光に抱かれて

光に抱かれて

Betty J. Eadie 作

著者について

ベティ・J・イデーは八人の子の母であり、八人の孫のおばあちゃんです。夫のジョーは空軍を退役して、北西部の大きな宇宙関係の仕事をする会社に努めています。

シオークス・インデアンの母の娘として、ネブラスカの田舎と、サウスダコタのローズバド・インディアン指定保留地で育ちました。年下の姉妹の面倒を見るために十五歳で学校を止めた後、高校を卒業するために、学校に戻り、大学卒業に近づいています。彼女は一つの成功した事業を持ち、登録されたカウンセラーであり、睡眠セラピストです。彼女はまた、一つの大きな癌研究センターのボランテァとして働いています。
イデーの異常な経験は合衆国、日本のテレビに紹介され、彼女が、ある大学の臨死研究プログラムに参加することになりました。数年後、彼女はコンパッショネート・フレンズ、多くの宗派の教会グループ、IANDS(国際臨死研究教会)等々の、多くの集りで彼女の経験について、数百回の講演をしました。

01 最初の夜

どこか具合が悪かった。夫のジョーは、ほんの数分前に私の病室から帰ったところでしたが、もう何か予感めいたフィーリングが私を包みつつありました。その夜、私の最も驚愕する挑戦の前夜に一人で、いるのでした。死の想いが私の心の中で忍び寄り始めていました。そのような想いは数年間、私には来たことは在りませんでした。何故、今それがしみこむの?

それは一九七三年十一月一八日の夕方でした。私は部分的な子宮切除手術をうけるために病院に入院したのです。他はいたって健康な、七人の子達の三十一歳の母親として、私は、主治医の助言に従って手術をうける選択をしていました。夫のジョーと私は二人共、この決断を気楽に感じていました。私は依然この決断を気楽に感じていましたが、何かほかのことが、今、私を調子悪くしているのです-何か判らないものが。

結婚生活の中で、私達は離れて夜を過ごしたことはまれでしたので、家族と私達が楽しんだ特別なことに想いを馳せようとしました。私達は家に六人も子供たち(一人は急性の幼児死シンドロームで死にました)を持ったのに、彼らを残して行くのが嫌でした。私達の“デートの日”ですら、家に留まり、私達のために、私達のデートの計画を子供たちにやらせました。時には、子供たちは私達のためにデナーを用意し、暖炉でクラッカーを鳴らし、リビングにはキャンドルライトを用意してくれました。いつも、その場に合った音楽をかけていました-私達が選んだのでは無いのに、それでもぴったり合っていました。飾ったコーヒー・テーブルの上で、大きな枕に私達を坐らせて、中国料理を出してくれた夜のことを思い出しました。子供たちは、ライトを落して、私達におやすみのキスをして、階段を急いで上りながら、クスクスと笑いました。ジョーと私は地上にちっちゃな天国を発見したように想いました。

ジョーのように愛してくれて思いやりのある伴侶を持ったことで、どんなに幸せだったかに想いを馳せました。私が入院する前に、私と一緒にいるために、仕事を休んでくれました。そして、回復期間には他の週に家で過ごしてくれる計画でした。彼と上の娘、十五歳と十四歳の二人が、既に、素晴らしい感謝祭のデナーの計画をしてくれています。

予感めいたフィーリングがもっと重々しく私の上にのしかかってきました。多分、それは部屋の暗闇、私が少女の時に恐れることを学んだ、あの恐ろしい暗闇でした。或いは、この不吉なフィーリングの経験から来たのかも知れない。それは数年前の病院での経験で、依然として私の中に疑問-不思議として残っているものでした。

私が四歳の時、両親が離婚しました。父は“その当時に戻って、インデアンの女と結婚することは、恐らく、白人男ができるであろう、より悪いことだった”というのが口癖でした。彼は、金髪のスコットランド系アイルランド人で、彼女は純粋なスー族のインデアンでした。十人の子供たちの七番目として、私は彼らが離婚する前の片親を知る機会は殆ど在りませんでした。私の母は、指定保留地で住むために戻り、父は彼の両親と一緒に住むために町に行きました。当時、私達子供の六人はカソリックの寄宿学校に入れられていました。
私に恐ろしい咳の出る病気が現れ、常時震えるようになったのは、それは、寄宿学校にいる間の、最初の冬でした。四十人の少女たちが大部屋を分けて使っており、私は一晩自分のベッドを抜け出して妹のジョイスのベッドにもぐりこんでいたのを想い出しています。二人は一緒に横になって、私は自分の熱のために、彼女は私のために心配して、二人して泣きました。シスターの一人が夜回りでやってきて、私を見つけて、私のベッドに連れ戻しました。ベッドは汗で湿っぽく冷たくなっていました。ジョイスはシスターに私の病気のことを判らせようとしましたが、だめでした。三日目の夜に私はついに病院につれていかれました。

お医者さんは、私を百日咳と両肺炎と診断しました。そして、看護婦さんに私の両親に連絡するように言いました。私は、お医者さんが看護婦さんに、私がその夜持つと期待できない、と言っているのを覚えています。私はベッドで横になり、熱でカアッとなり、眠ったかと思うと眼がさめたりしているようでした。ふと、私は頭に手を感じて、見上げると、私を覗き込む看護婦さんが見えました。彼女は、私の髪に手入れて、“まだ、子供なのに”と言いました。私はこの言葉に感じた親切を決して忘れません。私は更にふとんカバーの中に潜り込んで温かさと満足を感じました。彼女の言葉は私に安心感を与えてくれ、私は再び眠るために眼を閉じました。

私はお医者さんの、“手後れだ。彼女は死んだ”という言葉で眼を覚まし、そして、ふとんカバーが頭の上まで引き上げられているのを感じました。私は混乱しました。何故、手後れなの?私は自分の頭を巡らせて部屋を見渡しました。カバーが頭の上まで引っ張られているのに、奇妙なものには見えませんでした。私はベッドの脇に立つお医者さんと看護婦さんを見ました。部屋を見渡してみて、それが前より輝く光に満ちていると気がつきました。ベッドは私には非常に大きく見え、“この大きな白いベッドじゃ、私はちっちゃい茶色の虫のようだわ”と考えたことを覚えています。それから、お医者さんは出て行き、近くにいる他の存在に気がつきました。突然、私はベッドに横になっていないで、誰かの腕の中にいる自分を発見しました。私は見上げ、美しい白いあごひげをつけた、私を見ている男の人を見ました。その人のあごひげは私を魅了しました。それは明るく輝く光、あごひげの中からやってくる光で、きらきらして見えました。私はクスクス笑って、あごひげに手を走らせて、指でそれをいじりまわしました。私は彼と共に、完全な静けさと幸せを感じました。彼はやさしく私を揺すり、彼の腕の中でゆりかごのようにしてくれ、私は彼が誰なのか知らないのに、彼から離れようという気が起こりませんでした。

“また、呼吸しています!”と看護婦さんが叫び、お医者さんが部屋に駆け戻りました。しかし、それは別の部屋でした。私は大変暗い、より小さな部屋に移されていました。白いあごひげをつけた男の人は去っていきました。私の身体は熱でぐっしょりで、私はおびえました。お医者さんは電灯をつけると、私を最初の部屋に連れ戻しました。

私の両親がついた時、二人は殆ど私が死んだものとして、話されていました。私はその言葉を聞きましたが、私は依然としてその言葉を理解しませんでした。その時間中そこにいた私が、どうして死ねるの?ともあれ、私の両親と共に、私を本当に知ってくれて、愛してくれている人-白いあごひげの男の人のような人と共に居られることは良いことでした。

私は彼らに、その男の人が誰で、どこにいってしまったのかを尋ねました。しかし、私が何のことを話しているのかを理解しませんでした。私は、お医者さんが手後れだと言ったことや、あごひげに白い光を持つ男の人がどのようにしてやってきて、私を抱いてくれたのかを話しましたが、しかし、彼らは何も答を持ちあわせませんでした。彼らは決して答えませんでした。この経験は、私の若い時代を通じての愛のオアシスとして私にとって捨て難いものになりました。この記憶は決して変化せず、いつも、彼の腕の中にいて、感じた静けさとしあわせの感覚を想い出すのです。

これらの記憶を、今、部屋に忍び寄る暗闇の中で思い出そうとしていました。両親から離れた最初の頃から、暗闇は私を恐ろしがらせました。今、再びただ一人の、この暗闇の中で、奇妙なフィーリングが部屋に漂っていました。死が私の周りのどこかに渦巻いているようでした。私の想いはそのことに満ちて、その中に捕まっていました。死。死と神。この二つは永遠に結びついているようでした。別の所で、何が私を待っているの?もし、明日死んだら、何を見つけるだろう?永遠の死?永遠に復讐の神と一緒に?違ったわ。で、神は何がお好きなの?私は、神が寄宿学校での子供として学んだ神ではないことだけを期待しました。

大きなレンガ塀があり、暗くて冷たい部屋の、あの最初の建物を、今でも細かく思い出すことができます。鎖で繋いだフェンスが、男子の寄宿舎と女子の寄宿舎を隔てており、学校の周囲も別の塀が取り巻いていました。私達は世界から締め出され、お互いからもしまい込まれていたのです。私の兄弟たちが或る建物に通された最初の日に、姉妹と私は別の建物につれて行かれたことを今でも覚えています。私は最後に私達を見た兄弟たちの、目の中の恐怖を決して忘れないでしょう。私は心臓が破れるのではないかと思いました。

私の二人の姉妹と私は小さい部屋に入れられ、そこで修道女たちが薬品で私達の虱を駆除し、髪を切りました。それから、彼女たちは一人に、今週の色のものと次の週のものとの、二つの衣服を与えてくれました。これらのユニフォームは逃亡者を見分けるためでした。私達の最年長の姉、テルマ-、私達は彼女を、シスと呼んでいましたが-は私達から離され、年上の少女たちの部屋に送られました。その最初の夜に、ジォイスと私は他の少女たちと列を作って部屋まで行進して、シスターが笛を吹くまで、ベッドの側に立っていました。それから、私達はすぐにベッドに寝かされ、灯りが消され、扉は外からロックされました。この大きくて暗い部屋のかなに閉じ込められるのは、私には恐怖でした。暗闇の中で、眠りが遂に心地よく私を覆ってくれるのを、恐怖の中で待っていました。

日曜日には、すべての子供たちは教会に行きました。そこは姉妹と私に、教会の反対側にいる兄弟たちを見る機会をあたえてくれました。最初の日曜日に、兄弟に一目合おうと、押し進む少女たちと戦っている時に、頭の上にノックを感じました。振り向くと、端っこにゴムボールのついた長い棒が見えました。シスターたちが教会の中での行儀を正すためにそんな道具を使っていたのです。これは私が感じた多くの場合の、最初のものでした。何を意味するベルなのか、いつひざまずくのかを理解するのは困難だと発見しましたので、棒でしばしば叩かれました。それでも、私は兄弟を見ることができ、ボールの罰則を受けても価値あることでした。

そこで、私達は神について教えられました。そして、私は考えたこともなかった多くの事を学びました。私達は、私達-インデアン-は異教徒であり、罪人であると語られ、そして、勿論、私はそれを信じました。修道女たちは神の眼の中で特別であるかのように想像され、私達は、彼女達が私達を救ってくれるのだと学びました。私の姉、テルマは小さいホースでしばしばぶたれ、それをしてくれたシスターに感謝し、再びぶたれることに感謝するように強制されました。これらは、神が選んだ召し使いだと、私は信じ、そして、その理由から、神を非常に畏れ始めました。神について私が学んだものは、この恐怖を拡大していきました。神は怒るものであり、短気なものであり、強力なものであるように想えてきました。それは、神が恐らく私を破壊し、裁きの日に-或いは、私が神に出あうとしても、その前に、まっすぐに地獄に送るだろうことを意味していました。この寄宿学校の神は、私が決して合いたくない存在でした。

私は壁の大きな時計を見上げました。ジョーが去ってから、まだほんの数分しか、過ぎていませんした。ほんの数分。私の部屋の、流しの上の、小さな灯りだけで、暗い影-私の想像の中に、過去から悪夢のようにかかる影-を創り出すのに十分な光を創り出していました。私の心はきっとレース中だわ、と思いました。私の孤独に押されて、心は私の記憶の暗い廊下を走っていました。落ち着きを取り戻すか、或いはエンドレスな夜を過ごすかのどっちにするか、心を制御しなければなりませんでした。私は自分を落ち着かせて過去からの幸せな想いを見つけようとしました。

一条の光が輝き始めました。

*********

ブレナード・インデアン・訓練校はウィズレアンのメソジスト教徒によって運営されていました。そこでの最初の日に、学校の前に立っていた大きな看板を読んだことを、私は決して忘れないでしよう : “ビジョンの無い所では、人々は死ぬ”私はもちろん、これはインデアンについてのものであり、ここは私達がより多くのビジョンを持つために訓練される所なのだと想いました。この考えは恐らく私が町で見た、“インデアンは駄目、犬はよし”などという、他の看板によって強制されたものでした。

ブレナード・インデアン・訓練校は私が以前に持っていた経験よりも、もっと積極的な経験がある事を証明しました。私達は居心地のよい、形式ばらない雰囲気を楽しみ、先生たちはやってくる生徒たちに感謝しているようでした。神は異なる人々には異なるものを意味することを、私は学びました。私が以前知っていた、怒りに満ち、短気な神の代わりに、ここの人たちは、私達が幸せなときには、喜んでくれる、より幸せな神のことを教えてくれました。祈りの時に、人々はしばしばアーメンとかハレルヤとか叫び、暫くの時間が人々の突然の気持ちのバーストに使われました。私は神を見ること、神に祈ることに他の方法があることを理解しましたが、その神が、私が死んで神の前に出たならば、私を罰する神だと依然として確信していたと想います。

夏の間、私はルーテルとバプティスト教会の両方に、そして時には、救世軍にも出席していました。当時、教会に出席した所は、私が行った事実はそう重要ではありませんでした。私が成長するに従って、神についての興味は大きくなりました。神が私の人生で大きな役割を演じていると理解したからでした。私が大きくなるに連れて、神が何の役であり、どのように私に効果を与えてくれるのかについては、まったく確かではありませんでした。私は、その答を求めて祈りによって神にアプローチしましたが、神が私に耳を貸してくれたとは感じられませんでした。私の言葉は空中に消え失せたようでした。十一歳の時に、私は勇気を奮い起こして、学校の寮母に、彼女は本当に神がいると信じているのかどうか尋ねました。私は誰もが本当のことを知っているのなら、彼女もそうだと感じました。しかし、彼女は、私の質問への答の替わりに、私を平手打ちして、私が神の存在を問いただして冒涜したのかを説明しました。彼女は私の膝を折らせ、許しを乞うように言い、私はそうしました。しかし、今、私は、自分の信心不足のために、地獄への審判をくだされたと知っています-何故なら、私は神の存在を疑がったからです。今や、私は、決して赦されることはありえないだろうと、確信していました。
その夏の終わりに、私は父と共に戻り、恐怖で立ちすくんだ経験をしました。ベッドに入ったある夜のこと、近くの窓のカーテンを開けて、小さい時に良くそうしていたように、星や流れていく雲を見ながら横になっていました。突然私の眼が、雲の下からやってくる一条の白い光を捉えました。私は恐怖で凍りつきました。その光は、私達、或いは誰かを捜し求めるようにあちらこちらへと動きました。私は、これが二回目の降臨としてイエスがやってきたのだと知りました。そして私は声を限りに悲鳴をあげました。私は、イエスが夜中に盗賊としてきて、正義を行い、悪い者を燃やしてしまうだろうと教え込まれていました。私は町でのカーニバルの到着を知らせるサーチライトを見たのだと、私に信じさせて、私を静かにさせるのに父は数時間かかりました。私は始めてサーチライトを見たのでした。私はそれからしばらくは、カーテンを閉めて、星を覗きませんでした。

神の本当の性質への私の探求は続きました。色々な教会に出席したこと、多くの新約聖書の言葉を記憶したことを覚えています。人が死んだ時に、彼の霊(Sprit)は、キリスト復活の日まで、肉体と共に墓穴に残り、キリストがやってきて、正しい者たちを昇天させて彼と共におらせるだろうと言うことを信ずるようになっていました。私は、依然として自分の死を恐れ、それに続く闇の世界のことをしばしば想いました。

02 夜深まる

私の病室のカーテンは、今閉まっていました。私が閉めたのかしら?プラクがはずされているのではと見るように、ほとんど起き上がるばかりに、再び時計を見つめました。時は動いていないように想われました。私は誰かと話したくなりました。恐らく看護婦さんがやってくるか、うまく行けば、家に電話できるでしょう。私はベッドを降りて、電話を取上げました。ちょっとして、ベルが鳴り、十五歳の娘のドンナが出ました。彼女はすぐに、私の具合はどうかを聞きました。彼女の声でそれを聴けて嬉しかった。私は彼女に具合はいいが、ちょっと寂しいと話しました。“パパはまだ、帰らない?”と聴きました。私の心臓が弱まりました。私はやけに彼と話しがしたくなりました。“ママ、大丈夫?”と彼女は聞き、“大丈夫”と答えました。しかし、私が言いたかったのは、“お願い、パパを捕まえて、戻ってきて貰って!できるだけ早く、パパをここに連れてきて!”でした。私の懸念は大きくなりつつありました。

電話の側で、小さな声が聞こえました:“私もママと話したい”“はい、受話器渡して!”“私はパパと話をしたい!”そして、家の音が私を良い気分にしました。それから半時間、子供たちにおやすみを言いながら過ごしました。しかし、受話器を置いた時、寂しさが私の上に再び毛布のように私の上にかぶさってきました。部屋は一層暗くなり、病院と家との距離は町を横切って百万マイルにも感じました。私の家族は私にとって生命そのものでしたから、離れることは、私を犠牲にし、傷つけるのです。しかし、再び子供たちや夫のジョーのことを考えると、気分が良くなりました。そして、その点では、たった数時間でも、彼らのために再び家に戻ったなら、私が世話をしないなんて、世界中で私を確信させるものは誰もいないでしょう-事実、私は彼らのために戻ることを乞うてはいないのでしょう。

私は、夫と子供たちは、私が子供時代に失った家庭をしばしば取り戻してくれると何時も考えていました。私は、自分が結婚して自分の家族を始める時には、それを私の一番の興味と最大の保護物であるようにして始めるようと、自分に約束しました。私は夫を愛し、彼と共に終始変わらずにおり、子供たちがいつも私達と共に在りつづけられるようにと自分に約束しました。

十五歳になった時、私は母と住むために送られました。私の父は成熟しつつある若いレディは、寄宿学校や父親と一緒ではなく、母親といるべきであると感じていました。私の母もまた、彼女がフルタイムで働いている間、ベビー・シッターが必要だと判っていました。そこで、私は学校からでて、若い妹たちの面倒をみるために家に留まりました。毎日家に留まるようになって、朝学校に行き、午後に帰宅する近所の子供たちを眺めていて、自分が惨めに感じ始めました。年を重ねる毎に、教育が自分にとって何を意味するのか未だに、完全には知りませんでしたが、友達や私の兄弟や姉たちとの交際を失うことを知っていました。短い時間の間に、私は自分が結婚して自身の家族を始めることがただ一つの道だと感じ始めました。私は、自分の人生が他の人の必要性に制御され、どんな個人的な幸せへの権利をもうしないつつあると感じていました。私は、自分の着物が欲しい、ベッドも欲しい、家も欲しかった。私達の生活に何が起ころうとも、いつも私を愛してくれている、いつも信じていられる夫が欲しかった。

その時、私は絶望のうちに、隣の男の子と恋に落ち、次の年の春に彼と結婚したのは、なんの不思議もありませんでした。父は頑としてそれに反対しましたが、私は母と一緒に住んでおり、母はそれを支持してくれました。私は十五歳で、本当の家族の要求することに非常にあどけないものでした。私達二人の未熟さと二人が人生ついてのあまりにも違う目標を持っていた事実が、私達の結婚を六年後に終わらせました。私の夢は破れ、それを癒すために多くの忍耐と愛が必要であるほど、魂を傷つけていました。でも、私はこの結婚を決して後悔はしていません。それは私に四人の美しい子供たちを与えてくれたからです。最初は双子の姉妹、ドンナとチェリル、次は息子、グレンです。最も若いのは、シンシアで、生まれて三ヶ月で亡くなりました。

離婚の後で、クリスマスのダンスパーティで、ジョーと逢いました。彼は、私が住んでいたネバダ州のレノの近くにあるステッド空軍基地の部署についていました。ジョーもまた離婚しており、彼を知った時に、私は二人が多くの共通したものをもっているのを発見しました。彼は私と同じような境遇で、強い家族の絆への望みを持っていました。私達は何かしらお似合いでした。私の子供たちすら、彼に一緒にいて欲しがり、多分最初の私以上にそうなり、私達が結婚する時はすぐにやってきました。

最初から、あまりにうまくいって殆ど真実とは思えないくらいでした。ジョーは私が以前に経験したことがなかった、やさしさを持っていました。彼は子供たちにも並々でなく寛大で、子供たちも彼の愛に応えるに十分確かなものでした。子供たちは彼が夜仕事を終えて帰ってくると、我先にと彼にお帰りを言うためにドアに駆けていきました。ジョーはどのみち、彼らにとって最初から“パパ”でした。
私達は一緒にいたいと望みました。そして、それは、数年かけて私達を一緒にしてくれた、私達の成長する円熟さをくっつける膠なのです。私達は、あちこちと引越しして、私達自身にあった生活をしながら、私達はコストがどうであれ、単純に何かをして働き、私達の家族一緒にすることを約束しました。私達の望みは、家族が第一で、夫婦は第二でした。

一九六三年の七月に、ジョーはテキサス州サンアントニオのランドルフ空軍基地に転勤しました。コンピュータがデビューして、ジョーはコンピュータのプログラミングを学ぶために異動されたのです。テキサスでの四年間に、私は二人の男の子、ヨセフ・ジュニアとスチュアート・ジェフリです。

私達は、夢が適った生活をしていました。新しい自動車を買い、完璧なエアコン付の家を買いました。子供たちは衣類も沢山あり、私も家に留まって子供たちの世話ができました。真実、祝福を感じていました。安心と喜びを感じていた私は、今、子供時代の寄宿学校と孤独、そして破綻した結婚生活から、永遠に離れたように見えました。しかし、依然として、私は、何かが失われていると知っていました。

私はいつも祈りました。でも、私と神との関係は離れているように思え、恐怖に満ちていました。私は神が私の祈りに、いつも、いつも、-私の離婚後も、答えてくれたことを知っていました:誰か私を愛してくれて、子供たちを育てるために助けてくるようにと祈った時、神は文字通り私をジョーに導いてくれました私は、神が-その公然の復讐にもかかわらず-現実におり、神の子供たちを愛してくれたと信じましたが、私の人生への愛をどう取り入れ、子供たちへ、それをどう分けるかのアイデアが、私にはありませんでした。私はジョーとそのことについて話し、教会に行こうと暗に誘いました。彼は宗教についての迷いから覚醒させてくれた以前の経験から、あまり熱心にはなりませんでした。私は彼の立場を尊重しながら、依然として、私の家族の中に宗教的な信心の強い感覚を持込む手だてを模索していました。私達はいくつかの教会に出席しましたが、満足しませんでした。そして、ほどなく、私は成り行きまかせにしました。宗教への私の信心は何年間も不確かなままでしょう。

