白い現 終章 白い現 六
それから二年と半年の間、彼らに様々な変化があった。
終章 白い現 六
六
約二年と半年後
大学を休学し、家の経営するファミリーレストランの、海外支社に研修に行っていた市枝が戻ったのは年末だった。真白は彼女を空港まで迎えに出向き、二人は久しぶりの再会を喜び合い、はしゃいでいた。国際社会の洗礼を受けた市枝は以前にも増して垢抜け、真白の目にとても眩しく映った。彼女が着れば毛皮のコートも、少しも大袈裟ではなかった。
現地で多くの男性社員に言い寄られて辟易したと言う話や研修における失敗談、笑える話や滞在先で出来た交友関係など、市枝の土産話は多岐に及んだ。
雪の残る道の中、市枝の家まで、真白は懐かしい道を辿った。
この高級住宅街に来るのも久しぶりだ。相変わらず、そうそうたる家が立ち並んでいる。
雪を軽く被った電信柱と電線に身を寄せ、或いは間を置いて留まる雀の姿だけは他所と変わりない。そしてこだわる人というのはどこにでもいるもので、この寒い中、梅やら松やらが植わった庭を持つ豪壮な家の外壁と、歩道の隙間からしぶとく生え出た雑草を、スコップで取り除こうと躍起になっている割烹着姿の女性の姿はどこか荒太を彷彿させるものがあり、真白は他人事の呑気さで頑張るなあと感心して見ていた。
もう五年以上も前、雪華を使い、市枝の家から理の姫のいる空間へと赴いた。あの時から全てが動き始めた。
「本当は、私も真白のとこにお邪魔して、一緒に新年を迎えたかったのよ?初詣でとか」
濃いアイシャドウの入った目元に力を入れ、無念そうな光を目に宿して市枝が唇を尖らせる。薄化粧を施した真白も、それに相槌を打つ。
「うん。そう出来れば良いなって、私も思ってた」
「でしょ!?なのに、親族の新年パーティーなんてのに顔出さないとならないってんだから、もう、いい加減にして欲しいわ。ぜえーったい、お見合い候補の何人か、混ぜてあるのよ。パウンドケーキに入ってる木の実みたく、そこここにね。あざといったらないわ!」
ゴロゴロと、キャリーバッグを引き摺りながら威勢良く、文句を並べ立てる。
帰国早々、急な展開に聴こえる市枝の話に、真白は少し不安になる。ようやく戻った親友と、また以前のように付き合えると思っていたのだ。
「……市枝、そんな話があるの?」
「あら。話があるだけよ、真白。そんな顔しないで。ああもう、可愛い。久しぶりに見ると一層可愛いって言うか、綺麗になったわよね。誰のお蔭とか考えると、ちょっと腹立つけど」
そう言って、チュッと素早く真白の頬にキスを送る。鮮やかなルージュの色を色白の親友の頬にマークした市枝は、悪戯っぽく、華やかな笑い声を上げた。
「市枝!ここ、日本だよ?」
「知ってるわよ」
頬に手を当てながら赤い顔で抗議した真白の声は、あっさり流された。
「日本では、公共の場所でそういうことは……」
公共の場所でなければ良いのか、と意地悪く返そうとしていた市枝は、立ち止まった真白に気付いた。ロングブーツの細く高いヒールの音を鳴らしながら数歩、戻る。
「―――――真白?ごめんって。もうしないわ、多分。…どうしたの?」
真白の目は、新築らしき民家の前に置かれた、子供の背丈程の小さな雪だるまに向いている。それは煉瓦で作られた四角い門柱の前、表札よりもだいぶ下を見てようやく目に入る大きさだった。
目鼻立ちの飾りがあるでもなく、他の装飾も一切無い上に、地面に接するあたりの雪には泥まで混じってしまっている。ずさんに作られた雪だるまはどこか悲しげだった。玄関扉に飾られてある注連縄飾りがなまじ立派なだけに、雪だるまの貧相さが余計、目立ってしまう。
