秘密の想い出 ~サエコの場合~

もし、人生を再度体験できるとしたら?
あなたは、何を感じるでしょう。
この物語は、そんなお話です。

連載1 #1プロローグ #2失意

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【3稿】20140321(連載1)
【初稿】20140320(連載1)


~プロローグ~

 日曜日の朝早く、ベットから飛び起きると、クシャクシャの髪の毛を気にすることもなく、私はゲーム機の電源を入れた。
 華やかなプリンセスティアラのオープニングタイトルとテーマ曲が流れると、ドキドキ胸がときめく。私は、小さな手でコントローラをギュッと握りしめた。

「サエコ、おまえ、こんな朝からゲームやってるのかい?」
「うん! このゲームすごいんだよ! お姫さまも剣をもって戦うんだ!」
 私は、興奮しながらパパに話をした。
「お姫さま? お姫様は、剣で戦ったりしないよ」
「だって、ほんとだもん! あ、やられちゃった!」
 私は何の躊躇もしないでリセットボタンを押し、直前にセーブしていたところからゲームを再開した。
「なんだ、一度でもやられちゃったら、すぐにやり直すのかい?」
「だって、ココでやられちゃったら、ライフが減っちゃうもん!」
 私が説明すると、パパは必ず、首を横に振る。
「いいか、サエコ、現実はリセットボタンなんてものはないんだぞ、それに途中でセーブもできないんだ、だから、しっかり自分で正しく素早く判断しなくてはダメだよ」
 これがパパの口癖だった。

 また、家族でレストランに行ったときもそうだった。
 華やかな写真いっぱいのメニューから自分の食べたいものを選んでいると、パパが尋ねてくる。
「サエコは、何にするんだい?」
 私は、食べ物には好き嫌いがない子供だったので、おいしそうな料理を選ぶのに人一倍時間がかかった。
「うーん、ハンバーグ……かな、やっぱりカレーもいいし……、でもでも……」
 私が迷ってしばらくすると、パパのカウントダウンがはじまる。
「10、9、8、7……」
 このカウントダウンがはじまったら、時間内にメニューを選らびきらないと、パパがおすすめメニューを決めてしまう。
「えっとぉ、えっとぉ、じゃ……」
 その度に焦ってしまう。
 いつだったか、美味しそうなナポリタンスパゲティを選ぶつもりが、すぐ横にあるザルソバを指差してしまったことがあった。パパがメニューを片付けると私は悲しくなって泣きべそをかいていたが、パパは笑いながら、ちゃんとナポリタンスパゲティを注文してくれたことがあった。
「いいかい、サエコ、何事も判断はすばやく的確にやらないとダメだぞ」
 と、ここでもパパの口癖が登場するのだった。

(自分の置かれた状況を察知し、自分で正しいと思うことを素早く判断し行動すること)

 私は小さな頭で、一生懸命考えた。そしてついに発見したのだ。
 それは、朝のテレビで流れる「今日の占い」を参考にすればいいということだった。
 なにしろ、本日のラッキーカラー、ナンバー、フード、プレイス、スポーツ……を紹介してくれているのだから、何か迷ったらこれで判断すれば、ラッキー間違いなしというわけだ。
 また、誕生日プレゼントや、サンタさんにお願いするクリスマスプレゼントについても、事前に「ほしいものリスト」を作ってみた。こうしておけば、いつでも自分が欲しいものをアレコレと迷わず伝えられるし、「なんでもいい」なんて曖昧な答えをしなくてもよい。

 やがて、学校へ行くようになると、常に自分が判断しなければならない事態を予測し、事前にそれを考えることが習慣となった。
 中学時代には「段取りのサエコ」とアダ名で呼ばれ、高校時代には、生徒会長を引き受けるまでになっていた。


~失意~

 今日も終電になってしまった。
「はぁ……」
 私は、暗く寒いホームの上で電車を待ちながら、白い息が暗闇に溶け込んでいくのを見ていた。こんな夜には、華やかで勇壮なクラッシック音楽がいい。コートのポケットからヘッドフォンステレオをとりだし、かじかんだ指を動かして、お気に入りのチャイコフスキーの交響曲第五番を選曲した。
 重々しいクラリネットの音色が聞こえ、徐々に音が重なり合っていく……そして優雅なワルツの旋律があらわれると、胸が高まり、自然と身体も旋律に合わせて揺れ動いた。

 しばらくするとホームに終電車がすべりこんできた。ドアが開くとウンザリするほどの混雑。私は背中から身体を車内に押し込みながら乗り込む。
 息苦しいが問題はない。なぜなら、目をつぶればそこはコンサートホールになるからだ。つり革につかまり、私は、しばし演奏会を楽しんだ。
 激しく熱く演奏が続く。そして、第四楽章の荘厳なフィナーレを迎えると、丁度、最寄り駅に到着した。乗客が降り、私もその流れに身をまかせた。
 興奮冷めやらぬ私は、駅前のコンビニに立ち寄ると缶ビールを買いこみ家路を急いだ。

「ただいま……」
 子供の頃からの習慣で声をかける。もちろん、真っ暗な部屋からは、なんの返事もない。
 部屋の明りをつけ、ビールをテーブルに置いた。
「はぁ……」
 私は、ため息をつくと、コートをソファーに投げ出した。
「いつまで、こんな生活してるんだろう」
 最近、めっきり独り言が増えてきた。

 洗面台でクレンジングクリームを使い顔をマッサージすると熱いシャワーを浴びる。
 ふと、浴室の鏡に映る女性と目が合った。そこには、到底28歳とは思えない疲れきった女性がこちらを見つめていた。
「ひどい顔……」
 そういうと、シャワーを鏡に当ててその女性を泡の中に消した。
 そして、ほのかに薔薇の匂いがする湯船に浸かる。シャボンが弾け優しく私を包んでくれる。身体をマッサージしながら、一日の疲れを癒した。
「私、今年中に、結婚なんてできるのかなぁ……」
 ため息をつくと、大きく息を吐いた。

 お風呂からあがると白いバスローブに身を包む。そして、濡れた髪の毛にバスタオルを巻いて、机の上に無造作においてある郵便物を確認した。
 宅配ビザなどのチラシに混ざって、白い可愛い封筒が届いている。封筒を裏返して差出人を確認すると、ツヨシとナツミの連名だった。
「やっぱり……本当に結婚するんだ」
 私は、深くため息をつくと、缶ビールをあけて一口飲んだ。そして、この前の日曜日の事を思い出した。

~~

「え! サエコ! あんた彼氏いないの?」
 中学・高校と一緒のアイコは、店中に聞こえるような大きな声をあげた。
「ちょっと、やめてよ!」
「ゴメン、『段取りのサエコ』って呼ばれたあんたのことだから、さっさといい男みつけて、もう結婚間近なのかとおもってた」
「別にいいじゃない、あんな優柔不断な生き物と一緒にいる必要なんかないじゃない」
「優柔不断な生き物?」
「そう、仕事場でも、『あ、コレどうしましょう?』とかいちいち聞いてくるのよ」
「だって、あんたの部下なんでしょ? 聞くのは当然じゃないの?」
 私は、アイコに呆れるように手のひらをかえした。
「私だったら、『コレは、こうしますが、よろしいでしょうか?』って、まず自分の考えを先に伝えるわよ」
「まぁ、そりゃその方がいいけど……」
「でしょ、だから、男はみんな優柔不断で、なんでも自分で決められないのよ」
 私がキッパリと話をすると、アイコは、少しうんざりした顔をした。
「だと思う……」
 どうも私の悪いクセで、どこかスイッチが入ってしまうと言い過ぎる傾向がある。アイコの表情から察すると、またやらかしてしまったようだ。
(いけない、落ち着かなくちゃ)
 私は、カップに注がれたキリマンジェロの香りを楽しみ、口に含んだ。
 アイコは、アイスコーヒーにガムシロップを注ぎ入れ、ストローでグルグルかき回している。

