お医者さん 第1章 「違います。今のは私の左手です。」

こちら、現在(2014/12/01)書いている物語です。

全何章になるのかさっぱりですし、終わりも決めていません。


きっかけは「お医者さん」という言葉。医者という言葉に「お」と「さん」の二つを装備させてすごく丁寧に言っています。
こんなに丁寧に言われると……《医者》と《お医者さん》は別物なのでは!?

そんな空想から生まれた物語です。

追記:この物語、「小説家になろう!」さんにも投稿しております。(重複投稿というモノだそうで)

※物語の性質上、この物語には様々な『症状』、『病名』が登場します。
中にはこれを読んで「不謹慎」と感じる方もいるかと思いますが、ご容赦下さい。

お医者さん 第1章 「違います。今のは私の左手です。」

はいどうも。今日はどーしたんですか?
ふんふん。頭が痛いと。
 それで……他には? へ? それだけ?
もっとこう……へんちくりんな症状は? あ、ない。
 ん? いやいや、違います違います。面白い症状がないからってやる気を失ってるわけじゃないですよ、どんな医者ですか。
 まーまー落ち着いて下さい。
 しかし……となるとあなたは何故この病院……つーか診療所を選んだんですか? 外見ボロくてあんまり行きたくない感じじゃありませんでした?
 近かったから? そうですか。いやはや珍しい。逆のパターンとはね。
 普通は普通の病院に普通の病気だと思って行ってこっちに来るパターンなんですけどね。普通の病気なのにこっちに来ましたか。
 あ、いえいえ。別にバカにしてるわけではないですよ。
 とりあえず、あなたが来るべきはここじゃないです。もっと普通の所へ行って下さい。そういう線引きでやってますので。
 へ? ならここは何だって?
 ここは普通じゃない病気……いや、正確には症状を発症した人が来るところです。
 普通の病気は医者が治します。そして今言った普通じゃない症状を治すのが……そう、オレのような存在なんです。
 なんて呼ばれてるかって?
 あんま変わりませんけど医者より尊敬されていることは確かなんじゃないですかね?
 なぜならオレのような存在はこう呼ばれるんです。
《お医者さん》ってね。


「ことねさん。」
 オレはお茶っぱの入ってるカン缶の中を覗きながら呟く。いや、言い直そう。今わかったことなんだが……「入っていた」だ。
「お茶っぱが切れてしまったよ。ちょっとスーパーに行って買ってきてくれないか?」
 ちらりと横を見る。普段オレが患者さんと話す時に使ってる椅子に座って『人体の構造大解剖!』という本を読んでいる一人の少女を。
パッと見、色の薄い少女だ。白の生地に黒字で英語がプリントされたシャツを着て、灰色の半ズボンをはき、真っ白な白衣を着ている。日本人にしては色素の薄い瞳。肘の辺りまで伸びた真っ白な髪を一本の三つ編みにし、先っちょに赤いリボンをつけている。色と呼べる色がリボンの赤だけという女の子らしからぬその少女は平均身長マイナス十センチの身体を立ちあがらせ、本を置いた。
「いいですよ。私は先生にお世話になっている身ですからね。ペットボトルでいいですか?」
 ことねさんはとても退屈そうな半目でそんなこと言った。
「いやいやことねさん。今オレお茶っぱが切れたって言ったよね?」
「お茶が飲みたいんじゃないんですか?」
「確かに最終的に口にするのはお茶だけどそうじゃないんだよ。なぜ買いに行くのかと聞かれたらオレはこう答える。『お茶っぱが切れたから』と。」
「でも結局はお茶なんですよね。ならペットボトルの方が安いしすぐ飲めるしで利点だらけですよ。」
「いやいやことねさん。お茶っぱは確かに時間がかかるしペットボトルよりは高価だけど、長い目で見れば一回買うだけで何回も飲めるし、飲む度にペットボトルのゴミが出たりしないんだよ!」
「あ、そうですね。ならお茶っぱを買ってきますね。どんなのがいいんですか?」
「この『静岡直送OCHAPPA』でお願いします。」
「あ、私今手持ちが少ないのでお金を先にいただけますか?」
「了解……ってあら? オレの財布、諭吉先生がお一人だけいるだけだ……確か貯金が残高五円だったから最早これが全財産じゃないか! ことねさん、ちゃんとお釣りもらってきてね!」
「一万円ですか。ならそれで買えるだけ買ってしまえばしばらく買いに行かなくて済みますね。」
「いやいやことねさん、今オレ全財産っていったよね!? これでお茶っぱを買えるだけ買ったらご飯はしばらくお茶オンリーだよ!?」
「なら今日中に誰か診察してお金をもらって下さい。ではいってきます。」
「ちょちょちょ、ことねさーん!?」
 オレの全財産である諭吉先生を持ってことねさんはスタスタと行ってしまった。
「なんたることだ。こうなったら意地でも診察を! 患者さん来い!」
 そう言った数秒後、オレは地面に両手をつく。
「患者さんを望む医者って……最悪だろ……」

 ことねさんが帰ってくるまでしばらくある。さて、どうしたもんかね。
オレは診察所兼自宅の中をざっと眺める。特に暇を潰せるもんはない。金属バットはあるが。
「……掃除でもするか。」
 オレは部屋の奥からホウキとチリトリを持ってきて診療所の入り口へと向かった。だいぶ錆びてキーキー言う扉を開ける。この辺りは都会でもなければ田舎でもないどこにでもあるような住宅街なので別に珍しいものもない。
ボロい診療所。名前は『甜瓜診療所』。読み方は『てんかしんりょうじょ』だ。オレが建てたわけじゃぁないし名付けてもいない。前任者が建てて名付けたこの診療所をオレが引き継いだんだが……もっときれいに使おうとは思わなかったんだかな。
「無理か。あの人の辞書には『掃除』という言葉はなかったし。」
チリトリを適当なとこに置いてオレは掃除を始めた。だがホウキを動かしながらオレはあることに気付く。そう、そんなにゴミがないことに。
「そういやことねさんが毎朝やってるもんな。」
……収穫は落ち葉一枚。なんて無駄な時間だ……
 暇だ。まぁ患者さんがめったに来ないのは《お医者さん》の宿命……でもないか。普通の病気を扱ってる奴もいるし。
「一応オレもそっちを診ることはできるけど……両立には人手が足りなさすぎだ……」
 全てはオレが《ヤブ医者》だからなんだけど……全然嬉しくないな。
 ホウキとチリトリと落ち葉一枚を持ってオレは中に戻る。するとそれを見計らったように電話が鳴った。
「はいはい出ますよー。」
 オレは早足で電話の方へ向かう。
「はい、甜瓜診療所。」
『ミートボール戦争だ!』
「……」
『おい!聞いてんの―――あれ?まさかことねちゃん?』
「オレだ。」
『なんだよ、ちゃんと安藤じゃねーか。』
「何の用だよ小町坂。」
『だからミートボール戦争だ! 正確にはミートボール対ハンバーグ戦争だがな!』
「そうかそうか。お肉屋さんを開くのか。頑張れよ。」
『ちげーよ!』
「そういやこの前は目玉焼き戦争だっつってなかったか?」
『あれか。あいつらときたら目玉焼きにソースかけるとか言いだすんだぞ!? 意味わかんねーよ! 目玉焼きにはしょうゆだろう?』
「知るか。」
『んで今回はミートボールとハンバーグ、どっちが美味いかという話だ!』
「……ハンバーグじゃねーの?ミートボールってお弁当でしか見ねーし。」
『お前もハンバーグ派か! 裏切り者が!』
「ミートボールとハンバーグは派閥で分ける程に対等なモンだったか……?」
『わかってねー! お前はミートボールの素晴らしさが! お前も看護婦らと同じこと言いやがって!』
「……思うにミートボール派はお前だけだろう。」
『ん? よくわかったな。』
「……つーかお前、言い方には注意しろよ? 最近うるさいんだからな。」
『何の話だ?』
「お前今『看護婦』って言ったろ?」
『『看護師』って言えってか? 医者ならともかく俺らは《お医者さん》だろ? 女は《お医者さん》にはなれないだろうが。なら《お医者さん》は男でそれ以外が女だ。ほれ、看護婦であってる。』
「オレに医術を教えた人もオレが医術を教えてる人も性別は女なんだがね。」
『その二人は特別だ。そしてお前がハンバーグ派とわかった時点で用はない。じゃぁな。』
 電話が切れた。なんだったんだあいつは……

 再び暇になったオレはさっきことねさんが座っていた椅子に座る。そしてことねさんが読んでた『人体の構造大解剖!』を開いた。オレがことねさんにあげた本だが……ほぼ全てのページに印やらメモ書きがしてある。
「勉強熱心だなぁ、ことねさんは。オレも楽ってもんだけど……」
 あの人はスパルタだったからほとんど身体で覚えさせられたから……オレはこーゆーことはしなかった。
「実際ことねさんは吸収が早いもんなぁ。そろそろ基本は終わりでいいかもね。」

 それからしばらく『人体の構造大解剖!』を読んでいるとことねさんが帰ってきた。
「ただいまです。」
「おかえりことねさん。」
 椅子に座って『人体の構造大解剖!』を読んでいるオレを見てことねさんは不思議そうに尋ねてきた。
「先生……なんでそれ読んでるんですか?」
「なんとなく……」
「先生は娘さんとかの日記を勝手に読むお父さんですか?」
「まるでオレに娘がいるかのように言わんでくれことねさん。というか勝手に読んじゃまずかった?」
「いえ別に。」
「なんだ……ちょっとドキッとしたでしょー……脅かさないでくれよ。」
「え、私にドキドキしたんですか?」
「……正確に言うと『あれ、見られたくなかったのか!?』と思ってドキッとしたんだ。」
「なるほど。ところで先生、お茶っぱです。」
「おお! さっそくお茶を飲もう。……お釣りは?」
「ちゃんとありますよ。あとこれも。」
「『お食事券十万円分』……っ!?なにこれ!」
「知らないんですか?それが使えるお店ならその券は諭吉先生十人分になるんですよ。」
「いやいや使い方は知ってるよ。どこでこれを?」
「お茶っぱ買った時にもらった商店街の福引が当たりました。一等です。」
「すごいなことねさん!」
「すごいのはこっちですよ。」
 そう言ってことねさんは左手を指差した。
「ああ……福引ってあのガラガラ回す奴?」
「そうです。」
「ガラガラの中を透視して……一等の色が出るように腕の力加減を調節したのかな。すごいな。」
「透視なんかできるんですか?」
「そいつは反則クラスの力があるからね……最早なんでもありだよ。しかしこれがあれば一週間一万円として二カ月半ご飯に困らないね。」
「そういえばそろそろお昼ですね、先生。」
「よし、お昼を食べに行こうかことねさん。」
「はい。」
 オレとことねさんはお食事券を手に外に出た。だがそこにはさっきはなかった……もとい、いなかった人がいた。
「こ……こんにちは。」
 メガネをかけた……大学生くらいの女性だった。肩に小さなカバンをかけておずおずとオレに挨拶をしてきた。オレとことねさんは顔を見合わせ、再びその女性に視線を移す。
「……うちにご用ですか?」
 オレがそう尋ねるとカバンから封筒を取り出しながら答えた。
「は、はい。あの、白樺病院から紹介状をいただいて……こちらに専門の方がいると。」
 差し出された封筒には白樺病院の文字。確かに紹介状だ。ここを紹介するとなるとあいつか?
「ちなみに紹介状を書いたのは藤木先生?」
「はい、そうです。」
 やっぱりか。
「どうぞこちらへ。」
 さっきのオレの祈りのせいなのか……五日ぶりに患者さんがやってきた。


 椅子をもう一つ出し、そこにメガネの女性を座らせ、オレはさっきのとこに座る。ことねさんはメモ帳を片手に横に立っている。
「オレは安藤享守。こちらは溝川ことねさん。」
 言いながら名刺を出す。メガネの女性は「ん?」と呟く。
「これで『きょうま』と読むんですか……」
「そうですよ。大抵『きょう』までは読めるんですが『ま』が読めない人が多いです。あなたのお名前は?」
「あ、佐藤成美です……」
「佐藤さん……早速ですが、どんな症状ですか?」
「えっと……その……」
 佐藤さんは困り顔で手をワタワタさせる。
「何と言いますか……視界が食べられていくんです。」
 ものすごく恥ずかしそうに言って恥ずかしそうにうつむいた佐藤さんだがオレは気にしない。
「端っこから? 真ん中から?」
「え……」
 オレの切り返しに佐藤さんは困惑した。
「……笑わないんですか?」
「……普通の医者なら『あはは。』と笑いそうですが……オレは《お医者さん》ですし。塗り潰されるでもゴミが見えるでもなく、食べられると表現した時点でオレの領分です。」
「あ……はい! えっと……端っこからまるでクッキーを食べるみたいに見える部分が減っていくんです。最初は左目だけだったんですけど……最近は右目も。」
 話が通じる相手だと思ってもらえたらしい。確かに、あいつらの症状って変なのが多いからな。
「今はどれくらい?」
「左目は……十分の一くらい、右目は左目の半分……二十分の一? くらいが見えません。」
「症状が出始めて……ざっと一週間ですか?」
「え、あ、はい。ちょうどそれくらいです。よくわかりますね……」
「まぁ専門家ですから。ふむ。ことねさん、今佐藤さんがどういう状況かわかる?」
 突然ふられたことねさんは少しびっくりしつつもメモ帳をパラパラしながら答える。
「えぇっと……佐藤さんについているのは《アイサイト・イーター》……進行度はグリーンです。」
「良くできました。」
 オレとことねさんの会話に目をパチクリさせる佐藤さん。
「え……あの?」
「ああ、ちゃんと説明しますよ。」
 さて……毎度おなじみの説明をする時だ。
「実はですね、佐藤さん。この世界にはヴァンドロームと呼ばれる生き物がいるんです。」
「……えっ?」
「それの《アイサイト・イーター》と呼ばれる種類が佐藤さんの視界を奪っているんです。」
「えっと……あいさいと……? あの、幽霊とか妖怪みたいなものですか?」
 さすがに困惑しているな。当たり前か。
「いえ。人間という生き物がいるように、猫という生き物がいるように、ヴァンドロームという生き物がいるんです。とりあえずそういう生き物がいるということを理解して下さい。」
「はぁ……」
「生き物って大抵違うものを食べますよね。肉食は肉、草食は草。まぁ人間は雑食ですが……ほら、コアラって特定のユーカリの木しか食べませんし。」
「そう……ですね。」
「さて、ここで問題なのはヴァンドロームという生き物が何を食べるか。」
「……視界なんですか……?」
「ああ、そうではないんですよ。あいつらが主食としているのは……本当は難しい話なんですが平たく言うと他の生き物の『元気』です。」
「『元気』? どうやって食べるんですか、そんなもの。というか栄養あるんですか?」
 佐藤さんの困惑顔がマックスになった。
「そうですね……とりあえず『元気』と呼ばれる物体があるとイメージして下さい。まだオレらには技術的に見えない感じで。」
「はい……」
「病気にかかると元気なくなりますよね? 本来出来たことが出来なくなったり、普通なら無い痛みがあったりしますしね。」
「確かに……」
「ここでまたイメージです。元気がなくなるということをイコール『元気』という物質が身体の外に放出されてしまうことだと。ビタミンとか脂肪みたいに体内に蓄積されていた『元気』が出て行ってしまう感じです。」
「放出……」
「ヴァンドロームは放出される『元気』を食べるんです。血液みたいに針を刺せば吸えるようなものではないので放出を待つ必要があるんですよ。栄養は……まぁオレらには未知の栄養ということで。」
「はぁ……」
「しかしですよ? いちいち病気になるのを待ってたら日が暮れます。大抵の生き物はその一生の数パーセントしか病気になりませんからね。そこであいつらは進化したんです。生きるために。」
「……どんな風に……?」
「強制的に病気を引き起こして『元気』を食べる。」
 そこで佐藤さんの顔色が変わった。そう、やっと事の本質に近づいたのだ。
「まとめると……ヴァンドロームという生き物はですね、相手の食事や生活習慣になんら問題がなくとも、遺伝子的に絶対に発症しないとされていても、強制的に特定の症状を相手に引き起こして放出される『元気』を食べる生き物なんです。」
「そんな……生き物が……私に……?」
 自分で自分を抱きしめる佐藤さんの身体は少し震えている。
「しかし人間はバカじゃありません。ハチやヘビなんかの毒を持っている生き物や人間の数倍強い筋力をもつ生き物とかに対抗する力を作ってきました。殺虫剤や……まぁ拳銃とか?」
「じゃ、じゃあそのヴァンドロームにも……」
「ええ。ヴァンドロームを専門に退治する人……職業を作りました。それがオレら《お医者さん》です。」
「普通のお医者さんとは違うんですか?」
「ええ。オレらは普通の医術を扱う人を《医者》と呼び、ヴァンドロームを退治する人を《お医者さん》と呼んでるんです。なんせヴァンドロームが引き起こすのは病気ですからね……知識として医術が必要なのです。」
「何で……《お医者さん》なんですか?」
「《医者》よりも遥かに危険で、戦う技術や知識が必要だからです。《医者》と同じように医術を学んだ人間だけど《医者》なんかよりずっとすごい……だから『お』と『さん』をつけて《お医者さん》だそうです。昔の人が決めた呼び方なんですけどね……」
「戦うって……?」
「そりゃぁ生き物ですから退治しようとすれば反撃しますからね。ヴァンドロームは病気を強制的に引き起こすような生き物ですから結構強いんですよ。」
「そう……ですか。」
 えぇっと? とりあえず説明すべきことは説明したから……
「やっと本題です。佐藤さんについているのはさっきも言いましたが《アイサイト・イーター》です。ランクはEで症状は『視界捕食』です。」
「ら……らんく? しかい……?」
「ランクはヴァンドロームの……厄介度と言いますか強さと言いますか。S・A・B・C・D・Eの六段階に分けられるんです。そしてヴァンドロームによって症状は違いまして……佐藤さんについてる《アイサイト・イーター》はその名の通り、視界が食べられるという症状が出るんです。」
「ということは……一番弱い奴なんですね!」
 佐藤さんは今聞いたばかりのインチキくさい話を信じ、ランクを聞いて安心したようだ。飲みこみが早い人は助かるな。
まぁ……ヴァンドロームにつかれた時点でだいぶインチキくさい感じの症状が出るし、《医者》には相手にされないことが多いからな。やっとたどり着いた真実って感じで大抵の人はちゃんと信じてくれる。
「ただ……ランクが低くても最終的な結果は同じです。」
「結果?」
「ほっといた場合の話です。」
「私の場合……失明ですか?」
「それはそうですが……そこまで行った場合……次に待つのは死です。」
「えっ!?」
「ヴァンドロームは『元気』を食べる生き物です。普通なら放出されても『元気』はいろいろな要因からすぐに体内にたまっていき、人は元気を取り戻しますが……ヴァンドロームは新たな『元気』も片っ端から食べますので……最終的には生きる気力を失い、そもそも身体が生きようとしなくなり、自動的に思考が停止し、心臓が停止します。」
「そ、そんな! 私はあとどれくらいで! あの!」
「落ち着いて下さい。そこで進行度の話です。」
「進行度……さっきグリーンって言ってた……」
「進行度はそのまま症状の進行度です。グリーン・イエロー・レッドの三段階で、《アイサイト・イーター》の場合は視界の五割が見えないとイエローで、九割が見えなくなるとレッドです。つまり佐藤さんはまだまだ余裕があるということです。仮に今の状態からほっといても死ぬとしたら……それはざっと五年後ですね。」
「え……でも一週間で一割も……」
「最初だけですよ、早いのは。《アイサイト・イーター》は一番弱い種類に入りますから……とりつく相手をすぐに変えるような事はせず、一つの獲物に長くとりついてじっくりと『元気』を奪うんです。Sランクのヴァンドロームですと数分で死に追いやられたりしますが……」
「そうなん―――ってそういえばさっきからとりつくって言ってますけど……私の中に……? 寄生虫みたいに……!?」
「具体的に言いますと……守護霊みたいに後ろでふよふよ浮いてる感じですかね。見えませんし触れることもできません。」
「触れることができないって……幽霊みたいに……?」
「あ、いや。物理的に触れられないということではないです。ほら、壁にとまったハエを叩こうとしたら大抵は避けられますよね。そういう感じで触れられないってことです。ヴァンドロームからすれば自分がとりついてることがバレと面倒ですから……カメレオンみたいに見えなくして、何かに触れられそうになったら避けるんです。」
「そうですか……その、寝ている時とかは……?」
「傍でじっとしてますね。というかとりついていないです。」
「え……?」
「『元気』が主に回復する時は睡眠中です。ヴァンドロームからしたらきちんと回復してもらって『元気』というえさを作ってもらわないと困りますから、睡眠時はとりつくのを止め、一時的に『元気』を食べるのを止めるんです。」
「……どっちにしても……気味が悪いですね……」
「知らぬが仏というやつですね、こればっかりは。」
「そうですね。」
 最初よりは不安がなくなってきたみたいだ。というか……寄生虫か。中には人間の数倍はある奴もいるし、それは無理だ。……例外はあるけど。
「さてとそれじゃぁ……治療しますか。」
「えっと……どれくらいかかるんですか?」
「五分くらいです。」
「それだけですか!?」
「普通なら一分もかからないんですけどね。」
 そこでことねさんが口を開いた。
「ヴァンドロームの退治の仕方は至って簡単なんです。とりついているヴァンドロームを患者さんから引き剥がして倒す。それだけ。」
「引き剥がす……!?」
 生々しい言葉にゾッとする佐藤さんにことねさんは説明する。
「後ろで浮いていると言っても『元気』を食べるために、また他のヴァンドロームに得物を横取りされないように患者さんと接続しているんです。軽く針を刺したり、管みたいのをつなげたりと様々ですが。ですからそれをまずは引き剥がさないといけないのです。」
「それが……さっき安藤先生がおっしゃった『普通なら』ということですか?」
「はい。ですがこの方法は……手術で患者さんにメスを入れるのと同じことでして、患者さんに少し痛みが伴いますし体力も奪われるんです。EクラスならなんてことないんですがSクラスになるとその痛みだけで死ぬこともあるんです。」
「そんな……」
「安心して下さい。今佐藤さんの目の前にいる《お医者さん》は全ての《お医者さん》の中で唯一引き剥がすことなくヴァンドロームを退治できる《お医者さん》なんです。」
 ことねさんがまるで自分のことのように自慢げに言うもんだからさすがにオレも照れる。ことねさんはオレの事をなんかめちゃくちゃすごい人って思ってるらしいからなぁ……たった一回のあれがそんなに衝撃的だったのか……? ま、これは後で考えよう。
「んま、だから時間がかかるんですけどね。行きますよー。」
 オレは立ちあがって佐藤さんの後ろにまわる。
「……ここか。」
 背中のちょうど真ん中あたりに右手を当てる。
「五分間、じっとしてて下さいね。」
「は、はい。」

 接続。開門。強制介入。侵入。反撃……クリア。抗体……クリア。展開。解析。把握。
 強制上書き。強制認識。強制実行。

「……離れ落ちろ……」

「あ!」
 五分後、オレが手を離すと同時に佐藤さんが叫んだ。
「見えます! 視界が……広く……!」
「治療完了です。」
 オレがそう言うと佐藤さんはオレの両手を握ってお礼を言ってくれた。
「本当に……ありがとうございます!」

 私……溝川ことねは診療所の受け付けに立つ。向かい合っているのは佐藤さん。
「……そんなに高くないんですね。もっとすごい治療費なのかと思いました。」
「悪徳霊媒師ではありませんからね。保険もききますし。」
「……つまり……国というか……世間的に認められているんですよね?《お医者さん》って……」
「もちろんです。」
「なんで……今まで知らなかったんでしょうか……」
「ヴァンドロームにとりつかれて治療を受ける人が年間で千人くらいですから。」
「結構いますね……」
「……世界で、ですよ。」
「ああ……それは少ないですね。」
「だから大抵の《お医者さん》は普通の医者もやるんです。そうじゃないと稼げませんからね。」
「ここは……やってないみたいですね……」
「先生は普通の医者としても凄腕です。出来ないわけではないんです。」
 これの説明は毎回毎回面倒くさい。先生は……《ヤブ医者》だから。
「まぁ……いいですけど。……ヴァンドロームのことって……秘密ですか?」
「いえ。普通にしゃべってもらって結構です。ですがあまりお勧めはしません。」
「なんでですか?」
「あなた自身、ここに来るまで知りませんでしたよね。実際に普通とは何か違う症状を経験している人ならともかく、そうでない人に話した所で……ね。」
「そうですね。でも……知り合いでそういう人を見つけたらここを紹介しますね。」
「よろしくお願いします。」
 こうして佐藤さんは帰っていった。私は代金をしまって診察室へ戻る。
「お疲れ様、ことねさん。」
 先生は椅子に座って何かを書いている。
 ボサボサの黒い髪、あんまりやる気の感じられない目。いつでも白衣+便所サンダルのこの人はこんな外見からは想像できないほどすごい人だ。
覗いてみると書いているのは今回のカルテだ。どんなに簡単に治療できた患者さんであろうともカルテを書く。普通の《医者》もそうだろうけど、これは《お医者さん》の世界では特に厳しく言われる決まりだ。ヴァンドロームには未知の症状を引き起こす奴もいる。だから多くのデータが必要であり、いざという時は他の《お医者さん》と協力したりする。
 ……先生はこんな小さな診療所に収まるような《お医者さん》じゃない。大きな病院に行けば《ヤブ医者》でも十分に働けるし、そもそも先生の《ヤブ医者》としての力は《お医者さん》の世界じゃすごすぎる。引く手数多なのに先生が一人で開業していることが問題なんだ……
「……私が早く一人前になれば先生も楽になる……頑張るんだ。」
「ん? 何か言った?」
「いえ。それを書き終わったらお昼に行きましょう。お腹すきました。」
「だね。」
 私には先生に返しきれない恩がある。そしてその恩は日々増えている。私は頑張らなきゃいけないんだ。
 そう……あれ以来。

 響き渡るのは人の悲鳴。
 地上で生きる私たちが突然立つべき場所を失ったとき、私たちには成すすべがない。
 私もそうだった。
 でも違った。
 私は浮いていた。
 落下していく人と目が合った。
 絶望の表情。何かを叫んでいる口。
 私は恐怖した。
 私は耳をふさいで両目をつぶった。

『怖いのか?』
 怖い!
『見たくないのか? 聞きたくないのか?』
 見たくない! 聞きたくない!
『わかった……』

 勝手に動く左腕。
 左腕を……私を中心に広がる何か。
 思わず目を開けた私。
 木の葉のように乱れ舞う瓦礫と……人。
 吹き飛ばされて遠ざかる絶叫と崩壊の音。
 そして、私の意思なしに広がる私の左手の平。
 そこへ集束する何か。
 膨れ上がる……何か。
一瞬の後、超速で広がるはずだった破壊。
 『はず』にしたのは―――

「強制―――」

 落下しながらも私に近づくその人の顔に恐怖はなかった。

「―――停止!!」

「ことねさん?」
 私はハッとして顔をあげる。目の前には腰を曲げて私の顔を覗きこむ先生。
「大丈夫?」
「……大丈夫です。」
 私は左手をちらりと見て外に出た。


 オレとことねさんは近くのファミレスに来た。ことねさんは白衣を脱いできたがオレは脱がないのでだいぶ不思議な目で見られたが気にしない。
「いつもよりは豪勢にいけるね、ことねさん。」
「そうですね。でも先生、こういうお店ってついつい同じものを頼んじゃいません?」
「言われてみれば。たまに治療費が入って今日は高いやつを……って思いながらも気付いたらいつもの安い奴を食べてるね。不思議だ。」
 メニューを眺めてもやっぱり目が行くのはいつものやつ。
「ま……いっか。」
「そうですね。」
 そう言ってオレとことねさんは目を合わせた。
「あはは。」
「ふふっ。」
 自然と笑いだすオレとことねさん。ことねさんは思いだし笑いをした感じに静かにクスクス笑っている。
「ご注文をどうぞ。」
 笑っていると突然店員さんがそう言った。いつのまにかテーブルの横に立っているその店員さんを不思議そうに見ると店員さんも同様の目でオレを見る。ん? オレとことねさんはまだ店員さんを呼んでないんだが……
「……あ。」
 ことねさんがそう言ったのでオレはことねさんへと視線を移す。ことねさんは左手で店員さんを呼ぶボタンを押していた。
「ああ……」
 オレは納得し、店員さんに注文し、ことねさんもオレに続く。
 店員さんがいなくなってからことねさんが申し訳なさそうにオレを見る。
「すみません……」
「ことねさんではないんでしょ?」
「違います。今のは私の左手です。」
 そう、ことねさんが店員さんを呼ぶボタンを押したわけではない。ことねさんの左手が呼んだのだ。

 ことねさんはオレの助手であり、患者さんである。
 ことねさんについているヴァンドロームの名は《オートマティスム》。症状は『エイリアンハンド』だ。
 『エイリアンハンド』。別名『他人の手症候群』は脳の損傷などで引き起こる病気だ。軽いものだと片方の腕はわかるのにもう片方の腕は目で見ないと自分の腕だと認識できなくなったりする。つまり背中で両の手をつないでも他人の手と握手してるような感覚になるわけだ。
だがこれはあまり日常生活に支障をきたさない。問題は重度の場合。この場合、片方の腕が自分の意思に従わなくなる。常にというわけではないが、靴ひもを結んでいたら突然片手がひもをほどき始めたりするのだ。
 ことねさんの場合は左手がそれで、時折勝手に動く。だから店員さんを呼ぶボタンを押したのはことねさんではなく、ことねさんの左手になるのだ。正確に言えばことねさんの『エイリアンハンド』は左肩から手先までだが。
 とっとと治療しろと言われそうだがそうもいかない。なぜなら《オートマティスム》はSランクのヴァンドロームだからだ。しかも背後で浮いているわけではなく、左手の中に入ってしまっている。二メートルくらいの大きさのヴァンドロームなのだが……物理法則を無視してそこに入っている。だから切り離す時の痛みは激痛なんて言葉で言い表せないくらいのものになる。切り離せば確実にことねさんは死ぬ。
 仮に切り離せたとしても《オートマティスム》に勝てる《お医者さん》は存在しない。というか未来永劫存在することはないだろう。人間では絶対に勝てないのだ。

 そもそも何故にランクがAで終わっていないのかという話だ。SはスペシャルのS……つまりSランクに分類されたヴァンドロームは普通じゃないのだ。
 ヴァンドロームだって生き物だ。だから交尾をして子を生む。だからヴァンドロームは同じ種類がそれなりの数いる。つまり、《アイサイト・イーター》は佐藤さんにとりついた奴しかいないわけではないということだ。
 だが生き物は完全完璧ではない。四つ葉のクローバーがあるように、世界に指が六本ある人がいるように、時折何かが狂う。ヴァンドロームでもそういうことがあり、そうなったヴァンドロームをオレ達は突然変異と呼ぶ。ヴァンドロームの突然変異は劇的で原形を留めない。大抵は環境なんかに耐えられずに生まれてすぐ死ぬが……時々生き残るパターンがある。そうなったヴァンドロームはまさに化け物という言葉がぴったりの存在になる。発症させる病気が特殊なものになるのはともかくとしてその生命力。そのほとんどが不老不死に近い存在となってしまうのだ。
 突然変異ゆえ、子を残すことなくそいつ一代で滅ぶが……そのたった一体がやばすぎる。生命力は無限大、攻撃力は核兵器を超え、防御力はこの世の全てを防ぐと言われている。突然変異という試練を超え、地球上のあらゆる生き物に勝利するヴァンドローム……それがSランク。確認されているだけでも十数体いる。
 そんな存在が飯を必要とするとは思えないが……やはりウマいもんは食いたいらしく、ちゃんと他の生き物にとりつく。
 そしてこっからがいやらしい所だ。ヴァンドロームはBランク以上になると人並みの知能を持つ。本能にまかせて捕食するだけの存在ではなくなるわけだ。無論、突然変異は知能にも影響を及ぼす。とんでもないバカにするかとんでもない天才にするかのどちらかという影響を。バカになった場合は佐藤さんに教えたように、とりついた瞬間全ての『元気』を奪う。だが天才になった場合はどうなるか。そもそも飯を食わなくていいSランクが『元気』を食べる理由はそれがおいしいからだ。生きるためではなく、嗜好品として食べる。ならちょっとずつ食べれば事は足りる。
 『元気』はいろんな要因によって失っても回復する。単位時間あたりの回復量と食べる量を同じにすれば……とりつかれた生き物は『元気』を失って死ぬことは無い。寿命がつきるまでそこに居続けるわけだ。
 ことねさんについている《オートマティスム》は天才側のSランク。一生とりつき、一生『元気』を奪い、一生『エイリアンハンド』となる。
 ただ、《オートマティスム》というSランクは少し変な性質を持っている……


 「お腹すきましたね。」
 水をコクコクと飲むことねさんを見て、オレはあの時を思い出す。
 ことねさんを診察した……あの時を。


「治せない……?」
 オレは椅子に座り、ことねさんは立っていた。向かい合う感じで立っていることねさんは顔を真っ青にしている。
「わ、私の……左手にはヴァンドロームっていう生き物がいて……そいつが……あれを引き起こして……それを治せるのは《お医者さん》で……先生はその《お医者さん》なんでしょ!?」
「落ち着くんだ溝川さん。」
 オレは冷静に言う。正確にはつとめて冷静になっていた。
「今君が置かれている状況を説明するから。」
 オレはことねさんにいくつかのファイルを渡した。
「……これは……?」
「君についているヴァンドローム、《オートマティスム》はSランクだ。だから今君の左手についている奴しか《オートマティスム》と呼べる奴はいない。そのファイルに載っているのはね……歴史上、確認された《オートマティスム》の患者さんだ。」
「じゃあ……この人たちは私と同じ……?」
「全部で五人。読めばわかるけど……その五人は全員、発症してから三日以内に死んでいる。」
「死……!?」
「本人の意思を二十四時間無視する自分の片手に耐えきれなくなって自殺したり、《オートマティスム》を切り離そうとしたらその痛みに耐えきれずに死亡したり……死因はともかく三日以内に死んでいる。だけど、ここからわかることもある。」
「……」
「その五人の場合、『エイリアンハンド』が一日中続いているということだ。常に続くからこそ異常に気付き、《お医者さん》にかかることができたんだ。そして常に続くからこそ……自殺したりしたわけだ。だけど君はどうだ?」
「……左手が勝手に動くと気付いてから……一週間です……」
「その間ずっと?」
「い、いえ……時々です……今も……大丈夫ですし……」
「そこだ、五人との違いは。そこでオレは仮説をたてた。」
「仮説……」
「ヴァンドロームも生き物だ。なら……住みやすい場所ってのがある。過去五人の人間……いや、確認されているだけで五人だからもっといるかもしれない。とにかく色んな身体に入って……自分に合わないと暴れてきたんだろう。それが二十四時間続く『エイリアンハンド』。だがここに来てようやっと見つけたんだ……君、溝川ことねという素晴らしい住処を。」
「そんな……住処って……」
「だぶん、だから暴れないんだ。つまり、あまり『エイリアンハンド』が発動しない。」
「嫌です! そんなのって―――」
「そのかわり!」
 オレはことねさんを指差した。
「《オートマティスム》はやっと見つけた住処を全力で守る。一つの生命が持つにはあまりに大きすぎる力を余すことなく使って。」
「守る……?」
「例えば今この瞬間、オレが君に拳銃を向けたとする。君とオレとの間隔は二メートルもない。そんな至近距離で放たれた弾丸であろうと、《オートマティスム》は防ぐだろう。そしてオレを殺す。」
「……! それじゃあ……あれは……」
「ああ……普通なら君も死んでいた大事故。だが《オートマティスム》がそれを良しとせず、君を事故から救った。」
「でも……周りの人を……吹き飛ばして……」
「おそらく君が恐怖したからだ。君の命を脅かすもの、君を傷つけようとするもの、最終的には君を不快にさせただけで《オートマティスム》はそれを破壊するようになるかもしれない。核兵器を超える力でね……」
「そんな……それじゃぁ私は気付いたら人を殺していたりするっていうんですか! 私……どうしたらいいんで―――あっ!」
 ことねさんの左手が人間では視認不可能な速度でオレの首をつかんだ。二メートルの距離は物理的にあり得ない感じで縮められた。そしてそのままオレを持ちあげる。傍目から見れば女の子が大人の男を片腕で持ち上げている光景だ。
「ぐあっ……き、きっと君を困惑させたから……オレを……」
「やめて!離して! お願い!」
 ことねさんは自分の左腕をつかむがどうにもならない。オレはことねさんの左腕をつかむ。
「接……続。開門!」
 オレは左腕に……《オートマティスム》に攻撃をしかけた。
「強制介入! がぁっ! 侵入!」
 オレの首を絞める《オートマティスム》の力が徐々に弱まっていく。そしてオレは左手から解放され、地面に尻もちをついた。
「危なかった……オレの技が効いてよかったぜ……ゲホッ。」
「だ、大丈夫ですか……あ、あの……今のは……」
「普通は……切り離さないとヴァンドロームは倒せなくて……Sランクともなると切り離す時の痛みで死ぬんだけどね……オレは切り離さずに攻撃できるんだ……たぶん《お医者さん》で唯一ね。」
 オレは首を抑えながらVサインをする。ことねさんの顔に笑顔が浮かぶ。
「さっきも言ったように……治療、つまり《オートマティスム》を倒すことはできない。少なくとも今のオレじゃ無理だ。だけど……今のオレでも一時的に弱らせることはできるみたいだ……」


