上海水郷物語 朱家角

船旅

12月だと言うのに黄海は穏やかだった。
ゆるい消え入りそうな夕日が
静かに沈んでいく。

本庄浩一は12月になると雑貨の材料を
仕入れに大阪から上海に船で行く。

京都の嵐山で小さな土産品店を営む本庄は
幸いこの時期日程にゆとりがあるので

ゆっくりと船旅が満喫できるのだ。
1年の中で最も癒される2週間である。

旅の荷物は着替えとスケッチブックを1冊
持っていくだけだが、帰りはかさばりはし
ないがずしりと重い銀鎖4千本を背負う。

この時期の国際フェリーは乗客は少ない。
若者もいるが年配者が多いのは船旅ならでは
と思う。何人かの友人ができるのも楽しみだ。

スケッチは数年前から始めた。
鉛筆でラフスケッチをしてあとで
水彩を施すものだ。

船旅の時は必ずスケッチブックを持っていって
各地の風景をいくつか描いて帰る。

写真も撮りはするが写真から描いても
いい絵はできない。

現場ですばやくスケッチしたものにこそ
タッチに活力がある。

地元で趣味の会に誘われて入会はしたが
まだ1度も出品をしたことがない。

皆それなりにうまいのだ。本庄の
ラフ画など物の数ではない。

30人ほどの小さな会だが年に1回
作品展をやる。本庄は義理で毎年
顔出しだけは欠かしたことがない。

仕入れ

「一度本庄さんも出品してみたら?」
紹介者の友人の奥さんはしきりに勧めるが、

本庄にはまだそんな自信はない。ラフに
描くからこそ長続きするものだと思っている。
風景ばかりで人物画は皆無だ。

上海に上陸すると南站(南駅)から杭州へと向かう。
汽車のときもあればバスの時もある。
鉄道よりもバスのほうが格段に安くて早い。

杭州で乗り換えて義烏という町へ向かう。
1時間ほどで着く内陸の小都市だがこの町は

町全体が問屋の集まりになっていて、大規模な
マーケットが3箇所あり、最大規模の

国際商貿城は7階建ての大型ビルが10数棟も
S字型に連なっていてとても1日では見て回れない。

本庄は行きつけの鎖店へ向かう。価格を確認して、
でないと中国のこといつ何が起こるやらわからない、

で、その場で4000本を買い付ける。検品には
まる1日かかる。100本の束が90本だったり、
止め金具が壊れていたり、まともな100本などまず無い。

この日もまず最初に価格を確認する。日本で1本
400円で仕入れる鎖が4円だ。この店は1本でも

100本でも1000本でも価格は同じ。
数年前に初めてきたとき偶然見つけた店だ。

他は1000本以上で1本20円が最低で、
くたくたになって歩き疲れていた時、

ふと日本語が聞こえて日本人行きつけの店を
見つけることができた。なるほど1本4円は格安だ。

検品さえしっかりやればとこの店に決めた。
心配なのは価格変動だがこの数年変化はない。

それでもここは中国、心配なので上海に上陸
したらまず真っ先にこの店で買い付ける。

もしそうでなければ、又最初から他の店を
探さなければならないからだ。

日程はノービザの範囲の2週間。買い付けを
済ませれば1週間は丸まる旅ができる。
これが唯一の楽しみだ。

水郷

今年は雲南省に行くつもりにしていたのだが、
どこでどう間違えたのか鎖を6000本も
買い付けてしまった。

あまりに重いのでホテルで数えなおすと
やはり5割り増しの6000本だった。
領収証もそうなっている。

『まあいいか。たくさん売ればいいのだ。ここは中国』

本庄はそう納得して今年は雲南は諦めて、
上海近郊の水郷めぐりをすることにした。

まずは杭州から烏鎮にはいる。あいにく小雨交じりの
曇天だ。ここがバスターミナル?かと思われるほどの
泥んこの広場。到着と同時にわいわいと暗がりから

人が現れて声をかけてくるがさっぱり分からない。
中年のおばさんが旅館の名刺を差し出した。

「多少銭?」(いくら?)
「80元一天」(1日80元)
「50元?」
「70元、看一看」(ちょっと見てみて)
「熱水淋浴有?」(熱いシャワー有る?)
「有。空調、電視有」(テレビエアコンつき)
「空調不要60元?」
「60元、好」

