白い現 第六章 面相 二

使えなくなった神つ力を再び取り戻すため、真白は理の姫の導きにより神界に赴き、薬師如来と会う。

第六章 面相 二

       二

 真白と荒太が坂江崎家に戻ると、一磨が初め来た時のように出迎えてくれた。
「丁度、剣護君から、あらかたの話を聞き終えたところだったよ。…そちらの話は、済んだかな?」
 一磨のにこやかな声に、真白が頷く。まだ顔が赤く、動きもぎこちない。荒太は何事も無かったかのような顔をしている。何かあったと思わない訳でもないだろうが、一磨は二人の変化については全く言及(げんきゅう)しなかった。
「はい、すみません」
 真白の言葉に一磨が笑う。
「良いんだ。さ、入りなさい」
 真白と荒太は、客用スリッパを履(は)いて再びリビングに向かった。

「荒太、真白。一磨さんもな、魍魎(もうりょう)に遭ったことがあるんだそうだ」
 戻って来た妹と荒太に、剣護が告げる。坂江崎家を出る前の位置に座り直した二人が、同時に一磨の顔を見た。
「うん。一月(ひとつき)ほど前くらいだったかな。会社帰りに突然、奇怪な生き物が襲って来たので、撃退と言うか、斬り崩したのだが。あれがそうだったとはなあ。戦国の世でもたまに出会う手合いだったぞ?…世の乱れが生む異形(いぎょう)という程度に思い、あまり気にも留めなかったよ。今の世も、鎮(しず)まり切った平穏(へいおん)の世とは言いにくいからね」
 荒太の頭に、「磊落(らいらく)」という言葉が浮かぶ。成る程、小事(しょうじ)に拘(こだわ)らない様(さま)は、荒太の良く知る小笠原元枝(おがさわらもとえだ)の気質と重なる。並みの人間の気の持ちようでは有り得なかった。
「斬り崩したって…」
 尋ねる荒太に対して、真白は納得したように頷く。
「―――――――水山(すいざん)ですね」
 若雪は、小笠原元枝の館に滞在中、彼と幾度となく立ち合いをした。真剣で立ち合ったことは一度もないが、彼の愛用した剣の銘は、はっきりと覚えている。
「そう。今生でも、僕の声に応じてくれるよ。……真白ちゃんは、雪華が使えなくなったと聞いたが?」
 真白が俯(うつむ)き加減になる。
「はい…。他の祓詞(はらえことば)も含め、神(かみ)つ力(ちから)に関わる働きかけが、今は出来ない状態なんです。せいぜいが、家の結界を言霊(ことだま)で解いたりするくらいで……」
 一磨が考え深い表情になったのち、ふと気付いたように言う。
「ああ、そう言えば、うちの周囲にも何やらあるようだな。あれが結界かな?」
 これには剣護が答える。
「はい。三郎――――碧君(みどりくん)がいるので、念の為と思って。ここの家の人間に悪意のある存在が入れないように、勝手に張らせてもらいました」
 一磨が鷹揚(おうよう)な笑みを浮かべる。
「そうか…、ありがとう」
「いえ」
 その遣(や)り取(と)りを契機(けいき)に、四人共、それぞれの飲み物で口を潤(うるお)した。コーヒーはすっかり冷めていたが、それを問題にする人間は一人もいなかった。荒太も温(ぬる)くなったオレンジジュースを、神妙(しんみょう)な顔で飲んでいる。
「――――――それにしても、その要君(かなめくん)と言うのは、不思議な青年だね。魍魎には避けられる、信長公の入念に張った結界には知らず入り込む、更には雷を使った治癒(ちゆ)の力……。案外、彼はキーパーソンになるかもしれないね」
 一磨の言葉に、荒太が考え込む。
 智真(ちしん)であった時から、彼は確かに物事の渦中(かちゅう)にあって、その鍵となった。
 人にして人でなく、神に近いが神でなく。
 存在の在り様は、どちらかと言えば真白に近いかもしれない。
「けれど、とにかく今は、真白の力を取り戻すのが先決です」
 剣護の断固(だんこ)とした声には、一磨も荒太も同意の瞳で頷いた。単に真白の自衛の為だけに留まらず、この戦における雪華の有無(うむ)は、彼らの士気(しき)にも大いに影響を及ぼす事象(じしょう)だからだ。一磨は、嘗(かつ)て若雪に対して武人として一目置(いちもくお)いていたのと同様、真白にも戦闘における資質を期待している。それが裏切られる可能性は、僅(わず)かも考えていなかった。彼女の儚(はかな)げな外見に惑わされてはならないことを、前生で深く思い知らされていたのだ。
「さしあたっては、どのようにして理の姫とやらのおられる空間に移行するかだが…。雪華程の神つ力に満ちた神器(じんぎ)は、他にそうあるまい。他に、媒体と成り得る神器に心当たりは?」
 一磨に尋ねられ、剣護と荒太の頭に竜軌の操る六王(りくおう)が浮かぶが、現時点で竜軌の力を借りることは論外だった。
「…おや。丁度良いところに、向こうからお迎えが来たようだよ、真白ちゃん」
 一磨が皆を促すようにそう言うと、四人が集うリビングの空気が割れた。

