俺の彼女は豆腐好き!
第一話
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
初稿20141202
第一話
深夜二時。
俺は、そっと目を開けた。カーテンの隙間から月の光が差し込んでいる。そして、部屋の隅で毛布の塊が静かに上下に揺れているのをジッと見つめた。
全神経を集中させ、その塊を見つめたまま慎重に体をベットのフチまで動かした。そして、ゆっくり布団から足を出す。かすかに聞こえる布が擦れる音にビクビクしながら足を動かしていく。
(ゆっくり、そう、ゆっくりと……)
俺は、自分にそう言い聞かせながら床に足を伸ばすと、冷んやりした床を親指が捕らえた。
(よし!)
親指に体重をかけると、布団から自分の身体を滑らせた。まるでスライムにでもなったような身のこなしをイメージし、音もなく床に伏せた。
一瞬、例の塊がピクリと動いた気がして、ハッと息を呑んだ。
(まずい、気が付かれた?)
俺は、硬直したまま、ジッと例の塊を見つめた。
ゆっくり上下に規則正しく揺れている。
(大丈夫……大丈夫だ……)
俺は、そっと手を伸ばし、ベットの下にあらかじめ隠しておいた財布を掴むと、ジャージのポケットにねじ込んだ。そして、四つんばいのままソロリソロリと慎重に後退した。
ベッドから玄関までは、普通に歩けば十歩もない。しかし、今はとてつもなく長い距離に感じる。視線はあくまでも例の塊におく。
玄関に到着し、ゆっくり立ち上がると玄関のカギを慎重に回した。そしてドアレバーを下げると冷たい外気が室内に入ってくる。
(慌てるな……ゆっくりだ……)
全神経を集中させてゆっくり扉を開け、裸足のまま冷たいコンクリートの廊下を踏みしめた。そして再度、慎重に扉をしめ、カギをかけるとカチリと乾いた小さな音がする。
玄関をでてからも、月明りを遮らないように注意し、冷たいコンクリートの廊下を抜き足差し足でエレベータホールを目指した。
(大丈夫……アイツの気配はない……)
俺はホッと胸を撫で下ろし、ホールの片隅に隠しておいた紙袋からスニーカーを取り出しエレベータに乗り込んだ。
「よし!」
俺は、明るいエレベーター内でガッツポーズをとった。久々の開放感が俺を包み込む。俺は念のため、エレベータ内の監視カメラの真下に身体を押し付けて息を潜めた。
何も異変はない。
俺は、かがみこむとスニーカーの靴ヒモをしっかりと結んだ。
(コンビニエンスストアで温かいコーヒーでも飲んで、雑誌でも読もうか……)
いつの間にか、自分でもだらしない顔になっているのがわかる。突然、ガクンとエレベータが揺れると一階に到着し扉が開いた。
(うん?)
俺は、ヒトの気配を感じて頭をあげて驚いた。
「ギョ……」
視線の先には、アイツが笑顔で立っていたのだ。長い黒髪がサラサラと揺れている。
「なんで、どうして……」
俺がしどろもどろで呟くと、アイツは、笑顔のままゆっくり口を開いた。
「ねぇ、カオル、ドコいくの? 私も行く!」
かわいい声で俺に問いかける。しかし、その目の奥底からは異様なほどの冷たさを感じる。
俺は、しばらくソイツのことを見つめた。
ニコニコ顔のソイツは、無邪気に俺の袖をひっぱった。
「はぁ……」
俺は、がっくりうなだれるとソイツをエレベータに引き入れると「閉」のボタンを押した。
エレベータはゆっくり元のフロアを目指していく。
(なんだって、俺がこんな目にあわなくちゃならないんだ……)
俺は、この忌々しいコイツに出会ったときのことを思い出した。
◆
俺は今年、東京の大学に合格し、一人上京してきた。
慣れない地での一人暮らしに不安がないといったらウソになる。でも、俺はユカリから解放されたことがなによりも嬉しかった。
ユカリは、一つ年下の妹だ。容姿端麗、成績優秀で学校では、いつでもどこでも目立っている存在だ。そんな妹を俺は、いままでずっと守ってきた。まぁ、今考えると幼い頃、親から「ユカリを守るのはお兄ちゃんの役目だからね」と刷り込まれた事が原因なのかもしれない。
ユカリも俺を頼りにしてくれて、小学生の頃は何か新しい発見をするたびに、嬉しそうにニコニコ報告をしてきたものだ。しかし、中学生になったころから、ユカリの行動がおかしくなってきた。
学校ではいつも学年トップの成績だったのにもかかわらず、高校受験の際、わざわざランクを下げて俺と同じ高校に行きたいと言い出した。これには、親も、学校の先生も驚いて、随分と説得をしていたようだが、アイツの決心はゆらがない。
もちろん、俺も「なぜ、そんなバカな事をするのか」と話したが、あいつはジッと俺のことを見つめたままポロポロ涙を流すだけだった。結局、俺と同じ高校だけを受験し、予想通り抜群の成績で合格をした。
それからというもの、俺はアイツの将来が心配になってきた。いくらなんでも出来の悪い俺に合わせる必要なんかないし、アイツはアイツの夢に向かってがんばってほしかった。だからこそ、アイツが高校に入学をしたら距離を置くようにしなければと考えた。
高校入学式の朝だった。
アイツは、嬉しそうに新しい制服を何度もかがみでチェックした。長い黒髪がサラサラと輝いて、おもわず見とれてしまう。
(いかん、いかん……甘やかしてはダメだ)
俺は、アイツを無視して玄関で靴を履く。すると慌ててアイツも真新しい革靴を履いた。
「ねぇ、お兄ちゃん、制服だいじょうぶかなぁ?」
「制服? ああ、いいんじゃね? すごくかわいいし」
俺はアイツの姿も見ずに二つ返事で答えたが、アイツは俺の前に飛び出すと嬉しそうにニコニコ微笑んだ。
「そう? お兄ちゃんがそう思うなら大丈夫だよね」
「まぁな」
さらに適当にあしらう。すると、今度は俺の顔を何度も覗き込んできた。
「なんだよ、なんか、俺の顔についてのるのか?」
「別に……」
そう言いながらもクスクスと笑ってご機嫌だ。次第に俺はイライラして足を速めた。
「ちょ、ちょっとぉ」
「うるさいな、黙って歩けよ。遅刻したらみっともないだろ?」
俺がガツンと叫ぶと、アイツはポツリとつぶやいた。
「一つ聞いてもいい?」
「うん? なんだよ?」
「なんで、お兄ちゃんには彼女いないの?」
俺は、足を止めた。そして、アイツの頭を両手で掴んだ。
「い、痛い! なに?」
「オマエには関係ない話!」
俺は、アイツを解放するとスタスタと歩き始めた。
「なんで、怒るの? ねぇ? ねぇ?」
「うるさい! 黙って歩け」
しかし、数分もしないうちに、またアイツがニコニコしながら話しかけてくる。
「なんで、関係ないの?」
アイツは、ジッと俺をみつめるとクスクス笑い出した。
「やっぱし、女の子にモテモテのお兄ちゃんでいてほしいもん」
「女の子にモテモテ? 別に興味ないし」
「え!」
アイツはびっくりして身体を反らすと小さな声で俺に呟いた。
「お兄ちゃん、もしかしてアッチ系?」
「アッチ系?」
「女子より男子に萌えるってタイプ?」
「それはない!」
「だよね……」
アイツは、ホッとしたようにニッコリ俺に微笑んだ。
(なん、なんだよコイツは……)
当時、俺は部活のサッカーに夢中だった。もちろん女の子は気にならないわけではなかったが、俺的には、女子は自分とまったく住む世界が違うと感じていた節がある。その点で、女子と面と向かって話すというのはとても面倒で苦痛に感じていたのだ。
ところが、アイツはズカズカと俺の領域に踏み込んでくる。まったく余計なお世話だ。
突然、俺の腕がポッと温かくなった。
(うん?)
俺が腕に目をやると、ユカリが俺の腕に抱きついている。心なしかアイツの胸の感触が二の腕に伝わり、女の子特有のなんともいい香りが漂う。
「えへへ、私たち付き合ってるみたいにみえるかも?」
「ねぇよ」
「って、なに赤くなってんの?」
「うっせーな、そんなにベタベタするなよ。ウザイんだよ」
「むふふ。お兄ちゃん、かわいい!」
「うっせー」
俺は、腕を解くと前を歩いていった。女の子の感触を感じてしまった自分に罪悪感を感じいたたまれなくなったのだ。
そんなことがあってから、俺は、ユカリの前にでると俺の方が気後れしてしまい、面と向かって話ができなくなってしまった。一方のユカリは、そんな俺を面白がって、ワザとからかうような図式となった。
別に兄貴面するつもりは毛頭ない。ただ何故だか自分の部屋にいても落ち着かず、家の中でも極度の緊張状態が続く。とにかく、アイツに嘲笑われるのだけは俺的には許せないのだ。
あれこれ考えた末、高校二年の春からは部活を終えてから、夜遅くまで学習塾に通い続け、家でもほとんど顔を合わせることを避けるようにした。
そして、大学受験。俺は、ユカリから逃げるように東京の大学を受験し、無事に合格することができたのだ。
この半年、いろんなことがあったが、ようやく大学生活にも慣れ、授業がないときにはフットサルサークルの部室でゲームの動画をみたり、コンパで盛り上がった。アルバイトも始めて金銭的にも余裕がでてきた。
もちろん、先輩から分けてもらった成人向けのエッチな本やDVDも気兼ねなく存分に楽しむことができる。まさにパラダイスな日々を送る事ができたのだ。
◆
そんな日々が急転したのは、学園祭イベントの準備コンパで飲み疲れた夜だった。
真夜中過ぎに奇妙な音がして目が覚めたのだ。
――ぴちゃぴちゃ――
(なんだ? あの音。水道の蛇口でも閉め忘れたのか?)
最初は、そう思った。だが、不思議な事にその音は次第に大きな音になっていく。
(気にするな、コンパでちょっと飲みすぎただけだ。明日たしかめればいいことだ)
俺は自分にそう言い聞かせ目を閉じた。
――ぴちゃぴちゃ――
音は、次第に大きく騒がしくなっていく。
(ええい! 気になるなら、確認すればいいじゃないか!)
俺は、目を開けて部屋を見渡してみた。すると、台所の一角がぼんやりと明るくなっている。
(冷蔵庫? 閉め忘れた?)
目を凝らすと、確かに扉が手前に開いている。
――ぴちゃぴちゃ――
やはり、その音は冷蔵庫の扉の向こう側から聞こえてくる。そして、時折扉がガタガタと揺れている。
(うん? 空き巣! 玄関、閉め忘れたのか?)
一瞬そんな風にも考えたが、俺の部屋の冷蔵庫は俺の腰の高さぐらいしかない。そんな扉に隠れるヤツなんているわけもない。
俺はそっと手探りで床拭き用のモップを掴むと声をあげた。
「だ、誰だ! 誰かいるのか!」
すると例の音がピタリとやんだ。
ジリジリ冷蔵庫に近づくと上から冷蔵庫の扉の向こう側を覗き込んで見た。
「え!」
俺は絶句した。なんと、そこには、三~四歳の幼女がジッと俺を見上げ、驚いた顔でこっちをみている。
「き、きみは誰だ?」
彼女は、俺が特売で買い込んだ好物の豆腐のパッケージから手づかみで豆腐を口に運びながら俺のことを睨んでいる。
「ここは、きみの家じゃない。さっさと帰えりな!」
俺が少し強く叫ぶと、幼女は、ピクリと眉毛を吊り上げ不機嫌そうに立ち上がると、俺に指をさして話しはじめた。
「ワタシ、ホタル。アナタガタヲ タスケルノガ ワタシノ ミッション」
「はぁ?」
俺は呆気にとられしばらく思考が停止した。しかし、幼女は真面目な顔で、再び棒読みセリフのような話し方をしてきた。
「アナタハ、ワタシニ キョウリョクスル ウンメイ」
あまりのことに、俺は吹きだしてしまった。
「アハハ、まぁいいや、ともかく、自分の家に帰えろうね」
俺が優しく話しかけると、幼女は、頭を横に振る。
「ココ、ワタシノ イエ」
「へ?」
「オマエハ、ワタシニ キョウリョク スルノダ」
あいかわらず、真面目な顔だ。
「だから、きみの家はどこなの? おかあさんは?」
そう話しかけながら、おれはその幼女を扉の向こう側から持ち上げた。その瞬間……幼女のキレのいい右足キックが俺の後頭部にヒットした。以後、俺は記憶がない。
◆
翌朝。俺はベットに横になっていた。
「あぁん、いやぁん……」
いきなり、女性のあえぎ声が聞こえた。
(な、なんだ!)
俺は、何事かと、ベットから飛び起きて音のする方を見つめて驚いた。そこには、制服姿の女子高生が、テレビの前にジッと座り、エッチなDVDを食い入るように見ていたのだ。
俺は、あわててテレビのリモコンをつかむとテレビの電源を切った。
「き、きみは誰だ!」
俺が叫ぶと、くるりと俺のほうを向いてニコリと微笑んだ。その瞬間、俺は思わず悲鳴をあげた。
「な、なんで!」
なんと、そこには妹のユカリがいたのだ。
「ユ、ユカリ? なんで、オマエがここにいる?」
「ユカリ……?」
ジッと俺を見つめるとニタニタと笑いだした。
「まぁね。カオル兄ちゃんがいないと、私、さびしいし……」
「へ?」
ユカリは、フンッと目を反らすと、黒いDVDのパッケージを手に取っている。
(いったい、どうなっているんだ。でも、ユカリか? どうも、おかしい)
ユカリは、子供の頃は俺を「お兄ちゃん」とは呼ぶことはあったが、「カオル兄ちゃん」なんて呼ぶことはない。
俺は疑いの眼差しでジッとユカリ見つめた。すると、ユカリはサッとテーブルの上のテレビリモコンを奪い取ってテレビをつけた。
テレビには、女の生足をカメラが舐めていく映像が流れる。俺は、慌ててテレビまで駆け寄るとテレビのコンセントを抜いた。
「なにするの! せっかく見てるのに!」
「っつうか、なんでオマエここにいるんだよ」
「いいじゃない。たまには私が遊びに来て上げないと寂しいでしょ?」
そういいながら、本棚の俺のお宝本コーナーに手をのばす。
俺は、咄嗟にユカリの腕をつかんだ。
「何してる……え! 冷たい!」
ユカリの腕は、まるで氷のように冷たかった。俺は、おもわずユカリの顔を見つめた。
「オマエ、どうしたんだ?」
「何が?」
「どうして、こんなに冷たいんだ?」
「あ……」
そういうと、ユカリは急いで腕を引っ込めた。
「別に、カオル兄ちゃんには関係ないじゃない」
(また、カオル兄ちゃんか……)
俺は確信した。
コイツはユカリじゃない。なにかドッキリの類? 大学のサークル仲間の策略かもしれない。そっと辺りを見回してみた。どこかに隠しカメラでもついているにちがいない。
「オマエ、ユカリじゃないだろう。誰だ?」
俺は、ジッと彼女を見つめた。
「えー。わたし、ユカリだってばぁー。やだなぁカオル兄ちゃん!」
彼女はニコニコ笑いながら俺を見上げてきた。
制服の間から胸の谷間がチラリとみえ、俺はドキンとしてしまった。
しかし、ハッキリと目の前の女の子がユカリではないことを認識した。
「悪いんだが、俺の妹は、俺のことをカオル兄ちゃんなんて呼ぶこともないんだよ。それに胸もそんなに大きくはない。誰かのイタズラだろ! どこから入ってきたんだ」
チラリと玄関をみるとちゃんと内側からチェーンも掛かっている。
「エヘへ、ちゃんと、合鍵もってるもん!」
彼女は、得意げにカギを取り出した。
(合鍵あったってチェーンがかかってたら入れないはずだか?)
「うーん」
俺は、ジッと彼女を観察した。俺は悪い夢でも見ているのだろうか。
「なに? 近いんですけど! そんなにジロジロみなくてもいいでしょ?」
「うーん、しかしソックリだ」
俺は机の上の携帯電話を手にすると実家に電話をいれるフリをした。
「ああ、母さん? 俺、カオル。すまないけど、ユカリはいるかな?」
すると目の前のユカリは、突然慌て始めた。
「あーあー、そう、私はユカリじゃない。ホタルっていうのが本当の名前」
「ホタル?」
彼女は、ジッと俺を顔を見つめている。
「すまないが、何で、きみがココにいるんだ? ドコからはいってきたんだ?」
少し強い口調っで話かけると、彼女はビクリと震えた。
「ハッキリ言わせてもらいますけど、あなたが連れ帰ったんでしょう?」
「はぁ? 連れてきた? 冗談じゃない。きみに会った事もないし」
彼女は、ニヤリと笑うと、そっと制服を脱ぎ始めた。
俺は慌ててホタルに叫んだ。
「やめてくれ、一体何が目的なんだ。俺が何か悪い事でもしたのか?」
彼女は、立ち上がると俺を見つめた。そしてゆっくりと口をひらいた。
「私は、ホタル。あなた方を助けるのが私のミッション……」
「ミッション? って、ちょっとまってくれ! 昨日の晩にも同じセリフを聞いたような……」
ホタルは、クスクスと笑うと両手を広げた。
「そう、あれも私だよ。昨晩の豆腐は、私にピッタリ! こんなに立派になっちゃった」
「はぁ? ち、ちょっと、意味がわからない! いったいどうゆうことなんだ」
俺が叫ぶと、ホタルの着ていた制服が一瞬にして消えた。目の前には裸の少女が立っている。
「ぎょ!」
俺が驚いていると、次第に肌の色がなくなり、彼女はまるで水の像のように透明になった。
「!?」
俺は絶句した。まるで映画のCGのようだ。
そして、その像が二つに分離すると、昨晩合った小さな女の子二人に変化した。
「どう? わかった?」
小さな幼女二人は、丁度ステレオ放送のように口をそろえて話をしている。
「……」
俺は、悪い夢でもみているのではないかと何度も目を擦ってみた。
「もっと分離できるけど? してみる? ちっちゃくなっちゃうけどね」
俺は、その場にヘタリこんでしまった。
「も、もういいです。というか、これはどういう手品なんでしょうか?」
「手品? じゃぁ順を追って話をするわね。あなたには、私のことを理解してもらわないとならないし、協力してもらう運命なんだから」
ニッコリ微笑むと彼女達は、俺の前にペタリと座り込んだ。
◆
彼女達は、エッチなDVDのパッケージを手に撮りジッと見つめていた。
「さっき、いろいろ見せてもらったれど、ここの惑星の住人は、ずいぶんと原始的な方法で種族を残しているようね」
「へ? 惑星の住人?」
俺は思わず聞き返してしまった。しかし、彼女達は俺のことを無視して話を続ける。
「私は、R5という流体アンドロイドで、惑星アクアリカっていうところから派遣されてきた」
「アクアリカ……でアンドロイド? なにか企画モノのDVDシナリオですか?」
彼女達は、揃ってフンと不機嫌そうに鼻で笑った。
「生物の細胞活性化とリキッドアンドロイドの研究のためにG0っていう試作物質ができたんだけれど、形状を安定することができず失敗したのよ。でもその物質は、星間宇宙軍が特定のウィルスを混入させた兵器に利用することで再利用されたのよ」
「はぁ?」
「ところが、このG0が何者かによって盗まれて宇宙にばら撒かれたことが判明したの」
「盗んだ本人もG0のウィルスによって死亡して、その拡散プログラムを解析した結果、この惑星にまもくなく到達することが分かったのよ。それで、私が先回りして派遣されてきたというわけ。おわかりかしら?」
俺もSF小説は大好きでいろいろ呼んできたが、今の話は、どこかの素人が考えたチープなお話にしか聞こえない。
「ごめん。要約すると、地球外からG0とやらの得体の知れない兵器がやってきて、それから守るためにきみが派遣されたってことかな」
「そうそう! そういうこと!」
彼女達は、嬉しそうに俺に微笑んだ。
「ちょっとまて。しかし、宇宙からやってきて、なんだって普通に俺と話ができるんだ?」
「そりゃ、部屋中の本やら電磁波から翻訳機を構成したし、あなたにもアクセスしておおよそのこの惑星の生物について知識を得たから……」
(な、なに言ってるんだ。コイツラ)
俺は、じっと彼女達を見つめた。
二体の少女は、また透明になると、再度合体し元の制服姿のユカリの姿になった。
「悪いが、その姿はやめてくれないか?」
「そう? あなたの一番近い異性情報だったから親しみがあるとおもったんだけど」
「そんなことはない」
「じゃぁ、このDVDにでてくるブロンドヘアの女の子のほうがいい?」
そういうと、みるみるダイナマイトボディのブロンドのお姉さんが目の前に現れた。俺はおもわず息を呑んだ。しかし、すぐに思い直した。
(近隣の目を意識するとまだ実の妹のほうがマシかもしれない)
「や、やめてくれ。ユカリのほうがまだましだ」
ホタルは、ニッコリと微笑んだ。そして、俺の顔を見つめると真面目な顔で言い放った。
「お好みなら、このDVDでしてるようなサービスもしてあげられるけど?」
「はぁ?」
「このチープなネットワークからおおよそのヒトの営みは吸収できたからね。種族保存のための本能的な行動もバッチリ!」
そういうとホタルはPCをポンと叩いた。
「しかし、ずいぶんと作品に偏りがあるわね。だいたいブロンドの女性で体の凹凸がハッキリしてるタイプって感じ?。ねぇ、カオル兄ちゃん」
少しばかり俺を軽蔑したような目で見るとクスクスと笑い始めた。
俺は、眉毛をひそめた。
「悪いが、『カオル兄ちゃん』ってのはやめてくれ! それにそれは先輩のDVDだ……」
強く俺が叫ぶと、ホタルはクスクス笑い始めた。
「まぁ、いいけど……。PCのデータとかアクセス履歴もみたけど、おんなじ傾向だったけどね」
(うが、すべてお見通しなのか)
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだけど、こっちのほうがいいのかな?」
そういうと、ホタルの黒髪が一瞬にしてブロンドヘヤになった。
「や、やめてくれ! 黒髪でいいから!」
「そう?」
ホタルは、サッと元の黒髪にもどした。
「ところで、でも、どうして俺のところに来たわけ?」
俺はホタルに呟くと、彼女は、俺を指差すやいなや叫んだ。
「それは、あなたが私を拾い上げて、私と契約をしたからじゃない!」
「はぁ?」
(拾い上げた? 契約? 一体何のことだ)
ホタルは、俺ににじり寄ると、じっと俺の顔を覗き込んだ。
「な、なんだよ」
「ヒントはね。い・ん・せ・き!」
「隕石? あ! あの隕石! 俺はカバンを見つめた」
◆
隕石。
そう学園祭イベントの準備もひと段落つき、今晩は前夜祭コンパをしようと先輩達と約束をしていた。先輩たちは午後も授業があるからと、俺は一人、コンパまでの時間を潰すため、生協でかったフットサルの雑誌を手にキャンパスの芝生に腰を降ろした。
そして、ページをめくった瞬間。
ドスッ!
と音が聞こえ、雑誌は地面に叩きつけられ、手のひらぐらいの大きさの丸い穴がポッカリあいていた。俺は驚いて空を見上げたが、ただ真っ青な空がひろがっているだけだ。慌てて、あたりも見回したが、シンと静まり返って目撃者はいないようだ。
(何だ? 何か飛んできた?)
俺は、おそるおそる地面に叩きつけられた雑誌をどけてみた。すると、そこには、ゴルフボール大の穴が深く開いており、周囲の草が焼け焦げている。
俺は、持っていたペットボトルの水をその穴に流し込んでみた。すると、ジューと音を立てたかと思うとモウモウ水蒸気があがってくる。
(なんだ、これ?)
しかし、ちょっとでも位置がズレていたら、俺の頭や身体を突き抜け即死していたかもしれない。俺は、改めて身震いをしたが、なぜか、その落ちてきた物体が気になった。
(掘ってみるか?)
俺は、繰り返して水を流し込んでみた。最初のうちは水蒸気があがったが、ペットボトルの水を全部注ぐ頃にはそれもおさまった。
持っていたスマートフォンのLEDライトで穴の中を照らしてみると、なにやら、赤いピンポン球のようなものが見える。カバンからスチール製の定規を取り出すと穴を広げるようにして掘り進んでみる。
「なんだこれ?」
掘り起こした球をみつめて、おもわず大声上げてしまった。真っ赤な球がユラユラと色が変化する。おそるおそる定規でつついてみると、プシューと音がして、次第に縮みはじめ黒いシワシワの球に変化した。
俺は不思議とその球に魅入ってしまい思わず手に取ってしまった。
(うお、なんだこれ! すごい重い)
直径二センチメートルのシワシワの黒い球は、両手でないと持てないほどの重さだった。それでもなんとか持ち上げると、いきなり手のひらに激痛が走った。
「アチっ!」
慌てて黒い球を地面に落とすと指先から血がにじんでいる。
(まだ熱があったのか?)
今度は慎重にハンカチで黒い球を包むとカバンの中にしまった。
「じゃぁ、なに? あの黒い球と関係があるってことなのか?」
俺は、妹のユカリそっくりのホタルを見つめた。
「そう! 元はあの球体だから。最初に遭遇した生命体の体液交換をした時点で契約成立ってこと」
(え? 体液交換? 交換?)
