清水坂下物語

あらすじ

学園紛争の頃、5年前に行方不明になった元彼女と清水で再会した。欧州の旅を終え、生まれたての赤ん坊とふたりで坂下に住んでいるという。いろんなことがあったみたいだ。是非話を聞いてほしいという。

打ち水

5年ぶりの再会。突然行方不明になっていた昔の女友達が、
生まれたばかりの赤ん坊を抱えて修の店の前にたたずんでいた。

朝8時、清水坂の中ほど、産寧坂を登りつめた唐辛子専門店
のむかい、土産品店の店頭だった。朝の淡い陽射しに打ち水
が心地よい。

『かた、かた、かた』

軽やかな下駄の音と、視線を感じてふと振り向くとまぎれもない、
5年前の吉川厚子が母親としてしっかりと赤ん坊を抱きかかえて、
修の顔をじっと凝視していた。通りの向こうである。一瞬、

「あっ!」
と小声で叫んだ。間違いない厚子だ。思わず視線をそらせたまま、
頭のなかににめまぐるしく過去がよみがえる。

彼女は通りの向こうから近づいてきた。客はまだいない。
淡い秋口の清水、坂の上であった。

修は腹を決めてうつむき加減の顔を上げた。彼女は、眼をじっと
見据えたまま口元だけがかすかに微笑んだ。

「おひさしぶり。やっぱり若林さんね」
「ああ、ほんとに久しぶり」

男の子か、まだ数ヶ月の赤ん坊だ。
眼がパッチリとしていて修をじっと見つめている。

「私の子よ。かわいいでしょ?」
「ああ」

厚子は赤ん坊を抱え上げ修によく見せようとする。
まだ首が据わっていない。

「ほら、あきら君。ひょっとしたら、あなたの
パパになっていた人かもよ」

あきら君はじっと修の瞳を見つめていたが、
母親の方に振り向きなおしてしっかりと抱きついた。
あまりの突然のことに修は全く言葉が出なかった。

「あら、泣かなくてよかったわねえ。よしよし」
もう母親としての自信が、身体全体からまばゆい
ばかりに輝き、香ってくる。

やっと何とか心が落着いた。何からどう話して
いいのかさっぱり分からない。

「この近くに住んでるの?」
突拍子のない言葉がついて出た。

「ええ、この坂の下、この子とふたりで。帰国してから
半年。大きなおなか抱えて大変だったわよ、空港まで」
「どっか行ってたんだ」

「ええ」
「・・・・・・」
「あれからヨーロッパに旅に出たの。一旦帰国して、
それからほぼ三年間スペインで生活してたわ」

「いろいろあったんだ?」
「そう、いろいろあったわ」

と、その時客が付いた。
「またくるわね」

赤ん坊はすっかり眠っていた。修は目で合図してうなずいた。
じっと見つめる眼差しの奥に、何か人懐かしさが浮んで消えた。

学生街

修は5年前まだ学生だった。学園紛争が下火になって
海外へ飛び出し、3年間ヨーロッパを放浪の果てに
学園に復学して再び勉強をし始めようとした頃だ。

もう25歳になっていた。向こうで知り合った君子と
いう世話好きでエネルギッシュな女性と結婚して、
智子という女の子が生まれたばかりの頃だった。

京大の農学部のグランドの北側、田中春奈町という
という所の安アパートに家族3人で落着いた。

この周辺には学生が多く、結婚した大学院生もかなり
住んでいた。近くには歌に出てくるような銭湯があって、
寒い冬には手ぬぐいをマフラーにして毎日通ったものだ。

二階には吉岡千恵子という文学部のおしゃまで
かわいらしい女の子が住んでいて、すぐ妻の君子と親し
くなった。

ヨーロッパでは少し小銭をためて帰ってきたので、この
1年間は妻は車の免許と英会話。修は学園紛争の3年
分を2年で取り返すべく超過密時間割で猛勉強をしていた。

君子はだれとでもすぐに親しくなる、世話好きで活動的な
人柄だ。5月のある日、英会話教室からの帰りに君子は
友達を連れてきた。それが吉川厚子である。二階の

吉岡千恵子も加わってにぎやかにお茶会が始まった。さらに
インド帰りのアコちゃん、文学部の山本先輩、ギターのうまい

修の後輩蓮井君たちが次々と集ってきて、土曜の夜には鍋を
囲んで楽しいひと時をすごしたりした。

厚子は京都生まれの京都育ち。小さな建設会社の娘で父が
亡くなり兄が後をついで一応役員ではある。

短大を卒業して海外へ出るべく今英会話を学んでいる。おっ
とりとした一重まぶたの美人である。その日は夜遅くまで
おしゃべりして厚子はタクシーで伏見稲荷まで帰った。

法華経研究会

次の晩、法華経研究会の理学部の鈴木が友人の医大の涌井と
民青の竹内とをつれて修の部屋に来た。竹内に涌井と鈴木が

「宗教は決してアヘンではない。マルクスが言ったのは
当時の形骸化した欧州のキリスト教のことだ。もし法華経
を知っていたらこういう言い回しはしないはずだ。

マルキシズムには必ず人間性を抑圧する限界が来る。
もっと謙虚に人間の精神、内面性を追及すべきだ云々・・」

難しい話だ。竹内は親の代から共産党で、農村出身の親父が
都会のエリート共産党幹部宅を訪ねた時、その蔵書に圧倒されて、

親子2代、親父期待の一人息子が党内で頭角を現すことを夢見て
きたその親父。親思いの息子は必死でそれに報いようととしていた。

修は今年法華経研究会に入会したばかりだったが、年齢がかなり上
ということで18歳の鈴木や涌井達はしょっちゅう出入りしていた。

そういうわけで、若林一家の安アパートの一室はいつも誰かがいて
酒を飲み歌を歌い、子供をあやしながらの楽しい青春の穴倉であった。

12月にはいった土曜日の午後、又鈴木と涌井が竹内を連れてきた。