「あ、来ましたよ。」
 運ばれてくる料理を見て嬉しそうにすることねさん。
 あれから……ざっと一年、ことねさんはオレの助手として、同居人として傍にいる。最初のころは四六時中一緒にいると言ってことねさんはオレから離れなかった。いつ左手が動くのか怖くてたまらないという感じで。だが一年間の研究や練習のおかげである程度はことねさんの意思で抑えられるようになった。
普通の『エイリアンハンド』と違って『勝手に動く左手』=《オートマティスム》なのでやりようによっては制御可能なのだ。今じゃ買い物にも行ける。このまま行けば《オートマティスム》を完全にコントロールできるようになるかもしれない。倒すことは不可能だから最終的な目標はそうなる。
 しかし……そうなったらことねさんは世界最強の存在になるなぁ。
「……ことねさんが助手になってもう一年か。」
「なんですか突然……」
 運ばれてきたクラブサンドを食べながらことねさんが不思議そうな顔をした。
「いやね、ことねさんも立派に《お医者さん》の卵だなぁと……」
 ことねさんは現在十七歳。(オレは二十五だ。)普通なら高校に通ってるとこだが……あの事件以来学校には行っていない。《オートマティスム》のこともあるが……一緒に暮らし始めてからしばらくした時、ことねさんが言ったのだ。

『先生。私に《お医者さん》を教えてください。』

 もともとことねさんは《医者》を目指していた。人助けができる仕事をしたかったのだとか。実際頭もいいから何もなければ《医者》になっていただろう。だけど《お医者さん》という存在を知ってしまった。《お医者さん》の絶対数は《医者》より少ない。だけども明らかに《お医者さん》の方がやばくて必要だから……《お医者さん》になりたくなったのだそうだ。だからオレはことねさんに《お医者さん》を教えている。
 一年で基礎知識はばっちりと言ったとこか……
「ことねさん。」
「はい?」
「そろそろ知識以外のことをしようか。」
「!」
 ことねさんは目をまんまるにする。
「……本当ですか?」
「……なんでオレがここで嘘つくのさ……」
「ありがとうございます!」
 本当に嬉しそうだな……オレがあの人からそろそろ実戦をやるって言われた時は一日中逃げ回ったもんだったが……ことねさんはすごいなぁ……
 オレも運ばれてきたオムライスを食べる。……別にめちゃくちゃうまいわけじゃないんだが……いつもこれを頼んでしまう。

 しばらくモグモグと口を動かしていたオレとことねさんは突如乱暴に開けられた店の扉にびっくらこき、そっちを見た。
「ミートボールは置いてるか!」
「はい?」
 店員さんが呆けながら答えた。
「ミートボールはメニューにあるか!」
「……ありませんが……」
「ぐああああああああああ!」
 入ってきた客は悲鳴をあげて倒れた。
「あっはっは。先生、あたしの勝ちですね! 今日のお昼はおごりですよー。」
 倒れた客の後ろから女性が入ってきてそう言った。
「先生……あの人って……」
 ことねさんがオレを見る。
「ああ……」
 倒れた客は和服に袴、加えて異様に底の高いゲタをはき、口にキセルを加えていた。女性のように長く伸ばした黒髪のそいつの名前は小町坂篤人。『篤人』と書いて『あつんど』という絶対読めない名前の男だ。
 対してあとから入ってきた女性は……確か小町坂の助手の一人だったな。名前は確か……高木……なんとか。
「あれ? 安藤先生じゃないですか。」
 (たぶん)高木さんがオレを見つける。
「んああ!? 裏切り者の安藤か!」
 小町坂が走ってオレの横に来る。
「ぬあ!? ことねちゃんと昼飯とはうらやましい! 俺のとこには年増のババァしかいなばぁあぁ!」
 高木さんのフライングクロスチョップを受けて小町坂は再び倒れた。
「お隣いいですか? 安藤先生。」
「……んああ……」
 オレの横に高木さんが座る。のろのろと立ちあがった小町坂はことねさんの横に座った。
「なにすんだよ高木! なんか『いなばぁあぁ!』とか叫んじまったじゃねーか! ウサギか!」
「さっきの発言は帰ったらみんなに言います。病院内の女性が全て敵にまわると思って下さいね。」
 そんな二人の会話を聞いてことねさんが呟いた。
「……楽しそうですね。」
「ことねさん、オレ達は平和だな。」
 小町坂はメニューを五秒ぐらい眺めてスパゲッティを、高木さんはハンバーグを頼んだ。
「なぁなぁことねちゃん、俺のとこに来いよー。」
「私、小町坂さんに会う度にそう言われてる気がします。」
「俺んとこは甜瓜診療所よりでかいし普通の《医者》もやってるから……お金には困らないんだぜ!」
 小町坂のとこは確かに大きい病院だ。白樺病院ほどじゃないが。
 この街の病院と言ったら小町坂のとこ。ここら辺の人はみんな小町坂のとこに行く。ちなみに白樺病院は電車でちょっと行かないとないが信頼のあるデカイとこだ。
「小町坂は院長だしな。小町坂自身も金持ちだし……確かにそっちの方が金には困らん。」
「ほれ! 安藤もこう言ってることだしよ! 俺には若い助手が必要なんばぁああ!」
 高木さんの眼つぶしを受けて小町坂は両手で顔を覆う。
「すみませんけど……私は先生の助手ですし……いざという時に私の左手を止められるのは先生だけですし……」
「ほら、先生。溝川さんが困ってるじゃないですか。」
「だが! こんな可愛い子がこんなアホと貧乏二人暮らしだぞ!」
「はっはっは。小町坂よ、実はそれほど貧乏ではなかったりするんだぞ? ほれ。」
「ああ? うお! 『お食事券十万円分』!? どうしたんだこれ!」
「《オートマティスム》がことねさんに十分な食事をして欲しいと思ったらしくてな……商店街で当ててきたのさ。」
「……ヴァンドロームに助けられる《お医者さん》ってなんだよ……」
「だけど、ことねさんの最終目標は完全なコントロールだ……共存っていう考えも大事だろう?」
「共存……ですか。」
 ことねさんが呟く。
「《オートマティスム》って人間並みの知能なんですよね?」
「へたすりゃオレたちより上だね。」
「……一度ぐらい会話してみたいとは思いますね。」
「あ。」
 運ばれてきたスパゲッティを食べる小町坂は思い出したようにポケットに手をつっこみ、オレに一枚の紙切れをよこす。
「……?」
「招集だ。お前、いい加減甜瓜診療所を登録し直せよ。いちいち俺のとこに来んだぞ? 嫌味か!」
「……オレはあそこの院長になる気は無いよ。」
 言いながらオレは紙切れを開く。
「先生、それはなんですか?」
「んん?そういえば……ことねさんは知らないか。一年に一回だからね。ちょうどことねさんに会った二、三日前にあったから……そうかそうか。知らないか。」
 まだ教えてないことがあったか。いやでもこれは……あんま関係ないか?
「ことねちゃん、それは『半円卓会議』の招集さ。」
 小町坂が説明する。
「『半』……ですか。」
「ああ。《医者》と《お医者さん》の会合だな。それぞれの世界のトップが集まって今後を話し合う。《医者》の全てが《お医者さん》という存在、ヴァンドロームという存在を知ってるわけじゃねーからな。色々と調整が必要なんだ。」
「どうしてですか。何で教えないんですか?」
「《医者》になるのは……言ってみればエリートだろ? 職業は《医者》ですって言えば人生は成功したも同然……みたいな考えってあるしな。だから基本的にプライドが高い。全員がとは言わねーが……突然『あなたたちでは決して治せない病気があるんですよ。』なんて言われたらやっぱ騒ぎになる……それを考慮してのことだ。」
「そうなんですか。というか小町坂さん、さっきトップが集まってって言いました? 《お医者さん》のトップとして……先生が?」
「ああ、言い方間違えたな。確かに《医者》は……医学界のトップ、重鎮が集まる。だが《お医者さん》っつーのはほれ……上とか下を決めにくいだろ?」
 小町坂が軽くため息をつく。オレはことねさんに質問してみる。
「さてことねさん。なぜ上下を決めにくいのでしょうか?」
 ことねさんは目をパチクリさせ、「えぇっと……」と言って答えた。
「《お医者さん》が基本的に行うのはヴァンドロームを切り離して倒すこと……切り離す技術はだいぶ昔に確立されていますから全ての《お医者さん》が同じ方法をとる。でも倒し方は別だから……ですよね。」
 ことねさんの答えに小町坂がパチパチと拍手する。
「おお、ことねちゃんはきちんと勉強してるなぁ。そう……例えるならとある一匹のライオンのし止め方。銃をぶっ放すのもいいし、罠を仕掛けるのもいいし、ぶん殴っても構わない。ヴァンドロームの倒し方も人それぞれってわけ。倒し方が人それぞれ過ぎる! ゆえに、誰がすごいだなんだという上下をつけ難い。」
「だから、《お医者さん》は《ヤブ医者》が招集されるんですね。」
「そーゆーことだ。だから安藤に手紙が来る。」
 ことねさんがオレを見る。
「やっぱり先生はすごいんですね。」
「……ありがとう、ことねさん。」
 確かにすごいのだがあまり歓迎することじゃない。

 《ヤブ医者》という存在がいる。
 ヤブ医者と聞くと腕の悪い医者、突拍子もない治療法を行う医者なんていうイメージがある。要するにダメな医者ということだが、《お医者さん》の世界では逆を意味する。
 全ての《お医者さん》がたぶんそいつにしかできない治療法でヴァンドロームを倒しているからことねさんが言うように上下がつけ難い。そしてそれは腕の良し悪しをつけ難いということも意味している。
 《お医者さん》の治療はすなわち戦いだ。ヴァンドロームはそのランクが上であればあるほど生き物としての能力も高い。つまり強いわけだ。
Aランクのヴァンドロームを倒せる。それはすごいことだが、それが出来る《お医者さん》でもEランクに負けることがある。すずめは鷹に勝てないがライオンとならいい勝負をするのでは? みたいな考え方だ。背中にのってツンツン突いていればいい。ライオンは手が届かないわけだし。
 つまり、あのヴァンドロームにはこの戦法が有効だがこのヴァンドロームには通用しない……みたいな現象が生じるわけだ。
 そして、こういった現象があるのだから……もちろんこんな現象も起こり得る。

『今までどの《お医者さん》も倒すことができていないヴァンドロームがいる。』

 Sランクの場合ははまず勝てないのだから対象外だが、Aランクにもなればこんな現象を引き起こしてしまう強い奴はいるわけだ。
さて、長い間誰も勝てなかったヴァンドローム……言い方を変えれば今まで誰も治療できなかった……そんなヴァンドロームを今まで誰も思いつかなかった方法で倒した《お医者さん》がいたなら……そいつはどんな扱いを受けるだろうか。
 他の《お医者さん》から『あいつはすげー奴だ。』と言われたり、尊敬されたり……とにかく他の《お医者さん》からは頭一つ出ることになる。
 そんな《お医者さん》に対してついた称号が《ヤブ医者》なのだ。というよりは始まり。今となっちゃすごい治療をする人、脅威的な実績を持つ人に与えられる。
 なんでこんなマイナスイメージの言葉が称号なのか。その理由は実に単純だ。
 今まで誰も思いつかなかった方法でヴァンドロームを倒す。それはつまり、普通に考えれば笑いで一蹴されてしまうような突拍子もない方法で倒すということだ。へたすればその『今まで倒せなかったヴァンドローム』しか倒せないということもある。
 今まで誰も出来なかったことをしたにはしたのだが冷静に考えたらどうなんだ? そんな感じで皮肉を込めた《ヤブ医者》という称号が出来あがったのだ。

 一応(お医者さん)の世界じゃ嬉しい称号ではある。だがこの称号が持つ副作用が厄介だったりする。《お医者さん》の世界を知るものなら『へー、すごい人なんだなぁ。』という感想だが知らない人が聞けば『えっ? それダメじゃん。』という感想になる。
 つまり、《お医者さん》の世界を知る人間が『あいつは《ヤブ医者》なんだよ。』とどこかで言う。それを聞いた知らない人が『あの医者はダメらしい。』と他の人に言う。それが広まる。そんな感じで《ヤブ医者》の所には患者が来なくなるのだ。人の口に戸は立てられず……評判と言うのはいつの間にか広がっているものだ。
 そして《ヤブ医者》はそれを違うとは言えない。なぜなら確かに《ヤブ医者》と呼ばれているのだから。しかも《お医者さん》の世界のことをやたらめったら言うことは禁止されている。《お医者さん》としては人々にこの世界のことを知ってもらいたいと思うことは確かだ。ヴァンドロームの仕業と知らずに、普通の《医者》では治療できずに亡くなる患者さんもいるのだから。
 だがだからと言って《お医者さん》自身が話をするのはいただけない。例えるなら何かのマニアがそれの良さを教えようと何かを言った所でわからない人にはわからない。意味わかんないと一蹴されるだろう。ほんの少しでも興味を持った人、関わったことのある人に対してでないとマニアの話には価値が生じないのだ。
 小町坂の言ったように、いきなり《お医者さん》の存在を言うことはパニックのもとだ。だから昔の《お医者さん》たちはこう決めた。
人々の中に自然と広がるのを待とうと。きちんと《お医者さん》のことが認知されるにはそれなりの時間が必要だと。よって《お医者さん》が《お医者さん》の世界の話をするのは患者さんに対してのみと決められているのだ。
 この決まりにより、《ヤブ医者》は何も知らない人の中で評判が落ち、患者さんがあまり来ず、貧乏になるという結果が生じるのだ。
だから基本的に《ヤブ医者》はどこかの病院と提携し、患者さんを紹介してもらう。しかし、《医者》も全員が《お医者さん》の存在を知っているわけではない。ある程度『上』の人間になるか、知り合いに《お医者さん》がいるか、ひょんなことで知るか。提携を結ぼうとしてもそこの《医者》が《お医者さん》を知っているとは限らない。だからやっぱり《ヤブ医者》は貧乏なのだ……
 オレの場合は腐れ縁の奴が白樺病院にいるからなんとかなっているが……やはり普通の《医者》としての活動がし辛いというのはイタイ。

「先生?」
 ボケっと《ヤブ医者》について考えてたらことねさんが心配そうに見てきた。
「んあ……大丈夫。」
 ことねさんはそこでふとオレが手にしている紙に視線を落とした。
「……はい。見てもいいよ、ことねさん。」
「あ……すみません。」
 少し恥ずかしそうに紙を受け取り、内容を読むことねさん。
「先生、この会議に《ヤブ医者》は何人ぐらい来るんですか?」
「ん? 全員だよ。」
「全員ですか!」
「全員って言っても今いる《ヤブ医者》は全部で二十八人だし。」
「二十八……それだけしかいないんですか。その内の一人……やっぱりすごいですね。」
「そうですよ!」
 そこでハンバーグをもぐもぐと食べていた高木さんが言う。
「しかも安藤先生は……ただの《ヤブ医者》じゃないですしね! 今まで誰もやったことのない……というか誰も出来なかった偉業、『ヴァンドロームを切り離さずに倒す。』をやってのけたんですからね! しかもその方法は全てのヴァンドロームに効果があって……Sランクの力さえ弱まらせると来てます! すごすぎです!」
 高木さんが目をキラキラさせてオレを見る。
「ありがとう……」
 でもこの技術の大元はあの人のだしなぁ……
「あー、あたしも安藤先生に教わりたいですー。」
「オレ一人で二人の生徒はちょい無理かな。」
「おい高木、俺の教えはダメだってのか?」
「先生のはただの雑用じゃないですか!」
「何を言う、その中に修行がな……」
「ありません。そもそも教える気ないですもんね。」
「お前もなる気はないだろう……《お医者さん》。」
「まー最初は……でも溝川さん見てると……」
「この野郎。」
「あたし野郎じゃないです。」
「まあまあ……」
 なんでオレが仲裁を……
「あ、おい安藤。」
「ん?」
「今度……つかこの後時間あるか?」
「……一応オレも診療所を開いてる人間だからな。この後は仕事だ。」
「誰もこねーだろうに。」
「バカ言え、さっきも一人治療したとこだ!」
「……なら俺がそっち行く。」
 小町坂がうちに? そこまでのことなのか?


 昼食をすませ、オレとことねさんと小町坂は甜瓜診療所へ向かう。高木さんは小町坂の病院へ帰っていった。
 小町坂の病院にはなにも小町坂しか《お医者さん》がいないわけじゃないから常に病院にいなきゃいけないというわけじゃない。
「んで? なんの用なんだ?」
 歩きながらオレが尋ねると小町坂はポケットからクシャクシャの封筒を取り出した。
「協力要請だ。」
「クシャクシャですね……それってカルテですよね?」
「いいんだよことねちゃん。カルテなんて主治医が読めれば。」
 いいわけないが……協力要請か。

 協力要請。《お医者さん》じゃよくあることだ。簡単に言えば『このヴァンドローム、オレだけじゃ倒せないから手伝ってくれ。』ってことだ。そしてオレはよく小町坂から協力を頼まれる。だがだからと言って小町坂の腕が悪いとかそういうわけじゃない。
 小町坂は日本古来の術式を扱う《お医者さん》だ。世界中にある魔法とか儀式とか呼ばれる代物の中で、とりわけ日本のそれは対象の『拘束』に特化している。小町坂の手にかかればたいていのヴァンドロームの動きを完全に封じることができる。だからそれなりのベテランから協力要請がかかることもある。《お医者さん》の中で『拘束』に関して小町坂の右に出る者はいないと言っていい。
 だが反面、小町坂は……俗に言う攻撃力というものが極端に低い。Cランクが限界という感じだ。それより上となると一日中攻撃しないとならなくなる。だからBランク以上になると小町坂は誰かに協力を要請するわけだ。

 甜瓜診療所が見えてきた。相変わらずボロい外見だなぁとオレがしみじみ思っているとことねさんがオレの白衣の袖を引っ張った。
「先生。遠目だとボロさが目立つなぁとか思っているところ悪いんですけど、お客さんがいますよ?」
「ん?」
 よく見ると入り口の前に人が立っていた。扉の前をウロウロしているそいつは真っ黒なロングヘアに白衣の女性だった。
「おい、安藤。あれって藤木か?」
「ああ……」
 オレ達が近づくとそいつはオレの方へまっすぐと歩いて来て―――
「このバカ!」
「うぼぁっ!」
 オレにボディーブローを決めた。
「キョーマ! あんたも医者なら常にいなさいよ! 急患が来たらどーすんのよ!」
「で……でもうちは月に一人来れば良い方……」
「それでよく生活出来るわね!」
「多少はあてがあるからな……」
「えっ、初耳ですよ? 先生。」
 しまった。ことねさんは知らなかったんだった。まぁ今はそんなことよりも。
「るる、お前は何でここに?」

 藤木るる。昔からの腐れ縁……幼馴染というやつだ。親同士の仲が良く、小さい頃から家族単位での付き合いをしている。ともに《医者》を目指していたんだが……オレはあの人に出会ったことで《お医者さん》になった。るるは《医者》だ。白樺病院の次期院長と噂されるすご腕の《医者》であり、ヴァンドローム絡みの患者さんにオレを紹介してくれている。たぶんこいつの紹介がなかったなら、甜瓜診療所には年に一人くらいの患者数になる。

「ちょっと質問がしたかったのよ!」
「電話で済ませろよ……」
「電話がつながってるか怪しいモンだし、ちょうど時間が空いたのよ!」
「……安心しろ、電話はつながってる。」
 言いながらオレはとりあえず二人の客人とことねさんを中に入れる。いつもの癖で診察室の椅子にオレが座ると小町坂はさっき佐藤さんが座っていた席に座り、るるは傍のベッドに座った。ことねさんはお茶を用意しに台所へ。
「めずらしいこともあんだな。安藤のとこに客が同時に二人。」
「なに? あんたも用なの? 小町ちゃん。」
「その呼び方やめろ!」
「……んで……どっちの話から聞けばいいんだ? オレは。」
「どうせ小町ちゃんは協力要請でしょ。長くなるんだからアタシが先に言わせてもらうわ。」
「へいへい……そして小町ちゃんはやめろ。」
 このやり取りはだいぶ前から続いているから小町坂の奴もだんだん注意する元気が失せてきている。
「昨日か今日あたり……視界に症状が出た患者さんが来たでしょ。」
「ああ、午前中に来た。紹介どうも。」
「そ、ならあと四人もよろしく頼むわね。」
「な!? 四人!? なんでそんなに!?」
「その様子じゃ気付いてないのね。」
 るるはポケットからメモ帳を取り出してそこに書いてあることを読み上げた。
「白樺、五人。岳樺、三人。八重皮、六人。水芽、二人。鵜松明、四人。アタシの顔がきく所に聞いて調べたんだけど……これ、何の数だと思う?」
「まさか……ヴァンドローム絡みの……?」
「そう、しかも今週だけでね。異常でしょ?これの理由が聞きたかったんだけどね。」
 一つの病院にヴァンドローム絡みの患者さんが一週間に五人とか来るということはだいぶ異常だ。年間千人くらいが常だったんだが……
「……これだけの事態なら『半円卓会議』で議題になる。近々あるからそこで情報を得てくるよ。」
「よろしくね。」
 そう言ってるるはトコトコとやって来たことねさんが持ってきたお茶をお盆から取るとイッキに飲みほし、とっとと出てってしまった。
「さすが院長候補は忙しそうだな。」
「院長が何を言ってんだ……お前のとこもやっぱ患者さんが?」
「そうだな……言われてみればちょっと多いかもな。」
 言いながらクシャクシャになってたカルテを広げてオレによこす。
「……なるほど。」
 オレはそのカルテのある部分を指で隠してことねさんに見せた。
「さぁ、ことねさん。この患者さんは何にとりつかれているでしょうか。」

 カルテ。《医者》も使うが《お医者さん》のカルテには一か所だけ普通は無い項目がある。それは『ヴァンドローム名』だ。

「えぇっと……」
 ことねさんはカルテをじっくりと眺める。そしてオレを見てこう言った。
「《トライリバース》です……か?」
「正解です。よくできました。」
「すげーな、ことねちゃん。俺ならわからないな。」
「お前が書いたんだろが、これ。」
「バカ、名前は図鑑を見て書いたんだ!」
「自慢気に言うな……」
「でも小町坂さん、これならすごいわかりやすいですよ。患者さんの性別が男の時点でだいぶ絞られますし。」
「確かに少ないけどよ……それなりにいるぜ?」

 『男の時点でだいぶ絞られる。』これはヴァンドロームが基本的に女性につくからだ。
 『元気』の味というか……質は放出した生き物の年齢や性別で大きく変わる。年寄りの『元気』よりも若いやつの『元気』の方がおいしい……など。
 人間で言うなら、だいたい中学生から大学卒業、新入社員あたりの年齢が一番うまいとか。小さい子供が持つ純粋な『元気』よりも、いろいろな知識とか、責任が混ざった『元気』の方が絶妙な味を出す……らしい。
 そして、男性よりも女性が好まれる。これは女性が子を産むからだ。自分以外の命を体内で育てるということは大変なことだ。重くなっていく赤ん坊を支えながらの生活、並大抵の『元気』ではこなせない。だから生まれた時から男性と女性では『元気』の質が異なる。ヴァンドロームにしかわからないが、女性の『元気』に含まれる栄養とでも呼ぶべきものは男性のそれを遥かに超えるらしい。故においしいのだそうだ。
 よって、ヴァンドロームにとりつかれるのは大半が若い女性となる。それゆえ、《お医者さん》には女性は向かないという意見が一般的だ。医者の不養生となってはカッコがつかない。

「《トライリバース》……Bランクですね。」
「そう。俺だと丸二日は攻撃し続けないと倒れない。二日も攻撃する以前に二日も術を発動させておくのは骨だ。」

 《トライリバース》は少し変わったヴァンドロームだ。人間に食の好みがあるように、ヴァンドロームにもそういうのがあって、《トライリバース》が好きなのは男性の『元気』だ。だからこいつは男性にとりつく。

「症状は『下半身麻痺』。進行度がイエローって書いてあるが……ってことは。」
「ああ。この患者にはもう感覚がない。」
「え、感覚がなくなるんですか?」
 ことねさんが初めて聞いたという感じに尋ねてきた。
「ああそうか。図鑑とかにはざっくりとした書き方しかしてないもんね。」
 オレはことねさんのおへそ辺りを指差す。
「下半身って聞くとこの辺りから下でしょう?」
「はい。」
「でもこの場合の下半身っていうのはもうちょっと限定的なんだ。」
「というと……?」
「両脚のみ。普通、下半身麻痺って言ったら脊髄とかの損傷によるもんだからトイレとかも自分では出来なくなったりするんだけど……こいつの場合は本当に両脚のみなんだ。」
「なら両脚麻痺って書いておいて欲しかったですね……」
「いやいやことねさん。下半身の大半は脚だよ。それに、両脚限定だからか知らないけど……症状はハンパないんだ。」
「感覚がなくなるんですか?」
「それでもレッドではないんだ。《トライリバース》の下半身麻痺はね、グリーンが麻痺で動かせない状態。イエローが痛覚とかの神経がダメになって感覚がゼロになる状態。そしてレッドになると……それが自分の脚であるという事実に違和感さえ覚えるようになる。」
「どういうことですか、それ。」
「《トライリバース》は両脚の麻痺っていう情報を通常よりも多く、深く脳に伝えてしまうからね。あんまりその状態が続くと脳が『そもそも脚ってなんだっけ?』という認識になってしまうんだ。」
 カルテを眺めつつ小町坂が呟く。
「確か俺が聞いたとこじゃ……レッドになった奴がなんのためらいもなく両脚をノコギリで切断したとか。理由を聞く医者に対して言った言葉が……『いらないじゃないですか。なんなんですかね、これって。』だそうだ。」
「認識にまで影響が……」
「ヴァンドロームの症状は普通じゃないからね。ことねさんも実戦をつめばだんだんと理解できるようになるさ。」
 オレはお茶を飲み、小町坂を見る。
「Bランクだからな。知能もそれなりにあるが……お前の術なら問題はないよな。いつも通りお前が切り離さない状態で動きを止めて、オレが倒す……で良いか?」
「いつもならそうなんだがな……」
 小町坂はため息をついた。
「今回は……切り離す。」
「理由は?」
「患者の要望だ。」
「え……わざわざ痛い思いをしたい患者さんってことですか?」
 ことねさんが困惑している。オレもだ。
「そうだぞ。Bランクっつったら切り離す時の痛みは結構なもんだ。気絶は十分あり得るし、人によってはショック死だぞ。」
「ああ。俺もそう言った。だがな……」
 小町坂がカルテに書いてある名前を指差した。
「こいつの名字、どっかで見覚えないか?」
 そこに書いてある名前は高崎修一。高崎? ありふれた名字過ぎてわからない。
「お前な……『半円卓会議』に出席してるクセになんで気付かないんだよ。」
「…………?」
 本気でわからない……
「あ。先生、高崎って言えば有名な人がいますよ。《医者》に。」
「……あ。高崎正義か。あの心臓の手術で有名―――」
 そこまで言って思いだした。
「……そういや高崎正義ってその分野の権威で……『半円卓会議』にいたなぁ……」
「……先生、何でそんな偉い人のことを忘れるんですか。」
「他の人……というか《ヤブ医者》の面子が濃すぎて他の面子の影が薄れるんだよ……」
「んまぁ《ヤブ医者》だもんな。変な奴が多そうだ。」
 小町坂がオレを見る。
「……オレはそこまで変じゃないと思うぞ。」
「…………まあいい。話を戻すが、この高崎修一は高崎正義の孫なんだよ。《医者》を目指してて……イマイチ《お医者さん》を信じてない。だから言うんだよ……『この僕にそのヴァンドロームとやらを見せてくれよ。』ってな。」
「……目の前で倒せと言われたわけか。」
「そういうこと。だから切り離して倒す。あの大物の孫だからな……なかなか文句を言えない。」
 小町坂はこれでも一つの病院の院長。へたな発言をして《医者》のお偉いさんから冷たい目で見られるわけにはいかないのだ。
「わかったよ……ならある程度はダメージを与えてから切り離そう。ヴァンドロームは切り離されると暴れるからな。元気一杯の状態で暴れさせることもない。」
「そうだな。時間とかは追って知らせる。」
 そう言って小町坂は帰っていった。


 オレは湯飲みを机に置き、ことねさんに尋ねる。
「ことねさん、切り離しは何回くらい見た?」
「先生がやったとこは見たことありませんけど、小町坂さんが見せてくれたのが三回ほど。」
「ランクは?」
「EとCですね。」
「そうか。なら……教える必要があるねー。」
「さっき言ってた……知識以外のことってことですか?」
 ことねさんが少し緊張した表情になる。
「うん。頭に叩きこむ知識じゃなくて身体に覚えさせる知識。折角Bランクの治療を見るんだし、とりあえず切り離しから教えるとしましょう。基本だしね。」
「はい!」
 ことねさんはさっきまで小町坂が座ってた椅子に座り、メモ帳とペンを取り出してオレを見る。
「んじゃまずは確認から。切り離しってのはそもそもなんで必要なんだっけ?」
「全てのヴァンドロームは『元気』を食べる際、『食眠』に入ります。ヴァンドロームがその状態のままだと治療がしにくいからです。」

 『食眠』。昔の《お医者さん》が冬眠をもじってつけた名前だ。ヴァンドロームにとっては『元気』はえさだ。それがないと餓死してしまう。だから確実に摂取しなければならないモノだ。しかし『元気』はその辺に転がっているようなものではない。蚊のように他の生き物から奪うものだ。そして蚊とは違い、ヴァンドロームはそれなりに大きな生き物だ。摂取しなければならない量はそれなりである。
故に、一度とりついたら確実に十分な量を摂取する必要がある。とりつかれたことがバレて追い払われるばかりでは十分な栄養が取れない。そこでヴァンドロームという生き物は進化した。
まず、自分の身体を見えなくする。透明になるわけではなく、カメレオン的に見えなくするのだがカメレオンとは比較にならないレベルで見えない。
そして全神経を集中させ、外界からの接触を避ける。ようは触られることがないようにする。空気の動きや臭いから自分に接近する物体を認識して避ける。
この二つの行為により、ヴァンドロームは食事に集中できるわけだ。もっと言うなら食事という行為しかしない。
『食眠』に入ったヴァンドロームは非常に倒しにくい。見えないし攻撃は当たらないから。だからこの状態を解く、つまり食事を止めさせないと倒せないのだ。食事を止めさせるのに一番効果的なのはもちろん、口を対象から離すこと……つまりは切り離し。

「正解。昔、つまり切り離しの方法が確立される前の《お医者さん》にとっては『食眠』を解くことが最大の難関だった。確かにそこにいるのだから密室に閉じ込めてだんだんと部屋を小さくしていくなんていう方法がとられたりなんかもした。」
「でもそれだと……ヴァンドロームが人間よりも小さい場合は患者さんの方が先に潰れてしまうことになる……ですよね。」
「そう。だからやっぱり切り離す必要があった。そんな時、切り離しの方法を考え出したのは……誰でしたかな?」
「えっと……歴史上最初の《ヤブ医者》と呼ばれる、ドクター・ポーです。」
「そうだね。ヒステクラ・ポーさん。彼がその方法を確立させました。とりあえずその方法を教えるよ。」
「お願いします。」
 ことねさんは真剣な表情になり、メモをとる準備をする。オレは立ちあがり、奥の方に置いてあった人体模型を引っ張り出す。
「基本的にヴァンドロームがとりつくのは背中です。そこが一番とりついた相手にバレにくいからね。」
「中にはお腹あたりにつく奴もいますよね?」
「身体が小さい奴はね。でもとりあえずは背中からの切り離しからいくよ。」
 オレは人体模型を回し、背中がことねさんに見えるようにする。
「まず、知能が低いCランク以下は全て同じ場所にくっつくんだ。人間の構造を考えた時、一番良さそうなとこだね。どこだかわかる?」
「……背骨……ですか。」
「その通り。多くの神経が走り、なおかつ身体の中心を貫くモノだ。症状を引き起こすヴァンドロームたちにとってはいいスタート地点。そこから体内にそれぞれの方法で特殊な成分やらなんやらを流し込んで……発症させる。」
「でも先生、背骨……というか背中についていることがわかるなら背中をまんべんなく触診したらその内ヴァンドロームの口に触れませんか?」
「確かにね。唯一確実にわかることとしてヴァンドロームの口が背中にくっついているということがあるからそれを探せばいいっていう考えはあったよ。でもヴァンドロームは食事を中断してでもバレないということに徹するんだよ。つまり一時的につなげている口を外してでも。」
「となると……やっぱり目で見る感じですか。背骨なら外からも場所がわかりやすい場所ですし……意外ととりついていることって目で見てわかる感じなんですか? 皮膚の一部がへこんでるとか。」
「あはは。目で見てわかるってことは何かが触れていることにとりつかれている人も気付くってことだよ。」
「あ、そうか……そうですよね。さすがに触れていることに気付きますよね。やっぱり蚊の針みたいな感じで痛みを感じなくて、なおかつその場所を見ても何もないように見えるレベルの接触なんですか?」
「中にはその場合もある。でもそれじゃぁがっちりと固定できなくて食事に集中できない。だから多くの場合は気付かれないように偽装する。」
「偽装ですか。」
「人間の身体はやわらかいから指で押せばへこむし、指が押しているということは触覚によってわかる。だからこの二つを偽装するわけだね。」
「……触覚は……麻酔みたいのをうてば……」
「おー、その通り。触覚はヴァンドローム特製の麻酔で麻痺させるんだな。見た目の偽装方法はわかる?」
「……?」
 ことねさんが首を傾げる。
「見た目はね、偽の皮膚を被せるんだ。」
「えぇ? 何ですかそれ。」
 ことねさんがすっとんきょうな声をあげた。ま、オレも最初聞いた時はびっくりしたけど。
「いや、そのままだよ。へこんでいる場所を偽の皮膚で覆って隠すんだ。パッと見なにもないように見える。」
「偽の皮膚って……特殊メイクじゃないんですから……」
「ヴァンドロームは食事していることがバレないように進化した生き物だから。ほら、クモの糸だってさ、その辺のワイヤーなんかとは比べ物にならない強度を誇るでしょう? 自然界では想像を超えるモノが作られるのだよ、ことねさん。」
「はぁ……」
「しかもヴァンドロームがとりつくのは人間だけじゃないからね。あらゆる生き物の皮膚をコピーできるんだよ。そこに毛があるならその毛の数から位置まで完璧にね。目で見て判断するのはまず不可能だよ。」
「改めて思いますけど……ヴァンドロームってすごい生き物なんですね。それでいていざ戦いになっても強いんですから。」
「そうだね。」
 オレは机の引き出しから未来の銃みたいな機械を取り出す。
「なんですかそれ?」
「……ドクター・ポーは切り離しの方法を確立させたってことで有名だけど、厳密に言えば『ヴァンドロームが皮膚を偽装出来る』ってことと『偽の皮膚の見分け方』を発見したからすごいんだよ。」
 オレは機械のスイッチを入れ、ことねさんに向ける。
「先生?」
「うん……三十五度か。ことねさんの平熱って低いんだね。」
 目をぱちくりさせることねさんに機械を渡す。
「あ……これってサーモグラフィーってやつですね。」
 サーモグラフィー。熱を持つ物体が放射する赤外線を感知して対称の温度を示す装置だ。
「偽の皮膚は本物に比べて若干温度が低いんだ。だからそれで探す。んで見つけた偽物をそこからはがすとヴァンドロームが『バレた』と認識して、『食眠』を解くわけだね。そこでようやく戦闘開始。……昔はこんなんなかったから触診で探してたんだって。すごいよね。」
「でもこれで探すとなると……服を脱がないといけませんよね? 小町坂さんもこんな感じの機械を使っていたのを覚えてますけどやっぱり患者さんは背中を出していました。」
「そうだね。温度差はホントにちょっと違うだけだから服の上からじゃわからない。中にはどこにくっつくかわからないヴァンドロームもいるからその時は裸になってもらう必要があったりするから大変だね。」
 オレがそういうとことねさんが再び首を傾げる。
「でも先生の治療で背中を出してもらったりしているとこは見たことないような……」
「オレは……ほら、治療法が治療法だから服の上からでもいいんだ。というかオレの場合は服の上からでもわかると言うか。」
「……先生。」
突然ことねさんの声のトーンが落ちた。
「ん?」
「もう一年になりますけど……私、先生の治療法を詳しく知りません。やってることといったらただ患者さんに触れるだけですし……」
「うん……まぁ……」
「《お医者さん》の勉強を進めて行けば行く程に先生の治療方法がどれだけ型破りなのかがわかります。《ヤブ医者》と呼ばれるのも理解できますよ。」
 ことねさんはだいぶ真剣な顔で聞いてきた。
「先生は……一体何をしているんですか?」
「……思うに……きっとことねさんがそれを疑問に思ったのは今が初めてってわけじゃないんだよね?」
「はい。かなり前から……実戦を教えてくれるようになったら聞こうと思っていたんです。」


