白い現 第二章 布陣 一

白い現 第二章 布陣 一

戦端、開く――――――。

第二章 布陣 一

第二章 布陣(ふじん)

茨(いばら)の道を選びゆく
噴き出る色は
赤い色
鉄の靴を履(は)き
踏み鳴らせ

     一

 理の姫・光(こう)は、姉である若雪のことを常に気にかけていた。
 若雪が真白として転生してからもそれは変わらず、姉として慕い、常に安否(あんぴ)を気にかけていた。
 ――――――――だからこそ、彼女にこの、自ら創り出した空間まで足を運ばせた自分を恥じていた。真白たちがここまで来た要件が、理の姫には既に解っていた。

 摂理(せつり)の壁(かべ)の崩壊は、理の姫の積年の悲願だった。
 吹雪の圧倒的な力を利用し、それが叶った時には達成感と高揚感で胸が満ちた。
 だが、崩壊は思わぬ存在を生み落していった。
 ―――――――それは人の世に害を成す魑魅魍魎(ちみもうりょう)。
 その存在が、吹雪が禍(まが)つ力を発揮した時に起こる筈であった、自然災害と同数であると知った時、理の姫は己の詰めの甘さを痛感した。
人を先んじて災いから救うべく成した摂理の壁の崩壊が、異なる災いを呼んだ。
 まるで理の姫を嘲笑(あざわら)い、その目を盗むような密(ひそ)やかさで。
 妖(あやかし)は、蠢(うごめ)き始めた。
 ゆえに、理の姫は自ら起(た)った。
 花守を信用していない訳ではなく、自身で事態の回収に当たらなければ、とても自分を許すことが出来なかったからだ。
 けれど理の姫は、再び失敗した。
 決して油断していたつもりは無いが、人界に降り、魑魅魍魎を狩っていた際に傷を負った。本来、あってはならないことだった。淀(よど)みと濁(にご)りから生まれた妖が、光を操る全(まった)き神である理の姫を害し得ることなど。傷の癒えるまでには時がかかった。その為に、過剰に事態を憂い、心配して先走った花守たちを、自分が責める資格など無いことも理の姫にはよく解っていた。
(しかし――――――――)
 真白たちは今、理の姫と花守たちと対話する姿勢で、思い思いに座していた。
 真白の手にある雪華を、理の姫は苦々しい思いで見つめる。
(姉上様たちまでをも巻き込むとは)

 理の姫の顔をじっと見ていた真白は、何だか苦しそうだと思った。
(傷は癒えたと聞いた…。それなら、なぜこんな表情を理の姫はしているんだろう)
 ―――――己自身に憤(いきどお)っているからだ。
真白が答えを出すのは早かった。真白にも、よく理解出来る心情だったのだ。
(……やっぱり姉妹ってことかな)
 どこか性分に通じるものがあるのだ。
 理の姫が自分に見せる顔はいつも柔らかく、親しげで優しい。そんな彼女が、苦痛を堪(こら)える顔で自分を見ている。
 相手は神だが、妹でもある。
 痛ましい、と真白は思った。
 そしてそう思った時点で、真白の胸には確信が生まれた。
 自分は、誰に反対されても彼女を助ける道を選ぶだろう、と。
 たった一人の妹を―――――。
 剣護たちだけではない。自分にも守りたい妹はいるのだ。
 理の姫が沈痛な面持ちのまま、口を開いた。
「姉上様―――――、魍魎に、お遭いになりましたね」
「……うん」
「恐ろしいと思われたでしょう」
「――――――…」
 迫り来る手。崩れゆく皮膚。斬った感触―――――――――。
 そそけ立(だ)つ感覚が蘇り、真白は理由も無く荒太の顔を探した。
 彼は真白の座る左後ろにいた。その顔を見る。
 怪訝(けげん)な顔をするでもなく、荒太は黙って真白を見返し、小さく頷いた。
〝大丈夫だ〟と言うように。
(大丈夫だ。きっと)
 真白は自分でも、自分自身に言い聞かせた。
 それから、息を吸った。
「――――――思ったよ。とても、怖かった」
「ならば――――――――――」
「でも、次は平気になる。次が無理なら、その次に平気になる」
 真白は理の姫の言葉を遮(さえぎ)って続けた。
 理の姫が目を見張る。
「…そのような簡単な話では」
「…うん。解ってる。でも、平気にならなくても、―――――倒すよ」
 話が勇み足になっている、と剣護は感じた。
「おい、しろ―――――――」
 ちょっと落ち着け、と声をかけるつもりだった。けれど、声が出なかった。
 振り向いた真白の目は静かな湖のようでいて―――――底光りするものがあった。
 剣護は、妹の瞳に気圧(けお)された。
 真白は再び理の姫に向き直って言った。
「私は、理の姫を守りたいよ。花守に頼まれなくても、それは変わらない。……だからもう大丈夫だよ、光(こう)。私もいるから」
 理の姫は絶句した。
 真白は、水臣がちらりとこちらを見るのを感じたが、気に留めなかった。
「―――――――――姉上様は、お変わりないのですね…。いつの世も」
 理の姫は僅(わず)かに笑いをこぼし、唇に手を当て目を閉じた。
 そこからこぼれ落ちた滴(しずく)を、その場にいた誰もが見ない振りをした。
 水臣が、静かに進み出た。
「雪の御方様。我らが滅した魑魅魍魎の数を、お教えしておきたいと存じます」

