本落とし

本落とし

本落とし

 それはふと、何気ない拍子に起きた一瞬の出来事。

 私が「あっ本が落ちた」と認識した頃には、その本はもう既に姿を消していた。
床をたたくトンという音も聞こえず、落ちるその最中に本が開いて紙が擦れ合う音も聞こえないまま、静かにふと傾いて落ちた本が私の視界から完全に消え去ってしまったのだ。


 この本棚から本が落ちた時、それは確実に消えてなくなってしまった。


 いつからそうなってしまったのだろう。
私はこれまでに、この本棚から何度も本を落とした事がある。

そしてそれらはその度に姿を消して、二度と私の目の前に姿を現す事はなかった。ある時、書店で見掛けたその本は、以前持っていたそれと同じ本。全く変わらない表紙をしてる。
おそらく内容だって一字一句間違いなく同一であるはずなのに、私はその本がまるで他人のように、私など一度も目を通した事のない物のように感じられた。
私が知っているあの本は、それがいくら題名が同じであっても、中に記された内容物が一字一句乱れてなかろうと他人。私の知っているそれは、いつか、あの本棚から落ちたそれだけだった。


 どこに行ってしまったのだろう。いや、どこに行ってしまうのだろう。


 私は不思議と、私から離れて行った本達が、どうも自分たちの意志で姿を消したと思えてならない。自分達が望んで私の視界から消え、存在を失くし、きれいさっぱりと一字の落とし物もなく消えていったと思えてしまう。
そして二度と姿を見せないそれも、その本達の一つの強い意志のように感じている。私は置いて行かれている。
私は今ある現状に置き去りにされた一つの塊で、ただ呼吸をして、たまに、本を開いてやる事のできる、ただの塊に過ぎなかったのかもしれない。本達からしてみれば、私なんてそんな存在。

第一、本は開かれる事を望んでいるんだろうか。本はその塊に読まれ、自分達の心を受け取って貰う事を望んでいるのだろうか。私は時々そう思う。ならば、私は本を開かない。
もし、本達がそれを望んでいないなら、せめて、そのまま本棚でゆっくり眠らせてやろうって、そう思う。そう思っていても、本は消えて去ってしまう。それは私が間違って掛けてしまった手だったりして、そうしてまた本に走ってしまった自分を私は、これほどまでに責めてしまう。
どうして本を開こうとしてしまったのだろう、どうして私は本を読もうとしてしまったのだろう、と。


 いつか、この本棚から全ての本が消えてしまうのだろうか。
 いつか、奇麗さっぱりなくなってしまった本棚を見て、私はどう思うのだろう。多分、空っぽになってしまった自分を見ている様でやるせない気持ちになるに違いない。
私は私である前に、この本棚である事を望んでいるように、自分をこの本棚に投影して、そして悲しみに明け暮れるに違いない。だから、私はどうにかして本を残そうと、ただ、本に手を掛けないようにして、本を読まないようにして、ただ、ひたすらに、本を眠らせて上げる事だけに集中して。


 そうして、日々は流れて。


 そうして、本は突然落ちる。私の手が偶然にも掛かってしまったがために。また本は私の目の前から奇麗に失くなってしまう。一文字さえも落とさないで。
どこか、きっと私の見えない所まで行ってしまって、私の届かない所まで行ってしまって。ずっと、遠くの、どこかずっと、遠くの方へ。



 また、本が落ちた。


 本棚に残った最後の一冊が、私の手によって落ちた。意図的なものではなく、偶然が起こさせた惨劇。


 本棚は空っぽになった。いつかそんな日が来るような気がしていたものの、目の前に立つ空っぽの本棚はとても寂しそうに見えるし、私自身はとても寂しくて、悲しい。
何もなくなってしまったまま、ただ立ち尽くす本棚は次第に私自身に見えてきて、何もなくなってしまったまま、ただ立ち尽くす私。
どうしようもない、気持ち。どうしようもない、私。ずっと、ずっと、遠くのどこかで眠り続ける本達。
いつか、私の本棚で静かに眠っていたはずの本達。だから私は、私の記憶の中に眠る本を開いて、また読み始める。
一字一句間違える事なく、私はまた読み返す。
紙同士の擦れる音も頭の中で鳴り続け、どこかへ消え去ってしまった物語は、それでも確実に私の頭の中に存在してるから。私は何度でも何度でも読み返す、一字の狂いもなく、全て正確に記憶されている、以前私の本棚にいた、本当にたくさんの本達の物語。


 今は、もう一冊の本も並んでいない本棚。


 今はもう、本棚さえ必要のない私と過ごす空っぽの本棚。



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本落とし

本落とし

私の本棚の本が落ちた。 そして本は姿を消してしまう。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-11

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