歌舞伎脚本 老いたる源氏

第一幕 冷泉院1

第一幕

役名 源氏
   冷泉院
   秋好む中宮
   惟光
   お市

(本舞台三間の間。平安の頃の嵯峨野。小さな庵。
藁葺の二重屋台。たんす、仏壇、衝立。中央に源氏窓。
板張り、床敷き数枚。上がり石、土間、格子窓、水瓶、
流し、おくどさん。藁葺引き戸入口。遠見浅黄色山並み。
畑。切株まき割りなど道具収まる。

上手仏間に源氏端座し読経。作務衣。
惟光、外でまき割り。お市、土間にて賄こなし)

源氏 妙法蓮華経方便品第二 爾時世尊 従三昧 安詳而起
 告舎利弗 諸佛智慧 甚深無量 其智慧門 難解難入
 一切声聞 僻支佛 所不能知 所以者何 佛曾親近
 百千萬億 無数諸佛 儘行諸佛 無量道法 勇猛精進
 名稍普門 成就甚深 未曽有法 隋宜諸説 意趣難解
 舎利弗 吾従成仏己來 ・・・・・・

(まき割りをしていた惟光が駆け込んで)
惟光 どなたかこちらへお見えのようです。あの牛車は
 冷泉院と思われます。
源氏 (読経止め)ふむ、息子か。今まではこうして気楽には
 会えなかったものなあ。十日とあけずにやってくる。

(源氏は入口戸に目をやり思い入れ。もうほとんど目は見えま
せん。惟光は院を迎えに行きます。お市が源氏の手を取り立た
せたまま直綴に着替えさせます)

源氏 そこもとは名を何と申す?いつもああとかおおとかでは
 呼びづらいよの。
お市 (すごいしわがれ声で)お市と申します。
源氏 おいち?のちの世にどこかで聞いたような名じゃのう。
 朝餉の若竹はうまかった。あれは?

第一幕 冷泉院2

お市 (しわがれ声で)朝掘りの筍で地中深くこの辺りで
 採れたもののようです。

(源氏は思わず顔をそむけます。やがて着替えも終わり、
お市は源氏の手を取って中央の床敷きに座らせます。お市、
湯気立つ若竹の膳を運んできます)

源氏 おお、この香りじゃ。この香りは花散る里。もしやそなたは?
 いやそれはあり得ない。その声と手にするソナタのカサカサの手。
 花散る里は風そよぐ笹の音。手指は春竹の肌のよう。出家してから
 は会えもせぬ。

(トお市はぷっと吹き出しおくどへ戻り、そこへ惟光が冷泉院と秋好
む中宮を案内して入ってきます。狩衣姿の冷泉院とえび染めの小袿、檜扇
を手に中宮とが入ってきて板間に腰かけ木履を脱ぎ床敷きににじり寄ります)

冷泉院 お勤めのところをまたお邪魔します。
中宮 よいお日和。ご機嫌麗しゅうございます、父上様。
(ト二人深々とお辞儀します)

源氏 姫、ようこられた。よい香りじゃ。
中宮 黒沈香にございます。
源氏 おおめっきり母御のようになられた。
中宮 薫の君をお預かりしてからもう5年になりまする。
源氏 紫の上が死んだときじゃったから。
中宮 もう9歳におなりです。
源氏 散々甘やかしておるのじゃろう。
中宮 ええ、ええ、もうすっかり甘やかにお育ていたしておりまする。
源氏 そんなことじゃろうと思っとった。

中宮 でもご心配はいりません。薫殿は父上と違っていたって真面目。
 おなごには目もくれず。学問ばかりなさっています。近頃は法華経
 にもいたく興味を示されて。
源氏 それは異なこと?

第一幕冷泉院3

中宮 しかしお父様は母上の遺言を守るのが非常に大変
 そうであられましたよ。(ト冷泉のほうを見ます)
源氏 ああそうじゃ。お前があまり年ごとに美しゅうなるのが
 悪いのじゃ。斎宮の時にはこんなに小さかったのになあ。
(ト膝のあたりに手をやります)

中宮 そんなに小さくはありませんよ。伊勢のお勤めが終わって
 京に戻ってきた時には、もう母は病に苦しんでおられました。
源氏 そしてこの遺言じゃ。六条の邸をわしにお譲りになる。
 姫の後見人になる。それともう一つ、絶対姫には手を出さない。

中宮 何度も念を押して母はなくなりました。
源氏 そのとおりにしたではないか。
中宮 もう御病気ですね、美人に言い寄られるのは。
 (ト源氏こなし)だけど本当はお父様の養女にしていただいて
 心の底から感謝いたしております。

源氏 そうそう、そう言えば美しさが増すというものよ。
中宮 あと一つお聞きしたいことがあります。
源氏 母上とのことか?何も聞いておらんのか?

中宮 いとしいお方というばかりで、どこがどういいのか、どうして
 そうなったのか、一度も聞いたことがございませぬ。
(ト源氏を見つめる。源氏こなしながら)

源氏 若き頃、六条の御息所は我ら若者のあこがれの的じゃった。
 東宮亡き後、つまりほんとは皇后になられたお方。今の六条院の
 秋の邸宅はすべて御息所のものじゃった。若者はそこに集い
 御息所はこのわしにお目を止められたのよ。
中宮 父上の若いころは玉のようないい男、そう申しておりました。

源氏 ところがわしは一番年下で、妻の葵上は、お前は知ってか藤壺
 も五歳上。御息所は何と七つ上。何かと引け目もあったようじゃ。

冷泉院4

中宮 野々宮で。
源氏 そう、夕顔と葵上の怪死は御息所の怨霊、そう告白された。
 いとしいおかたじゃったよ。
中宮 愛しておられた。

(ト源氏は大きくうなづきながら泣く。中宮、にじり寄って
源氏の涙をふく)

中宮 母は私たちが伊勢に下るいきさつをよく話してくれました。
 葵祭の車争いはほんとに悔しかったのでしょうね。
源氏 あの行列には私も加わった。
中宮 その貴方見たさに私の母はお忍びで早くから一条大路の
 一番いいところに隠れていました。

源氏 とても蒸し暑い日じゃった。
中宮 そこに何も知らぬきらびやかな網代の御紋車が割り込んできました。
 左大臣だと分かります。乗っていたのは葵上。小競り合いになりました。
源氏 大路でもめていたのは後から聞いた。

中宮 あなたのせいでついに母の車は壊されてしまいました。
源氏 口惜しかったろうなあ。六条の御息所とわかりさえすれば恋敵を追い
 返すことができたのに、済まないことをした。
中宮 母の怒りは頂点に達し、それからは毎日芥子を焚いて恨みの加持祈祷
 を続けたそうです。死ぬまであの時は口惜しかったと申しておりました。

源氏 その執念深さは母譲りじゃ。
中宮 はあ?(トいぶかしげに)
源氏 今、薫の君にぞっこんじゃと。なあ冷泉院。(ト笑顔で誘う)
中宮 まあ、なんてことを。
(トみんなで高らかに笑う)
源氏 お前はほったらかし。ははははは。

(そこに若竹の膳、酒、肴が運ばれてくきます。源氏はまるで目が見えるように
手探りで食します。お市賄をこなし。惟光はずっと戸口に立っています)

冷泉院5

源氏 冷泉、いつわしが父とわかった?
冷泉 母上の四十九日に比叡の僧から聞きました。
 厳しく口止めされていたそうです。
源氏 なるほど、おどろいたろう?
冷泉 ええおどろきました。ほんとに。

