旧作(2013年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…2」(芸術神編)
TOKIの世界。
壱‥‥現世。いま生きている世界。
弐‥‥夢、妄想、想像、霊魂の世界。
参‥‥過去の世界。
肆‥‥未来の世界。
伍‥‥謎
陸‥‥現世である壱と反転した世界。二部目です。
夜に隠れるもの達
魂、精神、心などが混ざっている世界、弐。現世の時間とは違うこの世界であの事件以来、少し時間が経った。
芸術神、絵括神ライと共に行動していた弐の時神、更夜、スズ、トケイはライの妹である、音括神セイの情報収集に全力を投じていた。
「ただいまー。」
「ふう……。有力情報を掴んだよ!更夜!」
前回怪我を負ったスズはもう全快していてトケイと共にセイの情報収集をしていた。更夜の命令でスズとトケイは一緒に行動させられた。
スズとトケイは少し興奮気味に家に帰って来た。更夜がいる部屋の障子戸を思い切り開ける。現在スズは子供の姿である。
「更夜―!」
「いる。あまりデカい声を出すな。スズ。お前、忍だろう?」
更夜は畳の部屋の隅に座っており、スズを呆れた目で見つめた。
「ま、まあ……ね。」
スズは柄にもなく声を上げてしまった事に頬を赤く染めていた。トケイは隣できょとんとしていたがすぐに更夜が手に持っている物に目がいった。
「更夜……それ……少女漫……。」
トケイが口を開いた刹那、更夜は素早い動きで持っていた書物を隠した。
「なんだ?」
更夜は鋭い瞳でトケイを見据えた。
「え……いや……なんでもない。」
トケイはびくっと肩を震わせると口をつぐんだ。
「えー?何々?隠す事ないよー。少女漫画だ!これ。クッキングカラー?絵うまいねー。」
スズはいつの間にか更夜の背後にまわっており、更夜が隠した漫画を奪い取った。
「……。」
更夜は無言のまま畳に目を落とした。頬に赤みが差している。
「で?なんで更夜、この少女漫画読んでるわけ?少女が読む漫画でしょ?しかも照れてるし……。これは傑作だわ。」
スズは更夜をからかいはじめた。
「……。こないだ行った、味覚大会の世界で手に入れた。関係があるかと思い、少し読んでみただけだ。」
更夜はフンとそっぽを向いた。
「んー……そのわりにはけっこう読み込んでいるような気がするよ!この壁ドンのシーン、けっこう読んだでしょ?え?何?更夜って乙女の方なの?なんで少女漫画読んでんのー?性格に似合わず、こういうの好きなんだーっ!」
スズは普段鉄壁の更夜を攻撃できると思い、ここぞとばかりに更夜を責めはじめた。
「いい加減にしろ。人をからかうな……。しつこいぞ。」
更夜はスズを睨みつけ、スズを壁に押しやり片手を乱暴にスズの顔すれすれに置いた。
壁が破壊されたのではないかと疑うくらい大きな音が響いた。
「ひぃ!」
「人をからかってはいかん。壁ドンだ。」
「わ、わかったよ。殺気出てる!ごめんって言ってるでしょ!壁ドンってこんなんじゃないよ!」
更夜が叫んでいるスズを睨みつける。それを横目で見ながらトケイは呆れた声を上げた。
「あのさ、話が進まないんだけど……。更夜が少女漫画読んでてもいいけどとりあえずセイの情報を伝えたいんだ。」
トケイの言葉で更夜はスズから離れた。
「大人の方のスズになれ。今のお前は落ち着きがない。」
更夜はため息交じりにスズを見据えた。
「はいはい。子供のままだと動きやすいんだけど精神が子供になっちゃうのよねー。大人になるよ。」
スズはそう言うと子供姿から一瞬で美しい女性に変わった。子供姿から十歳以上歳を取った感じだ。
「落ち着いたか?」
「ま……まあね。ちょっと気分が下がったよ。せっかくおもしろそうだったのに。」
スズがぶすっとした顔で更夜を仰いだが更夜の睨みに肩をすくめた。
「あのさ、話進めていい?」
しびれをきらしたトケイがため息交じりに声を上げたので更夜とスズは口をつぐんだ。トケイは咳払いを一つつくと情報を話しはじめた。
「セイはよくわからないけど弐の世界をうろうろしているみたい。弐にいる魂達が金髪ツインテールの女の子を何度か見かけてるってさ。魂達の情報でいままでいた場所もわかった。で、スズと最後に見かけたって場所に行ってみたんだけど……真っ暗で何もない空間だった。」
トケイはそこまで話してスズに目を向けた。
「でもわたし、そこで忍を見たのよねー……。」
スズは青い顔で更夜を仰いだ。
「忍だと……。あいつらか?」
更夜は鋭い瞳でトケイとスズに質問を投げた。
「いや……あの味覚大会にいた甲賀忍者とは違うみたい。……もしかしたらだけど……伊賀忍者かも。」
スズはなんだか納得してない顔をしていた。
「何故、そうだとわかる?」
「……霧隠……鹿右衛門様……才蔵様がいたような気がするから……。」
スズは畳に目を落とした。
「霧隠才蔵か。今度は伊賀か……。」
更夜は忍の単語で大きくため息をついた。
「とりあえず、ライに報告しておくよ。セイは間違いなく弐を彷徨っているって事がわかったからさ。」
「いや……まだ報告は早い。セイの居場所を掴んでからにするべきだろう。」
更夜の言葉にスズは大きく頷いた。
「そうだねぇ。今、ライに言いに行ってもそれから何する?って話になっちゃうからね。」
「なるほど。たしかにそうかも。」
スズの言葉にトケイは納得の色を見せた。
「じゃあ、もうしばらく情報を探してみるね。」
トケイがやる気満々で出て行こうとして刹那、更夜がトケイを思い切り引っ張った。
「うわあ!何?更夜!」
トケイはバランスを崩し、畳に思い切り転がった。トケイは頭を打ったのか頭をさすりながら更夜に目を向ける。更夜は鋭い目つきで障子戸の外を睨んでいた。そして何故か刀を抜いている。
「トケイ、大丈夫?」
スズが慌ててトケイの側に寄った。スズの表情は険しい。
「う、うん……。一応。」
トケイはかろうじて返答をした後、ふと横を見た。トケイのすぐ近くで鋭利な手裏剣が畳に食い込んでいた。
「手裏剣……。」
「後ろには気を付けてたけど……つけられていたみたいだね……。」
スズがトケイにこっそり耳打ちをした。更夜は刀を構えたまま、まったく動かない。
障子は閉め切ったままなのでおそらく相手も更夜達がどこにいるのかまでは把握できないはずだ。更夜はそう思い、動くのをやめた。
動かなければ響くのは相手が動く音のみ。
しばらく静寂な時が訪れた。誰も何も話さず、音を立てない。しかし、その静寂は風の音で破られた。
何かが障子戸を破り、唸りをあげて飛んできた。更夜を狙っているようだ。更夜は飛んできている物が何かもわからずに咄嗟にそれを避けた。避けた瞬間、更夜は飛んできた物を目に捉えていた。
そして避けた事を後悔した。
飛んできた物は鉤縄だった。鉤縄は更夜の後ろにいたトケイに絡まり、そのままトケイを連れ去ろうとしていた。トケイは何かに引っ張られ勢いよく引きずられて行った。おそらく周りにある木などに縄を絡みつけ重石か何かを木の上から落として対象を引っ張っているのだろう。
「ううっ!」
トケイは呻く事しかできなかった。
「っち……。」
「更夜!」
スズの叫びを背に更夜はトケイに向かい走り出した。引っ張られているトケイに追いつき、素早く懐に忍ばせておいた小刀で縄を切ってやった。
「更夜……たすかっ……」
トケイが冷や汗をかきながらお礼を言おうとした刹那、鉤縄がもう一つ飛んできた。今度はトケイに巻きつくのではなく、更夜の方に巻きついた。
「更夜!」
追って来ていたスズが更夜に手を伸ばしたが更夜は勢いよく木々が覆い茂る森の中へと引っ張られて行った。
「来るな!」
スズは追いかけようとしたが森の奥から更夜の鋭い声が聞こえたので立ち止った。
「更夜……。」
トケイは呆然としながらスズに目を向けた。
「……。」
スズが前方を睨みつけていると森の奥でかなり大きな音が響いた。
「トケイ……。やっぱ行こうよ。更夜を助けよう!」
「でも更夜、来るなって言ってたけど……。」
「いいから!」
トケイはスズの気迫に押され、小さく頷いた。
「わかった……。」
二人は音が響いた方向へと走り出した。家の周りは円形状に白い花で覆われているがそのさらに先はスズ達もあまり踏み入れない森が広がっている。森がどこまで続いているのかはわからない。
森に入ってすぐに二人は薙ぎ倒されている二本の木を見つけた。
「……更夜……。」
スズは木の付近で人影を探す。あたりは誰の気配もなく物音一つしない。
「更夜どころか誰もいないみたい……。」
トケイは無残に放置されている鉤縄を持ち、スズの元へと戻ってきた。
「……気配も何もしない……。もうこの世界から外に出たんだね……。」
スズは頭を抱えると踵を返した。
「スズ?」
「ここにいてもしょうがない。」
「まあ、そうだけど……。」
スズの後ろをトケイは素直についてきた。
「わたし達が狙われて、しかも相手は忍者。違うかもしれないけど……でもセイが関わっていると思うしかない。トケイを狙ったのか更夜を狙ったのかはわからないけど殺すつもりじゃなくて捕まえるつもりだったっていうのははっきりしたわね。」
「んん……まあ……そうだね……。」
スズとトケイはあたりを警戒しながら白い花畑に戻ってきた。
「なんで狙われたのか……だけど……殺さずに連れ去るって事は何かこちらが持っている情報がほしいって可能性がある。つまり誰か人質がほしかったとか、拷問して吐かせたかったとか。わたし達が共通で知っている内容と言えばセイを追っている事と例の甲賀忍者達とライの居場所……。」
スズは独り言のようにブツブツ言いながら自宅の前に立ち、腕を組んだ。
「ライが危ないかもって事?」
トケイは慌ててスズに叫んだ。
「そう思わせるのも相手の手かもしれないよ。ライの居場所を知りたいならわたし達の監視も当然するはず。」
「そっか……。じゃあ、ライの所に行くのは間違い?」
トケイはそわそわとあたりの様子を伺いながらスズに質問をした。
「間違いとも言いきれない。でもライは今、図書館にいるからどちらにしても弐の住人は入り込めない。」
「そうだった!じゃあ、ちょっと安心かな。とりあえず、更夜を探そうよ!」
トケイはライに危害が加わらなさそうだと判断し、不安な表情を消した。
「……慎重にやらないとダメよ。相手は忍者なんだから。」
「うん……。」
スズとトケイはお互い頷き合うと更夜をまず探す事にした。
「うーん……ここにいると時間がわからないわ。」
芸術神、絵括神ライは神々の図書館で暇を持て余していた。この神々の空間は弐の世界にあるが魂達は入って来る事ができない世界になっている。ライはここに隠れる事でセイの笛を守っていた。
「なんか気分転換にいい小説でもおすすめしましょうか?」
ライがぼうっとしていると男が紅茶を運んできた。男は頭に星型の帽子を被り、紫色の着物を着ている奇妙な格好の男だ。男だが物腰は女である。つまり心は女の神だ。
彼の名は天記神。この図書館の館長だ。
「そうですね……じゃあ、恋愛ものとかありますか?」
ライは控えめに天記神に声を発した。
「あるわよー。たっくさん。」
天記神はやたらと喜びながら沢山の本をライの前に置いた。
「こ、こんなにあるんですか?」
「ええ。お好きなのをどうぞ。」
天記神に薦められるまま、ライはてきとうに一冊の本を手に取った。
「ふっ!?」
少し概要を読んだライは不思議な声を上げて顔を真っ赤にした。
「あら?どうしたの?」
「あの……天記神さん……これ……官能小説……。」
「一応、恋愛小説だけど……。」
「ふ、普通のにしてください!」
きょとんとしている天記神にライはワタワタと本を横にずらす。
「……ん?」
慌てて官能小説を積み上げていたライが一冊の本に目を向けた。
「ああ、それは平敦盛(たいらのあつもり)の小説よ。少ししか恋愛要素がないけど小説だからやっぱりおもしろいわよね。」
天記神は大きく頷きながら言葉を発した。
「平敦盛って平家の人ですよね?あの笛がうまかったっていう……。」
「そうそう。」
「笛……。」
ライはこないだ甲賀の忍達から奪った笛を眺めた。笛は金色に輝いており、とてもきれいだった。
……これをセイちゃんに早く返さないと……。
「あの……やっぱりここにいていいんでしょうか?」
ライは天記神を見上げ、言葉を発した。
「……いいんじゃないかしら?あなたはその笛を魂達から守っているんでしょう?ここには私もいるし安心よ。」
天記神はふふっと微笑むと机に常備してあるクッキーを口に入れた。
天記神に習い、ライもクッキーに手を伸ばす。バターの香りがほのかにするおいしいクッキーだった。
とりあえずクッキーを口に入れていると図書館の重たいドアがゆっくりと開いた。
「?」
ライがドアの方に目を向けた時、天記神は中に入って来た者を誘導する体勢になっていた。
「いらっしゃい……」
天記神はそこまで言って口を閉ざした。
「!」
ライは驚いてクッキーを飲み込んでしまった。ドアを開けて入って来たのはライの妹、笛の主である音括神セイだった。
「お姉様。笛を返してください……。見つけて下さって感謝しています。」
セイの様子は普段と全く違い、目に光はなく、身体中から禍々しい神力が出ていた。
「セイちゃん!やっと会えた!……セイちゃん……その神力どうしたの?」
「……。笛を返してください……。」
戸惑うライにセイは平然と答えた。
「ふ、笛?あ、ああ、これ?ごめんね。い、今返す。」
ライはセイの神力に怯えながら震える手で笛を差し出した。刹那、セイの横にいた天記神がライの手から笛を奪い取った。
「え?天記神さん!?」
天記神はそのままライの手を引き、セイと一時距離を取った。
「今、あの子に笛を渡してはダメ。」
天記神はセイを睨みつけながらライに小さくつぶやいた。
「どうしてですか?これはセイちゃんの笛なのに……。」
「あの子の神力、おかしいわ。あんな状態で笛を持てるわけがない。」
天記神はライを背に回しセイの動きをじっと見つめていた。
「でもこれはセイちゃんの……。」
「音括神セイ……あなた、厄神に落ちたのね。」
「厄神!?」
ライの言葉を遮った天記神はセイに向かい言葉を発した。ライは目を見開き驚いた。
「とにかくその笛を返してください。」
セイは表情なくつぶやき、手を伸ばした。
「!」
セイが手を伸ばした時、ライが持っていた笛が勝手に音を奏で始めた。
「うう……。」
笛から流れる音は頭が痛くなるような音楽だった。ライと天記神は頭を押さえ膝をついた。
「笛……返してください……。」
セイは動けなくなった二神に近づいてきた。セイに表情はない。
天記神は素早く右手を広げ一冊の本を出現させた。
「ざ、残念だけど……ま、マナー違反者は帰ってもらいます。」
天記神が出現させた本は『図書館のマナー』と書いてある本だった。天記神は本を呪文のように読み始めた。
「……か、館内での騒音はお控えください。ま、守れなければ追い出します。」
「!?」
天記神が本の一文を読んだ時、セイの身体が光りだし、その場から溶けるように消えた。セイが消えた直後、笛の音も鳴りやんだ。
「はあ……はあ……せ、セイちゃん……?」
ライは笛を抱えたまま天記神を仰いだ。
「弐の世界へ飛ばしたわ。ここの本は私が読むと現実になるの。弐の世界だからなんでもありのようだけど。それに弐の世界なら常に変動しているからこの図書館を見つけるのも苦労するでしょう。行きと同じルートだとここにはたどり着けない。」
天記神は腰が抜けてしまったライをゆっくり立たせてやると『図書館のマナー』と書いてある本を元の場所に戻した。
「セイちゃんに笛返せなかった……。」
「ごめんね。ライちゃん。あの子はもう芸術神じゃない。あの少年少女達と弐に入ってから何があったか知らないけど彼女は厄神に落ちてしまったようね。芸術神は人の心に影響を受ける神、人の心の浮き沈みで深く変動する。だから芸術神は人間と関わっちゃいけないのよ。人間の心だけに関わる……それが芸術神。人間に関わった芸術神が厄神に落ちる事はけっこうあるの。あんな状態のセイちゃんに笛を渡してしまったら……酷い言い方だけど沢山の人間、神を不幸にする。」
天記神の言葉にライは笛を握りしめ、うつむいた。
「セイちゃんを……助ける方法は……?」
「……ないとは言わないけど何か弐の世界で問題が起きた場合、私が始末するかもしれない。私は弐の世界を守っている神だから……。」
「……っ。」
天記神は言いにくそうだったがはっきりとライに向かって言葉を発した。ライは一緒に助けてくれないのかと思ったがセイはもう犯罪者だ。ある意味どうしようもない。
天記神は色々制約を抱えてこの図書館にいる高天原東の軍に属する神である。その軍の長、東のワイズと呼ばれる思兼神に図書館外に出る事を禁じられていた。
「ただ、私はワイズにこの事を報告していない。導きの神である天狗……天ちゃんに口止めされているから。……私はあなたにできるだけ協力するつもり。ここから出られないけどね。」
「……は、はい。お願いします。私、ちょっとお姉ちゃんの所に行ってきます……。」
天記神の言葉に軽く頷いたライは現在、罪を犯して捕まっている姉に頼る事にした。
「お姉さんって……語括神マイちゃんの事かしら?彼女は東で捕まっているのでしょう?」
「面会者という感じで会えないか聞いてみます。私も一応、高天原東に属する神ですから。」
ライは懐にセイの笛をしまうとドアの方向へと歩いて行った。
「あっ、高天原に行くのはいいけどちゃんとここへ帰って来なさいよ。」
「はい。」
心配そうな顔でライを見る天記神にライはなるべく明るく返事をした。
この図書館は弐の世界にあるが人の精神や夢、妄想の世界の方の弐とは違い、異空間だ。この図書館は壱の世界である現世の図書館に繋がっている。逆に天記神の図書館に来たければ現世の図書館で神々しか入れぬという霊的空間がある部分を探し、そこに置いてある白い本を開けばこの弐の世界にある天記神の図書館に来ることができる。
弐の世界で迷っても天記神の図書館に出てくる事ができたら現世である壱に間違いなく戻れる。ただし、魂は壱の世界には入れない。弐の世界で実体を持てていてもこの図書館の空間に入ると実態のない魂になってしまう。故に弐の世界の住人達が壱の世界、現世に入る事はできないのだ。
ライは元々壱の世界の神。弐の世界の住人とは違い、現世に帰る事ができる。
ライは天記神の図書館のドアを開けると盆栽が並んでいる道をただ歩いた。あたりは霧で覆われている。しばらく歩くと霧で前が完全に見えなくなった。一瞬、目の前が真っ白になったかと思ったらライは壱の世界、現世の図書館に立っていた。
「……戻ってきたの?」
ライはあたりを見回す。目の前には古い本棚が置かれており、その本棚には真っ白な本が一冊しか入っていなかった。ライの後ろは壁で行き止まりのようだ。ライは行き止まりとは反対の方向へ歩き出す。
「!」
ふと何か空間を抜けた気がした。世界が歪んだような錯覚を覚えた刹那、子供達の笑う声が聞こえた。
よく見ると絵本コーナーと書いてあった。ライが今来た道は今も確かにあるのにこの図書館の利用者はその空間がまるで壁に見えているかのように目も向けない。
……現世の人にはあの空間が見えないんだね。神とそれに仕える霊的動物にしかあの空間は見えない。……。
ライは絵本を読んでいる子供達の横をすり抜けながら図書館の外を目指した。
ライがたどり着いた図書館はかなり大きな図書館だった。図書館を出て建物を見上げるとどこか都会の図書館らしい事がわかった。外は柔らかい風が吹いており、桜が舞っている。
「あったかい……。もう桜の季節なのね。」
ライは暖かい日差しの中、ひとりつぶやいた。
……さあ、高天原に行こう……。
ライは満開の桜を眺めながら神々の使いである鶴を呼んだ。
鶴はすぐに来た。大きな籠を引き、ライの前までやってくる。
「よよい!お呼びかよい!」
五羽いる内の一羽が元気よくライに声をかけた。鶴は神々の使いで呼べばすぐに来る。だいたいの神はこの鶴を移動手段として使っていた。
「う、うん……。高天原までお願いできるかな?」
「高天原に続く門の前まででいいかよい?」
「うん。それで大丈夫よ。」
ライは駕籠に乗り込みながら鶴に答えた。鶴は「よよい。」と謎の返事をするとライを乗せて大空へと舞い上がって行った。
二話
蝋燭が沢山置いてある部屋で更夜は鎖で縛られていた。連れ去られた直後に殴られたか何かで気を失っていたようだ。気がついた時はこの薄暗い部屋にいて上半身裸の状態で鎖に繋がれていた。
……俺を拷問でもする気か?無意味な事を……。
更夜はゆっくりとあたりを見回す。しかし、奪われてしまったのか落としたのかわからないが眼鏡をかけていなかったため、あたりはぼやけてよく見えなかった。とりあえず鎖をほどこうと関節をはずしてみたが鎖はほどけなかった。
……この鎖の巻きつけ方……やり手だな……俺を連れ去ったのはやはり忍か?
