白い現 第三章 惑乱 二

白い現 第三章 惑乱 二

事態急展開です。焼肉・・・。

第三章 惑乱 二

       二

 バイキング会場を出たあとの時間を、真白たちはボーリングやカラオケなどで費やした。時間潰(つぶ)しの為でもあるが、そうすることで焼肉の入る胃袋(いぶくろ)の隙間(すきま)を、少しでも増やしておこうと考えたのである。真白たちが指定された午後六時丁度(ちょうど)に店へ行くと、竜軌(りゅうき)は既に席に着き、真剣な目付きで網(あみ)に載(の)った肉をひっくり返していた。黒い半袖シャツにジーンズを穿(は)き、腰にはウォレットチェーンが下がっている。両耳には赤いピアスが光り、長めの黒髪は一房(ひとふさ)だけ赤い。いかにも今時(いまどき)の若者、というスタイルだった。セミフォーマルで服装を揃(そろ)えた三人とはだいぶ趣(おもむき)を異(こと)にする。どちらかと言えば真白たちのほうが、焼肉店では浮いていた。
 こちらに気付くと、トングを持った右手を軽く上げる。
 体付(からだつ)きと同じく精悍(せいかん)な顔立ちは、笑みを浮かべるでもなく無表情(むひょうじょう)だ。
「早く座れ。これ以上焼くとカルビが焦(こ)げる」
 竜軌の開口一番(かいこういちばん)の台詞(せりふ)がこれだった。
 織田様(おださま)の生まれ変わり、と緊張(きんちょう)していた真白はやや気抜(きぬ)けした。
 竜軌の横に市枝が座り、向かいの席に真白と荒太が並んで座る。
「もう、兄上、マイペース過ぎ。こういうことは、もっと早めに言っておいてもらわないと。私にも真白にも、都合があるのよ?」
 市枝の苦情(くじょう)の中に、荒太の名は無かった。
「いや、都合は俺にもあるんだけど、市枝さん?」
 そう言った荒太を竜軌が見遣(みや)った。それから、その隣に座る真白を見る。
「久しいな、真白」
「いきなり呼び捨てか」
 市枝にも竜軌にも無視された荒太が、不満(ふまん)げな呟(つぶや)きを落とす。
 今度こそ、竜軌が荒太のほうを向いた。
「……お前まで来るとはな、荒太。店の支払(しはら)いを倍増(ばいぞう)させるつもりか?」
 荒太はぷいと横を向いた。
「御愁傷様(ごしゅうしょうさま)です。昼間、偶然(ぐうぜん)この二人のお供をしてたんで」
「ふん…―――――未(いま)だ本能寺でのことを、根に持っていると見える」
 そう言いつつ、竜軌は焼けたカルビ肉を市枝と真白、荒太の皿にポポイ、と入れて回った。
「食え。今日は、特に用事があって呼んだ訳ではない。昔の誼(よしみ)で、肉を喰いたかっただけだ」
 市枝と荒太は遠慮無(えんりょな)しに肉に箸(はし)をつけたが、真白はカルビを一切れ食べただけだった。
「―――――――何だ。食欲が無いのか、真白?相変わらず食が細いのか?お前は少し、痩(や)せ過ぎだ。もっと喰わねば色々育たんぞ。せっかくの容貌(ようぼう)が、勿体無(もったいな)い」
 言った言葉は荒太と似ていたが、表現はより露骨(ろこつ)だった。
 市枝が眉を顰(ひそ)める。
「兄上、それセクハラ」
「莫迦(ばか)言え。親身(しんみ)な意見だ」
 竜軌は自らも肉をかっ喰らいながら大真面目(おおまじめ)に言った。
 それから彼の口をついて出た、「ビールが飲みたいところなんだが…」という言葉に真白は目を丸くする。しかし、さすがに注文(ちゅうもん)する様子の無いところを見ると、単に心の声が洩(も)れただけのようだ。尤(もっと)も今の年恰好(としかっこう)では、注文しても店側に拒否(きょひ)されるだろう。
(割と日頃(ひごろ)から飲んでるような口振(くちぶ)りだったけど……)
 真白はそう思ったが、深く追求(ついきゅう)しようという気は起きなかった。剣護たちといい、戦国の世に生きた記憶を持つ人間は、十代での飲酒(いんしゅ)にあまり抵抗が無いものなのだろうか。
 新しい皿が運ばれて来て、竜軌が肉を網に乗せた。ジューッと言う音が響く。
「真白は、相変わらず美しいな。雪白(せっぱく)が良く似合う」
 肉の焼け具合を確認しながら、竜軌がさらりと褒(ほ)める。しかし褒められた当の真白は、肉から目を離さずに言われたせいか、何だか事務的な事柄を言われたようで、あまり嬉しくもなかった。肉の焼ける音と匂いの中で雪白などと言われても、ぴんと来ない。
「解りきったことでしょう。今更言うことじゃない」
 荒太が淡々(たんたん)とした声で口を挟(はさ)んだ。
 竜軌がちらりと肉から目を上げる。
「ほう。言いおるな、荒太。今生(こんじょう)においても亭主(ていしゅ)気取(きど)りか」
「生憎(あいにく)、今生でもそうなる予定なんで」
(え――――――――?)
 真白はびっくりして荒太を見た。
 今、彼は何かとんでもない発言をしなかったか。
「は!」
 信長が息を吐(は)くように笑った。あ、市枝と似てる、と思った真白は思考(しこう)が逸(そ)れた。
「おい、市よ。聞いたか。こやつはもう、真白を手にした気でおるぞ。嵐であった時より図々しさが増しおったわ」
 信長は言いながらも抜(ぬ)け目(め)なく肉の様子を窺(うかが)い、肉を移動させたりひっくり返したり、良い具合に焼き上がったものを皿に入れて回ったりしている。見事な焼肉奉行ぶりだ。
 その甲斐甲斐(かいがい)しさに、台詞(せりふ)の迫力はやや削(そ)がれていた。
「ええと、あの、新庄先輩(しんじょうせんぱい)…織田様」
「新庄で良いぞ。何だ、真白?」
 鷹揚(おうよう)な笑みを浮かべて、竜軌が真白を見る。
「……髪の毛の、その赤い部分って、エクステですか?」
 その場にいた面々は揃(そろ)ってきょとん、とした。
 目を丸くした竜軌の、こんな表情は、前生でも見たことが無かった。
「え、だって、前から気になってて…。明臣(あきおみ)の例もあるから、地毛(じげ)だっていう可能性もあるし――――――――」
 三人が、一斉(いっせい)に噴(ふ)き出(だ)した。
 特に竜軌は、大口を開けて笑っている。
「あっはっはっははははは」
(そんなに可笑(おか)しなこと言ったかな)
 些(いささ)か、場の空気とずれたことを言った自覚が、真白本人には無い。
「くっくっく…、真白は、天然か。そうか、そう言えば若雪も天然が入っていたな。それともこれが、神の眷属(けんぞく)の気質と言う奴か……?真白よ、いかにもこれはエクステだ。行きつけの美容室の店員に勧められてな。結構、気に入っている」
「あ、はい。似合ってると思います」
 極めて素朴(そぼく)な真白の受け答えに、荒太も市枝も脱力(だつりょく)したような顔になる。
 何だこの平和な遣(や)り取(と)りは、と荒太は内心突っ込んでいた。別に殺伐(さつばつ)とした会話を望んでいる訳でもないのだが、どうも調子(ちょうし)が狂(くる)う。
「真白ってば、どんな時でも真白だわ」
 市枝が呆れたように言うと、降参(こうさん)したような笑みを浮かべた。
「おい、焼けたぞ。どんどん喰え、お前ら」
 立ち込める香ばしい煙の中、四人は忙しく箸と口を動かした。