源氏 わしが三十二、宮が三十七の時だから御君は十四の頃?
冷泉 そうです十四の時ででした。

(ト源氏は盃をぐいと一飲みして)
源氏 わしの母は三歳の時に死んだ。位は低いが桐壷の更衣という。
 わしは何のことかよくわからなかったが、父の桐壷帝は見る影も
 なく落ち込んでいたようじゃ。あまりの落ち込み様に周りは必死で
 生き写しの姫君を探した。それが藤壺、御君の母じゃ。
 (冷泉院は身を乗り出して、源氏に酒を注ぎます)

源氏 美しかった。わしより五歳年上で、周りからは母桐壷にそっ
 くりと言われ、十二でわしが元服し葵上を迎えても、もう心は
 藤壺だったなあ。そりゃそうじゃろう。継母とはいえ宮中で姉弟
 のように育ったからじゃ。人恋はじめじゃ。

冷泉 ああ、強烈な初恋じゃ。わしが十八宮が二十三。もう体はとま
 りゃせぬ。王命婦をかき口説いてついに手びいてもらった。しかし
 胸のときめきが大きすぎて何が何だか覚えていない。二度目は三条邸
 に戻っておられたとき、この時のことはよく覚えている。一瞬一瞬が
 夢のようじゃった。この時に御君が宿ったんじゃ。

(トここで老いたる源氏は我に返って盃を開けます。冷泉は額の汗をぬぐい
大きく息を吸います。秋好む中宮が酌をし、お市も賄をはじめ惟光も息を
抜いて首を大きく動かします)  

冷泉院6

源氏 しばらくして宮ご懐妊のうわさが広がった。そりゃあ
 ひやひやものよ。宮の心地も同じじゃ。宮中ではことさら
 会わぬようにした。しかしまぬがれぬ。紅葉賀は宮のために
 舞った。思いっきり宮の前で。

冷泉 今でも語り草になっております。
源氏 しかし年が明けても子は生まれぬ。とにかく宮の安産を
 必死で祈った。おそらく宮中も世間の民もみな祈っていた
 いたと思う、あのときは。二か月遅れでやっと生まれた玉の
 ような男君。それが御君じゃというわけよ。

冷泉 そのことは女房達からよく聞きました。遅れているのは
 物の怪の仕業とかで大掛かりな加持祈祷が連日あちこちで行
 われていたとか。

源氏 そうよ、御君はわしの弟。わしは母方の位が低く皇太子
 にはなれぬが御君は次の次の帝になれる身、父桐壷帝は
 ことのほか喜ばれた。わしもうれしかった。
(ト源氏は冷泉を見つめ思い入れ)

源氏 驚いたのはその春にわしが宮中へ上がった時。帝は若君を
 わしに見せ『源氏にそっくりだ』と無邪気に満面の笑み、わしは、
 たぶん御簾の中の藤壺の宮も生きた心地はせなんだ。帝は最後の
 最後まで不義の子とは思わなんだと思う。

(異様な沈黙に源氏はすぐに続けます)
源氏 もしそうでなかったとすれば、父桐壷帝はとてつもなく
 心の大きいお方。
冷泉 帝はその秋、母を中宮にされました。

源氏 そうそれで御君の将来は完璧になった。帝はこのわしの将来を占い
 臣下の長源氏の名を賜るが、当時のわしはすべてに際立っていた。兄
 東宮をもしのぐほどにに。父はその負い目にすべてを許してくれた。
 しかし不義の子とわかればそれは絶対に許せるものではない。そう思う。

冷泉7

(トここで聞き入っていたみんなが大きく同時にうなづきます)
源氏 わしはこの間夕顔や葵上を亡くし、藤壺にも会えずに、
 苦しさのあまり朧月夜と契るがこれがあだとなって須磨へ。

冷泉 絵合わせを覚えておられましょうか?
源氏 ああ、あの絵合わせは一生忘れられぬ。罪を許され
 京へ戻った時は御君は帝。
冷泉 十一の時です。

(時折お市が酒肴を運んできます)
源氏 御君は絵をかくのが好きじゃった。
冷泉 梅壺の女御に教えていただきました。
(ト中宮を見る)
中宮 あの時の須磨明石の絵巻は今でもありありと目に浮かびます。
 藤壺の中宮様も。

源氏 今思えば懐かしや親子三人。その後すぐに亡くなった。
冷泉 そのあとに出生の秘密を聞きました。大原野の鷹狩
 の時、意を決してお声掛けをしました。
源氏 あの時の緋色の衣は目に焼き付いておる。帝の言葉とはいえ
 譲位はいかがなものかと断ったの。この時秘密を知ったと悟った。
 そこで御君は准太政天皇にわしを格上げしよった。これで少しは
 気が楽になったのおたがいに。

冷泉 御意にございます。
(二人の笑い声が嵯峨野に響く)

唄 〽 父子は嵯峨野の片隅で 宿世の露を払いつつ
   面影宮の 天覆う 熱き血潮に包まれて
   思いで深き中宮の 笑みと声音を聞きながら
   牛車見送る 老いたる源氏の影姿

                     第一幕  幕 つなぎ

第二幕 玉鬘1

役名
   源氏
   玉鬘
   惟光
   お市

(本舞台三間の間 嵯峨野の小さな庵 藁葺の二重屋台
箪笥 仏壇 衝立 床敷き 源氏窓 上がり石 水瓶 おくど
遠見浅黄色山並み 朝顔に鶯の声 鹿威しなど 道具収まる)

(源氏、仏壇の前に端座し読経しています。お市賄い)

源氏 妙法蓮華経如来寿量品第十六 爾時佛告 諸菩薩及 一切大衆
 諸善男子 汝等當信解 如来誠諦之語 又復告 諸大衆 汝等當信解
 如来誠諦之語 是時菩薩大衆 弥勒為首 合掌白佛言 世尊・・・・

(惟光が天秤桶を担いで現れます)
惟光 鮎だよ、あゆ!
(トお市駆け寄り)
お市 (しわがれ声で)まあ、けっこうなこと。
惟光 大堰の堤で分けてもろうた。
(ト二人立ち上がり手をかざし遠見する)

惟光 あの藤糸毛車は玉鬘様じゃろうて。
お市 あの子だくさんの?
惟光 どうもおひとりのようじゃ。
お市 さっそく塩焼きに。
惟光 柚子も忘れんようにな。はよはよ。
(ト二人は桶を庵の中に担ぎ入れます)

惟光 雲隠さま、玉鬘様がお見えのようです。
(源氏、読経をやめて) 
源氏 ふむ、久しぶりじゃなあ。五人の子持ちになっても、
 さぞ美しいことじゃろう。

(ト山吹色の小袿、扇を手に仰ぎながら玉鬘が入ってきます)
玉鬘 お父上、おひさしゅう。ご機嫌いかがでございますか?
源氏 おお、玉鬘。よきかおりじゃのう。美しさが目に浮かぶ。
(ト玉鬘は単衣の裾を手おりながら上敷きににじり寄ってきます)

源氏 (鼻をくんくんさせ)ふむ、よき香りじゃ。これは?
玉鬘 老栴檀にございます。

玉鬘2

源氏 ふん、なまめかしい匂いじゃ。
玉鬘 父上こそ。出家なさってからは何の香りも致しません。
 まるでセミの抜け殻のようですございますよ。
源氏 空蝉か?わっはっはっはっはっ。