で決まった。1泊900円だ。幸い目的地の近くで
全て歩いて回れそうだ。

次の日も冷たい雨が続いた。傘をさして川沿いの
石畳を歩く。明代からの民家が狭い石畳の両側に

ずっと続く。昔も今もこれからも
ずっとこの雰囲気は続くのだろう。

天気が回復しないまま次の水郷朱家角へ向かった。
朱家角は上海の西30kmの所にある大昔からの

水郷で烏鎮よりも一回りこじんまりとしていて、
人々の生活もいたるところに垣間見える。

本庄はとても気に入った。3日ほどここに滞在する
ことに決めた。宿はバスターミナルの裏の

春風旅館。1泊60元で上海中心部の半分だ。
その分やはり熱いシャワーは出なかった。

北大街

翌日今にも雨が降りそうな曇天だったが、
一応かさとスケッチブックを持って石畳を川辺に向かう。

このあたりの石畳は比較的新しいらしく
大きな石が半円形に整然と敷かれている。
道幅は5mくらい。それでも清の時代の初期のものだそうだ。

川に近づくにつれて道幅は2m程に狭まり
路地に古風な民家が連なってくる。

路地裏は未舗装で井戸や今にも崩れそうな土壁、
木造平屋が垣間見える。

おばあさんが子守をしてたり、おじいさん達が
古びた人民服を着て将棋をしていたりする。
観光客には誰も見向きもしない。

昔のままの生活の場なのだ。若者達は?
せめて中年のおばさんたちの姿は?
と思ったら、北大街に入るとたくさんいた。

路地の突き当りが幅20m程の川掘りで、
ほとんど流れはない。放生橋という明代に造られた
堂々としたアーチ型の石橋がかかっている。

この石橋の右手に船着場があって、数隻の木船に
客待ち顔のおじさんたちがたむろしている。

12月はシーズンオフなので客はほとんどいない。
石橋の中央に立つとなるほどすばらしい
水郷そのものの面持ちだ。

『これは絵になる』

本庄は一瞬そう思ったが、それはすぐに打ち消された。
次々とビニール袋をぶら下げて金魚売のおばさんたちが
声をかけてくる。亀や果物を持ったおばあさんもいる。

とてもゆっくりとながめてなどいられない。
放生、すなわち生き物を大自然に解き放つ橋らしい。

これは早朝に来るしかないなと思いつつ橋の中央
から戻って下りた。橋の左手から北大街が始まる。

北大街は一線街とも明清街ともいわれ。明清時代の
町並みが2kmほどびっしりと川辺に沿ってつづいている。

道幅は2mほどの石畳で両側に間口3m程の
二階建て木造家屋が店舗として軒を連ねている。

当時の雰囲気のままの絹織物店、ふとん店、米屋、酒屋。
何軒かおきに茶店や食堂があり有名なレイ肉も食べられる。

民芸品店も多い。立ち止まれば一応声をかけはするが
あまりしつこくはない。

鍋のふたに彫り物の実演をしていた。じっと見とれる。
視線を意識してか作者は製作に熱がこもる。

運河

食堂で小休止。ワンタンを注文する。
人のよさそうなおばさんが特大餃子が8個
も入ったそれこそ特大の器を運んできた。

「リーベン?」(日本?)
「トイ」(そうです)
「ハンサムリーベンレン」(男前日本人)

おばさんは屈託のない笑顔でお世辞を言う。
8元(120円)を支払った。

日中戦争の時にはこの地方も大変だったとは思うが、
中国の田舎の庶民は皆穏やかな気がする。
中国風とでも言うか大陸風とでも言うか、

そこが韓国や日本とは一番違う所か?それとも、
それは表面だけのことか?もっと深入りして

中国人民の日本観や歴史観を探索してみたいとは思うのだが。
いずこも同じお人よしの田舎の庶民だった。

本庄はいくつかの橋を渡った。かなりの石橋が架かっており
資料によれば石橋の数は36、明清代の建造物は
1000棟を超えるとある。

北大街を離れると木造民家が連なり日常生活が営まれている。
冬でも江南はそう寒くはない。井戸で洗濯をしたり
川辺で野菜を洗う人がいる。

10数軒おきに川に路地が接していて小さな石橋が架かっている。
向こう岸も石畳で木造民家が密集していて時折店舗があったりする。
城皇廟のあたりから雨が降り出してもとの放生橋へ戻る。