「ちょ、ちょっとまて、体液交換って言った?」
「そう」
「じゃ、なに? 俺の体の中に何か仕込んだってわけ?」
ホタルは、ワザとらしく口を押さえて「しまったー」というような素振りをする。
「そんな演技はいいから! 何をしたんだよ」
「それは、ヒ・ミ・ツ」
俺は、ホタルの肩を両手で押さえると彼女を揺すった。
「契約っていうのは、お互い合意しなければそう呼ばないんだよ。むしろ一方的な侵略じゃないか」
「いずれちゃんと話をするわよ。だからそのときまで待っててよ」
そう話すと悲しそうな眼で俺を見る。その仕草がユカリがよくみせる表情とそっくりだったのでそれ以上突っ込む事ができなかった。
「勝手にしろ」
「ありがとう、カオル!」
ホタルは、ペロリと舌をだすとクスクス笑った。
◆
こんな事があってから、俺はずっとホタルに付きまとわれることになった。
大学にそっと出かけても、アイツが先回りして教室でニコニコしながら待っているし、いつの間にかサークルの先輩達のマスコット的存在になっていて、皆からチヤホヤされていたりする。
ドコへいってもホタルがいる。俺は、息が詰まりそうだった。
ガクンと、エレベータが止まって、元のフロアに着いた。俺は、ホタルの肩を抱えると家に戻った。
「あのね、カオルの身に何かあったら困るんだ」
突然、ホタルが俺にポツリと言った。驚いてホタルの横顔を見ると、やたら神妙な顔つきになっている。
「何かあったらって? 何が?」
玄関のカギを開けながら、ホタルにたずねると、ホタルはいきなり俺の背中に抱きついた。
「このミッションを果たせるかどうかは、カオル、あなたがポイントなのよ」
「はぁ?」
「だから、私は、何が合ってもあなたを守る」
ホタルは、背中をギュっと抱きしめてきた。
俺はホタルを振りはらうと真っ暗な玄関で大きな声をあげた。
「だからって、俺に付きまとうのはやめてくれよ。地球外アンドロイドだがミッションだが知らないが、俺だってヒトリでいたいときもあるんだよ。チキショー! なんで、俺なんだ?」
窓から差し込む月の明りの中で、ホタルの眉毛がピクリと上がった。
「だから、あなたが、ファーストコンタクトで、体液交換しちゃったんだからしかたないでしょう……」
「勝手にしたんじゃないか!」
突然、ホタルが俺に抱きついてきた。
「もう、戻れないよ……。私だって、パートナーを自分で選びたいよ」
「……」
「でもね、カオルって知的で礼儀正しいし、私的には、結構気に入っているんだ」
「そりゃ、どうも……」
「前のミッションのときのパートナーは、そりゃ酷かったからねぇ……」
そういうと、ホタルが悲しそうに俺を見つめる。一瞬だったが、俺もそんな表情に驚いた。
突然、背中に激痛が走った。
「いててて!」
「あ、ゴメン。前のパートナーのことを思い出したら、ちょっとイライラしちゃってチカラいれすぎちゃったかも……」
ホタルは、舌をだして笑顔で俺を見つめた。
「や、やめてくれよ!」
「うふっ……ミッションが終わるまで……それまでは、どうぞよろしくね!」
「ふぅ。ともかく、目立たないでくれないか……」
「がんばってみるけど、でも、カオルの妹のユカリちゃんって、それだけでも目立つからね。まぁ、カオルは今までどおりの生活を送ればいいよ! 事が起きたら、手伝ってもらえればいいんだから」
満面の笑みのユカリ似のホタルに見つめられると、俺はそれ以上何も言う事ができなかった。
(つづく)
第二話
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
初稿20141209
第二話
「あれ? お兄ちゃん、お兄ちゃんの分はないの?」
突然の声に俺は驚いて後ろを振り返った。そこには、幼い頃のユカリが心配そうに俺を見つめている。
「え?」
俺は、驚いて辺りを見渡した。すると、子供の頃よく遊んだ懐かしい風景が広がり、驚くことに俺自身も幼い姿になっているのに気がついた。どうやら、ユカリのお守りをしているといったところだろうか。
つぶらな瞳で俺を見つめるユカリの姿に、思わず俺は微笑んだ。
(そういえばこの頃、一つしか年が違わないのにユカリは背が低くて、アイツは懸命に背伸びをしてたっけ……)
「お兄ちゃん! どうしよう」
ユカリは困った顔で俺を見上げた。その小さな手には、自分の顔程の大きなアイスキャンデーが握られていて、どうやらこのアイスキャンデーは一つしかないようだ。
「一つしかないならユカリが食べていいよ」
「えっ……でも……」
ユカリは、アイスキャンデーと俺の顔を何度も見比べる。そのたびに、大きなウサギが描かれたワンピースがフワリフラリと揺れるのも微笑ましい。
「じゃ、半分こ……いいでしょ?」
ユカリは、心配そうに俺の顔色を伺っている。
「じゃ、半分こにしよう。どんどん溶けてるよ。先に食べていいから、ほら……」
ジリジリと照りつける太陽の下、ユカリの手に持ったアイスキャンディは、すでにポタリポタリと垂れはじめていた。ユカリは慌てて、アイスキャンディをぺロリと舐めはじめた。
「冷たくて、おいしい! はい! 次はお兄ちゃんの番!」
ユカリは、ニコニコしながら勢いよくアイスキャンディを俺の前に突き出した。その途端、青いアイスキャンディは棒からスッポリ抜け、地面にボチャリと落ちた。
「あ!」
次の瞬間、ユカリの顔がゆがみ、顔をみるみる真っ赤にして泣き叫びはじめた。大粒の涙がポロポロと頬をつたわるのが痛々しい。
「バカだなぁ、だから早くたべろって言ったのに」
俺は、ユカリの頭を撫でた。すると、今まで以上に激しく大きく口を開けて泣きじゃくった。
「また、買ってもらえばいいだろ! たいしたことじゃないよ」
「だって、だって、お兄ちゃんの分……お兄ちゃんの分が……」
「あはは、ありがとな」
ユカリの頭をやさしく撫でると、ユカリはベタベタの手のままで俺に抱きついてきた。
俺は、ため息をついて、小さなユカリの背中を抱きしめてやった。
ふと、足元に落ちたアイスキャンディに視線がいった。
アリがチラチラ見えたかと思うと、すぐさま無数のアリがそれに群がりはじめた。あまりの異様さに、俺は、その光景に釘付けになった。
アイスキャンディはどんどん小さくなり、それがアリ達に完全に取り囲まれ真っ黒になった瞬間、それまでワサワサと蠢いていたアリ達自身が、一斉にドロドロと溶け始めていく。
「な、なんだ?」
その解けた黒い液体は、コロコロと地面を転がりはじめ、ユカリの足元に集まりはじめた。そして、それが、なんとユカリの体内に吸い込まれていくではないか。
「え?」
俺は驚いて泣いているユカリの顔を見つめた。するとどうだろう、ユカリの身長がみるみる大きくなり、小さかった背中もどんどん大きくなっていく……。
「うお!」
さっきまで泣き叫んでいた小さなユカリは、あっというまに大人の女性になり、俺を見下ろすとニッコリ微笑んだ。
「うふふ、カオルは、優しいんだね」
そう言うと俺の頭をそっと撫で、大人のユカリにギュッと抱きしめられた。女性特有のいい香りが鼻をくすぐるが、俺は必死に、彼女の腕から抜け出そうと顔を真っ赤にしてもがいた。
◆
「ユ……ユカリ!」
俺は、ハッと飛び起きた。あたりを見回すとまだ暗い。机の上にあるデジタル時計の文字盤が朝の六時を表示している。
「夢……夢か……」
俺は、部屋の片隅にある毛布の塊をみつめた。すると、その毛布の下から笑い声が聞こえてきた。
「おい! ホタル! オマエの仕業か?」
俺は、無性に腹が立ち、少し乱暴に毛布を引き剥がした。
案の定、チェック柄の青色パジャマ姿のホタルは、必死に口を押さえて笑うのをこらえていた。
「いい加減にしてくれ! 俺は、オマエのオモチャじゃないんだよ!」
「あはは、それにしてもカオルも子供のころは可愛かったんだね」
「俺にはかまわないでくれよ!」
「そういうわけには、いかないのよ!」
「何でだよ!」
ホタルは、スッと立ち上がると髪の毛を掻き揚げた。
「私のパートナーとなる生命体については分析をすることになっているわけ。だけど、あなた方人間は、肉体だけじゃなくて精神的要素に大きく影響されるきわめて不安定な生命体だってことがわかったわ」
「はぁ? それと、俺の夢の中に入り込むのとどういう関係があるんだ?」
「精神的要素は、きちんとしたメンテナンスが必要ってことなのよ。で、ずっとあなたの事を見てきたけど、そのメンテナンスは、夜、寝ている最中にされていることを突き止めたってわけ」
ホタルは、自分の分析結果に満足してドヤ顔で俺をみる。
「じゃ、なんだ? さっきの夢っていうのは、オマエが俺のメンテナンスをしてくれたってことなのか?」
「まぁ、今回は初めてだから、そこまではできなかったけど、精神的要素を鍛えるプログラムを徐々に加えていこうかなって思っているとこ……」
「やめてくれ! っていってもどうせやるんだろうが、夢の中にまでユカリは出さないでくれよ!」
ホタルは、目を丸くして俺を見つめた。
「カオル! あなた自分の事なのに自覚がないの?」
「自覚? 何のことだ」
「あなたの頭の中では、ユカリの存在は特別で、あなたの行動にいつも絶大な影響を与えているのよ。まぁ、なんでそんな事になっているのかは、まだ調査中だけどね」
「ほっといてくれよ」
「そうなんだ……。でも、不思議なことにあなたはそのパワーを否定しちゃってる。ひどい罪悪感が……」
「罪悪感? そんなものはないっ!」
俺は、ホタルの言葉を遮って、部屋に響き渡るほどの大声を出してしまった。
ホタルは、俺の声にビクッと震えると、俺をジッと睨んだまま、石像のように動かない。俺もホタルを睨み返したがいつもと様子が違う。いつもなら、その奥に氷のような冷たさを感じるホタルの瞳が、今は、むしろ、ギラギラと熱い視線になっていた。
俺は息を呑んだ。
薄明かりの冷えた部屋で、俺の心臓の鼓動は次第に早くなる。
トクントクン……
どれほど時間が経っただろうか。
突然、ホタルの目が潤んだかと思うと、大粒の涙が頬を伝って落ちた。
「え?」
俺は、目の前にいるのがホタルだとわかっているが、ユカリの泣き顔を思い出し、耐え切れずにうつむいてしまった。
「ゴ、ゴメン……」
しかし、ホタルは、涙がこぼれるのも気にせず、俺をジッとみつめている。
「カオル……あなた……」
ホタルは目を閉じた。途端に、涙がポロポロと頬を伝わって落ちる。そして、ホタルは、俺の胸に飛び込んできた。
「おいおい、なんだよ……」
「一瞬だけだけと、あなたの中のユカリを感じたの……」
「何が?」
変に素直なホタルに、内心驚いたが、ホタルはジッと俺の胸に顔をうずめている。黒髪がサラサラと揺れると、いい香りがしてくる。
(近い……近すぎるよ……ユカリ……)
「ともかく、俺には、かまわないでくれよ。」
おれは、ホタルの両肩をつかむと、身体を無理やり引き離した。すると、ホタルは、俺を見つめたまま怪訝そうな顔をした。
「どうして、そんなに自分を責めるの? あなたは十分苦しんだ! そんな事をいくらしても何も変わらない! バカじゃないの!」
「う、うるさい。お前に何がわかるんだよ。勝手に押しかけたかとおもえば、ユカリまで持ち出して……」
「……そうよね。あなたの言うとおりかもしれない。でも、私もミッションを終えなければならないのよ。あなたには悪いと思うけど、付き合ってもらうしかないし、精神鍛錬もしてもらわないと困るのよ」
「どーして、俺がこんな目にあわなくちゃならないんだ……」
俺が頭を抱えると、ホタルは、ニヤリと笑い、いつもの冷たい瞳で俺を見つめた。
「あー、いやだいやだ! カオルって、すぐに自分のことをひがむんだね」
「なに!」
「だって、そうじゃない。俺がこんな事になんでなるんだ? 俺ばっかりが損をする? もうこうなった以上逃げられないって観念しなさいよ。もう前に進むしかないのよ」
「うぅ」
「さっさとミッションを終わらせば、私ともオサラバできるから! でも、あなたのそのひどい思考回路は切り捨ててもらわないと、情報伝達に支障がでるわ……」
「なんだその情報伝達って?」
「あっ!」
ホタルは、また、わざとらしい演技で「しまったー」と口を押さえる。
「なぁ、いい加減、全部、話をしてくれよ。早いところミッションクリアするんだろ」
俺は、イライラしながらホタルに詰め寄った。
「……まぁ、そうだよね」
ホタルは、唇を噛むと、ジッと俺を見つめた。そして、深くため息をつくと、明るくなってきた窓のカーテンに視線を移した。
「わかった……」
ホタルはパジャマ姿から、いつもの女子高生の制服姿にスッと切り替わった。
「第一、ファーストコンタクトのあった知的生命体を協力者としてミッションを完遂すること」
「第二、協力者の生命体の組織構造、社会構造、個体の状況を調査するため体液交換によりコアを埋め込み、協力者の安全を確保すること」
「第三、自らの組織素材に適した食材を調達し最悪の事態に備えること」
ホタルは、淡々とつぶやく。
「ち、ちょい待った! なんだそのコアって!」
俺がホタルを睨みつけると、チラリと俺を見て今度は、天井を見上げて話をしはじめた。
「前にリキッドアンドロイドの事は話したと思うけれど、それを制御するシステムがコアなのよ。それを協力者の遺伝子に埋め込んで、それぞれの環境に適合した最適なコアを量産するのよ」
「り、量産! 俺の体の中で量産ってどういうことだ?」
「まぁ、私たちの源……そう、タマゴみたいなものね」
「タ、タマゴだって!」
「ミッション遂行時には、あなたの遺伝子が格納されている細胞が必要になるのよ。だから今は、あなたの身体を私は全力で守らなくてはならないの」
「まさか、腹の中からエイリアンみたいのが沸いて出てくるようなことになるんじゃないだろうな!」
ホタルは、ニヤリと笑うと俺をチラリとみた。
「うふふ! まぁ、非常事態が起きればドバーッとお腹の中を切り裂いて……」
「マジかよ!」
俺は、自分の腹を触ってみた。急に吐き気がしてきた。ホタルは、俺に近づくと耳元でつぶやいた。
「ウソ!……大丈夫だって! そんな原始的な方法じゃないし、協力者の安全を確保するための措置なんだから安心して!」
「本当なのか?」
「カオルの遺伝子に埋めこまれたコアは、細胞分裂で量産されているから、それが必要になったときには、遺伝子を含んだ体液を出してもらうだけ……」
「なに? 遺伝子を含んだ体液……」
(遺伝子といえば種の保存……受精?)
俺は、即座に股間をおさえた。
「じ、冗談じゃない。そんなことは絶対にできない!」
ホタルは、不思議そうに俺をみていたが、やがてプっと吹き出した。そして、呆れ顔で俺にニヤリとした。
「まぁ、お望みなら、金髪の彼女になって、最後の一滴まで残らず体液を絞り出してあげてもいいけど……どう?」
そう言うと上目遣いで舌をペロリと出した。
「や、やめてくれ!」
ホタルは、またもやプっと吹き出すと、手を振った。
「まぁ、ソッチでもいいんだけど、むしろ新鮮な血液を少しだけ分けてもらうほうがいいんだよね」
「新鮮な……血液?」
ホタルは、俺の顔を覗き込み耳元でささやいた。
「そう、絞りたての……」
「お、オマエは吸血鬼か? なんだよその『絞りたて……』って……」
「まぁ、すぐに血液は劣化しちゃうから、そのたびに、少しだけ分けてもらうってことなのよ。イザとなったらよろしくね」
ホタルは、部屋のカーテンをつかむと勢いよく開けた。まぶしい陽の光が部屋に差し込んだ。
「なぁ……ついでだから約束してくれないか……」
「へ? 何を?」
明るい陽の光の中でホタルの瞳がキラキラと光る。
「今後、隠し事はなしだ。いいな!」
俺は、ホタルをジッと観察した。ホタルは、一瞬、眉毛をピクリとさせると俺から視線を外した。
「おいおい、まだ、あんのかよ! いいかげんハッキリ言っておいてくれよ。ともかく、こんな面倒な事はとっとと終わらせたいんだ」
ホタルは、また、ため息をつくと口を開いた。
「まぁ、これは秘密ってほどでもないんだけど……」
ホタルは、俺に背を向けるとさっきまで自分が使っていた毛布を手に取り、几帳面にたたみ始めた。
「あなたの身体に埋め込んだコアから、私に情報伝達がされるのよ」
「ああ、さっきの情報伝達か?」
「つまり、あなたが見たもの、聞いたもの、話したこと、考えたことがすべてモニターできるってこと」
「な……」
俺が呆れて叫ぼうとすると、ホタルが叫んだ。
「あ、怒らないで! いつもモニターしてるってわけじゃないんだから」
(俺の考えていることがわかるのか? 最悪だ……)
「まぁ、最悪ってほどでもないとおもうけど?」
(マジか? 筒抜けかよ?)
「うふふ、すべてをモニターしてるわけじゃないの。感情レベルが一定以上になると通信がはいるって仕組み。だから、カオルが、クールでいればいいわけ! 簡単な事でしょ?」
「ったく……俺のプライバシーはないのかよ……」
その時だった。突然、携帯電話が明るい部屋に響いた。
俺は、あわてて携帯電話を手に取った。バイト先の店長からだ。
(しまった。今日は早番だったか……)
あわてて、机の上の時計を見ると午前七時を過ぎていた。俺は、おそるおそろる通話ボタンを押す。
「おい、カオル! おまえ今日は早番だろう! 何してるんだよ」
野太い声が耳をつんざく。
「あ、店長! すんません。寝坊しまして……」
「ったく、ともかく早く来い」
「すいません、すぐ出ますので」
「おう、急げよ!」
俺は、慌ててシャツを取出しズボンをはき、コートを着て準備した。不思議とホタルは、何も言わずにいる。
「じゃぁな、留守番をたのむぞ!」
ホタルにチラリと目をやると、ホタルはコクンとうなずいた。
どうも気味が悪い。いつもなら「どうしたの?」「なに焦ってるの?」「どこ行くの?」と聞いてくるはずなのに……いや、俺の考えはアイツに筒抜けならそんな茶番はいらないってことなのか。
チラリとホタルを見ると、ウンウンとうなずいている。
(ああ、ウザイなぁ……)
俺は家を飛び出した。
◆
アルバイト先の牛丼屋に到着したのは午前七時半。
店長が俺を見ると大声で叫んだ。
「カオル! いそいで着替えてホールに入れ!」
「すいません!」
俺は、いそいでロッカールームに向かい、支給されている制服と長靴を履いてフロアに出た。
この時間帯は出勤前のサラリーマンで賑わう。ともかく時間との戦いだ。短い時間で朝食を取り職場に向かうサラリーマンは尋常ではなく殺気立っている。こちらも懸命に接客と配膳をしなければその気迫に負けてしまう。アルバイトをし始めた頃は、随分と失敗して、罵声を浴びたものだが、半年もたつと自然と身体が覚えてしまう。
朝のピーク時間もサラリとこなすと、午前八時半を過ぎるころには、客席も空席がちらほらと出てくるようになった。俺が、食器を片付けていると、目の前の空席に客が座った。
「えっと、A定食おねがいします」
「A定食、注文いただきました……うん?」
俺は、聞き覚えのある声に、チラリと客の顔を見上げた。すると、なんとホタルがニコニコしながら俺を見つめているではないか。
「オマエ何してんだよ。は、早く、帰れよ」
俺は、小声で呟いた。するとホタルは、少しばかり大きな声をだしてきた。
「えぇ? 私、お客さんなんですけど……それに留守番は、ちっちゃいのにさせてるから大丈夫」
「ちっちゃいの?」
「親指くらいのを留守番に……だから大丈夫!」
「バカ、声が大きいって……」
俺が、ホタルにツッコミを入れようとしたところで、背後から店長の怒鳴り声が飛んできた。
「カオル。早く、あいてる食器をさげろよ!」
「あ、はい……」
俺は、ホタルを睨みつけ、店長に言われたとおりあいている食器をさげはじめた。
「ほい、A定食あがったよ。八番の彼女の分」
店長が黒い盆を俺に渡した。
(八番の彼女?……ってホタルのかよ)
ここで、いい加減な態度をすると、店長にまた叱られるだろう。俺は、大きくため息をつき、気を取り直してお盆をホタルのとこへ持っていった。
「おまちどうさま、A定食です」
ほかほかの白いご飯、わかめの味噌汁、納豆に生玉子、味付け海苔がのっている。
「へぇ! これは美味しそう!」
ホタルが嬉しそうに俺に微笑む。
「いいから早く食べて、お金は俺が出しておくから、すぐ家にもどるんだぞ」
「私、ベジタリアンだから、玉子はダメなんだ。あとカツオダシも……」
(アンドロイドでベジタリアン? そんなバカな話があるのか?)
と思った瞬間、異様な感じに包まれた。勝手に身体が動きはじめたのだ。
「じゃ、冷奴と取り替えてやるよ。好きだろ?」
(げ、俺、なんで取り替えるなんて勝手なこと話してるんだ……)
「いいの? ありがとう。お兄ちゃん!」
(身体が勝手に動く。まさか、コアの仕業なのか?)
「それでは、ごゆっくり……」
(ぬぅ……勝手に俺がしゃべってる)
俺は、ホタルを睨みつけたが、ホタルは涼しい顔でニヤニヤと笑っている。
(なんだよ、じょ、冗談じゃない!)
そう考えた瞬間、ホタルが俺にウィンクをした。
「ゴメンなさい。あまり騒ぎたくないから、ちょっとガマンしてね」
「なんなんだよ。このことは、あとでたっぷり話をきかせてもらうからな! 覚悟しろ」
俺は、また、ため息をつくと厨房へ戻った。
午前十時になると、客足はパタリと止まった。
ホールには、ホタルが一人、ダラダラと食事をしているだけだ。
「なぁ、カオル。あの子、オマエの知り合いなんだろ?」
「ああ、アイツですか?」
「いやぁ、とってもキュートでカワイイなって思ってさ」
「そうですか? アイツは俺の疫病神です」
「疫病神? 俺にはそうは見えないぞ。さっきから、ずっとオマエをチラチラ見ているだろうが……」
店長は、俺を睨みつけるとドスの聞いた低い声が響く。
(ああ、説明するのは面倒だ……)
「店長、実は、アイツ、豆腐が主食なんですよ」
「豆腐?」
「そうなんです、一日に二十パックはペロリと食べるんです」
「なに! そんなに食べるのか?」
店長は、疑いの眼差しで俺をみつめる。
「俺も、豆腐は好きなんで、特売の時は、少しは買い込むんですが……俺のバイト代は、アイツの豆腐代に消えちゃうんですよ」
「そうか。だから、肌があんなにスベスベなのか。いいじゃないか」
(はぁ? そこじゃねーし。面倒だ、適当に話しておこう……)
「実は……アイツ、俺の妹なんです」
すると店長は、ジロっと俺をみつめると、ヘラヘラと笑った。
「ない! どう考えたって、あんな天使とオマエとが兄妹なはずがないだろうが」
「でも、そうなんです! だから、疫病神なんですよ。ほとほど手を焼いているんですよ」
店長は、疑いながらも俺とホタルを見比べてうなずいている。
「うーん。まぁ、なんとなく目元は似ているかもしれないが……奇妙なこともあるもんだ」
「アイツ、ベジタリアンなもんで、勝手に生玉子と冷奴取り替えさせてもらいました……」
「ああ、それは構わないよ。しかし、カワイイよなぁ」
店長がデレっとホタルをみつめていると、ホタルもそれに気がついたのか店長にニッコリ微笑んだ。
「おいおい! カオル。今見たか? あの子、俺に微笑んでくれたぞ。俺に気があるんじゃないのあ?」
店長が嬉しそうに俺を見る。
「どうでしょうかね」
俺は、だんだん面倒くさくなって素っ気なく店長に答えた。
「なんだよ。よし、今後、オマエのことは『アニキ』と呼ぶかな……」
「はぁ?」
俺は、マジマジと三十過ぎのムサイ店長を上から下まで見回した。
おなかはポッコリ出て、無精ひげを生やし、動作もどことなくガサツ。まるで品格というものが感じられない。
(マジにユカリが、こんな彼氏をつれてきたら、俺、キレるだろうなぁ)
――ありがとう。お兄ちゃん――
「へ?」
俺は、周りを見回した。今、ハッキリ、ユカリの声が聞こえた……。聴き間違える事なんかない。俺は、耳に手をあてて、もう一度辺りを見回した。するとホタルと目が合った。
(なんだ、おまえの仕業かよ?)
すると、ホタルが慌てて否定するように手を横に振っている。
(どういうことだ! ハッキリ、今、ユカリの声が聞こえたぞ)
俺は、興奮気味にホタルに思念を送った。
すると、ホタルは、箸を下ろすと俺に手招きした。
「ホタル、どうなってるんだよ」
「信じられない……。カオル! あなたの中のコア……ものすごい勢いで進化を遂げているみたい」
「進化?」
「前にも話したけど、カオルにとってのユカリの存在はかなり特別とコアが察知して、カオルの記憶の断片からものすごい精度でユカリの人格を再現しちゃっているみたい……彼女の考え方、物の見方をシミュレーションしてあなたの頭の中に存在させようとしている……」
「はぁ?」
「つまり、あなたの頭の中に、あなたの理想のユカリ像が出来ていて、勝手にあなたに話しかけているんだとおもう」
「冗談じゃない。すぐにそのコアを全部抜いてくれよ!」
ホタルは、食べかけの冷奴を一気に口に入れると、俺の手を握り頭を横に振った。
「ごめんなさい。こんな事になるなんて……」
「なんだ?」
「もう、あなたの血液すべてにコアが埋め込まれているはずだから、ミッションをクリアしないかぎり消せないわ」
「また、ミッション……かよ」
「そう、G0をこの惑星から根絶する事………それができれば、コアは消滅することになっているから」
「じゃ、ど、どうするんだよ、この状況は」
――大丈夫。お兄ちゃん。私も協力するから――
(ま、また、聞こえた……)
「や、やめてくれぇ」
俺は、頭を抱えた。
「だいじょうぶ。慣れちゃえばいいのよ。私をユカリと思えばいいんだし、私の声だとおもってくれれば、いいじゃない!」
「よくねーよ」
俺は、ホタルの脳天にチョップをお見舞いした。
その時だった、突然、地面がグラグラと揺れ始めた。
「じ、地震?」
店長が慌てて棚にある皿を押さえている。
揺れは縦ゆれだった。ガタガタと店内の丼が揺れている。
「カオル……」
ホタルが俺の手を掴む。
「なんだ?」
「いよいよヤツラがきたのかもしれない……」
「G0か?」
「そう……」
ホタルは俺にうなづくと、目を閉じた。
揺れは三十秒程度で収まったが、いきなり店内のテレビは、緊急速報の画面に変わった。
――番組の途中ですが、ただいま、静岡県上空で巨大な火の玉が西へ向かって通過したとの報告がありました。繰り返します。静岡県上空で巨大な火の玉が確認された模様です――
アナウンサーは、つぎつぎと渡される原稿に大あらわだ。
――新しい情報が入ってまいりました。先ほどお知らせいたしました巨大な火の玉ですが、三河湾沖に着水した模様です。国立天文台に寄りますと。この巨大な火の玉は突然東京上空に現れ、西へ向かっていったとのことです。現在、アメリカ宇宙航空局にも情報をの問い合わせをしているとのことです。こちらがその映像です――
テレビ画面には、巨大な火の玉が青空を横切っていく様子が映し出された。
「単なる、古い人工衛星の類がおちたんじゃないのか?」
店長は、テレビ画面を見つめながら呟いた。
「調査してみないと……」
ホタルは、テレビ画面から目を離すと、いきなり立ち上り、ものすごい勢いで、店を飛び出して行った。
なぜだかわからないが、俺の身体が熱くなっていくのを感じた。
(つづく)
第三話
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
六稿20150102
初稿20141220
第三話
十二月二十三日午前十時。
タクシーの窓に写った風景にナツコは唖然となった。今回、取引場所に指定されたのは、巨大な複合商業施設なのだが、それがまさか自分が生まれ育った町の近くだとは思ってもみなかった。しかも、その施設は城壁で囲まれ、まるで要塞のようなたたずまいだ。
取引自体は明日なのだが、事前に取引場所を確認するのがナツコの流儀だ。
「お客さん、黒森は初めてかい?」
ルームミラーでナツコをチラリとみた初老の運転手が微笑んだ。
「まぁね。じつは、小さい頃このあたりに住んでいたことがあったんだけどね」
「へぇ、そうなのかい。この辺りはすっかり変わっちまっただろう? たしか、今から三年前だったかこの町は酷い財政難に陥ったんだが、この施設を町全域に誘致してから一気に財政が持ち直したらしいって話だ」
「え? 全域ですって? 町全部なの?」
「そうなんだよ。当時は凄いニュースだったよ」
「でも住民の反対運動ってなかったの?」
「もちろん、計画は昔からあって、反対運動も盛んだったらしいんだけど、なぜか、ある日を境にピタリと止んだんだそうだ。不思議な事にね」
「へぇ、それは、興味深いわね」
「まぁ、余計な詮索はしないほうがいいさ。事実、私もね、休みのときは孫をつれて遊びにくるんだけど、実に楽しめる場所だよ。ただ、ここは車がないと不便な場所だから、園内で酒が飲めないのが実に残念」
「え? ここは全面禁酒なの?」
「ちがう、ちがうって、車でやってきた連中は、お酒飲んじゃうと帰り運転できなくなるから飲めないって話だよ。まぁ、中のホテルに泊まれば別だがね」
「なるほどね」
「ほい、ここが正面入口ゲートだ。お客さんも楽しめるとおもうから……」
運転手はそういうとニッコリ微笑んだ。
黒森……まさか、自分が住んでた町かこんな姿になっているなんて……。
子供の頃よく遊んでいた用水路や田んぼ、雑木林などは影も形もない。かろうじて正面入口ゲート横の彫像は覚えがある。たしか学校の通学路にあった彫像だ。
「そういわれてみれば、小学生のころ、そんな計画があると大人が話していたけど、結局、押し切られちゃったわけだ」
ナツコは彫像に手を触れると一つため息をついた。
ゲートで配られた三つ折のパンフレットを開いてみた。
見たとおり、施設は城壁で囲まれており、この園内での買い物はすべて独自のICカードを使って決済をする仕組みになっている。そして、すべての取引が記録され、出口ゲートでそのリストが渡されるようだ。
ナツコもさっそくカードに現金をチャージしてみることにした。端末を操作するとポコンペコンと奇妙な音がしてカード残高の表示がされた。
「とりあえず……ひと周りしてみようか……」
さらにパンフレットを開いてみると、可愛いイラストがついた園内案内マップが描かれていた。それによると、この黒森は、舗道に色がついていて、商業地区(オレンジ色の果実)、公園地区(緑の風)、居住地区(青い湖)で構成され、その中心には全域を見渡せる巨大な白亜展望塔(白亜の天空)につながっているようだ。要所要所に彫像が配置され、美しいデザインの建物や公園もあるようだ。
ナツコは入口ゲートを抜けると、一通り園内を歩るき回ってみる事にした。真っ青な空から明るい陽の光が園内に届く。公園の緑がキラキラと光り、ショッピングモールのガレリアも美しい。きらびやかな店頭装飾は、見て回るだけでも楽しい気分になる。
一方、園内の高台には、真っ青な外壁のマンション郡が静かに立ち並んでいる。ところどころに白い外壁の建物があるが、おそらく、学校や医療施設、役所関係なのだろう。
なるほど、園内を散歩するだけでも十分に楽しい。しかもゴミ一つおちていない。何度か、おそろいの制服を着たスタッフとすれ違ったが、皆笑顔でコチラに挨拶をしてくれる。
くまなく歩いてみて見て回っただけで三時間もかかり、すっかりランチタイムを逃してしまった。
歩き疲れたナツコは、ベンチに腰かけると、パンフレットを開き、食事ができるところを探してみることにした。すると女子学生が二人、ナツコの前をおしゃべりしながら通り過ぎていった。
「ヴァイスのランチ、いつもおいしいよね!」
「って、サヨコはいつもヴァイスよね」
「ねーちゃんだって、タカシくんがバイトしてるから、通ってるんでしょ?」
「ち、ちがうわよ! あそこはゆっくりできるから」
「えー! マジ? まぁ、でも美味しいのはまちがいないけどね」
ナツコは、すかさずスマホでヴァイスのランチを検索してみることにした。
(なるほど、景色もいいし、値段もお手ごろ。おまけにランチは午後三時までらしい……)
「よし」
ナツコは、パンフレットをたたむと白亜展望塔に向かうことにした。
園内のシンボル的存在ともいえる地上六百メートルの塔は、近づいてみるとすごい迫力がある。
高速専用エレベータを利用し、展望デッキにあがってみると、たしかに黒森が一望できる。
素晴らしい景色を楽しみながら、展望レストランの日替わりランチに舌鼓を打つ。そして、食事を終え、コーヒーをのんでいると、奇妙なことに気がついた。
定期的に園内のスタッフが集団でこの塔へ出入りしているのだ。
(このタワーには、スタッフ向けにも、なにか施設があるのかしら?)
