白い現 第五章 憧憬 二

真白の為に姿を現した木臣。彼女のおかげもあり体調の回復した真白は、荒太と共に怜の見舞いに向かうが―――――――。

第五章 憧憬 二

       二

 現れた木臣は、いつものような無駄口(むだぐち)を叩かなかった。
 すぐに真白の傍らに寄ると、額に手をかざして言霊(ことだま)を発する。
「癒し風の、そよそよと吹く。幸い夢のみ、寄りて来(こ)よ」
 歌うようなリズムで言葉が流れる。そこに音階(おんかい)が見えるようだった。
 空調とは明らかに異なる、清涼な風の気配に、市枝が室内を見回す。
 真白も前回と同様、身の内の快い変化を感じた。
(身体が、軽くなる―――――――)
「…木臣、でも、この唱え言は―――――――」
同じ言霊で眠った時の、悲しい意識との遭遇(そうぐう)が蘇(よみがえ)る。
それに触れたこちらの胸が、痛くなるような。
 今にも眠りに落ちそうな顔で、真白が不安そうに言いかける。
 それを遮(さえぎ)り、木臣が胸をはった。
「大丈夫ですわ。今唱えたのは、前回の言霊をバージョン・アップさせたものです。神とても、日進月歩(にっしんげっぽ)しておりますの。悲しみや憎しみと言った負の感情が、真白様の夢と共鳴(きょうめい)することもなく、悪夢を見ることもございません。…安心してお休みなされませ」
 自信ありげに言う木臣の顔と、心配そうな市枝の顔が遠ざかっていく。
 木臣の言葉を、真白は俄(にわ)かには信じられなかった。
(嫌…。嫌だ。眠ればそこには、太郎兄の躯(むくろ)がある。次郎兄の、三郎の躯がある。――――そうでなければ、絶望に呑まれた魂の悲鳴が聴こえる。――――やめて木臣。私を、眠らせないで――――――――)

 目を固く閉じた真白は、頬に穏やかな風を感じた。
 その穏やかさに、そっと目を開ける。
 さわさわと、風が吹いていた。草が適度に生(お)い茂(しげ)り、木々がまばらに立っている。
 空は青く、静かに晴れ渡っていた。
 近くに、人の気配がある。
 決して自分を傷つけることのない、慣れ親しんだ彼の気配。
 陶聖学園の制服を着た剣護が、真白の横に座っていた。
(剣護。…剣護がいる。大丈夫だ、怖くない)
 ホッと息を吐く。強張(こわば)っていた身体から、力が抜けた。
 剣護はひどく寛(くつろ)いだ表情をしている。
 しかし彼が着ている制服に、真白は違和感を覚えた。
 真白を見て、剣護が笑いかける。
〝起きたのか。寝坊助(ねぼすけ)だな、しろ〟
 いつも通りに優しく、少しからかうようなカラリとした声。
 剣護は何かに気付いた顔をすると、真白に呼びかけた。
〝ほら、真白。あそこ〟
 指差されるまま、前の木立に目を遣(や)ると、見知らぬ少女がそこにいた。
 こちらに向かって歩いて来る。
 剣護同様、陶聖の制服を着ていた。
(あれ?でも、やっぱりこの制服って――――――)
 首を傾げる真白に、少女が微笑む。
〝こんにちは〟
〝…こんにちは。―――――私、あなたとどこかで会ったことがありました?〟
 少女が更に深く微笑む。
〝いいえ、一度も。………でも、あなたがそう思うのも、無理は無いわ〟
〝――――どうして?〟
 尋ねる真白に、剣護と少女が悪戯(いたずら)っぽい視線を交わした。
 少女の黒髪を、風が揺らす。
 少女が口を開く。
〝だって私は、あなたの―――――だから〟
 風が吹く。
 木立が揺れる。
(ああ、そうだったのか…道理で)
 懐かしいとも、感じる筈だ。
 目から鱗(うろこ)が落ちる思いがした。
 優しい風が、吹き渡る。
 彼女の存在が嬉しくて、真白は少女に笑いかけた。
 そんな真白に、少女も微笑みを返す。
 剣護の穏やかな表情に見守られ、真白と少女は手を取り合った。
 なぜか微(かす)かな悲しみを感じるくらい、優しい夢だった。

