白い現 第二章 布陣 四

ちょっとずつ、色々明らかになってきます。

第二章 布陣 四

       四

 市枝を送り届けたあと、荒太は自宅に戻り部屋でスマートホンを片手に話していた。
 勉強机の前の椅子に片膝立(かたひざた)てて座り、キイ、キイ、と音を鳴らしている。
 窓から見える雨空にちらりと目を遣り、真白は濡(ぬ)れなかっただろうか、と思う。
「―――――そうか。お前でも難しいか、兵庫(ひょうご)」
「魍魎(もうりょう)のあとを辿(たど)っても、全く関係無さそうな場所に出るか、途中でいきなり姿をくらますんですよ。あの痕跡(こんせき)の消し方は見事なもんです。あれは、透主(とうしゅ)に接近するものを、相当警戒してますね。あと嵐様、俺の名前、今は河本直(こうもとただし)ですから、そこのところよろしく。〝二丁鎌(にちょうがま)の兵庫〟は、今では過去の人間です」
 口ではそう言うものの、兵庫――――河本は昔と何ら変わりないように感じられた。
「…お前も俺のことを嵐と呼んだじゃないか」
 またこいつは似合わない名前で生まれ変わったもんだ、と荒太は思っていた。
「あああああ」
 いきなり河本が声を上げたので、驚く。
「何だ、どうした」
「いやー、やっぱり関西弁じゃない荒太様ってしっくり来ないなーと思って」
 そんなことか、と荒太は呆れた。
「俺は真白さん以外から言われても、口調を変える気は無い。あとは気分次第だ」
 きっぱりと言ってのける。
「はいはい、そうでしょうとも、ご自由に。ああ、それから、若雪…、真白様が、魍魎に遭(あ)いました」
 荒太の顔つきが険しくなる。それを早く言え、と叫びたくなるのを堪(こら)える。
「――――――怪我(けが)は」
「兄上様も御一緒でしたし、無傷ですよ…。身体のほうはね」
 含むような物言いに、荒太が片眉を上げた。
「……どういう意味だ?」
「そのまんまの意味です。精神的にちょっと、ショックを受けたようですね。荒太様と違って繊細(せんさい)なようで。今は熱を出して寝込んでます。…真白様は、御身体があまり丈夫(じょうぶ)でないみたいです。若雪様と似てたり、似てなかったり。生まれ変わりって不思議ですねえ。――――――お見舞いに行ったらどうですか?」
「…………せやな、マドレーヌでも焼いてくか。――――それから、俺は結構、繊細やで」
「あはははははは。うけるー。まあね。誰しも認めたくない自分ってのはあるもんですよ」
 無意識に関西弁になった荒太に、癇(かん)に障(さわ)る笑いと持論(じろん)を放った河本が、一言評した。
「荒太様みたいなのをオトメンって言うんでしょうね」
「―――なんや?そのオトメンって」
「そんな言葉も知らないんですか?荒太様、おっくれってるー。それじゃまた、連絡します」
「ちょう…、待てや!」
 呼び止める言葉は完全に無視され、通話は一方的に切られた。
 どうなる訳でもないのだが、荒太はしばらく通話が切れたスマートホンを睨(にら)んでいた。
 一旦(いったん)報告を済ませた以上、再度こちらからかけ直しても応じるような相手ではない。マイペースを地(じ)で行(い)くような男だ。
「相変わらずやな……、あいつ」
人間一度死んでも、そうそう変わるものではないらしい。
(むしろ遠慮の無さに磨きがかかってへんか?)
 そんなことを若干(じゃっかん)の苛立(いらだ)ちと共に考えながら、荒太は本棚からお菓子作りの本を取り出した。
 
雨の中、手作りマドレーヌをタッパーに詰(つ)めて持って来た荒太を出迎えた剣護は、呆れ半分、感心半分だった。荒太はそんな剣護の表情を気にも留めない様子で、差して来た傘を閉じると傘立てに入れている。
「耳が早いね、お前。……そのマドレーヌ、まだ温(あたた)かそうだな」
 タッパーに剣護の視線がじっと注(そそ)がれる。マドレーヌに穴が開きそうな気がして、荒太はタッパーを高く後方(こうほう)に掲(かか)げ、剣護から遠ざけた。
「剣護先輩に作って来た訳やないですよ。とりあえず、真白さんの顔、見せてください」
 今にもマドレーヌに手を伸ばしそうな顔の剣護を、突き放すようにして言う。
「はいはい、まあ上がれよ」

