雲南旅日記’10

雲南旅日記’10-1

あらすじ

長年の夢を乗せてついに今年(2010)、雲南へ行ってきました。
初めての雲南、いろんなことがありました。
果たして新しい商品は見つかったのでしょうか?

雲南旅日記’10-2

雲南旅日記2010夏

長年の夢がかなってついに今年は雲南に行きました。
はじめは全部陸路でと思っていましたが、
長沙までであきらめて結局次のようになりました。

8/17 船  新鑑真号
18
19 上海→義烏{バス}
20 義烏→長沙(夜行バス)
21 長沙→昆明(飛行機)→大理古城{バス}
22 
23
24 大理→昆明{バス}
25
26
27 昆明→上海(飛行機)
28 上海→(船)
29
30 →大阪

今回は周城で藍染と草木染を買い付けることが目的です。
初めての雲南ですが果たしてうまくいくでしょうか?

2010夏、出発!

ナチに送ってもらって京都駅。6時40分。
晶と一緒。晶は伊丹へ。私は神戸へ。

快速はいつも立ちっぱなしだ。
1時間で三宮へ着いた。

2時間あまりまだある。
喫茶店でモーニング。

9時半ポートアイランド。
2Fはすでに人であふれている。

3Fで待つ。10時チェックイン。
「82番」と言うと。
「32番ですね。友の会割引8000円あります」
なんとありがたいことか。

乗船。今だかってない人であふれている。
『天津旅遊団』だけで100人はいるだろう。
ゆっくりとベッドに臥す。

天津旅游団

2010818

穏やかな船旅だ。天津旅遊団は60代の婦人が大半で、
ダンスやマージャン、カラオケ大好きの団塊世代。

男性はひ弱で圧倒的に婦人パワーが強力である。
デッキで男性がイーアルサンスーと怒られながら
ダンスを指導されている。

この年代はとにかくあつかましい。1Fフロアを占有して
器用に羽けりをやっている。マージャン室はお金を取られるので
フロアのテーブルでマージャン、トランプ。食堂からトレイを持ってきて
食事ととにかくマナーというものがない。

彼らの部屋の通路手すりにはでかいパンツや真っ赤なブリーフ、
下着類がびっしりと乾かしてある。

今から40年前には皆紅顔の美少女美少年だったはずだが・・。
忘れもしない文化大革命、紅衛兵運動は青春そのものだった。
全共闘の世代と写し重なる。

このパワーが今全世界に打って出ようとしている。
マナーも何もあるものか、これが現実。

まさに中国のエネルギーが世界を変える。
この流れはもう止められない!

義烏

2010819

同室のドイツ人親子はベルリンからだった。いいもんだな親子旅。
昼前に上陸。新しい埠頭だ。出口がわかりにくい。
そのまま出るとタクシー乗り場に出てしまう。

左手のスロープを歩いていくとやっと外に出た。
熱い、36℃はあるだろう。

大名路を東へ歩く。30分ほどで保定路318の那宅青年旅舎を見つける。
メトロ大連路駅のすぐ近くだ。蘭州拉面5元を食べて、いざ出発。

メトロを降りて魯迅公園を通り上海外大へ。6Fで教務の人に贈呈本を渡す。
キャンパスは夏休みで閑散としていた。

南站でよく調べたら、南昌行きのバスは15時に1本しかない。
何とか乗り継いで長沙までと思ったが義烏行きは1時間に1本あるので
とにかくいつもどおり義烏に行くことにした。

19時45分に義烏へ到着。もう真っ暗だ。
三元里賓館は経営者が代わっていて泊めてくれない。

ままよ、夜行バスがあればこのまま南昌か長沙へ行こうと思って
賓王站バスターミナルへ行くともう閉まっていた。

万事休す。腹を決めて向かいの賓館に泊まった。
案ずるなかれ以外と安くフロントも感じがよくて熱いシャワーも出た。
やっと一息ついてぐっすりと眠った。

義烏の木陰にて

2010820

6時起床。1時間唱題。洗濯物も乾いた。さあ長沙へ行くぞと張り切って
賓王バスターミナルへ行くと、夕方5時半発が1本だけ。

どうもナイトバスみたいだ。220元もとられた。これじゃ
上海⇒義烏⇒長沙  300元+泊まり100元=400元

これで長沙から飛行機1000元だったら、上海⇒昆明 1500元
のほうがまだましか?雲南は遠い!