看護婦さんが部屋にやってきて、私の想念を遮りました。睡眠薬を持ってきましたが、私は断りました。ほとんどのタイプの薬に拒否反応するからです。薬に対する私の恐怖はずっと昔に戻ります。アスピリンは、ほとんど呑んでいません。頭痛や病気を我慢する方が良かったのです。看護婦さんが部屋から出て行き、私は再び自分の想念にもどりました。その夜の異常な寂しさの中で、私の想念は数時間後の外科手術に戻りました。すべてが上手く行くのかしら?私は手術台の上で亡くなった人々の多くの話を聞いていました。私はぞうじゃないのかしら?墓場のイメージが心を占めました。墓石や焼かれた棺の中の骸骨の首にかかった十字架の光景を想い浮かべました。最後の葬式について、私は子供の頃に聞いた何かを不思議に思い始めました。何故死体が十字架をつけていたのかを見ようと試みました。それは、彼らが聖者であることを神に示すものだろうか?それとも、彼らは地獄の悪魔たちから身を守ることが必要な罪人だったのかしら?暗闇は一層強く私の上にのしかかり、暗さは依然として私を引っ張り込み、そして、私はブザーを鳴らして看護婦さんを呼びました。

“睡眠薬、持っていますか?”と彼女が入ってきた時に、私は聞きました。一瞬、彼女は、不審な顔をしましたが、でも、薬をくれました。私はそれを手にとって、彼女が電灯を消して、ドアを閉めた時に、彼女に感謝しました。それは私が眠気をもようする一瞬前のことでした。そしてついに私は祈りを言って、眠りにつきました。

03 二日目

カーテンの縁にそって、ヘビのように輝く光と共に、すぐ、朝がやってきました。手術は正午に計画されていました。目覚めて数時間をまつことも、贅沢な眠りを楽しむのこともできました。私はまだ睡眠薬でぐらぐらしているか、或いは多分前夜の恐怖と心配で疲れ果ててしまったのでした。今、朝の光と共に、部屋は輝き、私はリラックスして、最後に病院に入院した時のことを思い出し始めていました。前夜の私の恐怖はその時の恐怖に比べれば、とるに足らないものでした。その時少なくとも、私は何が起こったのか知っていました。

* ************

一九六七年にジョーが空軍を退役し、彼に新しい市民としての経歴を開く、多くの選択枝を見ていました。コンピュータは新しい企業になりつつあり、彼の訓練は彼が望む所で新しい経歴を始めるのを評価しました。私達が決めなければならなかったのは、住みたい場所は、この国のどこなのか、だけでした。私達は、最後に、大西洋側の北西部に行くことに決めました。そこは、ジョーが大きな航空宇宙関連の会社に職を得た所です。そこの気候は、私達がテキサス州で慣れた、暑くて乾燥したものとは対照的で歓迎すべきものでした。また、今北西部にすんでいる私の父と彼の妻の近くで暮らすこともありました。

そこに引っ越して間もなく、私は、七番目の子を宿しました。これは私達が望んだ驚きではありませんでした。私達は、ちょうど面倒見切れるだけのすべての子供たち-五人の子供たちが生きている-を持っていると感じ、私達は次の子を妊娠するのを防ぐための注意をしていました。私の六回目の妊娠は私の身体を痛めつけました。そして、お医者さんたちは、他の子を持つことがないように私に想いとどまらせました。

三ヶ月になって、私は厳しい腹痛と出血を経験し始めました。お医者さんは私が胎児の組織を出していると言いました。この事と他のことの込み入ったことから、彼らは私が間もなく流産すると確信していました。私は出血が続いていたので一週間病院に留められました。私達は、私の身体が傷ついた胎児が自然に成り行きを定めるのを待ちました。まもなく、妊娠は終わりにならなかったことが明らかになり、お医者さんの一人が、私が堕胎を考えるべきこと示唆しました。彼は、もし、一部でも出ていれば、ほとんどの場合、肉体のどこかが失われて生まれてくるだろうと信じたのです。私も彼を疑う理由は在りませんでした。ジョーと話しをしたあとで、私達は手術をすることに決めました。堕胎の予定日の前日に他のお医者さんのチームに検査されるために病院にいき、彼らは私達が計画をすすめることに賛成しました。最後のお医者さんが私の側を通り過ぎで部屋をでていく時に、彼が“私達は何故小さな男の子がそこにぶら下がっているのか理解できないのです”と言いました。私は寒気を感じ、そして、その想いがやってきました“これを止めなさい。あなたはこの子を持たなければならない。彼は生まれたがっているよ。”

その日の夕方、ジョーが病院の私のところにやってきた時、私はお医者さん達が言ったことを説明し、それと、この子が生まれたがっているという、私の印象も話しをしました。私達は、妊娠を続けようとし、醜い子でも持とうと話をしました。私達は二人とも、そうすることを望んではいないのですが、でも、この子を今堕胎したら、私自身が生きていけないだろうと私は知っていました。ジョーは私達が生まなければならないことに賛成し、その夜遅くに、お医者さんたちと合い、私達のフィーリングを説明しました。彼らは頑固でした。私達は欠陥のある胎児を堕胎しなければならない。彼らは、どんな医者も妊娠を継続するのを承認するものはいないといい、そして、彼らも確かに、承認するものではありませんでした。

次の日、私は退院して、この事で私を受け入れてくれるお医者さんを探し始めました。遂に、若いお医者さんを見つけました。彼は、空軍に数年勤務した後で、自分で開業したばかりでした。二人の共通の経歴から、彼はジョーと密接な関係を感じ、私を患者とすることに同意してくれました。彼は子供が生きるに違いないと言う可能性は分っていましたが、奇形で生まれるかもしれないと非常に心配していました。彼は私をベッドに寝かせ、従うべき項目を書いたリストをくれました。

ジョーと子供たちは、家の仕事で私の穴埋めを上手くやってくれ、私は幾つかの家庭学習コースに時間を使い、私のハイスクールの教育を終了しました。数ヶ月が過ぎ、すぐに臨月がやってきました。奇形になって生まれ、身体の一部を失ったり、または死産ででてくるかもしれない子供のために準備をしました。私とジョーは私が、そのお医者さんの、“この小さい子はまだそこにぶら下がっていますね”という言葉を聞いた時の、私の印象を再び呼び戻して、お互いを落ち着かせようとしました。これは、病院がまだ、父親を産室にいれない頃のことでした。私の側にジョーがいなくて生まれて来る子と対面する想いは恐怖でした。病院のスタッフが出産の間、ジョーが私の側にいることに同意してくれましたが、彼らはジョーがどうゆう反応をするか心配してくれました。彼らは、その経験で、ジョーの気が遠くなり、病気になったとしても、医師の仕事の第一の責任は、私に対するものだということをジョーに話しました。ジョーは、自分に対する責任をお医者さんたちから免除するという誓紙にサインを求められました。

一九六八年六月十九日、陣痛が始まり、私は病院に入りました。自分の身体が押さえられないほど震えるのに、驚きました。ジョーは私の手を握り、頭を叩きながら、産室の私の側にいました。彼は、お医者さんのように、緑のガウンと白いマスクをつけなければなりませんでした。ジューの灰色がかった青い瞳は私を落ち着かせようとしていましたが、私はマスクを吹いてはずすことで、彼が私と同じに脅えていることをいうことができました。出産が始まると、私達はいっそう硬く手を握り合いました。

あかちゃんが産まれた時、私はお医者さんの瞳を見ました。私は、すぐに、私達の数ヶ月に渡る恐怖と苦悶がおろかなものだったことを知りました。お医者さんは私の上に赤ちゃんを置いてくれて、私は抱きました。そして、ジョーと私は頭から爪先までを眺めました。私達は、泣き出してしまいました。私達の息子は今まで産まれた子供たちと同様に、完全で健康な子でした。私は抱いた時に、本当に、この子は私の所にくる意味があり、そうだったから、それだけ生まれてくるのを望んだのだ、と言うことを知りました。

何かのために、私が決心を変えなかったとしても、その妊娠は私の身体に代価を課しました。その後の数年間、多くの問題が発生しました。主治医は私に子宮切除手術を促しました。考えに考え、ジョーと相談して、私は主治医の勧めに従う決意をし、そして、私の手術の日が決まったのでした。

今、手術の日の朝、新しい看護婦さんが入ってきて、私を揺り起こしました。彼女は手術の準備のために、私を眠りに戻す注射をしました。彼女が私を眠りに戻すために起したことに、私は笑ってしまいました。多分、笑っていたと想いますが、静脈を通して薬が効きだしてからだ中に温かさが広がってくるのを感じていました。その時、そのお医者さんが来たに違いありません。“患者は準備できたかな?”と言う言葉を聞いたからです。そして、静かに、すべては真っ暗になりました。

私が意識を回復したのは、午後でした。主治医は私の側に立っていて、手術が成功したことと、すぐに気分もよくなる筈だと言いました。そして、私は、“素敵だ。やっとやすらぎを得て、もう手術の心配は無くなったね”という自分への想いを想起しました。そして、再び眠ったようでした。

その夜、私は目を覚まして周囲を見渡しました。セミ-プライベート(数人部屋)の部屋に居たのに一人でした。他のベッドは空いていました。部屋は、明るいストライプのオレンジや黄色の壁紙で楽しく飾られていました。けばけばしい、でも、私には悦ばしかった。二つの電気スタンド、二つのクローゼット、テレビ、そして私のベッドの近くに大きな窓があるのに気がつきました。私は常に窓を求めました。と言うのも、子供の時に閉所恐怖症に苦しんだからです。外は真っ暗でした。部屋の中の光は、扉の側の、流しの上にある夜灯だけでした。私は看護婦さんをベルで呼び、お水をくれるよう頼みました。彼女は、私がその日の午後の早い時間に氷のかけらを貰っていたと言いましたが、貰ったことを私は想い出せませんでした。そして、彼女は、私の夫と友達が私を見舞いに来たと言いましたが、でも、私は彼らに逢ったのを、想いだせませんでした。私は、自分の性格は乱雑で、知り合いでない時には、実際、逢った誰にもありがたいと想ったことがなかったと言う事実を意識しました。そして、その時、そこに、私のガウンが在りました。私は見下ろして、裸の上に着ているのに気付きました。私はジョーに、連れてきた彼の友達について話さなければならないわ。

九時に、看護婦さんが夜の薬を持ってきました。手術の僅かな痛みを除けば、気分は良いものでした。薬を飲んで眠る前にデレビを見るために坐りました。私は、うつらうつらしたようでした。ふと、時計を見ると九時半だったからです。そして、突然、私はアタマにひらめきを感じて、ジョーに電話をしなきゃという突然の衝動がきました。私は電話を見つけると、とりあえず彼に電話をかけました。会話の内容を私は覚えていません-とにかく、したいことは眠りだけと言うほど、疲れ始めていました。テレビを消して、首の下まで毛布を引き上げました。私は、それまで感じていたより、私の骨が冷たくそして弱々しくなっていくのを感じ始めていました。

04 私の死

再び、暫く、うとうとしたに違いありません。ても、時計は依然九時半をさして見えましたから、長くはありません。その時、私は奇妙なフィーリングに襲われて、突然目覚めました。何かしら、私の本能が私に差し迫る危険を警告しました。私は部屋を見渡しました。扉は半分閉まっていました。ぼんやりした光が依然、扉のそばの、流しの上に光っていました。私は自分自身が鋭く警戒しだし、恐怖をつのらせるのを感じました。私の感覚は、私が一人ではないことを語りかけましたが、私は肉体が段々弱くなるのを感じとれました

看護婦さんを呼ぼうとベッドの近くのコードに手を伸ばしました。しかし、そうやっているのですが、身体を動かせないのです。最後の血の一滴一滴が私から落ちて行きつつあるような、恐ろしく落ちていくような感覚を感じました。私は頭の中に柔らかい唸りのような音を聞きそして私は身体が動かなくなり、命が無くなったと私が感じるまで沈みつづけました。

その時、私は湧き立つエネルギーを感じました。それは、あたかも、私の中でパンと鳴って放出したように感じたようなものでした。そして、私の霊(Spirit)は突然私の胸を通って引き抜かれ、強力な磁石によるかのように、上に引っ張り挙げられました。最初の印象は、自由になった、でした。その経験に違和感はありませんでした。私はベッドの上、天井の近くに浮いていました。自由の感覚には制限がなく、しかも、ずっとそうだったかのように想われました。私は身体を廻してベッドの上に横たわる身体を見ました。それが誰なのか興味ありました。するとすぐに、私はそれに向って降り始めました。准看護婦の経験から、私は死んだ肉体の様子を良く知っていましたから、顔に近づいてみると、生命がないことが直ぐにわかりました。そして、それが私のものであったことを知りました。それは、ベッドの上の私の身体でした。私はふいを打たれたり、驚いたりもしませんでした。ただ、それに一種の同情を感じました。それは私が覚えているより、若くて綺麗に見えましたが、今は死んでいました。それは、まだ使えるもので-価値が残っているのだから、惜しい、着ていた衣服を脱ぎ、永遠に捨て去ったかのようなものでした。私は、今まで自分を決して三次元でみたことはなく、ただ鏡の中で平面でしかみたことが無いのを知っていました。でも、霊の眼は物質的な肉体の眼よりも多くの次元で見ています。私は、自分の肉体を同時にあらゆる方向-前から、後ろから、両横-から見ていました。私の見方に、全体性や完全性等も含めて、以前には知らなかった、私の姿の特徴を見ました。これは、最初、それが自分だと識別できなかった理由かも知れません。

私の新しい身体の重さはなく、極端に動き易く、この存在の状態に私は魅了されました。そのちょっと前に、私は手術の痛みを感じていましたが、今はまったく気分の悪い所はありません。私はいずれにしろ、全体が完璧でした。そして、“これが本当の私だ”と想いました。
私の注意が、その肉体に戻りました。誰も私が死んだことを知らないと判りました。そして、誰かに早く伝いたいと感じました。“私は死んでいる。”と想いました。“そして、誰も、ここの人はそれを知らない”しかし、私が動きだす前に、三人の男の人が私の側に突然、現われました。彼らは美しくて光る茶色のガウンを着ており、その内の一人が頭の後ろにフードをつけていました。それぞれが金で編んだベルトを腰に巻き、端を下に垂らしていました。一種の光彩が彼らから放射されていましたが、それは普通の輝きではなく、私は柔らかい放射光が自分自身からでてくること、私達の光が私達の周りで、一緒に合わさっているのに気がつきました。恐れはありませんでした。男の人たちは七十歳から八十歳位に見えましたが、なんとなく、彼らは地球でのものと異なった時間スケールにありそうだと知りました。その印象は、彼らは七十歳や八十歳よりずっと歳で-古代の人というものでした。私は彼らの中に、大いなる霊性、知識、そして智恵を感じ取りました。これらの徳目の印象を喚起するための衣を着て現れたのだと信じました。私は、彼らを修道士だと考え始めました-ほとんど衣のせいですが-そして、彼らを信用できると知りました。彼らは私に話しかけました。

彼らは“永遠”の間、私と共に居た、と言いました。私はこの言葉を完全には理解できませんでした:永遠という概念を理解する困難な時間を持ちました。永遠はそのままにして置こう。私にとっての永遠は、いつも未来にありました。ところが、この存在は、彼らが私と共に過去に永遠の間一緒に居たといったのです。これはもっと理解するのが困難でした。その時、私は、遠い時のこと、地球に私の生を得る前の、“前の”彼らとの関係を心にイメージとして見始めました。私の心の中に解き放たれたそれらの光景で、私は“永遠”の間、本当に私達は知り合いだったことを知りました。興奮しました。地球以前の生活の事実は、私の心に明確な形を現わし、そして、私には、死は実は、時間の前と後ろに延びる、偉大な認識と知識の生命への“再生”であることがわかりました。そして、私は、それらは、私のその偉大な生命の中での最も選り抜きの友達であり、また、彼らは私と居ることを選んだものたちであることを知りました。彼らは、他のものと共に、地球での私の人生の間の守護天使であったと語りました。しかし、私はこの三人は特別で、私の“奉仕の天使”だったと感じています。

彼らは、私が早死にだったと言いました。彼らはなにかしら、平和な感覚で慰し、疎通をし、すべては上手く行くだろうから、何の心配もいらないよ、と私に言いました。この感覚が私にやってきて、私は彼らの深い愛と心配をしてくれているのを感じました。このフィーリングと他の想いが、霊から霊へ-知性から知性へと伝達されました。最初、私は、彼らが口を使っているのかと想いましたが、しかし、これは、私が人々に”話す“ために使うからでした。彼らは、もっと素早く、完璧に、彼らが”純粋知識“と言った方法で伝達しました。英語での、最も近い言葉では、私達はそれがテレパシーであると定義しなければなりませんが、それでさえ、完全なプロセスを説明しません。私は彼らの感情と意図を感じました。彼らの愛を感じました。それは私を悦びで満たしました。彼らはそれほど私を愛してくれていました。私の前の言語、私の肉体での言語、本当に制限されており、以前の私のフィーリングを表現する能力は、この純粋な方法で伝達する霊の能力に比べたら、ほとんど無いに等しい程度のものだったと私は理解しました。

彼らが私と分け合いたいと望むものも、そして、私が彼らと分け合いたいと望むものも沢山ありましたが、しかし、私達はその瞬間に感心を持ったものはもっと高い所にあったことを知りました。私は突然夫と子供たちのことを思い、私の死がどのように彼らに影響を与えるのか心配になりました。夫はどうやって六人の子供達の面倒を見れるのかしら?私が居なくて子供たちはどうするのかしら?少なくとも、私自身の関心を満足させるために、私はもう一度子供たちに逢う必要がありました。
私の想いだけが、病院を抜け出して、家族の所に行きました。一つの家族を待ち、そして、一緒に私の家族を守るために働いた長い年月の後で、今、私は彼らを失うことを恐れていました。それとも、多分、私は、彼らが私を失うことを恐れていました。

すぐに、私は出口を探しはじめて、窓を見つけました。素早くそれを通って外に出ました。すぐに、窓なんか使う必要が無く、どこからでも部屋からでることができるのを学びました。それはただ、私のためらいでしかなく、窓を使うものという人間的な制限への想いからでした。私は肉体を持っていると想ったので、“低速運動モード”には入りましたが、その時は実際、私の霊的な身体は前にあるどんな固いものをも通過して行けたのです。窓はいつも閉まっていたのです。

私の上までの旅は不鮮明なものでした。今は判っているのですが、物凄い速度で動き出し、木々がほとんど見えない位に私の後方に飛んで行きました。どっちに向って行こうと決めはしませんでした-家に行こうと想っただけで、そこに行きつつあるのを知りました。一瞬のうちに、家に着き、リビングに入る自分を発見しました。

好きな肱掛椅子に坐って新聞を読んでいる夫をみました。階段を上がったり降りたりしている子供たちを見ました。子供達は寝る準備をしているのだと知りました。そのうちの二人は、枕を使った戦い遊びをしていました-それは子供達にとってのいつもの眠りへのプロセスでした。私は子供たちと話したいという望みはなく、私がいなくなった時の彼らのことを考えていました。一人一人を見つめた時、色々な事々が私の心をよぎり、彼らの一人一人の、人生の先を見せてくれました。私が経験を”私のもの“として持っていたと判ったように、子供たち一人一人が自分自身の経験のために地球上にいるのだと私は判り出しました。私は間違っていました。子供達は、私自身と同じに、地球での、彼らの人生の前に開発されていた知性を持った、個々の霊なのです。各々が、彼らが選んだ通りにその人生を生きて行く自由意志を持っていました。私は、この自由意志は皆んなに公平にある筈だと知りました。彼らはただ、私の注意の下に置かれていただけでした。今、私は子供達を元に戻せませんが、子供達は自分の人生の次第(アジェンダ)を持っており、それを完了した時に、彼らもたま、地球での滞在を終わるのだと私は知りました。私は彼らの挑戦や困難の幾つかを予見しましたが、それらは、彼らの成長に必要なことなのだろうと知りました。悲しんだり恐れたりする必要はなかったのです。人生の終わりには、子供たちはすべてオーライでしょうし、私は、それが私達全員が再び一緒になれるまで、ほんの一瞬でしかないのだと知りました。私は、静けさに浸りました。私の夫と可愛い子供達、長い間待っていた私の家族は、すべてオーライでしょう。彼らは続けて行けるでしょう-私ができたように。

私はこの理解に感謝し、ここに到達するのが赦されたので、私の死への移行が容易になったと感じました。

今、私は、私自身の人生を続けたいという望み、私を待っているすべての経験への望みで満ちて来ました。私は病院に引き戻されましたが、その旅を思いだせません。それは一瞬に起こったようでした。私は二フィート半下、やや左手のベッドに横たわる私の肉体を見ました。私の三人の友達は依然そこにいて、私を待っていました。再び、彼らの愛と私を助けてくれているという悦びを感じました。

彼らの愛に満たされ、なんとなく、行くべき時間が来たことを知りました。また、私の愛する友達、修道士たち、は私と一緒には行かないようだということも知りました。

急き立てるような音が聞こえ始めました。

05 トンネル

猛烈なエネルギーの中にいる時に、あなたはそれを知ります。私は今、知りました。深いごろごろいうような、押し寄せる音が部屋中に満ち始めました。私はその後ろに潜む力、ゆるみそうに無い動き、を感じ取りました。しかし、音と力は人を畏怖させるものでしたが、私は再び非常な悦びの感覚-ほとんど催眠術の感覚-に満ちていました。美しい鐘の音、遠くのベルが背景で鳴る-私は決して忘れられない-チリンチリンという音を聞きました。暗闇が私を取り巻き始めました。ベッド、扉の側の光、全体の部屋がはっきりとは見えなくなり、すぐに、やさしく引き揚げられ、大きな渦巻く黒い塊の中に引き込まれました。

巨大な台風によって飲み込まれでもするように感じました。強烈でほとんど触れることができる暗さ以外に、何も見ることができませんでした。暗さは光りの欠乏というより、ずっと暗いもので、私の知っていた、なにものにも似ていない密度の濃い暗さでした。その若さ故のすべての恐怖が湧いてくることが恐ろしかった筈だと言う常識が浮かびました。でも、私は、その真っ黒な塊の中で、気持ち良く静かな、深い喜びの感情を感じました。と、自分がそれを通過して前に動き、渦巻く音がだんだん弱くなるのを感じました。私はリクライニングの姿勢で、足が先になって動き、頭はやや上に上がっていました。何光年の速度か測れないと感ずるほど、速度が恐ろしく速くなりました。しかし、平穏さと静穏さも増大し、永久にその素晴らしい状態に留まれるように感じました。そして、自分がそう望めば、それができることも知りました。