 眠る真白の顔に苦痛の色が無いのを見て、市枝はホッとした。
 先程までと違い今の真白は、十六歳の少女らしい、あどけない寝顔を見せている。
「……さっきまでより全然楽そう。…ありがとう、木臣。恩に着るわ」
 噛み締めるように、殊勝(しゅしょう)な表情で言う市枝を、木臣が不思議そうに眺めた。
「私は、理の姫様の御命令に従っただけですわ。…もちろん、私自身、真白様をお助けしたいと思ったのも、事実ですが」
 木臣の目が、優しく真白に向く。
 何でも出来る力を持ちながら、不器用な少女。
 真白の周りに人が集うのは、何も神つ力に惹(ひ)かれてのみのことではないと木臣は思う。
「私も助けられちゃったわ。真白に、耳に痛いことを言われたところだったから」
 市枝が、静かな表情の中に苦笑を滲(にじ)ませる。
「…失礼ながら、聴いておりましたわ。真白様は、責めると言うより、嘆かれておいでのようでしたけど」
「うん…。それがまた、ちょっと痛かったかな」
 参ったわね、と言いながら市枝が額を掻(か)く。
「……私このあとは、真白様の兄上様のもとに参るよう仰せつかっておりますの」
「江藤のとこ?ああ、そうしてもらえると有り難いわ。江藤が早く治れば、真白もきっと喜ぶから」
 木臣の薄青い瞳が、納得したように頷く市枝を見る。椿の花弁を思わせる唇が開いた。
「…お市の方。あなたは大層(たいそう)、真白様を大事に想ってらっしゃるのですね。前生よりの、お付き合いゆえですか?」
 木臣の言葉に、市枝もまた彼女を見る。
〝前生よりの、お付き合い〟―――――――。
 ふ、と市枝が淡い笑みを浮かべた。
「…そうね。市は、出来ることなら、若雪と共に生きて…死にたかったの。けれどその望みは叶わなかった。立場と状況が、それを許さなかったのよ」
 乱世の波に、抗(あらが)いながらも流されて。
 最期(さいご)は燃える城の中で、ただ若雪の幸福だけを願い、息絶えた。
 無念と言えば、これ以上無い程に無念だった。
(けれど自害を選んだのは、確かに私自身。…真白には、私を責める権利があるわ)
 ――――――責めてくれるなら嬉しい、とも密(ひそ)かに思う。それだけ若雪が、市の存在に執着(しゅうちゃく)していた証(あかし)になるのだから。
〝ゆめ忘れるな、若雪――――――〟
 季節外れの蛍が迷い込んだ、文月(ふづき)の夕暮れ。それが二人の別れとなった。
 眠る真白に視線を戻してから、市枝が木臣に語りかけた。
「ねえ。花守って、カラオケに行ったり、映画観に行ったりとかしないの?」
「……しませんわねえ。基本的に、騒音の激しいところは、姫様も私共もあまり好みませんし。明臣あたりは、どうか判りませんけど。水臣なんかは論外ですわ」
 顎(あご)に手を当て、木臣が考えながら答える。
 市枝が面白そうに笑った。
「やだ、それって真白と同じ。神様気質ってやつかしら?…でもね、この人の世の、女の子たちは、そういうところに行ったり、ケーキバイキングに行ったりして楽しむのよ。私、この戦が終わったらまた真白を連れて、色んなところに引っ張り回してやるの。無粋(ぶすい)な男抜きで。他愛(たあい)ないけどね、女子高生の楽しみよ。木臣も来る?」
 くすくすと笑いながら尋ねられ、木臣が小首を傾げる。
「……考えておきますわ。でも真白様は、この先、荒太どのと御一緒する時間が増えるのでは?」
 二人して同時に、眠る真白の左手首を見る。
 そこには金色の細いチェーンがある。その半ば程にポツリと転がる、青紫の雫型の石。
(…成瀬から貰(もら)ったとは聞いてたけど、つけてるとこは初めて見た)
 悔しいけれど真白に良く似合う。
 ―――――――悪い夢を見ない、お守りのつもりでつけたのだろうか。
(子供みたい)
 それでも市枝はふふ、と不敵に笑う。
「甘いわね、木臣。まだまだ、成瀬なんかには負けないわよ。女同士の絆(きずな)も、伊達(だて)じゃないんだから」
 青紫の雫も、市枝の自信を退(しりぞ)けるものではなかった。
 男女の仲とはまた異なる、静かな伏流水(ふくりゅうすい)のような真白との繋(つな)がりを、確かに市枝は信じていた。柔らかく細く、しなやかな繋がりを――――――――――。