さあどうするか。ひとまず公園の木陰でゆっくりと考える。
とにかく今日鎖を最小限28袋3360本(1000元)を買って
担いで雲南へ行く。

帰りは27日、昆明⇒上海は飛行機にのることに決めた。

食券

暑い中を国際商貿城まで歩いていく。
いつものブースには幸いご主人と奥さんがいた。

すぐに整えてもらって担ぐ。中国のことだ次回も
このままだとは限らない。まずは買い付け確認だ。

食事とトイレを済ませてさあ長沙へ行くぞ。
トイレは紙がなくて水も流れない。

2階のレストランで食券を買う。5元を2枚。
ひとまず5元で水餃子を食べる。おなか一杯になった。

ちょっと休憩とフロアのいすに座ると、すぐに靴磨きが
やってくる。しつこく追い回される。
サンダルで来ればよかった。この靴磨いてどうするんだ。

しばらく休憩して再びレストランに行ったらなんともうすごい人。
ごった返して食べられそうもない。次回早い時間にまた来よう。

帰りは飛行機となると1000元くらい足りなくなりそう。
中国銀行で両替することにした。中はたぶん涼しいだろうから。

両替

そう思って中にはいると私設の両替屋が
平然と中まで入ってきてこっちで両替しろという。

ここは銀行なのに取締りはないらしい。
『偽札没収』と大きく書いてある。
偽札が多いのだ。

外はたぶん40℃以上ありそう。
番号札をもらってゆっくりと涼もうと思っていたのに
すぐに案内係の人が来てパスポートをコピーして窓口へ。

あっという間に両替は終わった。
あと3時間もある。仕方がない、賓王バスターミナルへ。

上海の地下鉄でも荷物確認が厳しかった。
ここでもそうだ。X線と飲み物は必ず飲ませる。

暑い待合室で日記を書き続ける。
思ったより雲南へ陸路は大変そうだ。

スリーパー(ナイトバス)

やっと乗車時間が来た。5:30長沙⇔義烏5:30とバスの前面に大きく書いてある。
どうも毎晩双方から出ているようだ。見ると、なんと2段ベッド3列の寝台バス。

床には靴を脱いで上がる。通路にも人が寝るのだ。何かあったらどうやって逃げる
のか不安になる。男も女も一緒になって雑魚寝。上から丸見えだ。

こちらの足元に向こうの頭が来るという感じ。暗闇をナイトバスは走り出した。
満月がちょっと欠けたくらいの名月がずっとついてくる。

父母兄姉が見守ってくれているようだ。不思議と死んだ人の顔が浮かんだ。
『夜行バス 父母見守り 一人征く 長沙の山並み 月の影の冴やけさ』

真夜中の休憩トイレは、お見合い連れウンコトイレだった。

昆明

20100821

朝8時。長沙にはいると皆終点前に降りだした。
つられて降りて空港へ直行した。

検査が国際線並みに厳しくボディタッチや荷物内検査まであった。
朝9時30分の便に乗る。とてもチャーミングなジェット機だ。

1000元。荷物はそのまま担いで座った。
1時間半くらいのはずだ。機内食はとてもまずく
硬い米をよくかんで飲み込んだ。

いよいよ雲南入りだ。茶褐色の土が見えてきて
昆明空港に無事着陸。まずすることは帰りの上海行きを確保すること。

うまくいったが27日早朝7時55分発。早朝なので
何度も遅れないようにと注意された。1520元。

これだったら最初から上海往復にしておけばよかった。
さて次は長途汽車西站へ行くこと。もうタクシーを使おう。
これが正解35元(バス1元)。

昆明は大きな町だがいずこも同じ中国的大都会だった。
西站で大理行きを買う100元すぐに発車。
もう時間が来てるのに発車は10分後だった。

高速で4時間くらいのはずなのに
調子がよかったのはここまで。

大理へ

大理まであと20キロのところで山道入った。これがすさまじい山岳道路で
すれ違うのがやっと。しかもトラックが多く皆トラクター並みの早さだから
バスは追い越そうとする。どんどん追い抜いていく。

対向車もとてものろいのでぶつかることはないみたい。
峠でついに事故渋滞。パトカー(公安)がきた。
道はぬかるみもう最悪、いつつくやら6時間がたった。

やっと大理高速へと入ったが舗装が悪いのか平らではない。
スピードを出すとジャンプする。そのように造ってあるのか?
すぐに大理下関(シアカン)に着いた。

地方のターミナル然としていて人も少ない。誰かに大理古城と
聞いても知らんと首を横に振る。ほんまかいな?
仕方なくしばらく歩いて新装の火車站からタクシーに乗る。

大理古城1

50元、30分ほど。(バスだったら2元!)
耳海は琵琶湖の半分くらいかな。雰囲気がよく似ている。
琵琶湖の湖西道路を行く感じだ。

夕暮れ(8時ごろ)城壁門が見えてきてついに着いた大理古城。
南の城門前で白族がきれいに着飾って踊っている。
子供の衣装がとてもかわいい。髪飾りが独特だ。

ここから最も近いユースホステル三友客桟にチェックイン。
ドミトリーでなんと一泊20元(300円)。ほんとにほんと!