 黄金の長い髪が、流れる。
「失礼――――――。理の姫様の命により、雪(ゆき)の御方様(おんかたさま)をお迎えに参りました」
 凛々しい顔つきの美女が、重々しくそう告げた。
「…花守どのかな?」
 一磨の確認に、金臣(かなおみ)が首肯(しゅこう)する。
「花守が一、金の属性である金臣と申す」
 彼女に応じて立ち上がった真白の腕を、反射的に荒太が掴(つか)んだ。彼の目には不安の色がある。真白は荒太に笑いかけ、彼の手の上に、自らの手を置いた。
「心配しないで。…行って来るね」

 金臣が高く掲(かか)げる明かりに先導(せんどう)され、真白は闇の空間を歩いていた。
「金臣」
「はい」
「次郎兄を助けてくれて、ありがとう」
 心から礼を言った真白を、金臣が微笑む口元を見せて振り向いた。
「姫様の命でございます」
「うん。それでも。…感謝してる」
 金臣が前を向き直り、少し間を置いて言う。
「理の姫様が、雪の御方様の御身(おんみ)を、案じておられました」
「そう……。真白で良いよ。私のことは」
「――――――はい」
 急に闇が開けたと思うと、辿り着いた場所は緑の平原だった。
 どこまでも続く空のもと、吹く風は至って穏やかだ。
 こちらに歩いて来る、髪の長い女性の姿が見える。
「…光(こう)――――」
「姉上様――――――っ」
 理の姫が駆け寄り、真白の身に縋(すが)りつく。木臣とはまた異なる、優しい花のような芳香(ほうこう)が真白を包んだ。
「御無事で…、何よりでございます。信長の狼藉(ろうぜき)を防げず、申し訳もございません」
 黒く長い髪、変わらない薄青い瞳で詫(わ)びる理の姫は、たおやかな風情に悔(くや)みと悲しみを含んでいた。真白は安心させるように、彼女の腕に手を添える。
「大丈夫だよ。荒太君と、要さんが助けてくれたから。それより、私―――――」
 真白が何か言う前に、理の姫が頷いた。
「神つ力の件でございますね。案じられますな。回復の手立てはあります。既に、薬師如来(やくしにょらい)と話がついておりますゆえ」
(薬師如来―――――?)
 真白は思ってもいなかった名前に、目を丸くする。
「こちらへいらせられませ、姉上様。――――――金臣、御苦労(ごくろう)だった」
 理の姫が真白の手を取り、平原に歩みを進めた。金臣は拝礼(はいれい)してその場に留まり、二人を見送る。
 この地は、神界なのだろうか。平穏と安らぎに満ちた空間は、理の姫や花守たちが憩(いこ)うのに相応(ふさわ)しい空間に思える。彼方には澄んだ水の満ちた湖も見える。木臣の言霊で眠りに落ちた際に見た夢にも、このような空気がたゆたっていた。
(薬師如来って、あの、左手に薬壺(くすりつぼ)を持った、仏様だよね…)
 阿弥陀如来の国土を極楽浄土と呼ぶならば、薬師如来の世界は、瑠璃の光り輝く浄土、瑠璃光浄土(るりこうじょうど)と呼ぶと言う。
 いくら理の姫や花守たちから、己が神だと呼ばれようと、その自覚に乏(とぼ)しい真白には、ひどく畏(おそ)れ多い存在に思えた。
 理の姫に手を引かれている内に、空気が切り替わる気配を感じた。
 次の瞬間、真白は驚きの表情を浮かべた。
 先程まで頭上に広がっていた青空が、今は満天の星の瞬(またた)く夜空になっている。満ちた月が空に浮かび、冴え冴えとして清らかな光を地に投げかけている。
 行く手に、六角の御堂(おどう)のような建物が見えた。そこから、真白たちを迎えに出たと思(おぼ)しき人影が現れ、こちらに歩(ほ)を進める。
「おいでかえ」
 そう言って姿を見せたのは、スウェットの上下を着た、年齢が幾つとも判断しかねる相手だった。真白よりも小柄で髪は刈り込まれたように短く、男性とも女性ともつかない。容貌は平凡で、全身を眺めても強く印象に残る要素は見出せない。だが、彼、または彼女の額にある白毫(びゃくごう)が、確かに相手が仏であることを知らしめていた。
 余りにカジュアルで人間臭い服装に、名前からイメージするものとの大きな落差はあった。しかし少し古風で、威厳の感じられる装束(しょうぞく)を身に纏(まと)う理の姫と並び立っても、総身(そうしん)から漂う空気の強さは劣らない。
「薬師如来―――――。こちらが姉上。雪の御方様だ。神つ力が、封じられておいでなのだ。あなたに、何とかしていただきたい」
 薬師如来が自らの顎(あご)に手を添え、真白の顔を金色の瞳で静かに覗(のぞ)き込む。その視線は医者が患者を診(み)るそれに似て、適度な親しみと淡泊(たんぱく)さを備え、不快感は無かった。
「ふうむ、成る程。力の安定に欠いておられる。観想(かんそう)を強めることが肝心(かんじん)だな。よかろ、しばらくの間、御身、お預かり致そう。神つ力とあなたはそも、渾然一体(こんぜんいったい)なのだから、力は確実に再びその御手に返る。この薬師如来が、保障しよう」
 あっさり言ってのける相手が、薬師如来そのものとは、まだ真白にはぴんと来ないが、発する言葉には力強さがあった。
「あの…、どのくらい、時間がかかりますか?」
 如来がコトリと首を傾げる。
「はて。我らに時とはあって無きものであるゆえ…」
 不安な顔つきになった真白に、理の姫が言い添える。
「姉上様。こちらと現世(うつしよ)では、時の流れが異なります。姉上様が御力を取り戻されるまで、現世では一両日(いちりょうじつ)程度(ていど)でございましょう」
 それを聞いて真白は安堵した。
(…でも、その間、私がいないことを剣護たちは、どうフォローするだろう)
 懸念(けねん)が無いことも無かった。
「では、薬師如来。姉上様を、頼む」
「承知した」
「姉上様。では私はここで。また、お迎えに参ります」
「うん。ありがとう、光」
 長い黒髪を靡(なび)かせて遠ざかる、理の姫の後ろ姿に、不意に薬師如来が問いを投げ遣(や)った。
「理の姫よ。水臣(みずおみ)は、未(いま)だ花守に籍を置いているのかえ?」
 理の姫の後ろ姿が、固くなったように真白の目に映った。
「―――――置いているが?」
 振り向かないままで答える彼女に、ふむ、と薬師如来が思案する間を置く。
 礼儀を重んじる気性の理の姫が、顔をこちらに向けず答えることに、真白は微(かす)かな違和感を覚えた。らしくない気がしたのだ。
「あれは花守には相応(ふさわ)しからぬと、私は前々から思っているのだがな」
「………心に留めておく」
 重い声音を響かせると、今度こそ理の姫の姿はかき消えた。
 薬師如来が理の姫を見送る眼差しには、憂慮(ゆうりょ)するような色があった。
「…水臣が、花守に相応しくないって、どうしてそう思うんですか?」
 尋ねる真白に、ちらりと金色の視線が向かう。
「あれが、水臣が理の姫の一事(いちじ)しか頭に無い男ゆえにな。相思相愛(そうしそうあい)と言う言葉の響きは麗しいが…。水臣の恋着(れんちゃく)は、些(いささ)か度を越している……。本来、神と称せられるに相応しい在り様とはとても言えまいよ。その内、道を踏み外すのではないかと危ぶんでいるのは、私に限ったことではない。…まあ、あなたには余り関わりの無い話だ。堂の内に参られよ」

