白い現 幕間 明の再会
「吹雪となれば」の時からおなじみだった、花守の一人、明臣の後日談です。
果たして彼は、亡き許嫁の転生後と再会を果たすことが出来たのか、というお話。
明の再会
幕間 明(あけ)の再会
琵山(びざん)高校に通う和久井琴美(わくいことみ)には最近気になることがあった。
より正確に言うなら、気になる人がいた。
(いや、でもあれって人って言うのかな)
思いながらそっと教室の後ろを振り向くと、こちらを見ていた彼とばっちり目が合ってしまった。
にこ、と笑いかけられ、思わずパッと顔を戻す。
――――――――問題は、彼がこのクラスに以前からいた、という記憶が、琴美にだけ無いことだった。燃えるような赤い髪に端整な顔立ちの、彼のような存在がいたら忘れる筈は無いのだが。
クラスメートの誰に訊いても、彼は確かに前からこの二年三組に在籍していた、と答える。そして決まってなぜそんなことを訊くのか、と言う顔をする。
気さくで人懐こい笑顔の彼、渡辺定行(わたなべさだゆき)は男女を問わず誰からも人気があった。
そして定行は、琴美にはとりわけ親しみのある笑顔で接した。
「渡辺君って絶対、琴美に気があるよ」
クラスの女子はそう断言していた。近い内、告られるんじゃない?とも言われたりした。
けれどやはり、琴美の記憶に定行は存在しなかった。彼は気が付くと一週間程前に忽然(こつぜん)と姿を現し、さも以前からのクラスメートであったかのように振る舞ったのだ。誰もが定行の存在に疑問を抱かないことに、琴美はぞっとした。
(座敷童(ざしきわらし)みたい………)
六月に入り、そろそろ初夏の風が感じられるころ、琴美は定行と日直当番になった。出席番号順からして、確かにそうなってもおかしくはないのだが、琴美は心の中で悲鳴を上げていた。
(早く日直日誌を提出して帰ろう)
他の生徒の姿が消えた放課後の教室で、カリカリとシャーペンで日誌に書き込む音を響かせながら、琴美はひどく焦(あせ)っていた。
「和久井さん?」
「きゃっ……」
「きゃ?」
日誌を書くことに集中していた琴美は、目の前に立つ定行の存在に今まで気付かなかった。
定行はきょとんと目を丸くしている。
「―――――――ごめん、驚かした?」
殊勝(しゅしょう)に定行が謝る。
「あ、ううん。ちょっとびっくりしただけ。―――――もうすぐ、書き終るから」
「うん」
定行は頷くと、手近な席の椅子(いす)に座り、琴美を待つ姿勢を見せた。日誌には、定行も書き込まねばならない箇所があるからだ。
琴美は緊張の極みにあった。
「和久井さんってさ、僕のこと怖がってるよね」
定行がぽつりと言った。
「え?」
日誌から顔を上げて定行を見ると、彼はじっと琴美を見ていた。
(あれ?……目が、青い…?)
「まあ、無理も無いか。―――――――君の記憶をいじるのは嫌だったから、君だけ何の暗示もかけてないし。いきなり僕みたいなのがクラスメートに混じってたら、普通は不気味(ぶきみ)に思うよね」
琴美はぎょっとして目を見開いた。
上目遣いに定行の顔を見ながら、恐る恐る口を開く。
「わ、渡辺君って…、やっぱり前はいなかったよね」
「うん、そうだよ。君の認識は間違ってない」
定行は動じることなく頷いた。
「…座敷童、なの―――――?」
赤い髪はもしかして地毛なのだろうか。
そんなことを考えながら琴美は訊いた。定行の存在自体は不気味だが、彼の髪の赤はとても鮮やかで綺麗だと思う。琵山高校の制服である学ランの黒に良く映える。
「ううん。妖怪とかの類(たぐい)じゃない。僕は花守(はなもり)の一員で、明臣(あきおみ)と呼ばれてる。一応、神籍(しんせき)を持ってるよ」
気を悪くした風でもなく、定行はさらさらと言った。
「はなもり?親戚?」
琴美にはさっぱり訳が解らない。
定行はどこか得体の知れない微笑を浮かべた。
「…君がおっとりしてて、前のことを忘れて、僕のことを思い出せないとしても、まあ気長に待つよ、富(とみ)。――――やっと逢えたんだ」
「――――――とみ?私は、」
琴美だ、そんな名前じゃない。そう言おうとした。
けれどその言葉は琴美の喉(のど)につかえるようにして、声にして出されることは無かった。
「………あの応仁の大乱は、ひどかったね…」
琴美から一瞬だけ目を逸らし、呟(つぶや)くように定行が言った。
(―――――――応仁の乱?)
あの、日本史で習ったあれのことだろうか。
琴美の怪訝(けげん)な表情に構うことなく、再び彼女に目を向けた定行は続けた。
琴美のほうに、やや身を乗り出す。反対に琴美は、身体を引いた。
「…ねえ。もしかしたら、君は怒ってるのかな。僕が君を見つけるのに、かなり手間取ってしまったから。―――――五百年は、さすがに長いよね。君を見つけたのは、魍魎(もうりょう)狩りの最中の偶然だった。こういうのを、塞翁(さいおう)が馬って言うのかな」
(これは――――――)
危ない。
定行は、相当に思い込みの激しい、電波系の人なのだ。何やら良く解らないが、琴美を誰かの生まれ変わりだなどと、はた迷惑な思い込みをしている。こんなに端整な顔をしているのに、勿体無い――――――。
琴美の頭にはそんな思いが浮かんでいたのだが、彼女の目は吸い寄せられるように定行の顔に向き、そこから離れることが出来ないでいた。
(さだゆきさま……)
「―――――どうか―――御無事で―――」
琴美は自分の口をパッと押さえた。
今自分は、何を口走った―――――――――?
定行は茫然(ぼうぜん)とした顔をしている。
気付くと琴美は、がしっと定行の両腕を掴(つか)んでいた。
「駄目だよ、渡辺君!」
「は?」
「私たち、二人して妄想する精神病に罹(かか)ってるみたい!今度、一緒にメンタルクリニックに行こう!心理カウンセラーの人に、話を聴いてもらうの。私、ネットで良いところを探しておくから」
至極真剣な顔で琴美は言った。
定行はしばらく目を瞬(しばたた)かせていたが、やがて盛大に噴き出した。
「…和久井さん……、そのリアクション、すごく面白いよ………」
笑いながら、途切れ途切れにそう言う。
琴美はむっとした。
「私は真剣に言ってるんだよ?」
「…うん、解った、解った」
相変わらず笑いながら言われても、説得力が無い。
「僕は別に、和久井さんと一緒ならどこに行っても良いんだ。気違い野郎って思われてもね。じゃあ、和久井さん、メンタルクリニックの予約が取れたら、教えて?二人で一緒に行こう。楽しみにしてるよ」
何とか笑いを収めた定行は朗(ほが)らかにそう言うと、微笑んだ。
「――――――うん」
あれ?と琴美は首をひねった。
定行が書く欄を除いて、書き上げた日直日誌を彼に渡す。
定行はそれに目を通し、自分の担当する箇所を書き込んでいる。
(墓穴(ぼけつ)を掘った気がする)
琴美がそう自覚したのは、それからしばらく経ってからのことだった。
白い現 幕間 明の再会