天泣

大学生のしずくと大学院生のみなみ
ずれた『妹』と『兄』のなんともない一日。
少し病んだしずくに視点を置き、しずくの気持ちをつらつらと垂れ流す。

私、みなみ君の匂い好き。言わないけど。

黒を基調としたベッド、多少散らかった室内、モノトーンの勉強机。
テレビには今流行りの芸人が面白いギャグをかましている。
ベッドに寝転がり、私はそれをちらりちらり、と横目で見ながらスマートフォンをいじっていた。
思ってもないこと、受けを狙った文章、相手にしてもらいたくて垂れ流す文章たちは、どこか哀愁が漂っている。
「しずくー?」
一人暮らし特有の狭いキッチンで、冷蔵庫の前にしゃがんでいるみなみ君が私を呼んだ。
「なにー?」
「お腹すいたよ、何か作ってー。材料ないけど。」
みなみ君は笑いながらベッドまでやってきて私に頼んだ。私はスマホから目を離し、体を起こした。
「材料がないんじゃ、何も作れないよ。冷蔵庫の中には何があるの?」
「玉ねぎと、卵、豚肉、豆腐、…あとはナス。」
私は少し考えて、キッチンに向かった。
「わかった、適当に作るよ。みなみ君、調味料揃ってないんだっけ?」
「うん、醤油しかないよ。あと塩とか砂糖とか胡椒があるかな。」
「…もう、次来る時までに調味料買っといてって言ったじゃん。」
「ごめんって。男の一人暮らしの調味料なんてこんなもんだよ。」
みなみ君は苦笑しながらベッドに寝転がり、テレビを見始めた。みなみ君の後頭部を少し見つめ、夕飯を作るためにまな板と包丁を手にとった。

みなみ君はお兄ちゃんだ。
本当のお兄ちゃんでもなければ義理のお兄ちゃんでもない。
ただ、隣人だった、ただそれだけ。
私にはお母さんがいない。お母さんは私が嫌いだった。
私はあまりお母さんのことを覚えていないけど、よく叩かれたり蹴られたりされていたことはほんのり覚えている。
お母さんは、私に他人への恐怖心と不信感だけを残していつの間にかいなくなっていた。
お父さんはそんな私を捨てずに、お父さんなりの愛情でこの歳まで育ててくれた。
…正直、お父さんのこともあまり信じていない。失礼な話だけれど。

みなみくんはお父さんがいない。こちらは単純明快、父親の不倫だ。
なんてことない、上司と部下の関係だった彼らはいつの間にか男女の仲になって、遊びをやめられないまま、
みなみ君のことなんてなかったみたいに消えていった。

そんな隣人の私たちは、独りでいることが多かった。
だから出会った時に理解したんだ。
同じ目をした子供だった私たち。この子は、自分と同じような傷を持っているのだと。
二人でいるときの不思議な安心感。安定感。彼なら、痛みを分け合えられる。

みなみ君と私は4歳の年の差があった。
その年の差は成長するたびに、もどかしく、どうしようもない溝を作っていった。
みなみ君は中学生に、高校生に、大学生に。
私が大学に入学した年に、みなみ君は大学を卒業した。
みなみ君は県外の大学院に進学し、私は県内の大学に進学した。…胸が裂けるかと思った。
私には、みなみ君しか、いないのに。

「はい、どうぞ。」
私は出来上がった料理を折りたたみ式のテーブルに持っていった。もう一回キッチンに戻ってお箸を二人分手にとった。
座布団を下に敷き、結い上げた髪を解きながら座った。
「おっ、ありがとう!」
「最近ちゃんと自炊しているの?」
「めんどくさいんだよね。しているっちゃしているよ。」
みなみ君は私から箸を受け取り、いただきます、と食べ始めた。
「まぁ、男性だし、いいとは思うけど。」
私は俯いて答えた。

