上海水郷物語 烏鎮(うーちん)

祖父の死

静江の祖父が亡くなった。
今年30歳になる静江は一人娘の死後、
重度のうつ状態になり離婚して旅に出た。

中国の雲南省を中心に半年ほど、
何も考えずに大自然の中を歩き回った。

雪をいただく山々をボーっと眺めながら
素朴な人々と触れ合った。やっと傷が癒えて
実家にたどり着いた時、母の第一声は、

「おじいちゃんが亡くなった。もうすこし
早ければ、死に目に会えたのに」

母はそう言って古びた茶封筒を静江に
手渡した。表に毛筆で静江と書いてある。

「おじいちゃんから静江にだって。小さい頃
ずいぶん遊んでもらったからね。お前が孫達
の中で一番可愛がってもらえた」

静江は頑丈にガムテープで包装された茶封筒を
かなりの力を入れてこじ開けた。母がじっと
手元を見ている。古ぼけた手帳とロケット

ペンダントが一つ出てきた。ロケットを開くと
セピア色の幼い子どもの写真が貼ってある。
母と二人で覗き込む。王美麗と書いてあった。

「王美麗?知ってる母さん?」
「知らないわ。中国の人ね。2歳くらいかしら?
あなたこそ心当たりはないの?おじいちゃんが
あなたにと指定した形見なのよ」

「そうだよね。この手帳に手がかりがあると思うわ」
「そうだね。私は夕飯の支度で忙しいから、
ゆっくり上で読んで後で教えてね」

「分かった。そうする」
静江は2階の自分の部屋に上がっていった。

『何故、母ではなくて私なのかしら?』
そう思いながら静江は手帳を広げた。

手帳

「昭和12年11月10日、杭州上陸。
10月ニ上海ニ上陸シタ我ガ軍ハ敵軍ニ
包囲サレテ苦戦シテイル、ソノ背後ヲ突ク作戦ダ」

「11月12日、イヨイヨ人ヲ殺サネバナラヌカ
ト思ウト身ノ毛ガヨダチ気ガ狂イソウダ。幸イト
後続部隊ナノデ敵軍ト真ッ向勝負ハナサソウダ」

「11月14日、水郷地帯ヲ北上スル。民家ニハ
誰モイナイ。部屋ヲ確カメ最後ニ火ヲ放ツ。
遠クデ銃撃ノ音ガ聞コエル」

「11月16日、指揮官ヨリ作戦指令アリ。我ガ
部隊ノ作戦ガ功ヲ奏シ敵ハ大挙シテ南京に敗走中。
上海ノ部隊ト共ニ全力デ北上セヨ。南京一番乗リ
ヲ果タスベシ。奪イ尽クシ殺シ尽クシ焼キ尽クセ」

「11月18日、小サナ集落ニ入ッタ。周リヲ取
リ囲ム。一人ノ民兵ガ叫ンデイル。早ク早ク。
老父母ハ走レナイト泣イテイル。扉ヲ蹴破ッテ

銃声十数発。三人ノ死体ガ転ガル。他カラモ銃声
ト叫ビ声ガ聞コエタ。火ヲ放チ焼キ尽クス。新兵
ハ皆怖クテ震エテイル。イキナリ上官ニ殴ラレル」

「11月20日、次ノ集落ハ近ヅクト銃撃シテキタ。
二手ニ分カレ裏ニ回ル。心臓早鐘ノ如シ。逃ゲル
敵兵ヲ狙ヒ撃ツ。殺サナケレバ殺サレル。初メテ銃

ヲ乱射シタ。敵兵ノ顔面ガ血デ染マリ、モンドリ
ウッテ地面ニ倒レタ。一人二人三人・・・・」

「11月22日、モウ何モカモドウデモヨクナッテキタ。
戦友ガ目ノ前デ吹ッ飛ンデモナントモ思ワナクナッタ。
恐怖ト虚シサノ極限デ人ハ笑エルモノナノカ。

時折気ガ狂ヒソウニナル。自殺者一人ト発狂者一人ガ
出タ。発狂者ハソノ場デ射殺サレタ」

「11月24日、イツ何処カラ弾ガ飛ンデ来ルカ刺
サレルカ分カラナイ。侵略者ハ常ニ狙ワレテイル。
本能ノ命ハ真実ヲ覆ヒ隠セナイ。神経ガ異常ニ昂ブ
ッテイル。命ハ叫ブ、我々ハ招カレザル客ナノダト」