 六角堂の中には何も無く、簡素な空間だった。装飾的なものは一切施されていない。
 そこに座るよう促され、真白は腰を下ろす。
「よろしいか。神つ力が行使出来ない状態と、神つ力そのものを失う状態とは、まるで異なる。あなたが今、陥っている状況は、ただ神つ力を操(あやつ)るだけの力と心の繋がりが、弱まっているだけのことだ。回復は、さほど難しいことではない。観想(かんそう)をなされよ。己を信ずる心の糸が、あなたの中に眠る力と繋がりを得た時、再び神つ力をあなたは操るだろう」
 薬師如来が去ると、真白は独り、六角堂の中に取り残された。
 観想の為の具体的な行為は提示されなかった。この空間に身を置いていれば解る、とのみ言われた真白は少し心細い思いで、御堂から外を眺めた。こんなことになるとは予想もしていなかったので、オフホワイトのズボンに淡い茶色のシャツブラウスを着た自分の格好が、ひどく場違いにも感じた。
(…でも、薬師如来さんからしてスウェットだったし……)
 六角堂の前には、湖が広がっている。真白は招かれるような気分で、六角堂から外に歩み出た。
 満天の空を映し出す湖と、天との境目(さかいめ)は見分けがつかない程で、外を歩もうと思えば、頭上にも足元にも星が散りばめられる錯覚(さっかく)に陥(おちい)った。
 その天空と、湖に、真白は若雪と真白の人生を見た。これまでの時の流れが、星々の合間(あいま)に投影(とうえい)されて真白に迫る。
 痛みと悲しみと、喜びがそこにはあった。
 親しく関わった人々の姿があった。
 彼らを守りたかったのだ、と真白は思った。それは湧(わ)き出る清水のように自然で、それでいて強い思いだった。彼らとの関わり合いに依(よ)って立つ自分だからこそ、依拠(いきょ)するところである大事な人たちを守り、そうすることで自分の心を守ろうとした。
(勝手な話だけれど、そういうものかもしれない。私は、単一の個体というよりむしろ、様々な人や、事柄の欠片(かけら)が寄り集まって、構成されているものなんだ………)
 自分という存在の不思議に、真白は改めて思いを馳(は)せた。
 振り返れば、自分を創り上げているものたちが、確かに真白を深い眼差しで見守っている。桜の花びらが、ひらりと流れる幻を見た。
(…そう。そうだ。最後は、嵐どのと、桜の舞う竹林で過ごした。私たちは、きっと何度でも、あの竹林に戻る―――――――何度でも、何度でも)
 それは、この世が終わっても続く約束事(やくそくごと)のように。
 逢いたい、と思った。
 星々の瞬きに抱かれて、真白は温(あたた)かな涙を流した。