 再び雪華の導きにより、理の姫の空間から市枝の部屋に戻った面々には、互いの顔を窺(うかが)い合うような微妙な空気が流れていた。
「……何だか予想したより速いスピードで、なしくずしに話が決まった気がするんだけど…」
 怜が戸惑いがちに言う。正直なところ、彼は真白の意思の強さに圧倒されていた。また、話の急な流れに懸念(けねん)を抱いてもいた。
(危ういと感じるのは俺だけか)
 隣に立っていた市枝に目を遣ると、彼女にさして動じた様子は見受けられなかった。
「そうね―――――。でも、私は別に構わないわよ?こんなことになるんじゃないかって気はしてたし。……真白が決めたんなら。前生で、市は若雪とは一緒に戦ったことが無かった。…そんな力も、無かったしね。だから今生で共闘(きょうとう)出来るのは、むしろ嬉しいくらいよ」
 先日、明臣に対して見せた剣幕(けんまく)を忘れたように、市枝があっさりと言う。若雪も真白も、一度決めたことは翻(ひるがえ)さないと長い付き合いで解っているのだ。加えてお市の方だった前生とは異なり、自ら戦う力を持ち得る現状は、市枝にとって悪いものではなかった。
 剣護と荒太は沈黙していた。
 とりわけ剣護からは、静かな怒気(どき)のようなものが感じられた。
 さすがに真白が、小さな声で訊く。
「―――――怒ってる、剣護?」
「怒ってるよ。―――――――――自分に対して」
「え?」
 剣護は物騒(ぶっそう)な顔をしていたが、醸(かも)し出す怒りの気配は、どうやら彼自身に向けられたもののようだった。
(…結局、こうなるのか)
 真白は、守りたいから、と言いながら自ら火中に飛び込むのだ。庇護しようとするこちらの腕をすり抜けて。
 ―――――若雪と同じ道を歩んでいる。
 そして剣護はそれを止めることが出来ない。
(気圧されて、真白がみすみす危険な事態に身を置くことを防げないとは)
 若雪だった時からそうだ。
 真白は時々、見る者が従わざるを得ない目をする。それは威風(いふう)という、彼女の美質かもしれないが。剣護は考えざるを得なかった。
あの目は真白を生かすだろうか、殺すだろうか――――――――。
(危険に近付く術(すべ)になるんじゃ、真白の為にならない。それはもう、美質ではない)
 先の目測が立たない、ということは剣護をひどく不安にさせた。彼は真白に対応しかねている自分を感じた。
「兄失格だな…」
「ああ、そらあきません」
 剣護の自嘲(じちょう)の言葉に、即反応したのはそれまで黙っていた荒太だった。
「は?」
 剣護を含め、目を丸くする真白たちの中、荒太は続けた。
「せやから、剣護先輩がそない弱気やと、俺ら全員の士気(しき)に関わる、言うてますねん。―――――――自分が大将や、いう自覚が無いんですか?」
「……俺たちは真白を中心に動く。…動いている筈だ。だから今、こういう状況にもなってるんだろ」
 珍しく苛立ちの混じった剣護の言葉には、荒太も頷いた。
「はい。そらそうですけど、矢面(やおもて)に立つんは剣護先輩、いうことにしといたがええですやろ。真白さんを隠す、カモフラージュとして」
 その場にいる全員が虚を突かれた顔をした。
 最も早くその言葉に対応したのは、怜だった。
「…成る程。適任では、ある」
「―――――――――お前ら、俺はどうなっても良いってか」
 剣護がぼそりと落とした呟きに対する反応は、乾いたものだった。
「そらまあ、男性と女性では違いますし」