私は、少し離れて自分と一緒にその旅をしている人々や動物に気付きました。彼らを見ることはできませんでしたが、彼らの経験も私のものと同じだと、気付きました。彼らとの個人的なつながりは感じられず、彼らが私に何の脅威もあたえないことを知ると、私は彼らへの知覚を失いました。しかし、私の様には、前へ動いていかないものもいるのに気付きましたが、私はこの素晴らしい黒さの中で、過ごしていました。彼らはそれを望まなかったのだし、どう進めるのかを知らなかっただけです。しかし、そこに恐怖はありませんでした。
私は、癒しのプロセスが起こるのを感じました。この渦巻いて動く塊に愛が満ちて、そして、私はその温かさと黒さの中に、深く深く、沈んで行き、平穏と安寧を享有しました。“これが死の影の谷に違いない”と想いました。

私は私の人生の中で、これ以上の静穏さを感じたことは、決してありませんでした。

06 光に抱かれて

遠くに光りの点が見えました。私をとりまいている黒い塊はトンネルの形を取り始め、自分がそれを猛スピードで、その光に向って突き進んでするのに気付きました。本能的にその光に魅了され、同時に再び、他のものが居ないかもしれないと感じました。光に近づくと、その中に立っている、身体の周りすべてに光を放つ、男の人の姿に気付きました。近づくに連れて、光は輝きを増し-輝きを説明する言葉がなく、太陽の輝きを遥かに超えたもので-私は自然な状態での地球的な眼で、これを見て、壊れない眼はないと私は知りました。近く引き寄せられると、私は真っ直ぐに立ちはじめました。

彼の周りの光が金色で、全身が金色の光輝を持っているかのように見えました。その金色の光輝が彼の周り中から放射され、輝く、かなりの距離まで広がった壮麗な白さの中へと広がっていくのを見ることができました。文字どおり、彼の光が私の光に混じってくるのを感じましたし、私の光が彼の光の中に引き込まれていくのも感じました。それは、部屋の中に二つの電灯があって、二つとも輝いており、両方の光が重なっているかのようでした。一つの光が終わると一つの光が始まる所-それがまさに一つになる-を説明するのは難しいです。彼の光は私の光より、ずっと輝いていたにもかかわらず、私の光も、私達をてらしているのに気がつきました。そして、私達の光が混合した時に、彼の愛顧の中に入り込んだと感じ、無条件な愛の激発を感じました。

それは、かつて感じたことのない最も無条件の愛でした。私を受け止めるために開かれた彼の腕を見た時、私は彼に向って行き、彼の完全な抱擁を受け、そして“故郷だわ、故郷だわ、ついに故郷にいるわ”と言いました。私は、彼の巨大な霊を感じ、私が常に彼の一部であることを知り、事実、彼から決して離れることはありませんでした。そして、私が彼と共に居て、彼を抱きしめる価値があることを知りました。彼が私の罪と欠点を知っていること、それらは、今はまったく問題ではないことをも知りました。彼が私を抱くことを望み、私に彼の愛を分け与え、そして私は私の愛を彼に分け与えることを望みました。

彼が誰であるかは問題ではありませんでした。私は彼が私の救い主であり、友であり、神であると知りました。彼は、私が彼を憎んでいる時でさえ、いつも私を愛してくれていた、イエス・キリストでした。彼は、生命そのもの、愛そのものであり、彼の愛は私に無欠の悦びをあふれんばかりに与えてくれました。私の地球での人生の遥か以前から、彼を自分が最初から知っていたと、私は知りましたが、理由は、私の霊が彼を記憶していたからです。

すべての人生で、私は彼を恐れました。そして、今逢ってみて-私は知っていました- 彼が私の最も優れた友だったことを。優しく、彼は腕を開いて、私を、彼の眼の中を見られるように少し離して立たせてくれました。そして、彼は、“あなたの死は早すぎです。まだ、その時間ではありません”と言いました。かつて話された言葉で、これほど私にしみ込んだ言葉はありませんでした。これまで、私は人生に目的を感じていませんでした。私は単に、愛と美徳を捜してぶらぶらしていただけで、しかし、私の行為が正しかったのかを、本当に知ろうとは決してしていませんでした。今、彼の言葉の中に、私は使命、目的を感じました。私はそれが何かを知りませんでしたが、でも、地球での私の人生が意味の無いことではないのを知りました。

時はまだ、私が死ぬ時ではなかった。

私の使命、目的、この人生での意味が完了された時が、私の死の時がくるのでしょう。私は地球に存在する理由を持っていました。たとえ、そう理解しても、私の霊は反発しました。それは、私が戻らねばならないということだろうか?私は彼に“いいえ、私はあなたから今離れることは決してできません”と言いました。

彼は、私の言う意味を理解しましたが、彼の愛と私への受容は決して揺らぎはしませんでした。私の想いは走り続けました:“これは、人生中、私が恐れていた、キリスト、神なのだろうか?彼は私の想ったようなものではないわ。彼は愛に満ちているもの”。

その時、私の心に疑問が湧いてきました。早すぎでなければ死んだように、何故死んだのか、しかし、私の霊は復活する前に、どうやって彼のもとに来たのかを知りたくなりました。私はまだ、子供の頃の教えとか信念で悩んでいました。彼の光は今、私の心を満たし始め、すべてを尋ねる前に疑問に回答がなされました。彼の光は知識でした。それは私をすべての真理で満たす力を持っていました。私が信頼して、光の流れを私の中に受け入れると、疑問は考え得る以上の速さでやってきて、まさに素早く回答されるのでした。そして、その答は絶対的で完璧なものでした。私の恐怖で、私は死を間違って解釈していました。何かそうではないものを期待していたのです。墓は霊を意図したものではなく、ただ肉体のためのものだったのです。間違っていたことのための批判は何も感じませんでした。ただ一つの生きた真理が私の間違いを置き換えたと感じただけでした。彼が神の子であり、彼自身が神でもあること、そして彼が、私達の救い主であるべき世界の創造の前で、選ばれたものであることを、私は理解しました。また、地球の創造としての彼の役割を理解した、というより思い出しました。彼の使命は世界に愛を教えるために来ることでした。この知識は、記憶する以上のものでした。事々が地球での私の人生の遥か前から、私に戻ってきていました。その事々は、私の誕生の時に、忘却という“ベール”によって、私から故意にブロックされていたものです。
沢山の疑問が私から湧き起こると、私は彼のユーモアのセンスも判ってきました。ほとんど笑いながら、もっとゆっくりしても、知りたいことを全部知ることはできるのだと示唆しました。でも、私は初めから終わりまで全部を知りたいと望みました。私の好奇心はいつも、両親と夫への苦痛-時には自分への苦痛でしたが、今や、それは祝福でした。そして、私は学びの自由にゾクゾクしました。私は、熟達の師から教えられたのです。私の理解力は一瞬に大量のものを理解できる程のものでした。あたかも、一冊の本をちらっと見て理解できるようなもので-私がくつろいでいる間に、本が私のために前に後ろに、中に外に、すべての詳細を、すべてのニュアンスや可能性をも示唆して、私に教えてくれるようなものでした。すべてが、一瞬にして、です。一つのことを理解すると、沢山の質問と答がやってきて、お互いのつながりのすべて、相互作用など、すべての真理が本質的に繋がっているかのように、私にやってくるのです。“全知”という言葉は、過去、私にとって決して意味深い言葉ではありませんでした。知識が私に充満しました。感覚で、それはやってきて、単にそれを熟考するだけで、宇宙の不思議を理解する私の能力を喜びました。

私は何故多くの教会が世界にあるのかを知りたいと望みました。何故神はたった一つだけの教会、一つの純粋な宗教だけを与えなかったのでしょうか?答は最も純粋な理解としてやってきました。私達の各々は霊的な発達や霊的な理解で異なったレベルにあるのですといわれました。ですから、個々の人は霊的知識の異なったレベルを用意されています。地球のいろいろな宗教は、それらが教える人々がいるから必要なのです。一つの宗教の中にいる人々は、主の真理の完璧な理解は持てないかも知れず、また、その宗教にいる間は決して持てないでしよう。しかし、その宗教は更なる知識への踏台石として利用されます。個々の教会は、他では多分満たすことができない霊的な要求を満たしてくれます。すべてのレベルですべての人々の必要なものを満たせる教会はないのです。個人が神についての理解と自分の永遠のプロセスについて理解できるレベルにあがると、彼は彼の現在の教会に不満を感じ、欠けている所を満たせる個となった哲学や宗教を捜すかもしれません。これが起こると、彼は理解の別のレベルに到達し、更に深い真理と知識を熱望し、そして成長する他の機会を切望するでしょう。この道のどの段階でも、生るべき新しい機会が与えられるでしょう。

この知識を受け取ると、私は、私達はどんな教会もどんな宗教も批判する権利は持っていないと知りました。それらは、その視点では、すべて貴重で重要なものです。重要な使命を持つ特別な人々は、彼らが触れなければならない、すべての国々、すべての地域に、人生のすべての段階に置かれています。ここに、真理の完全さがありますが、ほとんどの人々はここに達していません。この真理を把握するために、私達は霊に耳を傾け、エゴを掴んだ手を放す必要があります。

私は地球での人生の目的を学びたいと望みました。私達は何故ここにいるのでしょうか?私はイエス・キリストの愛の中でくつろいで居て、私は、何故どの霊も自発的にこの素晴らしい天国、すべてが与えられている-探査すべき世界、創造する理想、選られる知識を離れていくのか想像することができなかった。何故、だれもがここに来たいと願うのでしょうか?答の中で、私は地球の創造を記憶しました。私の眼の前で、実際にそれが再び起こったかのように、地球の創造を経験しました。これは重要でした。イエスは、私に、この知識を本質化することを望みました。彼はこの創造が起こった時に、私がどう感じたのかを知ることを私に望んだのです。そして、これが、私がそれを再び見て、前に感じたことを感ずるための唯一の方法なのです。

死ぬ前の世界での霊としての、すべての人々は、地球の創造の中で一部を占めていました。私達はその一部であることに震えました。私達は神と共に在ったのであり、彼が私達を創造したこと、私達が神自身の子供であったことを知っていました。神は私達の進化を喜び、私達の一人一人のための、絶対の愛で、満されました。また、イエス・キリストもそこに居ました。驚いたことに、私はイエスが神から離れた存在であり、彼自身の神聖な目的を持っていることを理解しました。そして、神が私達お互いの父であることを知りました。

私のプロテスタントの教育は、私に、父なる神とイエス・キリストは一つの存在であると教えました。私達すべてが集められ、教父はある時期に地球に来たものが、私達の霊的な成長を推進するのだろうと説明しました。地球にやって来るべきだった個々の霊は、私達を支配する死の法則も含めて、地球での条件を計画するのを手伝いました。これは私達が知っている物理の法則、肉体の制限、接近できる霊的な力も含んでいました。ここにある植物や動物生命の発達にも私達は神を助けました。すべてのものが、それが物質的なものとして創造される前に、霊的なものとして創造されました-太陽系、太陽、地球、星、惑星、惑星上の生命、山、河、海、その他です。

私はこのプロセスを見ました。そして、救い主によって、霊的な創造が写真のプリントになぞらえて説明されて、それを遥かに超えて理解しました。霊的創造は、鮮明で素晴らしいプリントのようであり、地球がその暗いネガのようなものです。この地球はその霊的な創造の美と栄光の陰でしかありませんが、しかし、私達の成長のために必要なものです。私達すべてがここで、私達の条件を創り出すのを手伝っていたことを理解したのは重要なことでした。

多くの時、私達の人生で持つ創造的な想念は、見たことのないインスピレーションの結果です。重要な発明、技術的な開発の多くは、霊的な天才の中の、霊のなかに最初に創造されました。この時、地球上の個人が、ここでこの発明を創造するインスピレーションを受け取りました。私は霊の世界と死ぬべきものの世界の間に、活発で、動的な結びつきがあること、そして私達の進化のために、もう一方で霊を必要とすることを理解しました。私はまた、彼らができる方法で私達を支援することで幸せなのだと判りました。

私は、死すべき世界以前の世界で、私達がそれを知っており、人生での使命を選んでいたことが判りました。人生での立場は、その使命の目的に基づいていたことも理解しました。神聖な知識を通じて、私達は自分達の試練や経験の多くが何のために在り、私達がそれに従うように準備したのかを知っていました。私達は、他の人々-家族メンバーや友達-自分達の使命を達成するのを助けるために結びついたのでした。私達は彼らの助けを必要としました。私達は、神が私達のために創造したものをすべて学び経験するのに熱心な、ボランティアとしてやってきたのでした。私は、ここにくることを決めた私達の一人一人が異なった霊でした。ここの私達の中で最小の発達しかしていないものでも、力強よく、そして違ったものとして、存在したのです。

私達はここで、私達自身のために行動する代理者を与えられたのです。私達自身の行動は自分の人生のコースを決定し、いつでも、自分の人生を変更したり、方向を変えたりできます。私は、これは非常に厳しいと理解しました;神は、私達が彼に聞かないかぎり、私達の人生に干渉しないということです。そして、その時、彼の全知な知識を通して、私達の正しい望みを遂げるのを助けてくれるでしょう。私達の自由意志を表現する、そしてその力を試すために、これができることに感謝すべきでした。このことは、私達一人一人に、大きな悦びを得ることを選択することも、悲しみをもたらすことを選択することも許すでしょう。この選択は、私達の決定を通して自分のものになるでしょう。

私は、実際に、地球が私達の自然な故郷ではなく、私達はここで発生したのではなかったことを発見して楽になりました。私は、地球は私達の学びのための一時的な場所であり、罪は私達の真の性質ではないことを見て悦びました。霊的に、私達はいろいろな光のレベル-それが知識です-にあり、それは、良いことをしたいという望みで満ちた神聖で霊的な性質によるものです。しかしながら、私達の地球的な自己は、常に私達の霊に反対しています。肉的な身体(肉体)が如何に弱いものか、私は判りました。しかし、肉体はしつこいものです。私達の霊的な身体(霊体)は光、真理、そして愛に満ちており、霊体は常に肉体を負かすために戦わねばならず、霊体はこうして強くなるのです。真に発達した者は、肉体と霊体の間に完全な調和、平穏で祝福し、他の者を助ける能力を与える調和、を見出します。
この創造の法則を守ることを学ぶと、自分を良くするために、その法則をどう使うかを学びます。私達は周囲を取り巻く創造の力と、どう調和して生きるかを学びます。神は、私達の必要に合わせて、個々の才能を、あれを多く、これを少なくと、与えてくれています。これらの才能を使って、どう仕事をするかを学び、法則を理解して、人生の制限を乗り越えることを理解します。この法則を理解することで、自分を取り巻くものたちに奉仕するのが上手くなります。死すべきものの世界で、私達がなったどんなものでも、他のものの利益にならない限りは意味が在りません。私達の贈り物や才能は私達がする奉仕を助けるために与えられるものです。そして、他のものへの奉仕の中で、私達は霊的に成長するのです。

とりわけ、私は愛が至高のものだと示されました。本当に、愛なくしては、私たちは何もないものだと判りました。私達はここでお互いに助け合い、相手を心配し、理解し、許し、相手に奉仕をし合わねばなりません。ここでは地球上に生まれたすべての人に愛を持つべきです。地球に生まれた人々の形態は、黒、黄色、茶色、ハンサム、醜い、痩せている、太っている、富んでいる、貧しい、知的、無知などであるかも知れませんが、これらの外観で判断すべきではありません。個々の霊は愛と永遠のエネルギーに満ちた能力を持っているのです。始めは、完全に進化した光と真理の、ある程度のレベルのものを、各々が所有しています。私達は、それを測ることなどできません。ただ、神のみが人の心を知り、神のみが完全に判断できるのです。神は私達の霊を知っています;私達は霊の一時的な強さや弱さを見られます。私達の制限から、人の心の中を見ることはほとんどできません。

私達は、愛が骨折り甲斐のあるものだということを示せるものをいくつか知っています;笑顔、激励の言葉、小さな犠牲的な行為などです。私達はこれらの行為によって成長します。すべての人々が、愛すべきものではありません。しかし、私達が愛するのが困難な人を発見する時、それは、私達自身の中で、好きでないものを思い出しているからだというのがしばしばあります。私達は敵を愛して-怒り、憎しみ、羨み、不愉快、許すことへの拒絶を解き放つべきです。これらの物事は、霊を破壊します。私達は他の人々にどう対処するのかを考慮にいれなければなりません。

創造の計画を受け取り、私達は悦びに胸が高鳴り、神の愛に満たされました。私達がここ地球で得た成長と、お互いと創造した悦ばしい結合を見て、私達は喜びに満ちました。

その時、私達は地球が創造されたのを見つめました。私達は、私達の霊的な兄弟姉妹がかわるがわる地球の肉体の身体に入り、個々の苦しみや悦びの経験が彼らの進化を助けるのを、私達は見つめました。私は、アメリカのパイオニア達が大陸を横断し、困難な仕事に耐え、彼らの使命を達成して喜んでいるのを見つめたのをはっきり覚えています。私は経験を必要としたものだけが、それをしたのだと知りました。この試練に耐え、成功したもののために悦び、失敗したもののために悲しむ、天使達を見ました。幾つかは彼らの弱さゆえの失敗でしたし、いくつかは、他のものたちの弱さゆえの失敗だったのも知りました。そこに居なかった私達の多くはその仕事に耐えられなかったことを、私達はとても嫌なパイオニアを造りだし、他の人々にとって、私達がより多くの苦しみの原因だったのでした。同様に、パイオニアや他の時代からの人々の一部は、今日の試練には耐えられないでしょう。私達は、存在することが必要な場所に、存在しているのです。

これら物事のすべてが私にやってきた時、私はこの計画の完成を理解しました。私は、私達のすべてが世界の立場と状況のためにボランティアをしており、一人一人が、自分が知っている以上に助けを得ていることを理解しました。私は、地球的な愛を超えた、すべての彼の子に対して彼が放射している、神の無条件の愛を知りました。私達を助けるのを待って、私達の完成と悦びを喜びながら、近くに立っている天使を見ました。とりわけ、私は、イエス、地球の創造であり救い主、私の友、そして、私達の誰もが持てる最も近い友を見ました。私は彼の腕の中に抱かれて-最後の故郷という慰めの中で-悦びに、自分が溶け出したように想われました。再びその愛で満たされるためなら-彼の永遠の光の腕の中で抱擁されるためなら、私は力のすべてを、私がかつてそうだったすべてを差し出すでしょう。

07 法則

私は依然主の存在の下に、彼の光の温かさを受けて居た。何か特別な場所に、私を取り巻く空間に、他の存在には気付いていませんでした。彼は、私が見たことのすべてを、見ていました;本当に、彼は私が見て理解したことのすべてを、私に与えました。

私が彼の光の中に留まり、質問と回答が続きました。私達の間の対話は、実際に、存在のすべての面がカバーされるように見えること路まで、速度と広がりを増大しました。私の心は、ここで、私達に与えられた法則に再び戻り、彼の知識が私の中に注ぎ込まれ始めました。私と分かち持っている喜びの、彼の部分に紛れもない幸せを感じました。

私は私達が支配されている、多くの法則-霊的な法則、物理の法則、普遍的な法則-があるのを見ました。それらのほとんどに、私達はうすうす感じているだけです。これらの法則は、一つの目的を満たすために造られ、すべての法則は互いに補完関係にあります。私達がこれらの法則を認識し、その肯定的(ポジティブ)、否定的(ネガティブ)な力を利用する方法を学ぶと、人間の理解を超えた力へのアクセスを持てるでしょう。これらの法則の一つを破り、自然の秩序に反抗する時は、私達は罪を犯しているのです。

私はすべてのものごとが、霊的な力によって創造されたのを見ました。創造の個々の要素、個々の粒子は、その中に知性を持ち、その知性は霊と生命に満ち、そして楽しみを経験する能力を持っています。個々の要素はそれ自身に独立に活動し、それを取り巻く法則と力に呼応するのです;神がこの要素に語りかける時は、それらは呼応し、神の言葉に従うことを喜ぶのです。救い主が地球を創造したことは、創造の自然の力と自然の法則を完了しているのです。

私達を支配している法則に正しく生きることによって、私達は更に祝福され、更に多くの知識を受け取ることになるのを、私は理解しました。しかし、また、この法則を破る“罪”は、その時までに達成していたもののすべてを弱め、破壊する可能性もあることも理解しました。罪に関連する原因と結果が存在します。私達は、自分が委ねた行為を通して、自身のための沢山の罰を造り出します。

例えば、仮に環境を汚染するならば、これは地球に対する罪であり、私達は、生命の法則を破り、自然の成り行きを刈り取らねばなりません。その行為の為に、私達は肉体的に弱くなったり、死んだりするかもしれません。過食とか減食、運動不足、薬物悪用(肉体の組織と調和しないどんな物質の使用をも含めて)というようなこと、そして他の肉体的に衰弱させる行為などの、肉体への罪があります。私達は自分の肉体に対する責任があるのです。

個々の霊がその肉体の所有権を与えられるのを見ました。私達が滅びるものとして生きている間、私達の霊は肉体を、その食欲や激情を服従させるように制御するのです。霊の中からくるすべてのものは、肉体の中に顕現されますが、しかし、肉体と肉体に付属するものは、霊の意志に反して霊を侵害することはできません。つまり、選ぶのは私達の中の霊です。

支配しているのは霊なのです。死する存在なれる筈の完璧さを実現するために、私達は心、肉体、そして霊を完全に調和させることが必要です。霊において完全になるには、その調和に、救世主的な愛と公正さを加えなければなりません。

私の全霊は、それらの真理が私にやってきた悦びに、叫びたくなりました。私はそれを理解し、イエスは彼が私に示してくれたすべてを私が理解しつつあることを知っていました。私の霊的な眼は、もう一度開かれ、そして、私は神が多くの宇宙を創造し、その中で神が各々の要素を制御していることを見ました。神はすべての法則、エネルギー、物事に対する権限をもっています。

私達の宇宙には、ポジティブなエネルギーとネガティブなエネルギの両方が存在し、両方のタイプのエネルギが創造と成長のために欠くことのできないものです。これらのエネルギーは知性を持っており、それらが私達の意志を実行します。それらは自発的な召使いです。神は両方のエネルギーへの絶対的な力を持っています。

ポジティブなエネルギーは、根本的に私達が以下のように考えるもので:光、良いこと、親切、愛、軟体、慈善、希望等々です。そして、ネガティブなエネルギーは次のように考えるもので:暗闇、憎しみ、恐れ(悪魔の最大の道具)、不親切、偏狭、自分本位、失望、落胆等々です。

ポジティブとネガティブのエネルギーはお互いに反対して働きます。私達がこれらのエネルギーを内部に持っている時、それらは私達の召使いになり出します。ポジティブはポジティブを引き付け、ネガティブはネガティブを引き付けます。光は光に執着し、そして暗闇は暗闇を好みます。

もしも、私達がほとんどポジテイブとか、ほとんどネガティブになるとすると、私達を好きなほかの人たちと集まり始めます。しかし、ポジティブにもネガテイブにもなる選択権を持っているのは、私達なのです。ポジティブな想念を思う、また、ポジティブな言葉を話すことによって、簡単に私達はポジティブなエネルギーを引きつけます。