3泊予約してベッドを確認。こぎれいで共同シャワーはちゃんと熱湯が出る。
長期滞在者もいるみたいだ。ひとまず荷物を下ろし城壁の中へ。

もう日が暮れていたがすごい人だ。シーズン中で観光客が多いのだ。
洋人街。中国銀行。頼人ユース。チベタンカフェ。西城門を確認して

”きくや”で煮込みうどんを食べた。12元、上海で蘭州ラーメンが
5元(70円)位だから高いほうだ。まいいか。

日本の漫画がたくさんおいてあるが店の人は日本語はまったくしゃべらない。
隣の店でトイレットペーパーとピーナツ、水を買って出ようとしたら
大粒の雨が降ってきた。かなり本降りだ。急いでユースに戻る。

途中で傘を売りに来たが高そうだったので買わなかった。
洗濯をしてシャワーを浴びて10時半ごろ就寝。
8人部屋にまだ2人しかいない。12時ごろ続々帰還してきた。

胡蝶泉1

20100822(日)雨

ぎょっ!朝薄明かりに見ると女が寝ている。
何かわけがわからない?男子部屋のはずだが。また寝る。

やはり二人の女性が出て行った。みんなが出て行って起きる。
一人の英国風老人が向かいで眠っている。ほっとする。

今日は一日中雨か、これなら昨日かさを買っとくんだった。
とにかく食べに出る。すぐのところに折り畳み傘があった。

スーカイ(スー元)。このスーが4のスーと10のスーと
まったく区別がつかない。指を4本立てると首を横に振る。

両手の人差し指を重ねて十の字を作るとうなずく。
やはり10元だった。傘を差してきくやにむかう。

強烈なケチャップのかかったオムレツをよくかんで食べる。
さあどうしたものか。便意を催してきそうだが手紙(ティッシュ)
は十分あるし途中でもいいか。バス停を確認しようと思ったら、

胡蝶泉まで5元。安い!もうそのまま乗ってしまった。
琵琶湖の湖西道路をミニバスで行く感じ。

喜州からわき道に入り凸凹道を抜けると胡蝶泉に着いた。
約40分くらい。憧れの胡蝶泉に着いた!!