真白が寝込んでから三日目、陶聖学園は、迫る期末試験と夏休みの空気に、生徒たちは皆落ち着きなく行(い)き交(か)っていた。
 そんな中、三年D組に居座る、普段は誰も近付こうとしない新庄竜軌(しんじょうりゅうき)を呼び出す強者(つわもの)がいた。
 剣護は、誰かに頼み呼んでもらうことなく、教室の入り口から直接彼に呼びかけた。
「おい、新庄。話がある。ちょっと来いよ」
 大きく響いた声に、D組の空気がざわめく。「陶聖学園の門倉」と「陶聖学園の新庄」は、全く正反対の意味で近隣(きんりん)の他校にも有名だった。今までまるで接点が無いと思われていた二人の、片方がもう片方を名指(なざ)しで呼び出す、ということに、まずその場に居合わせた生徒は驚いた。
 机の上で足を組んでいた竜軌が、ちらりと剣護を見た。
 話しかけるな面倒臭(めんどうくさ)い、と顔全面に書いてある。
 周囲に緊張が走った。
「うざい」
 一言、吐き捨てる。
「ああ、そりゃ悪かったな。あんた、耳が良いだろ。そのことで話があるんだ。良いから来いって」
 竜軌の言葉を一顧(いっこ)だにせず剣護はさらっと受け流し、尚(なお)も手招きした。
 室内の生徒たちが、ハラハラした顔で二人を見守る。中には「おい、門倉。止めとけよ」と剣護に囁(ささや)きかける男子もいた。
 竜軌はしばらく黙っていたが口を曲げてふん、と息を吐くと、億劫(おっくう)そうに立ち上がった。
 