どうせ作るんならもっと可愛くしてやりなさいよ、と市枝は呆れた。
上部の白い雪の表面が、日光に照らされてキラキラ光っている。このぶんでは溶けて消えるのも時間の問題だろう。
焦げ茶の瞳でそれを見据えていた真白の口から、意外な呟きがこぼれる。
「…山田正邦」
「………ええーっ?」
真白は雪だるまにゆっくり近付くと、子供の目線に合わせるようにひざまずいた。
市枝もおっかなびっくり寄って来る。
「え、何、――――この中に入ってんの?」
「うん。雪だるまも、人形の一種と言えないこともないから。随分、弱ってたんだと思う。怨念にまみれて。引き寄せられて、抗えなかったんじゃないかな」
「…雪華を使う?それとも、百花を呼ぼうか?」
「――――――ううん。もう、」
そうするまでもなさそうだった。
雪解けと共に、彼の魂も天に昇るだろう。
だがその前に、真白にはしておきたいことがあった。
(考えてみればあなたとはもう随分、長い付き合い…)
白い息を吐きながら思う。
散々、憎んで。恨んで。呪った。彼もまた合わせ鏡のように、真白に対して同じ負の感情を向けたけれど。激しく対立した結果、これが正邦の辿った末路かと思うと、なぜかしら侘しく感じられるものがある。
「…市枝。お花とか、無いかな」
「無いわね」
当然の返答に、真白は考え込む。
何か、供物として代用出来る物は無いだろうか。
供物が無ければ神言を唱えても冥福を頼めない。
思いついて、首に巻いていた花柄のストールを解いて雪だるまにふわりと巻いた。
「ちょっと、真白。風邪ひくわよ」
「うん、大丈夫。…申し訳ないけど、剣護にはあとで謝ろう」
それから深呼吸をして精神を落ち着けると、神言を唱えた。
「早馳風(はやちかぜ)の神、取次ぎ給え」
冷たい空気に澄んだ声が響く。
空を仰ぐ。今日も良く晴れている。
人が泣いても笑っても、立ち上がれない程に打ちのめされていても。
空は無情なまでの青さでただそこにある。
変わらない青に向かい、真白は招く声で呼びかけた。
「山田沙耶さん。山田美知さん。―――――正邦さんを、迎えに来てくれますか?」
僅かな間を置いて、優しい風が吹き抜けた。
その風の向こうに、真白は打掛を纏った女性と、女の子の姿を垣間見た。
それは温かな面影だった。
風の吹き抜けたあと雪だるまは瞬く間に溶け、花柄のストール諸共、消え失せた。
あとにはチラチラと細かい光が躍った。
「………足の腱を切って、…ごめん」
小声で、真白は謝った。
「何ぃ?それで、置いて来ちまったのか、俺のやったストールを!!山田正邦の為にっ!!」
炬燵に入る剣護の身体の前に、重なるようにして座る真白は、剣護を振り仰ぐ。
二人共、羽織る袢纏(はんてん)は剣護が青、真白が赤の色違いだ。
剣護の目は、真っ直ぐに真白を見ている。
「…ごめんなさい」
「………せっかくお兄ちゃんが、お前に似合うだろうとバイト代で買った物だったのに…。シルクウール?とか言う素材の、上等だったんだぞ。しかも何なのその、妻子まで迎えに呼び寄せてやるという、無駄な優しさっ。お前は観音菩薩か!」
剣護は拗ねてそっぽを向いた。
戻った当初はかなりの長さに伸びていた焦げ茶の癖っ毛も、首を覆う程度に切り揃えてある。
どうやら剣護は失踪先から、大人の色気を備えて帰って来たようだ。道を歩けば昔よりも異性からの視線を浴びた。但し言動は全く以前と変わらない。