(トそこに塩焼きの鮎が運ばれてきます)
源氏 どうじゃ。此の臭いにはかなうまい、初物じゃ。
玉鬘 私がお口に入れて差し上げます。
源氏 そうか、柚子をたっぷりとな。
(ト玉鬘が箸を運びます)

玉鬘 はい、お口を開けて。あーん。
(和やかな養父と養女の時が流れます)

源氏 蛍の宮の病気の具合はどうじゃ?
玉鬘 弟君でございますか?真木柱様に姫が生まれましてから
 元気になられたそうで。
源氏 そうか、それはよかった。蛍、はは、蛍といえば玉鬘
 覚えておるかあの宵のこと。

玉鬘 もちろんですとも、なんで忘れられましょう。義父のくせに
 言い寄るあなた様にはうんざりしておりましたよ。この色きちがい
 と、ほんとに思っておりました。
源氏 まあそう言うな。弟の兵部が懸想して文を差し込んでいたのは
 知っていたが、まさか上がり込んで来るとは。あの時はほんとに焦
 った。すぐに几帳の陰に隠れはしたが。

玉鬘 几帳の垂れ絹がさっと開いてたくさんの蛍が輝いて飛んできました。
源氏 お前を喜ばすためにそっと籠に入れて隠し持っていたのじゃよ。
玉鬘 まあほんとに。女御にはまめなお方でいらっしゃいました。
源氏 それが源氏よ。しかし妻紫の上が死んでからは全くそうでなくなった。

玉鬘 読経のお声を聞いておりますと昔と少しも変わりませんよ。
 いいお声で、艶があって、つい聞き惚れて歩みをとどめるほど。
源氏 そうか。(ト嬉しそうに笑む)お前の父内大臣にはずっと内緒に
 しておった。筑紫から逃れてきて侍女の右近と出くわしたのは、
 初瀬の観音のおぼしめし。

玉鬘3

玉鬘 今でも不思議でなりませぬ。
源氏 当時の内大臣はの、姫君たちをあまり大事にはしておらなんだ。
玉鬘 だから私を養女に?
源氏 そのとおり。
玉鬘 うそ。言い寄ってこられたではありませぬか。

源氏 ほんとじゃ。その証拠に裳着の儀式の前にすべてを内大臣に打ち
 明けた。裳の腰ひもを結ぶ役目をこの時に内大臣にお願いしたのじゃ。
玉鬘 うすうす気づいてはおりました。今でも心から感謝いたしており
 ますよ。ところで今日は折り入って伺いたいことがございます。

源氏 母上のことか?(ト玉鬘、大きくうなづく)そうか。夕顔の女御
 といってとてもきれいなお方じゃった。
玉鬘 夕顔?
源氏 そうじゃ、わしがつけた名じゃ。わしが十七の時。焼きもち焼きの
 御息所にうんざりしていた頃じゃ。ばあやを訪ねて五条に寄った。

玉鬘 十七?
源氏 そうじゃ。妻葵上、中宮藤壺、六条の御息所、年増が多い。
玉鬘 難という多情な。

源氏 そんなものよその頃は。ばあやがなかなか出てこない。その時隣の
 壁に夕顔が咲いておった。見とれておると女児が歌を添えていい香りの
 扇を持ってきた。

玉鬘 その主のお方が。
源氏 そう、お前の母君じゃ。この扇に乗せて夕顔を蔦ごと持って帰れと
 いうわけよ。いじらしいではないか、こんな小さなあばら家に住みながら。

玉鬘 あばら家とは失礼な。母上がかわいそうにございます。
源氏 いやすまん。ほんとのいい女というものは東屋にでも住む中品の女御
 に逸品が隠れておる、と先輩が言うもので、少なからずそういうものかと
 興味はあったから。

玉鬘 言い訳は見苦しいですよ父上様。

玉鬘4

源氏 申し訳ない。死なせた原因はこのわしじゃから、夕顔の
 ことを思うと今でもすまぬ、この通りじゃ。
(ト頭を下げて泣く)

玉鬘 なぜ母は私を残して死んでしまったんですか?
源氏 うううう。
玉鬘 泣いてもだめですよ。詳しく話してくださりませ。

源氏 すまぬ。こんな東屋に住んでいながらこのような素晴らしい
 機知に富んだ扇を手渡すとはこれぞ中品の極み、そう思ったわしは
 ひたすら通い詰めた。ところがこの東屋は隣の声が筒抜けじゃった。
 夫婦げんかの声やら、子供の泣き声。女房のぐち話。趣なんどあった
 もんじゃない。そこで。 

玉鬘 そこで?

源氏 こちらも身を明かさなかったが夕顔も身を明かさなかった。名も
 知らぬにしっとりと身を任せてくる。実に優美なお方じゃった。・・・
 そこで。盆の明け方、近くの荒れ果てた屋敷に二人こっそり忍び込んだ。
 誰にも邪魔されず二人は愛をむさぼった。一日中。

玉鬘 一日中?
源氏 ああ、一日中。その真夜中、急にはげしい幼子の泣き叫ぶ声に二人
 は飛び起きた。わしは夕顔を褥に残し慌ただしくあちこち見て回った。
 そして・・・・・。

玉鬘 戻ると母は死んでいた。
(源氏、肩を震わせ泣く)

玉鬘 母をとても愛しておられたのですね。
(玉鬘はそっと源氏ににじり寄りやさしく背中をさすりながら肩に打掛を
 かけてやります。源氏は泣きながら大きく何度もうなづきます)

源氏 それからすぐに惟光に命じて屍骸をわからぬように鳥辺野へ運び娘を
 乳母夫婦に任せて筑紫へと帰させた。侍女の右近はその時わしがあずかった。

玉鬘 筑紫では年頃になって強引に私に言い寄るものがおりまして命からがら
 京へ逃げてまいりました。まずは初瀬の観音様へ、そこで右近様と。  

玉鬘5

源氏 不思議な縁じゃのう。後でわかったことじゃが六条の
 御息所芥子の煙に祈祷をしておる時、ふとうたたうつろいて
 葵上や夕顔に取り付いたとのことじゃった。

玉鬘 どうしてそれを?
源氏 嵯峨野の野々宮で伊勢へ下るという御息所や娘の斎宮と
 わしとの別れの時に全てを話されたのじゃ。

玉鬘 物の怪に母は死んだのですね。よくわかりました。父上は
 母をたいそう愛しておられた、それで十分です。最後にもう一つ
 だけ(トこなし)なぜ私の父が内大臣だと分かったのですか?

源氏 それは十七の頃、内大臣が頭の中将だったころに梅雨の長い
 雨の夜の泊りの時に馬の守や藤式部丞も加わってどんな女が一番
 素晴らしいかという話になった。その時に頭の中将、お前の父が
 自分の悲恋を話した。子供までできながら正妻の嫉妬にあって
 行方不明になった中品の女御の話じゃった。やさしく素直で
 しっとりと寄り添ってくる優美な女御。

玉鬘 あ、わかりました。父君も直感ですぐに分かったのですね。
源氏 その通りじゃ。お前は死んだ兄君柏木によう似ておる。
 間違いなかったわ。

玉鬘 よくわかりました。もうお疲れでしょう。父上、今日は
 これで許してあげます。

(玉鬘は帰り支度を始めます。老いたる源氏も立ち上がり、玉鬘が
寄り添い腕を支えます。ゆっくりと木履を履いて源氏は惟光にも支
えられて庵の外に立ちます)

源氏 あっという間の人生じゃったが皆には本当に感謝している。又
 迷惑をかけてほんとにすまなんだ。くれぐれもよろしくお伝えください。

玉鬘 わかりました。くれぐれもよろしくとお伝えします。
(最愛の養女にきつく抱き支えられて老いたる源氏は天に向かって微笑みます)

