雨の色、星の唄

鈴木 せり

茜 あかね

目が眩むほどのライトに照らされて、さっきよりも少し弱まった雨が星屑のように光る。さぁ、始まりの時間だ。雨で霞むステージの下には人、人、人。今夜も私は空の向こうへと唄う。届け。届け。歓声と悲鳴の間を突き抜けて、あの人の所へ飛んでいけ。掻き鳴らすギター、どくどく脈打つドラムとベース。爆音と熱気があたりを支配する。ステージが大きくなるほど小さくなっていく私は、いつかこの雨粒みたいに消えてなくなってしまうんじゃないかな。マイクを握りしめる手に力を込める。今ごろきっと同じ不安を抱えながら、あの人もどこかでギターを弾いているんだ。そう思うと、たちまち私の心は震え上がって、声を振り絞ることができるんだよ。たとえもう二度と会えなかったとしても。


彼がどこかでこの唄を聴いていますように。

翠 みどり

夏の匂いを運んで来た風が、カーテンをめくる。ちらりと見える青空と、ときどき割り込んでくる車を走らす音。何時間もここに座っている私の手はそれによそ見ばかりして、鍵盤を駆けていかない。久しぶりの、ひとりの時間。私自身と二人きりで過ごす時間。毎日がこんな風に過ぎて行けばいいのに。他人に歩調を合わせるのはすごく疲れる。疲れる。でも疲れた顔はしない。笑っていないと、すぐに人は離れていってしまうことを知っているから。ようやく動き出した私の指は、ドビュッシーを唄っている。なんて美しいの。なんて嘘つきなの。心の中は土砂降りのくせに。あぁ、そうか、私は毎日こうやっているんだった。だから私の周りにはたくさん人がいるのに、孤独な気持ちになる。ひとりの時間は心地いい。それでも誰かに傘をさしてもらいたいなんて、都合良すぎるかな。いつまで、ひとりを満喫するつもりなの。


もう、待つのも疲れたよ。

碧 あおい

静かな雨の夜には、決まって何かしら動き出す感覚がある。メロディーや言葉が、ぽつぽつと降って来るような。じっとりとコルトレーンの流れる店内の隅っこでたばこに火を付けると、自分が映画の主人公にでもなったような、それでいてどこかなつかしい気持ちになる。枯野色した煙が窓の隙間から夜へ吸い込まれていく。私の中の汚いものも、いっそ一緒に吐き出してしまおう。今夜はなかなかの集客だ。なるべく綺麗なものだけを届けたい。でも、ジャズはそんな綺麗なもんじゃないってのは、客の方が良く知っている。ただのオシャレなBGMじゃない、もっとリアルで、もっと生々しい音楽だってことを。シンバルを刻む音が聴こえてきた。始まりの合図。今夜もこの薄暗いステージで、魂の音を鳴らす。だけどしょせん私の魂は、さっきの煙みたいに細々として、今にも消えてしまいそうだ。


これでは到底、追いつけそうにない。

思色 おもいいろ

私は歌を唄っている。

ロックというカテゴリーの中になんとなくおさまっている。
実際のところはそこまで反社会的な人間ではないし、本当はけっこう感傷的な音楽が好みなんだけれど。

地元で古くからの友人と組んだバンドは、自分の気持ちが追いつかないまま、あっというまにデビューした。そこそこの人気はあるけれど、やはりミュージシャンという仕事柄、将来の安定を約束された身ではない。こういうことを考えている時点で、きっと私の性に合わないのだ。
だから私は、いま過ごしている毎日が本当に現実なのかわからなくなる時がある。ステージで唄って、次の日の朝に目覚めると、そうしていたこと全部が夢だったような感覚になる。小さい頃によく見た、声を出したいのに出せない夢、みたいに。巨大なスピーカーから聴こえてくる声はまるで別人の私で、本当の声は、ステージにぽつんと取り残されて誰にも届くことがない。私なんて見えてないみたいに。

「あかね」
セイジが少し苛立った声で私を呼んだ。
「ぼーっとしてんじゃねぇよ。行くぞ」
はいはい、と声に出さずに答えて移動の車へと乗り込む。今はツアーの最中で、北から南へと移動している。地理がまったくわからない私は、自分が日本のどの位置にとどまっていたのかよくわかっていない。いわゆる、学校の勉強、というものをある時期からさっぱりやらなくなってしまった私は、見当外れなことを言い出しては周りの人間を困らせた。メンバーはもう慣れたのか諦めているのか、たいていの発言や行動は軽く流してくれている。