傘を差しこの橋を渡って課植園へと向かう。
1kmほど運河沿いを歩く。
石畳が途中から広くなり運河に面して散策道になっている。

民家はこの堀の道に沿って広めの木造平屋がつづいている。
立ち止まってよく見ると、
『明代建築様式』と書いてあったりして、

中をのぞくとおじいちゃんと孫とが遊んでいたりする。
運河幅は放生橋付近よりはすこぶる狭く10mもない。
木船がようやくすれ違えるほどの幅だ。

時折観光客を乗せたゴンドラ風の木船が通り過ぎる。
魚売りの船におばさんたちが群がっている。

放生橋

この運河の北のはしに中国と西洋の
建築を融合させた農村主体の課植園
という植物園が有る。

霧雨の中、園内の庵でしっとりとした
冷気を感じながら、自分は今一体何を
しているんだろう?と考えたりする。

数千年の昔から長江の度重なる大洪水
にもめげず生き抜いた古代人達。数々の
遺跡が幾層にも重なった古い地層から
最近発見されている。

眼を閉じれば春秋呉越の時代から六朝、
南宋、明、清へと。近代の日中戦争に
内戦、文革と悠久の歴史を深呼吸すれば

じっと奥底に感じる。眼を開けて再び
庶民の営みを見つめるならば、
そこには不変の人情を感じる。

本庄は歩きつかれてこの夜はぐっすりと
眠った。翌日、曇りではあるが薄日も
さして何とかスケッチができそうだ。

この朱家角には絵になりそうな箇所が
幾つかある。朝早めに本庄はスケッチ
ブックを持って放生橋へと向かった。

まだ8時半だというのにもう金魚売が待ち構えていた。
船着場の公園に腰をかけて放生橋をスケッチする。
時折団体客が通る。シーズン中はひっきりなしに

中国各地や外国からの観光客が押し寄せるのだろうか?
船着場のおじさんに聞いてみると、
「そりゃもうメニメニピープル!」

と英語で返事が返ってきた。

放生橋は5つのアーチになっていて、
石段は幅広からゆっくりとした傾斜で
上に行くほど狭まっている。

頂上からの景観はこれぞ水郷という感じなのだが、
とてもスケッチどころではない。
何枚か写真を撮って、北大街、途中の小橋、

課植園の運河とスケッチをして歩いた。
明日は上海どまりで翌日は出航だ。
今晩は早めに寝て明日は6時ごろに

放生橋に行ってみよう。
この日も歩きつかれてぐっすりと眠った。

リーベン

翌朝本庄は夜明け前に目が覚めた。
カメラとスケッチブックを持って
放生橋へと急ぐ。

さすがに誰もいない。黎明、石橋の
頂上からあちこちカメラのシャッター
を切って1番良い角度から3枚のラフ
スケッチを描いた。

完全に夜が明けて最初の金魚屋が現れた
かと思うと次々と物売りが上がってくる。
本庄は3枚目を描き終えて、

課植園の運河、途中の小石橋、城皇廟前
の新橋付近。乗風橋とスケッチして歩いた。

『もう十分だ』

本庄は満足してスケッチブックを閉じた。
朝食のワンタンを一昨日の店で食べる。
これでひと安心だ。

食堂のおばさんが絵を見せろとせがむ。
スケッチブックを開けて見せた。

「すごくうまい!ハンサムリーベンレン」

日本人観光客にはいつもそう言っているのだろう。
この橋はあの橋、ここはあの運河とすぐ分かるらしく
他の住人まで呼んで来た。おばさんは、

「人は描かないの?」
と聞いてきた。本庄は、
「人は難しいからよう描きません」

と言ったが、執拗に私を描いてくれと迫ってくる。
「対不起。我不行」(かんべんして)
ほうほうの態で食堂を出た。

「再来。ハンサムリーベンレン」
皆が笑顔で送ってくれた。


ホテルへ戻る裏通り。
『理發』
と書いた看板に白赤青の理容のマークが目に入った。

まだ時間はたっぷりとある。散髪をして行こうと
扉を開けて中に入った。理容椅子が1台の小さな店。
誰もいない。

「有人阿?」(誰かいませんか?)

