巫女恋 ~第壱巻  美しき巫女さんと出会うの巻~

#0 プロローグ

「私、結婚することにしたから!」

 俺より4つ年上の姉シオリは、何の前触れもなく、いきなり言い放った。 
 我が家の楽しい夕食のひとときは、一瞬にして凍りついき、父さんは、好物の唐揚げを箸で摘んだまま姉を見つめて固まってしまっている。

「はぁ?」
 やっとの事で俺が声を発すると、ドヤ顔の姉と視線が合った。
 しかし、姉はフンと鼻を鳴らすと、俺から視線をズラし母さんに「これがカズキさん……」とスマホの写真を見せ始めた。
(なんなんだ? また、いつもの暴走がはじまった?)
 姉はいつもこうだ。唐突に話が始まり、周りはいい迷惑。さっぱり意味がわからない。
 俺は、姉を睨みつけると少し声を大きくして叫んだ。
「ねーちゃん、まだ大学四年生だろう」
 すると、姉は面倒くさそうに口を開いた。
「うるさいわね。そうだけど、何か問題でもあるわけ? 『おねーちゃんがお嫁にいくなんてボクさびしいぃ』ってこと?」
「ない! それは絶対ない! っつうか、勉強の妨げがなくなってむしろ助かるって感じ……いや、そういうことじゃなくて、なんなんだよ『結婚』って、なんの相談もないじゃないか! 勝手すぎるよ!」
 姉はつまらなさそうに肩をすくめた。
「自分のことは、自分で決めて何が悪いなわけ?」
「はぁ? 家族を無視して、自分勝手に決めるのはどうかと思うんですけど」
「家族? もちろん感謝はしてるわよ。だけど、新たな家族を作るためには、自分で決めないと!」
 姉がビシッと言い放つと、突然、ガタンと音がした。
 俺が振り向くと、父さんは寂しそうな顔をしてリビングから出て行ってしまった。父さんの背中はどことなく小さく哀愁が漂う。

「ちょっと、ねーちゃん! 今の父さんの顔見た? あんまりじゃないか、もっと上手い切り出し方ってなかったわけ? ほら『お父様、改めてお話があるのですが……』とかさ、もっと段取りってものが……」
「うるさいわね、そんなのイヤよ。どうせ嫁いだ先で散々厳かにしなくちゃならないんだし、それまでは、自由にさせてもらいます」
「はぁ? 全然、意味わかんないんですけど!」
 俺は、箸をテーブルに叩き置くと、身を乗り出しギロリと姉を睨みつけた。
「あぁ、ヤダヤダ。負けそうになるとすぐに大声あげる男って、サイテー。彼女ができないワケだわ」
「なに! か、関係ないだろ!」
 冷ややかな目で俺を見つめる姉を指差し叫んだ。
「母さん、ねーちゃんのいっていることおかしいよね」
 俺は母さんに同意を求めてみたが、母さんは、姉の写真に夢中で俺の声なんか聞いてやしない。
「ねぇ、カズキさんっていうの? イケメンじゃない!」
 母は、スマホを覗き込み始終ニコニコ顔だ。
「ねぇ、シオリ、カズキさんの家は、神社なの?」
 姉は、ニッコリ微笑むとうなずいた。
「そうなの! 失業もないしね! でも、まだ修行中だから……まぁ、ゆくゆくは宮司(みやつかさ)になるのかな」
 母さんは、姉の言葉に嬉しそうにうなずいている。
「だいじょうぶよ! お父さんには、後で話しておくから……任せておいて!」
 俺は、呆れて母さんを睨んだ。
「ちょ、ちょっと、母さん、そんなんでいいわけ? 会ったことも話したこともないんでしょ?」
「いいじゃない。イケメンで神様にお仕えしているってだけでステキじゃない。私の目は、節穴じゃないわよ」
「はぁ?」
 なんなんだよ。イケメンなら誰でもいいのか? っていうか母さんも父さんを顔で選んだのか? イヤイヤ、どう考えてみてもそうとは思えない。
 俺は、母さんをジッと睨んだが、姉の写真に舞い上がって俺のことなんか眼中にない。
「はぁ……」
 だんだん、バカらしくなってきた。あの母さんじゃ、姉がこうなったのもしかたがないのかもしれない。

#1 巫女舞

 姉の結婚話は、あれよあれよとトントン拍子に進み、嫁ぎ先の神社で年明け早々に行われることになった。
「な、何だって!」
 姉から結婚式の日取りを聞き、俺は呆れて大声で叫んだ。
「何が?」
「ねーちゃん、俺が大学受験の真っ只中だって知ってるよね?」
「知ってるわよ」
「知っててその最中に挙式をするってどういうこと?」
 またもや我が家の食卓に緊張が走る。
 姉は、一瞬俺をチラリと俺を見たが、すぐに貸し衣装がどうだ、誰を呼ぶのか……と母さんと話をしはじめた。
(え? なに? この空気。この俺は完全無視ですか?)
 まぁ、毎度の事だ。いつもの姉の行動だから気にする事はない。俺はそう自分に言い聞かせた。
 俺は、晩御飯を急いで掻きこんだ。

「あー、ったく、腹がたつ! こんな身勝手が許されていいものか! 絶対おかしい!」
 俺は、自分の部屋にもどるとベッドに身を投げ、天井を見上げてつぶやいた。
「なんなんだよ。少しは家族の都合も考えろっつうの」
 俺はイライラして目を強く閉じた。

 姉はいつでも自分のことは自分でさっさと決めてしまう。というか、基本、周りに相談することはしないのだ。すべてが決まってしまって初めて「こうなったからよろしくね」と結論を話す人なのだ。
 とはいえ、「結婚」といえば、人生の大きな岐路だし、俺も先方の家族とつながりを持つ事になる。それを、家族にも相談しないで勝手にどんどん決めてしまうっていうのは……やっぱり合点がいかない。
 俺は、もう一度大きくため息をついた。

 ピピ、ピピ……

 突然、携帯が鳴った。
 俺は手を伸ばして携帯を取ると幼馴染のミユキからの着信だ。
「あー、こんどは、こっちね……」
 俺はため息をつく。
 記憶している限り、ミユキからの電話でいい話だったためしはない。「彼氏にフラれたから私は女として価値がない」と泣き出したかと思うと、「バーケンセールでヒドイ買い物をして腹が立つ」とか……くだらない話がウダウダと聞かされる。
(ほっとくか……)
 今の俺は、姉の一件でムシャクシャしてミユキのバカ話に付き合う精神的余裕なんてない。

 ピピ、ピピ……

 しつこく電話の着信音が鳴る。
(ったく、どいつもこいつも自分の事ばかり……)
 俺は、携帯の電源を切ろうかボタンに指を伸ばしたが、今にも泣きそうな情けないミユキの顔がチラっと頭をよぎった。
(しょうがないか……)
 大きくため息をつくと通話ボタンを押した。

「ハイハイ、ミユキさん。どうかしましたか?」
「ユタカ! 私、もうおしまい……」
 やっぱりだ。いつものパターン。どうせ、くだらない話なんだろう。
「何が、おしまいなんでしょうか? ミユキさん?」
「ユタカ……私、全然、勉強しても頭に入んない……どうしよう」
「ほぉ?」
 俺は、意外にもミユキの相談が真っ当な話だったので驚いた。
 とはいえ、ミユキのことだから、勉強しても頭に入んないんじゃなくて、はじめから頭に入れようとしていないに決まっている。そもそも、ミユキは、自分に興味のないことは、まったくといって手を抜く性格だ。そうはいっても、大学受験は、自分の人生にも大きくかかわる事だし、いやがおうでも手を抜くわけにもいかず、それでストレス爆発っていったところだろうか。
「ユタカ! 私、どうしよう……」
「あのぉ、ミユキさん? で、俺にどうしろと?」
「なんとかして!」
「あのなぁ、なんとかしてって言われてもなぁ。だいたい、お前の脳みそ、小っちゃいし……昔から、一つ覚えると一つ忘れるからなぁ」
「ちょっとぉ、もっと真剣に私の相談にのってよ!」
「じゃ、方法を考えてみよう」
「そうそう! ユタカなら何か思いついてくれると思うんだ! で、どうしよう?」

 ミユキは、いつも人任せ。丁度、姉のシオリとは正反対な性格と言っていい。自分で解決方法を考えることもせず、いつも俺に「ご意見を伺いたい」だとか「たとえば、どうする?」とか「ユタカならどうしたい?」と聞いてくる。
 しかし、彼女イナイ歴18年の俺に、彼氏と喧嘩をしたときの対処方法や、新しい彼氏とどんなデートプランがいいかと相談してくる神経は、どうにも理解できない。
 今回だって、いまさら勉強の仕方を教えてみたところで本人は満足しないだろう。ここは精神的にアゲアゲになるような一言をガツンと浴びせるしかない。
「そ、そうだなぁ……」
 俺が、ミユキ自身が自らやる気になってくれるような言葉を捜していると、近所の寺から除夜の鐘の音が聞こえてきた。
(大晦日か……)
 大晦日……お参り……
「あのさ、神頼みっていうのはどうだ?」
「へ? 神頼み?」
「まぁ、懸命に願えば望みが叶うかもしれないし、霊力もつくかもしれないよ」

「……」
 無言。
 しばらく待ってみたが、いっこうに返事がない。
(我ながら、ちょっといい加減だったか……)