 陶聖学園高等部の新校舎と旧校舎は、二階の渡り廊下で繋がっている。
 旧校舎のほうは美術室や音楽室、主に文化系の部室に使われていた。
 月曜の早朝、まだホームルームも始まる前に、渡り廊下を新校舎側から歩みを進める竜軌の向かいから、静かに歩いて来る怜の姿があった。
 着崩した制服に赤いピアス、赤いエクステが黒髪の一部から浮き出る竜軌と、シャツのボタンをきっちり一番上まで留め、ネクタイを端整(たんせい)に結んだ怜の外見は正反対の印象を持つ。
 二人共、声をかけ合うこともなく、表情に浮かぶものも、何もない。
 すれ違うまで5メートル、3メートル、1メートルと互いの距離が縮(ちぢ)まる。
 二人がすれ違った次の瞬間、竜軌の右頬がパックリと裂けた。深い傷口から流れる血を荒く拭(ぬぐ)い、竜軌が舌打ちする。
 怜が唱(とな)え言(ごと)の刃(やいば)を、一瞬の内に放(はな)ったのだ。
秀麗な面持ちに、氷のように冷たく冴えた目をして、怜はそのまま通り過ぎて行った。

「釈明(しゃくめい)なされませ。兄上」
 昼休み、竜軌を空き教室に呼び出した市枝は、腕組みをしてそう言い放った。長い睫(まつげ)を備えた目は、据(す)わっている。並みの男であれば萎縮(いしゅく)するであろうその眼差しに、しかし竜軌は億劫(おっくう)そうな視線を返しただけだった。右頬には長方形の薄いガーゼのようなものが、狭くない面積を占め貼り付けられている。
「お前らは真白の親衛隊(しんえいたい)か?煩(わずら)わしいことこの上ないな」
「………それが兄上の御返事ですか」
「どうとでも取るが良い」
 市枝は形の良い眉を顰(しか)めた。
「なぜですか。……前生のころより、兄上はあれ程、真白には気を掛けておられましたのに。何ゆえこたびのような狼藉(ろうぜき)を働かれたのです」
 竜軌は片眉を上げ、ふふんと笑う。
「奇妙なことを申すな、市。決まっておろう。欲しいと思うた。ただそれだけのことよ。前生では年が離れ過ぎて、食指(しょくし)も動かなんだが。儂は猿め程、年に盲目(もうもく)にはなれぬゆえな。…したが今生であれば、真白を手に入れるに支障(ししょう)は無い。荒太にあの雪の肌は勿体無(もったいな)いわ」
 好色(こうしょく)な竜軌の物言いに、市枝が信じかねる、と言う表情を見せた。
 金茶の髪を、一度だけ後ろにかきやる。細めた双眼(そうがん)に宿る光に、肉親への情は無かった。
「――――よう、解りました。ならば市は、真白の為に百花(ひゃっか)の刃(やいば)を兄上に向けましょう。…兄上がそれを、真に望まれますならば」
 竜軌の返事は短かった。
「好きに致せ」