理髪店

声をかけると奥から女の人の返事があった。
出てきたのは40歳くらいのおかみさん。
本庄は手で髪を切るしぐさをして笑みながら、

「ハオア?」(いいですか?)
「ニン、リーベン、ナ?」(日本の方?)
「トイ、そうです」

本庄はカメラとスケッチブックをソファーに置くと
ゆっくりと椅子に座った。おかみさんはじっと
スケッチブックを見つめている。

「あなたは画家か?」
「いえいえ趣味で描いているだけです」

手早く白布がかぶせられ霧吹きで髪に水がかけられ
バリカンが鳴った。はさみに入っておかみさんは急に、

「私の主人は画家だった。これは主人が描いた私の絵」
そう言ってはさみの手を止めて壁に貼ってある
数枚の絵を指差した。

なるほど壁には髪型のサンプルよろしく
おかみさんの絵が貼ってある。
本庄は1枚1枚表情と髪型をじっと眺めて。

「うまい、実にお上手です」
おかみさんは微笑みながらマスクをつけて
髭剃りに入った。首すそ、耳元、眉間、
まぶたとかみそりが這う。

鼻の下から頬、あご、のどとかみそりがすばやく這う。
何度も指の面で滑らかさが確認される。

本庄は口元で微笑んで眼を開けた。
「さあ、洗髪」
おかみさんは洗顔台に本庄の頭を押し込み
ごしごしと洗い始めた。

あーすっきりした。綺麗に洗ってもらって全部で10元
(150円)最高だ。おかみさんは10元受け取ると
スケッチブックをちょっと見ていいかとたずねてきた。

ラフスケッチ

本庄はソファーに座っておかみさんに
スケッチブックを開いて見せた。
おかみさんは本庄の横に座って
1枚1枚うなずきながらめくっている。

「何故人物がないの?」
「人物は苦手です」
「私を描いて?」
「いやいや、とてもとても」

最初は冗談かと本庄は笑って断っていたが
おかみさんは真剣な眼差しになって
両手を合わせた。

「お願いします。今に私を
1枚だけ描いてください。
  ・・・・お願いします」

本庄はじっとその瞳の奥に引き寄せられた。
執念が見える。この人は真剣だ。
よし描いてみよう。本庄はそう決心した。

スケッチブックをめくり4Bの鉛筆を
取り出す。すばやいタッチでデッサンが
始まった。瞬く間に出来上がる。
太いダイナミックな曲線だ。

1枚仕上がったところでおかみさんが姿勢を崩しかけた。
「そのままで、じっとして」
本庄の一言におかみさんの体はこわばった。

「硬くならないで、微笑んで」
少しやわらかくはなったが本庄は真剣な眼差しで
もう1枚をすばやく描く。激しいタッチで
それもすぐに仕上がった。

「できた!」
本庄とおかみさんはここで始めて微笑んだ。
同じ日付を両方に裏書する。

『2006.12.24。朱家角』
「OK。どちらがいいですか?」
おかみさんは見比べてはじめの1枚を選んだ。

「はい、じゃあこちらを記念に持って帰ります」
「ほんとにありがとうございました」

おかみさんの瞳は潤んでいた。
「来年来れたら又来ます。それじゃあ」

決意新た

と言って出ようとした時1枚の写真が目に入った。
「これは?」
「私の一人娘。今上海の看護学校にいます」
「よく似てますね。かわいい」
「ありがとう。また来年」
「ええ、来年また」

と言って二人は微笑んで別れた。
ホテルはすぐそこだ。昼前にチェックアウトして
朱家角に別れを告げた。

帰りの黄海も穏やかだった。船の中でスケッチブック
を開いてみる。最初のタッチと同じ場所でも相当違いがある。
早朝の放生橋からの景観は格別の出来だった。

あとあの理髪店のおかみさんの肖像画。
激しいタッチで息づいている。あの時の瞳の奥の突き上げる
ような情念に本庄は初めて人物を描いてみようと思った。

できればもっともっとこの瞳の奥を描いてみたい
という欲求がふつふつと湧き上がってきていた。

『よし、来年も必ず行こう。
人物も真剣に挑戦してみよう』
船の中で本庄は決意を新たにした。


冬の京都は観光客は少ない。嵐山で小さな民芸品店を
営んでいる本庄は妻を亡くして5年、両親も子どもも無く
天涯孤独の身である。

唯一の友人が画廊を経営していて、その奥さんからの紹介で
水彩の会に入った。面倒見のいい奥さんでうらやましい限りだ。

本庄は年が明けて梅の頃に画廊を訪ねた。友人は渡仏中で
奥さんが1人画廊の奥に座っていた。

「まあ、おひさしぶり」
「あの、ちょっと相談したいことが・・・」
「ええ、なんでしょうか?」
「こんど、人物画をやりたいんですが」
「まあ、本庄さん。裸婦?」
「いえいえ、肖像画。それも全身ではなくて顔のみの人物画を」