「太郎兄、良い見せ場が出来たね」
 荒太と怜が、妙に息の合った声を剣護にかける。
「………お前たちが仲良くなってくれて、俺は嬉しいよ」
 止(とど)めとばかりに、市枝が言う。華やかな笑顔で。
「騎士(ナイト)は姫を守るものでしょう?剣護先輩」
「…………」
(誰が騎士(ナイト)だ)
 ガリガリと頭を掻(か)いて、剣護が盛大な溜め息を吐いた。
 じろり、と荒太を睨(にら)み上げて尋ねる。
「んで、お前は何の役割だ?脚本家」
 荒太はにっと笑った。
「俺は元忍びですさかい。陰で暗躍(あんやく)する遊撃手が向いてます。自由に動かさしてもらいますわ」
「―――――――俺も基本は自由に動くぞ。当面は、妖に対抗する為の格別な動きは起こさない。向こうの出方を待つ。……俺たちが理の姫の陣営に加わることを、遠からずあちらさんも知るだろう。透主(とうしゅ)の耳にも入る筈だ。――――――何らかの接触も、あるかもしれない。しばらくは現状維持で、降りかかる火の粉は協力体制で払う。…良いな、真白?」
 剣護の、あくまで真白に主導権はあると言う姿勢を見て、やっぱ適任や、と荒太が茶化
した。真白が深く頷く。
「うん。これからは、出来る限りこの中のメンバー二人以上で行動することにしよう」
 これには剣護が異論を唱えた。
「いや、真白と市枝ちゃんは、極力(きょくりょく)単独で動かないこと。俺と怜、荒太は単独でも動く」
 当たり前のように頷く男子二名とは反対に、真白と市枝が同時に眉を顰(しか)めた。
「何それ。倒した魍魎の数は、この中で私が一番多い筈だけど?」
 市枝が突っかかる。
「だからさ、少しは俺たちの顔を立てろよ」
 剣護が宥(なだ)める口調で言った。
「………男女差別」
 ぼそ、と不満を漏らしたものの、それ以上は真白も言わなかった。納得しきってはいない様子だ。
「…まあ良いわ。とりあえずは、そういうことにしておきましょう?」
 市枝が髪を払いのける。
「水臣の話では、花守の倒した妖の数は総勢で二十。剣護先輩たちと真白、それに私の倒した数を含めると二十八。残り八十三か。だいぶ、捌(さば)けたわね」
「………八十だよ、市枝さん」
「あ、そうだった?」
 市枝の計算に、囁(ささや)くような声で怜が訂正を入れた。
 やや後ろめたそうに、真白が告げる。
「……今更、私一人で理の姫を助けるなんて言っても、聞き入れてもらえないだろうからお願いするんだけど。自分の身をしっかり守ってね。危ない状況に陥(おちい)らないよう、注意して、皆。――――――――お願いします」
 真白が、深々と頭を下げた。
(私の選択が、皆を巻き込んだ。…―――――私には皆を守る責任がある)
 けれど一人空回(からまわ)るだけでは、成し得ないこともあると真白にも解っていた。それぞれに、自衛の意識を上げてもらう必要がある。
 当然、と頷く面々の中、こつん、と軽く剣護が真白の頭を小突(こづ)く。
「お前もだぞ、真白。お前がもし魑魅魍魎に傷つけられたら、俺はそいつを八つ裂きにしてやるからな」
 そう言った剣護の瞳に、冗談めいたものは微塵(みじん)も無かった。
「もう、こうなったものは仕方ないから、表看板は俺が背負ってやるよ。けどこの集まりの、核になってんのは自分だって自覚だけは忘れんなよ」
「…うん。ありがとう、剣護。私も剣護を守るから」
 微笑む真白に、だからそれはいらないんだって、と剣護が呆れたように言った。

