨くべきは全体の思想、感情を把握する感性、直観を養うこととになるのではないだろうか。そして、細部を分析していく細かな表現技法を学んでいくことだ。直観を養う為には、叙情豊かに感情を磨く良著や芸術に触れる、美しいものに触れる、豊かな人間関係を築く、想像力を働かせるなど様々な体験を通じて、その体験を肉感ある経験として認識していく事ではないかと思う。それは自分の情操を磨くと言うことに直結するはずだ。
 人生において美しい行為を為す精神の豊かさも、直観を磨く事でまた養われる。文芸的な表現に留まらず、自分の行為の美しさについても広く考えを巡らさなくてはならないと思う。そして、それが人生を豊かにするだろう。


(了)


1)著作権法入門 有斐社 島並良、上野達弘、横山久芳著 
2)雪国 新潮文庫 川端康成著
3)蟹工船・党生活者 新潮文庫 小林多喜二著 
4)道徳と宗教の二源泉 岩波文庫 ベルグソン著 平山高次翻訳
5)刺青・秘密 新潮文庫 谷崎潤一郎著
6)人間の建設 新潮文庫 岡潔・小林秀雄著

私的文芸観

随筆、評論シリーズです。短編を書いていきたいと思います。

私的文芸観

創作とは?感情、思想を大本に創作を作り上げる人の思考過程とは一体どのようなものか解析を試みる。 創作には、全体から個別の分析に向かっていく一連のプロセスが存在している。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-20

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