 あらかた肉を食べ終わり、四人が締(し)めとしてこの店自慢のビビンバ丼を食べ始めるころ。
 荒太が、スッカラと呼ばれる金属で出来た匙(さじ)を口に運びながら言った。
「――――訊いても良いですか、信長公」
 竜軌が目を上げる。
「……本能寺の変の時、俺の呼んだ声、聴こえてましたよね」
「ああ」
 荒太が、目線を竜軌に合わせた。やや緊張(きんちょう)していることが固い表情から窺(うかが)える。
「どうして、応じてくれなかったんですか。…俺は、あんた一人だけでも助け出すつもりだったのに」
 竜軌が匙を置いた。
「お前の声は、確かに儂(わし)の耳に届いた。だが、儂はそれに応じる訳にはゆかなかった」
「なぜ」
 険(けわ)しい顔で尋ねた荒太を、竜軌は深い色を湛(たた)えた目で見返した。
 その一瞬、時の流れが逆流(ぎゃくりゅう)し、荒太と竜軌は、意識下で燃(も)え盛(さか)る本能寺にいた。
 障子戸(しょうじど)の向こうに竜軌。こちらに荒太。
二人は向かい合って対峙(たいじ)していた。
信長の纏(まと)った帷子(かたびら)の白。嵐の背負った炎の赤。
真白と市枝は、白と赤の幻影(げんえい)を見たと思った。
「荒太よ―――――。お前も実のところは、承知しておるであろう。お前一人、あの場より抜け出すことさえ困難(こんなん)であったあの局面(きょくめん)で、儂を伴(ともな)い、どこまで明智の囲いを破れた?儂はな、死ぬることは恐ろしゅうはなかった。しかし、光秀めに儂の躯(むくろ)を晒(さら)し、首級(しゅきゅう)を上げられることは我慢(がまん)ならなんだ。お前と共に行けば、畢竟(ひっきょう)、途中で倒れることになるのは目に見えていた。―――――――それゆえに、儂はお前の声を聴かなかったこととしたのだ」
 そうして障子戸は閉められ、乱世(らんせ)の果(は)ては遠ざかった。
 嵐の叫びは永遠に応じられることが無いまま、空(むな)しく宙(ちゅう)に消えた。
「――――――」
 重々しく語った竜軌の言葉に、荒太は肩の力が抜けたようだった。
 市枝の手も、真白の手も止まっていた。それぞれに、複雑な顔をしている。
 本能寺の変における信長の死は、嵐にも若雪にも市にも、大きな影響をもたらした。
 彼らのその後の人生の分岐点(ぶんきてん)ともなった本能寺の変で、信長が何を思い死んでいったのか、本人の口から聞くことの不思議を改めて思うと共に、三人の胸を様々な思いが去来(きょらい)していた。