胡蝶泉2

2010年8月22日午後2時ごろ。
胡蝶泉は私が来るのをじっと静かに待ちわびていた、

はずだったが。たくさんの観光バスが並んでいる。
60元払って憧れの胡蝶泉景区に入った。

蒼山のふもと、うっそうとした森の中だ。
各団体のガイドさんは皆白族の民族衣装で
とても美しくおしゃれに見える。

竹林の坂を上り詰めたところに泉は湧いていた。
ちょうど富士のふもと忍野八海のような泉で
かなり深いがきれいにすんでいて湧き水が見える。

あちこちと水中洞穴でつながっていそうだ。
忍野八海もそうらしいが飛び込んだが最後
戻ってこられそうにない。

うっそうとした樹木が周りに茂っていて
とても神秘的なところだった。

泉にまたこれるようにとお題目をあげ
こぎれいなトイレで用を足して
胡蝶泉を後にした。

周城1

さあ最後の大仕事藍染を買い付けに周城へ向かう。
胡蝶泉の駐車場からバタンコに乗ると、

「どこへ行く?」
「周城」
「5カイ(元)」
「ハオ」

ところが後でよく考えると、胡蝶泉から続く街道沿いが
ずっと周城らしくて2kmで町並みは終わった。

「どこへ行く?」
「藍染工房」と言いながら書くと、
「ハオ」と言ってとある染物工場へ連れて行く。

それは町並みのすぐ裏手でこじんまりとした民家。
中に藍染のハンカチ、風呂敷サイズが一杯。
いろいろ見せてはくれるが他がない。

こんなのを探していると暖簾の絵を描くと
バタンコのおじさんは大きくうなづいて
次の工房へ連れて行ってくれた。

ここは本格的な工場だった。ここだここだ!
染めは木製の大きな樽で行う。
この樽がいくつも作業場においてある。

藍染のほかに草木染め、菊、ウコン、芥子、茶などなど。
同じアイでも染めの回数、葉と茎と根によって色がぜんぜん違う。

暖簾だけでも相当の量があって安ければここが一番かな。
問題はデザインだ。かつてインドネシアやインドで
探したバチックの図柄は独特だが宗教的で難しい。

なんとか日本的なものを京都的なものをと探すと
草花の一本描きがなかなかいい。藍、菊などいろいろとある。
これはいけそうだが、1枚60元という。

周城2

何度も交渉して、ここが大事。結構有名なところなのだろう
客が多い。係りの段小姐は早く交渉を決めようとする。

「いいよ、そっちのお客さんかまってて」
手が空いたら次から次へと暖簾を広げる。
「いいよいいよ自分でチェックするから」

「また明日も来るから」と言って、
まずは10枚で400元まで値切って買う。

1枚40元=600円。これが3000円で売れればよし。
まあ最初はこんなもんだろう。肩の荷が下りたがお金がなくなった。
明日換金して再チャレンジだ。

古城に戻り一休みして夜店に向かう。同じような暖簾があった。
最初は100元。ついには33元まで下がって買った。
これをもって明日周城まで掛け合いに行くことにする。

三友客桟よる9時。女性が二人入ってきた。間違いなくこの
ドミトリーは共同なのだ。一泊20元(300円)だものね!

その一人がトイレットペーパー持ってませんかと言ってきた。
若い四川省の女(ひと)だった。

周城3

20100823(月)くもり

6時起床。2000kmも離れているのに北京時間だから
朝7時に夜が明けて夜は8時まで明るい。

中国銀行が開くのは9時のはずだから散歩に出る。
路地裏で庶民が米線かおかゆを列を作って食べている。
なかなか入りにくい。

9時。換金はスムーズだった。きくやで卵焼き定食をたべて
周城へ向かう。そっと染物工場の中に入って写真を撮り続けていると、

段小姐がやってきた。結構客が多い。また10枚買うというと
すぐに決めようとする。夜店の暖簾を広げて、

「昨日の夜30元で買った。同じものだ」
「いやいや藍の葉が違う」
と言って段小姐は私を庭の隅に連れて行く。

野生の藍の葉っぱを掴み手にとって見せながら、
「大理と周城では藍の葉が違う」
『うそつけ!』

「10枚ほしいが250元しかない」
「8枚!」
「8枚じゃ240元じゃないか?9枚!」
「・・・」
「来年もっと買う」

ということでついに1枚30元になった。
領収証に段小姐のサインをもらった。

今後はこれがものを言う。
こういうことが一番大事で最高に楽しいひと時だ。

大理古城2

時間を掛けて荷造りをする。リュックに目一杯つめる。
隅々までピチピチにつめて30kgはありそう。

気合を掛けて背負う。街道にはミニバスが走っている。
手を上げると止まってくれる田舎のバスだ。

懐かしい昔の日本がここにはある。夕方菊屋で
チキンチャーハンを食べて大理古城の町並みを散策する。

立ち止まって眺めているといろいろと庶民の生活が見えてくる。
あめを焼いているプレートは大理石だとか、

あれがひまわりの種なのだとか。子供たちはいつも元気に
水路で水浸しで遊んでるとか。これはゴミ箱なのだとか。

私は今までひたすら走り続けてきて立ち止まることがなかったように思う。
立ち止まることに恐怖を感じていたのだ。そしていま、

胡蝶泉に誘われて周城までやって来た。ついに藍染と草木染めを見つけた。
これが売れれば毎年来れる。しかしやってみなければわからない。

夜久しぶりに日本人と語る。チベット好きの青年医師と世界を駆け巡る
中年婦人。頑張れ熟年!その人が言った一言が気になる。

「染めの難点は日焼けと色落ちでしょ。ほんとに売れるんですか?」

日式早飯

20100824(火)