 一年A組の教室の窓際中程(まどぎわなかほど)の席に、昼食をとる為に集まった面々の空気は、和やかとは言えなかった。
「信じらんない、あの莫迦兄(ばかあに)!エロ兄!スケベ兄!!昔はあんなんじゃなかったのにっ」
 嘆(なげ)かわしい!と、尚(なお)も市枝が気勢(きせい)を上げる横で、怜は静かにサンドウィッチを食べている。荒太も黙々と弁当を平らげるのに集中して、二人の間の机に弁当を広げる真白は、笑みを浮かべて黙っている。――――――この真白は、真白本人ではない。嵐下七忍の内、〝七化けの水恵(みずえ)〟の異名を持つくノ一・水恵の扮装(ふんそう)である。真白が神界に赴(おもむ)いている間の身代わりとして、門倉家や高校での時間を過ごしているのだ。慣れない状態への戸惑いを抱きつつ、市枝たちは必要と思われる演技をすることで、周囲の目を誤魔化(ごまか)していた。
 教室の窓の外には、今日も青々とした空が広がっている。人々を疲弊(ひへい)させんばかりに太陽が熱を放(はな)ち輝く日が、このところ続いていた。
「なあ、夏休みに入ったらさ、海に行かね?」
 呑気(のんき)な声を発したのは、三年なのになぜか一年の教室に紛(まぎ)れ込(こ)んでいる剣護だった。真白に扮(ふん)した水恵の、斜め後ろの机に腰かけている。上級生である、ということに加えて存在感が強く、何かと有名人である彼がいると、教室にいる生徒の注目は嫌でも集まる。ビジュアルの面から見ても人目を引く顔ぶれだったが、そこはかとなく発生される近寄(ちかよ)り難(がた)い空気に、クラスメートたちは遠巻きにして彼らの様子をちらちらと窺(うかが)っていた。
 市枝がキッと彼を睨(にら)む。
「今、そんな話してないわよ、剣護先輩」
「わーかってるけどさ。ほら、最近色々あったからちょっとカリカリしてるだろ、皆。期末試験が終わったら、ここらでリフレッシュしたらどうかと思ってね。人間、たまにはガス抜きも必要だぜ?俺、夏期講習は受けるけど、スケジュールのやり繰(く)りしたら、一日空きを作るくらい簡単だし」
 兄の言葉に、怜が応じる。
「なら、いっそのこと要さんや舞香さんも誘ったらどうかな。真白の気分転換にも丁度良いだろう」
 荒太の箸(はし)を動かす手が止まった。
「海か…」
 ポツリと呟く。その左頬には鮮やかな青あざが出来ている。拳(こぶし)を振るった張本人である怜は、涼しげな顔で昼食を進めている。誰もが暑さに閉口(へいこう)している時節(じせつ)に、汗一つ浮かべていない。荒太があまり怜を好かない点は、こういうところのせいもあった。ネクタイを緩めて「あっちー、あちー」と言いながら、〝増田町ふれあい商店街〟と印刷された団扇(うちわ)をハタハタと動かしている剣護のほうが、余程、親しみが持てるというものだ。荒太の青あざは、怜にしてみれば、自ら付き添いを志願しておきながら、大事な妹を危険に晒(さら)した彼に対する当然の報いだった。荒太も、今回は甘んじてその拳を受けた。
 しかし切り替えの早い荒太の頭の中では、それも今やとうに昔の出来事だった。
 海と言えば水着である。女らしいスタイルの市枝や、豊満なボディの舞香の水着姿も魅力的だろうが、真白の水着姿を前にして、果たして自分は冷静でいられるだろうか、と荒太は考えていた。冷静でいられなかった場合には、拳どころではなく、今度は臥龍(がりゅう)と虎封(こほう)による制裁(せいさい)が下るだろう。
テレビアニメのように、〝成瀬荒太ここに眠る〟という墓標(ぼひょう)が波打ち際に立つイメージが、やけにリアルに想像出来た。またそれが、笑い話や冗談で終わりそうにないのが怖いところだった。
(それに、真白さんが水着を着てるところ、他の野郎には見られたくないしな……)
 悩みは尽きない。
「…海かあ」
 もう一度、呟く。
 そんな荒太をちらりと見下ろし、剣護が口を開く。
「………どんな妄想(もうそう)してるか大体想像つくけどな、荒太。真白は多分、水着は着ないぞ?」
「どうしてっ!!」
 言外(げんがい)に、有り得ない、と言う顔で目を剝(む)いた荒太の左頬を、剣護が団扇の柄(え)の先でつつき、「いてえっ」と言う悲鳴が上がる。
「あいつ、身体が丈夫じゃねえもん。今まで何回か、門倉両家の家族ぐるみで海に行ったけど、真白は大体、砂浜を散歩したり、スケッチしたりで大人しく過ごしてたぞ。主治医の先生に相談してみないと判(わか)らんが、今回も多分そうなるだろう」
 荒太が、あからさまに落胆(らくたん)した顔を見せる。
 真白の水着姿における考察(こうさつ)で悩みはしたものの、実際には拝(おが)むことが出来ない、と知らされると、やはりがっくりくるものはあった。
「―――――今、俺の中で海の存在価値が消えて無くなりました」
「…世の漁師さんが聞いたら泣くぞ、それ」
 剣護が白々(しらじら)とした顔で言う。
 怜が荒太に向ける視線は冷ややかだった。
「それでも、ナンパを追い払うガードはいるだろ。俺が真白の散策なりスケッチなりに付き合うよ。真白の水着姿しか興味無い成瀬は、ビーチで寝てたら?」
 荒太も負けじと口を開く。
「どうしてそうなる。真白さんの行動には俺が合わせる。江藤の出番は無いよ。お世話になった舞香さんや要と親交を深めろよ」
「それはまた別の話だ。そもそもお前、人のアパートに不法侵入した挙句(あげく)、冷蔵庫の食糧を一晩で食い尽くすってどういう了見(りょうけん)なの?どんな胃袋してるのか、見てみたいよ」
 こいつやっぱ、根に持つ性質(たち)だ、と荒太は改めて認識しながら怜に反論する。
「…緊急事態(きんきゅうじたい)の非常措置(ひじょうそち)だろうが。お前を捜したりして駆け回る為にも、エネルギーが必要だったんだよ。腹が減っては戦も出来ないだろ。その代わり、部屋を片付(かたづ)けてやったんだから、文句言うなよな。それで、真白さんのガードは絶対に俺がするから!」
 反論しながらも、話はしっかり海に戻っている。話の本筋(ほんすじ)を見失わない執念(しゅうねん)はある意味、見上げたものだった。
 自力(じりき)で動き回れる程度に身体の回復した怜が、風見鶏(かざみどり)の館(やかた)からアパートに数日振りに帰還(きかん)した際、彼を待っていたのは空(から)になった冷蔵庫と、最後に見た時よりも綺麗に整理整頓(せいりせいとん)された部屋だった。
「成瀬のガードね…」
「何か問題でもあるかよ」
 含(ふく)みのある怜の口調を、荒太が追及する。
「問題と言うより疑惑(ぎわく)かな。…お前に真白を守らせるって、狼に羊の番をさせるような気もするんだよね」
 身に覚えのないこともない荒太は、ペットボトルから冷えたお茶を一口飲んで、表情を繕(つくろ)った。頭の中で、怜を好きになれない理由の項目(こうもく)に、〝嫌に鋭い〟という事項(じこう)が加えられる。
「…………なあ、お前らさぁ、そういうのはジャンケンで決めたら?」
 会話の終着点(しゅうちゃくてん)が見えない怜と荒太の二人に、面倒臭(めんどうくさ)そうな顔で剣護が言った。