このバンドは、高校のクラスメイトだった三人から結成された。メインギターのセイジと、ベースの海(カイ)、ドラムのテツ。(留年してるから、ひとつ年上)
しばらくして、同じくクラスメイトだった私がボーカルになり、海の妹の珊瑚(サンゴ)がサイドギターとして加入した。当時は、メンバーに女がいる、というだけで話題になり、地元のライブハウスでは少し名の知れたバンドになった。

「あかね先輩、少し痩せましたね。もっと食べないと倒れますよ」
珊瑚はいまだに先輩と呼ぶし、敬語も抜けない。たったひとつの年の差で、もともと年齢を気にしない私に対しても礼儀正しい彼女は、その外見から想像つかないほどしっかりしている。大きな瞳に、小柄で華奢な身体、ピンク色したふわふわの髪の毛。ギターなど触ったこともなかった彼女は瞬く間に腕をあげ、それまで彼女を小馬鹿にしていた周りのギタリスト達を黙らせた。惚れた男のためにあそこまで出来るのか。

「これ以上食わせてどうすんだ。あれだけ食ってよく太らねぇな」
セイジは何人もの女を泣かせてきた。悪気がないのもわかっている。本当に女に興味がないのかもしれない。口も悪い、目つきも悪い、態度も悪いが、根っから嫌な奴でないことはすぐにわかる。ギターを弾いている時、信じられないくらい可愛い顔で笑うのだ。その虜になった女がここにいる。珊瑚が海にくっついてよくスタジオに遊びに来ていた時、セイジに釘付けになっていることは、セイジ以外の誰もがわかっていた。

「いや、あかねはその分ちゃんと消費してるんだよ。唄うって体力いるからね」
海はその名の通り、どっしりと心の広い男で、誰もが彼を好きだと思う。バンドの中って、必ずこういう奴が一人いて、何度となく訪れる崩壊を防ぐのだろう。それがいないバンドはきっと長くは持たない。海は頭もいいし、芸術的なことにも優れていて、一見バンドマンというより美大生みたいな雰囲気がある。彼が手がけるフライヤーやジャケットの水彩画は、彼の心の中が滲み出たように繊細で美しかった。

「もっと太った方がいいよ。触り心地悪いんだよ、あかねは」
私の腕をつまんでみて、舌打ちすると、ポイと放り投げた。テツは絵に描いたような女たらしのダメ男だ。これでドラムが叩けなかったら、絶対に近づく女などいないだろう。私も酔った勢いか何かで一時つきあうことになったが、前の女だか前の前の女だかが出てきて修羅場になり、一週間で別れた。(しかもテツはそのことすら忘れているようだし) それでも、彼のドラムが鳴り響くと、胸がざわざわして叫び出したくなる。

「いいの、これで。触ってくれる人なんていないし」
私は、みんなから言わせると、ぼーっとしてて何も考えてないけど唄うときだけまともな女、らしい。いや、ぼーっとしてるように見えるけど、頭の中はいつも休みなく働いているんだけどな。昔はあれこれ考えて、それを伝えようと必死になったりもしたけれど、意外と人は自分ほど何も考えてないことがわかり、馬鹿馬鹿しくなった。何も知らない、気づかない、考えてないふりをした方が楽なのだ。そうしてるうちに、私はただのぽわんとした愛想のない女になってしまった。



車は、窓の景色をどんどん変えながら街をすり抜けていく。
夜の真ん中にぼんやりと落ちる街灯の光に、雨粒が細かい斜線を描いている。


明日も私は唄う。届かなくても。
この想いが雨に溶けてなくなればいいのに。

花緑青 はなろくしょう

私はピアノを弾いている。

小さい頃からクラシックを弾いてきたけれど、やっと入った音大では特に目立つこともなく日々が過ぎていった。
そう、長く続けてきたから、というだけでは、厳しい音楽の世界からは簡単にはじき出されてしまうのだ。

東京で少しの間、講師をしながら暮らしていたけれど、一年前に地元へ戻ってきた。生まれ育った小さな街の図書館で働きながら、そこの離れにあるピアノ教室でときどきピアノを教えている。私が小さい頃から大学に行くまで通ったピアノ教室だ。私が大好きだった先生が、昨年、身体をこわして今は休養している。先生のご主人である図書館の館長さんから、帰ってこないか、と連絡が来た時、やっと帰る理由が見つかったと胸を撫で下ろした。本当はずっと帰りたかったけれど、意地になっていたのだ。

「みどり先生、こんにちは」
いつもより早い時間に聞こえるその声に、顔をあげる。
「今日は学校が早く終わったから、本を読みにきたの」
どうぞ、と笑顔を向けると、花のような笑顔を返しながら窓際の席へランドセルを置いて、本を探しに行った。本当に小さな図書館なので、図書室、と言った方がしっくり来るこの場所は17時には閉館する。私がピアノのレッスンをする時には、館長さんがここにいてくれて、それで事足りるくらいしか人の出入りがない。それでも、ここを愛おしく思っていてくれる人達の大切な場所で、私にとっても、心地良い陽だまりのようなところだ。