スケッチ会

「わかったわ。毎月例会があるから気軽に
来て見て下さい。私も一緒、安心してね」
「わかりました。よろしくお願いします」

「ああ、その時。この秋の作品展のことを
考えておいて下さいね」
「いえいえ、とんでもない」

「中国の水郷地帯をスケッチ旅行してきたと
主人が言ってたわよ」
「そうですか。じゃあ、がんばってみます」

「よろしくお願いします。才能があるって主人
も私も見抜いてるんだから」

本庄は丁寧に頭を下げて画廊を出た。
人物はどうしてもしり込みしてしまう。
本庄は真剣に人物画の色付けを習得したいと

思った。あの理髪店のおかみさんの絵だけは
なんとしても完成させたい。
本庄の一念に熱気がこもってきた。

スケッチの会は50人ほどで約半数の会員が
参加するらしい。画廊の教室を借りて毎月行われる。
若い人もいるが中年以上が多い。

モデルは主に若い女性だ。沈黙の中で鉛筆の音だけが
静かに聞こえる。中に本庄と友人の奥さんの姿も見える。
しばらくして奥さんが眼で本庄に合図した。

二人で教室を出て画廊に入る。奥さんはタバコに火
をつけて一服すると、

「水郷のスケッチを見せてもらって分かったわ
本庄さんの魂胆が」
「魂胆?そうですか」

「すばらしいじゃない『上海水郷朱家角』で出品
してみましょうよ。私も推薦するわ」
「それはどうも」

「あの最後のご婦人の絵をのぞいて、すべて
すばらしく淡い色彩が施されているのに、
人物の色彩に関してはまだ自信が無い。そういうことね」

「そう、そのとうりです」

入選

「きれいな人じゃない?私やきもち焼きそうだわ。
特にあの瞳がいい。何かこう瞳の奥に執念のような
物がかいま見えて。ねえ、あのひと誰?なんて

野暮なことは聞かないから、絶対に秋までに完成
させてね、おねがい。この2作品を水郷朱家角
としてノミネートしておくわ」

「はあ、しかしまだ人物には全く自信が無くて」
「大丈夫、この私がついているから。
特訓よ、この半年で。絶対入選確実!」

本庄は自信なさげにうなづいていたが、
奥さんはタバコの火をもみ消すと、

「さあさあ特訓よ。人物は難しいんだから」
といって本庄を教室へ連れ戻した。

本庄は朱家角の理髪店のおかみさんの色づけは
しばらく後回しにして人物の水彩に力を入れた。

春のシーズンが終われば又店は暇になる。
裸婦も含めて人物画に果敢に挑戦した。

夏の終わりにやっと自信がついてきて、おかみさんに
色彩を施した。快心のできである。
放生橋からの景観と共に出品した。

フランスから帰国したばかりの友人も、
「これはすばらしい」
と推薦をしてくれた。

はたして、本庄の作品は予想通り入選し作品展で
展示された。100を越える出品の中から30点が
入選作として展示される。

1週間の展示期間中、毎日夜になると本庄は
会場に顔を出して鑑賞者の反応を楽しんだ。

最終日、そろそろ片付け始めようかという時に、
若いカップルが本庄の絵を見つめていた。

「上海水郷てのは分かるけど、この女の人のどこが水郷なの?」

本庄ははたと胸を突かれた。
『そうか、朱家角は水郷と女性の姿が合体しないと
完成は無いのかもしれない』

本庄は決心した。何が宿命なのかはその時分からなかったが。

『この冬、水郷を背景にあのおかみさんの肖像画を描こう。
水郷に生き抜く宿命の中の真実の眼差しを描くのだ』

再会

片づけが終わる頃友人と奥さんが本庄の所へ来た。
「本庄おめでとう」
「大盛況だったわよ。本庄さんの水郷は特に好評。
来年もお願いできるわね」

「ええ、来年は『朱家角の女』という題で1品だけ
出品させていただきたいと思います」
「おっ本庄、ついに本音が出たな」

「1作品だけじゃだめよ。2つは出してね」
「いえ、1作品でも描きあげられればと思います。
もし描けても入選できるとは限りませんし、

その女の人がもういないかもしれません。
だけど今は『朱家角の女』という題で1作品、
なんとしてでも仕上げたいと思っています」

熱を帯びて話す本庄に友人夫婦はあっけに取られ、
「どうかしたのか、本庄は?」
「多分あの女性のことでしょう」
「なるほど」
と納得した。

あわただしい秋のシーズンも終わり本庄は12月
大阪から上海行きの船に乗った。朱家角へのはやる
思いを抑えて仕入れの義烏へ向かった。

今年は間違えずに4千本を仕入れて朱家角へ向かった。
去年と同じ曇天だ。バスを降りる。背中にリュック。
両手にスケッチブックと額に入れた2枚の絵を持っている。

バス停から路地裏へ。あった。去年と同じ『理髪』の文字
と理容のマーク。扉を開ける。誰もいない。
壁に去年描いたラフスケッチが飾ってある。

「有人阿?」(だれかいますか?)
大声で叫ぶ。奥から懐かしいおかみさんの声。
「シェーイ?」(どなた?)

「リーベン、ヤ」(日本人です)
「えっ、ほんと?」
「ほんとだよ。元気?」
「元気よ。又ほんとに来てくれたのね」
「ああ、またきた。またまた来る」

本庄は入選作の包みをほどいた。佳作と貼ってある。
おかみさんは笑みを浮かべて本庄の手元を見つめている。
額に入ったおかみさんの色彩を施した絵と、

放生橋からのすばらしい絵が現れた。
おかみさんは感極まって本庄に
思いっきり抱きついていた。

おかみさんの部屋はこぎれいに整頓されていた。
なくなった老母と亡夫らしき写真が飾ってあった。
老母の写真の背景はこの理髪店だ。

昔のままの母の住居だったのか?
「主人とは文化大革命の頃に知り合ったの」
咳をしながらおかみさんはベッドの枕元でつぶやく。

「絵画の先生。伝統的な南画が専門だったわ」
又咳をする。
「だいじょうぶか?」

本庄が起き上がってやさしくおかみさんの背中をさする。
「ええ、だいじょうぶ。ちょっとむせただけ・・・。
文革で革命絵画を描けと執拗に迫られて、

5年間過酷な労働を強いられたわ。文革の嵐が去って
再びこの村の学校に戻ってきた。・・・そして結婚したの。
娘が生まれてまもなく胸の病が再発して・・・。でも、

最後に私を描いてくれたわ。
なかなか描いてくれなかったのよ。
頼んで頼んでやっと」

「肺病か?今ではすぐ治る」
「ええもちろん。私は大丈夫よ今まで1度も血を吐いたこと
はないしいたって健康。娘はそれで今上海の看護学校に志願
して、寮生活で頑張ってる。父や祖母の姿を見てるから」

「おばあさんも?」

「鍋1杯の血を吐いて死んだ。娘は真横でそれを見ていたのよ、
7歳の頃。近所の人も親戚もそれ以降あまりここには寄り付か
なくなったわ。あの北大街のおばさん以外は・・・・・」