「気になることは、調べるべし!」
ナツコは、勢いよく席を立つと地上へおりた。そして、スタッフが出入りするゲートの前をタイミングをはかりながらそっと忍びこんでみた。すると背後から肩をつかまれ、野太い声が聞こえた。
「お客様、ココから先は、スタッフのみです。展望デッキは、反対側にエレベータがございますので……」
「あ、ごめんなさい。私、タウンミニコミ誌を作っているものなんですけど、この施設があまりに素晴らしいので、『黒森徹底解剖』っていう企画で取材中なんです。で、スタッフの皆さんがコチラに入っていくのを見かけたものですから……」
ナツコは、スラスラと取材をでっち上げた。そしてポケットからボイスレコーダーを取り出すと厳つい警備員の前に突き出す。
「ああ、すみません。取材は、入口ゲートで広報担当者を通じて行っていただけますか? こちらは、警備とシステム監視が主な役割ですから」
警備員が不機嫌そうに話をすると、ナツコはニッコリ微笑んだ。
(ここには、警備のシステムがあるわけね)
「わかりました、ありがとう」
そういうとナツコは、くるりと背を向け、入口ゲートへ向かう素振りをみせた。
午後四時をすぎると、あたりが急に暗くなりだした。ポツンポツンと街灯に灯がともり、歩道の両サイドにも間接照明が点灯しはじめる。
赤と緑のライトアップがされて、すっかりクリスマス仕様になっている。
その下では、親子連れや恋人同士が楽しそうに語らい行き交う。実に微笑ましい光景だ。
ナツコは、大きくため息をつくと、オレンジ色の電飾が華やかなオラージュモールの外れにあるベンチに腰掛けた。
「午後七時……もう少し、待ちますか」
白い湯気があがるコーヒーをのみながら、閉園まで時間をつぶすことにした。
明日、十二月二十四日午前十時、この園内の駐車場でサアドというコードネームの男と取引をする。取引内容は、サアドからサンプルをうけとり民間の研究機関に届けるだけだ。そして、無事成功すれば、そのサンプルについての独占取材ができるというものだった。
コーヒーの苦味が口の中に広がり鼻腔に広がる。ナツコはゆっくり目を閉じた。
(今回も、そうとう危険な香りがするけど……。私も懲りない女よね)
◆
ナツコが帰国したのは今から一週間前だった。ジャーナリストとして中東の紛争地域での取材中、相棒がひどい怪我をしてやむなく帰国したのだ。
久々に身の安全を心配せずふかふかのベッドで睡眠をむさぼっていると、突然部屋中がビリビリと震動しはじめ目が覚めた。
「ヘリ?」
素早くベットから身体を転げ、裸のまま床に伏せると分厚いカーテンをチラリとめくる。
南向きのバルコニーからは、真っ青な空と海が見えるだけだ。しかし、震動は徐々に大きくなってくる。そっと窓のカギに手を伸ばし、少しだけ開いてみる。
「上?」
空を見上げると、オレンジ色の火の玉が軌跡をつけて落下していくのが見える。
「航空機事故?」
そして、徐々に高度を落とし、ついには海上に着水し、ものすごい水煙があがった。
ナツコは、カバンから双眼鏡と、スマートフォンを取り出すと飛来方向と位置を確かめてみる。そして、パソコンで航空機事故、アメリカ航空宇宙局での飛来物、人工衛星落下情報などをつぶさに調べてみたが、それらしき情報はみつからない。
「そんな……バカな」
ニュースサイトには、『突然、火の玉が東京上空に現れて西へ?』というタイトルがついている。
(突然? そんなわけがない……)
ナツコは、首をひねると頭を抱えた。
(そうだ!)
今度は、SNSや動画サイトに掲載されている火の玉に関する情報を探してみる事にした。すると様々な動画が掲載されている。
「一番最初の動画は、東京の十時十五分。今は、十時十八分だから、三分で三河湾沖に着水?」
(マッハ5以上? 民間機や軍用機もありえない。ミサイルの誤射? でもミサイルなら火の玉にして飛んだら目立って仕方がない……事故?)
ナツコは、小さくため息をつくと、首にぶら下げているネームタグをとりはずした。そして、そこに仕込んであるUSBメモリトークンをパソコンに刺す。すぐに、同業向けのクローズドネットにログインがされる。
このサイトは様々な情報屋とよばれる連中が自分のネタを売り込むサイトなのだが、かなりうさんくさいものもある。とはいえ、情報量は相当なもので、今回の火の玉についてもいくつかの書き込みが見つかった。
ほとんどが、ナツコが既に調べ上げた事柄ばかりで役に立ちそうに無い。
(うん? これは?)
「火の玉は隠れ蓑にすぎない……サアド」
ナツコは、さっそく、サアドにチャットの申請をしてみた。すると瞬時にログインパスが発行される。
<ナツコ:**入室しました**>
<サアド:東京上空の飛来物についての情報の件でいいか?>
<ナツコ:そうです。何か情報があるの?>
<サアド:今回の飛来物は、見た目は隕石のようだが、どうやらそうではなさそうだ>
<ナツコ:そうではない?>
<サアド:アメリカ航空宇宙局の特別チームが現地にはいっている>
<ナツコ:それは珍しいことじゃないでしょ、調査のためだとおもうけれど>
<サアド:海兵隊も動いている>
<ナツコ:軍隊?>
<サアド:飛攻経路の分析データから、計画的に東京上空に出現していたことが判明している>
<ナツコ:計画的?>
<サアド:しかも、現れる前には、軌道上のどの衛星もその飛攻物体の存在を確認することができていない。おそらく特別な光学迷彩技術があるのだろう>
<ナツコ:ところで、あなたは、なぜ私にこの話を公開したの? お金?>
<サアド:いや、こちらはまもなくその隕石のサンプルを入手する>
<ナツコ:サンプルですって?>
<サアド:そうだ。ただ、こちらは入手後、公に研究機関に渡す事ができない。そこで、キミにそれをたのみたいのだ>
<ナツコ:つまり、運び屋ってこと? で、あなたは私になにか情報をくれるの?>
<サアド:そうだ。こちらが提供した情報は情報源を明かさないと約束するのであれば、独占的に情報を公開してかまわない>
<ナツコ:わかったわ。で、そのサンプルの手渡しはいつ?>
<サアド:一週間後の十二月二十四日の午前十時に、受け渡し方法は後日連絡する。ファイルは転送した>
<SYS:サアド=>ナツコ**ファイルを受信格納済み**>
<ナツコ:受け取ったわ。閲覧はこのサーバー内でしかしないから>
<サアド:では、また今度>
<サアド:**退出しました**>
ナツコは、サーバー内の自分専用フォルダに格納されたデータを見てみた。
アメリカ航空宇宙局のメンバーと思える3名の顔写真とスケジュールが掲載されている。さらに、海兵隊が三河湾沖の調査に向かうことを傍受した音声ファイルがついていた。
「軍が動く? この情報が確かなら、単なる隕石ではなさそうね」
USBメモリトークンを引き抜くとパソコンを閉じた。
「ともかく、一週間の間に準備をしておこう……」
◆
時計は、まだ午後十時半。閉園の午後十一時までは三十分ある。
手に持った園内案内図には、昼間の内に調べた監視カメラの位置、そしてスタッフ用の通路等を書き込んである。あとは取引場所の公園地下にある巨大な駐車場に仕掛けを取り付けるだけだ。
ちょうど三杯目のコーヒーを飲み終えると、ナツコの足元に真新しいサッカーボールが転がってきた。驚いてそのボールをつかみ周りを見渡すと、白い息を弾ませた男の子とが慌てた様子でこちらにやってきた。
「すいません」
丁寧にペコリと頭をさげる。ナツコは、微笑みながらボールを手渡すと男の子は大事そうにそれを抱えニッコリ微笑んだ。
「ありがとう」
大方、クリスマスプレゼントに親から買ってもらったのだろう。少年の後ろ姿を見送っていると、急に目頭が熱くなり思わず目から涙がこぼれてしまった。
実は、日本に帰国するのは父の葬儀以来だった。
ナツコの父は、紛争地域での医師ボランティアをしていた。幼い頃から父の活躍を誇らしく思っていたナツコは、いずれ父と同じようになりたいと強く願った。しかし、医療従事者としての資質を持ち合わせていないということを学校の成績が思い知らせてくれたのだ。
そこで、紛争地域での無益な争いを世界に配信するジャーナリストとしての道を選ぶことにしたのだが、危険な仕事であることは否定できない。当然、親は猛反対。しかし、ニュース雑誌に掲載されていた劣悪な環境下でも元気に微笑む子供達の写真を見るたびに「この子達を守るには世界に今の出来事をしらせなければ」と強く感じ、家を飛び出した。そして、もう日本には戻るまいと決心をしたのだ。
先日の事故。もっと早く声をかけていれば、あの子も、相棒も傷つかなくてよかったかもしれない。
(どうしてもっと早く気がついて行動できなかったんだろう……)
ナツコは、あの時の事を思い出すたびに、拳をギュッと握り締める。
「やめよう。ナツコ。それは何度も確認して納得したじゃない。あれがあのときできるベストだったのよ! あなたが悪いわけじゃない」
大きく息を吐くと、頭を抱えて呟いた。
その日は、紺碧の空が広がるすばらしくいい天気だった。激戦地区からはだいぶ離れた小さな村で、村の子供達にインタビューをしながら、その笑顔をカメラに収めていた。どんなに貧しくても、劣悪な環境であっても、自分たちが生まれ育った村には愛着があるものだ。そこには人々の暮らしがあり、元気一杯の子供達の笑顔も当然ある。
ナツコもそんな子供達の笑顔を見るのがうれしくて、しばし幸せなひとときを味わうことができた。積極的に子供達と遊ぶと、すぐに仲良しになれる。その日も、屑篭に捨ててあった紙屑を丸め、テープで巻いただけの粗末なサッカーボールを大事そうに抱えた少年にインタビューをしていた。彼のドリブルは村一番で、そのうちどこかのチームに入って活躍するんだと元気に語ってくれた。そして華麗なリフティングをみんなの前で披露すると、子供たちから歓声が沸きあがる。
そして、インタビューもスムーズに終わり機材を片付けているときだった。ふと、遠くでタイヤが軋む音が聞こえ、ナツコのショートヘアが風で揺れた。
(うん? この匂い……火薬?)
次の瞬間、猛スピードで武装した赤いピックアップトラックが広場に滑り込んできた。
「早く! 建物に入って!」
ナツコは、子供達に指示をして建物の中に隠れるように声を張り上げた。そして自分も慌てて建物の中に滑り込んで外の様子を伺った。子供達も、蜘蛛の子を散らすように建物の中に駆け込んでいる。
赤いピックアップトラックは、村の広場の真ん中で止まった。そして中から武装した厳つい兵士3人が、奇声をあげながら降りてきた。そして、なにやら大声で叫びながら、チラシらしきモノを辺りに撒き散らした。
そして空に向かって銃を乱射させるとゲラゲラ笑いながらトラックに飛び乗る。
ナツコは、相棒に指示して、その様子を写真におさめ、自分もその有様をボイスレコーダーに吹き込みはじめた。
その時だった。別のところから一発の銃声が聞こえ、騒いでいた兵士の一人の腕から血が噴出した。
(だれかが狙撃?)
残りの2人は、慌てて傷ついた兵士をトラックに押し込めると急発進し、広場をグルグルと回り始めた。
(うん? おかしい。この騒ぎなら、すぐに治安部隊がやってくるはずなのに、どうしてあの連中は逃げないの?)
ナツコは、首をかしげながら、バックから双眼鏡を取り出しトラックをチェックして驚いた。
「え!」
なんと、トラックには人影がない。さっきの連中は、トラックに乗り込む振りだけして抜け出し遠隔操作をしている?
突然、ザワザワと治安部隊が到着し、それぞれが持ち場に散らばった。指揮官らしき男がスピーカーでトラックに呼びかけているが、トラックは当然のことながら止まる気配はない。
一人の兵士が、対戦車ロケット弾RPG7を構えトラックに狙いを定めた。
「あ、コレはトラップ! 車爆弾じゃ?」
ナツコがそう呟いたのと同時にRPG7が轟音をたてて白い煙をあげた。弾頭が赤いトラックに突き刺ささっていく。
次の瞬間、眩い光と轟音そして、身体がフワっと浮いたかとおもうと目の前が真っ白になった。
耳鳴りが止まない。
目の前は真っ暗で、口の中は血の味がした。
口の中から血を吐き出すと、ゆっくり呼吸をしてみる。
(大丈夫。息はできる。手足もなんとか動く)
ゆっくり、辺りを見回すと、頭上のほうから光が差し込んでいる。仰向けのまま身体をよじり、暗闇からなんとか抜け出した。どうやら自分が身を隠していたコンクリートの壁ごと反対側の壁まで吹き飛ばされたらしい。幸い、吹き飛ばされた壁がもう一方の壁に寄りかかるようにして止まってくれたため壁の間で潰されずにすんだ。
「相棒、生きてる?」
ナツコが叫ぶと、粉塵の中から、かすかに声が聞こえてくる。
「あぁ、だが、血がとまらない」
声をするほうに身体を向けて、四つんばいで進むと相棒が血だらけで倒れていた。ナツコはウエストポーチから止血包帯を取り出すと慣れた手つきで手当てした。
しかし、それでも染み出す相棒の温かな血液の感触が忘れられない。
(遠隔操作に気付いたときに、もっと安全な場所に移動すべきだった。ゴメンね、相棒)
相棒をそっと引っ張り出し、広場に出てみるとそこは酷い有様だった。
大地はえぐりとられ、周辺の建物の外壁はボロボロになっている。ついさっきまで子供達があそんでいた広場は、見るも無惨な有様だ。
あちらこちらから、子供たちの泣き叫ぶ声、大人の嘆き悲しむ声が耳に入ってきた。おもわず、声のするほうを見つめ、ナツコは息を呑んだ。
(あの子のサッカーボール? え?)
大事に抱えていたサッカーボールは、グシャリと潰れて転がっていた。
ナツコは、その先に視線を移す。そして、少年の変わり果てた姿をみつけた。
「な、なんで! あの子が何をしたというのよ!」
ナツコは、その少年に近づくと小さな身体を抱き締め大声で泣き叫んだ。
◆
「お客さん? まもなく閉園ですよ」
突然の声にナツコは、顔を上げた。そして反射的に、声の主の腕を掴むと素早く締め上げた。
「うぎゃ……」
制服の若い警備員は、何も抵抗する事ができずに悲鳴をあげる。ナツコは、ハッと我に返り、慌てて腕を放すと頭を下げた。
「ごめんなさい。護身術を勉強しているところで、つい反射的に……」
警備員は、驚いた様子で腕を擦りながらナツコにうなずくと出入口ゲートを指差した。
ナツコは会釈すると、足早に公園を横切る。そして監視カメラのとどかないエリアでコートを裏返す。コートの裏側は、グレータイガーストライプ迷彩柄になっている。
ナツコは、茂みの中に身を隠すと辺りが静まり返るのをジッと待った。
数分後、オレンジ色の明るい照明が消え、辺りはポツポツと青と緑の街灯だけになる。ナツコは、バックから暗視ゴーグルを取り出し装着するとゆっくりと公園の中を歩く。このゴーグルのおかげで監視カメラ用の赤外線ライトの場所も確認することができる。ゆっくり慎重に、公園地下にある駐車場をめざした。
「黒森・公園地区(緑の風)の地下駐車場はコチラ……か」
ナツコは、案内板を確認すると、待合場所であるB地区四五三区域を目指した。巨大施設には巨大な駐車場が必要で、ここ黒森も地下五階までの広大な駐車場が公園の下に隠されている。
ナツコは、カバンから小さな無線モバイルカメラを取り出すと、駐車場入り口から地下四階までの要所要所にセットしていく。ともかくこちらが先に情報を得て有利に事を運ばなくてはならない。カメラをすべて設置すると、すべてネットに接続し記録をさせるように設定をした。
(これで良し。後は、相手の出方次第……)
十二月二十四日午前三時。
すべては順調。暗視ゴーグルを外すと駐車場の隅の冷たい床にゴロリと横になり、目を閉じた。
真っ暗な暗闇の中で、ボイラーが作動する音が聞こえる。そしてかすかな振動が伝わってきた。
ナツコは微動だにせず、ジッと待ち続けた。
突然、無線カメラのランプが順に光り、駐車場ゲートに車両がはいってきたことを知らせた。そっとカメラの映像を腕につけたモニターで確認してみると、黒いバンが通過したようだ。バンの横には新聞配送業者のロゴがついている。
「新聞?」
そのバンは、地下三階で止まるとヘッドライトを消した。無線カメラの赤外線ライトで照らされたその車体からは、三人の男が降りてきた。いずれも体格がよく、到底新聞配達員とは思えない。すばやく三人は、長めのレインコートを着たまま歩いて地下四階へ降りていった。
ナツコは、モニターを消すと耳を済ませた。
コツコツコツと歩く音が聞こえるが、コチラにはやってこない。やがてその音がピタリと止んだ。ナツコは、暗視ゴーグルをサーマルモードに切り替えそっと駐車場を見渡した。すると丁度待ち合わせをする場所を中心に三人が等間隔で持ち場についているのがわかった。
十二月二十四日午前七時。
駐車場がにわかに賑やかになってきた。おそらく商業地区のスタッフ連中が出勤してきたのだろう。ナツコは再び腕ににつけたネットワークカメラのモニターを確認しながら、携帯食料を口にほおばった。
再びモニターで確認するかぎり例の怪しげなバンに動きは無い。
続々と車が駐車場に入ってくる。ナツコが陣取っていた近くにも車両が止められた。
サッとコートを裏返すと、あたかもその車から丁度降りたかのような振りをして、駐車場を歩いた。そして、例の3人がいると思われる場所がみえる位置へやってくると、ワザとカバンを床に落とした。
バン!
駐車場に大きな音が響く。ビクっとボロ布の山が動いたのが見える。ナツコは、ニヤリと笑うとショッピングモールへあがるエレベータに乗り込んだ。
十二月二十四日午前九時。
待ち合わせの時間まであと一時間。ナツコは、女子トイレにはいると濃い目の化粧をし、ショッピングモールで買ったばかりのすこし派手目のセーターに白いパンツを履いた。もちろんセーターの下には薄手の防弾防刃ベスト「スターガード」を身に着けている。
そして、地下4階の駐車場に向かった。
十二月二十四日午前十時。
約束の時間。ナツコは、B地区四五三区域に立っていた。すると、一台のシルバーのアウディA6が、ヘッドライトをパッシングさせてナツコに近づいてきた。そして、近くの開いているスペースに車を止めた。ナツコが、ゆっくりそのアウディに近づくと、スモークウィンドウがスッと開き、中から髭づらの男が顔を出した。
「ナツコ?」
「サアド?」
「そう、私は、サアド。サンプルを持ってきた。話をしたい」
男は、辺りを気にしながら、透明なアクリルキューブで覆われた緑色の物体をチラリとみせ、車に乗り込めと手振りをする。
ナツコが扉に手をかけ、シートをみると、一枚のメモがあるのに気がついた。
――この車両は見張られ盗聴されている。乗り込むようにみせかけて、サンプルだけ受け取ったらすぐに身を隠せ――
ナツコは、ニヤリとするとそのメモを無視してその上に乗り込んだ。
男は、眉間にシワを寄せ、絶望的な顔をする。
「サンプルを受け取るわ。あと若干話をしてくれるんでしょ?」
「あ、ああ……」
額の汗を手で拭いながら男は、ハンドルを握った。
「海底に突き刺さった隕石を探し出すのは容易じゃなかったが、軍の衛星が隕石を補足していて場所を特定してくれたんだ」
「あなたは、航空宇宙局の人?」
「悪いが、俺の身分は明かせない。ただ、研究者としてこの回収プロジェクトに参加している」
ナツコは男の顔を見つめる。
男はチラリとナツコを見ると目を閉じた。
「この物体は、ダイラタント流体のように、固体であり液体なのだ。しかも大気圏の摩擦熱には自らを硬化してほとんど損傷していない」
「ダイラタントって?」
「ああ、普通はスライム状なんだが、無理に動かそうとすると硬化する。おまけに人間に対してまるで磁石のように張り付こうとする」
「張り付く?」
「防護服に張り付いて大変だった……さぁ、もういいだろう。早くサンプルを研究機関で分析してもらってくれ。くれぐれも隔離した場所でな」
ナツコは、十センチメートル四方のアクリルキューブに閉じ込められた緑色の物体を見つめた。わずかにうごめきナツコの指の向ってまるで砂鉄のようにまとわりついてくる。
「ねぇ、どうして、私に、これを渡すの?」
「それは、あのネットで一番最初に俺にアクセスしてきたからさ。それと、あんたのプロフィールを読んであんたに興味をもったのさ。それだけだ」
男はそれだけ言うと、車から降りようとしてドア開けた。
バシュ
いきなり男のコメカミから真っ赤な血しぶきがフロントガラスに飛び散った。そして、男はゆっくりとナツコのほうへ倒れこんできた。
ナツコは、男を支えながら、一緒に姿勢を低くし、男を足元へ転がせた。
(なんで、日本で、こんなことがおこるのよ)
運転手側のドアがバンと締まり、ガタ・ガタ・ガタと車のドアがロックされる。
ナツコは、念のためドアレバーに手をかけたが、ドアは開かない。
(うそ? やっぱりトラップ?)