 と、突然、いきなりアイコが大げさに手を叩いて話し始めた。
「そうだ! サエコ知ってる? あんたの副会長だったツヨシくんとナツミちゃん、結婚するんだってよ」
「え!」
 私は、持っていたコーヒーカップを落としそうになった。
「ナツミって? あの泣き虫のナツミ?」
「そう、私もびっくりしちゃってさー」
「そういえば、ナツミってサエコと幼稚園からいっしょだったんでしょ!」
「そうだけど……高校の卒業式で大喧嘩してから、ぜんぜん連絡してないわ」
「ああ、ひどかったね、あの喧嘩は……」

 卒業式の日、式が終わって教室に戻るとナツミは私の頬を思いっきり平手打ちしてきた。そして泣きながら私のことを「サエコは何もわかっていない!」と叫んで罵られたのだ。そのあとは取っ組み合いの喧嘩になり、先生からこっぴどく怒られたことがあった。

「私は今でも、なんでナツミが怒っていたのか理解に苦しむんだけどね」
「うーん、ナツミもちょっと天然なところあるからね」
 アイコは、腕組みして考え込んだ。
「私にもわかんない」
「でも本当にツヨシと?」
「うーん、あの二人占いでも相性抜群らしい……でも意外! ナツミってそんなに積極的だっけ?」
「占い? 相性抜群……?」

 私は、子供の頃から毎朝テレビで占いを見るのが日課だった。ラッキーカラーでその日の靴下の色もきめていたし、社会人になってからも、ラッキーランチに天丼とでれば、電車に乗ってでも天丼を食べに行くほどだ。
 そんな私は、両親からの勧めで、20歳の誕生日に有名な占い師に自分の婚期を占ってもらったことがある。すると「あなたは間違いなく、28歳に婚期が訪れ、相手は昔からの知り合いでしょう」とお墨付きをもらっていたのだ。
 当時、占い師の話を聞いて、私は、高校時代に自分に告白してくれたツヨシが相手と固く信じていた。そして、数多くの男性からのお誘いがあっても全て断り、28歳の結婚のために、いろんな段取りまで準備して進めていたのだ。

「ウソ!……そんなのウソ!」
 私は思わず大きな声を出してしまった。隣に座っていたカップルが驚いたようにコチラを見ている。
 アイコが、隣のカップルに頭を下げると、私を睨んで言った。
「ちょっと落ち着いてよ! あのさ、私だって最初はそう思ったんだけどね……」
 アイコが、ペラペラとナツミの話をしていたが、私の耳には入らない。

「ちょっと、サエコ、聞いてるの?」
 アイコが、私の目の前で手を振るのが見える。
「アイコ、酒飲みにいこう!」
 アイコは、腕時計をチラリとみて、呆れ顔になった。
「あんたね、まだ昼過ぎ3時だよ」
「いいから、今日は私のオゴリだから、ちょっと付き合ってよ」
 私は、喫茶店からアイコを引きずり出すと、午後3時から開店している居酒屋に飛び込んだ。

~~

 生ビールをグビグビと飲むと、私はついつい大声をだした。
「やだやだ! 私、アイツの為にいろいろ段取りしたのに! バカみたい!」
「アイツ? ちょっと、アイコ、飲むピッチ早すぎよ」
「いいのよ、ツヨシのバカ」
「え? あんたツヨシのこと好きだったの?」
 アイコが、私の顔覗き込み、不思議そうに見ている。
 私は、キンキンに冷えている2杯目の生ビールもグビグビと飲み干した。
「好きだったというより、ツヨシが告白してきたのに……どういうことよ!」
「え? サエコってツヨシから告白されてたの?」
「それなのに……」
「ちょ、ちょっとまって?」
 アイコは、私とツヨシのツーショットを思い浮かべているようだった。
「でもあんたツヨシと付き合ってたっけ?」
「付き合ってない!」
「はぁ? 何言ってるの? ぜんぜん訳わかんないですけどー」
「もう、察しが悪いわね、アイコは……」
 そういうと、3杯目のビールを一口飲み、アイコに説明をすることにした。

 私は、高校2年生の時に生徒会長に就任した。そして副会長には、抜群の行動力があると定評のツヨシと、幼馴染のナツミを抜擢した。ツヨシは、ともかく体力があるし、ナツミは、私の暴走を抑えてくれる唯一の人物。だからこそ、気兼ねなく思いっきりパワー全開で生徒会を引っ張ることができた。
 私は、出来る限りのことをし、ツヨシとナツミも懸命に私をサポートしてくれた。おかげで、体育祭、文化祭はじめ様々なイベントは、完璧だったし、創立以来の大成功だと校長先生からもお褒めの言葉までいただいたのだ。

「でね、文化祭が終わってから、生徒会で反省会したんだけど、その帰りにツヨシが告白してきたのよ」
「おー、いいじゃない! 青春してたんだ! で? で?」
 アイコは、身を乗り出した。
「で、私は『ツヨシくん、あなたの気持ちは嬉しいけれど……段取りがなっていないわ! もう一度、やりなおし!』って答えたのよ」
「へ?」
「だって、段取りがなっていないんだもん」
「段取り? ちょっとまって、サエコおかしくない?」
「普通、告白するときは、こんな薄汚れた生徒会室じゃなくて、校庭の大きな木の下とか、体育館裏のベンチとかでしょ」
「ちょっとまってくれる! あんた、頭おかしいんじゃないの? そんなこと問題じゃないじゃない!」
「何いってんの! アイコ! それって重要じゃない!」
 アイコは、呆れて口をぽかんとあけた。
「まぁいいや、で? その後、ツヨシはどうしたわけ?」
「2、3日してからツヨシから手紙をもらっただけ……」
「手紙? それってなんて書いてあったの?」
「手紙には『出なおしてくるから、それまで待ってて欲しい』って書いてあった」
「出直してくるって、書いてあったの?」
「で、ずっと待ってたのに……信じらんない」
 アイコは、ため息をついた。
「私がツヨシだったら、告白した時のあんたの返事でドン引きしちゃうね」
「なんで?」
「わかってないの? 告白するってすごいエネルギーいるし、それを、あんた、自分の理想の告白シーンと違うからって告白を突っぱねたのよ! バカじゃないの」
「う……ん、そんなこと……わかっているけど……私、嫌なのよ、段取り通りでないと」
「それ、病気だから! まったく呆れちゃう」
 そういうと、サエコは、生ビール3杯目を飲みきった。

 その後も、冷酒を3合ほど飲み、すっかり出来上がってしまった。
「ざけんなーツヨシ! おまえなんかこっちからお断りだー」
「サエコ、もうあきらめなさいよ、あんたが悪いんでしょう」
「うっさい! 私は悪くないー!」
「もういいから! サエコ、帰るよ」
 結局、この日も終電で、ヘロヘロの日曜日となってしまったのだ。

~~

「バカみたい……」
 私は、ツヨシとナツミの結婚式の招待状をゴミ箱に叩き捨てた。
「ふぅ……」
 誰もいない暗い部屋で私はため息をついた。
「バカみたい……」
 なぜだか、涙があふれてきた。
 私は、缶ビールを飲み干し、台所で缶をすすぐと、両手で缶を思いっきり潰しゴミ箱に投げ捨てた。
「まったく、やってらんないわ」

