旧作(2012年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…1」(芸術神編)
TOKIの世界。
壱‥‥現世。いま生きている世界。
弐‥‥夢、妄想、想像、霊魂の世界。
参‥‥過去の世界。
肆‥‥未来の世界。
伍‥‥謎
陸‥‥現世である壱と反転した世界。
TOKIシリーズ三部目です。主人公はサキからライに変わりました。今回は全五話の長編にしました。前作のように一つ一つ区切れていません。
ライ編一話。
夜を生きるもの達
この世界は六つの世界でできている。
壱、弐、参、肆、伍、陸の六つである。
現世である壱から芸術神ライが入り込んでしまったのは夢の世界と言われる「弐」と呼ばれる所だった。
「あー、弐に入り込んじゃったけどほんと、いっぱい世界があっておかしくなりそう。生きてるものすべての個人個人の世界がこの弐の中にあるんだもの。どうしよう……出口がわからない……。元の世界に帰りたい……」
先ほどから同じ言葉ばかり発している……。
「うー、弐に入り込んじゃったけどほんと、いっぱい世界があっておかしくなりそう。ほんと、困ったわ……」
金髪のかわいらしい顔つきの少女はツバがある帽子をかぶりなおし、歩き出した。ボーダーのワンピースが風で揺れる。めくれそうになるワンピースを手で押さえながら沢山の白い花が咲いている道をただ黙々と歩いていた。
彼女はこの弐からの出口を探していた。しばらくどうしようもない気持ちで歩いていると目の前に瓦屋根の家がぽつんと建っていた。
「どこの人間か、動物かの世界かはわからないけど……なんかの魂が住んでいるみたい。」
少女は助けてもらおうと家に近づいた。
「ねえ、何やっているの?」
すぐ後ろで幼い少女の声が聞こえた。金髪の少女は慌てて振り向く。いつの間に後ろをとられていたのかわからないが着物を着た十歳に満たないだろう少女が不振な目でこちらを見ていた。
「え、えっと。私は弐の世界の外から生きた者が入らないように見守っている絵括神(えくくりのかみ)なんだけど……。なんか弐の世界に落ちてしまって……あ、えっと私はライって名前。」
金髪の少女ライは動揺しながらかろうじて言葉を発した。
「神様ね。外の世界には沢山神様がいるらしいね。で、あんたはあれね。ここの中に入らずに外から守っている神様なわけね。」
着物を着た幼い少女は無表情なままライを見つめた。
「そ、そう。」
ライは幼い少女の光りのない瞳に恐怖を感じながら答えた。
「あ、ちなみにわたし達は幽霊だけど神様で中から弐を守っているよ。そういう役目をね、外の神から言い渡されてね。」
「そ、そうなの。あ、あの、名前は……?」
ライは黒い瞳から目をそらしつつ聞いた。
「わたしはスズ。もう死んじゃっているけど戦国あたりの忍だったんだよ。」
「その歳で!?」
幼い少女、スズは平然と答えるのでライは驚いて目を見開いた。
「女の子は大きくなると身軽に動けないからってわたしは早い段階で忍にさせられた。元々家が忍の家だったからね。大きくなったら暗殺方面じゃなくて諜報に回すつもりだったらしいけど……ま、すぐにここの主に殺されちゃったんだけどね。」
スズは後ろにある瓦屋根の家をふと見て、どこか懐かしむ顔でライを見上げていた。
「そ、そうなの……。」
ライが複雑な顔をしているとスズの顔に突然恐怖の色が浮かんだ。
「ん?どうしたの?」
ライが声をかけた時、スズの真後ろに突然藍色の着物を着た男が現れた。男は若いのに白髪で髪を後ろで縛っており、右側だけ髪で顔を覆っている。そして目が悪いのか眼鏡をしていた。冷たい瞳がじっとスズを睨みつけている。
「こっ……更夜!」
「スズ……。料理に火薬を使うなと何度も言ったはずだ。」
スズに更夜と呼ばれた男は冷たく低い声で静かにつぶやいた。
「そ、創作料理を作ろうと思って……。」
「ほう。」
更夜は知らぬ間にスズの首筋にクナイを突きつけていた。
「ご、ごめんね……。」
「……。本心ではないな。」
「……ひぃー。くわばらくわばら……。」
スズは先程とはうって変わって怯えている。
「お前は昔から嘘が下手だ。俺を騙せると思うな。」
「ほ、ほら、更夜!見て!壱の……えーと……現世の神様が……な、なんか言いに来たみたいだよ!」
「ええ!?」
スズが救いを求めるようにライを見つめる。
……冗談じゃない。こんな怖い顔している人に何を言えばいいの……?
更夜は鋭い瞳をこちらに向けてライが話すのを待っている。
「あ……あの……えっと……。」
「なんだ?」
怯えるライに更夜は警戒しながら聞き返した。なんだかたまらなく怖かった。
「な、なんでもないです……。はい。」
ライは黙り込んでしまった。
「ちょっと……、ライさん。これじゃあ、わたしが困るよ……。」
スズが絶望的な顔でライに向かいつぶやいた。
「困るって言われても私、怖いよ……。スズちゃん。」
ライが涙目で更夜から目を離した刹那、男の子の声がした。
「……。更夜、目が戻っているよ……。それは怖がるんじゃない?」
家の障子戸からオレンジ色の髪をした男が顔を出した。男は奇妙な格好をしていた。ユニフォームのようなものを上に着ており、下はズボンだが太ももあたりにウィングのようなものがついている。無表情で無機質な瞳をしているが声には感情がこもっていた。
まるで機械のようだ。
「えーっと……。」
ライはその男の顔を不思議そうに眺めた。
「ああ、彼は霊魂とかじゃなくて元々ここにいる神様なんだって。なんでもありな弐の世界ならではの変な格好よね。でもいい神だよ。トケイって言う名前。」
「トケイ……さん?」
スズが不思議そうにしているライにわざわざ丁寧に説明してくれた。
「トケイか。……ふう。」
更夜は表情を柔らかくした。だが冷たい雰囲気は変わらない。長年しみついた雰囲気のようだ。
「更夜は蒼眼の鷹って昔呼ばれていて、わたしと一緒の忍。忍だったわたしすら、更夜に睨まれて一歩も動けなくなったから更夜はかなり怖い。」
スズはうんうんと頷く。トケイはスズと更夜を交互に見てため息をついた。
「ああ、なるほど。スズ、またなんかしたの?」
「火で煮るよりも火薬で一発ドンとやればすぐ煮物できると思ったよ。でも鍋が吹っ飛んで終わった。こうポーンって。」
スズはジェスチャーをしながらクスクス思いだし笑いをした。しかしすぐに後ろに立っている更夜の荒々しい空気を感じ取り、顔を引き締めた。
若干おいてけぼりなライはこのまま静かにここから離れるつもりだったが身体が動かなかったのでその場にいた。
「で、あなたは何をしに来た?」
更夜が先程よりも柔らかくライに質問をする。
「え……その……ここから出ようと思っているんですけど出られなくなってしまって……。」
ライはビクビクしながら更夜に答えた。声は小さくか細い。
「あなたは確か、芸術神、絵括神。絵を描いて弐の世界を表現できるとか。」
「は、はい!私の筆で絵を描けば弐の世界を作る事はできます。で、ですが、それは私が想像した妄想の世界の弐の方。人が個人個人で作る世界にもなりはしない上辺だけの世界です。その上辺の世界は作れるし、渡れるのですが……その……上辺の世界の中の中、世界の真髄は渡る事ができません。そ、それで上辺の世界からこちらに落ちてしまい、戻れなくて困っていまして……。」
ライは話している最中に何を言っているのかわからなくなってしまい、後半は声が小さくなりすぎてほとんど彼らには聞き取ってもらえなかった。
スズが難しい顔をしながら口を開く。
「……まあ、よくわかんないけど、この世界の上にさらに世界があってライさんはその上の世界からこっちに落ちて来ちゃったわけだね。で、ライさんはこの世界の上にある世界っていうのを絵を描く事で表現できるって事。特殊技だね。」
「あ、スズちゃんそうそう!」
ライはうんうんと頷き微笑んだ。
「ん?なんだ、足を怪我しているではないか。」
更夜はライの右足に目を向けた。
「え?怪我ってこちらに落ちてしまった時にちょっと足をねんざしたくらいですけど……。」
ライは更夜を見、驚いた。ライの足は少し痛みを感じる程度で歩くのになんの支障もなかったがそれを更夜が言い当てた。
「少し、見せてみろ。」
更夜がライに右足首を見せるように言った。
「あー……い、いえ……大丈夫です!」
「重心が傾いている。まだ痛むのだろう?心配するな。手当をしようとしているだけだ。」
ライは戸惑っていたがやはり少し痛むので見てもらう事にした。靴を脱いで右足首をさらす。そのまま更夜に足を差し出すわけにもいかず、まごまごしていると更夜が座るように言ってきた。ライは白い花が咲く地面に座り込み、不安そうな瞳で更夜を見た。
更夜はそっとしゃがみ込むとライの右足首を触った。
「……!」
ライはなんだか少し恥ずかしくなり頬を赤く染めた。更夜のしなやかな指がライの右足を丁寧に触る。
「ふむ……若干腫れているな。スズ、救急道具を持ってこい。」
「わ、わかったわ。」
スズは更夜に頷くと瓦屋根の家に入って行った。ライはなぜか更夜をぼうっと見つめていた。
……な、何これ……。凄いドキドキする……。よく見たらこの人かなりイケメンだし冷たくて鋭い瞳をしているけど思ったより優しくて……どこか知的で怖いところが私のツボ……。
「ねぇ?ライだっけ?大丈夫……?」
「はっ!」
ふと気がつくとトケイが無機質な目をこちらに向けていた。
「え……え?」
ライは両手で顔をとりあえず隠す。
「ふーん。ライさん……ライってば更夜に一目惚れしたのかなー?ねぇ?」
シュタッと近くで音がしてスズが救急箱を持って現れた。スズはニヤニヤとこちらを見るともう一度つぶやいた。
「一目惚れ?」
「えっ……ち、違うよ。スズちゃん……。」
ライは慌てて否定をする。
「馬鹿な事を言ってんな。さっさと救急箱を渡せ。」
更夜は呆れた顔をスズに向け、ニヤニヤ笑っているスズから救急箱を受け取る。
……そ、そうだね。いくら……き、気になったとしてもまだ早いよね……うん。
ライはドキマギしながら首を縦に振った。
「なんだ?痛むのか?」
更夜が手当てをしながらライを仰ぐ。ライは真っ赤になった顔でぶんぶんと頭を横に振った。
「だ、大丈夫……です。」
……この冷たく低い声だけど……かける言葉はとても優しい。その鋭い瞳の奥にある優しさが私をかきまわし、そのターコイズブルーの輝きが私の心を……。
まあ、つまるところ、ライは更夜に一目ぼれをしたのであった。
謎の恋心は唐突にライに襲い掛かった。
「よし。まあ、これでいいだろう。」
更夜が包帯をさっさと片付ける。
「あ、あの……この包帯はちょっと大げさでは……?」
ライは足首に巻かれた包帯を困惑した顔で見つめた。
「ふむ。用心だな。あなたはあまり痛まなかったようだが本来ならかなり痛むはずだ。まだ頭がちゃんとした思考になっていないのだろう。落ち着いてきたら痛み出すぞ。」
更夜は眼鏡をかけ直すと家に入って行ってしまった。更夜は背中越しでスズとトケイに「現世に送ってやれ。」
と命じた。
「はーい。了解。」
「了解。」
スズとトケイは気の抜けるような返事をするとライに手を伸ばした。
「あ……あ!ちょっと待って!」
ライは意味もなく声を上げた。
「ん?何?」
「どうしたのよ?」
スズとトケイは声を上げたライに驚きながらも話を聞く体勢になった。
……あ、えっと……どうしよう……。なんか待ってとか言っちゃったよ……。特に意味もないのに……。なんて言おう……。
ライは唾をごくんと飲み込むとしかたなく口を開いた。特に何か考えがあったわけでもない。
「も、もう少し、いさせてもらってもいいかな?」
「ん?」
「んん?」
ライの発言にスズとトケイは固まった。何故ライがまだいるつもりなのか考えているようだ。
「あ、えっと……も、もう少し、この辺を見てみたいの!」
……ああ、更夜様の側にもっといたいなんて言えない……。
ライは顔を赤くしながら叫ぶ。
「え……あ、そう……。」
スズは困惑した顔をトケイに向ける。トケイも首を傾げていたがすぐに頷いた。
「まあ、いいんじゃない?僕はお客さんだと思えるよ。」
トケイは無機質な目でライを見つめる。
「ちょ、ちょっとでいいの……。その……。」
「ははーん。さては更夜が目当てかなー?」
スズが意地悪な顔でライを仰いだ。ライはブンブンと頭を横に振る。
「ち、違うよ!」
ライが顔を真っ赤にして否定しているのでスズはふふっと笑った。
「まあ、いいわ。うちでお茶でもしましょうよ。」
スズはどこか嬉しそうな顔でライの肩をポンポンと叩いた。
「ほんと!ありがとう。」
「あれ?本当に嬉しそうだね。」
トケイがライの瞳を覗き込むように見てきた。
「トケイ、彼女は本当に喜んでいるの。」
スズに言われ、トケイがなるほどと軽く頷く。
「あ……その……。」
ライが戸惑っているのでスズはそっと手をとり歩き出した。
「スズちゃん!?」
「落ち着きなさい。それじゃあ話もろくにできないわよ。ね?」
スズは突然、きれいな娘に変身した。先程の子供姿とは違い、何故か彼女は成長した。年齢はライよりも年上か。大人っぽい顔つきなのでよくわからない。紅いきれいな着物はしっかりと大人サイズに変わっている。
「あ、あれ?なんか大きく……。」
ライは目をパチパチさせてスズを仰ぐ。
「これが本来のわたし。まあ、子供の時に死んだんだけどいつまでも子供だと正直きついのよね……。だから姿を大人に変えているの。弐の世界は魂で肉体がないから実体をつくるのにかなり自由なのよね。そこが魅力❤」
スズは妖艶な声でライの耳にささやいた。女のライでさえ、なんだか恥ずかしくなり顔を赤くする。不思議な魅力を放つ姿だった。
「は、はあ……。」
「さ、行こう?お茶をお出しするよ。」
スズは言葉がないライをただ引っ張り、家の中へ入って行った。
「更夜、少しお茶を飲みたいそうだから上げるよ。」
スズは畳の部屋でちゃぶ台を置いて座っている更夜に声をかけた。部屋はかなり広い。玄関はどうやら裏口のようだ。何故裏口から通されたのかはわからないが表の方は何か商売でもやっているらしい。廊下を挟んで広いキッチンもある。
「茶か?たいしたものはないが。」
更夜は相変わらず鋭い瞳でライを一瞥した。ライはぼーっと更夜を見つめていた。
「なんだ?」
「あ、いえ……。」
ライは慌てて目を逸らした。
「更夜、なんか怒っている?彼女、お客さんだよ。あ、そうか。スズの件で……。」
「わーっ!」
トケイの言葉を慌ててスズが遮る。
「どうしたの?」
「馬鹿!思い出させてどうすんのよ!」
トケイとスズはこそこそと秘密の会話をしていた。
二人が秘密の会話をしていると虫の居所が悪い更夜がバンっと突然ちゃぶ台を叩いた。
そして無言でスズを睨みつけた。
「くわばら……くわばら……あんたはホント怖いわよね……。」
スズはライの影にこっそり隠れた。
「隠れるな……。子供の姿になった方が俺は情けをかけてやれると思うがな……。その姿だと容赦は……。」
更夜から漏れ出る殺気が手前にいるライにも突き刺さる。ライはスズ同様、ガタガタと震えた。しかし、ライには同時に不思議な感覚が襲っていた。それは変態的なものだ。
……更夜様に……お仕置きされたい!
「こ、更夜様……。私にお仕置きしてください!」
ライが後先考えずに発したこの発言にその場にいた一同は凍りついた。
「ん?」
「ん?」
スズとトケイはわけがわからずお互いの顔を見合い固まっている。一番わけがわからないといった顔をしていたのは更夜だった。
「あ……。」
ライは顔を真っ赤にしてうつむいた。
……わ、私は何を言っているのー!?恥ずかしい!死にたい!
しばらくしーんと場が静まり返った。その沈黙を破るようにトケイが呑気な声をあげた。
「ああ、そうか。ライは優しいんだね。スズの代わりになるって言っているんだ。つまりかわいそうだからやめてあげてってオブラートに包んで言ったんだね。」
「え?」
トケイの言葉にライは真っ青な顔で三人を見回す。若干顔が引きつっている。
「オブラートに包むっていうか……変な部分が包みきれてないよ?」
スズは呆れた顔をライに向ける。
「うう……。」
ライは半分泣きそうな顔で畳の目を見ていた。
「はあ……もういい。スズ、夜までに台所、なんとかしておけ。」
ライの姿を見た更夜は疲れてしまったのか大きなため息をつき、スズに命じた。
「それだけでいいの?わーい。楽になったわ。うふふ❤」
「あ、僕も手伝う。」
スズは鼻歌を唄いながら楽しそうにキッチンへ向かって行った。トケイもスズの後を追う。
「まったく……調子がいい女め。」
更夜は苦虫を噛み潰したような顔で去って行くスズの背を見送っていた。
「あ、あの……」
ライが控えめに声を上げた。もう何を話せばいいかよくわからない。
「……好きにくつろげ。」
更夜は慌てているライにそっけなく言い放った。
……そんな事を言われても……。
「あ、あの!更夜様……。」
「なんだ?……その更夜様っていうのはやめろ。」
更夜は睨んでいないようだったがライはビクッと肩を震わせた。
「更夜様は更夜様です!」
ライは自分が意味不明な事を言った事に気がついた。
「あー……いや……そのえっと……。」
「あなたはなぜ弐の世界をうろついていた?」
更夜が表情なく聞いてきた。
「妹が行方不明なんです……。」
ライは恐る恐る更夜に言葉を発する。
「ふむ。」
「三姉妹なんですけど姉の方は罪神で今、罰を受けています。悪い事をしていた姉が捕まった以前から妹が行方不明なのでとりあえず弐の世界を探そうと……。」
更夜は軽く頷くとライを見据えた。
「あなたの姉が何をしたか知らないが妹は姉の関係でいなくなった可能性があるとあなたは思っているのか?」
「……は、はい。」
「……。」
更夜は黙り込んだ。しばらく静寂が部屋に流れた。ライはこの雰囲気に耐える事ができず何か話そうと必死に考えていた。しかし、何も思い浮かばない。
「あ、あの……。」
「しっ!」
ライがとりあえず声を上げたところで更夜に止められた。更夜は鋭い瞳であたりの様子を伺う。そして突然立ち上がるとどこから出したのか刀を持ち、何もない空間を袈裟に斬った。
「!?」
ライは何が起こったのかわからず戸惑い、声を上げる事すらできなかった。
「っち。」
更夜は軽く舌打ちするといつ抜いたかわからない刀を鞘にしまった。
「あ、あの……?」
ライがかろうじて声を上げた刹那、カランと手裏剣が畳に落ちた。
「もう気配が消えている。忍か?」
「に、忍者?」
更夜の冷静な発言にライは戸惑った。
……今の当たってたら怪我してたのに……冷静すぎる!かっこいい!
ライの戸惑いは変な方向へいっていた。
更夜はやれやれと立ち上がるとスズの様子を見に台所の方へ向かっていった。
ライは一人残されたので、興味本位で手裏剣を拾い上げた。
……けっこう重い!こんなの当たったら死んじゃうよ……。更夜様が守ってくれた?
……私、更夜様に守られちゃった!
ライはきゃーと言いながらひとりで無駄な動きをしていた。刹那、畳がパカッと開いた。
「うわっ!」
ライは驚いて謎の動きを止めた。恐る恐る開いた畳の中を覗いてみると下に続く階段があった。畳の裏側には『立ち入り禁止』と書いてある。
……なんだろう?