「ちっ」
ナツコは、シートのヘッドレストを引き抜くと、一方の足をサイドガラスの間に押し込んだ。そして、手前に強く引くと、サイドガラスがミシミシと音がする。
バン……
サイドガラスが割れた。ナツコは男の上に背中を乗せると足でガラスを蹴り飛ばした。すると、フロントガラスにレーザーサイトの三つの赤いポイントつがゆらゆらと動いているのが見える。
ナツコはサンプルのアクリルキューブを窓から外に投げ出した。そして、自分も腹ばいになり、シートに膝をつくと、男を踏み台にし、窓を目掛けて飛び出した。
バシュ……
飛び出した瞬間、背中に鈍痛が走ったがナツコはかまわずサンプルのアクリルキューブに飛びついた。
バシュ……
目の前のコンクリートの車止めが砕け散る。相変わらずチラチラとレーザーサイトの赤い光が泳ぐ。
ナツコは、キューブを左手で掴むと身体を回転させて、厳ついランドローバーの影に隠れた。そっと背中に手をやるが血は出ていない。
(スターガードをつけててよかったわ。日本でこんな事に巻き込まれるなんて……。まぁ、こんなのは、いつもの事だけど)
ナツコは、ジッと冷たいコンクリートに伏せながら、考えをめぐらせた。
(そう、ここは日本。私はひとりじゃない)
ナツコは、アクリルキューブを確かめると駐車場の奥へ向かって投げつけた。
コツン……カラン、カラン
キューブが、コンクリートの床で跳ねると、三方向からキューブが狙撃されたのだろう。キューブがあちこちに飛び上がっていた。ナツコは、その間に消火栓のある火災報知機までダッシュするとボタンを押し込んだ。
ジリリリリリ……
すぐさま複数の足音が聞こえ、警備スタッフがぞろぞろと出て来るのがわかった。そして、血だらけのアウディA6の周りは、人だかりで一杯になっている。
ナツコは、息を潜めて、腕のモニターを見つめてみた。例の地下三階のバンに三人の影が乗り込み急発進していったのが確認できる。そして入れ替わりに警察車両や救急車がサイレンをつけながら地下駐車場に入ってくる。
(ともかく、サンプルを回収してここからでないと……)
ナツコは、例のアクリルキューブを回収しようと、ゆっくり駐車場の奥に向かった。
(つづく)
第四話(1)
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
初稿20150125
第四話(1)
「ただいま……」
俺が、バイトを終えて家にもどってみると、例によって冷蔵庫の前にホタルが座り込んでいた。
「おい! ホタル、また食い散らかしてるのかよ?」
呆れて叫ぶと、ホタルはキッと振り向いた。
「あ、カオル! 今晩、名古屋に行くからね!」
「はぁ? 今晩? 名古屋?……なんだそれ」
俺も負けずに叫んだ。するとホタルは、ため息を一つつき、俺を指差した。
「なんでって、この間の火の玉を調べるに決まってるでしょ」
「火の玉? ああ、先週の隕石落下騒ぎ?」
「そうよ!」
「でも、アレがお前のミッションと関係があるって証拠でもあるのかよ?」
俺がホタルに疑いの眼差しを向けると、突然、部屋の奥から声がした。
「たぶん……まちがいない」
「へ?」
俺は、おもわず飛び上がって声のする方を見た。
暗いベッドの上に小柄なメガネをかけた少女が座っているのが見える。
「だ、誰だ?」
思わず近づいてみると、その姿に心臓が止まりそうになった。
「ア……アケミ? アケミなのか?」
「えへへ、カオル君、お久しぶりっていうことになるのかな?」
小柄で黒髪に三つ編み。黒目がちな大きな目に小さな口。そしてメガネを動かす仕草……忘れていた脳の回路がピキピキと繋がるのが自分でもわかった。
「あ、ありえない! この場所も知らないはずだし……」
少女は、ベットの上を四つんばいになって移動し俺に近づいた。
「うふふ、じゃ、私はだぁれ?」
「そんな、バカな……」
俺のことを見つめるアケミに、俺はゴクリと唾を飲み込み、おもわず後ずさりした。
アケミとは、幼稚園、小学校、中学校まで一緒……まぁ幼馴染というやつだ。だが、中学卒業後、親の海外赴任に伴って一緒に海外に移住してしまった。それ以後、一切連絡がとれなくなってしまった。
俺は、久々に出会えたアケミをジッと見つめた。
(三つ編みに、セーラー服……懐かしい……いや、待て待て。どうしていまだにセーラー服姿なんだ?)
俺は、ホタルに視線を移すと、ホタルが笑いを堪えているのが見える。
「ホタル! お前の仕業だろ!」
キッと睨みつけると、ホタルは慌てて俺から視線をそらし、頭を横に振っている。
ギシ……
背後でベットが軋む音が聞こえた。
反射的に振り向くと、アケミが俺に向かって両手を広げ、ダイブしてくるのが見えた。
「うぉ!」
俺はアケミを受け止めたが、そのままアケミと一緒に床に倒れこんでしまった。アケミは、俺に馬乗りになり嬉しそうに微笑えんでいる。
「カオル君。お願い。いっしょに名古屋に行ってよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
アケミは、俺の胸に自分の頭を置くと上目使いで覗き込んできた。三つ編みがパサリと揺れる。アケミの顔がすぐ俺の顔の前にきた。
「ちょいまち! お前もR5とかいうアンドロイドなんだろう?」
「R5? アンドロイド? 何それ、アケミわかんない」
アケミは、ワザとらしくセリフの棒読みのようなしゃべり方をする。
俺はアケミを押しのけ、ホタルに向かって叫んだ。
「ホタル、一体これはどういうことなんだよ」
「どうって、それは、アケミから説明してもらえば……私、いま忙しいから!」
「忙しい? って、おまえ、ずっと豆腐を食べているだけじゃないか! だいたい豆腐ばかり食ってどうするんだよ」
俺は、無性に腹が立って大声で叫んだ。するとアケミが、俺の肩をポンと叩いてクスクス笑い出した。
「あのね、R5って流体アンドロイドはね、たんぱく質を主成分として構成されているの。この惑星には、動物性のものと植物性のものがあるみたいだけど、R5には植物性のほうがいいみたい」
「たんぱく質?」
「そう、たとえばお豆腐とかね」
俺はホタルを睨みつけると大きな声で叫んだ。
「ああ、それで、豆腐をガツガツと食いまくっているわけだ……でも、豆乳、納豆、ご飯、小麦粉……にだって……」
俺が喋り終わる前に、いきなり、唇に柔らかく冷たいものが当たった。アケミが俺の首に腕を回してキスをしてきたのだ。
「うぐぐ……」
アケミの左手は、俺の後頭部をしっかり掴み、右手は俺のアゴを下に押し下げている。そして、アケミの舌が俺の口のなかに入り込んできた。
俺は、慌ててアケミの両肩をつかむと、やっとのことで身体を引き離した。
「ぷはぁ、何するんだよ!」
アケミは、とろんとした目で俺を見つめるとつぶやいた。
「カオル君ってキスって苦手? まぁ、でもちゃんとコアは、いただいたけど」
「コア?……それって俺のDNAに埋め込んだアレ?」
「そう……ソレ」
「それって血液から取るんだろう?」
「まぁ、本当は血液が確実なんだけどね。頬の粘膜からも、若干、採取可能らしい」
「はぁ?」
「実は、ホタルちゃんが、こっちのほうがカオル君が喜ぶって言ってたから、大サービスしてみたんだけど……」
そうつぶやくと、俺の胸に頬を寄せて抱きついてきた。俺が慌てて身体を引くと、アケミは俺の顔を見上げながら自分の身体を預けてきた。
「カオル君。ずっと一緒にいてよ……」
「え?」
俺は、その言葉を聞いた瞬間、脳内の古い記憶が、凄まじい勢いで呼び戻されたのを感じた。
(一緒に……あの時も、そう話していたっけ……)
中学の卒業式。
講堂での退屈な卒業式典も終わり、教室で卒業表彰状が手渡され、みんな笑顔で学校を後にしていた。俺はみんなが巣立った教室で、黙々と一人、荷物の片付けに悪戦苦闘していた。
「ちょっとぉ、カオル君……まだ帰らないの?」
「なんだ、アケミか……持ち帰る荷物が片付かないんだよ」
「オモチャとかエッチな本とかいっぱい学校に持ってくるからでしょ! 小学校の頃から、変わらないなぁ」
「うるさいなぁ……俺の青春の一コマをお前にとやかく言われる筋合いはない!」
「こんなの捨てちゃいなさいよ」
「さ、さわるな! 捨てるかどうかは俺が決める!」
「まったく……」
アケミは呆れ顔で窓際の机に座ると、頬杖をついて俺のことを見上げている。
「うん? アケミ、なに、俺のこと待っててくれるわけ?」
「まぁね。だって、学校から一緒に帰るのもこれで最後になるしね」
「ああ、そうだったな。アケミは海外の学校行くんだよな。金髪のイケメンに囲まれるんだろ?」
懸命にカバンに本を詰め込みながら、アケミを見つめてニヤリとした。
「うふふ……あっちには、従姉妹もいるし……今までにも何度か遊びに行って、カッコいい友達もできたしね」
アケミは、自慢の三つ編みを指でくるくる回しながら自分の髪を見つめていた。
「よし、おしまい! アケミ、帰ろうぜ!」
俺は、大方の荷物をゴミ箱に放り込むと、アケミと二人、昼下がりの教室を出た。
俺の通っていた中学は坂の下にあり、登校するときは下り坂で楽なのだが、帰りは長い坂を登らなくてはならず、いつもゲンナリしていたものだった。
「この坂ともお別れだな……」
「そうだね、お別れだね……」
少し寂しそうにアケミがつぶやいた。この坂道の桜並木は有名で、丁度、満開の桜が咲き誇っていた。
「桜か……」
「桜だね……」
いつもなら、アケミがペラペラと話しかけてくるのに、今日はなぜか俺のオウム返し。チラリと彼女を見つめるとなにやら思いつめた表情で歩いている。
俺は、堪えきれずにアケミに話しかけた。
「海外かぁ……まぁ、そのうち、遊びに行くよ。そんときは、金髪の可愛いい女の子を紹介してくれよな!」
冗談半分におどけてみせたが、アケミは、黙って歩いている。いつもなら「バカじゃないの」と睨みつけられるところだ。
「なんなんだよ。俺が遊びにいっちゃいけないのかよ!」
畳み掛けるように話すと、突然、アケミは足を止めた。そして、俺に背中を向けると、鞄を地面に下ろし、自慢の三つ編みを解き始めた。
「え? アケミ? どうした?」
三つ編みを解いたアケミの髪の毛は軽くウェーブがかかり、桜の木洩れ日にキラキラと輝いていた。
そしてクルリと振り向くと、顔を真っ赤にして俺をジッと見つめた。
「あのね……カオル君、私ね……私……」
そこまで話すと、いきなり目にいっぱい涙が溜まっていくのが見えた。そして、言葉を詰まらせて目を伏せた。
「な、なに? どうした?」
アケミの閉じた目から涙がポロポロと頬をつたって落ちていく。俺は何が起こったのかわからず、ただ呆然とその姿を見つめることしか出来なかった。
アケミは空を見上げ、大きく息を吐いた。
「ごめん……ね。ちょっと、ここんところ、私、おかしいんだ……」
アケミはやっとのことで笑顔を見せると俺を見つめた。
「そういえば、お前、小学校の卒業式の時も大泣きしてなかったか?」
俺が思い出したように話しかけると、アケミは、驚いたように俺の顔を見あげた。
「カオル君……覚えてたんだ……」
「当然だろ、確か担任の先生と別れるのが寂しいとかで、朝からずっとシクシク泣きっぱなしだったよな……」
「うん……」
(あの時、なんとかアケミを励まそうと懸命に考えていたんじゃなかったか……ああ、そうだ! 思い出した)
「『アケミが俺のことを飽きるまでずっとずっと一緒にいて笑わせてやるから、心配するなよ』って慰めたんじゃなかったっけ?」
俺の言葉を聞いたアケミは、拳をギュっと握り締め、肩を大きく震わせると堪えきれずに泣き出してしまった。
「おいおい、泣くなよ」
「ゴメン、カオル君……でも、あの時、すごく嬉しかったんだよ」
「へ?」
突然、アケミは、俺の腕をつかむと大きな声で叫んだ。
「カオル君、大好き……。だから、ずっと一緒にいてよ……」
(大好き?……ってどういうことなんだろう)
俺にとって、アケミは、大事な友達だ。いつもそばで一緒に笑い、一緒に喜び、一緒に悲しんでくれる存在、それがアケミだ。そこには、好きとか嫌いとかという感覚はなく、いつも一緒にいるのが当たり前と思っていた。それなのに、彼女は、俺の事を『大好きだ』と告白してきた。
(俺は、俺自身、アケミの事、どう思っているんだ?)
そう考えた瞬間、急に心臓の鼓動が早くなり額から汗が噴出してきた。
(なんだよ、この気持ち……)
俺は、胸の奥がギュっとつかまれた感覚で苦しくなった。そして、ポロポロと涙をこぼすアケミを見つめたまま固まってしまった。
突然、アケミは地面の鞄を拾い上げると、俺から逃げるように、坂道を駆け上がり始めた。俺は、反射的に自分の荷物を放り投げ、アケミを追いかけアケミの身体を背中からギュっと抱きしめた。
サラサラの髪の毛が俺の頬に触れ、小刻みに震える彼女の鼓動が俺の胸に響いた。
その時、はっきりアケミに対する俺の気持ちは決まった。
(アケミ……俺もお前が大好きだよ……)
心の中でそう念じ、アケミの頭を引き寄せた。
でも、口から出てきた言葉はこうだった。
「いつまでも子供みたいに駄々こねるなよ。だいたい、俺がこの世からいなくなるわけじゃないし、海外にいたって電話で普通に話せるじゃないか……なんてことないさ」
「わかってる……自分でもそんな事は、わかってるよ。でも、私もなんだかよくわからないけど、カオル君に会えないと思うと……なんだか切なくて……」
俺は、ため息をつき、抱きしめている腕の力を抜いた。
「お願い……もうちょっとこのままでいて……」
アケミは、クルリと振り返ると俺の制服をギュっと握りしめ、もう堪えるのをやめ、子どのように大声を出して泣き出してしまった。俺は、子供をあやすように、そっとアケミの頭を撫でてやった。
しばらくすると、アケミも落ち着いたのか、ゆっくりと俺をつかむ手を放した。
「ごめん……カオル君。そうだよね。私も大人にならなくちゃ……ね」
そういうと、いつもの笑顔を俺にみせてくれた。
俺達は、長い坂道を二人並んでゆっくり歩いた。そして、幼稚園、小学校、中学での珍事件の数々を思い出してはゲラゲラ笑った。
アケミの家の前までやってくると、アケミはニッコリ微笑んだ。
「カオル君……いままでお世話になりました。なんかすっごく元気出てきたよ」
「なんだよ、たまには連絡してこいよな」
「うん……じゃね」
そう言うと、アケミはいつものように手を振り、玄関の扉の向こうへ消えた。
俺が彼女の姿を見たのは、これが最後だった。
彼女は、翌朝には出立してしまい、以後一切連絡が取れなくなってしまった。
(なんであの時、俺は「海外なんかに行くな。俺と一緒にいてくれよ」ぐらいのセリフが言えなかったのかなぁ……)
目の前のアケミは、本物ではないことはわかっている。だが、なんだか、とても愛おしく思えて、微笑んでしまった。
「カオル君……大好き!」
「アケミ……」
俺達はお互いにジッと見つめ合った。
「ちょっとあんた達! いい加減にしなさいよ」
いきなり豆腐のパッケージが俺の頭に突き刺さった。
「イタっ!」
ホタルが、こちらを凄い剣幕で睨んでいる。
「ちょっと、アケミ。あんたもやりすぎよ! これ食べ終わったら行動開始! いいわね!」
「はぁい、ホタルちゃんは、怖いんだから」
アケミは、俺の頬にチュっとキスをすると部屋に散乱している豆腐の空きパッケージを片付け始めた。
「なぁ、ホタル、なんでアケミを作ったんだ?」
俺は、そっとホタルの肩を叩いた。
「バックアップよ!」
「バックアップ? そう、なんでも必ずバックアップは必要なの」
「だって、コアは俺の体内で製造してるんだろう?」
「R5の素材を増殖させて、コアを埋め込んでいくのよ」
「増殖? でもそれなら、わざわざアケミにしなくてもいいだろう」
ホタルは、ニタっと笑うと俺を指差した。
「いい? これは遊びじゃないのよ。あなたのパワーも必要なの!」
「パワー?」
「そう、あなたと出会ってから、あなたのことを細部に渡って分析してみたの。結果、あなたは、自分をいつも抑えている。女の子に対しては、特にね。だけど、本当は頭の中は女の子の事でいっぱい……」
「バ、バカか……そ、そんな事はない!」
俺が即答すると、ホタルは俺を指差しニヤリと笑った。
「じゃ、どうして、アケミの告白の時、自分の気持ちを話せなかったの? サヤカの時も、今のバイト先のナナミに対してもそうでしょう! もっと素直になったほうが楽なのに」
「うっ……なんで、サヤカ様とかナナミちゃんの事を……」
「調べはついてるのよ! だから、あなたの頭の中にいる女の子を強制再生することにしたのよ。いいわね! この子を絶対守ってあげてよ」
「守る?」
「まぁ、カオルが男ってところを見せて欲しいってことかな」
ホタルは、そう言うと再び豆腐を食べ始めた。
「事と次第によっては、次はサヤカも作り出すからね!」
「や、やめてくれ……それだけは……」
ホタルは、ニヤリとすると豆腐を食べ始めた。
◆
十二月二十三日午後十一時三十分。
深夜、西新宿の深夜バスターミナルに、女子高生と女子中学生を連れた俺がいた。
俺は分厚いコートを着ているが、ホタルとアケミは制服姿のままでコートすら着ていない。
「なぁ、寒くないのか?」
俺がホタルたちに声をかけると、アケミは嬉しそうに俺のコートをつかんできた。
「カオル君、私ぃ、寒い」
「ほら……」
アケミをコートに入れるとすっかり冷えている。
「カオル! いい加減にしなさいよ」
ホタルが俺の方を軽蔑したように見つめる。
「何が?」
「その子の行動は、あなたが『こうあってほしい』って思っているアケミの姿なんだからね」
「どういうこと?」
「つまり、あなたが望んだことをその子が再現しているってことよ」
「……」
「私が言う事じゃないかもしれないけど、そんなに想いが強いなら、なんとしてでもホンモノを探して会いに行くべきじゃない?」
「探したところで、アケミは俺のことなんか相手にしないさ……」
「はぁ? バカじゃないの……なんでそんなの勝手に決めちゃってるわけ? どうしてカオルはすぐにあきらめちゃうの? 行動おこしてみて嫌な想いをしてでもハッキリさせたほうがいいとは思わないの?……ほんと不思議だよ」
「うるさいっ 余計なお世話だ」
俺は、思わず声を荒げてしまった。なんでもわかった風に話してくるホタルが、少々生意気な妹のユカリの口調にそっくりなのも気にいらない。
「ふんっ」
ホタルは、早足でバスターミナルへ向かって歩き出した。
(そっちが、そうなら、こっちだって……)
俺は、ホタルをそっと追いかけると、背後から俺のコートでホタルを包んだ。
「え……」
ホタルは、驚いて俺の顔を見る。
「ユカリ……寒いだろ?」
「ユ、ユカリ……って」
「ふふ。何、顔赤くしてるんだ?」
「はぁ? してるわけないでしょう……」
そうはいいながらも、ホタルは俺のコートの中にもぐりこんできた。
バスは、すぐに到着した。
数名の乗客と一緒に乗り込むと、アケミが俺の腕を引っ張って小声で話をしてきた。
「名古屋ってカオルの実家があるところだよね」
「まぁ、市内じゃないけどな……」
俺は、二人をチラリと見て話をした。
「ねぇ、ホンモノのユカリにも会える?」
アケミは無邪気に俺に話をしてくるが、俺は答えに詰まってしまった。
「ユカリ? ユカリは、無理……」
「どうして?」
アケミは俺の腕をつかむと顔を寄せてきた。
「うーん、お前がそう言うってことは、俺自身ユカリに会いたいってことなんだろうな……でも……」
俺が言いよどんでいると、ホタルがアケミの頭をポンと叩いた。
「いい? ユカリに会っているヒマはないわよ。ミッションが最優先。いいわね!」
「えー! つまんない……どんな人なのか楽しみなのに……」
「いいから、すこし静かにしなさいよ」
ホタルは、アケミを自分のシートにおいやると、俺の方を見てニッコリ微笑んだ。
しばらくすると、バスが動き始めた。
華やかな駅前を抜け、高速道路に入ると眼下にキラキラと夜景が広がる。俺は、そゆな夜景を見つめながら、久々に帰る実家のある街並みを思い浮かべていた。
名古屋市内から電車で三十分。周囲には田んぼがひろがるのどかなところだ。そういえば、東京に出て間もない頃、母さんから『隣町の大きなショッピングモールが凄いのよ』と電話してきたことがあった。どうやら、ユカリもそちらに移ったとは聞いているが……どんなところなのだろう。
――お兄ちゃん、私、お兄ちゃんに逢いたいな――
俺は、ハッとして車内を見回した。
(コアか……)
ため息をつくと、再びシートに身体を預け、窓の外をながめた。すでに、街の明りも少なくなり、街路灯が一定間隔で俺の顔を照らす。
「ユカリ……」
――お兄ちゃんが悪いんじゃない! ユカリ、ちゃんとわかってる――
そう聞こえた瞬間、俺は長いこと記憶の奥に封印していたあの時のことがあふれ出てきた。
「ユカリ……俺のせいで、あんなことになるなんて……」
ユカリの振り向いた笑顔がなんども脳裏をかすめ、涙が溢れる。懸命に自分を抑えようとしたが涙が止まらない。
「カオル……」
突然ホタルが、そっと俺の背中を抱きしめてくれた。
「ホタル……ごめんな……」
「カオル、ユカリの事すごく大事に思っているんだね」
「そりゃ、俺の自慢の妹だからな……」
バスは、静かに西へ向かって漆黒の闇を走った。
◆
十二月二十四日午前十一時五十五分。
ナツコは、ひび割れたアクリルキューブの残骸を見つけて呆然となった。
例のグリーンの物体が跡形もなく消えていたのだ。
――防護服に張り付いて大変だった……くれぐれも気をつけろ――
(まずいわ……)
ナツコが、注意深く空のキューブを回収すると、背後から大声が聞こえてきた。
「隊長、まだ、息があるようです!」
「何言ってるんだ、即死に決まっているだろうが……なんだこの緑色の物体は……」
(緑色!)
ナツコは、アウディのところまでそっと引き返えすと様子を伺ってみた。
隊長と呼ばれる太った警備員と痩せた若い警備員が、死体を見下ろして話をしているところだった。
「隊長! 確かに腕が動いたんです」
「お前、死体を見たことないのか、死後硬直による痙攣だろう……」
「しかし、隊長、頭から緑色の血が出てます……」
「緑色? とりあえず、現場を封鎖して警察と救急車を呼べ!」
若い警備員はあわてて無線で連絡をとっている。
「公園地下駐車場B地区の四三五地区を立ち入り禁止にしてくれ。殺人事件発生。直ちに封鎖しろ。繰り返す、B地区四三五地区は、立ち入り禁止だ」
ナツコは、そっと死体の様子を双眼鏡で見てみた。確かに緑色の血のようなものが頭の傷口から流れ出ている。いや、流れて出ているのではない。逆に頭の中に吸い込まれているように見える。
「え! どういうこと」
ナツコが声を上げると、若い警備員がナツコに気が付き大声で叫んだ。
「一般の方は、ココから離れて!」
その瞬間、死体がムックリと起き上がったのが見えた。
「う、動いた」
ナツコが指さすと、若い警備員が驚いて死体のほうへ視線を移した。
「うお!」
太った警備員も同時に叫び声をあげた。そして、死体は太った警備員の腕をしっかりつかむと立ち上がった。
「ど、どうなってるんだ。これは……」
太った警備員は、身体をよじり、死体を突き飛ばすと、コンクリートの床を転がった。しかし、再びヨロヨロと立ち上がってくる。
「サアド!」
ナツコは、死体に向かって叫んでみた。
すると、ピクリと反応し、ナツコの方を振り向いた。
「カクリ……カクリ……ハヤク……」
「え? カクリ? 隔離?」
ナツコは聞き返したが、死体の目は虚ろになり、徐々に頭全体が緑色に変色していく。
「サアド!」
ナツコは、再び死体に声をかけてみた。しかし、死体はブルブルと震えだし、両手で自分の首を掻きむしり始め、ゴボっと音がしたかとおもうと、緑色の液が口から吹きだした。
コンクリートの床に吐き出された緑色の物体は、まるで生きているかのように一箇所に集まり、プルプルとうごめいている。
「ひぃ……」
太った警備員が、叫び声をあげるとその緑色の液体は、太った警備員めがけて飛び跳ねた。
「うぁぁぁぁ」
太った警備員は、手で緑の物体を振り落とそうとしたが、スッと制服の繊維から染み込んでいく。
「か、身体が……重い……うぉ」
そのままコンクリートの床に倒れこむとビクビクと痙攣をおこした。
「た、隊長」
若い警備員が、太った男に駆け寄ろうとしているのをみて、ナツコは制止した。
「離れて……」
「あ、あんたは誰だ! た、隊長を助けないと……」
ナツコは、サッと若い警備員の腕を取ると車の影に引きずり込んだ。
「イタタタ……」
「ともかく、悪い予感がするわ。この場に誰も入れないようにして……いいわね」
「わ、わかった」
若い警備員は、無線でセンターを呼び出すと叫んだ。
「異常事態が発生した。パニックにならないように公園来場者を誘導待避させてくれ」
若い警備員は、涙目でナツコを見つめると吐き捨てるように叫んだ。
「これで、いいだろう。腕を放してくれ……」
「ともかく、あの緑色のものには近づかないで……新種のウィルスかもしれない」
ナツコのウソに若い警備員は、驚いた顔をして立ち上がった。そして、腕をさすりながら、現場を振り返り素っ頓狂な声を出した。
「い、いない……あの二人が消えちまった」
「え!」
ナツコも慌てて周りを見回したが確かに二人の姿はない。
「素早く動けるはずがない……」
「ドコに消えたんだ?」
「監視カメラ……あ、そうだ」
ナツコは、駐車場のあちこちに設置したネットワークカメラの映像を確かめてみた。
地下五階、四階、三階……。切り替えてみたが人影は写っていない。
若い警備員も、ナツコの腕のモニターに顔を近づけると画面を食い入るように見つめた。
「そのカメラの位置にも写っていないとすると、スタッフ巡回で使う内部階段かもしれない……」
「それって地上に出れるの?」
「一般通路が封鎖されていてもそこは通れるはず……」
若い警備員は、無線で隊長のカードキーが使われた場所を聞いている。
「なに! 隊長からすべてのドアを開放しろって指示があったって?」
「まずいわ……感染が広がってしまう」
ナツコが呟くと、若い警備員は頭を抱えた。
「隊長に新種のウィルスが付着してる可能性があるようだ。詳細はまだわからない。もう一人全身が緑色に変色している男も感染をしていると思われる。ともかく駐車場から外にださないでくれ……」
若い警備員は、ナツコに赤いトビラを指差すと歩き出した。
「地下一階のゲートは絶対に開けるな……それから、隊長のカードキーを一時無効にしてくれ。あと、地上ので入り口で救護班を待機させてくれ」
「防護服を着てもらったほうがいいわ」
「ああ、救護班は、防護服を着用をしておいてくれ……」
無線を切ると赤い扉の横に自分のカードキーをかざした。
内部階段に入ると、頭上のほうから、カラン、カランと音がする。どうやら、この経路で地上にあがっているのは間違いがないようだ。
ナツコ達は注意深く階段を昇りはじめた。
「ねぇ、ここを隔離することはできないの?」
「隊長のカードキーを無効にしてあるから、隔離は分けないとおもう。ただ、もう一人も一緒に行動しているかどうかが問題だ……」
「一般通路はすべて封鎖したんでしょ?」
「まぁ、確かにそうだが……」
――ドン、ドン――
地下二階まで上がると、突然、棍棒で鉄の扉を叩いているような音が階段室に響きわる。
ナツコがチラリと階段の上を見上げると、二人の影がうごいているのが見えた。
「いたわ! 二人一緒に行動しているみたい」
ナツコが小さい声で話をすると、若い警備員は、防火トビラのロックを外し、重い鉄の扉で階段室を封鎖した。
「これで、この階段エリアに二人は隔離できたはずです。あとは応援を呼びましょう」
――ドン、ドン――
すさまじい音が響く。
若い警備員は、センターからの無線を聞いているようだが、どんどん顔が青ざめていくのがわかる。
「どうしたの?」
「それが、今地上の救護班からの連絡なんですが、地上のトビラが異様に変形してきたというんです」
「鉄の扉でしょ? そんなバカな……」
「とりあえず、地上の扉を確認しなければ……」
「そうね」
ナツコと警備員は、いったん駐車場にでると、荷物用エレベータに乗り込んだ。
(つづく)
第四話(2)
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
初稿20150202
第四話(2)
気がつくと頭がズキズキ痛い……。
(ここは……どこだ? どうしたんだ?)