「あの、ミユキさん……どうしました?」
「ごめん! 今、着替えてるとこ!」
「はぁ?」
「ユタカに相談してよかったよ! 待合わせドコにする?」
 なんと驚いたことに、ミユキはノリノリの様子だ。
(マジかよ。そんなんでいいのかよ!)
 俺は思わずツッコミを入れそうになって息を呑んだ。
(思いつきで話しただけだったが……まぁ、いいか)
「実はさ、俺のねーちゃんが、嫁ぐ先が近くの神社なんだけど……」
「え! そうなの! じゃ、そこへ行こうよ! おめでたい話にご利益倍増間違いなしだよね!」
 ミユキは、興奮気味に話をしてくるが、なんの根拠もない話だ。まぁ、気分転換にはいいかもしれない。
「じゃ、夜中の0時に駅前の噴水でいい?」
「わかった! ユタカありがとね!」
 ミユキは、嬉しそうに叫ぶと、電話をブチっと切りやがった。
 俺は、ため息をついた。
「こういうところなんだよなぁ、ミユキの抜けてるところは……しばらく待ってから電話切れよ!」
 まぁ、俺も、姉が嫁ぐ神社とやらを偵察できる口実ができたわけで、マフラーとコートを手に取ると、玄関を飛び出した。

~~

「ユタカ! 混んでるね」
「ああ、こんなに大きな神社だとは思わなかったよ」
 ミユキは、寒そうに身体を震わせている。
「なんだよ、もっとちゃんとコート着てくればよかったのに」
「だって、即、お参りできると思ったんだもん」
「ほれ……」
 俺は、十分温まった使い捨てカイロをミユキに渡した。
「あ、サンキュー。ユタカって、優しいよね」
「まぁな」
「そんなところが、ダ・イ・ス・キ!」
 ミユキは、俺の腕に抱きついてくる。
「や、やめろよ」
 俺は、慌てて離れた。
 俺とミユキは、小学校のころからの付き合いだ。高校生になれば少しばかり女の子っぽくなるかと思いきや、小学校のときと変わらないノリなので、こっちが赤面してしまう。
 おかげで学校でも「俺とミユキは仲が良くてうらやましい」とか「ふたりは付き合ってんの?」とか勘違いされるが、俺的には、恋愛対象にはらない。幼い頃のイメージが強すぎて異性という感じがわかないのだ。
 嬉しい顔して俺の顔を覗き込むミユキに、俺は、また、ため息をついた。
「しかし、お前は、相変わらず子供だな……」
「そう?」
「もう少し、大人の女性って感じにはならないわけ?」
「むふふ、まだまだ子供でいいのだ!」
 ニコニコ笑いながら、俺のことをからかってくる。
「そうだ。去年みたいなことは、ヤメろよな」
「去年?」
「そうだよ、去年の初詣のときのこと覚えてるか?」
「うーん、なんかあったっけ?」
「あのとき、賽銭箱まで遠いからって、賽銭投げただろ」
 俺がミユキを睨みつけると、ミユキはプッと吹きだした。
「ああ、あの前の方のおじさんすっごい怒ってたね。タコみたいに赤くなってさ……あははは」
「あははじゃねーだろ! 人様に怪我でもしたら、天罰くらうぞ!」
「へーい……」
 ミユキは、口を尖らせて、ナマ返事。なんとも困ったものだ。俺がミユキをジッと見つめてため息をつくと、使い捨てカイロを両手でつかんだまま震えている。
「ちっ、しょうがねぇなぁ」
 俺は自分のマフラーをほどくと、ミユキの首に巻きつけてやった。
「おぉ! 温かい! ユタカの温もりだ!」
「こんなところで、風邪をひいたら元も子もなくなるからな。ちゃんと巻いとけ」
「へーい……」

 行列に並ぶ事三十分。やっとの事で賽銭箱近くまでやってきた。ミユキは、興味深そうに首を伸ばしては先頭で参拝をしている人をジッと観察している。
「ユタカ! お参りって、あんなことするの?」
「なんだ、おまえ、神社にお参りしたことないの?」
「だって、いつもお賽銭投げて、ポンポンしてるだけだし……」
「まず一礼して、鈴を鳴らして神様を呼び出す。で、賽銭を入れて、二拝二拍手一拝だ」
「ヘコ・ジャラジャラ、チャリーン。ヘコ・ヘコ・ポン・ポン・お願い事・ヘコ……でいいのね」
「なんだよ、ヘコって、まぁいいや。そろそろ順番だぞ、賽銭を用意しとけよ」
 俺が、サイフを取り出すと、ミユキが俺のコートの袖を引っ張り、悲しそうに眉毛をさげて俺の顔を覗き込んできた。
「ユタカ……」
「どうした?」
「あのぉ……財布、忘れてきたかもです」
 ミユキが泣きそうな顔して俺をみつめる。俺は、思わずミユキの脳天にチョップをいれた。
「イタっ!」
「おまえなぁ、何しにきたんだ。お参りしにきたんだろ! まぁ、お賽銭はなくてもいいけど、自分のケガレを賽銭に託して祓って貰うってことらしいぞ。だから、人様のお金だと効果は薄れるんだよ」
「あう……」
 ミユキは、いよいよ泣きそうな顔になる。
「ったく、ホレ……」
 俺は、財布から小銭を出すとミユキに渡した。
「サンキュー! そうだ! ユタカはケガレだらけだから、このお賽銭で、私も祈ってしんぜよう!」
「おまえなぁ……」
「私って優しいでしょ。ね、褒めてる?」
「褒めてないっ!」
 俺は、またため息をつく。この性格は何とかならないものだろうか。

 ミユキは、高校生になってもさほど背が伸びず、長い黒髪を突然バッサリ切り落としてショートカットにしたことがある。いきなりのイメチェンで最初は驚いたが、クラスの連中からは「カワイイ!」と好評で、それ以来ずっとショートカットにしている。
 とはいえ、見てくれが変わってもこの性格は変わらない。ズボラというかだらしないというか、もう少しなんとか落ち着いてくれればいいのだけれど、付き合った男子は、この性格についていけず、結局愛想をつかせてしまうのだ。

「ユタカ! ほい、次だよ!」
 ミユキが俺の腕を引っ張る。
「わかったってば……あっ」
 俺がミユキに引っ張られ賽銭箱のところへやってきた時だった、賽銭箱の向こう側を1人の巫女さんが通り過ぎて行くのが見えた。
 その姿は、厳かで慎ましやかで美しい。
「うぉ……」
 俺は、思わず叫び声をあげ深々と一礼した。すると、その巫女さんも俺に気付いたのか、こちらに微笑み一礼をしてくれた。
 その瞬間、全身にビビビっとまるで電流が走ったかのような感覚に包まれた。
(な、なんだ! この感覚!)
 呆然とその巫女さんの後姿を見つめた。

「ちょっと、ユタカ早く!」
「ああ? なんだっけ?」
「お参りしなくちゃ!」
「あ、そうだった。ゴメンゴメン」
 俺は、合格祈願をするのも忘れ、あの巫女さんにまた会いたいと思わず願ってしまった。

~~

 参拝が済むと、ミユキは、おみくじだ、団子がうまそうだ……と俺の財布を頼りにはしゃいでいた。おかげで、俺の財布は、すっかり空っぽだ。
 でも、そんなことはどうでもよかった、俺の頭の中は、先ほどのあの巫女さんのことでいっぱいだったのだ。

 ドンドン……

 突然、境内中央の方から太鼓の音と笛の音色が聞こえてきた。ミユキはすぐさま反応し、俺の腕をひっぱっぱり音のする方へ連れて行かれた。ちょうど、巫女舞の奉納が始まるところだったのだ。
 笛と太鼓に合わせて、千早をヒラヒラさせた巫女さんが数名舞台にあがってくる。手には神楽鈴と檜扇を掲げ、厳かに舞いがはじまる。
 俺は、先ほどの巫女さんは、いないだろうかとあちらこちらに視線を投げかけた。
「いた!」
「へ? 誰が?」
「ああ、いや、なんでもない」
 ミユキは俺の顔を不思議そうに覗き込んでいたが、そんなのは無視して、俺は、あの巫女さんの舞姿にウットリ見入ってしまった。

「しかし、綺麗な舞姿だったなぁ」
「うん、いいよね! わたしも感激しちゃった」
 ミユキは、今見たばかりの巫女舞いの真似をしているが、どう見ても幼稚園児のお遊戯にしか見えない。
 巫女舞の奉納が終わると、境内もだいぶ空いてきた。時計を見るともう深夜の二時をまわっている。
「そろそろ、俺たちも帰るかな」
「え? もう 帰るの?」
「もう、たらふく食べただろう! こっちは、もうすっからかんだよ!」
「えへへ」
「えへへじゃねーよ。さぁ、おしまい! 帰るぞ!」
 俺は、ミユキの手を握り締めると参道に向かった。