 ソファーに脱ぎっぱなしだったコートをハンガーにかけた。そしてヘッドフォンステレオを取り出そうポケットの中に手をいれると、1枚のチラシが入っているのに気がついた。

「うん? バーチャルツアー……ああ、あのときのチラシだわ」

 昼間、信号待ちで、チラシ配りの女の子から『おおよそ90分のリラクゼーション睡眠で3ヶ月分の体験ができるツアーをためしてみませんか』と手渡されたチラシだった。そのときは、チラシにも目もくれなかったが、まとまった休暇を取ることすらできない私には、たった90分で3ヶ月分のツアーが楽しめるというのは魅力がある。
 さっそく、私は、パソコンを立ち上げ、紹介されているウェブページを見てみることにした。するとクチコミはどれも賞賛されている。しかもお値段もリーズナブルで、今の仕事場にも近い。
「最近、休暇もとっていないし、会社の帰りにいってみようかしら」
 とたんに、私は、ワクワクしはじめた。

連載2 #3旅立ち #4オプショナルツアー

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【2稿】20140322(連載2)
【初稿】20140320(連載2)


~旅立ち~

『おおよそ90分のリラクゼーション睡眠で3ヶ月分の体験ができるツアーをためしてみませんか』

 私は、仕事場でも例のチラシのことが気になって仕方がなかった。
 いつにもなく、1日の仕事を段取り良くこなし、定刻よりも1時間も前に仕事を切り上げた。
「お先に!」
 まわりのスタッフが驚く中、私は、颯爽と仕事場を後にしてチラシのサロンを目指した。

 そのサロンは、最近できたばかりの高層ビルにあった。
 50階のエレベータの扉が開くと、柑橘系のさわやかな香りが心地よい。そして廊下を進むと、受付がみえてきた。
 受付には、顔立ちの整った、まるでモデルのような受付嬢がニッコリ微笑み会釈している。
「いらっしゃいませ、あ、はじめての方ですね?」
「はい、このチラシをみて」
「初回は、色々な申請や適正テストで2時間ほどお時間をいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
「そんなに?」
「ツアーで最大限お楽しみいただくために、パーソナルデータの調整が必要となりまして、もちろん、登録は無料となりますので、ご安心ください」
「で、その肝心のツアーは?」
「大変申し訳ないのですが、初回の本日はチュートリアルツアーとなりまして、今後のツアーを充分楽しんでいただくための基本をマスターしていただくことになります」
「そうなの、わかったわ」
 受付嬢は、ロビーのソファーに手を差し出した。
「担当のものが参りますので、こちらでおまちくださいませ」

 しばらくすると、タブレット端末を抱えた女性がコチラにやって来るのが見えた。
「私は、あなたさまのツアーを担当させていただきますエリカと申します」
 エリカは、すらっとした小顔の可愛い女の子だった。ここのユニホームだろうか紺色のかっちりしたスーツが似合っている。
「各種の申請と適正テストは、少し面倒でございますが、大切なことですのでぜひともご協力ください」
 そう言うと微笑みながら、私にタブレット端末を差し出した。
「では、こちらに回答をお願いします」

 私は、形式どおりの申請書類やら、アンケートにうんざりしながらも段取り良く処理をすすめた。全ての手続きが終わると、それでも30分が経過していた。
「ふぅ、これでいいかしら!」
「はい、お疲れさまでした、それでは、着替えの準備をおねがいします、18番の部屋に入り、下着はそのままで結構ですが、あとは全部脱いで、こちらに着替えてください」
 そういうと肌触りの良い白いガウンが渡された。
「え、着替えるの?」
 私は、驚いてエリカに確認をすると、エリカは、微笑みながら解説してくれた。
「はい、当社のシステムでは、ヒトの感覚すべてを制御いたしますので、大量に汗をかくこともございますし、リゾート施設でのリラックスタイムを満喫していただくためにご用意しております」
「ああ、そういうことね」
「では、この通路をまっすぐお進みいただいて、18番のお部屋へどうぞ」
「わかったわ」

 私は、おおきく扉に18と書かれた部屋に近づいて、扉に軽くタッチするとスッと扉が開いた。
 部屋の中は、白を基調としてすこしばかりまばゆい明るさになっている。私は、指示通り衣服を脱ぎ、ガウンに着替えると用意されたソファーに腰かけた。

 しばらくすると、名前が呼ばれ、さらに奥の部屋へ入るように指示があった。エアシャワーを通過すると、カプセル状のベットが並んでいる部屋にやってきた。
 そこでは、エリカが白衣に着替えて私を待っていた。
「デバイスを準備しますので、ちょっと髪の毛をあげていただけますか?」
「はい」
 私は、髪の毛を束ね、エリカにうなじを見せた。
「ちょっと、冷たいですので」
 そう言うとエリカは、うなじにアルコール消毒のガーゼを当てた。そして、少しばかりチクリとしたが、デバイスとよばれている装置が首の後ろにとりつけられ、コードが繋がれた。
「それでは適正テストをいたしますので、カプセルの中で横になっていただけますか」
「適正テスト?」
 エリカは、笑顔で答えた。
「これから、すばらしい体験をされますよ! では、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚をテストいたします、目を閉じておまちください、それから、もし、ご気分が悪くなりましたら、その赤いボタンでお知らせください」
 私はカプセル内に設置された赤いボタンを確認すると眼を閉じた。あたりが静かに暗くなっていく。

 突然、風の吹く音や、鳥の鳴き声が聞こえてきた。雨上がりなのだろうか、草の匂いまでもがしてきた。
 私は、ゆっくり目をあけてみた。するとどうだろう、目の前に草原が見えてきた。最初はのっぺらな映像だったが、徐々に立体になっていく。そして、周りをみまわすと、まるで草原の中に自分がいるような錯覚におちいった。

 やがて、丘の向こうから、紺のスーツにタイトスカートのエリカの姿がみえてきた。
「サエコさま、バーチャルツアーへようこそ! これが最後のテストです」
「まだあるの?」
 エリカは申し訳なさそうに、自分のカバンからペットボトルのオレンジジュースを差し出した。
「喉もかわいているでしょうから、コチラをどうぞ召し上がってください」
 言われるままに飲んでみると、見た目はオレンジジュースなのに全く味がしない。
「なにこれ、水?」
 エリカは、私の反応を確かめ微笑むと手に持ったタブレット端末を操作した。
「もう一口、どうぞ」
 するとどうだろう、今度は、きっちりとオレンジジュースの味になっている。
「え!今度は、オレンジジュースになったわ」
 私は、なんども味を確かめた。オレンジジュースに間違いない。
「よかったです、では、これで適正テストはすべて終了となりますが、なにか質問はございますか?」

 私は、あたりを見回し、もう少しこの空間を確かめたい衝動に駆られた。
「もうちょっと、このあたりを散策してもいいかしら」
 エリカは、ニッコリ微笑むと、カバンからブレスレットを取り出し、私の手首に取り付けた。ブレスレットには、赤と青の小さなボタンと液晶画面に数字58が表示されている。
「それでは、このブレスレットの表示がゼロになるまでは、コチラの世界をお楽しみいただけます、現実時間では1分間ですけど、この空間では1日分にあたります」
「え? 1日?」
「おおよそですけど、ツアー内での1日は、リアルで1分程度とおもっていただければよいとおもいます」
「ツアー1日が1分ということは、1ヶ月のツアーが30分ぐらいということ?」
「そうです、それから、そのブレスレットの赤ボタンでシステムからの離脱、青ボタンでシステム時間を早送りすることが可能となります、ただし、巻き戻しはできません」
 私は、さっそく、リモコンの青いボタンを押してみた。
 すると、あっというまに、夕暮れとなった。

「では、カウンターがゼロになる前に赤ボタンで離脱なさってください」
「あ! もし、離脱できなかったときは、どうなるのかしら?」
「はい、押されなくても自動的に離脱されることになりますが、ただ、ご自身の意思で離脱する行為をなさらないと、後々、気分が悪くなったという症例がありましたので、できるだけお願いいたします」
「わかったわ、じゃ、ちょっと歩いてきます」
「それでは、お気をつけて」