「――――――剣護おー」
真白がすりすりと、頭上にある彼の顎の下に頭を摺り寄せる。
途端に剣護の頬が緩み、お返しとばかりに自分も真白の頭に顎をこすりつけた。
真白がくすぐったそうな笑い声を上げる。
それを聴く剣護の表情は、可愛くて可愛くて仕方ないと叫んでいる。大人の男の色気も何も、真白の前では形無しだった。
「……剣護が、戻って来てくれたからだよ」
「ん?」
「剣護が戻って来てくれたから、私にも、彼にそうするだけの余裕が生まれたの。今になって私が山田正邦の最期に立ち会うことになったのも、巡り合せだったんだと思う」
剣護は妹の焦げ茶色の瞳にめっぽう弱い。
目を合わせて真白にそう言われると、剣護の口からもそれ以上責める言葉は出なかった。
「……お前は、それで良いのか?俺らは奴に殺された恨みがあるが、それ以上に、お前を独りにさせられた恨みのほうが強い。―――――だから、お前がそれで良いってんなら、俺もそれで構わない」
「うん。私は、これで良い」
真白が凛とした表情で言い切った。
はあっ、と剣護が大きな息を吐く。
「しょおがねえなー。もう。ストールも今回だけ、大目に見てやる」
「ありがとう。…ごめんね。せっかく買ってくれた、素敵なストールだったのに」
「良いって。その内また、買ってやるよ」
「ううん、貯金して」
「莫迦。子供が生意気言うんじゃないの」
「もう子供じゃないよ」
その遣り取りをお茶を飲みつつ横で聴きながら、こうして〝今回だけ〟が積み重なって山と成るんだな、と冷静に怜は分析する。怜にしても、山田正邦との遺恨に関して、長兄である剣護の言葉に異存は無かった。そうすぐに割り切れる事柄ではないが、真白の心の中で決着がついたと言うのであれば、それで良い。だから自分の顔を窺うように見ている真白に、笑って頷いてやった。真白が目に見えて安堵した面持ちになる。
ダンッと大鍋が置かれる音が、キッチンから大きく響いた。鍋の中には、しっかり出汁が取られたお雑煮用のおつゆがなみなみと入っている。
「――――――そこの二人。人がおせちの仕込みしてる時にいちゃつくな。江藤、お前も茶ぁ飲んでのんびり見てないで止めろ。剣護先輩、今だけですからね、真白さん貸すの!!ちゃんと早々に、俺に返してくださいよっ」
エプロンを着けた荒太が怖い顔をして、仁王立ちで言い放つ。
真白たちが炬燵で寛いでいる間もずっと、キッチンからは良い匂いが漂って来ていた。
荒太が休み無く立ち働いている証拠である。
台所の支配者の発言力は強い。
兄妹三人は揃って首を竦めた。
剣護の視力は、半年前に角膜移植によって回復した。
角膜提供者は亡くなった祖母の塔子だ。
彼女は癌(がん)だった。隠してはいたが剣護が消えた時にはもう、宣告を受けていたと真白はあとで知った。
数年の闘病生活ののち、最期は自ら選んだホスピスで、家族と恋人に見守られながら息を引き取った。いつも彼女の唇を彩っていた深い色のルージュを施された死に顔は、生前と変わらず若やいで色気があり、綺麗だった。剣護を可愛がっていた塔子は彼の失明を深く嘆き、角膜提供に当たり必要な書類を整えてから逝った。
財産分与に関するもの以外の遺言は二箇条だった。
・剣護は自分の代わりに真白ちゃんの花嫁姿を見届けること。
・真白ちゃんは好きな相手(※成瀬君でしょう?)と幸せになること。
幼いころから自分を見守り、育ててくれた祖母の死は、真白に大きな打撃を与えた。
自らも深い嘆きの中にある剣護と怜、荒太が彼女を慰め、励ました。