 怜はまだ真白の枕元に陣取(じんど)っていた。荒太や、一旦家に戻り濡れた制服を着替えて来た剣護と違い、怜だけがまだ制服のままだった。珍しくネクタイを緩めて、シャツのボタンも上二つ外している。彼は荒太の姿を見ても無表情で、驚いた様子も見せない。眠る真白の顔色の悪さを見て取り、荒太も剣護と同様に眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せた。
「…江藤がついとって、なんでこないなことになってん?」
 いきなりの切(き)り口上(こうじょう)に、慌てたのは剣護だった。怜と荒太の間に、身体を置く。
「待て、荒太。次郎に非は無い。―――――次郎、麦茶の盆下げて、紅茶でも淹(い)れて来てくれないか?荒太が陣中見舞(じんちゅうみま)いを作って来てくれたらしい。俺がその間に説明しとくよ」
「俺は真白さんの為に作って来たんや」
 荒太が頑(かたく)なな口調で言った。
その頭を、剣護がペシ、とはたく。
「子供みたいなこと言うんじゃないよ。とりあえずお前、座れ。あと、でかい声出すな」
 全くの無表情で怜が真白の部屋を出て、階下に降りて行ったあと、剣護は荒太の顔を見遣(みや)った。
 ――――――――いつに無く、余裕の無い表情をしている。
「江藤って、紅茶淹れられるんですか?」
 疑わしげな眼差(まなざ)しで荒太が訊く。
「真白程じゃないけど、美味いよ、あいつの淹れる紅茶」
「ふうん…」
 剣護の言葉に相槌(あいづち)を打ちながらも、荒太はどこかそわそわとして落ち着かなかった。
 目を逸(そ)らそうとしているようでいて、気が付けば彼の目は、真白の寝顔に向いている。
(ひょっとして、こいつ―――――…)
「…若雪のことを、思い出してるのか?」
 荒太が剣護に目を向けた。その目にはもう険(けん)は無く、どこか不安で心細い色があった。
「…―――――二度目に罹(かか)った労咳(ろうがい)で、若雪どのは亡くなりました。少しずつ、横になる日と、時間が増えて行って――――……」
 荒太の目線が、剣護から逸らされた。
「…最期(さいご)のほう、嵐は毎日、若雪どのの寝顔を見てたんです。―――――いつその時が来るかて、怯(おび)えながら…見てる他、なんも出来ひんかった」
 語る声は平淡だったが、聴く者の胸を突く切実さがあった。
「―――――もう、あんな思いはたくさんや」
「…………」
「その時」とはつまり、若雪が息を引き取る時だ。
 それは、若雪と連れ添って、彼女の最期まで傍にいた嵐の記憶を持つ荒太にしか、理解出来ない心情だ。剣護にはかける言葉が無かった。
(こいつは…、嵐は、二回も若雪を亡くしたんだよな。それも自分の目の前で)
 共に生きたゆえの喜びがあるように、共に生きたゆえに負う、苦しみや悲しみがある。それすらも羨(うらや)ましいとは、安易に言えるものではなかった。
「…で、真白さんに何があったんですか、剣護先輩?」
 吐息を一つ落としたあと、幾分(いくぶん)落ち着いた表情で、荒太が尋ねた。

「……そいつ多分、秋山や」
 話を聞き終り、真白を「化け物」と呼んだクラスメートの名を、荒太があっさり挙げた。
 眉間には再び皺が刻まれている。
「何で判(わか)った?…次郎は名前までは言わなかったぞ」
 剣護が怪訝(けげん)な顔をする。
「秋山は、真白さんに憧(あこが)れてたようやったけど…、最近は真白さんに向ける視線がなんや卑屈(ひくつ)なもんになってました。真白さんが挨拶(あいさつ)しても、返ってこうへんかったみたいやし。そんで、塾に向こうてたとなると、多分そうでしょう。――――――間違うてるか、江藤?」
 丁度(ちょうど)その時、部屋の戸の向こうで真白も含めた人数分の紅茶を載せたトレイを、怜が運んで来たところだった。だが両手が塞(ふさ)がっていて、戸が開けられない。
 気付いた剣護が、戸を開けてやる。
 現れた怜の顔には憂いがあった。
「……間違ってないけどね。わざわざ、名前を挙げる必要があるの、成瀬?知ってしまえば、嫌でも太郎兄だって秋山に対して悪印象を持ってしまうだろう」
「それがなんや?秋山は恩を仇(あだ)で返した。その結果が、真白さんの今の状態や。変な情けをかけるんは、間違(まちご)うとる」
 怜は深い眼差しで荒太を見た。
「短絡的(たんらくてき)な考えだよ、それは。秋山も被害者だ。もっと根本的なところから、物を見て考えろ。お前は今、頭に血が上(のぼ)ってるんだ」
「あー、そうだな。とりあえず二人共、病人のいる部屋で言い争いは止めろ。次郎はさっさと紅茶を配れ。荒太はマドレーヌをいい加減出しやがれ。紅茶もマドレーヌも、冷(さ)めない内が美味しい」
 至極(しごく)最(もっと)もな剣護の言葉に、怜も荒太もさすがに黙って従う他無かった。

