シナバーグリーン

ただの日々

風は白く、光は赤い、音はめちゃくちゃに輝いてどこかへいってしまった。
小さく引き締まる空気が淀み、私の周りの空間は捩じれ切れそうなほどに歪んでいる。
鈍い瞳に溜まる液体は澄んだ透明よりもずっと濃く濁って見えた。
震える唇を小さく控えめに開き、静かに溜め込んでいた息を吐く。
あつい熱をもって唇から吐き出された空気は私の体にあるものを溶かして出来たもので、外に這い出せばきっと絶望的に濃い緑色をして、口元でとろりと粘りつくまでに腐敗しているだろう。空気までもが腐っているのだ。
ボアボアと熱い感触を残して出た空気は、濃密な感覚を残して唇から出たにもかかわらず、何の色も感慨も残さずに軽やかに散り私の体を少し小さくして宙に溶けた。
私はただ不思議な気持ちで宙を眺める。
私の体から確かに吐き出されていった緑の粘膜はどこに消えたのだろう。
暗くも明るくもない空間。
私の吐きだす濃い緑はきっと均等と平静を守ろうとする空気に潰されて、無かった事にされていしまった。
弾け出されて潰される。こんな歪んだ世界にも誰にも犯す事の出来ない確かな流れが存在するのであろう。
濃い緑は見えない。
取り立て見たいものなど何もないのに斜め上の景色を食い入るようにじっとりと眺めながら、体が無意識に呼吸した。
吸い込んだ空気に混乱は見当たらない。
私の緑はどこだろう。
何を考えるでもなしに、古い見慣れた天井に張られた木目を細かく観察していた。
色素が細かい新鮮な黄土色に明るい黄色や細く光る白が見える、その間を縫ってくっきりとした茶色が黒や赤をはためかせながら流線を描いてわたっていた。
流線の狭間には青が流れるオレンジが流れる緑が流れる紫が流れる赤が流れる、木目には虹色が広がっている。
綺麗だと思う。
古い天井には、一見美しくない木材のたわんだ場所や雨漏りの後色が黒く染みになった場所もあったけれど、それらは全て様々な青だ。
繰り返す色で単調になりがちな天井に青の光と影を混ぜて深みをもたらしていた。
木をもっと薄く削って太陽の光をそこに入れたいと思った。
密に茂る木の細胞の中に光がじんわりと入り込み、もっと様々な色を発して光るだろう。
世界は色で出来ている。
立ち尽くす私の足の下で丸く小さな椅子がきしりと鳴った。
足を二つ置けば指がはみ出しそうな頼りない椅子に14の頃から履いているゴムの伸びた白い靴下で乗っている。
丸い椅子は角が丸く整えられてあり、うすく黄色いニスが塗られていた。そんなことで靴下を履いた足はスルスルと滑り、椅子にしがみつこうと指を丸めてみる。
手を伸ばし天井に触れた。
醜い手だゴツゴツしている。青い血管が皮膚の下で膨らみ、何かの生き物のように這っている。指を少し動かすだけで骨が張り出し、白い指の筋が動くのがよく見えた。
天井は思った通りにガサガサしていて、でこぼこと波打っていた。新しい埃の匂いがする。
感覚を確かめたら、伸ばした手が行き場わなくしてしまった。
私は何か違う物を期待していたのかもしれない。決定的な何か。伸ばした手が切ない、眉が自然と下がるのを感じた。無意識に手を伸ばしただけの行為が、私を酷く落胆させた。
私はきっと気が付いてしまった。
視線を下すのを酷く躊躇っていることに。
そこには見たくない物があることを私は知っていた。
それでも私は、天井を頑強に渡る、梁からぶら下がる白く太い紐を見た。
自ら梁に結んだ紐だ。真新しく、まだ何にも使われていない。もともとそういう物であったかのように頭がすっぽり入る輪がしっくりと作られていた。
和の作られた部分を強く強く引っ張り強度を確かめた。
みしり。
そんな音が鳴るのを少し期待していた。その方が自然だし、この紐にはその音を鳴らす価値があるとも思っていた。空気を歪めて引き千切ってまた限界まで引き攣らせたような決定的は音がこの部屋には必要だった。
だが結局のところはそんな音は微塵も鳴らなかった。ひどく期待はずれな紐だ。
白く真新しい生まれたばかりの紐には希望みたいなものが見え隠れしている。なぜか自分がこんな形で吊るされているのかも分かってないし、その恐ろしく鈍感な色は緑の空気などに染まることもない。ただただ、おとなしく吊るされ役割を待ちわびていた。
だからだろうか?紐を引っ張ったときにキュクッとかわいい音がした。
ちょっとした落胆と嫌悪感が体の表面を滑り落ちる。
