ハロー、ハロー

 ――・・・あ・・―・・・ああ、あ―

 ハロー?
 ハロー?

 聞こえているの?聞こえているなら返事をして頂戴な。

 ――ふふ、つれないのね。
 まあいいわ。それなら私がひとりでしゃべっているから。『あなた』はただ聞いていて頂戴、気が向いたら返事をしてもいいのだけれど。
 さて、何の話をしようかしら。
 そうね――生命(いのち)の話にしましょうか。
 『こんな時』に、って? ふふ、わかっていないわね、こんな時だからよ。


   ◇◇◇


 ねえ、『あなた』は生きているかしら。もちろんイエス、自明よ。『あなた』も私も生きている。じゃあ私は何をもってして『生きて』いるの? 『あなた』はどういった要件が満たされれば『生きて』いて、どうなれば『死んで』いるのかしら?
 難しい問題だわ。とても、とても。紀元前から人間はこれについて考えてきたけど、未だに確固とした答えはないのだもの。未だ誰もたどり着いたことのない世界。誰しもが考えるけれど誰もたどり着かない。
 『生きて』いるとは、いったいどういうことなの?

 ――心臓が動いている?
 まあ、一つの答えとしては、アリよね。とても無様な答えだけれど。
 じゃあ逆に聞くけれど、心臓が動いていれば必ず『生きて』いるの?
 今の医療ではね、心臓を動かし続けることは不可能ではないのよ。たとえ意識がなくなってもチューブさえつなげば心臓は動き続けるし、体の他の臓器の機能だって機械をもって代替することができる。確かに血液が循環する限り細胞は生き続けるわ。
 でも、どう? ヒトとして――総体として捉えた時に、チューブに繋がれて生きながらえさせられている人を生きていると呼べるかしら。意識はなく、応答もない。外界からのインプットも、外界へのアウトプットも、ね。抓ったっていたがらない――だって痛がる主体がないのですもの。
 どう? これでも『生きて』いるの?
 私の答えは『否』よ。主体を失ったとき人はすでに死んでいるわ。

 じゃあ――人に忘れられたとき?
 ふふ、答えとしては嫌いじゃないわ。ドラマか映画に出てきそうなセリフでしびれちゃうわね。
 先程の、心臓の停止はいわば『生物学的な死』、ね。常人が常人の感覚で感じ取る『死』の多くは『生物としての死』にカテゴリされるわ。
 それに対してこれは『社会的な死』。言い換えるなら、生物としてではなく『ヒトとしての死』。
 さて、これらの大きな違いは何かしらね?
 簡単よ――『生きる』ことをどう定義するか。

 前者の定義では、『生きる』ことは生命個体として機能すること。これについては説明がややこしくなってしまうのだけれど――そうね、ポールワイスの思考実験を知っているかしら?
 ここに試験管が二本あって、両方にネズミが入っている。全く同じ体重、同じ表現型としましょう――まあ、双子みたいなものね。その片方を、ネズミさんには申し訳ないけれどぐちゃぐちゃにすり潰す。もちろん、実際にそんなことはしないわ。あくまで思考実験だもの。そうして出来上がった二本の試験管、一本にはネズミが、もう一本にはネズミだったものが入っている。
 さて、ここでポールワイスさんは考えたのよ。
 両者の違いはなんだろう――もっと言うなら、ネズミにはあってネズミをすりつぶしたあとには消えてしまっているものはなんだろう? その消えてしまったものこそが生命の正体なんじゃないかってね。
わかるかしら?
 ちなみに私の答えは『形態』よ。ネズミさんには形があるけど、すり潰してしまったらその形が失われて液体になってしまうもの。液体を、生命とは呼べないわ。
 ポールワイスさんの答えもこれに近いの。彼の唱えたのは、『有機的編制』。言い換えてしまうのなら、生命の構成単位である細胞の一つ一つが有機的に連動して、生命としての機能を持つこと。細胞と細胞、臓器と臓器、それらが複雑に、だけれど体系的に絡み合いシステムを構築する――その系(システム)こそが生命であると。
 なかなか面白いでしょう? ちなみに私の『形態』という答えも有機的編制のひとつだと思うわ。形があって生命は個体として機能しているわけだもの。心臓と小腸と肝臓とがしっちゃかめっちゃかになっていたら、とても生命機能を維持できるとは思わないわ。
 つまり、生命の本質は有機的編制であって、それが失われる瞬間が『死んで』しまうということである。前者の定義はこうね。