 その日の晩、受験勉強に励んでいた剣護は、感覚に引っかかるものがあり、顔を上げた。
 部屋の窓に近付き、カーテンを開ける。隣家の庭を見れば、仄(ほの)かな光がともっていた。
(――――――戻ったか)
 家族も皆寝静まった深夜なので、物音を立てないように家を出て、真白の家の庭に入り込む。槇(まき)の樹の生け垣の向こうに、緑の葉を茂らせる桜の樹が立っていた。
 淡々(あわあわ)とした仄白(ほのじろ)い光は、次第に人の形を成してゆく。先程まで賑(にぎ)やかだった虫の音が、今では静まり返っている。
 光が収まった時、そこには静かに佇(たたず)む妹の姿があった。華奢(きゃしゃ)で細い身体から、侵(おか)し難(がた)い気品のようなものが感じられる。
 降臨(こうりん)、という言葉が、剣護の頭に浮かぶ。
(しろ…、だよな)
 見間違えようのない風貌(ふうぼう)だが、どこか今までとは異なる気配に、剣護は軽い戸惑いを覚えた。真白の焦げ茶色の髪は、心なし、坂江崎家で別れた時より伸びたように見える。
「…真白」
 サラサラと髪をそよがせて、こちらを向く白い貌(かお)。
 淡い色の唇がほころんだ。
「剣護―――――ただいま」

 一週間後に行われた一学期期末試験において、陶聖学園高等部一学年の成績結果は、上から順に一位・門倉真白、二位・江藤怜、三位・成瀬荒太となっていた。中間試験と変わり映(ば)えのないこの結果に、怜は憂(うれ)いを含んだ小さな溜め息を落とし、荒太は憮然(ぶぜん)とした顔になった。
 そして、学生たちが待ち侘(わ)びた夏休みがやって来た。