「な、竹内、六全協で方向転換したんや。修正マルクス主義、一国
だけの共産主義て姑息やで、法華経のほうが普遍的でグローバル
やと思わんか?」

鈴木健一が必死で説得している。鈴木はおばあちゃん子でくりくり
とした童顔、竹内とは高校時代からの友人だ。

「親の期待通りに歩む人生か?自分の人生は自分の足で
がっちりと歩むんやと思うけどな」

語り疲れたかのように鈴木は天井を見あげてつぶやいた。

苦悩

竹内は親の期待が相当重いらしく、小柄だが見るからに
優等生、親に向かって反論などとてもできそうにない。

色々と疑問は持っていたのだろうが、ここに来て親友の
言葉には心が動く。今まで他の生き方など考えも及ばな

かった。馬車馬の如くわき目も振らず受験勉強に集中し
てきた。親の夢はまさしく自分の夢でもあったのだ。

それはただ他の生き方を考えるゆとりも時間もなかった
からだ、又その様に仕向けてきたからだ。そして今
たたずみながら路頭に迷っている。

青白い顔のメガネをかけたのっぽの医学生涌井も、
柔らかに竹内を勇気づける。

「まず自分の内面の問題やと思う。宿命転換、人間革命が
でけて初めて社会革命や。社会がいくらようなっても、

人間生命の濁りはようならんと思う。現に太古の昔から
嫁と姑の問題や親子の確執。政治と金。ジェラシー蔓延

の嫉妬社会はいくら世の中が変わっても、逆を言えば、
これが克服できなければ絶対に世の中は良くならないと思う。

自らをもよい方向に変革し社会をもよい方向に改革して行く
方途は法華経の実践にしかないと思う。この50年間で

世界180カ国に広がり国内では1千万人を超す勢いには
真実があればこそだと思うが、どうだい竹内君?」

「・・・・・・」

「竹内君、勇気を持って法華経研究会に入会しよう。実践に
確信がもてるようになったら、皆で親父さんを説得に行こう
じゃないか。竹内君、人生を変えるには勇気がいる」

竹内はじっとうなだれて二人の意見を聞いている。修は3人
の顔を見比べながら何度もうなづき聞いている。

「どうや竹内君、頑張ってみんなと一緒に
法華経をやろうやないか!」
修は竹内の両手を握り締めて力強く叫んだ。

「・・・親父が何というか」
竹内はやっと顔を上げた。その瞳には涙が一杯たまっていた。
苦渋に満ちた苦悩の極致。

『これはいかんな、追い詰めたらあかん』
修は背筋がぞっとしてすぐさまこう言った。

「ま、堅い話もなんだから、気分転換に大文字山にでも登って
来いよ。頂上まで上ればこの京都の町がよう見える。何年か前

に大文字の送り火の夜に近くで大きなかがり火を焚いて大を犬
にした学生達がいたらしいが、その辺くらいまで行ってきてみ」

鈴木と涌井は、ふと我に返ったように微笑みながら、
「そうですね、元気一杯登って来て、夜に又伺います」

「くれぐれもあまり深刻に思いつめないように竹内君、ええな」
「あ、はい」

竹内も微笑みかけてはいたがその眼差しは虚ろで顔色も青かった。

大文字山

夕方日暮れ近くになって鈴木と涌井が戻ってきた。
ふたりでまだずっとしゃべり続けている。雰囲気
が変だ。病的で異常だ。周りを全く無視して二人

だけの空間がブラックホールのように異様なバリアをはって、
他を寄せ付けない。濃い灰色のバリアの中でふたりは
ぼそぼそと周りのエネルギーと生命力を吸い込んでいく。

「おい、君たち!」
大きな声で修は叫んだ。はっと我に返ってやっとふたりは
現実に、今の状況が認識できたみたいだ。

「どうしたんだ、ふたりとも!」
修はさらに大声で叫んだ。不気味な邪悪なものをその背後に
感じたからだ。まさに不吉な予感がした。

「竹内は?」
「は?竹内とは大文字山の頂上付近で別れました。ちょっと
一人で考えさせといてくれということだったので」

「ばかやろー。ずっとその調子でぶつぶつと思いつめて
しゃべりながら3人で登って行ったのか?」

「はあ、そうです。竹内は黙々としていました。やっぱり
父親には逆らえそうもありません」

「そんなんわかっとる。今すぐ結論出さんでもええやないか。
あいつ死によるぞ。今からすぐ引き返してなんとしてでも探せ」

「そんなばかな?」
「何言うてる。異様やったぞ、お前ら戻ってきた時」

修はもう外に駆け出していた。鈴木が続く、涌井がさっきより
さらに青い顔をして後を追ってきた。御影通りから白川通りを
下って銀閣寺へ抜ける。山門の前を左折してすぐ右折、

大文字山の登山道に入る。細い山道だ。大文字山も結構
入り込むと山深い。猪が出るくらいだから迷うと深くて
危険な山なのだ。沼や池、沢や谷もある。

もうあたりは暗くなりかけていた。山頂のかがり火台付近に
着いた。鈴木が説明する。

「ここらで涌井と話し込んでいたら、ちょっと一人で考え
させといてくれと後ろ向きに、ここら辺に腰掛けていたか
と思ったら、いつのまにか姿が見えんようになりました。

10分ほど竹内と呼びながら探したんですけど、一人で先に
下山したかと思うて、僕らも下へ降りました」

「たけうち!たけうち!」
と叫んではみたが、もうあたりはかなり薄暗くて危険だ。

「すぐ下山して竹内の下宿へ行ってみよう」
「はい!」

3人は大急ぎで大文字山を下りた。不安が半分、多分下宿に
返ってるだろう。灯が灯り始め京の夜景も心なしかすごく寒い。
もう12月だ、夜は相当冷え込むぞ。まさか山中に迷っている