「実は君の絵を描かせて欲しいんだ。にらんだ顔。微笑んだ顔。
とぼけた顔。潤んだ瞳。この5日間、描けるだけ描いて帰りたい」

おかみさんはうれしそうに微笑んだ。
「ありがとう。こちらこそよろしくお願いします」
二人は見詰め合ってそのまま、激しく抱き合った。

メイリン

店には休業の看板をかけて、それからの三日間は室内で、
残る二日間は早朝から戸外で描きに描きまくった。
スケッチブックを描いたし画質の悪い紙にも描いた。

夕方以降になると微妙に熱を帯びてくるおかみさんの瞳
とその眼差しに、本庄は吸い込まれるように描きまくった。

毎夜の激しい抱擁。本庄は昼ごろに台所の音で目が覚める。
ちゃんと食事の支度をして、はつらつとしたおかみさんが
いる。まばゆいばかりの芳香を放っている。

最後の二日は夜明け前から放生橋に立った。夜が白々と明け
てくる。朝霧の中に着物姿のおかみさんが浮かぶ。母の残
した衣類の中に日本の着物があったのだ。

船着場から放生橋を背景に激しいタッチのスケッチが続く。
「さむくはないか?」
「だいじょうぶよ」

早朝、散歩の老人が一人現れた。顔見知りらしい。
「メイリンか?」
「はあ、老王。元気?」

「お前こそ。病院は?もう大丈夫か?
元気そうで何よりじゃ。若返ったみたいじゃの」
「ありがとう。元気一杯よ」

老人はしばらく本庄のタッチを見つめて、
笑顔でうなづきながら去っていった。

橋を渡って運河へ向かう。柳の木と木船を背景に
おかみさんを描く。朝餉の煙が立ち昇る。
鶏の声、犬の鳴き声。烏や小鳥の声も聞こえる。

人の声も聞こえてきた。顔見知りのおばさんが通る。
「メイリン、元気なの?」
「元気よ。みなさんは?」
「ええ。みなげんき。まあ、綺麗!」

本庄の絵に眼を見張り笑顔で去っていく。
朝食は例のワンタン屋にした。いつもの
おばさんが二人を見つめて驚いた顔をする。

「メイリン、あなたのお友達?」
「そうよ、去年からの日本の友達」
皆、おかみさんの事をメイリンと呼ぶ。

メイリンは「私のおばよ」と本庄に紹介した。
おばさんはキッと本庄をにらみつけて、
「知ってるよ、ハンサムリーベンレンは」

そう言って笑いながらスケッチブックを奪った。
メイリンが笑って制止する。
「あいやー。メイリン。べっぴんさん!」

おばさんは「私は?」といって自分に指差して
本庄に尋ねる。本庄は顔を横に振って断る。
みんなの笑い声が店内に響き渡る。

救急車

最終日、ほんとは上海で一泊のはずが、
別れが辛くて翌朝一番のバスで
上海へ向かうことにした。

結局一睡もせずに愛し合って夜明け前、
放生橋の上で抱き合い、北大街の石畳
をゆっくりと歩きターミナルに向かった。

リュックの銀鎖がひときわ重く肩に食い込む。
ベンチに腰掛け寄り添いながら
指を絡ませ体のぬくもりを確かめ続けた。

始発は5時だ。
暗がりから人々が集まり始める。

「じゃあ、又来年必ず来るから」
ほてった瞳でメイリンは本庄をじっと見つめる。
今にも消え入りそうだ。瞳は虚ろに宙を舞う。

バスが来た。本庄は紙包みをリュックから取り出し、
しっかりとメイリンの手に握らせ、

「来年、12月、必ず来るから、これで治療を」
と耳元で叫んだ。
力なくうなずくメイリンの瞳。

バスが出る。何人かの見送りの中にメイリン
はたたずんでいる。まだ夜は明けない。
バスは走り出し暗闇にゆっくりと消えていった。

たたずむ数人の人影。メイリンはその場に
紙包みを抱きしめたまま倒れこんだ。
人影がメイリンを支える。

本庄のバスは暗闇の中を上海へと疾走する。
途中救急車とすれ違った。本庄は時計を見る。
それはちょうど12月24日午前5時30分だった。

メイリンは紙包みを抱きしめたまま倒れこんだ。
「メイリン!」
知り合いの人影が叫ぶ。

次の到着バスの迎えに来たその人は、
あのワンタン屋のおばさんだった。

おばさんは紙包みをちらりと開けてびっくり。
すぐに包み隠し大声で叫んだ。
「この娘は私の親戚だ。誰か救急車を!」

矢絣

その日の昼救急病院ではそのおばさんが
付き添いで待機していた。

メイリンの娘も上海から駆けつけてきた。
病室に入りかけるとそのおばさんは、

「しーっ、今昏睡中だから」
と言って紙包みを手渡しながら外に出た。

「お金の心配は要らないからお母さんを
しっかりと養生してやってね」

紙包みの中身を見て娘は、
「これは一体なに?」
「ハンサム日本人からの寄付よ。モデル料かな?
気兼ねなく全部使って」

「でも」
「おかあさん手術しても十分残る金額だからね。
最後まで面倒見てあげてね」

「手術?最後?」
「そう、手術しなきゃ手遅れだって。手術しても
この1年はとても、ということらしいよ。
詳しくは担当の医者に確認してね」

「わかりました。大叔母さん、ありがとう」
「じゃあね。気をしっかり」