ライは「ちょっとだけなら」という気持ちでそっと中を覗いた。そしてなんとなく階段を降りはじめた。
……立ち入り禁止って書いてあるけど少しなら大丈夫かな……。
ライは恐々地下に続く階段を降りた。階段は暗くて見えにくかったがその先の部屋は松明が灯っており明るかった。火事にならないかと心配したがこの炎は不思議と熱くなかった。ここは弐の世界、普通の炎ではないのだろうとライは納得し、部屋を眺めはじめた。
「……ここは……書庫?」
真ん中に質素な机のみ置いてあり、その机を囲むように本棚が置かれていた。
ライは机に置いてあった一冊の本に目を向ける。どうやらその本は日記帳のようだ。
「……日記帳?」
ライはあたりをちらりと見るとドキドキしながら少しだけ開いた。
……この弐の世界を自由に動くことができる者がいる。それは人形やネズミといった神ではない者達だ。彼らはKと名乗る者の使いだそうだ。Kという者は何者なのか私はそれが知りたい。
「……K?」
ライがぼそりと言葉を発した刹那、首筋に何かが当たっている事に気がついた。
「ひっ!」
ライはビクッと肩を震わせた。後ろから強い殺気を感じた。そういうのに詳しくないライでもこの威圧には耐えられなかった。額が汗で濡れる。
「やはり、諜報が目的か。」
鋭く低い声が後ろから聞こえた。
「ち、ちがっ……。」
ライは怯えながら咄嗟に言葉を口にしたが何かを首筋に当てられたまま階段を登らされた。
ライの後ろから首筋にクナイをつきつけていたのは更夜だった。更夜は地上に出るとライを畳に押さえつけ腕を捻り上げた。
「い……痛い!」
「あそこで何をしていた?」
冷たい声がライに突き刺さる。
「に、日記帳読んでいました!」
ライは涙目になりながら叫んだ。
「あなたはどこからの使者だ?」
更夜はさらにライの腕を捻る。
「うう……ただ弐に落ちちゃっただけですぅ……。ごめんなさい!許してください!」
「……このまま吐かなければ腕を折るぞ。……その前に拷問にかけるか。」
更夜の冷徹な瞳がライをさらに怯えさせた。
「ご、ごうもん!?」
「忍は捕まったら終わりだ。拷問で吐かなければあなたは死ぬだけだ。」
「しっ……。」
更夜はライを忍だと思ったらしい。ライ自身、先程から怪しい行動ばかりしていたため、そう思われても仕方がなかった。
「盗んだものなども調べさせてもらうぞ。」
「ぬ、盗んでいましぇん……。」
ライはグシグシ泣きながら更夜と会話をしている。
「忍相手にそれは通じない。お前の潔白は身体をみればわかる事だ……。」
「わああん……。」
「泣いても無駄だ。情けの方面には俺は動かない。俺は冷たい男だからな。」
更夜は冷笑を浮かべライの耳にそっとささやいた。
「更夜?何して……ってうわ!」
トケイが部屋に入ってきたと同時に驚きの声を上げた。
「トケイ?何よ?大きな声出して……。」
スズもひょっこり顔を出すと目を見開き、一瞬だけさっと顔を引っ込めた。
「スズ、トケイ。この女は忍だ。書庫をアサっていた。」
「……ライちゃんが?」
スズは真面目に答える更夜に首を傾げた。スズはライを見る。ライは絶望しきった顔でわんわん泣いていた。スズは呆れた顔で更夜に再び目線を映す。
「違うでしょ?これ。ねえ?」
「うん。」
スズの言葉に隣にいたトケイも大きく頷いた。
「これから拷問に入るつもりだ。」
「拷問って……更夜、やめなさいよ。その子、本気で泣いているよ。間違いなく忍じゃないって!そんなどんくさい忍いないからね。」
スズは更夜をバッとどかすとライをそっと座らせてやった。
「ずずぢゃん……。」
ライはスズに涙でグジャグジャな顔を向けた。
「だから言ったよね、わたし。更夜はこういう男だからって。」
「ずずぢゃん……。ごういうのいいがもぢれない……。」
ライはグシグシ泣きながらスズにすがった。
「はあ?いいかもしれないって……やっぱりあんた、ぶっ飛んだ変態だね。……ねえ、更夜、この子なんか知らないけど喜んでいるよ。」
スズはやれやれと更夜を仰ぐ。
「喜ばせたつもりはない。」
更夜はため息をつくと持っていたクナイをどこかに消した。
「あ、更夜、居酒屋の御品書きに追加してほしいものがあるんだ。試作で作ったんだけどアイスクリーム。溶けちゃうから早めに食べてほしい。」
空気を読んでいなかったのかトケイがそっとガラス容器に盛りつけられたアイスクリームを更夜に差し出した。
更夜は無言でアイスクリームを受け取ると一口食べた。
「っむ……。ほどよい甘さでうまいな。牛の乳と砂糖は控えめ、卵黄、それから……わずかな塩と後は酒か。ほんの少しラム酒でも入っているか?これはうまい。品書きに追加だ。」
「うわー……隠し味共に全部入っているもの当てられた……。嬉しいけど複雑。」
トケイは無表情のまま頭を抱えた。
「更夜は舌もいいからね。一体忍としてどれだけ訓練してきたんだか。」
「居酒屋?」
「え?ああ、うちは表稼業で居酒屋やってんのよ。」
ライの質問にスズはにこりと微笑み言葉を返した。
「居酒屋……。」
「で、更夜、なんか甘いものが好きみたいでね、甘味の御品書きも増えちゃって。」
「おい。」
スズがクスクス笑いながら更夜を見る。更夜はあからさまに嫌な顔をした。
……更夜様……甘いものが好きなんだ……。なんかかわいー。
ライもクスリと笑った。先程の事はもう頭から消えてしまったらしい。
「っち。トケイ、スズ、その女を監視しとけ。しばらくここにいてもらう。それから先程、どこからか手裏剣が飛んできた。お前達も用心しておけ。」
「手裏剣?」
「そうだ。八方手裏剣……だな。甲賀者か?まあ、今は気配を感じない。とりあえず用心しろ。」
更夜は深いため息をつくと足音なく去って行った。
「用心しろってどう用心すればいいのよねー?あー、あの爺さんは風呂に行ったのかな。もう夕方だからね。ホント、生活が爺さん。」
スズは呆れた顔をライに向けた。
「でも若いんだよね?スズちゃん……。」
「まあ、魂年齢は若いと思うけどね。もう何百年もいるからよくわかんなくなってきたわ。まあ、この世界に何百年とかそういう時間はないのだけれど。一つ一つの世界が別々に毎日不変にまわっているから時間とかあんまりないみたい。」
「……へえ……。」
スズの言葉にライは圧倒されながら答えた。
「なんか色々良かったね。君、ここにいたかったみたいだし。」
トケイが頷きながらライを見ていた。
「え?う、うん。」
ライは戸惑いながらトケイに答えた。
「あんな思いしたのにまだここにいたいって思うの?」
スズがライの肩をぽんぽん叩きながら質問してきた。
「うん。いたい!いたいよ……。は~……更夜様。」
「あーあーあー、ダメだこりゃ。」
ライがうっとりとした表情を見せていたのでスズはもうライの好きなようにさせようと決めた。
二話
特に何事もなく夕方を迎え、スズとトケイは居酒屋の準備をはじめていた。居酒屋の名前は『Q―ROCK(クロック)』だ。ちなみに更夜は板場、キッチンの方で料理をしているらしい。
「ああ、あんた、客神じゃなくて居候みたいになったから一緒に働きなさい。」
スズがオドオドとこちらを見ているライに声をかけた。
「は、働くのはいいんだけど……私、初めてでよくわからないよ……。」
ライはてきぱき動いているトケイを見ながら困惑した顔を向ける。
「はじめからそんな大変な事をさせようとは思わないわよ。お客さん対応はわたし達がやるからあんたは更夜にビシビシやられてきなさい。」
スズがいじわるな笑みを浮かべてライを見た。
「酷いよ……スズちゃん……。こういう風に不本意に怒られるのは好きじゃないよ。」
ライが暗い顔でスズを仰ぐ。スズは不敵な笑みを浮かべると素早く机を拭き始めた。
「ライ、更夜からひどい事されたら言って。僕が更夜にチョップしといてあげるから。」
知らぬ間に近くに来ていたトケイが無機質な目でライに語りかけた。
「チョップって……。」
ライはクスリと笑った。
「とりあえず、更夜のとこに行ってお手伝いしてきてよ。もう、お客さん来ちゃうからさ。更夜は今、常連さんの為に煮物を作っていると思うから。」
トケイはライを暖簾の奥にある板場、キッチンに押し込んだ。ライは素直にキッチンへの廊下を歩き始めた。
ちらりとキッチンを覗く。
更夜が煮物を作っている最中だった。意外に家庭的な料理だったが細やかな野菜の切り方だった。じゃがいもやニンジンはまったく同じ大きさに切りそろえてある。包丁さばきもとても早い。物を斬る事に慣れている手つきだ。
……更夜様は忍……。当然、人もあんな風に斬ってきたんだろうな……。
少しの恐怖心がライの顔を青くさせた。
「なんだ。」
ふと冷たい声がライの耳に届いた。更夜はライがこちらを凝視しているのが気になったようだ。
「あ……何か手伝います!」
「別に何もする事はない。」
更夜は作りたての煮物を皿に盛っている。ライは何気なくその煮物に目を向けた。
……色のバランスが悪い……盛り付けも色のバランスが……。
ライはそわそわと盛りつけられたものを見、直したい衝動に駆られていた。
「なんだ?」
更夜がライの視線に気がつき、ため息をついた。
「更夜様!ごめんなさい!ちょっと……。」
ライは芸術関係、特に色彩になると分け隔てなく入り込む癖があった。ライは更夜から煮物をさっと取ると菜箸を使い煮物を動かしはじめた。
「……。」
更夜はライの行動に驚きつつも、菜箸を操るライを眺めていた。
「うん!こっちの方がいい!絶対いい!じゃがいもの白はここで、ニンジンの赤はここ、そしてきぬさやの緑は真ん中にそえる!」
ライは独り言のようにつぶやき、満足げに頷いた。それを黙ってみていた更夜だったが美しく盛り付け直された煮物を見、初めて驚きの表情を浮かべた。
「……うむ……。なんだかわからんがすごくきれいに見えるな……。」
更夜の言葉でライは我に返った。
「はっ!ごめんなさい。なんだか勝手に身体が動いて……。」
「芸術の神、絵括神か。これは助かる。俺は目が悪く、そして色の事はよくわからん。あなたにはこういう仕事を頼もう。」
更夜がふと柔らかい表情を見せ、盛りつけられた煮物を眺めていた。
……ああ、この人はこの仕事が今、すごく楽しいんだな……。
ライは直感でそう思った。
「更夜、いつものやつくれって。」
「後、炒飯!」
スズとトケイが同時に顔を出した。
「ああ、できている。持ってけ。」
更夜は再び冷たい表情に戻ると煮物をスズとトケイに渡した。
「ちょっと!何よこれ!更夜、あんたこんなにきれいに盛り付けられたの?」
「まるで別人……。」
スズとトケイが目を見開いて渡された煮物を眺める。
「俺じゃない。絵括だ。……後、炒飯だったな。」
更夜は短くそう言うと次の料理に取り掛かり始めた。ライはなんだか少し嬉しくなり顔をにやけさせていた。
「ライちゃん、凄いのねぇ……。」
「うん。凄い。」
スズとトケイは各々感動しながら暖簾の奥へと消えて行った。
「あ、あの……。」
ライはすぐに元に戻ってしまった更夜に再び話しかける。
「なんだ。」
更夜は一瞬だけ仮面をはずしたがそれは本当に一瞬だった。
「こ、ここに来るお客さんって……幽霊ですよね?」
「そうだ。」
オドオドと質問をしたライに更夜は一言そう言っただけだった。
「霊ってどういう仕組みでここに来ているんですか?」
「……色んな世界から来ている。弐は個々、生きている者が創る心の世界。世界は無数にある。その無数の世界からここに来ているだけだ。ちなみに……今いる世界でもし、殺されたならその魂はその世界に入る事は二度とできない。だが魂は死ぬ事はない。その世界に入れなくなるだけで他の世界には入れる。」
……なんで殺す殺さないの話になっているの……?壱とは世界が違いすぎて怖い。
更夜の話を聞き、ライはガクガクと震えた。
「これもあなたの勘で盛り付けて持っていきなさい。」
更夜は知らずのうちに炒飯を作っていた。ライに皿に盛った炒飯を無造作に渡す。
「え……は、はい。」
……油とか最新の調理器具とかはそろっているんだ……。なんだか不思議。
ライは良い匂いがする料理を見つめながら菜箸で付け合せを動かし、きれいに仕上げた。
更夜はすでに違う物を料理しはじめている。ライはとりあえずスズとトケイに炒飯を持っていく事にした。
お客さんが沢山いるのかガヤガヤと店の方で声が聞こえている。
ライはそっと暖簾をくぐった。店には沢山の人が机を囲んで楽しそうに飲み食いしていた。
「いつの間にこんなに……。」
ライはぼんやりとその場に突っ立っていた。
「あ、ライ?それ、あそこの机に座っている人のだから運んどいて。」
「わ、わかった。」
忙しそうにお酒を持っていくスズにかろうじて返答をしたライはドキドキしながら料理を運んで行った。
「お、おまたせいたしました。」
ライは机を囲んで話し込んでいる男達の中へ入り込み、料理を恐る恐る置いた。
「ああ。ありがとさん。」
どこの世界からきたのかよくわからないがその男達は髷を結い、着物を着ている。ライはいけないと思いながらも男の内の一人が持っているチラシを覗き込んでしまった。
……味覚大会?……優勝賞品……これは……。
「ん?ねぇちゃん、これに興味あるのかい?」
若そうな男がライに声をかけてきた。
「え……?あ……その……。」
「料理好きの奴の世界で味覚大会が行われるんだとさ。たぶん、この世界からそんなに離れていないんじゃないかな。ちなみに明後日だ。」
なんだか次元の違う会話にライはどう反応をしたらいいかわからなかった。
……壱の世界の人間の夢を予言してこういうチラシが出ているって事?
「でもなあ、優勝賞品が笛なんじゃなあ……。俺はそそらねぇ……。」
「笛!そう……この笛!」
ライは興奮気味に男に詰め寄った。
「笛がどうかしたかい?」
男はクスクスと笑いながら必死な顔をしているライを見る。ライの目はチラシの下の方に載せられている笛の写真に釘づけだった。この笛は間違いなくライの妹セイの笛だ。
「セイちゃんの……笛……。あの……これって誰でも参加可能なんですか?」
「可能だと思うがやめた方が良いと思うぜ。これ、毎年やっているみたいだけどよぉ、忍者やら料理人やら調味料を全部当てられる奴とかがわんさか来るって聞いた。」
男の言葉にライはしゅんと肩を落とした。参加して妹のセイの情報を少しでも集められるかと思ったが話を聞くかぎりでは勝てる気はしない。
「あっ!」
ライは更夜の顔を思いだし、声を上げた。
「ん?どうしたよ?」
男が何やら楽しそうにライを見ている。ライの表情の変化が面白かったらしい。
「いえ、なんでもないです。あの、そのチラシってどこにあったんですか?」
「ん?これかい?ああ、ほしいのかい?いいよ。これをあげよう。どうせ、俺らは出ないからさ。」
気前の良さそうな男はライにチラシを渡してきた。
「くれるんですか?ありがとうございます!」
ライは嬉しそうな表情でチラシをもらうと男達にお辞儀をして足早に走り去った。後ろで男達がまた騒ぐ声が聞こえてきた。
「あ、あの!更夜様!」
ライは再び板場、キッチンに戻り決死の覚悟で更夜に話しかけた。更夜は忙しなく料理を作っている。料理担当は更夜一人のようだ。
「様をつけるなと言っているだろう。……なんだ。」
更夜は冷たい声で再び返事をした。更夜はこちらを見てもくれない。
「あの!これを……!」
ライは先程もらったチラシを更夜に見せた。
「味覚大会?だからなんだ?」
「これ、出てくれませんか!明後日なんですけど!」
ライが深々と頭を下げたが更夜は呆れた目を向けた。
「なぜ、俺がこれに出なければならない。」
「妹のセイちゃんの笛が優勝賞品なんです……。セイちゃんが大事にしていた笛がこれの賞品なんておかしいんです!セイちゃんが笛を手放すとは考えられなくて……。更夜様は凄い舌の持ち主だし……。」
ライは必死に声を発した。
「……もちづき……夜?おい。破って今すぐ捨てろ。」
「……そんな……。」
更夜の冷たい一言にライがしくしく泣き出した。更夜は意味深な言葉を発していたがライはそれどころではなかった。
「更夜!」
お酒の瓶を沢山抱えたトケイがキッチンに入って来、泣いているライの側に寄り添った。
「トケイ。あの子が持っているチラシを今すぐ破れ。」
「更夜……。ライ、泣いているよ。」
トケイの表情は無表情だが声は心配している風だった。更夜はトケイを横にどかすとライの手からチラシを奪い取って破り、火で燃やしてしまった。
「トケイ、さっさと酒を運んでやれ。」
「更夜!なんかよくわからないけど酷いよ!」
トケイから怒りの声が上がった。
「声を上げるな……。ライ、あなたはこれを誰からもらった?」
「え……?」
突然の更夜からの質問にライは戸惑った声を上げた。
「だから誰からもらったと聞いている。」
「えっと……中にいるお客さんですけど……。」
「……客だと……俺の監視を抜けて潜り込んだのか。」
更夜から少しの殺気が渦巻いた。ライはビクッと肩を震わせる。
「ん?どうしたの?更夜。」
トケイは更夜の様子がおかしい事に気がつき、声を発した。
「このチラシの最後に俺宛に暗号が書かれていた。」
更夜がそうつぶやいた時、ライが手を押さえてうずくまった。
「痛い……手が痛い!」
更夜はライを無理やり立たせるとライの手を開かせた。ライの手には火傷のような傷跡が残っており、よく見ると『さる』と書いてあった。
「望月の夜……。望月家か……。夜は俺か。俺に何の用だ……。サスケ。」
更夜は一人言のようにつぶやくとライの手を無表情で見つめた。
「更夜……。」
トケイは不安げな声を上げる。
「……俺はこの子の手当てをする。トケイは料理にまわれ。……スズ、聞いているだろう?監視しとけ。」
更夜は小声でスズに話しかけた。スズはその場にいないのだが会話ができているのか。
―あの人達、もう帰っちゃったわよ。―
トケイとライには聞こえていないが更夜にはスズの声が聞きとれた。
「っち……。」
更夜は小さく舌打ちをするとライを連れ、先程の部屋へと向かった。
「味覚大会だったか?出てやる。去年もやっていたから場所はわかる。」
更夜はライの手を丁寧に治療しながらつぶやいた。傷は薄皮一枚剥がれるくらいのたいした事のないものだった。
「あの人の外見、私覚えてます……。」
ライはグシグシ泣きながら更夜に言葉を紡いだ。
「外見など変えられる。意味はない。あなたは奴らから忍だと思われたみたいだな。奴らは忍以外に手出しはしてこない。……やはりあなたは忍なのか?」
更夜に問われ、ライは必死で首を横に振った。
「違います!うう……。」
「まいったな。奴ら忍も誰かに雇われている可能性がある。この味覚大会とやらに関係して、さらにあなたとも繋がっている。静かに暮らしたいのだがな。やはりそうはいかぬようだ。」
更夜が冷徹な笑みを浮かべそっと立ち上がった。ライの手には丁寧に包帯が巻かれていた。
「ありがとうございます!」
「よい。」
更夜は一言そう言うと部屋を後にした。
次の日、ライはスズと共に寝、スズと共に起きた。さすがに更夜とトケイが寝ている部屋では寝る事ができなかった。どういう仕組みか、ライは壱の世界の神のはずだが弐の世界で寝起きができた。普通の神は弐の世界で寝ようとは思わない。弐の世界自体が心の集合体であり、夢の世界にも繋がっているからだ。壱の世界に戻れなくなる可能性がある。
そもそも普通の神は弐の世界に入らない。ライは神の中でも特殊で弐の世界、つまり人間の心の世界に直接語りかける神であるため、弐の世界にあまり抵抗がない。
ライに深い考えがあったわけではないが監視されている身なのでここに泊まったのだ。
朝日が差し込む部屋でライは大きく伸びをした。隣ではスズが布団を片付け始めている。
スズがいつ起きたのかはライにはわからなかった。
……スズちゃん……いつ起きたんだろう?まさか……寝てないとか……?弐の世界の人って寝るのかな……。
「おはよ。」
「あ、おはよう。スズちゃん。」
スズが笑顔でライにあいさつをしてきたのでライも笑顔で答えた。
「手は大丈夫?」
スズはひいていた布団を丁寧に畳みながらライに声をかけた。
「うん。もう大丈夫。痛くないよ。」
「そう。良かった。」
スズはライの手の事を心配し、ライの布団も一緒に片付けてやった。
「あ、スズちゃん、ありがとう。」
「いいわよ。」
「あ、あのね……スズちゃん。」
「何?」
ライはスズにある提案を持ちかけた。
「私も忍になりたい!味覚大会に更夜様が出てくださるっていうのに私が何にも手伝いができないなんでそんなのイヤだもん。あの大会、忍さんも沢山出るんでしょ?」
「味覚大会って去年やってたあれね……。更夜が出る……?はあ……。」
ライの言葉にスズは大きなため息を漏らした。
「だ、ダメかな?」
「ダメじゃないと思うけど。無理だと思うわ。」
そう言うとスズは薄い紙をライに手渡した。
「ん?」
ライが不思議がっている中、スズは近くの布で目隠しをした。
「ほとんど畳に触れるくらいで紙を持ち上げて好きな時にその紙を落としてみなさい。」
ライは畳から二センチくらい離して紙を構えた。スズは黙ってライに背を向け座っている。ライはしばらく経ってからそっと紙を落とした。落としたと言うよりも置いたと言う方が近い。紙は音もなく畳に乗るように落ちた。
「今、落としたね。」
スズがすぐに声を上げた。
「ええ!なんでわかったの?」
ライは驚きの表情でスズの背中を見つめた。スズは目隠しを取るとライの方を向き、ニコリと笑った。
「こういう事。あなたにこれがすぐできたら忍になれるかもね。普通は血反吐はくくらい訓練しないと身につかない。」
「……無理。」
ライがスズに即答した。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。トケイも忍じゃないから。忍なのはわたしと更夜だけ。あんたは神としての能力を使って更夜を助けてあげなさい。」
「そっか!うん!」
スズの言葉にライは大きく頷いた。
「入るよ。」
スズとライが話していると襖の奥からトケイの声がした。
「いいわよ。」
スズが返事をするとトケイはさっと襖を開けた。
「味覚大会だっけ?更夜からエントリーして来いって言われたからエントリーしてきた。やっぱり去年と同じだね。開始は明日の午後九時から。」
「夜なの?」
トケイの言葉にスズが質問を投げた。
「そうみたい。僕の時計で見るとここの世界が午前四時の時に例の世界は午後九時のよう。」
トケイが無表情のまま頷いた。
「ほんと、あんたって便利よね。さすが弐の世界の時を長年守っている神。」
「どうも。」
「弐の世界を守る時神……。」
スズから神だとは聞いていたが時神だとは知らなかった。
「で?それまで何してる?暇よねー?」
スズは柔軟体操をしながらトケイとライを見る。
「うーん……。どうしよう?スズちゃん。」
ライも一緒になってとりあえず柔軟体操をしてみたが身体が固すぎたのですぐにやめた。
「とりあえず大会まで大人しくしていろ。お前達がサスケに出会ってしまったら色々とまずい。」
部屋に更夜も入って来た。相変わらず音がなく、いきなり現れたのでライはビクッと肩を震わせた。
「ねえ、そのサスケって人に見つかったらまずいんだ?」
トケイがのほほんとした顔で更夜を見上げた。
「敵か味方かわからん忍に会ってしまった時の怖さはない。特にサスケはな……。」
「サスケって忍を知っているのー?更夜は。」
スズは仏頂面でこちらを見ている更夜に質問をした。
「スズ、甲賀のサスケを知らんのか。」
「んー……わたしはどちらかと言えば伊賀だからねー、知らない。鹿右衛門様だったら知っているけど。」
「ああ、今は霧隠才蔵とか名乗っている男か。」
スズは「ああ、そうそう。」とどこか嬉しそうに声を上げた。
「で?そのサスケって名前の忍者って誰よ?」
「上月(こうづき)サスケだ。今は猿飛サスケと名乗っているようだな。何代目のサスケで何人目のサスケだかは知らんがサスケとは一度仕事を共にした事がある。」
更夜は壁に寄りかかりながらスズに答えた。
「じゃあ、更夜も甲賀の人って事?」
スズの問いに更夜は小さく頷いた。
「一応な。俺の本当の名は望月更夜(もちづきこうや)。家柄は甲賀望月だ。」
更夜の声を聞いたスズはさっと顔を青ざめさせた。
「甲賀望月って……甲賀の中でかなり上の家柄じゃないの……。さすがのわたしだってそれは知っているわよ。」
スズは「ねえ」とライとトケイに意見を求めてきたがライとトケイはポカンと口を開けたままだった。さっぱり話についていけない。
「あ、あの!」
ライは一番気になった事をとりあえず質問した。
「そのサスケって人がまた襲ってくるって事はあるんですか!?」
「それはない。警戒している俺の目を潜って入っては来れまい。これで入って来られたら俺が何の為に童の頃から死ぬ思いで修行をさせられていたかわからんからな。」
「そ、そうなんですか……。」
ライはトーンのない更夜の声を聞き、安心とまではいかなかったが落ち着いた。
「とりあえず、あなたには自身の身を守れるくらいにはなってもらう。」
更夜はライを鋭い瞳で一瞥した。
「そ、それって……。」
「修行だね。修行!」
ライが震えた声を上げた刹那、トケイが静かに言葉を発した。
三話
そしてすぐにライの護身修行がはじまった。スズとトケイは現在、味覚大会の真似事をして遊んでいる。スズの「後はカツオダシ!」という声が遠くから聞こえてきた。トケイが何を作ったかはわからないがキッチンで食事をとっているようだ。
「あなたには落ち着きが足りない。左手の人差し指を立て右手でそれを握り、さらに右手の人差し指を立たせて目を閉じてみなさい。」
ライは更夜が見せた手本通りに人差し指を立てた。
……あっ、これって……よく忍者がやる……。ニンニン!だね!漫画とかだとここからドロンと凄い技が……。
「それで心の平穏を保て。」
「!?」
更夜の発言にライは驚いて目を見開いた。
「なんだ。」
「ドロンと術が出るのに平穏を!?」
更夜はライの質問に顔をしかめた。
「何を言っている。これは単なる精神統一だ。動揺する事が一番望ましくない。」
「は、はあ……これって……本当の忍さん達は精神統一の為にやってたんですね……。ナントカの術!ドロン!みたいなのを想像してました……。」
戸惑っているライに更夜はふうとため息をついた。
「何を言っているのかよくわからんが動揺した時、戸惑った時などは一度これで心を落ち着かせる事だ。そうするとおのずと周りも見えてくる。」
「は、はい。」
更夜の通りにライは目を閉じ、人差し指を握ってみた。なんとなくだが心が落ち着いた気がする。
「血反吐を吐くような事を今、やったところで何も身につかない。それに俺はあまり忍術を見せたくない。だからあなたにはこれだけしか教えられない。」