「11月26日、烏鎮トイウ村ノ酒蔵デ一人ノ病気ノ女
ヲ銃剣デ刺シタ。女ハ絶命スル瞬間ニ首飾リヲ差シ出シタ、
中ニ写真ガ貼ッテアル。敵襲ノ声ニソノ場ヲ離レタ」

償い

日記はここで終わっていた。
頁をめくると今度はひらがなで、最近のものだ。

「その時からずっと、このまぶたに焼きついた瞳と
この写真を持ち続けてきた。免罪符のように。
もうすぐ私は死ぬ。静江は一人娘を事故で亡くして

落ち込んで、離婚して、今一人で中国を旅してると
お母さんに聞いた。苦しい旅だったろう。何とか
立ち直って欲しい。静江が立ち直れたら、是非この

写真と首飾りを烏鎮の双橋から川の中に捨てて来て
くれまいか。心残りはそれだけだ。そしてこれが
私にできる唯一の償いなのだと思う」

階下で母の声がした。
「静江、ごはんよ!」
静江は笑みながらも思いつめた眼差しでテーブルに着く。

「で、なんて書いてあったの?」
「うん、とても一言では言えない。私又明日中国へ旅立
つからお父さんにそう言っといて」
「ええっ?」

「心配しないで、おじいちゃんの償いを果たして帰って
くるだけだから」
「おじいちゃんの償い?」

「うん、償い。そこから又私の新しい人生が始まるって
感じ。おじいちゃんに感謝してます」
「感謝?さっぱり分からないわ」

「それでいいの。とにかくいい事だから心配しないで」
「分かったわ、心配しない」
「オーケー。じゃあ、いただきます」

「元気が何より、いいことね」
「うん、とってもいいこと。フフフ」
静江は満足そうに笑った。

食事を終えると静江は荷をほどくまもなく
再び中国へ向かった。

烏鎮

12月、霧雨の中、静江は烏鎮に着いた。
上海南站からバスで2時間。烏鎮のバスターミナルは
ぬかるんでいた。夕方はもう日が暮れかけて、

薄暗がりの中から客引きが現れる。
とにかく宿所を探さなければ。

一見上品そうなおばさんが旅館の名刺を出してきた。
青年旅館100元と書いてある。

「熱水、空調、テレビあり。80元?」
「空調不要。60元?好?」
「60元好。看一看」

向かいの路地裏の安宿。ペンション風で若作りだが
やはり隣の音は丸聞こえで熱水は出なかった。

幸い景区はすぐ近くで歩いて回れそう。ゆっくりと
その夜は眠るつもりだったが、夢にうなされた。


65年前この地で杭州から上陸した日本陸軍歩兵部隊は
各村々を襲い略奪し虐殺し焼き尽くして南京を目指した。

祖父は上官に脅されて病身の女性を銃剣で刺した。
その女性が死に際に渡したロケットペンダント。

なぜか捨てきれず、この烏鎮に捨ててきてくれと、
鎮魂の65年が一瞬にして写し重なる。

捨てようとはしたのだろうがどうしても捨て切れなかった。
命に深く刻まれた大罪の意識は絶対に一生消滅はしない。
死んだ後も永遠に宇宙に残るものだろう。

祖父の苦悩の映像が夢の中で反復する。すがるような絶望
の眼差しが急に大きくなって静江に迫る。静江は大汗を
かいて早朝目を覚ました。

朝食を済ませて景区へと向かう。大きな石橋のふもとで
遊覧券を買うと景区遊覧図が付いていた。よく見つめると
9つの大小の橋がかかっていて1.5kmほど先の一番東

詰めに、逢源双橋という屋根の付いた木の橋がイラスト入
りで載っている。
『この橋だわ双橋というのは。なぜこの橋からと祖父は
指定したのだろう?』

景区

川べりの北側は明清時代の民家が石畳の両側に密集
して連なっている。南側は公園、船泊まり、みやげ
物店などが並んでいて西の端に大きな寺院がある。

影絵館や古い舞台が現存していて誰かが民謡を歌っ
ていた。石畳を歩く。道幅は4m程で狭い。木造の
明清時代の民家はかなり大きな造りで天井も高く、

その歴史の重みに圧倒される。数軒おきに店舗があって
酒蔵、染物屋、漢方薬店などが昔のままのたたずまい。
さらに作家茅矛故居や古銭ばかりの銭布館、木彫館。

皇族の屋根付き寝床を陳列した百床館などがあって
なかなか見ごたえがある。路地を曲がればすぐ川に

出たり、反対側は裏通りに出たりするが、もうそこは
普通に庶民が生活をしている。

中国人のツアーの団体が来たのでその後ろを付いて歩
いた。屋根付きの逢源双橋は、間違いなくその由来が
あるはずなのだが、ガイドの説明は別に何もなかった。

それよりもここからの景観は、これぞ水郷、あまりの
美しさに思わずハット息を呑んだ。太古の昔からの
川辺の眺め、特に夕陽の時はもっと素晴らしい筈だ。

にもかかわらず静江の心は晴れない。65年前に
タイムスリップしてこの風景がそのまま殺戮の場
となったのかと思うと心が痛む。

駆け抜ける日本兵。中国民兵との攻防戦。中国兵は民間
人に紛れ込んでどれが兵隊やら分からない。気を許した
らすぐさま民家から銃撃、手投げ弾が飛んでくる。

祖父は発狂しそうな戦場の中で、ほんの一瞬、ここから
の景観にハット息を呑み感動したのではなかろうか。

『祖父はここで沈む夕陽を見たんだ』
静江にはそうとしか思えなかった。

王美玲

命乞いもしないで祖父に刺し殺された母。
娘の写真を手渡す。最後の思いを込めた瞳。
拒否できない一念を受け取ってしまった祖父。

祖父はその思いを一生握り締めて死を迎えた。
免罪符。今ここに全てを水に流すことが
できるのだろうか?