〝塔子ばあちゃんは、良い女だったよなあ。もっかい、会いたかったなあ……〟
角膜移植手術の後、数年振りに光を取り戻した剣護が発した第一声がそれだった。
それを聞いた真白は、泣けて仕方なかった。剣護も泣いていた。
二人して抱き合い、子供のように大泣きした。
塔子の死と前後して真白の両親は帰国し、残ったもう一人の祖母・絵里と実家に住んでいる。気丈だった絵里だが、長年の良き共同生活者であった塔子を失ったことですっかり気落ちしてしまった。今は娘夫婦と共に生活を送ることにより、徐々にではあるが立ち直りつつある。
三年近く行方をくらましていた息子の突然の帰還に、叔母夫婦は怒り、喜び、泣いた。
失明した剣護を、パートを辞めた叔母と、実家に戻った真白が献身的に支えた。塔子の病気が発覚してからは、真白は頻繁に病院にも通い、出来る限りのことをした。自然、大学を休学せざるを得ず、荒太と怜が大学三年の冬を迎えた今でも、真白はまだ市枝と同じ、一年のままだ。塔子は孫の足を引っ張ることを最後まで嫌がっていた。これだから知られたくなかったのよ、と口癖のように言った。剣護は半年前から怜の家に同居中の身で、アルバイトをしながら通信講座を受け、大検を取得する為の勉強をしている。怜はこの先、大学院まで進む予定だ。荒太は既に学生ながら料理研究家として活動開始しているが、将来、調理師免許の取得も考慮しているところである。柏木・クラーク・要は大学院で博士課程を修了した後、画廊に勤めて油絵を描き続けている。休暇が取れると母親の母国であるイギリスに飛び、古い教会の修復の手伝いにも精を出す日々だ。その姉・舞香も博士課程修了後、教室でステンドグラスを教える傍ら、ステンドグラス作家、また油絵作家としても作品制作を続けている。時折、要と作品発表の二人展を開く際には、真白たちにも案内の葉書が送られ、互いに顔を合わせて近況を報告し合う良い機会となっていた。舞香が描いた真白の油絵には買い取りたいと言う申し出も幾つか寄せられたが、舞香は売約済みとして全て断った。早いとこ支払いに来なさいね、と剣護は急かされている。
そして現在、真白と荒太は婚約関係にある。荒太との同棲生活も、剣護の視力回復を期に再開された。
荒太が拵えた年越し蕎麦を四人で食べたあと、真白が不在の間もずっと、荒太により時々掃除の手が入るだけでそのままにされていた自室から、真白が大切そうに何かを手にして出て来た。彼女には大好きな兄二人に、見てもらいたい品があった。
「ねえ、剣護。次郎兄。これ、見て?」
「お?」
「これ…」
白い絹の布の包みから取り出し、少し自慢そうに真白が見せたそれは、漆塗りの櫛だった。
黒地に、螺鈿(らでん)細工で竜胆の花が象(かたど)られている。貝で青光りする竜胆の花の後ろには、蒔絵(まきえ)の技法で描かれた風が、淡い金粉と銀粉との絶妙な配分で表現されていた。黒く艶めいて光る櫛の表面の隅に、職人の銘らしき象形文字のような印が、金で小さく施してあった。
暖色の柔らかな照明を受け、気品高い櫛が燦然(さんぜん)と輝く。櫛そのものから、光がほろほろとこぼれ出しているかのようだ。
「ああ、ダメだよ真白さん、見せちゃ、勿体無い!減る!」
蕎麦を食べておせち作りを小休止していた荒太の慌てる声を尻目に、剣護と怜が炬燵の上に置かれた美麗な櫛に見入る。白い絹の上で漆の黒が映えて、美しさを際立たせている。
「おお~。どうしたんだ、これ。綺麗じゃないか」