 じゃあ次よ。『社会的な死』について。
 人は誰かや何かに影響され、同時に誰かや何かに影響し続けている限りその人は存在として『生きて』いる。社会を構成する微々たる因子としても存在できなくなった時、例えば十分に時が経って皆がその人のことを忘れてしまったとき、その人は存在として『死んで』いるということになるのかしら。
 この理屈だと、たいていの人が生物として死んだあとも『生きて』いることになるわね。
 そうね――幽霊なんかがわかりやすい例じゃないかしら。死してなお人格を持ち、時としては生前の記憶を持ち、私たちの思想や行動に影響を与え続ける。『生きて』いるのよ、彼らは。

 ヒトは二回死んでしまうの。
 一度目は『生物』として死ぬ。そして二度目は『ヒト』として死ぬの。もちろん言葉の綾よ、普通『死んで』しまうという言葉は前者を指して使われる言葉で、後者は比喩的に『死んで』しまうと言っているのだから。でもさっき言った『死』の二つの定義は背反するものでもなんでもない――それらは必ず起こるのよ、ヒトならば必ず、ね。
 これらをうまく説明するのが、ヒトしか持たないもの――『魂』よ。
 人間は『肉体』と『魂』の二つから構成される。今でもこう信じられているわ。そして生物として死んだときヒトは『魂』を失う、けれどそれは消失ではない。『肉体』から『魂』が解離する。そして『肉体』は朽ちるけど『魂』はそのまま在り続ける。
 この考えは比較的受け入れられたんじゃないかしら。現に『魂』や精神を朽ち果てぬものとして高尚に扱う習慣はいろいろなところに残っているものよ。

 では何故ヒトは『魂』という概念を必要としたのか――表現がおかしいって? ふふ、これでいいのよ。『魂』はヒトの強い需要によって後天的に誕生した概念なの。最初からそこにあったわけでなく、むしろたった今この瞬間にすらここにはないのよ。だってそうでしょう、『魂』とは概念だもの。
 『魂』はね、ヒトが永遠に生きるために必要なのよ。
 ヒトは死にたくないの。いつまでも、いつまでも。


   ◇◇◇


 スピーカーの奥からその女が聞こえた時、私は体の芯が震える思いだった。

 私は重い腰をあげ銃底(スライド)をひく。快活な金属音とともに薬莢が飛び出して地面を転がる。それを軽く蹴り上げると不規則に金属音が反響する。
スピーカーからは、依然として懐かしい声がした。

 こんなところで死ぬ訳にはいかないのだ――。
 私はそんな思いを強くするのだった。


   ◇◇◇


 そもそも、死という概念は多くの生物にあるわけではないわ。ゾウなんかが仲間の死を理解して悲しむというのは有名な話だけれど、彼らもきっと『死んで』しまうことがどういうことかを理解はしていないでしょうね。
 彼らには理解する必要がないんだもの。理解しなくても必ずそれは来るから。
 ヒトだけが死を理解しようとした。
 必然的にいつか来たる『何か』として死を納得するのではなく、『死んで』しまうことにも何らかの理由が有り何かの過程であるというふうに理解しようとしたの。なぜかって?
 ヒトだけが死を恐れるから。
 生物は、あくまでその個体だけに注目すればという話だけれど、生物は無から生まれるわ。0から1になるの。そして死ぬということはまた無に戻ること、つまり1が0に戻るだけの話よ。ね。
 だけどヒトはそう思っていない。死ぬことは0への回帰ではなく、0でも1でもない新たなものへ移行する一つのステップないし儀式として扱われることが多いの。だってそうでしょう、死んでしまって0になるとしたら、それこそ文字通りその人の人生が無に帰ることになる。そうしたら『あなた』や私はいったい何のために『生きて』いるというの?
 違うのよ。この世界では死んでもその人の人格は後世に残る。
 死してなお『魂』だけは生きながらえ続ける。
 そう考えることで人は『死』を克服しようとしてきた――。突然の断絶、という理解から最も離れたところにある事象を、こうやって解釈したの。理解したのではなく――理解した、ということにしてしまったのよ。そして今度はその解釈だけが独り歩きし始めた。例えば宗教という形で。宗教があれだけ浸透したのはね、きっとだれかの教えだけが『死』に理由を与えてくれるからなの。
 そしてヒトは『魂』の存在を信じた。
 肉体の消滅後も、何らかの形で『魂』が残ると信じた。