 参道には、深夜だというのに色とりどりの提灯がぶら下がり、初詣客でにぎわっている。たくさんの笑い声が聞こえ活気を感じる。
「ユタカ、ありがとね!」
 ミユキは、うつむきながらそっと俺の手を握り返してきた。
「うん?」
「来てみてよかったよ」
「そうか! おまえも元気になったみたいだし、よかったよ」
 突然、人の波が押し寄せてきた。俺はミユキとはぐれないようにミユキの手を離すと肩を組んだ。
「ユタカ、私、おみくじも大吉でたし、今年は、神様が見守ってくれてると思う!」
「そ、そうか。それはよかった」
 もみくしゃにされながら参道を進むと、いきなりミユキが俺のほうを振り向いた。
「痛たたた……」
「だいじょうぶか? ここを抜ければ、すこしは楽になる。ガンバレ!」
 俺は肩を抱きしめたミユキの横顔を見つめた。考えてみれば、こうしていっしょに歩くのも久しぶりだ。ここのところ予備校での模試やらなにやらで、二人並んでで歩く事もなかったし、肩を組んで歩くのも小学生以来じゃないだろうか。
ミユキの肩は、思った以上に小さく華奢だった。そして、ミユキのショートカットの髪の毛が揺れ、色とりどりの明りがミユキを照らしている。
(うん? いい香り……)
 こんなに間近でミユキを見たのは久しぶり。
 俺は、ジッとミユキの横顔を見つめた。そして、ときより見せるミユキの表情に、今まで経験もしたことのない感覚につつまれた。
「ミユキ! 今日は、おまえ、かわいいぞ」
「はい?」
 ミユキは、俺をみつめると、ニヤリと笑った。
「今日は? 今日もでしょ!」
 そう言うと、ミユキはマフラーを半分解き、俺の首に巻きつけた。
「はい。これで、私たちは結ばれました!」
「え!」
「へへへ、ユタカくん、ドキドキしちゃったりした?」
「し、してねーよ……」
「ちぇっ、つまんない! でも、なんか顔赤いよ」
「寒いんだよ」
「ほんとぉ?」
「マフラー返せ!」
「えー! そんな事だから、彼女できないんじゃないの」
「お、お前に、言われたくない!」
「あははは……」

 俺たちは、始終ふざけながら、ミユキの家まで送り届けた。ミユキは玄関先で、マフラーをはずすと俺の首に巻きつけた。
「ユタカ! ほんと感謝! ありがとね」
「おぉ じゃぁな」
 俺が帰ろうとした瞬間、マフラーで俺の首ねっこが引っ張られ、俺の唇に柔らかいものが触れた。
「うぉ! な、なんだよ」
「ごほうび!」
「バ、バカ!」
 ミユキはニコニコ微笑むと手を振った。
「ちゃんと、寄り道しないで帰るんだよ」
「こ、子供じゃねぇよ。んじゃな」
 俺は、ミユキと分かれると、寒空の中、自宅へ急いだ。
 しかし、ミユキのやつ、なんだっていきなりチューするんだよ。っていうか、俺のファーストキスって奪われた? いや、そういうことじゃなくて……俺は、一人ぶつぶつつぶやきながら歩いた。

 自宅に着いたのは、午前三時。
 ゴロリとベットに横になる。目を閉じるとあの巫女さんの微笑みと華麗な舞姿、そしてミユキとのキスシーンが繰り返し再現している。
「なんだったんだろう。あのビビビっときた衝撃。それにミユキのやつ、気でもふれたのか?」
 俺は、ひとり暗闇でつぶやいた。
 やがて、二つのイメージがミックスされてゆき、巫女さんと俺がキスするシーンに脳内変換されていくのだった。

#2 ノゾミとチハル

「ほら、ユタカも早く支度しなさい!」
 母さんは久々の着物の着付けをしながら俺に叫んでいる。
「はいはい、わかってますって……」
 俺はため息をついた。

 結婚式の当日はバタバタだった。
 朝早くから美容師さんやら衣装サロンの人やらが押しかけ、家の中はお祭り騒ぎになっている。
 俺も初めてのことで知らなかったのだが、最近は、結婚式の支度というのはホテルで済ませることが多いそうで、今回のウチのように自宅でするのは珍しいのだそうだ。
 姉の希望? いやいや、実はそうではなく、父の希望でこうなったのだ。普段物静かであまり自分の意見を声を荒げていう性格ではない父が、「どうしても娘は、自宅から花嫁姿で送り出したい」と突如言い出した。
 当然のことながら、姉は予算も時間も掛かると猛反対。しかし、「父さんの最後のワガママを聞いてほしい……」と涙ながらに訴え、さすがの姉もこれには言葉を失ったというわけだ。

「へぇ、そうなってるんだ」
 俺は、思わず唸ってしまった。
 朝から、姉の変容ぶりを目の当たりにしていた。
 まずメイク。そしてカツラをあわせ、着物の着付けと段取り良く次々と「花嫁」ができあがっていく。いつものあの姉が、みるみる別人の「花嫁」に仕上げられていくのは感動ものだ。

「馬子にも衣装……昔の人は、うまいことを言うよ……ねーちゃん、キレイだよ……」
 思わず本人を前につぶやいて、ハッとした。あの姉にこんな言葉を口にするとは……思ったままに言葉がサラリとでてしまったというところだろうか。
 姉は、ニヤリと笑うと俺を見上げた。
「ふふ、ユタカ、あんた、おねーちゃんの魅力に、今頃気がついたってわけ?」
「魅力? あ、いや……というか、化粧でここまで化けるものなんだと思って……」
 またもや思ったままにスラスラと言葉がでてしまった。その途端、姉の眉毛がピクリ動き、眉間にシワが寄る。
「つーか、あんた、うっさいわよっ……」
 姉は、ハッとして口元をおさえた。
「いけない、今日から私、おしとやかにならないと……」
 そういうと、顔を引きつらせながら、俺に作り笑顔を見せてきた。
「おしとやかにねぇ……まぁ、メッキが剥がれるのは時間の問題だろうな……」
「言ったわねぇ! コノ!」
「あれ、あれ、あれれ? もう、剥がれた?」
「う、うるさいっ!」
 姉は真っ赤な顔をして悔しそうに俺を睨み、立ち上がろうとしたが、姉を取り巻いていたスタッフが慌てて姉を押さえつけ、腰掛けさせた。

「あ、そう言えば、お父さんに『長らくお世話になりました』って挨拶はしたの?」
「当然よ。昨日のうちにやっといた」
 姉は、ツンと鏡を見るとそっけなく答えた。
「え、それ白無垢っていうんだっけ? その衣装でやるんじゃないの?」
「ごめん。この衣装で立ったり座ったりってちょっと無理だしぃ」
「ふーん」
 まぁ確かにあんなにギュッと締め付けられているのだから、無理なのも想像はつく。そう考えると昔の人ってすごい大変だったんだろうと感心してしまった。
 姉の支度がほぼ終わった頃、衣装サロンのスタッフから俺も呼び出され、数人に取り囲まれたかと思うと、髪の毛はコチコチにセットされ、ワイシャツにシルクのネクタイをギューギューと締め付けられた。

~~

 午前十一時。
 挙式が始まった。神前での結婚式は初めてのことだし、式は厳かで自然と背筋もピンと伸びる。そんな中、俺は必死に耐えていた。
 汗がダラダラと滴るのをハンカチで押さえつつ、視線をあちこち飛ばし、懸命に気をそらしていた。ちなみに、俺を苦しめているのは、式のピリリとした緊張感……ではなく、雅楽のあのプァーンと言う音だ。
 あの音を聞くたびに、昔、テレビでやっていた白塗りの公家さんのコントが頭をよぎり、妙にツボにハマってしまっていたのだ。俺は肩を震わせ、懸命に笑いを堪え、涙目になっていた。なお、父さんも涙目で口にハンカチをあてているが、これは俺とは違う涙目であることは言うまでもない。

 式は粛々と進み、「神楽奉納」となった。
(たしか、巫女さんが神楽を舞うんだよな)
 俺は、ジッと式場を見つめた。すると、厳かに巫女さんが二人登場してきた。俺は、その巫女さんを見て、思わず飛び上がりそうになった。
(初詣の時の……あの巫女さんじゃ?)
 思わず前かがみで、何度もその巫女さんを見つめた。
(まちがいない! あの巫女さんだ)
 ちなみにもう一人は、まだあどけなさが残る巫女さんだ。
 二人の巫女さんは、サササッと新郎新婦の前で会釈すると、素晴らしい舞いを披露してくれた。二人の息もピッタリで、姉夫婦の門出にふさわしい素晴らしいものだ。優しくそしてみやびにシャラシャラと神楽鈴が鳴り響く。俺は、その舞いの所作を一つ一つを見逃すまいと目を大きく見開き脳裏に刻みこんだ。
 するとどうだろう、次第に身体の中がどんどん熱くなっていく。そして、心臓の鼓動が舞いの調子とシンクロしはじめていく。
(なんだ、この感覚……)
 舞いが終わる頃には、なぜだか、スーツの下はびっしょりと汗をかいていた。

~~

 なんとか挙式も無事に終わり、近くのホテルで披露宴となった。父さんも母さんも久々の緊張感から解放されたかのようにロビーでにこやかに招待客と話をしている。
 午後一時。
 披露宴が始まった。会場内は、新郎新婦の知人友人の笑顔であふれている。そして、派手な衣装の司会者により、二人の生い立ちやら出会いやらが紹介されると、あちらこちらから拍手や笑い声がドッと起こる。まぁ、披露宴としては大いに盛りあがっていると言えるだろう。
 ただ、俺的にはなんとも苦痛な時間でしかなかった。

 グゥゥ……

 俺のお腹が情けない音を立てる。
(そういえば、朝からほとんど何も食べてないな)
 もちろん、目の前には色彩豊かな美しい会席料理がならんでいるのだが、どうにも俺の口に合わない。
(ああ、牛丼の大盛り、生玉子をサッとかけて……あああ、食いてぇなぁ……)
 ため息をつきながら、グラスの水を口に含んでは、襟元に指を入れて汗を拭いた。