「やっと起きたか。」
更夜が色々状態を把握している中、男の声が響いた。
「……?」
更夜は目が悪いため、男の顔まではわからなかったが数人の黒ずくめの男達が更夜を取り囲んでいた。
「なんだ?俺を拷問でもする気か?」
更夜はため息交じりに声を発した。
「トケイ……言う事を聞くと約束すれば何もしない。」
男の一人が更夜の事をトケイと呼んだ。
……トケイ?
更夜は再びため息をついた。
……そうか。俺はトケイと間違われて連れて来られたのか。……俺を見てトケイではないと気がつかない所をみると……こいつらはトケイの顔を見た事がないと。トケイのふりをしてしばらく目的を聞き出すとするか。こちらの情報はまったく漏らさんようにしなければ……。
更夜はトケイをさらおうとした理由を聞き出すため、芝居をする事にした。
「何の約束かはわからんがモノによる。」
更夜は男達を見回し、静かに口を開いた。
「お前は特定した魂の世界へ迷う事なく行く事はできるか?」
男の一人が更夜に質問を投げてきた。
「……さあな。それを人間の魂に言う必要はない。」
「では、特定の神を特定の魂の世界へ送れ。」
男の一人が今度は要求を話した。
「それはできない。」
「つまり、特定した魂の世界には行けないという事か?」
「あなた達に話す必要はない。」
「できるのか?」
「どうだろうな。」
更夜の態度を崩してやろうと思った男の一人が木刀で更夜の腹を殴りつけた。
「うっ……。」
「どちらだと聞いているんだ。魂ではなく現世に存在する神を特定の世界へ送れるかどうか!」
「話す必要はない。」
「後悔するぞ。」
更夜は低く呻きながら男を睨みつけた。それを境に男達は何かに触発されたかのように更夜を痛めつけ始めた。
更夜は暴行を受けながら冷静に考えを巡らせていた。
……なるほどな。目的はトケイを使ってある特定の魂の世界に現世である壱の世界の神を連れて行く事。そしてこいつらは忍だがこいつらの上に主である忍がいる。忍であるのに俺が忍であるという事に気がつかないし、拷問も下手だ。こいつらは上から頼まれただけだ。それと俺が縛られているのはただの鎖、拷問設備がそろっていないという事だ。つまり、上から聞き出せとは言われているが拷問をしろとは言われていないという事だな。ふむ。
更夜は殺気を込めた目で暴行している男達を睨みつけた。
「……っ!」
するととたんに男達の手がピタリと止まった。更夜が放つ殺気に男達が負けたのだ。更夜は縛られて動けないが襲いかかってくるのではないかという恐怖感が男達を渦巻く。
更夜が男達を操ろうとした時、別の男の声が聞こえた。
「あァ、こりゃあ……エライのを連れてきちまいましたね。」
男達の輪を避けながら声の主が更夜の前に現れた。全身黒ずくめではっきりとわかるのは目元くらいだ。鼻の半分まで黒い布で覆われている。諜報に先程まで行っていたというような格好である。
「……?」
更夜はその奇妙な格好の男をまっすぐ視界に入れた。男は痛めつけられた更夜をじっくり眺めながら言葉を発した。
「望月更夜か……おめぇ達、とんでもない忍を捕まえてきちまいましたね。」
男の発言であたりにいた男達に焦りの表情が浮かんだ。
「望月更夜だと!トケイではないのか!」
「まさか甲賀望月を連れて来てしまうとは……。」
男達はざわざわと騒ぎ始めた。その中、更夜はまっすぐに黒ずくめの男を見据え、言葉を発した。
「あなたは何代目かわからないが服部半蔵だな……。」
「ご名答。忍の情報網でそれがしを知っちまいました?」
服部半蔵と呼ばれた男はいたずらな笑みを更夜に向けた。
「まあ、そんな所だ。」
「おめぇさんを拷問したところで何も意味はないでしょう。だがね、おめぇさんを放してやるわけにゃいかんのですよ。これからトケイを捕まえに行こうと思っている時に邪魔される確率が高ぇですからね。」
半蔵は飄々と更夜に言葉を発する。
「ああ、間違いなくあなたを邪魔する。」
更夜は半蔵に向かいニヤリと笑った。
「だから、こちらとしては万が一逃げ出せたとしても逃げられないようにする方が大事でしてねぇ。」
「なんだ?俺を半殺しにでもする気か?」
「ご名答。悪ィけどそれがし達は同業者には本気なんですよ。」
半蔵は更夜に不気味に笑いかけた。
「その言葉、何度も聞いたな。悪いが半殺しはごめんだ。」
「じゃあ、それがしから逃げちまったらどうですか?逃げられるもんならですが。」
「違いない。」
半蔵と更夜はそれぞれ顔を引き締め、お互いを睨みつけ合った。
ライはなんとか高天原にある東のワイズ領にたどり着いた。高天原東を統括する神、思兼神、通称東のワイズは近未来風の街並みが好きなのか現世でもあまり見ないような奇抜なビルを多く建てている。
道路は歩かなくても勝手に動く自動式。そびえ立つビルはまるでオフィス街のようだ。
その中、ひときわ目立つ金色のお城がワイズの居城だ。金閣寺を悪い意味で進化させたような落ち着きがないその城は西や北、南に住む神々からはあまり良く思われていないようだ。
ライは自動式の道路を通り、金色のお城の前で呼吸を整えた。
……お姉ちゃんと面会できるかな……。
緊張した表情をさらに引き締めたライはお城の中へと入って行った。
「おっと……。」
ライが中に入った刹那、男とぶつかりそうになった。
「あ……ごめん……。って、みー君?」
ライは目の前に立つ男性を驚きの表情で見つめた。男は鬼のお面を被っており、橙の長い髪に着流しを着ていた。この男は以前、対面しているのでライはこの男を知っていた。
「ライか。そんなに驚く事ないだろう。俺もここに住んでんだからな。」
みー君と呼ばれた男性はライに呆れた声を上げた。彼は天御柱神という名の厄災の神である。知名度は高く、かなりの神格を持っている神だ。ワイズの側近についている神でもある。
みー君が本気を出さなくても少し力を出しただけでライは負けてしまうだろう。
それくらいの神格の差がある。
「みー君……。お姉ちゃんに会いたいの……。お姉ちゃんに会いに来たの。」
ライは必死にみー君に訴えかけた。
「語括神マイか。あれは俺と太陽神の頭が必死で捕まえたもんだ。面会はできない。」
みー君は素っ気なく言い放った。
「そんな!何で?面会だけだよ!」
「あれは俺の部下だ。心配するな。暴力はしていない。」
ライが罪神である姉にひどい事をしていると思い、乗り込んできたとみー君は思ったらしい。
「みー君が紳士な事は知っているからお姉ちゃんに関しては心配していないよ。」
「じゃあ、なんだ?なんで会いたいのか言ってみろ。」
「……。」
ライは話そうとしたが口を閉ざした。妹のセイの事でマイと話がしたいと言いたかったがセイは人の運命を狂わせた罪神。周りが全力で隠しているがここでライが話してしまうとみー君がセイを捕まえに行くかもしれない。ライは姉に会うための理由を探した。
「どうした?」
「ちょっとお姉ちゃんの顔が見たくなっただけだよ。」
「会うなら俺も同伴するぞ。会話も全部録音させてもらう。」
みー君は仮面の奥の鋭い瞳をさらに細め、厳しく声を発した。
「そ、それは困るよ……。」
ライは戸惑いながらみー君を見上げた。
「マイは重犯罪神なんだ。また妙な行動をとられても困る。お前達が何の話をしようが勝手だが事件の匂いがした段階で調べさせてもらうぜ。お前、何か隠しているな?」
みー君の鋭い質問にライはか細い声でつぶやいた。
「隠してない……。」
「だったらなんで俺が同伴するのが嫌なんだ?」
「それは……。」
みー君はライを警戒していた。
語括神マイは次元を歪ませ、人の運命を狂わせ、神々を狂わせと散々な事をやった罪神である。太陽神の頭、輝照姫大神(こうしょうきおおみかみ)とみー君が主に動き、高天原総出でマイの逮捕を試みた。
この件はまた別のお話なのでここでは省くことにする。
「言えないならば会わせられないな。……ま、お前も一応、俺の部下らしいからな。なんかあるなら言えよ。そこそこの力なら貸すぜ。」
みー君は青くなっているライに優しく言葉をかけた。しかし、ライはこの件についてみー君に話すわけにはいかなかった。
……みー君に頼ったらセイちゃんの罪がばれる……。みー君は罪神のセイちゃんをきっと助けてはくれない。ワイズが罪神を見逃すことを許さないから。
ライはため息をつき、姉のマイが言っていた言葉を思い出した。
……上に立つ偉そうな神を苦しめてやりたかった……。
マイは捕まる少し前こんな事を言っていた。芸術神のような弱小神は上からの助けも借りられず、上からの命令には逆らえない。今回のセイの件もマイは上の神に助けを求めようとしていたのかもしれない。だが助けを借りられないと気がつき、自分でセイを救おうとしたのではないか。
……そういえばお姉ちゃん……天さんとの会話で『こんな状態のセイをあれが助けてくれるとは思えない。……お前はこの事を誰にも口外するな。……私がセイを守る。ワイズに一泡吹かせてやろう。』って言ってた。やっぱりセイちゃんの件を隠すために自分でわざと大きな事件を起こしてセイちゃんの件を隠した?そして代わりに自分が捕まったの?
ライはマイの事を何も知らなかった。だがマイがわざと事件を起こしてセイの罪を隠したというのは間違いないと思った。
「お姉ちゃん……。」
ライはマイの事を思い、目を潤ませた。
「お、おいおい。勘弁してくれ。隠してる事話せば会せてやる。」
みー君は泣きそうなライに慌てて声を発した。
「それは話せないんだってば……。」
「だったら会わせる事はできない。あきらめろ。」
みー君の言葉にライは拳を握りしめ地面に目を落とした。
「……わかったわ。」
ライがみー君に勝つ事は百パーセントない。みー君と堂々と交渉できるのは幹部クラスの神か相当高い神格を持った神だけだ。ライみたいな弱小神ではまるで話にならない。
ライはマイに会う事をあきらめ、天記神の図書館に戻る事にした。
みー君は寂しそうなライの背中をただ見つめていた。
「おい。マイ。」
みー君はワイズの居城の地下にある牢獄にいた。薄暗い牢獄の中にひときわ白い着物が目立つ。みー君は牢越しにマイに声をかけた。
「なんだ?また私を殴るのか?」
「馬鹿。俺がお前を殴った事なんてあるか?でたらめ言うんじゃねぇよ。」
「あなたはいつも私の元へ訪れるな。酷い折檻でも待っているかと毎日ヒヤヒヤしているぞ。」
マイは飄々とみー君に返事をする。
「お前、マゾか?」
「ふふ。あなたにならば殴られようが斬り刻まれようが構わない。私は待っているぞ。」
「悪いが俺にそんな趣味はない。」
マイはクスクスとみー君の反応を見て喜んでいた。
「……で?私に何の用だ。」
マイは真っすぐみー君を見上げ声を発した。
「今日、ライがお前に会いたいと言ってきた。お前も何か俺に隠しているだろう?お前が弐に捨ててきたっていうあの笛の件が絡んでいるんじゃないかと俺は思っているが。」
「……さあ、どうだか。」
「お前は相変わらずだな……。そろそろ口を開いてもいいんじゃないか?」
マイはまったく話す気がないようだ。みー君は頭を抱えながら牢獄の壁に背中をつけた。
三話
ライは沈んだ顔で天記神の図書館に戻ってきた。
「……その顔じゃあ会えなかったのね……。」
天記神が図書館に入って来たライをみてつぶやいた。
「はい。会えませんでした。」
ライは落ち込んだ顔で図書館の椅子に座り込んだ。そしてセイが持っていた笛を懐から出す。
「……え?」
ライは笛を見て驚いた。笛は先程まで金色に輝いていたのだが知らぬ間に古い木の笛に変貌していた。笛からは禍々しい神力が漂っている。
ライは笛の変化に驚き、咄嗟に笛を下に落としてしまった。しかし、笛は地面につくスレスレでふわりと浮き、何かに引っ張られるように飛び出して行ってしまった。
「あっ!笛が!」
ライは咄嗟に飛んで行く笛を追いかけ走り出した。
「ライちゃん!」
天記神は走り出したライを慌てて追う。ライはそのまま図書館を飛び出し、霧の奥へと走り去って行ってしまった。
……しょうがないわね……。
天記神は手を横にかざし、一冊の本を出現させる。本のタイトルは『弐の世界の時神』と書いてある本だった。
……笛云々の前に弐の世界に入ったら簡単には外に出られなくなっちゃう事、あの子必死過ぎて忘れちゃっているのね……。こちらに戻って来れるように、せめて時神の元へあの子を導いて。
天記神は念を込め、手に持っている本をライの背中に向けて投げた。
本は鳥のように羽ばたきながらライの後を追い消えて行った。
ライは無我夢中で走ってなんとか笛を捕まえた。
「はあ……はあ……やっと捕まえた……。」
禍々しいものを放つ笛はライの手におさまった直後、おとなしくなった。
……なんでいきなり飛んでいっちゃったんだろう?この笛……。
ライが首を傾げて笛を眺めるが笛については何もわからなかった。ひとまず安心したライはあたりを見回した。
「はっ!」
あたりは無数の世界がネガフィルムのように帯状に連なっているよくわからない場所だった。宇宙のように星が散りばめられている場所でライはフワフワと浮いていた。
そこでライは自分の能力関係なしに弐の世界の深部に入り込む事がどういう事が思い出した。
……入ったら二度と同じ場所へは戻れない……。
笛を追う事に必死でそのことを完全に忘れていた。
「ま、まずい……。」
ライは事の深刻さに今、気がついた。
「どうしよう……。あっ!そうだ!」
冷や汗が頬を伝う中、ライは一つの方法を思いついた。ライの能力、心の深部ではない、妄想、想像などがある表の弐の世界を出す能力でうまく知っている場所に戻れないか。ライはふとそんな事を思った。
「私は絵という芸術のひらめきを人々に教える神……。人間が絵に描く想像の世界なら出せる。」
ライはひとりつぶやくと大きく頷き、ライの神具である筆をポケットから取り出した。
そのまま、世界を創造し、筆を走らせる。空間に絵を描いているのと同じだ。
そしてライは一つのドアを描いた。
「ふう。このドアから私が想像した世界へと入る。」
ライは自分で描いたドアのノブを握り、一呼吸を置いてドアを開いた。
「!」
刹那、一冊の本が鳥のように飛んできてライを引っ張りはじめた。ライは重力に引っ張られるように開いたドアの内部へと吸い込まれて行った。
「えっ……さっきのなんだったの?」
ライは気がつくと白い花畑の真ん中に立っていた。しばらく何が起こったのかわからず、放心状態だったがだんだんと意識をまわりに集中させる事ができるようになってきた。
「あれ?ここは……。」
ライは周りを見回し、ここが更夜、スズ、トケイが住んでいる世界だという事に気がついた。一面に広がった白い花が優しく風に揺れている。
「時神の所に戻って来れた!すごい!奇跡だわ!」
ライは興奮気味に後ろを振り返ったり、前を向いたりしていて本当に時神の世界なのか確認していた。
……やっぱり時神の世界だ。なんで戻って来れたんだろう?