 ―――――――そこは星さえ遠い、ビルの密集地(みっしゅうち)。
ふわり、と優美な鳥のように、黒臣(くろおみ)は夜の街に舞い降りた。
 嬌声(きょうせい)と喧噪(けんそう)が遠く聴こえる暗い裏通りに、彼は魍魎(もうりょう)の気配を感じ取っていた。
(―――――この街一帯に、魍魎が集中している。雪(ゆき)の御方様(おんかたさま)たちの気配に、惹(ひ)かれてのことか――――――?)
 皮膚(ひふ)が崩(くず)れた人型(ひとがた)の異形(いぎょう)が、三体、闇に蠢(うごめ)いていた。
 黒臣の切れ長の目が、更に細められる。それは戦意(せんい)の表れだった。近くでごみを漁(あさ)っていた野良猫(のらねこ)が耳を伏せ、ミャオウ、と一鳴(ひとな)きして走り去る。元々、花守(はなもり)が足を踏み入れるには穢(けが)れが濃(こ)い場所である。
「……醜悪(しゅうあく)も過ぎると、憐憫(れんびん)を誘(さそ)うものだな」
 漆黒(しっこく)の鞭(むち)が、その手には握られている。
 襲い来る魍魎の一体を、鞭の一振りで打ち伏せる。ヒュンッと空気が鳴った一瞬後に、ざらり、と崩(くず)れ去(さ)る肉塊(にくかい)。
 黒臣の腕を、もう一体が掴(つか)もうとする。それをかわしたところで、更にもう一体が待ち構えていた。この魍魎の動きは、ゆっくりしているようで無駄(むだ)が無い。
 広げられた両腕を、身を低くして辛うじて避けると同時に、鞭でその身体を絡(から)め捕(と)る。鞭を握る手に力を籠(こ)めると、絡(から)め捕(と)った魍魎は霧散(むさん)した。しかしその隙(すき)に、残る一体が黒臣の背後に迫っていた。
 気配に気付き、黒臣が振り返るが間に合わない。
「清き水は、刃(やいば)のごとく」
 涼やかな声が響いた。
 次の瞬間、魍魎の身体を刺(さ)し貫(つらぬ)く剣があった。不純物(ふじゅんぶつ)の無い、透明な水が凝(こご)ったような、美しい剣だった。
 魍魎が倒れ、塵(ちり)と化す。剣の主の姿がそこにあった。
「………水臣(みずおみ)か」
「貸しが出来たな、黒臣?」
 深い、水のような声はどこか愉快(ゆかい)そうだった。
 一見黒にも見える長い青の髪が、夜の風に靡(なび)いている。
「なぜ、ここにいる」
「ふん…、助けられた礼も無しか。姫様の予見(よけん)だ。この場で、お前が危(あや)うくなると」
 水臣は水で象(かたど)られた剣を手に、無造作(むぞうさ)に立っていた。水臣も黒臣も、衣服は神界で身に着けるもののままだ。淀(よど)んだ空気を放つ場所で、彼らの存在とその衣は、場違(ばちが)いに神聖(しんせい)だった。
「成(な)る程(ほど)―――――」
 あくまで礼を言う気配を見せない黒臣に、水臣が面白くなさそうな顔をする。
「――――――水臣!」
 ハッと黒臣が目を見張り、水臣に警告(けいこく)の声を発した。
 水臣は危(あや)ういところで、飛来(ひらい)した小刀(しょうとう)のようなものをかわした。
 それはガラスのように透明で、且(か)つ鋭利(えいり)だった。
「莫迦(ばか)な――――――――」
 姿を現した相手を見て、黒臣が呻(うめ)く。
 水臣も驚愕(きょうがく)の眼差(まなざ)しでそれを見た。
 そこに立つのは半透明(はんとうめい)の、美しい生き物だった。
 小柄な少年とも少女ともつかない、中性的な風貌(ふうぼう)。神(かみ)つ力(ちから)を操(あやつ)る花守たちに刃(やいば)を向けたものは、醜(みにく)い妖(あやかし)とはおよそ程遠(ほどとお)く、清らかささえ感じさせる空気を纏(まと)っていた。
「何だお前は―――――、魍魎、なのか?」
 黒臣の問いに、その生き物はにこりと無邪気(むじゃき)な笑みを見せた。