 すると、突如、場内が暗くなり、荘厳な音楽が流れてきた。
(なんだ?)
 俺が新郎新婦に目をやると、花嫁にピンスポットが当てられている。司会者が、テンション高めに花嫁のお色直しで、一旦、花嫁が退場すると紹介をしている。
(ラッキー! 俺も抜け出して外で休憩しよう)
 俺は、ナプキンを椅子に無造作に置くと、こっそりと暗闇の中に紛れた。

~~

 廊下は、場内と打って変わって静寂に包まれていた。柔らかな日差しが天窓から差し込み、大きく息をすると、身体を大きく伸びをした。そして上着を脱ぎ、長椅子に腰掛けた。
(ふぅ……早いところ終わんないかな……勉強しないと……)

 カチリ……

 突然、廊下に音が響く。ゆっくりと披露宴会場の扉が開き、セーラー服姿の女の子が、ひょっこり顔を出し、外の様子を伺っている。
(なんだ?)
 俺が、そっとその様子を伺っていると、彼女と視線が合った。
 セーラー服姿から察するにおそらく中学生だろう。長い黒髪がサラサラと肩口からこぼれるのが見える。
(誰だ? あの子……。披露宴会場にいたんだから、新郎新婦の関係者?)
 彼女は、俺をジッと見据えたまま、後ろ手で扉を閉めた。その眼力は鋭く、ゾッとするほど冷ややかだ。俺は、おもわず身体を動かす素振りをして、彼女から視線をはずした。
(なんなんだよ。トラブルはごめんだ。関係ない、関係ない……)
 思い出したように、天窓に目をやると真っ青な空を見つめた。

「あの……」
 突然、落ち着いた女の子の声が耳に届く。俺はビクっとして声の主へ振り向いた。
 さっきの女の子が、いつの間にか俺の目の前に立っている。
「は、はい?」
 できるだけ落ち着いてゆっくりと彼女を見上げてみると、彼女は瞬き一つもせず俺を冷ややかに見つめている。
「あの……ユタカさまですか?」
(はぁ? ユタカ……さま?)
 その子は、いきなり俺の名前を呼んできた。しかも「さま」付けだ。
(な、なんなんだ!)
「あ、はい……俺は、新婦の弟のユタカですが……」
 俺が挨拶をすると、彼女はニッコリ微笑んだ。

 ドキッ

(な、なんだ、この笑顔……さっきまでの表情と全然違うじゃないか……カワイイぞ!)
 思わず俺は、彼女の笑顔をまじまじと見つめてしまった。すると、彼女は、頬を赤くするとうつむき、つぶやいた。
「やっぱり! 結婚式でお見かけした時、そうかなって思ったんです」
 彼女は、嬉しそうに手の平を合わせて口元にあてている。
「え? 結婚式で……って」
 式では親族しかいなかったはずだ。式場内に、若い女の子の姿はなかったはず……。
 彼女は、チラリと俺を見るとクスリと笑った。
「あ、でも、私は巫女装束でしたから……」
「み、巫女装束だって!」

 ドキドキッ

 汗が噴き出してきた……背格好からすると、神楽奉納をしてくれた、小さい方の巫女さんということになる。俺は、彼女を覗き込むと巫女姿と重ね合わせてみた。
 なるほど、長い黒髪に、何処と無く綺麗な身のこなしは、確かに巫女さんのオーラをかもしだしている。
「ということは、姉の結婚式の時で舞ってくれた小さい方の?」
「小さい?」
 突然、セーラー服の女の子は、眉毛をしかめるとキッと俺を睨んできた。
「あのぉ、若い方って、おっしゃってくださいね。兄様」
「あ、兄様?」
 俺は、思わず立ち上がり、その子の前に立った。
「申し遅れました。私、カズキの妹のチハルと申します。兄様」
 彼女はペコリとお辞儀をして微笑んだ。
「ち、ちょっと待って! カズキ……って、新郎の……え! 妹さん? ってことは、俺の義理の妹になるわけ?」
「そうです。兄様……」

 ドキドキドキッ

(この子が妹……で、俺が兄様……)
 あまりに予想もしない展開に、俺は、一瞬頭の中が真っ白になった。
「あの……兄様……」
「ハ、ハイッ……」
「鼻血が……」
 俺は慌てて手を鼻にあてると、鮮血が指についている。
 チハルは制服のポケットからティッシュを取り出すと優しく俺の鼻にあてがってくれた。

 ドキドキドキッ

(うぉ! な、なに反応してんだよ……俺は……)
 俺はチハルにもう一枚ティッシュをとジェスチャーをし、受け取ったティッシュを丸めると鼻に詰める。
 チハルは心配そうに俺の顔を見ているが、ティッシュを鼻に詰めた様子があまりにおかしかったのだろう。クスクスと笑いだした。
 はずかしいやら、彼女のかわいらしい笑顔に反応してか心臓の動機が一層はげしくなっていく。
 ついさっき会ったばかりの一風変わった女の子が、巫女さんで、しかも俺の妹だなんて……なんともマンガのような展開としかいえない。
 しかし、突然「あなたは、私の兄様です」と言われても、生まれてこのかた「兄様」などと呼ばれたこともない俺にはあまりにショックがでかすぎる。それに、姉からも何もきいていない。
「あ……どうぞよろしく……」
 やっとのことで、一言彼女に挨拶をした。
「こちらこそ! よろしくお願いいたします」
 俺は、ぎこちない仕草でお辞儀をし、長椅子に腰掛けた。するとチハルは、俺の横にピッタリ身体をすり寄せるように座ってきたのだ。そして、俺の事をジッと上眼づかいで見上げると顔を寄せてきた。
(な、なんなんだよ、この子……顔、近すぎないか)
「あ、あの、なにか?」
 さすがに俺も身体を後ろに引いた。
「あのぉ……さきほどの舞いですが、いかがでしたでしょうか?」
「ああ、綺麗だったよ。思わず見惚れちゃいました」
「見惚れ……そ、そうですか……」
 なぜか、チハルは嬉しそうにニコリとすると、急に赤い顔をしてうつむいた。
「兄様に褒めていただけると、チハル、凄く嬉しいです」
 もじもじと指を組むとうつむいたまま笑顔がこぼれる。
「私、カズキ兄様とは年が離れていて、いつでも子供扱いされてばかり……だから、年の近い兄様ができてとても嬉しいんです」
「そうなんだ……ところで、チハルちゃんは、高校生?」
「え! 高校……」
 突然の俺の言葉に、なぜかチハルは顔を真っ赤にさせてうつむいた。
(まぁ、どう見ても中学生にしか見えないが、兄から子供扱いされていたという話から想像すれば、年上にみられたい年頃なはず……)
「私、まだ中学三年です……嬉しいです。未だに小学生と間違えられることもあるくらいです。高校生なんて言われたこと……初めてです」
 耳まで真っ赤にしてさらにうつむいた。
「本当に?」
 追い討ちをかけるように、俺は聞きなおした。すると、チハルはコクリとうなづいた。
(よし、俺のペースになってきた。ついでに、あの巫女さんについて聞いてみよう)
「あ、ところで、先ほど舞を披露してくれたもう一人の巫女さんは?」
「あっ? ノゾミ様のことですか?」
「ノゾミ様っていうんだ」
「ノゾミ様は、私の教育係をしていただいている正巫女なんですど……」
「そうなんだ。あの方……綺麗だよね……」
「ですね……私も、ノゾミ様のようになりたいと思ってお務めしてるんですけど」
「なにかこう、俺のハートにビビビと感じ入るものがあったんだ……」
「ビビビ……ですか?」
「もう、舞いを見ているだけで、自然と身体が熱くなっていくのがわかるんだ……」
 俺は、おもわずノゾミさんの舞姿について興奮気味に話を続けた。そして、初詣の際に初めてお目にかかったときのこと、その際の巫女舞のことを熱く語ってしまった。
「いやぁ、本当にノゾミさんって、素敵だよねぇ。今日の舞いもすばらしかった!」

 すると、さっきまで俺にピッタリくっついて座っていたチハルが、勢いよく立ち上がった。
 俺は驚いて彼女に声をかけた。
「あ、チハルちゃん? どうしたの?」
「兄様は、ノゾミ様のことばかり……チハルだって懸命に練習しましたのに……」
「え……」
「新しい姉様、兄様のために……私……」
 俺が、チハルを見上げると、小さな手をギュッと握り締め、肩を震わせている。
(あああ……そういうことだったのか!)
 きっと彼女は、今日の日のために巫女舞の練習をしてくれてたんだろう。その事を俺に褒めてほしくて俺のことを探していたのだろう。なんともウカツだった。俺としたことが、ついついノゾミさんに興奮してしまい、チハルちゃんの事まで気が回和すことも出来なかった。
「チ、チハルちゃん、ごめん。チハルちゃんのことも、俺はちゃんと見ていたよ」
 俺は動揺して、声をかけてみたが、チハルちゃんは、目にいっぱい涙を貯めて叫んだ。
「ウソ! ウソです!」
「見てたって! キレイに舞っていたし、身のこなしもしなやかだったし……」
 チハルは、俺の言葉を遮ると、キッと鋭く俺を睨みつけ、顔を真っ赤にして叫んだ。
「私にはわかるんです! やっぱり、ノゾミ様には私なんか到底かないませんもの!」
 ポロリと彼女の頬に光るものが見えたような気がする。
 披露宴会場への扉を勢いよく開けたかと思うとサッと中に入っていってしまった。