 その日はそれで解散となり、真白は市枝や荒太と別れて剣護と共に家に帰ったが、怜だけは真白に話がある、と言って一緒について来た。怜の言葉に、剣護は一瞬思案するような顔を見せたが、結局何も言わず自宅に入って行った。禊(みそぎ)の時を経て真白が眠り続けていた間から、怜は何回も真白の家を訪ねていたので、真白の両祖母とはすっかり顔馴染(かおなじ)みになっていた。
「話って何?次郎兄」
 怒られるのかもしれない、と思いつつ、自分の部屋に入ると、真白は早速彼の用件を尋ねた。自然、上目遣いになる。
 机に置かれた盆の上には、祖母が淹(い)れてくれた緑茶の湯呑(ゆのみ)が二つ、湯気を上げていたが、真白も怜も、それを手に取ろうとはしなかった。夕刻と言って良い時間になっても初夏の日はまだ高く、気の早い蝉(せみ)の音が少ないながら鳴り響いていた。
「うん。とりあえず、ここに座って、真白」
 そう言って、怜はベッドの上をポンポン、と叩いた。
 ベッドの枕元には、依然、剣護と怜、市枝が真白にプレゼントしたテディベアが置かれている。それを見た怜の目元が、一瞬和む。
 大人しく腰かけた真白に向かい、怜はひざまずくような姿勢で彼女の顔を見上げ、目を合わせた。
「まず、これから俺が言うことは、真白の決断に怒っての言葉じゃない、ってことを理解して。良い?」
 穏やかな声で前置きする。
「―――うん」
 真白は顎(あご)を引いてコクリと頷く。
 同時に真白が少しホッとした気配を感じて、怜は優しい笑いを浮かべた。それから顔を引き締めると、静かに語り始める。
「……真白は、今回の件で参戦を決めた。市枝さんはそれで良しとしたし、俺や太郎兄は元々魍魎を殲滅(せんめつ)するつもりだったから、やることは今までとあまり変わらない。成瀬は元から、異存無いだろう」
「うん」
「ただ、自分の決断が招く結果は、ちゃんと受け止めるんだ。自分を責めることも立ち止まることもせず、そのまま、真白の意思を貫いて欲しい。今から俺たちは戦(いくさ)に臨むんだ。…誰一人、無傷で済むとも思えない。最悪の場合は俺たちの内、誰かが命を落とすことだってあるかもしれない。前生で俺は戦に参加したことは無かったけど、味方の人死にが出ない戦なんて、奇跡だってことくらいは解る」
 真白が目を伏せ、唇を噛(か)み締(し)める。
 怜はその顔をじっと見たまま続けた。
「もちろん真白はその奇跡を願って戦うんだろうし、俺たちだってみすみす死ぬつもりは無い。だけど真白には、どんな時でも後悔しない覚悟を決めておいて欲しいんだよ。自責の念に、溺(おぼ)れ過ぎない覚悟を。市枝さんだろうと、成瀬だろうと、俺や太郎兄だろうと、万一のことがあっても、嘆くなとは言わない。でも、自分を過剰に責めないで」
 怜は、今後真白が陥るかもしれない最悪の状況に際して、真白が自分を責めることを恐れているのだ。自責(じせき)の念に駆られる余り、悲嘆に足を取られ、動けなくなることを何より危惧(きぐ)している。
 真白は怜の顔を凝視した。
鋭敏な頭脳を持った、繊細な次兄(じけい)の顔を。
「――――――若雪が三十三歳までしか生きられなかったこと、実は俺も太郎兄も結構ショックだったんだ。俺たちよりは長生き出来たから良いとか、そういう理屈じゃなくて」
 怜は真白の髪にそっと触れると、その頭を優しく撫でた。
「……真白には、もっとずっと長く生きて欲しい。真白がお婆さんになるまで。その時、真白の隣にはきっと成瀬がいるだろう。俺と太郎兄は、そんな未来を守る為に戦う。……幸せな時間が長く続いて、悪いってことは無いだろ?」
 微笑を浮かべながら話す怜の姿が、急にぼやけた。
「……泣き虫だね、真白は」
「…泣いてない……」
「――――じゃあ、この滴(しずく)は何かな?」
「……雨だよ…」
 言い張るものの、真白は頬に流れる涙を止めることが出来なかった。
「ごめん、次郎兄。心配かけて、ごめん」
 ポタ、ポタ、と涙が控えめな音を立てながら落ちてゆく。
「良いんだ。俺も太郎兄も、好きな道を選んで生きてる。だから良いんだよ、真白」
「――――――次郎兄は、優しい…。そんなに優しいと、生きにくいよ」
 真白の言葉に、怜はどこか勝ち気な面持ちで微笑んだ。
「大丈夫。俺は、いざとなったら切り捨てることの出来る人間だ。太郎兄も、情は深いけど同様にね。真白が俺たちの心配をする必要は無いよ」
「―――――ありがとう」