 怜の住まうアパートの部屋は1DKで、ダイニングキッチンは六畳、居間兼寝室も六畳の広さだった。そこそこ自炊(じすい)の出来る怜にとって、広めのキッチンと使い勝手の良いコンロがついた物件(ぶっけん)は有り難かった。高校生の割にそつなく、また礼儀正しく振る舞うので、大家(おおや)からの受けも良い。
 しかしその大家も、今の怜の在(あ)り様(よう)を見れば目を剝(む)くだろう。
 完璧に整理整頓(せいりせいとん)とまではいかないまでも、そこそこに片付いた部屋の中、怜は氷の浮かぶウイスキーが入ったグラスを一人傾(かたむ)けていた。折(お)り畳(たた)みの出来る小振(こぶ)りなテーブルの上にはウイスキーのボトルの他に、肴(さかな)につまむアーモンドが載(の)ったガラス皿がある。
 白い半袖(はんそで)のVネックシャツに、ストレッチ素材の効いた黒のジーンズを穿(は)いた怜は、グラスを傾けつつ時折(ときおり)アーモンドに手を伸ばし、寛(くつろ)いでいた。
 真白は知らないことだが、たまの晩酌(ばんしゃく)は怜の楽しみの一つだった。押入(おしい)れにはこっそり、ウイスキーのボトルと、日本酒の一升瓶(いっしょうびん)が隠されている。一人暮らしの家具を揃(そろ)える際、冷凍室付きの冷蔵庫を選んだのは、実はウイスキーを飲む時の氷を作る為、という理由が一番大きかった。そのあたりの動機(どうき)からして、既に法律違反に踏み込んでいる。それでも一度に飲むのは、せいぜいウイスキーをロックでグラス一杯か、日本酒を盃(さかずき)に一、二杯程度ではある。
 例えば真白が、怜に飲酒(いんしゅ)を止(や)めろと懇願(こんがん)してくれば、すぐにでもそれに従うことは出来る。
 だが今のところ、怜の密(ひそ)かな習慣は彼女にばれていないし、止めろとも言われていない。
(太郎兄がチクッたりしなければ、当分はこのままだな……)
 そんな風に考えていた。
 カラン、と氷を揺らし、グラスの中身をコク、と飲む。
 喉(のど)の内を通り抜ける流動体(りゅうどうたい)の感覚は、冷たく、熱い。
 怜はかなりのアルコールが入っても、顔に出ない。酔いも浅く、すぐに醒(さ)める。全く素面(しらふ)の時と変わらないのでつまらない、と以前市枝の家でワインを飲んだ時に、剣護から不満そうに言われた。
〝そんなところまで変わってないんだな、次郎〟
 ――――――どこかで太鼓(たいこ)の音が鳴っている。賑(にぎ)やかな音楽も流れて来る。子供のはしゃいだような声も、時々聴こえて来る。
 そう言えば今日は近くの公民館(こうみんかん)で、昼間にバザーが開催(かいさい)されたあと、夜には夏祭りが行われるのだとアパートの大家が言っていた気がする。
(祭り、か……)
 グラスを掲(かか)げて、昔のことを思い出す。
 出雲大社に仕える神官家であった小野家は、祭事(さいじ)の折(おり)にはその下準備やら精進潔斎(しょうじんけっさい)などで忙しかった。太郎清隆(たろうきよたか)も次郎清晴(じろうきよはる)も、まだ幼い時分(じぶん)からその手伝いに駆り出されたものだった。そして途中から若雪がそれに加わるようになり、三郎も加わった。
 今では、遠い思い出だ―――――――。
 だがどうしても怜は、小野次郎清晴(おののじろうきよはる)として生きた記憶に、執着(しゅうちゃく)せずにいられなかった。
 それはたった十五年で断(た)ち切(き)られた人生だったが―――――――――。
 彼にとってはそれ程に大事な家族で、―――――兄妹だったのだ。
〝親不孝者(おやふこうもの)!〟
 前生の記憶を思い出した怜が、転校して一人暮らしをする、と言った時に母親から泣きながら言われた言葉は、今も耳に残っている。
 それでも、怜は真白たちを選んだ。そして少しも後悔していない。
(実際、親不孝者ではあるんだろうな…)
 冷静に、自分のことをそう分析(ぶんせき)する。
 何の色も浮かばない瞳で、怜はグラスを傾けると琥珀色(こはくいろ)の液体を口に含んだ。