  『生物』としての死、『ヒト』としての死、実は二つの『死』での『魂』の扱いについて決定的に違う部分があるのよ。
 すなわち、誰が『魂』を担うか。
 前者は『自分』よ、疑いようもなく、ね。
 そして後者は『誰か』なの。『誰か』が私の『魂』を構築するのよ。私の人格は、記憶は、経験は、歴史は、私の『魂』は『誰か』の中で在り続けるのよ。そしてその誰かが『生きて』いる限り私は『生きて』居続ける。
 わかるかしら。ヒトが永遠に『生きて』いるためのロジック。
 『生きる』ことの終わりは命が尽きることではないのよ。

 そして、ヒトだけが死を恐れる――私はそう言ったけれど、もっと別の言葉で言い換えるなら。

 ヒトは『忘れられること』を恐れるのよ――。
 私が『生きて』いるというのはね、つまるところ生物として『生きて』いる状態のことをさすわ。その間私は私が『生きて』いるということを知覚して私の『魂』は私のものであり続ける。私の心臓が止まった時、私の『魂』はあなた達のものになるんだから。私の『魂』は私のものでなくなる。そして私はあなた達の魂の中で『生きて』い続ける、ってね。あなただって一緒よ、あなたが死んだ時あなたの魂は私たちのものになるのよ、ふふ。
 ヒトは一人では『生きて』いけない弱い生き物よ。でもそうやって社会を形成して誰かと関わり続けることで、他人の中に自分の魂を形成するの。
 ヒトは生来に公を持つと言うわ。モラル、とでも言い換えましょうか。ヒトは生まれながらにして他人と関わりあう性質を持っているの。何故か――今のあなたならわかるでしょう・・・・・・?
 ヒトは一人ではいられないの。忘れられたくないから。誰かの魂の中で生き続けていたいから。

 ヒトと関われなくなった時――人は死んでしまうのよ。

 ヒトはただの生物ではなくなってしまった。死を恐れて魂を仮定した段階で他の生物とは一線を画してしまったの。あなたには自惚れに聞こえるかしら?
 断言するわ。魂を持つのは地球上の数多の種の中でヒトだけよ。そして、だからこそ、ヒトは二回死ぬの。
 魂はヒトがヒトのために作った概念だから。人格、記憶、性質、諸々の私が私たる、あなたがあなたたる要素を仮定してその概念が朽ちぬように『魂』という名前をつけたの。わかる? 肉体が朽ちてしまっても、私が私たる『魂』が存在するとしたなら、私は結果的に在り続けるの。そしてその時には私が生きているのか否かは私にはわからないのよ――だってその時にはすでに私は知覚出来ないから。私が知らない間にも私が私で在り続ける、これがロジックよ。
 自然界に魂は存在しない。
 魂は実在しない。
 当たり前よ――魂は私たちの頭の中にしか無いのだから。


   ◇◇◇


 懐かしい声だ、と私はただ単純に思うだけであった。この異様な光景に違和感を覚えるには私の心は麻痺しすぎている。
 何らかの衝撃で地面に無造作に転がったそのスピーカーの横では、先程までヒトだったモノがぐったりと横たわっている。私はその骸の上を越えてスピーカーへと近づいていく。青臭い理論を振りかざすその声に、私は思わず笑ってしまった。
 ちょうどその時だった。
 骸がその手をぴくりと動かした。


   ◇◇◇


 ちょっと話を変えましょうか。『生』だとか『死』だとかそんな議論の前にあるもっと根底の話よ。
 『生物』――何回も出てきたけれど――『生物』とは何でしょうね?
 動物? 植物? いいや、そんな単語ではちっとも足りないわ。ただ、いくら言葉を紡いだからといって定義できるようなものではないかもしれないけれどね。