ライは首を傾げた。もちろん、ライは天記神が時神の元へ導いた事を知らない。
しばらくライは考えていたがやがて諦めた。
「まあ、戻れたんだしいっか。」
ライはほっとした顔をすると目の前に建つ瓦屋根の家に向かって歩き出した。
「ちょっ……ライ!?」
ライが歩き出してすぐ、スズの声が聞こえた。スズはライの真後ろでクナイをつきつける形で立っていた。
「うわあっ!」
ライはスズが後ろでクナイを構えていたので驚いてしりもちをついた。
「ごめん。ごめん。びっくりさせちゃったね。」
スズは現在大人の姿だ。スズはどことなく焦った感じを出していた。
「スズちゃん?」
「そうよ。」
ライは咄嗟の事でまだ、スズであると頭の中に入っていなかった。
「どうしたの?いきなり音もなく後ろからクナイをつきつけたりして……。」
「んー……実はねぇ……ちょっと言いにくいことなんだけど……って、それよりなんであんた、ここにいんの?」
スズはライがここに再び現れた事に驚いていた。
「実はね……。セイちゃんの笛が……。」
ライが声を発した時、ライの横にトケイが飛んできた。
「ライ!大変なんだよ!更夜が……。」
トケイはライの前に立つと戸惑いながらライに叫んだ。
「え?更夜様が何?」
「あーっ!もう。なんか、会話がぐちゃぐちゃしてきたからとりあえず、うちで話をしましょう!」
スズが会話の混乱を収める為、瓦屋根の家で各々の話をする提案をした。
「そ、そうだね……。」
「う、うん……。」
ライとトケイはスズの意見に賛成し、家の中に入って行った。
蝋燭が沢山置いてある地下室で更夜と半蔵は睨みあっていた。半蔵は更夜を完全に弄んでおり、両手を縛られたままの更夜は唯一自由な足で半蔵の攻撃をかわし、受けている。
「このままじゃ本当に意識失っちまいますよ。」
半蔵は冷酷な瞳で傷だらけの更夜を眺めつつ、蹴りを更夜の脇腹に喰らわせた。
「っち。」
更夜は右足を上げると蹴りを足で防いだ。
「殺しゃあしないんだから大人しく半殺しになってくれませんかねェ……。」
「半殺しになるくらいなら殺せ。そうしたら俺は元の世界に帰れる。」
「殺しちゃったらこの世界で死んだ事になるだけじゃないですかい……。ここじゃない別の世界で復活されちゃあ困るんですよ。おめぇさんを再び捕まえんのは大変そうだからできりゃあ、ここで囲っておきたいんですよ。」
半蔵はクスクス笑いながら更夜の腕を小刀で凪いだ。更夜は足を振り上げ、足の指先に挟んだクナイで小刀を受けた。
「俺としては殺してくれた方がありがたいんだがな。」
「おめぇさん、けっこう身体柔らけぇんですね。それにまだクナイなんて隠し持っていやがったんですかい……。意外にしぶといなあ……。」
「悪かったな。……俺もこんなに逃げる隙がないとは思わなかった。」
半蔵と更夜はお互い笑い合った。更夜の方には余裕はない。どう頑張っても腕の鎖が外れない。更夜が試行錯誤していた時、すぐ近くで半蔵ではない男の声がした。
「半蔵、遊んでいる暇はありません。手っ取り早い方法をとってください。」
「!」
更夜はすぐ横で風が唸る音を聞いた。咄嗟に左足を上げて防御姿勢を取ったが防御の姿勢に入る前に男の右足が更夜の脇腹に深く入り込んだ。鎖が衝撃で大きく揺れる。更夜は大きくバランスを崩したが右足でなんとか踏ん張った。
「うぐっ……。」
更夜は低く呻いた。更夜は咳き込みながら自分を攻撃してきた男を視界に捉える。眼鏡がないので視界がぼやけていたが肩先まで髪がある男が羽織袴姿で立っているのは見えた。
男は更夜に顔を近づけると目を細めた。
「私は霧隠才蔵です。」
「!」
更夜は一瞬、驚いたがすぐに顔を引き締めた。
「てっとり早く言います。お前を逃がしてあげますよ。ただし、逃げたお前を私達がつけますがね……。」
才蔵と名乗った男は更夜に向かい、不気味に微笑んだ。
……なるほど……。逃げても仲間の元へはいけないという事か。仲間の場所がバレてしまうからな。弐の世界は変動する。その個々の世界の持ち主しかその世界の帰り道を知らない。
……俺は知っているから帰れるがこいつらは俺達の世界を見つけることができない。
……俺の後をつけると言っているところからすると俺に動くなと言いたいのだな。
「更夜……どうしますか?逃げますか?頭のいいお前ならわかりますよね?私の言っている意味が。」
「逆に聞く。あなた達が俺をここに留めておいたらあなた達が持っている情報を全部持ち逃げするぞ。それでもいいのか?」
更夜は才蔵を睨みつけながら言葉を発した。
「ははは!なかなか一筋縄ではいかない返答の仕方をしますね。鎖をはずしてしまったら逃げないでここで情報を盗む可能性もありえますね。でも、こちらは安心なんです。あなたの腕と足を折ってしまえば大人しくなりますから。」
「ずいぶんと残虐な事を言うんだな。」
「お前は幼い少女の腕を折ったではないですか。どの口がそんな事を言えるのか不思議ですね。」
才蔵はため息交じりに更夜につぶやいた。
「スズの話か?そうか。あなたは現世で俺がスズを殺す所を見ていたのか。俺が気がつかないとは……俺も陰ながら動揺していたって事か。あれは本当にまいっていたのだ。さすがの俺も冷酷になり続けるのは厳しかった。」
更夜は才蔵の動きに注意しながら壱の世界で生きていた時の事を話した。
「まあ、私もあの時は嫌な役目でしたよ。スズがあの場所から万が一逃げ出した場合の抹殺係でしたからね。あの子は勇敢でした。殺人鬼の男を二人殺せという任務……幼い女の子には重すぎる業務。スズの親は忍として芽が出ない娘を殺したかったみたいですね。息子が家督を継げればいいと考えていたようですし。」
「ふむ。ではスズは何も知らずに俺と壱の世界の時神、過去神栄次を殺しに来たというわけか。確かに忍としては出来損ないかもしれんな。真っすぐすぎる。」
更夜はため息をついた。
「スズ……あの子はお前の言いつけを破り、ここに乗り込んでくるかもしれませんよ?トケイと一緒に。トケイは忍ではないので捕獲しますがスズはどうなるのでしょうね。」
才蔵は再び更夜に微笑んだ。
「俺を脅す気か?」
「ええ。もちろん。いままでのお前ではこんな事をしても意味なかったでしょうが今のお前ならば効果的だと思いまして。ねえ、半蔵。」
才蔵は横に立っていた半蔵にいきなり声をかけた。
「そこでそれがしにふるんですかい。更夜、おめぇさんは背負い過ぎちまったようですな。これからも利用されるぞ。」
半蔵は更夜にそっと顔を近づけると更夜をじっと睨みつけた。
「まさか、服部半蔵と霧隠才蔵に拷問されるとは……。珍しい事だな。つまり、あなた達は俺に動くなと言いたいのか。」
更夜はまったくブレずに半蔵と才蔵にニヤリと不気味に笑った顔を向けた。
「そういう事ですよ。お前が大人しくしていればトケイとスズがいずれここに飛び込んでくるかもしれませんから。間違って連れて来てしまったのならばそれを利用すればいいんですよ。お前には餌になってもらいます。」
才蔵は更夜の腕に手をかけた。
「とりあえず俺の手足の骨を折るのか?」
更夜はため息をつきながら才蔵を仰いだ。
「その通りです。」
才蔵がそう言った刹那、地下室のドアが静かに開いた。才蔵と半蔵は咄嗟に開いたドアの方に目を向けた。
「何をしているのですか……?才蔵さんと半蔵さん……。」
声は弱々しい女の子のものだった。更夜は眼鏡がないため、ぼやけてあまり見えなかったが金髪のツインテールの少女のようだった。
「ああ。ここに来ちゃダメってそれがし、言ったじゃねぇですかい。」
半蔵はため息をつきながら少女の肩をそっと抱く。
才蔵の方は更夜の前に立ち、少女に更夜を見せないようにしていた。しかし、少女は才蔵と半蔵を押し切り、さらに奥に目を向けた。少女の瞳に傷だらけの更夜が映った。
「……っ!何しているんですか!この人はトケイじゃありません!それに傷つけないでって言ったじゃないですか!あなた達は信じていたのに……。やっぱり人は人を傷つけるんですか?どうしてですか!もう嫌……。」
少女は傷だらけの更夜を視界に入れながら震え、涙を流した。
「申し訳ありません。もう、この者には何もしませんからお許しください。」
才蔵は少女をそっと抱き上げ、涙を拭く。半蔵は少女の頭をそっと撫でていた。それは更夜にとってただ事ではない奇妙な光景だった。
……この娘は……もしや……セイ。視界がぼやけていてよくわからんが……なんだか禍々しいものを纏っている娘だ。
更夜は才蔵に泣きついている少女を訝しげに見つめた。
……今の会話からすると……この娘がトケイを探している……。という事は、この娘が半蔵と才蔵の雇い主……。
半蔵は少女を見つめている更夜をちらりと視界に入れ、舌打ちをした。更夜に情報を探られていると思ったのだろう。
「笛もお姉ちゃんに持っていかれたまま……これじゃあ、いつまでたっても敦盛さんに笛を返せません……。」
少女は才蔵の胸に顔をうずめながら小さくつぶやいた。半蔵と才蔵の顔は渋っていた。ここで少女が目的を泣きながらしゃべってしまったらすべて更夜の耳に届いてしまう。こちらの弱みを握られ、余裕がなくなる。
二人はそれをまず心配した。
そしてやむを得ず、更夜から離れることにした。半蔵と才蔵はまわりにいる忍達に更夜を監視しておくよう言うと、少女を慰めながら外へと出て行った。
「なるほど……。」
スズは一通りライの話を聞き終わると複雑な表情で頷いた。ライ、スズ、トケイは現在、情報交換の為、畳の部屋の一室で話し合いをしていた。
「そっちも大変だったんだね……更夜様が……。」
ライは動揺した顔でトケイとスズを交互に見た。
「これから更夜を探そうとしてた所だったんだよ。」
トケイがうんうんと頷きながらライに目を向けた。
「ライ、あんたの事はまったく考えてなかったわ。天記神のとこにいれば大丈夫だと思ってたし。」
スズは呆れた声を上げた。
「ごめんね……。なんか私も夢中で弐に入り込んじゃったから……。」
ライはスズとトケイを見、ため息をついた。
「それはいいわ。とにかく、どこに更夜がいるかを探さないといけないの。」
「そうだね……。目星もまったくついていないのかな?」
「ついてないわね。」
「全然わかんないよ。味覚大会の時はエントリーシートで繋がっていたけど、こう何もないんじゃね……。」
ライの質問にスズとトケイは頭を抱えた。
「困ったね……。ん?」
ライはふと横に置いてあった漫画に目がいった。漫画のタイトルは『クッキングカラー』だ。少女漫画のようだった。
「ああ、それね、更夜が楽しそうに読んでいた漫画よ。」
「更夜様が!」
スズの呆れた声を聞きながらライは慌てて漫画に手を伸ばした。なんとなく読んだだけでライは顔を真っ赤に染めた。
……更夜様がこれを読んでいた!?これを……。こ、これを!?
……更夜様はきっとこういう展開が好きなんだ。ああ……私にも壁ドンやってほしい……。
「ねえ……ライ?ちょっと、ライ?」
ライがあらぬ妄想を始めた時、隣にいたトケイに思い切り揺すられた。ライは我に返り、慌てて顔を引き締めた。
「え?う、うん!」
ライはとりあえず返事をした。
「あのねえ……変な妄想している場合じゃないのよ。」
「ごめん……。スズちゃん。」
ライはスズにデコピンをされた。ライはおでこを押さえながらうずくまった。
「とにかくさ、あちこち飛んで探してみる?」
トケイが畳をパンと叩き、二人の注目を集めた。
「まあ、そうするしかないんだけど、でも相手は忍だからねぇ……。」
スズは唸りながら頭を抱えた。
「でも何もしないわけにはいかないでしょ……。」
トケイの言葉にスズは顔をしかめた。
「そりゃあ、ねぇ……。まあ、そうなんだけど。」
「はっ!」
スズが唸っている横でライは突然声を上げた。
「ん?どうしたの?ライ。」
「この漫画……この一コマから更夜様の心を感じるわ!」
「はあ?」
ライが突然発した言葉でトケイもスズも困惑した顔をした。トケイとスズはライが指差しているコマを覗いてみた。しかし、何も感じない。
「何馬鹿な事言ってんのよ……。」
スズは呆れた声を上げた。ライが指差しているコマはカッコいい男の子がかわいらしい女の子を床に押し付けているコマだった。
「床ドン……。更夜様……ここのページ読みまくってたって事あるかな?」
「さあね。そういえば壁ドンのコマ、何度も読み返していた跡があったような気がするけど。それ、床ドン?壁ドンよりも興奮する感じなの?」
「わかんないけど……このコマだけなんだか特殊な感じがするよ。」
ライはもっと注意してこのコマを眺めはじめた。
「ライってさ、絵を見た時、その絵に共感した人の心がわかったりするの?」
トケイが床ドンのコマを見ながらライに質問をした。
「わかるけど……美術館の絵とかは共感している人が多すぎて誰が誰の心かはわかんない。」
「また特殊能力ってわけね。で?このコマを何度も読んで共感した更夜はなんて思っているわけ?」
スズの言葉にライは首を傾げた。
「ごめんね。わからない。これを読んでいる人が更夜様だけだから更夜様だってわかっただけ。その内部の心までは読み取れないよ。でも、更夜様の魂の色と心の色がわかったから見つけられるかもしれない!」
ライは力強く二人に目を向けた。
「やみくもに探すよりも探しやすくなるって事だね?」
「うん。」
トケイの言葉にライは大きく頷いた。
「しかし、この漫画の一コマでもわかるものなのねぇ……。」
「スズちゃん、漫画も絵だから芸術だよ。描いている人は一コマ一コマ丁寧に絵を描いてつなげて漫画にしているの。見せ場面の絵は気合を入れて描いているはず。」
ライは興奮気味にスズに床ドンのページを見せる。
「わかった……。わかったわよ。そんな興奮しないで。……しかし、更夜……なんでこの場面を……。」
スズはライをなだめると更夜がなぜ共感したのかを考え始めた。
「……いままでこういう日常的なものに触れた事がないからじゃないかな……。」
「なるほど。そうかもしれないわね。忍だったら床ドンしたらそのまま刃物で首斬られるよ。された方は死を覚悟すると。」
スズはクスクスと不気味に笑っていた。
「恋にも触れた事ないんじゃないかな……。」
ライはこっそりスズに耳打ちした。
「そうかもしれない。あの人が女に触れる時は情報を聞き出す時か殺す時だしね。」
「女に触れる時!?」
スズとライはこそこそとトケイをよそに会話を進めている。
「抱いている最中に殺すなんて普通だわよ。抱きながら情報を聞き出すのももちろん。そこに愛情はない。」
「そんな……。」
「あんた、更夜をきれいな人間だとでも思っていたの?……でもまあ、まわりは汚いけど中身は純粋できれいなんでしょうねぇ。あの人は。」
「そうだよね……。はう~……更夜様。そういう所が素敵。」
「あんたはどこまでも頭が春だね。」
ライとスズがこそこそと話をしているのでトケイはとりあえず会話に割りこんだ。
「でさ、どうする?行く?」
「え?あ、そ、そうだね。とりあえず動こう。」
ライは慌ててトケイに返答した。三人はとりあえず更夜を助けるべく腰を上げた。
家の外に出てトケイはふとライを見て言った。
「ここからなんとなく場所ってわかるの?」
「うん。ここからでもなんとなく波形を感じる事はできる。」
ライは目を閉じ、更夜の心を探す。無限にある世界から更夜の心を見つけ出さなければ更夜がいる世界へは行けない。
「なんていうか……ライって色々凄いわね。これが神様ってやつ。」
スズは目を瞑っているライを固唾を飲みながら見守った。
「見つけたわ!たぶん、当たっていると思う!」
「凄いね。絵を見ただけで心を感じられるなんて。」
トケイもライに感心した。
「たぶん、ここが弐の世界だからかもしれない。ここでは皆魂だからパレットに出した絵具みたいに簡単に色がわかる。壱の世界、現世はパレットに出してない絵具ってとこかな。」
「……例えがわからないけど……。芸術って凄いね……。」
スズは首を傾げながら絶好調のライを見つめた。
「よし!じゃあ、さっそく更夜様を助けに……。」
「ちょっと待って。場所がわかってもやっぱり相手は忍だし、何か対策を練っておいた方がいいんじゃないかな?」
意気込んでいたライをスズが柔らかく止めた。スズはどこか怯えているようにも見えた。
「スズ、なんだか珍しく消極的だね?大丈夫?」
トケイはスズを心配し、顔を覗き込んだ。
「こないだの甲賀忍者で思い知ったよ。あの人達、本当に強かった。今回更夜をさらったのは伊賀忍者のようだけどきっとこの人達もかなりの腕利きなはず。真っ向から行って勝てる気がしないよ……。」
「確かに……。あの人達についていけたのはスズだけだったから……スズが駄目ならダメかもしれない。でも、じゃあどうするの?行ってみないとわかんない事もあるし……対策立てようがないよ。でも、スズが怪我するのはやだし……。」
トケイは相変わらず無表情だったが声に迷いが出ていた。
「ここは弐の世界だし、私も戦力になれるかもしれない。こないだの忍者さんとは違う戦いができるかもしれないよ。」
ライはスズに向かい微笑んだ。
「そうねぇ。行くのは反対しないんだけどあんた達、気配を消したりする事できるわけ?できなければすぐに見つかっちゃうわよ。」
「そ、それはできないかも。」
「でも全力で逃げるよ。僕が頑張るよ。」
トケイは意気込みながらスズを見た。
「……に、逃げるねぇ。そういう手もあるんだよね。ま、行ってみるしかないね……。確かにダメそうだったら逃げて、またライに世界を探してもらえばいいしね……。」
スズはなんだかまだ納得はいっていなかったがこのままここにいても仕方ないと思い、とりあえず進むことにした。あらかじめ、内部を知っているわけではないし、誰がいるのかも敵がどれだけいるのかもわからない今、何か対策を立てられるわけもなかった。
故にスズは深く考える事をやめた。
四話
「ライ、あんた、笛を持っているんだから絶対になくさないようにしなさいよ。」
スズは隣でトケイに掴まっているライに声をかけた。トケイはライを背負い時神達の世界の上にいた。その横を当たり前のようにスズが透けた状態で立っていた。スズは魂なので弐の世界は渡る事ができる。世界はネガフィルムのように帯状に連なっていた。沢山の世界が変動をしながら動いている。弐の世界の住人はどこでもいい適当な世界の中へ入る事はできるが全く知らない特定の世界に行くのはとても大変だ。世界がありすぎるからだ。
「う、うん。ふ、笛は手放さないようにするよ。」
ゆっくり進み始めたトケイにしがみつきながらライはスズに返答した。
「まさか、更夜をさらった人達も笛を狙っていたりするのかな……。」
トケイは不安そうな声を上げた。
「笛に関係するかもしれないし、しないかもしれない。わたし達はそれすらわからないよ。わたし達の誰かをさらおうとしたと考えると時神が関係しているかもしれないよね。ほら、わたし達、一応、時神でしょ。更夜が過去を守る過去神、わたしが現代神でトケイ、あんたは未来を守る未来神。もともとこの世界に存在していたのはあんただけだったけど今はわたし達含め、三人いる。とりあえず時神に用があってわたし達の誰かを捕まえたかったとか。」
スズは飛んでいるトケイの横を走りながらトケイに答えた。
「なるほど……。」
トケイは頷いた。
「トケイさん、このまままっすぐ進んで。」
「え?わ、わかった。」
ライは二人の会話に関係なく集中を再び高めながら更夜の心を追う。トケイはライにも頷くとスズを促し飛んで行った。
蝋燭が沢山ある地下室。
沢山の忍に囲まれながら更夜はしばらく鎖を抜け出す術を探した。鎖はねじれるように巻きつけられていてやはり関節をはずすだけではとれないようだ。
忍達は『暴力をしてはいけない』と言われているためか更夜に何もしてこない。
「参ったな……。抜け出せん……。今が好機なのだが……。」
更夜は小さくつぶやきながら抵抗を見せ続ける。
まわりの忍達は更夜を警戒しつつ、武器の手入れをしていた。地下室は更夜が鎖をはずそうともがいている音だけしか響いていなかった。
どれだけの時間が経過したかわからないが突然地下室へのドアが開く音が聞こえた。
「……?」
更夜は再びドアの方に目を向けた。眼鏡をしていないため、人物の特定はできなかったが近づくにつれて半蔵だと気がついた。
「さてと、また来ちまいましたよ。望月更夜。」
半蔵は更夜の前までくると頭を抱えた。半蔵は先程と全く変わらない服装で顔の半分を黒い布で覆っている。全身黒ずくめのままだ。
「また、俺に何か用か?服部半蔵。」
更夜は半蔵にそっけなく言い放った。
「ああ、おめぇさん時神なんですかい?時神過去神だそうで。時神はトケイだけかと思ってやしたがおめえさんもなんですかい。じゃあ、別にトケイじゃなくてもいいやという事で、先程言った要求、呑んでもらいてぇんですよ。」
「残念だったな。時神にそんな能力を持っている者はいない。俺達は弐の世界の時間と魂を管理するだけだ。」
「じゃあ、現世の神を特定の者の魂の世界に送る事はできないと。」
「さあな。俺の気分次第だ。」
半蔵に更夜は不気味に笑った。
「じゃあ、できるのか?」
「鎖をはずしてくれたら考えてやる。」
「……。」
更夜と半蔵は睨みあった。本当はトケイ以外、壱の世界の者を運ぶことはできない。スズや更夜は時神だが魂だ。世界から世界へと移動する事はできるが世界と世界を繋ぐバイパス部分は現世のモノに触れる事はできない。つまり、現世である壱の世界の神は特定の魂の世界から出た瞬間にスズと更夜に触れる事ができなくなる。よって更夜とスズは壱の世界の者を運ぶことはできない。しかし、トケイは元々、弐の世界にいる神であり、魂ではないので世界から世界へ繋ぐバイパス部分でも壱の者を運ぶ事ができる。