 俺は、呆気にとられたまま、彼女の後姿を見送った。
(なんで、そんなにノゾミさんと自分を比較するんだ? チハルちゃんも何か相当思い込みが激しそうだな。思春期の女の子ってそんなもんなんだろうか)
 俺は、おもわずため息をついた。
(しかし、何だって俺の周りにはクセのある女の子ばかりなんだろう)
 俺は、再度天窓から見える青空を見上げた。

#3 チナツとチアキ

 姉が嫁いでから、かれこれ一週間が過ぎた。
 口うるさい姉がいない食卓は、少しばかり寂しい気もしたが、あの俺の神経を逆撫でるイヤミを聞かないですむのは大いに助かった。これで、勉強もはかどるとおもっていたのだが、今度は、別の問題が発生してしまっていた。
 それは、ノゾミさんとチハルちゃんの妄想だ。
 初詣の際のノゾミさんの姿、神楽舞を疲労してくれた二人の巫女舞い姿、披露宴の廊下でのセーラー服のチハルちゃんがニッコリ微笑んでいる姿が、どうしても頭の中に焼きついてはなれない。
 日を追うごとにこの状況は酷くなり、今ではちょっとでも気を抜けば、頭の中に二人が登場し、俺はだらしなくデレっとしてしまう始末。
「いかん! 集中、集中! こんな事ばかり考えてはダメだ! 俺は、絶対合格!」
 両手で頬を叩き、自分に気合いを入れるのだが五分もするとデレっとしている自分には呆れてしまう。

 俺は、参考書を伏せ、対応策を考える事にした。
(そうだ、鉄則どおりにやればいいんだ)
 実は、俺には鉄則がある。それは、『気になる事があるのなら、それを徹底的に極め、勝手な妄想を消し去る』ということだ。
 つまり、そんなにあの二人が気になるのなら「徹底的にあの神社へ参拝し、ノゾミさんとチハルちゃんに会って語らい、あれこれ妄想するのではなく二人のことを徹底的に知り尽くせばいい」のだ。
 まぁ、神社は、自宅から最寄駅を通り過ぎた丁度反対側にあり、ちょっと面倒ではあるが、きちんと参拝し、二人に会って話をして変な妄想を消し去るしかない。
「よし! 早速、明日からはじめよう!」
 ともかく実行あるのみだ。

 翌朝、朝食を早めに食べると神社に急いだ。
 通勤通学の連中を追い越し、駅の反対側へむかう朝六時半。静かなたたずまいの中、冷たい冷気が俺を包み込む。
 俺は、鳥居前で一礼し、参道の右端を歩いた。なんでも、参道の真ん中は正道といって神様が通ると聞いたことがある。ゆっくりと、石畳の上を歩いてみたが、境内には、人の気配が全くしない。ミシリ、ミシリと石畳を踏みしめる音だけが境内に響く。
 拝殿の前には、二匹の狛犬がジッと俺のことを睨んでいる。俺は、一礼すると鈴を鳴らし、賽銭を入れ「合格祈願」をしっかりとお願いした。
 残念ながら、二人には会うことは出来なかったが、なんとなく気持ちがスーッとしてすがすがしい朝となった。

 参拝をはじめて三日目。
 いよいよ明日から試験本番というその日、俺は、鳥居の前で、いつもと違う波動を感じていた。
 一礼し、参道に足を踏み入れると、人の気配がする。視線を泳がせると、あの麗しのノゾミさんが境内を竹箒で掃き清めているではないか。
「お、おはようございます」
 おれは、できる限り清々しく爽やかな口調でノゾミさんに声をかけてみた。
 すると、ノゾミさんも俺に気がついてくれたのか、満面の笑みで首を傾げて挨拶をしてくれた。
「おはようございます……」
 俺はデレっとノゾミさんを見つめ会釈した。すると、ノゾミさんがジッと俺を見つめ、目を丸くしているではないか。
「あの?」
 俺は、姉の結婚式の時のことを思い出してくれたのだろうかと、おもわず嬉しくなってしまった。
「先日は、どうもありがとうございました……」
 俺がノゾミさんに頭をさげると、突然、俺の背中をポンポン叩くものがある。
 驚いて振り向くと、そこには、あのセーラー服姿のチハルがニコニコ微笑んでいるではないか。
「兄様、ごきげんよう!」
「うお、チハルちゃん……。こ、こんなに早くから学校に?」
「まぁ、毎朝、駅を通り過ぎて、わざわざ、私の元にいらっしゃる兄様をないがしろにするわけにはいきませんわ」
 そう言うと、嬉しそうにコチラを見つめている。
 俺は、彼女の笑顔を見て少しだけホッとした。
(先日の披露宴の時のことは、すっかり忘れてくれたのだろうか?)
「ちょ、ちょっとまって! なぜ、そんな事を知ってる?」
「そりゃ、姉様から伺いましたから……『あの寝坊助が、毎朝お参りとは関心関心! でも、わざわざ駅を通り過ぎて反対側までやってくるとは、あの子もかわいいところあるわね』と伺っております」
「ねーちゃんも余計な事を……」
 俺がつぶやくと、チハルがいきなり俺の腕に抱きついてきた。
「うお、な、なんだよ」
「だって、私の兄様だもの」
 俺が慌ててチハルから離れようとすると、ノゾミさんが笑いながらチハルに話しかけた。
「え? こちら、チハルさまの新しい兄様?」
「あ、俺、先日、こちらへ嫁いだシオリの弟で、ユタカといいます」
 なんとかチハルから離れるとノゾミさんに会釈した。
「そう、私の新しい兄様!」
 チハルはニコニコ微笑んだ。
 すると、ノゾミさんは、ニッコリ微笑むと、いきなり俺の手を握りしめてきた。
「え!」
 そして、ノゾミさんは目を閉じて何やら唱えると、俺の手を掴んだまま自分の胸に手を引き寄せた。
「えっ! えっ!」
 ノゾミさんの柔らかな手の平に包まれた俺の手は、ノゾミさんのかなりボリュームがある胸の谷間に引き寄せられた。ノゾミさんのぬくもりが手の甲からじんわりと感じ、俺の心臓はバクバクと脈打っている。
(やばい、鼻血がでそうだ……)
「ウフッ、ユタカさんは、とても優しい心をされてますね」
 ノゾミさんは、そう言うと優しく手の甲を撫ぜ、手を離してくれた。
「もちろんです。私の兄様ですもの!」
 チハルは、ノゾミさんから俺を引き離すと、負けずに俺の手を握り、同じよう自分のに胸に手を引き寄せた。大変申し訳ないと思ったが、チハルはほとんど胸のふくらみというものは感じる事ができなかった。
 一瞬、チハルの眉毛がピクリと動き、ジロっと俺を睨んだが、スッと息を吐くとニッコリほほ笑んだ。
「チハルは、胸は無いですけど、いつでも兄様の事、お慕い申し上げてますから……」
 その言葉を聞いた瞬間、なにやら背中に悪寒が走った。
(な、なんだ? 小さくとも巫女は巫女なのか。もしかしたら、何もかも見透かれてしまっている?)
 ノゾミさんは、その様子を袖を手に当てて笑っている。
「ところで、ユタカさん。毎朝、お参りされますのは、何かお願いごとでも?」
 ノゾミさんの軽やかな声が、俺を包み込む。まさか、「二人に会うために毎朝通っています」などとは口が裂けても言えない。そんな不埒なことで参拝をしている事がバレたら軽蔑されてしまうにちがいない。
 俺は、慌ててその場しのぎで返事をした。
「あ、もうすぐ、大学受験なものですから……」
 ノゾミさんは、ニッコリ微笑んだ。と同時に、チハルも再び俺に抱きついて来た。
「大丈夫。兄様。心配なさらずに!」
「こらこら、そんなにベタベタしないでいいから」
 俺は、チハルを引き離すと、ノゾミさんは、ポンと手を叩いた。
「よろしければ正式参拝をされてはいかがでしょう」
「正式参拝?」
「今日はとても晴れていますし、今ならすぐに参拝できますよ」
「はぁ……」

 なんだか面倒なことになってきてしまったが、言われるがままに、社務所に向かい初穂料を差し出して参拝の申し込みを済ませた。そして、ノゾミさんの優しいアドバイスをもらいながら、手水舎(てみずや)で手と口を清め、拝殿することになった。
 宮司さんから修祓(しゅうばつ)といってバサバサと御祓いをしていただき、祝詞奏上をいただいた。さらに、ノゾミさんが手ほどきしてくれ、玉串を受け取り念を込め、くるりとまわして案(あん)という台の上にのせた。あとは、二拝二拍手一拝をする。

 手際良く式は進んだが、朝から大事になってしまった。
 しかし、正式参拝後にノゾミさんから手渡された御守りは、とても温かく持っているだけでずっしりとした安心感がある。
 身体の奥底から何かチカラが湧いてきそうだ。
「参拝してよかった……」
 俺がつぶやくと、ノゾミさんはニッコリ微笑んでくれ、その笑顔にまたしてもビビビッと衝撃をうけた。
 そんな余韻に浸っていると、俺の上着が引っ張られた。
「兄様。私の御守りも持っていてくださいませ」
 チハルが、ゴソゴソとセーラー服の下から御守りを取り出してきた。
「いやいやいや、だいじょうぶだから……。それはチハルちゃんの大切な御守りだからね」
「イヤです。私のも持っていってください」
「う、うん……」
 こちらも、ほんわかと温かな御守だ。なんとなく、ズッシリと重いのが気になる……。
 俺はため息をつくと双方の御守りをポケットにしまった。
「それでは、兄様、私、学校へ行って参ります」
「ああ、行ってらっしゃい……って、もうこんな時間! ヤバっ」
 俺は、ノゾミさんに一礼するとチハルといっしょに駅へ向かった。