更夜は表情なくつぶやいた。
「更夜様は血反吐を吐くような修行をしてきたのですか?」
「まあな。何度か死にかけたこともある。幼少の頃から永遠と人を殺す術、自身を守る術を教え込まれていた。縄抜けの術では関節をうまくはずせなくて縄を抜ける事ができず……たまたま襲ってきたクマに食われそうになったな。懐かしい記憶だ。」
更夜が平然と言葉を発しているのでライは身体を震わせた。
「子供の時からそんな……危ない事を……。」
「まあ……そうだな。……俺の話をしても何も出ない。時間の無駄だ。これから体術を教える。身を守るためのな。」
「体術!?あの……私、まったくできません……。」
「知っている。あなたには一つだけ覚えてもらう。」
更夜はそう言うとライを鋭く睨みつけた。威圧がライを襲い、ライはガクガクと身体を震わせた。
「ひ、ひい!」
「これだ。」
更夜は威圧を解いた。
「これだって……なんですか?うう……。」
ライは涙目になりながら更夜を仰ぐ。
「まあ、ある意味幻術に近いができる雰囲気を出す。これで相手の隙をつく。」
「い、インチキ……ですか?」
「今から体術を教えても身につかんだろう。あなたには身を守ってもらわねばならない。敵との衝突はできるだけ避ける。」
ライがポカンと口を開けている中、更夜は淡々としゃべる。
「は、はい……ごもっともです……。」
「自己暗示だ。できると思い込め。相手をまっすぐ見つめ、気を乱すな。……やってみなさい。」
更夜が静かに言葉を発した。
「そんな……無茶苦茶な……。」
ライはしかたなくやる事にした。とりあえず恐々更夜を見据えてみる。
「まったくなっておらんな。もっと自信を持て。」
「こんなのわかんないですよ……。」
「演技と同じだ。では俺が逆をやるからあなたは自信を持って俺を睨みつけろ。」
更夜はそう発言した刹那、急変した。弱々しい瞳でライを見つめる。口元にはわずかに恐怖心が出ていた。体を震わせ怯えたようにライを見上げる。
……え?さっきと雰囲気が……これが更夜様?まるで別人……。すごい!これが演劇か……。
「ぶ、分野外ですが……頑張ります!えーと!わ、私がお前達をけちょんけちょんにしてやるんだからーっ!」
ライは意気揚々と言い放った。
「……はあ……いいか。しゃべるな……。素人感が丸見えだぞ。無言で威圧をかけろ。」
「は……はい……。少し前の美少女アニメのセリフでノリに乗ってみようかと思ったのですが……。」
「わけわからん事を言っていないでもう一度だ。」
「は、はい。」
更夜が再び鋭い瞳を向けてきたのでライは青い顔で頷いた。
後はひたすらこれの練習と精神統一に時間を費やした。しばらくしたらトケイとスズが戻ってきた。
「なあに?まだやってんの?」
スズが呆れた顔でライと更夜に目を向けた。
「ふぅうううう。」
ライは大きく息を吸い、鋭くスズを睨みつけた。
「いっ!?」
スズはライから出る謎の威圧に怯え、後ずさりをしていた。
「ふう……。スズちゃん!どうかな?」
「ど、どうかなって何が?」
突然、威圧が消え、笑みを浮かべたライにスズは戸惑いの声を上げた。
「威圧!かなり練習したんだよ。」
「なんかすごいの出てたわね……。まさか、更夜、この子を傷物に……。」
スズが青い顔で更夜を仰いだ。
「馬鹿な事を言うな。俺は忍以外の者に残虐な事はせん。……さすが芸術神、感覚を掴むのが早い。」
更夜の言葉を聞いたトケイがふーんと息を漏らした。
「じゃあ、更夜はライを忍者って思わなくなったんだ。」
「ああ。これが忍だったら勘弁だな。演技をしている雰囲気でもない。本物の一般神だな。」
更夜は深くため息をついた。
「あ、更夜、また試作作ってみたんだけど……プリン。」
トケイはお皿に乗っかっているプリンを更夜に差し出した。
「っむ。」
更夜はトケイからプリンを受け取るとついていたスプーンでプリンをすくい取り、一口食べた。
「ふむ。」
「なんて言うか……トケイって甘いモノ作るのうますぎだわ。女子力高いわねー。」
スズがプリンを食べている更夜を眺めながら呆れた声を上げた。
「……卵黄と牛の乳、砂糖に洋酒……だな。それと……軽くバターと塩か。うまいな。よし追加だ。」
「うわー。型に塗っただけのバターまで当てられた。」
トケイはどこか悔しがっていた。もしかすると更夜と勝負しているのかもしれない。
「あの……卵とかって弐の世界は手に入るの?」
ライの質問にトケイは首を傾げて答えた。
「うん。普通だよ?」
トケイをスズが軽やかに押しのけた。
「普通じゃないのよ。トケイ。気になるのも無理ないわ。弐の世界はね、動物を食べる事はないわ。卵や魚、肉なんてものは偽物。弐の世界には存在しない。幻。わたし達は幻を食べているの。だけど幻をその場に出せるのが弐の世界。ここは元々想像とか妄想とかの世界もあるからね。というかわたし達は魂だから別に食べなくてもいいの。食べる事はただの娯楽。」
「へぇ……つまりはバーチャル世界みたいなものなんだね?」
ライはフムフムと納得したがスズは首を傾げていた。
「まあ、なんでも良いがそろそろ俺は風呂に入る。」
更夜は一言そう言うと部屋を出て行った。
「ああ、そういえばお風呂沸かしておいたよ!」
トケイが慌てて叫ぶと更夜は背中越しで「すまんな。」とつぶやき去って行った。
「まーた、あのじいさんはお風呂。ほんと、決まった時間に入るのよねー。」
「スズちゃん、お風呂ってどこにあるの?私も昨日入ってないから借りてもいい?」
「いいわよ。一緒に入る?」
「え!一緒に?」
スズが楽しそうにライを見つめる。ライは恥ずかしくなり顔を赤く染めた。
「嫌?」
「嫌じゃないよ!うん。一緒に入ろ!」
ライとスズはお互い微笑みあった。
「……あの……なんだか僕が居づらいんだけど……。」
トケイは隅の方でぼそりとつぶやいた。
「ごめん。ごめん。さすがにあんたと一緒は無理あるからね。」
スズは小さく笑うと大きく伸びをした。
その日も普通に終わった。サスケとやらが襲ってくる気配はなかった。居酒屋は普通に開店し、ライは料理の盛り付けに力を入れ、夢中になっている内に終わってしまっていた。
明日早い事もあり、閉店を少し更夜が早めたようだった。
「普通に終わったね……。ちょっとドキドキしてたよ。スズちゃん。」
「襲ってくる事はまずないわ。わたしも目を光らせていたからね。ちゃんと明日の事の情報収集もしたわよ。ふふふ。」
スズはライの肩を叩きながらクスクスと笑った。
「す、すごいね……。私なんて盛り付けに命燃やし過ぎたよ。」
ライとスズは今、風呂に入っている。風呂はなぜか露天風呂で満天の星空が頭上でキラキラと輝いていた。風呂はかなり広い。
湯船につかりながらライは檜風呂の淵に手をかける。
「ふう……気持ちいい……。」
「さっき身体洗ったからわかると思うけど洗い場は中にあるの。ちょっと安心するでしょ?」
スズはのほほんとしているライに微笑んだ。
「うん。このお風呂も弐の世界だから幻なの?」
「このお風呂もこの家も幻とは少し違うかなー。ここはね、壱の世界の時神の内の未来神が想像した世界で家とかお風呂とか外に沢山咲いている花は時神過去神が想像して作ってくれたもの。ちょっと彼らとは色々あってね。わたしと更夜も弐の世界の時神になったのよ。トケイは元々この世界にいた時神なんだけどねー。」
「へ、へえ……そうだったんだ。」
ライには突拍子もない話だったので相槌を打つことで精一杯だった。
「……っ!」
突然、スズが立ちあがった。
「!?どうしたの?スズちゃん。」
ライが声を上げるのと更夜が入ってくるのが同時だった。
「え……こ、更夜様!は……あうう。」
ライは顔を真っ赤にして慌てて手拭いを伸ばし、体を隠す。
更夜とスズはまったく同じ方向を凝視している。
「はーああ、バレてしまったかいねぇ。」
ふと目の前に突然、幼そうな少年が出現した。家を囲んでいる木の陰に隠れていたらしい。幼そうな少年だが非常に落ち着いており、歳を感じた。
「何の用だ。サスケ。」
「サスケ!?」
スズとライの驚きの声を無視し更夜は目の前に立つ銀髪の少年を睨みつけた。少年は肩にかかりそうな銀髪を払い、闇夜のような黒い瞳を向けニヤリと笑った。
「別に。味覚大会に出ると聞いてな、おもしろそうだったんであんた達の下見に来ただけよォ。こりゃあ、隠れる所なさすぎて見つかるかァ。ははは!」
サスケと呼ばれた少年は楽観的に笑った。
「一度、店の中に入り込んできたのはお前か……?」
「さあねェ。何のことだか。」
サスケはケラケラと笑っていた。
「……。」
更夜は無言で威圧をかけていた。しかし、サスケにはまるで効いていないようだ。
「しかし、伊賀者よ、いくら忍とて色香を使う女忍が恥じらいもなく男の前に立つなどあってはならぬ事。」
サスケは一糸まとわぬ姿で立っているスズに感情なく言葉を発した。
スズは怯む事なくサスケの動きを注視していた。
「そっちの娘の方が男を惑わす良い女だァ……。」
「彼女は忍じゃないよ。触れたら……殺してやるわ。」
スズは怯えるライをかばうように立った。
「穏やかじゃねぃなァ。ワシは忍以外に手はあげねぇよォ。利用し、犯し、殺すのは忍だけよォ。あんたもワシの敵にまわったらどうなるかわからないがねぇ。」
「……っ。」
サスケの言葉にスズは顔をしかめた。
「俺達を見に来ただけならこれで帰ってくれないか。迷惑だ。」
更夜がスズとサスケの間に入り込み、サスケに鋭い声を発した。
「いんやあ、もう帰るけんど、その前になあ、一つ言っておこうと思うてねぇ。あの笛を狙っとるのはあんたらだけじゃねェい。ワシも狙ってる。ふふ……。できれば出てほしくねぃなァ。では。」
サスケは不気味な笑みを浮かべながら姿を消した。どうやって消えたかわからないが闇夜に溶けるようにいなくなった。
「っち……八身(やつみ)で逃げたな……。」
ライには何も見えなかったが更夜の発言からサスケは八身分身でこの場を去って行ったようだ。
「更夜、あの男、店に来た奴じゃないね……。」
「ああ。違うようだ。サスケに注意がいくようにサスケだと思わせたって事だな。店に入って来た奴は俺達をあの大会に出させたいと思っている奴だ。今の話からサスケは俺達には出てほしくなさそうだった。忍の考える事はわからん。嘘かもしれん。」
更夜がため息をついた刹那、トケイの声が聞こえた。
「更夜!今、スズとライがお風呂入っているんだよ!入っちゃダメだよ!何やってんの!更夜!ねえ!」
「すまん。」
更夜は一言そう言うと脱衣所の方へと向かって行った。
「ふん。更夜の奴といい、サスケって奴といい、忍は女の裸には絶対流されないんだからね。まあ……女忍自体、男をそうやってたぶらかすのが主な術だから男忍者が克服しているのも仕事上仕方ないけど……やっぱり何か寂しいわよね……男として。」
スズはため息をつきながらライを見た。
「……スズちゃん……。」
ライが驚愕の表情でスズを見つめていた。
「?……何よ?」
「し、下着、堂々と服の上に置いてきちゃった……。」
「別に大丈夫よ。」
スズが呆れた目でライを見据える。
「勝負下着履いて来ちゃったの……。真っ赤の奴……すごく目立つ!」
「ぶっ……あははは!」
ライが真剣な表情でスズに詰め寄るのでスズは耐えきれなくなり笑った。
「スズちゃん……笑うなんて酷いよ……。」
「ごめんごめん。だって勝負下着ってあんた、誰と闘うの?まさか更夜?ふふふふ……もうダメ。更夜と夜の営みするのは危険だって。想像できない……。ふふふふっ。」
「うう……。すごくかわいかったから知らなくて買ったの。勝負下着だったって後で気がついたけどかわいかったから隠して履こうと思ってて……。」
ライが顔を真っ赤にして泣きそうな表情だったのでスズは慌ててライに声をかけた。
「ほんと、ごめん。じゃ、じゃあ、明日も早いし、さっさと出よう?」
「う……うん。」
スズとライは脱衣所へ向かった。
「うえ!?」
脱衣所に入った刹那、ライが呻くような声を上げた。
「何やってるのよー……。」
スズも呆れた声を上げる。真っ赤に黒のレースが入っているショーツをなぜか更夜が持ち上げており、その横でトケイが倒れていた。
「何をやっているかって俺は落ちていたこれを拾っただけだが。」
更夜はヒラヒラとライのショーツを振る。
「や、やめてぇえええええ!」
ライは顔を真っ赤にしながら泣き叫んでいた。
「ぼ、僕は何も……そう何もしてない。」
トケイは動揺の声を上げていたが表情は無表情だった。よく見ると頬に赤みが差している。
「はあ……てことはトケイが更夜を呼んだ時、ライのそれが目に入って持ち上げて遊んでいたのね。それで更夜が戻ってきて……驚いたトケイはライのそれを下に落としてしまったってわけねー。で、それを更夜が今、拾ったと。」
スズの言葉にトケイは首を横に振って否定した。
「ち、違うよ!はじめ何だかわからなくてとりあえず持ち上げたら……女の子の下っ……下着……って、今、君達裸……うわーっ!ごめん!うわー!」
トケイは耐えられなくなったのか両手で顔を覆い、そのまま脱衣所から走り去った。
「あの子、純心すぎるわね……。」
「う……うう……。」
ライが顔を真っ赤にしたままその場に座り込んでしまったのでスズはため息をついた。
「更夜、それね、この子の下着らしいわよ。返してあげなさい。」
「うむ。そうだったか。すまんな。ここに置いておくぞ。」
更夜がライのショーツを置いた場所はライの服が畳んで置いてあるカゴの中だ。
「ひい!」
ライは再び小さく悲鳴を上げる。服の上には勝負下着のツイである勝負ブラジャーが置いてあった。こちらも真っ赤で黒のレースがついていた。
「ぶ、ぶら……ブラジャーが更夜様の目に!」
ライの戸惑いが酷くなる一方だったのでスズはとりあえず更夜を外に出す事にした。
「ああ、もう、いいから更夜、とりあえず出てって。少しは乙女心をわかりなさいよ。」
「……?すまん。」
更夜は表情なく一言あやまると脱衣所から出て行った。
「更夜は胸に当てるそれ、なんだかわかんなかったんじゃないの?」
スズはライを気にかけながら着替える。
「ま、まあ、戦国時代の人で……男の人だから……。わ、わかんないのもしょうがないかな……。」
ライはドキドキしながら着替えはじめた。
……こ、更夜様に触られた下着……は、はう……。
「ちょっと、何笑ってんのよ。気持ち悪い。」
スズに突っこまれ、ライは自分がニヤけている事に気がついた。
「あ、いや……その。」
「やっぱり、あんた、生粋の変態?」
「ち、違うよー。」
ライとスズは散々なお風呂を楽しんだ。
四話
次の日、トケイが指定した時間より少し早い午前三時にライは叩き起こされた。
「あんたね、だらしなく寝ている場合じゃないよ。」
「ふ、ふわっ。あ……もう朝?は……はぃいい!」
ライは寝ぼけているのか大きく謎の返事をした。
「起きなさいって……。」
スズは隣で眠っているライを大きく揺する。
「ん……んん……。あ……おはよー。」
ライは何度か揺すられてやっと身体を起こした。
「のんびりしている時間はないよ。早く準備!」
スズはライの布団を素早く片付けた。またスズが何時に起きていたのかわからなかった。
「ああ……。う、うん。」
ライは布団を少し恋しそうに見ていたがすぐに目的を思いだし、スズから借りていた寝間着からいつもの服に着替えた。
「入るよ。おにぎり作ってきた。」
トケイが襖ごしに声をかけてきた。
「はーい。いいわよ。」
スズが言葉を発した後すぐにトケイが襖を開けた。
「はい。おにぎり。」
トケイは眠たそうでもなくいつもと同じでお皿に乗ったおにぎりをスズとライの前に置いた。
「朝ご飯!おいしそうなおにぎり……。この何も染まっていないきれいな白に正反対の黒い海苔が……。」
ライはうっとりとおにぎりを見つめていた。
「ライ、食べるよ。」
「う、うん。」
スズに急かされライは慌てておにぎりを受け取る。
「味覚大会はこのお城でやるみたい。」
トケイはスマホを取り出すと写真を画面に映した。
「ふーん。」
スズはおにぎりを食べながらじっくりと城を観察する。城は西洋風の城であんまり大きくはないが昔からある感じの城だった。この世界を作り上げた人間は西洋美術が好きなようだ。写真のはずだが油絵のように見える。味覚大会を開くくらいなら西洋美術好きの料理人というのもありうる。
「きれいな写真……。まるで絵みたい。」
ライはうっとりとスマホの映像を眺めていた。
「ここに忍がいるんじゃ、なんか不つり合いね。」
スズはおにぎりを食べ終わるとトケイが持って来たフキンで口元を拭く。
ライもおにぎりを食べ終わり、一息ついた。
「入口は一カ所。たぶん、僕がエントリーするために入った扉しかない。そんなに観察してないけど中はちょっと古そう。」
トケイは腿についているウィングの調子を見ながらつぶやいた。
「後は行って確認するしかないねー。更夜にはそのまま味覚大会に出てもらってわたし達は襲ってくる怪しい奴らを見つけ、排除。世界自体はけっこう広いみたいだからとりあえず城付近だけよ。」
スズがビシッとトケイに人差し指を向ける。
「うん。」
トケイは大きく頷いた。
しばらく準備に専念したライ達はまだ暗い空の下、外へ出た。最後に外に出てきたのは更夜だった。
「よし。では行くぞ。ライ、あなたはトケイに連れて行ってもらえ。俺達は走って行く。」
更夜は隣で準備体操をしているスズに目を向けつつ指示を出した。
「は、はい。」
「では。」
ライの返答に一言返した更夜は地面を軽く蹴った。
「……っ!?」
刹那、風がライの頬をかすめ、気がつくとそこにトケイ以外誰もいなかった。
「もう行っちゃったんだね。じゃあ、僕達も行こうか?」
トケイが呑気に声を上げた。
「スズちゃんもいなくなっちゃった……。」
「彼らは忍で魂だから、消えるようにいなくなっちゃうんだ。」
「へ、へえ……。」
ライが驚きつつ返答をした時、トケイが背中を向けた。
「僕がおぶっていくから乗って。」
「乗ってって……。」
ライが戸惑っているとトケイから「はやくー。」と声が上がったのでしかたなしに背中に手をかけた。
「よっと。」
トケイは軽々とライを背負った。
「重くない?」
「へーき。」
ライは少し顔を赤らめてトケイに聞いたがトケイは軽く一言言ったのみだった。
急に腿の付け根についていたウィングが半分開き、靴の裏から爆風が噴き出した。
「わーっ!」
ライは叫びつつ、目を強くつむった。風が縦に流れていく。目をつむっていてもトケイが勢いよく上昇している事がわかった。
「いきなりでごめん。もう大丈夫だよ。」
静かにトケイの声が聞こえた。風はもうない。ライは恐る恐る目を開いた。
「!」
ライは目を見開いて驚いた。自分達がいた場所が遥か下にあり、あたりを見回すと沢山の世界がネガフィルムのように帯状になり絡まっている。大雪の世界の隣は常夏の海の世界と様々だ。
「弐の世界はこんな感じ。ここが真相の世界かもわからない。今見えているこの世界は嘘で固められた妄想の世界かもしれない。生きている者が創り出す心の世界は創った本人しかわからないんだ。今見えている一つ一つの世界が本当の世界の人もいるしこの世界の中に世界を隠している人もいる。だから僕もわからない。」
トケイは話しながらウィングを最大限広げ、バランスをとる。
「……。」
「この一つ一つの世界の中に霊魂は住んでいるんだ。人の心の中でその人を見守りながらね。」
「心を持つ者にはそれぞれの世界がある……。神の心もここにある?」
ライの質問にトケイは軽く頷いた。
「あるよ。神も夢をみるから。」
トケイはつぶやきながらゆるゆると進む。場所はわかっているようなのでライは任せる事にした。
同じような風景がしばらく続いた。ずっと風景を眺めていたはずなのに知らぬ間に帯状の世界はなくなっていた。真っ暗な空間に変わり、キラキラと輝く星が眩しくトケイとライを照らす。
「宇宙みたい……。きれい。」
「案外壱の世界の宇宙だったりして。」
「ええ!」
トケイがぼそりと無表情でつぶやいたのでライは急にドキドキしてきた。
……次元が違いすぎるけど……宇宙だったら怖い……。
「ん?」
トケイが突然声を上げた。
「な、何?」
「ライ、君、もしかしてこの世界に入れない?」
「な、何?何?」
トケイは真黒な空間に吸い込まれるように入って行くがライは何か壁が目の前に立ちはだかっているような気がして進めなかった。もう二人は浮いた状態でまるで宇宙の中にいるようにふわふわとしている。トケイと手を繋ぎ合って浮いているがトケイの下半身はもう黒い空間に入り込んでいて見えない。
「そっか。ライは魂でもなければ僕のようにこの世界に存在する神でもないんだ。ライは壱の世界の神。芸術神は上辺の弐しか出せない。あ、僕達がいたあの世界は少し特殊でさ、弐の世界なんだけどまた別っぽいんだ。だから君は入ってこれたんだね。」
「そ、そんな事はいいんだけど、わ、私はどうなるの?」
ライは吸い込まれて行くトケイに向かい、困惑した声で叫んだ。
「まいったなあ……。こう引力みたいに吸われるともうそっちに出られない。……ごめん。ちょっと待ってて。」
無表情の顔が最後でトケイはライの前から姿を消した。
「うわーん!こんなところで一人にしないでー!誰か―!」
ライはワンワン泣きながらトケイが吸い込まれてしまった空間を叩く。その空間はライにはただの黒い壁にしか見えなかった。
―助けて……―
「!?」
ライがひたすら壁を叩いているとどこから声がしてきた。
―助けてー
空耳かとも思ったが確かに誰かが助けを求めていた。
「だ、誰?」
―助けて……。締め切りに……間に合わないよー……―
声はこの暗い空間から聞こえた。
刹那、ライの目に眩しい光が入り、あたりは黒色から真っ白に変わった。
「!」
ライはふと気がつくと見知らぬ空間に立っていた。あたりは真っ白だが目の前に一枚の画用紙が浮いていた。その画用紙の前に力なく女性が座っている。
「……。」
ライは不思議とこの時、自分のすべきことがわかっていた。これは芸術神の本能なのか……。それはわからない。ライは無言でその女性に近づいていく。
「何にも思い浮かばない……。締め切り……明後日なのよ……。どうするのよ。」
若い女性は一枚の画用紙の前で苦しんでいた。
「ねえ、私が見ててあげるから思ったままに描いてみなよ。」
ライがそっと後ろから声をかけた。女性は驚きの表情でこちらを振り向いた。目にはクマができており、悩み、疲れた顔をしている。
「……。」
女性の手には知らぬ間に鉛筆が握られていた。ふと横を見るとその女性の横には水彩絵の具も散らばっていた。
私は『クッキングカラー』という少女マンガを描いている。いつも扉絵に使われるものは私が描くおいしそうな料理の絵。毎回カラーで描いていた。アンケートでもおいしそう、きれい、作ってみたいなどの評価をもらっている。はじめは私自身、料理好きという事もあり美術的にカラフルにおいしそうに料理を描いていたが最近はマンネリ化して描いていても楽しくない。きれいでカラフルでおいしそうな料理を描かなければと必死になればなるほど私の作画は酷くなっていく。
苦肉の策で美術館巡りをし、色彩の本なども読んだが読めば読むほど同じようなものになっていく。料理好きだった私がいつの間に料理がトラウマになり、好きだった絵はただの仕事の道具に成り果てた。そりゃあ、仕事なんだからしかたないけど、あの時の方が楽しかったな。
……自分で作った料理を描写していたあの時代がなつかしい……。
「それで色彩の勉強している最中に眠ってしまったんだね……。」
ライはそっとつぶやいた。
「どうしたらいいの……。今日のお昼にダメ元で神社行ってきたの。なんか漫画の神かなんかが降りてきたらいいのになあって。」
女性は鉛筆を握りながら後ろに立つライを見上げる。
「あちゃー……、あなたが行った神社、調べると食物神の神社だね……。いっぱいご飯は食べられるようになると思うけど……。」
「食物神?ああ、なんだかお腹が空いてきた。おいしいラーメン食べたい。」
「ラーメン、いいね。やっぱりラーメンはネギが入っていた方がいいな。色合いもきれいだし、あとはナルト、茶色のスープに白色とピンクって映えるよ。それとアツアツな白い湯気。」
ライは今、女性が頭に思い浮かべているラーメンの中身を言っているだけだ。
「……!」
「後……スープは上から当たっている光も入れるとよりおいしそうにみえるし色合いもきれいになるよね。」
「……!」
ライは別に絵を描いてあげるわけではない。その人が想像している奥深くの物を外に引っ張ってあげるだけだ。それをひらめきと呼んでいる。
「やっぱり、描いてて楽しい方がいいよ。シンプルな料理でもあなたが思ったように描けばきっと素敵な絵になる。今のそのおいしそうなラーメン、絵にしてみてよ。あなたが今、食べたいと思うラーメン、私に見せて。」
ライの言葉を聞き、女性は少女のように顔を輝かせ頷いた。彼女は夢中になって絵を描きながらすっと消えて行った。
「……あれ?消えちゃった……。壱に帰ったのかな。」
ライは真っ白な空間の中、ただ佇んでいた。
「はっ。夢!?」
私は目を覚ました。机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。机の上は相変わらず散らかっている。窓から外を見るとまだ暗い。夜中のようだ。絵具やら、コミックマーカーやらが散乱している机から身体を起こし、広げられた紙を見つめる。普段、漫画はパソコンで描いているがこの扉絵だけはパソコンに頼らず描きたかった。
……ラーメン食べたいなー……。
おいしそうなラーメンが目の前にある夢を見た気がする。シンプルだったかかなりおいしそうだった。ラーメンがやたら輝いて見えた。今ならおいしそうなラーメンが描けそうな気がする。この空腹の状態で一つ、食べたいラーメンを描いてからラーメン食べにいこうかな。
夢で誰かが一緒に隣でラーメンをすすってたような気がするけど誰だったんだろう。友達?
なんかその子がスープにうまく光を当てるととか言ってたな。
人間が見る夢なんてこんなものだ。実際は絵を描いていたのに都合よく変換され『誰かとラーメンを食べていた』に変わっていた。
「まあ、それでもいいんだけど。」
ライはふうとため息をついた。気がつくと白い空間は消え、西洋画のような世界にいた。
……中に入れたっぽい。この人、コックさんでも絵描きさんでもなかったんだ。料理好きの漫画家さん。ただ、西洋画とかも勉強していたから世界がこんなふうに……。
ライはファンタジー風の世界を眺めながら歩く。さすが絵を描いているだけあり、風景は色彩豊かだ。
……更夜様とかがいる所はどこなんだろう?