「俺を易々(やすやす)と呼びつけるとは、偉くなったものだな。門倉剣護」
 屋上で仁王立(におうだ)ちした竜軌は、気分が良くない、と言う表情だ。低く、良く通る声も若干(じゃっかん)の苛立(いらだ)ちを含んでいた。黒々とした目が放つ光は、それだけで気の弱い人間に圧を加えるであろう力がある。
 剣護と竜軌が屋上に上がった時、そこにはたむろしていた学生たちもいたのだが、竜軌の顔を見ると蜘蛛(くも)の子を散らすように皆、屋上から消えた。
(憎まれっ子世に憚(はばか)る…)
 剣護はそんな諺(ことわざ)を思い出し、退散した生徒たちに済まなく思った。
 屋上では蝉の声が一際大きく響き、絵に描いたような入道雲が空に浮かんでいる。
「あんた、いつまで織田信長でいるつもりだよ。平成だぜ、今は」
 剣護が呆れた顔をした。
 最初から、竜軌の眼光(がんこう)を物ともしていない。
 竜軌は平然と言葉を返す。
「前生の兄妹同士で、未(いま)だ馴(な)れ合(あ)ってる奴が何をほざく。お前ら、見ていて多少気持ちが悪いぞ」
「………」
「さっさと用件を言え」
 熱を孕(はら)んだ一陣の風が吹き、竜軌の黒髪と、剣護の焦(こ)げ茶(ちゃ)の癖(くせ)っ毛(け)を揺らした。
「―――――新庄。あんた、巫(かんなぎ)だろう。それも、聞くのは神の声だけじゃない、魍魎(もうりょう)、妖(あやかし)や、神つ力を持つ者たちの声もだ。………巫ゆえに、何か、あんただけが知ってることがあるんじゃないか?俺たちにはまだ、話してない―――――――」
 は、と竜軌が軽く笑う。
 可笑(おか)しそうに目が細まった。赤いピアスが、顔の動きに合わせて光る。
「妙なことを言うな。そうだとして、なぜお前たちに話してやる必要がある。俺は一度も、そちらに与(くみ)すると言った覚えは無いぞ。次男坊(じなんぼう)が傷を負い、とち狂ったか。…それとも、答えれば俺に真白を寄越(よこ)すか?」
 竜軌の最後の台詞(せりふ)に、剣護の表情には怒りよりも怪訝(けげん)そうな色が浮かんだ。
「………笑えない冗談だな、それ。仮定の話だとしても有り得ない条件を提示(ていじ)するなんて、あんたも存外(ぞんがい)、莫迦(ばか)だ」
 竜軌の眉が、ピクリと動く。
 彼を取り巻く空気が硬化(こうか)するのを、剣護は感じた。蝉の声が大きく響く。
 剣護が溜め息を吐いた。右手をひらひらと振る。
 やめたやめた、という態度だった。
「ああ、俺が間違ってた。…ちょっと、焦(あせ)っちまったみたいだ。市枝ちゃんの兄貴だしって考え方も、甘かったな。時間取らせて悪かった」
 そう言ってあっさり立ち去ろうとする剣護と、丁度通り過ぎる瞬間に、竜軌が言った。
「――――――小野太郎清隆。お前、女は斬れるか?」
 不意を突かれた顔で剣護が振り向く。試すような竜軌の視線と視線がぶつかった。
 竜軌は相変わらず仁王立ちのまま、腕を組んでいる。
 見るからに傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度が、良く似合う男だった。
 重ねて、竜軌が問いかけた。
「女が斬れるか、と訊いている。どうだ?」
 黒い眼差(まなざ)しを受けて、緑の目が眇(すが)められる。
「………敵と判断すれば、斬るしかない」
 静かだが、明確な声音で剣護が答える。
 竜軌は、剣護を貫くような目でじっと眺(なが)め遣(や)った。
「ほう。…敵と判断すれば、な」
 口角(こうかく)の片方を釣り上げる。
「―――――なぜそんなことを聞く」
 竜軌がそのままの表情で言葉を返した。
「さあな。…お前の言葉を借りるなら、巫ゆえに、というところか」

 剣護が去った屋上で、竜軌は一人佇(たたず)んでいた。
 屋上の暑さをものともしない無表情で、剣護の言葉を反芻(はんすう)する。
〝敵と判断すれば、斬るしかない〟
(―――――甘い答えだ。思考の詰めが、甘い。何よりあれでは、敵の定義が未だ判然(はんぜん)としていまい。それでは真実を知った時に、揺らぎもしよう。太郎清隆。であれば……)
 天を仰いで尋ねる。白く眩(まぶ)しい陽光が、竜軌の上から降り注ぐ。
「やはり儂が、透主(とうしゅ)の願いを叶えてやるしかあるまい…六王(りくおう)?」
 でなくば、と言葉を続ける。最後はポツリとした呟(つぶや)きになった。
「………透主が哀(あわ)れよ…」
 返ってくる答えを、竜軌だけが確かに聴き取っていた。