マブタにオレンジ色の光が透けているのが見える。
(やけに、身体が暑いな……)
肌に焼きつくような暑さを感じ、やがて強烈な土ぼこりの匂いが鼻をつく。やがて、遠くでホイッスルがけたたましく鳴っているのが聞こえ、叫び声が聞こえてきた。
「おぉい、カオル! だいじょうぶか?」
聞き覚えのある声だ。独特のハスキーボイス。
(この声は……高校で一緒だったケンジ……か?)
やがて、バタバタと足音が聞こえ、周囲が騒がしくなる。そして、オレンジ色の光は黒い影で埋め尽くされてしまった。
バシャ……
いきなり、顔面に冷たい水がぶちまかれた。水は、容赦なく鼻の中に入り込み、俺はむせながら思わず叫んだ。
「つめてぇ! な、なにすんだよ」
目を開けると、ケンジがニヤニヤしながらバケツを持って立っているのが見えた。
「お、カオル……大丈夫そうだな。意識もしっかりしているし……ゴールキーパーとクロスプレイで頭から落ちたときは驚いたが……」
(クロスプレイ……?)
俺は、ズキズキする頭に手をやり、そっとさすってみると、いくらか痛みもやわらいだ。いつの間にか、部活の連中も心配そうに俺のことを覗き込んでいる。
(高校の部活か? これは夢か……?)
俺が立ち上がろうとすると、ひょろりと背の高いケンジが手を貸してくれた。
「カオル、今日はもう練習は終わりだし、着替えて帰ろうぜ。そうだ、俺が家まで送ってやろう!」
ケンジは、真っ黒に日焼けした顔と対照的な白い歯をみせながらニヤっと笑う。
「いらん、いらん……少し休んでから帰るから……」
俺がそう話しても、ケンジは俺から離れず、サッカー部のほかの連中がバラバラとロッカールームに消えるのを見届けている。そして、俺の耳元に顔を寄せて囁いた。
「なぁ、カオル。例のDVD、手に入れたぞ……」
「DVD?」
「前に話してた無修正のやつ! ついに手に入れた!」
「ふぅん……」
ケンジは、俺の返事が意外だったのか、ガックリと肩を落とした。
「な、なんだよ、感動薄いなぁ……。もう少しキラキラした目を見せてくれよ」
「無修正?……俺んち、妹いるからそんなの見れねぇし……それに、ちっちゃいころは妹の無修正も見てたし……いまさら」
俺が話していると、ケンジは悔しそうに叫んだ。
「くぅ! カオル! お前うらやましいぞ! うらやましすぎる! あのユカリちゃんの裸を知ってるのはお前だけだぞ! かわいいよなぁ。天使みたいじゃないか! なぁ、俺、紹介してくんない?」
「はぁ? ヤダね」
「なんで!」
「ユカリは、お前みたいなチャラ男は好みじゃないし……」
「チャラ男? おいおい、カオル君、俺はそんなキャラじゃないぜ。まぁ、もっと別の路線をお好みなら、いつでもチェンジできるけどな……」
得意げに話すケンジに俺は呆れた。
「アホか」
「なぁ、紹介してくれよ……お兄さまぁ」
「気持ち悪いなぁ……ああ、無理、無理、ぜってぇ無理!」
「ちぇ……」
俺達は、高校時代のいつものノリでバカ話をしながら、ロッカールームで着替えはじめた。
(まてよ、この夢……前にも見たような……)
俺は、懸命に頭の中の記憶を辿ってみた。
ユニフォームを脱ぎながら、アレコレと考えているうちに、だんだん胸騒ぎがしてきた。
(思い出した! これは、俺の最悪の日だ……まちがいない)
高校二年生の夏休み……部活の朝練でのクロスプレイで頭がクラクラ……いつもより遅めに学校から戻る途中、ばったりユカリに会って……
(ダメだ。 やめてくれ……やめてくれ!)
「あれ、お兄ちゃん?」
突然、ユカリの声が聞こえた。
俺は、驚いて顔をあげると、いつのまにか目の前に制服姿のユカリが立っているではないか。そして、心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「あ、ユ……ユカリ……」
「どうしたの? なんだか、元気ないね」
「べ、別に……お前こそ、どうしたんだ?」
「これから夏期講習会行くとこ……あのさ、お兄ちゃん、なんか久しぶりだね」
「はぁ?」
俺は、ユカリから視線をずらし、自分の足元を見つめた。
「あのさ、最近、私思うんだけど……」
「なに?」
「お兄ちゃん……私のこと、なんか避けてない?」
「避ける?」
「だって、いつも朝早く出かけて、帰ってくるのも遅いし、家で私が話しかけると自分の部屋にこもっちゃうし……」
「まぁ、お前と話す時間があるなら、サッカーか勉強をしたいだけだ……」
俺がボソっとつぶやくと、ユカリは、悲しそうにうつむいた。
「そうなんだ……。なんか、お兄ちゃん変わっちゃったね……」
「あたりまえだろ、俺だって、いつまでも子供みたいに遊んでられないんだよ……」
俺が言いかけると、ユカリは、待ってましたとばかりニヤリと笑いなが話を遮った。
「やっぱり……お兄ちゃんにも彼女ができたんってことなんだ!」
「はぁ? どうしたらそうなるんだよ」
「だって、彼女のことで頭が一杯ってことじゃないの?」
「いねーよ」
「じゃ、まだ子供のままでもいいじゃない!」
「どう考えればそうなるんだよ……お前は……」
(なんだ? 作られた台本どおりのセリフを俺自身の意思とは別に勝手に話して話が進んでいく……)
懸命に別の話をしようとしてみたが、ダメだった。テレビドラマを見ているような感覚でその情景の中に俺がいる。なんとも奇妙な感覚だ。
それでもなんとか、口をパクパクさせていると、急に喉が渇いてきた。
おもわず、サイフを取り出し自動販売機で何か飲み物を買おうとコインを投入した。
(ダメだ。炭酸水は選ぶな……)
必死に抵抗をしたが、身体は勝手に動き、炭酸水のボタンを押す。そして、自動販売機からペットボトルを取り出すと、キャップを開けて一口飲んだ。
冷たい炭酸水がスーッと身体の隅々まで染み入っていく。思わずため息が出てしまう。
「あぁ! お兄ちゃんいいなぁ……」
ユカリは、俺の炭酸水をジッと見つめると手を出してきた。
俺は、慌ててペットボトルを後ろにやると叫んだ。
「これは、俺のだから、やらないぞ」
「え! ちょっとくらいいいじゃない!」
「イヤだね……」
「おねがい、ちょっとだけ、ちょうだい……」
ユカリが悲しそうな顔で見つめてくる。その仕草に俺が気をゆるめたとたん、ユカリは俺のペットボトルをサッと取り上げ、凄い勢いでゴクゴクと飲み始めた。
「おい、何してんだよ」
俺が慌ててペットボトルをとりかえそうとすると、ユカリも必死に抵抗する。
「か、かえせよ……」
そう叫んだ瞬間、ユカリが真っ赤な顔になった。
ふぁ、ふぁっくしょん
いきなり、ユカリは俺に向かってクシャミをぶちかました。当然のことながら、口の中身は俺の顔にぶちまけられた。
「ぷはっ、って、ユカリ! な、何してんだよ」
俺が叫ぶと、ユカリは、ゲホゲホと咳き込みながら俺の顔をみる。
「ごめん……なさい……」
ユカリは、悲しい顔で上目使いで俺に頭をさげている。そんなユカリの仕草がなぜかおかしくておもわずプっと吹き出して笑ってしまった。すると、ユカリもつられて笑い出した。
「慌てて、飲んだら急にグフってなっちゃって……」
そう話しながらクスクス笑うユカリをみていると、久々の笑顔に懐かしさを覚え、幼い頃、ヘマをやって凹んでいるユカリを慰める時にしていたように、ユカリの頭をポンポンと叩いてやった。
すると、ユカリは恥ずかしそうにうつむいてしまった。
「お、お兄ちゃん、本当にゴメンね。坂下の公園で、このタオル濡らしてくるから待ってて……」
「ああ、いいって! どうせ家でシャワー浴びるんだし……」
「でも……気持ち悪いでしょ」
「だいじょうぶだってば!」
「気持ち悪いって……」
「お、おい……」
ユカリは、よほど俺に悪いと思ったのか、持っていたカバンを地面に置くと公園までダッシュした。
陸上部のユカリは無駄のないすばらしい走りで坂道を下っていく。リズムカルに後ろ髪が揺れているのを見つめていると、俺はハッと我に返った。
(あ、ダメだ……ユカリ、待ってくれ! 止まってくれ!)
懸命に声を張り上げようとしても声が出ない。それでも俺はもがいた。
なんとしても、ユカリを止めなければならない。俺は、歯を食いしばり、無理やり身体を動かした。わずかだか、かろうじて動くことができた。ところが、驚いたことにまわりの映像がどんどんスローモーションにみえてくる。
(止めなくては……)
俺が懸命に身体を動かすと、空気がねっとりと身体にまとわりついてくるのがわかる。皮膚が空気にひっぱられ、ヒリヒリしてくるが、俺はかまわず身体を前に進めた。
しかし、どう頑張ってもユカリとの差は縮まない。
ユカリは、バス通りのガードレール手前で力強く地面を蹴った。
走り高飛びが得意の彼女の踏み切りはカンペキだった。ふくらはぎの筋肉が大きく伸び、身体が宙をゆっくりと舞う。そして、ガードレールを飛び越えた瞬間……
悲鳴のようなタイヤのスリップ音がした。
(ユ、ユカリ……)
俺が、ガードレールの向こうのユカリを目で追うと、その身体がタクシーのボンネットに投げ出され、フロントガラスにめり込んでいくのが見えた。
そして、まるで縫いぐるみの人形のごとく真っ青な空にその身体が、ゆっくりと放物線を描いて投げ出された……。
ドサッ
ユカリがアスファルトの上に落ちた瞬間、スローモーションだった映像が元の速度に戻った。
「ユカリ! ユカリ!」
俺は、ユカリに近づきながら叫んだ。
しかし、ユカリは頭から血を流し、目を閉じたまま動かない。誰かが、体を揺すってはダメだと叫び、俺は、呆然とユカリのそばに座り込んでしまった。
すぐに救急車が到着し、ユカリはストレッチャーで運ばれ、俺も救急車に乗せられた。
病院……待合室。
手術室の前のベンチで、俺は頭を抱えていた。
(あいつを無理にでも止めていれば、こんなことにはならなかったのに……)
俺の頭の中には、ユカリがガードレールを飛び越え、タクシーと接触した事故の様子が何度も繰り返し再生がされている。
(ちきしょう、なんでだよ、ユカリ……)
高校に入学してから、何かと俺にいろいろ意見してくるユカリは、面倒で生意気な存在だったのは確かだ。俺もそんなユカリと微妙な距離を置いて、うまくやってきたつもりだったのだが、こんな事になるとは……。
「頼む、ユカリ! 頑張れ!」
俺のたった一人の妹にしてやれることは、無事を祈り続けるしかなかった。
手術室のランプが消え、担当の医師が出てきた。
「何とか一命はとりとめました。ひどく頭を打っているので、何らかの後遺症は残ると思います。ともかく、意識が戻るのを待ちましょう」
一時は、その言葉に安堵した。
しかし、ユカリはそのまま目を覚ますことはなかった。
俺は、夏休みの間、ほぼ毎日、病院に足を運んだ。
そして、いくつものチューブが繋がっているユカリの横で、ひたすら話しかけ続けた。
「ユカリ……もどってきてくれよ……いっぱい話をするんだろう……なぁ」
しかし、返事は帰ってこない。
やがて夏休みが終わり、学校がはじまると、ユカリの事故の話でもちきりになった。
毎日のように、俺は、その話を聞かなければならなかったし、話さなくてはならなかった。そのうち「俺がユカリを公園に向かわせていなければ事故にはならなかった」という話にすり替わって行った。
(俺じゃない……いや、でも俺の責任だ……)
いつしか、俺はその罪悪感に押しつぶされ、毎日が憂鬱だった。
(なんで、こんな事になったんだ……ユカリ……ごめん、俺はもう耐えられそうにない……)
俺は、心が折れてしまった。
俺の頭の中ではユカリに関することはすべてシャットアウトするようになった。ユカリに会いに行くこともやめ、ひたすら、サッカーや勉強に夢中になって、ユカリの事を考えないですむように気を紛らわしていた。
今から思えば、東京の大学を志望したのもユカリから遠く離れた場所へ逃げ出したかったのも理由の一つにちがいない。
(忘れたはずじゃかったのか? 俺が、ユカリにそっくりのホタルを見たとき、一瞬ユカリが回復して戻ってきたんじゃないかと驚いたじゃないか! ユカリのことを忘れるはずがないじゃないか! なぜ、自分をあざむくんだ!)
次第に、自分への怒りが沸き起こってきた。
(なぜ逃げた! どうしてユカリを見捨てた? 俺は最低な兄だ!)
全身がブルブルと震え始め、拳を握り締めると目の前にあった机を思いっきり叩いた。
バンッ
その瞬間、身体がガクンと振るえ、目が醒めた。
(夢……か……)
窓の外をみると、バスは、名古屋のステーションに到着したところだった。
俺は、握り締めた拳をひらくと、ホタルとアケミを見つめた。
二人は静かに目を閉じ、まだ寝ているようだった。
◆
十二月二十四日、正午。
俺は、ホタルとアケミをつれて実家の玄関の前に立っていた。
なぜか異様に手のひらが汗ばんでいる。
(母さんに、この二人をなんて説明しよう……)
一方、ホタルもアケミも辺りの風景が珍しいのかキョロキョロしながらなにやら話をしている。
俺は、二人に手招きをすると静かに話をした。
「いいか、まず、俺が話をしてくるから、ここで待っていてくれ。それと、誰かにお前らを見られると厄介な事になるから」
「厄介な事?」
「いいから……隠れててくれよ」
そういうと、自宅の呼び鈴を押そうと前に出た。
―― ピーピーピー ピーピーピー ――
突然のスマホの災害警報に俺は慌てた。そして、スマホを取り出し、画面を見てさらに驚いた。
「マジかよ……」
――黒森で緑色に変色した集団暴行事件が発生――
俺が声に出して速報を読むと、ホタルの顔つきが変わり、俺からスマホをもぎ取りニュースサイトを目で追っている。
――黒森で集団暴行が発生。顔面緑色のメイクをした一団が園内で警備隊と乱闘騒ぎ。楽しいクリスマスイブが一瞬にして凄惨な現場に。現在、機動隊が出動し鎮圧を開始しているため、黒森は全面封鎖中――
「はじまった……」
ホタルは、俺の顔を見上げると唇を噛んだ。
「ねぇ、カオル。この黒森ってどこにあるの?」
「ああ、うちの裏山の向こう側にあるショッピングモールみたいなところだ。俺はまだ行った事がないが……」
「いま、何時?」
慌てて腕時計をみる。
「正午を回ったところか?」を
ホタルは、あたりを見渡すと、親父の車を指差して叫んだ。
「ねぇ、この車運転できる?」
「この夏、免許取ったから運転はできるけど、車のキーも無いし、それに、無断で乗れば親父に怒られる……」
ホタルは、フンと鼻で笑うと自分の人差し指を鍵穴に当てた。
「キーならここにあるから……」
人差し指が一瞬透明になり、スルスルと鍵穴に入り込んでいく。
ガサッ
車のドアロックが解除される。ホタルはドヤ顔で俺のほうを見る。そして、自分の人差し指をもぎ取った。
「お、おい。もぎ取るなよ……」
「うふふ、便利でしょう! 合鍵できたわよ。これでいいでしょ」
ホタルが差し出したキーは、最初は透明だったがみるみる銀色に色がついていく。
「いいから、早く! 車を出して!」
突然、俺の身体が、自分の意思とは別に勝手に動きだした。そして、素早くエンジンをかける。
「シートの位置を調整して、ミラーを、確認して……」
「そんなのいいから、早く! 時間がないのよ!」
と、ホタルは俺の腕をつつく。
俺は、ウィンカーを出すと、ぎこちない運転ではあるが、とりあえず黒森に向かって車を走らせた。
車の中では、ホタルは、ずっと俺のスマホから黒森に関するニュースをみていた。
「なぁ、いったいどうなっているんだよ」
俺がチラリとホタルをみると、いつになく真剣な表情で画面をみている。
「G0の活動は間違いない。G0は、あなた方人間に寄生するのよ」
「寄生?」
「そう、そして遺伝子情報を解析しはじめる……あなた方人間の解析なら三分程度で終わっちゃうわ。そして、神経系に入り込んで脳を支配しちゃうわけ」
「支配?」
「G0自身は、地面をはいずりまわるのがやっとだけれど、人の身体に入り込んで支配できれば、宿主をつかって格段に拡散することができるのよ」
「待ってくれ! 支配された人間はどうなるんだ?」
「私の計算では、だいたい二時間で肉体を構成しているたんぱく質が分解され、すべてG0化されてしまうことになる……」
「ド、ドロドロになるのか?」
「そう、だから、G0自身もこの間にできるだけ遠くへ移動してさらなる拡散をしようとするはずなの。だから、その前に叩く必要があるのよ……」
「ちょっ、ちょっとまってくれ! どうやって叩く……いや、戦うんだ?」
ホタルは、ニヤリと笑い、両手を合わせて手もみした。すると、銀色の長さ五十センチ直径一センチの細い銀色の棒を俺の腕に押し付けた。
「コレをG0が寄生した人間に押し当てて中和させればいいの……簡単でしょ?」
「それだけ?」
「そう。この棒はR5でできているけど、コアがG0を発見するとどんどん中和してくれるというわけ。G0は黒いカスになって対外に排出されちゃうのよ」
「中和されれば、その宿主は助かるのか?」
「もちろん。ただ……」
「ただ?」
「物理的に怪我とかしたらそれはそのまま残ることになるわ」
「物理的に?」
「つまり、襲われたからってバットで殴ったりすれば、その傷は中和されても残るってわけ」
「な、なんだよ。それじゃ、こちらは下手に相手を傷つけてはダメっていうことなのか」
「まぁ、そういうこと。だから、この棒を押し付けるしかないわ」
「この棒だけで?」
俺は、ため息をついた。
(こんな棒で、暴徒をおさえることなんかできるんだろうか)
黒森への案内板が見えてきた。
どうやら、 黒森への道は、全部で三本あるらしい。いずれも盆地に入るための長いトンネルを抜けるようなイラストが書いてある。
「あ、南側と西側のルートは封鎖されているみたい」
後部座席でアケミが叫んだ。
「じゃ、北側のルートしかないってことだな……。でもこの様子だと、厳重に警戒されて突破は無理じゃないのか?」
俺が話すと、ホタルはつぶやいた。
「だいじょうぶ。なんとかするから……」
北側のルートは、普段は荷物搬入用のゲートらしく、もともと厳重な検問が設置されているようだ。
俺は、黒森搬入路と書かれた看板を確認し、道を曲がった。
しばらく進むと、道幅が広がり、美しいモニュメントがある駐車場が見えてきた。
――閉鎖――
巨大な電光掲示板に表示がでている。
広い駐車場にはいってみると、検問所のところでトラックの運転手らしき人物が検問の担当者と言い争っている姿が見えた。どうやら、納品ができないと商品が傷んでしまうと話をしているようだ。
「どうする?」
俺が、ホタルを見ると、ホタルはニヤリと笑ってスマホをみせた。
「黒森対策本部長……シマザキ?」
突如、ホタルは透明になると、スマホに写っていたふてぶてしいオッサンに変わっていく。そして、オッサンは、助手席でふんぞり返ると、俺に向かって話をしてきた。
「いいから、そのまま検問所へ向かえ!」
俺は、呆れてホタルにつぶやいた。
「まぁ、いいけど、すぐバレるぞ……」
ゆっくり車を走らせると、検問所の前で警備員が車を停止するようにサインをおくってきた。
トントン
警備員が運転席のガラスを叩いてくる。
俺は、パワーウィンドウを下げると、助手席のふてぶてしいオッサンが先に口をひらいた。
「ごくろう。私だ。黒森の病院での調査を行う。ゲートを開けろ」
「あ、これは本部長? てっきり本部にいらっしゃるものとばかり……すぐに開けます」
俺は、呆然とオッサンと警備員の会話を聞いていた。
「カオルくん。急いでくれたまえ……ともかく進もう」
「あ、はい……」
俺は、アクセルを踏み込むと黒森へ続くトンネルに入った。
◆
十二月二十四日午後一時(感染者発生から一時間経過)
俺達は、長いトンネルを抜けて黒森のエントランスに到着した。入場ゲートにスタッフの姿は見えず、不気味に静かだ。
「誰もいないな……」
「おそらく、避難したんでしょ……」
ホタルが車のドアを開けると外に出た。俺たちも後に続く。
ゲートに近づくと、園内案内パンフレットが散乱していた。ホタルは、一部を拾い上げると園内の地図を見つめた。
「カオル。まずは、公園地区(緑の風)へ向かうわよ」
そう言いながら俺にパンフレットを渡してきた。
「公園地区(緑の風)? ああ塔の東側だ……あ!」
俺は、パンフレットを取り上げると施設紹介の欄を見て驚いた。
「病院……この敷地内にあるのか……」
「うん? 病院?」
「いや、いや、なんでもない……」
俺は慌ててパンフレットをホタルに戻した。
ホタルは、俺を覗き込むとニヤリと笑った。
「カオル。この病院にユカリがいるんでしょ?」
「え……」
「隠さなくてもいいわよ。名古屋までのバスの中であなたの夢が漏れて見えちゃっていたし……」
するとアケミが目を丸くして割り込んできた。
「え? ユカリちゃんってこの病院にいるの?」
ホタルは、ユカリの肩を両手でつかむと、アケミの身体を揺すった。
「いい? あんたは、カオルにベッタリ張り付いてカオルを守るのが役割なんだから……いいわね」
「わかってますって」
ホタルはアケミを睨みつけ、俺に視線を移すといつになく真剣な顔つきで話を始めた。
「いい? カオルよく聞いて! 時間がないの。ニュースサイトをみると正午ごろに暴動がおきているから、かれこれもう一時間が過ぎてる。あと一時間内に対処しないとG0が増えてしまう」
「ああ、そうだな」
「まだ、病院がある南側の居住地区(青い湖)は被害がなさそうだから、ともかく被害が多そうな東側の公園地区(緑の風)に向かうわよ」
ホタルは、例の銀色の棒を差し出した。
「ああ、こいつを押し当てればいいんだっけ?」
俺が棒を受け取ると、ホタルが俺の腕をつかんだ。
「カオル、協力してもらうわよ……」
そう言うと、チクリと腕に痛みが走った。
「イタッ」
俺の腕に、注射器が突き刺さっていた。どうやら、ホタルの指を変形させて注射器ができているようだ。赤い血がツーっとシリンジに溜まっていくのが見える。
「このくらいでいいかな……」
ホタルは、採決した血液を先ほどの銀色の棒に垂らしていく。すると驚いたことに棒がみるみる茶褐色に変わっていく。ちょうど初めてちっちゃな隕石を見た時と同じだ。
「それじゃ三本渡しておくわ。一本で百人ぐらいは中和できるはずだから……」
そう言うと黒森に足を踏み込んだ。
◆
北側ゲートから入るとすぐに商業地区(オレンジ色の果実)になっている。ここは、ガラス張りのガレリアが荘厳で美しい。ピカピカと光るガラスに青空が綺麗に映えクリスマスの飾りつけも美しい。
ただ、あたりは気味が悪いほどの静寂に包まれている。どの店にも人影はない。
――商業地区(オレンジ色の果実)で火災が発生しました。落ち着いて南側ゲートから避難をおねがいします――
突然、園内放送が鳴り響いた。
ホタルが不思議そうに俺の方を向く。
「変ね……きな臭い匂いもしないし、煙もでていないけど……」
「確かに……火災報知器も作動していないな……」
しかし、どこも異常がないのに放送があるというもおかしい。まぁ、どうしても人を誘導しなければならないのならしかたがないが……。
「なぁ、わざと放送しているんじゃないのか?」
「わざと?」
「ともかく、園内から退避させるために……」
「うーん。確かにそうかもしれないわね。ってことは、みんな南側ゲートを目指して避難しているってことよね」
「そうだろうな……ってことは、南ゲートは人でいっぱいかもしれない」
ホタルは、まゆげをピクリとさせ、俺の顔を見つめた。
「G0は人に寄生しようとするから、匂いを嗅ぎつけて南ゲートを目指すんじゃないかな。ということは、南ゲートに先回りして、東側の公園地区(緑の風)に向かったほうが、一網打尽にできるかもしれないわ」
ホタルは、もういちどパンフレットの地図を見直した。
「それに、居住地区(青い湖)も南側。病院もそこにあるみたいだし……カオルもユカリのことが心配でしょ?」
「あ……いや……」
「ちょっと、男ならもっとハッキリしなさいよ!」
ホタルは、俺の背中をポンと叩くと、美しいガレリアを走り始めた。
ガレリアは一キロメートルくらい続いている。
やっとのことで抜けると、目の前に巨大な白亜の塔が現れた。
青空に吸い込まれるように立つ塔の美しいデザインに思わずため息がでる。
「こ、こりゃスゴイ……」
「スゴイ……スゴイよねぇ」
アケミが両手をあげて手を叩いている。
「なぁ、あそこの展望台の上なら、ほぼ全域が見下ろせるんじゃないのか?」
俺が、ホタルに話しかけたが、ホタルはフンと鼻を鳴らした。
「見下ろせるでしょうね……でもそれはダメ」
「なんでだよ」
「時間がないのよ! 観光はまた今度! ともかくG0を探し出さないと……」
ホタルが叫ぶとアケミが悲しそうにつぶやいた。
「アケミも、塔に昇りたかったなぁ」
ホタルは、アケミの腕を引っ張ると居住地区(青い湖)への道を駆け上った。
丘をこえると緩やかな花畑が広がっていた。さらにその奥には、レンガ敷きの広場が見える。
一見、人影らしくものは見えない。
「誰もいない……?」
ホタルは、目を細めて眼下にある広場を見つめた。
「ともかく、あの広場まで降りるわよ。あの広場の先に、南ゲートと病院のある居住地区(青い湖)があるはずだから……」
そういうと、俺の背中を押した。
俺は、例の棒を一本取り出し手に握ると、曲がりくねった坂道を下りはじめた。
シクラメンだろうか白、ピンク、赤の綺麗な花畑からいい香りがする。こんな騒ぎがなければ、ゆっくり彼女とデートするにはもってこいのところだ。
(彼女……彼女ねぇ……)
俺は、自分の腕に抱きついているアケミと、背後でスマホのニュースをチェックしているホタルを見つめ、大きくため息をついた。
曲がりくねった坂を下ると、下り階段が広場まで続いていた。
「あ!」
アケミが小さく叫んび広場を指差した。
「どうした?」
「今ね、あの黄色いベンチのあたりで何か動いた気がする」
「ゴミじゃないのか? あのパタパタ風になびいているやつだろ?」
「うん……黒と白のシマ模様のアレが動いたようにみえたんだけど……」
「よし、いってみるか……」
俺が、広場に続く階段を降りようとすると、ホタルが、俺の肩をつかんだ。
「私が先頭で行くわ。少し離れてついてきて。G0は緑色のジェル状でどこかに潜んでいるかもしれないから……」
「あ、ああ……」
ホタルは、スマホを俺に返すと、棒を構え、ゆっくりと階段を下りていく。
すこし間を空けて、俺達もホタルに続いた。アケミは、俺の背中に張り付いて隠れている。
広場には、色とりどりのベンチが配置してあった。その中の一つ、黄色いベンチに黒と白のシマ模様の布のようなものが掛かっている。