ワンタン屋のおばさんは温かくも厳しい
眼差しを送って去っていった。

娘は唇を噛み締め、その後姿を見つめながら
覚悟を決めて病室へ入った。


帰りの黄海は少し荒れた。本庄はあまり動かずに
ゆっくりとスケッチを点検した。3冊の
スケッチブック。買い足した1冊は裸婦だ。

『これは止めとこう』
やはり黎明の放生橋上から描いた数枚と、
船着場から描いた数枚が逸品だ。

それは水郷『朱家角の女(ひと)』そのものだった。
運河の風情は捨てがたい。何とか10枚に絞込み、
あとは友人夫婦に選んでもらおうと決めた。

冬、昼は店番をして夜になると本庄はがむしゃらに
色彩を施した。最後の1枚に臨む頃には
梅から桜の季節に入っていた。

葉桜になる頃に本庄は10枚の絵を携えて友人の
画廊を訪ねた。事前に連絡してあったので
友人夫婦は笑顔で迎えてくれた。

本庄は10枚の水彩画の包みを開いた。
二人は次々とめくって1枚ずつをテーブルに
置いていく。友人の手が1枚に止まった。

「これは?」
奥さんが覗き込む。
「矢がすり」
「なんで?中国人やろ、この女の人」

新作展

本庄が近づいて説明する。
「亡くなったお母さんの形見やそうで」
「形見?日本人の血が混じってんのか?」
「さあ、ようわかりませんが」

奥さんが笑顔でうなづきながら、
「着てる着物もいいけど、この微笑み、
モナリザみたい。やはり眼差しは超一流ね」

二人は10枚を丁寧に眺め、見つめ、ため息混じりに
顔を近づけ、ぶつぶつ言いながらうなづいていた。

急に奥さんが顔を上げて、
「ねえ、あなた。この夏の新作展『関西水彩コンテスト』
に出品してみましょうよ。まだ間に合うわ」
「そうやな。1点に絞って出してみよか」

本庄はじっと二人の会話のなりゆきを眺めている。
奥さんが本庄に向き直って、
「ねえ、本庄さん。あとは私達に任せてといて。
どこまでいけるか分からないけど。入選は狙えるわ」

「はあ?」
「最終発表は8月末ごろ。それまでこの10枚預からせてね。
絶対に悪いようにはしないから。題はもちろん、
『朱家角の女(ひと)』オーケーね?本庄さん!」

本庄は奥さんの迫力に押されて小声でつぶやいた。
「ええ、どうかよろしくお願いします。これから
春の観光シーズンで店の方が忙しくなりますので」

「分かったわ。何かあったら連絡します。
私達に任せといて。ねえ、あなた」
「ああ、ひょっとしたらひょっとするで」

「では、よろしくお願いします」
本庄はそう言って画廊を出た。


春の観光シーズンは6月一杯続く。修学旅行と
一般の観光客とで嵐山はごった返す、

特選

その終わりの頃、2枚が第1次審査を
通過したと知らせが入った。

やはり、矢がすりの『朱家角の女(ひと)』
と船着場で早朝描いた放生橋の絵だった。

本庄は喜びで体が震えた。
その報告を受けた夜、いつになく寝苦しく、
あのメイリンの熱に潤んだ引き込まれるような

眼差しが間近に迫ってきて息苦しく、
明け方に目が覚めた。すごい汗だ。

『メイリン、あなたの絵が大きなコンテストで
入選しました。必ず最優秀を取って、
この冬お届けします。待っていてください』
本庄は急に息苦しく咳き込んだ。


9月初めに最終審査が発表された。入選50に
本庄はすでに入ってはいたが、その入選作から
最優秀5品に『朱家角の女』が入った。

大忙しの秋のシーズンが始まった。友人の画廊は
『本庄浩一作品展』を開催した。

地方紙やミニコミにも取り上げられ
友人も奥さんも多忙を極めた。

その秋も終わり、打ち上げの席で、
「そら見てごらん、大成功でしょう」

「いやあ、わしらの目に狂いはなかった。
本庄、おめでとう。これからも頑張って
描きまくってや。これ最優秀と入選の2枚、

返しときます。後はご自由にということやった
から残りは全部わしが買い受けます。
これ今までの売れた分。

経費とマージンは差っぴいてあります、
お受け取りください。ここにサインを」

「あ、はあ。こんなに?」
本庄は中身を確かめもせずにサインをした。

「もうすぐ又上海に向かいますので。
ほんとにありがとうございました」

丁寧にお礼を述べて、本庄は画廊を出た。

朱家角の女

12月の黄海は今年も穏やかだった。
特選二枚を引っさげて本庄は上海に上陸する。
今年は真っ先に朱家角へ向かった。

今年も去年と同じ曇天だ。バスを降りる。
去年と同じ背中にリュック、両手にスケッチ
ブックと額に入れた特選二枚を引っさげて、

バス停から路地裏へ。何も変わっちゃいない。
去年と同じ理髪の文字と看板だ。扉を開ける。
やはり誰もいない。人の気配は感じる。

壁には一昨年前のラフスケッチがそのまま貼ってある。
『あれっ?去年の入選作は?』

と本庄は思いつつ、何か、椅子の上にほこりが
たまっているのを気にしながら、
「有人阿?」(誰かいますか?)