静江は人の多さにペンダントを双橋川に捨
てるのをやめて引き返した。足は自然と
染物作業場へ向かっていた。

かめに入った大きな酒蔵の隣に染物工場が
あって手作業で反物ごと染め上げ天空に
何枚も日干ししている。

さっきは団体と一緒だったが今一人ゆっくりと
染め工場をながめ歩いた。一部屋ごとに染めの
手順が展示してある。

一番奥に庭があって、さらにその奥には人が住
んでいる。いい匂いがする夕食の支度だろうか。

軒下でおばあさんが編み物をしている。そっと
近づいてロケットの写真を見せた。
おばあさんは微笑んで、

「可愛いね、娘さんかい?」
と言った。静江は遊覧券の裏に大きく、

『王美麗』
と書いた。おばあさんは笑みながら文字を見つめ、
そのままうなづいて奥の部屋を指差した。

『まさか?』
ゆっくりと静江は奥の部屋に入った。台所で中年
のおばさんが炊事をしている。静江に気付いて、

「なに?ちょっとまってね」
とおばさんは言って、手を拭きながらこちらに出
てくる。間違いない王美麗さんだ。

静江の眼からどっと涙があふれてきた。声にならない。
「どうしたの娘さん?日本人?」
うなづきながら静江はロケットを手渡した。

美麗さんはじっと中の写真を見る。顔を近づけて
じっと見つめる。静江は遊覧券の裏に書いた
王美麗の字を指で示した。

今度は美麗さんの瞳が潤んできた。外に出て、
姉さん来てと叫んで二人で写真をのぞき込んだ。

姉妹

「なんで?どうして、いまこれを?
これは私達の母が持っていたもの」

静江はうなずきながら涙も拭かず祖父の手帳
を取り出した。中を開いて美麗さんに手渡す。

「私は日本語分からない。なんと書いてあるんだ?」
静江は顔を横に振る。
「うまく説明できません」

そのとき姉が、お前の息子と叫んだ。
美麗さんも大きくうなづいて、

「明日もう一回ここに来てくれ。私の息子は
日本語を勉強している。上海から今晩帰って
くるから、それまでこの手帳と写真を」

「そのまま受け取っておいてください。
私は明日この時間にここに又来ます」

静江はそう言って染物工場を小走りで出た。
石畳の上であらためてハンカチで顔を拭いた。

「これで良かったのかしら?川に捨て
られないでごめんなさい、おじいちゃん」

空を見上げると薄曇りの中に祖父が笑って
うなずいているような気がした。

静江はゆっくりと歩いて双橋の北詰に来た。夕陽
が雲間に沈んでいく。淡い光の影が水郷全体を
何事もなかったかのようにやさしく包んでいる。

逢源双橋は2つの橋げたが並行してかかっている。
何故そうなったかは分からないが、静江はその
中央でずっと沈む夕陽を眺め続けていた。

翌日は午前中にかなり広大な西景区を見て、夕方
染物工場へと向かった。奥の庭に着くと王姉妹が

喜んで迎えてくれた。二人とも涙して両手で
静江の手を握り締めてくる。

昨日の手帳の内容が分かったんだ。そう思って
こちらももらい泣きしながらふと気がつくと、

奥の部屋の入り口に、背の高いハンサムな青年が
立ってじっとやさしくこちらを見つめている。

視線が合って軽く会釈をすると、姉妹は始めて
気が付いて美麗さんが私の息子だと紹介した。

王孔明

「はじめまして王孔明です。おばあさんの形見を
届けていただいて本当にありがとうございました」