源氏 わしはほんとに幸せじゃった。

                           第二幕 幕 つなぎ

第三幕明石の中宮1

役名
   源氏
   明石の中宮
   惟光
   お市

(本舞台三間の間 嵯峨野の小さな庵 藁葺の二重屋台
箪笥 仏壇 衝立 床敷き 源氏窓 上がり石 水瓶 おくど
遠見茜色山並み 薄 など秋の装いよろしく 道具収まる)

(源氏、仏壇の前に端座し読経しています。お市賄い)

源氏 自我得佛來 所經諸劫数 無量百千萬 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 令入於佛道 爾來無量劫
 為度衆生故 方便現涅槃 而實不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 ・・・・・ 

(惟光がざるいっぱいのなすびを運んできます)
惟光 なすびじゃ、なすびじゃ。焼きなすがよかろうて。
(お市、大きくうなづきながらざるを受け取ります)

惟光 どなたかお越しのようで見てまいります。
(惟光、出て見やり戻りて)

惟光 八葉御紋車、明石の中宮様のおこしでございます。

(ト迎えに行く。源氏とお市は大急ぎで苧麻の作務衣に着替えます。
やがて若苗色の小袿、白檀扇を手に明石の中宮が現れます)

源氏 ああ、ようきたのう。どうじゃ母上の具合は?
(中宮、にじりあがり座る。膳が運ばれてくる)

中宮 ええ、元気になられて若宮を乳母と取り合っておられます。
源氏 そうかそうか。入道殿はやはり行方知れず?

中宮 おじいさまは私が皇子を産むのを見届けて『この世で為すべき
 ことはすべて終わった』と、そう申して山にこもられました。

源氏 行方は?
中宮 『わしのことは絶対に捜すでない』との厳命でしたので。
源氏 そうか。ほんとに潔いお方だったのう。

中宮 とても怖いお方だと思っておりましたが若宮が生まれてからはもう。
源氏 でかしたでかしたじゃろう。ようわかる。入道殿の信心の証じゃ。

明石の中宮2

中宮 住吉大明神様ですか?
源氏 そうじゃ。もともと気の荒い一本気のお方じゃった。京におられて
 わしの遠戚でもあられる。ところがあの気性じゃから都人からは疎まれ
 て信心に走られた。

中宮 荒い気性を何とかせねばと思われて?
源氏 そうじゃと思うが、本来の気性などなかなか治るものではない。
 ところがじゃ、信仰心のあまりその出方が変わった。

中宮 と申されますと?
源氏 まず京を離れて受領になり明石行きを決心された。そこは縁者も
 多く海の幸山の幸も豊富で受領としての実入りも多いところじゃった。
 上に気を遣う者もなく財の限りを尽くして京に負けずとも劣らぬ
 御殿も作られた。

中宮 まけずぎらいですね。
源氏 それもあるが実はこれすべて大明神のお告げと言うとった。ところ
 がなかなか子ができぬ。やっとの思いでお生まれになったのが母君じゃ。
 うれしさのあまり数々の財を整えてお礼参りをされた。するとすぐさま
 お告げが出た。この姫は天皇の后になるお方と。

中宮 まことですか?
源氏 何度も耳にタコができるほど聞いた。そのお告げを聞いた入道殿は
 この姫を何とかせねばと磨きに磨きそれはそれは下にも置かぬ御教育を
 された。

中宮 よく存じております。私にもへりくだりいつも敬語を使われます。
源氏 そうじゃろうのう。皆不思議がったろうな。母上は?

中宮 皆に話しても誰も信じてはもらえないだろうとひたすら祖父を信
 じていたようです。受領の娘が皇后になんて誰が信じましょう。

明石の中宮3

源氏 確かにそうじゃ。だから申すのじゃ、入道殿の一念じゃと。
 不思議なことはもっとある。須磨に大風が吹いたとき父上桐壷帝
 の霊が現れて須磨を離れよ西へ行けと申された。ところがその時
 入道殿は又も大明神のお告げが出て嵐の中を須磨へ向かえと言わ
 れたそうじゃ。

中宮 大風の中をですか?
源氏 これも何度も聞いた。當に嵐の中を、その時さっと風がやみ
 光までさして海は穏やか、漕ぎいでた小舟に入道殿の大きな屋形船
 が近づいてきた。ところがじゃ、明石に着くころには一転にわかに
 掻き曇り又も大嵐になったのじゃ。不思議な出来事じゃった。

中宮 そうだったのですか。
源氏 まさにこのお方こそとの一念じゃ。わしもさらに驚いた。こんな
 片田舎に京にも勝る姫君がおられたからじゃ。そうは思わぬか母上を?

中宮 京にも勝る?
源氏 そのとおりよ。じゃがその頃京には疫病がはやり兄朱雀帝も眼病
 を患って世が乱れかかっておった。今度は帝の枕元に桐壷帝の幻が現れ、
 これも後からじかに聞いたことじゃが、源氏を呼び戻せと叫んだそうじゃ。

中宮 母上は?
源氏 そこよ。身重の母上を残しては行けぬ。といって謹慎の身でありながら
 女を連れて帰ってくれば都人の目も厳しかろう。そこで泣く泣く一人で帰った。

中宮 久しぶりの都はいかがでしたか。紫の上様は?
源氏 いやたまげた。美しくなりおってと正直思った。

中宮 でしょう。ほんとにきれいなお優しいお方でしたから義母上様は。
源氏 いや、今でもすまぬと思っておる。入道殿の一念はさらに激しさを
 増してわしに迫ってきたからじゃ。

中宮 といいますと?

明石の中宮4

源氏 入道殿は大堰に山荘をお持ちであった。財に任せてさらにこの
 山荘を飾りたて母と娘をお住まわせになった。しかし所詮は受領の
 娘わしが即位せぬ限り中宮にもなれやせぬ。ならば孫娘をと、その
 一念のすさまじさ。それに負けて姫君をわしの養女にすることにし
 た。それなら中宮になる可能性が高まる。

中宮 それで紫の上様のもとへ。
源氏 そういうことじゃ。辛かったのう八年間、ほんとにすまぬ。

中宮 私がまだ三つの時でした。母上ここにお乗りくださいと言っても
 牛車にはお乗りになりませんでした。もう忘れました。

(中宮の目がにじんできますそれを振り払うかのように明るい声で)

中宮 紫の上様があまりにお優しかったのでもう虜になりました。
 泣き止まぬ私に出ぬ乳を含んで泣き疲れて私が眠るまで、あとで
 よくお聞きしました。お子のない紫の上様の心根に何かを感じて
 すぐに私はすべてを受け入れることができました。これはおそらく
 母の血なのでしょうね。

源氏 そのような素直さは間違いなく母御、明石のお方の血じゃ。
 そしてついに一族の念願かなって姫は中宮になられた。入道殿の
 すさまじい執念を感じずにはおれぬ。

(中宮、帰り支度を始めます)

中宮 今日、お話をお聞きして、おじいさまのすさまじい思い入れを
 新たに身に染みて感じ入りました。お疲れでしょう。今日はほんと
 にありがとうございました。

(惟光、お市駆け寄り、中宮帰り始める。源氏、お市手を取り、木履。
庵出口にて中宮を見送ります)

中宮 お父様ほんとにありがとうございました。

(遠見夕暮れ。山並み。中宮橋掛かりへ。皆で見送ります)