本庄の声は少し震えていた。奥から返事が聞こえた。
メイリンとは違う、若い女の人の声だ。

「本庄さん?日本人の?」
「ええ、そうですが」
「母は、8月の末に病院で亡くなりました」
「肺病で?」

「ええそうです。この3年ほどの間は入退院を繰り
返していたのですが、去年の秋に少し元気になって
この家に帰っていました。年の暮れに又体調を崩し
緊急入院して手術をしましたが、8月の末に・・・・」

8月の末と言えば、本庄が寝苦しくて激しく咳き込んだ
頃だ。あのメイリンの熱に潤んだ引き込まれるような
眼差しが一瞬間近に迫ってきた。

「8月の末?」
「ええ、8月31日の夕刻です。この人が必ず
訪ねてくるからその頃家にいてあげてと言い残して、
安らかに息を引き取りました。これ、お預かりしていた
お金の残りです。本当にありがとうございました」

娘は本庄に紙包みを手渡そうとした。

「いや、これはお母さんにあげた物ですから
受け取るわけにはいきません」

「そうですか。母が年末倒れた時には、北大街
のおばさんに大変お世話になりました。
それではおばさんに渡しておきます」

「ぜひ、そうしてください」
娘は紙包みを抱いたまま、言った。
「分かりました。どうぞ上がってください」

懐かしいメイリンの部屋には去年の入選作が
飾ってあった。本庄は特選の2枚を開けると
横にならべて立てかけた。娘が叫ぶ。

「まあ、特選、2枚とも。綺麗なお母さん。
幸せそうに輝いている」
「お父さんも絵を描いておられたとか?」

「4年前、亡くなる直前に母を描きました。
それまでは文人画などの伝統的な絵ばかりで、
母は何度もせがんだらしいのですが・・・。
店に貼ってあるのがそれです」

「そうでしたか・・・・」
本庄はメイリンの3枚の絵に手を合わせ、
しばし黙祷した。

狂おしかった1年前の数日間。燃え尽きた
メイリンの魂がこの絵に如実に息づいている。
その眼差しを本庄はもう凝視できないでいた。

「すみません。私は仕事で義烏に行かねば
なりませんので。本当にありがとうございました。
お母様の冥福を心からお祈りします・・・・」

「いえいえこちらこそ。母に最後の命を吹き込んで
いただきまして、お礼を言うのは母のほうです。
ほんとにありがとうございました」

「では、失礼いたします」
と本庄が店の扉を開けようとした時、
人の気配がして扉が開いた。

ワンタン屋のおばさんと背の高い若者が立っている。
「おばさんと、医師の私の許婚者(いいなづけ)です」

その若者が答えた、
「はじめまして。おかあさんは、最後はほんとに
幸せだったと思います」

本庄は何も言えずに黙したまま唇をかんでうなづく。
じっと涙に耐える。おばさんがそっと傍らでつぶやいた、

「姪っ子のメイリンはハンサムリーベンレンといる時が
1番輝いてて皆びっくりしてたのよ。ほんとにありがとう」

さよならスケッチブック

ほんとの深い悲しみの闇は、
これから日を追って限りなく
深まっていくことだろう。

もう本庄はそれを感じ始めていた。
皆の感謝の声を背に受けながら、
呆然としたままゆっくりと歩み始めた。

どこをどう歩いてバスに乗り、
どこで乗り換え義烏に着いたか
全く憶えていない。

検品をした覚えがないのにちゃんと
4千本の鎖を買い付けて、
リュックはずしりと重かった。

リュックの底にはメイリンの裸婦画が
10枚隠してある。スケッチブックを抱え
本庄は上海に向かった。

この日は真冬とはとても思えないほど温かい一日だった。
本庄はうつろな眼のまま夢遊病者のように重い足取りで、
国際フェリーの出国カウンターにリュックを置いた。

「中身は何ですか?」
本庄は無表情でリュックを開ける。
二人の女性係員が呼びつけられた。

緊張が走る。二人は重い鎖の包みを持ち上げようとした。
ビニールから見えたアクセサリー用の鎖を確認して、
女係員は本庄に微笑んだ。

反射的に本庄も微笑み返した。責任者が大きくうなづいて
荷物はカウンターを抜けた。本庄は又も無表情になって
足取り重くリュックを背負い乗船した。


帰りの黄海はとても穏やかだった。スケッチ
ブックに10枚の裸婦を挟んで後部デッキに出る。
陽射しは淡く夕日が静かに沈んでいく。

日が暮れた後も本庄はじっとデッキの
ベンチに座り続けていた。

真っ暗闇の海。本庄は立ち上がって手すりに
向かい、スケッチブックを海にかざした。

そっと手を離す。
暗闇に静かに消えていくスケッチブック。
それは朱家角の女のお葬式のようだった。

             −完−

上海水郷物語 朱家角

上海水郷物語 朱家角

趣味で絵をかいている本庄は毎年上海に仕入れに行く。そこの水郷で知り合った一人の女性。私を描いてとせがまれて・・・上海悲恋物語

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-08-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 船旅
  2. 仕入れ
  3. 水郷
  4. 北大街
  5. 運河
  6. 放生橋
  7. リーベン
  8. 理髪店
  9. ラフスケッチ
  10. 決意新た
  11. スケッチ会
  12. 入選
  13. 再会
  14. メイリン
  15. 救急車
  16. 矢絣
  17. 新作展
  18. 特選
  19. 朱家角の女
  20. さよならスケッチブック