「勉強会?今度の金曜日に?」
 真白はスマートホンに向けて訊き返した。
「そ。もうすぐ中間試験でしょ。うちの学校、なーんかやたらとテストばっかあるんだから、やんなっちゃう。赤点取ると、ママとパパがうるさいの知ってるでしょ?だから、真白と、江藤に成瀬、ついでに剣護先輩も呼んで、一緒にうちで勉強しようよ」
 市枝は集中さえすれば勉強もはかどるというタイプであり、この誘いは妥当であるように真白にも感じられた。逆に、集中して勉強が出来なかった場合の市枝の成績は、惨憺(さんたん)たるものになることも心得ていた。真白自身を含め、集まるメンバーは成績トップクラスの面々であり、彼らと共に勉強すれば、市枝の勉強の能率も上がるのではないかと思えた。
「うん、解った。じゃあ、学校から市枝のお宅に直行するね」
「あ、それはダメ」
「は?」
「……じゃなくて、一回、着替えてから来てくれない?そうだ、出来ればあの青紫のワンピースが良いな」
 取ってつけたような物言いを真白は怪訝(けげん)に思い、眉を寄せた。
「ええ?わざわざ、お出かけする格好で勉強会?」
「―――――成瀬がね、もう一度見たいって。あのワンピ姿」
「………解った」
 じゃあ金曜の五時に、と約束して通話を終えた市枝は、にま、と口角(こうかく)を釣り上げた。
「ちょろいわ、真白」
 それから再び、今度は別のアドレスに電話をかけた。
「あ、剣護先輩?こっちはオッケー。話ついたわよ。ケーキの手配、よろしくね。あと成瀬には、くれぐれもプレゼント忘れんなって言っといて。――――――うん、大丈夫、全然、気付いてない。真白ってば、相変わらず自分の誕生日に無頓着(むとんちゃく)だわ。じゃ、そゆことで」

