くもりそら
くもりそら
「曇った空は好き、だって気持ちを隠しているようで可愛いじゃない」
あきなは確かそんな事を言っていた。その時、僕はなんて言い返したのだろうか。
「曇った空?俺は……曇りってあんまり好きじゃないかも。なんか気分まで暗くなるから」
「気分まで?」
「だって曇りってなんだかどんよりとしたイメージがあって、それで気分もどんよりしてくるんだ」
あきなはそんな僕の言葉を聞いて笑った。僕は何かおかしな事を言ったのだろうかと、自分の今言った言葉を思い出しては、その違和感を探している。
「曇りってどんよりしたイメージがあるの?」
「え?だってそりゃそうだろう?」
「それはさ、君が誰かに教えられた事なの?」
「え、それは……」
教えられた?僕は子供の時にもしかしたらそのように教えられた事があるのかもしれない。
”曇り空はどんよりとした、暗い気持ちになるような天気ですよ”。いや、僕が言いたいのはそういう事じゃなくて、曇りというイメージの一般論だ。曇りというものにほとんどの人が”暗いイメージ”を持つ。
もちろんそれが100パーセント人間に当てはまるとは思わないけれど、そういう人が大多数を占める、と思う。だからそれは一般的な事であって、さっき僕があきなに言った言葉は、別に間違った事じゃない。
もし、僕たちの関係の中で、質問する事が一度のみ許されているとしたら、彼女が僕に質問をするのではない。僕が彼女に質問をするべきなのだ。”曇りというイメージは一般的に暗いとか……、そういったイメージがあると思うけど、あきなはなんでそう思わないんだい?”
僕が彼女にそう聞く権利は多大にあると思う。だって僕が一般論を言っていて、彼女が言っている事が一般的ではないのだから。
「曇りってそういうイメージがあるだろう?だからそう思うんだよ。……というか、あきなの言っている事の方が僕にはよく分からないよ。だって、それは一般的な意見じゃないから」
僕がそう言うと、あきなはその日の曇った空みたいな顔をする。そして僕はまた少し立ち止まってしまう。自分の言ったどの言葉が彼女をそんな顔にしてしまっているのだろう……。
「別に私は、今のあなたの言葉を聞いて否定的な感情を持った訳じゃないのよ」
あきなは、まるで僕の気持ちを読み取ったかのようにそんな返答をして、また少しだけ笑った。
「でもね、私が聞きたかったのはそういう事じゃないの」
*
数日間、この前のあきなとの言葉に関して考えてみた。
僕が間違った事を言っているのか、彼女が言っている事がおかしいのか。いや……彼女の言葉の真意はなんだったのだろう。何を伝えたくてそんな事を言ったんだ?僕にはそれが分からない。
だからこそ、こんなにも解決の糸口を見つける事ができないのだろう。向かうべき先が見えないって事は、どのような努力をしたらいいのかも分からないのだ。
ちょうど一週間が経った頃に、また彼女を会った。
「この前の話は、どういった場所に落ち着くべきはずだったんだろう?」
小さなカフェで対峙する彼女に、僕は素直に聞いてみた。
「落ち着くべき?」
「なんていうか……、どこに向かって話を進めたらいいのか分からなくなってしまったんだ」
「んー、そうね……」
それからしばらく僕も彼女も黙り込んでしまった。僕はただ彼女の意見を待っていただけだったけど、彼女はその”行くべき先”を探しているようだった。そしてしばらくしてから、彼女はゆっくりと口を開いた。
「どこかに落ち着きたいという訳じゃないの。なんていうか……、あなたの意見をただ聞いてみたかっただけ。それでもしお互いの意見がすれ違っていたとしても、それはそれでいいと思うの。だってそれが個性ってものでしょ?お互いがその意見の中間地点に摺り合わせる必要もないと思う。だけど、この前あなたは、”一般的に”と言った。私はあなたとお話をしているのに、私に投げかけられた言葉は”一般的な”意見に過ぎなかった。それが少し悲しくも感じた。……結局、どこかに向かおうとしている訳じゃなくて、ただちょっと休憩して私とあなたのお話を楽しもう、それくらいの考えでしかなかったのよ」
彼女はそう言った。僕は彼女の言ったその言葉をどれくらい理解できただろうか。ただ、僕の中に違和感が残った事には噓を付けなかった。何の目的もない意見交換なんて何か意味があるのだろうか?
そして、その先に……、いや先を考えるという事ではないのだと彼女は言った。だから、ゴールのない意見交換をしようという事なのだろうか?しかし、ゴールをしようともしない意見交換に何の意義を感じ、何を楽しめばいいのだろう。
僕が黙ったままだったからだろうか、彼女は言葉を付け足した。
「そんなに難しい顔しないで。私はそんな事求めてなんていない。分からない時は分からないって言えばいいじゃない」
「うん、僕にはあきなの言っている事がよく分からないんだ」
そして二人とも黙った。嫌な沈黙ではなかったけれど、なんだか酷く重く感じられた。
「じゃあ、”分からない事”に関して、お話をしましょう」
僕たちはいつかこの関係性のゴールを見出す事ができるのだろうか。「お話をしましょう」と言った彼女の言葉を頭の中に留めながら、次の言葉を探した。
窓から見えた空は、今日もどんよりと曇っていて、僕はまた少し暗い気持ちになった。でもそれは悪い意味じゃない。だってほら、窓から空を眺めるあきなの顔は、幸せそうに笑っているじゃないか。
僕が次の言葉を見つけて口を開こうとすると、あきなが僕の顔を見て、静かに笑っていた。
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