 私は、草原を歩いて高台にのぼってみた。草が足に絡みつくのが妙にリアルだ。
 高台にのぼると、真っ赤な夕日が静かに地平線に落ちていくのが見えた。そして、夜空に星がぽつりぽつりとみえてきた。ゴロリと草原に横になると、星空を眺めた。心地よい風がサラサラと草をゆらし、どこからとなく虫の鳴き声も聞こえてくる。
 とてもゆったりとした気持ちになっていく。こんな気分を味わうのは、幼い頃以来ではないだろうか。
 私は、目を閉じて全身で自然を楽しんだ。やがて、意識がなくなり寝てしまったようだ。

 突然、ブレスレットがブルブルと震動した。
 私は驚いて飛び起きた。あたりを見回すと、すでに朝日が昇りはじめいるではないか。
 ブレスレットを見てみると、カウンターが2と表示されている。私は、あわててブレスレットの赤いボタンを押した。

「はい、おつかれさまでした」
 エリカのが聞こえる。
 プシューと音がして、カプセルが開いた。
「今日は、残念ながら初回なのでここまでです、サエコ様は、とてもシステムとの相性が良いようですから、次回は楽しいツアーになりますよ」
「楽しかったわ、次回のツアーがとても楽しみ」
「よかったです。そのブレスレットは、会員証も兼ねておりますので、よろしければそのままお付けになっていてもかまいませんよ」
 私は、ブレスレットをみるとカウンターは「R」と表示がされている。
「ぜひ、またのご来店をお待ちしております、次回は、たっぷりお楽しみいただけますので!」

 私は、この不思議な体験に感激し、これなら、短い時間でたっぷりの休養がとれると思うとワクワクした。

~オプショナルツアー~

 この奇妙な体験をしてから、すっかり虜になってしまった。ほぼ毎日、仕事帰りに立ち寄り90分のツアーを楽しんだ。
 空港から飛行機に乗り、現地では電車やバス、タクシーに乗るという退屈な移動時間も忠実に再現されているのもリアリティがある。
 世界の何処へも行け、最高級のホテルに宿泊し、最高級のワインと料理に舌鼓を打った。
 季節も自由に選べ、お祭りなどのイベントも、すばらしい特等席で観覧することができた。

 さらに、オプションをつけると、各種のハプニングが再現されるようになっている。例えば、旅の途中で荷物が紛失したり、自分が病気なったり、事故に遭遇したりと言った具合だ。
 私は、持ち前の段取り力と対処方法で、そんな自体に迅速に対応した。また、そうして危機から切り抜ける自分が楽しかった。

「サエコ様、今回も素晴らしい問題解決対応でしたね」
 カプセルから出ようとすると、エリカが声をかけた。
「まぁ、このくらいなら問題ないわ!」
「かなり厳しいプログラムでしたので、私の方がハラハラいたしました」
 エリカがじっとこちらを見つめている。

 もう、かれこれ2週間ちかくほぼ毎日通っていたので、エリカとも打ち解け、気軽におしゃべりをする間柄になっている。
 すでに、毎日3ヶ月の休暇を2週間続けていることになるので、この2週間で3年半年分も休暇を楽しんだ計算になる。

~~

「エリカ君、最近、お客様の反応はどうだね」
 シフト交代で帰宅しようと更衣室に入ろうとしたエリカは、突然声をかけられて驚いた。
「あ、局長、驚かさないでくださいよ」
「すまないね……」
 局長は、ギョロリとエリカを見つめた。
「毎日、通っていただいているお客様もおりまして、好評いただいております」
「毎日? それは、すごいな」
「しかもオプショナルツアーの難易度Sレベルでも難なくこなす方でして……」
「ほほぉ、これは驚いた、ほとんどの人がパニック状態で離脱するSレベルもクリアとは……ぜひ、資料を後で送っておいてくれないか」
「はい」
「Sレベルをクリアできるのなら、新たなシステムのテストモニタにうってつけなのだが……」
「新システム?」

 エリカは新システムと聞いてピンときた。たしか、V.L.R.P.(バーチャルライフリバイバルプラン)と呼ばれているシステムだ。エリカの兄が研究所に勤めており、すばらしいシステムを開発していると自慢げに話していた。
 このシステムは、バーチャルツアー同様、リアルな空間を提供するのだが、その空間というのが、自分自身の記憶にあるイメージで作られているらしい。
 つまり、自分自身の過去がバーチャル空間に再現され、自身の体験を再現することができるというのだ。もともと軍事医療目的で開発をされていたのだそうだが、一般にも応用が許可されたばかりなのだそうだ。
 このシステムを利用することで、トラウマとなった幼い頃の体験や、極限状態での任務で精神的ダメージをうけた兵士等、自身が体験した出来事を、別の視点から自身を見直し自分自身の中で気持ちの整理がなされることで、事実をきちんと受け入れられるようにさせることができるらしい。
 もちろん、実際には自分を取り巻く外部の環境が変わるわけではないので、単に、自分の行動を裏付ける自身の判断を再確認することがシステム構築の目的だということだ。
 ただ、エリカは、気になることがあった。それは、あれほどシステムを自慢していた兄が、システムのテストモニタをはじめたとたん、頭を抱えて考えている姿を何度も見ていたのだ。

「そういえば、新システムのテストモニタは、以前されましたよね?」
「ああ、15分……いやバーチャル世界で15日でギブアップだったな」
「どうしてですか?」
「報告書によると、あまりにリアルすぎて自分を見失いそうになったんだそうだ」
「そんなに、リアルなんですか?」
「実は、私も体験したんだが……」
 局長は、目をギュッとつぶった。
「結構つらいものがある、すっかり忘れていたことを思い出させるものでもあるからね」
「そうですか」
「ともかく、そのお客様に、一度新システムについて説明をして興味がありそうか確認してもらえないだろうか」
 そういうと、局長はニッコリ微笑みエリカと別れた。

~~

 ワタルは、悩んでいた。
 新システムを完成させるには、もっと長くシステムにとどまりデータを集めなければならない。人間の記憶というのは、かなりあやふやなもので、都合のよいように記憶を書き換えてしまっていることもある。
 それをシステムが正しく補正してしまうことで、被験者の混乱が起きないだろうか。
「はぁ」
 深くため息をつくと、冷めたコーヒーをすすり考えた。

 と、端末のモニタが点滅し、局長からのビデオチャット通信が入ってきた。
 受信ボタンを押すと、局長の言葉に耳を疑った。
「え? テストモニタに最適の人物ですって?」
 ワタルは、局長から送れらきたデータをモニタに映し出してみた。
「いいかね、このデータをみたまえ、すばらしい判断力と行動力がある」
 ワタルは、そのデータをみてうなずいた。たしかに、すばらしい判断力と行動力で問題対処をしている。バーチャルツアーでのオプショナルツアーSレベルといえば、飛行機がハイジャックされるといったトラブルが発生し、生命の危機を感じるほど厳しい精神ストレスの中で、的確な判断が要求される。
「どうだろう、彼女は、エリカ君が担当してくれているんだが、新システムに興味がないか確認をしてもらっているところなんだ」
「エリカの担当ですか……うーん」
「君は、15分間、いや15日間もあの空間にいた経験がある、ぜひ、君からも魅力と注意点を話してくれないか、その上で彼女の判断を聞きたい」
「うーん」
 ワタルは、腕を組んだ。
 自分のテストの際には、直近の15日間を設定していたのでさほどストレスは感じなかった。ただ、やはり、思い出したくない忌々しい記憶や、あきらかな判断ミスをした事柄を再現されるのは耐えがたい屈辱だった。
 そして、たとえその場で違う行動を取ったとしても、現実の結論はなんら変わらないというむなしさもある。