 先生は困り顔だった。基本的に、私の質問には丁寧に答えてくれる。でもこんな反応をする先生は初めてだ。
「えぇっとね……」
 先生は頭をかきながら、机の引き出しから分厚い百科事典みたいな本を取り出した。
「オレのは……あの人の理論に基づく治療法でね。あの人がたどり着けなかった場所にオレがバトンを受け取ってたどり着いただけなんだ。だからオレは……オレの治療法を他人には説明しないって決めてるんだ。あくまでこれはあの人の理論だ。オレが語っていいもんじゃない。それに、オレが話すと誤解を生む。真実ではないことをそうだと思わせてしまうんだ。」
 そう言いながら先生はその分厚い本を私に渡した。
「でもね、別に門外不出ってわけじゃない。オレが話さないのはオレのけじめ。だからことねさんがオレの治療法のことを他から知るのは構わない。」
 私は本を受け取る。その時感じた重さはきっと質量だけの話じゃない。なんとなくそう思った。
 先生の話にはよく『あの人』が登場する。その人が先生の先生だという事は知っている。この診療所を建てたのがその人だということも。だけどそれだけじゃない……私には想像もつかないことがその人とあったことは明白だ。小町坂さんは何か知っているみたいだけど、私が聞くと『俺からは話せないな。』と言って教えてはくれない。
 私は知りたいと思う。これだけすごい人がここに留まる理由を……
 受け取った本を開く。
「え……」
 それは本ではなかった。何冊ものノートがくっついて出来た分厚いノート。そこに手書きで書かれている文章は呪文のようだった。
「んま、それ、英語なんだけどね。」
 ノートをパラパラとめくるが全てのページに文章がびっしり。ときどき図のようなモノがあったりするが……それを見てもこれが一体何について書いているモノなのかはかまったくわからない。
 おそらく、これは何かの研究書だ。たぶん、先生の言う『あの人』の。
「これが……ここに書いてあることが答えなんですね……」
「うん。暇があったら解読してみるといいよ。」
 今の私にあるのは高校生程度の英語力。それでこんな専門用語だらけの文章を訳せるわけはない。でも―――
「……借りますね。」
「うん。」


 その夜のこと。私と先生は寝間着で晩ご飯を食べていた。
 私たちは基本的にお風呂に入ってから晩ご飯を食べる。なぜなら先生が白衣を脱ぐ時というのが寝間着の時だけだからだ。白衣で晩ご飯というのはやっぱりどうなんだろうと思い、私がその順番を提案した。
 ちなみに私は家から持ってきた水色のパジャマで先生はジャージだ。
「うん。これはおいしいね、ことねさん。」
 先生が私の作ったハヤシライスを食べながらそう言った。
 私と先生は交代でご飯を作る。朝昼晩(昼は外に行くこともある)をその日の担当が作るのだ。もともと一人で暮らしていた先生は料理が出来る。でも私はそうではなかった。だから最初は苦労したけど、一年もやるとそれなりの腕前になる。
「家族の人も喜ぶね。診療所から帰った娘が料理出来るようになったってさ。」
「そうですね。お母さんのお手伝いも出来そうです。」
 私は先生と一緒にここで暮らしているけど別に家族がいないわけじゃない。私の家はお母さん、お父さん、お兄ちゃんの四人家族だ。

 私のお父さんは《医者》だ。だから私も《医者》になりたいなと思っていた。人のではなくて動物のだけど。
 あの事件が起きた時、私の左手を止めた先生はお父さんに質問攻めにあった。あれは一体なんなのかと。先生は《お医者さん》の世界のことを話した。最初は《医者》であるお父さんは信じなかった。インチキと言って先生から私を遠ざけた。
 その後、しばらくしてから私の左手が勝手に動くということが判明し、お父さんはすぐに『エイリアンハンド』を疑い、専門の《医者》を訪ねた。だけど専門の《医者》は言った。原因がわからないと。
 ヴァンドロームの症状は本当にその症状しか引き起こさない。普通なら脳のどこかにダメージがないと発症しないような症状でも、脳になんのダメージを与えることなく症状だけを引き起こす。
 焦るお父さんに私は言った。あの先生に会いたいと。
 さすがに渋ったお父さんも手段を選んでいられなくなり、先生を訪ねた。そして訪ねた時、先生はちょうどヴァンドロームにとりつかれた患者さんを治療をしていた。今思うと奇跡のようなタイミングだった。めったに患者さんは来ないから。
 その患者さんの症状を聞いてお父さんは診察を試みた。そしてやっぱり自分の知識にないことが起きていることを理解し、先生が治療した後に患者さんが『治った!』と叫んだことで《お医者さん》の世界を認めた。
 最初に私と先生だけの対話。その後、お父さんと先生は今後について話し合った。
 私が左手に対して尋常じゃない恐怖を抱いているということ。
 左手に宿るモノの正体とその力のこと。
 制御できないということが何を意味するかということ。
 現段階では治療法がないということ。
 そして……唯一、先生だけが暴走を止められるということ。
 話し合いの結果、私は先生と一緒に住むことになった。初めの頃、私は怯えていて先生から決して離れなかった。お父さんも毎日のように見に来た。でも、《お医者さん》という存在を深く知れば知る程に、私は《お医者さん》という職業に興味を持つようになり、お父さんは《お医者さん》という存在が自分と同じだということに気付いた。
 そうして私は《お医者さん》を志し、お父さんは《お医者さん》を……先生を心から信用するようになった。そうして今にいたる。

 昔のことを思い出していた私はふと思ったことを先生に聞く。
「先生、今私が使ってる部屋って元は何に使ってたんですか?」
「なんだいいきなり。ことねさんの部屋は……物置だね。」
「……物置にあったモノは今どこにあるんですか?」
「ほとんど捨てたよ。もともといらなくなったモノを適当に押し込んでただけだったからね。ことねさんが来たのを機に捨てたんだ。」
「例えば何があったんですか?」
「えっとね……バーベル、拳銃、爆弾、わら人形―――」
「何ですかそれ!?」
 私の驚きに先生はあははと笑いながら答える。
「主に《ヤブ医者》の知り合いからもらったオレにはなんの意味もない代物だね。」
「《ヤブ医者》知り合いって……なんかすごいですね。気になるんですけど、他の《ヤブ医者》ってどんな治療法を行うんですか?」
「治療法かぁ。己の筋力のみで戦う奴とか日本刀を振りまわす奴とかいるよ。」
「はぁ……」
 どんな治療法なんだ……日本刀はまだ武器だから良いとしても、筋力っていうのはつまり素手ということだ。中には鉄以上の硬さを誇る身体を持つヴァンドロームもいるのに。
「おおそうだ。それで思いだしたぞ。」
 先生はスプーンをビッと立てて言う。
「ことねさんの最終目標は《オートマティスム》との共存って言ったでしょ?」
「はい。」
「あれはね、別に前人未到ってわけじゃないんだよ。」
「え……ということは、既に共存している人がいるってことですか!?」
「うん。さすがにSランクじゃないけどね。Aランクとの共存を実現してる奴が《ヤブ医者》にいるよ。というかだからこそ《ヤブ医者》になった感じだね。ほら、Bランク以上でヴァンドロームは人の言葉を話すでしょ? てことは『気が合う』っていうことが人間とヴァンドロームの間にあってもおかしくないんだよ。」
 それもそうだ。《お医者さん》の敵=ヴァンドロームになっているけど、互いに知能を持っているなら仲良くもなれるはずだ。
 先生は空になったお皿を持って台所に向かう。
「おかわりですか?」
「うん。ん? ごはんが一人分しか無いけど、ことねさんはまだ食べたい?」
 私は少し考えてからいらないと答えた。
「じゃぁ食べちゃうよ。」
 ハヤシライスをお皿に盛って先生が帰って来た。そして座った瞬間に手にしていたお皿を奪われた。
「……ことねさん?」
「……私じゃありません。」
 なぜか私の左手が先生からハヤシライスを奪っていた。奪ったハヤシライスを私の前に置いた私の左手は器用に私の右手からスプーンを奪ってハヤシライスをすくい、私の口元に持ってきた。
「先生……」
「うん……たぶん《オートマティスム》がことねさんにもっと栄養をとって欲しいと思ったんじゃない? 年齢的にはまだ育ち盛りだしね。」
「はぁ……いいんですか?」
「いいよ。」
 傍から見ると私は左利きの人になるけど私は左手に食べさせられているというのが現状という不思議な状態になった。
「そういえば先生。」
「うん?」
「『半円卓会議』ってどこでやるんですか?」
「イングランドだよ。」
「先生がそっちに言ってる間、私はどうしてればいいんでしょうか?」
 そこで先生は不思議そうな顔をした。
「ことねさんは来ないの?」
「え、……モグモグ……行っていいんですか?」
「そりゃ……会議に出席するのは《ヤブ医者》と《医者》のトップだけど、会議室の外で誰が待ってようと文句は出ないよ。」
「あ……そうですね。」
 私はなんとなく恥ずかしくなってうつむこうとしたのだけども左手がハヤシライスを持ってくるから出来なかった。
「それにね、《ヤブ医者》の弟子も何人か来ると思うからいい刺激を得られるよ。《お医者さん》を目指すためのね。」
「助手じゃなくて弟子ですか。」
「《ヤブ医者》の技術ってのは仮に特定のヴァンドロームにしか効果が無いとしてもそれはそれで失ってしまうのは惜しい技術だからね。んまぁ、強制ではないけども《ヤブ医者》が自分の技術を伝えるために弟子を持つことはよくあることだよ。」
「……私は……先生の弟子ですか……?」
 さっきのレポートにも関係してくる事柄だから恐る恐る尋ねる私。
「いや、ことねさんは患者さんで助手で生徒だね。」
 言葉はいつも通りだけどやっぱり表情がいつものニコニコ笑顔じゃない。
「オレの治療法、あの人の理論を継ぐ的なことはね、あのレポートを読んでから考えることだよ。」
「先生は……弟子を持つ気はないんですか?」
「あんまり。でもあれのことを理解した上で継ぎたいっていう人がいるならそれはそれで素直に嬉しいよ。」
 いつもとは違う表情になる先生。やっぱり先生の技術はそんなに軽くないんだ。私には考えられないような何かがあるんだろう。それでも私は……
「それに、もっといろんなモノを見ることを勧めるよ。ことねさんはオレと小町坂しか見たことないでしょう? 《お医者さん》の中で誰かのとまったく同じ治療法をする人は少ないから出会った《お医者さん》の数がそのまま見たことある治療法になるからね。」
「そういえば個性的ですよね。それなりに人数がいるんだから同じ人がもっといても良さそうですけど。」
「同じ科目でも先生が違うだけでわかりやすい、わかりにくいがあるのと同じだよ。誰かとまったく同じやり方でモノを教える教師はいないでしょ。それと同じだね。縛りが少ない分、個性が出る。」
「そういう……モグモグ……もんですか。」

 食事の後は私も先生も自由行動だ。私は先生からもらった教科書を読んだりノートを書いたりしている。たまに趣味のジグソーパズルをする。
 私の部屋は家に住んでいた頃と変わらない。よく『女の子っぽくない』と言われる飾りの少ない部屋。一応今までやったジグソーパズルが並んでいるんだけどな。
「たまに思うけど……やっぱり先生には謎がいっぱいだ。」
 治療法も確かに謎だけど、一番の謎はお金。患者さんの来なさ加減といったらという感じなのに細々と生活できるお金はある。私がここに来たからといって火の車っていうわけではなさそうだし。小町坂さんとかは貧乏人呼ばわりするけどホントのとこはどうなんだろう?実はお金持ちの家系の御曹司だったりするのかな。
 先生の部屋を覗いたことがある。何に使うのかよくわからないモノがあふれるおもちゃ箱みたいな部屋だった。しかも天井からはお星様が吊るされているし、壁には子供の落書きみたいな絵が貼ってあったりするのだ。
「唯一使い方がわかったのは壁に立てかけてあった金属バットだけだなぁ。」

 オレは自分の部屋でぐったりと寝っ転がっていた。
「なんか……あの人の話になるとオレって嫌な感じになるなぁ……」
 ことねさんに嫌われたかもしれん。一緒に住んでいる身としては忌々しき事態だぞ。
 しかし……ことねさんを弟子にか。考えたことなかったな。できればことねさんにはことねさんだけの治療法を見つけて欲しいんだけど……あれが伝わるのは嬉しいしね。複雑だ。
「どーすればいいんすかね?」
 オレはあちこちへこんでる金属バットを持つ。そして見る。そこに書いてあるへたくそな文字を。


 翌日の朝、ことねさんがあわててオレの部屋に入って来た。
「せんせ痛っ! 何か踏んだ! たまには片付けてくださ―――じゃなくて先生! 患者さんです!」
 のそりと起きあがったオレはホウキとチリトリを持ったことねさんを見る。
「ことねさん、わかったから……ホウキで叩かないで……」
「私じゃありません。」
 適当に着替えて白衣を羽織ったオレはあくびをしながらことねさんについていく。すると受付の前に人がいた。
「おはようございますぅ。」
 なんだか気の抜けるあいさつをしてきたのはオレと同様に眠そうなおばあさんだった。たぶんるるが紹介したんだろうが……『おばあさん』とはね。
「おはようございます。しかしまた随分早く来ましたね。まだ開院してませんよ?」
 オレがそう言うとおばあさんは申し訳なさそうに答えた。
「失礼なのは承知しております。ですが……起きている内に行かないとと思いましてねぇ……」
 ふむ、そういう症状なのかな。
「いいでしょう。こちらへどうぞ。」

 おばあさんを椅子に座らせ、オレとことねさんは定位置へ。
「さて、紹介状を拝見。」
 オレは紹介状を受け取る。るるが書く紹介状は適当極まりなく、患者さんの名前が書かれていないこともしょっちゅうだ。だからオレはまず最初に名前を聞く必要がある。
「オレは安藤享守。こちらは溝川ことねさんです。あなたのお名前は?」
「梅宮しずこです。」
「梅宮さん。それではどんな症状か教えてもらえますか。」
「はい……」
 梅宮さんはどう説明したらいいのやらという顔をする。ヴァンドロームの患者さんは大抵この顔になる。
「不眠症……というのでしょうか。ですが眠れないわけでもなくてですね……その、時間が不規則と言いますか……」
「え……」
 と呟いたのはことねさんだ。オレも少し驚いた。
 ヴァンドロームは基本的に若い人にとりつく。とは言っても例外がいないわけではなく、年配の人に好んでとりつく奴もいる。だが、その珍しいヴァンドロームの中に今梅宮さんが言った症状を引き起こす奴はいないのだ。
「梅宮さん。あなたの症状は……つまり、寝ようと思っても眠れないのに、ある時突然睡魔が襲ってくる……という感じですか? 時間に関係なく。」
「ああ! そうです。さすが専門の方ですねぇ。」
 オレとことねさんは目を合わせた。その症状を引き起こすヴァンドロームは《ファンシフル》という奴だ。だがこいつが年配の人にとりついたという記録は今までない。こいつも一般的なヴァンドロームと同じように、若い年代にとりつくからだ。
「そうなんですよ。お友達とお話している時やお散歩をしている時に突然眠くなるんです。なのに夜、布団に入っても眠くならないんです。時々眠れるんですけど……」
 ……さて、本来ならここで《お医者さん》の世界を説明するわけだが、相手が年配の人、もしくはまだ子供の場合はそうはいかない。完全に新しいことを教えるわけだからそれなりの理解力が必要になる。年配の人と子供の場合は普通に説明しても理解してもらえないことが多いのだ。
「わかりました。梅宮さんはなかなか珍しい病気にかかってしまったようですね。」
 こういう場合、オレは適当に誤魔化すことにしている
「これは『不規則性不眠症』と言いましてね、歳をとるとかかることがある病気なんですよ。とは言ってもこの病気にかかる人は本当に一握りでしてね。」
 ことねさんが「適当な病名だなぁ。」という顔をしているが気にしない。
「珍しい病気なんですか……あの、治るんでしょうか?」
「御心配なさらず。この病気、確かに珍しいのですが……すぐに治るんです。」
 オレは普段使わない聴診器を机から引っ張り出す。
「ですがそのために少し背中を見せてもらいますよ。」
「あ、はい。」
 梅宮さんはくるりと椅子を回して背中を向けてきた。
「お医者さんにとは言いましても……この歳になって見せるのは恥ずかしいですねぇ。」
 そう言いながら梅宮さんは上着に手をかけた。だけど梅宮さんが服をまくることはなかった。
「……?」
「あ、先生。梅宮さん眠ってます。」
 《ファンシフル》が引き起こす眠気はおそらく何をもってしても抗えない。だから睡魔が来たら眠るしかない。時間を選ばないからこいつはヴァンドロームの中でもかなり面倒な奴として有名だ。
「ホントだ。でもいいタイミングと言えばいいタイミングだね。」
「……聴診器なんか取り出して何しようとしてたんですか?」
 軽くホコリをかぶっている聴診器を元に戻しながらオレは答える。
「ヴァンドロームのことを説明しないで背中を見せてもらうには聴診器を見せるのが一番効果的だからね。」
「ああ……なるほど。」
 オレは梅宮さんの背中に手を置く。
「接続……」

 先生が治療を始めた。いつも通り、背中に手を置いているだけだ。何をしているのかはまったくわからない。
 ……《ファンシフル》がこんな年配の方にとりつくなんて。私の知識は本からの知識だから実際はこういうこともあるのかと思って先生を見たけど先生もびっくりした顔だった。
《ファンシフル》はEランクでそこまでの知力がないから本能に従って動く。だからとりつく相手の年齢は一定のはずなのに。
まだ誰も知らないヴァンドロームの生態でもあるのかな。

 二分ぐらい経った頃、先生の表情が変わった。
「んな……」
 先生は信じられないという表情だった。どうしたんだろう?
「……ことねさん、オレの部屋からバットを持ってきてくれる?」
「え……?」
「……《ファンシフル》を切り離すよ。」
 私は質問しようとしたけど先生の表情が真剣だったから急いで先生の部屋に向かった。先生の部屋のバットと言えばあの金属バットだろう。私は壁に立てかけてあったそれを手に、急いで戻る。
「持ってきました!」
「それじゃ……《ファンシフル》を切り離したらことねさん、それで思いっきりぶん殴って。」
「な、殴る!?」
「頼むよ!」
 すると先生が梅宮さんの背中に当てていた手を何かを掴むような形にする。そして刺さっている棒でも引抜くように手を引いた。
 梅宮さんの身体が一瞬ビクッとなる。たぶん痛みが走ったんだろう。
「……! これが……」
 今まで何もなかったはずの空間におばけのように一体のヴァンドロームが出現した。
 それは……大きな目玉だった。直径五十センチくらいの目玉にそれより小さいいくつかの球体が連結して尻尾のようにくっついている。
「キャルルルルルルッ!」
 どこに口があるのかよくわからない姿のくせに奇声を発したそれは部屋を横切って出口へと向かう。
「ことねさん!」
 先生が叫ぶ。とっさのことに私は反応できなかった。だけど私の左手はバットを握り締め、それを《ファンシフル》に振りかざした。
外見に反した硬い音がし、《ファンシフル》は数度のバウンドの後に床に倒れた。そして、太陽の光を浴びてしまった吸血鬼のように灰になり、空気に消えていった。

ヴァンドロームの奇妙な生態の一つとして、死んだら身体が灰になるというのがある。《お医者さん》の歴史はそれなりに長いのに症状を強制的に発症させる物質とかが判明していないのはそのためなのだとか。先生が言うにはその物質なり方法なりが判明してしまうと対策を取られてしまってヴァンドロームが食事できなくなるからそれを恐れての仕組みらしい。
自分の身体を灰にする命令がDNAに書かれているとは恐ろしい生き物だ。

「御苦労さま。」
 先生が私の肩に手を置く。すると私の左手はバットを離す。先生が床に転がるバットを拾い上げた時、私はそこに書かれている変な言葉を目にした。
「?」
 私がその言葉を口に出して読もうとした瞬間、梅宮さんが目を覚ました。
「あれ……眠ってましたか?」
「そのようですね。ですが診察は終わりましたので大丈夫です。」
 そう言って先生は机の引き出しから飴玉を取り出す。あれはヴァンドロームのことを説明しなかった場合、薬と言って渡すものだ。
「これ、お薬です。外見も味も飴玉ですけどきちんとしたお薬ですのでご心配なく。これを食後に舐めてもらえば治ります。」
「え……一個でいいんですか?」
「ええ。これで十分なんですよ。もしもまた発症したらその時はまた来てください。」

 不思議な顔をして帰っていく梅宮さん。それを見送った私はすぐに受付から診察室に戻る。
「?……先生?」
 先生はさっき《ファンシフル》が灰になった場所をじっと見ていた。
「ことねさん、これ見て。」
 先生が指差した場所を見る。そこには何かが落ちていた。例えるなら……メカメカしたブローチだろうか。真ん中に赤い水晶のようなものがあって、まわりを機械的な何かが覆っている五センチぐらいの何か。
「……これ、どこから?」
「《ファンシフル》の体内。」
「え?」
「治療中に気付いたんだよ。あの《ファンシフル》の体内に生物的でないもの、異物があることにね。それで切り離したんだ。」
 さらりと言ったけど……つまり先生の治療法にはヴァンドロームの体内を把握するという過程があるのか?
 先生は一応ゴム手袋をして謎の物体を掴んだ。だけどそれは掴んだ瞬間にヴァンドロームのように塵になった。
「……もしもあの物体が《ファンシフル》を年配の人にとりつかせたとしたら……」
 先生はそんなことを呟いた。


「よし、も一度おさらいな。作戦はこうだ。」
 翌日、私と先生は小町坂さんのとこに来た。うちの診療所とは比べ物にならない大きくて立派な病院だ。名前は晴明病院。どこかの有名な陰陽師からとった名前だそうだ。そこの院長室で私たちは作戦会議をしている。
 小町坂さんの院長室はなんだかおもしろいことになっている。日本刀が置いてあったり、星のマークが貼ってあったり、ろうそくがたくさん並んでいたりと、いかにもという感じだ。
 今日は小町坂さんの協力要請の日。例の高崎というお偉いさんのお孫さんの治療の日だ。
 昨日の《ファンシフル》の件はとりあえず『半円卓会議』を待つということで落ち着いた。結局一番情報が集まる場所がそこなのだそうだ。藤木さんが言ってた患者さんの増加も気になるところだ。
「俺が結界で動きを制限。安藤がいつも通り、《トライリバース》に攻撃を仕掛ける。……いつもよりペース遅めでな。」
 Cランク以下は知能が低いからそもそも先生の攻撃に気付かないらしい。攻撃されていることに気付かない攻撃ってあんまりイメージできないけど……とにかく知らぬ間にやられるというわけだ。ますますもって先生の治療法はおそろしい。
でも、Bランク以上のヴァンドロームだと先生の攻撃に気付き、患者さんから自分で離れて先生を攻撃しようとするのだとか。だけど、先生はそれを許さない。切り離し時の痛みはこっちからやろうとヴァンドローム自身で離れようと同じだ。患者さんに痛みを与えないため、Bランク以上のヴァンドロームが相手の時、先生はいつもより攻撃のスピードを上げるのだ。
「安藤がいつも通りやると瞬殺だからな……」
 そう、本当に瞬殺だ。Cランク以下の治療よりも速い。どうしていつもそのスピードでやらないのかと言うと、先生がフルマラソンを走った後の人のように疲労するからだ。
「つまり、俺たちはわざと相手に反撃のチャンスを与えるわけだ。そうすっと《トライリバース》の方で勝手に出てくる。俺たちが切り離す必要ないわけだな。そこをまぁ……攻撃する。」
「大丈夫なんですか? Bランクですよ?」
 私がそう言うと小町坂さんは笑った。
「なっはっは! 仮にも安藤の攻撃を受けてんだからな、出てきた時点ですでに瀕死だ。」
 私がなんじゃそりゃという顔をしていると先生が私に言った。
「オレの下で勉強してるとどーしても……ヴァンドロームとの直接戦闘を経験できないからね。今日の治療はいい経験になるよ。」
「はい!」
「失礼します。」
 私が身を引き締めると同時に看護婦さん……あ、いや、看護師さんが入って来た。高木さんだ。
「高崎様が。」
「ん、来たか。」

 病院の入り口に私たちは並ぶ。目の前にはリムジン。初めて見た。
「いやー出迎え御苦労さん。」
 ボディーガードというかヤクザの人というか、そんな感じの人に車いすを押されて高崎修一が登場した。
「まったく、こんな田舎くさいとこに僕が来るとはね。」
「はっはっは。空気がおいしいでしょう?」
 小町坂さんがひきつった笑顔で答える。
「《お医者さん》ねぇ……いや、別に信じてないわけじゃないんだよ。ああ、ああ、いるいる。ヴァンドロームはいるさ。でもねぇ、君たちが医者を名乗っていることがむかつくんだよね。僕らはものすごい勉強を重ねてさ、命を背負ってるんだよ。それがなんだい、君らは。ちょこっと背中いじって呪文を唱えれば治療完了? ふざけてるのかい? しかもそんな君らも患者から見たら僕らと同じくくりになってるのがむかつく。」
 小町坂さんの顔がひきつり過ぎてよくわからない表情になっている。
「それに? 君らが治療すんだろ? 袴姿のアホと便所サンダルのバカと白髪の女。アホらしい。」
 高木さんが入ってない……ただの看護師と見られたのかな……私は逆に白衣をしてるから《お医者さん》に数えられたのかな。それにしても失礼な人だな。不愉快だ。
「おいおい高崎さん。あんまりバカにするなよ?」
 さすがの小町坂さんもヒクヒクしている。
「悪い悪い。でも心配で心配で。僕で医療ミスを起こすなよ? あ、起こしようがないか。だっはっは―――」
 グシャアッ!
 次の瞬間、高崎修一が乗って来たリムジンが潰れた。それはもう見事にペシャンコに。
「―――は?」
 高崎修一が口を開けたままリムジン……だったものを見た。
「な……なななな?」
「オレたちをバカにするってことは……」
 そこで先生が目を閉じながら独り言のように言った。
「間接的にヴァンドロームを『呪文一つでやられてしまうような矮小な存在』って言ってるようなもんですよ。」
「そ……それが……?」
「あなたにとりついているのはBランク。オレたちの会話も理解できます。あんまり怒らせない方がいいですよ。人間を遥かに超える生き物なんですから。」
 先生がかっこいい。珍しいモノを見た気分になっている私の肩を先生が掴んで小声で言った。
「……大丈夫? ことねさん。」
 そう……先生にはわかっている。今のが私の左手、《オートマティスム》の仕業だと。たぶん、私が高崎修一の発言を不快と思ったからだろう。
「すみません……」
 今のが高崎修一相手に行われていたら……確実に目の前の車いすの人は潰れていた。
「いや……スッキリしたし、ある意味成長だよ。」

 先生の言っているのはこういうことだ。
『以前の《オートマティスム》なら確実に高崎修一を殺していた。』
 先生と暮らし始めた最初の一週間、私の左手は事あるごとに先生を殺そうとした。
初めてのことだらけで不安になる私を安心させようと、私の知らない世界を教えてくる先生を排除しようとしたんだろう。先生はそう言っていた。
でも私はこう思っている。今まで誰も手を出せなかったSランクの自分に初めて攻撃をした《お医者さん》。それは脅威以外の何ものでもない。《オートマティスム》は初めて倒される恐怖を感じ、先生を殺そうとした。
 でも先生自身が言うように、そもそもSランクは人間では倒せない。《オートマティスム》もそれを理解したのか、先生を殺そうとするのは止めた。なにより先生がいなくなると私がもっと不安になるということを感じたんだと思う。
 《オートマティスム》は時間が経つにつれて学習していった。私が、何に対して恐怖するのか、何を不安に思うのか。
 初めの頃は……犬に吠えられればその犬は壁に叩きつけられたし、いかにも不良という感じの人は私を見ただけで十メートルは宙に舞った。
 でもそれをすることで私がもっと不安になることを理解した《オートマティスム》は段々と手荒なことをしなくなっていった。やるとしても誰かに危害が及ぶような事はしなくなった。
 リムジンを潰したのはそういう理由だ。

「……見る度に思うけど《オートマティスム》って念力が使えるのかねぇ? 基本的に触れることなく攻撃するよね。」
「そうですね……商店街の福引を当てるくらいですもんね。超能力者かもしれません。」
 私と先生がこそこそ話している間に高崎修一はガクガクブルブルしながら病院に入って行った。
「さ、俺らも行くぞー。」
「うい。」
「はい。」

「は、早く治療してくれ!」
 高崎修一は部屋の真ん中にぽつんと座っている。さっきまでの威勢はどこにいったのやら、今にも泣きそうだ。
 ここは体育館みたいな広い空間だ。ただし床に描いてあるのはコートのラインじゃなくて魔法陣みたいな模様。
「静かに願います、高崎様。いま、先生が準備をしているので。」
 この前会った時とは別人のような高木さんがぴしゃりと言う。先生こと小町坂さんは筆を手にして床にいろいろ書いている。
「先生、あれは何をしているんですか? 前に見た時よりも書く量が多いですけど。」
「オレにはわからないよ。小町坂が日本古来の術式を使うって事以外はさっぱりだね。これもおもしろいことでさ、《お医者さん》の治療法って他人が見てもわからないんだよね。本人以外は。」
 先生はニコニコしながら腕を組む。
「どういう状態が良くてどうなったら都合が悪いのか。聞いたとこで意味不明だしね。ま、当たり前だよね。その《お医者さん》が《お医者さん》として編み出した唯一無二の治療法が多いから……説明しただけで理解出来たら困っちゃうよ。」
 ……それが普通だから……今まで小町坂さんも先生の治療法について聞かなかったのかな? それとも小町坂さんは何か知ってるのかな?『あの人』のことは知ってるみたいだけど。
「うっし、出来た。」
 小町坂さんがそう言った瞬間、床の模様が光り出した。
「これは黒金緊縛式・神牢加羅混弾劉絶結界と言いましてね。対象の―――」
「いいから始めろー!」
「あ、そうですか?」
 小町坂さんがニヤニヤしながら床に手をついた。
「んじゃ縛られたくなかったら俺と武者ぶるいで震えていらっしゃる高崎様以外、陣から出ろよ。」
「おい、小町坂ー。どうして手をつくんだー?」
「これはなー、古くは昔々の平安時代から続く経理宗の不知火影定様がな―――」
「いいから早く!」
 小町坂さんと先生がニヤニヤする。私もクスクスと笑う。
「では―――」
 小町坂さんがぶつぶつ何かを言い始めた。お経のように聞こえるけど……何て言っているのかはわからない。先生を見るけど、先生もさっぱりという感じに両肩をあげた。
 数十秒経った後、小町坂さんがふぅと息を吐く。
「安藤。」
「ん。」
 小町坂さんと入れ替わり、先生が陣(?)の中に入る。そして高崎修一の背中に手を置いた。
「接続。」
 先生が治療をしている間、小町坂さんが隣に来たので先生の治療法について聞いてみた。
「うーん……『あの人』の理論をどうとか聞いたことあるけど……具体的に何をしているかは知らねーな。」
「そうですか……」
「基本的に、《お医者さん》が他人に自分の治療法の詳細を教えるのは弟子だけだしな。ま、見るだけで何してるかわかるような治療をしてる奴もいるけどな。」
 誰かを思い出したのか、ニヤリとする小町坂さん。
「何をしているかはわからない。だが少なくとも……安藤っつー《ヤブ医者》はすごい奴だよ。それだけは信じて良い。」
 それは私も理解しているけど……
「……ん。」
 そんな会話をしていると先生が私たちをちらりと見た。
「出て来るぞ。……高崎さん。」
「は、はい!?」
「……痛いですよ。かなり。」
 そう言った瞬間、高崎修一の背中から何かが飛び出した。正確にはもともといたモノが見えるようになったのだけど。
「ぎゃあああああああああああああああっ!」
 高崎修一の叫びと共に現れたのはもちろん、《トライリバース》。Bランクのヴァンドロームだ。
 五メートルはある巨体。筋骨隆々な身体。だけどそれは上半身だけの話で、下半身はない。例えるならランプから出てきた精霊のような下半身が幽霊的な感じになってる姿だ。黒々とした身体は夜に溶け込めばまったく見えないだろう。唯一違う色をしているのは人間で言うところの頭部に光る逆三角形の形に並んだ三つの赤い目。
『うぬぅ! 折角見つけた美味を……』
 口がどこにあるのかわからないが、その外見とはかけ離れた紳士的な声が響く。
『許さん! 我が拳にて肉塊にしてくれるぞぉっ!』
 空想の中の住人のような姿のそれは部屋を崩壊させんばかりの声で吠えた。
 私は初めて見たBランク……というよりはしゃべるヴァンドロームにびっくりしてその場で動けなくなった。だけどもやっぱり先生と小町坂さんはすぐに身構えた。
 ……何かの武術の構えをしたわけではないけれど。
「折角見つけた美味って……おいおい。お前は男好きなんだろ? いくらでもいるだろうが。」
 小町坂さんがそう言うと《トライリバース》はガハハと笑った。
『バカを言え! 生き物は腐るほどいるがこの我が好む味を持つのは人間でしかあり得なく、そしてまたその人間の中でも極一部。希少なのだ。』
「その味ってのは?」
 今度は先生が尋ねた。
『虚栄心!』
「ああ……」(先生)
「なるほど……」(小町坂さん)
「……」(私)
 三人同時に、痛みで気絶した高崎修一を見た。
『中身が無いのに何かの後ろで踏ん反りかえる。最高だ! こんなに愉快な味は他にない!』
 ……ん? ということは……『元気』の味っていうのはその人の性格とかでも変わるのか。初めて知った。
『やっと見つけた味だ。我は長く味わうつもりだったのでな……あと一年は食べるぞ。故に……』
 《トライリバース》が両腕に力を入れる。筋肉……なのかな。力こぶみたいに盛り上がった両腕を私たちに向けた。
『死ね、人間。』
 ものすごく大きな音が響いた。私は音と共にやってきた飛来物を見てとっさに頭を両手でかばってしゃがんだ。
「……!?」
 私のうしろに飛来物が落ちる。それは変な文字が書いてある石のようなモノだった。数秒見つめて、私はそれが小町坂さんがいろいろ書いていた床の破片だということに気付いた。
 おそるおそる前を見る私。その目に映ったのは……
『……人間にしては良い反応だな……』
 深々と床に突き刺さった《トライリバース》の腕だった。そしてその腕から一メートルもない所に先生が立っていた。
『一般的な人間では反応できない一撃だったのだがな……貴様、ボクシングでもやっているのか?』
「良く知ってるなぁ……ボクシング。」
『それなりの数の人間を食べたのでな。それより我の問いに答えろ人間。』
 先生が攻撃を仕掛けた後での切り離しだから大丈夫……小町坂さんはそんなことを言っていた……今の攻撃ってあんまり余裕でいられない一撃に見えたんだけどな……
「ボクシングか? やってないよ。ただ……」
 先生がポケットに両手をつっこんで言った。
「オレは《お医者さん》だ。」
『ふん!』
 再び放たれる《トライリバース》の拳。私には速すぎて良く見えないのに……
「ほ、よ、うわ、おう!」
 先生は何故か華麗にかわしている。先生の運動能力は……いや、そんなに高くなかった気がするけど……?
 攻撃をかわしながら先生は小町坂さんの方を見る。
「おい小町坂。動き止めろよ。」
「俺がここに書いたのは『食眠』状態のヴァンドロームの拘束術式だ。その後は知らん。今から書くか?」
「いや……いい。もう時間だ。」
『ちょこまかとぉ!』
 《トライリバース》の拳が迫る。それに対して先生はあろうことか片腕をあげ、手を開いた。つまり……拳を受け止めるようなポーズに。
「!? 先生!」
 思わず叫んだ私の方を見て先生はニコリと笑って手をふってくれ―――じゃなくて前!
パン。
「……え?」
 なんだか乾いた音が聞こえたと思ったら、先生が《トライリバース》の拳を本当に受け止めていた。片手で。
『な!? なぜ!?』
「最初に気付かなかった時点でお前の負けなんだ。自分の身体にはもっと気を使えよ?」
 言いながら先生はあまりのことに呆然としている《トライリバース》の腕を引っ張り、その顔と思われる場所を自分の正面に持ってきて―――
「これで治療完了だ。」
 デコピンをした。すると《トライリバース》の巨体が吹っ飛び、グルングルン回転しながら壁に激突した。
『バカ……な……』
 そこで《トライリバース》は灰になった。


「二度と来るかこんなとこ!」
 そんな捨て台詞を残して高崎修一は帰って行った。なんのために切り離しをしたのやら、気絶してしまって意味なく終わった治療のあとは部屋の片づけだ。
「くっそー……これだから高位ランクは嫌なんだ。床が……」
 穴のあいた床を悲しそうに見つめる小町坂さん。口にくわえているキセルからモクモクと煙が出ている。私は壁に寄りかかっている先生に話しかける。
「先生。」
「うん、高崎修一なら大丈夫だよ。ちゃんと治ってるから。」
 高崎修一は治療後も車いすで帰った。進行度がイエローやレッドになるとヴァンドロームを倒してもしばらく症状が残るのだとか。
「えぇっと……そうじゃなくてですね……先生さっき……なんかすごいことしてましたよね。」
「?……ああ。」
 先生はあははと笑ってこう言った。
「違う違う。オレは何もしてないんだよ。したのは《トライリバース》の方。」
「え?」
「切り離す前にオレが攻撃をしかけた……あの時点で勝負は決まってたんだよ。だってあいつの身体に負けるような仕組みを仕掛けたんだからね。」
「???」
「あれを解読すればわかるよ。それまでは秘密だね。」