「本当だ。職人さんの一点物って感じで。……もしかしてこれ、成瀬に貰ったの、真白?」
真白は幸せそうな顔で頷いた。
剣護が紅潮した妹の頬を見て、面白くなさそうに呟く。
「婚約の品が櫛?いつの時代だよ。おい、荒太。何で、ちゃんとした指輪をやらないんだ?」
あーあ、と言う顔をした荒太が、渋々、口を開く。
「…真白さんが、今嵌めてるタンザナイトの指輪だけで良いって聴かないし。竜胆は、花言葉がちょっとあれだから考えたんだけど、やっぱり好きな花が良いだろうと思って」
雫型をしたタンザナイトの指輪は現在、真白の左手の薬指で光っている。
「ああ、な?花言葉な?ちょっとあれだよな?〝悲しんでるあなたが好き〟だもんなあ。ちょっとあれだよなあ。まあ確かに?しろは髪も伸びて?女らしくなってえらく美人になって、こんな櫛もそら、似合うだろうけどこの妹泥棒!!」
やっかみと悔しさが過分に混じった剣護のがなり声に、荒太は両耳を押さえて早々にキッチンに舞い戻った。去り際、「男の嫉妬って奴は…」と小声であてこするのを忘れなかった。
「太郎兄、論点が迷走してる。それより良く知ってたね、竜胆の花言葉なんて」
このがさつな兄が、と怜は思う。
「綺麗だから、良いの。それに、悲しんでる私も喜んでる私も全部好きだって、荒太君が言ってくれたから……」
そうにこやかに、はにかみながら言う真白をじっと剣護は見ていたが、やがて櫛を手に取るとそれにガブリと噛みつくという暴挙に出た。
「あ――――――――っ」
真白が悲鳴を上げて櫛をひったくる。
「荒太君、荒太君、剣護が櫛を食べちゃったあ!!」
「はああ!?剣護先輩、年越し蕎麦、さっきたらふく食ったばかりでしょうがっ」
キッチンに引っ込み、調理作業を再開していた荒太がダッシュで駆け出た。右手には菜箸を握っている。
真白が櫛を撫でながら、歯型がついてないかどうか、電気の光に照らして確認する。
「もう。荒太君といい剣護といい、どうして男の人ってすぐに噛みつくの?」
「――――――何だって?」
剣護が真白の言葉を聴き咎めた。
怜も真白の顔を見ている。
「…荒太が、何に噛みついたってんだ、真白?」
赤くなって俯いた真白に、剣護がむきになる。
「ちょっと待て、待ちなさい。お兄ちゃんの顔、ちゃんと見て説明しなさい、真白」
「太郎兄、落ち着いて。……成瀬、あとでちょっと話がある」
荒太は額に菜箸を持たないほうの左手を押し当てて瞑目し、俺は今おせち作りという重労働をしているんだぞ、と呻いた。
「あ、降って来たね」
紅白も終盤に差し掛かるころ、怜がベランダのガラス戸から見える雪を見て言った。
大晦日の今日、全員で徹夜して除夜の鐘を撞いてから初詣でへと繰り出し、帰ってから初日の出を拝むというフルコースを予定しているので、生地の厚いカーテンも開けたままにしてある。
濃紺の夜空の高くから、白い雪片が舞い降りて来ていた。
真白は剣護の前に再び座り、眠り込んでいた。袢纏を着ている上に、兄の懐にすっぽり収まっている為十分に暖は取れていて、風邪をひく恐れも無い。眠りながら、夢を見ていた。
今はもう会えない人ばかりが出て来る、優しい夢だった。
鏡子が笑っていた。先で待っているから、また逢おうと手を振って。
山田正邦が、妻と娘に寄り添われ、窺うようにこちらを見ていた。
理の姫が水臣と並び、詫びる眼差しを真白に向けていた。
それでも彼女の手は、しっかり水臣と結ばれていた。
水臣は変わらず、悪びれない目なのが彼らしかった。