あたりが暗いのでライは怖くなり身を縮ませた。木はまるで描いたかのように風に揺れる。何かが出そうな暗い道をライは進んだ。かろうじてあたりが見えたのは空に眩しい月が浮いているからだ。
……あの月がなかったら私、歩けなかったよぅ……。
そんな事を思っていると大きなお城がうっすらと見えてきた。
とりあえず、ライは目の前に見えるお城に向かい足を動かす事にした。
五話
「はーい。では予選を通過した六人の最終決戦を行います。」
マイクを持った女性が楽しそうに声を上げた。
お城の内部、シャンデリアが眩しい大きなホールで味覚大会が開かれていた。床は赤い絨毯がひかれ、白いテーブルクロスが高級そうな長テーブルにかぶっている。椅子は金色をしていて高級感あふれているが忍からすると眩しすぎるようだ。
その長テーブルに六人の予選通過者が座っていた。その内の一人は更夜だ。更夜はライが色々やっている間に予選を通過していた。忍ではなさそうな残りの五人は自信を持ち、運ばれてくる料理を待っている。着物で座っているのは更夜だけではなく、ちらほらといた。まわりにはギャラリーも多く、応援する声がしきりに聞こえてくる。ギャラリーの服装もまちまちだ。洋服の人もいれば着物の人もいる。服装は自由らしい。
「……。」
更夜はしきりにまわりを警戒していた。
まわりは嬉々としている。場に合せて更夜も楽しそうにふるまっていた。
やがて料理が運ばれてきた。黒い椀にお吸い物が入れられていた。
……次はこれをあてればいいんだな。
更夜が箸を持ち上げた刹那、クナイが飛んできた。更夜はそれを箸で防いだ。そのままクナイを床に落とす。
司会をしていた女性がすかさず声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。問題ありません。ごめんなさい。お箸が割れていたので変えてもらえませんか?」
更夜は紳士的に微笑むと折れた箸を女性に渡した。
「割れていましたか!大変申し訳ありませんでした。今、変えてきますね。」
女性は顔を青くすると慌てて箸を取りに行った。
……観客、司会は気がついていない。クナイは観客がいる部分から投げられた。
更夜は鋭い瞳で人影を探す。一瞬、黒い影が動いた。更夜はすかさず、下に落としたクナイを拾い上げ、影に向かい投げた。
当たったかどうかはわからないが影は消えた。
……俺を狙う奴は誰だ……。サスケか?
司会の女性がおずおずと箸を持って来た。
「ご迷惑をおかけいたしました。」
「いえ。こちらこそお手数をおかけいたしました。」
更夜は柔和に笑い、小さく頭を下げた。女性は更夜の態度が気に入ったのか頬を赤らめると微笑みながら去って行った。
……さて。
更夜は吸い物を口に含む。またクナイが飛んできた。更夜は椅子に座ったまま少しだけ身体を動かし、クナイを避けた。
……またか。俺が避けても影縫いをするつもりだったか。
更夜は後ろに突き刺さるクナイをちらりと見た。更夜が身体ごと動いたのでクナイは更夜の影に刺さる事はなかった。
影縫いは影を縫いつける忍術。術にかかればその者はその場から動けなくなってしまう。
……まったくスズ達は何をしている……。
更夜はあたりに気を配りながら入っている物を紙に書いていった。
「芸術神……絵括神ライはどこにいるんだ?」
茶髪の短い髪をオールバックのようにしている男がスズを見据え冷たく声を発する。瞳は冷徹で鋭い。茶色のダウンジャケットのポケットに手を入れている。
「あんたもずいぶん、どす黒い目をしているんだね。誰だか知らないけど。」
スズは今、子供の姿になっている。子供の姿の方が身軽に動けるからだ。
ここは城の外、城門よりは少し離れている場所だ。暗闇の中だがお互い相手をハッキリ見ていた。
スズは突然、この謎な男に襲われた。
「いないよ。ここにはね。」
スズはにやりと相手を見て笑った。
「そうかよ。やってもいいがお前は負ける。」
そうつぶやいた男は突然スズの前から消えた。リーンリーンとどこからか鈴の音が聞こえてきた。
……鈴の音?
「!」
気がつくと男はスズのすぐ後ろに立っていた。風を凪ぐような音が聞こえ、スズは身体を前かがみにした。スズの頭を何かが滑るように通り過ぎて行った。スズは慌てて男から距離を取る。
……今のは回し蹴りだね……。女の子の顔目がけてって酷い男。
ふと上を見上げると何本ものクナイが同時に降ってきた。スズはそれらを軽く避ける。
……強い……それに速い!
スズはまた後ろをとられていた。今度は横に飛んで逃げようとしていた刹那、スズの眼下に男の髪が映った。
……いつの間に!前に?
スズの後ろから身体を低くし、スズの視界に入らない下から前にまわったようだ。
スズは顎を狙ってきた男の拳を掌で防ぐ。そしてまた大きく距離を取った。
……っち……右手で防がなきゃ危なかった。腕の骨……いったかな……。
スズは身体を低くし、なるべく高身長の男の視界に入らないように動いた。四つ身分身を使いながらクナイを投げる。小刀を右手に持ち男の隙を狙う。
スズは高速で動きながら小刀を投げつける。
……傀儡の術……
スズの小刀はまるで生き物のようにあちらこちらに動き出した。小刀に糸を巻きつけ、あたりの木などに糸を引っ掛けて動かす術だ。繊細な指の動きが必要となる。
……焔……
動き出した小刀に突然火がついた。男は変則で動き出した小刀を避け、スズが投げる手裏剣も避けている。
……これでもう一つの小刀で奴の首を取る。
スズは四つ身で手裏剣を投げつつ男の背後に移動した。男は小刀を避ける事で精一杯だ。
……もらった。
スズがもう一つ持っていた小刀を懐から出すと男の首を狙って飛び上がった。
刹那、男はスズとは逆方向に手裏剣を投げた。小刀は急に力を失い、燃えながら地面に落ちた。男はそれを確認した後、首を狙うスズに振り向き、スズの脇腹を思い切り蹴りつけた。
「うぐっ……。」
スズは遠くに飛ばされ木に激突した。
「良い線はいっていたな。闇夜に傀儡の術かね。炎でメカクシも同時に……。確かに夜だと糸は見えにくく、炎は眩しい。お前の所は居酒屋だったな。酒を使って火を起こしたのか。」
男は無表情でスズを見据えた。
……ぐうたら言ってると痛い目見るよ……。
スズは痛みに顔をしかめながらふふっと笑った。そして指をわずかに動かす。
「!」
男は何かに勘づきさっと横に避ける。横に避けたが頬からは血が滴っていた。ふと気がつくと男の目の前には小刀が刺さっていた。先程スズが持っていた小刀だ。スズは懐に忍ばせていた小刀にも糸を巻きつけており、傀儡の術をもう一度行ったのだ。
「残念だね。あんたはもう動けない。」
……影縫いの術……
スズは脇腹を押さえフラフラと立ち上がる。先程の燃えている小刀で男には影ができていた。その影に懐から出した小刀が刺さっていた。
「なるほど。お前はかなりできる忍だよ。でも幻覚にかかったな。」
ふと声が後ろから聞こえた。
「!?」
男は動けないはずだがその場にいなかった。幻のように溶けて消え、その場には太い木の幹が一本刺さっているのみだった。
……幻覚!
男は後ろからスズの首を絞めつけた。
「お前は動けない。抵抗の色をなくす。鈴の音がだんだんと心地よくなってくる。」
リーンリーンとどこからか鈴の音が聞こえる。
……っち……しくったね……こいつ……最初からわたしに催眠術と幻覚を……。
「鈴の音が心地いいだろ。この心地よい鈴の音を聞いた段階でお前はもう終わってたんだ。これ、効かない奴のが多いんだけどな。」
スズの身体はもう動かない。動き方を忘れてしまったかのようだった。
……畜生……眠い。寝たら完全に催眠にかかる……。鈴は……どこから……鳴ってる?
スズは動かない身体で鈴の位置を探す。
……鈴はこんなに鳴らない……動物かなんかにくくりつけているんだね……。
スズは暗くなっていく瞳で音を探す。草むらから黒い影が動いたのが視界に映った。
……そこだ。
スズは先程男の影に差した小刀を動かした。指を使い小刀に巻きつけた糸を操る。鈴の音が突然止んだ。
止んだと同時に猫が一匹草むらから顔を出した。巻きつけられた糸がきれている。
スズが小刀で猫に巻きついていた糸を切り、鈴をはずしてやったのだ。
鈴の音が聞こえなくなるといままでぼうっとしていたのがウソのように体が軽くなった。
「やっぱりばれたかね。催眠でしゃべった方が楽だったのにな。こちらもめんどくさくなくていいしな。」
男はスズの腕を取ったまま地面に押し付けた。
……さすがに男相手に力で戦おうとは思わない。このまま関節をはずして逃げるか。
「無駄だ。」
男が冷たい声を発した。急にスズの身体は動かなくなった。
気がつくと足首と手首に蛇が巻きついていた。男はスズを仰向けにさせる。
……動物を使う……忍……。
「心配しなくていい。こいつは俺の命令でしか動かないから。噛まれたら死ぬけどな。さあて、もう一度言う。芸術神ライはどこだ?」
「ふん。忍相手に『これ』やるの?時間の無駄になるよ。」
「さあ……どうだか。」
男は冷酷な表情のままスズの首筋からそっと胸に手を伸ばす。
「……っ。」
スズに少しだけ怯えが浮かんだ。
「なんだ?女忍は色香を使えるんだろう?……なんか過去にトラウマでもあるのかね?え?」
「ふふ……馬鹿な男。何をされてもしゃべらないわよ。忍だもの。」
スズは男に笑ってみせた。男は冷酷に笑うとスズの顔を思い切り殴りつけた。
「舐められたもんだな。」
「ほんと……容赦ないわね……。わたし、一応女の子なんだけど。」
スズは別段痛がるそぶりも見せず男を見据えた。
「まあ、お前が忍じゃなかったら俺は手をあげないがね。さすがに女に拷問はしたくないよ。まあ、ビジネスとプライベートの違いさ。」
「あーそう。もうどうでもいいわ。好きにしなさいよ。」
「忍は皆こうだからイヤなんだよ……。まずは腕の一本からいってみるか。」
男は無表情のままスズの腕に手をかけた。
「な、何しているんですか!」
男がスズの腕に手をかけた時、女の叫び声が聞こえた。
「ん?」
男はすぐ近くにいた女をじろりと睨む。
「はあ……あんた、来ちゃダメよ……。今は特に……。」
スズは金髪の女を見上げながら大きくため息をついた。
「スズちゃん!」
「ん?お前は……居酒屋の……。」
金髪の女はライだった。男はライをじっと見つめ、目を見開いた。
「なるほど。あんたが居酒屋に入り込んだ男だったのね。変装してたからわかんなかった。」
スズの鋭い質問に男は顔を曇らせた。
「っち。口が滑ったな……。しかし、この子……忍じゃないのか……。」
男はそれに動揺していたようだった。
「あんたねー、この子に軽い火傷を負わせたのよー。忍でもなんでもないこの子にー。」
スズはやれやれとため息をついた。
「スズちゃん!大丈夫!ちょっと、あ、あなた、何しているんですか!酷い!これ暴行です!レイプです!」
ライはビクビク怯えながら男の近くに寄る。
「ひ、人のやる事じゃないです!目を覚ましてください!」
ライは男をそっと揺すった。
「う……えーと……そうだねー……。そ、それよりも君の……て、手の傷は大丈夫かな?女の子だし……傷残ってしまったら大変だし……。本当にすまない。知らなかったんだ。忍だと思ってた。」
男はかなり動揺しているようだ。目があちこちに動いている。
……わたしの顔を思い切り殴って腕まで折ろうとしたこいつがまるで別人ね。敵の忍を人外とでも思ってるのかな。でも……この男、ライが芸術神だって気がついていない……。
「ねえ、君、芸術神ライを知らないかな?」
「え?それ私です!」
男の質問にライは素直に答えた。
……ばかーっ!
スズは心から叫びたい気持ちになった。
「そうか。君だったのか。ちょっと来てもらうよ。」
男はすっとスズから離れるとライに近づいた。
「ちょっ!ちょっと待ちなよ!っちぃ!」
スズが立ち上がろうとしたが蛇に押さえつけられてしまった。
「俺も今の主人に雇われているんでね。大丈夫。俺は女の子には暴力は振るわない。優しく扱うさ。同業者は別だけどな。」
男はスズの方に冷酷な瞳を向けるとライを優しく抱きかかえた。
「あ、あの……。もしかしてスズちゃんのお友達さんとかでしたか……?」
「ん?ああ、そんなもんだね。」
男はそう言うとライに優しく微笑みかけ、その場から忽然と消えた。
「あんの野郎ォ……。」
スズのまわりにはもう蛇はいなかった。後をつけようかと思ったがもう見つからず、あたりは静かな闇の中だった。
「スズ?どうしたの?こんなところで座り込んで。」
ちょうどタイミングよくトケイが木の影から顔を出した。
「あ!あんたね!どこ行ってたの!今、大変だったんだから。なんでもっと早く来なかったの!」
トケイは来て早々、スズに怒りをぶつけられた。トケイはなんだかわからずただ、戸惑っているばかりだった。
「え?え?僕は一度この世界から出て、ライをとりあえず僕達の家に帰してあげようかなって思って世界から出たんだけどライがいなくなってたからもしかしたらコッチに入れたかなって探していたんだけど。」
「何わけわかんない事言ってるの!ライ、変な男忍にさらわれちゃったよ!」
「え?何言ってるかよくわかんないよ。スズ。」
トケイとスズは噛みあわない会話を始めた。
「あー、もう……ちょっと落ち着く……。」
スズは人差し指を立て大きく息を吐いた。
「スズ……顔少し腫れてるよ?どうしたの?転んだ?」
「そんなわけないでしょ。殴られたの!すんごい痛かったんだから!」
「殴られた!?それで僕がもっと早く来ればって言ってたんだね……。敵に襲われたんだ……ごめんね……スズ。僕が来てたら守ってあげられたかもしれないのに。」
トケイがしゅんと肩を落とす。トケイがあまりに落ち込んでいるのでスズはトケイの肩を叩きながら慰める方向へ言葉を持って行った。
「それはもう……別にいいよ。それより、ライがその男にさらわれちゃって……。」
「えーっ!それまずいよ!どっちに行った?」
「さっき言ったよね!どっち行ったかはわかんない。」
スズとトケイはがっくりと肩を落とした。
……なるほど。ワシになりすましとったのは鵜飼(うかい)マゴロクかぃ。
サスケは高い木の上でスズとトケイの会話を聞き、ここで起きたことを見ていた。
……あやつは誰に雇われてんのかねぇ。んま、ワシはあの笛さえ手に入ればそれでいィんだが。更夜が出てくると最終的に笛を奪いにくくなるから嫌なんだァよ。ワシは。
……後、もう一人、何人目のあやつかは知らんが望月チヨメが何故か更夜を狙っているようだがァ、まあ、ワシには関係ない。これで更夜が落ちてくれたらワシは働きやすいんだがなァ。とりあえず、奴らを始末して更夜のコマを減らす。
サスケはふわりと木から飛び降りた。
六話
……この大会はいつまで行われるんだ?
更夜はため息をついていた。自分を含めた六人はまだ大会に参加している。
……だいたい、舌の良い者達が集まっているという事は皆正解してしまい、いつまでたっても終わらんという事なのではないか?
更夜は運ばれてきた鍋料理を味見しながら考えた。この最中にもどこからかクナイやら刃物やらが飛んできている。
……いつまでたっても終わらんのに優勝賞品は一つ。……それを巡って忍が動いている。
……裏で何をしているかわからないが俺をここに足止めさせようと考えている忍もいるはず。今、襲ってきている者は俺を殺そうとしているのではなく、俺に余計な考えをする暇をなくさせているとも考えられる。単純に俺を殺したいのかもしれんが……。
更夜はちらりと隣を仰ぐ。残りの人間におかしい所はない。
……これはさっさとかたをつけた方が良さそうだ。他の者には悪いが……手っ取り早く勝たせてもらう。
更夜は小さく指を動かし唐辛子を微量、風に流して残り五人の鍋の中に入れた。
……この鍋料理に唐辛子は入っていない。これで全員ひっかかる。
更夜はついでに気づかれないように懐に入っていた香料のビンの蓋を開ける。中から唐辛子の匂いが風に乗って五人の鼻に届く。
……人間は匂いで物を判断する時もある。一応、鼻も狂わせておこう。
……微量の唐辛子でも匂いつきとなればここまで生き残ってきた者達ならば狂うはずだ。
更夜は飛んできたクナイを軽やかに避け、そのクナイを拾い、懐に忍ばせる。いままで飛んできた物はすべて回収済みだ。だからこそ、ギャラリーや司会に気がつかれない。
……誰だか知らんが非常に迷惑だ。
更夜はペンをその場に置いた。先程クナイが飛んできた方面目がけてそのままクナイを投げる。周りの人間はペンを置いただけだと思っているので気がついていない。
……先程からずっとこの調子だ。この人数でばれないように振る舞うのがどれだけ大変か……。
司会の女性が記入用紙を持っていく。更夜は笑顔で会釈をした。女性は頬を赤らめると楽しそうに微笑んだ。
夜空から突然人が降って来た。スズとトケイは驚いて目を見開いた。
「あー!あんたはサスケね!」
スズはサスケを鋭く睨みつける。サスケは頭をポリポリかくとニコリと笑った。
「マゴロクに芸術神ライをさらわれたとねェ。んま、マゴロク強いから仕方ないんじゃねぃかィ?」
サスケの言葉にスズの眉がぴくんと動いた。
「ああ、あやつ、鵜飼マゴロクって言うんだァよ。マゴロクがなんで芸術神をさらったか知りたいだァろ?え?」
「知りたい!知りたいです!」
サスケの言葉に即座に反応したのはトケイだった。
「馬鹿。罠に決まっているでしょ!」
スズがトケイを止めた。
「ワシに勝てたらいいよォ。教えてやらァ。ただし、ワシもお前らが邪魔だ。言っている意味がわかるなァ?」
サスケの瞳が突然、鋭くなった。しかし、気は水のように静かだ。
……気持ち悪い……。
スズとトケイはじりじりと後退していた。
「トケイ!こいつはまずい!逃げるよ!」
スズがトケイを引っ張ろうとした刹那、地面が突然爆発した。吹っ飛ばされたのはスズだけだ。
「スズ!」
トケイはスズに叫ぶ。土煙でスズの姿は見えない。
「そこ、危ないんだがなァ。」
サスケの声が土煙の中で聞こえる。トケイはサスケを探した。しかし見つからない。
焦っているとスズが土煙の中から勢いよくトケイを引っ張った。
「スズ!」
「ダメ!勝てない!」
スズが珍しく焦っていた。
「スズ?」
トケイは引っ張られながらスズを一瞥した。スズの腕からは血が滴っていた。
「……なんでさっきからこんな強い忍ばっかり……。」
スズの言葉は途中で切れた。
「……っちぃ!」
土煙の中、突然現れたサスケの蹴りを腹にくらい、スズは遠くにまた飛ばされた。
「スズ!なんでスズばっかり狙うんだよ!僕と闘え!」
トケイは再び消えてしまったサスケに向かい叫んだ。どこからかサスケの声が聞こえた。
「お前は同業者じゃねぃからな。動けなくするだけだァよ。忍相手にこれをやったら失礼だからあの娘にはやらん。だいたいかからんだろう。術自体になー……。」
「……!え?え?な、なんだこれは!」
トケイは気がつくと指一本動かせなくなっていた。
「言っただろぃ?ワシに勝てたら教えてやるがワシもおめぇ達を邪魔だと思っているんだってな。ほいっとな。」
サスケが一言そう発した刹那、土煙が風ですべて飛んで行った。
「……!」
トケイの目が見開かれた。視界が良くなりあたりの風景がよく見える。
トケイのすぐ近くにスズが座り込んでいた。
「ごほっ……微塵隠れか……。なるほど。すごいわね。」
スズの服は破れており身体からは血が滴っている。
「ご名答。ワシがもっとも得意とする忍術だィ。ちーとやりすぎたがなァ。ふむ。まだ息があるのかぃ?」
「こんなんじゃ死なないよ。」
スズはふうとため息をついた。
「くそ!なんで動かないんだ!スズにもうひどい事しないでよ!教えてくれなくていいから!」
トケイは動かない身体を必死に動かそうとしている。
「あーあー、わたし、なんだか負けばっかり。やっぱり強い男忍は違うねー。」
スズは必死のトケイとは裏腹、呑気に言葉を発した。
「マゴロクは紳士な方だァ。ワシならやられる前にやるけどなァ。」
「じゃあ、これは油断ね。」
スズはサスケに冷酷な目を向けた。
「!?」
スズの身体から突然火柱が上がった。
「す……スズ!?」
トケイは目の前で燃えるスズに動揺していた。
「馬鹿ね。こっち。」
スズは何故かトケイのすぐ後ろにいた。
「スズ……。」
「糸縛りの術ね。糸で縛ってある程度動けなくして後は催眠。こんなのきっちゃえば動けるよ。」
スズは持っていた小刀で糸を切った。とたんにトケイの身体が軽くなった。催眠術でかなしばりの状態にされていたらしい。
「トケイ、ぼうっとしてないでさっさと飛んで!」
スズの言葉にトケイは慌ててウィングを広げ空に飛びあがった。
トケイはスズを抱きかかえる。かなり上まで飛び、下を見下ろした。
サスケはこちらをじっと見ていた。
「バレてたのね……。わたしの火遁(かとん)……。」
「この高さならつたうものも何もないし、奴も追ってこれない。それより、スズ、大丈夫?」
「大丈夫よ。最初の爆発とその次の爆発でかすり傷を負っただけ。後の攻撃は全部防いだよ。逃げやすくするためにわざとボロボロのフリをしただけ。それよりもこれじゃあ、下に降りられないね……。」
スズは呆れた顔でトケイを見つめる。
「でもここだったらやつも来れないし安心じゃない?」
トケイは相変わらずの無表情でスズを見返した。
「馬鹿ねー……。これじゃあ、わたし達、一歩も動けないよ。サスケはわたし達が邪魔をしなければいいわけだから……これ、ハメられたんだよ……。」
スズが再びため息をついたのとトケイが「なるほど」とつぶやいた声が重なった。
更夜はあっさりと大会に優勝した。
「おめでとうございます!これが優勝賞品です!」
司会の女性から更夜は古そうな縦笛を受け取った。
「まさか勝てるとは思いませんでした。とても嬉しいです。」
更夜は心底嬉しそうな顔でギャラリーに手を振った。ギャラリーの歓声が響く。
しかし、平和な時もすぐに終わった。
「な、なんだ!」
ギャラリーの誰かが叫んだ。刹那、シャンデリアの明かりが落ち、あたりは急に真っ暗になった。歓喜の声を上げていたギャラリー達は次第に騒ぎはじめ、動揺と不安があたり一帯を包む。
……来たな……。
更夜はさっと身体を低くし、何かをかわした。更夜は強く目を瞑り、すぐに目を開いた。
いくら忍でも明るい所から急に暗くなると目が慣れない。こういう時は目をすぐに閉じ、すぐに開けると夜目の訓練をしている者ならば見えるようになる。
……奇襲は失敗したな。
更夜の背後に人の気配がした。気配はゆらりと揺れ消えると更夜の下から突然、拳が現れた。
更夜は素早く後ろに退きかわした。
今度は真横から気配が消え、鋭い風が首元で唸りを上げた。更夜は前かがみになり紙一重でかわした。
……今のは刃物だな。俺の首を狙ってた。
周りのギャラリーは突然、明かりが消えた事で不安が大きくなっていた。慌てて逃げる者、戸惑ってその場にいる者と様々だ。
更夜はまわりが見えているはずだが襲ってきている者だけは見えない。更夜の視界に映らないように襲ってきているようだ。
更夜は腰に差している刀を抜こうとしたがなぜか抜けなかった。
……っち……糸縛りか……
更夜は刀に巻きついている糸を断ち切った。その隙を突き、手裏剣が更夜の肩を深く切り裂いた。
「……っ。」
……怯んだら負ける。
更夜は何事もなかったかのように刀を抜いた。
「さすがだなァ。殺せそうで殺せんよ。」
「サスケか。」
「その笛、渡してくれんかな?」
サスケの声だけが聞こえた。ふと気配がまた急に下から漂う。サスケはそのまま小刀で薙ぎ払い、更夜の首を狙った。
……俺を殺す気か……。
更夜は少し退くと刀を振り下ろした。何かを捉えた気はしたが斬った感じではなかった。
……かなり速い……。
刀がサスケの小刀とぶつかった。サスケの目と更夜の目がはじめて合った。
「ここではお互い派手な事はできんはずだ。サスケ。」
「暗殺する予定だったんだがなァ……。もうここまで来たら失敗かねェ。」
「……だな。」
更夜はもうサスケを視界に捉えていた。
「ああ、一つ、お仲間さんの女忍、今どうなってるか知りたくねぃか?」
「……。」
わずかに更夜の気が乱れた。その一瞬の隙を突き、サスケは更夜の首を小刀で凪いだ。
更夜は咄嗟にのけ反り斬撃をかわした。
「……っ。」
しかし更夜の首からは血が滲んでいた。完全に避けきれなかったようだ。
「あの冷酷な鷹であるはずのあんたが気を乱されるとは珍しいもんみたよォ、ワシはァ。」
更夜はまた消えてしまったサスケを気配だけで追い、刀を振りかぶった。サスケは横に飛んでかわした。
「それからなァ、芸術神の方はさらわれちまったよォ。」
サスケはにやりと笑い、また気が乱れた更夜から笛を奪おうとした。
更夜は手を斬り裂こうとしたサスケの腕を取ると膝でサスケの腹に打撃を加えた。そのまま、サスケの腹を再び深く蹴りつけた。サスケは一瞬苦しそうに呻いたが再び更夜と距離をとった。