食べ終わった私はベッドにもたれて虚空を見つめた。食後はどうしても惚けてしまう。
「先にお風呂入る?」
みなみ君が食べ終わった皿を台所へ持っていてきながら言った。
「んー、じゃあそうする。」
私は立ち上がりバスタオルを探し出して風呂場へ向かった。
「…みなみ君、覗かないでよー?」
「わからないよー?」
みなみ君を怪しい指の動きをしながら私を見て笑った。笑顔が可愛い。

分かっている。みなみ君が絶対覗きをしないこと。それが、私には悲しい。
シャワーの温度が適温になるまで自分で温度調節する。私の一人暮らしのお風呂と同じだ。
こんな小さいことで私は嬉しくなるなんて、安いなって思う。

みなみ君は私を好きにならない。私はみなみ君の『妹』だから。みなみ君は私の『兄』だから。
私が愛情に飢えているように、みなみ君も愛情に飢えている。それは、異常なほど。
私も甘えたがりで、みなみ君も甘えたがりだ。同じ性質で、嬉しいけれど、苦しい。
ふたりの矢印が同じ方向を向いていたら、いつまでたっても二人は巡り合わないの。
私がみなみ君に求めていることを、みなみ君は私ではなく違う人に求めている。それは、それは耐え難い、苦痛と嫉妬。
白い肌、色素の薄い髪、猫のようなつり目。全てあなたのためのもの。あなたのものなのに、あなたがものにしないのなら、全部意味はないの。
他人の賞賛ではなくあなたの愛情が欲しいのに。
火照った体から滴る雫をタオルでふき取り、寝巻きのワンピースを着た。少し、露出が多いのだけど、意識してくれるかな。

しずくの冷たさって安心するね。言えないけど。

「みなみ君、お風呂あがったよ…」
私が部屋に戻ると、みなみ君は電話をしていた。わかっている。相手は、みなみ君の彼女。
わかる。痛いほど理解できる。みなみ君が彼女のことを好きなこと。
私と話すときより甘い喋り方、トーンの高さ、優しい顔して、電話している。
「…ごめん、電話してた!お風呂入ってくるね。」
「彼女さんと関係は良好?楽しそうに会話してたね。」
私が冷やかすようにみなみ君に言うと、少し照れながら「まぁまぁだよ」と答えた。
バスタオル片手にみなみ君は、覗くなよ、と笑った。覗かないよ、と笑ってお風呂へ促した。

胸が張り裂けるどころの騒ぎではない。愛しいはずのあなたの声も、仕草も、表情も、今は私を苦しめる。
こんなに苦しいなら、想いを告げればよかったのだろう。でもそれは、禁忌だった。
私たちは、『兄』と『妹』の関係だからこそ、成立しているのだから。どちらかが好意を抱いて近づいてはダメなのだ。
私たちが何よりも恐れているのは別れで、確実な好意を抱いた恋心は、時に破壊的な意味を持つ。
出会って、愛して、離れて。別れることが前提の付き合いなんて、遣る瀬無い。
みなみ君と彼女は付き合って長い。うまくいけば、このまま結婚するだろう。私の焦燥感は止まることを知らない。
けれど、私には、入る隙間がないから、せめても『妹』として傍にずっと居たいんだ。

これは私の秘密。想いは可愛い箱の中にいれて、鍵をして、観賞用として胸に置いておくの。
悲しい?そんなことないよ。だって『お兄ちゃん』であるみなみ君の隣にいることができるから。
触れれば温かい、人の体温を教えてくれたのはあなたで、想えば苦しい、目まぐるしい感情を教えてくれたのもあなた。
あなたが私の全てなの。私はあなたで構成されている。
そうね、強いて言うなら、圧迫感のある苦痛に満ちて耐え切れない、どこに矛先を向ければいいのかわからない
この感情は、切なさ。