 竜軌が支払いを済ませて、四人は焼肉店を出た。
 支払いの時に、竜軌が手に持っていたゴールドカードがちらりと目に入り、真白は驚いた。真白にとっては都市伝説(としでんせつ)のような代物(しろもの)であるそれを、竜軌はさも無造作(むぞうさ)に扱っていた。
(本物のゴールドカード、初めて見た…)
 市枝といい、竜軌といい、織田家の兄妹は随分(ずいぶん)と富裕(ふゆう)な家に生まれたものだ、とこっそり思う。
 今夜は曇(くも)っていて、月も星もよく見えない。どこからか虫の鳴く音だけが聴こえてくる。
 湿度(しつど)は高いらしく、肌にまとわりつくような湿気(しっけ)が、やや鬱陶(うっとう)しかった。
焼肉店の広い駐車場まで来たところで、荒太が言った。
「俺が真白さんを送って行きますんで、新庄先輩は市枝さんをお願いします」
「市枝も真白も、俺がまとめて送って行ってやる。タクシーを使えば問題無いだろう」
 あっさり言う竜軌に、やはり経済観念(けいざいかんねん)が違う、と真白は思った。
 竜軌の自宅がどこにあるのかは知らないが、市枝の家と真白の家の双方(そうほう)を回ったあとで帰宅するのだとしたら、タクシーのメーターは大変なことになるのではないか。
 感覚の落差(らくさ)に呆れたのは、金銭の無駄遣(むだづか)いを嫌う荒太も同じだったらしい。
 竜軌に対し、渋面(じゅうめん)になって諭(さと)すように言う。
「タクシーじゃキャッシュカードは使えませんよ」
「そのくらいの現金、持ち合わせている」
「公共の乗り物を使ってくださいよ。まだ、夜もそこまで遅くはないんだから」
「うるさい。俺の金の使い道にお前が口を出すな。相変わらずの吝嗇家(りんしょくか)め。……ほら見ろ、お前が細かいことでぐずぐず言うものだから、来てしまっただろうが」
 その言葉に振り向き、真っ先に反応したのは真白だった。
「雪華(せっか)!」
 真白の手に吸い付くように、速(すみ)やかに現れる美しい懐剣。
「――――飛空(ひくう)、ここだ」
 一拍遅(いっぱくおく)れて荒太の声が響く。
 嵐が愛用していた腰刀の柄が、その手に握られる。感触を確かめるかのように、荒太が鞘(さや)を払った飛空をブンッと一振りする。それは実戦仕様の装飾皆無(そうしょくかいむ)な刀で、剣護の扱う豪奢(ごうしゃ)な臥龍(がりゅう)とは対極的(たいきょくてき)だ。
(飛空―――――――)
その腰刀を横目に見た真白の目に、感慨(かんがい)が浮かぶ。
飛空という銘は、嵐の頼みで若雪がつけたものだった。
 市枝も百花(ひゃっか)を呼び出していた。
 そんな彼らに対し、竜軌は何をするでもなく、ゆったりと腕を組んで見物する姿勢を示した。
真白が感慨に浸(ひた)ったのは、一瞬のことだった。飛空に向け逸(そ)らされた目は、再び正面を見据(みす)え――――――――そして、大きく見開かれる。
 虫の鳴く音は、いつしかピタリと止んでいた。