「そう簡単に渡さん。」
「怒っているのかィ?忍に守る者はいない方がいぃ。あんたもわかってんだろうが。利用されんだけよォ。あんたもそうやって生きてきたんだろうが。」
サスケは再び更夜の首を狙う。更夜の視界に炎が突然現れた。更夜が炎に囚われている間、サスケは更夜の首を思い切り蹴り飛ばした。
「……っ!」
更夜は呻くと膝を床についた。
「落ちなかったかィ……。」
「げほ……はあ……はあ……。」
一瞬息ができなくなった更夜は肩で息をし、呼吸を整えていた。
「あんたはなァ、凄い才能を持っているんだィ。忍は天職だと思うがなァ。ワシは。」
「……この職を良いと感じた事はない。……最悪だ。」
「凄い才能を持ってて何を言うかィ。他の忍もなるべくあんたとは戦いたくないんだろうよォ。」
サスケはケラケラと笑う。
「……じゃあ襲ってくるな。」
「それはできねェなァ。戦いたくはねィが仕事なら仕方ねェい。もう一つ教えとこかね。この世界に入り込んだ忍はあんたんとこの娘を覗いて皆甲賀者だァよ。」
「いらん情報だな。」
更夜とサスケは再びぶつかり合った。
七話
「あっ!」
スズとトケイは驚いた。上空でずっと見ていたはずのサスケが消えていた。
「サスケがいない……。」
「もう……何が何だか……。」
トケイはスズを抱きながら安全な空にいる。しばらくサスケを探していたがやはりサスケは近くにはいなかった。
「ん?」
スズが城から走って出てくる人影を見た。かなりの人間が城から逃げるように外に出てきている。
「……なんかあったのかな……。」
トケイが不安げにスズに目を向けた。
「更夜……大丈夫かなー……。相手かなり強かったけど、襲われてたりしたら無事じゃすまないかも。」
スズは心配そうに城を眺めた。
「行ってみようか?」
トケイが恐る恐る聞いてきた。スズは首を横に振った。
「……。更夜に任せよう。わたしが行ってもあんたが行っても足手まといになりそう。忍は相手の弱みにつけこむのも得意だから。」
「そっか……。じゃあ、ライを探そう。」
「そうね……。今度は間違いなくあの男を仕留めるよ。」
トケイとスズはお互い大きく頷いた。なんとなく城から出てきた人間を眺めていると人に紛れてやたらと速く走る人間が目に入った。
「……?」
「どうしたの?スズ。」
トケイには見えていないようだった。
「あれは……忍?何か……持ってる……。」
スズにはその忍の姿ははっきりと見えていた。
「?」
「笛……。」
忍が持っていたのは縦笛だった。スズの視力は自慢できるほどに良い。かなり遠くまで見渡す事ができた。おまけに動体視力もかなり凄い方だった。
「笛だって!?」
「声大きすぎ!」
トケイの驚きの声に耳を塞いだスズはトケイの肩をポンポンと叩いた。
「あれ、怪しすぎるねー。まさか優勝賞品?トケイ、とりあえず追うよ!」
「う、うん。でもライは?」
「みつからないモノを見つけるよりも見つかったモノから追及していったほうが後にいいの。落ち着いて今を見る。」
「わ、わかった。」
トケイはスズの指示した方向に高速で動き始めた。
マゴロクがどこをどう走って来たのかわからないが城から離れた所で抱えていたライを降ろした。
木々が覆い茂る森をマゴロクは歩き始めた。
「あ、あの……。」
「ついてくればいいよ。」
不安な顔をしているライにマゴロクは優しく手を握り、微笑んだ。
ライは仕方なくマゴロクに手を引かれ歩き出した。しばらく歩くと焚火の炎が揺れているのが見えた。何人かが焚火を囲んでいる。皆黒っぽい格好をしていた。
その中にひときわ若そうな男がマゴロクを見て微笑んだ。
「うまくいった?」
「芸術神は連れてきた。絵括神だよ。主。」
マゴロクは学生服を着ている若い男にライを紹介した。
「あ、あの……どうも。」
ライはとりあえず若い男に挨拶を返す。
「ところであんた、月に行けるんだろ。」
男はいきなりライにそんな事を聞いた。
「月……?」
「僕を月に連れてってくれよ。」
男はライに近づいてきた。
「え?えーと……無理だよ。あなたはもう弐の世界の住人だから……。」
ライは戸惑いながら男に答えた。
「無理矢理でも連れて行ってもらう。僕は月を経由して現世に戻らないといけないんだよ。マゴロク、僕の言うことをきかせてくれないかな?」
男は狂気的に笑うとマゴロクをちらりと見た。
「了解。……あんたの身体はもう動かない……。」
マゴロクはライに糸縛りをかけた。
「……っ!え!?う、動けない!」
「悪いな。ビジネス対象に君は今、なってしまった。主の言うことをきけば痛い思いはしないよ。君は忍じゃないから選択肢をあげよう。」
「そんな……。」
怯えるライにマゴロクは冷たく言葉を吐いた。
「素直に言うことをきけばこのまま何もしないが反抗するというなら俺は容赦しないよ。できればこのまま素直に言うことをきいてほしい。」
「せ、選択肢も何も弐の世界の魂を現世になんて送れないよぉ……。弐の世界からもう一度、現世なんかに戻ったら魂がおかしくなっちゃうよ!」
ライは半泣きで叫んだ。
「別におかしくなってもいいんだ。僕はまだのうのうとあちらで生きているあいつを殺したいだけだから。そんでこっちの世界に連れこんで何度でも殺してやるんだよ。マゴロク、拷問しろ。いう事を聞けるようになるまでな。」
男は狂気的にライを睨みつけた。
「……や……やめて!あ、あなた、おかしいよぅ……。」
ライはガタガタと震えながら目に涙を浮かべた。
「……っ。」
マゴロクは冷徹な瞳をしていてもその瞳が揺らいでいた。
「マゴロク、何やってんだ。僕は主なんだろう?……っち、セイの演奏不足か。」
「……!」
男の言葉にライは反応した。ライはマゴロクの真黒な瞳を見上げた。
よくマゴロクを見るとマゴロクのまわりには禍々しいが音括神セイの神力を感じた。
「さすがにこれはビジネスだって言ってもなあ……。やりたくない。忍相手でもしかたなしにいままでやってたんだ。気を抜くと俺が死ぬからさ。だけどこの子は普通の子だ。俺はできないね。本当はセカンドライフで人殺しはしたくないんだよー。ショウゴ君。」
マゴロクは男をショウゴと呼んだ。
「ノノカとタカトもあの笛を狙っている……。あの笛は気がついたらこの大会の優勝賞品になってた……。セイにも逃げられて……僕はただ壱に行きたいだけだ。絵括神ライでも壱にいけるんだろ!だったら、もう笛なんてどうでもいいから連れてけるようにしてくれよ!マゴロク!」
ショウゴと呼ばれた男はマゴロクに掴みかかる。
「音括神セイは音楽で魂の俺達を主に繋いだ……。だがな、俺達は殺人鬼じゃない。もともとは隠密だよ。残酷な事がしたいわけじゃない。」
マゴロクは怯えるライに目を向けた。
「……セイちゃんを……知っているの?」
ライは震えながらマゴロクを仰いだ。
「俺は知らないなあ。主と残り二人の男女の間でセイと何かあったらしいがね。俺はその後、勝手に魂が主にくっついてしまっただけだよ。ただ、音楽を聴いただけなんだけどね。」
マゴロクはふうとため息をつく。
「ショウゴさん……セイちゃんと何があったの?」
ライはマゴロクからショウゴに目線を移した。
「……。」
ショウゴはライの質問に何も答えなかった。
スズとトケイは忍を追っていた。忍はもうこちらに気がついているようだ。お互い高速で森の中を進む。トケイはスズの指示でその忍と一定の距離を保っていた。
「……女忍だね。やっぱり手に持っているのは笛。かなりのやり手だね。」
スズが先を走る女忍の隙を狙うがまったく隙が見えなかった。
刹那、突然空がカッと光った。
「な、なに!?」
トケイは驚いて上を見上げた。
「大丈夫よ。そのまま追いなさい。右!」
「う、うん!」
トケイはウィングをうまく動かし木の幹を潜り右に曲がる。
「上に意識を集中させて逃げる技よ。線光弾か何かを投げたんでしょ。」
「へ、へぇ……。」
トケイは圧倒されながら声を発した。
「わたし達と対峙しようとしないって事は交戦を避けてわたし達を撒きたいって思っているって事。」
「なるほど。うわっ!」
スズの言葉に頷いていたトケイは急に驚きの声を上げた。トケイのウィング目がけて鉤縄が飛んできていた。スズはトケイのウィングに鉤縄が巻きつく前に縄部分を小刀で切った。鉤の部分は暗闇に落ちていった。
ふとスズが前を向くと女忍がいなかった。
「!」
スズは何かを感じ後ろを振り向く。後方から八方手裏剣が飛んできていた。
「トケイ!後ろ!」
「え?」
トケイは慌てて後ろを振り向いた。スズはトケイに抱かれたまま、小刀で手裏剣を弾いた。
「いない……。」
スズは周囲を警戒した。木の枝から枝へと飛び移る影が映った。
「トケイ、あっちの森の中!」
「え?い、いけるかなあ……。」
トケイは困惑した声でつぶやきながら木々の間にウィングを滑らせた。木の枝を避けながら女忍を追う。刹那、突然女忍から火が上がった。
「!」
轟々と炎が女忍を包んでいく。女忍は炎に包まれているが何事もなかったかのように高速で動いていた。
「……はっ……。トケイ!止まりなさい!」
「う!?うん!」
トケイは木にぶつかりそうになりながら危なく止まった。
……これは火遁渡りの術!
「もうあそこに女忍はいない。あの凄い速度で燃えながら動いているモノはおそらく布か何か。それを糸を使いながら動かす。わたし達は糸で動いていた布を追いかけていたわけ。」
「よ、よくわかんないけどあの女の人はいなくなったんだ?」
「いや、近くにいる。」
スズはトケイに下に降りるように言った。トケイは素直に頷くとそのまま地面に足をつけた。足をつけたトケイとスズの前に黒い影がヌッと現れた。
「せっかく撒けたと思ったのに残念です。」
スズ達の目の前にいたのは例の女忍だった。女忍は服を着ておらず、胸元にさらしを巻いて下は布一枚巻いてあるだけだった。
「この術は相手に炎を追わせる術だからね。大概術者は近くにいると踏んだだけ。」
スズはまっすぐ女忍を睨みつけていた。
「ふう……自分の服まで燃やしたっていうのに……やっぱり忍相手では見つかってしまいますね。」
女忍はやれやれとため息をついた。
「う、うわー!ごめんなさーい!」
女忍の格好を見てしまったトケイは顔を真っ赤にしてひたすらあやまっていた。
「あら、うぶな子がいるのですね。」
「そんな事はいいよ。あんたの持ってる笛、それ優勝賞品じゃなくて?」
悶えているトケイの肩を叩きながらスズは女忍に質問した。
「どうでしょうかねぇ?あなた、怪我しているのですね。サスケとマゴロクにでもやられましたか?ダメですね。女忍の主な術は色香。男に手を上げさせてはダメです。真っ向から男と対峙して勝てるわけないでしょう?相手の力をどんどん減らしていくのですよ。」
女忍は色っぽく笑う。不思議と女のスズもそれに魅了されかけた。
「話を逸らさないでよ。」
「あら?何のお話しでしたっけ?」
女忍は潤んだ瞳をそっと細めると微笑んだ。大した仕草をしているわけではないのだが不思議とそそるくらいに美しく見惚れてしまうほど艶やかに見えた。
……この女は色香に特化した女忍……。
「チヨメ!笛は?」
ふと木々の間から学生服を身に纏った少女が現れた。
「ノノカちゃん……いい時にきますね……。悪い意味ですけど。」
チヨメと呼ばれた女忍は現れた少女をノノカと呼んだ。
「それより笛。」
「はいどうぞ。主。」
ノノカが急かすように手を出してきたのでチヨメはため息をつきながら持っていた笛をノノカに渡した。
「あんがと。これでセイを捕まえられるかな。」
ノノカは笛を奪い取るとクスクスと笑った。
「……ねえ、スズ……。」
「しっ。」
トケイはスズに声をかけようとしたが止められた。スズは手をわずかに動かし、綿毛を風に流した。
……風移しの術を使って笛がここにある事を伝えないと……。きっと優勝賞品だったこの笛はチヨメって女忍に盗まれたんだね……。更夜……気づいて。
スズはノノカとチヨメが逃げた時に対応できるように静かに構えた。
それを見たトケイもスズに習い、二人に隙をつかれないように気を引き締めた。
八話
更夜は体中傷だらけになりながらサスケと闘っていた。あたりのギャラリー達はもういない。皆、とりあえず外に逃げてしまったようだ。
「まだ動けるのかィ……。そろそろワシもきちぃなァ……。」
更夜同様、サスケも酷い怪我を負っている。二人の戦闘の激しさがうかがえた。
血が絶えず流れ、服はお互い大きく破れており、その服は血で赤くなっている。
「!」
ふと更夜は城に入って来た綿毛に目がいった。
……風移し……?スズか?……俺を呼んでいるのか?
「どうしたィ?」
サスケが更夜の首を再び狙った刹那、更夜が城の外へ高速で走り出した。
「!?」
隙をつかれたサスケは一瞬対応に遅れた。更夜はその一瞬を使い、城の外に出た。
城の外にはあたふたしているギャラリー達がいたが更夜はそれに構わず走り出した。
……風が吹いている方向は……あっちだな。
更夜は風が吹いている方向に八身分身を使い走る。取り残されたサスケは飛んできた綿毛を見、気がついた。
……風移しかィ……。
サスケも慌てて更夜を追い始めた。
更夜が木々の間をぬいながら走っているとすぐにサスケに追いつかれた。
……さすがに速いな……。撒くか。
更夜は高く飛ぶと口から火を噴いた。
「うわっ!ちちっ!火縛りの術かィ!」
サスケは突然、更夜が気配もなく振り向いたので火縛りをもろに浴びた。
一瞬だけ、サスケの目が火にいった。
その隙に更夜は人差し指を立て、ふうと息を吐くと肩にかけていた黒い布で自身を隠した。
「!」
サスケがハッと更夜の方を向くと黒い布のみがヒラヒラと舞っている状態だった。そしてもうそこには更夜はいなかった。
「っちぃ……闇隠れの術かィ……。血のにおいも消してんなァ……。こりゃみつからん。」
サスケは完全に消えてしまった更夜の気配を必死で探していたが結局見つからなかった。
ライはこちらを睨みつけているショウゴに怯えながらマゴロクを仰いだ。
「主は話したくないと言っているよ。とにかくあんたは主を現世に連れてってやればいい。」
マゴロクは冷たい声でそうつぶやいた。
「それはできないってば……。ん?」
……『青色』?あれ?この人達、魂に色がついてる……おかしいな。いままで『色』なんて見えなかったのに。
ライはもう一度、ショウゴとマゴロクを見比べた。
「……?」
マゴロクの少し戸惑った顔を瞳に映しながらライは確信した。
……この人達……魂の色が同じ……。そうか!魂の元……基質が一緒なんだ。あ、でも確か魂に先祖とかは関係ないんだよね。本で読んだ。
……弐の世界の魂が生まれ変わる時、基質だけ持って壱の世で生まれ変わる。その時に弐にいた元々の魂が消えるわけじゃなくてその魂は弐に残り続ける。
……壱では基質を持っただけの新しい魂が命として生まれ、弐では元々の魂がいるって事。つまり分裂って感じ。壱に降り立った時に新しくなれる生物が自分の子孫とはかぎらない。
……だっけ?天記神の図書館でこの辺の記述は読んだ事あったけど実際に元が同じ魂に会った事ははじめて!魂の色って気づいてなかったけどわかるものなんだ……。
ライはふんふんと一人で納得した。
「マゴロク、何をしてもいいから言う事を聞かせろ。俺はノノカを殺したいんだ!」
ショウゴはいらだちながら立ち上がった。
「しかたないなあ。俺はやりたくないんだけど……傷をつけるのは最後にして、まずは女が嫌がる事からしてやろうか。これで効かなけりゃあ暴力しかない。」
「!?」
マゴロクは深いため息をつくとライの身体にそっと手を伸ばした。ライは糸縛りを受けていて身体が動かせない。
「え……?やだ!やめて!」
ライは再び絶望へ落とされ、叫んだ。
「大丈夫。いずれ気持ちよくなる……。」
マゴロクの声がライの耳元でする。マゴロクは糸縛りを切り、ライを地面に寝かせた。
「ひっ……。」
マゴロクはゆっくりとライの太ももを触り、もう片方の手で胸あたりを撫でる。パニック状態のはずだがライの頭はぼうっとしてきて何故か頬が紅潮してきていた。糸縛りを解かれたのに逆らう気がまるで起きなかった。
「あんたが望みを持った時、もっとほしいと願った時、俺の言うことをなんでも聞く。」
マゴロクの声がまた耳元でした。マゴロクの指先が太ももを触る。
「うっ……ん……。」
ライの身体が電撃を走らせたかのように意思とは無関係に動きはじめた。
「あんた、ずいぶん色っぽい声出すな……。足だぜ。こういう風にされるのが好きなのかね?……俺の催眠に完璧にハマったな……。はじめからこれ、使っていりゃあ良かった。」
マゴロクが冷徹な笑みを浮かべる。
「そんな……やだ……やめて。」
……何これ……頭がおかしくなりそう……。
ライは潤んだ瞳でマゴロクを見つめていた。怖かった気持ちはどこかへ消えてしまい、段々とこの快感を求めずにはいられなくなっていく。指が触れるたびに反応し、喘いでいる内、自分がいままで何をしていたのかわからなくなってしまった。ただ、目の前にいるマゴロクに触られ、快感を覚える事に幸せを感じていた。
「ん……気持ちいい。そこいい」
ライは身体を伸ばしながら、うっとりと言葉を発する。
「そうかね……。それは良かった。肩もみだけど」
マゴロクの冷酷な声も今のライには甘い言葉のように聞こえた。
「あんたがもっと求めるなら俺があんたをもっと気持ちよくさせてあげよう。」
「も……もっと……。」
ライが喘ぎながらマゴロクに手を伸ばす。
「ただし、あんたが俺の言うことを聞くならだが。」
「きっ……きく……。」
「では主を現世に連れて行け。」
「そしたら……。」
ライがマゴロクに甘えた声を発した。マゴロクは再び指を滑らす。そしてある一点を触った。
「っ!」
ライの身体がびくんと大きく動いた。
「ここかね……。今の快感をもっと味わいたくないか?」
マゴロクは自身の指をライの唇に当てる。
「……わ、わかった。現世に……ん……つ、連れてくね……。そうすればもっと……。」
ライは口元に笑みを残してふらりと立ち上がった。
「これでよしと。神にも効くんだね、これ。拷問にいかないで正解だった。ショウゴ君、かかったよ。……って、おいおい、なに真っ赤になってんだ?少しだけ腕とか触っただけだが」
「っち、なんか気分が悪いな!」
ショウゴは顔をわずかに赤くすると表情変わらずのマゴロクに向かい叫んだ。
ライがうっとりした顔のまま、ショウゴに向かい歩き出した刹那、人影が一瞬通り過ぎ、ライを抱えて走り出した。
「なんだ!」
ショウゴは突然の事に驚きの声を上げていた。
「……ん?サスケかね。余計な事を。」
マゴロクは人影を追い、ショウゴの前から消えるようにいなくなった。
気がつくとライはサスケに抱えられていた。あたりは目まぐるしく流れていくのでよくわからない。おまけに暗いので現在位置も謎だ。サスケの足音はまるでないが走っているようだ。あたりは夜の空間とときたま吹く風の音しかなかった。
「マゴロクはけっこう幻術も得意なんだィ……。ワシは派手なのが得意だけんどねェ。ホレ、目を覚まさんか!更夜の居場所に連れてってくれな?」
サスケはぼうっとしているライの目を覚まさせた。
「……もっと……もっと……気持ちよく……って……ふえ!?なんで私を抱きかかえているの!?」
ライは潤んだ瞳をサスケに向けていたが突然、我に返った。
「はーん、効き目は絶大かィ。ずいぶんな乙女ちゃんなこって。」
「……えっ!ええ?」
……わ、私……何言ってたの!?今……。
ライは顔を真っ赤にすると黙り込んだ。
「黙られると困るんだがァな。さっきからマゴロクが後ろついて来て困っているんだィ。今、同じところを動き回っているが先に進みたいんで更夜の場所、教えてくれな?」
サスケは今、マゴロクに追われながら同じ所を円形状に走っている。
「更夜様?わからないよ……。」
「わからねィ?あんた、仲間っぽいからてっきり居場所知っているのかと思っていたがァね。知らねぇんかィ。じゃあ、てきとーに進むしかねィな。」
ライの言葉にサスケは呑気に答えた。
「あ、あの……。」
「ああ、あんたはこれから人質だァよ。」
「人質!?」
ライが不安げな声を上げた刹那、サスケは先程とは比べ物にならない速さで走り出した。
……はっ、速い!子供みたいなのに……。に、忍者って怖い……。
ライは震えながら目を瞑り、サスケにしがみついていた。
「どうだィ?マゴロク、ワシについてこれるかなァ?」
「ちぃ!速いな……サスケ。手負いじゃなければもっと速いだろうに。サスケをあそこまでしたのは……更夜かね?」
マゴロクは八身を使って逃げるサスケにかろうじてついていっている状態だった。
「残念だがねェ、まともには追わせねィよ。ははは!」
サスケは軽く笑うと爆薬を投げた。爆発の音と砂塵が舞い上がる。視界が悪い中、マゴロクは必死でサスケを探した。
「甲賀流、微塵隠れかよ……。さすが得意忍術だけあるね……。だが派手過ぎだろ。っち……見失ったね……。こりゃ。」
マゴロクは舌打ちをするとサスケを追いかける術を探しはじめた。
「ノノカちゃん、あなたは現世にお帰りなさい。笛はあなたの世界に隠して誰も入らせなければいいですからいますぐ行きなさい。使いの女忍をよこします。」
チヨメはノノカにそう言うとそのまま走り去るように指示を出した。
「わかった。後、よろしく。」
「……!」
スズがノノカを追おうとしたがチヨメが立ちはだかった。
「追わせませんよ。」
「トケイ……あの子を追って!」
スズはチヨメをこの場に留めてトケイにノノカを追ってもらう事にした。
「無駄ですよ。そちらの殿方はもう私のモノですから。」
チヨメはいつの間にかトケイの側にいた。トケイの頬をそっと撫でた後、指でトケイの身体に触れる。
「あっ……あの!」
「目を……逸らさないで……私を見て……。あなたは素敵な男性……。」
トケイが顔を赤くし、目を逸らそうとしていたがチヨメの指により目線を戻させられた。艶やかな香りがトケイの意識をさらにおかしくしていた。
「……。」
チヨメはトケイの胸にそっと顔をうずめる。そしてチヨメは怯えた雰囲気の表情でトケイをゆっくり見上げた。この表情を見てトケイは妙な気分になった。
……か……かわいい……守ってあげなくちゃ……。
「あなたのあたたかい腕で私を抱きしめて……。」
チヨメは頬を紅潮させたまま、トケイの手を動かし自身の太もも付近を触らせる。
スズはそんな情景を見ながら固まっていた。片手にクナイを装備したままチヨメを睨みつけていた。
……こいつ……わたしが攻撃できないようにトケイを盾にしながら動いてる……。
これは相手の父性を引きずりだし、体を触らせてその気にさせる技。さりげなく男を立ててあげ、守らせる、抱かせるなどの行為をさせる。男の性格によって演技を変える事もある。
「トケイ!目を覚ましてよ!」
スズはぼうっとしているトケイに叫んだ。しかし、トケイの表情は変わらない。
トケイを置いてスズ一人でノノカを追う事なら今は可能だった。しかし、スズは動かなかった。女忍は男をその気にさせるだけが技ではない。その気にさせた後、何をするかわからない。忍はビジネス以外で何かする事はないがスズはトケイが心配でその場から動かなかったのだ。
……っち、下手に動けないね……。ほんと、良い事ないし、わたし、忍として弱すぎ。
スズが頭を抱えていると何かが倒れる音がした。
「!?」
チヨメとスズは音のした方向を向いた。ノノカを守るためにつけた女忍が無残に転がっていた。刀で斬られた傷があり、その傷から血が流れ出ている。もうすでに息はない。
絶命したと思われる女忍はその場からホログラムのように消えていった。
弐の世界に絶命も何もないがこの女忍はこの世界にはもう二度と入る事はできない。この世界で死んだことになっているからだ。
「は、放してよ!あんた誰?なんなの?」
次に暗闇からノノカの声が響いた。
「主?」
チヨメはパッとトケイから離れた。トケイは魂が抜けてしまったかのようにその場に座り込んだ。
「更夜!」
スズが歩いてきた銀髪の男に叫んだ。男はノノカの腕を後ろで捻り、歩かせていた。
「スズ、無事か。トケイは……まあ、いいだろう。なるほど。小娘、この笛が本物か。」
更夜はノノカの手から簡単に笛を奪ってみせた。
「ちょ……なにすんの!」
ノノカは更夜が怖かったのか小さい声で抵抗した。更夜はノノカをそっと離してやった。
「……望月……更夜……ですか……。あなたに色香は通じない事は知っています。昔一度会った時、術にかかりましたがあなたはクナイを腕に深く刺し、痛みで術を飛ばした。あの時は驚いて私は術を解いてしまいましたがね。」
「……。」
更夜はチヨメに対し、何も言わなかった。
……更夜がチヨメの術にかかった事があるって?あの女の色香に流されたって事?