金臣、木臣、黒臣も少し離れて、二人を見守るように佇んでいた。
塔子も笑っていた。これで良いのよ真白ちゃん、と声が聴こえた。
私の可愛い孫娘、と。
ギレンやアオハ、春樹まで遠くに姿が見えた。
彼らの表情までは良く解らなかった。ただ春樹は、ブンブンと両手を大きく振っているようだった。
そして。
桜の花びらがはらりと流れる、その向こう。
清かな竹林の奥に、若雪と嵐がいた。
全く、ヒヤヒヤした、と二人で顔を寄せて笑い合っていた。
日付が変わる三十分程前。
真っ先に真白の変化に気付いたのは、やっとおせち作りを終えて炬燵で温もっていた荒太だった。
「―――――真白さん、泣いてる」
「ん?どうした、しろ。怖い夢でも見たか?大丈夫だぞ、兄ちゃんたちがついてるぞ」
「いやむしろ、俺がいるから!」
剣護に柔らかく身体を揺すられ、真白は目が覚めた。指で涙を拭う。
「うん……。何か、懐かしい夢、見てた。けど」
「忘れちゃった?」
怜に優しく尋ねられ、頷く。
剣護がテレビと時計を交互に見て、慌てた声を出す。
「お、と。おい、出る準備するぞ。鐘撞きして、初詣でだ。真白、風邪ひかないように着込むんだぞ。雪、降ってるしな」
「うん」
「正月中に絶対、三郎の奴が遊びに来るぞ」
「ああ…。来るだろうね。お年玉と、真白を目当てに。恒二も来るかもって言ってたよ。勉強を教えろってさ」
「へえ、マジか!」
四人は慌ただしく出かける支度を整え、剣護、怜が先に家を出た。
荒太と二人、出遅れた真白は急に家が静まり返ったように感じた。
玄関の靴箱の上には、真白が新年を迎える為に、祖母の絵里から譲り受けた青磁の花器に活けた白い椿、赤い南天の実、猫柳の冬芽などが清楚な華やぎを見せている。
それらの花の見守る横で、純白のロングコートに身を包んだ真白は、横に立つ荒太の顔を見て口を開いた。
そして、既に自分に向けて差し出されている彼の左手に気付く。
左手だけいつもの皮手袋をしていない。
玄関のドアを開けた彼の向こうには、舞い散る雪が見える。
真白も、右手だけ手袋をしていなかった。
言わなくても同じ思いであることが嬉しくて、胸が温かい。
天が厳かに雪片を降らせるその下、静寂の中、黒いコートを着た荒太がひどく真摯な声で告げる。万感の想いを籠めて。
「…ずっと隣にいてよ」
真白が微笑む。
私はこの人を愛している、と思いながら。
「それで良いの?」
「うん。俺の一番の幸せだよ」
真白は微笑んだまま頷くと、荒太の手に手を重ね、共に歩み出した。
幸福を予感させる雪の舞う、白い現へ。
エピローグ
雪の降る新年、産声を上げた二つの命があった。
母親同士が双子である男女の赤ん坊は、稀に見る綺麗な子だと産婦人科で騒がれた。
女の子は密(みつ)、男の子は渓(けい)と名付けられ、二人はその後、近しく成長して行くこととなる。
白い現 終章 白い現 六
「白い現」は、この話をもって完結となります。ここまで読んでくださった読者の方に、感謝申し上げます。
こののち、短編や番外編などをアップしつつ、エピローグで出てきました、密と渓の物語、「光と水の語り草」をアップしていきたいと考えています。彼らの前生には、見当がついてらっしゃる方も、多いのではないでしょうか。
「白い現」では、書いている私自身、胸を抉られるような思いをしました。キーボードを打ちながら、涙がにじんできたこともしばしばです。
読者の皆様には、どのように届いて、どう思われたでしょう。
願わくば、良いお話を読めた、と思っていただけますよう。