 真白と荒太は、濃い潮の匂いのする松林の中を歩いていた。
 寄せては返す波の音が間近に聴こえる。
 八月の第一週、真白、市枝、剣護、怜、荒太の五人は、真白の両親が海外勤務になる以前は門倉家がよく訪れていた、神奈川県の保養地(ほようち)に来ていた。
 家の人間には、要と舞香の引率(いんそつ)ということにしてある。自動車免許を持つ二人が、交代で大型レンタカーの運転手を務めてくれたお蔭(かげ)で、比較的スムーズに目的地に辿り着くことが出来た。
「子供の時からここに来てたの?」
 荒太の問いに、真白が頷く。
「うん。近くにお父さんのお友達が経営するホテルがあって、少し優待価格(ゆうたいかかく)で泊まらせてもらえたの。私の身体の養生(ようじょう)にも良いだろうって、お医者さんにも勧められて。近くに市枝のお家(うち)の別荘があるなんて、全然知らなかったけど…。絵に描いたようなお金持ちだよね、市枝のお家って」
 白いAラインのワンピースを着て歩く真白を眺めながら、荒太は心の中で怜に感謝していた。剣護の提案通り、真白のガード役を決めるジャンケンで、またも荒太は怜に敗れたのだ。沈み込む荒太と、自分が出したパーの右手を交互(こうご)に見た怜は、何を思ったか荒太に勝者の権限を譲ったのである。
 今頃、彼は剣護たちと海に浸(つ)かっているだろう。
 海に到着して早々、目の覚めるような朱色のビキニに着替えた舞香は、弟に「要、日焼け止め塗って~」とのたまうたが、要は赤い顔で「絶対、嫌や!」と言ってこれを拒否(きょひ)した。かくして夏を象徴(しょうちょう)するような晴天の下、水着姿の舞香と市枝が日焼け止めを塗り合う姿は、男たちの眼福(がんぷく)となった。真白は水着で泳ぐ訳でもないので、日焼け止めを軽く塗って済ませようとしたのだが、忽(たちま)ちにして「白い肌を粗末にするんじゃないのっ」、「今の肌荒れが十年後に響くのよ!」と女性二人のお叱りを受けたのだった。
 そんな彼女たちの剣幕(けんまく)に圧(お)された真白が、念入りに日焼け止めを塗ったあと、駄目押(だめお)しとばかりに、剣護がつばが広めのラフィアの帽子を真白に投げて遣(よこ)した。
「ほら、真白。これも被(かぶ)ってけ。陽射(ひざ)しがあんまりきついと思ったら、戻って来いよ。あと、風で身体を冷やし過ぎないように。おい荒太、頼んだぞ。お前らが戻って来たら、スイカ割りするからな」
 細細(こまごま)と言う彼を見て、市枝がしみじみ、「剣護先輩って真白のお母さんみたいよね」と評した言葉に、剣護は打撃を受けていた。
「せめてお父さんと言ってくれ…」
そう弱々しく言った剣護を思い出しながら、荒太が口を開いた。
「真白さん……」
「何?」
 訊き返す真白は、神界に赴く前より、大人びて見えた。てらいのない焦げ茶色の瞳が、荒太の顔を映し出す。思ったことは割と率直に口に出す荒太だったが、本人を前に「綺麗になったよね」とは中々に言いにくいものがあった。淡く色づいた彼女の唇に、引き寄せられそうになる視線を無理やり逸(そ)らす。
 こうなってくると、水着姿でいないでいてくれたほうが、有り難いようにも思えた。自制心がよりぐらつかずに済むからである。加えて、自分の着る薄いミントグリーンのポロシャツとグレーのジーンズが、白いワンピースの真白の横に立つのに似合っているとも思い、密かに嬉しくもあった。
「何?荒太君」
 心地好いトーンが耳に優しく触れて来る。波の音よりも心の落ち着く、快い響きだ。
「……右手、出して」
 大人しく言葉に従う真白の手に、コロン、と青紫の雫が嵌(は)め込まれた、金の指輪が載(の)る。
 太陽の光に反射して、それは金色(こんじき)に眩(まぶ)しく輝いた。
「これ…」
 潮風に吹かれて、肩につきそうな長さの真白の髪が、サラリと靡(なび)く。海に来る前に、やっと美容院に行きアレンジしてもらった髪は、中性的な中にも女らしさが感じられた。
「時間かかってごめん。ブレスのままだと、また壊れるかもと思って。結局、知り合いの彫(ちょう)金(きん)師(し)さんに頼んで厚めのリングに作り直してもらったんだ。フリーサイズだから、どの指にも調節出来るよ」
 ここで荒太は、掬(すく)い上げるような視線で真白の目を覗(のぞ)き込んだ。焦げ茶色の瞳が瞬(またた)く。
「――――――どの指に嵌めたい?」
 試すような物言いに、真白が微笑んで答えた。
「……左手の、小指」
「ピンキーリング?」
「そう」
 少しだけがっかりしながら、荒太は指輪のサイズ調節をして、真白の左手の小指にそれをそっと嵌めてやった。白い手を持ち上げるだけで、柄(がら)にもなく鼓動が早まるのを感じた。真白が目を細める。
「…ありがとう。これでもう、壊れる心配が無いね」
 そう言って真白は、小指に嵌まった指輪を、大切そうに撫(な)でた。

「真白を荒太に任せて良かったのか?」
 ビーチパラソルの下で寝転び読書する怜に、海でひと泳ぎしたあと、ブルッと頭を一振りしてから剣護が尋ねた。跳(は)ね飛んで来た海水を、怜が片手を上げて防ぐ。本が濡れるのは困るな、と思う。
彼は先程まで女子大生と見える二人連れにしつこく誘われ、ややげんなりしていた。水着を穿(は)きながら海に泳ぎに出るでもなく、パーカーを羽織(はお)り本を読む姿が、余程、暇そうに見えたのだろう。剣護や要も海辺を訪れた女性たちの目を引き、「御一緒しませんか」と言う呼び声が頻繁(ひんぱん)に降りかかった。一目でハーフと判る彼らの外見は、海水浴場と言う名の、出会いの場に来た女性たちにとって、格好の標的となった。怜を残して、二人は早々に海中へと避難したのである。怜は何となく泳ぐ気になれず、文庫本を手にパラソルの下に留まり、荷物番をしていた。もちろん、異性に声をかけられるのは市枝や舞香も例外ではなく、その都度(つど)、剣護たちが群れる男共を追い払った。
「真白は、そのほうが喜ぶ」
「お前なあ、人に譲り過ぎだって。どこまでお利口(りこう)さんなんだよ?ジャンケンの結果は、神様の思(おぼ)し召(め)しだろうが。子供時分を真白と過ごせなかったお前が、今、少しぐらい取り戻したって罰は当たんねーよ。――――――お、戻って来たな」
 海辺の向こうに見える松林の間から、真白と荒太が姿を現した。