スズはふと更夜を仰いだが更夜の表情は変わらなかった。
「望月チヨメ……会場でクナイを投げて俺の意識を逸らさせて笛を偽物とすり替えたな。あなたは何故、笛を求めている?」
更夜の質問にチヨメはクスクスと笑った。
「私に質問をして普通に答えるとでも?まあ、いいです。笛を求めていたのは私ではなく、主の方です。」
チヨメは更夜に流し目をおくる。どこか色っぽく、更夜の視線が不思議とチヨメの瞳と唇に向く。
「っち。」
更夜は咄嗟にクナイをチヨメに向けて投げた。チヨメは軽く避けたが視線が更夜からはずれた。
……流されかけた……。やはりさっさとこの世界から退場してもらうしかない。チヨメは色香に特化した忍。油断したら俺が死ぬ。
更夜はチヨメに向かい走った。八身分身を使い、チヨメの背後をとる。
「速いですね……。」
チヨメは更夜の蹴りを脇腹にくらい、大きく飛ばされ、倒れた。更夜が刀を抜き、チヨメに向かい構えたが振り下ろせなかった。
「本当に忍は忍にたいし容赦がないですね……。更夜……すごく痛い……。」
チヨメは更夜をじっと見つめながら甘えるような声でつぶやく。チヨメ以外であれば更夜は普通にトドメを差していただろう。だが、チヨメの仕草、表情、艶やかな匂いが更夜をとどまらせた。手を上げてしまった事に後悔すら覚えさせられた。
……奴は俺の蹴りをわざと受けたのか……。また目をそらせなくなった……。
更夜に一瞬の隙ができ、その隙にチヨメは更夜の懐に飛び込んだ。
……っち……動けん……。
チヨメは更夜の頬をそっと触る。そしてそのままチヨメの指が更夜の身体を滑るように動いていった。チヨメはちらりとスズを妖艶な瞳で見た。
「……。」
スズはまるで動けなかった。スズは子供の時に死んでしまった忍。女忍というものがどういうものかまだよくわかっていなかった。魂年齢も変えられ、心も弐の世界で大人になれたスズは自分が壱の世界で生きていたならいずれ、こういう姿になっていたのだろうと想像した。
……凄い……更夜が動けないなんて……。これが本当の女忍……男に戦う意欲を失くさせる。
「……くっ。」
更夜は動かない身体を無理やり動かし、チヨメの肩を拳で殴った。チヨメはふらりとよろけながら更夜を引っ張る。更夜はチヨメに引っ張られて地面に背をつけた。チヨメがその上に覆いかぶさる。
「酷い男ですね……。今、顔を狙いましたね。」
チヨメの吐息がそっと更夜にかかった。耳元にかかる吐息に更夜の頭がぼうっとしてきた。
……無意識に急所をはずしてしまったか……。俺は顎を狙ったはずだが肩の方にいった……。
このままでは完璧に術にかかると考えた更夜はクナイで自身の足を思い切り刺した。血が勢いよくチヨメ目がけて飛んだ。チヨメの意識が一瞬だけ別の所に移動した。その隙に更夜はチヨメの腕にクナイを刺した。そのまま怯んだチヨメの腹を膝蹴りし、チヨメをどかすと顎に一撃を喰らわした。
「ごほっ……っぐ……。」
チヨメは更夜と距離をとると苦しそうに喘いだ。
「……危なかった。」
更夜は足に刺さったクナイを無造作に抜いた。
「更夜様!」
ふと更夜の耳に聞き覚えのある声が聞こえた。
「……。」
「ライ?」
スズは声が聞こえた方向を向いた。林の影からサスケに抱えられたライが怯えた表情でこちらを見ていた。
「忍はやるかやられるかだァよ。諜報している最中に敵国の忍と鉢合わせする事もあらァ。普段は闇に隠れる忍も相手が忍だと分が悪いだァろい?そうなったらお互い闇の中で殺し合うしかねィ。敵国に自分がいる事を知られねィように相手を殺す。敵国に情報をもらされねィように相手を殺すとなァ。だから普通はぶつからねィように動くんだが今回はちぃと違ったなァ。」
サスケはライに微笑み、ノノカに目を向ける。
「……っ。」
ノノカは怯えた目で一同を見回していた。
「サスケ……絵括に何をした……。」
更夜が鋭い瞳でサスケを睨みつけ、静かに言葉を発した。
「別に。マゴロクにひでェ事をされていたんでちょいと助けてやっただけよォ。」
「更夜様……。」
ライがサスケを振り切り更夜の元へ行こうとしたがサスケに止められた。
「おおっと。動くなァよ。」
サスケはライに小刀を向ける。ライは震えながら立ち止った。
「上月サスケ……ですか……。まいりましたね……。笛も更夜にとられてしまって……良い事ないですよ。更夜の身体から笛を探しましたが見つかりませんでしたし。」
チヨメはサスケを見て深いため息をついた。
「……あんた、タカトのとこにいる忍者……。」
ふとノノカが小さくサスケに向かい声を上げた。
「主のため、その笛が必要なんだァよ。更夜。笛を渡せばこの神は解放してやる。あんたが逆らえば……。」
サスケは更夜に向かい笑みを浮かべ言葉を発した。しかし、サスケの笑みはすぐに消えた。
「なっ!」
サスケは突然飛んできた何かに驚いて目を丸くした。
「危なかったね……ライ。」
「……え?トケイさん……?」
トケイはライを抱きかかえながらウィングを広げ空に浮いていた。トケイはしばらく術にかかっていたが目を覚ましていた。そしてまわりの視線が自分にいっていないことを確認し、ライに近づいていた。そのままライを抱き、鳥のように空を飛んだのだ。
「あー……交渉の人質が……。」
サスケは残念そうに上空を見上げた。
「トケイ!よくやったね!」
スズはトケイにブイサインを送った。トケイは無表情のままスズに頷いた。
「忍者さん達、何をしているかわからないけど弐の世界を脅かすような事になったら僕のシステムが稼働しちゃうからやめてね。これは警告。」
トケイは一言、忍達を見回し警告をした。
「システム……。」
ライはトケイのいうシステムがなんだかわからなかった。
「ああ、弐の世界がおかしくなると僕、感情がなくなって鎮圧システムになっちゃうからさ。弐の世界の時間管理は僕と更夜とスズがやっているけど僕だけは元々ここにいるからか時神以外に弐を中から守る使命を持っている。僕は弐の世界を監視しているコンピューターのようなものなんだよ。」
トケイはライに丁寧に説明した。
「……そ、そうなんだ……。」
ライは弐の世界の事はほとんど知らない。トケイ、スズ、更夜の他に弐の世界に神がどれだけいるのかもわからないがトケイが重い使命を持っている事はわかった。
それを確認した後、ライはこちらを見上げている忍達に目を向けた。
……今、更夜様が笛を持っているんだっけ……じゃあ私達に戦う理由はないかな。皆、怪我したらかわいそうだし……逃げた方が……。
ライはそう思ったがどうやって逃げればいいかわからなかった。
……こういう時は……。
ライは人差し指を立てそっと目を閉じた。動揺していた心が静かになっていく。まわりの音が聞こえなくなり感覚もなくなる。押し寄せていた波が一気に引いたようだった。
更夜から教えてもらった精神統一の動作だ。
……凄い……。
心が安定したライは目をすっと開き、キッと鋭い瞳で忍達を見下ろした。
「……!?」
ライの偽物の威圧がサスケ、チヨメを突き刺した。
「な!?絵括神がこんな威圧をォ!?」
これは神力なのか威圧なのかわからなかったがサスケとチヨメの動きがピタリと止まった。
動きが止まった二人を見ながらライは思いついた事をしてみた。
「忍法!トロンプルイユ!」
ライはそう叫ぶと筆をサラサラと動かした。もともと絵のような世界なのでこの世界では普通に絵を描くことができた。林を新しく描き換え、弐の世界の中にライの世界を入れてみた。
「しめた!」
スズがそうつぶやき、走り出す。更夜もそれにならい走り出した。
「トケイさん、スズちゃんと更夜様を足にしがみつかせてあげて。」
「え?う、うん。」
ライの指示に従い、トケイは高速で下降し、スズと更夜が走っている側まで寄った。
「なんかよくわかんないけど足に捕まって!」
トケイはウィングを動かし、更夜とスズに足に捕まるように言った。
「わかったよ。」
スズと更夜はトケイの足に手をかけ捕まる。
「そのまま上がってまっすぐ進んで!」
ライはトケイに叫んだ。トケイは頷くと空へ舞いあがった。
「スズ、更夜、大丈夫?」
トケイが心配そうに足に捕まっている二人に目を向けた。
「大丈夫だ。」
「衝撃は凄いけどね……なんとか……。」
二人は必死でトケイの足にしがみついていた。
サスケとチヨメは更夜を追おうとしたが行き止まりが多い迷路に閉じ込められていた。
「っち!なんだィ?これは……絵かェ?」
サスケは追うのを諦めるしかなかった。本物か偽物かわからない絵に囲まれ、進む事も戻る事もできない。
「もう絵なのかこの世界の風景なのかわからないですね。こうなったらもう追えない。」
チヨメも追うのを諦め、ノノカを連れてどこかへ消え去った。
トケイはただ、まっすぐに空を進んでいる。夜だった世界はだんだんと明るくなっていた。
「……で……さっきのはなんだったの?」
少し余裕が出てきたスズがトケイに抱かれているライに質問をした。
「トロンプルイユだよ!スズちゃん!うまくいったよ!」
ライは嬉しそうにスズを見た。
「とろんぷなんとかって何?」
「トロンプルイユは騙し絵だよ!絵と風景を同化させたりするの!私流の忍術作ってみた!」
「へぇ……なるほど……。忍術というより幻術?」
スズはクスクスと笑った。
「とりあえず世界から一度出るよ。更夜、笛あるよね?」
トケイが更夜に確認をとる。
「ああ。ある。まあ、こうなるとは思っていたが……優勝云々ではなくただ盗んだようになってしまった。ここまで忍が関与し奪い合いになるとは思わなかった……。一体、この笛がなんだと言うのだ。」
更夜は懐にしまっていた笛を取り出す。笛は傷一つなく金色に輝いていた。
「セイちゃんの……笛……。」
ライは笛を見つめ、小さくつぶやいた。
九話
ライは無事、更夜達がいる世界に帰ってくる事ができた。しかし、帰りはどう帰って来たのかまったくわからない。行きと同じ場所は通っていないようだった。世界が変動しているため、同じ場所に同じものは二度と存在しない。
ライはそんな環境の中で平然と帰ったトケイの凄さを思い知った。
「と、トケイさんって凄いんだね……。」
「ん?そうなのかな……。」
トケイは無表情でライに目を向けたが声は少し嬉しそうだった。褒められて少しうれしかったらしい。
「とりあえず、笛は手に入ったし……体が痛くて……。」
スズが疲れた顔をしていたので一同は家に入る事にした。
畳の部屋の一室に戻り、スズは腰を落ち着けた。スズはすでに子供の姿から大人の姿に変わっている。
「スズ、だいぶんやられたようだな。」
更夜が救急箱を持ってスズの側に座った。
「……そうだね……。更夜もかなりやられたでしょ。」
「ふっ……まあな。」
スズと更夜はお互い軽く笑った。
「何笑っているの!怪我してんだよ!」
トケイはスズと更夜を心配そうに見つめ叫んだ。
「あ、あの……。」
その中、ライが控えめに声を発した。
「笛か?ほら。」
更夜はライに笛を押し付けるように渡した。ライは笛を危なげに受けとると「そうじゃなくて」とつぶやいた。
「私がこんなことを頼んじゃったからスズちゃんも更夜様も怪我をしてしまいました……。その……ごめんなさい。」
ライはしゅんと肩を落とす。自分が無理なお願いをしてしまった事により、平和に暮らしていた更夜とスズとトケイを危ない目に遭わせてしまった。やっとセイの手がかりに繋がる笛を手に入れたというのになんだか喜べなかった。
「あんた、それを気にしてたの?別にいいよ。なんか弐の神として動かなきゃいけなさそうなニオイがプンプンするしね。それに、わたしがどんだけダメな忍かよーくわかったし。」
スズはなんだか少し落ち込んでいるようだった。
「スズちゃんはダメな忍じゃないよ!かっこいいよ!」
「あはは!ありがとう。ちょっと自信が戻ってきた。」
スズはライの励ましで少し元気になったようだ。
「スズ、あいつらが特別強いだけでお前もやり手の方だ。もう、この職を捨ててもいいと思ったがまだ捨てられんようだな。俺が少し教えてやる。子供の内に死んでしまったせいでお前はまだできない忍術が多いからな。」
「えー……。め、めんどくさ……わかったー。」
スズが更夜に投げやりに返事をした。
「……絵括神、俺達は承諾して首を突っ込んだ。あなたが非を感じる必要はない。」
「ですが……。」
更夜の言葉にライは申し訳なさそうに目を伏せた。刹那、突然トケイが畳を強く叩いた。
「ライ、僕は壱の世界の神を助けたい。僕は絶対協力するからね!」
「え……う、うん……。」
トケイが必死で詰め寄ってくるのでライは押されながら返事を返してしまった。
「よし。じゃあ、僕は何をすれば……」
トケイが意気込んで叫んだ時、ライの笛から何かが弾き飛んだ。
「!」
スズの手当てをしていた更夜はサッと構え、手当てを受けていたスズも構えた。
笛から出た光のようなものはライ達をドーム状に覆いはじめた。
「な、何これ……。」
ライが不安げに声を上げた。
「待て。何か声が聞こえる。」
更夜が耳をすませた刹那、ライ達の目の前に突然セイが現れた。セイはツインテールの幼い少女だった。
「せ、セイちゃん!」
ライはそっと手を伸ばしたがライの手はセイをすり抜けていった。
「!?」
「記憶だよ。笛の記憶。僕達時神と音括神セイの親しいライが合わさった事で笛が反応したんだ。」
トケイが静かに声を発した。
「よ、よくわかんないけど本物じゃないって事かな?」
「うん。」
ライの言葉にトケイは小さく頷いた。
「弐の世界は記憶も具現化できるのか……。」
「あんまりいい記憶じゃなさそうだね……。」
更夜とスズもセイを視界に入れる。セイは酷く切ない顔をしていた。
気がつくと風景が変わっており、星が輝く夜の街並みに変わっていた。ここはビルの屋上のようだ。
つまり壱の世界か。
男の子が一人、涙にぬれた顔をセイに向ける。男の子の顔は絶望に満ちていた。
ライは先程会った男の子を思い出した。
……あの子は……ショウゴって名前のあの男の子……。
「セイ……タカトにあやまっておいてくれ……。って、無理か。」
ショウゴは一言そう言うとビルの屋上から身を投げた。セイがショウゴの服を掴もうとしたが掴めることはなく、ショウゴはそのまま落下した。
「ショウゴ……ダメ……!」
セイは恐怖に満ちた顔で叫んでいた。
「だから言ったのである。ワタシは言ったはずだ。人間と直接関わるなと。」
セイの後ろに天狗の面を被った若い男が下駄を鳴らしながら歩いてきた。男は天狗のような格好をしている。
「天(てん)様……。」
セイはその男を天と呼んだ。天はため息をつくと座り込んでしまったセイを立たせた。
「お前さんは人を二人も殺したのである。ワタシの忠告を無視したのだから当然の報いである。」
「お願いします……。あの二人を私に会う前に戻してください!お願いします!」
セイは泣きながら天にすがった。
「お前さんは幼すぎる……。ワタシにすがっても何もないのである。死んでしまった者は戻らない。そんな事もわからんのか。」
天は冷たくセイに言葉を発する。
「お願いします……。彼らを生き返らせてください……。お願いします。」
セイは泣きじゃくりながら天の着物の袖を掴んだ。
「ワタシは人を導くだけである。死んだ者は戻らない。……お前さんは許容範囲外の事をした。神は存在意義が必ずあるだろう?お前さんの存在意義は人の心に働きかけ、音楽の才能を外に出してやるだけである。これ以上は業務外である。神の世では行きすぎると罪になる。お前さんは立派に罪神になったわけだ。高天原東で裁かれる。」
天は冷たく言い放ったがセイを優しく抱きしめていた。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……。あの二人を生き返らせてェ……。」
セイは泣きながら天にすがり必死であやまっていた。
「……馬鹿者が……。」
天はセイを優しく抱きながら小さくつぶやいた。
「……待て。」
天の後ろからふと女の声が響く。
「……マイ……か。」
マイと呼ばれた女は金髪の短い髪に白い着物を着ていた。
……お姉ちゃん……。
ライはマイを見て目を見開いた。語括神マイは演劇の神で今は罪神として高天原東にいる。
「セイはまだ東の傘下ではない。勝手に東に連れて行くな。」
マイは天にそう言い放った。
「しかし、その内、皆、ワイズの傘下になるであろ?」
「お前は東のワイズ、思兼神の傘下の神だったな。ライは東に入ってしまったがセイは入れさせない。こんな状態のセイをあれが助けてくれるとは思えない。……お前はこの事を誰にも口外するな。……私がセイを守る。ワイズに一泡吹かせてやろう。」
マイはクスクスと不気味に笑うとその場から去って行った。
「待つのである!ワイズに何をー……。」
天は叫んだがマイは振り返りもせずに消えて行った。
「天様……お姉様……私、どうしたらいいのでしょうか?」
セイは泣きはらした目で天を仰いだ。
「……いままでの業務に戻るのである……。確かにお前さんはまだ東の傘下ではない。だからワタシは黙認する……。高天原北の冷林が何かしてくるかもしれんがマイがなんとかすると言っているので任せよう。お前さんは人と関わるのをやめて業務に専念するといい。」
天はセイを離すとカラスに変身した。そしてそのまま夜の街並みへと消えて行った。
救急車やパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。セイは涙をぬぐうと恐怖心と後悔に苛まれながらゆっくり歩き出した。
断片の記憶だけだったのでライ達には何のことだがまるでわからなかった。
……セイちゃん……一体何が……。
ライが泣きそうな顔でセイを見つめているとまた場面が変わった。
セイは狭い部屋にいた。見た感じ女の子の部屋だ。花柄のベッドにクマのぬいぐるみが座っている。そしてこの狭い部屋に大きなグランドピアノが置かれていた。
椅子に座ってピアノを弾いている女の子がふとセイに目を向けた。
「セイ?」
「……ノノカ……タカトもショウゴも亡くなってしまいました……。ごめんなさい。」
セイは酷く切ない顔で女の子、ノノカを見上げた。
「いや、ちょうどいいよ。邪魔は消えたし、お姉ちゃんは悲しむかもね。まあ、お姉ちゃんは漫画描くのに忙しいから気づくのに時間かかるかもだけど。」
ノノカは何とも思っていないのか滑るようにピアノを弾きはじめる。
「……何言っているんですか?タカトもショウゴも死んでしまったんですよ!」
セイは必死にノノカに叫ぶ。
「だから何?別にいいでしょ。私に罪はかからないし、ショウゴは自殺なんだから。」
「……!」
ノノカはどこかイラついた表情でセイに向かい言った。セイは言葉がなかった。
「友達と恋人が死んだのに……そんな……。」
「はあ?あっちが勝手に言ってた事でしょ。私、知らないし。お姉ちゃんが描く少女漫画みたいな展開ってふつーないから。むしろ、あいつらには死んでほしかったところだし。」
「……死んでいい人間なんていない……。……そうだったんですか。ノノカがタカトとショウゴを間接的に殺したんですね。」
迷惑そうな顔をしているノノカにセイは小さくつぶやいた。セイは楽しそうにピアノを弾いているノノカにそっと背を向けると足取り重く消えて行った。
……一体、あの人間達と何があったの?セイちゃん……。
ライは去って行くセイの背中を苦痛の表情で見つめた。
夕闇が近づく中、セイは誰もいない神社で笛を吹いていた。
「きれいな音が出せない……。」
セイは笛を吹きながらぼやける視界できれいな夕焼けの街並みを眺めていた。頬を伝う滴は地面に吸い込まれて消えていく。
「きれいな音がでないよぅ……お姉様……。」
セイは嗚咽を漏らしながら泣いていた。
……私は人を悲しい気持ちにさせる曲しかできなくなりました……。どうしたらいいのでしょう……お姉様……。
最後にセイの声が風に流れて消え、風景は元の更夜達がいる部屋に戻った。
「……セイちゃん……今、どこにいるの……。セイちゃん……何があったの?」
ライは手で顔を覆い、つぶやいた。
「ライちゃん……落ち着いて。しっかりしなさいよ……。大丈夫。わたし達が頑張って探すの手伝うから!」
スズがライの肩を優しく抱く。ライはスズにすがった。
「……うう……。スズちゃん……。」
「……ライ、何があったかわからないけど僕もセイを探すよ!」
トケイもライを慰め始めた。
「……とりあえず、絵括、あなたは一度壱に戻りなさい。」
その中更夜は淡々と言葉を発した。
「更夜、ちょっと冷たいよ!」
トケイは更夜に向かい声を荒げる。
「……いいか、弐の世界は霊が自由に動ける世界だ。ここに奪い合っていた笛があると絵括が危険だ。笛と絵括は壱にいた方がいい。霊は壱には普通はいけんからな。」
更夜は表情なく言葉を発するとスズを呼び戻し、手当てに入った。
「……なるほど……そうだけど……んん……。」
トケイはどこか複雑な表情をしていたが更夜の言葉に納得したようだった。
「……更夜様の言った通りです。私、一度壱に戻ります。」
ライは息をふうと吐くと笛を握りしめた。
「壱に戻らなくても神々の図書館にいればいいよ。壱に行っちゃうと連絡とれなくなっちゃうし。」
トケイが表情なく頷く。神々の図書館とは弐の世界にある図書館だが弐の世界とは微妙に違う。人間達が利用する壱の図書館から神々にしか見えない霊的空間に入り、そこにある白い本を開くと神々の図書館に繋がる。弐の世界にあるが壱の世界の神々も利用できる空間になっている。弐の世界で唯一、壱の神、使いの動物だけが入れる空間で弐の世界の者はこの空間に入る事はできるが人型をとれず、魂の姿になってしまう。魂の姿になってしまったら何もできないので弐の世界の者は神以外、図書館のある空間に入ろうとはしない。
「天記神(あまのしるしのかみ)の図書館だね?」
この図書館の館長を務めているのは天記神という神である。
「そうそう。いいアイディアでしょ?けっこう強い神だから守ってくれると思うよ。」
トケイの表情はないが声が嬉しそうだった。
「そうだね!じゃあ、そうする!」
ライも大きく頷いた。
「僕、送ってくよ。」
トケイはライを促した。色々いきなりだが移動するなら早い方がいいだろうと思い、ライは素直に従った。
「あの……ありがとうございました。これからも迷惑かけます……。」
ライは声を震わせながらスズと更夜を見た。
「いいよー!私はライちゃんの役に立てるように頑張るからね?ライちゃんも頑張って。」
スズはニコリとライに笑いかけた。
「……何かあったら報告するようにするから安心して帰りなさい。」
更夜はライを一瞥すると「早く行け」と目で合図をしてきた。
ライはお辞儀をするとトケイと部屋を出て行った。
「……あの子、きれいな目をしていたね……更夜。」
ライとトケイがいなくなってからスズは更夜に一言そう言った。更夜はふと手を止めた。
「……そうだな。」
「あの子は人を傷つけた事……ないんだろうね……。」
「そうだろうな。」
更夜はスズの言葉に淡々と答える。
「ちょっと……うらやましいね……。」
スズは切なげに微笑んだ。
「……そうだな。……腹にも打撃を食らっているな……。」
「さっ……触らないで!」
更夜がスズの腹の様子を見ようとした刹那、スズの表情が一変した。更夜を激しく拒み、恐怖がスズの顔に浮かんだ。更夜は素直に手を引いた。
「……すまぬ。トラウマか……。」
「……ご、ごめん。あの時の記憶が出てくるから……触んないで。」
スズは小さくあやまり目を伏せた。
「……そうだな……。俺のせいだからな。スズは俺が怖かったのか。」
「当たり前でしょ!実力差が凄かったんだからね。あんたを殺せって言われたけど殺せるなんて思ってなかったよ。……今だってけっこう怖いんだし。」
スズはふうとため息をついた。
「……そうか。」
更夜はまた短く言葉を発した。
「あんたはわたしを拷問にかけないでそのまま斬り殺したね……。それ、更夜なりの優しさなわけ?」
「……どうしようもなかった。一番、お前にとっていい選択を俺はとっただけだ。拷問をして目的を言わせても何も意味はないと考えた。というのと……さすがの俺も子供にこれ以上手はあげたくなかった。」
更夜の表情が少し曇った。