                          第三幕 幕 つなぎ

第四幕夕霧1

役名
   源氏
   夕霧
   惟光
   お市

(幕開き暗転の中唄が聞こえます)

唄 〽 あだしのの おいたるげんじ おぼろづき
    わかなわすれそ かしわぎのきみ

(源氏の読経が聞こえます。徐々に明転)
源氏 一心欲見佛 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山
 我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅
 餘國有衆生 恭敬信楽者 我復於彼中 為説無上法 ・・

(本舞台三間の間 嵯峨野の小さな庵 藁葺の二重屋台
箪笥 仏壇 衝立 床敷き 源氏窓 上がり石 水瓶 おくど
遠見茜色山並み 薄 畑など秋の装いよろしく 道具収まる)

(源氏、仏壇の前に端座し読経しています。お市賄い。
惟光は畑を耕しています。鍬の手を止め背伸びをし遠くを窺い)

惟光 雲隠様、近衛大臣がお越しのようです。

(源氏、読経をやめてうなづきます)
源氏 夕霧か。
(ト立ち上がり居間の床敷きに座ります。そこに狩衣姿の夕霧が現れます)

夕霧 親父殿、お勤めのところをお邪魔いたします。
(ト内に入り床に上がり座ります)

源氏 ふむ、今日は誰もおらぬ。ゆるりとするがよい。
夕霧 今日は父上に母や友のことを詳しく聴きに伺いました。
源氏 葵上。友とは柏木のことか?
夕霧 御意にございます。
(ト源氏を睨みつけます)

源氏 まあ、今日はゆるりと語ろうぞ。

(お市が膳を運んできます。源氏は思いめぐらしながら手探りで徳利と盃を
手に自酌します。夕霧は黙って見ています。)

夕霧2

夕霧 今日こそは、はぐらかされませんよ。
源氏 葵上には悪いことをしたと思っている。お前にも。
夕霧 私にも?

源氏 ほとんどかまってやれなかったからの。
(源氏は空をにらみ意を決して語り始めます)

源氏 葵上とは幼馴染じゃった。いとこの内大臣の妹御で藤壺より
 少し下。柏木の叔母にあたるがの。わしが元服し臣下として源氏
 の姓を賜ったその日に夫婦になった。がしかし、もうその頃はわし
 の心は藤壺で一杯じゃった。そういえばお前と雲居の雁も幼馴染。

夕霧 乳母子でございました。
源氏 ほう、ばあやに預けっぱなしでその頃のことはよう憶えてお
 らんのじゃ。わしも何かと忙しくて、空蝉、夕顔、六条の御息所
 と。ほんとにすまぬ。(ト深々と頭を下げます)

夕霧 いやいや親父殿。私は感謝しておりますよ。
(源氏は頭をあげ見えぬ目で夕霧を見つめます)
源氏 感謝?

夕霧 ええとてもありがたく思っています。六位の官位と学問の厳命
 を受けた時は正直唖然といたしました。その後試験に次ぐ試験。
 他の者は遊びほうけていても官位は上がっていくのに。

源氏 つらかったか?
夕霧 ええ、つろうございました。
(互いに思い入れ。涙こらえて話は続きます)

夕霧 しかし今はその学問が身に染みて私の肥やしになっています。
源氏 ありがたいことを言うのう。できた息子じゃ。最後の試験も
 よう受かったなあ、あの難関を。して今は?

夕霧 近衛の大将でございます。
源氏 なんとそうか、よくでかした!

(ト父子は嬉しそうに笑い。お市も嬉しそうに酒を運び、惟光も
空を仰いで笑っています)

夕霧3

夕霧 又はぐらかそうとしても、そうはいきませんよ。
源氏 いやいや、そうは言うても雲居の雁と落ち葉の君と
 惟光の娘とも?

夕霧 ええ、いろいろありましたが、今は皆公平に
 通っております。

(トみんなの笑い声が響きます。夕霧、ぐいと盃を飲み干し
真顔で源氏に詰め寄ります)

夕霧 柏木は・・なぜ死んだのでしょうか?父上は何かを知っておられます。
源氏 いや、わしは何も知らん。わしにも何が何だかよく分からぬのじゃ。
(ト場に緊張が走ります。源氏、とまどい)

源氏 柏木は骨の病で死んだのじゃ。それは皆の良く知るところじゃろう。
夕霧 (にじりより)その骨の病をさらに重くした何か原因があるはずです。

源氏 お前はわしに何を言わそうとしておるのかな?
夕霧 私はただ、真実を知りたいだけなのです。
源氏 真実とはどのような?

夕霧 それはわかりませぬ。思えば六条院での蹴鞠の宴の宵に、たまたま女御
 たちの御簾が上がって女三宮のお姿が垣間見えることがありました。柏木も
 私も姫の美しさにはっと驚きましたが、私は速やかに御簾を閉めよと駆け寄
 りました。ところが柏木はぼーっと宮に見とれて突っ立ったままでした。

(夕霧はじっと源氏を見つめますが、源氏は逃れようとしています)
源氏 それは初耳、で?

夕霧 思い返せば父上に、病の兄様朱雀院の、たっての願いというわけで、
 わずか十三の姫君を、どうしたことか正妻に。この噂、若き姫君を憐れむ
 ものの数知れず。(ト恨みを持って睨みます)

源氏 (開き直って)そうだったのか、しらなんだあ!

夕霧4

夕霧 うああ、無念、無念、無念。柏木無念!
(今にも発狂しそうな夕霧)

源氏 (あとすざりしながら)わかった、わかった。すまぬ。
 悪かった。落ち着け夕霧。

(夕霧、我に返り)
夕霧 柏木がため息ばかりついていたのをよく覚えています。

源氏 いくら上皇の頼みとあっても若き内親王を老いぼれの後見で
 正妻とはというわけか。世代間の争いじゃなあ。

夕霧 皆柏木を応援したいと思いました。小侍従に聞けばわかります。
 紫の上が病に伏した時、これももとはと言えばこの縁談が原因ですよ、
 女三宮は六条院でずっとお一人でした。

源氏 もしやその時?
夕霧 その通りです。(源氏、不気味に笑み)宮とともに出家した元の
 小侍従が全てを語りました。あの恋文が源氏殿に見つかりさえしなけ
 ればと泣き崩れておりました。

(老いたる源氏は観念したかのように、か細い声で)
源氏 そうか。
(そういってうつむいたまま、しんみりとした長い沈黙が流れます)
 そういうことだ。恋文を見つけた時にすべてを悟った。がしかし、
 わしひとりの胸に秘めておけばどうってことはない桐壷帝のように、
 とはじめはそう思った、懐妊を知るまでは。

(夕霧は静かに首を横に振ります)
 懐妊の知らせは地獄の電撃じゃった。過去遠々劫からのわしの宿世。
 どうしても断ち切ることのできぬわしの罪業ここに極まった。どう
 計算しても間違いない。柏木の子じゃ。當に電撃じゃった。

(夕霧は暖かく父の告白を包みます)

夕霧5

 朱雀院の五十の祝いに病身の柏木を無理やり呼び出して痛烈な
 皮肉を浴びせた。わしの命は魔王の呪いそのものじゃった。
(怒りに源氏は打ち震えます)

夕霧 乳母の話では生まれたばかりの若宮をお抱きにもなさらなかった。
源氏 抱けるものかあの時は。
夕霧 女三宮はその冷たい仕打ちに出家を決意なさった。

源氏 そうじゃ。わしの知らぬ間に父朱雀院に泣きついて。
夕霧 院も辛かったでしょう?