7時半起床。ここは雲南、時間がゆっくりと流れている。
大理古城も今日でお別れ30kgの藍染を背負ってユースを出る。

きくやで日式早飯を食べる。プーアル茶、卵焼き、味噌汁、ごはん、
福神漬け。まずはじめに熱いプーアル茶が出てくる。

とても熱いのですぐに飲もうとしてはだめだ。茶葉も浮いている。
10分ほどすると茶葉は沈み程よいぬるさになって飲みやすくなる。

ご飯はパサパサなのでよくかむことだ。一粒一粒噛み潰すようによくかむ。
そのうち唾液と絡まって甘味を帯びてくる。これが雲南流だ。

そう思ってゆっくりとかんでいると突然ジャリッという音と口の中で
石が砕ける感触。まずい、かなり大粒の岩石を噛み砕いたみたいだ。

昔は日本でもしょっちゅうあった。お袋の声が聞こえる。
『噛まんと早く出しなさい!』

昆明へ

きくやを出て西城門のバイパスへ。思ったとおり下関行きが
向かいで止まった。聞くとなんと2元と言う。タクシーで50元だったのに。

約20分でバスセンターに着いた。昆明行きは1時間に1本位出ているのですぐに乗れる。
ところが昆明⇒大理は100元だったのに大理⇒昆明は136元WHY?それはすぐに分かった。

テレビが2台乗り降り2箇所トイレ水サービス付の豪華バスだったのだ。4時間半で西駅に着いた。
30kgは重い。バスに乗りてくてくと歩いて篆塘公園へ。CLOUD LAND 大脚氏ユースに着いた。
ここも熟年パッカーが多い。熱いシャワーが一番疲れを癒す。重いリュックを下ろして早めに休む。

金鶏広場

20100825(水)くもり。

6時に起床。52番のバスで昆明飛行場に行ってみる。
とにかく朝が早いので遅れないようにと何回も言われたからだ。

まだ真っ暗。30分で机場に着いた。バスは10分おきに来る。
リコンファームをする。「チュエレンジーピャオ」が伝わった。

中国国際航空7時55分発。7時までには来ないと。
また52番に乗って帰る。1元(15円)だから重宝だ。

ところが今度は30分たっても着かない。ついに終点で下ろされた。
新たに52番に乗り換えて5つ目に篆塘に着いた。

一旦ユースの部屋に戻ると女性二人が入ってきた。
ここは6人のドミトリーだ。一泊30元(450円)。

どうも女性と同室というのは違和感がある。入室で騒々しいので
すぐ出て昼食を食べることにした。近くに台北美食という

こぎれいな店があって鶏肉爆飯、つまり鶏どんぶり、10元。
スープと漬物がついておなか一杯。ゆっくりと歩いて帰って昼寝をする。

午後2時。再度52番に挑戦する。ところが町の中ほどで全員下ろされる。
さっぱり分からない。故障か?茶花ユースと火車站を見とこうと歩くことにした。

昆明は大都会だが見るところはあまりなさそうだ。茶花ユースはいまひとつ。
昆明老街から金鶏広場へ。この広場でカラオケやダンスをやっている。

このあたりが一番の繁華街らしい。ここの裏通りにとても古風な
駝峰客桟(THE hump ユース)を見つけた。

食材市場

昆明火車站は空港ビルのようで馬鹿でかくどこか京都駅と似ている。
52番のバスでまた戻る。どうしても篆塘公園で降りられない。

どうも上りと下りで止まる停留所が違うみたいだ。また一駅戻る。
すると途中で生鮮食材市場に出くわした。人の流れについていくと

見たことない茸が一杯。マツタケもある。とてもでかい。手に取っ
てみると間違いなくあの香りだ。日本ではうん万円はしそう。

聞くとなんと1かご10元(150円)。ああ、もって帰れたらなと
思いつつ写真を撮った。亀にすっぽん、食用かえるがネットの中で
皆そろってこちらをにらんでいる。

市場の中では子供たちがたくましく育っている。公園では暗がりの中
光るローラースケートをしていた。バドミントンはどこでも盛んだ。

動物園

20100826(木)くもり

5時起床。タクシーは時々通る程度。バスは52番が6時8分に来た。
これで間に合いそうだ。まだ真っ暗。とにかく今晩は早く寝よう。

戻って一休みして翠湖へ向かう。何かと大脚氏ユースは都合がいい。
東に金鶏広場、南に中央駅。北に翠湖、動物園。西に長途汽車西站。
バス52番で空港まで30分。他はほとんど歩いて行ける。