 木臣の言霊(ことだま)の甲斐(かい)もあり、金曜の朝には真白の熱も下がった。
 登校時には早朝から起き出すことの多い真白だが、熱がある間は祖母たちからも剣護からも、早起きを禁じられていた。その名残(なご)りで今日の目覚めも普段よりはゆっくりだった。体温計で熱を測った真白は、出た数字に微笑む。
 様子を見に来た剣護に笑顔を向け、パジャマ姿のまま子供のように駆け寄った。
(…ちっちぇー足)
 駆け寄る真白の白い素足(すあし)を見て、靴のサイズ27センチの剣護は思った。
「剣護、私、熱が下がったよ!」
「よし、おでこ出しなさい」
 剣護が芝居(しばい)がかった口調で重々しく言う。
「はい」
 結果はもう判(わか)っているので、真白も素直な声で応じる。
 大きな手が真白の額を覆(おお)う。
 緑の目が和(なご)んだ。
「――――うん、合格」
「やったっ!」
 真白は無邪気な声で喜びを露(あら)わにした。花守として別の勤めも忙しいらしく、木臣が顔を出したのは前回と違い、一日だけだった。市枝が泊まりに来てくれた晩はとても嬉しかったが、あとの日はほとんど一人だった。これでもう、寂しい思いをしながら寝ていなくて良いのだと思うと、真白の心は弾(はず)んだ。
(やっと、次郎兄のお見舞いにも行ける)
「次郎兄も随分良くなったって本当?木臣が、次郎兄のとこにも行ってくれたんでしょう?」
 真白の言葉に、剣護も笑みを浮かべて頷く。喜ぶ真白の様子が、尻尾(しっぽ)を勢い良く振る子犬を連想させて、内心(ないしん)可笑(おか)しかった。
「ああ。すげーな、花守って。マジで神様仏様って感じだ。来週からは登校も出来そうだってよ。あいつ、死にかけたあとだってのに期末試験のこと気にしてたから、安心してるだろうな」
 弟の回復に加え、久々に憂いの無い真白の笑顔は、剣護にとっても喜ばしいものだった。
「ほら、とっとと着替えて来い。……それ、つけてくのか?」
 真白の頭をポン、と軽く叩いたあと、手首のブレスレットを見てにやりとする。
「あ……、駄目だよね、つけないほうが良いよね。寝てる間中つけてたから、何だか今度は逆に外せなくなっちゃって―――――――」
 真白が照れたように笑う。
 剣護は首を傾け、元生徒会長として思案してみた。
「―――――いんじゃね?もっとごついのやら、派手なのジャラジャラつけてる奴、いるだろ。うちの学校は。風紀検査(ふうきけんさ)なんて、あって無いようなもんだし。俺のクラスにも、でかい数珠(じゅず)みたいなの嵌(は)めてる奴いるぜ」
 真白の目が輝く。
「本当?」
「うん。でも、見せびらかしたりはするんじゃねーぞ。人の妬(ねた)みはこえーからな。…今から荒太が莫迦(ばか)みたいに喜ぶ顔が、目に見えるな」
「そんなことないよ。――――――急いで着替えて、ご飯食べるね。待ってて」
「おう。バスの時間までまだ余裕あるから、慌(あわ)てなくて良いぞー」
 真白をリビングで待つ間、剣護の顔には笑みが広がっていた。
(…こういうのなんだよな、結局。俺たちが守りたいのは)
 陽が柔らかく包み込むような日常―――――――。