「まぁ、彼女がエリカから新システムの説明を受けて、それに興味があるのなら、話をしてもいいですが、あまりおすすめはしませんよ、まだまだ改良の余地はありますから……」
「率直な意見を君からしてもらえば、Sレベルの彼女なら的確な判断をするだろう」
 局長は、微笑むとビデオチャットが切れた。

連載3 #5チャレンジ #6アクシデント

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【2稿】20140324(連載3)
【初稿】20140323(連載3)


~チャレンジ~

 私は、いつものとおりサロンへやってきた。
 受付を済ませると、エリカがやってくるのを待っていたのだが、姿がみえない。時間には正確なエリカのことだ、何かあったのかと心配をしていると、スタッフルームの扉が勢いよく開き、エリカが飛び出してきた。
「サエコ様、申し訳ありません、打ち合わせが長引いてしまいまして、ご迷惑をおかけしました」
「だいじょうぶ? なんか顔色悪そうだけど」
「あ、すみません、ご心配にはおよびません、ところで、サエコ様にお願いがあるのですが……」
 そういうと、エリカが困ったようにうつむいた。
「え? お願い? 何かしら?」
「実は、当社では新しいシステムを開発しておりまして、そのテストモニタを募集……」
 私は、エリカの話をさえぎるように話をした。
「へぇ、新しいシステムっていうと、今まで以上にスゴイものなの?」
「あ、はい、そうなんです」
 エリカは、私の顔を見つめ、不安そうにタブレット端末を差し出した。

 V.L.R.P.(バーチャルライフリバイバルプラン)

 エリカが、画面をタップすると概要説明図がでてきた。
「バーチャルツアー同様、架空世界でのいろいろな体験ができるのですが、その世界というのが、ご自身の記憶の中のイメージで構成されているのです……」
「え?」
「つまり、自分の記憶の中を体験することができることになります」
「って、子供の頃の記憶の世界を体験できるってことなの?」
「そういうことです!」
 私は、身を乗り出した。
 エリカは、真剣なまなざしで私を見つめると続けた。
「ただ、そこでの体験から、現実世界が変わるわけではございません、あくまでも、ご自身の過去における判断や行動を再現しているだけです」
「要するに、過去の自分の判断や行動を再確認して自分で納得するってことでしょう?」
「あ、そうです! そういうことです」
「ぜひ、やってみたいわ!」
 私が、勢い良く答えると、エリカの顔が明るくなった。
「あ、ありがとうございます、実は、担当の研究員が待機しているのですが、本日、お打ち合わせする時間はございますか?」
「もちろん、今からでも」
「はい、では、こちらへお進みいただけますか」
 エリカは、立ち上がると、スタッフルームの扉を開けた。

 ピンク色の扉をあけると、黒ぶちセルロイドメガネの男が私を待っていた。
「カゲヤマサエコさんですか?」
「はい、サエコでいいですよ、カゲヤマって呼ばれるのは好きじゃないので」
 男は、私を見ると驚いたような顔をして、あわてて目をそらした。
「あ、なにか?」
「あ、いえ、失礼しました、ではサエコさん……」

 男は、壁に映し出されたスライドを指差して説明を始めた。
「では改めて、新システムのテストモニタについてお話をしますね」
「さきほど、少し聞きましたが、自分の過去を再度体験できるってことでしょ」
「そうです……ただ、バーチャルツアーとちがって、こちらで事前にプログラムされた作り物ではなく、自分の記憶のイメージなので、忘れていたことや、あえて見たくない、聞きたくないことも見たり聞いたりしなくてはなりません、それと、あまりにリアルに世界を再現するので、システム内にいることを忘れてしまう可能性もあり、現実と架空世界の区別がつかなくなってしまう恐れがあるのです」
「まぁ、自分のことは大方わかっているし、私自身確かめておきたいこともあるから、いい機会だとおもうのよ」
「唯一、バーチャルツアーでも身につけていただいているそのブレスレットの表示だけが頼りです」
 私は、ブレスレットの液晶画面に表示されている「R」を見つめた。
「その『R』は、RealityのRです、システム内では数字がカウントされていることはご存知ですよね」
「現実時間でのツアー残り秒数が表示されるんですよね、これを60で割ればシステム内の日数になる」
「そうです、ざっくりシステム内での1日が現実では1分なので60の表示、1ヶ月が30分で1800、1年が6時間で21600の表示になります」
「まぁ、いつも3ヶ月のツアーに出かけていたから5400からカウントダウンしていたわね」

 男は、スライドを消すと、私には目を合わさず話をした。
「ところで、これから60分ほどお時間はありますか?」
「大丈夫よ」
「それでは、サエコさんの記憶をシステムに読み込ませます、通常のツアーと同様に様々なイメージがでてきますのでお楽しみください」
「様々なイメージ?」
「ええ、記憶の中にあるイメージをフィードバックさせて表示をしますが、一部システムが記憶を補完していきます」
「補完?」
「人間の記憶は、良く出来ていて、効率的に欠落しているんですよ、なのでいくらかシステム側で補完させる必要があります」
「そういうものなのね」

 サエコは、改めて男を観察した。
 年齢は自分とおなじくらいだろう。なかなか整った顔立ちだが、なぜか前髪をおろしている。これでは少し幼く見えてしまうが、紳士的な対応には好感がもてる。
「ところで、先生は独身?」
 男は、驚いた様子で私をチラリと見た。
「は? まぁ、研究所勤めですし、あまり女性とも接点がないので、独身です」
 そういうと顔を真っ赤にしてうつむいた。
 私は、あまりにシャイな男におもわず笑ってしまった。
「だって、サロンには綺麗な女子スタッフがたくさんいるじゃない、私の担当のエリカなんか、かわいいわよ」
「エリカは……僕の妹です」
 そういうと男は、さらに顔を赤くしてうつむいてしまった。
「これはおどろいた! お兄さんも頑張らないと」
 男の眉間にシワがより、少しムッとした表情をしたので、私は、これ以上、からかうのはやめることにした。

~~

 男の指示で、デバイスに新システムのケーブルをつなげ、カプセルに横になった。
 いつものとおり、あたりが暗くなり、海岸に打ち寄せる波の音が聞こえてくる。そして徐々に明るくなり、真昼の誰もいない海岸線の砂浜の上に腰をおろしていた。海辺の爽やかな風が頬にあたり、髪の毛が揺れる。
 私はブレスレットのカウンターをみつめた。数字は3600と表示がされている。
 現実には60分のプログラムといっていたので、この世界では2ヶ月間滞在できることになる。

 私は、ゆっくりと立ち上がると服についた砂をはらった。
 しばらく、海岸線にそって歩いてみる。砂の感覚がなんとも気持ちがいい。暑すぎず、寒すぎず、ちょうど良い陽気だ。
 1時間ほど歩いただろうか、遠くに白い家がポツンとみえた。私は、ワクワクしながら、その白い家に向かって歩き出した。

「あら、どなた?」
 私が、その家に近づくと、中から声がした。
「すみません、よろしかったら、水を1杯いただけないかしら」
 別段、喉が渇いているわけではないけれど、おしゃべりのきっかけがほしかったので機転を効かせてみた。
「どうぞ! 扉はあいてるから、おはいりなさい」
「では、失礼しま……」

 私は絶句してしまった。
 そこには、自分の母の若い姿があったのだ。そして、部屋の中は、子供の頃に暮らしていた部屋そのものだったのだ。
 実際、私の母は健在だが、すっかりボケてしまい、今では、養護施設の世話になっている。その母の面影もチラリとみえる。
「なんだ、サエコじゃない? 驚いた顔しちゃって」
「え? 私のことわかるの? それにこの部屋、懐かしいわ」
「何、馬鹿なこといってるの」