「鎖をはずせですかい。困っちまいますねェ。おめぇさん、鎖はずしたら暴れるんじゃねぇですかい?」
半蔵はため息をつくと更夜を見据えた。
「さあな。それはわからん。鎖をはずすかはずさないかはあなたの好きにするといい。」
「っち……やりにくいったらねぇですなぁ。」
さらりと言い放った更夜に半蔵は顔を渋らせた。
「どうする?鎖をはずすか?」
「なめるんじゃねぇですよ。」
半蔵は更夜の顔を勢いよく殴った。
「ごほっ……。……あの小娘の言いつけを破っていいのか?」
「今はここにいない。」
半蔵は冷徹な瞳で唇から血を流している更夜を睨みつけた。
「なるほど。そうだな。」
「おめぇさんの流れにはならねぇぜ。わかってんだろ?え?流れはこっちに向いてんだ。こちらは殺しゃあしないって言っているだけですぜ。おめぇさんは今、不利な状況にいる。このままここにいたらトケイ達がここに来、それがし達にいいように使われる。スズとかいう娘を人質にとるかもしれねぇですよ。そちらにとって良い事はないですぜ。今のうちに色々と白状しておいておめぇさん自身の打開策を考えた方がいいんじゃねぇですかい?」
「……ずいぶんと必死だな……。服部半蔵。」
「おめぇさんも必死じゃねぇですかい。手首がすりきれるほど鎖をちぎろうとしているなんてねぇ。」
更夜と半蔵はお互いを睨みあい出方を窺っていた。
刹那、音もなく才蔵が更夜の前に降り立った。どこから降りてきたのかもわからないくらい突然に現れた。実際、どこから落ちてきたのかはわからない。
「っ……。」
更夜は上から降ってきた才蔵に顔を曇らせた。才蔵が着地したと同時に更夜の身体がまったく動かなくなったからだ。
……っち……俺に何か術をかけたな……。今、俺の頭上から来たか……。天井のどこかに抜け道があったのか。……それにしても俺が才蔵の気に気がつかないとは……。
更夜は目視したまま考えていたがすぐに気がついた。
……半蔵がオトリだったのだな。俺が半蔵と会話をしている間に、才蔵は俺に何かを仕掛けた……。やられたな……半蔵に気を取られ過ぎていた。
「気がつきましたか。お前ならすぐに気がつくと思っていましたよ。だがもう遅い。お前は私の術にかかりました。」
才蔵は無表情のまま淡々と言い放った。
「残念でしたねぇ。必死なのはおめぇさんの方でした。いいか?それがし達は忍だぜ?演技も得意じゃねぇとですよ。」
半蔵は更夜を眺めながらケラケラと笑った。
「違いない。何の術をかけたか知らないがあなた達の事だ、後からこちらが不利になるような術なのだろう?」
更夜は不敵に微笑んだ。
「まだ笑っていられるのですか?凄まじい精神力だ。やはりここまでしないと術にかかりませんか。ここまで慎重にやっても半分しか術にかかりませんでした。」
才蔵は大きなため息をついた。
「はあ?これで半分しかかかってねぇんですかい?まいったなあ。本当におっそろしい相手だぜ。」
半蔵もやれやれと頭を抱えていた。
「おそらく俺に術をかけはじめたのは服部半蔵が俺を殴る瞬間だ。先程から観察をしていたがあなたは激高して人を殴る者ではない。殴る動機が不純すぎるぞ。そうだろう?」
「っち……さあ、どうだが。」
更夜の挑発的な目に半蔵は投げやりに答えた。
「半蔵、更夜に流されておりますよ。術は半分かかれば十分です。より一層深い地獄を味わえる事でしょう。」
才蔵の言葉に更夜の眉がピクンと動いた。様子を伺っている更夜を視界に入れながら半蔵は才蔵に言葉を発した。
「じゃあこれでいいんですかい?それがしはあまり演技は得意じゃねぇんですよ。おめえさんの思う通りにいかねぇですんませんね。」
半蔵は才蔵に一言をそう言うと更夜に背を向け、地下室を後にした。
「更夜、時期がきたら鎖をほどいてあげますよ。」
才蔵は更夜に鋭い瞳で睨みつけると羽織を翻し、去って行った。
……っち、俺に一体何をしたんだ……?まあ、もうかかってしまったものは仕方がない。後はその時に考えよう。
更夜は去って行く二つの影を黙って見つめた。
「ちょっとちょっと、おめぇさん、これでいいんですかい?」
地下室を後にした半蔵は後ろから追って来た才蔵に声をかけた。
「かまわないです。長い時を待てばトケイ達がこの世界を見つけ、ここに来るでしょう。そしたらトケイを捕獲すればいいのです。スズの方はなんとかなりますよ。」
「そうですかい。今回、それがしは何も考えてねぇんでよろしくお願いしますよ。」
表情の変わらない才蔵に半蔵はため息交じりに答えた。
「あ、そこ右!」
ライはトケイに叫んだ。
「ん?あ、うん!」
トケイはライの通り右に曲がった。あたりはネガフィルムのバイパス部分から真っ暗な空間に入っていた。
暗い中でしばらく進むと星がちらつきはじめた。
「また、宇宙なのか星空なのかわからない所に出たわね……。」
スズはトケイの隣であたりを見回しながら警戒を強めた。ネガフィルムの世界がバイパス部分ならこの宇宙空間のような場所は特定の心の入り口のようなものである。
「更夜様の心が大きくなってきたように思う。近いかも。」
ライはトケイにつかまりながら小さくつぶやいた。
またさらに進むと星空の先に大きな月が見えてきた。気がつくと辺りは彼岸花畑になっており、時期でもないのに赤い花が風に揺れていた。
「わっと!」
隣でスズが小さく叫んだ。
「どうしたの?スズちゃん!」
「スズ?」
ライとトケイは慌ててスズの方を見た。スズは危なげに彼岸花畑に足をつけていた。
「さっきまで浮けてたけど浮けなくなったよ。重力がかかる。別の世界に入ったわ。ていうか、ライちゃんはこの世界に入れたのね。」
スズは彼岸花畑を走りながらトケイとライにつぶやいた。通常、壱の世界の神が真髄の世界に入るのは不可能だった。ただ、親族であったり、親しい仲である者同士ならば入れる事もある。
「そういえば入れたね。なんでだろう?」
「やっぱりライが関係する世界なんだ。」
ライの言葉にトケイは頷きながら答えた。
トケイは足についたウィングで空を飛べるが普通の魂は世界に入ると空を飛べなくなる。それも世界によって違うが人の価値観的に空は飛べるようにできていない。
「ここが更夜がいるっていう世界?」
トケイはライに心配そうに声をかけた。
「うん。たぶん。どんどん近づいているから大丈夫だと思うけど。」
ライは不安げに前を向いた。彼岸花畑の先に小さな小屋があった。辺りは暗く、月明かりが唯一の光源のようだ。彼岸花畑のまわりは沢山の木が生えていた。
ライは真っすぐその小さな小屋に目を向けていた。
……あそこに更夜様がいるかもしれない。
「……っ!」
ライがそう思った刹那、スズが高く上へ飛んだ。
「スズちゃん?」
「スズ?」
トケイは進むのを止め、その場に立ち止った。スズは少し後ろに着地した。
スズの目の前には沢山のクナイが刺さっていた。
「クナイ!」
トケイはライをしっかりおぶるとクナイが刺さっている部分から少し遠ざかった。
スズはあたりを警戒し、目を忙しなく動かしている。
「はっ!」
スズのすぐ右から刃物の光りが見えた。スズは左に飛んでかわした。
「さすがに早いな。」
「……え?」
スズは声の主に驚いた。ライもトケイも目を見開いた。
「更夜様!」
「更夜!」
三人の前に現れたのは傷だらけのまま刀を構えている更夜だった。
「更夜!簡単に見つかったけど……なんでわたし達を攻撃するの!」
スズは動揺しながら更夜を見つめた。更夜は再び刀を横に凪いだ。
「右だ。右に避けろ。」
更夜は小さくスズに声をかけた。スズは動揺しながらも右に避けた。刀はスズの顔ぎりぎりを滑って行った。
更夜の瞳は鋭く殺気が漂っている。スズはいつかのトラウマを思い出した。スズは以前、更夜と敵対していた時があった。その時に更夜の怖さをスズは濃厚に味わった。この話はまた別の話なのでここでは省く事にする。
記憶がスズの頭に浮かんで来、足は震え、まともに立つことができなくなった。
……こんな時に……更夜に斬り殺された事を思い出すなんて……。この人が敵だった時……こんな感じだった……。……こ、怖い……。
「う……うっ……。」
スズはガクガクする足を押さえながら怯えた目で更夜を見つめた。粟粒の汗がスズの顔を絶え間なく流れる。
更夜はそんなスズを見つめ、無意識に動く身体を押さえていた。
……才蔵……俺に強力な催眠をかけたな……。まいった。意識はしっかりしているが気を抜けばなくなりそうだ。眼鏡がないため、よく見えんがスズが怯えている……。俺はたいそう怖いだろうな。俺はあの子のトラウマだ。
……なんとかしてあの子を落ち着かせなければ。
「スズ。俺が少し稽古をしてやる。稽古だ。落ち着け。」
更夜はそうつぶやくと刀を再び袈裟に振り下ろした。
「ひっ!」
「ただの稽古だ。後ろに飛んでかわしてみろ。」
更夜は冷静にスズに言い放った。スズは危なげに振り下ろされる刀を避けた。
……動きが遅いな……。俺の指示をもっと早くした方がいいか。だが俺も筋肉の微妙な動きで何をするのか判断している故……これ以上早く指示を出したら俺が間違える可能性がある。
更夜が再び刀を振るった時、少し離れた所にいたトケイが勢いよくスズを連れ去った。スズの手を掴み、上空へ逃げる。
「スズ!大丈夫?」
「スズちゃん……。」
トケイとライはスズの怯え方が尋常ではない事に気がついていた。
「あ、ありがとう。大丈夫……。大丈夫。」
スズは震える声で自分に言い聞かせるように答えた。
更夜は上空にいるトケイに目を向けた。
……トケイ……助かった。
更夜はほっとした顔で息をふうと吐いた。
「更夜に会えたけどどうしちゃったんだろう?」
トケイは困惑した声で首を傾げた。
「きっと何か術にかかっているのよ。頭ははっきりしているけど身体が勝手に動く感じなんだと思う。」
スズは震えながらトケイの足にしがみついていた。
ライは怯えているスズを不思議そうに見つめた。
……スズちゃんはいつも冷静なのになんでこんなにいきなり……。
「スズちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫。へ、平気だから。」
ライは心配そうにスズに声をかけた。スズは必死でトケイにしがみついているようだった。手に力が入らないのか今にも滑り落ちてしまいそうだ。
「スズ、しっかりしてよ。」
トケイは自身の足にしがみついているスズが落ちないように足首でスズを支えた。
「ごめん。トケイ。」
スズは呼吸を整えながら下方にいる更夜の鋭い瞳を見つめていた。三人の目線が更夜にいっていた時、鉤縄が横から突然トケイに巻きついた。鉤縄は彼岸花畑の奥にある林から飛んできたようだ。
「!」
トケイは引っ張られて近くの木に吸い込まれていった。おぶられていたライも一緒に引っ張られ、足にかろうじてしがみついていたスズは勢いに耐えられずそのまま落下した。
「スズちゃん!」
ライは叫びながらスズに手を伸ばしたがライの手は空をきった。ライとトケイは落ちていくスズを残し、木々が覆い茂る森の中へと連れこまれた。
一人落下したスズは危なげに彼岸花が咲きほこる地面に着地した。
「と、トケイ!ライ!」
スズはトケイとライが引っ張られて行った森に向かい叫んだ。
「スズ、落ち着け。これは例の忍達の策だ。まず、お前は俺から逃げるか俺を倒すかする事が最優先事項だ。」
「そ、そんな事言ったって!わたしがあんたに勝てるわけないでしょ!逃げらんないよ!」
怯えるスズに更夜は冷酷に刀を振りかぶる。
「……左だ。」
スズは更夜の通りに左に危なげにかわした。スズの頭では斬られているイメージが常についてまわっている。恐怖心は倍増するばかりだった。
更夜の高速の剣技にスズは瞬きもできないまま必死で避けていた。スズがかろうじて避けられているのは更夜が避ける方向を言ってくれるからだ。
スズはとりあえず逃げようと更夜を避けて走り出したがすぐにまわりこまれてしまった。
「俺からしたらお前は遅すぎる。後ろに飛んでかわせ。」
「……っ!」
スズは目を見開いたまま目線の先を通り過ぎて行く刀を見つめた。
「怯むな。かがめ!」
スズは慌ててかがんだがバランスを崩したままかがんだのでそのまましりもちをついた。
「立て!右だ!」
ガクガクと足を震わせているスズに更夜は必死で声を上げた。長年の忍の勘かスズは無意識に立ち上がり右に避けた。
「ふっ……うう……。」
スズは再び膝を折った。汗がスズの視界をぼやかし、さらに更夜の居所をわからなくしていく。
「左だ!」
更夜は叫ぶがスズの精神はもう更夜の声を受け付けていなかった。
「いやあああ!」
スズは泣き叫ぶと頭を抱えてうずくまった。
「スズ!」
更夜は柄にもなく叫んでいた。ぼやける視界にスズを斬った過去と今のスズが重なるように映った。
「う……うう。」
スズを斬った事は更夜のトラウマでもあった。更夜は震える手で刀を振るう。
……頼む。避けてくれ!
わずかだが刀がスズを避けて凪いだ。
五話
「おめぇさんもえげつねぇ事考えますなあ。」
木々の中で半蔵は才蔵に微笑んだ。
「仕方ありません。更夜が冷静さを失くすのは本当に珍しいことです。スズも刀を構えた更夜はトラウマのはずです。あの二人がいなくなればトケイをさらう事はとても簡単です。」
才蔵は縄で縛られたトケイとライを連れ、冷酷な表情で歩いていた。
「まあ、これでしばらく更夜とスズはうるさくしねぇって事ですかい。」
「そういう事です。」
「で?この娘っこは誰?」
半蔵は怯えているライに目を向けた。
「知りませんが……どことなくセイに似ていますね。姉妹とかでしょうか?」
「セイちゃんを知っているんですか!」
ライは突然掴みかかるように才蔵に詰め寄った。
「やはりセイに関係するのですね。まあ、よくわかりませんがとりあえず捕まえておきましょう。」
才蔵は光のない瞳でライを見ると小さい小屋に向かい進み始めた。光のない瞳がライの目に合わさった時、ライの身体に悪寒が走った。
「と、トケイさん……。」
ライは意味もなくトケイに小さい声で声をかけた。
「つ、捕まらないはずだったんだけど……。ちょっと予想外だったよ。ライ、僕がライを守るよ。スズも更夜も心配だけど僕、今はライを守る。ここはセイに関係する世界だったからライが入れたんだ。でも大丈夫。僕が頑張るよ!」
トケイはライに力強く頷いて見せた。
「心配するこたぁねえですよ。それがし達は同業者に厳しいだけですぜ。こちとら、おめぇさん達を縄で縛ってんのも申し訳ねぇと感じてますよ。」
半蔵はため息をつきながらつぶやくと才蔵の後を追って行った。ライとトケイは小さい小屋の地下にある階段を進まされ、蝋燭が沢山ある少し不気味な部屋に閉じ込められた。
不気味な部屋を進むと壁際でツインテールの髪が揺れた。
「まさか、お姉様まで来て下さるとは思ってもいませんでした。」
「せ……セイちゃん……。」
ライは震える声でツインテールの少女の名を呼んだ。少女、セイの表情は暗く、何か禍々しいモノを纏っていた。
「お姉様、笛を返してください。」
「だ、ダメだよ。今はセイちゃんに返しちゃいけないって言われたの。」
セイとライの会話を聞きながら半蔵は声を漏らした。
「なるほど。この小娘がセイの姉さんですかい。セイが笛を取り返しに行くって言って出て行っちまったから姉さんの顔を知らなかった。」
「まあ、でも結果的に良い方面に行きましたから良しとしましょう。」
半蔵のつぶやきに才蔵はため息交じりに答えた。セイは会話をしている才蔵と半蔵をよそにライを睨みつけた。
「笛を返してください。」
「……君さ、厄神に落ちたんだね。僕にはわかったよ。」
ふとトケイが抑揚のない声でセイに言葉を発した。
「……あなたがトケイですね。」
「うん。」
セイの問いかけにトケイは素直に頷いた。
「私を平敦盛さんがいる世界に連れて行く事はできますか?」
「……平敦盛?ああ、ああいう系の人は壱の世を生きている後続の人間達が妄想や想像をしているから個人の考えた平敦盛だったらすぐに見つかるかもね。でもオリジナルの本人は見つけるのは難しいかもしれない。世界が見つかれば壱の世界の神でも僕だったら連れて行けるよ?」
セイの質問にトケイは全部素直に答えた。
「っふ……。これじゃあ、更夜が何の為に痛い思いをしたのかわかんねえですな。」
素直に答えたトケイに半蔵は小さく笑った。
「そうですか。では後はお姉様から笛をいただくだけですね。」
笑っている半蔵を睨みつけたセイはライに目を向ける。
「だ、だから、ダメなんだって。……ちょっと!」
「いじわるなお姉様。それは私の笛です!」
ライは縛られている左手に笛を持っていた。セイは無理やりライの左手から笛をもぎ取った。
ライはかなり力を込めて握っていたが縛られているため、どうしてもセイには勝てなかった。
「セイちゃん!元のセイちゃんに戻って!」
ライはセイに向かって叫んだ。刹那、ライから奪った笛がセイの手の中で光り出した。
「……!?え?」
笛は白い光となって突然、ライを覆った。
……何?
ライは戸惑い目を瞑ったが再び目を開けた。辺りはよくわからないが森の中にいた。
薄暗い森で夜空に月が見えている。
「あれ?なんで私……こんなところに……。」
ライがそう言いかけた時、ライの横を駆け抜けるようにセイが通り過ぎた。セイは左手に笛を持っていた。
「!?セイちゃん!」
ライはいきなりセイが現れたので驚いたがすぐに追いかけようと走り出した。しかし、世界はライが走り出さなくても勝手にセイを追っていた。
……あれ?この感覚は……。
ライは一度こういう感覚を味わった事があった。それはついこの間、時神達が集まった時に現れた笛が見せた記憶。感覚はそれとまったく同じだった。
……これも笛が見せている記憶?
ライは勝手に動く風景を呆然と見つめた。
ライが動揺している中、セイは一つの木の前で振り返り、木の幹に背中を預けた。顔には怯えの色が浮かんでいる。何かから逃げているようだ。
「はあ……はあ……。そんなに逃げなくてもいいじゃん。」
「!」
セイは声の聞こえた方に怯えながら目を向けた。木の影から息を上げながら高校生くらいの女の子が顔を出した。ライはその女の子を見たことがあった。
「……あの子は……ノノカって女の子!」
ライは思わず叫んだがノノカにもセイにも声が届いていないようだった。
情景はどんどん先へ進む。セイは震える手で笛を持ち、ノノカを見上げていた。
「この笛は……渡せないんです。なんで奪おうとするのですか!ノノカ……。」
「何馬鹿な事言ってんの?これがあればあんたを使って素敵な曲作り放題じゃん。私にもっといい曲作らせてよ!あんたに言う事聞かせないとだから笛は私が持っててあげるよ。セイ!」
ノノカはどこか必死な顔でセイに近づいた。
「こ、来ないで下さい!私はただ、ひらめきを人に与えるだけです!あなたの奥底に何も眠っていなければひらめきを引き出す事はできないんです!」
「それはないよ。私、間接的に人を二人も殺したんだからさ、なんとかしてってば!ねえ?」
拒むセイにノノカは叫んだ。
ノノカが手を伸ばした刹那、ノノカの目の前に学生服の男の子が現れた。
「ノノカ……お前だけは殺してやる……。絶対に僕は許さない……。」
「……っ!ショウゴ!」
ノノカは目を見開いて驚いた。ショウゴと呼ばれた男は憎しみが籠った目でノノカを睨んでいた。
「ショウゴ……あんた、自殺したんじゃ……。」
「ああ。死んだ。だからこうしてお前の世界に入り込んでやったんだ。」
「私の世界?はあ?何言ってんの?」
困惑しているノノカにショウゴはナイフを突き立てた。ノノカの表情が曇った。
そんな様子をライはヒヤヒヤしながら見ていた。
……ここはノノカって女の子の世界。つまりノノカは今、夢を見ているって事だね。その心の世界にショウゴって男の子の霊が入り込んだ。……いや……呼ばれたのかもしれない。
人は心の内部で世界を作る。ここはノノカの世界のようなのでノノカが思い浮かべているショウゴになっている可能性があった。
……という事は……ノノカって女の子は……自分でも認識していない心の奥底でショウゴが自分の事を憎んでいると想像しているって事。つまりノノカは……自分がショウゴを殺したと思っているのね。
ライはノノカを見てそう思った。セイはそれに気がついておらず、ただ笛を大事そうに抱えているだけだった。
ショウゴがノノカに手を伸ばした時、ショウゴは何かに吹っ飛ばされるように倒れた。
「!」
ショウゴもノノカも何が起きたかわからず、しばらく固まっていた。
「ショウゴ……。俺はノノカを守るよ。」
しばらく経って眼鏡をかけた男の子が現れた。
「……タカト……。」
ノノカは呆然と突然現れた男の子、タカトを眺めていた。タカトはノノカをかばうように立った。
「タカト……僕達を狂わせたのはノノカだ!そこをどいてくれ!」
ショウゴは苦しそうにタカトに叫んだ。
ライはタカトの出現でノノカが何を思っているのか予想した。
……おそらくタカトって男の子はノノカの奥底では今も自分を守ってくれる存在。壊れそうな心の自己弁護のために……タカトはいる……。そしてタカトに対する罪悪感も持っているんだわ。
ライは進んでいく会話に耳を向けた。
タカトはノノカに何か小声で言葉を発していた。その内、一つだけ聞き取れた。
「こんな笛があるからいけないんだ。ノノカ。」
「はあ?あんた、何言ってんの?あの笛は私の!」
タカトはノノカを押しのけるとセイの元へと歩き出した。
……ノノカは笛を奪う事も心で迷っている?