とは思いたくないが、どうしても不安がよぎる。足早がさらに
早くなって、百万遍の竹内の下宿に着いた。3人とも息が切れ
ている。やはり竹内はまだ帰っていなかった。

下宿の入り口で3人はたたずんだ。大きく深呼吸する。
「しばらく待とう」
3人はうずくまって30分待った。

「何か食べてるかもしれません」
鈴木が言う。

「それやったらそれでええ。9時まで待って帰って
こなかったら、法華経研究会の先輩に相談しよう。
民青の方にも知らせといたほうがいいかも知れんな」

山狩り

とうとうその晩竹内は帰って来なかった。
翌朝、法華経研究会が30人ほど集まってくれて
大文字山付近を一日中捜した。

「人騒がせな奴やな。ちゃっかりどっかで旅でも
しとるんとちゃうか」
という先輩もいたが多くのメンバーは真剣に探してくれた。

ひょっとしたらの思いも虚しくとうとうその日も暮れて
竹内はついに現れなかった。

岐阜の親元に連絡をする。翌朝両親は飛んできた。
民青のメンバーも数十名集まって対策を練っていた。

両親は警察に捜索願を出した。
消防団も加わって翌朝から山狩りをすることが決まった。

よく早朝、両親は鈴木の下宿を訪ねてきた。
鈴木は竹内の実家に泊まりにいったこともあり懇意で、
詳しくこの二日の状況を説明した。

「2,3日の旅費くらいは持ってるだろうから、どっか旅
してるんじゃないかな。前にこういう事が一度あったから」
そうあってくれと鈴木は祈った。

朝9時、大文字山の頂上付近。かがり火台を前にして
法華経研究会40名と民青30名、消防団20名と
警察官5名が並んだ。巡査長があいさつに立ち、

「ただ今から竹内誠君のご両親の要請を受け、一昨日から
大文字山頂付近で行方不明になった誠君の捜索を開始
いたします。結構山は深いですから絶対にチームから

離れないように別行動をとらないようにお願いします。
こちら側の皆さんは哲学の道から若王子、鹿ケ谷方面へ。
こちら側の皆さんは大文字山の側面を山道沿いに下って

山腹から鹿ケ谷へ抜けて先ほどの皆さんと合流し、正午
には現地へ戻ってきてください。消防団の皆さんは、
我々と共に山頂方面から奥山に分け入り大回りして

周辺捜索をお願いいたします。声をかけながら慎重に
お願いいたします。以上、解散、出発!」

修は巡査長の指示を聞きながら、
『えらい事になった、人騒がせかもしらん。それなら
それでいい、もろ手をついて俺が謝れば済むことや。

しかしそうでなかったら、俺は一体あの時何で大文字山
へ気分転換に行って来いなんて言うたんやろう。
一生悔やまれる』

いやみな先輩が気休めのつもりか、
「どっか汽車にでも乗って旅してるんやと思うで」
と言いながら、三々五々、

「たけうちーっ!」
と叫びながら山道を下り始めた。

民青の連中は統制は取れているが揃ってひ弱そうだ。
ばらばらで勝手気ままな法華研とは対照的で、皆顔を

背けてあっちを向いている。一様に沈痛な面持ちで
哲学の道へと下りていった。竹内と叫びもしない。

法華研のコースは下駄履きではとても歩けない獣道だ。
木もうっそうと茂っていて大きな枝が頭上を覆う。

不気味な中で皆で声をそろえて叫ぶ、
「たけうちーっ!」
何度も叫びながらそろりそろりと前進した。

雪道

深い藪から突然沼みたいな池みたいな