 真白は暗闇の中にいた。
(誰もいない………)
 無明(むみょう)の闇で、彼女は一人きりだった。
(…何だったろう。誰かに、)
 言われた言葉が胸に刺さり、ひどく辛かったことを覚えている。
 ずっと昔にも、やはり同じ言葉をぶつけられた。
(初めてじゃない)
 化け物、と呼ばれるのは。
 若雪も苦しんでいた。
 有(あ)り得(え)ない、と言われて。
 お前のような子供など有り得ない、と。
 それを憐(あわ)れみ、自分の力を神よりの賜(たまわ)りものだと言って、慰(なぐさ)めてくれた母。
(母様………)
 
 解っていた筈だった。
 常人(じょうじん)とは異なる才を持つ自分が、周囲に疎外(そがい)されることは。
 それでも、神として存在するより、人としての転生を望んだのは嵐に出会う為だ。
 苦しみを負っても、彼と逢(あ)う道を選んだ。
(荒太君……)
 猛(たけ)る風。飛翔(ひしょう)する鷹(たか)。
 今生(こんじょう)でも、彼の本質は変わっていないように見えた。
(始めから、私の生きる道は平坦(へいたん)なものではないと定められていた)
 ここを超えて行くしかないのだ。
 きっと耐えられる。
(独りではないから)
 
真白はふと耳を澄ませた。
(―――――誰か泣いてる?)
 聴いている真白の胸さえ痛くなるような、泣き声で。
 嘆き、悲しむ気配がする。
(ああ………)
 その声の主(ぬし)は姿を見せない。
 だが真白には解った。
(…あなたは、独りぼっちなんだね……)
 それでは生きるのが辛いだろう、と真白は思った。
 人との関わりから、触れ合いから、全く切り離されて生きることは難しい。
 その時、泣き声の主が、一人の名前を呟(つぶや)いた。
(え――――――?)
 それは、真白も良く知る人物の名前だった。