 金曜日は少し雲行きが怪しかったので、真白はワンピースに着替えたあと、念の為に雨傘を持って剣護と共に市枝の家に向かった。但し、向かう前に一悶着(ひともんちゃく)あった。
「あれ?」
 家を出て剣護と落ち合った真白は、首を傾げた。
「何、しろ」
「――――――剣護、今日何か格好良くない?」
 真白は、剣護の服装にいつに無い違和感を覚えた。
 黒い薄手のフード付きジャンパーを羽織った剣護は、その下に焦げ茶のボタンダウンシャツを着て、黒のスラックスを穿(は)いている。靴もスニーカーではなく、革靴だ。いつも以上に、長い手足とハーフの顔立ちが映える服装だった。
「いや、気付くの遅過ぎるだろ。俺は生まれた時からずっとイケメンで通ってて……」
「そうじゃなくて、何かお洒落してる!制服も着替えてるし、下、ジーンズじゃないし!」
「ばーか、ばーか、俺はいっつもお洒落ですう―――――」
 ビシッと指を差し指摘した真白に、本気なのかどうか解らない口調で剣護が言い返す。
 市枝の家まで歩くには少し距離があるので、途中からバスを使う。不毛(ふもう)な言い合いをしながら、二人は停留所まで歩いた。
バスに乗り込む時、真白の中で魍魎(もうりょう)に遭った嫌な記憶が蘇った。一瞬怯(ひる)んだものの、真白はその記憶からあえて眼を逸らさずに、気を強く持とうと自らに念じた。万一同じような事態に陥っても、次は怯えるばかりでいる訳にもいかないのだ。
(剣護に頼ってもいけない)
頭の中で、祓詞(はらえことば)を改めて思い出しながら真白はバスに揺られていた。
 高級住宅地にある市枝の家は、瀟洒(しょうしゃ)なグレーの煉瓦(れんが)の外壁で、外国のシックなお城のような外観をしている。
 バッグに勉強道具を持参しているとは言え、晴れ着でこの家を訪ねると、なんだかパーティーにでもお呼ばれしたような気分になる。
 そう思いながら、真白は呼び鈴を押し、中から市枝が出て来るのを待った。
 ガチャリ、とステンドグラスの嵌(は)まった扉が開く。
「いち――――」
 え、と続ける前に、クラッカーの破裂音がパパパン、と鳴り響いた。
「ハッピーバースデーイブ、真白!!」
「え………。え?」
 そこには、怜、荒太に、大人っぽくめかしこんだ市枝がにやにやしながら立っていた。
(ハッピーバースデー…イブ?)
 この時点で、真白は自分の誕生日をやっと思い出した。
(六月十日―――――明日だ)
 入って入って、と市枝に背を押され、門倉家とは比較にならないくらい広いリビングに招かれる。よく見れば怜たちの服装も、いつもよりきちんとしたものだ。怜は薄いミントグリーンのシャツにグレーのベスト、濃紺のスラックスを穿き、荒太は白いシャツの上にブルーグレーのジャケットを羽織り、グレーのスラックスを合わせている。これは恐らく男性陣に、市枝がドレスコードを設定したのだろうと、真白にも察しがついた。剣護が珍しく服装に気を遣ったのも、その為だ。
 それでもまだ、きょときょとした目をしている真白を見て、市枝が笑った。彼女は絹のような光沢(こうたく)のある素材の、淡い紅色のワンピースを着ている。耳から下がるイヤリングには、水晶と珊瑚(さんご)が揺れていた。
「真白って、ほーんとサプライズパーティーのし甲斐(がい)があるわあ」
「しろ、お前、伯父さんたちが何の為に帰国したか、すっぽり頭から抜け落ちてるだろ」
 市枝と剣護から口々に言われ、リビングのガラス張りのテーブルに置かれた大きなケーキを見て、真白は恥じ入るばかりだった。ケーキには蝋燭(ろうそく)が十六本、立てられている。
「まあまあ。真白らしいよ」
 にこやかに言う怜だが、彼も明らかに笑いを堪(こら)えているのが判る。真白が赤い顔で怜を睨(にら)み上げる。
「次郎兄、フォローになってない……」
「明日が誕生日当日なら、当然家族でお祝いになるだろ?だから、一日前倒しで祝おうって市枝さんの発案なんだ」
 最後にことの成り行きを説明したのは、荒太だった。
 真白が不思議そうな顔になる。それを見て荒太も似たような表情になる。
 期せずして二人は、鏡のように顔を斜めにして向い合せていた。
「…え、何?真白さん」
「――――今日は関西弁じゃないの?」
「ああ…。なんか、気分によるんだよね。関西弁のほうが良いならそっち喋ろうか?」
 特に拘(こだわ)る様子もなく、合わせるよと言われ、真白はかえって首を強く横に振った。
「荒太、お前このヤロー。俺たちには欠片(かけら)もそんなこと言わない癖に」
 不平を申し立てる剣護に、荒太が呆れた顔で答えた。
「当たり前でしょう、剣護先輩。何が悲しくて男のリクエストに応えなくちゃいけないんですか」
「一理(いちり)あるね。さあ、まずはケーキから始めようか、真白?」
 怜の言葉を皮切(かわき)りに、真白の誕生日前夜祭が始まった。