おどろおどろしい所に出た。

もしかしてこの中に?想像しまいと思いつつも、
大都会をすぐ足元に控えて一歩紛れ込んだら、

こんな恐ろしい別世界が広がっているなんてと、
やっとのことで広い道へ出て民青と合流した。

正午に元の頂上付近で再び集合。皆半分不安を残
したままある程度心は落着いていた。
巡査長があいさつする。

「皆様ご苦労様でした。竹内誠君はこの大掛かり
な捜索にも発見することができませんでした。
数日分の旅費は持っておられるみたいなので、

恐らくどこかに旅行などされておられるものと
察せられます。近日中に連絡がご両親の元へ
必ずあると思われますし、ふと下宿のほうへ

返ってこられるかもしれませんので、その時は
温かく迎えてあげてください。本日は皆様
どうもありがとうございました」

ご両親も最後にお礼を述べられた。
皆が去った後にお母さんは修たちに言った。

「受験前にもこういうことが一度あって、
その時は3日目にそっと家に帰って来ました。
今回も明日くらいに実家のほうか下宿のほうに

そっと帰って来るかと思われますので、私達も
急いで帰ります。鈴木さんとお友達の方、それに

これだけ多くの方々が誠のために動いてくださ
って、ほんとにありがとうございました」

そう言ってご両親は岐阜へ帰った。


そしてよく朝早くである。鈴木の元に電話が入り、
死体確認のため大至急鹿ケ谷へ来るようにと警察
から連絡が入った。昨日の捜索範囲よりさらに

滋賀県方面へと登りつめた奥深い山中で
木の枝に首をつって竹内は死んでいた。
猪狩りのハンターが早朝に発見したそうだ。

死亡推定時刻は3日前。竹内は鈴木達と別れたその
晩、道に迷うかあるいは自ら進んでわざと迷ったか、
ついに死神に取り憑かれて首をつっていたのだ。

何が人生なのか分からなくなる。残念でしょうがない。
人っ子一人救えない、無常そのものだ。

死体は川端署の裏手の常泉寺に安置された。その晩
横に寝かされた遺体に向かって、右側に法華経研究会
のメンバーが20人ほど。左側に民青のメンバー20

人ほど。冷たい中、皆押し黙ったまま椅子に座って
ご両親の到着を待った。ふと修は鈴木を誘って
酒を買いに出た。一升瓶を2本。外は寒く、日暮れて

雪が降り始めた。うっすらと暗い中、道の中央部分が
白くなりかけてきた。ふたりの靴跡が規則正しく点々
と続く。修と鈴木は無言のまま歩み続けた。

つま先も心の中も全てがしんしんと骨の髄まで
凍りつくような12月の夜更けであった。

銀閣寺参道

銀閣寺参道、少し坂になっていて300mほどの参道が
門前まで続く。民家と商店が点在してて土塀や石垣が
ところどころに続く。道幅は6mくらいだ。

道の両脇が溝になっていてこの溝に入り込んで道路辺端
に90cmX180cmの黒別珍布を敷くとちょうどよい
路上店舗になる。常連は革細工のアラジン。

手作りアクセサリーの流民舎。立命の帽子屋。テキヤの和尚。
時々修の後輩の蓮井がギターを弾きに来たりしていた。

他の観光地では高台寺の親分。三年坂の夫婦。新京極の将軍
等、各地にそれなりの名物ヒッピーがいた。

銀閣寺では早朝テキヤの和尚、本物ではないがスキンヘッド
でいつも血色がいい、この和尚と修が場所を決めるのだ。
だんだんと場所取り時間が早くなりすぎてきりがないから