~~

 二月の終わり、第一志望大学の合格発表掲示板前で俺は固まっていた。
(ない……俺の番号がない……そんな馬鹿な、手ごたえあったのに)
 何度も見直してみたが、やはりない。
 がっくり肩を落とし、人ごみの中をさまよい歩いていた。
(今日は合格まちがいないと思ったのに……)
 実は、今日までにスベリ止めとしていたところも含めことごとく試験に落ちていた。頼みにしていた御守りも試験会場へ持っていくのを忘れるという体たらく。これでは、あの二人にも顔向けすることもできない。

「はぁ……」
 俺は、家にもどると、机に載った一枚の受験票を見つめた。残すところは、この一校。スベリ止めのスベリ止めのつもりで出願した大学だが、こんな精神状態では、合格できるという自信も失せていた。
「いかん! 御守りを必ず持っていけば大丈夫!」
(合格! 絶対合格! いままで、この日のためにがんばってきたんだ! 大丈夫!)
 俺は、自分に気合をいれると御守りを握り締めた。
(そうだ、絶対に忘れないように紐をつけて首からぶら下げておこう!)
 今まで試験の前日にお守りを用意していたのにもかかわらず、当日朝には忘れてしまっていた。そこで、最後のこの試験に際しては、二つの御守りにヒモをつけ、肌身は出さず実につけておくことにした。

 夜十時。明日は、朝七時には家を出なくてはならない。
「いまさら机に向かってあがいても仕方がない! ともかく、ぐっすり寝て明日に備えよう!」
 俺は、そう叫ぶとベットに横になった。

~~

 夢か? なにやら胸がチリチリと熱くなってきた感じがする。
「このモノか? チハル殿には申し訳ないが、この部屋の散らかしようは何じゃ、神通力のカケラもないようにしか見えん」
「チハル殿が見込んだお方じゃ、信じるしかなかろうが」
 かすかに耳にヒソヒソ声が聞こえる。
「ともかく、満月の夜じゃ。これから千引岩から亡者が溢れ出てくるかもしれぬと言うのに、ノンキに寝ておるわい」
「ううむ、このお方は、まだ知らんのじゃ、仕方あるまい……」
(夢か? いったい、なんの話だ?)
 俺は、うっすら薄目を開けて胸の上を見てみると白と紫の光が怪しく光っているのが見える。
「うお!」
 俺は、驚いて飛び上がった。その瞬間、二つの光は、ポーンと飛び上がると勉強机の上に静かに飛び移った。俺は、目をこすってジッと二つの光を見つめると、光の中に親指程度の小さく光るハムスターがジッとこちらを見つめているではないか。
「ハ、ハムスター?」
「騒がしい奴じゃの……」
 全身黒いハムスターがキっと俺の前に出てくるとつぶやいた。
「うお、しゃ、しゃべった!」
 慌てて白っぽいハムスターも前にでてくる。
「貴殿は、チハル殿の見込んだお方じゃ。我ら、チナツとチアキと申すオオカムヅミの精霊じゃ。そなたの力を貸してほしいのじゃ」
 そういうと、白いハムスターの全身が光り、まばゆい光に俺は包まれた。
「うぉ」
 その瞬間から、なぜか分からないが、この二匹のハムスターが普通に人の言葉をしゃべることになんの疑いをもたなくなった。
「オオカムヅミの精霊って?」
 俺は、白ハムスターに向かって話をする。
「現世では、『桃』等と呼ばれておるようじゃが……。ともかく、チハル殿は、貴殿に全てを託したのじゃ」
「ちょ、ちょっとまってくれ、何を託し託されたのかさっぱりわからないんですけど……」
 すると黒ハムスターが、キッと睨んで声を上げた。
「そなたが守り袋を持っておるのが何よりの証拠じゃろうが!」
「え! これ?」
「そうじゃ! それを託されたのじゃから、そなたは我らにチカラを貸さねばならぬのじゃ」
 白ハムスターは、ジッと俺を見つめている。よく見ると、やさしい目つきだ。一方の黒ハムスターは、キリッとした目つきでこちらを睨みつけている。
 しかし、考えてみればおかしなものだ。チハルはそんな大切なものをこの俺に委ねたのだろうか。渡した時の状況を考えれば、何やらマスコット人形を渡す程度の軽さだったようにしか思えない。

「ごめん、明日。試験なんだ。試験終わったら、チハルと話をするから、じゃ、オヤスミ!」
 俺の結論はこうだった。
「何をいう!」
 そんな声が聞こえたような気もしたが、どうせ夢の中だ。気にする事はないと、目を閉じた。突然、チクリと激痛が走る。
「痛っ」
 俺は痛む手を見つめると、黒ハムスターが俺の手の甲に噛み付いていた。
「わ、わかったよ」
 俺が、黒ハムスターを手で持ち上げると、寝巻き代わりのジャージのポケットに、白ハムスターと黒ハムスターを押し込んだ。
「それでは、神社に参るのじゃ! ゆけ! 若者よ」
 黒ハムスターの声が聞こえる。
 俺は、このままジャージのポケットのファスナーを閉めて寝てしまおうかと思ったのだが、突然、頭の中に声が響いてきた。
「ユタカさん、タ・ス・ケ・テ……」
「え! ノゾミさん?」
 その声を聞いた瞬間、なんの疑いもなく、コートを羽織ると神社に向かって全速力で走り出していた。

#4 千引岩《ちびきいわ》

 神社が見えてきた。もう少しだ。
 俺は、鳥居の前で、素早く一礼すると拝殿までの石畳を急いだ。
「良いか、拝殿の裏手にある石段を昇って本殿を目指すのじゃ」
 黒ハムスターのゲキが飛ぶ。
(裏手に石段? そんなのあったかなぁ……)
 そう思いながらも、言われるがままに拝殿を回りこんでみると、確かに長い石段が続いている。
 満月の月明かりを頼りに急いで駆け上ろうとすると、上の方から鈴の音が聞こえてきた。

 シャーン

 その音を聞いた途端、なぜか無性に胸騒ぎがする。
(ノゾミさん?)
 俺は石段を見上げるとため息をついた。かなりの段数がありしかも急だ。
「ええい!」
 俺は、意を決して石段を登り始めた。
 しかし、情けないことに最初の数十段をのぼったところで息が切れてしまった。日ごろ運動していない俺には、あまりに辛い。その後も途中の踊り場で息を整え、やっとの事で石段を登りきった。
「はぁはぁ……ノゾミさんはどこだ?」
 俺は、辺りを見回した。すると、月明かりの中に古めかしい本殿が浮かび上がって見える。
「あれか? 本殿……」
「そうじゃ、急げ!」
 暗くてよく見えないが、巫女装束の巫女さんが神楽鈴と檜扇で激しく舞っているようだ。
(ノゾミさん……なのか?)
 突然、生温かな風が俺の頬をかすめる。
(冬だというのに……気味が悪い風だ)
 俺は、肩で息をしながら、本殿に急いだ。
 ノゾミさんに近づいて驚いた。何やら黒い煙のようなものが、まるで生き物のようにノゾミさんにまとわり付こうとうごめいているではないか。
「ノ、ノゾミさん! これは?」
「あ、ユタカさん、いらしてくれたのですね。どうか、チハルさんをお助けください……」
 ノゾミさんは、キッと黒い煙を睨みつけ、大きく腕を振り上げ、神楽鈴をシャーンと鳴らす。すると黒い煙はスッと消え去っていく。
「お願いです。本殿の奥に大岩があります。チハルさんがその大岩に捕らえられています。精霊のチカラを借りて、チハルさんを助け出して欲しいのです」
「え? 大岩に捕らえられるって?」
 俺は驚いてノゾミさんに尋ねたが、本殿から大量の黒い煙があふれるとノゾミさんを取り囲んだ。
「急いで下さい。月が出ているうちに……私は、大丈夫ですから、ともかくチハルさんを……」
「は、はい……」
 俺は、黒い煙を吹き出す本殿を見つめた。
「何をしておる、ボヤボヤしないで、急ぐのじゃ!」
「なんなんだよ、あの黒い煙……」
 すると白ハムスターの落ち着いた声が聞こえてきた。
「あれは、黄泉の国の軍勢じゃ、未だ肉体を持てずにおるから、あのような姿のままなのじゃ」
「そんなことはどうでも良い。チハル殿が危ういぞ」
 今度は黒ハムスターの叫び声が聞こえる。
(黄泉? 黄泉って死者の……ともかく、チハルちゃんを助けなければ……)
 俺は、本殿へ駆け寄った。
 