このようなケースがあることが判りました。異なった人々の周りを囲む、異なったエネルギを見ました。一人の人の言葉が実際に彼の周りのエネルギー場にどのように影響を与えるかを見ました。まさしく、言葉そのもの-空気中の震動-は、一つのエネルギーのタイプ或いは他のものを引き付けます。一人の人の望みは、同様な結果を与えます。

私達の想い(想念)に力があるのです。私達は、自分の考える想いによって、自身の環境を作り出します。肉体的には、かなりの時間がかかるかもしれませんが、霊的には、それは瞬時です。もしも、私達が自分の想いの力を理解したら、私達はもっと密接にそれらの想いを監視するでしょう。もしも、私達が言葉の恐ろしいほどの力を理解したら、ほとんどの何かネガティブなものには、むしろ沈黙するでしょう。

私達の想いや言葉の中で、私達は自分の弱みと強みとを創り出します。私達の制限と悦びが心の中で始まります。私達はいつでも、ネガテイブとポジティブを置き換えることができます。

私達の想いが、この永遠のエネルギーに影響を与えることができるので、私達の想いは創造の源なのです。すべての創造は心の中で始まります。想いが最初にありき、です。才能を与えられている人々は、彼らの想像力を使って、新しいもの-素晴らしいものと恐ろしいものの両方-を想像することができます。

ある人たちは既によく開発された空想(イマジネーション)の力を持って、地球にやってきました。私は、彼らの幾人かが、ここで、その力を誤用するのを見ました。幾人かは、ネガティブなエネルギーを有害なもの-破壊できると言う項目や言葉-を創り出すのに使いしまた。

他の人々は、彼らの空想をポジテイブな道に向け、彼らを取り巻くものをより良くしています。これらの人々は、真に悦びと祝福を造り出しています。これらは、心の創造における、文字通りの力です。想いは行為なのです。

人生は空想の中で、ほとんど完全に生きられるのだと言うこと、皮肉にも、空想は現実への鍵であったこと、を私は理解しました。これは、私には、決して想像できないことでした。人生を完全に生きるために、それを豊かに生きるために、私達自身の創造:それらが新しい想い、ものごと、感動、経験であろうと、その中で悦びを発見するために、ここに送られるのです。

私達は、自分の人生を創造し、私達の与えられた能力を実行して、成功と失敗の両方の経験をするべきです。私達は、自分の人生を広げて大きくする自由意志を使用すべきです。

これらの理解のすべてと共に、私は、愛が最高のものであることを、再び理解しました。愛が支配しなければなりません。愛は常に霊を支配し、霊は心と肉体を仕切るために強くならなければなりません。私はいたる所で、愛の自然的な秩序を理解しました。始めに、私達は、“創造”を愛さねばなりません。これは私達ができる最も偉大な愛(私達は創造に逢うまで、それを知らないかもしれませんが)です。

次に、私達は私達自身を愛さねばなりません。自己愛の感情無しで、他の人に感ずる愛は、偽りのものです。

その次に、自分と同じようにすべての他のものを愛さなければなりません。私達は、自分自身の中に救世主の光を見るように、他のものの中にも、また、それを見ているのでしよう。そして、彼らの中にある、神の部分を愛さないことなどできなくなるでしょう。

救い主の輝きと絶対の愛の中に居て、私は子供の頃に、彼に恐れを抱いた時に、私は実際に彼から自分を遠ざけたことに気付きました。神が私を愛していないと想った時、私は彼から私の愛を離していました。神は決して動きません。神は私の銀河の中の太陽のようなものだと、今、私は判りました。私は、時には近く、時には遠く離れて、神を廻って動きましたが、しかし、彼の愛は決して途切れることはありませんでした。

他の人々が、彼らに対して私が何のにがにがしさや非難をも感じていないにもかかわらず、どうやって神からの私の距離を測ったのかを理解しました。

私ににらみをきかしている男性や女性が、ネガティブなエネルギーに祈り始め、恐怖を通して、神への信頼を教えてくれたのを見ました。彼らの目的はポジティブでしたが、しかし、彼らの行為はネガティブでした。彼に自身の恐怖の理由から、他のものを制御するのに恐怖を使っていました。

彼らは、神への信頼をもつ自分たちの、下に入るものたちを、“神を畏れるか、それとも地獄に行くか”と脅かしました。これは、本当に愛する神から私を妨げました。

私は恐怖が愛の対極であること、悪魔の大きな道具であることを、再び理解しました。私が神を畏れていたので、真に神を愛せなかったし、愛せない神の中にいることもできず、自分自身や他の人々を純粋に愛することもできませんでした。愛の法則は破られていました。

キリストは私に笑いかけつづけました。彼は、この経験での私の興奮する学びでの、私の悦びを喜んでくれました。

今、私は実際に、神と言うものが存在することを知りました。もはや、普遍的な力の存在を信じていなかったとしても、今や、私はその力の背後にいる、その男の人を見ました。宇宙を創造し、その中にすべての知識を配置した、一つの愛すべき存在を私は見ました。彼はこの知識を支配し、その力を制御するのを見ました。

神は、私達が彼のようになることを望んでいるということ、神が、自らと同じ品質で私達を装ってくれたことを、純粋な知識で、私は理解しました。その品質とは、例えば、空想と創造の力、自由意志、知性、ほとんどすべての愛への力などです。

私は、神が実際に、天のそれらの力を引き出すのを、私達に望んでいること、それをすることができるという信念によって、私達はそれができることも理解しました。

08 癒し-そして臨終

この理解の流れは、救い主の存在のもとに、一つ一つ、真理の一つ一つの要素について避けられることなく次へと進みつつ、ひとりでに進みました。宇宙での、神の権威に従う二つの主要なエネルギーについて学んだ後、私は、これらの力がどのように私達に肉体的に影響するのかを知りした。霊と心が肉体に強大な影響を及ぼすことを思い出しつつ、私達が、文字通り、自分の健康に効果を与える力を持っていることを知りました。

私達の個々人の中にある霊は力強いこと、肉体に病気を防ぐために力を与えること、或いはまた、肉体が一度病気になると、肉体を治癒させることも知りました。霊は心を制御する力を持っており、心は肉体を制御します。しばしば、この原理を熟考して、私は次の聖書の言葉を思い出しました:
“彼は、心の内で勘定する人のように.”(ソロモンの箴言二三の七)

私達の想いは私達の周りに、ポジティブかネガティブのエネルギーを引き出すための異例な力を持っています。想いがネガティブで引き出されると、結果は、肉体の防衛力を弱めます。この異は、ネガテイブな想いが私達の中心を占めている時には、特に真実です。私達は、失意の状態にある時に、最も自己中心的になることも、私は理解しました。

何ものも、私達の自然の力と健康を、長い失意の状態に、弱らせることはできません。しかし、私達が、自分を自己から離そうと努力し、他者の要求に集中して、それにどう奉仕するかに努力する時は、私達は回復し始めます。奉仕は霊と肉体の両方にとっての、一つの癒し剤(鎮痛剤)なのです。

すべての回復は内部から起こります。私達の霊は肉体を癒します。お医者さんの確かな腕は、手術をするかもしれませんし、薬は健康への理想的な環境を用意するかもしれませんが、しかし、その時、回復をもたらすのは、霊なのです。霊の存在無しに、肉体は回復されず:長生きもできません。

私は、肉体の細胞が生命を無限に用意するように設計されたのを示されました。その生命が終わらない限り、細胞は自分を複製して、効果が無くなったり、損害を被ったりした古い細胞と置き換えることを、最初にプログラムされたのです。

しかし、何かがそれを変えました:そのプロセスがなんであったのか、私には正確には示されませんでした。しかし、”死“が、エデンの囿に死ぬべき性質を導入したのを理解しました。そして、エデンの園があったこと、そこでの決定が、死ぬべき性質の中で永遠の生命を創り出すことを不可能にする条件を造りだしたことをも、私は示されました。

私達の肉体は“死ななければ”なりません。しかし、回復できないほど細胞が年老いても、依然、私達の中には、信頼とポジティブエネルギを使う力があります。私達は、神の意志がいつも癒しに関与していることを覚えていなければなりません。

私の人生での病気の多くは失意や愛の無いことへの感情の結果でした。私は、自分がしばしば、“あぁ、私の痛みと苦しみよ”“私は愛されていない”“私の苦しみを見てよ”なとど言う、ネガテイブな“独り言”を発していたことに気付きました。突然、私はこれらの申し立てのすべての中に、“私” “私” “私” を見ました。私は、自分の自己中心性の高さを知りました。

私は、それらの言葉を自分のものだと叫ぶことで、この否定論を主張しただけでなく、扉を開いて、それらを自分のものとして受け入れたのでした。その時、私の肉体は、一種の自己実現的な預言:“ああ、悲しいかな”で生きており、それは肉体の中で、“私は病気”と翻訳されていました。以前に、この考えを決して持ってはいませんでしたが、しかし、今は、自分がその問題の一部であったことを、明確に判っています。

ポジテイブな独り言は癒しのプロセスを開始することを理解しました。私達が、病や問題を一度確認したら、その療法を言葉にするのを始める必要があります。病気への想いを心から取り除き、言葉を想いの力に加わるようにしながら、治癒に専念することが必要になります。

このことは、私達を取り巻く知性の中に興奮を誘い、その時、知性は行動を起し、私達を回復させるように働きます。この振動は祈りの中で、最も効果を上げられると理解しました。私達が回復されるのが正しいことならば、神は、その時、その癒しプロセスの中で私達を援助するでしょう。

病気や問題の存在を否定することはできません。私達は、ただ、それを取り除くための私達の神聖な権利を脅かすものを否定すべきです。私達は、見ることによってではなく、信念で生きるべきです。見ることは認識、解析する心と連座しています。見ることは純理的に行動し、正当化します。信念は霊によって支配されています。

霊は情緒的であり、容認であり、内面的です。そして、別の属性と共に、信念をうる方法は、それの使用法を実施することです。自分の持っているものを使用することを学ぶなら、私達はもっと沢山のものを受け取るでしょう。これが、霊の法則です。

信念を開発することは、種を植えるのと同じようです。私達の種の幾つかが、道端に落ちても、それでも、いくらかの収穫をうるでしょう。信念のどんな行為も、私達に恵みを授けるでしょう。そして、私達が上手になればなるほど、(実行すれば上手になるでしょうし)信念の収穫はますます大きくなるでしょう。すべてのものは、その後に、自身の種を創り出すのです。これも、また、霊の法則です。

今、私は本当に肉体の上位にある霊の力を理解し始めました。そのレベルでは、私達のほとんどが気付いていない、霊の機能を私は見ました。もちろん、私の心が私の想いを創り出していること、私の肉体が私の行為を実施することを、私は知っていましたが、しかし、霊は私には不思議なものでした。

今、私は、霊がほとんどの人々にとって、不思議なものであることを理解しました。霊は、一般に、心さえそれを知らないで、機能することを理解しました。霊は、神からの知識と識見を受け取る受信機であり、神と意志疎通をします。

私がこの異を理解したのは重要でした。そして、これが私達の肉体の中で、蛍光燈の様にあらわれてくるのだろうと、私は心に画きました。光が輝くと、私達の中心部は光と愛に満たされます:このエネルギが肉体に生命と力を与えるのです。

私はまた、その光が弱くされると、霊はネガティブな経験-愛の欠如、暴力、性の誤用、他の破壊的な経験を通して弱まります。霊を弱めることによって、これらの経験は肉体をも弱めます。肉体は、病気にならないまでも、霊が再充電されるまで、より動かされ易くなります。

私達は、神への信念を持ち、他のものへ奉仕し、そして、ポジティブや想いを通して、単にポジテイブなエネルギーに自分自身を開くことにより、自分の霊を再充電できます。私達はそれを制御します。エネルギーの源は神であり、常にそこにありますが、しかし、私達は神にダイアルを合わせなければなりません。私達の生活で、神の効果を楽しみたければ、神の力を受信しなければなりません。

驚いたことに、私は私達のほとんどが、苦しむために病気を選択しており、場合によっては、その病気が私達の人生を終わらせることを知りました。時には、癒しは直ぐにはやってこないか、または決してやってきませんが、それは私達の成長に必要だからです。

すべての経験は、私達にとって望ましいもので、時には、私達の霊を発達させるのを助けるために、ネガティブな経験をすることを考えることもあります。私達は、自分たちの不快感、病気、私達自身を霊的によりよく助けるためにここに起こる出来事のすべてを、霊が受け入れてくれるので、非常に自発的で、むしろ熱心でした。

霊の世界では、地球時間は無意味であることを理解しました。地球で私達が経験する苦しみは、ちょっとした時間ですが、霊の世界では一病にも満たない一瞬の意識でしかなく、私達は進んでそれに耐えられます。

私達の死は、私達の成長を助けるために、しばしば計算されています。例えば、ある人がガンで亡くなった時、しばしば、彼に、他の方法では与えられえない、成長の機会を与える、長い苦しい死を経験するでしょう。

私の母がガンで亡くなったことを理解しました。そして、それまではなかった方法で、彼女は、死ぬまで自分の家族たちと、互いに影響をし合ったことを、私は理解しました。関係は改善され、癒されたのでした。彼女は死の結果として、成長したのでした。ある人たちは、他の人を助ける方法での死を、選びました。

例えば、道路に踏み出して、よっぱらいドライバーにひかれるような死を選んでいたかもしれません。これは、私達には恐ろしいことですが、しかし、神の純粋な知識では、彼の霊はこのドライバーを後のより大きな苦悩から救うのだと知っていました。

ドライバーは一週間後に再び飲まされ、一団の子供達に衝突し、かたわにし、必要異常の大きな苦しみと悲惨の原因を造るかもしれません。しかし、彼は地球での目的を完全に果たした人を跳ねたことで監獄にいたので、それから防がれたのでした。

永遠の洞察の中で、不必要な苦しみは、若い子達には加えられずにおかれ、そして、一つの経験がドライバーに始められたのかもしれません。

永遠に私達に影響を及ぼすような特別な物事では、私達が想像するよりも、事故は遥かに少ししかありません。神の手と、ここにやってくる前に私達が選んだ道は、私達の決断の多くを指導し、見せ掛け上、ランダムな経験を私達は持つのです。それらのすべてを識別しようとする試みは実を結びません。しかし、目的のために、それらは起こるのです。

離婚、突然の解雇、暴力の犠牲などという経験ですら、極限的には私達に知識を与え、私達の霊的な進化に貢献するかもしれません。これらの経験が苦しみであるにもかかわらず、それらは私達の成長を助けるのです。

イエスが、彼の地球での使命の間に、“…罪がやってくるのは必要に違いない。しかし、罪を来らせる者に、深い悲しみがある。”(マタイ伝十八:七)、と語った通りです。

救世主の指導で、すべての経験を潜在的な善として受け入れることが、私にとって重要だということを学びました。私の目的と人生での生活状態を受容することが私に必要でした。私に起こってくる、ネガテイブな物事を向いいれ、それらの効果を乗り越えようと試みることができました。私は自分の敵を許し、彼らを愛しさえして、自分にもたらされる悪い影響を最小限にすることができました。

私は、良い想いや、そのような言葉を捜すことができ、私自身の魂に、他のものも同様に、癒しの膏薬をもたらすことができました。私が、先ず霊的に、ついで、情緒的に、精神的に、肉体的に、自分を癒し始めるのを見ました。絶望の侵食効果を自分自身に加えない様にすることができるのを見ました。私は完全に生きるべき権利を持っていました。

悪魔の道具――私の個人的な罪と恐怖のサイクル――の一つにまとわりつく悪を見ました。私が過去を捨て去らねばならせないことを理解しました。もし、私が法則を破って罪を犯したのだとしたら、私は自分の心を変えて、自分自身を許し、先へ進むことが必要でした。

もし、私が誰かを傷つたとすると、彼等を愛すること-正直に-を始め<彼等の許しを求める必要があります。私が自分自身の霊を傷つけたとしたら、私は神に接近して彼の愛-神の癒しの愛-を再び感じることを必要とします。後悔は、それをするのと同様に易しかったり或いは難しかったりします。

私達が倒れた時には、起き上がり、塵を払い、再び動き出す必要があります。再び倒れた時には、百万回倒れたとしても、私達は行きつづける必要があります:私達は、自分が考えている以上に進化しつづけなければなりません。霊の世界では、ここでやった罪を見ることはありません。すべての経験は、ポジティブでありえます。すべては経験を学ぶのです。

私達は、決して自殺を考えてはいけません。この行為は、ここ、地球に居る間の更なる発展の機会を失う原因になります。そして、後に、この失われた機会に戻って、私達は多くの苦しみや悲しみを感ずるでしょう。ですから、上が個々の魂の判定者であり、個々の魂の試みを厳格に見る者だということを記憶することが重要なことです。

少なくとも、一つのポジティブな行為の中に、希望を捜しもとめなさい。そして、あなたが以前に失った、ぼんやりした光を見始めるかもしれません。失望は決して正当化されません。それは決して必要とされないからです。私達は、ここで、学び、経験し、間違いを犯します。

私達は、自身を厳しく判定する必要はありません:私達への他の人々の判定について心配することや、彼等のものさしで私達を測ることもなく、私達は、その時一歩人生を踏み出すことが必要なだけです。私達は、自分自身を許し、私達の成長を助けるものに感謝する必要があります。私達の最も厳しい挑戦は、私達の最も偉大な教師に、ある日、自分をさらけ出すでしょう。

すべての創造は想いで始まることを知ったし、また、法則破り、罪、失望、希望、愛など、全て私達の内部で始まるものを、創り出すことをも知ったからです。すべての癒しは内部からやってきます。私達は自分自身の絶望の螺旋を造ることができ、幸せと成就のトランポリンを造ることができます。私達の想いは巨大な力を持っています。

私達は、自分の中の力をどう使うか学ぼうとして這い回る、赤ちゃんのようなものです。それらは力強い力であり、私達自身から私達を防御している法則によって支配されています。しかし、私達が成長するにつれて、周りのすべてのポジティブなものを捜しも止めるにつれて、法則自身でさえも、ベールを脱がされるのです。私達が受け取るように準備されたものすべてを、私達は受け取るでしょう。

09 織機とライブラリ

この情報の受け取りを通して、私は、常に私を喜ばせてくれる救い主との関係と彼の知識を引き出しました。私のフィーリングへの彼の関心は、私の感情を傷つかせるようなことを、決して言ったりしたりはしないと言う、想いを抱かせていました。彼は私が理解できることが何かを知っており、私が捜している知識のすべてを私に吸収させるように注意深く用意してくれました。霊の世界では、誰もその人に用意されていないことを、無理矢理やらされたり、受け入れさせられたりして、不愉快にされることはありません。そこでは、忍耐は自然の表徴です。

私は、主のユーモアのセンスを決して忘れないでしょう。どこにも無い程、それは悦ばしく、そして素早いものでした。彼のユーモアに優るユーモアはありえないでしょう。彼は、完璧な幸せと完璧な好意に満ちていました。彼の存在する所には、柔和と気品が漂い、彼が完璧な人であることを私は疑いませんでした。私は、彼を、彼の気持ちを、彼の感情を、彼の私への関心を知りました。

私は彼の私との密接な関係を感じ、そして私達が家族であったことを知りました。彼の私との関係は、父か、年上の兄の両方の感じでした。彼は私に近づいたのですが、権威の要素もありました。彼は易しくて良い性格でしたが、責任感もありました。彼が自分の権威を誤用することはなく、それを濫用しようという望みもないとことを、確かな知識を持って、私は知りました。

依然、光に包まれて、イエスは私に微笑みかけ、私は彼の承認を感じました。彼は左を向いて、丁度そこに現れた二人の女性を私に紹介しました。直ぐ続いて、三人目の女性が現われましたが、その人は使いの途中のようでちょっとやってきただけでした。イエスは最初の二人に、私をエスコートするように言い、私は彼女たちの私と居ることの幸せを感じとりました。

私は彼女たちを見て、思い出しました:彼女たちは私の友達でした。彼等は私が地球にやってくる前の親しい友達でした。彼女たちの、再び私といることの興奮は、私の興奮と同じでした。イエスは私を彼女たちと一緒に残そうとし、私は再び彼のもてなしを感じました。彼は、“行って、いろいろと学びなさい!”と私の霊にささやいているようでした。私は、そうしたいと望むもののすべてを見る、経験する自由を与えられたと理解しました。まだ、学ぶことが沢山-消えてしまうかもしれないほど多く-あることに、スリルを覚えました。

救い主は去り、私の二人の友達が、私を抱きしめました。ここでの愛はすべてを囲みます;誰もが愛を持っています。誰もが幸せです。これらの女性とキリストの間の、愛と力の差は大きいのですが、みんなの愛は無制限なのです。みんなは心のすべてで私を愛してくれました。

そのツアヘの記憶は、部分的に私から取り去られています。私は人々が働いている大きな部屋に居たのを覚えていますが、どうやって行ったのか、外からみると建物がどんな風なのかは覚えていません。その部屋は美しいものでした。壁は、多分、薄い大理石のようなものでできており、壁を通して光が射し込み、私は壁を通して外を見ることができました。その効果は大変興味深いもので美しいものでした。

私達が人々に近づくと、彼等が大きな古代風の織機で織っているのを見ました。私の最初の印象は、霊の世界の手織り織機は“なんと古風なのだ”でした。織機の側に立って、多くの霊体たち、男性と女性がいて、彼等は私に微笑みで挨拶してくれました。彼等は私を見て喜び、私が良く見えるように、一台の織機から離れてくれました。彼等の手の仕事を私が見られるようにも配慮してくれました。

私は近寄って彼等が織っている布の一部を摘まんでみました。その外観は、織ったガラスと織った砂糖の混紡のようでした。その生地を前後に動かすと、それは、ほとんど生きているかのように、ちらちら光り輝きました。その効果は驚きでした。

この材料は片側からは不透明でしたが、裏返してみるとそれを通して向うが見えました。片方からは透明で、反対側からは不透明-二方向の鏡の一種-で、明らかに目的を持っていましたが、私はその目的が何かは教えてもらえませんでした。

仕事をしている人が、この生地が地球から霊の世界に来るものの着る着物にされるものだと説明してくれました。作業をしている人たちは、はっきりとこの仕事を喜んでいて、それを見るのを許されたことへの私の感謝の気持ちを喜んでくれていました。

私達は、織機から移動して、いろいろな珍しいものを見、素晴らしい人々を見たいろいろな部屋を通過しましたが、これらの多くの詳細な物事を思い出すのを許されていません。何日も何週間も旅したように感じますが、全く疲れはなかったのを覚えています。

私はそこで多くの人々が手で-そうすることを望んで-仕事をするのが、なんと好きなことかと驚きました。彼等はここ(霊の世界)でもそちら(肉体世界)でも他の人々を助ける装置を創るのを楽しんでいます。

私はコンピューたに似た大きな機械を見ましたが、それは非常に精巧で威力のあるものでした。この機械で仕事をしている人々も彼等の仕事をみせるのを喜んでいました。再び私は、すべての重要な物事は、先ず霊的に創造され、次に物質的に創造されるのだと理解しました。私は、以前は、その観念を持ちあわせていませんでした。