 オレとことねさんは小町坂のとこをあとにした。相変わらずことねさんはオレの治療法に興味津津だけど……ま、ことねさんならその内自分で答えを見つけるだろう。
 それよりも、実戦を間近で見た今だからこそ教えられることを教えよう。
「ことねさん。」
「あ、はい。」
「歩きながらだけど色々教えるね。」
「! はい、お願いします。」
 ことねさんはメモ帳を取り出す。
「まず、今日の《トライリバース》は饒舌な方だったよ。」
「? 《トライリバース》は無口なんですか?」
「と言うよりはヴァンドロームが、だね。誰だって食事をじゃまされたら怒るよね。自分を怒らせた相手と仲良く会話する奴はめずらしいね。」
「はぁ、なるほど。ホントに性格が色々なんですね。好みも色々ありそうですし。」
「図鑑に載ってる性質を超える個性を持つ奴もいるから……いつでもセオリー通りというわけにはいかないとこが難しいところだね。」
「身体も……ですか? Eランクでもものすごく強いのがいたりとか……」
「いるにはいるけど『Eの中で強い』程度に収まるよ。それを超えたらそれはもはや突然変異。Sランクだね。」
「あ……そうか。今気付きましたけど……Sランクが突然変異ということは全てのSランクに元となったヴァンドロームがいるわけですよね。」
「うん。確かそういうのを研究してる《お医者さん》の意見だと《オートマティスム》は神経に異常を与えるヴァンドロームの突然変異じゃないかって言われてるね。まぁ、正解は本人のみが知るとこだけどね。」
「Sランク……先生は他に何体くらい知ってるんですか? 十数体いるって聞きましたけど。」
「そりゃ……確認されている奴全部だね……」
「え!? すごいですね!」
「いやそんなにすごくないんだよ。ただことねさんが……と言うかことねさんにあげた図鑑に載ってないだけだね。」
「そういえばあれにはSランクって載ってませんでしたね……」
「あれは《お医者さん》の卵のために作られた図鑑だからね……」
「卵だと知るのも禁止なんですか?」
 少しことねさんの顔がふくれる。不満そうな顔が可愛いんだけど……
「ちょっとした事情があってね。ほら、Sランクってさ、おとぎ話に出てくるようなドラゴンとか天使みたいな存在だから……たまにその力を求める人が出るんだよ。なんせ街の一つや二つ、軽く吹き飛ばせる力だからね。」
「なるほど……先生、私は大丈夫ですよ。」
「そりゃことねさんはSランクの患者さんだしね。その力の怖さを知ってるから逆に安心だね。」
「なら他のSランクも教えてください、先生。私……《オートマティスム》のことをもっと知りたいんです。だから……そもそもSランクと呼ばれるヴァンドロームってどんな存在なのかを知っておきたいんです。」
「いいよ。別に教えることは構わないさ。直接会ったことある奴もいるしね。」
「えぇ!?」
「と言っても……三体だけだけど。」
「三体も……」
「一体は《オートマティスム》だけどね。」
「じゃぁあと二体は……」
「一体は……うん、今度ことねさんも会えるよ。『半円卓会議』でね。」
「それってどういう……」
「もう一体は……《イクシード》……」
「《イクシード》……どんな症―――」
 そこでことねさんの言葉が途切れた。オレがことねさんを見るとことねさんは前を指差した。
「またお客さんですかね?」
 前を見るとそこには甜瓜診療所がある。いつの間にか帰って来たようだ。
 そして、扉の前にある数段だけの階段に人が座っていた。

 若い男だ。金髪だが外人ではない。例えるなら……チャラい大学生だろうか。だるそうに座っていたそいつはオレたちに気付き、立ちあがった。
「もしかして患者さんですかね?」
 るるが紹介状を書いた患者さんをオレはまだ全員診察していないからだろう、ことねさんがそう言った。だがオレにはそいつの表情が……診察を受けに来た患者さんには見えなかった。
「んあ。やっと帰って来たか。あんたが安藤享守?」
 ポケットに両手をつっこんだままそいつはたずねてきた。
「……そうですけど。」
 近づきながらオレが答えるとそいつはこう言った。
「ないすちゅーみーちゅー。そんでもって俺に拉致られてくれねぇ?」
 オレとことねさんは呆然となる。なんだって?
「あれ? 女がいるな。そんな情報はなかったんだが……いつの間に弟子をとったんだ? 《ヤブ医者》さんよ。」
「……お前は誰だ……」
 オレがそう聞くとそいつはニヤリと笑った。
「俺は高瀬。んまぁ下っ端さ。」
「何の……?」
「ある組織の。」
 その時、オレの頭にはとある組織の名前が浮かんだ。
「お前まさか!」
「おおぅ!? おっかねー顔だぜ。んま、《お医者さん》なら当然か。」
 高瀬と名乗ったそいつはスタスタと歩き、オレたちの横を通り過ぎる。そのまま十メートルくらい歩いた後、こちらに向き直った。上から見るとちょうど高瀬、オレたち、甜瓜診療所の順で並ぶ感じだ。
「先生? 知り合い……ですか?」
「いや……」
 オレは戸惑う。あれを解読した時に話そうとしていた一つの真実。もっと落ち着いたとこで話したかったんだが……
「んあ? まさかそのお弟子さんは知らないのか。良いぜ、待ってやるよ。教えてやってくれ、俺たちの偉大さをよ。」
「……」
 オレはことねさんを見る。不安そうな表情でこっちを見ることねさん。
「……ことねさん。今から話すことは……《お医者さん》の……裏だ。」
「裏……」
 オレは深呼吸をし、話し始めた。

「ことねさんは火事場の馬鹿力って知ってる?」
「はい……緊急時に普通よりも力が出ることですよね。」
「単純に、科学的な見方で人間を見ると……理論上、人間は岩をも砕くパンチを放てる。でも普通はそんなことできない。なぜなら……その力を出してしまうと身体が壊れてしまうから。求める結果に対して負うリスクが大きすぎる。故にそんなことができないようになっている。」
「はい……」
「人間のそういう機能を見た時、『ある《お医者さん》』は思ったんだ。目的やリスクのために自身の能力を抑えている……そういうのがヴァンドロームにもあるんじゃないかってね。」
「ヴァンドロームに……?」
「ものすごい苦痛を伴う症状を引き起こす奴もいる。あまりの苦しさに暴れ出してしまうような症状を与える奴もいる。でもね、ことねさん……ヴァンドロームはその症状そのものでは相手を絶対に殺さないんだ。」
「絶対……」
「だってそれじゃ目的が達成できないから。『元気』を食べつくして相手を死に追いやるのはともかく、症状そのもので殺してしまったら意味がないからね。」
「そう……ですね……」
「生き物によって耐えうる痛みも違う。ヴァンドロームはそれに対応して引き起こす症状を調節しているはず。なら……あいつらが本気を出したらその症状はどれほど凶悪なモノになるのだろうか。さっき言った『ある《お医者さん》』は……それを実験してしまった。」
「そして成功した!」
 そこで高瀬が大声で叫んだ。
「偉大なる先人は成功した! そして症状の調節を行わない、常にフルパワーの症状を引き起こすようになったそのヴァンドロームを自分にとりつかせた! すごいよなぁ!」
 高瀬のその言葉を聞き、ことねさんは意味が分からないという表情でオレに問いかける。
「何ですかそれ……とりついた相手を症状で殺してしまうようになったヴァンドロームを自分に……? なんのメリットが……」
「ことねさん。サヴァン症候群って知ってる?」
 突然のオレの質問に戸惑いながらもことねさんは答える。
「えっと……自閉症の人とかがなる……ものすごい記憶力を持つっていう……」
「そう……一目見ただけで全てを記憶。一度聞いただけで演奏可能。そういう能力……ことねさんはさ……それ、欲しいと思ったことない?」
 オレの質問にことねさんは少し声のトーンを下げながら答えた。
「……少しは……」
「気にしないでいいよ。オレもだ。でもこの考えは健康だからこそ言えること。その記憶力は脳の異常によって引き起こされた異常。天才と呼ばれるサヴァン症候群の人たちは代わりに何かを失っている。」
 そこまで言ってことねさんが気付いた。ヴァンドロームの……利用方法に。
「そうか……ヴァンドロームは……症状だけを……引き起こす……!」
「そうなんだよ。さすがに記憶力が上がるなんて言う嬉しい症状を引き起こす奴はいない。基本的に嫌な症状だよ。でもね、その出力を最大まで上げて、上手く利用すれば……それは一つの特殊能力なんだよ。ヴァンドロームは突然変異すると異常な力を持つ。それはつまり全てのヴァンドロームにそういう力の元があるってことなんだ。」
「それがつまり……制限をなくすってことですか……症状の。」
「最大出力の症状は……もちろん身体に負担をかけるけど……そのリスクを上回る能力になる。それを発見した『ある《お医者さん》』は……その力を利用することを提案した。」
「しかし!」
 またも高瀬が口をはさむ。
「《お医者さん》の世界はそれを否定した! んま、無理もないよな。《お医者さん》の仕事はヴァンドロームの退治だ。それがヴァンドロームを強くしてしまうアイデアに賛同するわけがない。だから! 偉大な先人は《お医者さん》の世界から離れ、独自の組織を作った!」
「それが……さっき言ってた……」
「《パンデミッカー》。それが組織の名前だよ。」

「解説御苦労さまっす!」
 高瀬が拍手をしながらそう言った。
「改めまして、俺は《パンデミッカー》の高瀬船一。上の人たちからあんたを連れてこいと言われたんだ、安藤先生?」
 オレは一歩前に出てことねさんを後ろにかばう感じの位置に移動する。
「何故だ。そもそもお前たちはとっくの昔に……」
「そう、壊滅した。だけどな、俺らには目的があった。生き残った数人で見事復活を遂げたのさ! まぁ俺はその新生(パンデミッカー)からのメンバーだけどな。」
「目的……?」
 ことねさんの呟きにオレはぼそりと答える。
「選民思想だね……」
 オレの答えに首をかしげることねさん。詳しくはまた今度ということにして……
「それで……何でオレを?」
「俺が聞きたいくらいだ。上の人たちが教えてくれねーんだ。ただあんたを最重要人物って言ってよー。あんた何ものなんだ? 《ヤブ医者》ってことしか知らねーんだわ。」
 オレを求める理由。……原因はあの人か……
「さぁ……オレもわからないな。」
「あっそ。まいいや。とりあえず俺に拉致られてくれれば。」
「あいにく、オレには診察待ちの患者さんがいてね。残念だけど要望には応えられない。」
「いいよ。力づくでやるから。」
 オレは後ろのことねさんに話しかける。
「気をつけて。あいつもたぶん……何かの症状を最大出力で使ってくる。」
「は、はぁ……」
 改めて高瀬を見る。高瀬はポケットにいれていた両手を外に出す。その片方の手に何かが握られている。あれは……
「こより……ですね……」
 ことねさんが後ろで呟いた。
 こより。細い紙をより合わせて一本の紐にしたものだ。丈夫なものなら冊子をとじるときなんかに使うが……高瀬が持っているのはティッシュの切れはし程度のモノ。なら、その使い道はただ一つ。
「ぅん……」
 高瀬は手にしたこよりを鼻の穴に突っ込んだ。
「先生……あれって……くしゃみを出させる時なんかに使うやつですよね……?」
 そう。くしゃみを外的要因によって故意に引き起こすための道具。
「ふぁ……」
 案の定、高瀬はくしゃみをする直前の独特な息使いになる。
「ふぁ……ふぁ……」
 だんだんと身体をのけ反らせていく高瀬。そして―――

「ぶぁっくしょいっ!」

 次の瞬間、まるで巨人の張り手をくらったかのようにオレとことねさんは後ろに吹き飛ばされた。鍵をかけていた診療所の入り口の扉に二人とも激突する。幸い扉についているガラスを割るようなことはなかったが―――
「いたた……なんですか今の……?」
 ことねさんが頭を抑えながら身体を起こす。オレもその隣で起きあがる。
「……こういうことだよ……症状の最大出力っていうのは……」
「え……今のが……?」
「その通りだ!」
 遠くの方で高瀬が叫んだ。
「俺にとりついているのは《ゴッドブレス》。症状はずばり『くしゃみ』だ!」
 《ゴッドブレス》。Eランクのヴァンドローム。とりつかれるととにかくくしゃみが止まらなくなる。
「知ってるか? くしゃみの風速ってのは時速三百キロ以上あんだぜ? 風速八十メートル強! 竜巻にすら匹敵するその威力……リミッター解除すりゃこの通りってわけだ。」
「リミッター解除……随分かっこいい名前をつけたな……」
 オレはのっそりと立ち上がった。……さっきこいつが場所を移動したのは……あのくしゃみでオレたちを叩きつける壁が欲しかったからか……周到だな。戦い慣れている。
「でも《ゴッドブレス》がついてるなら……わざわざこよりを使う必要なんかない気がするけどな……」
「リミッター解除したくしゃみが止まらなくなるんだぞ? 身体がもたねーっつーの。《パンデミッカー》にはな、ヴァンドロームのとりつき、切り離しのオン・オフを自在にコントロールできる技術があんだよ! こよりでくしゃみの準備をして、くしゃみする瞬間だけとりつかせる。そんな感じだ。」
 ……《ゴッドブレス》といえど、四六時中くしゃみがでるわけじゃない。ある時は止まらなくなり、ある時は大丈夫。そんな周期の繰り返しだ。とりつかせただけじゃくしゃみのタイミングを決められない。故にこよりを引き金にしてると……なるほど。
「あんたら《お医者さん》はヴァンドロームに対して強いだけだ。人間相手じゃただの一般人。無力な存在さ。おとなしくついてこいよ。」
 高瀬がこよりを再び鼻に突っ込む。
「まぬけな顔で何言ってんだか!」
 そう言ってオレは鍵を開けて診療所の中に入った。
「ぇえっ!? 先生!?」
 あれは今、オレの部屋ではなく、この前みたいなときのために診察室にある!
「ただいま!」
 ざっと十秒ぐらいで目的のモノをとって帰って来たオレはことねさんの横に立つ。
「戦うよ、ことねさん。」
「……そのバットでですか?」
 オレが持ってきた金属バットを見てことねさんは半目で呟いた。
「こよりでのくしゃみ発動には幾分かのタイムラグがあるから……勝機はあるよ。バカみたいなくしゃみ以外は普通の人だしね。」
「突然言われましても……私『戦う』なんて今までしたことないですし……」
「大丈夫。ことねさんはここから何かをポイポイ投げててくれれば。」
「ふぁ……」
 高瀬が発射態勢に入った。
「とりあえずことねさんは物陰に。さすがに建物を崩壊させるようなくしゃみは撃てないと思うから。」
「先生は……?」
「走る。」
 オレは右手を右脚に、左手を左脚にそれぞれふとももあたりに置く。
「……明日は筋肉痛だね。」

 先生はしゃがみこんでぶつぶつ言っている。私は言われた通りに診療所の中に避難する。
 でも走るってどういうことだろう。先生の運動能力は……人並みだ。ヘタすれば私以下だ。随分前にスーパーのバーゲンセールのために二人して走ったことがあったけど……私がお店に着いた時、先生は遥か後方にいた。便所サンダルのせいかもだけど。
 そもそも何でこんなことに? いきなり戦いって……ポイポイ投げるって……
 《パンデミッカー》という人たちがいる。それは納得した。きっと《お医者さん》にとっては天敵みたいな……そんな存在なんだろう。
 でもどうしてそんな人が先生を? 確かにすごい治療法を持ってるけど……別にヴァンドロームをとりつかせている訳でもないし。
 私は左手を見た。ここには確かに《オートマティスム》っていうヴァンドロームがいる。だけどあの高瀬って人は先生が目的らしい。
 なんだか突然の展開に私はついて行けていないみたいだ。とりあえず先生に言われたように投げるものを探し、受付においてあるペン立てを掴んだ。
「ふぁ……ふぁ……」
 再びのけ反る高瀬の身体。ペンを何本か持って身構える私。
「ぶぁっくしょ―――」
 高瀬の口から風速うん十メートルっていう速度の風が放たれるその瞬間。本当に一瞬のことだけど、私はその時確かに見た。
 先生が私の視界から消えるのを。
「―――いっ!」
 ゴォッ!
 吹き付ける一瞬の突風。診療所の入り口の扉がすごい勢いで開き、中に風が吹き荒れた。物陰で目をつぶって耐えた私は風が止むと同時に外を見た。
 正面には少し離れているけど高瀬が立っている。先生は……
「くぅらえっ!」
 上空にいた。バットをふりかざしながら。
 その高さはざっと十メートル以上。あんな高さから落ちたらひとたまりもない。いやいや……そもそもどうやってあの高さに!?
「はいぃっ!?」
 さすがの高瀬も驚きを隠せないようだった。上を見てあんぐりしている。だけどすぐに表情を戻す。
「なにしたか知らねーが! 上からの奇襲なら俺がくしゃみをする前に攻撃できるとふんだか? だとしたら甘いぜ!」
 すばやくポケットに手を突っ込み、そこから小さな瓶みたいなものを取り出した。あれには見覚えがある。台所に行けば大抵どの家庭にもあるそれの名前は―――
「こしょう!?」
 先生が目を見開くと同時に高瀬がこしょうの容器のふたを開け、それを鼻に近付けて思い切り吸い込んだ。
「うぇあっくしょん!」
 かなりの高度から落下してきたはずの先生はくしゃみの突風であっけなく吹き飛ばされる。上空でクルクルと回転しながら落ちてきた先生は診療所の手前あたりにきれいに着地した。
 なんだこりゃ。私の知ってる先生はどこに……
「まだ終わらねーっくしょい!」
 着地した先生の方に身体を向けると同時に高瀬がくしゃみをする。再び突風が吹く。だけど風が私のとこに来るころには先生はすでにその場にいない。
「あぁっくしょん! へっくしょん! ばっくしょん!」
 こしょうを吸ったせいか、くしゃみを連発する高瀬。連続で吹き荒れる突風。診療所の前に竜巻が発生したのかと思うほどの光景の中、先生は便所サンダルで走り回っていた。……とんでもないスピードで。
私は……ペンを手にしたまま呆然としていた。
「……っつ……」
 十数発のくしゃみをしたあたりで高瀬が腰を抑えた。高瀬が言うところの『リミッター解除したくしゃみ』を連発したからだろう。
 そもそも、普通のくしゃみでもその威力が実はすさまじいっていうのはさっき高瀬が言ったように事実だ。くしゃみでぎっくり腰になる人もいるって……お父さんが言っていた。その理由も。

 『くしゃみ程の力を生みだすとはどういうことなのか。人間が生み出す力とはすなわち筋肉に起因するモノだ。くしゃみみたいな強風を生む筋肉といったらそれは人間の筋肉の中でもトップクラスのサイズを持つ筋肉、つまり太ももだ。太ももの筋肉の瞬間的な収縮で生み出される力。でも、身体の筋肉が固まった状態でくしゃみをしてしまうと太ももだけに収まらず、他の筋肉も巻き込むことになる。それが大胸筋。太ももの筋肉と大胸筋が互いに引っ張り合うと……その被害を一番受けるのは、その中間にある腰。だから腰にダメージが行くことになる。』とのこと。

 でもあんな強烈なくしゃみなら筋肉が固まっていようとなかろうと関係ない。腰にダメージが行くのは当然だ。
「スキありだ!」
 バカみたいなスピードで先生が高瀬の背後に回り込んだ。
「《ゴッドブレス》使いなら弱点は腰! 手加減するから安心しろよ!」
 そう言ってバットを高瀬の腰に向けてスイングした先生。だけど―――
 ガキィンッ!
 人間を金属バットで叩いた時に出る音ではない音が響いた。
「硬い……!?」
 先生の驚きに対し、高瀬は笑って答えた。
「弱点が腰なんてことは理解してるさ! そこを弱点のままにしとくアホはいないよな!」
 言いながら高瀬は服をまくる。そこには金属質のヨロイのような、プロテクターのような、なんとも言えないモノがあり、腰の部分を覆っていた。
「つか、あのくしゃみを普通に発射してたら一、二発で腰が壊れるっつーの。内部にサスペンションやエアクッションを仕込んだ特注品だぜ?」
 高瀬はすばやく後ろを向き、先生の足をはらう。先生はその場に倒れた。
「その高速移動……上の人が連れて来いって言うからには普通じゃないんだろうと思ってたが……なるほどな。」
 腰につけたプロテクターのようなモノの一部を引き抜く。シャリンという音と共に出たのは包丁ほどの長さの刃を持つナイフ。
「! 先生!」
「無傷でとは言われてねーんでな!」
 振り下ろされたナイフは先生の脚へ向かう。思わず目を閉じた私は直後に聞こえるであろう先生の叫びに対して耳をふさごうとした。でも先生の声は聞こえなくて、代わりに高瀬の声がした。
「……すげぇな……」
 私はおそるおそる目を開いて先生を見る。ナイフは確かに先生の右脚を貫き、地面に先生を縫い付けている。血も出ている。でも先生の表情は……別に痛そうなそれではなかった。
「義足……じゃねぇもんな。血ぃ出てんし。結構痛いはずなんだけどな。ただ単に我慢強いだけか?」
「さてな。……この後はどういう予定なんだ?」
「じきに仲間が来るんでな。それまで待つさ。」

 私はそこですごい恐怖を覚えた。
 このままだと先生は連れて行かれてしまう。たぶん、そうなったら私は先生に二度と会えない。
 そしたら……私の治療はどうなってしまうんだろうか。先生がいなくなったことを良い事に《オートマティスム》が手加減なしに力を揮うようになったりしたら? 私はいつか知らぬ間に人を殺してしまうかもしれない。
 それに、私は《お医者さん》になりたい。先生がいなくなったら……誰に教わればいいんだ? 小町坂さんのとこ? でももしそこで《オートマティスム》が暴れたら……? 私は……

「……違う……」
『何が?』
 どこからか声が聞こえた。いつか聞いたことのあるような……声だ。
「先生は……そういうのじゃなくて……」
『安藤享守は溝川ことねの?』
「先生……同居人……」
『そして?』
 なんて言うのが適切なのかわからない。でもたぶんこういう感じの存在だ。
「……友達……!」

「わぁぁあああっ!」
 私は持っていたペンを捨てて走り出した。高瀬と地面に倒れている先生が私を見る。
「ことねさん!?」
「んあ? 師匠想いのいいお弟子さんだな。」
 高瀬はこしょうの容器を鼻に近付ける。
「上の人からの指令にはお前の存在はなかった。だから何をしたっていいわけ。」
 容器のふたをあける。
「つーことで邪魔ものは排除。今度はさっきよりも派手に壁にぶつけてやんぜ!」
 高瀬の頭が後ろに引く。それと同時に私は左手を前に出す。
「ぶぇっくしょん!」
 普通なら、私はその一発で後ろに飛んで行っただろう。でも―――
「!?」
 風は私の手前……正確には左手の前で消えた。
「……!」
 一瞬驚いた顔になった高瀬は続けて数発のくしゃみをする。でもその全てが私の前でなかったことにされていく。原理はわからない。もしかしたら原理なんてないのかもしれない。風は、とても不条理に消されていった。
 《オートマティスム》の手によって。
「んなっ!?」
 高瀬の目の前に来た私。そこまで来て具体的に何をするか考えていなかったことに気付いた私だったけど、私の左手は勝手に動いた。
 硬く握られた左の拳は鋭い軌道を描いて高瀬のお腹に食い込む。そこで終わるかと思いきや、左手はさらに力を入れ、そのまま高瀬を殴り飛ばした。
 数メートル飛んで行った高瀬はゴロゴロ転がって止まり、ぴくりともしなくなった。
「……ありゃ鳩尾だね。気絶したんだろうね。」
 私の足元で先生が呟いた。
「先生!」
 私は先生の横にしゃがみこむ。先生は何食わぬ顔でナイフを脚から抜いた。
「大丈夫なんですか!? 病院に……」
「大丈夫。治ったからね。」
「何言って……」
 すると先生は普通に立ちあがった。血ももう止まっているみたいだ。
「……先生って本当に人間ですか?」
「……一応人間だよ。それよりも……」
 先生は私の左手を手に取った。
「……素人が『殴る』なんて行為をすると関節とか痛むんだけどね……さすが《オートマティスム》。」
「あ、はい。全然痛くないです。」
「それは良かった。けどあんな無茶はできるだけしないでね。オレがひやひやするから。」
「そう言われましても……全然よくないはずの先生があんなんでこんなんですし……」
「あはは。次は頑張るよ。」
 本当はすぐにでも先生の超人的な動きの種明かしをして欲しかったけど、たぶんこれも先生の治療法に関係のあることなんだろう。私は聞かないことにした。
「……どうしますか? あの人。」
 私は離れた所で倒れている高瀬を指差す。
「とりあえず縄で縛っておくかね……」

「いえ、それには及びません。」

 先生の言葉に答えたのは私ではない。高瀬の声でもない。
「自分が回収しますので。」
 どこから聞こえるのかわからない謎の声。先生と一緒にキョロキョロしていると突然倒れている高瀬の横に人が現れた。
 真っ白な男の人だった。スーツなのだけどそれは真っ白で、ネクタイも白で、靴も白で、肌も白い。そして私みたいに髪の毛も白い。唯一別の色があるのが瞳の黒色だけというぐらいに真っ白なその人は「どっこいしょー」と言いながら高瀬を軽々と肩に担いだ。
「もう少し早足で来れば良かったですね。ああかゆい。これをやったのは……あなた? それともあなた?……かゆい……」
 何故だかわからないけれど、あいてる片手で背中やら腕やらをポリポリとかいているその人は私と先生を交互に見る。先生は一歩前に出て答えた。
「どっちでもいいさ。あんたは?」
「自分はカール。カール・ゲープハルト。日本語上手でしょう?」
「流暢だな。あんたも《パンデミッカー》か。」
「ええ。この高瀬よりは上の地位にいます。ですからあなたのことは存じておりますよ。」
 にっこりと笑うカールという人はパチンと指を鳴らした。するとだんだん、カールと担がれている高瀬の姿が透けてきた。
「またお迎えに……かゆい……あがりますよ。」
 なんだかかっこ悪い言葉と共に、ついにカールの姿は見えなくなった。まるで透明人間にでもなったかのように。
「先生……これも……?」
「何かの症状だね。見えないなんて……厄介な『症状』だ。」
 先生はくるりと向き直り、診療所を見る。
「きっと……中は風でごちゃごちゃだね。片付けるよ、ことねさん。」
「はい……」
 私はトコトコとついていく。そして……カールの言った言葉の意味を考えていた。先生を迎えにくる理由を。


翌日。先生は布団から出て来なかった。というか出れなかった。
「筋肉痛だね。」
 昨日、なかなかに散らかった診療所の中を片付けてふぅと先生が椅子に座った瞬間、『あんぎゃぁあああ!』と叫んで倒れた。両脚に激痛が走ったとか。なんとか自分の部屋にホフク前進して布団に入りこんだのが昨日の夕方。それから先生は布団から動かなくなったのだ。
 今、私は先生の真横に正座している。
「……」
 なんとなく先生の脚にデコピンをしてみる。
「うぎゃぁあああっ!?」
「痛そうですね。」
「ことねさんは鬼だったんだね!」
「デコピンで痛いなんてずいぶん不思議な筋肉痛ですけど、元気そうでなによりです。」
「うん、まぁ……でも病気じゃないからね。心配しないで。ただの……ものすごく痛い筋肉痛だよ。」
 先生は動けない。私はまだ一人で診察できる身じゃないし……やることがなくて困る。
「先生、私は何をしていればいいんでしょうか?」
「暇なオレの話し相手はどう?」
「それじゃ……ちょうどいいのでいろいろ聞きたいことがあります。」
「オレの治療法?」
「いいえ。自力であれを解読しますからいいです。」
「偉いね。さすがことねさん。すると何が聞きたいの?」
「《パンデミッカー》についてもっと詳しく知りたいです。」
 私がそう言うとちょっと複雑そうな顔になる先生。
「うーん……そうだね……オレを狙ってるみたいだしね。よし、何でも聞いて。」
「先生は……昨日、《パンデミッカー》という組織は昔に壊滅したって言ってましたけど。」
「うん。あの組織は二十年ぐらい前に壊滅してる。」
「先生がまだ五歳の時ですね。」
「いやいやことねさん……いくらオレでもその頃は《お医者さん》を知らなかったよ? その言い方だとまるでオレが生まれた時から《お医者さん》みたいだよ?」
「そうですか? まぁ、私の中では先生は先生以外の何ものでもないので。なんとなく。」
「……まぁいいけど。」
「それで……壊滅したのにどうして復活したんでしょうか。それとなんで先生を?」
「壊滅って言っても……例えばメンバー全員が死にましたってわけじゃないしね。中心だった人がやられただけで……当時下っ端だった人が復活させたのかもね。オレを狙う理由はオレの治療法のせいだろうね。《パンデミッカー》もその性質上、《お医者さん》の知識が必要になるからね。二十年前も有名な《お医者さん》が何人か連れてかれたよ。」
「先生のは……そうですね、やっぱりすごい技術ですもんね。」
 ……ということは先生からもらったあの研究書はあっちに渡しちゃいけないモノになるのかな。大切に保管しないと。
「あとは……そうだ、選民思想って何ですか?」
「ああ……《パンデミッカー》の存在理由だね。」
 先生は少し考えたのち、説明をはじめた。
「ことねさんはユダヤ教って知ってる?」
「名前は聞いたことありますけどその内容は知りません。」
「えぇっとね、ユダヤ教はユダヤ人という存在を神様と契約を結ぶためにいる特別な存在だって考えてる宗教なんだ。んまぁ……キリスト教でも実はそんな考えがあったりもするんだけど。」
「つまりイタイ人ってことですか?」
「ことねさん……毒舌だね。」
「?」
「イタイ人って表現するとなんか悪いイメージだけど……アボリショニストとかもいるし。」
「アホ……?」
「アボリショニスト。昔、奴隷制度を廃止せよって主張してた人たちだね。アホじゃないよ?」
「その人たちが?」
「この人たちは外から見れば素晴らしい人たちだけど、本人たちは『奴隷に自由を与えるために神様に選ばれたのだ!』って思ってたって話だよ。」
「イタイですね。」
「……そうだね。とにかく選民思想ってのはそういう『アイアム選ばれし者』って考えのことだね。」
「えっ、《パンデミッカー》ってそんな人の集まりなんですか!?」
「そうだよ。ヴァンドローム教って言ってもいいかもね。」
「嫌な宗教ですね……」
「全てはSランクのせいなんだけどね。」
「Sランクの?」
「あいつらって凄すぎでしょ? 時代が時代なら神様として崇められるレベルだよね。」
「ああ……つまりヴァンドロームは神様ですよと?」
「そんな感じ。《パンデミッカー》はSランクを神様、それより下を天使みたいに考えてる。ヴァンドロームにとりつかれたということは神様に選ばれたということだと。」
「何をする人に選ばれたと考えているんですか?」
「最高神の復活。」
「先生、漫画の読み過ぎですよ。」
「いやいやことねさん、オレが言ったわけじゃないよ!?」
「じゃあ最高神ってなんですか。」
「オレも見たことあるわけじゃないんだけどね、あいつらが言うには……一体、封印されてるSランクがいるんだと。」
「先生、小説の読み過ぎですよ。」
「いやいやことねさん、オレが言ったわけじゃないよ!?」
「封印って……どういうことですか……」
「その昔、誕生してしまったとあるSランクヴァンドローム。そいつを昔のすご(お医者さん)が封印したんだって。」
「Sランクは危険ですからね……でもどうしてそいつを復活させようと? そのSランクが何か特別だったんですかね。」
「別に特別でもなんでもないんだ。でも……そいつの『症状』を《パンデミッカー》的思想で見るとまさに神様。選ばれた人間以外を一掃できる力なんだよ。」
「先生、映画の見過ぎですよ。」
「いやいやことねさん、オレが言ったわけじゃないよ!?」
「その『症状』っていうのは……?」
「『ウィルス感染』……あいつらはそう言ってた。たぶん新種で強力なウィルスなんだろうね。封印が解かれたなら、そのウィルスは世界へ超速で広まる……つまりパンデミックが起きるわけだね。」
パンデミック。広範囲に及ぶ集団感染。要するに流行のことだ。その規模でエンデミック、エピデミック、パンデミックの三段階にわけられる。ざっくりと言うなら地域レベル、国内レベル、複数の国レベルだ。過去に起きたパンデミックとしてはインフルエンザや結核なんかが挙げられる。
「すごい話ですけど……確かめてはいないんですよね?」
「うん。あいつらがそう言ってるだけ。そんなSランクがいたという記録もないよ。でも実際にあいつらは行動を起こしてるから対応しないわけにはいかないよね。」
「具体的には何を?」
「『元気』の収集。封印を解くには莫大な量の『元気』が要るんだとか。それでヴァンドロームを故意にとりつかせて『元気』食べさせ、お腹一杯になったそのヴァンドロームからまた『元気』吸い取る……そんな感じらしい。」
「! それじゃ……最近患者さんが多いのは……」
「うん。《パンデミッカー》の仕業の可能性が大だね。」
 なんて迷惑な集団なんだろうか。でもそれだとヴァンドロームを飼ってることになるのかな? あ、でもとりつかせる・切り離すのオン・オフが出来るとか言ってたし……《お医者さん》よりもヴァンドロームに関しては研究しているのかもしれない。倒そうとして研究するのと利用しようとして研究するのとではやり方もだいぶ違うだろうし。
「となると……この(ファンシフル)から出てきた謎の物体は《パンデミッカー》の?」
「たぶんね。でもあんなの見たことないからなぁ……《パンデミッカー》の新技術かもね。」
 ここまでで《パンデミッカー》のことはだいぶ教えてもらった。また疑問を感じたら聞くとして、あと聞きたいことはなんだろう?
「……あ。」
 その時私の目に入ったのは金属バット。先生の部屋の壁に立てかけてある、昨日先生が武器にしてたあれだ。《ファンシフル》の時に私はそのバットによくわからない言葉が書いてあるのを見た。
「先生。」
「ん?」
「そのバットですけ―――」

「すーみーまーせーん。」

 私がバットを指差そうとした瞬間、外の方から声が聞こえた。
「あれま。患者さんかな?」
 先生がそう言ったので私は立ちあがって玄関の方に向かう。
 だれもいない受付の前に中学生がいた。なんでそうわかったかというと近くの中学の制服を来ていたからだ。
「あ、誰か来たぜ。」
「よかったぁ。」
 中学生が……二人。男の子と女の子。
「えぇっと……」
 いつも先生が聞いていることを聞く。
「白樺病院からの紹介ですか?」
「あ、はい。そうです。」
 男の子の方が肩からさげてるカバンから封筒を取り出した。と言うことは患者さんはこっちの男の子かな。
「そちらの女の子は付き添いですか?」
「いえ。」
 そう言うと今度は女の子も封筒を取り出したのだった。
「その……私たちは……えっと……」
 説明しにくそうな表情。これは『症状』を説明しようとする患者さんのそれだ。
「ちょっと待って下さいね。」
 とりあえず私は先生を呼びに行く。
 部屋に戻ると先生が起きあがっていた。
「患者さん?」
「はい……その、二人。」
「ふむ……男の子の声がしたけど……」
「はい。男女二人の患者さんです。」
「女の子二人に男の子一人か。うん、大丈夫そうだね。」
「?」
「二人を呼んで……オレを診察室に運んでくれないかな……?」

 何だこの人という表情の二人と私は先生を布団から出し、なんとか診察室のベットに座らせた。二人は先生の部屋を見てから不安が消えないようだ。まぁ、ごちゃごちゃしてるしなぁ。
「いやーごめんね。脚が動かなくてね。」
「はぁ……」
「そうですか……」
 うわぁ、二人とも心配そうだ。
「とりあえず紹介状を拝見。」
 先生は二人から紹介状を受け取り、中を見て少し驚いた。
「るるのくせにきちんと書いてる……!?」
 私も覗いてみる。そこにはきちんとした……カルテみたいのが書いてあった。そこに書いてあることをじっくりと読んだあと、先生は頷く。
「……ああ……なるほどね。」
 納得した先生は二人にとんでもないことを言った。
「最近は中学生ぐらいでもキスするんだね。」
 私がビックリして先生にチョップでも入れた方がいいのかと考えていると二人は私以上にビックリしていた。別の意味で。
「どうして……わかったんですか?」
 なんか二人の顔が赤くなった。まさか図星なのか?
「そういう『症状』だからね。」
「どういうことよ……」
 女の子の方がいぶかしげに聞いた。
「この紹介状によるとね、二人は付き合い始めてからしばらくした時、互いの顔が常に視界に映るという『症状』になったとあるんだ。」
 言いながら私を見る先生。私はその『症状』を聞いてそういうヴァンドロームを思い出す。
「……《ハスティアンドスローゴーイング》ですか……」
 図鑑を見た時「名前長っ!」と思わず突っ込んでしまったヴァンドロームだ。最初に見つけた人が単純ながらも的を射た名前をつけたのだ。
 直訳は「せっかち&気長」。
「確かえぇっと……男女のカップルにとりつくっていう変な奴ですよね。二人が一緒の時には何もないけど二人が離れた時に男なら女の、女なら男の顔が視界の隅っこに常に映り続けるっていう怖い『症状』……『視界占有』を引き起こす……」
「目的はその男女を早くくっつけること……正確に言うなら早く性行為をさせて子供を作らせること。子供が女性の体内に誕生する過程に手を加えることでその子供を自分専用の『元気』補給機にするという……せっかちで気長な計画の実行者だね。」
「え……えっ? なんの話なんすか? 子供……?」
「こいつが持つカップルの定義はキスをする間柄というモノだからね……キスをすることが原因と言えば原因だね。」
 二人の困惑顔をよそに先生は「怖い怖い。」と呟く。
「まぁまぁ、二人とも座って。きちんと説明しますから。二人が知らなかった世界をね。」