流暢な日本語だ。静江は軽い食事をご馳走になった。
孔明は今29歳、来年大学院を卒業して米国のIT企業

に就職が決まっているとのことだ。静江は雲南省の旅
の話しをした。日暮れ前に、

「旅館まで送らせてください」
孔明は静江にそう言って母の了解を得ると姉妹は
笑顔で送り出してくれた。

二人は狭い石畳を並んで歩いた。
「静江さん、本当にありがとう」
「いえいえ、手紙の内容分かりました?」

「ええ、カタカナは難しいですが、もう10年学んで
ますから。母には少し脚色して伝えました。あの戦争
の時、死にかけていた祖母から、この娘にこれを届け

てくださいと頼まれて静江さんのおじいさんに手渡さ
れたと。実際祖母は重い結核で死にかけていました」

「ということは」
「祖母を刺し殺したとはとても言えませんでした」
「そうですか・・・そうですよね」

「考えてみれば、孫二人がこうしてこの石畳を
歩いているというのも不思議ですね」

二人はゆっくりと双橋の方角へ向かっていた。背が
高く優しい顔立ちの孔明は落着いた声で語り続ける。

「静江さんのおじいさんと私の祖母との出会いは、
ほんとに最悪の出会いでした」
静江は黙ってうなづく。

「しかし悪いのはあの時代。戦争というものが我々
人民と日本人民、共に被害者にしたのです。悪い

のは時の指導者とその思想であって、人民同士は
全く悪くありません」

静江は、私にはとてもそう割り切れないわ、
と思いつつも黙ってうなづいていた。

双橋

「周恩来という人は実に偉い人です」
「そうですね」
「日本の京都に嵐山というところがあります」

「ええ、私の故郷(ふるさと)です」
「そうですか!そこの亀山公園というところに周恩来
の碑があります。一度訪ねてみたいと思っています」

「亀山公園は私の実家のすぐ近くです。確かに周総理
の碑というのがあります、雨中嵐山とかいう。
子どもの頃によく遊びました」

「よくご存知ですね。まさしく雨中嵐山。周総理が
21歳の時に書いた詩です。雨の中に一筋の光がさして

緑と点在する桜の木が冴え渡る。暗雲の中一筋の光明を
見出したようだ、と周恩来は歌っています」

二人は双橋の北詰に着いた。
「ここでもし、二人が別れたとしても」

と言って静江を右に、孔明は左の橋げたを
歩き始めた。孔明は話し続ける。

「人生にはいろんなことがあるでしょう。
それぞれの荒波を受けながらも、なかなか
会うことができません」

孔明はゆっくりと歩きながら語り続ける。
「でも愛があれば。信頼があれば。誠の愛があれば。
・・・・・・・・・・・こうして二人は又会える」

双橋の南詰めで孔明は両手で静江の手を取った。
「あ、ごめんなさい」
なるほど、そういう意味があったのか。

逢源双橋。沈む夕陽に見とれながら
静江は一人で感心していた。

「綺麗な夕陽でしょう。世界一です」
「世界一。・・・・孔明さん、ご結婚は?」
「私はまだ結婚していません」

そう言って孔明は公園と舟泊りの2つの橋を渡る。
静江が滑りかけて孔明が又静江の手を掴んだ。

「来年アメリカに行きます。二年前に私がその希望を
話した時、私の付き合っていた人は私の前から去って
行きました。それきりです。私は去年、
アメリカでの就職を確定しました」