図書室に似た、他の大きな部屋につれて行かれました。見回すと、そこは知識の倉庫のように見えましたが、どんな本も見えませんでした。その時、私は、自分の心にやってくる考えに気付きました。どんな時にもどんな場合にも、私が考えたことが無い、主題に関して、知識が私に満ちてくるというものです。その時、私は、それは心の図書室なのだと理解しました。

キリストの存在について私が以前に考えたような、トピックに単に想いを巡らすと、そのトピックに関するすべての知識が私にやって来るのです。私は歴史の中での-或いは霊的な世界の中での-誰についてでも、完全に詳細に、学ぶことができました。

私から保護された知識は何もありません。すべての想い、すべての言葉、知識のすべての部分を正しく理解しないでいることは不可能でした。ここでは、絶対に、誤解はありませんでした。歴史は純粋でした。理解は完璧でした。人が何をしたのか、何故それをしたのか、それがどのように、他の人々の現実の知覚に効果を及ぼすのかを、私は理解しました。

個々の角度からの、ここの可能な知覚からの、そのような主題にふさわしい現実を:そして、そのすべてが、地球では理解できない出来事や一日度や原理などに、全体性をもたらしたのを、私は理解しました。

しかし、これは知性のプロセス以上のものでした。人々がこれらの好意をする時に何を感ずるのかを感じとることができました。私が彼等を生きることができるので、彼等の苦しみ、悦び、興奮を理解しました。この知識の幾つかは、私から除かれましたが、全部ではありません。私は、理解するのが重要だった、歴史上の人物や出来事を教えてくれた知識に喜んでいます。

私はまだ、この素晴らしい世界で、信じられない世界でもっと多くの経験を望み、私のエスコートたちは喜んで私を助けつづけてくれました。私に与えるのが彼女たちの悦びであり、そして、ある種の興奮をもって、私を庭に連れ出しました。

10 ガーデン

私達が庭に出て行くと、遠くに、山々、険しい谷、川が見えました。エスコートは私を去り、私は一人で行くのを許されました。恐らく、他のものの存在に邪魔されずに、庭のすべての美を経験するためです。庭は木々、花々、植物に満ち、それらは、あたかも正確に、どのようにどこにあるべきかを予定されていたかのように、必然に思えるように置かれていました。

暫くの間、草の上を歩きました。新鮮で、涼しそうに、輝く緑であり、私の足の下で生きている感触でした。何ものよりも、庭の中で、畏敬をもって私を満たしたものは、強烈な色でした。私達は、そのような色を持っていません。

物質世界では、物体に光があたると、確かな色で、その物体に反射してきます。無数の影ができます。霊の世界の光は、何ものにも反射する必要がありません。光は内部から発して生命の本質を現わします。無数、無限の色ができます。

例えば、花は色があり、活き活きと発光しており、それが固体あるとは思えない程です。個々の植物の強烈な光のオーラのせいで、植物の表面がどこからどこまでか定かに見えません。植物の部分、個々の顕微鏡的な部分が、それ自身の知性で作り上げられているということは明らかです。これは、私がそれを定義するのに最も良い言葉です。

どの微少な部分も、それ自身の生命で満たされ、他の要素と共に、存在のどの部分をも創り出すのだと認識されます。花の中に今存在している同じ要素が、後に別なものの部分になって生きるかもしれません。それは、私達が持っているような霊を持っていませんが、知性や有機体を持ち、神の意志と他の普遍的な法則に反応します。これらのすべては、読者のあなたがそこに創造を見るように、明らかであり、特に花の中でそれは明らかです。

美しい川が庭のそう遠くない所を流れていました。私はすぐそれに惹かれました。川が大きなカスケード型の瀧にきれいな水を供給しているのが見えました。そこから出だ、川の水は池に注いでいました。水は透明さと生命をもってきらきらと輝きました。

生命。それは水の中にもまた、在りました。瀧からの滴の行ってきも、自身の知性と目的を持っていました。荘厳な美のメロディーが瀧から運ばれ、庭中に満ち、時として、今私がほんの微かに気付いたメロディーと重なり合いました。音楽は水そのもの、その知性からやってきました。個々の水滴がそれ自身の調子とメロディーを造りだし、メロディーは他の乙矢、それを取り巻くひずみと混じり合い、干渉し合いました。

水はその生命と悦びのために神を称えていました。全体の効果は物質世界でのオーケストラや作曲者の能力を超えているようでした。比較していえば、私達の最も良い音楽は賃丼遊びの子供のような響きでしょう。簡単に言うと、霊の世界での音楽の広さと強さを理解し、それを創り出し始めるだけの容量を私達は持っていないのです。水に近づくに従って、これは、聖典に書かれた“生命の水”であるに違いないという想いがやってきて、私は水に浴したいと望みました。

水に近づくと、他の花からはなれて立っているように見えた、私の近くのバラに気がつきました。私はそれを調べたくて止まりました。その美しさは息を呑むようでした。そこのすべての花の中で、このバラほど私を捉えたものはありませんでした。それは微かな音楽に合わせてやさしく揺らぎ、それ自身の甘い調子で、主を称えて歌いました。

その花が実際に成長するのを見られると理解しました。それが私の目の前で進化すると、私の霊は動かされ、私はその生命を経験したい、側に行って、その霊を感じたいと望みました。この想いがやってくると、それを見下ろせるようになりました。私の視力が顕微鏡的になり、バラの最も深い部分まで浸透できました。しかし、それは視覚経験以上のものでした。実際私がバラの内部にいるかバラの一部であるかのように、私は自分の周りにバラの存在を感じました。私は自分が花になったかのような経験をしたのです。

他のすべての花を音楽に合わせて揺らしているのを感じました。そして、バラが自分自身の音楽を創り出しているのを感じました。それは、それに参加する無数の他のバラたちと完全に調和したメロディーでした。私の花の中での、その音楽がバラの個々の部分からやってきているのを理解しました。その花びらは自身の調子を造り出し、それらの花びらの中の知性がその完全な調べに加わり、全体の効果-それは喜び-に調和的に働くのを理解しました。私は再び絶対的な悦びに満ちました!植物の中に、私の中に神を感じ、神の愛が私達に注がれているのを私は感じました。私達すべてが一つでした!

私は私だったバラを決して忘れないでしょう。この一つの経験、つまり、霊の世界で、他のすべてのものと一つであるという、まさに、輝き光る大きな悦びは、私がそれを永久に大事にするほど大きなものでした。

11 パーティ

庭に入ると、一団の霊達がやってきた。多くの霊達は今や、多分、場合と場所の霊たちを示す、柔らかいパステルのガウンを着ていました。彼等は私を取り巻き、ある種の私のための卒業パーティに集まってくれているように感じました。私は死んだ(彼等の言葉で表現すれば、卒業した)、そして彼等は私に挨拶するために、そこにやってきた。

彼等の顔は、始めて何か信じられないような気持ちのよいものをまさに楽しんでいる、一人の子供を見るかのように悦びで、輝いていた。私は、地球での人生以前での彼等全員を思い出し、彼等に駆け寄って抱き合い、お互いにキスしました。私を援助する天使達-修道士たち-が再びそこにおり、私は彼等にキスしました。

かれらの個々の霊を感じた時、私は彼等が霊世界で私を支えてくれているのを理解しました。わたしのエスコートたち、彼等は私のガイドを勤めてくれて、私が成熟前に死んだこと、これは真の卒業パーティではないこと、実際の時になったら、受ける筈のものを見せる時間だと話してくれました。

彼等は私に逢い、ガイドするのは幸せだったのですが、私が戻らなければならないことを知っていました。その時、彼等は私に、死について説明しました。

私のガイドが言った“死”に至ると、私達は他の状態への遷移以外は何も経験しません。私達の霊は肉体から滑り出て、霊領域に移動します。もし、私達の死が外傷によるものだとすると、霊は素早く肉体を去り、時には、死が起こるよりも早く肉体を去ることさえあります。

例えば、事故とか火災とかでは、大きな苦しみを経験する前に霊は肉体から抜けるでしょう。ある時間、肉体は実際まだ生きているかもしれませんが、霊は既に去り、平和な状態にあるでしょう。

死の時には、肉体が埋葬されるまでこの地球に残るか、または、私がしたように、霊が成長するためのレベルに移動するかを選択が与えられています。私は発達にはいろいろなレベルがあり、常に自分がもっとも気持ちの良いレベルに行きます。

ほとんどの霊は、短い時間、地球に残り、その人の愛した人々を慰めることを選択します。家族は死んだ人よりも大きく悲しむのです。もし、愛した人が絶望の状態に有ると、霊はもっと長く残るでしょう。

私達の祈りは、霊的な存在と地球の人の両方に利益をもたらすと聞きました。もし、死んだ人の霊に恐れがあるとか、また、移行が困難とか、移行したくないとかと信じる理由が有るならば、私達は彼等のために祈り、霊的な助けができます。

彼等は私に、肉体のなかで生きている間に、霊の知識を知ることが重要なのだと語ってくれました。私達がここ地球で知る知識が多くなればなるほど、より深く速く、そこ霊世界で進化するでしょう。知識や信念の不足から、ある霊達は事実上の地球の囚人です。

無神論者で死んだものたち、貪欲、肉欲、その他の地球的なもので、この世に縛られているものたちは、移行が困難であることを発見し、地縛になる。彼等はしばしば、達するべき信念と力に欠け、ある場合には、私達を神のほうに引っ張るエネルギーと光を認識する信念と力にも欠けるのです。このような霊は、その周りを取り巻く大きな力を受け入れ、この世界から出て行くことを学ぶまで、地球に留まります。

私が光りの中に動き出す前に真っ黒な塊の中に居た時、そのような、ぐずぐずしている霊たちの存在を感じました。彼等は、その愛と温かさの中で、その癒しの効果を受け入れることを欲するまで、そこに留まりますが、しかし、時として、神の偉大な温かさと安寧を受け入れることを学びます。

すべての知識の中で、イエス・キリストを知ること以上に本質的なものはありません。私達すべてがそれを通って戻る扉なのだと、彼は私に語りました。彼こそ、私達が通って戻れる唯一の扉なのです。イエス・キリストを地球で、或いは霊の中で、学ぶかどうかは別として、私達はしばしば彼を受け入れ、彼の愛に見を任すべきです。

庭で私の友達は、私の周りに立ち、愛に満ちており、私がまだ帰り無くないし、もっと他のものも見たいと望んでいることを理解していました。私を悦ばせようとする彼等の望みで、彼等はまだまだ沢山のことを見せてくれました。

12 多くの世界

私の記憶は以前より更に広く開かれ、地球の創造の時を超えて、永遠の過去に戻っていきました。私は神が多くの世界、銀河、私達の理解を超えた領域をも創造したことを思い出しました。そして、それを見てみたいと望みました。

その望みがやってくると、私の想念は私の力を与え、私はガーデンから動きだしました。この時、二つ別の光の存在がガイドになって私をエスコートしてくれました。私たちの霊体は、友達たちから離れて、宇宙の暗黒の中へと浮遊しました。

速度が増し、私は陽気な気分のフライトを感じました。望めばなんでもでき、望めばどこにでも行けて、速くも-恐ろしく速くも-ゆっくりとでも行けました。私は自由を満喫しました。宇宙の広大さの中に入り込み、それが、からっぽなものではないことを学びました。

それは、愛と光-神の霊の形をもった存在-に満ちていました。私は柔らかくて、悦ばしい音、私を幸せな気分にする、遠いけれども心地よい音を聞きました。その調子は音楽の一節に似て居ましたが、それは宇宙的で、私の周りにある空間のすべてに満ちているようでした。

その後にまた、違った調子の音が続くと、私はそれが、自分を穏やかにし、やすらぎを与える、果てしない宇宙の歌のメロデーだと気付きました。それらの調子は柔らかい震動を創り出し、それらが私に触れた時、癒しの力をもっていることを私は知りました。この調子に触れられたすべてのものがそれらの癒しの効果を受けることも知りました。それらの調子は霊的な慰め、破れた霊を修復してくれる愛の表現だと知りました。

私について来てくれたエスコートたちから、すべての音楽の調子が癒しになるのではないことを教わりました。つまり、それらのあるものは、私たちの中に、ネガティブな感動反応を起すことができるのです。私が地球に居た時に、私の心と肉体に病気をじっさいに創り出した、音楽の中のネガティブな調子をサタンが利用したのだと、今、私は理解しました。

この後に続く知識は、私の記憶から削除されましたが、沢山の印象は残っています。多くの、神の創造したものを訪問して、数週間、数ヶ月が過ぎたように感じました。旅の間、いつも神の愛の心地よい存在を感じていました。私は、自分がネガテイブな環境に“背を向け”、自然なことだけをしているのだと気づきました。

多くの他の世界-私たちと同様の地球たちでしたが、もっと栄光に満ち、常に愛と知を持つ人々で満ちた世界たち-を旅したのです。私たちはすべて神の子たちであり、神は私たちのために宇宙の無限の広がりを満たしてくれたのです。

私は膨大な距離を旅し、私が見た星々は地球からは見えないことも知りました。銀河たちを眺め、容易にそこに旅することができ、それもほんの一瞬で、それらの世界を訪問し、より多くの神の子たちに逢いました。彼らのすべてが、私たちの霊的な兄弟姉妹でした。そして、このすべては記憶でき、想い出せました。私は自分が以前にその場所に居たことがあると知りました。

後になって、私が自分の肉体に戻った時に、この経験の詳細を想い出せなかった時にたまされたと感じましたが、時の流れと共に、私自身のために、この忘却が必要だったのだと学びました。自分が見た栄光と完全な世界を覚えていたとしたら、生活に常に不満を持ち、自分の神が与えてくれた使命を台無しにしたことでしよう。

騙されたという感情は、畏怖の念と、この経験への深い感謝の念に路を譲りました。神は私に他の世界を見せるはずではなかったのです。神はまた、彼についての何事も想いださせるはずもありませんでした。にもかかわらず、彼の慈悲で、私に多くのことを授けてくれたのです:私たちの最も強力な望遠鏡でも決して見ることができない世界たちを見て、私はそこに存在する愛を知っているのです。

13 肉体を選ぶこと

私はガーデンに戻って、前のエスコートたちに逢いました。私は訪問した世界で、私たちの“父なる神”のようになる方向に働く、進化している人々を見て、地球での私たちの発達について知りたくなりました。私たちはどのように成長するのでしょうか?

私のエスコートたちは私の質問に喜び、地球の生命のために多くの霊が用意されている場所に連れて行きました。彼らは成熟した霊たちで、全部の体験中に私は子供の霊をまったく見ませんでした。これらの霊が、どのように望んで地球にやってくるのか、私は判りました。彼らが多くの物事を学び、彼らに欠けた属性を発達させることができる学校として、ここ(地球)での人生を見ていたのです。

私たちはすべて、ここにくることを望んだこと、実際に、その人生の中で成長できるように、多くの弱点と困難な状況を選択しているのだと、私は語られました。また、時々、自身を良くするためになる弱点を与えられることも理解しました。

主はまた、私たちに彼の意志に従って、贈り物と才能を私たちに与えてくれます。私たちは、自分の才能や弱みを他の人のものと、決して比較すべきではありません。私たちの一人一人が自分に必要なもの-それもユニークなもの-を持っているのです。霊的な弱点や贈り物の均一性など、まったく重要性が無いのです。

私のすぐ眼前と下の場所が、あたかも開く窓のように、巻き取られて、私は地球を見ました。私は物理的な世界と霊的な世界の両方を見ました。天に居る私たちの父なる神の、まさに霊的な子たちの幾つかが、この地球にやってくるのを選ばなかったのを見ました。

彼らは神と共に霊としてとどまり、そこで人々のための守護天使となることを選んでいました。また、“戦う天使”も含めて、他の天使もいることを理解しました。サタンとサタンの天使に対して、私たちのために戦うことを目的としていることを私は教えられました。私たち自身が防衛する、守護する、私たちを援助する霊たちをもつにもかかわらず、戦う天使たちが必要な時も在るのです。

彼らは祈りを通して私たちに可能になるのだと理解しました。彼らは大きな男たちで、大変筋肉質で、素晴らしい容貌でした。彼らは壮麗な霊たちでした。私は外見を見て、彼らに刃向かうのは無益な行為だと、すぐに分りました。彼らは実際に兜や甲冑のような戦闘服のようなものを着ていて、他の天使たちよりも敏捷に動いていました。しかし、最も他のものと違っていたのは、自信に満ちた彼らのオーラであり、彼らは自分の能力に絶対の自信を持っていました。どんな悪も彼らをくじくことはできず、彼らはそれを知っていました。彼らが、突然何かの使命(私には教えられ無かった)に向って突進した時、関係した彼らの表情によって、私は動かされました。彼らは使命の重要さを理解し、知ったのです。そして私はそれが完遂されるまでもどってこないことも知りました。

サタンは私たちをもつことを望み、私たちの一人に彼の力を集める時には、その人は特別の防御を必要とするでしょう。にもかかわらず、私たちのすべては、サタンが私たちの想念を読めないという事実によって、いつも守られています。

しかし、彼は私たちの想念を読むのとほとんど同じものを、表情から読み取れるのです。私たちのオーラや表情は、私たちの魂の感情や感動を示すのです。神はそれらを見て、天使もそれらを見て、サタンもそれらを見ているのです。非常に感受性の高い人々も、それを見られるのです。

私たちは想念を制御し、自分の生活の中にキリストの光を導いて、自分を守ることができます。相すると、キリストの光は、私たちを通過して輝き、実際にそれが表情に現れるでしょう。

これを理解すると、まだ地球にやって来たことの無い霊たちを再び見ました。彼らの一部は、死ぬべき世界の人の上に浮いているのを見ました。一人の男の霊が、死すべき世界の男と女-未来の両親-を地球の上に捜そうと試みていました。彼はキューピッドの役割をしながら、困難な時間を持っていました。男と女は反対の方向に行き、知らずしらず非協力になっていました。この男の霊は彼らを指導し、彼らに言い、一緒になるように奨める努力をしました。彼の困難な状態を見て、他の霊たちがやってきて、その中の幾人かが、その若い人たちを“取り囲む”ことに努め、その原因を取り除いたのでする。

私たちは霊の世界で、或る霊の兄弟や姉妹-特別に近しいと感ずる-ものと結びついていると、語られました。私のエスコート達は、私たちがそのような霊たちと地球で家族や友達になることを盟約していると説明してくれました。この霊的なつながりは、一緒に過ごす、永遠の存在の中で、お互いに発展させた愛によるものです。

また、一緒に仕事をするという理由で、一緒にやってくる他の人も選びます。私たちの中には、地球で或る物事を帰るために集まることを望む人々もおり、選んだ両親や他の人々によってもたらされるある種の環境で自分のベストを尽くすことができるでしょう。

私たちの幾人かは、単に、ついてくる人々のために既に設定されている道を強化したり、舗装したりすることを望みます。その人生でお互いに与え合う影響、家族から受け継ぐ肉体と性格的な属性等について、私は理解しました。私たちは死すべき肉体の遺伝的なコード、それに、私たちが持つ特定の肉体的な容貌について知っています。

私たちは、記憶が新しい肉体の細胞に内包されるであろう事を理解していました。このことは私には全く新しいことでした。私はまた、人生でのすべての想念や経験が無意識の心の中に記録されるということも学びました。それらの想念や経験は細胞にも記録されます。個々の細胞が、遺伝子情報だけでなく、かつて持ったことのある経験と共に、印を付けられるのです。

更に、これらの記憶が遺伝子コードを通して子供たちに伝わることも、私は理解しました。これらの記憶は家族の中での多くの遺伝特性、例えば、趣味趣向、恐れ、強み等々を説明します。また、私たちはこの地球で繰り返しの人生は持たないことも学びました。過去の人生を“思い出している”時、私たちは実際に細胞に含まれた記憶を呼び起しているのです。私たちは複雑な肉体的な構造の挑戦のすべてを理解しており、それらの環境を信頼して受け入れた事も、私は判りました。

私たちは、自分の使命-それらの多くは私たちに必要だから特別に設計されている-のために必要な霊的な属性も与えられていました。私たちの両親は、一組の自分自身の霊的な属性を持っています。その幾つかが私たちに持ち込まれ、両親がそれをどのように利用したかも見ました。

成長するに連れて、他の属性も知りました。今、私たちは自分自身の霊的な道具を持っており、その能力をどう使うべきかを学びつづけることができるし、それらを全く利用しないこともできるのです。年が幾つであろうと、古い或いは新しい状況で私たちを助けてくれる新しい霊的な属性を気付きつづけることができます。

選択肢はいつも目の前に有ります。それを認識しておらず、また、どう使用するかも知らないとしても、私たちが自分を助けられる正しい属性をいつも持っていることも判りました。私たちは内部を見ている必要が有ります。私たちは自分の能力を信ずる必要が有ります。つまり、常に正しい霊的な道具が自分のために存在しているからです。

若い二人を一緒にしようと努力する霊たちを見つめた後で、私の注意は地球に行こうとしている他の霊たちに向きました。一つの特に輝き躍動的な霊がその母の子宮にまさに入ろうとしていました。彼は知的なハンデキャップをもって、この世界に入ることを選択していました。彼はこの機会に大変興奮して、彼と彼の両親が達成すべき成長を知っていました。

彼ら三人は、お互いにつながっており、ずっと前から、この組み合わせを計画していました。彼は自分の肉体概念での死すべき人生を始めることを選びました。そして、私は彼が子宮に入り、新しく創造された生命に入ったのを見ました。彼は両親の偉大な愛を感じることを望みました。

私は、霊たちが妊娠のどの時期に母の体内に入るのを選ぶのかを学びました。一度入ると、彼らは直ちに、人間を経験し始めるのです。堕胎は自然に反することだと私は言われました。肉体に入った、この霊は、拒絶や悲しみを感じます。その肉体が彼のものであること、嫡出であるとかないとか、ハンデが有るとか無いとか、数時間生きる力しかないとかということが判るのです。しかし、また、その霊は母が自分の持っている知識で決定したことを知り、母の情熱を感じとるのです。

短い間、生まれてから数時間や数日しか地球にやってこない、多くの霊のことも見ました。彼らは、満たしの目的を持っていたことを知って、他のものと同様に興奮していました。彼らの死は、私たちのすべてがそうであるように、生まれる前の約束であったことを、私は理解しました。これらの霊は死すべき世界でもっと長く生きて発展する必要が無かったのです。彼らの死は両親の成長を助ける挑戦を用意したのでした。ここにやってくる悲しみは強烈ですが、短いものです。私たちが再び一緒になると、すべての苦しみは洗い流され、成長と一緒になれたことでの喜びだけが感じられるのです。

なんと多くの計画と決定が他のものたちへの利益のためになされているのかをしり、私は驚きました。私たちはすべて、すすんで他人のために犠牲になっていたのです。すべての物事は、霊の成長のためになされています。すべての経験、すべての天賦の才と弱みはその成長のために設計されていたのです。この世界のもので、私たちにとって重要でないものなど何もないのです。すべては、霊の眼を通してみられるのです。

