吹雪となれば 掌編

吹雪となれば 掌編

まだ若雪が男装していたころのお話です。
茜の恋物語。

苦(にが)い星

掌編 苦(にが)い星

 父親からの預かり物を手に、明慶寺の総門を通り抜けた茜は、境内にある池のほとりに佇む若武者を見つけた。
(若雪さん―――――――)
 凛々しい若武者と見紛う人物は、今井宗久の養女・若雪だった。
 まだ伸びきらない髪に合わせて、未だ男装の麗人は、何を思うか池の面をじっと見つめていた。
「若雪さん!」
 声をかけると、少し驚いた様子で彼女は茜のほうを見た。
「茜どの…」
 ふ、と気が緩むような笑みを若雪が浮かべる。
 茜は、彼女のこんな笑顔が好きだった。
「明慶寺に御用やったの?」
「兼久兄様に頼まれて、こちらにお借りしていた茶入れと墨蹟(ぼくせき)をお返ししに参ったのです」
「へえ…」
 茜には、今井兼久と言う人物が今一つ解らない。考えていることがさっぱり読めないし、納屋でたまにすれ違っても大抵の場合は見事に無視される。
 まるでそこにいない者のように扱われるのは、宗久の見せる茜への複雑な表情とはまた異なる居心地の悪さを、茜に感じさせた。
 しかし若雪にとっては、違うらしい。
「……池に何かいた?」
「え?」
 尋ねると、若雪が虚を突かれた顔をする。
「ずっと見てはったみたいやから」
 そう言うと、若雪はああ、と頷いた。
「…花筏(はないかだ)の見られる季節が、もう過ぎたな、と思っていたのです」
 今は卯月で、境内の桜の時期はとうに終わっている。
 目に染み入るような緑が、そこここで見られる季節である。
 吹き抜ける薫風(くんぷう)が、二人の女子の髪を揺らして行く。
「花筏が好きなん?若雪さん。なんか、若雪さんらしいな」
 散った花びらが敷き詰められた水面の風情は、若雪に良く似合うように茜には思えた。
「少しばかり思い入れがありまして」
 若雪はそうとだけ言い、思い入れの内容は語ろうとしなかった。
「茜どの?」
 そこに、茜の良く知る、慕わしい声がかけられた。
 智真が、薪の束を手に立っていた。
「智真様!」
 茜がパッと華やいだ声を上げると、若雪がちら、と視線を彼女に走らせた。
「では、私はこれで失礼します。智真どの、茜どの」
「お気をつけて」
 それまでとは異なる速やかさで去ろうとする若雪を、智真も引き留めようとはせず、和やかに見送った。
 智真が若雪の後ろ姿を見ていたのは、ほんの束の間だった。
 けれどその束の間に、智真の目に浮かんだ憧憬(しょうけい)と好意を、茜は確かに見て取った。
「………」
「茜どの?どないしはりました?」
 黙り込んだ茜に、智真が穏やかな声をかけた。
 明慶寺に来れば智真に会える為、茜はいつもとっておきの小袖を選んで着ていた。
 今日もそうだ。
 淡い萌黄(もえぎ)と紅梅色の刺繍が施された、愛らしく、見た目に映える小袖を身に纏っている。
 若雪の、飾りの無い白橡(しらつるばみ)の上衣と濃色(こきいろ)の袴に比べれば、はるかに明るく、洒落ている。
 けれど智真の目には、愛想も飾りも無い若雪の装いのほうが、見る価値のあるものなのだ。茜はそう思うと、ひどく悲しくなった。智真に、もしかしたら今日の小袖を褒めてもらえるかもしれない、と密かに期待していた自分が愚かに思えた。
「……お父はんから、大般若経の写経を預かって来ました」
 そう言うと、ぐい、と写経の入った包みを智真に差し出す。
「…さよでしたか。小川屋さんにはいつも、御奇特(ごきとく)なことです」
 茜の父は熱心な仏教徒で、商売を営む傍ら、暇を見つけては大般若経の写経にいそしんでいる。それを明慶寺に納める役を茜がいつも買って出るのは、無論智真に会うことが目的である。しかし彼の姿を見ればいつも高鳴る筈の胸が、今は消沈してしまっている。
 そんな茜の様子を、智真が案じるように見ていた。
「そう言えば先日、嵐が来まして」
 急に智真がそう言って、薪を横に置くと墨染の衣の懐をごそごそと探った。
 すると懐から和紙の包みが出て来た。
「ああ、あった。良かった。茜どの、手を出してください」
「?」
 怪訝(けげん)に思うまま、智真に手を差し出すと、その上に何やら白っぽい小さな塊がコロンコロン、と載せられた。
「こんぺいとう、言う、南蛮の菓子やそうです。私の蔵書を貸した礼や言うてくれましてん。えらい甘くて、美味しいですよ」
「………」
 白く細かな突起が幾つもくっついた球体は、夜空にあれば星になりそうだ、と茜は思った。
(かわええ…)
 智真に促されるままに口に放ると、確かにそれは今まで食べたどんな菓子より甘かった。
「………御気分は、少し落ち着きましたか?」
 優しい声でそう訊かれて、茜は無言でコクリ、と頷いた。
 ホッとしたような笑みを浮かべる智真を見て、茜は複雑な気分になった。
 金平糖はこれまでになく甘い菓子だったが、それを口に含んだ茜の舌には、苦いものが残った。

吹雪となれば 掌編

吹雪となれば 掌編

まだ若雪が男装していたころのお話です。 茜の、智真に対する恋心を描きました。 タイトルの星、というのは金平糖のことです。 作品画像は、茜とこの話の雰囲気に合わせました。

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更新日
登録日
2014-07-25

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