源氏 あの時は皆がつらかった、宿命の嵐にどこもかしこも涙涙。
 あまりの苦しみの極みに涙の笑いがこみあげてくるほどじゃった。

(源氏の顔は涙にゆがみ見えぬ眼が宙をにらみ笑ってるように見えます)

夕霧 親父殿、私は心から感謝しております。柏木は臨終のときに二つの
 ことを私に頼みました。一つは父上にとりなすこと。
源氏 それはもう叶ったな。二つ目は?
夕霧 それはもう叶っています。

(源氏 いぶかしげに思い入れ)
夕霧 柏木の正妻落ち葉の君をよろしく頼むということでしたから。
(二人はハタと顔を見合わせ大きく笑う)

源氏 そうかそうか、それはよかった。
(ト大きくうなづきながらつぶやきます)
 煩悩即菩提、生死即涅槃・・・・
 南無法華経、南無法華経じゃよ。

(しばし安らかな沈黙が流れます。老いたる源氏は、この至福を
じっと味わいかみしめているようです)

夕霧 では親父殿そろそろ・・・・
 親父殿?親父殿!親父殿!! 

(源氏、崩れ落ち、夕霧、抱き支え泣く。惟光、お市、書け来たり
驚き立ち尽くす。緩やかに暗転)

                         第五幕 幕 つなぎ

第五幕冥府1

役名

 冷泉
 夕霧
 玉鬘
 明石の中宮
 秋好む中宮
 惟光
 お市
 薫
 僧
 その他大勢


(本舞台三間の間 嵯峨野の小さな庵 藁葺の二重屋台
箪笥 仏壇 衝立 床敷き 源氏窓 上がり石 水瓶 おくど
中央に棺 僧1人枕経を読んでいる 通夜の装いよろしく 道具収まる)

(冷泉 秋好む中宮 玉鬘 あとから明石のお方と中宮が匂宮を連れて加わる
夕霧 惟光 お市 他人々外まであふれている。遠見夜)



僧「而告之言 汝等諦聴 如来秘密 神通之力 
一切世間 天人及 阿修羅 皆謂今釈迦牟尼佛
出釋氏宮 去伽耶城 不遠 座於道場 得阿・・」

(その間に焼香が始まり樒を一人ずつ棺に納めていきます。
蓋がされ釘打たれ棺は親族に担がれて庵を出ていきます。
僧と棺の後に皆が続き橋掛かりに消えていきます。
皆消えて遠見に赤い炎が上がります。トその時)

薫 父上ー!父上ー!
(鳥屋から発声し、橋掛かりから人出で)
人 薫様じゃー!

(薫、馬に乗り、父上ー!と叫びながら花道から橋掛かりへと消える)

                          幕  つなぎ

冥府2

役名
  薫
  源氏
  柏木
  紫上
  朱雀
  朧月夜

(暗転。スクリーンが降りてきて馬上の薫の影絵が映ります)

薫 父上ー!父上ー!

源氏 これはどうしたことか?身体がない。あの声は薫?
(影絵でうろたえる源氏の姿)

源氏 薫、薫、かおるー!寝取られし愚か者。それはわしじゃー!
 桐壷帝の二の前じゃ、情けない。いや、もっと悪い。むこうは
 孫じゃが、こっちは赤の他人じゃ。ああ情けない。寝取られし愚か者。
 それは・・・わしじゃー!柏木、柏木、柏木、
 にっくき柏木を呪い殺してやったぞ。

薫 父上ー!父上ー!
源氏 ああよく通る声じゃ。何が父上じゃ。父上は柏木じゃ。馬鹿者。
 お前が生まれたばかりの時にわしにそっくりだとぬかした乳母がおったが。
 大ばか者!わしはお前を抱く気もせなんだ、くそっ。

薫 父上ー!
源氏 うるさい!どこが薫じゃ。わしの香りと全然違うじゃないか。
 几帳面で冷静で、ふん、そんなのどこでもおるわ。匂宮のように
 女好きならわかるが、確かにわしはマメじゃった。女も最後まで面倒見る。
 これはまさにわしの実子夕霧じゃ。薫はわしの子ではない!

(トひゅーっと鋭い横笛の音が入り、柏木の影が現れ)

柏木 まあそうおっしゃらずに。
源氏 そういうお前は?
柏木 柏木です。その節は本当にお世話になりました。
源氏 ふん。

冥府3

柏木 私が蹴鞠の時から女三宮様を見染めていたことは、
 夕霧からお聞きでしょうに。
源氏 そんなことは知るわけないではないか。
柏木 格式だけで女三宮様を正妻になんて、
 もってのほかです!

源氏 それは朱雀院が、
柏木 断ればいいではないですか。紫の上様が
 おかわいそうでなりませんでした。
源氏 それはまあ。

柏木 若者を不幸に貶める悪鬼。
源氏 悪鬼?
柏木 本人には自覚がない。権力をかさにきた大六天の魔王。

源氏 なんと?
柏木 その犠牲になったのが、私柏木、女三宮、紫の上様。さらに。
源氏 もういい!自分を正当化するのはやめい!

(源氏の影がふっと大きくなります。それに負けまいと柏木の影も大きくなり、
ついに二体の影は天を覆うほどになりました。トその時天空に大声が響きます)

紫の上 何をしておいでですかお二人とも!
(二体の影はみるみる縮みます)

紫の上 なぜ殿方はそのように争われになるのですか!
(紫の上の影が現れ、二体の影はさらに縮みひれ伏します)

紫の上 女三宮のお輿入れが決まった時には、正直私紫の上は心の底から
 落胆しました。それはそうでしょう。私は源氏の正妻だと思ってましたからね。
 皆もそう思ってたと思います。ところがよく考えてみると正式な結婚の儀は
 しておりませぬ。ということは源氏が正室を迎えるということは万が一にも
 あり得ることだったのです。

(二体の影から冷や汗がしたたり落ちます)

冥府4

紫の上 ましてや子ができるなどとはもってのほか。
 私はその恐怖に何度も出家を試みましたが、源氏は
 私のこの苦しみなど気づきもしない。私を一人に
 しないでくれと泣きついてくる始末。

 情けないッたらありゃしない。結局私は死んじまったよ。
 ああ、もういや!男の無神経には虫唾が走る。
 二人とも、この冥府からはちょっとやそっとじゃ
 成仏できないようにしてやるから、覚悟をし!

(紫の上の影が大きな般若の影に変わる)
(ここで暗転し暗闇から声が聞こえてきます)

朱雀 おーい源氏?源氏はいないか?おーい。
源氏 どなたかな?源氏はここです。

(烏帽子、狩衣姿の影が二つ現れそれらしく動きよろしく)

朱雀 おお源氏か。わしじゃ。朱雀じゃ。
源氏 兄上、なぜまた冥府へ?
朱雀 なかなか成仏でけんのじゃ。娘のことが気になっての。
源氏 やはりそうですか。
朱雀 やはりとは?不幸なのか二人とも?
源氏 ええ、あまりお幸せではありませぬ。

朱雀 ああなげかわしい。そちに後見を兼ねて正室として
 嫁がせたのに。
源氏 それが不幸の始まりでした。
朱雀 なんと?
源氏 まさにこの縁談がすべての不幸の始まりだったのです。
朱雀 なんということを言うのだ、内親王だぞ。
源氏 それも障りになりました。

朱雀 幼いころからすべてに秀でたおぬしを差し置いてわしは
 帝を継いだ。お前を須磨に追いやったのちにわしは眼病に悩
 まされ飢饉、疫病、世は乱れ。夢枕に父帝が現れてこっぴどく
 怒られた。
源氏 そうでしたか。

朱雀 わしは生まれて初めて母君の意見に逆らって、おぬしを
 京へ呼び戻した。
源氏 誠にありがたき幸せ。

冥府5

朱雀 そのあとは存知よう。すべて順風満帆。一日も早く帝位を譲って
 出家したかった。わしは政治に向いとらん。おなごもじゃ。ただただ
 娘たちのことだけが気がかりで。

源氏 柏木が早死にしたのです。
朱雀 おお二の姫の婿殿。
源氏 そうです。一度の契りもなく。
朱雀 それはあまりにかわいそうじゃ。何ゆえ?