 市枝の家でケーキに紅茶、更には荒太と怜が作ったというごちそうの数々をお腹に入れ、真白は満腹の心地で夜の道を歩いていた。祖母たちには、今日は真白は外で食べて来る、と剣護が前もって言っておいてくれた。
 隣には荒太がいる。
 俺たちはもう少し楽しんでくから子供はもう帰んなさい、という不当な理屈で、二人揃(そろ)って剣護に帰されたのだ。剣護の目くばせを受けた市枝が、いそいそとワインセラーのほうに歩いて行くのを、真白は見逃さなかった。―――――――今日は市枝の両親は揃って舞台鑑賞(ぶたいかんしょう)で遅くなるらしい。多少羽目(はめ)を外しても構うまい、というところだろう。
(―――――法律違反)
 荒太と二人になるよう、気を利かせてくれたのは解るが、主目的は果たしてどちらだったのか怪しいものだ、と真白は思っていた。
「真白さん、ふくれてる」
 荒太が笑いを帯びた声で言った。
 彼は剣護から、しっかり真白のボディーガードをしろよ、と仰せつかって真白と同じバスに乗り、バスの停留所から家まで送ってくれているのだ。
 空は曇っているものの、時々雲の隙間を突いて半月より膨(ふく)らんだ月が顔を覗(のぞ)かせ、持って来た雨傘も使わずに済みそうだった。
「うーん。良いんだけどね。私だって、ワインに興味無い訳でも無いのに。剣護も次郎兄も、過保護なんだから」
「―――――仲が良いね」
 荒太の言葉には、どこか含みが感じられた。
「それは…、兄妹だから」
「ふうん……」
 何となく、真白は話題を変える必要性を感じた。
「今日の料理は、荒太君が次郎兄と一緒に作ってくれたんでしょう?」
「そうだよ」
 真白は溜め息を吐く。
「すごいなあ。剣護も料理出来るし、荒太君は出来るとかいうレベルじゃないし。……私、次郎兄の腕前は知らないんだけど、どうだった?」
 手ごねハンバーグやほうれん草のパスタ、海鮮サラダ、ビシソワーズなどそうそうたる料理の品々を思い出しながら、荒太に尋ねた。
「ああ、あの年齢の高校生男子にしては、十分出来るほうだと思うよ。俺、誰かと一緒に料理して、自分の手順乱されるとついイラついちゃうんだけど、その点江藤は手際が良くて、優秀なアシスタントだったな」
(うわあ。あの次郎兄が上から目線で評価されてる)
 真白は、もし自分が荒太と一緒のキッチンに立ったら、と想像すると、それだけで胃が痛くなる心地がした。若雪でさえ、嵐と夫婦になったあと、家事に手を出すことを嫌がられたのだ。嵐は家事全般その他何につけても優秀だった。若雪は武術や学問、教養としての舞踊などを含めほぼ何でも完璧にこなしたが、料理の腕前だけは食べた人間を唸(うな)らせる程、壊滅的(かいめつてき)だった。
「……次郎兄はあの年齢で一人暮らししてるしね。何でもそつなくこなしちゃうところは、荒太君と少し似てるかもしれない。でも私は、荒太君とは絶対一緒に料理出来ないと思う」
 真白の深刻そうな口ぶりに、荒太は笑い声を上げただけで何も言わなかった。
 もう日もすっかり暮れているというのに、まだ蝉の鳴き声がする。
(昔はそんなこと無かったけどな……)
 戦国の世では、戦の場合を除き、夜の暗闇はすなわち無音(むおん)の静寂が常だった。少なくとも夜に鳴く蝉はいなかった。今自分が感じている違和感を、荒太もまた感じているだろうか、と真白は思った。
 真白の家がすぐそこに見える程の距離になり、真白は荒太の正面に向き直った。
「じゃあ、このへんで。送ってくれて、ありがとう」
 夜道を照らす街灯(がいとう)の明かりの下で礼を言う。