使命

「私は・・・・」
「あなたの事は手帳に書いてありました。
おじいさんも中国へ行かれたあなたの心を察して
この使命を依頼されたと思います」

「使命?」
「そう、使命です。祖母とおじいさんの最悪の
出会いを、孫達の最高の出会いにできれば
いいと思います」

「えっ?」
孔明は静江の。いぶかしげな顔をやさしい
温かい笑顔で包んだ。

「元気を出して、静江さん」
静江もつられて笑顔になった。

「一度しかない人生、もっとダイナミックに楽しみ
ましょう。いろんなことがあったほうが味がある。
僕はそう思います。全てのことに意味があると」

「全てのことに意味がある?」
「そうです」
「一度しかない人生?」

そうです、そうですと言いながら孔明は先を行く。
土産品店で藍染の帽子を手にしながら、

「来年の春、最終の企業研修で東京に行きます。
一日だけ休みがありますので、京都に行こうと
思いますが。嵐山を案内してもらえませんか?」

「ほんとですか?」
「ほんとです。詳しい日程は年明けてから、
1月中にお知らせします」

「是非お越しください。母と一緒に喜んで
御案内させていただきます」

「ありがとうございます。今回は母もおばさんも
ほんとに驚いて喜び感謝していました。孫の僕
からも、孫のあなたに心からお礼を言います。
本当にありがとうございました」

孔明は深々と頭を下げた。
「そんなに頭を下げないでください。ほら、
皆が見て笑ってるじゃない」

孔明は頭を上げて笑った。
静江もつられて笑った。

八条口

静江は旅館でなかなか眠れなかった。
『全てのことに意味がある』
『一度しかない人生』

孔明の笑顔と逢源双橋が写し重なる。
この言葉が何度も静江の耳元に響いた。

年が明けて1月下旬に、静江のところに
航空便が届いた。4月12日午前11時
京都着。午後5時帰京。わずか6時間の

京都見物だ。母の協力を得て移動はすべて
母の運転する車。誠に申し訳なく思いながら、
「いえいえこちらこそ」と母も興味津々。

美貌の青年となると母娘とも心は浮ついてくる。
時はまさに桜花爛漫、桜吹雪の嵐山。

「アメリカねえ。永住するつもりなんでしょう、
そのひと?」
「たぶん」
「シリコンバレーてどんなとこ?」
「全然知らない」
「そう」

「一度しかない人生」
「そうよね。一度しかない人生だよ、静江」
「でもまだプロポーズされた訳でも何でもないのよ」

「だけど、あなた間違いなく張り切ってるわよ」
「お母さんこそ」
母と娘はいつになく華やいでいた。

4月12日は暖かい無風の春霞。それでもちらり
ほらりと桜は散り続ける。次の一夜の嵐で

全部散ってしまうのかと思うと、風よ吹くな
そっとしといてと手を合わせたくなる。

京都駅の八条口で母を待たせ、孔明をつれて
戻ってきた時の母の一瞬のあんぐりとした驚きを
静江は見逃さなかった。

「はじめまして王孔明です」
「静江の母です。さ、どうぞどうぞ」
後部のドアを開けて二人が乗り込む。

「では行くわよ」
母の声は少し上ずっていた。

雨中嵐山

嵐山は吉兆の裏手に車を止めて三人で歩く。
桂川の川面は花筏がここかしこ。中ノ島の桜は
もう散り終えて葉桜に、柳の黄緑とが映えている。

渡月橋を左手に見ながら川沿いを上流へ歩む。孔明
はその美しさに何度もたち止まって驚嘆の声をあげた。

亀山公園はこの先の丘の林の中にある。
その中腹に周恩来の石碑があるのだ。

『雨中嵐山 周恩来 1919年4月5日

雨中二次遊嵐山    雨の中二度嵐山に遊ぶ。
両岸蒼松       両岸の蒼松が幾本かの
挟着几株桜      桜を挟んでいる。
           その尽きる所に
到尽処突見一山高   一つの山がそびえている。
流出泉水緑如許    流れる水はかくも緑。
綴石照人       石をめぐりて人影写す。
満々雨        雨脚は強く、
霧蒙濃        霧は濃く立ちこめ、
           その雲間から、
一線光穿云出     一筋の光がさっと差し、
癒見佼介       眺めは一段と美しい。

人間的万象真理    人間社会の全真理は、
癒求癒模湖      求めるほど曖昧だ。
           だがその曖昧さの中で、
模湖中偶然見着    一点の光明を
一点光明       見つけた時には、
真癒覚佼介      さらに美しく思われる。   』