タカトの行動を見、ライはノノカの本当の心を知った。ここはノノカの心の世界。ノノカの本心が夢となって表れている世界だ。普段の言葉は皆、ウソか心と意識がすれ違っているのか後悔している事を認めなくないのか、それはよくわからないがノノカの心に潜むものはわかった。
しかし、セイはそれに気がついていない。笛を壊そうとするタカト、笛を奪おうとするノノカ、ノノカを殺そうとしているショウゴ。自分がした事によって複雑化してしまったのは後悔していたがセイの中では人がどれだけ醜い存在かと言う疑問が生まれていた。そしてタカトが笛を奪おうとした事でセイの心で何かが切れた。
「人はおかしいです。……もう嫌です。近寄らないで!」
セイは怯えた目で三人を見つめ、咄嗟に笛を吹いた。セイはショウゴが死んだ辺りから笛の音色に悲しみが混じるようになった。心には厄が溜り、セイは徐々に厄神に近づいていた。それが笛を吹いた事でさらに増し、憎しみが笛の音に乗って三人を苦しめた。
「うう……。」
三人が頭を押さえている中、記憶を覗いているだけのライでさえも頭がくらくらとしてきた。
セイの笛の音色で夜を生きていた者達の魂を呼びよせてしまった。そしてその笛の音色で最初に壊れたのはノノカだった。
「な、何?これ!頭が……。」
ノノカが頭を押さえ倒れ込む。ノノカが倒れ込んだ刹那、ノノカが作った世界は崩壊した。世界が崩れた事により、タカトとショウゴは浮遊していた魂と共にどこかへ飛ばされてしまった。ノノカの世界は黒く染まっていき、ノノカにも何か魂がついた状態でその場から透けるように消えて行った。
真っ暗な世界に独り取り残されたセイは口から笛をはずし、虚ろな目で目の前に立つ二つの影を呆然と見つめていた。もうセイの瞳には光はなく、禍々しいモノが身体を覆っていた。
しばらく立っていたセイはふと、自分がやった事に気がついた。生きている人間の心の世界をセイは壊してしまったのだ。ノノカがどうなったのか心配になった。人を憎み始めたセイだったがまだ、人を心配する心は残っていた。
「……。」
セイはぼうっとした頭で笛を吹き、自分の世界を作り、その世界を通って天記神がいる図書館へと出てから壱の世界である現世に向かった。
ライはセイの暗い表情を辛そうに眺めていた。ライが見ているとも知らずにセイは現世の図書館から外に出た。昼ごろなのか子供連れが多く図書館へと入って行っていた。外は雪が降っており、街もどことなく暗かった。図書館は幸い、ノノカが住んでいる所近くの図書館だった。雪が降っている中、セイは袖のない着物のままただぼうっとノノカの住む家まで歩いていた。
ライは寒さを体験する事はできなかったが雪が降っている事と人々が厚着をしている事から相当寒いのだろうと予想した。時期は一月かそこらか。
セイは雪が薄く積もっている住宅街をもくもくと歩く。もう少しでノノカの家に着くという所でセイはノノカに出会った。ノノカはダウンコートを着て首にマフラーを巻いていた。顔は寝起きだった。その寝起きの顔がセイに会って引き締まる。
「セイじゃん。笛を奪う夢見たけどまさか本当に現実になるとはね。私に笛ちょうだいよ。よくわかんないけどさ、その笛がアイディアの塊なんでしょ?」
ノノカはセイの笛の音に当てられて厄を貯め込み、狂暴になっていた。ノノカは突然、セイに襲い掛かった。
「……ですから……この笛は……。」
セイの制止もむなしく、ノノカはセイに飛びかかり、笛を無理やりもぎ取った。
「これがあれば!」
「ダメです……。笛を……返して……。」
ノノカは狂気的な笑みで笛を眺め、笑った。セイは笛を奪われ、突然に意識を失った。
「セイちゃん!」
ライはセイに向かって叫んだがセイは反応を示さずにその場に崩れた。
……人が持つはずがない笛が人に渡ってしまった事によってセイちゃんの存在理由が歪んでしまっている……。
神は人とは違い存在している理由が明確にある。それが少しでも歪むと神は意識を保てなくなってしまう。『神はコンピューターのようなものだ』と言う神もいる。プログラムが狂うとコンピューターがショートしてしまうのと同じようなものらしい。
ノノカは倒れているセイには目もくれずに笛を抱えて走り去っていった。
ノノカが走り去ってすぐ、セイの目の前にカラスが舞い降りた。カラスは人間の男のような姿になるとセイに声をかけた。カラスは天狗の面を被り、天狗の格好をしていた。
……あれは導きの神、天さん。
ライは不安げに天とセイを見つめた。
「何故、戻って来たのであるか?セイ……。弐の世界にいろと言っておったのであるが……。」
天は意識のないセイをそっと抱きかかえた。
「……む……。笛が……。」
天はセイが笛を持っていない事に気がついた。そして意識を失ってしまった理由が明確にわかった。
「これはまずいのである。誰か人に笛を持っていかれてしまったのか?……このまま派手な動きをしてしまったらセイの罪が高天原にばれてしまうのである……。」
天はセイを抱えてウロウロとし始めた。天はこの件をセイの為に隠そうと必死になっていた。弐の世界にセイがいたのは壱の世界の神は弐の世界に入り込むことができないからだ。
天は高天原東に所属する神である。セイが弐の世界にいた時は良かったが今は下手に動くと東の頭であるワイズにセイの事がバレてしまう恐れがある。
天が困っている時、金髪の女が歩いてきた。その女は白い着物を身に纏っていた。遠目で見ていたライはその女を見、驚いて叫んだ。
「……!お姉ちゃん!」
肩先まである金髪をなびかせながら歩いてきたのはライの姉、マイだった。
「マイ……。」
天はセイを抱きかかえながら救いを求めるようにマイを見つめた。
「笛をとられてしまったようだな。……大丈夫だ。私がワイズにばれないように笛を取り返してやる。天はセイをそのまま弐に捨てて来い。弐にいた方がどちらにしても安心だ。」
マイは意識を失っているセイの頬をそっと撫でるとそのまま天とすれ違い、去って行った。
「マイ……本当に大丈夫なのであるか?」
天の不安げな声にマイは背中越しに軽く手を振っただけだった。
記憶はまだ続く。もう笛はこの近くにはないのだが何故か記憶は続いている。場面は激しく飛び、月明かりが照らす城の城壁の前にライはいた。近くには小さな井戸がある。
「なんで俺をハメた……。」
白い着物のマイと先程高天原で会ったみー君が月夜に照らされながら井戸の前に立っていた。みー君はとても怒っているようだ。感情が高ぶり、強い神力が滲み出ている。
「それはこないだの仕返しだ。お前の断末魔、いい声だったぞ。そしていいザマだった。こういう物語を傍観できるとはたまらなく興奮するな。お前の情けない顔がしばらくわたしのおかずになりそうだ。ははは。」
マイはうっとりとした顔をみー君に向け、そして笑い出す。マイは大きな事件を起こし、みー君に何かしたようだった。
「ふざけんな……。」
「今回は悪役を演じてみた。いいだろう?影の悪役ってやつだ。悪役の裏を操る悪役。考えただけでもドキドキするだろう?そして悪役はこうしてヒーローにすぐに見つかる。まったく滑稽だ。」
みー君は乱暴にマイの胸ぐらを掴んだ。ライにはマイがみー君をわざと挑発しているようにも見えた。
「てめぇだとわかんねぇ方が良かったぜ……。わざと糸を残しやがったな。」
「やはりそれでここにきたか。わたしはもうワイズの傘下であり、あなたの下についている者。人間に直接手は下していない。わたしが下したのは神だ。人間がダメなら神でやるしかないだろう?ふふ、悪役が最後まで逃げ切れたら悪役ではない。こうやって捕まるのが常だ。ああ、急に現実に戻されたな。物語はここまでか。」
「……てめぇは全部見てやがったのか……。サキが傷つきながらも必死で動いているのをお前は笑ってやがったのか……。」
みー君はマイの胸ぐらから手を離した。
……サキ?太陽神のトップのサキかな……?
ライはサキと言う名の女神を知っていた。彼女はアマテラス大神の力を一番受け継いでいる女神だ。つまり太陽神の頭である。
「まあ、太陽の姫はよく動いてくれた。わたしの中の評価は高い。……なんだ?怒っているのか?ふ……当然か。」
「部下の不始末を黙ってみているわけにはいかねぇ……。」
みー君の言雨がマイを射抜く。マイは震えながら笑っていた。
「あなたの顔は部下を罰する時のものではないぞ。自己の感情が入り込んだ顔だ。その表情、なかなか出せるものではないな。……ああ、いや、すまない。上司であるあなたのお仕置きはしっかりと受けよう。紳士なはずのあなたがわたしに何をするのか。」
「お前は許さない。本当はその腕を斬り落としてやろうと思ったが……やめた。俺は女には優しいんだ。お前は女であった事を喜べ。そして腕を斬り落とされるよりも遥かに辛い罰を受けろ……。」
みー君は荒々しい言雨をマイにぶつける。マイは意思とは正反対にみー君に対し、額を地面につけた。
ライには何があったのかよくわからなかったがマイが大変な事をしてサキを傷つけ、みー君を怒らせているという事は理解した。
この記憶はだんだんと流れるように消えて行った。またまた場面が飛んだ。
ライは時間がだんだんとわからなくなっていた。ふと今度は住宅街から山道を走り抜けるマイが映った。マイとみー君とサキに何があったかは知らないがまたこの三神の記憶らしい。
マイの手にはセイの笛が握られていた。
「やっとだ。やっと手に入れた。過去戻りまでしたのだ。ここまでやってセイが見つかるわけがない。」
マイは独り言のようにつぶやき、息をはずませながら山道を登る。
「待てよ。」
マイが山道を登っているとみー君と太陽神サキが待ち構えていた。
「!」
マイは驚いたように足を止めた。
「ずいぶん無茶苦茶やってくれたじゃねぇか。語括。」
みー君は怒りを押し殺した声でマイを睨みつけた。
「まさかあなたがここにいるとは……。太陽の姫だけがこちらに来たかもしくは参の壱にいるのかと思ってたぞ。」
マイはクスクスと笑うとそっと手を前にかざした。すぐさまみー君はマイの腕を掴み、木に押さえつけた。
「ぐっ!」
マイの手から糸と傀儡人形が落ちた。
「おっと。その手にはのらねぇぜ。」
みー君は低く鋭い声でマイに威圧をかけた。
「なんだ?今度は私をちゃんと殴るのか?」
「お前、俺に殴られたいのか?変わった性癖だな。殴られたらイテェだけだぞ。」
みー君はマイの挑発を軽く流した。
「あなた……なんだか少し変わったようだな。」
「……ん?なんだこれは。笛か?」
みー君はマイが持っていた笛を奪い取った。奪い取った刹那、マイの表情が変わった。
「それを返せ!」
はっきりとした怒りの感情がマイを渦巻いた。押さえられていない方の手でみー君が持っている笛に手を伸ばす。
「この笛が何だって言うんだ?」
「あなたには関係がない!」
「お前……何かを背負ってやがるのか?」
みー君はマイに笛を返してあげた。マイはみー君とサキを睨みつけると声を上げた。
「私はあなた達を上の座から引きずり下ろしたいだけだ。」
マイは不敵に笑うとみー君から逃げようとした。
「おっと。逃がさねぇよ。まったく、どこまでも反抗的な部下だ。俺はお前に情けをかけるつもりはない。お前がやった事は大きすぎる。高天原で罰を受けろ。俺から逃げられると思うなよ。」
みー君は凄味をきかせマイを黙らせた。
「ふん……屈辱だな。このまま笛を壊して果てるのもいい。」
マイがそうつぶやいた刹那、みー君が思い切りマイの口に指を突っ込んだ。みー君は焦った顔でマイを見た。
「馬鹿。……舌を噛み切ろうなんて思うなよ……。」
みー君がそっとマイの口から指をはずした。
「馬鹿だな。舌を噛み切って死ねるのはドラマだけだ。汚い指を私の口に入れるとは。」
「……っち。」
マイはケタケタと楽しそうに笑っている。みー君の頬に冷や汗が伝った。
……こいつ、本心が見えない……。やる事がすべて本当の事のように感じる……。これが演劇の神か。完璧に俺をおちょくってやがるな。
みー君は仕方なしに自身の神力をマイに巻きつけ抵抗できなくした。マイは罪神が着る真っ白な着物に変わり、鎖が身体中に巻きついていた。
「いいか。死のうなんて絶対考えるな。」
「ふふふ。あなたの表情の変化はいつみても面白い。」
みー君は顔をしかめながらマイを引っ張ってサキの所まで連れて行った。ライはマイがみー君達をわざとからかい、自分に対する憎しみを増やそうとしているのだと思った。自分の姉ながら凄いとライは感じた。記憶を見ているライもマイの本心がまるで見えない。演劇の神は演じる神、本心を常に隠しているようだ。
「マイ、あんた、ずいぶん簡単に捕まったんだねぇ……。」
サキの言葉にマイは含み笑いを浮かべた。
「さすがに天御柱に勝てる気はしない。こうなってしまったらもう負けだ。見つかった時点で負けが確定していたんだ。」
マイはどこか清々しい顔をしていた。あれだけの事をしておいて何の感情もないのかとサキは少しだけ怒りを覚えているようだ。
「なんの謝罪もないのかい?あんたのやった事は許される行為じゃないよ!」
「ふん。私はこの世界の事などどうでもいい。私は私利私欲のために生きると決めたのだ。あなたに何を言われようが知った事はない。」
マイの返答にサキは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「サキ、こいつに何を言っても無駄だ。人でも神でも何を言っても変わらない奴もいる。こいつは高天原で俺の部下として裁かれる。それでいい。それ以外の感情は持つな。面倒なだけだぞ。」
みー君はそっけなくそうサキに言い放った。
「そんなの……悲しいじゃないかい……。わからせて過ちを認めさせないとマイは先に進めない。」
サキは酷く悲しい顔でみー君を仰いだ。
「俺はこういうやつを沢山見てきた。ヒーローものみたいに世の中は簡単じゃねぇんだ。俺も昔は罪を認めさせようとあれこれやったさ。罪を認めた奴は基本、何も言わなくても自分がした過ちを悔いる。だがこういうやつは最後まで狂ってやがる。」
みー君は冷酷な笑みを浮かべているマイに目を向けた。
「あんたは……本当に何も感じていないのかい?」
サキはマイに問いかけた。
「太陽の姫が私にモノを言うのか。……別に後悔はしていない。」
「……。」
サキはどこか悲しそうだった。太陽神は人の心を照らす神だ。改心してくれることを期待したらしい。
「語括神マイは俺達が心底嫌いなようだな。しかし、何かの目的を達成したといった顔をしている。こいつもこいつなりに何かあったんだろう。」
みー君はサキの肩を叩き、おとなしくさせた。
「あたしはマイの尻拭いをしただけって事かい……。」
「そう落ち込むな。お前は被害者達を救ったんだ。あの人間達の笑顔を思い出せ。あの笑顔はお前が守ったんだ。」
「……。」
「それは俺にはできねぇ事なんだよ。俺は人から厄を起こすなと恐れられて祈られている神だから。だがお前は俺が出来ない事をやれる。お前は胸を張っていいんだ。」
サキが下を向いているのでみー君はサキの肩をそっと抱いた。
……違う……。みー君もサキもお姉ちゃんを知らない。……お姉ちゃんがやった事はセイちゃんを助けるためにした事……。みー君もサキも勘違いしているわ。
……下にいる神は自己を守るのも大変なのに、上にいる神は世界がおかしくなる事を全力で防ごうとしている。それはいいと思うけど……私達からするともっと……私達を守ってほしい。
……お姉ちゃんはきっとそれに気がつかない上に立つ神々を皮肉ってああいう事を言っているんだね。
……でもお姉ちゃんが犠牲になってくれたからセイちゃんの罪がばれなかったのは事実。
……複雑。
ライはそっと目を伏せた。
……お姉ちゃんは過去戻りをしたって言ってたね。お姉ちゃんが何をしたかよくわからないけど過去戻りも犯罪。みー君とサキは過去戻りをしたお姉ちゃんを追って過去である参の世界に入ったんだ。と、いう事はここは参の世界。
ライは唸りながら記憶の続きを見る。マイとみー君とサキは元の世界、壱に戻るために時神が出した空間を歩いていた。あたりは真っ白で何もない。その真っ白な空間でマイは笛をそっと投げ捨てた。
「ここは参から壱に続く、時神が出した道。普通は出せない幻のようなものだ。……おそらく弐の世界が絡んでいる。ここで笛を捨てれば笛は弐の世界にたどり着いてくれるはずだ。そうすればセイの手元に……。」
マイの声はかすれて消えて行った。それと同時にライも白い霧のようなものに包まれ、意識を失った。
六話
「……はっ!」
ライは声を上げた。
「ライ?」
隣でトケイが不思議そうにライを見ていた。
「……え?」
ライはゆっくりあたりを見回す。目の前には困惑した顔のセイが立っており、半蔵と才蔵がセイを気にかけていた。
……戻ってきた……?