 真白は今まで、魍魎(もうりょう)、妖(あやかし)とは恐ろしいものだと考えていた。醜(みにく)くおぞましい、人に害を成(な)す生き物だと―――――――――――。
 しかし今、目の前に立つのは。
「何、これ――――――?」
 それは半透明の身体を持ち、いかにも無垢(むく)な雰囲気で佇(たたず)んでいた。
 整った面立ちに、小柄(こがら)な身体。小首(こくび)を傾(かし)げるような仕草は、害意(がいい)を持っているのかどうかさえ疑わせる。しかも彼らの瞳には、邪気(じゃき)が見出(みいだ)せない。
 そんな生き物が、二体立っていた。
(二体――――いえ、二人?)
澄んだ目をした彼らに、真白たちは混乱の面持(おもも)ちだった。
 これは何なのか。
 魍魎と呼ぶにはあまりにも――――――――――。
「これを、斬れと言うの………?」
「何か問題があるかな?」
唖然(あぜん)として発した真白の言葉に、返って来た声があった。
低く、艶(つや)のある男の声。けれどどこか聴く者の耳にひやりと響く。
「誰!?」
 市枝が厳しい声を上げる。
 するり、と半透明の生き物の背後から出て来たのは、一目で高価と判(わか)るチャコールグレーのスーツを身に着けた男性だった。年のころは三十から四十程。銀に光る細いフレームの眼鏡の、奥にある目は笑みに細められている。スラッとした長身で、出来るビジネスマン、といった風情(ふぜい)だ。
 一見して怜悧(れいり)な印象を強く受ける男だった。
(でも…、何だかいかにも、だ)
 真白は男の風貌(ふうぼう)を凝視(ぎょうし)してそう思った。
 この男はまるで、記号のように解りやすい容姿(ようし)を、あえて形にした作り物のようだ。この外見を備えるまでに、男が歩んで来た筈の人生の、年輪(ねんりん)のようなものが感じ取れない。
 そんな印象を真白は受けた。
(けれど、生きている、という気配はする)
 命を持つ存在の重量感が、目の前の男には確かにある。
「…あなたも、魍魎?この子たちも?」
 信じられない思いで真白が尋ねる。
 真白の当惑(とうわく)した表情を、ひどく楽しそうに男は眺(なが)めていた。
「その通りだよ、門倉真白(かどくらましろ)。おや、随分(ずいぶん)と驚いた顔をしているね。何をそれ程、不思議と思うことがある?」
 男は見た目の余裕そのままに、悠々と言い切った。
「だって、そんな―――――」
 今まで見た妖(あやかし)と、あまりに違い過ぎる。
「今まで見た妖と、違い過ぎる?」
 胸中(きょうちゅう)を呼んだかのような男の言葉に、真白は驚いた。
「ふむ…。そもそも、魍魎がなぜ醜悪(しゅうあく)な姿形をしていたか、解っていないようだ。それはね、彼らが人に降りかかる自然災害(しぜんさいがい)の代行者(だいこうしゃ)として生まれたものだからだよ。しかしだな…門倉真白、人の世では実に安直(あんちょく)に、一口(ひとくち)に災害と言うが、ただ起きる自然現象を、人が災(わざわ)いと呼ぶのはなぜだと思う?」
 なぜ――――――――?
 真白には、考えたことも無い疑問だった。災いは―――災害は人に嘆きを呼ぶ。死を招く。――――――――だから、あってはならないものの筈(はず)だ。生(しょう)じてはならないものの筈だ。そう考えるのは、人として当然ではないか。人として――――――――。
 憐(あわ)れむような微笑を浮かべて、男は続ける。
「それは、その自然現象が、人にとっての悪だからだ。人にとって、起きては都合の悪い現象だからだ。災いを災いたらしめるもの。それは、人の意識(いしき)だよ」
 男は両手を広げ、芝居(しばい)じみた口調で得得(とくとく)として語り続ける。
「現象そのものは、善とも悪とも定まって生じるものではない。要は見る側が、己の眼をもって見る、何を善とし、何を悪と決めつけるかだ。それが、真実だ。――――――どうだ、門倉真白?そう考えてみると魍魎たちも、甚大(じんだい)なる霊力の顕現(けんげん)である吹雪(ふぶき)が原因で生じた、被害者(ひがいしゃ)と言えなくも無いだろう?希望をもたらす光の吹雪とは、聞いて呆れる――――――――。立派に不幸を生んでいるではないか!」