 私は、微笑んだ。この「何、馬鹿なこといってるの」というフレーズは母の口癖なのだ。
 母は、グラスに水をくんで私に渡してくれた。
「サエコ、いったいどこへいってたの?」
「ちょっと、遠いところで仕事をしていたのよ」
「でも、やっぱりウチが一番でしょう?」
「そうね」
 嬉しそうに話をする母の姿を、私はじっくりと観察をした。お気に入りの白いブラウスに青いフレアスカートをはいている。ポニーテールにした頭は、ちょっと古めかしいが、かわいらしい。
(この風貌どこかで、見たような気が……そうだ、この格好は、昔のアルバムにある写真とそっくり!)
 私は、母もその写真が気に入っていて窓際に飾っていたのを思い出した。

 私は、部屋を見まわした。
 しかし、懐かしい。整理整頓がされ、木製の人形が本棚に置いてあるのを見つけた。
「あ、このお人形……、くるみ割り人形かしら」
「さわっちゃだめよ」
「はいはい」
 おもわず、笑ってしまった。この人形は、私も大好きで、よくこの人形でこっそり遊んでいた。ただ、母はとても大事にしていたようで、私が勝手に人形にさわると、よく叱られていたのを思い出す。

 私は、ソファーにすわると、若かりし母と、お茶をのみながら、いろいろとおしゃべりをした。こんなに長く、母と話をしたのは、何年ぶりだろうか。
 若い母は、テキパキと家事をこなし、私もいろいろと手伝った。一緒に料理を作ったり、掃除洗濯をするのも楽しい。
 あっというまに一日が過ぎ去ってしまう。
 不自然といえば、母は、28歳の私の姿をちっとも驚くことはないが、私のことをいつも子供扱いにしていたことぐらいだろうか。

 どれだけ経っただろう。楽しい日々を送り、すっかり、母との生活にも慣れたころ、突然、ブレスレットがブルブルと震えた。
 すっかり忘れていたブレスレットのカウンターをみると10の表示がされている。1日がカウンターで60なので、10といえば1日の6分の1、つまりあと4時間しかシステムに滞在ができない。

「あ、私、また仕事で出かけなくちゃならなくなったわ」
 私は、作りかけのスープの味見をしながら、母に告げた。
「残念ね、父さんも来月には帰ってくると思うんだけど、また、いつでも帰ってきなさいよ」
「本当は、仕事行きたくはないんだけど」
 母は、料理の手をやすめて私向かって話した。

「何、馬鹿なこといってるの」
 母の得意の口癖だ。
「あはは、そうよね……」
 私は、笑いながら、なぜか涙がこみ上げてきた。そんな私を母が見て話した。
「あら、スープ、そんなに辛くしちゃったの?」
 私は、まばたきをして涙をごまかしながら答えた。
「だいじょうぶ、ちょっと、熱かっただけだから……」

 夕食を一緒に食べると、懐かしい母のスープの味がする。
 スープを口に含むたびに涙があふれてしまうのをごまかすのは大変だったが、母は、ニコニコしながら私の仕事のことについて話しかけてくれたのがせめてもの救いだった。

 食事を終えて、母に別れをつげると、月明かりの浜辺を一人歩いた。
 後ろは振り返らなかった。というより、振り返れなかった。私は涙が頬をつたわりポロポロと砂浜に落ちていたのだ。

 ブレスレットがまたブルブル震え、カウンターが2となった。
 私は、深く深呼吸をすると、涙をぬぐい、ブレスレットの赤いボタンを押した。

~~

「はい、おつかれさまでした」
 男の声がした。
 プシューとカプセルが開く。
 私が、目を真っ赤にしているのに気が付いたのか、男が心配そうに私を見ている。
「大丈夫ですか? 気分悪くなりました?」
「大丈夫よ! とてもリアルで驚いちゃったわ」
「今回は、サエコさんの記憶を可能な限り引き出させていただきました、もちろん、プライベートなこともありますから、データはきちんと管理します」
「それにしても、母のイメージだけど……」
 私が、話し始めると、男があわてて口を開いた。
「ああ、引き出した記憶の断片から自動的に再構成されていますが、いかがでしたか?」
「あまりにそっくりで驚いちゃった、それに口癖もそのままだし……」
 男は、私の答えに満足したのか、ニコニコ微笑んでいる。
「今回は、まだ古いシステムにデータを組み込んだだけですが、新システムでは、さらに驚くことになりますよ」

 男は、スケジュールを確認しながら私に話をした。
「それでは、今から6時間程度で、テストモニタが可能な状態となるのですが……」
「うん? ですが……?」
「実は、このサロンは、機器のメンテナンス作業が予定されていて、約2週間の間、閉鎖されることになっています」
「え? 二週間も?残念ね……すごく期待していたのに」
「まぁ、研究所のほうへおいでいただければ、機器の準備で1週間後にはテストモニタは可能になりますけれど……」
 申し訳なさそうに、男が私をみて話した。
「なんだ、それなら研究所へ伺うわ!」
 私は、おもわず即答してしまった。いままでのバーチャルツアー以上に、記憶の世界に浸れるのは楽しいと感じていた。できることなら、早く体験したいが自分自身の仕事場での作業が一区切りつくには、あと4,5日はかかるだろう。丁度1週間であれば、いろいろな準備もできそうだと判断したのだ。

「わかりました」
「ところで、具体的にどのくらいの期間を再現することができるのかしら?」
「そうですね、テストモニタの際には、ご希望の時代を選択できますが、最大でも3年間、つまり現実には18時間のツアーが限界となりますね、それにブレスレットの赤・青ボタンはまだ実装されていないので使えません」
「最大で3年間……!」
「でも、今回はバーチャルツアー同様の3ヶ月分、つまり現実には90分のルアーを検討しています」
 男は説明していたが、こんな機会はなかなかない。
 私は、高校時代の3年間ということで希望を出すことにした。当然、男は驚いて反対をしたが、自己責任でかまわないと書面を書くことを条件に、なんとか了解を引き出すことができた。

~アクシデント~

 ついに、約束の日がやってきた。
 私は、この日の為に、自分の記憶と高校時代日記がわりに記録していたブログ、そして卒業アルバム等を何度も確認した。そして、高校3年間で自分が確認したいポイントを次の3つにまで絞り込んだ。

 ・ツヨシは、文化祭の晩、告白したのはなぜか?
 ・ツヨシの手紙の意味は?
 ・ナツミが卒業式の日、怒っていたのはなぜか?

 私は、気合をいれて研究所に向かった。

 研究所は、森に囲まれた中にあった。タクシーを飛ばし、やって来たのだが、運転手もこの場所は初めてだと驚いていた。
 門前でタクシーを降りると、研究所の建物がチラリと見えた。
 門を入ると、建物の全貌が見えてきたが、窓らしきものはほとんどなく、なんとも異様な雰囲気だ。
 研究所の入り口にはゲートがあり、例のメガネの男が待っていてくれた。
「ようこそ、ここまで足を運んでいただいてすみません」
「とんでもない、おまたせしました、ではこちらへ」
 男は、ゲートで手続きを取り、私を建物の中に案内してくれた。

 研究室は、地下5階にあった。いくつもの扉をICカードで通過した先に、いつものサロンとそっくりの部屋が用意されている。
 ただ、カプセルのヨコに端末が設置され、コントロールボックスがむき出しのまま設置されていた。

「では、こちらに着替えていただいて、カプセルの前でお待ちください」
「はいはい、いつものとおりね」
 そういうと男は部屋を出ていった。私は、さっと着替えて待った。ところが、5分、10分たっても男が現れない。
「カプセルの前でっていったわよね」
 私はカプセルに近づいてみた。するとコントロールボックスには、現時点の時間が表示され、そのほかに記憶を再現する始点と経過年数を入れるようになっている。
「とりあえず、セットしておいてあげようかしら」
 ダイヤルを回し、始点と経過年数をセットしておくことにした。