ライ以外は先程の記憶を見ていないようだ。時間もまったく進んでいない。トケイ達はライが突然、声を上げたことに驚いていただけだった。
「お姉様とトケイはそのまま監視してください。そして敦盛さんを探してください。」
セイは半蔵と才蔵に言い放つと笛を握りしめたまま歩き出した。
「まあ、情報はないですが探せない事もないでしょう。更夜達を排除してから探しに行きますよ。ここにいる他の忍達にはもう行ってもらいましょう。」
才蔵はセイにそう答え、手をすっと上げた。刹那、ライ達のまわりにいた忍達は全員消えるようにいなくなった。それを確認した才蔵は何事もなかったかのようにセイの後を追って去って行った。
「じゃあ、それがしはここで女神とトケイの監視でもしていましょうかね。他のやつらが攻めてくる可能性もねぇとはかぎらねぇですからね。」
半蔵は不気味に微笑むとライとトケイの前に座り込んだ。
才蔵が出て行ってしまってからトケイはそっとライに耳打ちをした。
「まずこの縄を解いてさ、あいつを倒してから更夜とスズを助けに行かないといけないよね。」
「助けに行きたいけど……この縄をどうやってとるの?」
ライも半蔵に聞こえないように精一杯声を落としてトケイに答える。二人がこそこそと話していると突然半蔵が笑い出した。
「ふふ……。お前さん達ねぇ……全然隠せてねぇですよ。忍、なめてねぇですかい?」
「!」
ライとトケイは驚きの表情で半蔵を見つめた。
「それがしを倒すとか……げぇむ感覚はやめなさいな。それがし達は軽い気持ちでこの仕事やってねぇんですよ。それからなあ、それがしはおめえさんらに傷つけたくねぇ。大人しくしておくのが良いって事です。」
「それは嫌だ。僕はお前の言う通りになんて動かない!」
トケイは意気込みながら半蔵に声を上げた。
「やれやれ。ではそれがしがもっとも得意としている影縫いをかけてあげましょうかね。」
半蔵はため息交じりに針をトケイの影に向けて投げ、人差し指を立てた。
「……っ!」
突然、トケイがその場に倒れた。ライは突然倒れたトケイに困惑しながら叫んだ。
「えっ!トケイさん!トケイさん!どうしたの!」
「忍法影縫いの術ってか?」
困惑しているライに向かい、半蔵がにやりと笑った。
半蔵が指を少し動かした時、トケイが突然、操り人形のように立ち上がった。
「う……動けない……。」
トケイは苦しそうに声を発していた。体がまったく動かないようだ。
「お前さんはもう、それがしの傀儡人形ってわけです。指でこう動かすと……。」
半蔵は人差し指を少しだけ動かした。刹那、トケイは意思に反してライに殴り掛かった。
「と、トケイさん!?」
「や、やめろ!」
怯えるライにトケイは必死で拳を戻そうとするが身体がまったくいう事を聞かない。トケイは焦って半蔵に叫んだ。トケイの拳は何故かライの額すれすれで止まった。
「と、まあ、こういう事だ。この子を傷つけたくはないだろう?だったら大人しくしていなさいな。」
半蔵はケラケラと笑う。反対にトケイは額から粟粒の冷や汗をつたわせ、体を震わせていた。
「……。」
「逃げられると思ったら大間違いだ。それがしら忍は常に本気。じゃねぇと殺されちまいますからねェ。おめえさん達には傷をつけるつもりはねぇですがおちょくっているわけでも手を抜いているわけでもねぇですよ。ただ、傷つけずに動けなくするだけです。だから大人しくしてろ。」
半蔵の威圧にトケイとライは怯えながら黙り込んだ。
「……危なかったな……。」
更夜はスズの足付近に刀を突き刺していた。スズに怪我はない。更夜がギリギリで攻撃を外したからだ。
「……。」
スズは目を見開いたまま更夜を見上げていた。
「……腕が折れたか。催眠と逆の動きを全力でとったからな。」
更夜の右腕は力なく垂れ下がっていた。
「こ……更夜……。」
「大丈夫だ。俺はもうお前に刃を向ける事はない。昔の事を忘れろとは言わんが昔の俺と今の俺は違う。」
更夜は左手で突き刺した刀を抜いた。
「わかっているわよ!わかっているの……。わかっているけど……。」
スズは震える足を押さえるように立ち上がった。
「催眠は解けていない。右に避けろ。」
更夜は左手で刀を横に凪いだ。スズはよろけながら右に避けた。スズの顔スレスレを強い風が通り過ぎる。更夜は利き腕ではない左手でも右手と剣技は変わっていなかった。
「りょ……両利き?」
「ああ、そうだ。……後ろに飛べ!」
更夜は再び叫んだ。スズはまたも危なげに袈裟切りを飛んでかわした。
「……ぐっ!」
スズが避けた刹那、更夜が低く呻いた。何故か更夜の背中から突然鮮血が飛び散った。そしてそのまま更夜は地面に膝をつき、倒れた。
「……!?」
スズが倒れた更夜を呆然と見つめていると更夜の後ろから一つの影が現れた。
「まさかこんな簡単に背中を狙えるとは……一体どうしたんです?更夜。」
落ち着いた男の声が響く。スズの視界に才蔵がカゲロウのように現れた。
「鹿右衛門様……!霧隠才蔵!」
スズは冷たい目でこちらを見ている男に叫んだ。
「スズ。霧隠スズ……お前が更夜の足手まといになっている事に気がついていましたか?本来ならば我々でも仕留めるのが難しいこの男をこうも簡単に落とせた意味を理解していますか?」
「……っ。」
才蔵の言葉を聞きながらスズは倒れている更夜を黙って見つめていた。
「まったく考えられないですよ。あの更夜が……誰かを守ろうとするとは……。」
「あ、あんたは全然更夜の事わかってない!更夜は本当は優しい人なの!わたしは知っているの。」
スズは才蔵を睨みつけスッと立ち上がる。
「あれだけ怯えていておいて優しい人とは……トラウマをお前に植え付けた人が優しいわけないでしょう?」
才蔵は更夜にトドメを刺そうとしていた。刀を更夜の心臓目がけてまっすぐに構える。
「やめて!」
スズは才蔵に鋭く叫ぶとクナイを才蔵目がけて投げた。才蔵は後ろに飛んでかわした。更夜と才蔵に距離ができた。スズはそれを見計らい、素早く更夜のそばに駆け寄った。
「更夜!更夜!しっかりして!更夜!」
スズは更夜を揺する。しかし、更夜に返答はない。更夜は口から血を漏らして気を失っていた。才蔵に深く背中を斬りつけられたらしい。背中から流れ出る血があたりの彼岸花をさらに赤くする。
スズは気を失い弱々しく倒れている更夜を初めて見た。更夜はいつもどこか余裕を持っていてまわりを圧倒していた存在だった。まして背中を斬られて倒れる事は他の忍でもなかなかない事だった。
……このまま血が流れ続けると更夜はこの世界で死ぬ。そうしたらこの世界には更夜はもう二度と入り込めない。トケイもライも捕まったままで更夜がいなくなるとわたし一人で忍達を相手にしないといけない。
……そんな事無謀すぎる。
スズは更夜の止血をしたかったがそれは才蔵が許さなかった。
才蔵はスズに向かって勢いよく飛んできた。そのまま力強く拳を突き出す。スズは右にかろうじてかわした。強い風圧がスズの頬を通り過ぎた。
「……どうして皆、わたしの顔を狙ってくるの……。」
「一番失神しやすいからです。いくら忍だといっても女。できれば一発で仕留めたいのですよ。女を拷問するという野蛮な趣味はありませんので。」
「……殴ろうとしている段階で紳士とは言いきれないわね。ほんと忍って最低。」
「お前も忍ですよ。私も生まれた時からそうでした。呪うなら現世で生まれたことを呪いなさい。それが運命で人生だったはずでしょう?スズ。」
「……そうだね。」
才蔵の言葉にスズは素直に頷いた。
「だが、油断しましたね。私がタダで無駄話をするわけないでしょう。」
「!……しまった!」
ふと気がつくとスズの身体がまるで動かなくなっていた。
「伊賀忍法影縫いです。しばらく大人しくしていなさい。更夜を始末してからお前もこの世界から退場してもらいますから。」
才蔵は冷酷な瞳をスズに向けると更夜の方へと歩いて行った。
「やっ!やめて!ちくしょう!動かない!」
スズは身体を無理に動かすがまったく動いていなかった。
「影縫いは我々伊賀忍者がもっとも得意とする忍術です。お前もわかっているでしょう?簡単には抜け出せない事を。」
才蔵は更夜の髪を掴み、顔を持ち上げ、小刀を取り出すと首に突き付けた。
「やめて!」
スズは必死で叫ぶが才蔵はまったく聞いていない。
「おやおや。右目にだいぶん大きな傷がありますね。これはスズがやったものですか?……まあいいでしょう。それでは。」
才蔵は髪に隠れて見えていなかった更夜の右目の傷を見ながら小刀を引いた。スズは目を瞑り、震えた。
もうダメだと思った刹那、スズの横を風が通り過ぎた。
「更夜は戦国の敵将かェ?殺し方が古いんじゃねィかィ?ワシはどうでもいいがねェ。」
「……サスケですか。」
「そうだィ。」
才蔵の目の前に銀髪の少年が立っていた。体格は子供の様に小さい。顔も幼い顔つきだ。だが話し方が非常に落ち着いており、歳を感じた。
才蔵は更夜を放置し、サスケと距離を取って立っていた。
「何故またお前が関与してくるのですか……。」
「ワシはァな、まだ目標を達成してねェんでねェ。じゃ。」
サスケはケラケラと笑いながら高速で才蔵の横を通り過ぎた。
「……セイの笛が目当てか……。また厄介な方がいらっしゃったものですね。」
才蔵は一瞬スズを見たが着物を翻してサスケを追って行った。スズも追おうとしたが身体が動かないままだった。
「ん?」
半蔵が眉をぴくんと動かし、地下室の階段付近に目を向けた。
「……。」
ライとトケイは半蔵の反応を不思議に思ったが何も聞かなかった。
「ちょっとおめえさん達、ここにいてくだせぇな。まあ、どうせ動けねぇように影縫いの術をかけたんで動かねぇと思いますがね。」
半蔵はライとトケイをちらりと見ると消えるように去って行った。
「な、何かな……。」
半蔵がいなくなってからライは隣にいるトケイに話しかけた。
「……。」
トケイはライに殴り掛かった事でまだショックを受けているらしい。ぼうっと座っていた。
「と、トケイさん?大丈夫?なんだかわからないけど今なら逃げられるかもしれないよ!」
ライはトケイに興奮気味に声を上げた。
「え?あ……う、うん……。」
トケイはうわのそらで返事をした。
「トケイさん?しっかりして!」
「ご、ごめん……。さ、さっきの事でなんだか自信をなくしちゃった……。」
トケイは無表情だったが声が震えていた。
「でも……ここにいるわけにもいかないから逃げないと……。」
「あらあら……大変ですね。彼、怖がっていますわよ。」
ライはトケイを励まそうと口を開いた時、すぐ近くで艶やかな女の声が聞こえた。
「!?誰!」
ライは新たな敵かと警戒心を見せた。ふとライの目の前に雰囲気が艶やかな女が現れた。見た目はやせ形の女性だが雰囲気がかなり色っぽい。不思議な女性だ。
「私ですよ。」
「あ!こないだ会った忍!」
ライはこの女性と顔見知りだった。ついこの間、笛の奪い合いで暴れた忍の内の一人、望月チヨメだ。
「影縫いの術を解いてあげましょう。なんだかかわいそうなので。」
チヨメはライ達が何か言う前に素早く影縫いを解き、縄もほどいた。
「あ、あなたはセイちゃんの笛を奪おうとした忍……なんで私達の術を解いてくれたんですか?ちょっと疑ってます。」
体が自由になったライはそっと立ち上がり、まっすぐチヨメを睨みつけた。
「うふふ……。先程言いましたよ。かわいそうだったんだと。まあ、体が自由になったのですから良かったじゃありませんか。後はあなた達次第。」
チヨメは妖艶に笑うとその場から去って行った。ライは戸惑った顔で去って行くチヨメの背中を見つめていた。
「……あの人……何しに来たんだろう……。なんで私達にかかってた術を解いてくれたのかな?」
ライはトケイに再び話しかけた。
「……わからない……。スズが言ってたんだけど、忍者には何か必ず目的があるんだってさ。術を解いてもらったけどきっと何かあるんだ。」
トケイは無機質な目をライに向けた。
「なんだか忍者さんって怖いね……。」
ライはトケイの手をとるとトケイを立たせてあげた。
「あ、ありがとう……。それとごめんね……。」
トケイは少し沈んだ声でライにあやまった。
「大丈夫!力になれないかもだけどスズちゃんと更夜様を助けに行こう!もちろん、慎重に動いていこうね……。」
「うん。……僕がしっかりしないとダメだよね!行こう!」
トケイはライに大きく頷くとライの手を引いて歩き出した。
七話
「戦闘中にごめんなさい。」
小屋の前で対峙していたサスケと才蔵の間にチヨメが割り込んだ。才蔵の後ろには笛を握りしめて震えているセイの姿があった。
「……望月チヨメですか……。サスケだけでなくお前までも……。」
才蔵は頭を抱えていた。
「チヨメが来る事はァ、わかりきってた事だィ。セイの笛をいただきに来たんだろうィ?」
サスケは含み笑いを浮かべながら目を細める。
「さあ、どうだか。」
チヨメは潤んだ瞳をサスケに向けた。サスケは咄嗟に自身の腕にクナイを刺した。地面に血が散らばるくらいサスケは思い切り刺した。
「うー、イテェ……イテェ。動けなくなるとこだったィ。危ねェ。これだから女は……いや、おめぇは怖ィ。」
「素早い対応ですね。痛みで私の色香を飛ばしましたか。」
チヨメが主に使う術は色香。色っぽい仕草などで男に戦う意欲を失くさせる技だ。若干催眠術に近い。これにかかってしまうとチヨメを抱こうと動いてしまう。チヨメに近づいたら最後、後は死しかない。
「っち、よくわかんねぇですが……チヨメとサスケが来てるんですかい?こりゃあまずいですな。」
才蔵が構えているとすぐ横で半蔵の声がした。
「半蔵ですか……。」
「ああ。とりあえずセイを逃がさねぇと分が悪いですね。おめえさんは強いですが直接戦闘をする忍じゃねぇ。ここはそれがしが引き受けますんでおめぇさんはセイを連れて逃げなせぇ。」
半蔵はサスケとチヨメに威圧をかけた。
「お前は何をしているのですか?チヨメは地下室から出て来ました。トケイにかかっている術を解いた可能性があります。」
才蔵がつぶやいた刹那、サスケとチヨメがセイにむかい、攻撃をしかけた。
「そこまで頭がまわらねぇですよ……。」
才蔵と半蔵は飛んでくるクナイを小刀ですべて叩き落とした。そのまま、四人は戦闘へと突入した。
そんな中、ライとトケイは地下室から地上へ出るためのドアを少しだけ開けていた。
「やばそう……。なんかサスケって忍とチヨメさんが才蔵さんと半蔵さんと闘っているわ……。あれをうまくかわしていかないと外に出られないよ……。」
ライは怯えた目をトケイに向けた。
「僕が頑張るよ。ドア開けて、いきなり空を飛ぶ!そうすれば高く飛んでいる僕に攻撃できないでしょ。」
「……そんなにうまくいくかなあ……。」
「ライを僕が背負う!ドアを開けたら僕は思い切り飛ぶ!……もう、これしか逃げられないと思うよ。」
「んん……まあそう……だね。他に思いつかないしトケイさんに任せるわ。お願い!」
ライはため息をつきながらトケイの肩に手をまわした。
「う、うん!」
トケイは自信満々に頷くとドアを開け、素早く空を飛んだ。ウィングを開き、バランスを取る。
「半蔵、少し頼みます。」
「わかりましたよ。」
ふと才蔵が上空に向かって飛んでいるトケイに目を向けた。トケイは才蔵の視線に気がつき、才蔵の方を向いた。
その間、半蔵はサスケとチヨメの攻撃を危なげにかわし、かつ、攻撃を仕掛けている。
「……半蔵の術はちゃんと解けていません。組み合わせて上乗せしますよ。」
才蔵が目を見開き、何かつぶやいた。刹那、トケイは低く呻き上昇を止め、ぴたりとその場に留まった。
「と、トケイさん!」
ライは上昇中に突然止まったトケイを不安げに見つめた。
「と、トケイさん?」
ライはもう一度声をかけるがトケイはライの言葉が聞こえていないのか返事をしない。
「トケイさん!トケイさん!きゃあ!」
トケイは唐突に急降下を始めた。ライをそのまま放り捨て、セイに向かって飛ぶ。
「なんだィ?」
サスケは落ちてきたライを素早く受け止めると上を飛んでいるトケイに目を向けた。
「おめえさんには関係ねぇですよ。」
半蔵はサスケに手裏剣を投げた。
「うわっとと。小娘、邪魔だァよ。」
サスケは軽やかに手裏剣をかわすとライを突き飛ばし遠くへ押しやった。ライはバランスを崩し、その場にしりもちをついた。
「え?何?トケイさん……どうしちゃたの!」
ライは状況がまるで飲み込めず、困惑した顔でトケイを見つめていた。トケイはそのまま、セイを抱き上げるとどこかへ飛び去っていってしまった。
チヨメが半蔵の脇腹に蹴りを入れようとしていた時、戻ってきた才蔵がチヨメを押しのけ、半蔵を守った。
「うまくいきましたかい?」
「成功しました。」
「そりゃあ良かったです。」
「ちっ、セイがいなくなっちまったィ……。」
半蔵と才蔵の会話を無視したサスケはセイを追うべくトケイが去って行った方へ走り出した。
「まちなせぇ。それがし達がいかせるわきゃあねぇでしょうが。」
半蔵がサスケの腹に重たい蹴りを加えた。サスケは素早く打撃を防御し、距離を取って着地した。
チヨメも走り去ろうとしたが才蔵に止められた。
「才蔵……さすが伊賀。縛りの術を得意としているだけありますね。」
「半蔵の術に上乗せしただけですが……。逃げた時の事は考えてあります。」
才蔵は冷酷な瞳でチヨメを見つめた。
「ふふ……。面倒くさいお方。」
チヨメが流し目をおくる前に才蔵はチヨメに向け、クナイを投げた。チヨメはクナイを軽やかに避けた。一瞬だけチヨメの視線が才蔵から外れた。
「……。面倒くさいのはお前です。」
「話もさせてくれないのですか?」
才蔵とチヨメはお互い睨みあっていた。
ライは再びぶつかり合い始めた四人をよそに少しずつ彼らから遠ざかっていた。
……トケイさんがセイちゃんを連れていなくなっちゃった……。どうしよう。い、今できる事は……何?