 本殿は、月明かりで輝いていたが、その前に立ってみて驚いた。なんと、本殿の中からは、ものすごい勢いで生温い風が吹き出していたのだ。そしてその風にのって例の黒い煙が断続的に噴き出している。
「なんだこの風……気味が悪い……」
 俺は、風に逆らって本殿に入ろうとしてみたが、ものすごい風圧で身体は押し戻されてしまう。
(立っているのがやっとだぞ……中に入れるのか……)
 その時だった。
「兄さ……ま……」
 かすかにチハルの声が聞こえた。
「チハル!」
 俺は、ありったけの大声で本殿の中に叫んだ。しかし、返事は返ってこない。
(うむむ……なんとかしなくては……)
 俺は、四つんばいになり、床を這うようにして身体を本殿に押し込んだ。
「チハル! いるのか!」
 俺はもう一度、叫んでみた。
「兄さ……ま?」
 今度は風にのってチハルの声がハッキリと聞こえてきた。
「しかし、すごい風だ。目も開けられない……」
「黄泉からの忌むものの風じゃ」
「黄泉って死者の世界だよね……でもそれがなんで吹いてるんだ?」
 ジャージのポケットから黒ハムスターと白ハムスターが飛び出ると、一瞬にして白い光と紫色の光に変わった。
「つべこべ言わんと、この風は我らが防ぐ。そなたは、チハル殿のところへ急ぐのじゃ」
 そういうと、白と紫の光の球の中に俺は包み込まれた。今まで吹いていた風は驚くことにこの光の球を避けて流れていく。俺は、わずかな風の中、奥へ向かうことができた。

 いくつかのしめ縄をくぐると、ノゾミさんが言っていた大岩が見えた。かすかだが、少し隙間が空いており、そこから、ものすごい風が吹き出し、ときおり黒い煙も出ているようだ。
「チハル!」
 チハルは、懸命にその穴に自分の身体を挟み込んでいる。
「あ、兄様、よかった。チナツとチアキをお連れいただいたのですね」
 チハルは俺の顔を見るとパッと明るい表情になった。
「なんで、そんなところに? ともかく、そこから助けるよ」
 俺はチハルの腕をつかみ引き寄せたが、チハルは俺の手を払いのけた
「兄様、私はこの風を防がねばなりません。ですから動くわけには参りません」
 チハルは今にも泣き出しそうなで叫んだ。
「え? どういう事なんだ?」
 俺は懸命にチハルに詰め寄った。

 その時だった。吹き出していた風がピタリと止んだかとおもうと地響きがしてきた。
「うぉ、今度はなんだ!」
 ガタガタと震え、本堂がギシギシときしむ。立っているのもやっとだ。
「地震か?」
 突然、その隙間は、ものすごい勢いで外の空気を吸い込みはじめた。
 あたりのものがどんどん隙間に吸い込まれていく。
「マジかよ……」
 俺は、間一髪でチハルの手をつかんだ。
「す、すごいチカラだ……」
 チハルの身体がジリジリと隙間に吸い込まれていく。
「ま、まずい! チ、チハル! 俺にしがみつくんだ」
 チハルは懸命に俺の腕をたぐろうとするが思い通りにならない。俺は、必死にチハルの肩を引き寄せて光の球の中にチハルを引きいれようと引っ張った。
「兄様、痛いっ……」
 チハルの顔が歪む。
(ダメだ。このままだとチハルは、この隙間に吸い込まれてしまう……ともかく精霊のこの光の玉の中に引き込めれば……そうだ! それなら、俺が隙間に飛び込めばいい……。そして、光の球の中にチハルが入れば、なんとかなるはず……)
 俺は、覚悟を決めて、チハルを押し倒すようにギュッと抱き締めた。その瞬間、俺たちは隙間の中に転げ落ちた。
「あっ」
 チハルの小さな悲鳴が聞こえ、二転三転したものの見事にチハルを吸い込むチカラは無くなった。

 ゴゴゴゴゴ……

 隙間の中は、身体がフワフワして毛布に包まれているようにも感じる。あたりは白黒の世界だ。
 ただ、異様に風の音だけが響いている。
(まるで水の中に潜ったような感じだな……)
 目の前でチハルが懸命に何やら叫んでいるが、俺には全く聞こえない。
 まぶたがどんどん重くなっていく……。
(なんだろう……なんだかとても心地よい……このまま寝てしまいたい……)

 バチッ

 頬に痛みが走る。驚いて目を開けると、チハルが、泣きながら俺の頬を叩き、そして俺の腕を引っ張りあげて隙間の外を指している。
(そうだ、ここからでなければ……)
 全身を襲う気だるさの中、俺はチハルに支えてもらいながら、大岩の隙間を目指し、緩やかな坂をはいつくばりながら登った。
 かすかに背後からこの世のものとは思えないうめき声の波動が響いてきたが、振り向くことなく隙間から外に抜け出すことができた。

「兄様……戻れてよかった……」
 突然、チハルの声が聞こえ、チハルが俺にしがみついてきた。俺は、何のことやらよくわからなかったが、チハルの頭を優しく撫ぜた。

「あー、お取り込みのところ申し訳ないのじゃが……ともかく、この大岩を動かしてもらえんかの」
 あの黒ハムスターの声だ。
 俺は、チハルの肩をポンと叩くと、やさしくつぶやいた。
「チハル、いっしょにこの大岩を動かそう」
「そうでした、この隙間をふさがなくては……」
 チハルは、キッと大岩を睨みつけると、懸命に力を込めて身体で大岩を押した。俺も一緒に押してみたがビクともしない。
「いったい、こんな大岩……誰が動かしたんだ?」
 俺が悪態を吐くと、チハルが俺を見つめた。
「元はといえば、私の邪念がこの岩を動かしてしまったんです」
「邪念?」
「はい……気がついたら、強い力に操られて、この大岩を動かしていたのです」
「ひとりで?」
 俺は驚いた。この小さな身体でそんなことができるものだろうか。
「いつもは、私の精霊さんが私を守ってくれているのですが……」
「ああ、白と黒のハムスターだね。黒いのはかなり過激だけどね……」
 俺がつぶやくと、それを遮るように、黒ハムスターの叫ぶ声が聞こえる。
「何をしておる。月の光を当てるのじゃ、ノゾミ殿が光を集めてくださっておるぞ」
 チハルは、その声に反応すると周りを見渡した。その瞬間、まばゆい光が本殿に射し込んできた。
「ノゾミ様からの月の光……」
 チハルは、胸元のから小さなペンダントを取り出すと、その光を受け止め、大岩に当てた。
 すると、驚いたことに大岩がガタガタと共鳴し震振動し始めた。
「今です! 兄様、動かしてください!」
「わ、わかった!」
 俺は、言われるがままに半信半疑に大岩に手をやると、驚くことにスッと動いた。そして、隙間を完全に塞ぐことができた。

 先ほどまでの風はおさまり、辺りは何事もなかったかのように静寂に包まれた。
「ふぅ……」
 俺は、なぜだかどっと疲れてその場にへたりこんでしまった。
 突如、胸が熱くなったかと思うと、さっきまで俺を取り巻いていた光が、スーッと胸元のお守りのなかに入り込んでいく。
 そして、急に辺りが真っ暗闇になり、何も見えなくなった。

~~

「ユタカさん、ありがとうございます」
 ノゾミさんの声が聞こえ、ハッと周りを見回すと、いつの間にか本殿前の石段に座り込んでいた。
 冷たい風が俺の身体を冷やしてくれている。
 ノゾミさんは、明るい月の光に照らされとても神々しく、俺は思わず息を呑んだ。
「本当にありがとうございました。チハルさんから聞きましたが、ここのところ、満月の夜には、強大な邪悪な影が人を操り、千引岩を動かそうとしているようです」
「千引岩……神話で読んだことがあるけど黄泉の国を塞いでいるといわれているあの大岩のこと?」
 すると、チハルが俺の腕を抱き締めてきた。
「兄様、この神社は、太古から千引岩を守るために創建されたものなの」
「それって架空の話だろ? そんな危ないものがどうしてこんな町中にあるんだよ」
 ノゾミさんは、月を見上げながらつぶやいた。
「実は、黄泉の国と繋がる場所は、いくつもあるようなのです」
「いくつも?」
「邪念が集まりやすい場所を、太古から封印して護ってきたのです。念のため、もう一度みて参ります」
 ノゾミさんは、本堂の奥をキッと睨むとスタスタと歩いて行ってしまった。

 俺とチハルは、本堂の石段に並んで腰掛けた。
「兄様、私……」
 チハルは、かすれるような声で、ポツリと話し始めた。
「どうした?」
「私……ノゾミ様のことを妬んでしまったんです」
「へ? 妬む?」
「はい……何をやっても、ノゾミ様にはかなわない。それに兄様もノゾミ様のことを好いてらっしゃるし……」
「!」
 俺は、チハルの横顔を見つめた。チハルは月を見上げると涙をいっぱいに目に溜めている。
「わかっていました。お姉さまの結婚式の時にお見かけしてから、兄様の想いがどこにあるのか……だけど、私も、新しい兄様に好いてもらいたくて……」
 チハルが目を閉じると、キラリと一筋の涙が頬をつたわった。
「……」
 言葉が続かない。確かにノゾミさんに心奪われていたのは確かなことだ。しかし、なんて言葉をかければいいのだろう。
 チハルは、涙をぬぐうと、俺をジッと見つめた。
「私、前にも一度、あの岩を動かしてしまったことがあります。まだ、幼い頃ですが……」
「え?」
「あの時は、カズキ兄様が気がついて、私を連れ戻してくれました。その時、何度も言い聞かされていたのに……」
 チハルは、両手をギュッと強く握りしめると、また涙が溢れだしポタポタとその拳の上に涙がおちた。そして独りつぶやいた。
「ノゾミ様はノゾミ様。私は私。人は皆それぞれちがうもの……」
 チハルは、目を伏せると言葉を続けた。
「だから、人に優劣があるのは、当たり前の事。その事実を自分で見極めることは辛いけれど、自分と他人を比べて相手を卑下したり妬んだりすることは意味のないこと。それに気づかないのは邪心に取り憑かれてしまっている証拠……」
 チハルは大きく息を吐くと、俺をジッと見つめた。
「今の自分と比べるべきは、昨日の自分……結局、昨日よりどれだけ自分が成長できたかを知ることが大切……カズキ兄様から何度も言い聞かされてていたのに……」
 俺は、自分より年下の少女が、幼いころからそんな道理を聞かされ自分を抑えてきたことにつくづく感心してしまった。
「でも、なぜだかユタカ兄様のことを考えていたら、どうにも抑えきれなくなくなってしまって……邪心に支配されてしまったのです」
 俺は、そっと頭に手をやるとチハルを引き寄せた。
「そんな事を言ったら、俺なんか邪心だらけだよ」
「いえ、兄様は、自らの事よくご存知のはずです」
「どうだろう……だけど、チハルの兄にふさわしくなるようには努力するよ。これからも、よろしくな……」
 チハルは、クスッと笑うと小さな頭を俺の肩にのせてきた。
「兄様……ありがとう……」