「お風呂上がったよ」
みなみ君が上気した顔で部屋に戻ってきた。
「もうそろそろ夏だから、お風呂上がりは結構暑いでしょ?」
私は今までさもスマホをいじっていたように、ホーム画面のスマホを凝視しながらみなみ君に言った。
みなみ君はタオルでぐしゃぐしゃと髪を拭いて、私が寝転がっている横に座った。真っ黒な瞳、真っ黒な髪の毛、日焼けした肌。みなみ君だ。
「だからそんなにセクシーなパジャマ着てるの?涼しそうで良いけど、でもダメだよ。しずくももう大学生なんだから誘うような服は控えなよ。」
襲っちゃうよ、とみなみ君は笑った。ドライヤーで髪を乾かし始める。
誘っているんだよ。襲っちゃってよ。あなたの想いも体温も、私は手に入れたいんだよ。
手だけじゃ嫌なの、物足りないの。もっと、全身で、もっと、心から。温かいモノが欲しいの。
「歯磨きした?」
「いや、まだ」
私とみなみ君は洗面所へ向かう。みなみ君の体は火照っていて、少し赤みがかっている。私はもう湯冷めして、赤かった肌は白すぎる白へ戻っていた。
「なにこれ、ぶどう味?」
私が歯磨き粉をつけながら茶化した。
「美味しいんだよ、ぶどう味!しずくもわかるさ、この感動が!」
みなみ君はオーバーリアクションで返答してくれた。
歯磨きをしている間、私たちはお互いに「ん」だけで会話していた。

「ん」。指相撲しようよ。しずくの指は細くて折れそうだよ。みなみ君、そんなにゴツゴツした手だったっけ?
「ん」。やっぱりぶどう味甘くない?この甘さが絶妙じゃない?えー、みなみ君、歯磨き粉まで甘党なの?
「ん」。いつまで歯磨きする気なの?しずくが終わったら終わるよ。じゃあ、そろそろ終えるよ。

うがいしたあと、私たちは同じベッドに隣り合わせで寝転がった。
「しずく、いつ帰るって言ったっけ。」
「んー、日曜日。」
「えー、早くない?」
「しょうがないじゃん、学生なんだから。」
「同棲しようよ、小さい時みたいにさ。」
「馬鹿なこと言わないの、大学が違うんだから無理に決まってるじゃん。」
「そうだねー、俺県外でちゃったもんねー。来月は来てくれる?」
「うん、来月も来るから、我慢してよね。」
「うん、我慢するよ。…電気消そうか。」

パチン。暗転。光の残像が目の前で踊ってる。
おあずけを食らっているのは果たしてどちらなのだろう。

しずく、抱きしめていい?
いいよ、ただ、みなみ君力強いから優しく抱きしめてよね。
なにそのヒロインみたいなセリフ。
ふふ、可愛いでしょ。ヒロインも同然の可愛さ。
はは、自分で言っちゃう、それ?
あっつ、みなみ君、まだ湯冷めしてないじゃん。
しずくは湯冷めするの早すぎだよ。あ、でも夏になるとこの冷たさが心地よいんだよなぁ。
…変態。
みなみお兄ちゃんが変態なのは周知の事実だろ?
変態の兄、妹は不憫であります…。
あっ、ひどい、しずくちゃん。
ちゃん付けしないでよ、気持ち悪い。
いつから呼び捨てになったんだっけ。
結構前からだよ。
…眠くなってきた。
はいはい、寝よう。まだ二日あるから。
うん、構ってね。
構うよ。
おやすみ。
おやすみ。


おやすみ、世界。
こんな世界、もう二度と目覚めないで。
そう願って今日も寝て、また明日を迎えるんだ。

天泣

見返してみると、起承転結がはっきりと分からずに愕然…Σ(゚д゚lll)
まだまだ練習しなきゃダメみたいです。
曖昧な書き方が続きすぎて、誤魔化している感じがありますね。

天泣

本当の『兄』でなければ義理の『兄』でもないみなみの家に二泊三日しにいったしずく。二人の過ごした一日だけにライトをあて、しずくの気持ちを軸に物語を進めていく。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-31

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  1. 私、みなみ君の匂い好き。言わないけど。
  2. しずくの冷たさって安心するね。言えないけど。