(―――紅茶の匂いがする………)
 真白はうっすら目を開けた。飛び込んできた光の眩(まぶ)しさに、開きかけた目を細める。
 近くに感じる、複数の人の気配。
「お、起きたか」
 真白の目覚めにいち早く気が付いたのは、剣護だった。
 彼の言葉に、怜と荒太も真白を見る。
「太郎兄、次郎兄、…荒太君」
 三人揃(そろ)って、どうしたのだろう、と真白は思う。
(…身体がだるい。頭が熱い)
 そうして、真白は何があったかを思い出した。
〝近付くな化け物〟
 再び、ズキンと胸が痛んだ。
 それが顔に出たのだろう、三人の顔に案じるような色が浮かんだ。
 大丈夫、と示そうとして身体を起こす。
 怜に付き添われて帰宅した真白は、祖母と怜(りょう)に勧められ、ぼんやりする頭で制服からパジャマに着替え、ベッドに横になった。そしてそのまま、眠ってしまったのだ。
 雨はまだ降っているようだ。耳を澄ますまでもなく強い雨音が聴こえる。
「荒太君―――――、どうして、ここに?」
 荒太の顔を見ると、途端(とたん)に今の自分のパジャマ姿が気になった。
(…恥ずかしいな)
二人の兄の前では、起きなかった恥じらいだ。
 薄手(うすで)の掛布団(かけぶとん)を、顎(あご)のあたりまで引っ張り上げる。
 名指(なざ)しされた荒太が、怜と剣護を押(お)し退(の)けるようにベッドの傍(そば)まで来た。
「真白さんが、魍魎に遭(あ)ったあと、寝込んだって聞いたし」
「次郎兄から――――――?」
「いや――――――」
「じゃあ、剣護から?」
「…いや…」
 真白が子供のように小首(こくび)を傾(かし)げる。
 荒太が躊躇(ためら)う様子で口籠(くちごも)り、剣護と怜が彼を見た。
 二人が報(しら)せるまでも無く、荒太は真白の家に来た。
 どうやって真白の状態を知り得たのか、剣護も怜も訊きたいところだった。
「―――兵庫に聞いたんや」
 荒太の言葉に、真白が目を見開く。
「――――兵庫――――――?………それって、あの、兵庫?」
「せや。あの、兵庫や。今は、河本直(こうもとただし)て名乗ってるけどな」
 怜と剣護には初耳の名前だった。
「誰だ、そいつ?」
「俺が前生(ぜんしょう)で率いてた忍び集団、嵐下七忍(らんかしちにん)の一人です。……本能寺の変の時、死んだ奴ですわ」
 尋ねた剣護に、荒太が答える。
(兵庫――――、生まれ変わってた)
 真白は両手で口元を覆(おお)った。
〝そして俺は多分、自分が死ぬ時も、きっと自分の判断に満足しながら死ぬでしょうね。
あえて終焉(しゅうえん)の地を、自分で選ぶんでしょう〟
 自ら言った言葉通りに、彼は本能寺を死地と選んだ。
 兵庫はいつも飄々(ひょうひょう)として、嵐や若雪にさえ、時に突き放すような意見を物怖(ものお)じせず言った。耳に痛い言葉は、しかし誰より嵐と若雪の為を考えて発せられるものだった。若雪は、本能寺の変が起きたのち彼の訃報(ふほう)を聞いて、自らの言葉が兵庫を死地に追(お)い遣(や)ったのだと自分を責めた。嵐はそんな若雪に、彼の覚悟を侮辱(ぶじょく)するなと言って諌(いさ)めたのだ。
(もう一度、会える……?――――でも)
 真白の胸に、一抹(いちまつ)の不安がよぎる。
「…私のこと、恨(うら)んでなかった?」
「いや、全然。恨む理由が無いやろ。むしろ、前から真白さんに会わせろ言うて、うるさいくらいや」
「――――――――」
 真白がもどかしげに身を乗り出す。パジャマ姿ということも、今や頭に無かった。荒太の顔と顔が近くなる。
「元気にしてる?変わってない?辛いこととか、無さそうだった?」
 矢継(やつ)ぎ早(ばや)の質問に、荒太が白い歯を見せた。
「相変わらず、憎たらしいくらい元気や。ピンピンしとるで。なんも心配要らん」
「そう…。良かった―――――。良かった」
 人が転生を繰り返す、その理(ことわり)に、真白は救われたと思った。
 涙さえ落とさなかったものの、彼女の両目はひどく潤(うる)んでいた。
「……真白、もし食欲が少しでもあるようなら、マドレーヌがあるよ。成瀬が焼いて来てくれた。美味(うま)いよ。アッサムの紅茶も入ってる」
 怜が優しい声をかけ、ケーキ皿に盛られたマドレーヌと、紅茶のポットを掲(かか)げて見せた。丸いガラス製のポットに淹(い)れられた紅茶は、綺麗な赤褐色(せきかっしょく)だった。
 
真白が美味しそうに二口(ふたくち)、三口(みくち)マドレーヌを食べ、紅茶を飲むのを見届けた怜と荒太は、あとを剣護に任せて帰ることにした。
 玄関先で、剣護が荒太に礼を言った。
「ありがとな、荒太」
「マドレーヌの礼やったら別に要りませんよ」
「いや、そっちじゃなくて、兵庫の件だ」
 続きを怜が引き取った。
「真白を元気づける為に、俺たちには伏せておきたかった情報を、わざと明かしただろう?誤魔化(ごまか)しようは、色々あっただろうに。俺からも礼を言うよ、成瀬。ありがとう」
 荒太は二人の言葉を聞き、首の後ろをがしがしと掻(か)いた。視線は明後日(あさって)の方向を向いている。
「別に。偶然やろ」
 剣護がにや、と笑った。
「ほー。お前、結構殊勝(しゅしょう)なとこあるんだな」
「それより剣護先輩、真白さんのこと頼みますよ。なるべく傍にいたってください。今はまだ、ナーバスになってる筈(はず)や。誰かが一緒にいてやったがええ」
 ほんまは俺がいてやりたいんやけど、とぼそりとこぼした荒太の頭を、にこやかな笑みを浮かべて、調子に乗るんじゃないとばかりに剣護が小突(こづ)いた。まだまだ妹の傍らにいる時間の全てを、譲(ゆず)り渡(わた)してやる気は無い。
「解ってるよ。俺がついてるから心配すんな。―――――お前たちも、帰り道には気をつけろよ。何があるか解らないからな」
 剣護の言葉に、心得ているとばかりに頷いた二人は傘を差し、真白の家をあとにした。