 かつて生物の定義はこうであったわ――すなわち、『複製するもの』である。
 人をはじめ多くの動物は有性生殖によりその個体を増やす。植物だってそう。それよりももっと小さい大腸菌とかは、無性生殖――自己が分裂することによってその個体数を増やすの。そう考えるとなかなか合理的な定義じゃない? 実際にこの定義は多くの人々が信奉したわ。
 生物とはすなわち遺伝子を複製し、その個体を増殖するもの。
 でもね、あるものの出現がそれを大きく変えたの。ウイルスと、プリオンよ。
 ウイルスという単語は多くの人が耳にしたことがあるかもしれないけれど、ではその正体がなんであるか説明できるかしら。ふふ、なかなか難しいと思うわよ。ウイルスというのはね、タンパク質のカラに覆われていて、なかに小さな遺伝子を持つの。――それだけ、って? ええ、それだけよ。それだけの構造なのに人や多くの動物に感染し多くを苦しめる。
 じゃあプリオンは? こっちはなかなか生物学に明るい人じゃないと聞いたことすらないのかもね。
 あなたは狂牛病という病気を聞いたことがあるかしら。そう、あの有名な狂牛病よ。プリオンというのはね、まあ細かいことを一切無視してしまえばその狂牛病の原因となる感染物質よ――といっても、ただのタンパク質なのだけれどね。
 さて、質問。この二つに共通することはなんでしょう?

 ・・・・・・『複製』するのよ。
 ウイルスも、プリオンも。『魂』なんかとは最もかけ離れたただの物質だけれどね。彼らは宿主に感染してその個体数を増やす、『複製するもの』なのよ。
 では聞くわ、『あなた』。
 これらは『生物』かしら――?
 多くの人が、首を横に振るでしょうね、きっと。『あなた』もそうでしょう? 私もそうだわ。

 同様に多くの学者が頭を抱えたわ。でもその理由は『あなた』とか私とは違う。彼らが考えたのは――どうすればこの2種を含めない包括的な『生物』の定義ができるだろう、って。ふふ。おかしいと思うでしょう。まるでこの2つがはじめから生物でないと決まっていたようね。
 でもそのとおりよ。これらは最初から『生物』なんかじゃないの。確かに複製を行い増殖するけれど、これらはモノなのよ。あくまでね。
 生物とは自己を複製するものである――それだけではなかったの。
 ヒトは何が『生物』なのか知っている。『生物』と『物質』の境目がどこにあるのかを知っているわ。あえて言語化し定義しようとするからややこしいことになってしまうだけ。ヒトは本質的に何が『生物』か、どうあれば『生きて』いるかを知っているの。

 ねえ『あなた』――。
 ここまで聞いている『あなた』。
 全てから隔離されてただ身を潜めて息をしているだけの『あなた』。
 万策を駆使して危機的状況を打ち破らんとする『あなた』。
 どこかに逃げれば生存の道があると期待に胸を膨らませる『あなた』。
 いつかこの悲劇が終わるだろうと信じるしかない『あなた』。
 地下室に身をひそめる『あなた』、縦横無尽に逃げ惑う『あなた』、銃火器に身を包み打倒せんとする『あなた』――あるいは、今この瞬間にもすべてが終わってしまいそうな『あなた』。

 この放送を聞いているすべての『人間』。『物質』でなく、ただの『生物』だけでもなく、未だ『人間』として在り続ける『あなた』。『生きて』いる『あなた』。
 外を覗いてご覧なさいな。
 『あなた』の目には果たして何が映るのかしらね?