時間は、私たちの夫々が地球的な教育を完了するために確立されるのです。ある霊たちは踏まれてくると直ぐに他の霊たちに経験を与えて、すぐにこの世界から出て行きます。或る霊たちは、彼らの目標を達成するために、年取るまで生きて、奉仕する機会を許されて、他のものたちに利益を与えます。或る霊たちは、リーダーになったり、ついていく人々になったり、軍人になったり、裕福になったり、貧しくなったりして、自分の生まれてきた目的が、私たちが愛することを学べるようにする状況と環境を用意するでしょう。

私たちの道へと導びかれるすべての人々は、私たちの究極の到達へと私たちを導くでしょう。私たちは、すべての中で尤も重要な命令-他のものを愛すること-をどのように生きるかを見るために、挑戦する条件の下で試験される筈でした。私たちは、地球に居る間にお互いにすべてが集められ、この一つの崇高な目的-他のものを愛すること-で統合されるのです。

この地球に生まれる前の霊たちの光景が閉じられる前に、私の注意が他の霊に弾かれました。彼女は、今まで私が見た、最もチャーミングで元気な存在でした。彼女はエネルギーを持って浮き上がり、彼女の周り全体に伝染するような陽気さを放射ていました。

驚いて彼女を眺めると、私は自分と彼女の間に密接な結びつきの感情、そして彼女が私に感じていると私が知っている愛とを認識しました。この瞬間の記憶は、ほとんど妨害されていますが、私が彼女を決して忘れないということは知っています。そして、彼女がどこかに行って、誰かの特別な天使になろうとしていたということは疑い有りません。

人間になる前の存在を見ている間、私は各々の霊の美と栄光に感動しました。私は自分が前にそこに居たこと、私たちの各々がそこに居たこと、私たちが光りと未゛に満ち満ちていたことを知りました。その時、私たちみんなにへの想いが私にやってきました;
“あなたが生まれる前のあなた自身を観ることができたなら、あなたは自分の知と栄光に驚くことでしょう。誕生は、眠ることであり、忘却することなのです。”

14 酔っぱらった男

地球に来ることは、大学を選び、教科課程を選ぶようなものです。私たちのすべては、霊的発達の異なったレベルにあり、自分の霊のニーズに最もピッタリする部署を占めてここにやってきたのです。他の人の欠点や足らない所を判定するや否や、自分自身の中にある、同じ至らなさを露呈するものです。私たちは、ここでの他の人々を正確に判定する知識を持ってはいないのです。

私のために、この原理を絵に描こうとするように、天が開かれ、私は再び地球を見ました。この時、私の視覚は大きな都市の街角に焦点を当てました。そこに、私は、ビルの側の歩道に酔っ払って人事不省で横になっている男を見ました。ガイドの一人が“何が見えますか?”と言いました。

“どうして?酔っ払った、なまけものが転がって、”と、私は何故それを見なければならないのか理解できずに言いました。
私のガイドは興奮して、“今、私たちはあなたに、彼が本当は誰なのかを見せてあげます”と言いました。

彼の霊が私に明らかにされました。そして私はすばらしい、光に満ちた男の人を見ました。愛が彼の存在から放射され、彼は天国で非常に認められていたことを理解しました。この偉大な人は、霊的に結びついていた一人の友達を助ける教師として地球にやってきました。

彼の友達は、この街角の数ブロック先に事務所を持つ著名な弁護士でした。この酔っ払いは、彼の友達との約束の今はまだ思い出していないにもかかわらず、彼の目的は他のものの必要性を自分に思い出させるのでした。私は、その弁護士が自然に同情して、酔っ払いを見ることが、彼の手段を必要とする人のために、多くの事をするように彼を鼓舞したのを理解しました。

二人はお互いを見て、弁護士は酔っ払いの中にその霊を-その男の中に男を-理解し、弁護士は良くなる方向に動かされたのを私は知りました。彼らはお互いの約束した役割をここでは決して知っては居ないでしょうが、にもかかわらず、彼らの使命は満たされるでしょう。酔っ払いは、他のものの利益の為に、地球での時間を犠牲にしたのです。彼の進化は続き、そして進化の為に彼が必要とする他の物は後に彼に与えられるでしょう。

私もまた、私に親しい人々に逢ったことを思い出しました。私が彼らに最初に逢った時に、私はすぐに親近感を感じ、認識しましたが、何故だかは判りませんでした。今、私は一つの理由で私の道に送られたことを知りました。彼らはいつも私に特別な人たちでした。

私のエスコートたちは、再び語り、私を想いから呼び戻し、私が和歌の人を裁けない純粋な知識の不足の理由を語りました。街角の酔っ払いを通りすぎた人たちは、彼の内部の高貴な霊を見ることはできず、そして、外見だけで判断しました。私はこの種の判断、他の人を彼らの富みや外観の能力に基づいて黙ってする判断をしました。

私は今、自分が不正だったこと、彼らの生活がどうなのか、もっと重要なのは、彼らの霊はどうなのかについて、自分が何の考えも持っていなかったのが判りました。

想いがまた私にやってきました、“あなたがたが、貧しいものをいつも一緒にもっているなら、そしてあなたがたがする時にはいつも、あなたがたは彼らに良いことをやるかもしれない”と。しかし、この一節が浮かんだ時も、それは私を当惑させました。何故、私たちは自分と共に貧しいものを持つのでしょうか?何故、主はすべてを用意できなかったのでしようか?何故、主は弁護士に彼のお金を他のものに分け与えるように促すことができなかったのでしようか?

ガイトは私の想念を再び遮って、“あなたがたの間を歩いていますが、あなたがたはそれを知らない天使たちが居るのです。”と言いました。私は途方に暮れました。その時、ガイドたちは私の理解を助けてくれました。私たちすべては、必要としていますが、貧しいものではありません。そして、私たちのすべては、霊的な世界でお互いを助けることを約束しています。しかし、私たちは昔に行った盟約を守るのが遅いのです。主はこの責任を私たちが正しく果たせるように助けるために、私たちを促す天使を送っているのです。

主は私たちを強制はせず、促すだけです。私たちは-他のもののように現れる-これらの存在たちが誰なのかを知りませんが、私たちが知っているよりももっとしばしば、私たちと共に居るのです。

私は非難されたとは感じませんでしたが、ここでの私たちへの主の助けを、自分が明らかに間違い-誤解-していたことを知りました。彼は私たちすべてに、私たちの個人的な行為と自由意志に干渉しないでできる助けを与えてくれるのです。私たちは、お互いに助けるようとしなければなりません。私たちは、貧しいものが富んだものと同様に、尊敬される価値があるものであると見ようしなければなりません。私たちは、それが自分と異なっているとしても、他のすべてのものを受け入れようとしなければなりません。

すべてのものは、私たちの愛と親切に値します。私たちは、我慢できなくなるとか、怒るとか、“うんざり”する権利など持っていません。他のものをみくだし、心の中で非難する権利も持っていません。この人生から私たちが持ち出せるものは、他の人々に対して為した善だけです。私たちの善行と親切な言葉のすべてが、この人生の後の無数の折り目に、私たちに祝福となって帰ってくることが判りました。私たちの強さは私たちの慈愛の中に発見されることでしょう。

私のエスコート達と私は、一瞬沈黙しました。酔っ払いは私の視界から去りました。私の魂は理解と愛に満たされました。おお、あの酔っ払いが彼の友人を助けたように、私も他の人々を助けることができますように。おお、私が、私の人生の中で、他の人々の祝福になれますように。私の魂は最後の事実に反響しました:私たちの強さは慈愛の中に発見されるだろう。

15 祈り

人間性、それに個々の魂の天国的な価値について私に注ぎこまれた知識によって、私は謙虚な気持ちにされました。私はより多くの光りと知識に飢えました。天が再び開いて、宇宙空間で地球が回転するのを見ました。ビーコンのように地球からやってくる多くの光が見えました。それらの中に、レーザー光線のように広がり、天に蓄えられるものがありました。他のものは小さいペンライトのイルミネーションに似ており、幾らかはより輝いていました。これらのパワーのビームは、地球での人々の祈りだと話されて、私はびっくりしました。

天使が祈りに答えるために走りまわるのを見ました。彼らは可能なかぎり、助けを与えられるように組織化されていました。その組織の中で働く時、彼らは文字どおり一殻人へと飛び、祈りから祈りと飛び、そして、彼らの仕事によって愛と悦びに満たされるのです。彼らは私たちをたすけるのを喜んでおり、誰かが直ぐに答えられることを信じて十分に強く祈った時に、彼らは特に喜んでいました。

より明るく、大きな祈りから始めて、個々の祈りに順番に、全部が終わるまで、彼らは答えます。しかし、私は、不真面目な祈りの繰り返しは光りも少なく、パワーも無く、それらの多くは聞かれないことに気付きました。

願いの祈りのすべては聞かれ、回答されると私はきっぱりと言われました。私たちに何かの大きな必要性が出た時に、或いは他の人々のために祈る時には、ビームは真っ直ぐに放射され、すぐに気付かれるのです。また、子供たちのためにする母の祈り以上に偉大なものはないと、語られました。強烈な望みであり、また同時に死にもの狂いであることからの純粋な祈りがあるのです。

母は彼女の心を自分の子供たちに与える能力を持ち、子供たちのために神の前で力強区懇願する能力を持っているのです。しかしながら、私たちすべてが自分の祈りで神に届かせる能力を持っているのです。

一度、願いの祈りが発せられると、それを行かせ、それに答える神の力に託す必要があると理解しました。神はいつでも私たちの必要性を理解しており、私たちを助けるために招かれるのを待っているのです。神は祈りに答えるすべての力を持っているのですが、神は自身の法則と意志によって縛られています。私たちは彼の意志を私たちの自身のものになるように招かねばなりません。一度、何も疑うことなく、まじめな願いで尋ねれば、神はそれを受け取るのです。

他のものについての私たちの願いは、大変強く、他の人の自由意志を侵害しない限り、或いは、他の人の必要性を挫かない限り、答えられます。神は私たちに他のもののために行動させるように縛られていますが、いずれにしろ可能な限り助けることを意志しています。もし、私たちの友達の信頼が弱くなると、私たちの霊の力は文字通り彼らを確り支えてくれます。もし、友達が病気になると、その病気が一つの成長の経験として約束されるまで、しばしば信頼の祈りが彼らに治る力を与えます。

もし、彼らの死が近くなると、為されるべき神の意志を呼ぶことをいつも想いださねばなりません。別な方法では、私たちは、彼らの中に目的の矛盾を造りだすことによって、彼らの遷移を作り出そうとしている人を失敗させることができるでしょう。私たちの他のものへの援助の範囲は巨大なのです。私たちは、家族のため、友達のため、想像したこともない他のもののために、遥かに多くの良いことをしてあげられるのです。

このすべては簡単なこと-最初は非常に簡単なこと-と私に見えました。祈りは毎時間に行うべきことだと、私はいつも考えていました。

私は、私たちが主に小言を言い、何かが起きるまで主に小言を言い続けるべきだと想っていました。私は私自身のシステムを持っていました。自分が必要だと思うことを尋ねることから始め、続いて、それが私を助けてくれる、主の一番の興味であると、抱き込み、暗示して訴えるのでした。それが失敗に終わると、次は、主の恵みを私に稼がせる命令とか犠牲を要求する特別な行為を提供しようと言うのでした。次はやけになって請い願い、すべてに失敗すると、癇癪を起すのでした。このシステムは私の祈りについて、私が望んだより少しか答をくれませんでした。

私は、この自分の祈りが、疑いのデモンストレーションだったことを、今理解しました。この遊びは、私の必要だけのメリットに基づく、私への回答への主の意志に対する信頼の欠如の結果でした。主がフェアであり、フェアでありうることに疑いを持ち、主が私の願いを聞いてくれることを確かとは想っていませんでした。これらすべての疑いは、私と神の間に障壁を作り出したのでした。

神は私たちの祈りを聞くだけでなく、私たちが祈る前に、そのことを良く知っていることを、今、私は理解しました。神と神の天使たちは私たちの祈りに意識的に答えてくれるのを見ました。それをする彼らの幸せも判りました。しかし、神は私たちが決して知覚できない優位な地位を持っているのも判りました。神は私たちの永遠の過去と未来を見て、私たちの永遠のニーズを知っているのです。神の大きな愛の中で、この永遠の全知の釣り合いに従って祈りに答えるのです。神はすべての祈りに完璧に答えます。

神が理解できないが如くに、絶え間なく繰り返して自分の要求をする必要はないことも判りました。信頼と忍耐が必要とされています。神は私たちに自由意志を与えており、そして、私たちが神を招く時に、私たちの生活の中で、神の意志が働くことを私たちが許すのです。

私たちが受け取るものごとについて、神に感謝することの重要性をも私は理解しました。感謝の念は、永遠の価値です。謙遜の中で、私たちは願い、感謝の中で、受け取るべきです。受け取る神の恵みにより多く感謝すればするほど、更なる恵みへの道がより多く開かれるのです。私たちに恵む彼の望みは、溢れるほど満ち満ちています。私たちが神の恵みを受け取るために、心と頭を開いたら、私たちも溢れるほどに満たされるでしょう。

私たちは神が生きていることを知っています。私たちは必要としているほかのものを助ける、天使たちと同じようになるかもしれません。祈りと奉仕の中で、私たちの光はいつも輝くでしょう。奉仕は情熱と愛によって発生する、私たちのランプの油なのです。

16男性の評議会

私とエスコート達は、まだ、ガーデンに居て、地球の観察窓は閉じ、私は再び周りに気がつきました。エスコート達は私をガーデンから大きな建物に導きました。中に入いって、私はその精緻で精巧な美しさに見惚れました。建物は完璧なもので、すべての線、角、部分が全体の構造を完全なものにして、全体性と必然性の感覚を作り出していました。すべての構造、すべての創造は、一つの芸術の仕事でした。

私は部屋に導かれ、それは精巧に作られ、設備されていました。中に入って私は、腎臓のような形をした机の長い方にそって坐っている一団の男の人たちを見ました。私は、その人々の前のテーブルの窪みの部分に連れていかれました。一つのことが、直ちに私を打ちました:そこには、十二人の男-男性であって女性は居ない。

地球での、むしろ独立した思索家として、私は世界での女性の役割に敏感でした。私は女性の平等と公平な扱いに関心があり、私は女性たちが、ほとんどの場面で、平等な立場で男性と競争できる能力があるという大変強い意見を持って居ました。この男性だけで女性の居ない評議会に好ましくないという反応をしたかも知れませんが、しかし、私は男性と女性の異なった役割についての新しい観点を持つことを学びました。

この理解は最初、地球の創造を見ている間に、始まりました。私はアダムとイブの間の違いを見ました。アダムはガーデンでの彼の状態により満足しており、イブはより休み無しでいるのを私は見せられました。イブがそれを得る為には死をもいとわない、一人の母になりたいと死にもの狂いで欲しているのを私は見せられました。イブは誘惑に“落ち”たりはせず、自分の進化に必要な状態をもたらす意識の決定をしました。そして、彼女の主導性が、結果的にアダムに共に実を食べるようにさせるのに利用されたのです。実を食べると、彼らは死ぬべき性質、つまり、子供をもつための条件であり、しかし、また死ぬための条件でもある性質を人類にもたらしたのです。

私はイブの上に留まる、神の霊を見て、女性の役割がこの世界で常にユニークであることを理解しました。女性の感情の構造が彼女たちに、より完全な状態で自分たちの上に留まる、神の霊を愛しかつ許すことに、より敏感にさせるのだと、私は判りました。彼女たちの母としての役割は文字どおり彼叙たちに創造としての神への関係を与える事も、私は理解しました。

また、私は危険な女性がサタンに向いているのに会しました。サタンはガーデンで使用されたこの世の同じ誘惑のプロセスを使用するのを見ました。女性を誘惑して、サタンは家族を、そして人間性を破壊しようとするのです。このことは私を動揺させましたが、それが真実であることを知りました。サタンの計画は明らかでした。サタンは彼女たちの感情の強さを利用して、不安さを通して女性たちを攻撃するでしょう。これは、アダムが彼の立場に満足している時に、それを動かしたイブの力を与えたのと同じ感情です。

サタンは夫と妻の間の関係を、お互いを引き離し、セックスと強欲の魅惑を利用して、家庭を崩壊させるように攻撃することも、私は理解しました。破壊された家庭によって子供たちは損害を受け、女性たちは恐怖と罪で打ちのめされるのを、私は見ました。この罪は、自分の家族が散り散りになり未来に恐怖をみるような罪です。サタンはその恐怖と罪を利用して、女性を破壊し、彼女たちの約束された地球での神聖な目的を破壊できるでしょう。サタンが一度女性を持つと、男性は容易に従うと、私は語られました。そして、私は男性と女性の役割の違いを知り始め、それらの役割の必要性と美しさを理解したのでした。

この新しい観点で、私は男性だけで構成された評議会に反論を持ちませんでした。彼らが彼らの役割を持ち、私は私の役割をもつという事実を受け入れました。この男性たちは私のために愛を放射していましたし、私はすぐ彼らに平和を感じ撮りました。彼らはお互いに相談に乗るために助け合っていました。その時、彼らの一人が私の話かけました。彼は、私が未成熟で死んだこと、そして地球に帰らねばならないことを話しました。私は彼らが、私が地球に帰らなければならないこと、使命を満たさねばならないことが重要なことだと彼らがいっているのは感じましたが、私は心の中でそれに反抗しました。

それは私の家で、彼らが言っていたことの何もかるが、そこを離れて居ることを私に確信されるものはないと、私は感じました。その男たちは再び相談すると、自分の人生を振り返ってみるかと私に尋ねました。この申し出はほとんど命令のようでした。私はためらいました:弧の、純粋で愛に満ちた世界で、誰が死すべき世界の過去など振り返りたいと想うでしょうか。彼らは、それを見ることが私には重要なことだと言い増した。片方に一つの光が現れ、私の側に救い主の愛を感じました。

私はレビューを見る為に左側に踏み出しました。それは私が立っていた場所で起こりました。私の人生は、私たちが良くホログラムといっているものの形で私の眼前に現れましたが、それは物凄いスピードでした。その速さなで多くの情報を私が理解できたことにびっくりしました。私の理解は、私の人生の出来事で起こった、私が記憶しているもの以上の多くのものを含んでいました。

私はそれらの瞬間での私の感情を再経験しただけでなく、私の周りの人々が感じたことまで再経験したのでする。それらの物事は新しい方法で私に明らかになる時がありました。そして、私に対する彼らの重いと感情を経験しました。“ハイ”私自身に言いました。“ええ、そうです。今、判ります。ところで、誰が推測したのですか?しかし、もちろん、判ります。”その時、私が他の人々に与えた失望を見て、私の罪によって作り上げられた彼らの失望の感情が私を満たしので、私は縮こまりました。私が原因のすべての苦しみを理解し、それを感じました。私は震えだしました。なんと多くの悲しみを私の悪い性質が作り出したかをみました。そしてその悲しみに私は苦しみました。私は自分の利己心と私の心が助けを求めて叫ぶのを見ました。なんて私は見捨てられていたのかしら?

その時、私の苦しみの真ん中で、私は評議会の愛が私を覆ってくれるのを感じました。彼らは私の人生を理解と慈悲をもって見つめていてくれました。私についてのすべての事、どのように育てられたのか、私が教えられた物事、他のものから私に与えられた苦しみ、私が受け取った、或いは受け取れなかった機会などが考慮に入れられました。そして、私はその評議会が“私を裁いたりしなかった”ことを気がつきました。私が、私自身を裁いたのでした。彼らの愛と慈悲は絶対でした。彼らの私への尊重は決して減らされはしませんでした。私の前でレビューの次の段階が過ぎると、特に私は彼らの愛をありがたく想いました。

私は、彼らが“さざなみ効果”といっていたものを示されました。私がしばしばどのように人に悪いことをしたのか、それらの人々が他のものに向って同じような悪いことをしたのを、私は見ました。この連鎖は犠牲から犠牲へとドミノの円弧のように、それが出発点-つまり私、犯罪者-に戻ってくるまで、続くのでした。さざなみは出て行き、さざなみは戻ってくるのです。私は自分が知っている以上に多くの人の感情を傷付け、そして私の苦しみは倍加して、耐えられなくなったのでした。

救い主は関心と愛をもって、私の前に出ました。彼の霊は私の力を与え、彼は、私が非常に正しく自分を裁いているといいました。“あなたは自分自身に非常に厳格になっています”と彼は言いました。その時、彼は私に、このさざなみ効果の反対側の示してくれました。私は自分自身が利己心のない親切な行為をするのを見ました。そのさざなみが出て行くのを見ました。この親切を受けた友達は、この親切を自分の友達の一人に向けました。この連鎖はひとりでに繰り返しました。

私は、私のたった一つの行為が原因となって、他の人の人生の中に、愛と幸せが増大するのを見ました。私は、彼らの幸せが成長し、ポジテイブな方法で、何か有意義に、彼らの人生に影響を与えるのを見ました。私の苦しみは悦びに変りました。私は彼らが感じている愛を“実感”し、そして彼らの悦びを感じました。そして、これは、親切のたった一つの行為からでたものでした。一つの力強い想いが私を打ちました。そして、私はそれを繰り返し心の中で繰り返しました:“愛だけが重要なものある。愛だけが重要なものであり、そして愛は悦びである。”私は次の言葉を思い出しました:“私が来たのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである(ヨハネ10:10)”。そして、私の魂はこの豊かな悦びで満たされました。

そのすべては簡単に見えました。“もし、私たちが親切ならば、私たちは悦びを得られるだろう”。その時、一つの質問が突然やってきましたけ“何故、私は、これを以前に知らなかったのだろうか?”イエスと男性の一人が答え、その答は私の中に染み込みました。それは、取り調べと反抗の中で、外観が変化した私の魂の深い所に沈み込みました:“あなたは地球上で、ネガテイブ(否定的)な経験もポジティブ(肯定的)な経験と同じように必要でした。悦びを感じとれるようになる前に、悲しみを知らなければなりませんでした”

今、私の経験のすべては、新しい意味を持ちました。私は人生で本当の過ちはしていないことに気がつきました。それぞれの経験は私が成長する為の道具でした。それぞれの不幸な経験は、これらの経験を裂けることを学ぶまで、自分自身についてより多く理解を得させるものでした。私はまた、他の人を助ける能力を成長させている自分を見ました。

私の経験の多くが指導天使たちによって仕組まれていました。幾つかの経験は悲しみであり、幾つかは悦びでしたが、しかし、すべては私により高い知識をもたらすように計算されていました。指導天使たちが私の試験の間も私のそばに居て、できるかぎりの方法で私を助けているのが判りました。私は、周りに時には多くの、時には少しの指導天使たちを必要に応じて持っていました。

私の人生をレビューしている時に、私は、それによって課題が学び終えるまで、自分がしばしば同じ誤りを犯し、繰り返し有害な行為をしているのを見ました。しかし、私は沢山学べば学ぶほど、もっと多くの学びの機会の扉が自分に開くのも、見ました。そして、扉は文字どおり“開らかれた”のでした。私が自分によって為されたと想った多くの事々は、神聖な援助によって達成されたことを示されました。