本を読むことも好きだったので、こんな場所で毎日を過ごしながらピアノを続けられることは、私にとってこの上ない幸福だった。でも、頭でそうはわかっているのに、何かこう、熱のような、野望みたいなグツグツしたものをどこかに置いてきてしまったような感覚で、思い出した途端にするりと抜け落ちていってしまう。無気力、とはまた違った脱力感。ただただ、日々が過ぎていく。そんな毎日の中で私に些細な変化をもたらしてくれるのは、ピアノを習いにくる三人の子供たちだ。

コウくん。5歳の男の子。
ピアノは好きみたいだけど、落ち着きがなくてなかなか言うことをきかない。まぁ、この歳の男の子なら普通のことか。たまに頃合いをみて叱ったりするんだけど、基本的には素直だし、ちょっと不器用なところが可愛い。いったん夢中になると、ふざけていたのが嘘みたいに集中する。お休みの日に、どこかお出かけしたりすると、私にお土産を選んできて恥ずかしそうに渡したりする所も可愛くて、憎めないやつだ。

桃ちゃん。小学校二年生の女の子。
ふんわりと可愛らしい子で、本を読むのが大好き。ピアノを習う以前からよく図書室によく来ていた。なんていうか、その子がいるだけでほんわりと空気が和むというか、癒される。だけど、けっこう負けず嫌いなところがあって、うまく弾けないときには悔しそうに何度も弾き直してあっというまに時間が過ぎたりもする。小さい妹がいて、すごく可愛がっているけど、少しママをとられてやきもちを妬く時があるみたい。

桜ちゃん。小学校六年生の女の子。
実家の近所に住んでいた子で、大学に行く前までの少しの間にもピアノを教えていた。静かな子で、めったに口を開かないし、表情も変わらない。挨拶と返事くらいのやりとりしかなく、ピアノが楽しくないんじゃないかと心配した時もあった。お母さんとも相談して、もし無理に通っているようだったら可哀想だし、やめてもいいんだよと話した時に、初めてその子が泣いた。感情を表に出さないだけで、ピアノは好きだったのだ。

未来ある子供たちに何かを教えるという仕事は、責任重大だ。そのプレッシャーに押しつぶされそうな時もあるけれど、子供たちの達成感に満ちた顔を見ると、まるで自分がいい演奏をできた時みたいに嬉しくなる。わりと性にあっているのかもしれない。私は、あまり自分というものにこだわりがなく、たいていの事をすぐに受け入れられる。めったに腹立つこともないし、いったん落ち込んだとしても、一晩寝るとこんなもんかと立ち直れる。人の好き嫌いもなくて、ちょっと苦手だな、と思う人とも普通に仲良くできる。そうしてくうちに好きになったりもする。だから友達も多いけれど、一人の時間ができた時は、一人でいる事を選ぶ。

部屋の中がゆったりと西日に照らされて、私だけの特別な空間になった。
この美しいひと時を本のページに閉じ込めて、ピアノ室へ向かう。

明日も私はここにいる。待っている。
来るか来ないかもわからない、あなたのことを。

薄群青 うすぐんじょう

私はサックスを吹いている。

お洒落でかっこいいからという具合の軽い気持ちでジャズを始めたけれど、予想以上に深く厳しいその世界で、甘ったれだった私は打ちのめされた。
そして、気がつくとこの音楽の虜になっていたのだ。果てしなく続く想像と創造。常に変化し続ける音の渦に飲み込まれていく。

中学の時に入った吹奏楽部で、見た目がかっこいいからというミーハーな理由でサックスを選んだ。まぁまぁ楽しかったけれど、その頃は遊びに恋に勉強にいろいろと忙しく、そこまでのめり込む事はなかった。高校生になって、ジャズやクラブミュージックを聴くようになり、自己流でいろいろ吹いてみると案外気持ちよかった。バイトして貯めたお金でサックスを買った。それから大学でジャズ研に入ったりして、ジャズのまねごとをしているうちに、どっぷりこの世界に入ってしまったというわけだ。初めてついた師匠にこう言われた。かっこいいとか、そういうファッション感覚でジャズをやるつもりなら、今のうちにやめておいた方がいいよ。

「あおい」
ドラムの紺野が不機嫌だ。なぜだかはよくわかっている。

雨の色、星の唄

雨の色、星の唄

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-05-17

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  1. 茜 あかね
  2. 翠 みどり
  3. 碧 あおい
  4. 思色 おもいいろ
  5. 花緑青 はなろくしょう
  6. 薄群青 うすぐんじょう