 シャーン

 神楽鈴の音が聞こえたか……と思うと、俺は意識を失った。

#5 試験 (了)

「ユタカ! おきなさい! あんた、今日、試験でしょ!」
 俺は、いつもの母さんの声で飛び起きた。目覚まし時計をみると朝七時。
「いけね、急いで行かないと!」
「ご飯は?」
「途中で買って向こうで食べるよ!」
 慌てて鞄に受験票と筆記用具を入れると玄関を飛び出した。
 妙に胸が温かい。
(お守り……)
 ふと気になって、胸に手をやるとお守りが二つぶら下がっている。
「よし!」
 俺は、最後の試験会場に向かった。

~~

 試験会場には、早めに到着できた。
 コンビニで買ったサンドイッチを摘まみ、温かなコーヒーを口に含むとぐっと気持ちが落ち着いてきた。
「よし! リラックス! 今日はカンペキだ!」
 俺は、胸の御守りをグッとつかんだその時だった。
「いちいち、そんなに、つかまんでもよいぞ! 若者!」
(な、なに! ま、まさか……)
 俺は、辺りを見回した。この声は、あの黒ハムスターの声だ。
「おい、若者! ここじゃ!」
 飲み終えたコーヒーカップの中で、ゴソゴソと音がする。
 俺は、あわててカップをつかむと、黒ハムスターがジッと俺をみつめた。
 俺は黙って、カップをコンビニの袋の中に片付けた。
「なにをしておる! 昨晩、たくさん助けてやっただろうが!」
 ガサゴソと袋の中から声がきこえてくる。
(昨晩……って)
「あれってマジ? っつうか、また俺、ハムスターと話をしてるし」
 すると、俺の肩の上からも声が聞こえた。
「貴殿の働きは、誠にあっぱれであった。よって、しばし、貴殿をお助けしようと参上したのじゃ」
 あわてて、肩の上の白ハムスターを掴むとコンビニの袋に詰め込んだ。
「申し訳ないんだけど、そっとしておいてくれないか。今日は、俺にとって大切な日なんだよ」
「左様か。大切な日であれはなおさじゃ。少しばかり環境を良くしてしんぜよう」
 そういうと、いきなり俺の机の上にツルがのび、きれいな花が一面に咲き始めた。
「おいおいおい!」
「心配無用じゃ、他のものには何も見えん。そなた以外には何も見えておらんのじゃ」
「気が散るからやめてくれ! ともかく、おとなしくしておいてくれよ」
 黒ハムスターの声が聞こえた。
「そんなに、心配しなくともよかろう。我らがついておるからな、若者よ」
 始業のベルが鳴り、試験監督官が教室にやってきた。

~~

 俺は、試験会場の帰り道、神社に寄った。
「あ、兄様! おかえりなさい」
 明るいチハルの声が聞こえた。
「ああ、チハルちゃん」
「いやですわ、兄様、昨晩、私のことチハルってお呼びになってたじゃないですか」
 チハルは、コクリとうなづくと俺の腕に抱きついてきた。
「で、試験の方ですけど、いかがでした?」
「ああ、精霊さんがとっても良くしてくれてね……試験どころのさわぎじゃなかった」
「はい?」
「まぁ、それはそれはキレイなお花畑で試験を受けさせてもらってね。それで、あまりの気持ちよさにその場で寝てしまったよ」
「あはは……」
「ってそこ笑うところじゃないだろう!」
「ご、ゴメンなさい。それで、兄様は、こちらへ引越しというわけですね?」
「へ?」
(引越し? そんな話は聞いていないが……)
 チハルが指差す方向を見てみると、確かに引越社のトラックが止まっている。
「な、なんだよ! あれ!」
 スタッフが神社に運び込んでいる家具は、どれも見覚えのあるものばかりだった。

「ああ、ユタカ! おかえり! 試験中だったから話しておかなかったけど、お父さん仕事の関係で地方に行く事になったんだって」
「そんな話、聞いてねーよ!」
「でね、母さんもついていくことになっちゃって、であんたは、こちらの神社で部屋を借りられたから、今日からこっちで暮らすことになったってわけ」
「ちょ、ちょっとまってくれよ。そんな勝手だろ!」
「ともかく、もう、あんたの荷物は、適当に運んでもらっているから。そういうことで!」
 姉は、ドヤ顔で俺を睨んできた。
「あ、そうだ!」
 姉がニヤニヤすると、俺の耳元でそっと呟いた。
「あんたのお宝エロ本は、ちゃんとダンボール箱にしまっておいたから。カンペキよ」
 姉が親指を突き出し、トラックの前に置いてあるダンボール箱を指差した。そのダンボール箱には大きく「宝」とご丁寧に書いてある。
「おいおいおい! や、やめてくれよ! だいたい俺のプライバシーの侵害だ!な」
「もう決まったんだから、ウジウジ言うんじゃないわよ! それに、よく考えてもみなさいよ。あのチハルちゃんと同じ屋根の下で暮らせるなんて、いいことづくめじゃない」
「チハルちゃん?」
「いい子よ。わたしのこと姉様なんて呼んでくれちゃって、もうカワイくて仕方がないわ」
(ああ、またいつもの結論を決めた姉のクセが始まった……)
 俺はため息をついた。

 俺は、トボトボと引越し荷物を取りにトラックへ向かうと、チハルが興味深そうに「宝」と書かれた箱に手を伸ばしていた。
「あ! やめ! チハル!」
 俺は猛然とダッシュして、チハルから二つのダンボール箱をサッと回収した。あぶなかった。
 チハルは、キョトンとして俺のことを覗き込んできた。
「兄様の宝とやら、こんどぜひ見せてくださいね」
「ああ、こ、こんどね。あぶねー、勘弁してくれよ! もう!」

 突然、ガタンとトラックのほうから音が聞こえた。
「今度はなんだよ……」
 俺は、トラックの中をみると、俺の机を抱えたミユキの姿があった。
「もしもし、ミユキさん。お前はここで何をしてるんですか?」
「あ、ユタカ! おかえり!」
 俺は、お宝ダンボール箱を地面におくと、ミユキから自分の机を受け取り地面に降ろした。
「あのね、私、巫女になることにしたの!」
「はい?」
「だから! 私、巫女さんになるの!」
 俺は、ジッとミユキを見つめた。
「あのさ、ミユキ、お前大学受験はどうしたんだよ」
 ミユキは、タオルで額の汗を拭くと空を見上げた。
「ユタカといっしょにお参りした大晦日の日、私、決めたんだ。もう、受験なんかしないで巫女の世界に入るって!」
「はぁ?」
「それでね、こちらにお願いしたんだけど、今は、募集はしていないからって断られちゃって……」
 まぁ、確かにミユキのガサツさでは仕方がないだろう。
「でも、シオリさんも口ぞえしてくれて、チカラ仕事なら任せてくださいってお願いしたら、宮司さんの許可をいただいたの!」
「ということは?」
「だから、私もココに住み込みってことになるの! どうぞ、よろしくね!」
 ミユキは、ニコニコ笑いながら俺の肩を叩いた。
「はぁ?」

 こうして、俺の大学受験浪人生活がはじまった。
 まぁ、ノゾミ様と一緒の屋根の下で生活をするのはなにやらドキドキする反面、チハルとミユキ、そしてチハルの精霊二つとの生活となれば、平穏無事というわけにはいかないだろう。
 俺は、大きくため息をついて空を見上げると、茜色の夕焼けがまばゆく輝いていた。

(第壱巻 完)

巫女恋 ~第壱巻  美しき巫女さんと出会うの巻~

巫女恋 ~第壱巻  美しき巫女さんと出会うの巻~

大学受験の真っ只中、姉の嫁いだ先は大きな神社だった。 俺は、その神社で正巫女のノゾミさん、義理の妹で霊力の強いチハルちゃん、そして、にわか巫女修行をはじめた幼馴染のミユキと、巫女に囲まれた生活を送ることになったのだが......

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  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-25

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  1. #0 プロローグ
  2. #1 巫女舞
  3. #2 ノゾミとチハル
  4. #3 チナツとチアキ
  5. #4 千引岩《ちびきいわ》
  6. #5 試験 (了)