源氏 その原因が女三宮様。
朱雀 なんと、おぬしの正室にやったのに。
源氏 柏木に寝取られました。
朱雀 なんとおろかな。
源氏 しかもすぐに身ごもってしまったのです。
朱雀 ああ、なんたることじゃ。

源氏 三の姫君は私があまりに冷淡にするので兄上に泣いてすがって尼になられました。
朱雀 そうじゃ、急じゃった。そういうことがあったのか。
源氏 この秘密は夕霧にだけには打ち明けました。夕霧は柏木が死ぬとき、二の姫を
 よろしく頼むと言われたそうです。

朱雀 わしの二の姫を夕霧に。
源氏 今は夕霧の正室です。
朱雀 そうか、それはよかった。これでわしも成仏できる。最後の最後まで源氏すまぬ。

(暗闇から朱雀院の気配が消えていきかけます。そこに遠くから女の声が聞こえてきます)

朧月夜 朱雀院様。朱雀院様。
(殿二人の影に唐衣の影加わり)
朱雀源氏(同時に)朧月夜!

朧月夜 これはこれはお二人お揃いで。その節はいろいろとお騒がわせ
 いたしました。これからも院とともにあの世で幸せに寄り添ってまいり
 ますので、決してお邪魔なさらない様にお願いいたします。

(二人手を取り去る影。手を振りそれを見送る影)

                         第五幕 幕 つなぎ

第六幕宇治1

役名
   源氏
   柏木
   声
   囃子
   唄

(天空。雲浮かぶ。雲が他の屋台上空より吊り中央に浮かぶ。
雲の上。源氏と柏木が乗っている)

柏木 あれより十年の月日が流れ。源氏殿の御孫匂う宮、
 やんちゃ盛りでござりまする。
源氏 なんの柏木ソナタの息子、何度も言うがそなたの息子、
 薫は慎重に慎重に、できた息子よ、ふん。

柏木 私の血筋に似合わず仏道心の篤い。
源氏 今に見ておれ、薫が煩悩でのたうち回る姿を。
柏木 そうはさせませんよ私の子ですから。
(二人、下界を見下ろす)

源氏 ああっ、薫が宇治の姫君に一目ぼれ。今に化けの皮が剥がれるぞ。
柏木 いえいえ、薫は慎重ですからご安心を。あれ、あの乳母には見覚えが?
源氏 マメじゃなあ薫は。姫が目当てなのじゃ。

柏木 そんなことはありませんよ。俗聖の師八宮のために。
源氏 ふん、将を射んとすれば馬を射よ、というではないか。

〽 人里離れた山奥に
  ほう、そんなところに
  みめ麗しき姫二人、いたら
  いたら。ひょっとしたら、
  あるかもしれない。
  あるかもしれない、ふふふふふ。

柏木 匂う宮と薫が話をしておりますが。
源氏 二人の下心見え見えじゃ。もっとこううまくやれんもんかのう。
柏木 いやいや深入りは禁物。

源氏 まだまだ子供じゃ。じれったいのう。
柏木 薫は私に似て慎重なのでございます。
源氏 嘘をつけ、何が慎重じゃ。うぶな女三宮をかすみ取ったくせに。

宇治2

柏木 それはあんまりな。打ち捨てられていた姫の御心を
 満たして差し上げたのですよ。
源氏 ふん、ならば出家などするものか。

柏木 そもそもあなたとの縁談が無理だったのです。四十才もの
 歳の差婚なんて、もってのほか。ぶつぶつ。
源氏 ぶつぶつ言うな!

(二人下界を見下ろして)
源氏 それみたことか薫も男よ。はじめから大君が目当てじゃった。
 俗聖も何もあったもんじゃない。むっつりスケベじゃ。

柏木 なんということを。周りもすべて円満になるようにとの慈悲の
 表れですよ。
源氏 大君にてこずったのが失敗じゃな。力ずくでもよかったに
 柏木のように。な?

柏木 姫の誇りを守るためです。
源氏 慈悲が臆病な女のわがままに負けたのじゃ。女も男も悪い。人は変わ
 れる。が、変わるには勇気がいる。意気地なしが人を不幸にするのじゃ。

〽 人里離れた山奥に。山奥に。
  ほう、そんなところに。
  みめ麗しき姫二人 いたら

  いたら。ひょっとしたら
  あるかもしれない 
  あるかもしれない  ふふふふふ。

(二人、下界を見下ろして)

源氏 なんという情けない匂う宮。私の孫ともあろうものが薫に頼んでおるわ。
柏木 いやいや宮様ともなると自由がききませぬ、あなたの時のようには。
 女たらしですね、うまいこと言って、匂う宮様は。

源氏 薫も薫じゃ、得意げに恩を売ろうとしている。あさましい心根じゃ。
柏木 根が優しいから心配りをしているのですよ。

源氏 そうかな?あ、それ見たことか。中の君への美人局(つつもたせ)
 なれば大君我がもとへ。ああなんというあさましさ。
柏木 申し訳ありませぬ。これが原因で大君は死の床へ着かれました。

宇治3

源氏 結局女を死なせてしもうた。悪いやっちゃ薫は。それに引き換え
 孫のほうはお調子者の尻軽で。それでも中の君を京へ引き取りよった。

〽 忘れられぬは おおいきみ
  生き写しの浮舟に
  よくぞ生きておられたと
  心は急きて 宇治の山荘
  今度は奪い取られまい
  早々契り 隠れ住む

源氏 薫、今度は失敗せぬようにと、早々と浮舟を宇治に囲いよった。
柏木 どういうわけか匂う宮様はかぎつけて。
源氏 まさか?またか?
柏木 そう。寝取られましてござりまする。

源氏 ああ、無常。どうする柏木?
柏木 ええ、罪作りなあなたの血筋であられまする。
源氏 ようやるなあ匂う宮は。昔のわしでもそこまではようせぬ。
柏木 東宮におなりかというお立場であられるのに。

〽 あはれ浮舟 あはれ浮舟
  あはれ浮舟 あはれ浮舟

〽 橘の 小島の色は 変わらじを
  この浮舟ぞ ゆくへ知られぬ

〽 あはれ浮舟 あはれ浮舟
  あはれ浮舟 あはれ浮舟

(唄 遠のき消えていく)

柏木 とうとう浮舟様は宇治川に身をお投げになりました。
源氏 あほじゃこいつら!大ばか者たちじゃー!

(急に暗転。大声がとどろきます)
声 所が浮舟は生きていたー!