 有り体に言って――私にはこの言葉しか思い浮かばないわ。
 ふふ。
 
 地獄よ。


   ◇◇◇


 ヒトは『生物』が何かを生まれながらに知っている。そしてその感性で、私の中の人間的な部分で判断するとね――やはり『彼ら』は生物ではないのよ。
 彼らは『行動する』。
 彼らは『増殖する』。
 彼らは『反応する』。
 けれどね、彼らは決して生命ではない――なおさら、人でもないわ。『死んで』いるのではないかもしれない、それこそ機能形態的にね。けれども間違いなく『生きて』はいない。
 彼らは『生物ならざるもの』よ。
 彼らは生きた人間を喰らい、増殖する。1が2、2が4、4が8というふうにね、ねずみ算的に増えていくの。ここら一体はもう一日で彼らの巣窟になったわ。生きている人間は――それこそ私ぐらいじゃないかしら。

 元はヒト――でも彼らは人間ではない。

 ヒトの形をした何かが動いているようにしか、私には見えない。確かに外観は完全にヒトの形をしているのに、生物がもたない何かを持っている。逆に言えば、生物が当たり前に持っているであろう何かが、彼らには決定的に足りない。それを言語化するのは――残念ながら私には不可能らしいけれどね。

 けれどもその『生物ならざるもの』が、今や外の世界を跋扈(ばっこ)している。生物を押しのけて、彼らが彼らの世界を築きあげようとしている。
 まさに、地獄と呼ぶにふさわしいじゃないの。
 地獄の中に迷い込んでしまったみたい――いやもしかしたら、本当に迷い込んでしまったのかもね。もう私はとっくに死んでしまったりして。ふふ。

 ・・・・・・。
 ・・・・・・否。
 私はまだ死んでなどいないわ。絶対に。
 だって私も今もこうして意志を持っているから。人間であり続けたいと、生きてい続けたいとそう思っているから。
 私にはまだ『主体』がある。
 私にはまだ『魂』が残っている。

 こうしてこの通信基地に逃げ込んできたのも、何かの縁かもしれないわ。武器もあるし、食料もある。残念ながら一緒に逃げてきたみんなはもう元の姿を残してはいないけれどね。
 母だったモノは、今私の後ろに転がっている。もう手遅れだったから――彼らと同じになってしまう前に、私が殺したわ。
 辛くなかったといえば嘘になってしまうけれど、それでも人間でなくなってしまった彼女を見るよりは数億倍マシだったわ。
 
 ・・・・・・。

 ふふ。なんとなく――ただ本当になんとなくこの通信を始めたのだけれど、今やっとその理由がわかったような気がするわ。
 私はきっと、『死んで』しまうのが怖かったのね。
 そして忘れられてしまうのが怖かった。誰かにつながればいいと思った。
 こうやって必死に生にしがみついていることが――全てがただ無駄になってしまうような、きっとそうではないのだろうけれど、でもそう感じてしまっているのも事実かもしれない。

 ねえ。
 この通信を聞いている『あなた』。
 どれだけの人間が聞いているのかわかったものではないけれどね。
 それでもきっと誰かが聞いていると信じて。

 もうここも長くはもたないわ。すぐそこまで彼らが来ているもの――ちょうどそこのドアの後ろまで、ね。
 でもね、残念なことに諦める気は微塵もないの。
 私は最後まで戦う。幸いにもここにはたくさんの武器がある。さっき拾ったのだけれど、使えるのかしらね、この手榴弾は。
 いつ死んでしまったっておかしくない、けれど。
 きっと誰かの記憶に、私の『魂』が残り続けると信じて。
 それだけで私は勇気をもらえる。

 ふふ、そろそろバリケードも限界かしら。
 では最後に。
 この通信を聞いている全ての人間に。私の言葉を聞いている全ての人間に。

 私はまだ『生きて』いる。
 つい一週間前まで当たり前だと思っていたそれは、実のところ、とんでもない奇跡的な確率の上に成り立っているかもしれなくて。そしてそれはいとも簡単に奪い取られる。私はそれをこの一週間で実感したわ。
 それでも、私はまだ『生きて』いる。
 何度死ぬと思ったかわからないけれど、それでも私は『生きて』いる。もしかしたら存外に、奇跡というのは続くのかもしれないわね。
 『あなた』がどうするか。それは『あなた』の自由だわ。

 でもね、私は最後まで足掻き続ける道を選ぶ。
 私は死ぬまで生き続ける。
 抵抗し続ける。
 最後まで、意志を持ったただ一人であり続ける。
 だから私のことを――少なくとも私が生きていたことを、私の存在証明を、今ここでする。どれだけ確率が低かろうと、たとえいずれ滅ぶ運命だとしても。