 先生がいつもの説明を始めたので私は《ハスティアンドスローゴーイング》のことを考える。
 複数をターゲットにするヴァンドローム。実は結構いたりする。友情、愛情、恋愛。さらには嫉妬、嫌悪。複数の人間がいて初めて生まれる感情を利用するヴァンドローム。
 本当にいろいろな種類がいる。図鑑が作られはしたけどそれも数年後には更新されるだろう。未発見のヴァンドロームもたくさんいるはずだ。《ハスティアンドスローゴーイング》のように対象を複数とるヴァンドロームが初めて発見された時、《お医者さん》の世界は大いに混乱したとか。でもすぐにそれに対応する治療法を持つ《お医者さん》が登場して、普通におさまったらしい。
 新種の出現は良くあることだけど、それの治療法が簡単に出てくるというのもよくあることなのだとか。つまりはそれだけ《お医者さん》が個性あふれる治療法を行っているということだ。

「はい。それじゃ後ろを向いてくれるかな。」

 先生が治療を始める。二人の背中にそれぞれ手を置いて目を閉じる先生。
 ……治療法。私も《お医者さん》を目指すのだから私だけの治療法を考えないといけない。先生のあれを解読すれば……もしかしたら先生の治療法を教えてもらえるかもしれないけど……ちょっと考えておかないとなぁ……
 《お医者さん》とヴァンドロームの戦いの歴史は長い。小町坂さんの術が平安時代から伝わるものであることからも明らかだ。
 世界にたくさんある……いわゆるオカルト的なモノ。魔術、悪魔召喚、生贄……今では誰も見向きもしないそれらを昔の人たちは熱心に研究していた。その理由はヴァンドロームを倒さなければならなかったからだ。
 この世界に確かにいるのだけれどこの世界の生き物としてはあまりに規格外の彼らを倒すにはそれなりの方法が必要だった。だから生まれたのが魔術とか呼ばれる学問。つまり、あれはインチキでもなんでもない……極めて真面目な戦闘方法なのだ。
 ならオカルト好きがあっちこっちで術を発動させそうなものだけど、それは滅多にない。西洋の魔法も東洋の術も、その対象はヴァンドローム。その場にヴァンドロームがいないと発動しないし、そもそも術者がその術の目的を理解していないのに発動するわけはない。
 《お医者さん》の一般的な治療法はそういった先人の遺産の使用、応用だ。先生の話によると、西洋東洋問わず、術と呼ばれる治療法を使用している《お医者さん》は全体の八割を占めるらしい。その八割が個人個人に術を解釈、応用するのでさまざまな方法が生まれるのだとか。
 残りの二割は、例えば《医者》の医術で治療したり、兵器を用いたりというパターン。そしてその二割の中からさらに厳選された……あまりにバカバカしく、けれど確かに効果がある……そんなおかしな治療法を実践する《お医者さん》……それが《ヤブ医者》だ。
 先生は《ヤブ医者》をただ単に変な治療法を行う人みたいに言っているけどそうではない。私は小町坂さんから《ヤブ医者》という存在のすごさを聞いたことがある。
《ヤブ医者》はずば抜けた技術の持ち主か、それとも単純に強い人なのかというので分類されるそうだ。
ずば抜けた技術というのはつまり天才的なひらめきと脅威的な才能の下に生まれる結果。誰もマネできない奇跡の治療法。先生はこっち側にあたる。
そして、単純に強い人というのは……別にヴァンドロームが相手でなくてもその強さを発揮できる人ということだ。ヴァンドロームを倒す時に誰もが一度は考える治療法。武器を持つなり、武道を身につけるなりで自分を強くして戦うという選択肢。単純な話、術なんかに頼らなくても《お医者さん》自身が強ければ問題ないという考えだ。
でもそれを実践する人はほとんどいない。なぜなら、あんな恐ろしい能力を持った生き物と戦うなんて無謀だからだ。だけど、それを無謀とは考えず、実行し、治療を完遂してしまう《お医者さん》が確かにいる。
生き物として強いということは、治療の相性なんてないということに等しい。どんなヴァンドロームだろうと叩きつぶせるなら……それはつまり万能な治療法だ。だから、そういう人は《ヤブ医者》と呼ばれる。

「はい、治療完了。」
「え……ホントですか?」

 治療が終わったらしい。疑いの表情で男の子の方が部屋から出てみる。つまり女の子から離れたわけだ。
「! ホントだ! 視界が元に戻ってる!」
「私も!」
 二人は大喜びだ。
「ことねさん、お会計をお願いね。」
 私が受付の方に移動すると二人がついてきた。
 私はおもちゃみたいなレジスターを操作する。
「治療費はこれです。」
「え……思ったより安いっすね。」
 私はいつも言っている言葉を口にする。
「悪徳霊媒師ではありませんからね。保険もききますし。」


 《ハスティアンドスローゴーイング》の件の後、もう一人紹介状をもらった患者さんを治療して、私たちは診療所を閉めた。理由は―――
「さて、こっから長いよー。」
 《ヤブ医者》と《医者》のトップが集まる会議、『半円卓会議』に行くためだ。
 今、私と先生は空港にいる。私は家から持ってきたスーツケースをゴロゴロさせながら、先生は運動部の人が使いそうな大きなカバンを肩にかけながら目的のゲートに向かっている。
先生はこんなとこでも白衣なのでさっき私たちは警備の人に呼びとめられた。すると先生はなにか名札のような物を警備の人に見せた。その警備の人にはそれが何かわからなかったようだけど、あとから来たたぶん、警備の偉い人がそれを見た途端、先生にヘコヘコしてスンナリ通してくれた。
「先生……実はどこかのお偉いさんなんですか?」
「ことねさん、オレがそんなすごい人に見える?」
「少なくとも《お医者さん》としては充分すごいですけど。」
「ははは。さっき見せたのはこれだよ。」
 先生は胸ポケットからさっきのモノを取り出して見せてくれた。先生の顔写真が載っている以外はよく分からない。何か書いてあるのだけど全部英語なのだ。いや、もしかしたら英語ですらないかもしれない。
「《ヤブ医者》の証明書みたいなモンだね。『半円卓会議』の時はこれを見せれば大抵の事は許してもらえる。《ヤブ医者》は普通なら持ってこないようなモノを持ってきたりするからね……何かと騒ぎになりやすいからって偉い人たちが発行したんだ。」
「偉い人たち?」
「国連とかだね。」
 私はまじまじと先生を見る。
「……暗殺とかされないで下さいね……」
「……映画の見過ぎだよ、ことねさん。」

 私たちはゲートの前に到着した。飛行機が出るにはまだ時間があるので私と先生は近くの椅子に座る。私は初めての海外なので『初めての英会話』という本を開く。
「おお。ことねさんは勉強熱心だね。」
「先生は英語しゃべれるんですか?」
「いや。しゃべれないよ。」
 驚きの事実だ。てっきりしゃべれるのだと思っていた。
「……先生、『半円卓会議』に行くのは何回目ですか?」
「これで三回目だね。」
「今までどうやって乗り切ってきたんですか!? あっちで!」
「外国人の友達が日本語しゃべれるんだよ。そいつに通訳してもらってた。」
「先生……ダメな人ですね。というか友達って?」
「《ヤブ医者》だね。オレを除けば二十七人。その内の三人とは親しいんだよ。」
 そう言った直後、先生の表情が暗くなった。
「……あいつは友達なのかな……」
 誰のことなのか、あっちに着けばすぐにわかる。先生の知り合いというと小町坂さんと藤木さんしか知らないからなんか楽しみだ。

 突然だが静脈血栓塞栓症というモノがある。長時間同じ姿勢でいつづけると血の流れが滞って静脈に血の塊が生じる疾患だ。その血の塊が血流に乗って肺の動脈につまると肺の中にある呼吸する時に働いてくれている器官に血液が行かなくなって呼吸困難に至るのだ。
 俗にこれはエコノミークラス症候群と呼ばれている。まぁ、別にエコノミーでなくても同じ姿勢であれば起こるので何クラスでも関係ないのだけど、エコノミークラスで起こりやすいというのは確かだ。
 『半円卓会議』が開かれるイングランドまではざっと九時間のフライト。私は初めての海外と同時に初めての飛行機だったのでそんなことを心配していた。
 なまじ、《医者》を目指していたし、お父さんが《医者》だからそういうのには敏感な私は飛行機に搭乗可能になったとき、一気に不安になった。
「先生……」
「うん?」
「九時間って……結構危ないですよね……」
「ロングフライト血栓症を気にしてるんだね?」
「ああ、そうも言うんですね。はい……まぁ。」
「たまに伸びをすればいいよ。脚を伸ばしてうんとね。」
「でもエコノミークラスって狭いんですよね?」
「確かにエコノミークラスは狭いけど……オレたちはそっちじゃないよ?」
「え?」
 先生が搭乗口に立っている人にチケットを見せる。すると係の人はこんなことを言った。
「ファーストクラスは入ってすぐの階段を上って下さい。」
 ファーストクラス!?
「どうも。」
 先生がスタスタと行ってしまうので私は驚いたままついていく。言われた通り階段を上ってたどり着いた場所は……なんかすごかった。それぞれの席がまるで個室のようになっているのだ。
「ことねさん、ここだよ。」
 私と先生の席は二席で一つの個室みたいな感じの席だった。スマートなデザインのテーブルみたいのがついてたり、大きなテレビ画面がついてたりしている。
「ことねさん、窓側をどうぞー。」
 先生が促すので私は窓側に座る。ものすごくフカフカのシートだった。脚を伸ばすスペースも充分ある。これならエコノミークラス症候群にはならなそう……
「先生!」
「な、なに? 通路側が良かった?」
「違いますよ! 何ですかファーストクラスって!」
「飛行機で一番リッチな座席……」
「そうじゃなくてですね!」
「……いつも貧乏な甜瓜診療所のどこにこんなお金がってことかな?」
「そうです!」
 私の質問に先生はあははと笑う。
「ことねさん。それを疑問に思うのならまず聞くべきは「どこから飛行機に乗るお金が?」ってことだと思うよ?」
 あ……言われてみればそうだ。そもそも飛行機に乗るお金を出せるほどの余裕は甜瓜診療所には無い。つまり……
「……旅費が出るんですね。」
「その通り。《お医者さん》は上下を決めにくいから「上の人」みたいな存在はいないよ。でも『半円卓会議』の司会が《ヤブ医者》に旅費を出してくれるんだ。全ての《ヤブ医者》に最高級の交通手段と最高級の宿泊先をね。」
「司会?」
「うん。そいつは《ヤブ医者》ではないしそもそも《お医者さん》でもない。だけど《医者》でもないっていう特殊な奴でね。んま、司会としては最適な奴だよ。」
「会議に来る人全員に旅費を……? お金持ちですね。」
「全員じゃないよ。《ヤブ医者》だけ。『《医者》は金持ってんだから自腹でこい阿呆。』とのことだよ。それにお金は持ってないよ、あいつ。お金なんか必要ないからね。持っているのは圧倒的な権力だよ。」
「何ですかその人。」
「あはは。その突っ込みは適切じゃないね。」
「?」
 その後は答えてくれなかった。行けばわかるから驚きはその時までお預けと言われてしまった。
「さっき宿泊先って言いましたけど、それも高級なホテルとかですか?」
「たぶんね。」
「……同室ですか?」
 別に一緒でも私は構わないけれど一応聞いてみた。
「基本的にね。一人の《ヤブ医者》が何十人も弟子を連れてくるなんてことはないし。一室二~三人の部屋だと思うよ。」
 そう言って先生は真面目な顔で言った。
「大丈夫だよ、ことねさん。ことねさんのお風呂とか着替えを覗こうものならオレは宇宙の彼方までその左手に殴り飛ばされるから……」

 飛行機が離陸準備に入った。エンジンの音が聞こえる。
「ことねさんは乗り物酔いしやすい?」
「いいえ。……飛行機って酔うんですか?」
「飛んでる時は別に何ともないけど離陸、着陸の時は気持ち悪くなりやすいかな。ジェットコースターで一番上から落ちる時の感覚に似てるね。内臓が浮く感じ。」
「先生もジェットコースターなんか乗るんですね。」
「ことねさんの中だとオレはどういう人間なんだ……?」
「先生ですね。」
「……そうですか。」
 先生が何やら暗い顔になった。だけどなったかと思ったらすぐにいつもの明るさに戻った。
「そういえばイングランドはイギリスの一部で、ことねさんの好きなジグソーパズルの発祥もイギリスだったよね?」
「そうなんですよ。だからちょっとお土産も―――」
 そこまで言って気付く。そういえば私たちは貧乏だ。
「ああ、お金は気にしなくていいよ。」
「でも先生……」
「そうじゃなくて、それも出してくれるから。というか……たぶん何でも手に入るね。」
「……司会の人がお土産代もくれるんですか?」
「いや、司会が出すのは旅費だけだよ。でも……」
 先生が何やら楽しそうな顔をした。
「ふっふっふ。これもお楽しみってことで。」
「先生、あっちでのお楽しみが多すぎですよ……」


 九時間。機内でやってる映画をみたり本を読んだり先生としゃべったり寝たりでやっと到着した。気温が日本より低いから私は上着を羽織った。先生は白衣のままだ。寒くないのかな。
 慣れない英語で入国審査をパスして私と先生は空港のロビーに立つ。
「ここからはどうするんですか?」
「ここで待つ。あっちが見つけてくれるからね。」
「あっち?」
 私と先生がだいぶ目立ちながらボーっと立っていると、ニコニコ笑うどこかのセールスマンみたいな人が話しかけてきた。
「安藤享守様ですね?」
 日本語だ。
「あ、そうです。」
「どうぞこちらへ。」
 ……たぶん、司会の人が用意したのだろう。案内人のような人を。
「至れり尽くせりですね。」
「ホントにね。」
 セールスマンみたいな人についていくと空港の出入り口に着いた。そして、そこに……リムジンが停まっていた。またリムジンか。最近よく見るなぁ。
「……これだけでも《ヤブ医者》を目指す理由になりますよね……」
「リムジンに乗る? んまぁ……そうだね。でも―――」
 リムジンに乗り込みながら先生はぼそりと言った。
「そういうまともな目的を持てる人は《ヤブ医者》にはなれないよ……」

 日本とは趣が違う街並み。すてきな装飾が目立つ建物が多い。そして、当たり前だけど道行く人はみんな外国人だ。
 どうも真っ先にその会議が行われる場所に行くようだ。ホテルに行くのはその後だ。私も先生もそんなに大荷物ではないから別にいいのだけど。
 私が窓にへばりついて外を眺めている横で、先生は先ほどのセールスマンみたいな人からもらった資料に目を通していた。
「やっぱりね……」
「どうしたんですか?」
 私がたずねると先生は資料をひらひらさせながら答えた。
「これ、会議の議題がなんとなく書いてあるんだけど……」
「なんとなくですか……」
「こういう資料を作るプロではない人が作ってるからね……ま、毎回議題は増えたり減ったりだからいいんだけどね。」
「それで……何が?」
「うん、やっぱり患者さんの増加が議題にあがってる。《パンデミッカー》については書いてないけどたぶんそれも来るだろうね。」
「そうですか……」
 なんとなく旅行気分になっていた私は大事な会議のために来たことを自分に言い聞かせる。
「あ、そういえば言ってなかったけど。」
「はい?」
「《医者》に気をつけてね。」
「……会議に来る《医者》ですか?」
「そう。《お医者さん》は《ヤブ医者》が出席者だからあんまないんだけど、《医者》は結構な頻度で出席者がかわるんだ。《医者》の世界は……いや、どこもそうだけどトップ争いが絶えないからね。毎年、『半円卓会議』に初参加って感じの《医者》がいる。そして……そういう人は大抵、『半円卓会議』に出席を求められることで初めて《お医者さん》を知る。」
「え、今まで知らなかった人ってことですか? そんな人が来て大丈夫なんですか?」
「あんまり大丈夫ではないけどね。《医者》側の決まりだから。んでね、そういう初心者さんは大抵―――」
「つまりあれですね。この前の高崎修一みたいな感じだと。」
「そういうこと。なんか悪口を言うかもだから……」
「私は大丈夫ですよ。」
「いや、大丈夫じゃないのはその《医者》の方だよ……」
 私は一瞬考えて先生が言わんとしていることを理解した。つまり左手が動くかもってことだ。この前みたいに。
「……頑張ります。」
「うん。」

 空港から二~三時間。私たちは目的地に到着した。
 オシャレな建物だった。ただの四角い塊ではなく、たぶんどこかのデザイナーさんがデザインしたのだろうと思うような、曲線がきれいな建物だ。
 リムジンが駐車場に入った時、そこで私はすごい物を見た。
「先生……リムジンがずらりと……」
「この建物の近所に住んでるっていう《ヤブ医者》はいないだろうからね。全部で二十八台停まることになるね。」
 すでに十台ほど停まって……あれ?
「先生、なんで……リムジンはこっち側に?」
 リムジンから降りた私は駐車場を眺めながらそうたずねた。駐車場は真ん中に道があって、左右に駐車スペース(片側で三十台分ぐらいかな?)があるのだけれど、なぜかリムジンは片方によっているのだ。そしてリムジンが停まっている側にはリムジンしかなく、たぶん《医者》が乗ってきたのであろう普通の車(とは言っても高級車だけど)はリムジンの向かい側に並んでいる。
 つまり《ヤブ医者》側と《医者》側にわかれているのだ。
「リムジンの方が縦長だからですか?」
「そういう理由もあるかもだけど……主な理由ではないだろうね。」
「主な理由?」
「そもそも、この会議がなんで『半円卓会議』と呼ばれているのかだよ、ことねさん。」
「……?」
 『半円卓会議』。いかにも《お医者さん》が好きそうなおもしろい名前だなぁと私は思っていた。先生はおもしろい人だし、小町坂さんも陽気な人だ。それに私たちがいる甜瓜診療所を建てたという先生の先生も面白い人に違いない。甜瓜の意味を前に調べたことがあるのだけど、これは私たちが普段使っている言葉で言うところのメロンのことだ。
 だけど、よく考えたら《医者》も来るんだから……面白いからという理由ではないのか。
「円卓っていうのはね、上座と下座がないからそこに座る人全員が対等で自由な発言をすることができるっていう意味がこめられているテーブルなんだ。かの有名なペンドラゴンさんの十二人の騎士が集まった円卓が始まりとされている。」
 ペンドラゴンさん? 誰だろう。
「《お医者さん》と《医者》が互いに対等な立場で話しあいをしようってことで円卓を使って会議を始めたんだけどね……歴史上、最初の会議で《ヤブ医者》の一人が『こんな自分の命をかけずに他人を救うような臆病者と対等!? ふざけるな!』って言って円卓を真っ二つにしてしまったんだ。それ以来、会議場のテーブルは半円が二つという奇妙なモノになった。片方の半円に《ヤブ医者》、もう片方に《医者》ってな感じでね。」
「……《お医者さん》と《医者》はそんなに仲良くないんですね。」
「あっちからするとインチキ霊媒師にしか見えないんだろうね。頭では理解しててもプライドが許さないんだと思うよ。」

 先生についていきながら建物に入った。入口を通るとまず最初に目に入ってきたのはホテルのロビーみたいな場所だ。豪華なシャンデリアがキラキラとしている。
 そして……入口から見て左右にソファーやテーブルがあるのだけど、右側にスーツの人。左側に……おかしな服の人というふうにわかれていた。
「右が《医者》、左が《お医者さん》ですね……」
「その通り。」
 先生が《お医者さん》側に歩いていくので私もそっちに行く。
 二十人ほどの人がいたが……《ヤブ医者》とその弟子の見分けはすぐについた。服装が奇抜な人が多いのだ。それになにより……オーラが違う。
 ずば抜けた天才か、人間として強いのか。中には武術の達人もいるのだろう。私はドキドキしてその人たちを見ていた。
「ん、友達がいるよ。」
 先生の友達。さっそく一人目か。先生の歩いていく方を見るとやっぱりおかしなモノが目に入ってきた。なんと、西洋の甲冑があるのだ。その傍では、なにやらリモコンみたいなものをいじっている人がいる。先生を遥かに超えるボサボサ頭で牛乳ビンの底みたいなぐるぐるメガネをかけている。リモコンから察するにあの甲冑はラジコンかなにかなのかな?
「さすが先生の友達ですね……」
「? 何がさすがなの?」
 先生はメガネの人の傍に来ると片手をあげてあいさつする。
「よう、一年ぶり。」
 先生は……うん、確かにあいさつした。だけどメガネの人はこっちを見もしない。まさか人違いってことはないだろうし……
 私は先生の方をちらりと見る。そこで私は違和感を覚えた。メガネの人が返事をしないのも変だけど……先生も変だ。そもそも目線がメガネの人に向いていないのだ。その目線だと見ているものは西洋の甲冑になるのだけど……
『ヒサシブリ。』
 突然声がした。妙にくぐもった声。男か女かもわからないその声が発せられたのは……
『アイカワラズ……トオモッタケドソウデモナイノカナ。』
 西洋の甲冑がしゃべっている。とても当たり前のように先生の方に身体を向けて。
「○△×□◇☆!?」
「ことねさん、なんだか文字にできない叫びをあげたね……」
 先生がクスクス笑いながら私を見た。私は何か先生に言おうとしたけれど―――
『オット、ビックリサセチャッタネ。』
 今度は私の目の前でメガネの人がパッと消えた。
「○△×□◇☆◎▽×⇔!?」
「ことねさん、落ち着いて。」
 先生が私の背中をポンポンと叩く。
「そうか、ことねさんはさっきのメガネの人がオレの友達と思ったんだね。あれはこいつが映してた立体映像だよ。」
「立体……!? でもそんな……まるでそこに人がいるみたいに……!?」
「こいつの科学力を世間一般のモノとは思っちゃダメだよ。時代を数百年先駆けているって言われてるから。」
『ホウ。コノコガウワサノエイリアンハンドダネ。ハジメマシテ、ゥワァタシノナマエハスッテン・コロリンデス。』
「すってんころりん……?」
『ノーノー。スッテン・コロリン。』
「……先生……」
 私は先生に助けを求める。
「オレも最初そう思ったけどね。でもほら、日本語ではこういう意味だけどとある国ではこういう意味っていう言葉あるでしょ。そんな感じに思っていいよ。別にすってんころりんを名前にしたわけじゃないよ。たまたま。」
「そんなバカな……」
『アッハッハ。ヨノナカハフシギデミチテイルノダヨ。キミハイマコンナコトモアルンダナァトイウタイケンヲシタ。ダイジナコトダヨ。』
 きっと文章で表したら全部カタカナ表記になるだろう独特の声でスッテン・コロリンさんはそう言った。
「で、でも……なんで立体映像なんか……」
『ドウモコノカッコウデタッテイルトオキモノトマチガエラレテシマッテネ。トキドキハコバレソウニナルンダ。ダカラソバニヒトヲウツシテイルノダヨ。』
「そもそもそんな格好でいなければいいんじゃ……」
「ことねさん。こいつの甲冑はね、ただの甲冑じゃないんだ。中には超ハイテク技術が詰まってるんだよ。空も飛べるし深海にだって行ける。さらに宇宙空間でも活動可能な特別な……甲冑なんだよ。」
「なんでまた甲冑なんですか……」
『アッハッハ。オモシロイダロウ? コウゲキヲウケタクナイカラキンゾクノイタヲキテシマオウトイウコノタンジュンカツダイタンナアイデア! ムカシノヒトノイダイサヲワスレナイタメニゥワァタシハコノスガタナノダヨ。』
 変な人だなぁ……
『ソレデキョーマ、ソノアシハドウシタンダ?』
 それを聞いて私はかなり驚いた。実は先生にはまだ筋肉痛が残っているのだ。とは言っても歩けないほどではなく、日常的にはなんの支障もない。ジャンプとかすると脚が痛いってくらいだ。
 歩き方も普段通り、立ち方もなんらおかしくない。だというのにこの人はそれに気付いたのだ。
「さすがだな。わかるのか?」
『クウコウカラココマデアルイテキタワケハナイシナ、チュウシャジョウカラココマデノホコウキョリヲカンガエテモソノキンニクノオンドハオカシイ。』
「温度って……わかるんですか?」
『キョーマノモトニイルトアマリフレルキカイガナイカモシレナイガ、サーモグラフィートイウシロモノガアル。ソレノカンドヲスウセンバイニシタモノガゥワァタシノカッチュウニクミコマレテイルノダヨ。』
 すごいなぁ……筋肉の温度と来たか。だてに《ヤブ医者》の称号を手にしてはいないということなのかな。
 私が目の前の甲冑に感心していると先生は周りをキョロキョロと見ながらたずねた。
「スッテン、アルバートとファムはまだか?」
 スッテン!? すごい呼び方だ。
『アルバートハモウキテイルヨ。ジュップンマエクライニランニングイッテクルッテイッテハシッテイッタヨ。ジュッキロハシルッテイッテタカラソロソロカエッテクルカナ。』
「え……?」
 私はふと考えて今の発言がおかしいことに気付いた。
「十分前に十キロ走って来るって言って……そろそろ帰って来るってなると、その人は時速六十キロで走ることになりますよ。」
 短距離走の世界チャンピオンだって四十キロには達しない。六十キロって……
「それくらいは余裕だよ、アルバートなら。」
「どういう……」
 その時、入口に三人の……なんだか暑苦しい人たちがやってきた。
 その内の二人は筋肉ムキムキ。いかにも『鍛えてます。』という感じの人たちだ。二人ともタンクトップに短パン。たくましい筋肉が汗で光っている。
 そしてもう一人……二人の前に立っている人は……いや、あれは『人』なのかな?
 今にも破れそうなシャツを着て、今にも破れそうなジーパンをはいている。そしてその上に今にも破れそうな白衣を羽織っている。なぜ全部今にも破れそうなのかというと……パンパンだからだ。服の下からその存在を存分にアピールしているのは……あれは筋肉なのかな? まるでとってつけたような……漫画みたいな筋肉だ。二人と違ってこっちは汗をかいていない。
 身長はだいたい二メートルくらい。だけどその盛り上がった筋肉のせいでその二倍ぐらいの大きさという印象を受ける。
「……先生、入口に化け物が……」
「ことねさんって結構毒舌だよね。」
 入口の化け物は二人のムキムキさんの肩をバンバンと叩いてガハハと笑った。
「なんだなんだ、汗なんかかいて!」
 スッテンさんの言葉を信じるならあの化け物は時速六十キロで十分走ったというのに……汗一つかいていないということになる。
「先生……あの人も友達ですか。」
「アルバート・ユルゲン。見てわかるだろうけど……ヴァンドロームを力でねじ伏せる《ヤブ医者》だね。」
 化け物……アルバートさんが先生に気付いてこちらに来る。その体格から想像していたよりも優しそうな顔をしている。スキンヘッドというわけでもなく、短髪でさっぱりとしているし……顔だけ切り取れば普通の人だ。顔だけ切り取れば。
「おお! 安藤! 相変わらず細いなぁ! 漢たるもの、求めるべきは力だぞ!」
 細い……というより先生は平均的だ。中肉中背とは先生のような体格を言うのだろう。
「オレはいいよ、筋肉は。」
「何をバカなことを! 文明の発達していないころ、漢は狩りに行き、女・子供は家で待っていた! 狩りに必要なモノはなんだ!? 猛獣と戦うのに必要なモノは!? そう、力だ! 筋肉だ! 剣や槍を持った兵士に必要なモノは!? 武器を持ち、鎧を身につけてなお動けるだけの筋肉だ! 戦争は全て漢の舞台だった。相手が猛獣だろうと人間だろうと、手にする武器が石の斧だろうとマシンガンだろうと、必要なモノは共通! 筋肉だ! 歴史が、いや世界が言っているのだぞ、安藤。漢は力を手に入れろと! 筋肉を身につけろと!」
 うわぁ……筋肉バカというのはこういう人を言うんだろうか。
「ワシは男に生まれた。ならば真の漢を目指すのは当然のことだ。より強く、もっと強く、さらに強く! ふん! むん!」
 なんだか知らないけど突然ポージングを始めたアルバートさんを見ながら私はたずねた。
「……先生、この人は具体的にどれくらい強いんでしょうか。」
「……人類最強かな……」
「そうですか……」
 だがしかし、本人はおかしなことを言った。
「ガッハッハ! 人類最強、それは『人の形を留めるなら』という条件での話だぞ!」
 アルバートさんは一応、自分は人の形を留めていると思っているようだ。
「この条件を省いた時、ワシ以上に強い奴が《ヤブ医者》にはいる。安藤、お主ものその一人だぞ?」
「あはは……」
 先生が苦笑いをした。人の形を留めない? 先生が?
「ところで安藤よ、その脚はどうしたんだ?」
「!」
 私はまたも驚く。この人も先生の筋肉痛を見抜いた!
「ちょっとな。なんでわかった?」
「お主の筋肉量でそういう脚の開き方、身体の傾きで『立つ』という行為をした時の最適な重心の位置と今のお主の位置がズレている。人間の身体がなんの力もいれずにいるのに最適な位置で停止しないなんてことはない。人体は神の傑作品だぞ?」
 私にはなんのことを言っているのかわからないけど……とにかくこの人もすごいということがわかった。だてに筋肉筋肉叫んでいない。
「そういえばアルバート、プロテインは飲まなくていいのか?」
 プロテイン……聞いたことあるなぁ。なんだっけ。
「プロテインは運動の後に飲むものだぞ、安藤。」
「? 今、走ってきたんだろう?」
「あんなもの運動に入らん。」
『キントレスルニンゲンガノムトイウアレダナ? キンニクシュウフクニツカウタンパクシツダッタカ。ジュッキロノランニングハジュウブンナウンドウデハナイノカ?』
 しかも時速六十キロ……
「準備運動にもならんわ。」
 おそろしい化け物……人だなぁ。

「相変わらず素晴らしい身体ねぇ、アルバート。」

 すごくきれいな声が聞こえた。声の方を見た私は正直、ドキッとしてしまった。
 絶世の美女というのはこういう人のことを言うのだろう……そんな女性がこちらに歩いてくる。
 床につくかつかないかというくらいに長いブロンドは一見、手入れをしていないようでいて、よく見るとキラキラ光るくらいに輝いている。
 身にまとった赤いドレスはその女性の美しさを際立たせ、その姿を目に焼き付けてくる。
 そして整った顔に光る綺麗な青い瞳がこちらに向けられるだけで、心拍数は上昇する。
「先生……美女がこっちに……」
「オレの友達だよ。」
 うぇっ!? あれが最後の一人……先生の友達!?
「享守とスッテンも相変わらずね。」
『アイカワラズッテ……ゥワァタシノスガタハカワリヨウガナイゾ。』
「一年じゃそんなに変わらないさ。」
 二人があははと笑いながら答えたのに対し、その美女はあきれ顔になる。
「はぁ……甘いわね。一年もあれば肉体は相当老化するものよ? 肌で言うのなら享守、あなたは一年で十三回も生まれ変わっているのよ?」
 美女は自分の肌をさすりながらそんなことを言った。やっぱり、これほどの美人さんになるとお肌のケアとかに力を入れるんだろうか。
「ところで……」
 美女の視線が私に向いた。
「あなた、お名前は?」
「えっ……私は……溝川ことねです……」
「……女の子よね?」
「……はい。」
 女の子かどうかを尋ねられたのは初めてだ……なんて思っていると美女は私の腕を掴み、肌を指でススーッとなぞった。
「十七歳ね。」
 年齢を当てられた。まさか肌を触っただけで!?
「きちんと栄養は取っているの? 折角の白い肌がもったいないわよ?」
「ご飯は……ちゃんと食べてますけど……」
 栄養のバランスとなると悪いかもしれないけど……
「そっちの栄養じゃないわ。肌の栄養よ。」
「肌……?」
「いけないわね。今の内からキチンとしておかないとすぐにダメになるのよ? 女として生まれたのなら美しさは保つべきよ?」
「はぁ……」
 そこで先生がクスクスと笑いながら美女の紹介を始めた。
「ふふ、この人はファム・ヘロディア。アルバートが筋肉を求めるのに対してこっちは美しさを求めているわけだね。」
「享守……当たり前のことをさも珍しいことみたいに言わないでよ……」
 美女……ファムさんは両手を広げ、演説をするかのように語りだす。
「男どもが汗水流して働くのに対して女は家でひたすらに家事。そんな歴史がずっと続いているわ。世の中に名の知れた偉人は大抵男。発明家でも王様でもほとんどが男。なら女は何が出来るのかという話よ。」
 ファムさんは両手を広げたままスタスタと歩いていく。だんだんと声量も大きくなる。
「もちろん、一つの集団において重要なポジションに女が皆無とは言わないわ。男がほとんどの世界に女がいることもある。でもそれは間違い。男がせっせと働けば辿りつける場所に、女が同じ道を辿ることで到達してなんの意味があるの? 男と女は違うのよ。男と同じ道を行って、男がいる地位になったから成功なんてありえない。それはただの逃げなのよ。女は女にしかできないことをするべきだわ!」
 くるりとこちらを向くファムさん。その顔は真剣そのもの。
「歴史をひも解きなさい。女らしく生き、女として名をはせた人物がたくさん出てくるわ。男どもが大変な道を行かないと辿りつけない場所に一瞬で辿りつく。女にしかできない、女しか持っていない武器を最大限使った彼女たちはこう呼ばれているわ。」
 ファムさんがビシッと先生を指差す。先生はヤレヤレという感じに肩をすくめながら答えた。
「傾国の美女。」
「正解。その美しさだけで国をも動かした女。そう、女だけが持つ武器は美しさ! 男の欲情をひっかきまわす女の美貌。唯一男を超えることのできる武器なのだからそれを極めるのは当然よ!」
 そこでファムさんは私の両肩を掴み、ドキッとする笑顔でこう言った。
「だから美しくなりなさい? アルビノもアドバンテージよ?」
 アルビノ。先天的にメラニンという色素が欠乏する遺伝子疾患のことだ。アルビノになると……平たく言えば身体の色が白くなる。
 たぶん私の髪の毛なんかを見てそう思ったんだろうけど……
「……先生……」
 私がちょっと困った顔で先生を見ると、先生はにっこり笑って言ってくれた。
「ファム、ことねさんはアルビノではないんだよ。いろいろと事情があるんだ。」
「あらそう。もしかしてあんまり触れられてほしくないことだったかしら? ごめんなさい。でも美しくなりなさいね。」
 ……なんだろう、さっきのアルバートさんの筋肉演説と似た物を感じた。この調子だとスッテンさんも『カガクトハ!』みたいに演説を始めそうだ。
「それで……享守? 会議の後……いいかしら?」
 私は衝撃を覚えた。絶世の美女、ファムさんがほっぺを赤くして、もじもじしながら先生にそう言ったのだ!
「……というかダメって言ってもやるんだろう……」
 先生!? なんですかその余裕の返しは!?
「まぁ、そうだけどね。一年でこの日が一番楽しみな日なのよ、わたくしにはね。できればこれを毎日にしたいんだけど。」
「またその話か。オレはそっちに行くつもりはないよ。」
「つれないわねぇ……」
 私はあまりの衝撃に頭がパンクしそうだ。あの先生に恋愛的な話が出てくるなんて! いつも便所サンダルのあの先生に!
「……ことねさん、何だかおもしろい顔になってるよ?」
「先生……ファムさんとは……遠距離恋愛でもしてるんですか……?」
 先生が答える前にファムさんが答えた。
「そうねぇ……わたくしが夫を持つとしたら享守以外はありえないわね。」
「! 先生! プロポーズされましたよ!?」
「えぇっとね……ことねさんは一つ大きな勘違いをしているんだよ。」
「勘違い……?」
 先生は困ったように笑いながらファムさんの肩にポンと片手を置いてこんなことを言った。