和尚と修とで午前6時と取り決めた。大前さん所の石垣の
下に布を敷く。昼忙しい最中に厚子が来た。いっしょに

溝の中に入り込んでバスケットを持ってしゃがみ込んだ。
昨日の晩に電話があったのだ。

「よう」
「お久しぶり。こんなか入ってもかまへん?」
「ああ、かまへんよ。今晩嫁さん帰って来るよ、
夜になったら会えるけど」

「ううん、もうええのん。夜には東京行くし」
「あそう、だれかに会いに?」
「そんなんちゃう。そろそろ私も遠くへ旅に出ようと思うて、
どこか行かへんかったらみんなの話についていけへんもん」

なるほどそうかもしれないが、近寄りがたい一重まぶたの
この京美人が、無邪気に溝にしゃがみ込んでお客を見ながら

呼び込んでいる。ベージュのベレー帽に茶色のセーター、
ジーパンがよく似合う。

「どうですか?ネームバッチ、パパパと作りますよ」
とか言っている。厚子はバスケットを開けて、

「サンドイッチ食べはる?」
「ほんと?ありがとう。いただくよ。こうやって食べるのかな、すごくでかい」
「こぼれるやん。こうやってすこしづつ食べよし」
「うまい。久しぶりだなこんなの」
「なにいうてんの。君子さんは作らはらへんの?」
「うーん、ここんとこいまひとつなんだよな」
「それ、どういう意味?」
「うん、ちょっとな言いにくいけど離婚するかもしれない」

お客が付いて話はいったん途切れた。忙しくなってきた。
1円の針金を丸めて300円で売る。1日100個は作る。
夜は又別である。これで生活は十分やっていけてた。

「始めて妊娠した時。皆が、2階のおばあちゃんも、これは
男の子だと言うので名前まで決めてまちに待っていたんだ。
それが女の子だったからって今でもそういうことを言う。

俺は智子がとても可愛いし、そんな事ちっとも思っては
いないんだが、返って智子に悪いと思っているくらいだ」

新京極

翌年修は卒業して保険会社に就職をした。
東京での新入社員研修で最優秀の一人に選ばれたが、
どうしても海外買い付けと商売への思いが捨てがたく、

半年で退職して新京極にテナントを借りた。そして2年後、
清水坂の大型土産品店の店頭に2店目を出店したばかりだった。
昼清水を見て夜新京極に入るそういう生活パターンだった。