……す、スズちゃん達を助ける事……かな……。セイちゃんを追いかけようにもムリそうだし……。
ライは半分涙目でスズと更夜がいるはずの彼岸花畑へと向かって走っていった。
幸い、忍達はライの逃亡に気がつかなかったのかどうでも良かったのかわからないが追ってこなかった。ライは恐怖心と闘いながらスズと更夜がいるだろう場所を目指した。彼岸花畑に入り、夜空と真っ赤な彼岸花の境界を眺めながらライはスズと更夜を探した。
「スズちゃん!更夜様!」
ライが叫んだ時、憔悴しきっているスズを見つけた。ライは慌ててスズの方へ駆け寄った。
「スズちゃん!きゃ!」
ライはスズに向かい走っていたが何かに躓き倒れた。ライは呻きながら体を起こし、躓いたものに目を向けた。
「!」
躓いたものを見た時、ライは声が出ないくらいに驚いた。
「更夜様!」
躓いたモノは力なく倒れていた更夜だった。ライは更夜から流れ出ている血とぴくりとも動かない更夜に恐怖心を覚えた。
「更夜様!更夜様!」
ライは震える手で更夜を揺すりながら声をかける。しかし、更夜に返答はない。
「ライ……ちゃん……落ち着いて。更夜はまだ生きている。わたしにかかっている術を解いて……。」
ライの近くにいたスズは取り乱しているライになるべく冷静に声をかけた。スズも声に不安と恐怖が滲み出ていた。
「スズちゃん……。どうしたの……なんでこんな……。」
「……わたしが怯えてたから更夜がこうなったの。更夜は優しい人……それはわかってた。だけど……。」
「……スズちゃん?」
スズは瞳を潤ませて苦しそうにつぶやいた。
「畜生!こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったのよ!自分が不甲斐なさすぎて悔しい!」
スズは抑えきれずに叫んだ。ライは目に涙を浮かべているスズをせつなげに見つめた。
「す、スズちゃん……。」
ライがスズに何か声をかけるべきか迷っていると目の前で人影が揺れた。
「小娘……。泣いている暇があるのであれば術を抜け出す事をまず考えよ。」
「!?」
女の声であると気がついた刹那、スズがその場に倒れ込むように膝を折った。
「……え?」
スズは急に自由になった身体に困惑の表情を浮かべていた。ふと前を向く。更夜と同じ色である銀の髪が揺れていた。目線を下に落とすと満月を背に男装をしている少女が冷たい瞳でこちらを見ていた。背格好は子供でいる時のスズと同じくらいだ。目は鷹のように鋭い。肩先までしかない少し癖のある髪があたりの彼岸花と共に風で揺れていた。
少女は戸惑っているライを視界に入れてから更夜に目線を落とした。
「更夜……。何故寝ているか。」
「ね、寝ているって……怪我してるんです!」
ライは少女の言葉に慌てて声を上げた。
「神よ……少し横に避けていただきたい。」
「うっ……。」
少女の鋭い瞳がライを射抜いた瞬間、ライから粟粒の汗が浮き出た。ライが身体を震わせているとスズが少女に向けて蹴りを繰り出した。
「……。」
少女は軽々とスズの蹴りを避けるとスズの腕を取り、地面に叩きつけた。
「大人しくしておれ。」
「うぐっ……。更夜とライには手を出すな!」
スズは地面に押さえつけられながら少女に向かい叫んだ。
「……威勢はいいようだがいささか感情的である。少し落ち着いていてもらえまいか。」
少女はスズを離すと再び更夜に向き直った。そして更夜の顔の付近にしゃがみこんだ。
「更夜よ、何故寝ているか。このまま殺されてもよいのか。」
少女は更夜に問いかけるように話すと更夜の着物を脱がせ始めた。
「ちょ……何してるんですか!」
ライは少女に近づくことはできなかったが慌てて声を上げた。
「ふむ……。かなりの深手のようだの。まったく情けない。近くを通りかかってお前を見つけた故、寄ってみたがまさかこんな見通しの良き所で寝ておるとは。」
少女は更夜の着物を少し引き裂くと傷口の血を丁寧に拭いてから止血作業に入った。
「……。」
ライとスズは戸惑いながら少女の手つきを見つめていた。少女は止血だけではなく傷口の治療と縫合まで始めた。縫合の手つきも慣れており、速い。
「応急手当と簡易の縫合である。後は小娘達よ、いたわってやると良い。」
少女はきれいな銀髪をなびかせながら立ち上がった。
「う……うう……。」
少女が去ろうとした時、更夜が呻きながらそっと目を開けた。
「……。」
少女は何も語らずに振り返ると冷たい瞳を更夜に一瞬だけ向け、去って行った。
「お……お待ちください……お姉様……。わたくしを助けてくださったのでございますか……。……御厚意に感謝……いたします……。」
更夜がか細い声で少女の背に向かい声を発したが少女は振り向く事無く、その場から忽然と消えた。
「更夜!良かった……生きてた!」
「更夜様!」
スズとライは消えた少女に動揺しながらも更夜に声をかけ、側に寄った。
「スズと……絵括……ライか。才蔵はどうした?」
更夜は上半身裸の状態でうつぶせのまま小さくつぶやいた。
「才蔵はサスケの襲撃でどこかへ走って行ったわ。」
「そうか。すまない……。残念だが力が入らん。」
更夜はスズの報告に虚ろな目をしたまま頷いた。
「更夜様……先程の方は……?更夜様……お姉様と……。」
スズの横で不安げな表情を浮かべているライが更夜を心配そうに眺めながら声を発した。
「……ああ、俺の姉だ。」
「お姉さん!?」
「どうりで更夜に似ていると思ったわ。目つきとか。」
ライとスズは驚きの表情を浮かべた。
「普段はどこで何をしているのかさっぱりわからん。弐に来てからも一度も会っておらん。俺は三姉弟の末っ子だ。あと、上に兄がいる。」
「お、お兄さんもいるの!それ初耳だわ。」
「スズ……声を下げろ。」
更夜に注意され、スズは慌てて口をつぐんだ。
「更夜様、末っ子だったんですか……。」
「ああ。姉が千夜(せんや)、兄が逢夜(おうや)だ。」
「じゃあ、さっきの強い女は千夜だったって事ね。」
スズの言葉に更夜は頷いた。
「ところで……トケイはどうした?」
更夜に言われ、ライの顔から血の気が引いた。
「そうだ!あ、あの!トケイさんがセイちゃんを連れて飛んで行っちゃったんです!」
ライは興奮気味に言葉を発した。
「どういう事だ?」
「ですから……トケイさんがセイちゃんを連れて……。」
ライは涙目になりながら説明するが実際に何が起きたのかよくわからなかったので説明がうまくできなかった。
「トケイはなんでセイを連れてったの?」
スズはライを落ち着かせるため背中をさすった。
「わからないよ……。なんか急にセイちゃんの方に行っちゃったの。」
「……術にかかったか……。」
ライの説明で更夜が予想した事はトケイが何かの術にかかってしまっているという事だった。
「……伊賀忍は催眠が得意らしいからね……。簡単に解けないんじゃない?」
「スズ、お前は伊賀忍だろう?知らんのか?」
「知らないわよ。鹿右衛門様……じゃなくて才蔵とかは実際の情報が全然ないの。」
「ふむ。忍はそうでなくてはならん。影の者だからな……。有名になってしまったらそれは忍ではない。」
スズと更夜が話していると世界が急に歪み始めた。
「な、何!?」
「……絵括、音括神セイはトケイが連れて行ったと言っていたな。」
世界が歪み、崩れゆく中、更夜は冷静にライに話しかけた。
「え?は、はい。」
ライはあたりを忙しなく見ながら更夜に答えた。
「セイが望む目的地へトケイはセイを連れて飛んでいる。それでこの世界がいらなくなった。……おそらく、この世界はセイの世界なのだろう。この世界の主であるセイがこの世界はもういらないと判断したのだ。だが世界に留まっていたまま主が崩壊を望んでも世界は主を守る。主が外に出てしまえば世界は存在の意味を失くすので崩壊する事ができる。おそらくそれでこの世界は消えているのだろうな。」
「……セイちゃんはトケイさんに連れられて別の世界へ行こうとしているって事ですか?」
「そうであると踏んでいる。」
どこか必死なライに更夜は曇った顔で答えた。
「それよりも、ライちゃん、この世界がなくなるとしてトケイがいないのにどうやって動く?わたしと更夜はこの世界がなくなったら魂になっちゃうからライを運べないわよ。」
スズは崩れていく世界を見上げながらライに言葉を発した。
「あ……そっか……。と、とりあえずじゃあ……天記神さんの所に戻る事にするよ。天記神さんの所にならここから上辺の弐の世界を私が作れば行けると思う。」
ライは不安げにスズと更夜を見据えた。
「そう。わたし達はこの世界がなくなったら何もできないけど天記神の所に戻れる事を願っているわ。」
スズの横で更夜も頷いた。
「ああ。トケイは俺達で探す。次に会う時はあなたをトケイが迎えに来る時だ。……早く行った方がいいのではないか?もうこの世界はもたんぞ。」
「は、はい……。」
更夜に急かされ、ライは慌てて絵筆を取り出すとサラサラと一つのドアを描いた。
「大丈夫!トケイもセイもちゃんと見つけて助けるから!」
スズはライの背中をぽんと叩いた。
「う、うん……。ありがとう。スズちゃん。ご、ご迷惑をかけます……。」
ライは不安げな表情のままドアを開け、自身が作り出した世界へと入って行った。
最終話
ドアから中に入り、ライは天記神の事を考えながら自身で作った上辺の世界を歩いていた。たいていライが作り出す世界は色彩豊かな花が沢山並ぶ世界だった。今もよくわからない花がライを包むように咲いている。
「私は皆に助けてもらってばかりだわ。セイちゃんを助けようと意気込んでいたわりには何もできなくてトケイさんを巻き込んで……スズちゃんに危ない事させちゃって……更夜様に大怪我させて……。」
ライは独り自分の世界を歩きながら役に立っていない自分に不甲斐なさを感じていた。
少し涙目になり心は暗くなってしまったがすぐに自分にできる事を考え始めた。
「なんかこう……弐の世界を自由に動けるような方法はないのかな……。」
ライが真剣に考えているとあたりが霧に包まれ始めた。ライは立ち止り、あたりを見回した。
……天記神さんの図書館の周りを覆っている霧……かな。
ライはそう思い再び歩き出した。
「待っていたよ。絵括神ライ。」
ふと霧の中から男の影が現れた。ライはビクッと肩を震わすとその場に立ち止った。
「だ……誰!」
「鵜飼マゴロクだ。君にはまだショウゴ君の願いをかなえてもらっていないからね。」
ライの目の前に茶色のオールバックの髪の男、鵜飼マゴロクが現れた。
「ひっ!」
ライはマゴロクに怯え、声を上げた。ライは以前、マゴロクに捕まり、術にかかってしまった事がある。彼に対して良い印象はなかった。
「そんなに怯えなくてもいいよ。俺は主の願いをかなえてくれるよう頼みにきただけだからね。」
マゴロクは感情のない声でライに話しかけてきた。
「だからダメなんですって!ショウゴさんが現世に行く事は不可能なんです。あなたはショウゴさんを壊したいんですか?それに現世で生きているノノカさんに危害を加える事は許されません。」
ライは怯えながらもはっきりと言い放った。
「……だよな。あんたは神だ。あんたは嘘をついていないだろう?あんたが言うなら無理なんだろう。」
マゴロクはため息交じりにライに答えた。
「マゴロクさん……?」
マゴロクのあっさりとした返答でライは眉をひそめた。
「俺は主を説得できない。……どうしてそこまでノノカという少女を恨んでいるのか……俺にはわからない。」
マゴロクはライに助けを求めているように見えた。
「マゴロクさん……ショウゴさんの生前の最期の感情がノノカさんを恨むという感情でした。その感情のみがショウゴさんを支配している可能性があるんです。……もしかすると……あのショウゴさんはノノカさんが作ったショウゴさんなのかもしれません……。ノノカさんの心に住んでいるショウゴさんなのかもしれません……。」
ライはショウゴの記憶を思い出し、涙を浮かべた。
「……。主が負の感情から抜け出すにはノノカという少女の心を変えればいいのかい?」
「……え?」
マゴロクからそんな言葉が出るとは思っていなかったライはきょとんとした顔をマゴロクに向けた。
「どうなんだい?」
「おそらく……。」
ライはマゴロクの瞳を見、怯えながら答えた。
「という事は俺はチヨメとぶつからんとならんとね。嫌だねぇ……。あいつには俺の全部を吸い取られてしまいそうだからなあ。あいつはノノカって少女に笛を渡す事が彼女の平穏につながると思っているからね。」
マゴロクは苦笑し、頭を抱えた。
「そんなの間違ってます!笛をノノカさんに渡しても状況は変わりません!それに笛はセイちゃんのです!」
「わかってるさ。感情的にならないでくれよ。」
興奮気味に否定したライをマゴロクはうんざりした声で止めた。
「サスケさんもチヨメさんもなんでわかってくれないんでしょうか。」
ライは一呼吸おいて切なげに言葉を発した。
「あのな、あんた、色々間違ってるよ。」
「……?何がですか?」
不思議そうに見つめるライにマゴロクはにやりと笑うと口を開いた。
「正義だ。」
「正義?」
「ああ。あんたは音括神を助けたい。チヨメはノノカの心の平穏を望んでいる。サスケはノノカって少女を助けようと動くタカトを全力で助けている。半蔵と才蔵はセイの望みを叶えてやるために魂を燃やしている。そしてオレはショウゴを助けたい。……皆それぞれ正義を持っている。それをする事が正しいと思っている。あんたの考えはあんたの考えでしかないんだ。」
「でも……。」
「戦国時代を生きた俺達に道理なんて通じない。自分が持っている正義が正しいんだ。正義だと自分が思えば無関係な人間だって殺せる。あの時代はそういう時代だった。主を守る事が正義ならば主を襲ってきた者を殺す。」
「……それは正義ではないと思います……。」
ライの言葉にマゴロクは笑みを消した。
「……そうしないと自分が保てない世界だったんだ。俺達を否定しないでくれ。他人を殺してもそれは主が望んだ事だから正義だと思えば生きる希望が湧いてくるってもんさ。それともあんたは現世を死に物狂いで生きてきた俺達に自殺すれば良かったと言いたいのか?」
「ち、違います……。でもしょうがなかったとは言いたくありません。」
不安げに見上げるライにマゴロクは再び微笑んだ。
「違いない。あんたは間違ってない。少し神を困らせてみたかっただけさ。……じゃ、ショウゴ君が月に行けるか行けないかの再確認が取れたって事でスッキリしたからもう行くよ。」
マゴロクはライに軽く手を振ると消えるようにいなくなった。
「……。マゴロクさんに私の気持ち……ちゃんと届いたかな。」
ライはマゴロクが消えてしまった場所を呆然と見つめていた。
しばらくして心を落ち着かせたライは再び歩き出した。何か思う暇はなく、歩き出してすぐに霧が晴れた。
「あ!」
ライの目の前に沢山の盆栽と古い洋館が見えた。ここの空間だけ霧が立ち込めていないが上空は霧で覆われていた。
「戻ってきた!」
ライは盆栽の通路を抜け、洋館の重たいドアを開けた。
「ライちゃん!」
すぐに男の声が聞こえた。
「天記神さん……ごめんなさい!勝手に行動しました!」
「ああ……無事で良かった!心配してたのよ!」
図書館にいた天記神は涙目のライをギュッと抱きしめた。ライは少し気恥かしさを覚えた。いくら心が女であるとはいえ、見た目は高身長の男である。男に抱きしめられた事などないライは自分ではよくわからないが頬を赤く染めていた。
「あ、あの……。」
「あら、ごめんなさい。心配しすぎて気が気でなかったものですから。」
天記神は慌ててライを離した。
「ご心配おかけしました……。実は笛を捕まえた後、ダメもとで上辺の弐を出したら時神さん達の世界に行けたんです!」
「ああ、それは私の本のおかげね。ここに戻って来れたのも私の本が戻ってきただけね。とりあえず役に立ったのね。良かったわ。」
「え?」
天記神はライの後ろに手を伸ばした。ライはビクッと身体を震わせ、天記神の手の先に目を向ける。そこには一冊の本があった。本は何故かライの後ろでフワフワと浮いていた。天記神はその本を取るとライに見せた。
「ほ、本が浮いてた!」
「弐の世界の時神についての本よ。執筆者は壱の世界の時神、現代神のアヤちゃんよ。といってもこれ、アヤちゃんの日記なんだけどね。」
「よ、よくわかりませんがその本のおかげで私は時神さん達の世界に行けて、ここに戻って来れたのですか?」
どこか嬉しそうな天記神にライは戸惑いながら質問をした。
「そうね。初めて使ったけどちゃんと使えるのね。もしかすると心に深く関係する神だけ導けるのかしら?普通は反応しないもの。」
「あ、あの!もしかするとそれで平敦盛さんの所にも行けますか!?」
ライはブツブツ言っている天記神に興奮気味に話しかけた。
「平敦盛の所……って……行けなくはないと思うけど伝記でも沢山あるから個人に当たるのは難しいかもしれないわ。色んな人達が想像した平敦盛だったら沢山いるけどね。」
天記神は唸りながらライに答えた。
「私、平敦盛の所に行きたいんです!セイちゃんが平敦盛に会いたがっているって言ってたんでセイちゃんがそこに向かったかもしれなくて……。」
「わ、わかったわ。落ち着いて。ちょっとお席に座りましょう。はい。吸って吐いて。」
天記神に促され椅子に腰かけたライは息を吸って吐いてと呼吸をとりあえず繰り返した。
「……ふう。」
「落ち着いたかしら?何があったのか全然わからないから初めからゆっくり説明お願いします。」
天記神はライの背中をさすりながら自分も隣の椅子に座った。
「は、はい。ごめんなさい。……実は……。」
ライはゆっくりといままであった事を話した。天記神の顔は曇っていくばかりだったが静かにライの話を聞いていた。
「……なるほどね。笛は今、セイちゃんが持っているのね。……けっこうまずいわ。忍者さん達はどうして大人しくしててくれないのかしら……。」
「正義……だそうです。天記神さんはわかりますか?」
「……わかりますよ。あの方々の心は。しかし、それは一個人の考えよ。私は弐の世界の存続の方が心配なの。守る事は私の義務ですから。あの方々の正義が通るなら私も正義を貫かせていただきます。」
天記神は厳しい顔で冷たく言い放った。ライは天記神の表情を見ながらこれも一個人の考えなのだと思った。正義に答えはないのかもしれない。だから天記神は自分の正義を貫くと言ったのだ。
「答えはないんだ。じゃあ、私はセイちゃんを助ける!それが私の正義よ。」
「でもね、ライちゃん。無茶だけはしないでね。」
意気込んでいるライに天記神は心配そうに声をかけた。
「はい!」
ライは大きく頷いた。
「……で……あなたはこの図書館にいた方が良いと思うのだけど。さっきの話を聞くかぎりだと弐の世界の時神さん達がなんとかしてくれるって言っているんでしょう?」
天記神は一息つくとライにささやいた。
「ですが……あのすごく強かった更夜様が今、大怪我をしているんです。もうそんなに頼れません。」
ライは机の木目を見ながら小さくつぶやいた。
「弐の世界は時間の感覚がバラバラだから案外すぐに治ったりするのよ。それに彼らは魂ですからね。世界によってはすぐに全快なんて事、普通にありえるわ。」
「そうなんですか!」
「ええ。」
「でも、私もやれる事を見つけたいんです。平敦盛の書物を調べてもいいですか?」
「まあ、調べるだけならいいかしら。」
天記神は必死のライに負け、一緒に調べてあげる事にした。
ライと天記神が書物を引っ張り出している間にスズと更夜は自分達の世界に戻って来ていた。
更夜の傷は相変わらず重い。
「更夜……大丈夫?」
「まあ……な。」
スズは更夜の腕を自身の肩に乗せ、支えてあげた。そのまま瓦屋根の家に入り、畳の一室に座り込んだ。
「ね、ねえ……更夜……。」
スズはばつが悪そうに声を発した。
「なんだ。」
更夜は雰囲気をまったく変えずにそっけなく尋ねた。
「い、色々ごめんね。……えっと……ライの件はわたしが何とかするから。」
「お前はここにいなさい。俺がトケイを見つける。怪我の件は特に問題はない。」
「問題なくないでしょ。その怪我ならあんたのがここにいた方がいいよ!」
スズは表情の変わらない更夜に叫んだ。
「だが、相手は強い。お前がやつらに見つからないようにトケイの居場所を特定できるとは思えない。」
更夜は鋭い瞳をスズに向けた。
「そんな事言ったって……あんた、その怪我で動ける方がおかしいわよ。拷問だってされたんでしょ!身体中傷だらけじゃない!」
スズが更夜の視線に怯みながら声を上げた。
二人がお互い譲らない会話をしているとふと女性の声が聞こえた。
「更夜。お前は療養が先だ。判断を見誤るでない。そしてお前はときたま感情的になる所がある。」
「!」
更夜とスズの真上から銀髪の少女が降ってきた。少女は音もなく畳に足をつけた。
「お姉様……。」
更夜は突然現れた姉、千夜(せんや)に少し驚いていた。
「更夜、お前は忍の感覚がやや鈍っておる。普段のお前ならば私の気を感じ取れたはずだ。」
千夜は更夜を冷ややかに見据えていた。
「……も、申し訳ありません……。お許しください。」
更夜の頬から汗が伝っていた。スズはそれを見、目を細めた。
……更夜が怯えている?