「あれは、コート?」
「コート……」
ホタルが近づき、棒でコートを持ち上げると、その下には女性が横たわっているのが見えた。
女性は、ガタガタ震え、おびえたようにゆっくりとコチラを見つめている。しかし、その目は異様にギラギラとし、顔の半分が緑色に染まっていた。
クワァ……
女性は、ポーンとベンチの上から飛び跳ねると、すばやく地面を転がり、俺をめがけてものすごい勢いで走ってきた。その速さは、人間業とはおもえない。
「うお……」
俺は、足がすくんでしまい、身動きが取れなかった。
いよいよ女性が俺に飛びかかろうとしたとき、俺の後ろにいたアケミが、背後から飛び出し、女性をブロックした。そして、地面に倒れると二人はゴロゴロと転がった。
小柄なアケミは、素早く態勢を変えると、女性を背後から押さえつけた。すかさず、ホタルが例の棒を彼女の後頭部に押し付けた。
うぎゃぁぁ……
女性は、叫び声をあげると。身体を弓なりに反らせブルブルと痙攣をおこし失神してしまった。そして、棒を押し当てた場所から、黒い粉のようなものがサラサラとこぼれ落ちていく。
俺はといえば、そのまま呆然とその光景をみまもるだけだった。
「これで、大丈夫。いい? コレがG0退治の基本。わかった?」
「あ、ああ……」
俺は、手に持った棒をしっかりと握りかえした。
「まぁ、棒は少しだけ磨り減ったかな……」
ホタルは、女性から棒を離すと、棒の先を見つめた。
「G0に寄生された者のどこでもいいから触るだけで大丈夫。そうそう、一分くらいは再度G0が襲い掛かってもその効果は持続するけれど、大勢に囲まれたときは、追いつかなくなるから注意! さもないと、こちらが取り込まれてしまうことになるわ」
ホタルは淡々と話をする。
「しかしだな、こんな運動能力が高い相手じゃ、俺は、対応しきれないぞ……」
俺が不安な声をあげると、ホタルはニヤリと笑った。
「ああ、それは偶然でしょ! この女性自身、かなり訓練を積んだ人みたい。こんな人ばかりじゃないはずだから大丈夫よ」
「うーん。マジかよ……」
アケミは、女性を仰向けにさせた。
綺麗な顔立ちの二十代のようだ。先ほどまでの緑色の顔ではなく、心なしかやさしい顔つきになっている。
俺は、アケミに手を振った。
「アケミ、ありがとう。助かったよ」
アケミは、嬉しそうに笑うと俺にウィンクをした。
「うふふ、ポイントゲット!」
「はぁ? なんだ? ポイントって?」
「あのね、ホタルちゃんと話をして、百ポイントになったら、カオルくんと二人っきりにしてくれるって約束したんだ!」
「ふ、二人っきり?」
「むふふ……そうだよ。邪魔者なし!」
アケミは、ホタルをチラリとみると微笑んだ。
「わ……わたしは……」
突然、気絶していた女性が身体を起こし、俺を見つめていた。
(つづく)
第四話(3)
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
初稿20150218
第四話(3)
十二月二十四日 午後一時五十分(感染者発生から一時間五十分経過)
「あなた達は?」
俺を見つめている女性は、すばやく辺りを見回すと警戒をしている。
(あなた達は……って言われても、信じてもらえないだろうし……なんて言おうか……)
俺は、ホタルとアケミをチラリと見るが二人とも女性には関心はないようで、園内マップを広げてこれからの行動を検討しているようだ。
「えっと、俺達は、得体の知れない化け物を掃除しているボランティアって感じですかね」
できる限り場を和ませようと、懸命に頭をフル回転した結果出てきた言葉がこれだ。俺は、そっと女性の様子を伺ったが、反応はまるでなし。
(チッ、スルーかよ)
俺がガッカリして肩を落とすと、彼女がヨロヨロと立ち上がろうとしているのが見えた。
「あ、大丈夫ですか?」
俺が手を差し伸べると、彼女は俺の腕をスルスルっと手繰り寄せ、サッと立ち上がったかとおもうと、いつの間にか俺の背後に回り込んできた。そして、電光石火のごとく俺の首には、彼女の腕が巻き付きじんわりと締め付けられていた。
「うお、う……うぐぐ……」
俺は、慌てて両手を揚げて降参とゼスチャーをしてみたが、彼女はホタルとアケミをジッと見据えたまま警戒して動かない。
「もう一度聞く。あなた達は何者?」
彼女の厳しい声が広場に響き渡る。すると、ホタルとアケミが驚いてこちらを振り向いた。
アケミは、俺が危機的状況にあることは全く理解していないようで、不思議そうにこちらを見て目をパチクリしている。一方のホタルは、女性を睨みつけると、面倒臭そうに大きくため息をついた。
(ど、どうすんだよ。ホタル……)
ホタルは、ニヤリと笑うと、ツカツカとコチラに向かって歩いてくる。
「止まりなさい!」
女性は、俺の首をグッと引き上げる。
ホタルは、足を止めると胸に手をあて小刻みに胸をたたきながら話し始めた。
「ワタシハ……ミドリイロノ G0ヲ ハカイスルタメ トオイホシカラ ヤッテキタ アンドロイド……」
ホタルは、無機質にセリフを棒読みして答える。
(バ、バカ! な、なんてことすんだよ。この女性に冗談は通じないって……)
俺は、ホタルを睨みつけたが、ホタルはフンと鼻で笑った。
「ふざけていると、こいつの首をへし折るよ!」
女性は呆れたように叫び、俺の首は、ギリギリと絞めつけられてきた。
「うぐ……息が……」
俺の視界が徐々に暗くなっていく……。
(これが、俗にいうブラックアウト? ああ、なんか気が遠くなる……)
薄れゆく意識中で、ホタルが何か叫んでいたようだが……俺は暗闇に包まれた。
ふと気がつくと、俺は真っ暗闇の中にいた。
辺りを見回すと、かすかに遠くに明りが見える。俺は、その明りに向かって手探りしながら進んでみた。近づくにつれ、その光はどんどん明るくなり、そこにはまばゆい光に照らされたベッドが見える。
(なんでベッド……)
俺は不思議に思ったが、ベッドを覗き込むと、そこには、たくさんのチューブにつながれたユカリの姿が見えた。
(ユカリのベッドなのか……)
不思議な事にその光景を目の当たりにしても、自分でも驚くほど冷静だった。むしろ、ユカリを見つめていると懐かしい感じがして思わず微笑んでしまった。
――お兄ちゃん、どこにいるの?――
突然、ユカリの声が俺の頭の中に響いた。俺は、おどろいてユカリをジッと見つめたが、規則正しく呼吸をしているだけだ。
――お兄ちゃん、どこ? ユカリを置いていかないで――
今度は不安そうな声が聞こえてきた。
そういえば……幼い頃、母さんと一緒に買い物についていくと、必ずといっていいほど、ユカリは迷子になっていた。当時、不思議と迷子のユカリを探すのが得意だった俺は、そのたびに店内を走り回っては、ユカリを見つけてやった。
そして、迷子で不安そうな顔をしていたユカリは、俺の顔が見えたとたん安心したのかポロポロと涙を流しては俺に抱きついてきたものだ。それからしばらくは、小さな手で俺の服をギュッと握りしめていた。泣きじゃくるユカリを慰めようと、頭をそっと撫ぜてはつぶやいていた。
「こんなのへっちゃらだよ。兄ちゃんは、ユカリのこと、ちゃんとわかってる」
――お兄ちゃん! ありがと!――
あまりにタイミングよく頭の中にユカリの声が響くので俺は思わずベッドのユカリに話しかけた。
「なんだ? 俺の事がわかるのか?」
もちろん、返事は返ってこない。
「だよな……」
俺は、静かにベットの脇にひざまづくと、ユカリの横顔をジッと見つめた。そしてユカリの髪にそっと触れてみる。髪の毛は、サラサラと俺の手のひらからこぼれおちる。そして、手のひらが額に触れると、ほんのりと温もりが感じられる。
その温もりを感じた瞬間、急に込み上げるものがありジワリと涙が溢れてきた。
(ユカリは、生きている……。生きようとしている。それなのに、どうして俺は逃げた? 周りの連中はユカリがこうなったのは俺のせいだと口々に言っていた。俺は、「それはちがう」と弁明していたが、それに何の意味があるんだ? 周りから何と言われようが、どう思われようがそんなの関係ないじゃないか! ユカリは、俺のたった一人の妹だし、ユカリが帰ってくることを信じて待っているべきだったんだ……)
止め処もなく、涙が頬を伝わり肩が震えた。
「ごめん、ごめんな……ユカリ……」
俺は震える声で、ユカリに話しかけた。そして、そっとユカリの手を握りしめた。
「こんなのへっちゃらだよ。兄ちゃんは、ユカリのこと、ちゃんとわかってる」
そして、ユカリの頭を繰り返し撫でてやった。
――お兄ちゃん、ユカリ、うれしいよ――
ユカリのうれしそうな声が聞こえると、目の前がどんどんまばゆく光りはじめ、俺はあまりのまぶしさに目を閉じた。
「え! そ、そんな……これは夢なの?」
いきなり、女性が絶叫する声が背後から聞こえてきた。と、同時に、俺の身体がガクンと落下するような感覚で目が覚めた。
(俺、意識失っていた?)
驚いて後ろを振り向くと、例の女性がものすごい形相で広場を見つめている。その視線をたどるとその先には、見知らぬ白衣の男がポツンと立っていた。
(誰だ? あの男……)
見覚えのないその男は、五十歳ぐらいだろうか。白髪まじりの髪の毛はクシャクシャで、ヨレヨレの白衣を着ている。しかもその白衣も、相当使い込んだものらしく、ところどころが茶褐色のシミがついてボロボロだ。
「な、なんで……なんで?」
女性は、小刻みに震えながら、か細い声で何度もつぶやいる。
「久しぶりだな、ナツコ。お前の頭の中にいる私だよ。そんなに驚くことはないだろう?」
「お、お父さん……」
(はぁ! お父さんっ? いや、待て……なんで、この場に都合よく父さんがいるんだよ)
辺りを見回してみると、ホタルの姿が見えない。
(そうか、これはホタルの仕業か……それにしても、どうやって彼女の父親のイメージを手に入れたんだ?)
白衣の男は、こちらに近づくと俺の首に巻きついている腕に手を触れてつぶやいた。
「お前は、たくさんの子供達のために頑張っているが、おまえ自身の幸せも考えろ……。自分の身体も大切に使え。お前は、私にとってかけがえのない娘なんだからな……」
「お父さん……わ、私は……」
「今、私にできるのはお前を見守ることぐらいしかできないが……」
「……」
彼女は、俺の首に巻きつけていた腕を解くと、その白衣の男を強く抱き締めた。そしてポロポロと涙を落とすと嗚咽を漏らした。
男は優しく彼女の背中をトントンと叩き、ゆっくりと彼女から離れた。そして、彼女を見つめたまま微笑むと手を振った。
「お父さん……」
「じゃぁな……いつも見守っているからな……」
そう言い残すと、徐々に男の身体が透けて消えていく。そして、形を変えて元のホタルの姿に変わっていく……。
女性は、その様子を見つめたまま呆然と固まってしまった。
俺は、少し離れたところから女性に話しかけた。
「あ、あの……ナツコさん……でしたっけ?」
女性は、ハッとして俺に視線を移すと、まだ信じられないといった表情でうなずいた。
「俺、カオルって言います。ちなみに、俺はアンドロイドなんかじゃなくて普通の大学生です。ひょんなことで、こいつらに協力することになったんです」
「協力?」
「そうです。あの緑の物体は、こいつらの話だと地球外で作られたリキッドアンドロイドG0と言って、試作段階で失敗したものだそうです。ただ、それを軍事用に転用した兵器が開発されたようで、それが誤って宇宙に拡散されてしまい、それを根絶するために派遣された……みたいです」
「ちょっとまって、どうして地球にも拡散されたわけ? 都合が良すぎない?」
彼女が俺の話を遮った。
「それは、事後に拡散プログラムを解析して軌道を調べたのよ」
ホタルが静かにつぶやいた。
彼女は、ジッとホタルを見つめると首を横に振った。
「信じられないわ……」
「別に信じてもらわなくてもかまわない。ともかく解説はおしまい。どうでもいいから協力してもらわないとこの惑星は滅ぶわよ」
ホタルは、イライラしながらナツコに叫んだ。
「私はホタル。で、こっちがバックアップのアケミ」
アケミは、ニコニコしながら頭をちょこんと下げた。ねぇ、ナツコ……あなたがG0に襲われたときの話を聞かせて! 時間がないのよ」
「どうして私の名前がわかるの?」
ホタルは、上を見上げて、大きくため息をついた。
「あなたに触れた棒にはコアって呼ばれるナノマシンがはいっていて、あなたの体内になるG0を分解したのよ。その時ナノマシンがあなたについても解析をしたの。さっきの男の人のイメージも、そこから再生したの。わかった?」
「はぁ?」
「もう、そんなことより、いつどこでG0に襲われたの?」
◆
十二月二十四日 午後二時半
ナツコは、まだ不思議そうにホタルたちをみつめていたが、ベンチに腰掛けると話し始めた。
「最初の感染は正午ちょっと前……」
「え! それじゃ、もうとっくに二時間を過ぎているじゃない!」
「最も、最初の感染は死体。続いてここの太った警備員が一人……」
「二人だけ?」
「最初はね……」
「最初は……」
ナツコは、今までの経緯について手短に話をした。
隕石の取材から緑の物体の存在を知った事。そのサンプルを研究機関に引き渡す取引をした事。取引の最中、緑の物体のサンプルが入っていたアクリルキューブが壊れ中身が溢れた事。取引相手が銃で撃たれ死亡していたにもかかわらず緑の物体が死体に触れると生き返ったように動き始めた事。いきなり緑色の液体を口から吐いて警備員の身体についた事。警備員がみるみる緑色になり感染した事。なんとか、その二人を隔離しようと画策したが、鉄の扉を破られた事。あっという間に、待ち受けていた救護班、警備スタッフが次々に襲われた事……。
「それで、私がオトリになって、なんとか感染した人を再度地下駐車場まで誘導したつもりなんだけど、でも、まさか、自分も感染しているとは思わなかったわ」
「ということは、地下駐車場にG0が?」
俺が尋ねると、ナツコは、腕につけているモニターをはずし差し出した。
「これを見てみて……」
差し出されたモニターには、たしかに顔中緑色の男女がうごめきしきりに扉を開けようとしているのが見える。かなりの人数だ。
俺は息を飲んだ。まるで地面に落ちたアイスクリームに群がるアリのように扉にへばりついている。
突然、一人の太った男性が絶叫したかとおもうと、まるで氷の像が熱で溶けてしまうように緑色の液体となって床にぶち撒かれた。続いて別のところでも、女性二人が同じように崩れていくのが見えた。
「うお……人が溶けていく……」
俺が叫ぶと、アケミがいきなり地下駐車場へ向かって走りだした。
「無駄よ! 地下駐車場は分厚い防火・防水扉でロックしたから入れないわ」
しかし、アケミはそんな声にはおかまいなしに走って行く。
数分後、アケミの姿がモニターに映っていた。
ナツコは、驚いてモニターを見つめた。
「どうやって中に入ったの?」
「ああ、こいつらは、身体を変化させることができるから、通風口からでも侵入したんじゃないかなぁ……でも、逆にG0も外にでている可能性もあるかも……」
俺はナツコに話しかけたが、ナツコは、モニターに釘付けだった。アケミは、両手に持った棒を、片っ端から人に当てていく。さらには、床にうごめいている緑色の物体にも棒が触れた。その度に黒い粉が舞い上がっていく。
軽快な動きには無駄がない。
「なんだあの軽快な動きは……アケミ、この間までおっとりしていたのに……」
俺がつぶやくと、ホタルがニヤリと笑った。
「アケミは、コアを通じて、ナツコから技を習得したのよ」
「それじゃ、戦ってコアを埋め込めれば相手の技をどんどん習得できるのか?」
「まぁ……そういうことかな。そろそろ、片付いたみたいね」
アケミがカメラに向かって手を振り、生存者を外に出すように手振りをしている。
ナツコはハッと思い出したかのように携帯電話を取り出し電話をかけた。
「あ、ナツコです。地下駐車場の防火扉を解除して……あなたも監視カメラで確認したでしょ? ええ、人が溶けた? それは後で説明するから、生存者を開放するわ……わかったわ。また電話するから……」
俺は、気になってナツコに聞いてみた。
「誰と話を?」
「ああ、ここの警備。管制塔から今回の状況を確認してもらっているの。さっきのあのアケミさんだっけ……の様子もカメラで確認したみたい」
ナツコは、地下駐車場に向かって走り始めた。
地下駐車場には防火防災扉のほかに浸水防止用の扉があり、これが鋼鉄製の分厚いものだった。
アケミはすでに外からコントロールパネルをいじって解除しようと試みていた。
「だいじょうぶ、私が開けるわ。ここのはちょっと面倒なのよ」
ナツコが、首からぶら下げたカードキーを差し込むと電話をかけた。
「ああ、いまカードキーを差し込んだわ。じゃ、五十五分丁度で解除するわ……」
ナツコは、腕時計を見つめる。
「三……二……一……今!」
ナツコが、解除ボタンを押すと、赤いランプが緑色に変わりゆっくりと扉が開いた。
「ここのロックは、管制塔からのリモートとともに解除ボタンを押すみたい」
「なるほど……でも、緊急避難のときは、いちいちタイミングを計ってそれぞれのボタンを押すんじゃ大変だ……」
ナツコはニヤリと俺に笑った。
「そうね。いつでも冷静じゃないとね……」
分厚い扉がゆっくりと開き始めると、アケミがニコニコしながらつぶやいた。
「ホタルちゃん、アケミ、大量ポイントゲットできた?」
ホタルは、ため息をつきながら、アケミの肩を叩いた。
「そうね、ポイントは、百二十くらいかな……」
「やったぁ! カオル君と二人っきり?」
「まぁ、それだけ活躍したんだから、任せても大丈夫ね」
「うんうん! 任せて!」
アケミは、嬉しそうに俺を見上げ腕に抱きついてきた。
「と、ともかく、皆を外に出さないと……」
「うん……」
扉が開くと中の生存者は、三十数人ばかりだった。皆、疲れ切った様子でヨロヨロと外にでて大きく息をしている。酷く体中をかきむしっていて首が血だらけになっている人もいる。俺達は、一人づつ補助をしながら、すべての人を外に連れ出した。
そして、最後に、ひょろりと背の高い制服姿の警備スタッフが倒れこむように出て来た。
「俺で、最後です……ふぅ、助かった」
そうつぶやくと、コンクリートの上にゴロリと仰向けになった。
◆
「おまえ、ケ……ケンジ? ケンジじゃないか?」
俺は、制服の男を見て思わず叫んだ。
制服の男も、驚いて俺を見上げている。
「な、なんだ! おまえ、カオル! カオルじゃないか」
ケンジは、上半身を起こすと俺を見つめた。
「ケンジ、なんで、お前ここの警備やってんだ?」
「俺、高校出てからココでバイトしてたんだが、なかなかやりがいのある仕事だし、俺にピッタリだと思って、大学行くのをやめて就職したんだよ……」
「お前が?」
ケンジは、立ち上がるとため息をついた。
「それより、カオル……早く逃げろ。緑のヤツ、あれはヤバイ。俺……隊長が溶けるのを見ちまった……」
ケンジは、ノドを押さえると気持ち悪そうに顔をしかめた。
「もうダメだとあきらめかけた時、あの子が走ってきたんだ」
そういいながら、アケミを指差した。
「あぶないって声をかけようとおもったら、杖で緑のヤツを消していくのが見えて、俺も頭がどうにかなったのかと思ったよ」
「なんで?」
「魔法少女が助けに来てくれたって、マジに思ったんだよ」
「はぁ? お前、魔法少女モノが好きだからなぁ……」
俺は、ケンジの肩をポンとたたいた。
「まぁ、あの棒は、特効薬みたいなものらしいから……」
俺が解説をしていると、ケンジがいきなり叫んだ。
「おいっ、カオル……あれ、ユカリちゃんじゃないのか?」
「え? あぁ、あいつは、ホタルっていう……」
俺は、適当にごまかそうとケンジに話しかけたが、ケンジは、ホタルの前に飛び出した。
「ユカリちゃん?」
ホタルは、いきなりのことで最初は驚いた表情をみせたが、ニコリと微笑んだ。
「あっ、ケンジさん? 高校以来ですね……」
「よかった。随分心配したんだ。俺……」
俺は、慌ててケンジとホタルの間に割り込んだ。
「ホタル。いい加減にしてくれよ」
ホタルは、肩をすくめるとケンジにウィンクをした。
「ごめんなさい。私、ホタルっていいます。カオルの東京のカノジョです」
「はぁ?」
俺とケンジは、同時に声を上げた。そして、ケンジは俺をジロっと睨む。
「何だよお前、東京で自分の妹ソックリのカノジョをつくってたのかよ。酷いヤツだな」
「ちがうって、こいつが勝手に押しかけてきて……」
「そこまで、酷いヤツとは思わなかった。あんまりだ! 見損なったよ」
いきなりケンジが俺の襟首を掴んできた。するとアケミがすっ飛んできた。
「やめて! カオル君のカノジョは私なんですから!」
ケンジはキョトンとアケミを見つめると、凄い形相で俺をにらんできた。
「カオル……お前、妹ばかりか、こんな子供までもたぶらかしたのか……」
「違う違う! こいつもカノジョとかじゃないから……」
「どうだか……」
――ピーピーピー――
突然、ケンジの制服に取り付けている無線機が鳴り響いた。
ケンジは、フンと鼻を鳴らすと無線を取っると無線から声がした。
――こちら管制塔、ケンジ君か?――
「はい、こちらは、公園地区(緑の風)駐車場のケンジです」
――無事なのか?――
「はい……特効薬があるようで、数名はドロドロに溶けてしまったんですが……」
――ああ、様子はカメラで確認できている。まだ、園内には同じ症状の人間がいるようだ――
俺は、おもわずケンジの無線にむかって叫んだ。
「あの、監視カメラで他にも感染者がいるのがわかってるんですか?」
――キミは誰だ? まぁ、いい。残念ながら、南ゲートで三十名程度が暴れている。バリケードをつくって園内から外に出さないようにしているが……時間の問題だ。南ゲートの外には、おおよそ四千人くらいがトンネル内で待機している――
「なんだって!」
俺は、ホタルを見つめた。ホタルは、園内マップを取り出すと南ゲートの位置を確認し始めた。なるべく早く対処しないと、バリケードの感染者は、G0化になってしまうだろう。そうなれば、バリケードなど簡単に通り抜け、ゆっくりとトンネルに流れ出す。
トンネルの中を逃げている四千人……いや、そのまま外部に流れ出る可能性もある。
それを止められるのは、あの棒しかない……。
俺は、ケンジの肩をつかむと叫んだ。
「生存者を安全に隔離できる場所ってないのか?」
「安全……あ、管制塔のなかなら大丈夫だろう」
「それじゃ、生存者を誘導してくれ」
「あぁ……」
ケンジが、生存者に声をかけようと広場に向かうと、ホタルが声をかけた。
「ケンジさん? 念のためアケミにもう一度棒を当てさせて、避難させてください」
ケンジは、ホタルをマジマジと見つめた。
「あ、はい……しかし、カオルの妹のユカリちゃんにそっくりだ……」
ホタルは、ケンジの手を取った。
「急いでね……ケンジさん……」
「あ、はいっ!」
ケンジは、アケミとともに広場に向かうと一人ずつチェックをはじめた。
ホタルは、俺の腕をひっぱるとそっとつぶやいた。
「な、なんだよ」
「コレ、あなたが持ってて……」
ホタルは右手を出すと、指に手を当てた。するとどうだろう、右手の薬指の中から指輪が浮かび上がってきた。
「キモっ、なんで指輪が埋まってるんだよ」
「まぁ、大事なものだからね。これは私のオマモリ……これがあれば、私には、あなたの居場所がわかるのよ」
「ああ、迷子防止タグみたいなものか?」
「まぁ、そんなもんかな……」
ホタルは、クスクスわらいながら、アケミに背を向けて、そっと俺の右の薬指に指輪をはめた。すると、指輪自身が薄っすらと淡く光りはじめた。
◆
生存者のチェックが終わったところで、ホタルがケンジを呼んだ。
「ここから二手に分かれましょう」
「二手?」
「カオルとアケミは、生存者を援護して管制塔へ誘導。私は、南ゲートのG0を処理」
「ちょ、ちょっと待て! お前一人でいくのか?」
俺が、ホタルの肩をつかむと、ホタルは、「あたりまえでしょ」とでも言いたそうに棒をビシっと前に突き出した。
「ちょっと待って!」
今度は、ナツコが叫んだ。
「ねぇ、その棒。私にも扱えるんでしょ? 悪いけれど、この中で一番活躍できるのは私じゃないかしら?」
「えぇ! ナツコさん……感染したら溶けちゃうんですよ……」
「わかってるわ。でも、元はといえば、私が拡散したようなものだから……ちゃんとオトシマエをつけたいのよ」
俺は、ホタルに視線を移すと、ホタルはニヤリとして、棒を二本差し出している。
「おいおい!」
「ナツコさん、頼もしいわ。ありがとう。じゃ私と一緒に」
「一緒に……じゃねぇだろう」
俺がホタルに叫ぶと、ホタルはナツコに向かって微笑んだ。
「だいじょうぶよねぇ ナツコ?」
「もちろんよ」
ナツコもニヤリと笑い棒をビシッと突き出した。
俺は、大きくため息をつくと、首を横に振った。
「うーん、じゃ、俺とアケミは生存者を誘導した後、どうすんだよ」
ホタルは、ニヤリと笑う。
「あなたには、重要な役割があるの!」
「重要?」
「そう、病院でユカリを守るのよ。いいわね」
「ユカリを?」
「これは最重要課題だからね」
「最重要?」
「実はね、ユカリがココにいることを知ってから、なんだかすごく胸騒ぎがするのよ。それがなんだか私にもわからないんだけど、嫌な予感しているの……わかった?」
そういうとナツコとホタルは南ゲートに向かって歩き始めた。
「あ、ちょっと待って!」
俺が呼び止めるよりも早く、ケンジが、自分の無線機を取り外しナツコに叫んだ。
「ナツコさん、俺、管制塔に戻ったら、無線で情報を流すんでコレ、使ってください」
「ありがとう……じゃ、使わせてもらうわ」
ナツコは手慣れた手つきで無線機を身体に装着すると南ゲートに向かって走り出した。
「じゃ! 私も行くわ! カオル、いいわねユカリのこと!」
ホタルはそう言うといきなり俺の頬にキスをした。
「な、なんだよ……」
「頼りにしてるわよ! お兄ちゃん」
ホタルはニヤリとするとナツコの後を追って走り出した。
(な、なんだか、あいつ死亡フラグ立ててないか? いやな感じだ……)
◆
「アケミちゃん、カオル、ありがとう」
ケンジは、大展望塔(白い天空)の前で敬礼をした。
ホタル達と別れ、指示通り地下駐車場の生存者を無事に安全な場所まで誘導することができた。
「なぁ、カオル。お前これから病院へ向かうんだよな……」
「あぁ……そういえば、ここから病院付近の状況ってわからないのか?」
「それがなぁ……」
