たにしのお告げ 1
たにしと老人
少年よ、タニシをいだけ! 公園の砂場で、子ども相手に「タニシ、タニシ」と騒ぐ老人がいる。
少し離れたベンチで、怪しい年寄りをぼんやり眺めながら、ポケットに手を入れた。スマホの感触を確かめる。よし、いつでも通報できる。
子どもの方は、はなから無視して遊んでいる。最近の若者はたくましい、というか無関心を装うのが上手い。それはそれで怖いものを感じる。
急に老人が、こちらへ振り向いた。目が合ってしまい、まずいと思った時にはもう遅い。ずんずん近づいてくる。
「少年よ、タニシをいだけ!」
いえ、自分はもう結構いい年なんですけど。と、言う気にもなれず、「はあ」と曖昧な返事をした。だいたい、なぜタニシなのだ。大志ではないのか。
「大志をいだく前の準備運動に、まずはタニシから始めるのじゃ」
老人が手を差し出す。見ると、手のひらには、小さな黒い巻き貝が一つある。タニシの抜け殻。中身はない。
「己の殻を脱ぎ捨てて、新たな世界へ踏み出すのじゃ」
老人は、からからと笑いながら去っていく。その堂々たる後ろ姿を見つめ、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
あんた、いったい何者なんだよ。
たにしの占い
谷氏の占いは外れる。と、もっぱらの評判であった。
それなのに、皆がこぞって谷氏に見てもらいたがる。なんとも奇妙な話だ。
同僚のM曰く「外れると分かっているのがいい」だそうだ。一体、谷氏の占いにどんな魅力があるのだろう。
谷氏は、○○課でこつこつと働く、地味な男である。女にもてるタイプではないが、占いによって女子の気を惹いている。だが、彼女らが興味を持つのは、谷氏自身ではなく、彼の占いのみだ。
「なんなら見てもらえば?」とMに背を押されて、半信半疑で谷氏の所へ赴いた。
昼休憩、谷氏は食堂でランチを食べている。たいてい一人きりだ。そこへ、占いファンが寄ってくる。谷氏は嫌がるでも得意になるでもなく、淡々と占っている。
私は少し緊張しながら、谷氏のテーブルの前に腰かけた。無言でじっと見つめられる。沈黙が気まずかったので、何を見て占うのかと尋ねた。
あっさり「カンだよ」と言われた。いい加減な占い結果を言われるだけなのかと、がっかりしかけたら、
「外れるカンより、当たるカンの方が怖い」
と、呟いた。
じっと見る谷氏の目を、きれいだなと思った。
たにしのとも
友人Aは、結婚一年目の新婚である。一年経てば新婚と言えないかもしれないが、今も暑苦しい。
友人曰く「結婚はいいぞ。家庭はいいぞ」と、自分の意見をぐいぐい押してくる。ようは、お前も早く結婚しろと言いたいのだ。
お前は、俺の親か!
結婚の話題に難色を示すと、友人はやれやれと言うように、大げさに肩をすくめてみせる。
「しのぶちゃんてば、頭も心も固いんだから~」
酔ってるな、こいつと思いながら、話半分に聞き流した。
「周りに女の子はいっぱいいるでしょ? 昼飯時には女子に囲まれて、占いを見てあげてるんでしょ? それだけ出会いがあって、何で何も起こらないの? 他人じゃなくて、自分を占ってみたらどうよ」
やたらと絡んでくるようになったら、できあがった証拠である。返事のかわりに、友人のコップに酒をついでやる。こういう場合、さっさと酔いつぶしてタクシーに乗せるのが一番だ。
「あ、でも、しのぶちゃんの占いって全然当たらないんだっけね。役に立たないね~、電池の切れた時計並みに役に立たないね~」
なんだその例えはと思いながら、新たに酒をついだ。
たにしの世話
Aの友人に、「谷 忍」という男がいる。「たに しのぶ」で子どもの頃は「たにし」とあだ名がついた。本人は嫌がっていたのでA自身は親愛を込めて「しのぶちゃん」と呼んでいる。
「しのぶちゃん、今度の土曜日は……」
「断る」
「何その即答。要件だけでも聞きなよ」
「どうせ合コンだろう」
「あたり。あ、メンバーにはもう入れてるから欠席なしだよ。暇に決まってるでしょ、独り身で趣味ゲームで土日出勤無し、ほらね」
谷は昼休憩の今もスマホで何かのゲームをしている。画面を見たまま顔を上げようとしない。
「本人が嫌だと言っている」
「そんなこと言ってたら一生彼女できないよ。強制連行決定! 詳しい日程は後でメールするから」
「悪いな。先日メールアドレスを変更したばかり……」
「はい送った。あ、スマホ鳴ってるよね。じゃあ遅刻厳禁だから、よろしく~」
「おい待て。お前は結婚してるだろ!」
「俺、奥さんと一緒に参加」
そう言った時の谷の顔は面白かった。
たにしの憂鬱
俺は名前で損をしている。
子どもの頃は「たにし」と呼ばれた。大人になれば「谷氏」だ。どちらも呼び方は同じだ。
名前は女みたいだとからかわれる。友人Aには「しのぶちゃん」と言われて面倒だ。いや、あいつ自身が面倒だ。今日ものんきに奴は声をかけてきた。
「しのぶちゃ~ん。こんな屋上で何してんの」
見ての通り飯を食っている。昼休憩に食堂にいると、占ってくれとうるさいからだ。最近では火、木曜日に食堂と決めて、他は屋上でコンビニの飯と落ち着いた。
俺はパンをかじりながらスマホをいじった。アプリのゲームに集中する。単純なのが一番いい。
「しのぶちゃん最近モテモテだよね。占いで、だけど。何かこう良い感じの娘はいなかったの?」
「俺は占っているだけだ」
友人Aは盛大に溜息を吐いた。なにそのストイック、と。奴は結婚してから、何かと俺に婚活を勧めてくる。
隣に陣取った友人は、愛妻弁当を見たくもないのに見せつけて自慢する。そして結婚はいいぞ、お前もしろと言う。
大きなお世話だ。
そして勝手に合コンメンバーに入れられた。奴はかみさんと一緒に行くと言う。全くこいつは何を考えているんだ。
たにしのお告げ 1