そして、レビューは否定的な経験から肯定的な経験へと変りました。私自身についての私の観点が変り、私は多次元の光の中で、自分の罪と欠点を見ました。そうです。それらは私と他のものにとって重大なことでしたが、それらは、私の考え方や習性を正しくするために、学ぶ私の道具だったのです。

私は許された罪がぬぐい去られていくのを理解しました。それはあたかも、罪が新しい理解と人生の新しい方向によって上書きされていくようです。この新しい理解は私を罪の自然な放棄へと導きました。その罪が上書きされても、その経験の教育部分は残るのです。ですから、許された罪が私の成長を助け、私が他の人を助ける能力を増大させるのです。

この広がった知識は、私が自分を本当に許すことを必要としているという観点を与えてくれました。そして、私は自己を許すことがすべての許しの出発点であることを理解しました。もし、私が自分自身を許すことができないならば、他のものを真に許すことは不可能です。そして私は他のものを許さなければなりません。

私が与えたものが受け取るものです。私が、許しを請うのなら、私は許しを与えなければなりません。私は、私が最も批判していた-ほとんど許せなかった-他のものの習性が、ほとんどいつも私自身が持ち、持つことに恐れを抱いていた習性であったことをも、私は判りました。私は自分自身の弱みを他人の例で見ることによって、或いは潜在的な弱みによって脅かされていたのです。

この世界の物への欲望がどんなに損害を与えるのかを見ました。すべての真の成長は霊的に起こります。所有欲とか途方も無い欲望というようなこの世のものは、霊を窒息させます。そのようなものが肉体に結びついて、私たちの偶像になり、そして私たちは、神が私たちに望む成長と悦びを経験する自由が無くなります。

私は、今度は言葉ではなく、理解によって再び語られました。私が人生でできる最も重要なことは、自分自身として他のものを愛することです、と。しかし、自分自身として他のものを愛するためには、私は先ず自分自身を真に愛していなくてはなりません。キリストの美と光が私の中に有りました-彼はそれを見ていました!-そして、今、私は同じようにそれを(美と光り)発見するために自分自身の中を捜さなければなりません。これが命令であるかのように、私はそれを行い、そして私自身の魂の本物の愛らしさを自分が抑圧しているのを見ました。それを一度持ったら、再びそれを輝かせなければなりませんでした。

私のレビューは終わり、男性たちは、私への絶対の愛を放射しながら、静かに坐っていました。救い主は光りの中におられ、私の進歩に微笑み喜んでくれていました。男性たちは再び相談して、私の方を向き“あなたは地球での使命をまだ完了していません。”といいました。“あなたは戻らなければなりません。しかし、私たちはあなたに強制はしません:戻るかどうかの選択権はあなたのものです。”

ためらいなく、私は“嫌、嫌です。戻りたくありません。私はここに居ます。ここが私の家です。”と言いました。私にここを去ることを選ばせるものは何も無いと知って、私はしっかりと立ち上がりました。

男性の一人がしっかりした口調で話ました。“あなたの仕事は完了ではありません。もどるのが最良です。”

私はもどりたくなかった。私は子供のように争いにどう勝つのかを学んでいました。今や、それをするすべての技量を持ちました。私は身を投げ出すと泣き出しました。“私はもどりたくありません”と泣き叫び、“私を行かせようなんて誰も居ないでしょう”私は今居るここにこそ留まりたいです。私は地球では終わったのです!“と言いました。

イエスが輝く光に包まれて、私からと遠くない、右側に立ち、前に進んできました。私は彼の関心事を私は感じました。彼の関心事と混じって、慰めの感じが有りました。彼は依然として私の中で、私の気分を理解して喜んでくれていました。私は自分のここに留まりたいという望みへの彼の感情移入を感じていました。

私は立ち上がり、彼は評議会に向って、“彼女の係わっている使命がなんなのかを見せようではありませんか”と言いました。それから私の方を向いて、“あなたが明快な決定をする為には、あなたの使命が知られなければならないでしょう。あなたが地球の人生に戻るとしたら、あなたの使命とここで示された多くのことが、あなたの記憶から取り除かれるでしょう”と言いました。

嫌々同意して、自分の使命を見せられました。

その後で、私は戻らなければならないことを知りました。つらくて不確かなもののために、光と愛にみちた栄光の世界を去ることを憎んだにもかかわらず、私の使命の必要性が私を強いて戻るようにしたのです。

しかし、最初に私は、イエスを含めて個々の人からの約束を受け取りました。私は彼らと、私の使命を完了した瞬間に、私をそこに連れ戻してくれるという約束をしました。私は必要以上一分の地球に居たくなかったのです。私の家は彼らと一緒の所です。彼らは私の言葉に賛成し、物事が私の帰還のための動きになりました。

救い主は、私の側にきて、私の決定を喜んでいるといいました。彼は地球に戻った時に、私の使命に関して見たことを想いだせないことを想い出させました。彼は“地球にいる間は、あなたの使命が何なのかをくよくよと考えるべきではありません”と言いました。“その時がくるにつれて、行われるでしょう”

“あぁ、彼は私を知り尽くしている!”私は想いました。私は地球にいる間は自分の使命を思い出せれば、効果的ではないにしても、可能な限りは早く完了できることを知りました。それは救い主の言葉に従って為されました。私の使命の詳細は私の記憶から除去されました。ヒントすら残されて今宣し、奇妙なことに、私はそれをくよくよ考える望みも持っていません。

私の使命が完了した時の、主の約束に関しては、彼の最後の言葉が私の耳に響いています:“地球の上での日々は、短いです。あなたはそこには長くは居られず、ここに戻ってくるでしょう”

17 別れ


突然、沢山の天使が私の周りを取り巻きました。天使たちは私が戻ることに決定したことを大喜びしてくれました。私は天使たちの愛と勇気づけをして応援してくれるのを聞きました。

見ると、私の心は愛で溶けそうに見えました。彼らが唄い始めるのを聞きました。私の人生でも、ガーデンでも聞いたことのない音楽でした。それは、雄大で、壮大で、畏怖させるようなもので、私には特別な意味が有りました。それは私を圧倒しました。彼らは時として瞬間に知り、瞬間に感じたかのように、メロディではなく唄いました。彼らの声は純粋で各々の調子も明快で甘いものでした。私は彼らが唄った歌を覚えていませんが、私が再びここでそれらを聞くだろうと語られました。

彼らの愛と祝福の音楽に浸りながら、-私のような、とるにたらない魂が、このような大変な尊崇の中にいるのが信じられなくて-私はわんわん泣きました。そして、私は永遠の中では、誰もとるにたらないものではないのだと知りました。個々のすべての魂は、無限の価値が有るのです。私の霊が謙遜と感謝の念に膨れ上がったので、私は最後の地球の光景を見ました。

天が開かれた時、地球とその上に居る無数の人々をみました。存在のために争い、間違いを犯し、親切を経験し、愛を発見し、死を悲しむ人々を見ました。また、それらの人々の上に浮かぶ天使を見ました。天使たちは人々を名前で知っており、近づいて彼らを守っていました。天使たちは良いことが行われると悦び、間違えた時は悲しんでいました。

彼らは助けるために浮いており、方向付けと防御をしてあけでいました。私たちが、真摯に認めれば、私たちの目的のために、文字どおり多くの天使たちを呼ぶことができるのを見ました。彼らの目から見ると、大きいものと小さいものも、才能あるものとハンデのあるものも、聖者と罪人も、すべて同等に見えます。私たちすべてが、大切であり、注意深く守っていました。私たちへの彼らの愛は決して尽きることはないのです。

光景はどじら砺、私は最後に私の永遠の友達たちを見つめました。私をもガイドしてくれた二人の女性たち、私の三人の信心深い指導の天使たち、私が知って愛したほかの多くの天使たちを見つめました。彼らは、華麗で、高貴で、壮麗でした。そして、私は彼らの魂の輝きを、私だけが見たのだと知りました。私は、天国のほんの小さな入り口、天国の家のほんの一部を見る特典を与えられたのでした。

私の深い夢を超えた知識がそこに、そしてそこにすむ人々の心の中にありました。計画、道のりそして真実はそこで私たちを待っており、それらの幾つかは既に永遠の年齢であり、そのイクツかはまでこれから私たちが造るべきものでした。私は天国の物事をちらりと見せられました。そして私はちらりと見たものを大事にしていくでしょう。私は今、天使が愛で私の心を満たしてくれながら、唄ってくれているのはこの世界での私の最後の経験であると知っていました。彼らが愛を表現しつつけ、私を支えてくれているので、私は泣き出しました。私は家に帰るのだ。

18 私の蘇生

さよならは言われませんでした:私は単純に、再び病院の部屋で自分を発見しました。飛びライ依然として、半開きにされたままで、光は流しの上にあり、もう負の下のベッドの上に横たわっていたのは、私の身体でした。私は空気の中に立ち、それを見下ろして、突然の気持ちの変化に満たされました。

それは、冷たくて重く見える、泥と汚れの中から引き上げられた、古いつなぎの作業着を想い出させました。比較して、私は長くて和らいだシャワーを浴びたように感じましたが、今、重くて冷たい汚らしい衣服を着なければなりませんでした。しかし、私はそれをしなければならないことを知っており-それを約束して-いましたし、急がねばなりませんでした。

もし、あと一秒それを考えていたら、私は勇気を失って逃げ出したかもしれません。急いで。私の霊はその肉体に滑り込みました。一度そうすると、それと共に終わりまでやりとげるという約束は、私がほとんど制御できないプロセスでした。

その肉体の扱い難い重さや冷たさが嫌悪の情を起させました。私は何ボルトもの電気が私を通して鼓動しているかのように、その身体の内部で動かし始めました。私は再び、自分の体の苦しみや病気を感じ、そして悲しみに沈みました。霊の自由さの悦びの後で、私は再び肉体への囚われ人になったのです。

その肉体に閉じ込められると、私の三人の古代の友達が再び私のベッドの上に現れました。私の親愛なる修道士さまたち、私の指導霊たちは、私を慰めるために来たのでした。私は私が望んでいるように、彼らに挨拶できないほど、恐ろしく弱っていました。彼らは私が居た所の愛らしさと純粋さの、私の最後の手がかりでした。私は私の心のすべてを、彼らに届かせ、彼らの甘くて永遠の友情に感謝をしたいと望みました。私はもう一度言いました:“私はあなたがたを愛しています”。しかし、私は涙を浮かべた瞳を通して見詰め、彼らに判ってもらうしかありませんでした。

言う必要は有りませんでした。彼らはすべてを理解してくれていました。そして、彼らは黙って私の側に佇み、私の瞳を覗き込み、彼らの愛を放射し、すべての苦しみを克服した霊で私を満たしてくれました。ほんのちょっとの間、私たちはお互いの眼を覗き込んで心と心のコミニュケーションをしました。その間に、彼らは私に、私たちの永遠の友情の神聖な印として常に記憶に留めるだろうというメッセージを与えてくれました。

彼らの言葉と存在は、私を大変安らげてくれました。彼らが私の感情を知っているだけでなく、新しい生活での私の苦しみをも知っていてくれるのを私は知りました。私は彼らの愛を失うのに耐え、再び地球の生活でのフラストレーションに耐え、これからの困難な人生に耐えるでしょう。

彼らは地球に戻った私の決心を喜んでくれました。私は正しい決断をしたのでした。彼らは、“しかし、今は、少し休みなさい”と言いました。そして、彼らは、或る種の平和で静かな感覚を造り出しました。私はそれが私の周りを流れ、私はすぐに、深い癒しの眠りに落ち始めました。意識が薄くなると、私は美と愛が私を包むのを感じました。

私はどのくらい長く眠ったのか知りません。私が再び眼を開いて時は、午前二時でした。私が死んでから四時間が経っていました。私が霊の世界にどのくらいのしかん居たのかを私は知りませんでしたが、しかし、私に起こったすべてのことが起こるには、四時間で十分長いとは想われませんでした。どんな医学的な行為が私に蘇生のために取られたのか、だれがそれをしてくれたのか、私にはまったく判りませんでした。今、私は安らいでいるのを感じましたが、私の深い抑圧を振り払うことはできませんでした。

その時、私は自分の経験のすべてを、心を通して想い起し始めました。そして、私は自分が実際に世界の救い主を訪問し、彼の腕に抱かれたのだという不思議に満たされました。彼の存在の中で、私が受け取った知識に想いを馳せると、私は強さを感じ始め、彼の光が必要な時にいつも強さとやすらぎを私に与えてくれ続けているのを知りました。

私は眼を閉じ、私は扉のそばに動きを捉え多時に眠りに落ちました。もっと良く見ようとして、私は肘で起き上がろうとして、生き物が頭を突き出すのを見ました。私は驚いて後ろにすくみました。その時、もう一つのものが現れました。彼らは想像できないほど、最もぞっとする、グロティスな姿をしていました。それらの五つが扉から入ってきて、私は全身、恐怖で麻痺してしまいました。彼らは半分人間で、半分動物の-背の低い、筋肉質の存在で、長いはさみ、或いは、爪を持ち、野蛮な、それでも人間の顔を持っていました。

彼らは、唸り、ごろごろ音を出し、しっしっと音をだしながら、私に向ってやってきました。彼らは憎しみに満ち、私は彼らが私を殺すつもりだと知りました。私は悲鳴を上げようとしましたが、動けないほど弱く、恐怖で麻痺していました。彼らがベッドから五から六フィートに近づいたと来、私は希望が無くなりました。

突然、ガラスのような、大きな光のドームが私の上に落ち、そこへ生き物たちが突っ込んで彼らには恐ろしいものだと見えたようでした。ドームが私を守ってくれ、彼らは逆上してそれを叩き、弱い所がないかそれに昇ろうとしました。しかし、そのドームは昇には高すぎて、彼らは一層苛々しました。彼らは、かなきり声を上げ、ののしり、唸り、そして唾を吐きだしました。私は自分のベッドに縛られていると感じて恐ろしくなりました。生き物たちはしつこく持続し、また私はそのドームが持ち上げられるのかどうかを知りませんでした。私はそれが何であるかさえも知りませんでした。

私がもはや耐えられなくなり、私の恐怖が私を圧倒し多時に、私の三人の守護天使たち、修道士たちが再び部屋に入ってきました。そして、生き物たちは逃げました。私の天使たちは、私が守られているから恐れなくて良いと言いました。彼らは、デビルが、血き憂に戻るという私の決断に怒り、私を破壊するために、強力なデーモンを送ったのだと言いました。

彼らはまた、このドームが私の残りの人生の間、私の周りに残っていると説明してくれました。彼らはまた、デーモンたちは再び私を捕まえようと試みるかもしれず、また将来彼らを見たり聞いたりするかもしれないが、このドームが私を守ってくれるだろうと言いました。“また、私たちがいつもあなたの近くに居て、あなたを勇気付けることを知っておきなさい”と言いました。そのすぐ後で、悲しいことに、修道士たちは行ってしまいました。

これが私の三人の守護天使との最後の訪問でした。私は恋しくて、私の修道士たちを呼んでいますが、彼らが私の永遠の最も近い友達であることを知ってします。私は、私たちが再びお互いに抱き合え、永遠の友情を新しくする日々を心配の心で思いやっています。

天使たちがいなくなると、デーモンたちは再びやってきましたが、ドームは私を彼らから守ってくれました。私は電話をするために離れ、夫に電話をかけました。そして、私の部屋の中に、デーモンたちが居ることを説明し始めました。彼は私が厳格をみていると考え、娘の一人を電話で私と話すようにし、彼は病院に車を走らせました。

十分後、ジョーはドアから入ってきました。彼は部屋の中に、生き物を見ませんでしたが、彼は私のベッドのそばに来て、何が起こったのかを私が彼に話しをしている間中、私の手を握っていてくれました。まもなく、生き物たちはいらいらして、二田費去って行き、その夜も戻っては来ませんでした。私は解放されて落ちつきました。

私は、ジョーに私の死の体験について少しだけ話しました。その時は詳細には話しませんでしたが、彼は何か大変なことが起こったのだと知り、愛を持って私に気を遣ってくれました。天使が去って行くと、ジョーが今ここで、私を安らげ、守ってくれています。私が彼から感じた愛は、天使やキリストからの愛のように力強くは有りませんが、しかし、彼の愛は信じられないくらい、非常に慰めに満ちたものでした。私たちが死すべきものとして分かち合う愛は、不完全なものですが、それは依然として、斜視と励ましの大きな力を持っています。

ジョーが私といる間に、私の霊は私の帰還が永久のものではないかのように、両方の世界を行ったり来たりしました。私は、私のお医者さんと看護婦さんを覚えています。私は彼らが何をしていたのか、彼らがどのくらいそこに居たのか知りませんでしたが、私は彼らの努力での緊張と心配を感じとりました。この時間の間度ゅウも、私は霊の世界を訪問して、この世界とあちらの世界の、多くの素晴らしいものごとを見ました。その時、私は、イメージの形ではなく、訪問という形で、他の力強い経験を受け取りました。

一人の小さい少女が部屋にやってきました。彼女は二歳か三歳で、穂綿歯牙例の世界で見た、たった一人の子供でした。部屋の中を彼女が歩くと、彼女からの光りの金色の後光が放射されました。彼女は、ジョーにとっても極めて魅惑的に見えました。お医者さんと看護婦さんが出て行った時に私は、彼がその子を見ることができるのかを尋ねました。彼には見えませんでした。

彼女はほとんど爪先で歩き、バレリーナの優美さを持ち、ダンスをしているかのように小さなしぐさをしていました。私はすぐに、彼女ののびのびとした幸せな様子に打たれました。彼女はジョーのところに行って、彼の爪先の上に立ちました。彼女は片方の足でバランスして、バレリーナがするように、もう一方の足を自分の後ろに蹴上げ、そして、ジョーのズボンのポケットに届くまで身体を前に傾けました。私は、この瞬間に魅惑されました。私は彼女が何をしているのかを尋ねました。

彼女は振り向いて、いたずらっぽく笑居ました。私は私の言うことを聞いていたと知りました。しかし、彼女は答えませんでした。私は彼女の内部の悦び、彼女の内部に満ちた純粋で、満ち溢れる幸せを感じ取りました。その稚気、彼女は私の視野の中でぼんやりして行き、二度と戻ってきませんでした。しかし、私は自分が決して彼女を忘れないことを知っていました。

次の数時間、看護婦さんとお医者さんは、出たりは行ったりして私を調べました。彼らは前の晩よりも、もっと注意を払ったのにも係わらず、ジョーも私も彼らとどんな経験も分かちあいませんでした。次の朝、お医者さんの一人が言いました:“あなたは昨夜本当に苦しい時間があったですね。何が起こったのか言えますか?“私は彼らとそれを分け合うことはできないだろうと発見しました。私は悪夢を見たのだといいました。

私は自分の彼岸への旅について語ることは困難だし、それをジョーと分かちあうことすら欲しなかったのも、ついさっきだったということを発見しました。話すことはそれを薄めることだと想いました。経験は神聖なものでした。数週間過ぎると、私はジョーと年上の子供たちとその多くを分かちあいました。彼らはすぐに、何が起こったのかを家族に話す恐怖を消し去るように私を支えてくれました。それから数年間になすべき多く学びと成長を持ちました。事実、次の数年間は私の人生で最も困難なものになったのです。

19 私の回復

私は深い抑圧に沈み始めました。霊の世界の美しくて平和な光景を忘れられなくて、ひどく、そこに戻りたいと望みました。この世界が私の周りに渦巻いて、人生が恐くなり、胸が悪くなり、死にたいと祈るようにさえなりました。私は神に、その家に連れて行って欲しい、どうか、この人生となにか判らない使命から解放してくださいと、願いました。私はその家を去ることに恐怖を感じて、臨場恐怖症になりました。私は窓から郵便受けを眺めている時に、そこに行く勇気を持ちたいと切望した時を覚えています。私はゆっくりと死に掛けている私自身に沈み込み、ジョーと子供たちが素晴らしく支えてくれて居るのに、自分が彼らからそっと抜け出しているのを知っていました。

最後に、私を救ってくれたのは、私の家族の愛でした。私は自分の自己憐憫は家族にとってフェアなものではないことを知りました。私は、自分自身に霊の世界を後ろに置き去って、歩き出させて、再び人生に加わることになりました。私はその家から私自身を強制的に追い出し、徐々に私の子供たちの活動-学校のこと、慈善活動、教会の集り、キャンプ、家族休暇等々に取り込まれて行きました。すべてが一度にとは行きませんでしたが、生活は再び楽しいものになって行きました。私の心が、霊の世界を決して本当に去ったわけでは有りませんでしたが、この人生への私の愛は咲き誇り、以前にも増して強くなりました。

私の死の経験か五年後、私はあの夜、私に何が起こったのか知るために病院に行ってみようと感じました。当時、お医者さんは決して言いませんでしたし、私も聞きませんでした。私はそれまでに、私の友人たちと私の経験について分かちあってきましたが彼らも同じ事を聞きたがっているようでした:“でも、お医者さん達はあなたが死んだのを知っていたのでしょうか?”私は私が死んだとお医者さんが知っていた証明など必要有りません-イエスが私に話してくれた-でしたが、私の友達たちは、より多くの情報を知りたがりました。

私は、手術をしてくれたお医者さんに逢う約束をとり、彼の診察室に行きました。ロビーは彼に会いに来た女性たちで混んでいましたが、看護婦さんは診察が遅れているといいました。私は、私よりも彼を必要としている他の人たちに対して、彼の貴重な時間をとることを恥ずかしく感じていました。私は兎に角待って彼の診察室に導かれました。

彼が入ってきた時、彼は私を覚えており、どうしましたかと、尋ねてくれました。私は手術のことを彼に伝え、彼はそれを想い出したと語りました。そこで、私は、手術の後で、あの夜に起こったかもしれない何らかの面倒なことについての真実をしりたいと言いました。彼は私がなぜそれを知りたいのかを尋ね、私はあの経験の関係する部分を話し始めました。四十五分が過ぎていました。ロビーは彼を待つ人々で混雑していましたが、彼は動きませんでした。

私は訴訟には興味を持ってはいないと説明することにしました:私はただ、何か悪いことが起こったことを知りたいだけであり、それを知ることが私に大きな意味があるのだと話しました。何も言わずに、彼は立ち上がってファイルの所に行きました。戻った時、彼の眼に涙が有りました。はい、その夜、面倒なことが有りましたと、彼は言いました。

彼らはしばらくの間、私を失っていましたが、私には何も言わないのが良いと感じました。何が起こったのか、彼は説明を柴締めました。私は手術の間、出血しており、その夜遅くにまた再び出血したのでした。私の死の時に、看護婦の交代の間、私は一人で置かれ、注意されていなかったので、彼らは私がどの位死んで居たのかを正確には知りませんでした。

そのお医者さんと看護婦さんたちは、私のために注射やそれ以上の医療を、朝の休み時間も通して手を尽くしてくれたのでした。お医者さんに聞いて後で、彼と看護スタッフができる限りのことを私にしてくれていたことに、私は満足しました。