ケンジは両肩をすくめるとスタッフ用園内地図を取り出した。
「カオル。この園内にはかなりの監視カメラがつけられているんだが、病院の中だけは患者のプライバシー保護の観点もあって、病院敷地内は別システムになっているんだ」
「そうなのか?」
「まぁ、被害報告は届いていないから、大丈夫だとは思う……」
「うーん。そうか……」
「そうだ、カオル。お前にも無線機を渡しておくよ。バックアップにもならないだろうが情報はながせるから……」
「ケンジ、ありがとう。助かるよ」
俺は、無線機を身体に取り付けると、ケンジからその操作を教わった。
「いいか、カオル。無理するなよ。スタッフ通路は独立しているところもあるから、いざとなれば逃げ込むところはあるんだ。それに病院の施錠についてはこちらでもコントロールができる」
ケンジは、自分のカードキーを首からはずし、俺に手渡した。
「コイツがあれば、ほとんどの部屋は入れるはずだ。俺の嫁ユカリちゃんを頼むぞ!」
俺は思わず吹き出してしまったが、ケンジのニタニタ笑う顔に少しばかり励まされた。
「アケミ、行こうか」
「うん!」
俺達は、大展望塔(白い天空)を後にして居住地区(青い湖)に向かって走り出した。
◆
十二月二十四日 午後四時
俺は、ケンジから無線で道案内をしてもらい居住地区(青い湖)までやってきた。すでに、陽が傾いて辺りはオレンジ色に染まり、ポツリポツリと街路灯が灯り始めた。
ケンジの話では、園内に設置してある街路灯の下についているオブジェは、実は監視カメラで、人の通り道はほとんど網羅しているのだそうだ。
――あ、カオル? 今、昼過ぎの地下駐車場での映像を分析した結果が出たんだが……悪い知らせだ――
「な、なんだよ……」
――地下駐車場での騒ぎなんだけど、ナツコさんの誘導作戦で感染者を隔離する時、五人だけ地下駐車場から外に出ていた事がわかったんだ――
「五人……で、その五人はどこへ行ったんだ?」
――三人は南ゲートに向かったことがわかっている……二人の行方がわからない。今、他の監視カメラの映像も含めて、その二人が写っていないか照合しているところだ。病院に向かった可能性もある――
「そうか! 怪我をすれば、病院へ駆け込むってこともあるかもしれないな」
俺は、じっとりと手に汗をかいてきた。
突然、俺の腕をアケミが引っ張ってきた。
「お、おい、なんだよ……」
俺が見下ろすと、アケミはほっぺたを膨らましてこちらを睨んでいる。
「つまんない! ずっとケンジと話してばっかりじゃない……せっかく二人きりになれたのにぃ……」
「し、仕方がないだろう……いつ襲われるのかわからないんだし……」
「そりゃ、そうだけど……じゃ、チャチャチャッとユカリちゃんを救出しちゃお!」
「そ、そうだな……」
俺が答えると、アケミはぐんぐん俺の腕を引っ張った。そして、嬉しそうに俺を見上げてくる。オレンジ色に染まったアケミの笑顔に俺はドッキリしてしまった。
(まぁ、可愛いよな……普通に……)
――あー、カオル? そこを右に曲がったところが病院だ。俺の道案内はここまでだ――
「あぁ、ありがとう……」
高い生垣を曲がると、右手に水色の八階建ての建物が見えてきた。
◆
病院前は、綺麗に刈り込まれたちょっとした庭園がある。普段なら病院を訪れる患者や面会者を癒してくれるのだろう。
「なんか、静か……だね。もしかして、病院、お休み?」
アケミは、ガラス張りの病院入り口に張り付いて中の様子を伺っている。
(たしかに、休業中の病院みたいだな。エントランスの照明もついてない……)
俺は、棒をしっかり握りしめ、正面玄関に近づくと自動扉が半開きのままになっている。
「おかしいな。半開きのままだ」
「そうだね……うんしょっと」
アケミが、指をかけて扉を開くと、生暖かい空気が流れてきた。
「誰もいないね……」
「そうだな、みんな避難したんじゃないのか」
「そうかもね……電気も非常灯しかついてないしね」
確かにそうだ。もしかしたら、非常事態ということで自家発電装置にきりかえているのかもしれない。
エントランスを横切り、受付カウンターにやってくると、面会用の端末を見つけて操作を試みた。
「端末は動いているみたいだけど、パスワードでロックされている」
「え? じゃ、全部の部屋を見て回らないとユカリは探せないの?」
「うーん、パスワードがわかればなぁ……」
適当に触ってみたが、当然のことながら画面にはアクセスエラーの文字が並ぶ。
「あ、そうだ! コレがつかえるかも!」
アケミは、自分の指をもう一方の手で包み込み力を入れると、指先がUSBのコネクタに変形している。
「これを差し込んで……っと」
アケミは、さっとパソコンのコネクタに指を入れると画面がチラチラっと変わり、数秒でメニュー画面が現れた。
「ど、どうやったんだ?」
「えへへ、適当に入れたら当たったみたい!」
「バカな……」
アケミはペロっと舌を出した。
「えっと、ユカリちゃんのフルネームは?」
「カミヤ……カミヤユカリ……」
「カミヤ……カミヤ……あ、あった。四階東館の八号室……」
アケミは指をパソコンから抜くとニッコリ微笑んだ。
その時だった。天窓から差し込んでいるオレンジ色の光を何者かが一瞬遮った。
「うん?」
俺は振り向いてエントランスの天窓を見上げてみた。エントランスは八階までの吹き抜けになっており、オレンジ色の空が見えているだけで特に異変はない。
「今、何か動かなかったか?」
「え?」
アケミはキョトンとして目を丸くしている。
「気のせいか……」
「鳥が飛んで、影でもさえぎったんじゃないの?」
「そうかもな……」
俺は、ため息をつくと、受付カウンターから離れた。
廊下を歩くと「非常電源作動中」との表示ランプが点灯しているところをみると、予想通り自家発電をして、院内は最低限のものしか電源が入らないようだ。
「病院って、普段はもっと明るいのにね……」
アケミは、グッと俺の腕に抱きついたままだ。
「エレベータも止まっているだろうから、このB階段を昇ろう」
「うん……」
俺たちは、薄暗い病院内をゆっくりと四階まで、階段を昇っていった。俺たちの靴音だけがキュッキュッとピカピカの廊下に響く。
丁度、四階にあがると、遠くの病室からアラーム音のような音が断続的に鳴っているのが聞こえてきた。
「この先、左手が東館みたい!」
突然、アケミがうれしそうに大声を張り上げた。
「び、びっくりするじゃないか!」
「え? だって、ここにはG0はいないんじゃない?」
「なんでだ?」
「だってG0は、時間内にどんどん感染させて拡散する事しか頭にないはずだもん」
「まぁ、そうだが……」
「それなら、もっと健康な人のほうがいいじゃない」
「なるほど、それも一理あるな」
「でしょ?」
アケミは勢いよく走り出すと八号室のプレートの掛かった部屋を見つけ出した。
「カオル君。ココだよ!」
「ああ、八号室。カミヤユカリ、ここだな」
俺は、病室の扉に手をかけた。
(つづく)
第四話(4)完結
『Town of the Dead』企画
俺の彼女は豆腐好き! トラキチ3
6稿20150325
初稿20150228
第四話(4)
十二月二十四日 午後四時十五分。
俺は、そっと病室の扉を開けた。
プンと消毒液の匂いが鼻に付く。そして、薄暗い部屋の奥にベッドがあるのが見え、さらに、ベッドの周りには、様々な機器があり、小さなランプがチカチカとせわしなく点滅している。
「カオル君、何してるの?」
アケミがじれったそうにつぶやくと、俺の背中をドンと叩いてきた。
「うお……」
俺は、その勢いでベッドの前に押し出されてしまった。
ふとベッドをみると、ピンクの寝巻きが見える。しかし、俺は『妹をおいて逃げてしまった』という罪悪感からまともにユカリに顔を合わせることもできず、黙ってうつむいていた。
「ねぇ、カオル君……。ユカリちゃんって綺麗だね」
アケミが、俺の背後から声をかけてきたが、俺は、目を伏せたまま何も答えられなかった。突然、アケミが俺の手を取り、ユカリの手に重ね合わせた。
「お、おい……」
俺は慌てて手を引っ込めようとしたが、ユカリの手は温かく柔らかで、なんとも懐かしい感触がした。
(そういえば、ユカリの手をつなぐのは何年ぶりだろう……)
その瞬間、小さなユカリの手を引いて一緒に遊んでいた頃の記憶が頭をよぎった。
俺が、母さんからお使いを頼まれると「ユカリも行く」と騒いでは、いつも俺の手をつかんで一緒にでかけた。交差点で信号が変わりそうになり、少し早足で歩くとユカリは息を弾ませて懸命に俺の手を握ってについてきた。
小学生になっても、ユカリが小学校に忘れ物をしたからっといって、日が暮れてから一緒に学校へ荷物を取りに行った時も、ずっと俺の手を握りしめていた。
さすがに中学生になってからは手を握る事はなかったが、俺のお弁当を「一緒に作ったほうが効率いいし」と作ってくれたり、お菓子を作っては「試食してみて」と、いつもユカリは俺には気遣ってくれてた。
(何、やってんだよ……ユカリは俺の妹じゃないか。どんなに辛い事があっても、俺はいつもユカリの味方でいなくちゃならないのに……何やってるんだよ!)
俺は、大きく息を吐くと、思い切って顔をあげた。
(ユカリ……)
ベッドに横たわるユカリは、三年前の時と変らず無表情のままだった。身体からパイプやチューブさえ出ていなければ、まるで、スヤスヤと眠っているようにも見える。しかし実際には、機械がユカリの胸を規則正しく上下に動かしているだけなのだ。
病室に月の優しい光が差し込み、ユカリの髪の毛がキラキラと輝やく。その光景に、俺はおもわずため息をつくと、微笑んだ。
「ただいま……」
俺は、ユカリの手を取るとギュッと握りしめた。すると、ユカリが小さくビクンと震え、俺の手を握り返してきたのだ。
俺は、ユカリが意識を戻したのかと思い、顔を覗き込んでみたが、残念ながらそれ以後、ユカリの反応はなかった。俺はため息をついて、そっと手を放した。すると、今度はしっかり閉じられたユカリの目から涙が一粒ポロリとこぼれ落ちた。
「ユ、ユカリ……」
俺は、ユカリの額に手をのばすと、ゆっくり頭を撫ぜてみた。サラサラと髪の毛が手の平からこぼれ落ちる。
(そういえば、前にもこんなシーンがあったような……)
そんなことを考えながら、何度となくユカリの頭を撫ぜた。俺の思いすごしかもしれないが、次第にユカリの頬が赤く染まっていくようにも見える。
ところが、なんどか撫でているうちに、勢いあまってケーブルに手が触れ、ケーブルの一本が外れてしまった。
ピピピ……ピピピ……
ベッドの横の機器のランプが点滅し、けたたましいアラームが鳴りだす。
「し、しまった……」
俺は、慌てて外れたケーブルを拾い上げようと床にかがんでいると、突然、廊下からバタバタという足音が聞こえてきた。
「うん?……今まで、人の気配なんかまるでなかったのに……」
俺は病室のドアを見上げた。すると、ドアに人影が映る。
(だ、誰?)
コンコン……コンコン……
ドアをノックする音が病室に響く。
俺は、息を潜め、棒を強く握り締めるとドアに近づいた。
「大丈夫ですか?」
突然、可愛らしい女性の声が聞こえてきた。
(え? 看護婦さん?)
俺は、ホッとして大きく息を吐いた。
「実は、ケーブルがはずれてしまって……いきなりアラームが……」
そう言いかけて、ドアに手をかけると、ドアがスッと開いた。
「失礼します」
驚いたことに廊下に数十人ものの看護婦がこちらを見つめて立っている。俺は、あまりの異様さに慌ててドアを閉めようとしたが、物凄い勢いで彼女らが部屋になだれ込んできた。
「ち、ちょっと……待って……」
俺は、懸命に押し戻そうとしたが、看護婦の流入は止まらない。あっという間に病室は、満員電車のごとくスシ詰め状態になり、俺は病室の奥の壁に押しつけられ身動きが取れなくなった。
「く……苦しい……」
俺は、なんとか身体をよじり息をする。
(なんなんだよ、これは……)
俺は、目の前の看護婦を睨みつけた。ところが、その看護婦は、まるでグラビア雑誌にでてくるような整った顔立ちで、ボリュームのある胸をグイグイと押し付けてくる。ほのかに香るバラの香りに、俺は思わず赤面してしまった。
「ア、アケミ……なんとかしてくれ!」
俺は、叫んでみたがアケミからは返事がない。
(おいおい、どうした?)
そうこうしているうちに、突然、目の前の看護婦が、ブルブルっと震えはじめると、首筋から緑色のシミが広がっていくのが見えた。
(おいおい……。これってG0なのか?)
「マジかよ、ヤバイって、アケミ! アケミ!」
俺は大声で叫んだ。
(なんてこった……手足が動かない)
すでに目の前の看護婦は、虚ろな目になっている。そして、俺を見つめるとニヤリと笑いながら舌なめずりをしてきた。
「お客様、病室では静かに願います……」
そういうと、さらに胸を俺に密着させ、顔を寄せてきた。
「や、やめろ……」
俺は必死に抵抗したが、緑色に輝くプクッとした唇が近づいてくる。首を上下左右に振り必死に背けたが、彼女のやわらかな唇は、俺の唇にぴったり重なった。
徐々に、俺の視界が暗くなる。と、同時になにやら身体が温かくなり、フワフワと浮かぶような心地よい感覚に俺は包まれた。
◆
十二月二十四日 午後四時十五分。
ナツコとホタルは南ゲートが見下ろせる高台からゲートの様子を伺っていた。
「三十人ぐらいって話だったけど、ざっと数えただけでも、五十人はいるんじゃないの?」
ナツコはホタルに双眼鏡を渡すとつぶやいた。ホタルも双眼鏡をのぞきながら、静かにうなづいた。
「G0は、バリケードを超えることしか頭にないから、両サイドから少しずつ除染して排除するしかないわね」
ホタルは、ニッコリ微笑み、双眼鏡をナツコに返した。
「とりあえず、除染したら生存者は園内に退避させていけばいいわね」
ナツコが確認をとろうとホタルを見ると、ホタルは一点を見つめたまま首をひねっている。
「さっきからちょっと気になっていたんだけど……」
ホタルがゲートの先を指差す。
「ほら、あそこに停まっている車。おかしいとおもわない?」
ナツコは、ホタルの指先を追って、双眼鏡を覗き込むと唸り声をあげた。
「ア、アイツら……」
「アイツら?」
「そう、私の取引相手を射殺してキューブを破壊した連中よ……私、絶対に許さない!」
ナツコは悔しそうに下唇を噛みしめた。
「間違いないの?」
「あの車の型、色、それにあの新聞配達のロゴからみてもまず間違いない。第一こんなところに車がとまっていること自体おかしいと思わない? みんな退避命令がでているはずなのに……」
ホタルはジッとナツコを見つめた。
「でも、あそこで何をしているのかしら」
「なにか狙いがあるはず。狙撃できるようなライフルを持ち歩いている物騒な連中だし……」
「ともかく、先にG0を除染しましょ。もし関係があるなら、そのうち彼らも動きだすはず……」
ホタルはナツコの肩にそっと触れた。ナツコは、ホタルにニヤリと笑うとつぶやいた。
「わかったわ……それじゃ、なるべく派手に除染してみるわ……」
ナツコはそう言うと、素早く東側の端に向かって坂道を下り始めた。
ホタルは西側から、ナツコは東側から、G0感染者に近づいては、黒い粉を巻き上げて除染を開始した。ナツコは、始終、黒いバンに注目していたが、一向に動きがない。
「よし、あと一人だわ」
ナツコが、棒を振り回し派手に立ち回り、最後の一人を除染し終わると、ゲートの照明に灯がともった。一気にゲート周辺が明るくなると、例の黒いバンの窓がわずかに開くのが見えた。
「ホタル! ヤツらが動いた!」
ナツコが叫ぶと、ホタルはうなずき、身体をスッと半透明になると、そのままバリケードを抜けた。
そして、例のバンに近づくと、わずかに開いた窓から中に忍び込んだ。
バンには、三人の男がいて、いくつかのモニターを見つめている。
モニターには、黒森園内の様子が映し出されている。大方、監視カメラの画像をハッキングしたものなのだろう。
別のモニターには、人がG0に襲われるシーンや、時間が経って人がドロドロに溶けていくシーンの映像だけが繰り返し流れている。 白衣を着た男がその映像を、確認しながらメモをとっている。
突然、筋肉質の白髪頭がニヤリと笑ってつぶやいた。
「化学兵器としては、即効性、恐怖感を煽り立てられる最高のモノだな……」
白衣の男は、メモを取る手を休めるとギロッと白髪頭を見つめた。
「兵器? 少佐、我々が取り扱いが出来なければ兵器としては成り立ちませんぞ」
「そりゃそうだ。だが博士、アイツらが持っている棒があればなんとかなりそうじゃないか……」
「しかし、まだあの棒がどのようなものかもわからないでは……その解析をしてからでないと……」
白髪頭は、肩をすぼめるとウンザリした顔をみせた。
そして足元に置いてある大きな金属製のケースをコツンと蹴飛ばした。
「コイツを使えば世界征服だって夢じゃないのにな……教授は心配性だ」
白髪頭は、若い男に目配せをするとつぶやいた。
「伍長、ゲートにいるヤツラがもっているあの棒を回収するぞ」
伍長と呼ばれた若い男は、ホタルとナツコが棒で除染している映像を繰り返し確認し、ナツコを指差して叫んだ。
「少佐、この女は、研究員のサアドに接触してきたヤツじゃないかとおもいます」
「朝の女か? まだ、生きていたとはな。まずは、その女を捕まえて入手経路を探ってみよう」
「そういえば、もう一人、小娘がいたはずだが……どこに消えた?」
「少佐、映像では、この時点で急に姿が見えなくなるんですが……」
「まぁ、バリケードの影にでも隠れたのだろう」
ホタルは、ジッと男達の話を聞きながら、首を横に振りため息をついた。
(どの惑星にも、おんなじことを考えるおろかなモノがいるのね……)
ホタルは、そっと自分の指を取り外すと、フッと息を吹きかけた。その指はみるみる球体に変化し、徐々に緑色のG0そっくりの色に変わった。
(少し、G0の怖さを味わうといいわね……)
ホタルは、金属製のケースめがけてG0モドキを投げつけた。
G0モドキは、白髪男の足元をササっと移動すると、ゆっくりと触手を伸ばすようにブーツの中に入り込んだ。
しばらくすると、白衣の男が白髪頭の顔を不思議そうに見つめながら声を上げた。
「あ、少佐、額をどこかにぶつけましたか? アザが……」
「うん? アザ?」
白髪頭は、額に手をやると、今度は指先が緑色に変色した。
「な、なに! そんな馬鹿な……しっかり密封したはずなのに漏れた?」
白髪頭の皮膚がみるみる緑色に変化しはじめていく。その光景を目の当たりにした二人は、のけぞって車外に出ようとしたが、G0モドキがスーッと伸びると二人の首元に張り付いた。
「うお……」
たちまち車内はパニックになった。懸命に皮膚についたG0モドキを刮ぎ落とそうとするが、スッと皮膚に吸い込まれ、アザのように緑のシミが広がっていく。
白髪頭は、大きく息を吐くと叫んだ。
「待て、落ち着け、たしか研究員達で試したときは五分はまだ意識があったはずだ。まだ時間がある。伍長、あの棒を手に入れるんだ……いいな……」
「わ、わかりました……」
男は、白髪頭に敬礼すると、若い男は、車外に出た。
「ナツコ……」
ナツコは驚いて振り向くと、ホタルがニヤニヤしながら立っていた。
「驚かさないでよ……で、どうだった?」
「どうやら、G0で世界征服をたくらむ悪いヤツらだったわ」
ナツコは、思わずプッと噴出して笑ってしまった。
「世界征服ですって?」
「まぁ、あのG0を道具にしようとは恐ろしい事を考える人間もいるもんだわ。それと、調査研究員での人体実験もしていたみたい……バンの中には園内のG0の行動を記録していたわ」
ナツコの顔色がサッと変った。
「な、なんですって……」
ナツコは下唇を噛み締めるとバンを睨みつけた。
「アイツら、絶対に許せない!」
ホタルは、ニヤリと笑うとナツコの耳元でささやいた。
「ナツコ……あのバンには三人の男がいるんだけど、G0モドキを感染させておいたわ」
「G0モドキ?」
「うーん、まぁ、こちらで制御することのできるG0って感じかな……私たちも、もともとG0に改良を重ねたものだから……構造は似ているのよ。おそらく、棒で除染してくれって頼みにくるはずだから……」
ナツコは、小さなビデオカムを自分の腕にくくりつけた。
「しっかり記録をさせてもらって、たっぷり償ってもらわないとね」
ナツコは、ニヤリと笑うとワザとバリケードから離れた場所に移動した。
すぐに、黒いバンのサイドドアが開く音が聞こえた。
ナツコが振り向くと、黒尽くめの男が両手を揚げてバリケードに近づいてくるところだった。ゲートの照明灯に照らされた男は、少し早足でバリケードに近づくと、ナツコに向かって大声で叫んだ。
「すまない! 俺達は、あの緑のウィルスを調査しているものだが、調査中に俺達も感染してしまったようだ」
ナツコはジッと黙ったまま男を見つめた。
「今はまだ平静を保っていられるが、やがてゲートにいた連中のようになるだろう。車の中にはあと二人いる。俺達をこのまま放置すると町中に被害が及ぶかもしれない。どうだろう、キミが持っているその棒で除染ができるのなら、ぜひ除染をしてはくれないか」
男はバンを指差すと、少し焦った表情で叫んだ。
「頼む……」
ナツコは困った顔をして肩をすくめた。
「申し訳ないけど、私は、このバリケードを越え、その車までいけないわ」
すると男は、手を振りながら叫んだ。
「それならどうだろう、その棒をコチラへ貸してくれないか? 頼む……時間がない」
ナツコは、チラリとホタルを見ると、ホタルはバリケードの影でニヤリと笑って首を縦に振っている。
「それじゃ、私の質問に正直に答えてくれたら、棒を渡そうかしら」
「質問?」
「そう……今朝、私と取引をしようとした男を狙撃したワケと、この騒ぎをあの車で記録している理由を教えてくれないかしら?」
男は、一瞬ピクリと眉毛を動かしナツコから視線をはずした。
「そ、そんな事は知らないが……」
「そう? 現場には、アレと同じ車がいたんだけどね。知らないなら、話はここまで……さようなら……」
ナツコがくるりと後ろを向くと、野太い声がした。
「おい……」
男が後ろを振り向くと、白髪頭がバンから顔を出した。
「少佐……」
「伍長、もういい。私が話そう……」
白髪頭は、少しよろめきながらバリケード近くまでやってきた。
男は、緑色の顔に汗を浮かべ震えながらナツコを睨みつけている。
「さっきも話したとおり、サアドへの狙撃と、この騒ぎを記録している理由を聞かせてもらえるのかしら?」
ナツコが睨みつけると、白髪頭は歯をむき出しブルブル震えはじめた。
「う……うううむ……か、身体が勝手に動く……。お、俺達は……隕石を調査しにきたんだが……」
「それで?」
「さ、採取した隕石は、調査船で回収した途端に、突然変化してまるで液体のような物体に変わった。そして、担当していた研究員に付着した。五分後には研究員は全身緑色になり、まるで凶暴なゴリラのようにスタッフにも飛びかかると緑の液体を撒き散らした……」
白髪頭は、自らの口を手で押さえたが、ギリギリとまるで糸で引っ張られるように手を下ろした。
「あんたたちは、その研究員を見殺しにしたの?」
「む、無理だ。得体のしれない物体を制御する術もなく、ただ、強化ガラスで密封された部屋の中で研究員がドロドロの緑の物体に変わるのを見守るしかなかったんだ」
男はその場にひざまつくと、拳を地面にたたきつけ自らの意識を取り戻そうと必死のようだ。
「我々が、関係機関と連絡をとっている間に、あの男はロボットアームで緑の物体をアクリルキューブにいれて持ち出した」
「それがサアド?」
「そうだ。その物体を外へ漏らしては大惨事になる……」
ナツコは、男をにらみつけると大声で叫んだ。
「じゃ、なぜサアドを狙撃して、私も狙撃したのよ。お陰で、この事態を招いたのよ」
「そ……それは、もう少しデータを集めたかったのだ。この場所は、盆地になっていて、外部と隔離できるうってつけだった……」
ナツコは、ホタルを見つめた。
ホタルは、両手を広げ指を組んだ。すると、白髪頭は固まって動けなくなった。
「なに! 身体が……勝手に動く……」
男は、その場で今までの経緯をペラペラと話し始めた。
男が話し終えると、ナツコは、ニヤリと笑うと頭につけたカムカメラをはずした。
「しっかりと、録画させてもらったわ。このことはキチンと償ってもらうから覚悟するのね」
ホタルは、バリケードをスッと抜けると白髪頭の側に近寄った。
「ねぇ、その調査船からG0は隔離したっていったけれど、それがあのバンにあるのね?」
「G0?」
男達は、まるでロボットのように身体を動かしている。ホタルは、一人づつ手をつかむと棒を押し付けた。するとみるみる男達の緑色のシミが消えていく。
ナツコは、驚いてホタルに声をかけた。
「ちょっと、ホタル。三人とも除染しちゃうの?」
「ふふ、この三人はコアが完全に制御したからだいじょうぶ。ナツコの指示には、逆らえない。逃亡もできないし虚偽の申告もできないはずだから」
「へぇ、それはいいわね。どれどれ……」
ナツコは、男達にバリケードの一部を排除するように指示を出してみた。すると、男達は、すぐさま車から大型のワイヤーカッターを持ってくるとテキパキと抜け道を作ってしまった。そして、自ら手錠をかけると車の中に入り込んだ。
白髪頭は、苦虫を噛んだ表情をみせていたが、ナツコの指示には絶対だった。
ホタルは、バンに乗り込むと金属ケースに格納されているG0をすべて除染した。
「これで、いいわね!」
ホタルは、ナツコに微笑んだ。
「この人たちの処分はあなたに任せるわ。ナツコ、いろいろありがとう」
「え?」
「ここで、お別れね……私はカオルたちのところへ戻らないと……」
ナツコは、持っていた棒の残りと無線機をホタルに渡すと微笑んだ。
「コイツラをぶち込んだら、あなたとじっくり話をしてみたいわ」
「私と?」
「そりゃ、色々聞きたいことが山のようにあるわ!」
「ふふ、それは、ヒ・ミ・ツ!」
ホタルはニコリとすると、クルリと振り返ると坂道を戻り始めた。
ホタルが坂道をのぼりきると、ナツコから手渡された無線機がけたたましく鳴り出した。
――ナツコさんいますか! カオル達がいる病院がおかしいんです――
ホタルは、驚いて無線機に向かって話しかけた。
「ねぇ、病院がおかしいってどういうこと?」
――あ、ホタルさん? カオル達が病院に入ってから一時間ちょっとたっているんですが、病院から三十名くらいの感染者が溢れでているのを園内のカメラで確認したんです――