この頃は生活もかなり厳しく君子は夜のアルバイトに出て
ふたりの間は完全に冷え切っていた。

その秋口の淡い日差しの中で厚子と再開したのだ。

『明日も来るだろうか?この坂のすぐ下に住んでいる。
しかも生まれたばかりの赤ん坊とふたりきりでとは
何か訳があるのだ』

近すぎて心が落着かない。

『実家は伏見稲荷のはずなのに、この清水坂下とは
どういうわけだ。父親は一体誰だ?欧米人のハーフ
でもなく、もちろん俺の子でもない』

夕方閉店して新京極へ向かう。3年坂、2年坂、
高台寺と下り、八坂から四条に出て大橋をわたる。

鴨川土手には等間隔にカップルが座っている。
狭い先斗町を北に上がって歌舞練場から新京極
六角にいたる。急げば30分の道のりだ。

新京極は河原町通りの一筋西のアーケード商店街で、
四条通から錦通り蛸薬師通り六角通りを順に横切り
北上して三条通に突き当たる。

この三条通手前のなだらかな坂をたらたらと言う。
六角広場の東側に誓願寺という寺があって、
向かいがスーパーのサカエ。

松竹座の映画館とにはさまれた六角の角にポップG
というメガネライター屋がある。10坪くらいの
広さの角2坪が修の店だ。ネーミングアクセサリー

のほかインド雑貨も置いてある。すさまじいラッシュ
は夜の7時から9時までの2時間である。

夜6時半をまわると新京極の雰囲気はがらりと変わる。
商店街の空気がピーンと張り詰めてきて、東西南北、
三条通り、四条通り、蛸薬師通り、六角通り、この夜

京都に宿泊している大半の修学旅行生が、夕食を済
ませて続々と新京極に向かってくる。

チラッと三条たらたらの先に学生服が見えた。その
とたんに、東西六角通りと蛸薬師通り。南北三条
から四条から、わずか10数分の間に新京極は黒い

学生服でびっしりと埋め尽くされ身動きできなくなる。
六角広場は集合場所にもなっていて、点呼とざわめき
と学らん集団。とにかく万引きされないように、

よく見張りながらペンダントに名前を彫りまくる。3
台のリューターでびっしり2時間。相当な売り上げだ。

しかしそれも春3ヶ月秋3ヶ月のシーズンの間だけだ。
9時きっかりにすべてが一瞬にしていなくなる。わずか
10数分でがらんとしてしまう。

そして一斉にシャッターが閉まる。知る人ぞ知る、
新京極修学旅行生軍団のすさまじい嵐だ。

茶漬け

修はその日上の空でネームを彫っていた。
『君子に言うべきかどうしよう。
吉川厚子のこと。もう5年になるのか』

5年前、銀閣寺での別れの事は、その晩すぐに話した。
修は隠し事がとてもできないたちなのだ。

祈りを込めて見送った厚子の美しい瞳と後姿が
まるで昨日のことのようによみがえる。

家に帰って君子の帰りを待つ。君子は半年前から
三条京阪にあるベラミという高級ナイトクラブで
アルバイトを始めた。インド帰りのアコちゃんが

ずっとホステスをしていたからだ。周に3日だが
その晩の夜食は修が作る。修の得意は焼き飯と
卵スープ。とも子は来年から小学校に入る。

もう6歳だ。ちゃんとお手伝いもするし明るく元気で
人見知りしない利発な子だ。男の子だと信じていたから、

どうしても負い目を感じる。仲良しの親子なのだが、
やはり男の子が欲しい。

「お前も弟が欲しいやろ?」
と聞くと。
「うん」

と素直に返事する。君子がかわいそうだ。もうこの話は
止めとこう。君子が帰って来た。12時を回っている。

「ただいま」
お酒の匂いがする。
「今日どこかの議員さん達の席について舞妓さんと一緒
だったわよ」

君子はいつもの関東弁で歯切れよく、ブーツを脱ぎながら
背中越しに話しかけてくる。とも子と修がお帰りという。

「おつかれさん。そう、それは良かったね。
おなかすいたろう、皆で早く食べよう」

「そうね、お待たせ。お疲れ様。いただきます」
「いただきます」
「おいしい。ほんとに修の焼き飯は上手よね」

もぐもぐと美味しそうにみんなで食べ始める。
「きょう、清水で驚いたことがあったよ」
「え、どうしたの?何?いいこと悪いこと?」

「どちらかというといいことかな」
「なによ?もったいぶっていないで言って」

「あの吉川厚子さん、憶えているだろ。赤ちゃん連れて
清水の店に来た。誰かがずっと立ってこちらを見つめて
いるんで、よく見たら厚子さんだ。伏見稲荷じゃなくて

清水の坂下に住んでいるらしい、赤ん坊とふたりで。
何か訳がありそうだったけど話す時間がなくて。近く
だから又来ると言ってた。少しやつれたみたいだったよ」

「そう、何か色々とあったのね」
「そうだと思う。今度会ったら内にも遊びにおいでと
言っとくけど」

「そうね、だけどこっちも大変だからね。5年前は皆
時間があって自由で華やかだったけど、今は何かと
重荷を抱えて大変なんじゃないの?」

「ああ、そうかもしれないね」
何かあまり気のない返事だった。ぎくしゃくとした夫婦
の間のことだから、前みたいにもろ手をあげて

エネルギッシュに気配りするだけのスタミナがなくなって
来たのかもしれない。

とも子とふたりだけのおしゃべりをしている。
もうどこにも修の居場所はなかった。
最後のお茶漬けを砂をかむ思いでかきこんだ。

清水坂下

果たして翌朝も厚子は来た。
昨日と同じ秋口の淡い日差しの中だ。
なぜかとてもうれしい。
お客の合間をぬって、

「夕方又来るし、帰りにちょっとでも
寄っていかへん、このすぐ下やし」