                      第六幕 幕 つなぎ

第七幕浮舟1

役名
   浮舟
   老尼
   若尼
   若者
   僧都
   小僧

(本舞台三間の間。二重屋台。畳の間二間。箪笥、仏壇、衝立。
居間、ちゃぶ台、上がり石。火打ち窓、土間連子窓。茅葺屋根。
入り口戸、格子窓。
尼寺風装いよろしく。
山遠見、手前草茂く
石灯篭等道具収まる。
老尼と浮舟が読経している。
庭掃く若尼1人。)

老尼と浮舟 然我實成佛以来 久遠若斯 但以方便 教化衆生
令入仏道 作如是説 諸善男子 如来所演経典 皆為度脱衆生
或説己身 或説侘身 或示己身・・・・・

(遠くで鐘の音)
老尼 (鈴を打ち、礼)お勤めご苦労様。お茶にしましょうぞ。

(若尼入り来たり、お茶の用意こなし。
三人居間にてお茶を飲む)

老尼 まだ記憶は戻らぬかな?
浮舟 まだおぼろげにしか・・・・・。
老尼 なくした娘の身代わりに、初瀬の観音様からのお預かり、
 尼にしてくれと言うばかり、いかなる秘密があるのやら。

(ト入り口に狩衣姿の若者来たりて)
若者 なにとぞこの文を姫へ。

(若尼、受け取り老尼へ手渡す)
老尼 亡き娘の婿殿じゃ。ようしてくれる。(ト文を開き浮舟を見やる)
 何か返事を渡さねば、礼を失することになりまする。

(浮舟ゆるりと身をずらし)
浮舟 まだなにも。やっと手習いはじめしところ・・・。
老尼 まあ無理もなかろうて。

(ト立ち上がり入口戸へ)
老尼 いつも心遣いありがとう存じます。姫はあの通り病未だ言えず、
 気長にお付き合いくだされ。

(若者、礼して去る)
老尼 (ため息)少しは回復したとはいえ、まだまだじゃ。
(ト仏間で旅支度を整え居間へ)
老尼 では初瀬に行ってまいる。
(ト老尼出ていく)

浮舟2

(浮舟、仏間に戻り拝む。若尼、庭を掃きつづける。
ト僧都と小僧が現れる)

僧都 ああ疲れた。すこし休もう。妹尼は?
若尼 初瀬にお参りに行かれました。

(そこに浮舟急ぎ現れ)
浮舟 僧都様折り入ってお頼みがございます。

(僧都、驚き。居ずまいを正して)
僧都 どうしたことか浮舟殿?

浮舟 今すぐ落飾をお願いいたします。
(ト気色ばむ。僧都慌てこなし)

僧都 そうは言うても今から中宮のところへ行かねばならぬ。
 その帰りではいかんかな?妹尼もおらんことやしな。

浮舟 なりませぬ!老尼のおられぬ今でなければなりませぬ。
 後生ですから、なにとぞ落飾を。

(僧都、圧倒され、しばしとまどい、意を決して)
僧都 ならば今すぐ。

(袈裟を浮舟にかけ、衝立に髪を預けます。小僧が三宝に
鋏を載せてきます。僧都は鋏を受け取り浮舟三宝を支えます。
小僧が若尼から鈴を受け取り7つ打ちます)

僧都と小僧 爾時佛告 大菩薩衆 諸善男子 今當分明
 宣語汝等 是諸世界 若着微塵 及不着者 儘以為塵
 一塵一劫 我成仏已來 ・・・・・。

(僧都、読経しながら浮舟の髪を切ります。かなり難渋しながら
やっと切りそろえます)
 ・・・・・得入無上道 即成就佛身。

(浮舟三宝に髪を支えたもち、小僧が鈴を打ち全員三拝し受戒終わる)

僧都 ああいそがし。急ぎ宮中へ参る。あときれいに切りそろえるべし。
 ではごめん。

(僧都と小僧急ぎ出ていく。若尼がきれいに切りそろえています。ト
そこに老尼が帰ってきて浮舟を見、驚き慌てとまどい思い入れこなし)

老尼 よよよ、これはどうしたこと?
浮舟 (慌てひれ伏し)どうしても出家を。この思い入れ片時もたがわず。
 今この時と僧都様にお願い申し上げました。

(ト泣き伏す。老尼怒り去りあはれ催す。よよよと駆けより髪を撫で)
老尼 死をも覚悟しこの宇治川に、身をば投げ入れどうしたことか、
 生きながらえて、ええいままよ。出家なさるはこの世の定め、
 何人たりとも、せんなきことよの。

(トともに泣き伏す)

                     第七幕 幕 つなぎ

浮舟3最終回

役名 
   老尼
   浮舟
   若尼
   薫   
   小君

(本舞台三間の間は第七幕と同じ。老尼と浮舟が読経している。
庭に若尼。花道に馬。馬上に薫。小君馬引く)

古尼と浮舟 而告之言 汝等諦聴 如来秘密 神通之力
一切世間 天人及 阿修羅 皆謂 今釈迦牟尼仏 出釋氏宮
去伽耶城 不遠 座於道場 得阿・・・・・。

(馬入口戸に着く。馬上の薫、文を小君に手渡す。小君、中には入る。
若尼、老尼に来訪を告げます。老尼いで来たり)

小君 この文は直に手渡すようにと言われました。
(ト文をかざします。老尼、文を受け取るや小君をまじまじと見やり)

老尼 まあ、これはそっくり生き写し。はいはい、あなた様のお尋ねの方は、
 この奥におられますよ。

(ト奥に目をやる。おくから衝立の影、ちらりと浮舟が顔を出します。
扇で顔を隠し、またちらりと目をやります。小君、顔を覗こうと
左右に動きます)

小君 お姉さまでらっしゃいますか?(左右に窺い)
 お姉さまですよね?  

(浮舟、見つめる目にいっぱいの涙をたたえて首を振り)

浮舟 お人違いでございましょう。遠い昔に、

(浮舟、扇を下げて開き直り、小君、後すざり)
浮舟 そのようなことがあったような気もしますが、
   今では全く何一つ、思い出しは致しませぬ!

(小君、文をかざしたまま後すざる)
浮舟 どうかご主人様にも、そのようにお伝えを!
 このお手紙は、受け取るわけには、参りませぬ!

                        拍子   幕 

歌舞伎脚本 老いたる源氏

歌舞伎脚本 老いたる源氏

出家した光源氏の物語です。嵯峨野に庵を結んだ老いたる源氏のもとへ 息子たちが訪ねて来て昔語りをします。まず冷泉院、次に玉鬘、 明石の中宮、最後に夕霧。そののち体調が急変してついに源氏は 安らかに臨終を迎えますが薫の声を聞くなりすさまじい形相に変化し 老いたる源氏は怨霊となって孫の匂宮に取り付きます。怨霊は薫と匂宮 との恋の対決に最後まで付きまといます。 今回初めて、小説「老いたる源氏」を歌舞伎の脚本にしてみました。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-14

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第一幕 冷泉院1
  2. 第一幕 冷泉院2
  3. 第一幕冷泉院3
  4. 冷泉院4
  5. 冷泉院5
  6. 冷泉院6
  7. 冷泉7
  8. 第二幕 玉鬘1
  9. 玉鬘2
  10. 玉鬘3
  11. 玉鬘4
  12. 玉鬘5
  13. 第三幕明石の中宮1
  14. 明石の中宮2
  15. 明石の中宮3
  16. 明石の中宮4
  17. 第四幕夕霧1
  18. 夕霧2
  19. 夕霧3
  20. 夕霧4
  21. 夕霧5
  22. 第五幕冥府1
  23. 冥府2
  24. 冥府3
  25. 冥府4
  26. 冥府5
  27. 第六幕宇治1
  28. 宇治2
  29. 宇治3
  30. 第七幕浮舟1
  31. 浮舟2
  32. 浮舟3最終回