「確かに、わたし、あんたの気をまったく感じなかったわよ。」
スズは千夜を警戒しながらつぶやいた。
「スズ、お姉様をお前のモノサシではかるな……。」
すぐに囁くような声で更夜がスズに声をかけてきた。
「答えが不当である。お前は背中を斬られた事に反省の意を見せると良い。それだけの深手を負っておれば感覚が鈍るのは仕方無き事。」
千夜は感情のない瞳で更夜を見ていた。
「はい。」
「今現在、お前はたいそう困っているとの事。そのトケイという少年、私達が探して見ようか。」
「……達?」
千夜の言葉にスズは首を傾げた。
更夜がそっと目を細めた刹那、またもスズと更夜の真上から人が降ってきた。今度は男だった。少し特徴のある銀の髪に鋭い目、更夜にそっくりの男だった。
「お兄様……。」
更夜はハチガネをつけた銀髪の男を鋭い目で見つめた。
「更夜、久しいな。何百年ぶりだ?まあ、もうわからねぇがな。」
男は更夜ににやりと笑いかけた。
「……更夜のお兄さん……その冷たい目とかそっくりだね……。近寄らないで欲しいな……。トラウマになりそう。」
スズはそっと更夜の影に隠れた。
「ああ、おめぇが例の小娘か。心配すんなって。俺は今、平和に暮らしてるんだぜ。今更、現世と同じ生活しろなんて無理だからよ。おめぇに危害を加えようとも思わねぇわ。」
男はにんまりと笑った。
「逢夜(おうや)、楽しき生活をしておる所、すまぬ。少し、弟に力を貸してやってはくれまいか。」
千夜は無表情のまま逢夜に目線を送った。
「はい。お姉様。わたくしは問題ありませぬ。」
千夜が話しかけたとたんに逢夜は笑みを消し、真面目に答えた。
スズは態度の違いに驚いたが一つの仮説にたどり着いた。
……なるほど。甲賀望月、更夜の家系は年齢が上の人を敬えって事かな。上下関係がしっかりしているって事。凄く厳しく徹底した家柄なんだね……。
「では更夜、私と逢夜がトケイを見つける故、ここでしばし大人しくしておると良い。」
「……申し訳ありません。お姉様、お兄様。御厚意感謝致します。……どうかわたくしをお助けくださいませ。よろしくお願い致します。」
更夜はこれでもかと丁寧な言葉を口にするとそっと頭を下げた。
「うむ。では。」
千夜は頷くと音もなく消えた。
「じゃ、更夜、見つけたら連絡すっからな。」
逢夜は軽い感じで更夜に手を振ると千夜同様に音もなく消えた。しばらく沈黙が流れた。あまりに突然の事でスズはちゃんとした思考回路になっていなかった。
「い、いやあ……びっくりしたね。凄く強そうな人達だったわ。」
スズはやっとの事で一言言葉を漏らした。
「ふう……実はあまり頼みたくなかったのだが……しかたあるまい。」
更夜は硬くなってしまっていた身体をほぐすため、少しだけ腕を回した。
「やっぱりあれだね、更夜の家系は天才肌だね……。兄姉仲良いの?」
「あまり一緒に仕事をした事がない故、よくわからん。天才肌かどうかもよくわからん。俺達は死の瀬戸際まで修行させられたからな。元々のものではないだろう。特に姉は苦労をしたように思う。姉は男として育てられたのだからな。」
更夜はふうとため息をつくと目を閉じた。
「そうだったんだね。だから更夜のお姉さんはどこか男っぽいんだね。」
「……俺達と同じ修行を受けていたからな。身体能力的に見ればやはり女は劣る。だが姉は俺と兄を抜かしていた。姉は俺達よりも辛い修行に耐えていた。姉はいつも言っていた。女は身体能力が劣る故、男の倍修練を積まなければ男と同じ場所には立てないと……。」
「……へ、へえ……凄いわね……。千夜って。」
「ああ。俺が初めて尊敬した人だ。姉も兄もどういう人生を送ったかはわからないが幸せな死ではなかっただろう。こちらの世界で幸せに過ごしている事を願っていた。」
更夜はそっと目を開けスズを見つめた。
「良かったね。幸せそうだったよ。」
スズの言葉に更夜はわずかに微笑んだ。
「まあ、そういう事にしておこうか。……とりあえず姉と兄に任せるぞ。俺は傷を癒す。お前はここにいなさい。」
「わ、わかったわよ。いるわよ。」
更夜とスズはお互い深いため息をついた。
深い森の中、学生服を着た一人の男が大きめの岩に座り月を眺めていた。男は学生服の袖で自身の眼鏡を拭くとそっとかけた。
「俺はノノカを助けてやらないといけないのにサスケに頼りっきりだ。……あの笛があるからいけない。あの笛さえ壊せれば……。」
「タカト君、申し訳ねィ……。笛の奪還に失敗しちまったァ……。」
「サスケ!」
学生服の少年、タカトはカゲロウのように現れたサスケに近づいた。
「すまねィ……。けっこう一筋縄ではいかねィ……。ワシの力不足だァ……。」
サスケは少し落ち込んだ雰囲気で近くの岩に腰かけた。
「という事は笛は……。」
「今は本神が持っていらァ。」
「そうか。じゃあノノカには渡っていないんだな?」
「あァ。そりゃァ問題ねィ。」
タカトの安堵の表情を見、サスケは再び口を開けた。
「だがァ、安心はできねィ。あのセイって小娘ェ、これから何かするつもりだァよ。何するのか知らんがねェ。」
「そうか。」
「じゃ、ワシはセイを追うんで見つけたら連絡すらァ。」
サスケは一言そう言うと再び消えるようにいなくなった。タカトは座っていた岩部分に戻り、また月を眺めはじめた。
花と楽譜が舞っている世界。ここはノノカの世界。ノノカは眠っている時、意識はないがこの世界に来ていた。
「またここかあ。」
ノノカは呆然と辺りを見回した。
「最近、全然いい曲できないんだよね。早く笛を手に入れてセイを操れるようにならないと。」
「ごめんなさい。ノノカ。ちょっと邪魔が入りましたわ。」
ふとチヨメがため息をつきながらノノカの前に立っていた。
「あんたね、早く笛を持って来なさいよ!」
ノノカはチヨメを見るなり怒鳴り始めた。
「ごめんなさいね。色々とありまして……。」
チヨメは頭を抱えてあやまった。
「なんとかなるの?」
ノノカが不安げにチヨメに尋ねる。
「正直にお話しますと……相手方の隙が全くありませんの。難しいと思われます。」
チヨメが話しにくそうにノノカにつぶやいた。
「そっか。でもなんとかしてよね。」
ノノカがチヨメに厳しく言い放った。チヨメが何か言おうと口を開いたがすぐにつぐんだ。そして一点を睨み構え始めた。ノノカはきょとんとチヨメの行動を見ていた。
「早いな。気がつかれたか。」
ふとノノカの背後から男の声が聞こえた。ノノカはビクッと肩を震わせた。
「マゴロク……ですね。」
チヨメは素早くノノカを引っ張ると自分の後ろに回した。
「ああ。そうだよ。」
マゴロクは相変わらずのダウンコートで茶色のオールバックの髪をしていた。
「ノノカを殺しに来たのですか?あの子に頼まれて。」
「違うよ。俺はノノカという娘と会話がしたいだけだ。」
マゴロクはチヨメの横で怪訝な顔をしているノノカに目を向けた。
「私と話?あんたと話すことなんてない。」
ノノカはマゴロクを睨みつけ、敵対心をむき出しにしていた。
「あるさ。ショウゴ君の話だ。」
「はあ?ショウゴ?なんであいつが出てくんのよ!もう死んじゃったし関係ないじゃん。」
「……君は本当にそう思っているのか?もう死んじゃったからどうでもいいと。君のせいでショウゴ君が死んだかもしれないのに?」
マゴロクの濁った瞳から目を逸らしたノノカは小さくつぶやいた。
「私には関係ない。あいつはタカトを殺して勝手に自殺したの。私には関係ないんだから。」
「関係ある関係ないではない。本当に亡くなってしまった事をどうでもいいと思っているのか?と聞いている。」
「し、知らない!そんな事!知らない!私知らない!」
ノノカはマゴロクに向かい叫んだ。ノノカの表情はどこか苦しそうに見えた。
チヨメはそんなノノカを黙って見つめていた。チヨメにも若干の迷いが生じていた。
マゴロクはチヨメを横目で見ながらさらに言葉を発する。
「まるで子供だね。君は。人の死はな、そんなに軽くないんだ。死ぬのは簡単だし殺すのも簡単だ。だが……その後だ。その後は君が想像しているよりも遥かに重いんだ。人の命はいつからそんなに軽く見られはじめた?俺にはわからない。」
「あんたみたいな人殺しにグダグダ言われたくない!私をあんた達みたいな野蛮な殺人鬼と一緒にしないでくれる?あんた達こそ人の命、なんだと思っているの?」
ノノカは表情のないマゴロクに怯えながら叫んだ。
「……人殺しか。確かにそうだけどな、俺達は殺した奴に恨まれる事も殺した奴の親族に恨まれるのもそいつの人生を奪った事も背負う事も……全部受け止めて生きていた。忍は影の者。……自責の念で狂ってしまった奴もそりゃあ多かったさ。狂ってしまうと人の命は軽くなってしまう。一人一人の死を考えていたら自分がもっと狂ってしまうからだ。……君はもう狂っていると思うぞ。好きだった子が死んで、友達が自殺したのに君は関係ないって言った。」
マゴロクは冷静に声を発した。
「だって関係ないもん!実際に私が殺したわけじゃないし!」
ノノカの言葉にマゴロクはため息をついた。
「そうだ。君は何もしていない。だけどな、彼らを追い詰めたのは君だろう?」
「そんなの私に聞かないで!あいつらの心なんて私にはわからないし関係ないの!私はセイを使って凄い音楽を生み出したいだけ!他の事なんでどうでもいい!出て行って!もう入ってくんな!」
ノノカがマゴロクを睨みつけながら叫んだ。刹那、マゴロクは世界からはじき出されるように吹っ飛ばされた。
「最後に一つだけ言う。君はあの笛を追いかけすぎている。笛が手に入ってセイをたとえ操れたとしてもそんな心では素晴らしいものは……作れないと思うよ。」
マゴロクはそれだけ言い残し、跡形もなく消えた。
「な、なんなの!あいつ!超むかつく!」
ノノカは悪態をつくとチヨメに向き直った。
「チヨメ!さっさと笛を奪って来て!」
「……はい。」
チヨメは怒鳴るノノカに戸惑いながら小さく声を発し、ノノカの世界から去って行った。
それを確認した後、唐突にノノカは壱の世界に帰り、目を覚ました。ノノカは自室のベッドで眠っていた。朝日が眩しくノノカを照らす。
「ん……。なんか変な夢見た気がするけどなんだったか忘れた。ショウゴとタカトがどうのって……今更そんな夢見るなんてね。ほんとどうでもいい夢。さて、学校行かないと。」
ノノカはベッドから立ち上がり、自室にある鏡台に立った。
「……嘘……。」
ノノカは呆然と鏡に映る自分の顔を見ていた。
……私……泣いていたの……?
ノノカの頬には涙の痕がくっきりと残っていた。
……どうして?私はあいつらが出てくる夢で泣いてたの?
……ありえない。死んで嬉しかったはずだもん。タカトには復讐ができて、あのうざいショウゴは自殺。嬉しかったはずなのに……。
ノノカは戸惑いながら制服に着替える。
……今日も独りで登校……下校も独り……。
だんだんと感じてくるもう二度と会えないという感覚が知らず知らずのうちにノノカを襲っていた。ノノカはスマホを手に取り着信を確認する。メルアドの中にタカトとショウゴのメルアドが残っていた。
……もうあいつらに連絡しても返って来ない……。
ノノカの頭に一瞬だけこの事が浮かんだが首を横に振り、二人のアドレスをスマホから消した。
メルアドを消した瞬間、言いようのない焦燥感がノノカを襲った。
……もうあの二人には二度と会えない。会えないんだ。
「……も、もう!何考えてんのよ!死んだんだから会えるわけないじゃん。そんなの当たり前のことじゃん!なに、今更。」
ノノカは独りつぶやくと制服に着替えて足早に自分の部屋を後にした。
ネガフィルムのような世界の上をトケイは無言のまま飛んでいた。両の腕でセイを抱いている。
セイは笛をじっと見つめながらつぶやいた。
「……この笛が導く方へ……。」
セイの近くには半蔵と才蔵がいた。おそらく半蔵と才蔵はセイに導かれたのだろう。
しばらく飛ぶとトケイは一つの世界の中に入り込んだ。
美しい川とそびえ立つ山。太陽がさんさんと輝き、着物を来た幼い女の子達が鞠つきをしながら小唄を歌っている。幼い少年達は木登りや鬼ごっこをして走り回っていた。
セイはそれを眺めながら無言で歩いた。半蔵と才蔵も後をついて歩く。トケイはその場で力なく立っていた。トケイの意識ははっきりしていない。
「きれいな……世界……。」
セイはなぜか涙を流していた。静かな川の流れが心地よく耳に響く。しばらく歩くと森が開け、海に繋がった。美しい白浜と真っ青な海が太陽に照らされキラキラと輝いている。不思議と暑さも寒さも感じず、ただ、心地よい風のみがセイの頬を撫でた。
その白浜の先に人影が二つ見えた。その人影は流木に腰かけ、寄り添い合っていた。
セイが近づくと美しい笛の音色が耳に届いてきた。寄り添っていた人影は着物を来た男と女で男の方が笛を吹いていた。女はただ男に寄り添い、幸せそうな顔で笛の音を聞いていた。
「……あれが……敦盛さん……?となりにいらっしゃるのは……玉織姫?敦盛さんの奥様。」
セイがつぶやいた刹那、男が笛を吹くのをやめた。
「……どちら様でしょうか?」
男は女にその場にいるように伝え、セイの元に歩いてきた。顔つきは凛々しいがとても優しそうな顔をしていた。質素な着流しを揺らしながら男はセイの側に寄った。
「私は音括神セイと申します。あなたは敦盛さんでしょうか?」
「……ええ。そうですが。神様が僕になんの用ですか?」
男、敦盛はセイに微笑み、尋ねた。
「はい。これを……お返しに来ました。」
「!」
敦盛はセイが差し出した笛を見、困惑の表情をセイに向けた。笛は初期の頃の輝きを失い、今は古い笛に戻っている。
「この笛、あなたのですよね。」
「……ああ……そうですね。僕のです。僕が……戦の時に持っていた笛……。」
敦盛が笛をじっと眺めていた時、笛が光り、セイを包んだ。
「……なっ……これは……笛の過去見……。」
セイの目の前は霧に包まれた。霧が開けた時には今と同じ白浜に立っていた。しかし、海には沢山の船が止まっており、男達の怒号が聞こえる。
「……平安の時代の戦……。」
セイがつぶやいた時、ふと目の前に刀を構えた敦盛と無精ひげを生やした男が立っていた。
「どういうお方でいらっしゃるのですか?お名乗りください。お助けいたします。」
無精ひげの男は丁寧な話し方で敦盛に話しかけていた。
「……まず、お前は誰だ。」
敦盛は警戒を強め、鋭い瞳で刺々しく尋ねた。
「……名乗る者ではありませんが……武蔵の国、熊谷次郎直実と申します。」
「そうか。ではお前の為には良い相手だぞ。僕の首を取って人に見せてみろ。皆すぐにわかる。」
敦盛はどことなく疲れた顔をしていた。この世界を恨んでいる……そういう表情だった。
「自分の子供が軽傷を負っただけでも心苦しい。あなたは私の息子と同じくらいの歳。あなたが死ねばあなたの父上も悲しむでしょう……。お助け致したい。」
男がそうつぶやいた時、背後から軍の一団が迫って来ていた。
「……武家の生まれなぞ良い事があるわけがない。もう……殺してくれ。もう笛が吹けないんだ。指を怪我してしまった……。笛が吹けないならもういい。さっさと殺せ。」
敦盛は男に殺してくれと懇願した。
「……もう軍が迫っています。どうせ殺されるのでしたら私の手で……。」
男は刀を振りかぶり震える手で敦盛の首を取った。倒れた敦盛の腰から笛が落ち、赤く染まる白浜に転がった。
「……笛……。そうか。このお方が敵陣で笛を吹いておられたお方だったのだ。」
男は目に涙を浮かべながらその笛をそっと拾った。
記憶はそこで終わった。霧が晴れ、セイは元の白浜に立っていた。
「そうですか……。」
セイは独りつぶやいた。
「……?どうしました?」
「私はあなたの負の感情から生まれた神だったのですね。しっかりと祭られてから私は音楽の神として生まれ変わった……。元々は人に不幸をもたらしてしまう厄神だったって事……。じゃあ……ショウゴの選択は……ノノカの感情は……タカトの想いは……。」
セイはそこまでで言葉をきった。
……私が絶望した事により、私の奥底に眠っていた元の力が出てしまい、さらに歪んでしまった……。
……でもそれは彼らが私を利用しようとした事が原因です。私は……悪くありません。
……もういいです。考えるのをやめましょう。私は……ここで消える事ができるのだから……。
「それは皆にとってプラスの事……。私はいなくなった方がいい。私は笛から生まれた神です。持ち主に笛を返せば私は消えられる。」
「……神様?」
敦盛はセイを不思議そうに見つめていた。セイはそっと目を閉じると微笑んだ。
「この笛……お返しします。今のあなたならばこの笛を清める事ができるはずです。この笛にはあなたの厄が残ってしまっています。いままでは私の力で封印されていたようです。」
セイは敦盛に笛を押し付けた。敦盛はセイから笛を受け取ると戸惑った顔でセイを見た。
「どうして……あなたはお泣きに……。」
敦盛が心配そうに声をかけた刹那、セイの周りから世界が歪み始めた。
「!?」
近くにいた才蔵と半蔵は目を見開いてあたりを見回していた。
突然、セイはその場に倒れ、塵のように消えた。塵のように消えて間もなく、消えてしまったはずのセイがまったく別神の表情で悠然と現れた。瞳は赤く冷徹だ。
「……こんなはずじゃない。私はさっき、一度死にました。消えるはずだったのにこちらの世界で魂になってしまった……。まったくどこまでも……理不尽な世界ですね。」
セイは誰にともなく声を発すると手から敦盛に渡したはずの笛を出現させた。その笛は敦盛も持っていた。
「なんですかい?セイに一体何が……。」
半蔵は様子のおかしいセイを戸惑った表情で見つめ、才蔵に意見を求めた。
「わかりません。ですがこれがセイの望みです。少なくとも我々は主の望みを叶えたのです。」
才蔵も不安げな顔をしていた。
二人が戸惑っているとセイが笛を吹き始めた。低く、悲しく、不安定な曲調で人を不安にさせるようなものだった。世界はさらに歪み、半蔵と才蔵は耳を塞ぎながら苦しそうに呻き、真黒な世界へと落ちて行った。
歪んでいた世界は崩壊を始め、魂になったセイは空に浮かびながら崩壊する世界から遠ざかっていた。遠くに見える世界で敦盛が不安げにこちらを見つめているのが見えた。その後、敦盛もガラスが割れるかのようにバラバラになり消えた。
……壊して壊す……この世界を壊す……。弐の世界がなくなれば私は本当にいなくなれる……。この世界から消える事ができる……。
……壊す……私が……壊す……。
セイの感情は破壊の方面へと動いていた。この感情は生前の敦盛やショウゴが持っていたものと酷似していた。人が抱える闇の心。自暴自棄になった時に起る、すべて壊してしまいたいという衝動。
セイは人にとても近い神だった。神話などではなく一個人である人間から生まれた神様だからだ。
しかし、その感情をトケイは許さなかった。
いままで動かなかったトケイの目が突然オレンジ色に光りだし、服についていた電子時計が何かの時を刻み始めた。
トケイは無表情のままウィングを広げ、崩壊した世界からセイに向けて飛び上がった。
「!」
セイは突然飛んできたトケイに目を見開いた。トケイは感情なくセイに殴り掛かった。
セイは腕で防いだがあまりの力強さに大きく吹っ飛ばされ、別の世界の地面に叩きつけられた。
「ごほっ!」
セイは仰向けのまま苦しそうに呻き、勢いよく下降してくるトケイを黙って見つめていた。
トケイはセイの腹目がけて拳を振り下ろした。
「……っあうぅ!」
セイは再び呻き、トケイから離れようとしたがトケイはそのままセイをボロ雑巾のように踏みつぶしはじめた。表情に感情はなく、まるでロボットの様だった。そこにあるものが道具か何かのように無慈悲に足を上げる。
……私はもう魂……ここで殺されてもこの世界で死んだことになるだけ……意味はありません。
セイは折れてしまった腕で笛を吹いた。
セイの笛の旋律でどこだかわからない世界は崩壊を始めた。トケイは再び足を振り上げるが地面が急になくなってしまったため、一時止まった。セイは崩壊する世界から真黒な世界へと消えて行った。
トケイは機械のようにあたりを見回してからセイを探しどこかへと飛んで行った。
「お姉様。あれがトケイのようでございます。」
遠くで一部始終を見ていた更夜の兄、逢夜は隣にいる姉、千夜にそっとささやいた。
「……。少し……様子がおかしいようである。やみくもに突っ込まずにまずはセイの側にいた服部半蔵と霧隠才蔵を回収し、話を聞こうぞ。」
千夜は階下の世界で気を失っている半蔵と才蔵を見据え、逢夜に声をかけた。
「お姉様。拷問いたしますか?」
「その必要はない。あれらはもうセイの命令を叶えた後である。仕事は終わっているはず故、話すだろう。嘘を言う可能性もある故、警戒しつつ尋問する。とりあえず捕まえようぞ。」
「はい。」
千夜と逢夜は階下に広がる世界へと落ちて行った。
旧作(2013年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…2」(芸術神編)