「あ、ちょっと待って」
 そう言うと荒太は、麻で織られたと思しき、涼しげなブルーグレーのジャケットの内ポケットから小さな箱を取り出した。丁寧にかけられた細いリボンは、内ポケットの中に入れられてもその形を保っていた。真白に向けて、箱を差し出す。
「十六歳の誕生日、おめでとう。真白さん。……正確にはあと数時間後だけど」
「え……。え。これ、私が貰って良いの?」
 真白の目は、小さな箱と荒太の顔を何度も行き来した。
 実は真白は、単独で男の子からプレゼントを貰うのは、剣護以外では初めてだった。
 荒太が真白の言葉に噴き出した。
「…いや、だって、真白さんの為に作ったんだし」
 可笑(おか)しそうに笑い続けながら言う。
(作った――――――?)
 丁寧な手つきでリボンを解き、箱を開けてみると、中にはブレスレットが入っていた。
 手に取って見ると、華奢(きゃしゃ)な金色の鎖がきらりと光る。鎖には、細かいカットの施された青紫色の雫型の石が一粒ついていた。
(綺麗――――)
 このワンピースと同じ色だ、と思った。
 真白は雲間から出た月にブレスレットをかざしてみた。
「本当は銀のチェーンが良いかとも考えたんだけど、銀は酸化すると黒くなるから。六月の誕生石は真珠だから、真白さんには似合うし、バロックパールにしようかとも思ったんだけど、しょっちゅう着けたりしてたら汗なんかで真珠の艶(つや)が無くなるし………」
 コットンパールは俺の信条に反すると言うか云々と、ぶつぶつと並べられる、まるで言い訳のような職人気質(しょくにんかたぎ)の言葉は、あまり真白の耳には届いていなかった。
(綺麗だけど、これって――――――)
「……これ、材料費がすごくかかってるんじゃ…」
 真白の恐々(こわごわ)とした問いを、荒太は理屈立(りくつだ)てて否定した。
「それ程でもないよ。石は天然石だし。チェーンは真鍮(しんちゅう)で、他の金具と一緒に手芸品店で揃えたから。俺、そこの店の会員カード持ってるから、会員価格で買えるしね」
 ホッとすると同時に、手芸品店、会員カード、と言う言葉に、荒太の部屋の本棚にあった編み物のテキストを真白は思い出していた。
(御用達(ごようたし)のお店とか、あったりするのかな………)
 真白の胸が、ほんのり温かくなる。
「この石は、何て言うの?」
「え、…タンザナイト。あ、やっぱりアメジストのほうが良かった?迷ったんだ」
 慌てたように言う荒太に、真白は微笑んで首を横に振った。
「ううん、これが良い。このワンピースと同じ色で、とても綺麗。ありがとう、荒太君」
 その言葉を聞いて、荒太もホッとしたように笑った。
「荒太君は何でも出来るんだね。出来ないこと無いね。すごいね」
「………器用貧乏なだけだよ」
 真白の素直な賞賛の言葉の連続に、荒太は顔を逸らして答えた。
 けれど街灯の明かりから僅(わず)かに逃れたぐらいでは、赤面した顔を隠すことは出来なかった。

白い現 第二章 布陣 一

白い現 第二章 布陣 一

理の姫と対面した真白は、どんな決断を下すのか――――――。 作品画像は、ザクロを模したネックレスです。 「茨の道を選びゆく 噴き出る色は 赤い色 鉄の靴を履き 踏み鳴らせ」

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更新日
登録日
2014-08-17

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