「……お互い、辛かったって事だね……。」
「……。腕の治療をするぞ。腕ならいいだろう?」
更夜はスズのつぶやきには答えなかった。スズは小さく笑うと腕を差し出した。
「あんたの怪我はわたしが手当てしてあげるよ。外科の知識なら少しあるから。」
「お前にやらせると色々恐怖だ。俺は自分でやる。お前はここで大人しくしてなさい。」
更夜はスズの腕に素早く包帯を巻く。
「ほんとつれないねー。」
「もう無理はするな。あいつらとは交戦するな。忍術は教えてやるがその忍術を使ってまずは逃げる事を考えろ。絶対に戦うな。」
「するな、するなばっかりだね。ま、でも更夜の言った通りだね。あの人達、強いから全然かなわなかったしぃ。はあ……。」
スズは大きなため息を漏らした。
「……俺もだ。やつらと出会うのは今後俺も怖い。しかし、もし戦闘になったら俺は闘う。だが、お前は絶対に俺の真似をするな。俺がトケイとお前と絵括を守る。」
更夜はそう言うと救急箱を持ち、部屋から出て行った。
「馬鹿ねー。そりゃあ、背負い過ぎでしょ……。ま、いいけど。ほんと、固い爺さん。けっこう無理している癖に。……手先は器用なくせに性格は不器用な男。」
スズはふふっと笑って腕に巻かれた包帯を眺めた。
……トケイはともかく、わたしはライを守らないといけないね。あの子は色々と危ういし、わたし自身、あの子の事が好きになっちゃったしー。
スズはふうともう一度深いため息をついた。
トケイはライを抱えながら空を飛んでいた。
「もうすぐ着くよ。」
「うん。ありがとう。」
トケイの声掛けにライは微笑んで答えた。
「音括神セイに何があったんだろう?忍者もなんであんなに……。」
トケイは不思議そうにライを見つめた。
「わかんないけど、忍者の人の魂とあの子達の魂の色が同じだったの。忍者さんの一人がセイちゃんの笛の音でショウゴって子の魂にくっついたとかって言ってた。同じ魂の基質同士をセイちゃんが呼び出したのかもしれない。」
ライの言葉にトケイは無表情のまま頷いた。
「ライは魂の色が見えるんだ。」
「う、うん。あの女の子と女忍さんも同じ色をしていたよ。」
トケイは高速で飛びながらライの話を聞いていた。
「そうなんだ。僕は向こうの魂かこっちの魂かしかわかんないや。あのノノカって女の子は弐の住人じゃないんだって事はわかった。」
「という事は生きているって事だよね?でもなんであの世界に入れたのかな?壱の世界の人は眠っている時、自分で作った心の世界に行くんだよね?」
ライはううんと唸り、トケイを見上げる。
「そうだよ……。もしかしたらノノカって女の子はあの世界を作った人間に呼ばれたのかもしれない。自分の夢に友達が出てくるなんて事、よくあるからね。もしかしたら親族かもしれないし。」
トケイの言葉でライはハッとした。
「そういえば、ノノカって女の子、お姉ちゃんが少女漫画描いてるって言ってた。まさか……あのラーメンの人があの女の子のお姉ちゃん……?」
「ラーメンの人?よくわかんないけど何か関係がある?」
トケイはウィングを動かし下降をはじめた。
「たぶん……あるかもしれない。」
「その辺も調べよう。……着いたよ。」
トケイは何か壁のような結界のようなものを超えた。ライの身体が少し重たくなったような気がした。
「なんか……体が少し重い気がするの……。」
「大丈夫。ここは壱の世界にも通じている所だから壱の世界の重力になっているだけ。ここが君達、壱の神が生活している空間。じきに慣れるよ。」
トケイがうんうんと頷く。
「え?じゃあ、弐と壱じゃあ、重力も違うの?」
「まあ、弐は重力がない所もあるし、めちゃくちゃだから何も言えないけど……とりあえず壱とは違うよ。僕自身も長い事ここにはいられないんだ。」
「へえ……。」
ライは弐の上辺しか出入りした事がなかったので気がつかなかったが弐の真髄にずっと居続けると感覚がおかしくなってしまうらしい。
「じゃあ、僕も情報見つけるからライは天記神の所にいて。僕はここにはあまりいられないから弐に帰るね。」
「う、うん。ありがとう!」
トケイはさっさと弐の中に帰って行ってしまった。ライはしばらくポカンとしていたが図書館に向かい歩き出した。図書館は古い洋館のような所だ。図書館のまわりには松などの盆栽が置かれていた。
……セイちゃん……。
ライはセイを想いながらセイの笛をそっと抱きしめた。
「サスケ、酷くやられたな……。」
どこかはわからない森の中、眼鏡をかけた学生服の少年がサスケに向かい声を発した。
「あァ……ちーと、強い奴と当たってなァ……。チヨメとマゴロクに邪魔されて笛、奪えなかった。すまんねェ……タカト。」
サスケはすまなそうに少年を見上げた。
「いいよ。俺達はセイの笛を壊すのが目的だからな。後からいくらでも奪える。セイを殺してノノカを助ける。笛を壊せばセイも死ぬはずだ。もしダメそうだったらセイを探し出して殺す。俺達の運命を狂わせたのはあいつだ。俺はノノカを守りたい……。ショウゴからも彼女を守りたい。」
サスケはタカトの決意を聞きながらニヤリと笑った。
「お前さんはあの女の為に神殺しをするつもりなのかィ?死後の世界に来たのだったらもっと平和に暮らせばいィ。お前さんはもう現世とは関係がなィだろィ?」
「ああ。もう関係ないけど俺はまだ死にきれない。未練になっているんだ。」
「……そうかィ。」
苦痛なタカトの声を聞き、サスケは一言そうつぶやいた。
「ふああ……。」
ノノカは自室のベッドの上で目覚めた。
……なんかセイの笛が夢に出てきたような……
「あーあ……あの笛があればセイを呼び出していつでも凄い音楽が作れるのになー。」
ノノカはぼうっとそんな事を考えながら寝間着姿のまま自室を出る。なんとなく隣にある姉の部屋を覗いてみた。姉の部屋は相変わらず汚くて紙とコミックマーカーと水彩絵の具やらが散乱していた。机に座り、朝からラーメンをすすっている姉が目にはいった。
「おねーちゃん、朝からラーメン?おもっ。」
ノノカは姉に向かい呆れた声を上げた。
「ん?ああ、夜中にラーメン食べてる夢みてふと起きてラーメンの絵を描いたら眠くて寝ちゃったんだよね。それからラーメンむちゃくちゃ食べたくなってさ。」
姉はノノカに向かいラーメンをすすりながら微笑んだ。
「あそ。」
「冷たいね。ああ、そうだ、ノノカ、昨日さ、あんたとタカト君とショウゴ君が夢にでてきたんだよ。やっぱりなんか私自身もあの二人が亡くなった事をいまだに受け入れられないのかもしれないね。」
姉はつらそうな顔をノノカに向けた。
「そっか。そうだよね。」
ノノカは何の感情もなしにそう言うと姉の部屋を後にした。
「ちょっと?ノノカ?」
「学校間に合わなくなっちゃうからもう行くよ。」
壁越しに姉の声が聞こえたのでノノカはそう答えた。
……このままセイが私の能力を引き出してくれれば私は有名な作曲家になれる……。偶然かショウゴがタカトを殺してくれてショウゴは自殺してくれた。
……私は罪にならない。あの笛を手に入れてセイを思い通りに動かせれば……。
ノノカはクスクスと笑いながら高校へ行く準備をはじめた。
ライは洋館のドアをそっと開けた。
「あ……あのぉ……。」
「はいはいはい!あら?」
ライが声掛けをするとすぐさま、紫の着物を来た男が微笑みながら近づいてきた。星形をモチーフにした帽子に青いきれいな長髪、瞳は澄んだ橙色。端整な顔立ちの青年だがどこか女性のようにも見える。
「え……絵括神ライ……です……。」
「あら、ライちゃん。どうぞ。」
「あの……。」
男はライの手を優しく握り、机に促した。
……天記神……。いつも思うけど……お、オカマ……なのかな?
ライは促されるまま、椅子に座った。
「はい。どうぞ。」
男はライの前にあたたかい紅茶とクッキーを置いた。
「あ、ありがとうございます……。お世話になります。」
「改まっているわねー。」
男、天記神はライに笑顔を向けた。
「あの……ずっと思っていたんですけど、お、男の神様ですか?」
ライはいけないと思いつつもこんな質問をしてしまった。
「んー、一応身体は男よ。でも今の私は女の心。あなたが嫌なら男になるけど。」
「え?いえ……。」
天記神は愉快そうに笑っている。ライは対応に困り、とりあえず下を向いた。
「で、ライちゃん、顔が沈んでいるようだがどうしたのかな?」
天記神は突然、男に戻った。
「え?え?あの、元のままでいいですよ……。」
「あらそう?嫌なのかと思ったわ。それで?どうしたの?なんか沈んでいるけど。」
天記神はライに言われ、口調を元に戻した。
「はい……実は妹の事で……。音括神セイの事で……ちょっと。」
ライはしゅんと肩を落として声を発した。
「人間の魂が関わっているあれね……。」
天記神の言葉にライは顔を上げて天記神を見た。
「セイちゃんの事、なんか知っているんですか!?」
「いえ……。私が知っているのはあの子達の記憶部分のみよ。今のセイちゃんの事は知らないわ。」
「そうですか……。その人間の子達の事……教えてくれますか?」
ライはセイの手がかりを掴むため、セイと関わったという少年少女の事を聞き出そうと思った。
「天ちゃんから高天原には口外するなと言われているけれどあなたは言わないわよね?」
天記神の瞳が鋭くライに向いた。
「て、天ちゃんってあの天狗みたいな神の事ですよね……。い、言いませんよ!」
ライが慌てて否定をするので天記神はほっとした顔をした。
「天ちゃんが私の口止めの為にあった事をすべて記憶の本にして封印したわ。記憶を見たいならこの本を開きなさい。記憶を本にして開けば弐の世界の特権で記憶を具現化できるのよ。」
「記憶を本に……?」
天記神は遥か上の方まで続いている本棚の上の方を指差した。すると上の方から本がヒラヒラと舞うように落ちてきた。
本のタイトルは書いていない。ライは恐る恐る茶色の背表紙の本をそっと開いた。
ライは白い光に包まれて本の中に吸い込まれた。
最終話
……ここはどこ?
ライはあたりを見回した。黒板が見え、沢山の机と椅子が並んでいる。ここは学校内の教室のようだ。
……教室?
「……っ!?」
ライは自分の身体をみて驚いた。ライの身体は透けている。記憶を見ているものとして扱われているらしく、この記憶に干渉する事はできないようだ。本を読んでいるだけなのだから当然と言えば当然である。
夕陽が差し込む教室の中で一人、帰り支度をしているのはノノカだった。
「ノノカ!何やってんだよ。帰るよ。」
ノノカがのんびり教科書をバックに入れているとショウゴが顔を出した。
「ん?ああ、ショウゴ。ごめん。今行く。」
ノノカはニコリと笑って返事をするとさっさと荷物をまとめてショウゴの元へと急いだ。
ノノカとショウゴは並んで歩き始めた。ライも慌てて廊下に出る。
学校のチャイムが静かに鳴っていた。時刻は午後四時半。二人の制服が冬服だったので秋ごろから冬にかけての時期のようだ。
「タカトとは連絡とれてんの?」
「……とれてない。だって学校違うし、あの人、忙しいから。」
ショウゴの問いかけにノノカは廊下の床に目を落としながら答えた。
「それさ、付き合ってるって言わなくねぇ?」
「ねー、私の方がもう冷めそう。てゆーか、もう冷めてる。今、好きな人いるんだ。隣のクラスだけど歌が超うまい瀬戸内コウタって人。」
ノノカは嬉しいのか恥ずかしいのかよくわからない表情でショウゴを見た。
「ふーん。俺達、幼馴染だったけどタカトだけ遠くに行っちゃったみたいだよな。」
ショウゴはコウタに興味がなかったのかすぐに話を変えた。
「そうだね。あいつなんてもう知らない。連絡しても返って来ないしイライラするんだけど。『今忙しい、ごめんね』とかでもいいからなんか連絡よこせっての。もうイライラしすぎてどうにかなりそう。もう二十日も連絡来ないんだよ!いくらなんでも待てないって!忙しくてもそれくらいできるでしょ?」
ここ最近、ノノカはどこかいらついていた。ショウゴはタカトのせいだとわかっていたのでノノカのイライラを発散させてやろうと相談にのっていた。
「そりゃあ、酷いね。僕だったらそんな事しないけどな。」
「あんたなんてどうでもいいの。友達だし。」
「……。」
ノノカはいらついていたのかショウゴに投げやりな態度をとった。ショウゴはこの一言で少し傷ついた。だが特に反論する事なく、そんなものかと感じたのみだった。
二人は下校する時にいつも通る大通りにさしかかった。あたりは暗くなってきており、学生がちらほら歩いているのみだった。車は絶えずノノカとショウゴの横を通り過ぎて行く。
「なあ、ノノカ。」
「何?」
ショウゴの発言にノノカはそっけなく答えた。
「僕に乗り換えないか?僕ならノノカをイライラさせないようにするよ。僕なら……。」
ショウゴは微笑んでノノカに告白したが途中でノノカに遮られた。
「えー、無理。マジ無理。ていうか嫌。あ、それでさー、今日の音楽でねー……。」
「……むり……か。」
ショウゴは傷ついた表情でため息をつく。ノノカはおかまいなしに違う話をしはじめた。
ショウゴの頑張りもノノカにとってはただの会話だった。ノノカの自分に対する気持ちがよくわかり、ショウゴは落ち込んだ。
やがてノノカとショウゴはそれぞれの道へ分かれて行き、家へ帰って行った。
「ただいまー。」
ノノカは家に帰るとすぐ、自分の部屋を目指して歩いた。姉の部屋のドアは閉め切られていた。何か仕事をしているようだった。ノノカは隣にある自分の部屋に入るとバッグを乱暴に置き、制服姿のまま机に置いてあるパソコンを起動させた。
そのままネットに繋ぎ、動画投稿サイトを開く。
『新曲できました。音質は少し悪いかもしれません。』
と書いてある動画をクリックし、動画を再生する。
「……こんな事やってる暇あったら連絡しろよ。あのクソ男。」
ノノカは動画をみながら悪態をついた。動画は顔出ししておらず、ピアノを演奏している手までしか映っていない。しかし、ノノカはこの動画を投稿した人物がタカトである事を知っていた。
再生回数を見ると投稿したばかりだというのに四十五万再生を記録していた。
コメントも『素晴らしい。次も期待します。』などの日本語のコメントや、英語のコメントなど様々な国の言葉で幅広くコメントが書かれていた。
「そんなにいい?これ……。」
ノノカは軽くあしらったが心では聞き惚れていた。
……なんでこんな心を揺さぶるような曲ができるの……?
……最悪な男の癖に。
ノノカはそんな事を思いながら今度は自分で投稿した動画の再生回数を見る。
……はあ……
思わずため息が出た。再生回数、十。コメントなし。
ノノカもピアノで曲を弾き、動画投稿サイトにアップしていた。しかし、才能がないのか再生回数は底をいっている。
「最悪。……この最悪な気持ちを曲にしたら少しは気分上がるかな。音楽の神でも舞い降りてくればいいのに。」
ノノカは投げやりな気持ちでピアノを弾き始めた。狭い部屋にあるグランドピアノからはきれいな音が出る。ノノカは指を滑らせ、てきとうに曲を作り弾いた。
「あなたがノノカですか?」
すぐ後ろから女の子の声がした。ノノカはぎょっとしたがゆっくり振り向いた。
「誰?」
「私は音楽のひらめきを担当する神、音括神セイです。」
女の子は金髪のツインテールで橙色の着物を着ていた。
……セイちゃん!
ライは慌ててセイの側に寄るがセイに触れる事はできなかった。
「はあ?おと……何?あんた誰?」
ノノカは突然現れたセイに怯えているようだった。幽霊か何かかと思ったらしい。
「あなたの心に眠っている音楽を一緒に弾きましょう?」
セイは笑顔でノノカに話しかけた。
「……何?」
ノノカが困惑している中、セイは笛で演奏を始めた。ノノカは困惑していたがそのうち、ピアノが弾きたくてしょうがなくなった。気がつくとノノカは楽しそうにピアノの鍵盤を叩いていた。
……何これ……すっごい良い曲!
「これがあなたの中に眠っていた曲です。投げやりな気持ちではなく音楽にしっかり向き合えばあなたはこれほどの力を持っています。」
「凄い……夢みたい。」
ノノカはセイを興奮した表情で見つめた。セイは軽く微笑むと一言追加でつぶやいた。
「……タカトはあなたを想う曲をずっと作り続けています。溢れ出ているのはあなたへの想い。お手伝いは本当に楽しいです。曲作りに没頭してしまうのがたまにキズですが。」
「!」
セイの一言にノノカは驚いた。
「あんた、タカトにも同じことをやったの?」
「はい。心から引き出したのは一度だけですけど。」
「そ、そう……。」
「あ、また来てもいいですか?あなたの作った曲をもっと聞いてみたいんです。」
セイの無邪気な笑みにノノカも微笑んだ。
「……いいよ。」
ノノカの返答にセイは喜ぶと窓から外へと消えて行った。
……夢……じゃない。で、タカトにも同じことをした……と。
ノノカの中で何かの歯車が狂い始めた。
場面はセイを追う形となり、ライも窓から飛び降りていた。ノノカの家は一軒家なので窓から降りても問題はない。セイは月明かり照らす路地裏を楽しそうに歩いていた。
「セイ……これ以上、人と直接関わるでない。」
セイの前に一羽のカラスがいた。
「天様、大丈夫です。人に直接関わっていますがやっている事は業務です。」
セイは楽しそうにカラスに声を発した。天と呼ばれたカラスは深いため息をついた。
「人の心の奥底にあるモノを出すキッカケをあげるのがお前さんの仕事である。対象は心であって現世を生きる人間ではない。いい加減わかるのである。」
天は必死で説明をしていた。
「天様、あの子達は喜んでくれました。私達、人を喜ばせる神は喜んでくれているのを近くで見るのが一番の幸せです。これも業務に入れた方が良いと思います。」
セイはふふっと微笑むと天を通り過ぎ、暗い路地に消えて行った。
「……セイ……。」
天は消えてしまったセイに頭を抱えた。
場面はまた変わった。今度はセイを追いかけて場面が変化したようだ。
ライの横に時間経過が表記されており、先程の記憶から一週間はたったようだ。
「俺はノノカのためにもう一曲作りたい。五十万再生いったら聞いてもらおうと思うんだ。」
タカトは曲を聞きに来たセイにそうつぶやいた。
「いいですね。ノノカも喜ぶと思います。」
セイはタカトの部屋を見回しながら楽しそうに微笑んだ。
「俺は気づいたんだ。恥ずかしいけどノノカへの気持ちが本当に作りたかった曲なんだなって。他の気持ちで曲を作るとどうしてもうまくいかない。やっぱり自分の気持ちには正直になるべきだった。」
タカトはピアノと机くらいしかない質素な部屋でピアノを弾いていた。
「素敵ですね。私も応援します。」
セイは目を輝かせながらタカトを見つめた。
「セイ、こないだ上げた曲、五十万いっているかな?」
「開いてみたらいかがですか?」
タカトは逸る気持ちを抑え、投稿サイトに繋いだ。自分の投稿画面を開く。
「……え?」
タカトは驚きの声を上げた。書いてあるコメントを送りながら目を疑った。コメントは知らぬ間に誹謗中傷コメントに変わっていた。
「なんだこれ……。」
タカトの表情を見、セイも画面を覗き込む。
……女の子に曲を無理やり作らせて自分は意気揚々と弾くとか……。
……ないわー。裏切られたって感じ。
こんなコメントがずらっと書かれていた。
「……俺は曲を無理やり作らせた事なんてない。なんだよ。このコメント……。」
タカトは顔を青くしてセイを見た。
「……人気が出れば誹謗中傷は出て来ます。気にしなくていいと思いますが。」
「……。」
セイの言葉にタカトは何も話さなかった。
場面はまた激しく飛び、今度は再び学校が舞台となった。
「ノノカー、あんた、もうタカトと別れちゃいなよ。曲だけあんたに作らせてネットに投稿しているんでしょ?」
「それ、いいように使われているんだよ!」
ノノカのまわりにはノノカの友達である女子生徒が怒りの表情を露わにノノカに言い寄っていた。
「ねー?別れるタイミングだよね。後。」
ノノカは友達を相手に嘘をつき、憂さ晴らしをしていた。
「聞いてよ、ノノカ!あたしの友達がさー、タカトと同じあの名門の音楽学校に行っててさ、タカトの演奏聞いたらしいんだけど普通に演奏する曲は皆平凡なんだってさ。ネットにアップされている曲だけなんでそんなすごいのができんだよって話だよねー。」
「へー、平凡なんだ。なんであんな名門高校に受かったんだろうね。あいつ。」
「ノノカが受かれば凄かったんじゃない?あいつじゃなくてさ。」
女子生徒とノノカは楽しそうに会話している。こういう話題になると女は嬉々とした表情を浮かべるものだ。だがこれは女子同士の関係を深めるために実は大切な仕事である。
こういう関係を肯定するつもりはないがある意味仕方のない部分だ。
ノノカは嘘をついてタカトを貶めるたびに優越感に浸っていた。憎しみや怒りがありすぎるともうその人の良い所は見えなくなってしまうものだ。嘘を重ねていたはずが心の変化により本当だと思い込んでしまう。ノノカも自分で嘘をついていたが知らぬ間に本当にあった事のように感じていた。
「ノノカ―、帰ろう?」
楽しそうに話していたノノカだったが廊下からショウゴの声がしたので軽く返事をした。
「いまいくー。」
「ノノカ、ショウゴ君に乗り換えるってのはないわけ?」
「ないない。ただ、家が近いから一緒に帰っているだけだもん。あんたらが部活じゃなかったら私もあんたらと一緒に帰るんだけどさ。」
ノノカは女子生徒達に軽く手を振るとショウゴの元へ走って行った。
「何の話?」
ショウゴはノノカに先程の話題について尋ねた。
「タカトの事。あいつもう、ほんと最低!曲を人に作らせてネットにアップしてんの!最低すぎて何も言えない!」
ノノカは興奮気味にショウゴに言葉を返した。
「タカトが曲を作らせている?ふーん。まさかノノカが作っているとかじゃないよね?」
「私だよー。曲を作れって連絡だけしてきてさ、その他の連絡はすべて無視。嫌んなっちゃうよ。」
ノノカは再び嘘をついた。『他人に曲を作らせている』だけでは話が小さすぎて会話が盛り上がらないからだ。
「ノノカに作らせて他の連絡はまったくしないの?それかなり自分勝手だね。」
タカトがそんな事をする奴だったかという疑問の前にショウゴにはタカトに対する嫉妬が生まれていた。
……ノノカがこんなにタカトの事を好きなのになんであいつはノノカを利用しているんだ?ノノカは僕に振り向いてもくれないのに。あいつは……。
ショウゴに冷静な判断ができていればノノカの言動に疑問を持つ事ができた。しかし、ショウゴはタカトに対する嫉妬心の方が強かった。考えは最悪の方向へ行き、タカトを貶めたいと思ってしまっていた。
「自分勝手も自分勝手だよ。もう、イライラしすぎておかしくなる。」
「そうなんだ。じゃあ、もう完璧に連絡を遮断した方が……。」
「そう簡単に遮断できたら苦労しないって……。」
ショウゴの言葉にノノカは少し下を向いた。タカトに対する苛立ちは持っているが未だにタカトを嫌いになれないでいた。もともとノノカはタカトに愛されているという何かがほしかっただけだ。タカトの事は憎いが今でも好きだった。
「そう……だよな。」
ショウゴの心にもタカトに対する嫉妬心が渦巻き、徐々に大きくなっていった。
ノノカとショウゴは帰り道、特に何も話さずに別れた。
またまた場面が飛び、今度はタカトの部屋に飛んだ。タカトはベッドに横になり生気を失っていた。名門の音楽学校でも噂が飛び交い、ネットはもう怖くて見ていなかった。
動画もすべて削除し、学校にも行けなくなっていた。
「タカト……大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。なんでこんな事になったんだ。ネットだけじゃなくて学校にも……。」
タカトの暗い瞳が一瞬、見開かれた。
「まさか……。ノノカの女友達があらぬ嘘を……。あの動画を俺が作っているって事を知っているのはノノカだけだ。俺に対する嫌がらせかもしくはノノカに対する嫌がらせか。俺の事でノノカも酷い目に遭っているかもしれない。」
タカトはノノカを疑わず、ノノカの女友達を疑った。タカトはノノカが酷い事をされていないかノノカと直接話そうと思い、ノノカにメールを入れた。
……小学校の時に遊んだあの公園に今から来る事ができるか?