 すでに15分を経過している。部屋の扉は内側から開かず、しかたなく、私は、カプセルの中に入りデバイスにケーブルを接続すると横になって待つことにした。ここ数日、自分のブログやらアルバムを徹夜で見ていたこともあり、あっという間に睡魔に襲われた。 
 しばらくすると、部屋に誰かの足音が聞こえたような気がしたが、私はそのまま暗闇の中に身をゆだねた。

~~

 ワタルは、サエコに着替えを指示したあと、最終確認をしていた。事前に希望が出された高校時代の3年間で、きちんとコンピュータが補完しているのかを確認していた。
「まずいな、この3ヶ月だけ充分な補完がされていない」
 ワタルは、急いでシステムを組み直したが、30分も時間がたっていた。

 あわてて、部屋にもどるとサエコの姿がみえない。
「この部屋の外には出れないだろうし……どこだ?」
 ワタルは、念のためコントロールボックスのリセットボタンを押し、あとは、サエコの希望する日を入力するだけの状態にした。
 コントロールボックスの始点は、サエコが生まれた日に書き換えられ、経過年数は28年とセットされている。そのときだった、カプセルの中から物音が聞こえた。
 カプセルの中からの物音に、驚いたワタルは、プログラム始動ボタンに振れてしまった。

 プシューとカプセルは自動的に閉まり、プログラムが稼動しはじめた。
 ワタルは、あわててシステム停止ボタンを押した。しかし、モニタには、『プログラム作動中につき停止不可能』との表示がされるだけだった。
「なんで停止しないんだ、カプセルが無人なら停止するはずなんだが……まさか」
 ワタルは、カプセルの中を見て呆然となった。サエコがカプセルに横になっているではないか。
 あわてて、コントロールボックスの設定を再確認した。

 始点はサエコの生まれた日。
 経過年数は、現在までの28年間。

「なんてことだ、彼女の全記憶の再生プログラムが稼動してしまった」
 もちろん、いままでこんな長時間のテストモニタの記録はないし、まして全ての記憶を再生させたための影響は計り知れない。
 おまけに、このシステムでは、ブレスレットの赤(離脱)と青(早送り)機能は実装はされていない。

「単純に考えても仮装空間の1ヶ月は30分、1年で6時間、4年で1日、28年だと7日間だ!」
 ワタルは真っ青になった。
「たいへんだ!」
 システムの中では、水も食事も取ることができない。人間は、水を飲まなければ3日で脱水状態になり生命が危ういことになる。
 カプセルの一部を破壊してでも、脱水状態にならないように水分と栄養を補給しなければならないのだ。
 ワタルは頭を抱えた。

連載4 #7ふりだし #8プリンセスティアラ

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【初稿】20140325(連載4)


~ふりだし~

(ここはどこ?)
 私は、目を覚ますと辺りを見回した。一面真っ暗な空間だ。
 寒くはない、むしろ温かい。そしてリズムカルなドンドンという音が聞こえている。

 突然、身体が圧迫された。暗闇が私の身体を押し込み、まるで朝のラッシュアワーのような感覚だ。そして、リズムカルなドンドンという音が次第に早くなる。と、身体が動き始め、いきなり、目の前が明るくなった。
 真っ暗な世界から一転してこんどはまばゆい白い世界。あまりにまぶしすぎて目が開けられない。
 そして息が出来ない。懸命に口を開いてみたが、ゴボゴボと音がする。
 力いっぱい息を吐き出すと、なんとか呼吸ができるたが、息をするたびにギャーギャーと音がする。

 ふと、男の人の声が聞こえてきた。
「元気な女の子のお子さんですね」
「先生、ありがとう」
 と答える声は聞き覚えのある声だ。

 母? 私は、ゆっくりと目を開けた。真っ白な白衣の男の人が見え、母がベットに横たわっている。そして、私は母の胸に抱かれていた。
(何、これ?)
 私は、声を出そうとしたが、ギャーという音しか出てこない。ふと、周りをみるとまるで自分が小人になったかようにどれもこれも大きく見える。そして自分の手を動かして見ると、小さな小さな手が見えた。
(うそ! これって、私が生まれたとき?)
 
 突然、私は抱き上げられガラス越しに父の若かりし頃の姿を確認した。父はニコニコしながらこちらを見ている。そして、ガラス面に反射した自分の姿をみて、確信した。そこには、しわくちゃの赤ちゃんが見えた。

(こ、これが、新システムの世界?)
 意識は、28歳の自分だが、自分の身体や能力は赤ちゃんでしかないという設定のようだ。

(おどろいた、これはすごいシステムね)
 なんとか身体をよじりブレスレットをみてみると、カウンターが99999と表示がされている。たしか3年間分ということだったから、1日1分、1ヶ月で30分、1年で6時間、3年で18時間……秒になおすと64800って表示になるはずなのに……。

(何かシステムにトラブルがあったのかしら)
 そう私は考えたが、酷く疲れてしまい、そのまま、まぶたを閉じてしまった。

「あら、この子、笑ったわ」
 そういうと、母は、私を優しく抱きしめてくれた。 
「ママ……」
「ちょっと、パパ、この子ったら『ママ』って言ったわよ」
「そうだな、この子は天才かもしれないぞ」
「何、馬鹿なこといってるの! もう1歳なんだから普通でしょう」
「そうなのか……」
 
(ちょっとまって、さっき目を閉じてからもう1年が経過してるってこと?)
 私は、身体をおこして立ち上がりたかったが、どうにもこうにも動けない。この状態では何もできそうにない。
(もうしばらく、寝るしかないわね)
 目を閉じた。たしか、高校三年間を確認することにしていたのに、どうして誕生からのイメージが再生されているんだろう。
(もしたしたら、設定をまちがえた?)

「サエちゃん、おきて!」
 突然、まぶしい光が私の目の中に飛び込んできた。
(サエちゃん? たしか、小さい頃は、サエちゃんってみんなから呼ばれていたわ)
「おはよう」
(あ、声がでた)
「サエちゃん、ナっちゃん達がもう迎えにきてるわよ、いそいで幼稚園にいかなくちゃ」

(え、いつの間にか幼稚園?)
 私は、自分の身体を確かめた。
(おどろいた、幼稚園児の体型だわ)
 ベットから起き上がると、あたりを見回した。視点が低く、あいかわらずまわりのものが大きく見える。
「ママ、わたしの服は?」
「もう、自分で着替えられるでしょ、急いでね」
(そうだった、当時は寝る前に明日の準備をしておくってパパと約束してたんだった)
 私が見回すとベットの端に、きちんと幼稚園の制服が準備されていた。私はいそいで着替えると鏡をのぞいた。
(若い! ってあたりまえよね。昔は、こんなに肌のキメも細かいし、髪の毛もツヤツヤだったのね)

「おはよーサエちゃん!」
 玄関をでると、懐かしいナツミの姿があった。ちっちゃな手に、大きなカバンをもっている。ベレー帽が幼稚園の制服なのだが、ナツミにはまだまだ大きすぎるようだ。
「おはようナツミ、じゃなくて ナっちゃん」
(うん? なにも 言い替えなくても、いいんじゃない)
 あまりのかわいらしさに、私は、おもいっきりナツミを抱きしめてしまった。
「きゃ、どうしたの? サエちゃん」
「ナツミかわいいなって!」
「なんかへんだよ、サエちゃん」
「あ、サエコって呼んでもいいよ」
 ナツミは、モジモジしながら、小さな声で話した。
「サエコ……うーん、やっぱし、サエちゃんのほうがいい!」
 ナツミは、困った顔をして私をじっと見ている。
「まぁ、どっちでもいいけど」
 私は、思わず笑ってしまった。