4月5日だから桜は満開か八分咲きで雨上がり、
蒼松に映えてさぞ美しかったことだろう。

その後すぐに決意を込めて中国の革命に身を投じた。
周恩来の青春の魂の場所だ。

記念写真を何枚か撮って二人は鴨川まで送ってもらった。
四条大橋、先斗町で二人は降りた。母は笑顔で孔明に、

「又来てくださいね。帰ったらご両親によろしく
お伝えください」

そう言って発車した。二人は先斗町を上がり、
歌舞練場脇から鴨川土手に下りた。

鴨川土手

「すばらしいお母さんですね」
「おじいちゃんの一人娘。おばあちゃんは
3年前に亡くなって、おじいちゃんは去年」

「静江さんは一人娘?」
「いえ、兄が東京にいます」
「そうですか」

二人は鴨川土手を静かに歩む。向こう岸の
桜も散り終えて柳の緑が映えている。

孔明は川面へ下りた。手で水に触れて
すぐ戻ってきた。

「綺麗な水ですね。私の古里はあまり
綺麗な水ではありません」
そう言って孔明は微笑んだ。

「9月にアメリカに?」
「ええ、シリコンバレーに住みます。
たぶん、永住すると思います」

「お母さんは悲しみませんか?」
「それは大丈夫です。親戚がたくさんいますから」
「そうですか」

「それに、これからは中国とアメリカは益々親密
になって行き来も容易になるでしょう。私も毎年
帰ってきますし、親戚もどんどんアメリカに遊びに

来れるよう、アメリカに地盤を築くつもりです。
もう、そういう人たちが一杯います」

「日本は飛び越えて?」
「ええ、そうですね。でも私の付き合っていた人は
アメリカは遠くて永住するのはいやだといいました。
開かれた人だと思っていたのですが」

「開かれた人?」
「そう、もちろん日本に限らずどの国でもあるとは
思いますが、色んなしがらみの中で、それを乗り越
え開いていく人と、どうしてもそれができない人と」