メール文は質素になってしまったがノノカの状況をいち早く知りたかったのでこれで送信した。返事はすぐに来た。
……いいよ。今から向かうね。
ノノカのメール文もかなり質素で一言しか書かれていなかった。
タカトは不安な気持ちを抱えながら急いで支度をし、外へ飛び出した。セイも恐る恐るついていった。セイは自分が起こした事だとは考えていなかった。なぜ、タカトの曲が支持されないのか理解ができず、タカトの側から離れられなくなっていた。
タカトの家から例の公園はすぐだった。錆びたブランコと砂場しかない質素な公園のベンチに一人座り、ノノカを待っていた。二人で話したいからと言われ、セイは遠くから見守る事にした。セイが草木に隠れているとノノカが公園内に入って来た。
ノノカは部屋着のまま外に出てきたのか上下ジャージだった。
「何?いままで全然連絡よこさなかったくせに。」
ノノカは苛立ちを隠す気などなく、タカトにきつい言葉をかけた。
「なあ、お前の女友達から何か酷い事されていないか?」
タカトはノノカの言葉に返答する前に聞きたい事を聞いた。
「はあ?されてないし。連絡をよこさなかった謝罪はなしかよ。」
「俺が他人に音楽を作らせているっていうのは嘘だから。ノノカは気にしなくていいから。」
タカトはノノカをまっすぐ見つめ、言い放った。
「何言ってんだかわかんないんだけど。それ言ったの私だし。」
「……!?」
ノノカの言葉にタカトは耳を疑った。
「だってあんた、セイって子に音楽作らせているんでしょ。間違ってないじゃん。」
「それは違う。あの子は俺の作る曲を聞きに来るだけだ!」
「嘘つき。私もセイに凄い音楽作ってもらったし。あんた、それ認めないわけ?やっぱり最低だね。」
タカトとノノカの雰囲気が徐々に悪くなっていく。
「だからってネットにも学校にも変な噂吹き込むなよ!」
「だいたい、まったく連絡してくれないし、会う約束もしてくれない!あんた、私をなんだと思っているの?別れたいならはっきり言えば!きれいに別れてあげるよ!」
「それは今、関係ないだろ!」
タカトのこの発言でノノカは酷く傷ついた。
……関係ない?私はそこをはっきり聞きたいのに!
ノノカは目に涙を浮かべ、タカトを睨みつけた。タカトはタカトで自分の曲を汚された事とノノカがなんでそんな事をしたのかという点で話し合いたかった。タカトはノノカの行動を知りたいと思い、ノノカはその行動に至った経緯を知ってほしかった。二人の心はすれ違い、噛みあわない歯車となった。
遠くで見ていたセイは二人の状況が険悪になっていったので慌てて仲裁に入ろうとしたがタカトの言葉を思い出し、留まった。
……そうです。いつもノノカと一緒に帰っているあの男の子を連れて来れば……。
セイはショウゴを頼る事にした。ショウゴを探すべく林から抜け出し、住宅街へと走って行った。
映像はセイを追う形となり、ライが走っていなくても風景が流れていった。
「待つのである!セイ!もうこれ以上あの子達と関わるでない!」
ふとセイの前に立ちはだかったのはカラスになっていない人型の天だった。
「天様!どいでください!私、急いでます!」
セイは天の横をすり抜けるように通り過ぎた。しかし、天に手を掴まれた。
「待て!もうやめるのである!」
天の声が鋭く低くセイに突き刺さる。
「……天様、ごめんなさい。」
セイは肩を落としてあやまると片手で笛を吹き始めた。
「……っ!?」
天の周りはなぜか竹林に変わり、セイも湯煙のように消えた。これはセイの特殊技だ。笛を吹き、その者の心を音楽に変えて演奏する。演奏されると自身の心の幻が目の前に見え、上辺だけ弐に連れて行かれる。幻なので肉体は壱に存在している。
天は自身の幻に囚われ、セイを見失ってしまった。
「……セイ。これ以上は……。」
天の叫びもむなしく、セイは走り去って行った。
記憶の進行は天を置いて行き、セイを追いかける。セイはひたすら住宅街を走っていた。セイはショウゴを見たことはあったがどこに住んでいるかまでは知らなかった。ノノカとショウゴがいつも別れる通学路の分かれ道でショウゴが進む方向に進んでいけば会えると信じ、住宅街の角を曲がった。
「うわっと!」
セイが角を走り抜けた刹那、驚く男の声が聞こえた。セイは幸運か不運かたまたまショウゴに会ってしまった。
「あなたはショウゴ!私が見えますか?」
セイの問いかけにショウゴは戸惑いながら答えた。
「ん?み、見えるって?見えるけど……君、誰?僕と会った事あった?」
「私の事を見えない人の方が多いんです。私、音括神セイと申します。」
「……は、はあ……。」
ショウゴは必死のセイに困惑の色をみせた。
「それよりも、タカトとノノカが喧嘩しているんです!止めに入ってくれませんか?公園にいます!」
「!?……なんでタカトとノノカを知ってんだ?」
「とにかく止めて下さい!喧嘩は良くないです!」
「……?なんだか知らないけどわかった!」
ショウゴはセイに押し出されるように足を進めた。状況はまるでわかっていないが三人で昔よく遊んでいた住宅街の中にある公園を目指し走った。
喧嘩しているというセイの一言がショウゴの不安を煽っていた。それと同時にどこか嬉しい気持ちも沸き上がっていた。今度こそノノカが自分に振り向くかもしれない……そう考えると不安よりも喜びの方が強くなっていた。
ショウゴは息を上げながら公園にたどり着いた。セイの言っていた通り、ノノカとタカトが激しく言い争いをしていた。
「喧嘩はやめろよ。」
「ショウゴ!?」
突然ショウゴが現れ、タカトとノノカは驚きの声を上げた。
「ノノカが泣いているだろ!だいたいお前がノノカを放っておくから……。」
ショウゴは喧嘩の内容はよくわからなかったがとりあえずノノカの味方をする事にした。
「お前は関係ないだろ!俺とノノカの問題だ。入ってくんな!」
タカトは性格に似合わずショウゴに怒鳴った。ショウゴはなんだか気分が悪かった。自分でもよくわからない感情だ。羨ましいから妬んでいるのか自分だけ蚊帳の外に置かれている状況が嫌だったのかわからないがタカトに反抗したくなった。
「関係ないだって?ノノカのお前への相談をずっと聞いていたのは僕だ。何にも知らないくせによく言うよな。」
「お前だって何も知らないくせに。」
タカトはタカトで気分が荒んでいた。学校でもネットでもあらぬ噂を流され、ノノカともうまくいかず、何も知らないはずの友人から腹の立つ言葉をかけられる。タカトはその怒りをショウゴにぶつけはじめた。ショウゴとタカトは激しく言い争い、お互いを掴みあう勢いになってしまった。ノノカは男二人が声を荒げているのが怖くなったのか二人の仲裁に入った。
「もういい。なんであんたらが喧嘩してんの?あたし、もう帰る。」
ノノカは一応二人の喧嘩を止めると目に涙を浮かべながらどこかイライラした表情で去って行った。
「ノノカ!まだ話が……。」
タカトがノノカを追おうとしたがショウゴに止められた。
「行くなよ。これ以上、ノノカを傷つけんな!」
ショウゴは一言そう言うと自分も公園から去って行った。一人残されたタカトはノノカを傷つけてしまった理由もショウゴが怒っている理由もよくわからず、ただその場に呆然と立ち尽くしていた。
それからしばらく経ち、タカトの頭も冷えてきた。ショウゴは喧嘩の仲裁に入ってくれたのだが自分の発言のせいで怒った。そう思えてきて一度ショウゴにあやまらなければと思うようになった。そこでタカトは休みを利用してショウゴに一度会う約束をした。
メール文は『一度ちゃんとショウゴにあやまりたい。小さい頃、いつも遊びに行っていた山にでも登ろう。』そう書いて送った。返事は少し遅れて来た。
『いいよ。』
その一言しか書かれていなかった。その後の返信で待合場所と時間を決めて送った。待合場所は登山道付近だ。登山道といっても大きな山ではない。子供が気軽に入れるような丘のような山である。
設定した時間通りにショウゴはタカトの前に現れた。
「ショウゴ……。いきなり呼び出して悪かったな。」
「今日は暇だから別にいいよ。」
二人は重々しい雰囲気の中、山を登り始める。
「ショウゴ、ごめんな。喧嘩の仲裁に入ってくれたのに俺、カッとなっててさ。」
タカトは素直にショウゴにあやまった。
「ああ……。別に。」
ショウゴはどこか投げやりな態度で頷いた。
「こうやってこの山に登るのも……久しぶりだな。」
タカトはぼそりとつぶやく。それを聞きながらショウゴは質問を投げかけた。
「なあ、タカトはノノカにあやまったのか?」
「……あやまってない。あれはノノカが悪い。」
ショウゴはタカトの返答に腹が立った。
……全部お前が悪いんじゃないか。自分勝手すぎるだろ。なんでノノカのせいにしてんだよ。
ショウゴはノノカの相談役をやっている内、タカトの心がまるで見えなくなっていた。ノノカが憂さ晴らしに話していた嘘を鵜呑みにし、タカトを勝手に作り上げていた。
あれからショウゴはノノカに頼られる事が多くなり、少しヒーローになった気でいた。タカトを悪者にする事でノノカに頼られる……それを行っている内、ある事ない事が本当の事のように思えてきてタカトを恨むようになってしまった。
「ちょっと、大人が行くような登山道に行ってみようか。」
タカトは分かれ道の真ん中に立つと少し険しそうな緑地の方を指差してショウゴに微笑んだ。子供達はこの分かれ道の先には行かない。ここから先は大人が登山を楽しむための道になっているからだ。
「別にいいよ。」
ショウゴはまた投げやりな返事をするとタカトに続き、険しい山道に足を運んだ。
二人は何も話さずに黙々と山を登った。
お昼だが登山客はいない。森のざわめきと鳥の鳴き声のみが二人の耳をかすめていく。もうずいぶんと高い位置に来たはずだ。気がつくと隣は深い谷のようになっていて、下の方に小さい川が流れていた。かなり高い。そろそろ山頂かと思いながら山を登っているとタカトが急に声を上げた。
「何?」
ショウゴは突然声を上げたタカトに呆れた顔を向けた。タカトは崖の下をしきりに見ている。
ショウゴがタカトの見ている方向を向くと崖下の手の届くところにスマホが落ちていた。木の枝にひっかかっている。タカトがスマホを取り出そうとした時、手が滑ったかなんかで崖下にスマホを落としてしまったらしい。
「スマホをポケットから取ろうとしたら落とした。木の枝に引っかかって下に落ちなかったから取れそうだ。」
タカトは恐る恐るしゃがむと崖下に手を伸ばした。タカトは今にも崖から落ちてしまいそうだった。
……このまま、押したらタカトは崖から落ちて死ぬな……。
ショウゴは呆然とそんな事を思った。
……押したら……殺せる……。こいつがいなくなれば……。
考えている事はおかしな方向へ行き、気がついたらショウゴはタカトを思い切り押していた。前かがみになっていたタカトは踏ん張る事ができず、そのまま谷底へ落下した。
「……っ。」
ショウゴはその時の感情で動いてしまった。そのまま恐る恐る遥か下の谷底を覗き込んだ。タカトは遥か下の岩に頭を打ちつけたのかまったく動かず、頭からは血が流れ出ていた。
……殺した……。僕がタカトを殺した。殺してしまった。
ショウゴの手足は震え、怯えの表情が浮かぶ。突発的にやってしまった事に恐怖していた。
……ぼ、僕は悪くない。悪いのはタカトだ。
ショウゴは震える足を押さえながら動揺した頭で山を降りて行った。
山をフラフラした足取りで降り切った時、公園で遊んでいる子供達が目に入った。
……僕達は昔、この公園でこの子達みたいに楽しく遊んでいたな。なつかしい……。またこんなふうに三人で遊ぶ事があればー……。
そこまでぼんやり考えた時、ショウゴはもう二度とタカトには会えないという事に気がついた。
こんな事をすれば人は死ぬ。そんな事は知っていた。理解はしていた。だが頭でタカトがいなくなった後の現実を思い描けていなかった。
……僕は何をしてるんだ!タカトを……崖から突き落としてどうする?
やってしまった後にショウゴはジワジワと湧いてくる恐怖に苛まれる事になった。
……もしかしたら……まだ助けられるかもしれない!
ショウゴはそう思い、慌てて救急車を呼んだ。殺そうと思ったはずなのにタカトにもう二度と会えないという現実を受け入れる事ができなかった。
……タカト……頼む……。生きていてくれ。
自分が何をしたかったのかよくわからなくなり、足は震え、頭が正常に働いていない。目から涙が溢れた。しかし、涙を流しても現実は変わらない。
世界は不変に回っているが自分の世界だけ狂ったかのように日常から離れていった。
救急車はすぐに来てショウゴは震える声で友人を落とした場所を説明した。タカトの救助最中、ショウゴの目には何も映らず、あたりは真っ暗闇になったようだった。
しばらくしてタカトが死んでしまった事がわかった。崖から落下し、頭を岩に運悪くぶつけ即死だったようだ。救急隊の人達はショウゴのメンタルケアに努めたがショウゴの耳には何の言葉も入って来なかった。まわりの大人達は友人を不慮の事故でなくしてしまったかわいそうな男の子だと思っているのだろう。しかし、ショウゴは声をかけられるたびに狂いそうなくらい心をえぐられていた。
やってしまった事は消せない。死んでしまった人は生き返らない。それは常識だ。
知っていた。わかっていた。わかっていたはずだった。
……僕がタカトを殺した……。殺してしまった……。なんでこんな事を……。
誰かにこの事を話す事で心にのしかかった重りが少し軽くなるような気がしたがこの事を誰かに話す事はできなかった。
ふとショウゴの視界に金髪の女の子が映った。
「……あの子は……。」
女の子はセイだった。セイとショウゴの目は一瞬合ったがセイの方がその場から逃げるように去って行った。
ライは記憶を見ながら本を閉じたいと心から願ってしまった。これから先の記憶が幸せな記憶であるはずがないからだ。これから先程更夜達と見たあの記憶へと移っていくのだろう。
嫌な思いをしたが本のページは無情にも進んでいく。
場面がまた変わり、日付も変わった。気がつくとライはショウゴの部屋にいた。
部屋の窓から夕陽が差し、橙色になっている。暗くなっていく部屋でショウゴは明かりもつけずにただ茫然と椅子に座っていた。
「あ……あの……。」
ふいに女の子の声がした。ショウゴは驚く元気もなく、虚ろな目で金髪の女の子に目を向けた。ショウゴはその女の子をぼんやり眺めながら幻覚を見ているような気になっていた。通常、自分の部屋に突如女の子が現れたら声が出ないくらいに驚くだろう。
しかし、この時のショウゴはまともな思考回路になっていない。
「……君は……えーと……誰だっけ?」
「セイです。」
セイは表情暗く名前を名乗った。
「そうだったっけ?で?人の家に入り込んでどうしたの?親は?迷子だろ?」
ショウゴの言葉にセイは首を大きく横に振った。
「違います。これを渡しに来たのです。タカトの日記帳……。」
セイはタカトが毎日つけていた日記帳をショウゴに差し出した。
「これ……タカトの?」
ショウゴはタカトの日記帳をセイから受け取る。よく見るとセイの手が震えていた。セイは今にも泣きそうな顔でフローリングの床を見つめていた。
ショウゴはセイに質問を投げかける前に日記が気になった。なぜこれを持っているのかなどの質問は後にしてショウゴはとりあえずタカトの日記帳を開いた。
『動画の酷いコメントも学校の噂も全部ノノカが原因だった。ノノカ……どうしてこんな事をしたんだ?俺には理解できない。ノノカは俺の事が嫌いなのかな。喧嘩の仲裁にショウゴが入って来た。俺は大切な友人に酷い言葉をかけてしまった。ちゃんとあやまんないといけないと思う……。ショウゴ、ノノカの相談役になっていたって言ってたな。俺はノノカも傷つけていたのか。最低だ。ノノカにも早い時期に会ってちゃんと話し合わないと。俺は人を傷つけてばかりだ。
ほんと……子供の時はこんな事で悩んだりしなかったけどな。あの時みたいに三人でまたー……』
日記はそこで切れていた。ボールペンのインクが滲んでいる。ショウゴの部屋はもう暗くなってきており、タカトの日記もほとんど文字が読めない状態だった。
「うっ……うう……。」
ショウゴの瞳から涙がポタポタと落ち、タカトの日記帳に染み込んだ。子供の時、公園のベンチに座り、ポケットゲーム機片手によく三人で対戦ゲームをして遊んだ。「外で遊びなさい」という大人に対し、ちゃんと外で遊んでいるのだと得意げに話していたタカトの姿が思い浮かぶ。「まあ、確かに公園でゲームは外で遊んでるよね。」とクスクス笑っているノノカ。そのノノカの表情が次第に変化している事にショウゴは成長していくにつれて気がついた。ノノカがタカトを見る目は自分を見ている時の目とは違う。自分自身もノノカを普通に見る事ができなかった。それが恋であると気がついた時、大人でも子供でもない中途半端な階段をショウゴは登り始めていた。おそらくタカトもノノカもこの中途半端な階段を登っている最中だったのだろう。
こういう気持ち、こういう考えは後に笑い話としてお酒を飲みながら語り合ったりするものだ。しかし、ショウゴの場合、もうこの思い出は笑い話にはならない。笑い話として話す相手もいない。
彼の選択肢は一本道へと急速に動き始めた。
また場面が変わった。時間も少し過ぎたようだった。ショウゴはノノカの気持ちが知りたくなり、学校から帰る途中に色々聞くことにした。
「なあ、ノノカ。」
夕焼けで橙色に染まっている通学路を歩きながらショウゴは声を震わせノノカを呼んだ。
「何?」
ノノカは西日を手で遮りながらそっけなく返答した。
「もしかしてノノカ、ウソついている?タカトをわざと悪く言ったりとか……してない?」
柔らかく言うつもりはもうなかった。ショウゴはタカトの日記を読み、ノノカに対し疑惑を抱いていたからだ。
「はあ?タカトは事故死だったんでしょ?もういいじゃん。蒸し返したりしなくても。」
ノノカはタカトの死を何とも思っていないのか表情も態度も何も変わらなかった。この態度にショウゴはよくわからない怒りの感情を覚えた。
……殺したのは自分だ。だけど僕はノノカの為に……!
「なんで……、なんでそんな態度しかとれないんだ!僕はノノカの為にタカトをー……。」
ショウゴはノノカに向かい叫んだが途中で口をつぐんだ。
……ノノカの為に?違う……。僕がタカトを憎んで勝手に殺したんだ……。
……崖から落とせばタカトは消える。タカトが消えればノノカを振り向かせられると……僕が勝手に……。
「やっぱりそうだったんだ。」
「……え?」
ノノカが絶望しきっているショウゴの顔を覗き込む。ショウゴは弱々しい目でノノカを仰いだ。ノノカの顔には何の表情も浮かんでいなかった。
「やっぱり殺したんだ。ショウゴがタカトを。」
「……ち、ちがっ……。」
ショウゴは咄嗟に否定したが言葉は声になる前に消えていった。ノノカはそんなショウゴを眺めながら微笑むと
「ありがと。」
と短くつぶやき、走り去って行った。
……ありがと……。
ショウゴは走り去るノノカの背を呆然と見つめた。
……ありがと……?
ノノカの言葉を何度も反芻する。
……ノノカ……それどういう……意味?
ショウゴはノノカの本心に触れたような気がした。ずっと遊んでいた幼馴染が死んだというのにどうしてこんな言葉をかけてきたのか。ノノカがタカトをどういう風に思っていたのか自分をどういう風に思っていたのかがよくわかり、ぶつけようのない怒りがショウゴを襲い始めた。
……でも……殺したのは僕だ。
なんで殺してしまった?なんでタカトの話を聞いてやらなかった?なんでタカトを羨ましいと思ってしまった?
様々な思いと後悔がショウゴを渦巻くがもうすべて後の祭りだった。
タカトは死んでしまった。ノノカとタカトの関係も修復される事はなく、ショウゴとタカトの関係も劣悪な状態のまま何も変わらず、残ったのは何も解決しないまま終わる未来と自責と後悔の念。
……タカトを殺したのは僕……。
ノノカを責めきれずショウゴは暗い瞳でフラフラと暗くなりつつある町を歩いて行った。
気がつくと大きなビルの裏にあった立ち入り禁止の階段を登っていた。もう何も考える余裕はなかった。階段を登りきる頃にはあたりは真っ暗になっていた。空にきれいな星が見える。
……星ってこんなにきれいなんだな……。
夜空に輝く星を眺めているとむなしさと切なさがこみあがってきた。勝手にあふれてくる涙をぬぐい、フラフラと屋上を囲っている柵を登る。
「ショウゴ!」
ショウゴの後を慌てて追って来たセイが息をきらしながら叫んでいた。
ショウゴはうつろな目でセイを見る。
「セイ……タカトにあやまっておいてくれ……。って、無理か。」
ショウゴはどこか投げやりにそう言うと何の躊躇もなく足を踏み出した。
「ショウゴ……ダメ!」
セイの声が遠くに聞こえる。もうすべてが遅い。
……ノノカだけは許さない。僕に振り向かなかった事もタカトにした事も許さない。
……僕はあいつを許さない。
最後に沸き上がった、行き場のない怒りは知らぬ間に真っ暗な空間に吸い込まれて行った。
その感情が流れた刹那、ライが見ている記憶は真っ白に変わった。そしてノノカの声だけがこの真っ白の空間に静かに響きはじめた。
……これで私はセイを独り占めできてすごい作曲家になれる。邪魔者は皆いなくなった。
これで私は凄い作曲家に……。
その一言がライの耳をかすめ、真っ白な空間は突如、元の図書館へと戻った。
「と、いうわけよ。おかえりなさい。」
目に涙を浮かべ呆然と座っているライに天記神が紅茶を置き、声をかけた。
「……。」
ライはショックが強すぎたのか顔を手で覆ったまま動かない。
「私が記憶を繋げて編集したんだけどね、短くするとこんな感じよ。」
天記神はまったく動かないライを心配そうに見つめながらつぶやいた。
「……なんでこんな……こんなくだらない事で……。」
ライは震えながら言葉を紡ぐ。
「くだらない事なんて言わないで。彼らが……まだ……子供すぎたの。ちなみに死んだ後の事はわからないわ。魂を呼んでしまった理由もよくわからないの。」
ライの言葉に天記神はどこか遠くを見るような目で小さくつぶやいた。
ライはショックを受けたと同時に助けなければと思った。ショウゴ、ノノカ、タカトの運命はセイが関わり歪んでしまった。セイが関わらなければノノカはタカトに八つ当たりをしているだけで済んだ。元々セイがタカトに関わらなければ三人の関係はここまで酷いモノにはならなかったはずだ。
……ノノカって女の子の感情はよくわからないけど一番……歪んでしまっているような気がする……。
ライは人差し指を握り、精神統一をしながらこの件を解決するべく本気で動くことを決めた。
……セイちゃん。辛かったよね……。一度会いたいな。
ライはセイの事を思いながら深く息を吐いた。
……もうどうでもいい。魂になったとしても人間なんてこんなものだ。もうこの弐の世界で流れるように過ごしたい。誰にも見つからずに静かに……。
金髪のツインテールの少女は何もない空間にぽつんと立っていた。
……よくわからないけど魂が私にくっついた。彼らは……私を守ってくれる。
少女、セイは後ろに佇む男の影を寂しそうに見つめ、ゆっくりと歩き出した。
旧作(2012年完)本編TOKIの世界書三部「ゆめみ時…1」(芸術神編)
今作は五話の長編なので中途半端になっております。
一応「起」です。