「真白さん、それ…」
 荒太が指摘したのは昼休みだったが、真白の登校時から、既に彼女の手首の変化には気付いていた。
 冬服では見えにくいブレスレットも、夏服では目立つ。
 まして普段から目敏(めざと)い荒太が、真白の手首に光るものに、気付かない筈が無かった。
装飾(そうしょく)に無頓着(むとんちゃく)な「女流歌人」がアクセサリーをつけて来た、という情報は、一年A組男子の間で早くも広まっている。
「……うん。一度つけると、外せなくなっちゃって…」
 つけて来たの、と少し赤い顔で言う真白を、荒太が凝視(ぎょうし)した。
「――――――駄目だった?デートの時じゃないと、つけちゃいけなかったかな」
「いや――――――、良い。全然、良い。…全然良い」
 基本的にシャイで照れ屋の真白が、学校に自分の作ったブレスレットをつけて来てくれた、というだけでも荒太は心中で快哉(かいさい)を叫んでいたのだが、真白の口から出た言葉がとどめとなった。
(あの、どさくさに紛(まぎ)れてしたデートの約束も、忘れられてなかった)
 会話に混ぜ込んで、半(なか)ば詐欺(さぎ)まがいに取り付けた約束だったので、反故(ほご)にされても仕方ないくらいに考えていたのだが。
(やっぱり前生での進展が、どう考えても遅すぎたんだ。あわよくばこのままの流れで大学在学中に学生結婚……!邪魔な兄貴二人がもれなくついて来るけど……!)
 荒太は拳を作って一足飛(いっそくと)びに未来予想図を描いた。
「真白さん、俺、甲斐性(かいしょう)あるから安心してね」
 脈絡(みゃくらく)の無い言葉に、真白が返答に迷い首を傾げる。
 二人の横で市枝が、ズコーッと音を立てながらいちごミルクを飲んだ。
「…そこのばかップル。人目(ひとめ)をはばかりなさいよ。特に荒太、あんまり真白をファーストネームで呼ばないこと。真白もよ。変な噂が立つと困るでしょ。真白はクラス委員だし…。
江藤はそのあたり、ちゃんと弁(わきま)えて学校ではほぼ真白を名字呼びしてたでしょうが。見習いなさい」
 荒太が満面の笑顔で市枝を見る。
「噂じゃなくてさ、もうこの際、公認カップルで良いじゃない。それに江藤だって、たまに真白さんを教室で名前呼びしてたよ」
(公認カップル…。そういう選択肢(せんたくし)もあるんだ。―――――――考えたこと無かった)
 しかしその単語を意識しただけで、真白の身体は恥ずかしさに凝固(ぎょうこ)した。荒太が学生結婚まで考える横で、真白は公認カップルという言葉だけで身を固くしている。二人の意識の落差は、かなり激しかった。
「江藤だって、うっかりする時くらいあるわよ。あんたはその比じゃないでしょうが。ずうううっと、真白さん真白さん真白さん……。最初は見てくれに騙(だま)されてあんたに気があった女子が、それで何人引いて江藤に流れて行ったことか。今じゃA組の女子はほとんどが江藤狙いよ。他所(よそ)のクラスのうちにまで、その情報が回って来てるんだから。江藤と真白は割と仲良く見えるから、真白が女子にもモテるタイプじゃなかったら、嫉妬(しっと)の対象になってたわよ、全く。危ない危ない」
 情報通の市枝と異なり、この手の話題にはかなり鈍い真白には、荒太らと同じクラスでありながら初耳の話だった。
(そう…。そうだよね。荒太君、モテるよね。格好良いし、何でも出来て……、私と違って、料理まで完璧だし。次郎兄が女の子にすごく人気あるのは、昔から知ってたけど。…そっか…。荒太君、モテるのか。公認カップルになったら、そんなことも無くなるのかな。公認カップル……)
 真白は少なからずショックを受けて悶々(もんもん)と考え込んだが、荒太は市枝の言葉を聞いても、痛くも痒(かゆ)くもないという顔をしている。
「人を壊れたCDプレーヤーみたいに言わないでよ、三原さん」
「私の名前は別に良いのよ。成瀬と私がどうこうなんて、どうせ誰も思っちゃいないわ」
「だよね」
 にこ、と荒太が笑う。
(……めちゃくちゃ機嫌良いわね、こいつ。まあ、嵐の時から若雪がからむと、喜怒哀楽(きどあいらく)の激しくなる奴だったけど)
 荒太が食べ終えた弁当を布で包みながら、にこやかに言う。
「今日、風見鶏の館への付き添いは、俺が行くよ。市枝さんは剣護先輩に送ってもらって」
「―――――ちょっと、それは行き過ぎなんじゃないの、成瀬」
 市枝がタンッといちごミルクのパックを机に置いた。
「どうして?俺も遥がちゃんとやってるか、見に行かないとって思ってたんだ。監督責任(かんとくせきにん)ってやつだよ」
 取ってつけたような空々しい言葉に、市枝は半目になった。
「はあー言うわねー。思ってもなかったことをいけしゃあしゃあと」
 真白の様子を見て声をかける。
「真白、大丈夫よ。最初は見た目によろめいても、成瀬の本性知ったら大半の女子は引くから。引かないでいられるマニアックな女子、真白くらいだから」
「嫌だなー、市枝さん。俺がジョニー・デップみたいに癖(くせ)があるだなんて」
「言ってないわよ、一言(ひとこと)も」
 真白が市枝の言葉に目を丸くしている。
 なぜ解った、と言う顔が、見ていて面白い。
「………私、そんなこと考えてなかったよ。市枝」
「はいはいはいはい」
「――――――本当だよ?」
「はいはいはい」
 市枝はてんで相手にしなかった。 
「…剣護先輩には自分で交渉しなさいよ、成瀬」
「もちろん」