「ことねさんにはファムが何歳に見える?」

 ……どういうことだろう。何歳? しわ一つ無い肌にキラキラの髪の毛。十代ってことはないだろうけど……三十ってこともないだろうし……二十代ってところだろうか?
「先生と同い年くらいですか?」
「うん、そう見えるよね。」
 そして先生はとんでもないこと言った。
「でも実年齢は今年で七十八歳なんだな、これが。オレより半世紀ほど人生の先輩なんだよ。」
「……何言ってるんですか?」
 私はさすがに理解できなかった。この絶世の美女が七十八歳? そんなバカな。七十八って言ったらおばあさんだ。ファムさんにはお姉さんという呼び方がふさわしい。だけどファムさんは先生の暴言をまるで気にせずに笑った。
「ふふふ、嬉しいわね。わたくしが二十代に見えるのね?」
「え……違うんですか?」
「享守の言う通り、わたくしは七十八歳よ。」
「???」
 なんだなんだ? ファムさんは初対面の私にドッキリを仕掛けるようなお茶目さんなのか?
「うん……なかなか理解できないよね。オレも初めて会った時はさ、こんな美女と知り合いになれるとは《ヤブ医者》になってよかったなぁ! なんて思ったもんだけどね……」
 先生が横目でファムさんを見るとファムさんもクスクス笑う。
「初めて会った時、享守はわたくしと握手した瞬間にこう言ったのよ……『まるで時間が止まっているようですね。』って。」
「時間が止まる?」
「ファムはねぇ、ことねさん。二十代の頃から自分の美しさの向上と維持に力を注ぐようになってね……健康的な身体の維持のための運動、筋肉トレーニング、ありとあらゆるエステ、サプリメントを実行しているんだ。それでも生じるシワやらなんやらは整形という手段を用いて……とにかく二十代の姿を保ち続けているんだよ。」
「そんな……ありえませんよ……」
「そうだね。まず莫大な費用が要るしね。でもファムは良いとこのお嬢様だから、お金には困らなかった。さらに《お医者さん》……主に《ヤブ医者》が持つ特殊な技術の応用、しまいにはヴァンドロームの力まで使って……今に至るんだ。」
「まぁそれでも、享守の技術に勝るものはないけれどね。」
 ……超ハイテクの西洋甲冑を身に付けた人。化け物じみた筋肉の持ち主。実はおばあさんな絶世の美女。
「……先生の友達はすごい人が多いですね……」
「そうだね。」
『サテサテ。ゥワァタシタチノショウカイガオワッタトコロデ、ソロソロソッチモショウカイシテクレナイカ? キョーマ。ミゾカワコトネダッタカナ?』
「そうだぞ、安藤。そのちっこい奴は何だ? 弟子か?」
「弟子!? 享守の技術を常に受けられる立場! うらやましいわ!」
 三人の《ヤブ医者》が私を見る。すごい迫力だ……
 というか先生の技術ってなんだ? ファムさんがうらやましがるようなことが先生にはできるということなのか?
「おい!」
 私があまりの迫力に縮こまっているとどこかイライラした声がした。
「まったく、《お医者さん》はだまって待つこともできないのか?」
 反対側のソファーに座っているスーツの人、つまり《医者》の人が不機嫌そうな顔でこっちを見ている。
「ガキじゃあるまいし……非常識な連中だ。」
 結構若い人だ。《医者》側はそれぞれの分野のトップが集まるという話だから、あの若さでそれだけの地位についているということになる。すごい人なのかもしれない。
「そうね。こっちに対してそちらは静かだものね。」
 ファムさんが腕を組んでどこか挑発するような言い方で答える。
「でも……各分野のトップが集まっておきながら情報交換の一つもしないなんて……医学界の先が思いやられるわねぇ?」
「なにぃ?」
 うわ……喧嘩が始まりそうな空気だ……
「見ない顔ねぇ……またどこかのトップが変わったってことかしら? しょっちゅう上が変わるっていうのも……ねぇ?」
「なんだと? インチキくさい連中が良く言うなぁ!」
「あ。」
 《医者》の人がそう言った瞬間、先生が声を上げた。
「どうかしたんですか?」
「うん……まぁ……あの《医者》、きっと今回が初めてなんだね、この会議。言ってはいけないことを言ってしまったなぁと思ってね。」
「なんだそれは?」
 その言葉を聞いた《医者》の視線が先生に映る。
「まさか、《ヤブ医者》がそろって私をリンチにでもするのか?」
「そうしたいと思っている人もいるだろうけど……そうじゃない。」
 先生は頭をポリポリとかくと横を指差しながらこう言った。

「あいつが怒るよってことだ。」

 先生の指差した方向。《医者》側でも《お医者さん》側でもなく、入口でもない。その指が指す方向はこのロビーの正面にある大きな階段だった。
「え……」
 私は思わず声を漏らす。階段には何かがいた。
 泥の塊とでも言えばいいのだろうか。それともヘドロだろうか。高さ一メートルくらいになるその謎の液体の塊、言うなればスライムのようなものが、それでいて生物のように階段でウネウネと動いている。
 表面には何本もの生々しい管がはっていて、血液が流れる血管のように脈打っている。それに加えてデキモノのような、寄生虫のような物体が管にまぎれてあちこちにくっついている。
 そして最も強烈なインパクトを与えるのは眼だ。得体のしれない管やらなんやらがくっついているドロドロした身体の一部、決して左右対称の位置とは言えない微妙な場所に、パックリと開いてしまった切り傷のように、痛々しく開かれた場所。そこには無数の小さな眼球が敷き詰められていて、その全ての瞳がこちらを見ている。
 私たち人間が嫌悪感を抱くモノ全てを凝縮したようなその気持ち悪い物体は、ネチャネチャと音を立てながら階段を降りてくる。
「せ……先生……」
 私は思わず先生の白衣の袖を握った。聞くまでもない。あんな生き物がいるとしたらそれはヴァンドローム以外あり得ない。しかも、基本的にその姿を隠しながら行動するヴァンドロームにおいて、堂々と姿を見せて歩いてくる点から相当な上位ランクのヴァンドロームだとわかる。
「あいつがね、お楽しみの内の一つだよ。」
「えっ?」
「前に言ったよね、この会議でことねさんはオレが出会ったことのある三体のSランクの内の一体に会えるって。」
「! まさか……」
「そして、この会議の司会についても教えたね。《医者》でも《お医者さん》でもない。さらに、ことねさんの『何ですかその人。』っていうツッコミに対してオレは不適切だと言った。その答えがあいつなんだよ。」
 ゆっくりと、全員の視線を受けて階段を降りてきたその生き物を見ながら先生が言った。

「『半円卓会議』の司会にしてSランクのヴァンドローム。その名も《デアウルス》。」

 《デアウルス》と紹介されたその生き物は、切り傷みたいな目を細めながらドロドロしたお化けみたいな声で答えた。
『悪の親玉みたいな紹介をしてくれるなよ、安藤。』
 人語をしゃべるだけで脅威なのに、先生は慣れた感じで会話をする。
「でも実際(お医者さん)のトップみたいなもんだろう?」
『吾のことを知っておる《お医者さん》はわずかというのにか? 仮に言うなれば《ヤブ医者》のトップであろうな。』
 表情を読むという行為を完璧に遮る顔……というか顔と呼べる部位はあるのか? ともかく感情が読めない《デアウルス》……さんだけど、先生との会話から察するに楽しそうだ。
『《お医者さん》は……うむ、全員知った顔であるな。《医者》は……知らぬ顔がひい、ふう、みいとな。忙しい業界よのう。さて……』
 《デアウルス》さんはそこでファムさんと言い争っていた《医者》をその無数の眼球で見た。一歩後ずさる《医者》。
『きっと初めてなのであろうな。《お医者さん》のことを聞いたのもごく最近であろう? どうだ、本物のヴァンドロームを見た感想は?』
 《医者》の顔に汗が見える。まずい存在に目をつけられてしまった……とかそういうレベルじゃないんだろう。別に私は相手の気配が読めるとか、そういうわけではないけれど……明らかに《デアウルス》さんの存在感は強大だ。外見的にももちろんだけれど、内からにじみでる何かが、私たちの息を止めてくる。圧倒的なプレッシャーで動けなくする。身長で言えば一番小さいけれど、いるだけで場を支配する力はやっぱりすごい。
 つまり、これがSランク。何をしたって人間が勝つことはできない存在なんだ。
「へ、へぇ……あんたが……司会なのか……」
 がくがく震えながら《医者》は答えた。今にも逃げ出しそうな顔だ。
『慣れないお主に一つ忠告だ。高ランクのヴァンドロームはな、自分たちの敵が《お医者さん》だということを理解しているのだ。だから《お医者さん》が馬鹿にされるとな、自分たちが馬鹿にされたと感じる奴も少なくないのだよ。《医者》には戦う術がないのだから、口には気を付けた方が良いと思うぞ。』
「あ、あんたも……怒るタイプなのか……?」
『いんや。だがな、この場にはその怒りを内に秘めている奴が確かにおるのだよ。』
 緩慢な動作で身体の向きを変え、何故か私を見て《デアウルス》さんはこう言った。

『なぁ……《オートマティスム》よ。』

「え……」
 再び、私は思わず声を漏らす。なんか知り合いみたいな話しかけ方だった。私の左手、《オートマティスム》について、《デアウルス》さんは何か知ってるのか!?
『さてと……』
 私の驚きをよそに、《デアウルス》さんは集まっている人たちを見ながらこう言った。
『毎回時間がかかる会議だ。面子が揃っているのなら、早い所始めるとしよう。』
 ソファに座っていた《医者》と《ヤブ医者》の皆さんが立ち上がり、移動を始める。会議室は上の階らしく、みんな階段を上がっていく。……さっき《デアウルス》さんが歩いていた場所を避けながら。
『アルバート。』
「おう。」
 アルバートさんが二カッと笑いながら《デアウルス》さんの方に近づく。
 ……今気付いたけど、アルバートさんにはなんか英国紳士みたいなヒゲが鼻の下にある。筋肉ばかりに目がいってたけど……何だか歩き方も姿勢が良い。もしかしたらいいとこのお坊ちゃまだったりする……のかな?
 私が黒いスーツに身を包んだアルバートさんを想像していると、そのアルバートさんは驚くべき行動をとった。
「ほっ。」
 《デアウルス》さんを素手でつかんで自分の肩に乗っけたのだ!
 見るからに身体に悪そうな液体でうねってる《デアウルス》さんを素手でつかむなんて……すごいなぁ。
「Sランクのくせに、情けないなぁ! ガッハッハ!」
『いつも悪いな。』
 肩に《デアウルス》さんを担いだまま、アルバートさんはスタスタと階段を上がっていく。
「《デアウルス》の移動速度はカタツムリ並なんだよ。」
 そう言いながら先生が私の横に来た。
「《オートマティスム》みたいに念力は使えないみたいだね。」
「そう……なんですか。」
「それでねぇ、ことねさん。」
 先生は私に名札のような物を渡す。
「これは……?」
 見ると私の名前と顔写真が載っていて、隅っこに先生の名前があった。
「んまぁ身分証みたいなもんだね。どの《ヤブ医者》の関係者なのか示してるわけだ。」
 言いながら先生が周りを見たので私もつられて見る。会議室に移動していない人がそこには結構いた。その人たちの胸には同じような名札がくっついている。たぶん、《ヤブ医者》の弟子の皆さんなんだろう。
「会議は結構長いからね。この建物の中を探検するなり、他の《ヤブ医者》のお弟子さんと会話するなりして時間を潰してて。」
「はぁ……」
「……前に話した……Aランクのヴァンドロームとの共存を実現してる《ヤブ医者》、そのお弟子さんと話せば……《オートマティスム》との付き合い方のヒントをもらえるかもよ。」
 そう言って先生は会議室へ向かった。
 共存を実現している人か。確かに、話を聞きたいな。

 《ヤブ医者》と《医者》が全員会議室に行った。残ったのは《医者》の付き添いで来た秘書みたいな人たちと《ヤブ医者》の関係者。
 私はとりあえず名札を胸にくっつける。……よく見るとこの顔写真、私の生徒手帳のやつだ。
「学校か……みんなどうしてるんだろう。」
 なんて柄にもなくしんみりしていると、私は何故か多くの人に囲まれた。
「……えっと……?」
 名札から察するに、全員(ヤブ医者)の関係者だ。
「あんたがうわさの……?」
「マジかよ、こんなちっちゃな女の子に?」
「世界を滅ぼす力をその身に宿すってか。すげぇ……」
「ねぇねぇ、どんな感じなのよ?」
 なんだこれは。私は転校してきた学生か。と言うかうわさって……
「おいおい。」
 どうしようかと困惑していると誰かが大きな声をあげた。
「そんな風に質問攻めにするなよ。困ってるだろう?」
 どうやら声を出しているのはアルバートさんといっしょにいたムキムキさんのようだ。
「それに、本人にとっちゃ深刻な悩みかもしれないんだ。」
 ムキムキさんの鶴の一声で私のまわりに集まっていた人たちは散り散りになった。
 ……そういえばスッテンさんも『ウワサノエイリアンハンド』って言ってたな。私ってそんなにうわさになってるのかな。やっぱり、Sランクが身体の中にいるっていうのは……騒ぎになるようなことなんだろうなぁ……

「あ、あの、」

 小さな声がした。てっきり私のまわりにはもう誰もいないと思っていたけど、ちょうど私の真後ろに一人だけ残っていた。
「あ、安藤、先生の、ところの、あの、その、」
 オドオドワタワタしながらその人は言葉を発する。
 私より少し身長が上の女性……いや、女の子だ。たぶん歳は同じくらい。日本のお人形みたいな黒髪おかっぱ……なんだけど頭のてっぺんだけ、ピョンとアンテナみたいに髪の毛が立っている。前髪が長くて鼻と口しか見えない。
 フードつきの少しブカブカの青いトレーナーに少しブカブカの長ズボン。サイズが合ってないのか、トレーナーの袖からは指しか出ていない。見た目通りというか……あんまりオシャレではない格好だ。
 ……人のことは言えないけど。
「え、えっと、わ、わたしは、その、」
「えぇっと……」
 相当緊張してるのか、つっかえつっかえなしゃべり方だ。まずは落ち着いてもらおう。
「落ち着いて下さい。私に用……ですか?」
「あ、はい、えっと、」
 女の子はポケットから紙切れを取り出し、それを見る。
「あ、まずは、自己紹介、ですよね、」
 人と話す時のマニュアルみたいなものが書いてあるのかな……あの紙切れ。
「わ、わたしの、名前は、南条、詩織、です、」
 ……んまぁ……名札を見ればわかることではあるのだけれど。
「私は溝川ことねです。えっと……安藤先生の……連れです。」
 弟子ではないからなんと言えば良いのやら。
「ほぇ、ふぁい、わ、わたしは、鬼頭、先生の、弟子、です。」
 鬼頭先生。初めて聞く名前だ。どんな《ヤブ医者》なんだろう。んま、それは後で先生に聞くとして。
「それで、私に何か……?」
「あ、はい、先生から、聞きました、あなたは、Sランクを、その身に、宿すって、わ、わたしも、そんな感じ、なので、お話、したいな、って、思って、」
「! それじゃぁあなたにもヴァンドロームが!?」
 私が一歩前に出ながらそう言うと、両手をものすごい勢いでワタワタさせながら南条さんは答えた。
「す、すみません、わ、わたしの、場合は、Bランク、なんですけど、すみません、」
 つまり、南条さんはさっき先生が言っていた『ヴァンドロームとの共存を実現してる《ヤブ医者》』の弟子なんだ。まさかそっちから話しかけてくるとは。
「私もお話したいです。いろいろ聞きたいと思っていたんですよ。」
「そ、そうなん、ですか、」
 ……それにしても聞き取りにくいしゃべり方だ。きっとものすごい恥ずかしがり屋さんなんだろう。
 そう思った瞬間、私の左手が動き、南条さんの頭をポンポンと叩いた。
「ほぇぇ! な、なん、ですかぁ!」
 ワタワタする南条さん。
「すみません、勝手に左手が……」
「あ、そ、そう、でしたね、エイリアン、ハンド、でした、よね、」
 一回深呼吸をする南条さん。ワタワタも収まる。
「大変、なんですね。普段の生活でもこんなに動くん、ですか?」
「いえ、普段はそんなに動きません。最初の頃は大変でしたけど―――」
 ってあれ?
「……あれ?」
 私が『あれ?』と思ったのと同時に南条さんも『あれ?』と言った。
「わ、わたし……こんなにスラスラ、しゃべって……えぇっ!?」
 本人もびっくりのようだ。
「わ、わたしがこんな風につっかえずにしゃべ、れるのは先生とお母さんだけなのに……あれ?」
 一人称だけは変わってないし、所々まだつっかえるけど……突然これはどういう……
「……まさか……」
 私は左手を見る。さっきの行動の意味はこれ……なのかな。
「でも……まぁ良いじゃないですか。これはこれで。」
「はぁ……そう、ですけど……不思議です。」

 気を取り直し、私と南条さんはソファに座った。しかしながら、いきなり会話が弾むわけもない。ここはひとつ、手ごろな話題から話して親睦を深めよう。
「……私、さっきみんなに囲まれましたけど……やっぱり私のことって有名なんですか?」
「そう、ですね。少なくとも《ヤブ医者》の関係者で知らない人はいない、と思います。」
「……Sランク……だからですかね。」
「いえ……それもある、ですけど……主な理由はそれ、ではないですよ。」
「え……」
 これ以外の理由? 私は《お医者さん》の間で話題になるようなことは何もしていないけど……
「主な理由は、安藤先生の、もとで学んでいるということなん、ですよ。」
「……《お医者さん》の勉強を……ですか?」
「そう、です。」
「……そんなにすごいことなんですか?」
「……というか……溝川さんは安藤先生のすごさを理解しきれていない、のかもしれませんね。」
「というと……?」
「わ、わたしの先生が言っていたことなん、ですけどね……」


『安藤、享守先生、ですか。』
『ああ。今年(ヤブ医者)になった奴なんだが……かなりヤバイ奴だ。』
『怖い人なん、ですか?』
『いや、あいつ自身は……普通だ。なんか知らんが便所サンダルをはいてる以外は。』
『それじゃあ何がヤバイん、ですか?』
『技術だ。あいつの技術、《ヤブ医者》に選ばれた理由がヤバすぎる。』
『どういう技術なん、ですか?』
『……ヴァンドロームを切り離さずに倒す。』
『ほぇぇ!? すごい、ですね!』
『すごすぎる。《医者》でも《お医者さん》でも、日々、一番の悩みは患者への負担だ。薬の副作用や、手術で否応なくつけなくちゃならん傷。病気でもケガでも、何かしらのマイナスを受けることで治療というプラスを引き起こすんだ。』
『?』
『んー、つまりなぁ……例えば風邪をひいたら、それを治すには睡眠と栄養が必要だ。ホントなら外で元気よく遊びたい子供でも家で寝てなきゃいけねぇ。苦い薬を飲まなきゃならんかもしれん。だがそういう嫌なことを我慢して初めて風邪は治る。骨折したらギブスで補強、移動し難い松葉杖の使用を強いられる。』
『そう、ですね。』
『《お医者さん》で言うなら切り離す時に患者に襲いかかる痛み。これに耐えられないから治療できないなんてこともザラだろ? それを……患者に課すことなくやってのける。』
『考えれば考えるほどすごい、ですね。』
『……世界はそんなに簡単にできてねぇよ……』
『?』
『無から有は生まれない。何の代償もなしに治療は不可能だ。つまりな、詩織。安藤っつー《お医者さん》はな、患者に行くはずのマイナスを何らかの形で自分で受けてるはずなんだよ。遥か昔に大量に受けたのか、リアルタイムで受けるのか、将来なんらかの代償を払うのか……それはわからねーがな。』
『……具体的にはどんな、技術なん、ですか?』
『んー、詳しくはわからねぇ。安藤が『この技術はオレが開発したわけじゃないからオレに伝える資格がない』って言ってな。何も言わねーんだ。《デアウルス》の野郎はなんか知ってるみたいだったがな。』
『完全に謎、ですか。』
『いや、そうでもねぇ。ある程度の予測はできる。』
『そうなん、ですか?』
『『食眠』状態のヴァンドロームには手を出せないから切り離すんだからな、それを切り離さないってことは『食眠』状態でも攻撃できる方法ってことになる。ヴァンドロームは外部の刺激に敏感だが、内部では『元気』をモシャモシャ食ってるわけだ。』
『そう……ですね。』
『なら……患者を通して、ヴァンドロームの体内に攻撃を仕掛ければ切り離さずに攻撃できる。』『ほぇぇ!?』
『安藤自身の意識か、安藤の身体の一部なのか……そこはわかんねーが、患者の身体をコントロールし、かつヴァンドロームを内部から攻撃するには……ある技術が必要不可欠だ。』
『そ、それは……』
『……対象の肉体を操る……もっと言えば細胞や神経を操る技術だ。』


「細胞と神経……」
「はい。先生はそう言って、ました。」
 細胞……神経? 手を触れただけで相手の身体を操る? それはもはや超能力だ。
 でも……思い当たることはある。高瀬との戦いで見せた意味不明な高速移動。あれをする前、先生は脚に手を置いて何かしていた。あれが仮に自分の脚の筋力を操っていたということなら……無理やりだけど納得はいく。
 そして、高瀬に脚を刺された時に血がでなかったことと全然痛そうじゃなかったこと。細胞を操って瞬時に傷口をふさいで……痛覚を無くせば……いやいやいや。
「そんな……バカみたいな技術あるわけ……」
「わ、わたしの先生が言うには……安藤先生に《お医者さん》を教えた人こそが全ての根源だろうって。」
 先生の先生。そうか……あの英語で書かれたノートは……もしかしたらそういう技術に関して書かれているのかもしれない。
「……」
 でも……ここで考えてもしょうがないか。結局先生の技術は謎っていう状態は変わらない。私があれを解読すればいいんだから。
 私はとりあえず先生の技術については考えないことにした。
「先生のすごさは再確認しましたけど……私が教わっていることとどう関係するんですか?」
「安藤先生が《ヤブ医者》となった時、その奇跡にも、近い技術を求めて……たくさんの《お医者さん》が弟子入りを希望、したん、です。でも安藤先生はそれを全部断ったん、です。」
「……自分が開発した技術じゃないから……ですね。」
「そう、です。すごい技術なんだから弟子を持って教えるべきだって、みんなが言うん、ですけど、頑なに。そんな感じの安藤さんが今、一人の《お医者さん》を育てている。」
「だから私が……」
「そう、です。いろんな噂があり、ます。つまり安藤先生の技術を、得るには、Sランクを身に宿すくらいの能力が……それかSランクそのものの、力が必要なのか……って。」
 ……真実は先生のみぞ知る……か。
「……よし!」
「ほぇ?」
「とりあえずこの話は終わりにしましょう。謎はいくら考えても謎です。それよりも、私は南条さんのことが知りたいです。」
「ほぇぇ!?」
「先生から聞きました。『ヴァンドロームとの共存を実現してる《ヤブ医者》』がいるって。南条さんはその人の弟子なんですよね? 私も《オートマティスム》との共存を目指しているんです。いろいろと話を聞きたいと思いまして。」
「ふぁ、ほへ……そう、ですか。」
 南条さんは深呼吸する。
「え、えっとですね。確かにわ、わたしは『ヴァンドロームとの共存を実現してる《ヤブ医者》』……つまりは……鬼頭先生の弟子です。鬼頭先生は……Aランクヴァンドローム・《トリプルC・LX》と友達で、わ、わたしはBランクヴァンドローム・《ノーバディ》と……仲良く頑張ろうとして、ます。」
《トリプルC・LX》? 聞いたことない名前だ。一応図鑑に載っている奴は全部覚えたはずなんだけどな。
 あ、でもSランクが載ってないのと同じ理由で危険なヴァンドロームは載ってなかったりするのかな。
 でも《ノーバディ》は知ってるぞ。確か症状は―――
「『夢遊病』ですか。」
「あ、はい。そう、です。」

 夢遊病。ぐっすり寝てるかと思いきや突然起きあがってふらふらと歩いていく病気だ。本人に意識はなく、何も覚えていない。だけど階段の昇り降りを普通にこなし、中にはご飯まで食べたりする人もいる。そして最終的には布団に戻っていく不思議な病気だ。
 原因は心的なもので、精神治療が必要になる。

「でも普通の『夢遊病』ではないん、です。」
「と……言うと……?」
「《ノーバディ》が発症させる『夢遊病』は一般的に、知られているそれとそんなに変わらないん、です。眠っている間の行動はその人の欲求不満とか葛藤が行動になる、もの、です。だから明確な意識や人格があるわけではないん、です。だけどわ、わたしの場合は、眠っている間の、わ、わたしの身体の支配権が《ノーバディ》になるん、です。」
「つまり……南条さんは眠ると南条さんではなくて《ノーバディ》になるってことですか。」
「そう、です。」
 私の左手と似ている。『エイリアンハンド』も普通ならそこになんの意識も人格もない。ただの異常だ。だけど私の左手は《オートマティスム》の意識でもって動く。
 ということは南条さんは……
「……もしかして南条さんは……その《ノーバディ》に……住処にされた……んですか?」
 私がそう聞くと南条さんはものすごくびっくりした……ように見えた。なんせ目が見えないから表情が読みづらい。
「なんで、わかったん、ですか?」
「私の左手もそうだからです。私は……どうもSランクヴァンドローム・《オートマティスム》が長年探し続けた安息の地……らしいです。」
 そう言った途端、南条さんは私の両手を手に取ってこう言った。
「同じ、です!」
「やっぱり……でもBランクなら……治療できるんじゃないんですか? 私の場合はどうしようもないんですけど。」
 Sランクを切り離す時の痛みに私……というか人間は耐えられないし、切り離してもSランクを倒す術がない。
「住処ということで……普通のとりつきかたとは、違うん、です。」
 そう言いながら南条さんは自分の頭をトントンと叩いた。
「えっ……まさか……頭の中にいるんですか!?」
「そうなん、です。《ノーバディ》って元々小さいヴァンドローム、ですから……」
 そうは言っても十数センチはあったはずだ。それが頭の中!?
「大丈夫……なんですか?」
「心配ない、です。平均身長は十五センチくらいなん、ですけど、わ、わたしにとりついているのは数ミリで……」
「……それ、最早違う生き物ですよね……」
「突然変異まではいかない奇形……という感じらしい、です。そんな大きさだから脳に影響もありま、せんし……逆にすごいことができるようになりました、し。」
「?」
「人間、は脳を数パーセントしか使用していない……そう、です。」
「……それって嘘じゃありませんでしたっけ……」
 随分前にどこかの心理学者がそう言ったことで信じられてる説だ。
「えっと……言い方が悪かった、ですね。人間は脳を各分野に分けて使用しています、ので、例えば記憶なんかは、海馬っていう部分、ですよね。つまりは、一部分だけ。」
「そうですね……」
 そもそも右脳、左脳って時点で大きく分かれているし。
「それが、わ、わたしは……《ノーバディ》がわ、わたしの身体を眠っている間に制御、するために脳の機能を統合してしまった……そう、です。」
「統合……?」
「手を動かすのにも、しゃべるのにも、物を見るにも、記憶するにも、脳の全てを使用するようにしてしまった、そうです。」
「えっと……つまり、記憶で言うなら……海馬で記憶するのではなく、脳全体で記憶するってことですか……!?」
「そう、です。」
 なんてことだ。脳はその場所場所でやることが違うのにそれをまとめてしまったと! なんの支障もなくそれが上手くいっているのだとしたら……南条さんは五感情報から私たちよりも多くの情報を取り出すことができ、記憶容量も数倍あって……ヘタしたら身体の動きにまで新たな進化が……!?
「で、でもそうなるのは眠っている間だけなん、ですけどね……」
「……眠っている間だけ超人ですか……しかもその時の人格は《ノーバディ》……こうなると《ノーバディ》の性格が気になってきますね……」
「《ノーバディ》は……好奇心旺盛、です。今までエサとしてしか見ていなかった人間、その身体を操ることができるということで……人間社会をいろいろ知りたがり、ます。朝起きたらお布団のまわりに歴史書が散らばってたりし、ますから。」
「大変ですね……」
「これでも良くなったん、です。最初の頃は、起きたら知らない街にいたってことも、ありまし、たから。先生が《ノーバディ》のしたいことを推測して、お布団のまわりに人間社会を知れる資料を置いておいたりしたら外に行くことは無くなりま、した。」
 なるほど。《ノーバディ》がしたいことを推測するか。基本的にヴァンドロームを敵としか見ていない《お医者さん》では思いつかない発想だ。さすが共存している人だなぁ。
「み、溝川さんは……」
 南条さんがなにやらモジモジしながら私の名前を呼んだ。……『溝川さん』……うーん、違和感があるなぁ……
「南条さん、私のことは名前で呼んでもらえませんか? 普段名前で呼ばれているのでそっちの方が……」
「ほぇ? そう、ですか。な、ならわ、わたしのことも、名前でどうぞ……」
「……詩織ちゃん?」
「こ、ことねちゃん……」
 ……こっぱずかしい……
「こ、ことねちゃんは、《オートマティスム》を抑えられる《お医者さん》が安藤先生だけだという、ことで、い、いいいいいい一緒に、すすすす住んでると、き、聞きましたけど……」
「かれこれ一年になりますね。」
「こ、ことねちゃん!」
 突然南条さん……詩織ちゃんが身を乗り出してきた。
「は、はい……」
「えっと、そ、その! な、なななななな何も、ななななななかったん、ですか?」
「……何がですか……」
「だ、だって……安藤先生は……二十代で……こ、ことねちゃんは……」
「私は十七歳ですけど……」
「あ、わ、わたしと同い年、ですね。……じゃなくて、そ、そそそそそそそんな若い二人が、ひ、ひひひひひ一つ屋根の下、何もないわけが……あああああああありま、せん。」
「そう言われましても……」
「こ、ことねちゃんのき、着替えをうっかり安藤先生がみみみみみ見ちゃったりと、か、おおおおおお風呂を覗いちゃった、と、か、そんな、ハプニングが……」
 目は見えないけどほっぺが赤くなっているのはわかる。内気な詩織ちゃんはこういう話題が好きなのかな……
 私は少し思い返してみる。……うん。
「丸一年、まったくないですね……」
「……安藤先生は女性に興味がないん、ですかね……こ、ことねちゃん、か、かわいいのに。」
「はぁ、ありがとう……」
「じゃじゃじゃじゃあ、うっかり手と手が触れ合ったりとか……」
「……詩織ちゃん……」
 目は見えないけど、きっと今の詩織ちゃんは目をキラキラさせているに違いない。


「へっくしょん!」
「んん? なんだ安藤、風邪か? 体力がないと風邪になるんだぞ。トレーニングをして、ついでに筋肉もつければ風邪なんぞ引かん! ガッハッハ!」
「誰かがうわさしてるんだろ……」
 会議室の席に座り、配られる資料を待っていたオレは鼻をすする。
 会議室はなかなか広い。『半円卓会議』とは言え、一つのテーブルに《ヤブ医者》だけで二十八人も座るとなるとびっくりするような長さが必要になる。だから会議室は中央の『真ん中が割れている円卓』を囲むように段々に席が連なる。ちょうど大学の講義室みたいな感じだ。あれの円形ヴァージョン。
 《医者》も《ヤブ医者》も、中央の『真ん中が割れている円卓』に座る奴から上の段にいる奴に向かって年齢が若くなる。つまり、ベテランであればあるほど中央の『真ん中が割れている円卓』に近い場所に座るわけだ。
 オレは今回で三回目、まだまだルーキーだから一番外側にある席に座っている。オレの場所から一段下の列にスッテンとアルバートが、中央の『真ん中が割れている円卓』の片側に腰掛ける面々の中にファムがいる。ファムなんかはもうこの会議は数十回目というレベルだろう。
 例によって、会議室を上から見ると『真ん中が割れている円卓』の割れ目を区切りに片側に《お医者さん》、もう片側に《医者》という配置になっている。
 そして、その割れ目の直線上、ちょうど両陣営の区切りに位置する場所、円卓の割れ目の前に立っているのが《デアウルス》。《デアウルス》には座るという概念がないので立っている。
 無論、今配られている資料の内容なんぞ頭に入っているので机もいらない。Sランクの頭脳は計り知れないからな。
『さて、毎回議題にしている《お医者さん》の認知度については……今回は省くこととする。』
「なに?」
 《デアウルス》の発言に真ん中に近いとこに座る《医者》が反応した。白髪でメガネの見るからに重鎮なじいさんだ。
「《お医者さん》の認知度は常に考えねばならぬことだろう? なぜ今回に限って……」
『それよりも深刻な問題が起きておるのだよ。お主は……この会議は何度目だ?』
「私はこれで三十三回目だが……」
 おお……あのじいさん、ちゃんと数えてるのか。
『ならば知っているであろう……《パンデミッカー》のことを。』
「んな!?」
 思わず立ち上がった重鎮(医者)。他の《医者》も騒ぎだし、《お医者さん》側もざわつく。まぁ、三分の一くらいはキョトンとしてるが。
『知らぬ者もおるだろう。きちんと説明するから静かに頼むぞ。』
 しんとなった会議室、そこに《デアウルス》のお化けみたいな声がゆっくりと響く。
『《パンデミッカー》。これは一つの宗教団体と思ってもらって良いだろう。キリスト教がイエスに祈るように、仏教が仏に頭を垂れるように、《パンデミッカー》はヴァンドロームを讃える。』
「なんだそりゃ。」
「ヴァンドローム信仰?」
 何人かがぼやく。確かに、オレも最初に聞いた時はそう思ったな。
『ヴァンドロームが生物に症状を与える……このメカニズムはわかっていない。それを神秘の力として―――』
「ちょっと待て。」
 そこで口をはさむ《医者》。……って、さっき《デアウルス》に睨まれてた奴じゃないか。
「聞いたぞ? Sランクってのは天才なんだろ? それにお前自身がヴァンドロームじゃないか。なんでメカニズムがわからないんだよ。」
『ふむ。そうだな……では問うが、お主は自分がどういう仕組みで呼吸しているか知っているか?』
 《デアウルス》の突然の問いに何を今さらという表情で答える《医者》。
「当り前だ。肺の中の肺胞がな―――」
『それを、お前はどのようにして知った?』
「どのようにって……」
『多くの先人が人間を解剖したから……であろう? そして、人間という生き物が全て同じ構造をしているという前提があるからこそ、それを自分にも通じる概念であると確信できる。』
 当たり前のことは前提を見失いがちになる。全ての人間が同じ構造。この前提があるからこそ《医者》という職業は成り立っている。
『だがヴァンドロームは多種多様の姿をしている。まして吾は突然変異であるぞ? 吾のメカニズムが他のヴァンドロームに通ずるわけもない。故に吾のメカニズムを知る必要がない。無いのなら吾は吾の身体を開こうとは思わぬ。そして見ることもできぬものを考えて解明することができるわけもない。』
「ぶ……物理現象とかなら見なくても解明できるだろ……?」
『重力はグラビトンという物質による現象かもしれぬ。お主はそうでないと否定できぬだろう? 見えぬのだから。』
 何か言いたそうだが何も言えずに座る《医者》。
『んん……ああ、そうだ、神秘の力。ヴァンドロームのその力を神秘の力と考え、ヴァンドロームを神の使いと考えておるのだ。そして最終的には神を復活させようとしておる。』
「その神とは?」
 別の《医者》が尋ねる。
『その昔にいたと言われているとあるSランク。多くのベテラン《お医者さん》が協力してやっと動けなくした……言うなれば封印したヴァンドロームがいる……と《パンデミッカー》は言っている。それが神だそうだ。』
「ずいぶん曖昧だな。」
『結局、奴らがそう言っているだけなのでな。確認もとれていない。だが問題はそこではない。それを信じて実際に《パンデミッカー》が動いているということだ。』
「具体的には何をしているんだ?」
『その神を復活させるために『元気』を集めている。ヴァンドロームを強制的にとりつかせてな。』
「……それで最近(お医者さん)関係の患者が増えているのか……」
 そう、これが《パンデミッカー》の厄介なところだ。普通、ヴァンドロームはそれなりに『元気』を味わうから一体が一体の生き物にとりついている時間は結構ある。だからこそ、絶対数が少ない《お医者さん》でも対処できている。だが目的が『元気』の収集となればそんなゆっくり味わうことをしない。だいたい普通の倍くらいの速度で『元気』を奪う。
「しかしそうなると、《パンデミッカー》は『元気』をヴァンドロームに集めさせていることになるが?」
『そうだ。奴らはヴァンドロームを従わせる技術を持っている。』
「神の使いじゃなかったのか?」
『奴ら的には神の使いを導いている感じなのだろうな。』
 オレたちにはその方法がさっぱりわからないが、《パンデミッカー》はヴァンドロームを従わせる。そして一番大事な事柄は―――
『そして……奴らはヴァンドロームの本能的能力制御を外すこともできるのだ。』
「……つまり?」
『ヴァンドロームはとりついた相手を殺さぬため、その生物の体調や特徴に適応した症状を引き起こすように、無意識下で力を制御しているのだよ。『元気』を奪って死に至らしめるならともかく、症状で殺しては意味がないであろう?』
「その制御を外すということは……なんなんだ?」
『本来なら『症状』と呼ばれるはずのものが『能力』と呼べるものに格上げされるのだ。無論、元々は症状なのだから副作用のような現象は起きるがな。《パンデミッカー》はヴァンドロームを使って『元気』を集め、同時にヴァンドロームの力を使って目的の妨げとなる《お医者さん》を駆逐する。そういう集団だ。厄介であろう?』

 ドゴォォン!

 突如、ものすごい音が会議室の外からした。
「……スッテン。」
『アア。』
 オレが尋ねるのと同時にスッテンは頭の横をトントンと叩く。ピピッという音がした。
『オトノヒビキカタヲケイソクスルニ……ダイタイジュッセンチシホウノメンセキヲモツブッタイガカナリノチカラデ……コノタテモノノカベヲフンサイシタナ。』
『……吾の家を……』
 《デアウルス》が目を細める。
 そう、ここは《デアウルス》の家だ。そもそも《デアウルス》とは《お医者さん》に情報を提供する代わりに一定量の希望した種類の『元気』と住処を保証されているヴァンドロームだ。そして、その住処がここなわけだ。
「ちょちょちょ! んだそりゃ! おいおい!」
 《医者》がざわつく。映画でしか起きないような現象が起きたからな……逆に《お医者さん》は非現実的な現象に慣れているせいか、落ちついている。
「そのサイズだと拳のサイズに近いな。怪力自慢か?」
 アルバートがなんだかウズウズしながら立ちあがった。
「《デアウルス》、オレたちはとりあえず会議を中断して外に行くぞ。」
『吾も見たい。アルバート、運んでくれ。』
「ガッハッハ! まるで子供だな!」
「アルバート……怖いもの知らずだな。」
「安藤よ、筋肉量と本人の自信は比例関係にあるのだぞ? 筋肉は性格も前向きにするのだ。お主も筋肉をつければわかる。」
「わからなくても知れればオレは充分だよ。」
 そもそも……《ヤブ医者》と呼ばれる奴らは全員自信満々の技術を持っているんだがな。


 私は詩織ちゃんに質問攻めにあっていた。
「そそそそれでその、小町ちゃんとはどういう関係に!?」
「小町ちゃんじゃなくて小町坂さんですよ……性別は男です。」
「おおおおおおおお男同士!? 安藤、先生はソッチの人、ですか。わ、わたしは、そっちの知識はないん、ですけど……」
 詩織ちゃんの中で先生がおもしろいことになっていく……

 ドゴォォン!

 なんかすごい音がした。見ると壁が崩れている。えっ、なんで?
「な、なんだお前らは!」
 アルバートさんの弟子であるムキムキさん×2は崩れた壁の向こう側に立つ人に近づいていった。
「おぉ……マッチョさんだな。見ろよ。」
 壁の向こうからヌッと現れた男。工事現場で働く人がはくようなダボッとしたズボンを腰のあたりで黒い帯で縛っていて……上半身裸。ひきしまった身体を見せながらムキムキさんを指差して隣に立つ人に話しかけた。
「……」
 話しかけられた男は何も答えない。人形のように突っ立ていてどこを見ているのかわからない。服装も無地のTシャツにジーパンという地味さ。
「おい、何者だと聞いている!」
 ムキムキさんが上半身裸の男の肩を掴もうとする。それに対して上半身裸の人は伸びてきた腕を掴んだ。
「……!?」
 ムキムキさんが目を見開いた。どうしたんだ?
「おれさまに挑むには……筋肉が足りないな?」
 上半身裸の男がムキムキさんの腕を掴んでいる腕をブンと後ろに振った。すると、赤子の手をひねるかのようにムキムキさんが飛んで行った。ゴロゴロと駐車場に転がったムキムキさんは上手いこと着地し、信じられないという顔で上半身裸の男を見た。
「あ、あんな、大きな人、を、投げる、なんて……」
 私の隣で詩織ちゃんが後ずさる。
「おのれ!」
 もう一人のムキムキさんが殴りかかる。だけどその拳は片手で軽々と止められ、上半身裸の人がクルッと腕を捻るとそれに連動してムキムキさんの身体が空中で一回転し、床に転がった。
「ジョージ! マックス!」
 後ろから大きな声がした。ふりかえるとアルバートさんが階段のとこに立っていた。……今のはムキムキさんの名前かな……アメリカンな名前だなぁ。
『噂をすればなんとやらというやつか。』
 《デアウルス》さんがアルバートさんの肩の上でぼそりと呟いた。
「おぉ……あいつが《ベアウルフ》とかいうヴァンドロームか?」
「……」
 相変わらず隣の人は答えない。上半身裸の男の間違いを指摘もしない。あれ、本当に人形じゃないのか?
「あらあら、美しくない崩れ方しているわね。わたくし、この建物のデザインは気にいっているのだけど。」
 アルバートさんの後ろからファムさんが髪をかき上げながら出てくる。続いてぞろぞろと会議室にいた人が出てきた。
『ナンジャアリャ。オモシロイカラダダヨ。』
『ふむ……一応礼儀として、お主たちが何者か尋ねてもいいか?』
 《デアウルス》さんの問いに上半身裸の男は答える。
「おれさまはブランドー。そしてこいつは―――」
「ピーター・カッシング。」
「おぉ……久しぶりにしゃべったな、お前。」
 人形のように不動だった男が口を開いた。でもそのしゃべり方もひどく無機質だ。
『名前はどうでも良いのだがな。』
「おぉ……そう来るか。いいだろう、おれさまたちはな―――」
「《パンデミッカー》。」
「おぉ……おれさまのセリフまでとるか。」
 《パンデミッカー》……! まさかこんなとこまで先生を……!?
「なるほどな……」
 アルバートさんが少し怖い顔で呟く。
「《パンデミッカー》にとっての敵はワシら《お医者さん》。ワシらに攻撃を仕掛ける道理はわかるが……まさかこの《ヤブ医者》全員が集う場に来るとは、なかなかの勇敢さだな。」
 そう言いながら階段を降り、私たちがいるロビーに立つ。ムキムキさん×2に目配せをし、二人を下がらせる。そして軽く拳を握った。グッと筋肉が隆起する。
「おぉ……ムキムキだな。」
 上半身裸の男……ブランドーは腕組みをする。
「勇敢と言われてもなぁ……お前らはヴァンドロームに対して強いだけだろう? 人間相手じゃただの人だ。ここで《ヤブ医者》を全滅させれば《お医者さん》側は一気にテンションダウン。勝ったも同然だろ?」
「ただの人……ワシを見てもそう言うのか?」
「おぉ……やる気だな。」
 アルバートさんが動く。ダンッという音と共にアルバートさんが短い跳躍。一瞬でブランドーの前に移動した。瞬発力と言うのかな、かなり速い。
「おぉ……」
 空気を切る音と共に接近するアルバートさんの常人より大きい拳に、ブランドーはさっきと同じように片手を出した。
 さすがに今回ばかりは止められるわけがない。そう思ったのだけど……
 パァンッ!
「む?」
「おぉ……さすがに力あるな。」
 アルバートさんは熊でも倒せそう……というか熊も逃げ出すくらいの身体。対してブランドーはひきしまってはいるけどそんなに筋肉があるようには見えない身体。なのに、そのブランドーはアルバートさんの拳を止めている。
「高瀬と同じだね。」
 いつの間にか私の横に先生が立っていた。
「それじゃあ……あいつもヴァンドロームの力を……?」
「それもかなり珍しい奴をね。スッテン?」
 先生はまだ上にいるスッテンさんに話しかけた。
『ウム、《ツァラトゥストラ》、ショウジョウハ『ミオスタチンカンレンキンニクヒダイ』ダ。』
「呪文ですか?」
「スッテンが言うと余計だよね。《ツァラトゥストラ》はことねさんの図鑑に載ってない奴だよ。その症状が直で力に繋がるからね。」
「みおすたちんかんれんきんにくひだい……って言いました? これはどんな……」
「超人を生む症状だ。」
 私の質問に答えたのは先生ではなく、アルバートさんだった。止められた拳を引いて一歩下がるアルバートさん。ブランドーはニヤニヤしている。
「ミオスタチンというのは筋肉の成長を抑制する物質だ。筋肉にはその生き物の適正量というものがあるのだ。無尽蔵に増えていったら困るだろう?」
 アルバートさんが適正量とか言うとは……
「そのミオスタチンを生みだす遺伝子に異常、もしくは筋細胞がこれを拒否したりすると制御ができなくなり、常人の数倍の筋肉量になるのだ。」
「それって……なんか困ることあるんですか?」
 筋肉が増えて困ることなんてないだろうに。でもそうなるとヴァンドロームがその症状を引き起こす理由がわからない。困らせて『元気』を放出させるための『症状』なのに。
「それがね、ことねさん。この症状には最も厄介な性質があるんだ。」
 先生が説明を継ぐ。それと同時にアルバートさんとブランドーの戦いが再開する。拳と拳、蹴りと蹴りがぶつかる。その度にバシィンと音が響く。なんかの格闘技の試合みたいだ。
「厄介な……?」
「この病気は遺伝的な病気だからね、生まれた時から症状は出るんだよ。どんどん増えていく筋肉のために必要なものはカロリーだよね。」
「そうですね。」
「この症状が出るとものすごくカロリー摂取が必要になるんだよ。同年代の人の何倍もね。でも外見的にはそこまで変わらないし、咳が出るとかそういうモノでもないから親も本人も気づかないパターンが多いんだよ。赤ちゃんの時、この症状のせいでものすごくカロリーが必要なのに親は一般的な食事しか与えない。すると赤ちゃんは……餓死してしまうんだよ。」
 そうか、ものすごくお腹がすくから『元気』がなくなるわけか。
「だからあの《パンデミッカー》も……今増強した筋肉のために体内のエネルギーを急速に消費しているわけだよ。」
「ふぅんぬっ!」
 そこでアルバートさんの声が響く。ブランドーの右手を左手で、左手を右手で掴む。互いの腕の筋肉が隆起して二人の手の間にかかる力の大きさを示す。
「おぉ……おれさまと力比べか。なら……」
「ぬっ!?」
 アルバートさんの脚が少し後ろに下がる。
「この力は……!」
 アルバートさんは両腕に血管が浮き出るほどの力を出す。だけどそれでやっと均衡を保つ感じだ。ブランドーはどのくらいの力を出しているんだ?
「ヴァンドロームの力による筋肉肥大だぞ? 普通のそれと程度が同じなわけないだろう?」
 この前の高瀬はくしゃみで突風を引き起こした。ならこの場合もあり得ないぐらいの筋肉増加が起きているのかもしれない。
 アルバートさんが押され始める。
「なる……ほどな……」
『ダイジョウブカアルバート。』
 スッテンさんが気の抜けた心配をする。というかなんだろう……先生も他の《ヤブ医者》もゆったりとしている。
「うむ、少し驚いただけだ。心配は無用だ。」
「おぉ……この状況でも自信が―――」
 そこでブランドーの表情が一変する。
「!!? んな!?」
 ブランドーの両腕がプルプルと震えだした。
「このままお主のエネルギー切れを待っても良かったんだがな。」
「すごい……アルバートさんがぐいぐい押してますよ!」
「そうだね。」
 先生はにっこりと答えた。……半分あきれた感じで。
「な……なんで……」
「それはな、お主とワシの力の質が異なるからだ。」
「なん……だと……」
 アルバートさんは余裕の表情でブランドーは必死。力の優劣が一瞬で逆転した。
「ワシはな、幼い頃にある漢に憧れたのだ。その漢がカッコイイと思い、その漢のようになりたいと思った。女がアイドルのファッションをマネするように、男が俳優の髪型をマネするようにな。ワシはワシの目標に到達するために日々努力してきた。ワシの筋肉は汗と努力の結晶だ。筋線維がちぎれ、修復し、太くなっていく感覚をワシは毎日感じていた。身体各部の筋肉の一つ一つにワシの想いが詰まっておるのだ。」
 そこまで言って、アルバートさんが声を荒げる。
「ワシの今までの生涯! 時間! 多くを犠牲に辿りつく夢! 未だ道の途中とは言え、力のみを出力するだけの『物体』が、ワシの『筋肉』と力比べなどぉぉおおぉぉっ!」
 パッと右腕を後ろに引くアルバートさん。力の均衡が崩れたことにより、ブランドーがバランスを崩してアルバートさんの方に倒れてくる。
 倒れるブランドーへ向けて、今までとは段違いの速度で放たれる拳。空気を突き破る爆音を轟かせ、拳と言う名の砲弾がブランドーの顔面に突き刺さる。
「片腹痛いわぁぁあああぁぁああぁぁああぁあああっ!!」
 とんでもない速度で吹き飛ぶブランドー。この前私の左手が殴り飛ばした高瀬なんて比べ物にならないほどの超速で飛ぶブランドーはロビーの入り口の扉を吹き飛ばし、リムジンを含む数台の車を巻き込みながら、建物の前にある道路の反対側の壁に頭からめり込んだ。
「ああああああれって……しししししし死……」
 詩織ちゃんがガクガク震えている。
「あれほどの筋肉増強……肉体強度もそれなりだ。あの程度では死なぬ。」
 アルバートさんがグルグル右腕を回しながらそんなことを言った。いやいや、頭から刺さってますけど……
「こ……これが《ヤブ医者》……」
 階段の上では《医者》がざわついている。そうか、何回もこの会議に来ていたとしてもその実力を目の当たりにするのは今回が初めてなのかもしれない。
「さて……残るはお主だが?」
 この状況でも未だに人形のように無表情に立っている……確かピーター・カッシング。
「……」
 一瞬ブランドーを見たと思ったらすぐに向き直った。そしてゆっくりとポケットに手を入れ、何かを取り出した。
「……」
 とりだしたのはナイフだった。……またナイフか。
「……ブランドーの力は四分二十三秒しかもたない。どの道、大半は私の担当だった。」
 ものすごいしゃべった。……今までと比べると。
「それが全てになっただけ。私一人でも……こなせる。」
 言うや否や、ピーターは走り出した。
「まずは弱者から。」
 さっきのブランドーみたいなすごい身体能力というわけではない。ちょっと走るのが速いかなというくらいのスピード。
「しっ!」
 ピーターは走りながらナイフを投げた。その軌道の先にいるのは……
「詩織ちゃん!」
 走るスピードが普通とはいえ、投げられたナイフに追いつけるような人はいない。ナイフが投げられた瞬間にアルバートさんが動いたけど追いつけるわけはない。詩織ちゃんに一番近い所にいるのは私と先生。でも飛んできたナイフを掴めるような技術はな―――
『オオ。スゴイネ。』
 ―――いのだけど私の左手がナイフを掴んでいた。
「ん?」
 私がナイフを掴んだとこを見た後、先生が首をかしげた。見るとナイフを投げた本人は別に驚くこともなく……というかまったく興味が無いかのように走り続けている。既に階段の途中にいた。
「……! 弱者って!」
 なんだかオドオドしている詩織ちゃんのことを指したわけではなかった。この場で弱者と言ったらそれは……《医者》だ。
「一人目。」
 ヒュッと二本目のナイフを突き出しながら階段の上で群がっている《医者》と《ヤブ医者》の人だかり中の一人を狙った。狙われた人は焦り方から見てやはり《医者》だ。
「危な―――」
 思わず叫んだ私はそこで信じられない光景を見た。
 そのまま行けば確実に一人の《医者》に突き刺さっていただろうナイフ。それを持つピーターの腕を伸びてきた腕が掴んだのだ。
 比喩ではなく……本当に伸びてきた。長さにして一メートルほどの腕が人だかりの中からヌウッと出てきたのだ。
「ふむ。」
 腕をひねって自分の腕を掴む手をふりほどいたピーターはその場でバク転し、猫のように再びロビーに着地した。
 伸びてきた腕がニュルンと人だかりの中に戻り、そこから一人の男が一歩前に出た。
 白衣をはおり、ズボンからジャラジャラとチェーンをぶら下げながら姿勢悪く階段を降りてくる。なんかヤンキーみたいだ。だけどそんな印象を一撃で吹き飛ばすものを口にくわえていた。
「……ポッキー……?」
「ポッキーだね。」
 私の呟きに先生が応える。そう、ポッキーだ。しかも三本ぐらい同時にくわえている。
「せ、先生……」
 うしろで詩織ちゃんが呟いた。
「……ということはあの人が……?」
「は、はい。き、鬼頭先生。わ、わたしの先生、です。」
「なんだ鬼頭、お主がやるのか?」
 アルバートさんが珍しいモノを見るように尋ねた。
「んー……そうだな。たまには運動するかね。」
 鬼頭先生がポリポリとポッキーを口の中に入れる。そして白衣のポケットから再びポッキーを取り出してまたくわえた。
「詩織。」
「ほぇ、あ、は、はい。」
 詩織ちゃんがタタッと部屋の隅っこに移動、そこに置いてあった細長い物体を持ちあげた。見た目は竹刀を入れるやつだ。だけど長さが尋常じゃない。ざっと……五メートルはあるかな。
「……やはり見えていないと動きは見えないか。」
 ぼそりとピーターが呟いた。
「んー? なんのことかわかんねーが俺のこれも見えねーと思うぜ?」
 詩織ちゃんが重そうに細長い物体を持ちあげ、その先っぽを鬼頭先生の前に持っていく。鬼頭先生はその先っぽ部分を開き、中に入っているものを掴んだ。
「ほっ。」
 その時、意味不明な現象が起きた。中から出てきたのは日本刀だった。全長五メートルはある日本刀。その長さにも驚愕だけど……それを抜く時の現象が理解できない。
 なんと鬼頭先生はその場から一歩も動かず、腕を動かしただけで引き抜いたのだ。詩織ちゃんも動いていない。五メートルの刀を腕の動きだけでどうして抜けるんだ?
『おい、鬼頭。やるのは良いが壁に傷をつけてくれるなよ。』
「んー……保証はできねーな。」
 そこでさらに意味不明な現象。なんと鬼頭先生の両腕がだらんと伸びたのだ。刀を握っている手が身体を曲げてもいないのに地面についている。
「な、なんですかあれ……」
「あれが鬼頭の相棒の力だね。」
「相棒……?」
「共存しているヴァンドローム。」
 私はハッとした。つまりあれは症状なんだ。
「鬼頭の相棒の名は《トリプルC・LX》。症状は『多関節』。」
「……関節が増えるんですか?」
「うん。」
「……腕伸びてますけど。」
「関節が出来るってことは元々一本だった骨を分割して間に筋肉や靭帯を入れることだからね。どうしても腕が伸びるんだよ。」
「無茶苦茶ですね……」
「そんな『多関節』を引き起こすヴァンドロームと友達だから、鬼頭は関節という分野に関するスペシャリストだよ。」
「ひどく限定的なスペシャリストですね。」
「何を言うかね、ことねさん。歯医者さんなんか歯だけのスペシャリストでしょう?」
「そう……ですね。」
「んでね、鬼頭は物に関節を作る技術を持っているんだ。」
「……簡単じゃないですか。」
「えぇっとね……二本の棒をつなげて関節にするのは簡単だけど、一本の棒をいじくって内部に関節を作るとなると意味不明でしょ?」
「……意味不明ですね。」
 つまりなんだ? 一本の棒をちょっといじくって自由に曲がるようにするって感じか。切断することなく、折ることなく。
「ほら、あの刀にも関節があるんだよ。」
「……切れ目の一つも見えませんけど……」
「切れ目があったらそれは関節じゃないよ、ことねさん。関節に切れ込みが入ってる生き物なんていないでしょ? まぁ、昆虫はともかくとして。」
 私は頭の中がこんがらがってきた。関節があるから引きぬけたってことなのか?
「んー……糖分が足りなくなりそうだな。とっととやんぞ。」
 鬼頭先生がだらんとした腕を動かした。それはまるで蛇のように、うねりうねりと滑らかに動いた。
「……気持ち悪いが……見えていれば問題はない。」
「そうかよっ!」
 鬼頭先生が刀を振る。すると刀は鞭のようにしなってピーターに襲いかかった。
 まっすぐ頭上に降ってきた刀を横に移動してかわしたピーター。だけど刀は地面に触れる前にその場で九十度方向転換し、ピーターの足元を狙う。そんな意味わかんない動きの刀をまたもなんなくかわす。
「すごい……」
 鬼頭先生の腕が三百六十度自由自在に動き、刀を生き物のようにしている。獲物を逃がすまいと踊る大蛇のごとく。
 それもすごいのだけど同時にすごいのがピーター。不規則なその刀を見事にかわしている。後ろから来ても余裕で。
「先生、あのピーターっていう人……」
「外的ではなく内的な症状だね。眼が良くなろうと見えない物は見えないわけだし……たぶん、高速・多量の情報処理を可能にする症状だね。」
「先生、日本語でお願いします。」
「……軽い未来予知だね。」
「先生……」
「ごめんごめん。そんなイタイ人を見る目で見ないで下さい。でも未来予知ってのは間違ってないんだよ。」
「?」
 そこで鬼頭先生とピーターが距離をとった。
「んー……意外と厄介だなおい。」
「……避けれはするが……隙が無いために反撃もできないな……」
 どうやら互いに攻撃が当てられない状態らしい。
『ならその辺で帰ってはどうだ?』
 《デアウルス》さんがいつの間にか階段の下にいた。アルバートさんは運んでいないから、のろのろと歩いてきたのかな?
『そもそも……吾も倒す気だったのか?』
「……いや、Sランクのヴァンドロームを手にかけるなど、私たちの教えに反する。他を抹殺する予定だった。……そもそも、お前にとってはこいつらがどうなろうと関係ないだろう?」
『そうでもない。』
「…………」
 ここに来て初めてピーターの表情がほんの少し変わった。『驚き』に。
 ピーターは少し考えた後、ポケットから携帯を取り出して誰かに電話した。
「……私だ。《デアウルス》については認識を改める必要がありそうだ。ああ……そうだ。すまんな、戻してくれ。」
 そんなことを言ってピーターは電話を切った。
「!?」
 ―――電話が切れた瞬間、本日最後の怪奇現象が起きた。
 崩れた壁、壊れた入り口の扉、ひっくり返っている車が何事もなかったかのように元に戻り、ブランドーとピーターが消えたのだ。
「先生!」
「どんな症状かわからないけど……これはまたすごい《パンデミッカー》がいたもんだね。」
「んー……まるで夢でも見てたみてーだな……」
 鬼頭先生の腕がしゅるしゅると普通の長さに戻る。そしてポケットから板チョコを取り出してバリバリと食べだした。
「……チョコ好きなんですかね……」
 私の疑問に先生が応える。
「あれは仕方ないことなんだよ。関節を増やすってことは関節を動かす筋肉を新しく設置するわけだからね。関節が一つ増えるだけで脳がやるべき情報処理がかなり増えるんだよ。それがあんな蛇みたいに動く程の数増えるわけだし……」
「それとチョコがどう繋がるんですか……?」
「多関節状態になると脳がものすごい勢いでエネルギーを消費するんだよ。大量の関節を制御するためにね。ほら、疲れた時は糖分っていうでしょ?」
「ああ……なるほど。」
 やっぱりヴァンドロームの力を使うと何かしらの代償を払うことになるんだな。
「……どうするのだ? 《デアウルス》。会議の続きをするのか?」
 アルバートさんが首をならしながら尋ねた。
『ううむ……今日は解散としよう。また明日……いや、明後日にここに集合してくれ。少し情報を整理して再び会議としよう。』
 ……こうして、私の密度の濃い一日が終わった。


「……失敗した。すまない。」
「おぉ……ピーターが謝った。」
 大きなワゴン車の中、一番後ろの席に座っているブランドーとピーター。そんな二人を睨みつける女。
「信じられないわね。失敗するとかあり得ないわ。ホントにもう……信じられないわね。失敗するとかあり得ないわ。」
「……すまない。」
「まぁまぁ。」
 運転席に座る男がなだめる。
「《デアウルス》の意思と『エイリアンハンド』の確認ができただけでも上々ですよ。」
「んま。そんなんで満足してんのあんた。まずいわねー、そんなんで満足してるなんて。あたしは早く安藤様にお会いしたいのよ! あの素晴らしい力……わかってんの? あたしは早く安藤様にお会いしたいのよ!」
「まぁまぁ……機はめぐりますよ。」
 くどくどと文句をたれる女性をなだめながら、男は運転をする。ニコニコ笑いながら。


 終わっていなかった。私の一日は終わっていなかった。まさかこんなイベントが待っていたなんて。
「あぁ……楽しみだわぁ……」
 私の前にはファムさんがいる。ほっぺたに手を置いてうっとりしている。私の横には先生。リムジンの中でそんな感じに座っている。

 《デアウルス》さんが解散と言った後、私と先生がホテルに向かうためにリムジンの方に移動しようとしたらファムさんが声をかけてきた。
「享守、あなたどこ行くの?」
「どこって……ホテルだけど……」
「わたくしとの約束はどうしたのよ。」
「いや、あれは時間かかるから一度チェックインしとかねーとダメだろ?」
 私と先生は直接ここに来たからまだホテルには行っていないのだ。
「そう……」
 半目でそう言ったファムさんは《デアウルス》さんに何かを尋ね、ケータイで電話をかけた。
「安藤享守。ええそう……そうです。ええ。お願いしますわ。」
 電話を切るとファムさんは満面の笑みで私たちを見た。
「ホテルはキャンセルしました。」
「んな!?」
「困ったわね。泊まる場所が無いわね。あら、うちはそういえば大きな家だわ。うちに泊りなさいよ。そうしましょう。」
「ちょ、ファム……」
「車はこっちよ♪」

 そんな感じで私と先生はファムさんの家に向かっている。ちなみに今乗っているリムジンはファムさんのリムジンらしい。中がオシャレな感じになっている。
「先生……」
「うん?」
 先生はリムジンの中に並んでいるたくさんの飲みモノを眺めていた。こういう所にある飲みモノと言えばワインとかシャンパンをイメージするけど……車内には美味しそうな野菜ジュースが並んでいる。健康にも気を使っているのだろう。
「ファムさんの家って……そんなに大きいんですか? お金持ちって言ってましたけど……」
「ファムのと言うよりはヘロディア家のおうちだね。今の当主はファムのお兄さんの息子だよ。お孫さんもいるから結構にぎやかなおうちだね。」
「お孫さんて……」
「そりゃ七十八にもなれば孫の一人や二人できるさ。お兄さんのだけどね。」
「ファムさんのお兄さんって……」
「今年で八十三よ。」
 そこでファムさんが答えた。
「んもう、わたくしのことを聞くならわたくしに聞きなさいよ。本人がここにいるのだから。」
「えっと……お兄さんも……その、若々しい……」
「いいえ。兄は見た目も中身もおじいちゃんよ。」
 そのお兄さんはファムさんをどう思っているんだろうか……
「んまぁ、だからファムの家族が並ぶとものすごい違和感なんだよね。ファムがお兄さんの息子やそのお嫁さんよりも若く見えるからね。」
「ふふふ。」
「……ファムさんはどうしてそんなに……その、美しくあろうと思ったんですか……?」
 さっきアルバートさんが筋肉を求めた理由を聞いてしまったからなんとなくファムさんのも気になってしまった。
「わたくしは……そうね、あれはひいおばあさまの百歳の誕生日のことよ。わたくしは十七……今のあなたと同じ歳のときよ。」
 ……とは言っても今から六十年ほど前のことか。
「世に言うお金持ちの家に生まれて、美しい容姿も得た。いわゆる勝ち組ね。そんな風に思っていたわたくしは今後の人生になんの曇りも感じていなかったわ。そんな時にひいおばあさまの百歳の誕生日が来た。百歳ってことでちょっとしたパーティーになってね、ひいおばあさまの百年を振り返るイベントがあったのよ。生まれた時から今までの写真をスライドで見ながら思い出を話す……みたいなね。」
 ファムさんはそこで遠い目をした。
「若いころのひいおばあさまは美しかった。その場にいる誰もがそんな感想を抱いたけど、わたくしは違った。目の前のひいおばあさまと写真の中のひいおばあさま。そこでわたくしは思ってしまったのよ。『ああ……人ってこんなに美しくなくなるんだ……』ってね。」
 私は息を飲んだ。あまりに切ない言い方だったから……
「初めて今後の人生に不安を覚えたわ。今の美しさは失われていく……そんなの絶対に嫌だ。だからわたくしは美しさを保ち、向上させることに力を入れることにした。ヘロディア家の財力を使ってありとあらゆるモノを利用してね。美容に良いモノは全て求め、専門家のアドバイスを受け、トレーニングをし、整形なんかもしてね。その過程で《お医者さん》の存在を知った。一般では知られていない特殊な技術を使う人々と特殊な力を使う生き物、ヴァンドローム。学び、ヒントを得て、応用し……そんなことをしていたらいつの間にか《ヤブ医者》と呼ばれるようになっていたわ。」
「え、すごいですね。」
「必死だったからね。」
 流し目でそう言うファムさん。うぅ、ドキッとしてしまった……
「そうして……この美しさを保ち続けたのだけどね……七十を超えたあたりで……高齢者がかかる病気にかかったのよ。治りはしたけどね……身体の中は美しさを保てていないのだとわかってしまったのよ。そこから数年間は地獄だったわ。中から腐っていく果物のような気分だったわ。」
 ファムさんは暗い感じでそこまで話し、突然笑顔になる。
「そんな時、わたくしの前に救世主が現れた。ある年の『半円卓会議』で新しい《ヤブ医者》として登場したその人はわたくしと握手しただけでわたくしの実年齢を当ててしまったわ。初対面で実年齢を当てられたのは初めてだったからびっくりしたわ。理由を聞いてみると、その人は触れた相手の細胞や神経を操ることが出来ると言ったわ。」
「聞くと言うよりは……問い詰める……脅迫に近かったけどね。」
 先生が苦笑いする。
「だから尋ねたの、わたくしの中身を外見と同じ段階まで戻すことはできるかとね。わからないとその人は答えたけど……やってみたらあらあらびっくり。二十代まで身体の年齢が戻ったの。いろんな医者に尋ねたけどそういう結論が出た。そう、文字通りにわたくしは若返ったのよ。美しさを取り戻したのよ。」
「え……それって……」
 私は先生を見て言った。
「先生は……人を不老不死にできるんですか……?」
 遥か昔からあらゆる人が求めて手にすることのできなかったモノ。不老不死。私の先生はそれを与えることができるのか……?
「基本的に無理だよ。死んだものは生き返らせることができないし、年老いた肉体を戻したりしたら身体が変化に耐えられない。無理やりやったら……死んでしまう可能性もある。だけどファムは特別だったんだよ。五十年以上行ってきた美しさの保持。その時間は身体に『肉体の時間を戻す』ということを慣れさせたんだ。確かな努力をしたファムだからこそできた奇跡なんだよ。」
「それ以来、わたくしは年に一回身体の調節をしてもらっているのよ。一年間で失われた美しさを再び取り戻すためにね。」
「す……すごいですね……」
「でもまぁ一年は長いからね。戻すと一言で言っても大変な作業なんだよ。二~三時間はかかるし、その間ファムは熱いようなかゆいような痛いような……そんな感覚を受け続けるんだ。」
「最近はそれが快感になってきたけれどね……」
 またうっとりするファムさん。なるほど……先生とファムさんの関係がこれではっきりした。ようは『先生』と『患者さん』だ。年に一回の若返りという美しさの治療だ。
「本当なら毎日やって欲しいくらいなのよ? わたくしの家で住み込みでやってくれて良いと言っているのだけれどね。それなりの御給金は渡すし……」
「いいよ……金目的でオレはこの技術を持っているわけじゃないし……オレはただあの人の意思を継いでいるだけだ……」
「まったく……わたくしは会う度に求婚しているのだけどね。」
「求婚!?」
 『先生』と『患者さん』じゃなくて『つれない男』と『片想いの女』か!?
「ん、着きましたわね。」
 ファムさんがそう言ったので外を見る。……どこだろうここは。なんか森の中に入ってるけど。
「ことねさん、ここはすでにファムの家の敷地内なんだよ。」
「え……」
 見えてきた建物は……一言で言えばお城だ。時間的には夕方なので夕日を受けてすごく綺麗だ。あれが家?
「さぁ、我が家へようこそ。」

 よくわからない装飾がされているドアの向こうには二車線道路みたいな幅の廊下。天井にはキラキラ輝くシャンデリア。床には赤いじゅうたん。所々に大きな植物。
「うわぁ……」
「こっちよ。」
 先生は慣れた感じでついて行く。私は圧倒されながら先生のあとを追った。
「おばあちゃーん。」
 廊下の向こう側から小さな女の子が走って来る。
「あら、お出迎え? ありがとうね。」
 ファムさんがそう言った。……ということはあの子は……ファムさんの孫にあたるのか。どう見たってお母さんかお姉さんだ。
「あ、キョーマだ。」
「こんにちは。」
 先生が呼び捨てにされた。そういえばファムさんは「享守」って呼んでるもんな。
「こっちのおねーちゃんは?」
「この人はね、享守の……?」
 ファムさんが言いながら私を見る。そういえばちゃんと自己紹介してないからなぁ。
「生徒だね。」
 先生がにっこり笑いながらそう言った。
「ふーん。キョーマは今日もおばあちゃんの治療?」
「そうだね。」
「そっか。それじゃあまたあとで遊んでね。」
 そう言って小さい子は去っていった。先生はにこやかにそれを見送ったけど、ファムさんは腕組みをしてため息をついた。
「享守はうちの家族にウケがいいのよね。」
「そうか?」
「あの子、この前享守の好みの女の子を聞いてきたわよ? 最近の若い娘はませているわよね。」
「そ……そうか……?」
「そう言えばファムさんは……おばあちゃんとか呼ばれることを別に気にしてないんですね。」
「そうね。わたくしは美しくありたいだけで若くありたいわけではないわ。美しくなることが若い外見につながってしまっているだけよ。」
 そんなことを話しながらしばらく歩き、一つのドアの前で止まる。
「ここがわたくしの部屋。どうぞ入って。」
 ドアの向こうは……すごかった。向かって左側の壁には大量の容器が図書館の本棚みたいにならんでいる。文字が全部英語だからよくわからないけど、たぶん全部美容液とかそんなんだ。右側にはランニングマシーンとかが置いてあってちょっとしたジムみたいになってる。そして部屋の真ん中にベット。ただしこのベットは寝るためのものじゃなくて……マッサージをしてもらう時なんかに寝そべるやつだ。
「早速始めましょうか。」
 そう言うとファムさんは服を脱ぎだし―――って、ええええ!?
「ファム……」
「水着を着用済みよ。」
 なんとも目に毒(眼福?)なビキニ姿のファムさん。ナイスバディだ。女の私もドキドキしてしまう。でも先生は半目になるだけだった。
「……会議の時からそうだったのか……」
「いつどこで享守の調整を受けられるかわからないからね。」
「いやいや……」
「さ、やってちょうだい。」
 ファムさんが真ん中のベットに寝っ転がる。グラビアの撮影現場のようだ……
「んーっとね……」
 先生が白衣の袖をまくりながら私に言う。
「さっきも言ったように結構時間かかるからね……ことねさんは何してようかね。」
「わたくしの本でも読んでいたらどうかしら?」
 ファムさんが寝っ転がった状態で指差した方を見ると、小さな本棚があった。左の壁の美容液の棚が大きすぎて小さく見えるだけかもしれないが……
「でも私、英語は読めませんよ……」
 言いながら一冊手に取った。あれ? これは日本の小説だ。
「日本語の勉強のために買った本なのよ。」
「《今日の天気》……これ、どういう物語ですか?」
「バトルものよ。」
 題名からは想像できないな……んまぁ、暇つぶしにはなるかな。
「よし、んじゃ始めるぞ。」
 先生が両手をファムさんの背中に乗せる。
「接続……」
 先生がぶつぶつと何かを言い始める。私は本の一ページ目を見る。その瞬間――
「あぁん!」
 なんか桃色の声がした。ぎょっとして顔をあげるとファムさんが顔を赤くして喘いでいた。
「あはん! いやん! ああぁん!」
「ちょ、先生! 何してんですか!」
 思わず叫ぶ私だが先生は静かなモノだった。
「細胞を活性化させる……と言うよりは遺伝子の書き換えに近い行為だからね……肌が焼けるような、内臓が溶けるような……そんな感じなんだよ……」
 ファムさんの桃色の声に一切反応せず……というか反応している余裕がない感じだ。目を閉じてものすごく集中している。さすが先生。……何がさすがかわからないけど……
「あはぁぁん!」
 しかし……ダメだ。この声を二~三時間聞き続ける自信が無い。
「先生……私、外にいますね。」
「うん。」
 そそくさと部屋を出てドアを閉める。かすかに聞こえるファムさんの声。
「……なんだかえっちだなぁ……」
 はぁとため息をついた私はふと隣に誰か立っていることに気付いた。
「……! ……スッテンさん?」
 ドアの横に立っていたのは西洋の甲冑だった。思わずスッテンさんの名前を出したけど返事はない。
「……あ……」
 まわりを見まわすと甲冑が一つじゃないことに気付いた。廊下にあるものが全部すごすぎて意識しなかったけどよく見ると一定の感覚で鎧が並んでいた。美術品として置いてあるんだろう。
「……夜とか怖くないのかな。」
『オット、ネテシマッテイタカ。』
「うわっ!」
 突然隣の甲冑がしゃべったのだ。
『マタオドロカセテシマッタネ。ゴメンヨ?』
「スッテンさん……何してるんですか?」
 さっきの私の判断は正しかったようだ。スッテンさんがそこにいた。
『ヘロディアケニセッチサレタキョウコナセキュリティヲトッパスルコトナドゥワァタシニハアサメシマエダヨ。』
「いえ、そうじゃなくてどうしてここに……?」
『ウン。コレヲキミニワタソウトオモッテネ。』
 スッテンさんが手を出してきた。そこには小さなパソコンみたいのが乗っていた。
「……なんですか、これ……」
『ゥワァタシガツクッタチョウコウセイノウデンシジショダ。』
「電子辞書?」
『キョーマノモツキョーマノセンセイノノートノカイドクニツカウトイイ。』
 私はびっくりした。先生からもらったあの英語のノートのことをなんでスッテンさんが知っているんだ?
『ウム、ソノカオカラサッスルニモラッタヨウダネ。ソレハヨカッタ。』
「どうして……?」
『《オイシャサン》トシテ、キョーマノギジュツハコウセイニノコスベキダトオモッテネ、デシヲモツコトヲキョヒシツヅケタキョーマニタズネタコトガアルノダヨ。キョーマニ《オイシャサン》ヲオシエタヒトハナニカシリョウトカヲノコシテイナイノカッテネ。キョーマジシンニオシエルキガナクトモソウイウモノガアレバギジュツハマナベルカラネ。スルトキョーマハオシエテクレタノダヨ、センセイガノコシタノートガアルトネ。ソシテイマキミトイウ、キョーマカラ《オイシャサン》ヲマナンデイルソンザイガイル。キミニソノノートガワタルカノウセイガタカイトオモッタノダヨ。ムロン、キョーマノフカシギナギジュツノシンズイガカカレタモノナノダカラムズカシイゴクヤセンモンヨウゴガデテクルコトガアルダロウ。ダカラコレヲキミニワタスノダ。』
 長々とスッテンさんがしゃべったけど……文字にしたら読みにくいことこの上ないだろうなぁ、このセリフ。
「つまり……私にあの技術を継いで欲しい……と?」
『イヤ……ショウジキニイエバ、ハヤクカイドクシテモラッテソレヲオシエテホシインダ。ゥワァタシモ《オイシャサン》ダカラネ。キョウミガアルンダヨ。』
 言いながらスッテンさんは電子辞書を開く。作りは市販のモノと変わらないけど隅っことかにたくさんボタンがある。
『コノジショニハセカイジュウノゲンゴガハイッテイル。ツヅリハモチロンオトカラモケンサクカノウ。サラニセンモンヨウゴモカンゼンモウラ。ゾウゴデサエイミヲヨソクスルスグレモノダ。』
 電子辞書を私に渡すと、スッテンさんは普通に廊下を歩いて去ろうとする。
「ちょ……そのまま行ったら誰かに……」
『モンダイナイ。』
 そう言った瞬間、スッテンさんの姿は幻のように消えた。
「あぁん! いいわぁ! やん!」
 突然の登場と一瞬の退場にポカンとしている私の耳にファムさんの声が響いた。

 廊下にいた私を見つけたヘロディア家の……執事さんみたいな人が案内してくれた客間で本を読むこと二時間。先生がだいぶぐったりしながら入ってきた。
「あ、先生。」
「ことねさん……ご飯だって。」
 食堂……と言えばいいのだろうか。大きなテーブルに豪華な料理がのっていて、部屋の隅でヴァイオリンか何かを弾いている人がいる、とんでもなく広くて豪華な部屋に来た私はそこでファムさんの家族全員に出会った。
 現当主のファムさんのお兄さんの息子さんとその奥さんはどこかの貴族みたいな格好。その二人の子供、ファムさんから見ればお孫さんが……二人。一人はさっきの女の子。もう一人は中学生くらいの女の子。二人ともキラキラした服だ。そしてファムさんのお兄さんとその奥さん。結構なお歳だけどどことなく貫禄のある感じだ。
「……」
 そしてお孫さんを除けばこの家で一番若く見える七十八歳のファムさん。ものすごく上機嫌なのが見てわかるほどウキウキしている。先生の治療のおかげなのか……こころなしか肌がさっきよりツヤツヤしている気がする。
最後にボサボサ髪で白衣で便所サンダルの先生。場違いこの上ない。
「先生……場違い感がすごいですけど……」
「うん……普通なら嫌な顔されそうだけどね。何故かこの家では大笑いされた後に「オシャレだね」と言われたよ。」
「はあ……あと先生。私、こういう食事のマナーとかわからないんですけど……」
「オレもわからないよ。気にしなくていいよ。」
 気付くと全員食べ始めていた。「いただきます」がないと違和感があるなぁ……


 ナイフとフォークを持って首を傾げつつ肉を切ることねさん。ことねさんは気付いているかわからないけど……その肉ってバカみたいな高級品だったりするんだな。
 とは言え、あの処置の後だからおなかは空いているのでオレも肉を切る。
「柔らかいなぁ……」
 アホみたいに美味しい肉を頬張り、ごはんが欲しくなるオレの目の前にお茶碗に盛られたご飯が登場した。
「どうぞ、安藤様。そちらのお嬢様も。」
 ヘロディア家の執事さんがご飯をくれた。ことねさんはびっくりしている。
「去年、享守がご飯が欲しいといったのを覚えていてね。」
 隣に座るファムがニンマリとしながら呟く。
「日本のお米を取り寄せておいたのよ。」
「わざわざすまんな……」
「そうね。わたくしったらいいお嫁さんになるとは思わない?」
「……そうだな。」
 ファムのアプローチを軽く流す。実際、容姿は最高だしお金持ちだしファムの求婚をさける理由はないんだが……オレの場合、実年齢を触って感じ取ることが出来てしまう故にどうしても断ってしまう。細胞が記憶している年齢と身体の矛盾をオレはとてつもない違和感として感じてしまい、落ち着かないわけだ。手もつないで歩けない。
 例えるなら、付き合う彼女がいつも服を前後ろ逆に着ているような。
「キョーマ、キョーマ。」
 そんなことを考えてモグモグと肉を食べていると正面に座るファムの孫が話しかけてきた。名前はアリス・ヘロディア。ちなみにその隣のもう一人の孫はアイリーン・ヘロディア。
 アリスちゃんはトマトをフォークに指してパクリと食べた。だいぶ嫌そうな顔だが少し噛んで飲みこんだ。確か去年は皿の隅っこによせていた気がするな。
「おお。トマト食べられるようになったんだね。」
「すごい?」
「うん。」
「えっへっへー。」
 ……そういえば普通に日本語だな。こんな小さな子まで日本語を勉強したのか?
「ファム。」
「なにかしら。」
「この家の人はみんな日本語しゃべれるようになったのか? オレが初めて来た時は執事さんだけだったろう? しゃべれたの。」
 ファムに初めて会った時は《デアウルス》がファムの言葉を翻訳してくれた。というか一時的になんの問題もなく会話が出来るようにしてくれた。さすがSランクなわけだ。
 そんでこの家に強制連行された時は執事さんが通訳していた。
「わたくしが勉強しているところにやってきてね。五歳ともなれば情報の吸収率は高いわよ。今や英語も日本語もしゃべれるわね。アイリーンはまだ全然だけど。」
「いや……それが普通だ。最初に会って翌年ファムにあった時に普通に日本語で話しかけられたときは正直びっくりしたんだぞ……」
「そう? アルバートもスッテンも一年で日本語はマスターしたじゃない。」
「スッテンはともかく……アルバートもすごいよなぁ。」
 そう……アイリーンちゃんやファムのお兄さんとかがしゃべれない方が普通。んな一年で一つの言語をマスターって……さすが《ヤブ医者》と言ったところか。
「ところで享守。今年は何をご所望なのかしら?」
「んあぁ……ことねさんがジグソーパズル欲しいって言ってたな。」
 オレがそう言うとことねさんがキョトンとした顔でこっちを見た。
「ジグソーパズルって……先生、何の話ですか?」
「ほら、お土産の話したでしょ?」
「ああ……何でも手に入るって……」
「オレがファムの身体の調節をする……報酬見たいな感じでファムがお土産を買ってくれるんだ。」
「ひもですね、先生。」
「ことねさん……」
「あっはっは! 毒舌ね。」
 そこでファムが少し身をのり出してことねさんに近づく。
「そういえば名前だけできちんと自己紹介してないわね。わたくしはファム・ヘロディア。《ヤブ医者》よ。」
「あ、はい……私は溝川ことねで―――」
 ことねさんが最後まで言いきらなかった理由はことねさんの左手がファムの頭をぺしぺしと叩いたからだ。
「す、すみません!」
「なるほど? それが例のね?」
「はい……《オートマティスム》です。これを抑えられる《お医者さん》が先生だけということで……今は先生と暮らしてます。ついでに《お医者さん》の勉強も教えてもらって―――」
 ことねさんが再び最後まで言いきらなかった理由はファムが目を見開いて驚愕したからだ。
「い、一緒に暮らして……!? 享守!」
「な、なんだ?」
「わたくしにもSランクがいるらしいわ! 一緒に暮らしましょう!」
「いやいやいや……」

 なんとも騒がしいディナーが終わり、オレはファムが用意した(というよりはあまっている)部屋に案内された。いつの間にやら荷物もそこにあった。ことねさんは隣の部屋だ。
「享守。」
 オレがベッドのふかふか感を味わっているとファムが入ってきた。
「なんだ?」
「ことねのことだけど。」
 ファムは部屋のソファに座って腕を組んだ。かなり真剣な顔だ。オレは起きあがってファムを見る。
「……どうかしたのか?」
「彼女の肌、少しおもしろいことになっていたわよ。」
 ファムはこと、肌に関しては世界トップクラスの専門家だ。
「どんな感じに?」
「彼女の年齢……十七歳であることは確かだし、相応のお肌だったわ。でも一部分だけ……十六歳程度の肌なのよ。あなた、何かした?」
「……身体の調整が可能なのはたぶん世界でもファムだけだぞ……?」
「そう……ならSランクが体内にいることの影響かしら。」
「ああ……かもな。あいつら超常的だから。」
 そこでファムが立ちあがり、オレの前に立ち、顔を近づけてきた。鼻がぶつかりそうなくらいの距離に。いつもなら色っぽい感じの表情だが、今のファムは誰かの嘘をとがめるような表情だった。
「あなたの肌と同じ現象ね?」
「……なんの話だ?」
「あなたの肌、二十歳くらいの肌なのよね。決して二十五歳の肌じゃないわ。わたくしみたいに美しさを保つ行為をしているわけでもないあなたの肌が実年齢とずれている理由……あるとすればあなたが自分で自分の身体を調節したということぐらいだけど……?」
「……オレも例外じゃないさ。肌の巻き戻しが出来るのはファムだけだ。」
「ならこういう結論になるのだけれど?」
「どんな?」
「あなたの身体にもSランクがいる、もしくはいたっていう結論よ。」
 オレはファムの目を見る。見た目はあれだがファムは確実に七十八歳の年長者。圧倒的な人生経験によって鍛え上げられたその目はオレの頭の中をのぞいているかのようだ。
「……」
「享守……あなたは……何者なのかしら?」
「うひぃやぁ!」
 そこで響いた素っ頓狂な声はことねさんのモノだった。
「あら……ことね。享守に用かしら。それともわたくし?」
「ご、ごめんなさい! お邪魔しました!」
「いいわよ。わたくし、部屋に戻るから。」
 ファムは顔を上げる。その表情はいつものそれに戻っていた。
「享守。別に無理に聞き出そうとはしないけれど……いつかは知りたい事ではあるわよ?」
 そう言ってファムは出ていった。
「あ、あの……先生……いいんですか……」
「うん。入っていいよ。」
 ことねさんは少し顔を赤くしてさっきファムが座っていたソファに座った。
「どうしたの?」
「い、色々聞きたいことがあったんですけど……今は頭の中、真っ白です。さっきのは……」
「ファム? あれはねぇ……」
 オレはファムの目を思い出しながら答える。
「友達の友達的行動って感じかな。」
「?」
「んまぁ、いろいろあるんだよ。」
「そうですか……」
 ことねさんは深呼吸をしてオレを見る。
「えっとですね、今日の会議であった色んなことを聞きたくて来ました。」
「うん。」
 ことねさんはわからないことをすぐに聞ける人なんだよな。いいことだ。
「まずですね……さっきのご飯の時の英語の話で思ったんですけど……あの会議に来てた人って……色んな国の人ですよね……?」
「そうだよ。日本から来た人もいるけど極一部だね。」
「なのに、私あの場で外国語を一度も耳にしてません。私に話しかけてきた《ヤブ医者》のお弟子さんたちも……アルバートさんのお弟子さんのムキムキさんもみんな日本語でした。あれってどういうことですか?」
「それはね、《デアウルス》がいるからそう聞こえているだけなんだよ。」
「え?」
「例えばあそこでの会話を録音してみるとね、ちゃんとみんなそれぞれの言語でしゃべっているんだよ。だけど《デアウルス》が会議をスムーズに進めるためにその場のあらゆる言葉があらゆる人に通じるようにしてくれてるんだ。英語で話しかけられても日本語に聞こえる……みたいな。」
「すごいですね……《デアウルス》さん。」
「《デアウルス》は『バベルの塔が出来る前はこうだったのだ。』なんて言ってたね。」
「博識ですねぇ。えっと次の質問はですね……」
「うん。」
「鬼頭先生についてなんですが……日本人ですよね? どこに住んでるんでしょうか。」
「ああ……直で話を聞けたらいいもんね。せっかく同じ国だし。鬼頭の弟子とも仲良くなったみたいだったしね?」
「あ、はい。南条詩織ちゃんです。」
 南条……南条!? あの南条か!? すごいとことつながりをもったなぁ、ことねさん。んまぁ、その内本人からなんか聞くだろうし……オレが言わなくてもいいか。
「そう。鬼頭は……はて、どこだったかな?」
「……頼りになりませんね……」
「……ごめんなさい。」
「それじゃ鬼頭先生絡みでもう一つ。」
「うん。」
「関節のスペシャリストって言ってましたけど……《ヤブ医者》って基本的にそんな感じなんですか?」
「そうだね。ファムは肌……というよりは年齢。アルバートは筋肉。スッテンは科学って感じで専門家だね。その専門的な技術と《お医者さん》の知識で《ヤブ医者》という称号を得ているわけだね。」
「先生は?」
「オレは……細胞かな?」
 正確には違うんだが……まぁ、いいだろう。
「先生の言う通り、《ヤブ医者》と言えど万能ではないんですね。先生が特別なだけですか。」
「うん……まぁ。例えばアルバートは肉弾戦専門だから身体が液体に近いヴァンドローム相手だとEランクでも倒せないし。万能な《お医者さん》はそういないよ。」
「……今、何気にオレって凄いぜって自慢しました?」
「……ごめんなさい?」
 ことねさんは時々……いや、しょっちゅう? ぐさりと刺さることを言うなぁ。
「次はですね……ピーターっていう《パンデミッカー》の話です。」
「ああ、ちょっとした未来予知の話?」
「そうです。未来予知ってなんですか。それができたから鬼頭先生の攻撃を全部避けれたって言うんですか?」
「そうだね。」
「……未来を予知する症状なんてあるんですか?」
「うーんとね……そもそも未来予知ってなんだって話なんだよ。」
「……未来のことを予知するんですよね……」
「そうだね。でもそれって誰にでもできるでしょ?」
「はい?」
「例えば……ことねさんは今から五分後に自分が日本にいると思う?」
「……瞬間移動ですか。無理ですよ。」
「ほら、未来予知できた。五分後に日本にはいないってね。」
「からかわないで下さい。」
「真面目な話だよ。今ある情報と蓄えた知識、常識を使用することで人は未来を予知……予測できる。一般的にはできて数秒先、数分先が限界かな。条件がそろえば数時間、数日先も可能だろうね。でも中には一般人を遥かに超える精度と範囲で未来を予測する人がいる。そういう人を特別、未来予知能力者って呼んでるだけなんだよ。」
「はぁ……そういうもんですか……」
「そういう人たちはオレたちと何が違うかって言うと、情報の収集力とその処理力なんだよ。一応人間の視界って結構広くて色々見えるけど実際本人が見ているのは視線を送っているものだけでその他はただの風景でしょ? たまたま目に入ったモノまで一々記憶はしないし、意識も向けない。でもそれを無意識下で記憶して整理して他の情報と結合させる。その結果一般人からしたら未来予知としか思えない予測を言えるわけだ。」
「じゃあ……ピーターは……」
「うん、言ったように高速・多量の情報処理を可能にする症状だよ。その症状のせいであんなに無表情なのかもね。」
 脳の症状ともなればどこかに不具合が出る。精神的な症状ならデメリットも精神的なモノになる。あのピーターとかいう《パンデミッカー》、もしかしたら普段は表情豊かな奴かもしれない。
「まぁもちろん、掛け値なしの本物もどこかにはいるだろうけどね。」
「本物?」
「人智を超えたSランクがいるんだから……完全完璧本物の予知能力者もいるだろうねってこと。」
「そうですか……」
 表情から察するに、ことねさんは超能力者とかあんまり信じてない感じだなぁ。まぁ、無理もないか。でもいずれは知るだろう。超絶的な能力を持つヴァンドロームとオレら人間は、地球上の生物という点では同じということに。
「最後は……ヴァンドロームについてです。」
「んん? まだ教えてないことあったっけ。」
「私、先生からもらった図鑑に載っているヴァンドロームは全部覚えたんですけど……鬼頭先生の……相棒でしたっけ? の《トリプルC・LX》ってSランクじゃないのに私の記憶にありませんでした。ブランドーにとりついてる何とかって奴も……」
「ああ。そうか……ことねさんが一人前になった時に言おうかと思ってたんだけど……まぁ、知ってしまったのならしょうがないか。」
「え、そんなに重要な事柄なんですか……」
「それなりにね。そもそもあの図鑑に載っているヴァンドロームにはある共通点があるんだよ。」
「みんな不思議な生き物ですけど……」
「あっはっは。確かにね。実はねことねさん、あれに載っているヴァンドロームは『知識と技術をきちんと身につけて、自分の治療法をしっかりと確立して、一人前と言われるようになった《お医者さん》なら倒せるヴァンドローム』なんだよ。」
「つまり……弱い奴ってことですか?」
「強い弱いじゃなくて……厄介かそうでないかだね。ヴァンドロームはS、A、B、C、D、Eの六段階で分類されるけど、加えて『特例』っていうくくりがあるんだよ。」
「『特例』……」
「多くの実戦をこなして技術や直感を高い段階にまで磨いたプロでないと治療することを許されないヴァンドロームのことだね。だから載ってないんだ。」
「それって……Sより上ってことですか?」
「いんや。『特例』は全てのランクに存在するくくりだよ。特Aから特Eまで。んまぁ、Sにはないけど。」
「特Eなんてのがいるんですか。」
「うん。新人がEランクだから大丈夫だろうなんて思って治療を行ったらまず間違いなく失敗するような奴らだね。」
「……それってつまりBとかAってことじゃないんですか?」
「ランクは純粋な強さの話。『特例』は厄介さだよ。」
「?」
 ことねさんが首を傾げる。うん、確かに分かりにくいよな。
「えっとね、それじゃ例を出して教えよう。」
「お願いします。」
「特Eランクヴァンドロームに《モスキート》ってのがいる。症状は『貧血』。」
「そのまんまですね……」
「Eランクだから知能は低い。しゃべれないし、特別な能力を持っているわけでもない。それじゃなぜこいつは『特例』なのか。それはこいつが倒し難いから。」
「倒し難い?」
「こいつは遠距離攻撃をしてくるんだよ。しかもこいつの大きさは蚊ぐらい。」
「……はい?」
「だから大抵反撃できずに逃げられるんだな。」
「……何がどうなって反撃できないんですか……?」
「何かの術を発動する場合、術式を予め用意してても発動するまでに多少のタイムラグがあるんだよ。術を発動する前に《モスキート》が遠くから「当たると結構痛い攻撃」をしてくるわけだ。仮に術を発射できたとしても小さすぎて当たらない。殴るとしても蹴るとしても、近代兵器を使おうとしてもね。」
「なるほど……」
「そんなこんなで逃げられちゃうわけだ。熟練者ならそういう場合の対応の仕方が自分の中にあったりするんだけどね。新人だとなかなか難しい。」
「ははあ。ということは《トリプルC・LX》も何かが厄介なんですね。」
「そうだね。腕が六本あってその一つ一つの長さが五メートルはあるから。」
「なんですかそれ!?」
 まったく、ことねさんの言う通りだ。鬼頭の相棒はいつもどこにいるのやら。


 次の日。オレとことねさんはファムに連れられて街へくりだした。お土産を買うためだ。
 オレはファムの身体の調節をする代わりに好きなモノを買ってもらっている。ことねさんにひもと言われてしまったが……
ファムは家も金持ちなら本人も金持ちだ。長年続けてきた美容のノウハウを指導する「美容のカリスマ」でもあるし、《お医者さん》としても《医者》としても同業者の中では名医で通っている。
「今年は二人分ね。ことねはジグソーパズルだったかしら?」
「え、はい。というか私もいいんですか?」
「いいわよ別に。島を二つ買うわけじゃないんだから。」
 なんつー例えの仕方だ……

 しばらくファムの家のリムジンで移動し、着いた店はなんとジグソーパズル専門店。
「うわぁ……」
 ことねさんもびっくりしている。ことねさんの左手も勝手にジグソーパズルの箱を持ってシャカシャカ振っている。なにやってんだ《オートマティスム》。
「さぁ、好きなモノを。なんならあれでもいいわよ?」
 ファムが指差したのは壁一面を覆うほどのどでかいパズル―――ってでかすぎるだろう。オレの部屋の面積よりでかいぞ、あれ。
「いやぁ……あれじゃぁ丸一年くらいかかりますね……そもそも部屋に入りませんよ。」
「そう? ならああいう大きさでも大丈夫なようにわたくしの家に引っ越すといいわ。ねぇ享守?」
「いやいや……」
「そういえば享守は今年もあれなのかしら?」
「ああ、そうだな。あれで頼む。」
「先生は何を買ってもらっているんですか?」
「エロDVDよ。」
「えぇっ!?」
 ことねさんが普段半分くらいしか開いていない目を見開いてオレを見る。同時にことねさんの左手がオレの腹にめり込んだ。
「ぐふっ!」
 だんだんと表情(?)豊かになってきたなぁ……《オートマティスム》よ。
「……ファム、同居してる女の子になんつーことを言うんだよ……」
「あっはっは。冗談よ、冗談。」
「……本当は何を……?」
「享守が欲しがるのは絵本よ。」
「絵本……? 先生、お子さんいましたっけ?」
「知ってるクセに聞かないでよことねさん。いないよ。趣味で集めてるだけだよ。」
「趣味? 絵本収集が趣味ですか。なんでまた……」
「面白おかしい発想が詰まっていて、重厚なストーリーなんて無しに人を感動させて、何よりすべてがハッピーエンドでしょう? そんなとこが好きなんだ。」
「へぇー……というか先生の部屋に絵本なんてありましたっけ?」
「床下にあるよ。」
「床下なんて空間があったんですか!」
 ことねさんが驚愕している。実はことねさんの部屋にも隠し扉があったりするんだが……
 すべてはあの人の茶目っ気あふれる遊び心……だな。

 手ごろな大きさのジグソーパズルを二十個ほど買ってもらったことねさんとオレとファムは次の目的地へ。どこってもちろん本屋さんだ。
「大きい本屋さん……というか図書館ですね、ここは。」
「オレも最初来た時はびっくらこいた。」
「享守、新作絵本はこっちよ。」
 オレはファムについていき、絵本の棚の前に立つ。
「おお。あの作者の新作か。これは面白そうだ……こっちは……」
「……先生、それ英語ですよね? 読めるんですか?」
「絵本程度の英語なら読めるよ……辞書使いながら。」
「かっこ悪いですね。」
 そんな会話をしていたら誰かに肩を叩かれた。
「ん?」
 振り向くと茶髪のおねーさんがいた。店員さんのようだ。何かをしゃべっているんだがオレにはわからない。なぜなら英語だから。
「ファム。」
「何かしら?」
「この人がオレに話しかけているんだがなんて言っているのか通訳してくれないか?」
「いいわよ。」
 ファムが英語をしゃべった。いや別に不思議なことじゃないんだけど……やっぱ複数の言語を使えるってのはいいなぁ。
「えぇっとねぇ、享守。」
 ファムがつまらなそうに……というかオレを睨みながらこう言った。
「ちょうどあなたが《ヤブ医者》になった年にここの従業員になった人だそうでねぇ……おととし、去年と同じ時期に大量の絵本を買っていく白衣の男が気になってしょうがなかったそうよ。それで今年来たら話しかけてみようと思ってたんだって。」
「……ファム? なんでオレの襟を掴んでいるんだ?」
「なにそれ! 映画か何かのラブストーリーの始まりみたいじゃないの! わたくしを差し置いて!」
「いやいやいやいや!」
「享守、あなたって実は女たらし?」
 ファムはことねさんを横目に見ながらそう言った。
「……たらし込めるほどの何かをオレが持っているとは思えないけどな……」
 ファムの年上の貫禄で縮みあがっているオレに助け船を出したのはことねさん。
「ファムさん、この人まだなんか言ってますよ。」
「ん?」
 ファムが再び話を聞く。するとことねさんがオレの横に立ってぼそりと呟いた。
「……先生って女性関係に悩んでます?」
「突然なんだい、ことねさん。」
「なんとなく……」
「オレは……」
 自分の近辺の女性を思い出してみた。なぜか小町坂が思い浮かんだのはあいつの髪が長いからだろう。えっと……ことねさんとるるとファムか。んー……一番の問題はファムだな。悩むほどのことじゃな―――いや、悩むべきか……
「享守、この子……なんか、エルドールとかいう作者のファンらしいわよ。」
「んな! エルドール・ブラックか!」
 こんな所に同士がいたとは。彼の作品は子供と言うよりは大人が読むべき良い話ばかり。絵に使われる色が暗い色ばかりだからみんな嫌うが……
「オレも大ファンだ!」
 オレは茶髪のおねーさんと握手を交わした。それだけでオレの意思は通じたらしく、茶髪のおねーさんもガシッとオレの手を握り返してくれた。

 その後、そのおねーさんからお勧め絵本なんかを教えてもらい、今年も大量の絵本を買ってもらった。同志ということで互いの連絡先を交換したあたりからファムの表情が険悪になっていったが……
 しかしこれでオレも本格的に英語を勉強しないといけなくなった。スッテンあたりに性能のいい翻訳機をもらうのも一つの手だが……さてどうす―――
「享守。」
 ファムが帰りのリムジンの中でオレに話しかけてきた。
「なんだ? ……まだ怒ってるのか……?」
「もうそれはいいわ。今夜あたりに夜這いをかけるから。」
「何を聞き捨てならないことをさらりと言ってるんだ!? そもそも夜這いって日本の風習―――」
「あなたのところに、《パンデミッカー》は来た?」
 突然の真面目な内容にオレは面食らう。同時にことねさんも真剣な顔になった。
「突然なんだ……」
「どうしても考えてしまうのよ……享守、あなたの技術は《ヤブ医者》二十八名の中でも異質。《パンデミッカー》が利用しようとするんじゃないかってね。加えて、会議で《パンデミッカー》の名前が出た時、あなたは動じなかった。すでに知っていたってことよね?」
 ……さすがというか何と言うか。伊達に長生きしてないよなぁ。
「……ああ。会議の数日前にうちの診療所に来たよ。」
「やっぱりね。んまぁわたくしが何かを言う前に、《デアウルス》ならそのことに気付いて対策を考えるわね。用心棒の一人もつくかしらねぇ……」
「用心棒? オレに? 無いだろ。」


 お買いものに言った翌日、《デアウルス》さんが言った通りに『半円卓会議』は開かれた。先生は会議に出席。私はいつの間にか修復された建物のロビーみたいなところで詩織ちゃんと話をしていた。
「わ、わたしが住んで、いる場所、ですか?」
 詩織ちゃんにどこに住んでいるのかを聞いてみた。近ければ時々会いに行けるし、なにより鬼頭先生の話を聞けるかもしれない。ヴァンドロームとの共存方法とか。
「わ、わたしは……」
 すると詩織ちゃんがポケットから携帯電話を取り出し、地図を表示させた。
「あ、えっと……気付いたら知らない場所にいたりする、から、地図は必需品なん、です。」
 なるほど。妙に納得する理由だ。
「えっと、この辺、です……」
 詩織ちゃんが指した場所は見覚えのある地名だった。
「鵜松明病院……?」
 つい最近藤木さんから聞いた名前だ。ちなみに鵜松明で「うだい」と読む。
 地図を見るとそんなに遠くない場所に白樺病院が見える。距離にすれば十数キロあるけど甜瓜診療所からは電車で行ける。
「この病院の院長さんなんですか? 鬼頭先生は。」
「い、いえ。先生はここの、《お医者さん》の一人、です。」
「じゃあ詩織ちゃんはここの……研修医みたいな感じなんですか?」
「ちちち、違います! どちらかと言うと、通学……通院している感じ、です。」
 そうか。私みたいに住み込みで勉強しているのは珍しいパターンか。というかそうせざるを得なかったわけだけど……
 ちらりと左手を見ていると詩織ちゃんが言った。
「わ、わたしは学校にも行ってる、ので、塾に通っている、感じ、です。」
「そうですか……」
 学校か……みんなどうしてるかな……
「こ、ことねちゃんはどこに住んでるん、ですか?」
「白樺病院から電車で少し行ったとこです。会おうと思えば会えますね。」
「そ、そう、です、ね。」
「……詩織ちゃんは今、どんなことを勉強してるんですか?」
「切り離し、の練習中、です。」
「あ、私もそろそろ実戦かなって言われましたから……一緒ぐらいですかね。」
 一緒に勉強して行ける友達か……なんかいいな。


 オレは、なにやらメンドクサイ状況に困惑していた。会議の内容は主に《パンデミッカー》への対応策。
 《パンデミッカー》は特殊な能力を使う集団だが、ヴァンドロームが力の源なら《お医者さん》は戦える。ヴァンドロームを従えていようと、切り離してしまえば問題はない。
東洋西洋問わず、ヴァンドロームがいないと発動しない術式もわざわざ《パンデミッカー》が条件を揃えてくれるのだから一方的にやられることはない。
ただ、そうやって戦えるのは熟練者のみだ。多くのヴァンドロームとの戦闘を経験してきたからこそ《パンデミッカー》相手でも戦える。新人や卵ではそうはいかない。だから今現在弟子や教え子を持っている《お医者さん》全員に注意が促されることになった。
『《医者》には害はないであろうな。《パンデミッカー》からすれば《医者》はただの人だからな、せいぜい《お医者さん》にまわすべき患者が増えるだけだ。問題は《ヤブ医者》だ。』
別に《ヤブ医者》が強いから《パンデミッカー》が一目置く訳じゃない。非常識な治療法だから対策をとり難い……つまり厄介なわけだ。しかも大抵の《ヤブ医者》が対ヴァンドローム専用ではなく、対人間にも効果がある治療法だからな。
『中でも安藤、お主はまずい。』
「?」
『お主の技術があちら側に行くと非常にまずい。言っている意味はわかるな?』
「……まぁな。」
『さらに……連中がお前を狙う可能性は今言った理由を差し引いても高い。』
 《デアウルス》のそのセリフにファム、アルバート、スッテンが反応する。今の一言は三人の知らない事実を考慮したものだからだ。オレの……秘密みたいなモノ。
『それにな……お主を連中に渡すとたぶん、吾は二体のSランクに襲われることになる。負ける気はないが地上が壊滅しかねんだろう?』
「……一体じゃないのか?」
『お主は気付いておらんかもしれんが……あやつはお主をかなり信用しとるし必要だと思うておるぞ。』
「……そうか。」
『お主の力とそいつの力、そしてあやつの力を信用していないわけではないが……一応、お主には護衛をつけるとしよう。』
「はっ!?」
 オレは思わず立ち上がった。昨日ファムが言った通りに……!
『腕利きを送る。』
「どっから!」
『スクールから……だな。お主の名前を出せば集まるだろうよ。』
 くっくっくと笑う(表情はないから何となくそう思っただけだが)《デアウルス》。そこで口を開いたのはアルバートだ。
「さっきから何の話をしているのだ? それにスクールのひよっこを使うのはどうかと思うぞ?護衛ならワシが行くが。」
『ゥワァタシノコウセイノウガードロボヲオクッテモイイゾ?』
「わたくし! わたくしが享守と一つ屋根の下に!」
 わいわい手を上げるオレの友人三人。それをあきれ顔(表情はないから何となくそう思っただけだが)で制する《デアウルス》。
『馬鹿を言うな。お主たちとて患者を持つ《お医者さん》であろう。スクールの優秀な者を護衛にする。主に連絡役としても動いてもらう。』
「そんな若造信用ならないわ!」
 一番若造な外見のファムが言うと説得力が無いが……
『吾もさっき言ったが……念のためである。時には圧倒的な力よりもお手頃な力が必要な場面もあるのだ。』
 意味不明なことを言う《デアウルス》。しっかしスクールからか……面倒なことになるなぁ。


 私はファムさんが用意してくれた部屋の布団の上に寝っ転がっていた。診療所にあるそれとは段違いのフカフカ感。逆に落ち着かない高級ベッドの上で私は考え事をする。
 『半円卓会議』は無事に終了した。なんだか困ったような顔で会議室から出てきた先生以外は何の異常も起きなかった。
 会議が長引いたりすることを考えて《デアウルス》さんは一週間ぐらいの宿泊費を出してくれているそうなのでおととし、去年と先生は存分に観光したらしい。だけど今年はファムさんの家なのでヘタすればいつまでもいられるという状況。ファムさんは次の会議の日まで泊まっていくといいと言ったけど先生は日本で誰かに会わなければならなくなったらしいので、あと一日二日したら帰国することとなった。
「……整理しようかな……」
 ここ数日で知らなかったことを一気に知らされた。《パンデミッカー》や《ヤブ医者》。『特例』やらなんやらと……困ったものだ。
 ただ一つだけ言えるのは、この一年間まったくわからなかった先生の事が段々とわかってきたということだ。
 先生の技術は細胞と神経を操ることらしいということ。
 先生という人は《お医者さん》界においてかなり異質というか異常と言うか、他の《ヤブ医者》にも意味不明な程にすごい人だということ。
 先生の友達には……変な人が多いということ。
 私の先生は謎だらけだ。そしてたぶん、先生の謎の大半は先生の言う「あの人」が関係している。
「……どんな人なんだろう。先生の先生は。」
 ……人と言えば、今回は色んな人に出会った。

《ヤブ医者》、アルバート・ユルゲン。英国紳士なムキムキマッチョモンスター。
《ヤブ医者》、スッテン・コロリン。ハイテク甲冑を身にまとった天才科学者。
《ヤブ医者》、ファム・ヘロディア。外見二十歳、実年齢七十八歳で先生ラブの絶世の美女。
Sランクヴァンドローム、《デアウルス》。ウニョウニョドロドロした会議の司会。

「……なんて人たちと知り合いなんだ、先生は……」
そして、きっとこの先私にとって大きな存在になると思う人たち。

《ヤブ医者》、鬼頭先生。……そういえば下の名前はなんて言うんだ?
 鬼頭先生の弟子、南条詩織。前髪のせいで目が見えないオドオドワタワタした女の子。

「詩織ちゃん……仲良くしていこう……」
 最後に……私たちの敵。

《パンデミッカー》、高瀬船一。くしゃみがすごい人。
《パンデミッカー》、カール・ゲープハルト。透明人間。
《パンデミッカー》、ブランドー。ミオスタ……なんとかの筋肉さん。
《パンデミッカー》、ピーター・カッシング。未来予知……?

「なんだか大変なことになってきた気がする。」
 日本に帰ったら何をするんだっけ。ああ、実戦の訓練か。切り離しとかをやるんだなぁ。ドキドキしてきた。
「……あ、そういえば……」
 《ファンシフル》を倒した時、体内から出てきたメカメカしたブローチらしきモノ。真ん中に赤い水晶のようなものがついてる、五センチぐらいの物体。あれのこと、何かわかったんだろうか。明日先生に聞いてみよう。

 私は部屋の電気を消して布団にもぐりこんだ。
「……あ……」
 《ファンシフル》で思いだした。あの時私が使った、先生の部屋にあった金属バット。あれに書いてあった言葉のことも聞いてみよう。
 すごくへたくそな字だった。字を覚えたてのちっちゃい子が書いたみたいなぐにゃぐにゃの字。でも一応読めた。

「『きゃめろん』ってなんだろう……」


つづく

お医者さん 第1章 「違います。今のは私の左手です。」

これを書いて確信しました。
私は「半目」が好きなのだと。

小説を書き始める前に描いていた漫画、それの主人公も……男の子でしたが半目でした。

主人公が半目で、なんだかやる気の無さそうな感じだからこそ、周囲に個性的な面々を配置できるのでは?
そんな風に感じました。

お医者さん 第1章 「違います。今のは私の左手です。」

この世界には《お医者さん》と呼ばれる人がいます。 ええ、《医者》ではなく、《お医者さん》です。 別に秘密の組織ではありませんが、知名度が低すぎて大抵の人は知らない職業です。 しかし、彼らは結構重要な仕事をしています。 そんな《お医者さん》を目指す女の子、溝川ことね。 ことねさんに《お医者さん》を教えている男性、安藤享守。 これはそんな二人の物語。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-12-01

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