少しの不愉快な思いで今度は食い入るように紐を観察してみた。
沢山の極めて細い細い糸が無数に集まり一つの糸に、そしてそれをさらに編み込んだものを何本もの編み込んだもので編み込んで、さらに何本もの編み込んだもので編み込んだもので編み込んで編み込む。
永遠に続くようでいて、結局は中途半端に終わる。そんなところだろう。
無神経で鈍感なくせに、その作りは私の重さに耐えうるほど、しっかりとしていた。
私がこれまでなんとなく20年もの月日を生きてきて学んだことの一つがそれだ。
無神経で鈍感な物こそがこの世界をしっかりとした足取りで歩ける唯一の生物なのだ。
あくまでも白く白く。
それはいつだって私の癇に障り、鼻に付き、そして私の世界を曇らせる。
耳の奥までも劈きそうな極彩色の世界をそこら中で振りまいて、私の肺を奥の方までも赤い色で染めていく。
ただそこにあるだけで眩しいほどのカラフルを振りまく、目をつぶす。鼻までもがそのきつい色の匂いでやられてしまう。そして染められてしまうのだ。極彩色に・・・意図せずなってしまうのだ。
やがてそれは黒に変わってしまうのだけれど。
しかし彼らは白い。あくまでも白くしっかりとした足取りで歩き続ける。
彼らは気が付かないカラフルな世界を消化しきれない人間の末路を。黒く黒くひたすら染まるしかない人間の悲しさを。
彼らの生きる世界こそが世界にどこにもない平和なのだから。
そういう信じられないようなものが、割かしきちりと用意してあるのだこの世界には。
そこまでをぐちゃぐちゃと考えると白い紐を恨みがましく眺め、特に何一つ考えるわけでもなく、ごくごく自然な動作で人刺し指と親指を丸く合わせ、白い紐の硬い結び目をめがけ投げやりにバチッと弾いて見る。そうしてその白い紐がひひゅいっと跳ねて遠くに離れたり次に勢い余って私の胸に当たったりするのをただ見ていた。
ぶんぶんと揺れる白い色に神経を集中させると白いものの姿が浮かんだ。
もはや軽い不快感しか感じない。
私はごく当然に眉間にしわを寄せ、目に力をこめその不快感を解放した。私の口からはどんな言葉が出るだろう。どんな言葉が適切だろうか。そう思ってはみたけれど、結局は喉に突っ掛るばかりで言葉にはならなかった。
きっともうどうでもいいことだからだろう。
私は、もうすぐ死ぬのだから。
まだしつこく揺れていた紐を手を少し泳がせながらもハシリと捕まえ、無防備な輪を自分の顔まで手繰りよせた。
意識的に息を大きく吸い込みそして細く吐き出した。
確かめるようにもう一度少し吸ってみた。肺を満たした空気に今度はなぜか深い緑の匂いが感じ取れた。
緑はまだそこに居た。
ちいさく。ほそく。透けるほどではあったが。
目を閉じる。
首には白い紐の硬くしっかりとした感触が当たった。この紐までもがザラザラしている。手にしっかりと握ったひもは私の命を握るにはちょうど良い太さと強度だ。
足元の椅子がキシリと鳴り、世界をひねまげて小さくして見せた。
これが待っていた合図だ。
喉に紐があたり、飲み込んだ唾液がゴクリと音を立てた。
椅子の滑らかな角に足の指を掛け勢いよく後ろに振り切る。
鼓膜を揺らす事のない真空の音がした。
りりりりりりりりりりり。
りりりりりりりりりりり。
突き抜けそうに高い。
弾けるように。飛び散るように。
脳内を支配し体中を巡る。
その音を歪めるように、キリリキリリと空気を弾く様に、聞きなれた携帯の着信音が場をわきまえない音量でなり始めた。
確か携帯に元から入っていた、ちゃっちなプラスチックで出来たものにお似合いの安ぽく無遠慮な音だ。
プルトニウムの様に重たく破壊的な空間の中に馬鹿みたいなヘリウムが場違いに浮かび、存在を濃くしてゆく。
それはもうかるくかるく。
まっさらで目を瞑りたいほどの明るく飛び跳ねた黄色い色だった。
私はというと、振り切った足は椅子の上をするりとすべり、信じがたいことにバランスを大きく崩しながらもまだ椅子の上に足をのせていた。

シナバーグリーン

シナバーグリーン

違うところでちょくちょく書いていたものをここに移しました。 そしてまたちょくちょく書くと思います。 色と空気と温度を書きたくて書いたものです。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-06

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