「ああ、やっぱり良いわねえ、海は!」
 メリハリのきいた、素晴らしく豊かな肢体(したい)を空気に晒(さら)しながら、舞香が海から上がって来る。
「姉さん、泳ぎ過ぎや……。遠泳(えんえい)やないんやから」
 舞香に付き合わされたらしい要が些(いささ)かぐったりした様子を見せる横で、市枝もまた、チェックの柄のビキニに包まれた、見応(みごた)えのあるプロポーションを浪間(なみま)から披露(ひろう)した。舞香が大きくカールした金髪を一つに結(ゆ)わえているように、市枝も長い髪が邪魔にならないよう、一本の三つ編みにまとめていた。
「戻ったのね、真白」
 市枝が笑みを浮かべる。身体からポタポタと落ちる雫が、陽光に煌(きら)めく。通りかかる男たちの視線は、彼女らの水着姿にかなり露骨(ろこつ)に注(そそ)がれていた。
「市枝はやっぱりスタイル良いね。羨(うらや)ましいなあ」
 真白が無邪気な声を上げた。
「よおし、じゃあスイカ割りだ、スイカ割り!トップバッター、俺なっ」
 母親の許可をいただき、剣護が持参(じさん)したスイカは大きかった。模試における、志望校の合格判定Aの結果が、こういうところで効いてくる。親も安堵(あんど)の為に気前が良くなるのだ。
 砂浜の上にシートを敷き、スイカを置く。目隠しをして十回、その場でグルグルと回る。
 他の海水浴客も、剣護たちに注目しながら通り過ぎて行く。
「剣護、そのまま、まっすぐ!」
「剣護先輩、左よ、左っ。ああ、行き過ぎたぁー」
「違うわよ、剣護、後ろに下がりなさい!」
 波の打ち寄せる音を背景に女性陣の出すはしゃいだ声の、一体どれが正しいのやら判らず、剣護は目が見えないまま途方(とほう)に暮れてウロウロと彷徨(さまよ)った。足裏に感じられる、サラサラとして熱い砂の感触だけが確かだ。しかも、男性陣が自分を助けようとする声は、全く聞こえて来ない。
(薄情(はくじょう)な奴らめ…)
 その時、天の助けのように、要の声が響いた。
「剣護君、そこや。そこで棒を振り下ろすんや」
 剣護の持った木の棒が、スイカの端のほうを叩(たた)き崩(くず)す。
「あぁ~、惜しい。先輩、意外と下手ですね」
 目隠しを取った剣護が顔を顰(しか)める。荒太と怜がちゃっかり真白を挟(はさ)んで座っているのだ。油断も隙も無い。
「何だとお。じゃあ今度は、荒太か次郎がやれよ」
 そう言って、自分もまた真白の隣を確保する作戦に出る。
 兄の次にスイカ割りに挑戦した怜は、見事にスイカを真っ二つにした。切り口にも、あまり乱れが無い。おお…、と言う歓声(かんせい)が周りから上がる。
真剣で切ったんじゃあるまいし、と剣護が呆れる。
「つまらん!次郎、お前、エンターテイナー性に欠けるぞっ」
「そう言われてもね…。これで目的は達成でしょ」
「解ってねーな。スイカ割りは合理的にする行事じゃないんだよ。むしろ非合理性の追求にこそ、その醍醐味(だいごみ)があるんだ!」
 その後は、皆で切り分けたスイカにかぶりつき、口からシャクシャクとした音を響かせた。
 ぎらついた太陽の光が、スイカ割りの為にパラソルから少し離れた彼らの頭上より、燦々(さんさん)と降り注(そそ)ぐ。
 ラフィアの帽子を被った真白は、スイカの一切れを食べたあと、黙って顔を俯(うつむ)けていた。
 そこでふ、と剣護の顔が真白に近付く。
「―――――どうしたの、剣護」
「お前、今、具合悪いだろ」
 緑の目が真剣になっていた。真白が視線を泳がせる。
「……ちょっと、気分が良くないだけ」
 困ったように笑いながら言う。真白の額を、サッと大きな掌(てのひら)が覆った。その場にいる全員の注目が集まる。
「…熱は出てないな」
 剣護が、少し考えると市枝に尋ねた。
「市枝ちゃんちの別荘って、もう入れる?」
「入れるわよ。管理人の人が、今日には使えるようにしてくれてるわ。ガスや電気なんかも、全然問題無い。鍵も、私が預かって来たから。―――――――真白、先に中に入りましょう。潮風に、当たり過ぎたかしらね。日は照ってるけど、今日の風は少し冷たいから」
 荒太は行き交う会話を聴きながら、散歩中、真白の体調不良に気付かなかった自分を恥じていた。
(剣護先輩は気付いたのに)
 怜に束(つか)の間(ま)、託(たく)された信用も、これで失墜(しっつい)したことだろう。
 後悔に暮れる荒太の顔を、怜がじっと見ていた。

       

白い現 第六章 面相 二

白い現 第六章 面相 二

荒太とのわだかまりも解け、真白は花守の一人・金臣に伴われ、神界にいる理の姫のもとを訪れる。理の姫に薬師如来に引き合わされた真白は、再び力を取り戻す。 そのころ剣護たちは、気分を変えるため、夏休みに海に行く計画を立てる。

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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-13

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