 それでも私は『生きて』いる。

 ふふ。
 この先も生き延びることができれば、どこかで会うかもしれないわね。

 ――通信終了(オーバー)。


   ◇◇◇


「はぁ――はぁ・・・・・・」
 今にもジタバタと暴れ出しそうな『生物ならざるもの』の両手を必死に押さえつける。信じられないほどの力で私の力を振り切ろうとしたかと思うと、今度は十秒ほど動作を止める。彼らは動き続けることが苦手であるようだ――この4年で私が身につけた「生きる」ための知恵の一つだ。
 動作を止めた瞬間、私はバックパックからネイルガンを取り出しすかさず彼の頚椎に当て、引き金を躊躇わずに引く。これで彼らが動けなくなることを私は知っていた。ガシュッという機械音のあと彼は大きく跳ね上がり、そして永遠にその動きを止める。
 ふう、と私は安堵に息を漏らす。ここでようやく初めてひと息を付くことが許されるのだ。私は血だまりをよけて木張りの床に腰を下ろす。

 不思議なことに、そして幸いなことに、もしかしたら残念ながら、私はまだ『生きて』いる。死んでしまったほうがどれだけ楽だっただろうか――今でもそう考える。あの時目をつむって放り投げた手榴弾が彼らを八つ裂きにしていなければ、あるいは私は死ぬことが出来たのに。
 だが私はまだ生にしがみついている。
 醜くも、苦しくも、もがきながら『生きて』いる。『生きて』いつづける。
 私の右足のあったその場所では、今はチタンの細い棒がその機能を代替している。右手の小指は随分前に彼らに食いちぎられて以来そのままだ。今でも視界の左半分に光が灯ることはない。
 私の身体は、今やとても不完全だ。人としてのあるべき形を何割も逸脱している。
 あの頃の私は、今こうなると知っていても生きることを選ぶだろうか。今の私にはわからない。今の私はあの頃の私ではもうなく、そしてあの頃の私は今の私ではない。
 
 4年でいろいろなものを見てきた。母の息の根をこの手で止めてから、多くの死を看取ってきたし、彼らのこともたくさん殺してきた。
 そして環境が私を大きく変えた。
 私の心はだんだんと麻痺していった。何も思わない。何も感じない。もう引き金を引くことに何の抵抗もなくなった。私の人生はただ『生きる』ための作業になり、そしてその目的のために最適化されていった。

 幼き彼女に言わせれば、きっと、私だって『死んで』行ったのだ。
 私の魂だって緩やかに『死んで』いった。
 ただ生きるために『生きる』――その点では、私と彼らとのあいだに相違はない。

 ふふ。
 そんなことを考えていると、思わず笑みがこぼれた。なんて青臭いのだろうと。なんて幼稚なのだろうと。
 けれども幼き彼女はなんてたくましいのだろうと。

 若さとはなんて横暴で、無知で、盲目で、そしてどうしてここまで力強いのか。
 彼女が望んだ私に、私はなれているのだろうか。
 今の私は、幼き彼女に誇れるのか。私には断言できない。でもそれは、これから決まるのだ。それを決めるのは未来の自分だ。
 今日、ここで、幼き彼女と対面できたのも何かの縁だろう。彼女の決断が、生への執着が、やがて誰かの魂に残りそして今日の私に伝えた。私は彼女の決断を無にしてはならない。彼女に誇れる生き方をしなければならない。これからもずっと『生きて』行かなければならない。生物としてではなく、ヒトとして。人間として。意志を持った一人として。
 私が選んだ道が間違いでなかったと、証明するのはほかでもない、私だ。
 未来はどうなるかわからない。

 それでも私は『生きて』いる。
 そしてこれからも、私は『生きて』いく。

ハロー、ハロー

最後までお読みいただきありがとうございました。
久々の投稿になります。リハビリがてら掌編を・・・と思っていたらいつの間にか1万字くらいになっていました。物書きって難しいですね。
お次の作品もお読みいただければ幸いです。

ハロー、ハロー

通信機の奥から聞こえる女の声。やがて女は口を開く。「――生命(いのち)の話をしましょうか」

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted