空を見上げて
朝七時半、鈴木雄二は東京築地魚河岸で、店で仕込むための料理材料の買い出しを終えると、首都高沿いの道路を京橋方面に向かって車を走らせた。
三日に一度はここ築地まで仕入れに来るのだ。店では五十八になる親方が仕込みの準備をして彼を待っている。親方の小料理屋で板前として働いて五年、半年前から一人で仕入れを任されることになったばかりで、早い朝にもようやく慣れたところである。五時には場内駐車場のいつもの場所に車を停め、シートを倒し十五分ほど休んでから買い出しに店を回る。フロントガラスから空を見上げた時は、濃いグレー色の空に、数えるほどの星が最後の光を弱々しく放っていた。時間と共に空は藍色に色を変え、徐々に寒空は白んでいく。まるで、天空の染め物を見ているようで、彼にとっては朝一番の清涼剤だ。
六時頃から明るくなってきた今朝の空は、雲ひとつない秋空であった。赤信号で車を停車させ左方向に目をやると、建て替えで閉館することになった四代目歌舞伎座の建物がある。解体工事のため、今は足場が組まれシートで覆われていた。彼が、口にくわえた煙草に火を点けようとライターに手を伸ばした時、目の前の横断歩道を渡る一人の女性が目に留まった。学生、サラリーマンらが足早に行きかう人波に、腰まで届く黒髪を泳がせながら渡る姿が目を引いた。
菊池真央に違いなかった。肩から背中を流れ、腰まで黒艶に輝く髪を持つ女性を、彼女の他にはなかなか目にすることがないからだ。また、それだけの長い髪が似合う女性もテレビタレントやモデル以外ではそうはいない。
菊池真央は、半年ほど前までは雄二の店の常連客であった――。
ウチに初めて来店したのは、二年ほど前の忘年会シーズンで、常連の商事会社の部長さんが、「新年から始まるプロジェクトのメンバーたちだ」と言って、四・五人の若い男女を連れて来られた時だった。やはりその長い髪はインパクトがあり、今でもとても印象深く残っている。
彼女はその後も週に一度は会社の女友達と来てくれるようなり、店に慣れてくると一人でも度々来てくれるようになった。そうなると僕は自然と好意を持つようになり、彼女の方も「イチロー君、イチロー君」と親しみを持ってくれるようになった。
雄二という名があるのだが、野球好きの親方は、鈴木という名字から僕をイチローと呼ぶ。そんな訳で、店に来るお客さんにも僕はイチロー君と呼ばれる。別に構わないけれど、ほとんどのお客さんは彼女も含めそれが本当の名だと思っている。
ただ、年齢を店の中では四つ誤魔化している。半人前の若僧が料理を出していると思われるより、少しでも年季を感じさせたいという気持ちからだ。二年前だと本当は二十二歳だったが、彼女にも二十六だと言った。彼女はいつも、テレビドラマに登場するキャリアウーマン的な装いであったので、僕には仕事のできる大人の女性に映ったが、料理を作りながらカウンターを挟んでの会話の中で、
「エーッ、ウソ! 私も二十六だから同級生じゃない」
と、驚いているのか楽しんでいるのか解らないような可愛らしい仕草を見せることもある。だが、確かにどう見ても僕の方が子供に見える。本当は四つ下なのだから仕方ないのであるが、彼女はそれを差し引いても更に大人びて見えた。
三ヶ月程たち、まだ冬の名残を感じさせる三月のある時、いつもの様にカウンターを挟んで彼女とおしゃべりをしながら仕事をしていると、ふと、時々見る夢を思い出した。
僕がまだ四・五歳の頃で、砂場で近所の女の子と遊んでいると突然その子にいじめられる夢だ。そこには決まって髪の長いどこかのお姉さんが現れて、その度に僕を助けてくれるのだ。今までは、その女神のようなお姉さんの顔の部分がぼんやりとしていたけれど、最近では菊池真央の顔になって現れる。幼いころの記憶の中の女の子が、今、目の前にいる彼女と髪が長いということで重なっているだけなのだろうか……。
僕は一人っ子で、母親は僕が小さい時に病気で他界していた。だから母親の記憶は全くない。唯一の身内である親父と二人暮らしをしていたが、中学生の頃は反抗期でかなり荒れていた。毎日の様に親父と喧嘩をし、卒業と同時に家を出てしまった。今から思うととんでもないことをしたとは思うが、色々な経験もし、辛いことも多くあったが逞しくなったと思う。卒業以来、親父とは顔を合わせていないが、電話で年に二・三度くらいは話をする。今は地方の建設現場で、飯場に寝泊りをして働いていると言っていた。
だから、物心ついてからの思い出で心落ち着くものと言えば、砂場で泣いている僕を助けてくれたどこかのお姉さんの事なのだ。
その夜仕事をしながら、親方には気付かれないように僕は彼女をアパートへ誘った。ある程度彼女も気配を感じていたようで、大人びて見えていた表情が急にかわいらしく見えた。店の外で逢うのも初めてで、鍵と手書きの地図を渡し先に店を出てもらった。
閉店の時間が待ち遠しく、暖簾を入れ店の片付けを始めた頃、彼女から部屋に着いたことを知らせるメールが届いた。
自転車で十分ほどの道程が非常に長く感じられた。周りの景色など何も目に入らず、ただひたすらペダルを漕いだ。
アパートの階段を駆け上がり、ドアを開けると小さな玄関で彼女が僕を迎えてくれた。僕は気持ちを抑えられず彼女を抱きしめキスをした。少し上を向いた小さな唇はとても柔らかかった。
六畳一間の部屋には電気ストーブが点っていて、彼女が買ってきてくれた缶コーヒーが小さなテーブルに二つ並んで用意されていた。それを両手で包みながら向かい合っていると、ほのかな温かみを感じることができた。
彼女が部屋でも「イチロー君」と、僕の事を呼ぶので、年齢を誤魔化しているから多少の心配はあったけれど、本当の名前と年齢を彼女に告げた。
そしたら、彼女が急に驚いたような表情をして、田舎の事とか両親の事とかを聞いてくるので、誰にも話したことのないありのままを答えた。まさかこんな事になるとは思ってもなかったけれど、彼女は僕が止めるのも聞かずに部屋を飛び出してしまった。
その後は、週に二度は来てくれていた店にも姿を見せず、電話も通じず、メールを送っても返信もなかった。
十日程して、店が定休日で朝から冷たい雨が降っていたこともあり、僕が昼近くなっても布団の中でグダグダしていると携帯がメールを受信した。
菊池真央からであった。
【この前はゴメン。思ってもみない事をイチロー君から聞いちゃったからビックリして……。私から話したい事がたくさんあるんだけど、その前にお父さんから話を聞いてみて下さい。昔の事は謝って仲直りしておくのよ】
布団から起き上がり時計を見た。十二時五分前であった。彼女に返信を送ろうかと思ったけれど思い止まって、僕は煙草に火を点け少し考えてみた。
(親父から何の話を聞けというのだ?)
今日は雨だから親父の仕事は休みで、きっと飯場で酒でも飲んで寝ているだろう。電話は正月にかけて以来だから三ヶ月ぶりだ。
「どうしたんだ雄二、突然電話なんかしてきて――」
親父の声は正月の時と変わらず、取り敢えずは元気にしているようだ。多少飲んでいるようだが、突然の電話に構えているような感じも窺えたので、単刀直入に切り出してみることにした。
「親父、菊池真央って知ってるの?」
「……」
親父が鼻から大きく息を吐き出すのが、携帯を通して僕の耳に届いた。
「どこで聞いた? いつか話さなければならない時が来るとは思っていたけどな――」
――親父の話によると、菊池真央は僕の実の姉だということである。電話をかける前から何となくそんな気がしていたので、あまり驚きはなかった。僕が三歳になろうとする年、母親が亡くなった。姉は七歳、二・三年後に思春期を迎える姉を男親一人で育てるのは大変だろうということで、子供に恵まれなかった母の姉夫婦が養女に引き取った。当時の記憶が幼すぎる僕にある筈もない。親父は母親の親族とはうまくいっていなかったようで、母が亡くなってからは付き合いがなく、親父は僕に何も話をしてくれなかったので姉弟がいようなどとは思いもしなかった。幼い頃の記憶にある砂場での事を聞いてみると、僕が学校に上がる前、僕に会いたいと言って二回ほど姉が遊びに来てくれたそうだ。その時の事ではないかと言っていた。親父は「三人で暮らせるようになればいいがな」と言ったが、姉とは知らず、好きになってしまったその感情を消すことは今の僕にとっては難しいことだし、姉の気持ちもきっと同じに違いない。連絡のないことが、気持ちの整理がついていないことを物語っている。
後方の車にクラクションをたて続けに鳴らされ、鈴木雄二はハッと我に返り、顔を上げると信号が青に変わっていることに気が付いた。彼は慌ててシフトチェンジをして、アクセルペダルを踏み込んだ。菊池真央の姿を探すと――地下鉄の階段を下りていく後姿が目に映った。
(姉さん……)
彼女の姿が視界から消えてしまう直前、雄二の心の声が届いたかのように、彼女は髪をかき上げながら後ろをフッと振り返り、何かを探すかのように雲のない上空を見上げた。そして、軽く吐息をはくと、また階段を下りて行った――。
空を見上げて
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