きっとあなたに意味はある
きっとあなたに意味はある
「例えばさ、100年後の事を考えてみるんだよ」
僕の質問に、さくらはそんな風に答えた。
100年後?そんなの簡単に考えられる訳ないじゃないか。「例えば」、なんてそこに当てはめる言葉じゃないだろう?
「そんなの考える事できないよ」
「なんで?別にどういう風に考えてもいいのよ。自由なの、100年後は!」
自由って……。自由だからこそ、僕にはよく分からなくなってしまうのに、彼女には僕の気持ちなんて全く分かりそうにない。
だって彼女は小説家として世間に名の知れている人だけれど、僕はずっと前に一度きりコンテストで賞をもらっただけで、自分の作品が店頭に並んだ事だってないのだ。
それが、僕と彼女との差だ。
身長も違えば、声の高さも違う、目の大きさも違うし、足のサイズだって違うけれど、そんなものの差とは比べ物にならないくらい大きな差がそれなのだ。
「できないって、……まず考えようとしてるの?」
「してるさ、そりゃ……」
「じゃあできるでしょ!だって自由なんだから!」
さくらはまた自由なんて言葉を投げてくる。その言葉が余計に僕を悩ませている事を彼女は知っているのだろうか?
「無理なものは無理なんだよ」
僕がそう言いきると、部屋の中に沈黙が落ちてきた。しんと静まり返った広いリビングは彼女がこの家を建てる前から希望していたものだ。そしてすべての費用を彼女が払ったのだ。
「だってあなたが聞いてきたんじゃない。どうやって小説を書いてるのかって」
「そうだけど。……じゃあさくらはいつも100年後の事を考えるところから小説を書き始めるのか?」
「う~ん……」彼女は腕を組んで宙を眺めた。
「そうだとも言えるし、そうでないとも言える」
僕は呆れて
「よく分からないよ」
とため息に乗せて言葉を漏らした。
「だからさ、100年後かは分からないけど、……非現実的なところから考え始めるのよ。その方がいろんなものに縛られずに書けるじゃない?ねえ、そう思うでしょ?」
「言いたいことは分かるけど……」
「じゃあ、そうやって書いてみなよ」
「だから、その非現実を考える事が僕にはできそうにないんだよ。だって非現実だろ?」
「そうよ、ヒ・ゲ・ン・ジ・ツ」
「そんなの無理だよ。僕は少なくとも、今までに見た物や感じた匂い、聞いた音を編集してなんとか物語を書くことくらいしかできないんだよ」
「でも、それで行き詰ってるんでしょ?」
「まあ、……それもそうなんだけど」
さくらは僕を見つめながら、しばらくの間黙っていた。次に何を言われるのかと少しひやひやしながら、僕は彼女の言葉を待っている事しかできない。
「……その後にさ」
結局僕は、その沈黙に耐える事が出来ずに先に言葉を発した。
「なに?」
「それで、例えば100年後を想像したとしてさ、その後にどうやって話をつくればいいんだ?」
彼女はまた僕の事をまじまじと見つめながらも黙っていた。そしてしばらくして宙を眺めてから「そうね~」と小さな声で呟いた。
「100年後、どんな未来が待ってるか分からないじゃない?」
「それは、そうだね。想像のしようがないよ」
「でもなんていうか、これが1000年だったらもっと想像できないよね?」
「そうだね。100年で分からないくらいだから」
「でもさ、1000年に比べたら、100年先なんてすぐだよね?」
「まあ、1000年に比べればね」
「そう、だから100年先なんてそんなに先の事じゃないのよ。たぶん、ほとんどの事は変わってないと思うのよ」
「そんな事はないだろう?だって僕が生まれた頃なんて、みんな当たり前のように電話を持ち歩くなんて思ってもいなかった」
「それは、対外的な事なのよ」
「対外的?」
「外部要因」
「外部要因?」
さくらは目の前で大きく手を叩いた。
「まあ、とにかくさ!人間は100年後もあんまり変わってないって事なのよ」
「1000年後も?」
「うーん、1000年後は分からないけど、……それほど変わってはいないんじゃないかな」
僕は彼女の言った事をもう一度頭の中で整理してみた。……ん?つまりどういう事なんだろう?
「え、ちょっと待って。それは僕の聞いた事の答えになってないよね?」
「え?」
「だから、僕はその未来を想像してどうやって話を書くのか聞いたんだ」
「え、答えになってないかしら?」
「全然なってないだろう?」
「だからさ、結局時空なんて関係ないって事なのよ。今も未来も過去も、人間を主人公にする限り大きく変わる事はないの。だから日常に起きた些細な事を書いたらいいじゃない。それでも立派な小説よ。……例えば、今起きた私とあなたのやり取りとかをさ」
「今のやり取り?100年先とか言ってた事を?」
「そうよ。例えばね」
「そんなの何も面白くなんてないよ」
「面白くないかもしれないけれど、……なんていうか、小説の種はどこにでも落ちてるんじゃないかって言いたかっただけなのよ。あまり深く考えてちゃって、頭の中を真っ白にした状態で探しても見つからないわ。もっと透明になって、いろんな事を受け入れようとすればいいの」
「いろんな事って言ったって、僕は……まあ、君もだけど、ほとんどを家の中で過ごしているから、毎日が同じことの繰り返しだよ」
「じゃあ、その繰り返しを書いたらいいじゃない」
「そんなの面白くないよ」
「面白くないって誰が決めたの?誰も決めてないじゃない」
「僕がそう思ってる」
「じゃあ、あなたが面白いと思ったものは認められた事があるの?」
さくらはそこでハッとした顔をした。実際、僕はさくらに養ってもらっている訳で、変なプライドなんてとうに捨てているから気になりはしないのだけれど、さくらにそんな顔をされては、僕だって反応に困ってしまう。
「……ごめん」
「いや、いいんだよ」
そしてまた沈黙。リビングはもう少し狭くてもよかったような気がしていたけれど、結局僕がさくらに意見する権利などないのだと思う。
「分かった。書いてみる。透明になって」
「ほんと?書けそう?」
「……うん、なんとなく」
「題材は?」
「題材……。えっと、リビングだよ」
「え?リビング?」
「そう、このリビング」
「このリビングをどうするの?」
「このリビングは、ちょっと広すぎると思うんだ」
僕は生まれて初めてさくらに自分の気持ちを言った気がした。そんな事はないと思うのだけれど、それでも随分久しぶりであることに変わりはないと思う。
「……私もね、そう思ってたの」
あ?そうなの?と心の中で呟いた。これを言ったことによって、別に心境の変化があった訳ではないけれど、なんだか小説を書けそうな気がした。
「参考になるか分からないけど、最近書き上げて、再来月には発売になる小説があるの。それはね、”小説が書けない旦那”を持った女性が主人公なの」
僕は口をあんぐりと開いたまま「ああ……」と情けない声を漏らし、さくらは僕を見ながらニヤついていた。
もしかしたら僕は、さくらの生活に必要な人間なのかもしれない。そういえば、その前にでた作品は”旦那の寝言”だったような……。
彼女の作品をいちから読み直してみようと思ったその日、結局一字だって小説は進まなかった。
office hammy
http://office-hammy.com
きっとあなたに意味はある