 雨はその晩遅くまで降り続いた。
「呪詛返(じゅそがえ)しに遭(あ)ったそうだな?」
 さして同情する風でもない声に、くたびれたビジネス・スーツを着た男は顔を上げた。
 そこは生活臭(せいかつしゅう)の感じられない、殺風景(さっぷうけい)なマンションの一室だった。清らかさも濁りも無い、無味乾燥(むみかんそう)な空気が漂っている。
 男が上げた顔の左半分は、焼け爛(ただ)れたようになっていた。
「おやおや、哀(あわ)れなものだ。小野太郎清隆(おののたろうきよたか)―――――門倉剣護(かどくらけんご)、中々(なかなか)どうして、やるじゃないか」
 わざとらしい同情の声と、面白がるように続いた言葉に、男は相手をギッと睨(ね)め付けた。
「おお、怖い」
 全く怖がってはいない、揶揄(やゆ)する響きを過分(かぶん)に帯(お)びた声。低く、喉(のど)を鳴らすような笑い声は男の神経を逆撫(さかな)でした。 
「解っているだろうがね、我々は貴様に肩入(かたい)れなどしないよ?ただ現時点では利害(りがい)が一致している為、協定を結んでいるだけだ」
「―――――私は、奴らへの恨みを晴らせればそれで良い」
 そっけない態度に、スーツの男はギラギラと血走(ちばし)った目で答えた。
 その声には暗く、深い憎しみが宿っている。
「恨み、ねえ…。まあその調子で、せいぜい頑張ってくれ」
 あくまでも男を突き放すような、気の無い言(い)い様(よう)だった。
(憎しみに、喰われた男、か……)
 声の主にとって、男は醜(みにく)く滑稽(こっけい)なピエロでしかない。見ていたら多少は退屈が紛(まぎ)れる、その程度の存在だ。怨念(おんねん)を抱いたまま、勝手にどこまでも突っ走れば良い。
 どうせこの男に太郎清隆(たろうきよたか)も次郎清晴(じろうきよはる)も、まして門倉真白(かどくらましろ)を討ち取ることなど期待していない―――――――。
 男の惨(みじ)めな末路(まつろ)が、今から目に見えるようだった。
 しかし、このままでは魍魎(もうりょう)の数は減る一方だ。
(ここらで一つ、手を入れようか)
 口元に拳(こぶし)を当て、考える。遊戯(ゆうぎ)の手順(てじゅん)を思(おも)い描(えが)くように。
 醜(みにく)いものをただ滅(めっ)すべきと信じて疑わない者たちは、どれ程狼狽(うろた)えるだろうか。
 清らかな、神(かみ)つ力(ちから)を扱う者たちは。
(問題提起(もんだいていき)……と言うやつだな)
 正しさとは何か――――――――――――。
 彼らが懊悩(おうのう)する姿は、さぞや見物(みもの)だろう。
 閃(ひらめ)く刃(やいば)のような笑みを浮かべる。
(ねえ、透主様(とうしゅさま)?)

 薄暗い部屋の中、白く透けるような布の垂(た)れ下(さ)がる天蓋(てんがい)つきのベッドの上には、一人の少女の姿があった。
 雷光(らいこう)が、部屋の様子を一瞬眩(まぶ)しく照らし出す。
 細い首には、肩を過ぎるくらいの髪がまとわりついている。手足も細く、今にも折れそうな風情(ふぜい)だ。右の足首には、赤く光る足枷(あしかせ)が嵌(は)められている。
 数秒のちに、ドーンという落雷の音が鳴り響いた。
 少女が身動きすると、赤い鎖(くさり)がシャラリと音を立てる。
 彼女はただそこに座り、虚(うつ)ろな眼差(まなざ)しを宙に向けていた。
 絶望に閉ざされた胸にあるのは、変わらない願いだけ。
 たった一つの願いを、彼女はひたすら胸中(きょうちゅう)で繰り返していた。
(来て――――ここに。早く来て。私を助けて―――――、太郎清隆)
 私を助けて。
私を殺して。
太郎清隆。

白い現 第二章 布陣 四

白い現 第二章 布陣 四

秋山の反応に傷つき、痛手を受けて眠る真白。それを取り巻く剣護や怜、荒太の反応は。また、目覚めた真白は、荒太から懐かしい名前を聞く。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-09-07

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