「ええもちろん。いろんなタイプの人がいるとは思
いますが。そのしがらみの程度にも・・・・」

京都駅

「開かれた人というのは、そのしがらみを
マイペースで努力して開いていく人のこと
です。そういう人たちに囲まれていると
幸せだとは思いませんか?」

「それは、そう思いますが。もしそうでなければ?」

「やはり、皆が傷つきうまく行きません。一人でも
そうでない人がいれば。特に親兄弟親戚の理解が最重要
でしょうね。私達の所は積極的に応援してくれます」

「でもあなたの恋人はそうではなかった」

「今では恋人でも何でもありません。彼女の両親は猛
反対をしました。日本でもそういう人は多いですか?」

「そうですね。そのほうが多いでしょうね。特に親に
してみれば。開かれた親は希少価値があると思います」

「苦しい心の葛藤」

「そう思います。それでも戦う姿勢があれば、二人で
力をあわせて何とかなるとは思いませんか?」

「一度しかない人生」
「そうそのとおり。一度しかない人生」

二人はそこで声を立てて笑った。


四条通を烏丸まで歩き地下鉄で京都駅へ向かった。
二人は新幹線のホームで名残を惜しむ。

列車到着のアナウンスがなると孔明は内ポケット
から小箱を取り出した。静江はびっくりして見つめる。

孔明は箱を開けて中の指輪を静江の薬指にはめた。
列車が入ってくる。孔明はグッドと右手の親指を立てて
ウィンクをする。列車の扉が開き人が降りてくる。

発車のベルがなる。孔明は白い封筒を静江に手渡して
列車に飛び乗った。

「後でゆっくり読んでください。さようなら」
「わかりました。さようなら」

プロポーズ

列車の扉が閉まりゆっくりと動き出した。
列車が見えなくなるまで手を振って、
静江は左手の指輪をじっと見つめた。

白い封筒を開けてみる。もしかして別れの
手紙か、それとも・・・・。

「静江さん、ほんとにありがとう。今から
渡米の準備と論文の完成とでとても忙しく
なります。65年前の祖母と祖父の不幸な

出会いが今こうして新しい時代を開く運命
的な出会いを生みました。静江さん、私と
一緒にアメリカへ行きませんか?必ず幸せ

にして見せます。開かれた自分に自信を持
って、一度しかない人生です、私と一緒に
駆け抜けてみませんか?6月30日に逢源

双橋で、あなたが来るまで待ち続けていま
す。もし万が一、その気がなければ来ては
いけません。

静江様          王孔明  」

『いつ書いたんだろう?』
ホームのベンチに腰掛けて、静江はまず
そう思った。

指輪は前もって買ってあった。サイズは何とか
分かるだろう。が、封筒は?便箋は?いつ用意
したのだろう?綺麗な日本語で書いてある。

ということは、やはり前もって決意して書いて
おいた手紙だ。静江はそう確信した。と同時に、
嬉し涙が人目もはばからずにどっと噴出した。

「おじいちゃん、ありがとう」

祖父の形見の茶封筒とペンダント、セピア色の
写真が一瞬、写し重なった。

家に帰ってこの手紙を見せるとは母は、左手の
指輪をうらやましそうに見つめてばかりいる。

小包

「ふーん。プロポーズされたの。あのイケメンに。
へえ、やっぱり、うれしいでしょ」

母は笑いながら、ちょっとその指輪に触れて
静江の指からはずした。

「あら、私の小指にしか入らないわ。
すごい人だね、この人。よそに盗られないように、
しっかり自分を磨かなくてはね」

「そうね。で、どう思うこの手紙?」
「そりゃ、もう行くしかないね。
おとうさんもきっととそういうよ」

「おとうさんはね。もともと開かれた人だから」
「私だって開かれた母だよ。アメリカだって
どこだって、さっさと行っちまえ」

「ありがとう、おかあさん」
手紙の文面をじっと見ながら母は、

「まちがいない、この手紙は指輪と一緒に
最初から書いて用意してあったんだよ。
すごい人だよこの人は。ふふふ」

「返事を出した方がいいかしら?」
「馬鹿だねこの子は。何もしちゃいけないよ、突然行
くんだよ。決意を固めてね。彼は今忙しいんだから」

「そうだね。耐えなきゃね」
「成長したね、お前。もう何がおきても大丈夫だね」
「うん、もう大丈夫。お母さんの娘だもん」

母と娘は大声を出して笑った。


6月20日、蒸し暑い雨の日に小包が届いた。孔明から
である。母が大きな包みを抱えてきた。

「彼からの贈り物。多分、服だと思うわ。ドレスのような」
「ドレス?」

開けてみると、それは純白のウェディングドレスと靴だった。
ピンクパールのネックレスとイヤリングも入っている。

「やっぱり」
「どうしよう?」
「とにかく着てみるしかないね」

「手紙とか入ってないみたい」
「入れ忘れたのかもね」
静江がドレスを試着する。

「まあ、ぴったりじゃない。とてもお似合いよ。世界一!」
静江はひらりと一回転した。

「ええっ、当日もう結婚式なの?」
「それはないと思うよ。いくらなんでも」
「ま、何がおきても驚かない」

「そうそう。覚悟が第一」
「それじゃまあ、行ってくるわ」
「おいおい」

母と娘は楽しそうにふざけている。

新郎新婦

いよいよ6月30日。曇天だが風はさわやかだった。
孔明は大きな絵画用の脚立を抱えて逢源双橋の南広場
の隅にカンバスをセットし絵を描き始めた。

烏鎮の水郷の景観が最も美しく見える位置だ。この時期
観光客はほとんどいない。川辺で若者が写真を撮っている。
孔明は後方で邪魔にならないように静かに絵筆を走らせた。