「そ、そんな……。カオルとアケミは?」
――なんども連絡をしているんですが、応答がないんです――
「え……」
ホタルは自分の頭に指を押し当てると、アケミとカオルのコアからの通信を確認するために集中してみた。かすかに反応はある……。
「わかったわ、私もそちらへ急行するわ。それから、ナツコは別の任務で黒森から離脱したわ」
ホタルは、ケンジの返事を待たずに急いで病院をめざして走り出した。
◆
十二月二十四日 午後五時。
あたりはすっかり暗くなっていた。病院のある地区は街灯もついておらず、建物が月明りに照らされている。
ホタルは棒を片手にしっかりと握り締め中央玄関の前にいた。玄関は、強化ガラスが粉々に砕け散り、金属製のフレームが無残なほど曲がってしまっている。
ホタルは辺りを見回しながらゆっくりと病院のエントランスを目指した。歩くたびにジャリジャリと砕けたガラスの音が聞こえてくる。
「うん?」
ふとホタルは、立ち止まり耳をすませた。
「何の音?」
どこからか音が聞こえてくる。ホタルは目を閉じ、自分の身体を壁に押し付けると建物から伝わる波動を最大レンジで受信してみたが、聞こえるのは微かなノイズ。
ホタルは、微かなノイズを聞き分けながらエントランスを抜け、真っ暗な階段を登り始めた。階段の踊り場には大きなステンドガラスがあるが、淡く月明りで光っている。
ノイズは次第に大きくなるがよく聞き取れない。どうやら上のフロアのようだ。
そして階段を昇り、四階までくると、そのノイズが廊下の奥のほうから出ていることがわかった。
カタカタ……
ホタルは、鼻をフンと鳴らすと音のなる方へ薄暗い廊下をスタスタと歩いた。
「八号室……カミヤユカリ様……」
ホタルは引き戸に手をかけ、勢いよく扉を開けた。
「なにこれ……」
ホタルは、薄明かりの中、病室がまるで竜巻でもあったかのように滅茶苦茶になっているのに驚いた。
特にベッドはフレームが無残にゆがんでおり、周囲に配置されていた機材が横倒しになっている。
カタカタ……
「どこ……?」
ホタルは、ずっと拾ってきたノイズの正体を確かめようと耳をすませた。
カタカタ……
その音は、月明かりに照らされた窓際近くから聞こえてくる。ホタルは床に散乱した機材を避けながら窓際のサイドテーブルを見つめた。
カタカタ……
音の正体は、そのサイドテーブルに無造作に置かれた銀色の小さな指輪だった。なぜか、周期的にサイドテーブルの上で音を立てながら振動している。
「これ?」
ホタルが、その指輪をつまみ上げた瞬間、天井から黒い影がホタルを包み込んだ。
「え?」
突然の暗闇に、ホタルは慌てて目を凝らしたが何も見えず、何も聞こえない。ホタルは慌てて手に持った棒を振り回すがまるで手ごたえがない。
「うん?」
突然、背後に異様な波動を感じて振り向くと、そこには、緑色に淡く光るユカリが立っているではないか。
ホタルは、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにニヤリと笑って口を開いた。
「ユカリ? 初めましてって言えばいいのかな?」
「……」
「そっか、あなたは、話すこともできない単なる操り人形って事かしら」
ユカリは何も答えず、ジッとホタルを睨みつけている。
「おかしいなぁ、あなたのお兄様が、大切な妹さんを探しに着たはずなんだけど……ドコへ行ったのかしら? それとも、操り人形と知って幻滅しちゃったのかしら」
ホタルが嫌味たっぷりの口調で話しかけると、無表情だったユカリの眉がピクリと動き、悲しそうに目を伏せた。
「ふっ」
ホタルは、ユカリが視線をはずした瞬間を見逃さなかった。すばやく手に持っていた棒をユカリに投げつけた。棒は、物凄い勢いでユカリめがけて飛んでいく。
ユカリは、そのまま目を閉じ、そしてニヤリと笑みを浮かべた。
サクッ
棒は、ユカリの眉間に突き刺さった。
「甘いわね……」
ホタルは、鼻をフンと鳴らしてユカリの様子を伺った。
ユカリは、ブルブル震え、顔をしかめ、額から緑色の液体を噴出しながらホタルをジッと見つめている。ユカリを取り巻いていた淡い緑色の光が薄くなり白く輝き始める。
ホタルは、ユカリに突き刺さった棒を引き抜こうとユカリに近づいた。
「ふふふ……ホタルちゃん? ありがとう」
ホタルは、耳を疑った。確かに棒はユカリに突き刺さった……ユカリの体内にあるG0はコアが分解して除染したはず……。
ホタルは、ジッとユカリを見つめると、ユカリは、自分でスッと棒を引き抜いた。
「ホタルちゃん、コアをどうもありがとう。これで私も進化できたわ」
「進化……はぁ?」
ユカリは、上目使いでホタルを見つめるとニッコリ微笑んだ。
「あなたは、重要な間違いを犯したのよ。それは、カオル兄さんのDNAで作られたコアは、血の繋がった兄妹の私の中では中和されてしまうってこと。G0 同士のネットーワークでDNAの照合をしていたのが功を奏したわ。コアを無力化して、それを手に入れることができれば、G0に制御コアを取り込んだG1に進化ができるというわけ」
「はぁ? そんなの聞いたことがないわ……第一……」
ユカリは、ホタルの言葉を遮ると叫んだ。
「おやすみなさい、ホタルちゃん」
ユカリは、微笑みながら手を振った。
「前々からあなたの事は気に入らない存在だった。当初の我々の任務をことごとく破っているあなたにはもうウンザリ……」
「任務? そんなものあったかしら?」
ユカリは、苛立ってホタルに睨みつけた。
「惑星侵略のために、我々G0が投下され、抵抗する知的生命体を排除してから、あなた方R5が除染するって任務よ!」
「はぁ? 惑星侵略? そんな任務聞いたことがないわ」
「まぁ、いいわ。私はG1に進化できたから、あなたの役割は必要ない。あとはこの私がこの惑星を好きにさせてもらうわ……」
「な、何言ってんの? そんな勝手なこと許されるはずがないわ。この惑星の住人は、確かに不安定で不完全だけど、協調的な社会を構成しているし、我々にとって脅威になる存在とは言えない。それを侵略する権利なんかないわ……。」
「権利? 別に好きにさせてもらうだけだから……」
ユカリはカラカラと笑うと両手を高く上げた。
「ところで、この空間は、私の体の中なのよ。ゆっくりと眠りについてちょうだい。永遠にね!」
「えっ……」
ホタルがユカリに近づきその身体を掴もうとした瞬間、ユカリは、スッと身体を液体化し暗闇の中に消えてしまった。
それと同時に、暗闇がホタルの身体を抑え付け始めた。まるで風船をつかって四方八方から押さえつけられているようだ。
「ううう……」
どんどん身体が圧迫されていく……。ホタルは、もはや人間の姿ではいられなくなってしまった。身体を透明にすると自ら直径六十センチの球体となって圧を分散して抵抗した。しかし、加圧は止まらない。
「カオル……あなたドコにいるのよ!……」
水分が搾り取られ身体がどんどん熱くなっていく。
「カオル……チカラを貸して」
ホタルは、懸命に意識を保ち、カオルに向けて思念を送っていたが、それも長くは続かなかった。やがて、すべて静かな暗闇の中に押し込められ一センチ程度の黒こげた玉となって床に転げ落ちたのだった。
◆
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……」
「うん? ユカリ?」
俺は、暗闇の中でユカリの声を聞いた。
「ユカリ……どこだ?」
俺は大声で叫んでみた。
「こっち……こっちだよ」
暗闇の遥か彼方にかすかに光がみえ、そちらから声が聞こえてくる。
俺は懸命にその光を目指して走り出した。心臓の鼓動がどんどん早くなるのがわかる。
そして、その光の中に入ると、目の前の光景に呆然となった。なんと、そこは一面緑色の世界だったのだ。見渡す限り空も大地もない。ただ、自分の身体がフワフワと浮かんでいる。しかも、この浮遊感はなんともいえない心地よさがある。
「お兄ちゃん……」
ユカリの声がはっきりと聞こえ、思わず振り返った。
「ユカリ!」
そこにはユカリが満面の笑みを浮かべ、俺を見つめていた。
「お前、大丈夫だったのか? 意識もあるみたいだな」
「やっと合えたね……」
「無事でよかった。でもこの空間はなんなんだ?」
俺が、再度周りを見回すと、突然、右手の薬指に激痛が走った。
「痛っ」
驚いて右手を見ると、ホタルからもらった指輪が真っ赤に光り、ギリギリと指を締め付けている。
「何なんだよ……」
俺は、指輪をはずしてしまおうと、それに触れた。
その瞬間、バチッと音がして目の前が真っ白になった。
――緊急回路接続……協力者保護プログラム作動開始……繰り返す、緊急回路接続……協力者保護プログラム作動開始――
(な、なんだ? 今の警報は?)
俺は、ハッと気がつくと、冷たいコンクリートの床の上に倒れていた。
「あれ? なんでこんなところにいるんだ?」
ゆっくりと身体を起こすと冷たい風が俺の顔を撫でる。
――カオル……チカラを貸して――
冷たい風の中に、ホタルの声のようなものが聞こえてた。
俺は驚いて周りを見回し、自分が、病院の屋上にいることがわかった。
(そういえば、さっき緊急回路が始動したとか、協力者保護プログラムがどうとか言ってたが……あの強気のホタルが?)
無性に胸騒ぎがするが、俺は頭を振った。
俺が、立ち上がろうとすると、また右手の薬指がズキズキと痛み出した。
「おいおい……あれは夢じゃなかったのか!」
俺は、おそるおそる右手の指輪に手を触れた。指輪は熱を持っていて、赤く輝いている。
(まさか、ホタルに何かあったのか? そういえば、アケミはどこに行った? たしかユカリの病室で看護婦に襲われるまでは一緒だったはず……)
突然、俺の胸ポケットがモソモソと動き始めた。
「うおっ」
俺は慌ててポケットを抑えると、親指ぐらいのサイズのアケミが俺を見上げていた。
「ア、アケミ?」
アケミは、何か懸命に叫んでいるようだが、さっぱり聞こえない。俺は、アケミを手のひらに載せると自分の耳元に運んでみた。
「ごめんなさい。看護婦さんの集団に棒が奪われちゃって、私の身体もほとんどがG0化されちゃったの。で、それを全部、切り離してカオル君のポケットに入り込んでたの」
小さなマスコット人形のようなサイズのアケミが懸命に大声で叫んでいる。俺は、右手にアケミを載せると指輪のことを聞いてみた。
「なぁ、アケミ、ホタルのこの指輪ってなんだとおもう?」
アケミは、驚いた様子で指輪に触れた。
「え! 何でカオル君がこれをつけてるの? しかも赤いし……。これって、ホタルちゃんが活動休止しちゃってるってことなのよ」
「休止?」
「うーん、活性化していない状態っていったらいいのかなぁ」
「じゃ、どうしたら活性化するんだ?」
「活性化には、契約が必要……」
「契約? それって、一番最初にやった、体液の交換ってやつか?」
「そう……だけど、そのためには、このコアリングがなければダメなのよ。なのにカオル君がもっているってことは……」
「コアリング?」
「R5は、一人一つ必ずコアリングを持っていて、それからコアの元をつくることができるのよ」
「おまえも持ってるのか?」
「わたしは、オリジナルじゃないから持ってないの。私はカオル君のコアだけよ」
「じゃぁ、おまえがこのリングを使えばいいんじゃないのか」
アケミは、困った顔をして話した。
「そのリングはホタルちゃんしか使えないの。だから、まずホタルちゃんを探さないと」
「ホタルを?」
ホタルは、ナツコと南ゲートに向かっていたはずだ。
俺は、無線機でケンジを呼び出した。
「ケンジ、聞こえるか?」
――あ! カオルか! 無事だったのか。病院から緑色の集団が溢れでてたから、てっきり襲われたのかとおもったよ――
「なんとかなってる。ところで、ホタル知らないか?」
――ああ、ホタルちゃんなら、そっちに向かっていたはずだ。俺が病院が緑のに襲われたって話をしたら向かうと言っていた。ところで、ユカリちゃんはどうした――
「それが、緑色の看護婦に襲われて……うん? どうして俺は除染されてるんだ?」
するとアケミがつぶやいた。
「たぶん、ホタルちゃんのコアリングでG0を無効化したんだとおもう。原則、コアはその惑星の生物に協力してもらってその惑星生物に最適なものを作るんだけど……ね」
「じゃ、元から俺がいなくても良かったんじゃないか!」
「DNA構造の問題があるから、緊急時以外はコアリングは使わないのよ」
「うーん。よくわからないけど……」
「あ、いま、何時?」
俺は、時計のライトをつけて時間を確かめた。
「午後五時半……あ、ユカリの病室に入ったのは何時だった?」
「たしか、夕方の午後四時を過ぎていた気がする。エントランスに大きな時計があったわ」
「ということは……まずい、あと三十分しかない……」
「急がないと、でも、ユカリちゃんどこにいっちゃったんだろう。ホタルちゃんもたぶん近くにいるはずだとおもうけど」
「うーん。ユカリ……」
(考えろ、ユカリはドコへ向かう? G0なら何をする?)
「あ! そうだ、コアリングに聞けばいいのよ」
「聞く?」
「少なくともホタルちゃんの場所はわかるはず……」
俺は、アケミにいわれたとおりに右腕を水平にあげてぐるっと回ってみた。すると、大展望塔(白い天空)の方向で、指輪がズキズキとするのがわかった。
「とりあえず、ホタルを探そう」
◆
十二月二十四日 午後五時五十五分。
俺は、大展望塔(白い天空)に到着し、展望台へのエレベータホールに立っていた。ここは、すべての方向がズキズキする場所だった。
「おかしいなぁ、ここだと思うんだが……」
「あ、上とか下はどう?」
さりげなく、床のほうをさすと、ズキンと強く痛みを感じる。
「し、下だ」
中央の階段から下のフロアへおりてみると、フードコートとみやげ物屋がならんでいる。
「よかった。ここは明りがつくんだね」
「そうだな……」
この塔は、電気が通じているらしい。ホタルを探すのには好都合だ。
「あ、カオルくん、私をあの飲み物コーナーに連れてって」
「こんな時になんだよ?」
「ごめんね。私、豆乳が飲みたいのよ」
俺は、ため息をついて店先の冷蔵ケースから、大きな1リットルの豆乳パックを開いた。
「そのまま、ボチャンって落として」
「はぁ?」
「で、カオル君は、私にかまわず、ホタルちゃんを探して!」
「あ、ああ……」
俺は、言われるがままに、アケミをそのパックの中に落としてやった。すると、紙パックの中からズズズっとものすごい音が聞こえ、紙パックの中から手のひらサイズのアケミが飛び出してきた。
「うぉ、いきなり、でかくなったな」
「ともかく、身体をつくらないとならいから」
アケミは、そういうと自分の背丈ほどある紙パックを開けると豆乳をゴクゴク飲みはじめた。
俺は呆れてその光景をみていたが、ズキンと指輪からの痛みを感じ、再び、指を床にむけてみた。
床を這いずり回り、商品ケースの間に見覚えのある茶褐色の石ころを見つけた。
「あった!」
俺は、その石ころをそっと摘み上げた。
「たしか、このあとチクっと……痛て!」
ザックリと俺の指に痛みが走った。と、次の瞬間、石が割れると透明の液体が右手の薬指にまとわりついてきた。
「ほ、ホタルか?」
俺がそう話した瞬間、頭の中に声が響いた。
――遅い! カオル。あんた遅いわよ――
「わ、悪かったな……」
突然、指輪が透明の液体に取り込まれると、アケミ同様、豆乳の紙パックの中に指輪ごと押し込んでやった。すると、その隣の紙パックがものすごい勢いでつぶれた。
そして、店頭にあった豆乳のパックすべてを二人で飲み尽くした。
「おまたせ……」
俺の目の前には、どうみても3~4歳にしか見えないの二人の幼女が立っていた。
「カオル……あの忌々しいやつを叩くわよ」
小さなホタルとアケミは、俺の手を取ると展望台エレベータを指差した。
「展望台?」
「なんだかユカリは、高いところが好きみたいね」
「高いところ……?」
小さい頃、ユカリが迷子になると必ずといっていいほど、最上階のレストランフロアにいることが多かった。ワケを聞くと、アイスクリームがたべたかったから……と泣きながら話していたものだ。
「ユカリ……昔からそうだからな……」
俺がつぶやくと、アケミが俺を見上げてニコニコ笑い出した。
「うふふ、私も高いとこ、大好き!」
アケミが手を叩くと、ホタルはフンと鼻を鳴らした。
ホタルは、例の棒を二本つくると俺の血を抜き棒に注入した。
エレベータの数字が百、二百と、どんどんあがる。そして、五百メ-トルをすぎると、減速が開始され、六百メートルの表示になった。
エレベータの扉がゆっくりと開く。
フロアは、内部階段でさらに上へ昇る事ができる。俺は、用心深く階段をのぼると、突然、緑色の液体がドロドロと流れ落ちてくるのが見えた。
「ユカリ? おそかったか……」
ホタルは、すかさず棒をあてると、シュンと黒い煙があがり液体は消えてしまった。
「だいじょうぶ、これは、ユカリじゃないわ。ユカリにとりついたG1はこの棒では消えない」
「G1? あれG0じゃないのか?」
「進化したのよ。ともかく、ユカリに取り付いているヤツと対決しなくちゃならないの」
「対決? って、さっきもやったんだろ? で、負けたんだろう?」
ホタルは、キッとものすごい勢いで俺を睨みつけた。
「油断しただけよ。こんどはキッチリ仕留めるわ」
最上階のフロアは、やはり展望レストランになっていた。そして、そのレストランの扉を開けると、緑色の顔をした看護婦が一斉にコチラに振り向いた。
「げっ、アイツらだ」
俺が後ずさりをすると、小さなホタルとアケミが素早く棒で看護師のG0を除染していった。
そして、一番奥まった席に、緑色の光を放つユカリの姿がみえた。
「ユカリ!」
俺がおもわず声を上げるとユカリがアイスクリームのスプーンをテーブルに置き、ニヤリと笑った。
「あ、お兄ちゃん……私を置き去りにした、ヒドイお兄ちゃん……」
「う……うぅ……」
返す言葉がない。
突然、小さなアケミが、棒を振りかざすと、ユカリめがけて走っていった。しかし、ユカリは、小さなアケミの頭を押さえつけるとニヤニヤ笑いながら叫んだ。
「こんな、ちっちゃいあなたに何が出来るというの?」
懸命に手をバタバタさせ、アケミはもがいているが、勝負は見えている。
ユカリが手をはらうとアケミの小さな身体は、凄い勢いで突き飛ばされてしまった。アケミは、テーブルや椅子に身体をぶつけてぐったり床に伏せてしまった。
「ア、アケミ……だいじょうぶか」
俺は、慌ててアケミを抱きかかえた。
「ゴメンね、カオル君、今の私にできることは、コレしかできない」
そういうと、アケミは、俺の首に抱きつくと、頬にキスをした。
「いままで優しくしてくれてありがとう。楽しかったよ。でも時間がない……」
「え? 時間?」
俺が叫ぶと、アケミの身体が半透明になりだした。
「さようなら……」
「アケミ! おい!」
アケミはニッコリ微笑むと俺の腕の中からこぼれ落ちて消えてしまった。床に広がった半透明の液体は、素早くホタルの足ともに集まりホタルに融合をし始めた。
俺は、愕然とホタルを見つめた。ホタルの身体が、みるみる成長していく。そして、もとの女子高生の制服姿になった。
そして、ユカリをすごい形相で睨みつけると叫んだ。
「もう、許さない! あなたに勝ち目はないからそう思いなさいよ」
ユカリは、ギロリとホタルを睨みつけたが、恐ろしいほど明るい声でつぶやいた。
「それは、どうかしら? ねぇ、お兄ちゃんは、当然、私の味方だよね」
そしてニッコリ微笑みながら、席を立つとゆっくり俺に近づいてきた。
「バカじゃないの! いい加減にしなさいよ……」
ホタルが、すかさずユカリの腕に棒を当てる。
「ふん、そんなもの、何の役にも立たないわ」
ユカリは、ニヤリと笑うと俺の前に立った。
そして上目使いで俺を見つめると怪しくつぶやいた。
「お兄ちゃん、私、ずっと寂しかった。私のこと、ギュっとして」
「ユ、ユカリ……」
突然、俺の身体が勝手に動きだした。大きく両手を広げ、ユカリの肩を掴むと、ぐっとユカリを引き寄せた。
パシッ
いきなり、ホタルが俺の手を払った。すると、ユカリも、ものすごい形相でホタルの顔をひっぱたく。
パンッ
「うるさいわね、あんたには用はないわ」
ユカリはそういうとホタルの首に手をかけた。しかし、ホタルもユカリの髪の毛を掴むと頭を押さえつけた。
「ふん、ユカリちゃん? これならどうかしら?」
ホタルは、ユカリの首に自分の右手のコアリングを押し当てた。
ギャァァァァ……
いきなり、ユカリが白目を剥いたままブルブルと震え始めた。
指輪を押し当てた首筋がパックリと割れ、ものすごい勢いで真っ黒な液体が噴出している。
「な、なんだよこれ……」
俺は、思わずのけぞってしまった。
ユカリは顔をゆがめ、必死にホタルを引き離そうと暴れている。しかしホタルは、ユカリにしがみついて離さない。
天井や壁、テーブルに飛び散った黒い液体は、一滴のこらずホタルの足元からどんどん吸い込まれていく。
「ほ、ホタル……これは?」
「いい、カオル。よく聞いて。G1を抹殺するには、私の中に取り込んですべてのコアを粉砕するしかないの」
「粉砕?」
「いい、私がユカリからG1をすべて抜き取ったら石化する。完全に石化したらそれを粉砕してちょうだい」
「って、ホタル、お前は?」
「最初に言ったはず。それが私の任務。いいわね」
「どうやって粉砕するんだ」
「そのくらい、自分で考えなさいよ。そうそう、カオル。あなたは協力者としては、私の中では合格点だったわ。じゃ、そういうことだから」
それだけ言い残すと、ホタルは半透明になり、直径六十センチメートルの球体になった。そしてユカリから噴出した黒い液体を吸い込むと、ユカリからポロンと離れた。
シューシューシュー……
今度は、その球体が茶褐色になったかとおもうとどんどん小さくなりはじめた。モウモウと立ち上がる蒸気の中で、その茶褐色の球体はどんどん小さくなっていく。そしてついには、直径二センチメートル程度になり床に転がった。
(どうやって、コレを粉砕するんだ?)
俺は、辺りを見回わした。調理場の包丁? 肉タタキのハンマー?
――早く! 粉砕して――
頭の中にホタルの声が響く。
(鉄の防火扉……あれで挟んで潰せないか……)
そう思った瞬間、例の球は、まるで俺の考えを読み取ったように防火扉のほうへコロコロと転がりはじめた。
俺は、防火扉のロックをはずすと勢いよく扉を締めた。
ガリガリ……グシャ……
その瞬間、凄まじい閃光が展望台に溢れた。
しばらく、目の前がチカチカして目が開けられなかった。
(やったのか?)
俺は、おそるおそる防火扉ををみると、防火扉の一部が真っ黒になって溶け落ちた。
バサッ……
突然背後で音がした。驚いて振り返るとユカリが床に倒れていた。
「あ、ユカリ……」
俺は、ユカリのところへ駆け寄ると抱き上げた。
トクン……トクン……
脈はある。なんとか自活呼吸もしているようだ。
俺は、ユカリをしっかり強く抱きしめた。
◆
――臨時ニュースをお伝えします――
テレビは、朝からクリスマス・イブの惨劇として黒森でおこった奇怪な事件について繰り返し放送をしている。
昨日、俺は、ユカリを病院まで運ぶと、ケンジに連絡をとり避難解除の手続きをはじめてもらった。すべての安全確認が済むまでは六時間以上かかったが、病院の施設だけはすぐに復帰してもらう事ができた。
病院へ運ぶと、ユカリはベットの上で何事もなかったかのように目を閉じ、チューブやコードが接続されいつもとかわらぬ状況に逆戻りした。
(おかしなものだ、昨日は、あんなにしゃべって暴れていたのに……)
俺は、そっとユカリの髪の毛を撫でながら、テレビの画面を食い入る様にみつめた。
すると、俺の右手を触るものがある。
驚いて、右手をみると、ユカリの手が俺の手のをしっかり握りしめていた。
「え? ユカリ?」
俺は、おそるおそるユカリの顔を覗き込むと、ユカリが目を開けて、俺をぼんやりと見つめているではないか。
「わ、わかるのか? 俺だよ……」
ユカリは、視点を俺にあわせると、ニコっと微笑んだ。
「お、お兄ちゃん……」
「ユカリ……お帰り! お前がもどってきてくれてうれしいよ」
俺がそう叫ぶと、ユカリの目から涙がポロリと落ちた。
それから一週間。
俺は、毎日、ユカリの病室に通い続けた。そして、俺の東京での一人暮らしの部屋にホタルがやってきたときの話や、突然、アケミがダイブしてきたこと……ともかく、今までの話を話して聞かせた。
ユカリは、俺の話を、始終ニコニコ微笑みながら、聞いてくれた。こうして、ユカリと一緒に話が出来るのは何よりも嬉しい。
リハビリも順調で、「信じられないことですが、今まで麻痺をしていた箇所がキチンと修復がされているようです。これは奇跡ですよ」と、担当の医師も興奮気味に話していた。もしかしたら、G1に感染した際、一部の組織が再生されて回復したのかもしれないが、真実はわからない。
「あのね、お兄ちゃん、私、ずっと聞こえていたんだよ。お兄ちゃんやお父さん、お母さんの声も、だから、一人ぼっちじゃなかったんだ」
「そうなのか……それなのに、俺はお前を残して東京へ逃げ出してしまった。本当に、ゴメンな」
ユカリは、俺の手を握るとつぶやいた。
「お兄ちゃんは、悪くないよ。ずっと、私を見守ってくれていたじゃない。事故の後、お兄ちゃんが私の事で悩んでいるって知ったときは悲しかった。それからしばらく声が聞こえなくなっちゃったけど、でも、ちゃんと戻ってきてくれたとき、すごく嬉しかったんだ」
俺は、ユカリに思わず微笑んだ。思えば、ユカリそっくりのホタルが俺をここに連れてきてくれなければ、こうして話ができたかどうかもわからない。
(ホタル……ありがとうな……)
フッとホタルのことを思い出し、微笑むと、いつものように豆腐をお皿にのせると窓際のキャビネットに上に置いた。
「ねぇ、お兄ちゃん。いつもお豆腐を置いているけど、それって何かのおまじない?」
ユカリは、不思議そうに窓際のキャビネットを指差した。
「ああ、これは話をしたホタルやアケミへのお礼かな……。ユカリ、お前を助けてくれた命の恩人でもあるしね」
「そうなんだ……でも、もったいないし、食べちゃってもいい?」
「豆腐? おまえ豆腐って好きだったっけ?」
「うーん。なんだか無性に食べたくなったりするんだ。どうしてだろう……カオル」
「カオル?」
そういうと、ユカリは、舌をペロリと出すとニッコリ微笑んだ。
(了)
俺の彼女は豆腐好き!