「ああ、30分くらいなら」

そして閉店と同時に厚子は現れた。
つるべ落としの夕陽が長い影を作って、
清水坂下へと下った。

東山通りへ一旦出て、消防署の向かいの路地を
奥へ入った所だ。石畳が数十メートル続いてい
て、その一番奥から二軒目の古風な町屋だ。

格子戸をくぐり抜けると2坪ほどの前庭があって
紅葉が植わっている。下が台所トイレ風呂場に
六畳ニ間、二階も二間あって奥に3坪ほどの裏庭がある。

全部で10数坪の小さな一軒家だ。そんな家が狭い石畳
をはさんで10軒ほど、黒塀もあって、とにかくどんな
人が住んでいるのか全く見当がつかない。

居間のテーブルを挟んで座った。熱いお茶が出る。
いい香りだ。あきらを膝に抱いてあやしながら
厚子は語り始めた。

「このこの父親は韓国の人やの。まだ留学生で
スペインのマドリードにいてるわ。ほどのう
帰国して父親の事業を継いで社長にならはる

そうやけど、ようわからんわ。是非、韓国で
一緒に暮らそうと何度もきつう言うてくれはる

んやけど、気が重とうなって、どない
したらええか今すごく悩んでるとこ」

「そうか、今日は時間がないから明日。明日は土曜日
で修学旅行生は少ないからゆっくりと話を聞くよ」

「おおきに。夕方、寄るし。かんにんえ」
「ああ、それじゃ。でも立派なおうちやね」

「亡くなった父のお妾はんのお宅やったらしいわ。
その方も父が亡くなると後を追うように亡くならはって、

ずっと空き家やったんや。伏見稲荷の実家は狭いし、
母も体の具合が悪なって」

「そういうことか。悪いけどもう行くわ。明晩
ゆっくり聞かしてやこの続き」

秋口とはいっても今日はとても暑かった。あきらは
心地よさそうに眠っている。肩までの長い滑らかな髪に、
薄いピンクのカーデガン。あきらは額に汗をかいている。

そっとガーゼでぬぐいつつ京団扇で風を送っている。乳の
匂いと、成熟しきった母親厚子の何ともいえない香りが、
その胸元にひきつけられる。振り払うように修は、

「それじゃ、また明日」
小声でそう言って玄関を出た。季節外れの風鈴の音が向
かいから聞こえる。誰かが打ち水をしたのか濡れた石畳を
修はハタハタと新京極へ向かった。

夜の食卓の時君子が聞いた。
「厚子さん来た?」

「ああ、30分ほど立ち話をした。スペインで韓国からの
留学生と知りおうて、先に出産のために帰国したけど近々
韓国へ嫁入りするそうや。大会社の御曹司らしい」

「そう、だけどとても大変そうね」

「ああ、とても大変そうや。清水坂下の家は別宅らしいん
やけど実家と行ったり来たりして。もう明日には実家の方
これから出発らしいからもう会えへんと思うわ」

修は嘘をついた。始めて君子に嘘をついた。

「そう、残念だけど、やはり落着いた時じゃないと、
なんとなく会いたくないものよね」

修は、お茶漬けにして最後のご飯をかき込んだ。

難問

土曜日夕方、厚子はいつものようにあきらを抱いてきた。

『これからもずっと毎日来て欲しい。事と次第では
このまま坂下の家で暮らしてもいい。韓国に行かずに
ここにいてくれ』

心の底で何かが叫んでいた。今日は用事で遅くなるから
と君子には言ってある。週末は何かと忙しく明け方帰る
ことも何度かあった。君子とはもうこの5年間夜を

共にしたことがない。一方的に彼女は拒否し続けるのだ。
修は毎冬、インドや東南アジアを1ヶ月ほど買い付けの

旅をして春からの販売に備えていたが、週末の飲み癖の
悪さは、やはりストレスの鬱積であったのかもしれない。

「どなたかいい人探しなさいよ」
と君子に言われたこともある。離婚届はいつでも提出
できるように用意してあった。

「奥さんを拘束してはいけません。開放してあげなさい」
と先輩に言われたこともあった。修の浮気が原因で離婚
なら君子の面子も立つだろうし、世間ではとてもよくある

話で誰も見向きもしない。ひょっとしたらそうなるやも知れぬ。
ほのかな期待をしつつ我が家のごとき坂下の格子戸をくぐった。
長い話になった。

「忘れもせえへん5年前の銀閣寺、修さんの祈るような眼差し
に送られて、あれからすぐに東京に出て、もうパスポートも
チケットも持ってたの、言いそびれて堪忍な。皆と同じ

一人旅をはよしてみようと思うてヨーロッパへ出発したわ。
ユースに泊まりながら、スウェーデンからドイツ、オーストリア、
スイスを周ってスペインで彼と出会ったの。在日3世で日本育ち。

おじいさんが韓国で貿易会社を経営してて、一族には日本人の
奥さんも何人かいてはるそうや。日本には深く理解があるから
言うて、写真をいつも見せてくれてたわ。それでも1度別れて

英国からフランスへと旅をしてたら、彼、学校をほったらかして
追いかけて来はったんよ。あと3年、しっかりと学業を全うして
資格を取って是非韓国に私を連れて帰りたいと言うて」

「すごく感動的やんか。映画みたいやね」
「そう言うて泣かはんのよ」
厚子は当時の思い出に瞳が潤んでいた。

「それでとにかく1度日本に帰らして言うて頼んで、心の準備と
他にも色々と準備して又必ず戻ってきます言うて一旦帰国したの。
ほとんど毎日手紙が来るし親宛の手紙も入ってるし、親に打ち明

けて一大決心スペインへ戻ったわ。そして3年。いろいろあった
けど子供ができてもて。いずれにしても生むことに決めてたから。
私独りでも何とか生きていけると思いながらも、やっぱり大変。