水彩である。ほぼ完成しかけていた。
写真を撮っていた若者が覗き込み、

「あれっ?この二人のモデルの人はどこ?」
「いま、昼食中でいないんです」
「なるほど」

絵には一組の新郎と新婦が描かれていた。
白のウェディングドレスとタキシード。
背景はすばらしい烏鎮の川辺の風景だった。

静江はウェディングドレスの入ったトランクを重たげに抱えて
烏鎮のバスターミナルに降り立った。一人の女性と数人の
子供たちが駆け寄ってくる。美麗の姉さんだ。

「わあ、なつかしい」
「ようこそ。歓迎歓迎」

二人の少年がトランクを運ぶ。何か耳打ちされて一人の少女が
笑顔で走り去っていく。

「孔明はもう双橋で待ってるよ。うちで着替えて
橋へ行きましょう」
「はい、わかりました」

静江は急いで王宅へ向かいウェディングドレスに着替えた。
庭先は大きく飾り付けられ宴会の準備が整っていた。

『まじ、これ、今日結婚式みたい?』
正装した姉さんが静江に声をかける。

「橋の北詰に孔明がいます。あなたはにっこりと笑っている
だけでいいですよ。ああとても綺麗。綺麗ですよ静江さん!」

ウェディングドレス姿の静江が姉に手を引かれて石畳へ出た。
いつのまにかたくさんの人垣ができている。
花火が上がって橋の方からファンファーレが鳴って

楽団が結婚行進曲をかなで始めた。道一杯の人たち。
石畳を皆が拍手で送る。縁者が花嫁の後に続く。

誓い

楽団の前に白のタキシード姿の孔明が二つの花束
を持って待ち受けていた。花束が一つ花嫁に渡され
孔明が手を取ってエスコートする。耳元で、

「よく来てくれたね、あとは全て僕に任せて」
静江は笑顔で大きくうなづく。
一段と拍手は高鳴る。

逢源双橋の二つの橋げたには赤い絨毯が敷かれ、
二人は別れて双橋をわたる。何度も顔を見合わせて
微笑む二人。橋の南詰めで二人が合流すると、

さっき描きあげられた大きな水彩画の前に出た。
絵には金の額縁がはめられ中央から赤いリボンが

かかっている。その裏側に一段高くなって仙人の
ような人が黒いタキシード姿で立っている。

楽団が止み、花束を脇の人が受け取って、
二人は神妙に絵画の前に進み出た。

「今ここに新たなる夫婦が誕生した。静江、あなたは
孔明を生涯の夫としてこれを認めますか?」
「はい、みとめます」

「孔明、あなたは静江を生涯の妻としてこれを認めますか?」
「はい、生涯の妻と認め誓います」
「ではここに二人の誓いの証としてこの絵にサインをして下さい」

二人は絵画の上にサインをする。
「さらなる証のためにこの指輪を交換して下さい」
二人は指輪を交換し合う。

「それでは、最後の証として誓いの接吻を」
ふたり、口づける。
「以上の証の上に二人を夫婦として承認いたしました」

一斉にフラッシュがたかれ楽団の演奏が始まり、
二人は双橋の一方に二人で手を組んで歩き始める。

謝々

人々は二人を祝福して花びらを投げつける。
たくさんの花びらが川面に浮かぶ。
拍手は鳴り止まず歓声が続いている。

橋を渡り終えて二人は楽団員に深々とお辞儀をして
観衆のほうに振り返り手を上げて歓声に答えた。
花火が上がって孔明と静江の結婚式は終わった。

「おかあさん、ごめん。いきなり結婚式だったものだから」

「いいんだよ。中国なんだから。何がおきても驚かない。
おおらかな国柄なんだよ。それに二回目だしお前は。
元気で行っておいで」


半年後、アメリカの静江から母に手紙が来た。

「おとうさん、おかあさん、お元気ですか?
こちらはいたって大ざっぱで、思っていたより
はるかに優雅に暮らしています。

大陸的なところは全く同じなのですね。周囲は
国際色豊かで、たくさんの友人ができました。
子育てで頑張っているお母さんもたくさんいます。

色んなサークルがあってその気になれば日本にいる
時より忙しくなるかもしれません。皆マイペース
人たちばかりなので気を使わないで済むのが一番です。

もう少し落着いたら両国のお母様方をお招き
いたしますので楽しみにして待っていてください。

思い返してみると、ほんとに激動のこの一年でした。
きっかけは全ておじいちゃんの形見が最初でしたね。
遺言どおりに双橋から川に捨てられなかったのにも

きっと二人の執念があの写真と手帳にはこもっていたので
しょう。今静江は最高の幸福をじっと噛み締めています。

おじいちゃんに大感謝しています。
一周忌には帰れませんでしたが。おじいちゃんによろしく。」

                      −完−

上海水郷物語 烏鎮(うーちん)

上海水郷物語 烏鎮(うーちん)

祖父が死んだ。中国戦線生き残りの祖父の遺品を持って静江は上海に向かう。烏鎮で起きた出来事はめぐり又新しい出会いが始まる。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 祖父の死
  2. 手帳
  3. 償い
  4. 烏鎮
  5. 景区
  6. 王美玲
  7. 姉妹
  8. 王孔明
  9. 双橋
  10. 使命
  11. 八条口
  12. 雨中嵐山
  13. 鴨川土手
  14. 京都駅
  15. プロポーズ
  16. 小包
  17. 新郎新婦
  18. 誓い
  19. 謝々