 剣護の了承を得た荒太は放課後、真白と共に足取りも軽く風見鶏の館へと向かった。
(何だか、これだけでもうデートみたいだな…)
 行きの電車の中、上機嫌の荒太の隣に座る真白は、そう思った。
(若雪は家族を失ったけど、気付いた時には傍に嵐どのがいた。今は、剣護も次郎兄も三郎も元気で生きてて、こうして荒太君もいてくれる)
 様々な難題(なんだい)はあるが、自分は恵まれていると真白は感じた。
 ずっと寝込んでいたので、数日振りに見る景色が新鮮に見える。
 今日も眩しいような晴天だ。外に出て、自分の身体で暑さを実感出来ることが、真白は嬉しかった。ひんやりと涼しい空間で、一人寝て過ごすよりずっと良い。
 隣には荒太がいて、怜は回復に向かっていて、空は晴れている。
 揺れる電車のリズムさえ、優しいものに感じられる。
(私、単純なのかな。……こんな日があれば、山田正邦のことも、何とかなるような気がする。私がどんな結論を出しても、荒太君はきっと傍で見ていてくれるから)
 ふと思う。
「……荒太君」
「何?」
 呼びかければ、答えてくれる人がいる。
「……山田正邦には、誰もいないんだね」
「―――――え?」
「病気になったら心配してくれる人も、泣いた時に涙を拭(ふ)いてくれる人も、…当たり前みたいに隣に座ってくれる人も。…ひどい火傷(やけど)を負っても、独(ひと)りで耐えるしかなくて。―――――――私が持ってるものを、あの人は何一つ持ってない」
「…だから恨まれても仕方ないなんて思わないでよ、真白さん。それは間違ってるからね」
 慎重な荒太の声に、真白は頷いた。
「うん。思わない。ただ、こうして時間を置いてみると、一人でも彼の傍に誰かいたら、今生でもっと違う生き方が出来たんじゃないかって考えが浮かんで来るの。……いなかったのかな、誰も」
 荒太の顔が思慮深く、真面目なものになる。
「あいつだけじゃないよ。人間は誰かを失くしたり、得たりを繰り返して生きてるんだ。自分をどこまでも孤独と感じて、心を抉(えぐ)られる思いをしてる人は、きっと今この瞬間もごまんといる。確かに苦しいよ―――――独(ひと)りは」
 前に向き直り、噛み締めるように荒太が言う。
 実感の籠(こも)った声に、今度は真白が荒太の横顔を見る。
 電車の向かい側の窓から、強い日が降(ふ)り注(そそ)いだ。荒太の横顔の輪郭(りんかく)が、光で縁(ふち)どられる。
「――――――真白さんが今考えてることに、簡単に答えは出ないと思う。…前の俺だったら考えるな、って言ってたかもしれないけど、…今は考えたって良いと思ってる。答えの出ない考えでも、時間を費やして良いんじゃないかな。せっかく生きてるんだ。俺は、それを無駄なことだとは思わない」
 荒太の言葉は、ただの甘やかしではなかった。そのぶん響く声の真摯(しんし)さが、真白の背を押した。
(生きてるから、悩む。迷って…それで良いんだ。頑(かたく)なに、自分の正しさにしがみつかなくても。揺れる時があっても。放棄(ほうき)せずに考え続ける道に留まれば、いずれ上昇(じょうしょう)の風は吹く)
向き合う手立てを考えようと思った。
 最終的には、山田正邦と切り結ぶことになるとしても。
 荒太の横顔と、左手首に光る小さな石を見る。
「――――――荒太君がいてくれて良かった。私、前を向いて行ける」
 真白の言葉に、荒太の横顔が微笑んだ。

白い現 第五章 憧憬 二

白い現 第五章 憧憬 二

木臣のおかげもあり体調の回復した真白は、荒太と共に怜の見舞いに向かうが――――――。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-11-15

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