私は彼がなぜ涙を流したのかを聞くと、彼はその涙が幸せの涙であったと語ってくれました。彼は最近、一人の愛する人をなくしましたが、私の話に来棒を見出したのでした。この世を超えた一つの世界私の経験が彼に慰めを与えたのです。彼はまた、数年前に他の患者さんからの同じような経験を想いだし、多くの詳細な部分が同じであったと話してくれました。彼は死でもって生命が終わらないこと、そして私たちが再び家族に会えるのだと知ってかけは慰められたのでした。私は、この世を超えた栄光の人生-私たちが想像もする以上の栄光の人生-のために希望をもつ大きな理由があるのだと、彼に確信させました。

私が診察室を去る時に、私は自由でした。私の肉体の死についての詳細を、永遠に後ろに置き去りにすることができました。そして、他の人たちに、私が常に知っていたことを真実として言うことができました:私は事実死んでしまい、そして、戻ってきました。

20 私の特別な天使

お医者さんを訪問してから一年後、私の経験から六年後に、私の妹のドローシーが異常な話を持って尋ねてきました。彼女が言うには、養子にしてもらいたいという赤ん坊を期待している女性について私に話をしました。その女性と夫はアルコール中毒で、一人の赤ちゃんが既にこの問題で、彼らから離されていました。不運なことに、最初の子供を引き受けた家族は非常に子沢山で、この一人を受け入れられませんでした。何故なら、その赤ちゃんは、ネーテイブ・アメリカンであり、父母がその子をネーティブ・アメリカンの両親の家族の中において、その子自身の広がった家族の中に居られることを望んだからでした。

ドローシーは私が或る時期失望していて、他の子供-それが私の八人目の子-をもって手を忙しくしたいと考えていたことを知っていました。彼女は、彼らが一月か二月の間だけ子供を預かってくれる誰かを必要としているのだと言いました。私はジョーと子供たちと子のことについて話し合いました。そして、私が、大学卒業資格で働けるように共同体の大学に登録したばかりでしたが、私自身でそれを考えてみることにしました。私の娘のチェリルは生まれて来る子を待っており、自分が幼児の面倒を見る練習になるので、毎日私を助けるためにやってくるといいました。

ジョーはもう一人小さい子を抱く気にはなれないといいました。私たち子供の最年少は十二歳でした。私は、引き受けるといい、ケースワーカーの人がそのかわいい女の幼児を連れてきました。私はすべての準備を完了していました:私たちが孫のために、他の余分に、私たちの子供たちのために使おうとしていた、古い寝台を探しだしました。私はすぐに彼女のために取り出して、壊れない様に結びをしました。彼女はすぐにそれを出るだろうと自分で想いながら、頭が行っていることを心は否定していました。

(完)

法廷は、子供の一番近い家族の中で養子にする家を捜すという、やっかい問題を抱えていました。二月が過ぎました。私の娘は男の子を産みました。私は自分が里親になっている娘を連れて、可能な限り娘の所を訪れました。

彼女は喜び、輝き、いつも抱かれたがりました。彼女が気分の悪い時やなぐさめて貰いたい時に、彼女は私の首に鼻を押付け、彼女の顔を私の息を落させるのでした。何も他のものが無い時には、これが彼女を静かにさせました。もちろん、家族全員が彼女を愛していました。朝は、十二歳と十四歳の男の子達が彼女をベッドから連れ出して、彼の字とを一緒にゲームをするために居間につれて来ました。

十ヶ月で彼女は歩き始め、彼女のオリーブ色の顔は他の子供たちと同様に健康的に成長して行きました。私は毎朝彼女をローションで、肌が絹のように柔らかくなり、一日中彼女にその匂いをかげるまで、洗ってあげました。彼女への私の愛は月を重ねる毎に深まり、やがて、私は彼女が自分の子供ではないことを忘れてしまいました。

彼女が十ヶ月と半月になった時に、ケースワーカーが他の州で彼女の係累を発見したと私に告げてきました。養子になる親たちが数日中に彼女を引き取りにくるでしょう。私は衝撃を受けました。ジョーと私は私たちが養子にするつもりはないと言う同意書にサインしていました。そして、今、私は絶望しました。私たちは彼女が私たちのものではありえないことは知っていましたが、しかし、私は母が知りうる、最も悪い苦悩の中に居ました。私は自分の子供を失おうとしていたのでした。

私は気の遠くなる霧の雲の中で、彼女を衣服で包みました。人々は私に言いましたが、私はそれを聞きませんでした。発見されるはずもない答を求めて、私の心の中を質問が走りました。私は自分が衝動的になつかれたとは信じてはいませんでした-愛だったのです。どのようにして私がそれを起させたのでしょうか?私の力はどこに行くべきだったのでしょうか?

新しい両親が来た時、私は車に彼女を運びました。最初彼女は私たちがどこかに行くのだと重い、彼女はし合わせそうに私を眺め、そして、他ののこっている私の家族に“バイバイ”と言いました。彼らも私を取り巻いていたと同じ麻痺状態に有りました。養子にする両親はく車の中で待っており、何も言いませんでした。私はそれに感謝しました。その時、誰も世足しを慰める言葉を言える人は居なかったでしょう。新しい母が私の赤ん坊に近づいたと来、私の心臓は持ちあがり、喉を絞めてしまいました。私は赤ん坊と共に走りたくなりました。走って、止まりたくありませんでした:しかし、私の足は動き間せんでした。足は力なく縮んていました。

赤ん坊は私から離されると気付くと悲鳴をあげ始めました。私の心は破れました。車が発進した時、私は動けずに立っていました。離れて行く、手を突き出して泣き叫ぶ私の小さい少女の姿が私の魂を焼き増した。私は打ちのめされ、家に駆け込みました。イメージは私を焼き焦がしました。そのイメージは数ヶ月の間、やってきて私を苦しめました。

家の中のすべてのものが私に彼女を想い出させました-彼女ガ坐って居た、モミーだと見せかけたピアノ、おもちゃで一杯の遊び場、空っぽのボトルのあるベッド。そして、すべてが、そのまま。

三ヶ月後、私はもはや耐えることができなくなり、彼女を私の手に戻してくれるように、主に祈り始めました。記憶は非常に深く、新鮮で、悲しみに満ちたものでした。誰も彼女について言いませんが、家族の全員が苦しんでいるのが私には判りました。私たち全員が彼女を必要としていたのでした。彼女が戻ってこないと知って、私の霊が破れた後の或る夜、私は彼女をもつ家族のために祈りました。私は、その家族に恵みを与え、彼女を幸せにしてくれるようにと、天の父に願いました。彼女が新しい環境を得て、心の平和と悦びを見つけられるように、彼女に恵みを与えてくれるように天の父に願いました。私はあの家族と小さなあの娘のために全身全霊で祈りました。その稚気、最後に、それが主の手の中にあると感じて、私はそのまま眠りに落ちました。

その夜、私はベッドのそばに立った死者によって眼がさめました。私は彼が霊の世界からきたのだと理解しました。彼は私の赤ん坊の状況は正しくなかったこと、彼女が私にもどされるだろうといいました。私が電話を貰い、そのかけた人は“私は良いニュースを持っていますし、また悪いニュースを持っています”と言うだろうと彼は言いました。私はその夜はもう眠れませんでした。

次の二週間は、私は家をでませんでした。電話がなる度に、その特別な電話を待って、私は飛び上がりました。私はドローシーにこの使者のことを話しましたが、残りの家族には、ジョーにさえ、話すことができませんでした。私は彼らの忍耐に十分に試したと感じていました。ドローシーでさえ、私を疑っていました。

或る早朝、電話が鳴り、私は平たい声で言うのを聞きました、“ベティ、こちらアイリーンです。私はいくつか良いニュースを持っています。そして、いくつかの悪いニュースを持っています。”私はベッドに起き上がると甲高い声で、“待ってください!<ちょっと待ってください!と叫びました。私は夢だ、夢を見ているのだと想いました。私はベッドから立ち上がり、鏡を覗いて自分が確かに起きているのを確認してから、受話器を掴んで、”ハイ、聞いています。“と言いました。

私の心臓は私の耳に音が聞こえるほど高鳴りました。その声は続けて、私の赤ちゃんが入院したと説明しました。“彼女は新しい家族に順応しなかったみたい”とアイリーンは言いました。“彼女は泣きっぱなしでした。あなたは十ヶ月間彼女と調和しましたし、彼女はあなたを捜し求めています。”

アイリーンは赤ちゃんが泣いて、癇癪を起し、或る夜、酔って激怒した両親が彼女を打ち彼女を階段の踊り場からなげ落したことを説明しました。その子は病院に入れられ、捨てられた、そこで彼女は二週間の間、危険な病状でいました。治療にも反応がなく、お医者さんは、彼女が感情的な状態では決して回復しないかもしれないと認識していました。アイリーンは最後に言いました。“ベティ、あなただけが頼りです。大変なことを言っているのだと私たちは判っていますが、しばらくの間、彼女が良くなるまでの間だけでも、彼女を預かってもらえないかしら?”

私は気が遠くなりかけ、呼吸は喘ぎに変りました。“折り返しかけ直させてくれませんか?”と私は聞きました。それから、電話を切り、時間は七時三十分でした。ジョーは既に仕事に行っていました。私は階下に駆け下りると子供たちを呼び集めました。私は彼らに良いニュースがあったと告げましたが、その時はそれ以上話すことができませんでした。私の喉が締まってしまい、言葉が唇から出てきませんでした。子供たちは、私について電話の所に私がジョーに電話して、何が起こったのかを彼に話そうとするのを聞きました。

彼は今すぐに家に戻ると言いました。彼の声は私より落ち着いていて、私を安心させました。私は少し元気になり、アイリーンに答えていなかつたことに気がつきました、興奮状態で、実際に彼女の電話を切ったままでした。私は彼女の番号を廻しましたが、その時、私は彼女の言ったことを誤解していたとパニックになりました。すべてのどこが間違いだったの?彼女は答えました。私は、もう一度全部繰り返してくれるように言いました。そして彼女は説明し、それに付け加えて、彼女は、その子が捨てられた町に飛ぼうとしていると言いました。私は彼女と一緒にそこに行くと言いましたが、彼女は、適当ではないので、家で待つ様にと言いました。

しかし、彼女は赤ん坊がどこに居るのかを私に話してくれました。彼女が電話を切ると、私はすぐに旅行代理店に電話して、彼女と同じ便を予約しました。私は彼女に再び電話をして彼女と一緒に行くといいました。嫌々、彼女は空港で逢いましょうといいました。その子を運んでくる他のケースワーカーと他の町で会うのです。フライトが長くて、私は飛行機を出るなり、走り出してターミナルに入り、私の赤ちゃんを捜し始めました。

ケースワーカーが男性だと知っていたので、子供をもった一人の男性を捜しました。私はそのような人たちを見つけられなくて、逆上しそうになり始めていました。赤ちゃんがどんな風かを私は知っていました:どうして彼女を見つけられないの?そのとき、私は片隅に、彼らを見つけ出しましたが、彼の腕の中に居たその赤ちゃんは私の記憶の中のイメージとはまったく似ていませんでした。でも、それが彼女だと知っていました。“私の赤ちゃん。”私は、彼らに向って走りながら、自分のかなきり声を聞き、彼の腕から、彼女を奪いとりました。

赤ちゃんは、あっちとこっちの髪飾り以外は、何も飾り気がありませんでした。彼女の眼は腫れ上がり、片方の眉毛は切られて傷つけられていました。彼女は私に直ぐに気がつき、両腕で私にしっかりとしがみつき、両足は私をしっかりとまとわりつきました。“彼らは何をしたの?彼らは何をしたの?”私は叫びました。

ケースワーカーは、彼の腕から赤ちゃんをひったくった、この奇妙な泣き叫ぶ女性に驚きました。アイリーンが私の後ろに来て、私がこの赤ちゃんの母であるのが良かったのだと、彼に説明しました。

ジョーと子供たち六人が、帰った時に、空港で私たちに会いました。彼ら目は興奮して輝き、私の腕の中の小さい包みを見た時、涙が溢れました。皆が抱きたいと近づくと、赤ちゃんは彼らを見て、一人一人の所に行きたがりました。しかし、彼女はちょっとずつ抱きしめられる間にも、私に戻ってくる必要が有りました。彼女は私の存在に彼女の生命を託したように私にしがみつくのでした。

その後の数ヶ月、彼女は彼女の視界から私を去らせませんでした。彼女の壊れやすい情緒になされた危害が私たちに判ってきました。彼女は誰にも喋ることをせず、歩くことも拒否し、彼女の顔には表情が有りませんでした。唯一、私が彼女を残してでようとした時に、音をだしました。私は私が戻るまで泣き続けました。遂に私は皿フキンで彼女を包んで、家の周りの仕事ができるように、赤ちゃんをおんぶしました。彼女と私はこの様に結ばれて数ヶ月を過ごしました。

私のベッドの隣に彼女のベッドを持ってきて、最初の頃はそうして休みました。そうしないと彼女は眠るのを拒んだからです。最初彼女のベッドは私の右側にあり、彼女眠るまで、柵を通して彼女の手を握ってやりました。その数ヶ月が過ぎて、彼女が部屋の反対側で眠れるようになるまで、少しずつベッドを遠くに動かして行きました。

ジョーと私は、養子縁組をすぐに始めるために弁護士を雇いました。私たちは、また、彼女が経験した虐待を記録するために検査をしてもらうために彼女を入院させました。私たちは、更に明らかな切り傷を発見しました。彼女は腕にひびが入り、脱水症状になり、栄養失調に苦しみ、彼女の髪の塊が切り取られた所の頭皮が炎症を起していました。彼女の精紳状態は推察できましたが、私にしがみつき他のものを拒絶する彼女の絶望的な状態は、深い不信感を示していました。お医者さんは、彼女の健康は、私たちと共に彼女が受け取る、連続的な安定した家族生活にかかっていると判りました。

法廷は資料をレビューして、すべてがあきらかだと考えました。彼女は私たちの子であるという決定は素早くなされました。ジョーは彼女の名前を変え、彼が知っている最も可愛い名前をつけてやりたいと望み、私が反対しても、家族は私を押しきりました。彼らは個性の相似性と私たちが確立した深い絆を失うことができなかったのです。彼女は、新しい母になった、私の名を継いで、ベティ・ジーンと法律的に改名しました。

その時、小さいベティは二歳半で、彼女は肉体的にも精神的にも完全に治っていました。彼女は再びこの家の最も愛らしく活動的な子供になり、彼女の素早いユーモアのセンスはいつも私たちをびっくりさせました。或る日の午後、彼女はジョーの所に走りました。彼女の顔にいたずらっぽい笑いを浮かべて、彼の靴の爪先に立ち、もう一方の歌詩を後ろに上げて、彼のズボンのポケットを探るようして、バレリーナのようにバランスしたのでした。

記憶が溢れてきたように、寒気が私の身を走り抜けました。小さいベティは笑い、そして私は数年前のあの小さな少女の声を聞きました。それは天と地が一つに見えた、あの病院の部屋で、私たちと一緒にいた、あのちいさな少女でした。その時、私は多くの事を見て理解しました。若い女性のイメージが私に蘇り、地球にやってくるのを待っていた美しく、エネルギーに満ちた霊の記憶でした。私は彼女を、私が以前の時代にきずなを持っており、霊の世界での一人として、愛らしさとエネルギーで私を捉えた霊として思い出しました。私は、この会いらしい天使がやってきたことのすべてを叫びたくなりました。私は霊の世界で子供として逢うことを許されました。地球にくる用意をしている大人の霊として彼女を魅せられた理由が私に分りました。私の子宮切除のために、彼女が私の子として生まれることはできないので、私の家族になる他の方法を彼女は発見したことも、私は知りました。そして、今、私は、強いて彼女を赤ちゃんにすることになった理由も知りました。私たちは以前にまして親密になり、経験の永遠に後ろに行き、そして永遠が前進したのです。

私の家族は、この経験以来成長し、彼らのほとんどは家を離れて行きました。彼らは自分自身の家庭を始め、自分の進化の道へと船出しました。ジョーと私は困った時には彼らを助けましたが、私たちが彼らの変りに彼らの人生を生きることはできないのだと知っていますし、それをしたいとも望みません。私たちは彼らが私たちと同じに天での存在であり、ここ地球で経験をしているのだと理解しています。私たちが彼らの悲しみを飲み込むことはできませんし、彼らの悦びを計画することもできません。私たちができるすべては、家族であることです。私たちができるすべては愛することです。

一九七三年十一月十八日以来、沢山の経験が私に起こりました。しかし、私はここでそれらについて分かち合うことは気が進みません:九年が経過し、この本で経験を分かち逢うようにという数えきれない激励を貰いました。すべての物事には時期が有り:この本には,今がその時です。

時が経つ間ずっと、私の使命が何を課しているのかが私には不思議でした。勿論、理解はできず、答もやってきませんでした。私は単に、イエス・キリストの光の中で生きて居ること、そして、私の人生の中で彼の愛を受けつづけていることを印象付けられていました。私は自分が私の望んだことを何でもできると、想っています。

私たちは他の人を愛するべきです。私はそのことを知っています。私たちは親切であるべきですし、寛容であるべきですし、惜しみなく奉仕すべきです。私は、他のどんな方法よりも、愛を通して私たちにもたらされる悦びが大きいことを知っています。私は、その素晴らしく、栄光に満ちた報酬を見て来ています。

私の経験の細かい内容は、それらが、私たちが愛するのを助けてくれるという、ただその点においてのみ重要なものです。他のすべては、その事への添え物です。次のような、私への救い主のメッセージだけが問題なのです:“何をさておいても、他の人を愛しなさい“
私は、それを試み続けます。

光に抱かれて

「光に抱かれて」を読んだ、翻訳者 芝田康彦 の感想

私の家には、仏壇、神棚、地元の神などが有りました。先祖への敬いは別として、宗教というものには、特別な想いはありません。小さい時には、悪いことをしたり、嘘をついたりすると地獄に行き、閻魔大王に裁かれて、六道輪廻してとんでもないものに生まれ変わると脅かされたものです。人はかならず悪いことをしているから、何回も“追善法要”をして良かったことを言ってあげないといけないと脅されていました。

これは、死の恐怖を煽るもので、生前にお金をとられることであり、死んだら、残った者がお金をとられる仕組みです。それによって死の恐怖に脅えることになりましたが、四大宗教だけでなく、いろいろなセクトが死の恐怖を植え付ける役割をしているようです。

私の父は、死ぬまで、血圧などの薬がきれるのを恐ろしがって居たようです。うっかり、医者が休みの前の日に薬がきれたりすると急遽でかけていきましたから。その割りに、医者がここまでならいいよと言われた、一合にも満たない日本酒を一日も欠かさずに飲んでいました。この辺が普通でしょうか。母は、病気の苦しさに、“早く死にたい”を繰り返したそうです。母は生き続けるのがより強い恐怖だったようです。私は両親の死に目に会っていません。

私がある人から教わったことを一度整理してみたいと想います。
(http:/www.figu.ch/)
それによってベティの経験を理解できるかも知れないからです。

儀式宗教は、「魂(Seele)は別な世界に行って、或る期間、そこで生きつづける」と言っているが、これは間違いだそうです。実は、この魂も物質的な要素でできていて、これも肉体と共に滅びるものだとされています。この魂は、実はサイキ(Psyche)というもので、感情中枢と思考の領域からなっています。

人間の肉体が死ぬと、更に生き続け、別の世界に行けるのは、宇宙のすべてを創造した“創造”の一部であり、私たちの中に在って、私たちを生かしてくれて居た、創造の“部分霊”なのです。宗教は間違いを教えています。部分霊は更に進化しつづけるように定められており、霊の世界で一定の期間過ごし、その後、再び新しい肉体を纏って地上に生まれ変るのです。

もし、死の瞬間に何が起きるのか、霊の世界で何が待っているのか、来世の生活がどんなものかの事実を知ったら、人はいろいろなことを改めて考えられ、それまで勝手に生きてきたことや信じてきたものとは違った方法で自分の人生を形成するでしょう。
実は、霊が一度肉体を離れたら、二度とその肉体には戻れないのが真実だそうです。ですから、臨死体験のすべては仮死状態だと言うことです。この仮死の状態が極端な生命機能の低下(一呼吸が数時間など)をした場合は、医学的には測定できずに、死と宣告されている。その仮死状態から戻ったものは「死から戻った」と報告することになります。

この仮死状態では、肉体も物質意識も非常に遅い速度ではありますが生きているのですから、死んだ体験は、実は「物質意識が画いた像であり、その想起に過ぎない」ということです。この物質意識の像は、仮死状態でも完全に機能する潜在意識と霊との協力で起されるものです。どんな場合でも戻るものは仮死の状態だと言うことです。

さて、「光に抱かれて」ての、著者ベティ・J.エディの経験は、上のことからすると仮死の状態での体験だということです。そして、その内容は、彼女の潜在意識と彼女の生命であり、創造の一部である部分霊との共同作業として映像化されたものでした。彼女の現在意識がそれを受け取り、一部はブロックされた状態で記憶から削除されていました。

内容の中に出てくる、キリスト教的な言葉や、人格のようなものは、部分霊からの情報を彼女の潜在意識が翻訳し、現在意識に伝える辞書がそれしかなかったからだと想われます。著者が最後に書いていたように、内容の一つ一つについての詳細な事々の真偽が重要ではなく、霊的な永遠の生命があり、それが地球の人間社会に生まれてきて、人生を学びの場として生きて、また、霊の世界に返るのであり、肉体人生の目的と死の意義を示せたこと、その事実から、肉体人生での最も重要なことが、他の人々を愛することであると述べているのだと想います。

本当の真理は、これから、ずっと開かれて行くでしょうが、彼女の体験を読んで、聞いてどれだけ多くの人が、宗教による惑わしから抜け出したかを考えると、内容の間違いについては、この際、眼をつむって貰えればと想います。

小さい女の子の厳しい人生の始まりの物語は、私に、大きな感動を与えてくれました。

読んでくれた人には感謝します。................芝田康彦

光に抱かれて

“Embraced by the Light” by Betty J. Eadie 「光に抱かれて」ての、著者ベティ・J.エディの経験は、上のことからすると仮死の状態での体験だということです。そして、その内容は、彼女の潜在意識と彼女の生命であり、創造の一部である部分霊との共同作業として映像化されたものでした。彼女の現在意識がそれを受け取り、一部はブロックされた状態で記憶から削除されていました。

  • 小説
  • 中編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-19

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 01 最初の夜
  2. 02 夜深まる
  3. 03 二日目
  4. 04 私の死
  5. 05 トンネル
  6. 06 光に抱かれて
  7. 07 法則
  8. 08 癒し-そして臨終
  9. 09 織機とライブラリ
  10. 10 ガーデン
  11. 11 パーティ
  12. 12 多くの世界
  13. 13 肉体を選ぶこと
  14. 14 酔っぱらった男
  15. 15 祈り
  16. 16男性の評議会
  17. 17 別れ
  18. 18 私の蘇生
  19. 19 私の回復
  20. 20 私の特別な天使