翠湖には白蓮紅蓮がたくさん見れて、中ノ島ではみな踊ったり歌ったり
出店もたくさんあって庶民の憩いの場だ。そのまま抜けると
昆明動物園にいける。

小雨が降ってきたので翠湖を抜けたところで台北美食を見つけて駆け込む。
鶏肉爆飯を食べてしっかりと腹ごしらえをしてから動物園へ。

かなり急な丘全体が動物園になっていて、登る。無料だ。ここも庶民の
憩いの場になっていて頂上付近には乗り物や観覧車がある。これは有料だ。

パンダの檻の前でしばし時を過ごす。周りには数十台の麻雀卓があって、
たくさんの老人が集まっている。子供たちはパンダにポップコーンを放る。

かなり薄汚れたジャイアントパンダたちは器用に大きくて長い舌を出して
檻の外にこぼれたポップコーンを舌の先に乗せる。うまいもんだ。
ずっとそれに見とれていた。

象、サイ、虎がいる。ホワイトタイガーは仰向けになって背中を床にこすり付けている。
猫はよくやるがこれはすごく迫力があった。ライオン、らくだ、しまうま、きりん。

ところが猿候類がいない。キンシコウはとうとう見つからなかった。
観覧車に乗る。今にも落ちそうで眺めどころではなく初めて恐怖を感じた。
カメラの電池も切れかかり枠も一杯になってきたのでそろそろ帰ることにした。

耳朶

20100827(金)くもり

午前4時起床。緊張のあまり早く起きた。しっかりとお題目をあげる。
今この中国でどのくらいの人がお題目をあげているだろうか?

たぶん最後の戦いは中国広布だという気がしてくる。師匠は
去年の11月と今年の5月に2度にわたって、
「中国へ行きなさいよ!」と言われた。

1974年12月、周恩来は師匠に会われて何を語ったのだろうか?
死の直前無理を押して。

「あなたには必ずお会いしてお礼を言わなければなりません」
「どうかお体を大切に。日本へぜひお越しください。桜のころに」
「もう無理でしょう」

周は日本と中国ひいては世界の未来をあなたに託しますとの遺言だった。
以降日中間の青年交流が活発化する。現胡主席は第1回交流団の団長だった。
新駐日大使の程氏は第1回の留学生だ。

『中国へ行きなさい!』の師匠の叫び声が耳朶にこびりついて離れない。

警備

無事上海に着いた。虹橋からメトロで金沙江へ。白蘭路の
楽途ユースは1泊60元から95元になっていた。万博のせいだ。

チェックインして一休み後蘭州拉面を食べにでるこれは5元で変わらず。
曹揚路のほうに行ってみたがきれいに整備されていて昔の雑踏はなかった。

駅は厳重に警備され上海万博が終わるまではこの調子だろうな。
そういえば昆明市ではいたるところに丸型の防犯カメラが設置されていた。

民族暴動は当局の最も恐れるところか。今中国南西部は四川の大地震、
湖南の大洪水。甘粛の水害と天災が相次いでいる。

救援のためにもインフラの整備が急がれる。
この10年で内陸部は大発展するだろう。

上海語

20100828(土)くもり

7時起床。100元返してもらって曹楊路から大連路へ、メトロ4元30分。
ローソンでサンドウィッチと牛乳を買って朝食。大名路へ向かう。
30分ほど歩いて国際フェリーターミナルに着いた。

するといつもとは違ってロビーにたくさんの人が並んでいる。
港費30元を払って並ぶ。夏休みだからか家族連れが多い。

いつも冬場は心配になるほど人が少ない。これなら安心だ。
洋室8人部屋。いつもは静かなのに二人がずっとしゃべっている。

これをやられるともう誰も休めない。相手はうなづくだけで
この男一人が大声でしゃべり続けている。何語だ?

ついに痺れを切らせて、
「こら、なにしゃべってんねん。そとでしゃべれ!」
「すんません。上海語です」

こういうノーマナーが中国人を嫌いにさせる。
無礼であつかましく品のない民族。13億。

確かにそういう人は多い。あきらめるしかないか?
やっと男たちは話をやめて立ち去った。

明日は上陸だ。またお金の心配が始まりそうだ。
非常に有意義な雲南の旅であった。

                         -完-

雲南旅日記’10

雲南旅日記’10

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-04

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 雲南旅日記’10-1
  2. 雲南旅日記’10-2
  3. 2010夏、出発!
  4. 天津旅游団
  5. 義烏
  6. 義烏の木陰にて
  7. 食券
  8. 両替
  9. スリーパー(ナイトバス)
  10. 昆明
  11. 大理へ
  12. 大理古城1
  13. 胡蝶泉1
  14. 胡蝶泉2
  15. 周城1
  16. 周城2
  17. 周城3
  18. 大理古城2
  19. 日式早飯
  20. 昆明へ
  21. 金鶏広場
  22. 食材市場
  23. 動物園
  24. 耳朶
  25. 警備
  26. 上海語