 真白は何も言えなかった。
 今まで考えてもみなかった問題を突き付けられ、雪華の柄を握る手の力が、知らず弱まる。
 それを敏感(びんかん)に見て取った男は、ますます愉悦(ゆえつ)に満ちた声で言い募(つの)った。
「この真実を踏まえても尚(なお)、我ら魍魎を滅し続けると言うのなら、それは既に善行(ぜんこう)ではない。単なる狩りだ。殺戮(さつりく)だ。そして我(われ)らは全力でそれに抗(こう)するだろう。つまりはただの、殺(ころ)し合(あ)いが繰(く)り広(ひろ)げられるだけの話だ。解るか?闇と光は、いつ入れ替わってもおかしくはないものなのだよ」
 有効(ゆうこう)な反論が思い浮かばないまま、これだけは譲(ゆず)れない事実を真白は口にする。
「…………あなたの言うことが正しいとしても、私には、守りたい人たちがいる」
 それは自分自身にも言い聞かせる言葉だった。
 張(は)り詰(つ)めた表情の真白に、男は尤(もっと)もらしく頷いて見せた。
「そうだろうとも。だがその為に殺せるか。君の守りたい存在と同じく、脈打(みゃくう)つ命を、響く鼓動(こどう)を、自らの手で奪えるか?」
「―――――……」
 自分が滅(めっ)した魍魎の姿を、真白は思い出していた。今まで遭(あ)った魍魎は、異形(いぎょう)だった。人とは程遠(ほどとお)い、醜い姿だった。あまりに大きな自分たちとの差異(さい)ゆえに、生命が宿る相手と意識することなく雪華を振るうことが出来たのだ。
 けれど、今目の前に立つ魍魎は。
 真白たちが男の言葉に圧倒(あっとう)され押し黙っていると、その沈黙を破る威勢(いせい)の良い声が響いた。
「またベラベラと、よく喋(しゃべ)る魍魎だな。安っぽい現身(うつしみ)を取りおって。真実がどうのと、お前はうつけか。襲い来る危難(きなん)に向かい戦わんと欲(ほっ)するは、人でも獣(けもの)でも変わらぬ性(さが)であろうが。つまらぬ理屈を並べ立てるその口、今ここで永遠(えいえん)に封じてやろうか」
 腕を組んだまま、竜軌がジャリ、と半歩(はんぽ)、男に向かって踏み出す。
 スーツの男は片眉(かたまゆ)を歪(ゆが)めて竜軌を見ると、警戒(けいかい)するように間合(まあ)いを取った。
「織田、信長…。ふん、成る程。粗暴(そぼう)な男だ。私は今日は、この子たちの紹介役(しょうかいやく)として付き添っただけでね。残念ながら、君と刃(やいば)を交えるのは又の機会にしよう。―――――ああ、そうだ。門倉真白。もうすぐ、懐かしい顔に出会えるよ。尤(もっと)も彼は、君が憎くて仕方がないようだがね。君が彼と再会した時、どんな顔をするか、今から楽しみだ。君と彼の関係もまた、光と影に似たところがあるからね。では」
 語り終えた男は、すうっと闇夜に消えた。

       

白い現 第三章 惑乱 二

白い現 第三章 惑乱 二

信長に呼び出された真白、市枝、荒太ら三人は、指定された店へと向かう。そこで交わされた会話。本能寺で、信長が嵐の呼び声に応えなかった理由とは。 また、店を出た彼らを、歓迎されない存在が待ちかねていた―――――。 友人が、江藤怜と、門倉剣護の、素敵なイラストを描いてくれました。 左上が怜、右下が剣護です。剣護の目が、ちゃんと緑です。

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  • 短編
  • ファンタジー
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  • アクション
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登録日
2014-09-20

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