母や兄は『京都にいろ、生活の面倒は見るから』と言うてくれはる
けど、彼の愛情もたっぷりと重すぎるほどたっぷりと感じてはいる
んやけど、気が重いんやねそれが逆にまた」

「それは贅沢というもんやで、厚子さん」

「そうかも知れへん。まもなく彼は日本へ帰国してから韓国に
永住する予定。これは間違いないんやわ。周りの人たちは皆
好意的やからと彼は言うてくれるんやけど。ものすごく勇気が

いるの、彼の思いどうりにしたら。それより親子二人でひっそりと
京都で暮らしたほうが、気が楽なような気がするんやけど」

「そうか。難しい問題やな。この子の為にも」

旭日

沈黙が流れた。
じっと厚子は修の瞳を見つめる。
修は肘を突いて厚子の瞳を見つめながら、

「このあきらの幸せのためには、どうするのが1番なんやろなあ」
じっと見つめあったまま、ゆっくりと、修はつぶやいた。
「あきらのためには」

ほのかなピンク色の唇に吸い寄せられそうだ。
頬杖がふっと前に傾きかけた。その時に、

「この子寝かせてくるわね」
と言って厚子は、隣の部屋のベビーベッドに
あきらを寝かせつけに行った。

ああ、もうたまらん、どうしよう。今夜人生が大変化しそうだ。
なるようになれば全てが変わる。周りを巻き込んで全てが変わる。

しかし、このあきらのためには、どうしてやれば1番いいのだ。
父親は手紙や写真で見る限り愛情深そうで立派な社長になるだろう。

修は、ひょっとしたら横恋慕してこの一家の幸福を破壊しよう
としているのかもしれない。

『勇気を出して彼の元は走れ』
と言ってやるのが最も理想的なのだろうが、しかし、

『これも何かの縁だ。俺も限界だ。自分に嘘をつくな。
正直に、厚子にむしゃぶりついて思いを遂げよ』

心と体の奥底で本音が叫ぶ。良心が叫ぶ。どうすりゃいいんだ。
彼女は一体何を望んでいるんだ。ぱっと背中を押してもらうことを。

どちらの方向でもいい、きっかけを、ものの弾みを、
この場の雰囲気は望んでいた。

あきらを寝かしつけて厚子は戻ってきた。もう、何がおきても
おかしくはない。子供ではないのだ二人とも。人生の辛酸を
ほんのちょっぴり味わいだした、二人はもう大人そのものだった。

喉がからからだ。修はがぶりと冷めたミルクティーを飲み干して、
大きく深呼吸をした。

「今日はちょっとむしむしやね」
ミルクティーを注ぎ足しながら、厚子はじっと修の瞳を、
その奥を見据える。

厚子の顔が修のそばまで近づいてきた。口元が微笑みかけている。
『きたか』
修も覚悟を決めて奥歯をぎゅっと噛み締めた。

厚子が修の耳元でささやく。
「いいもの見せてあげましょうか?」
「えっ、なに?」
「とてもいいもの」

そう言って厚子は修の耳元からすっと離れると、
押入れのふすまをぱっと開けた。

なんとそこには、黒光りする立派な仏壇と法華経の
ご本尊様が安置されているではないか。

「あっ、厚子さん入信してたんや!」
「そう、スペインで。彼SGIのメンバーやったん」
「そうか。そうやったんか」

視界がパッといっぺんに開けた。重たい灰色の雲間を突き破って、
天空に一気に舞い出たようだ。まばゆいばかりの太陽が一杯だ。

「こんな時にお題目あげんにゃね」
「そうや、こんな時にお題目あげるんや」
「勇気がいるもんね」
「そう、勇気がいるから。幸せを勝ち取るためには勇気がいる。
一緒にお題目あげようか!」
「うん!」

そして白々と夜が明けてきた。全てが通り過ぎ去って、
とてもすがすがしい気持ちだ。

「ほんまにおおきに、修さん。私この子をつれて韓国へ行く」
「そやな、彼を信じて。とても誠実そうな青年やし、SGI
のメンバーや。韓国も旭日のSGIだよ、きっとうまくいく」

明け方そっと家に帰る。君子ととも子がぐっすりと寝込んでいる。
昨日の嘘は今日はほんとになった。嘘は必ずばれる。
不器用な修であった。

                  −完−

清水坂下物語

清水坂下物語

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-03-01

Copyrighted
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Copyrighted
  1. あらすじ
  2. 打ち水
  3. 学生街
  4. 法華経研究会
  5. 苦悩
  6. 大文字山
  7. 山狩り
  8. 雪道
  9. 銀閣寺参道
  10. 新京極
  11. 茶漬け
  12. 清水坂下
  13. 難問
  14. 旭日