 しばらくすると迎えのバスがやってきた。私は、ナツミと手をつないでバスに乗り込む。外では母がバスの中をのぞきこんで手をふっている。
(まぁ、手はふっておこうかな)
 バスが動き出した。私は、なんとなくワクワクした。これから幼稚園時代になるのだろう。

~~

 ワタルは、レスキューチームを呼び出していた。
「ともかく、カプセルの機能はそのまま温存して、点滴を打てるように腕が出せるスペースをつくってほしい」
「このカプセルは、センサーがたくさんついているので、かなり厳しいですよ」
 メカニックチームとワタルは、同型のカプセルを細かく分解しながら、センサーの場所や、素材を確かめ、様々な手法を確かめてみることにした。

 結局、検討するだけで丸1日が経過してしまった。
「これでだいじょうぶ、念のためセンサー制御の回路は切っておいたからいけるだろう」
「では、レーザーカッターで抜きますね」

 レスキューチームが慎重にカッターを当てて、ゆっくりとカプセルに穴を開けた。
 つづいて医療チームが到着し、テキパキと点滴をセットした。
「これで、まずは一安心」
 ワタルは、カプセルのそばの椅子に座り込むとモニタを確認した。どうやら、今は4歳を通過したところだろう。おそらく幼稚園時代になっているはずだ。
 しかし、このままのこり6日間も身体が持つだろうか。できれば、途中で離脱することも検討しなければならない。

 そこへエリカがやってきた。
「ワタル兄さん、サエコ様が大変って聞いたんだけど」
「ああ、困ったことになった、28年全期間のツアーになっている」
 エリカは、カプセルを心配そうにのぞきこんだ。
「さっき、局長から聞きいて飛んだけど、サエコ様大丈夫よね」
「うーん、ともかく現状では、7日間経過しないとシステムからは離脱することができないんだよ」
「途中での離脱は?」
「あまりに危険が多い、本人が自主的に離脱する意志がないと、二つの記憶が存在することになって混乱してしまう可能性があるんだ」
 エリカは、悲しそうにカプセルのサエコを見つめた。

「あ!そうだ!」
 エリカは、突然大きな声をだした。
「どうした?」
「サエコ様のデータをここに来るまでに調べてみたんだけど、ワタル兄さん、過去にサエコさんに会ってるわ!」
「え?」
 ワタルは、おどろいて資料を見直した。
「私は、全然記憶がないんだけれど、確か小学校に上がる前1年だけ、おじさんのところにいたでしょ」
「ああ、いたね」
「そのときに通っていた幼稚園が、サエコさんの幼稚園で……資料を取り寄せたらお兄さんとサエコさん同じ教室にいたのよ」
「ま、まさか、サ、サエコ……って……」
 ワタルは、カプセルの中で目を閉じているサエコをみつめた。
「やっぱり、あのサエコなのか」
 そういうと目を伏せた。
「覚えてるの?」
「ああ、ちょっと忘れられない嫌なことがあったんだ」

 突然、ワタルはモニタのサエコの年表を確認した。
「まだ、間に合う!」
「え?」
「彼女の記憶の中に必ず僕の記憶が残っているはずだから、彼女の記憶の中に登場する僕になりすまそう」
「え!」
「ほら、ちょうど、ツアコンダクターがお客様の中に登場するのとおなじだよ」
「なるほど……でも、このシステムでの実証実験はしてるの?」
「大丈夫さ、それに僕の記憶はすでに補完も済んでいるから入れ替わるのは簡単さ」
 そういうと、ワタルは、急いでガウンに着替え、プログラムを組み、自分の記憶とサエコの記憶が一致する時間にセットアップをした。

~プリンセスティアラ~

 春の日差しがやさしい、日曜日の朝。28歳のサエコなら、のんびり寝ていたいところだが、元気な幼稚園児は違った。
 朝から、遊びたくてベットの中でウズウズしていた。私は、堪えきれずに飛び起き、まだ薄暗いリビングルームにゲーム機を持って行くとテレビに接続した。そして音が大きくならないように注意して、そっとカセットを挿しこみ電源を入れた。
 テレビには、プリンセスティアラと懐かしいタイトルが現れる。
(これよこれ! 懐かしい! でも、どうやって遊ぶんだっけ? すっかり忘れちゃってる)
 私は、マニュアルを見ながら操作方法を覚えた。ゲームの内容は、大きな剣と鎧を身に着けたお姫様がドラゴンを退治していくお話だった。
(でも、ヘンだわ。マニュアルなんて読まないで遊んでいたような気がしたけど)

「サエコ、おまえ、こんな朝からゲームやってるのかい?」
「うん! このゲームすごいんだよ! お姫さまも剣をもって戦うんだ!」
 私は、興奮しながらパパに話をした。
「お姫さま? お姫様は、剣で戦ったりしないよ」
「だって、ほんとだもん! あ、やられちゃった!」

 私は、リセットボタンを押そうとして、ハッと気がついた。
(確か、現実にはリセットボタンなんて存在しない……ってパパに言われたような)
 私は、あえてリセットボタンを押さずにそのまま、ゲームを進めてみた。
 するとどうだろう、ライフが減ると王子様が現れ、私を助けてくれたのだ。
(え! そういう仕様だったかしら……)

「王子さまの登場だな」
 パパが、私の頭を撫ぜてくれた。
「さしずめ、サエコの王子さまはワタルくんかな?」
「ワタル?」
(ワタル? ワタルって誰だっけ?)
 そういえば、幼い頃近所に引っ越してきた男の子がいた。身体は小さいが、元気いっぱいでいつも泥だらけで遊んでいた……
(ワタルって名前だったかなぁ、その子)

「そろそろ、やってくるぞワタルくん」
「え?」
「なんだ、毎週日曜日は一緒に礼拝に行っているだろう」
(礼拝……確か幼稚園がミッション系で毎週日曜日の午前中は賛美歌を歌っていたんだ)

 朝食を終えると、玄関のチャイムが鳴った。
「ほらきたよ、王子様」
 パパは笑った。
 急いで玄関に向かうと、ナツミと背の小さな男の子がいた。
「サッちん、遅いぞ!」
(なに、この生意気なしゃべり方、おまけに制服はヨレヨレ、ベレー帽は裏返し……)
 それに比べてナツミは相変わらずかわいらしい。髪の毛はツインテールにしてベレー帽から大きなリボンが見えている。
「ワタルくんベレー帽ちゃんとかぶりなよ!」
 ナツミがワタルのベレー帽を元に裏返すと頭に載せた。
「サッちん、急ぐぞ!」
 と、突然、ワタルが私の手を握った。
「サッちん、早くしないと、ドラゴンがくるぜ!」
 すごい勢いで引っ張るので、私はよろめいた。
「何すんのよ!」
 私は、おもいっきりワタルを睨みつけた。
「うわぁ、サッちん、キバの女王様みたいだな! 変身するのか!」
「はぁ? 何それ!」
「知んないの? ティアラは、怒りの実を食べるとキバの女王になって無敵なんだぞ!」
(なんだかよくわからないけど、どうもプリンセスティアラのゲームで、アイテムをたべると変身するってこと?)

「ティアラ! アタック!」
 そういうと、私の脳天にチョップを当ててきた。
「いたい! やったわね!」
(ああ、うざい! この手の子供は苦手だわ、ここは、これで挽回できるかしら)
 私は、思いっきりワタルの背後から抱きしめた。そして、ちっちゃな身体を持ち上げた。
「サ、サッちん……な、なんだよ」
「スクイーズ! クラッシュ!」
 そういうと、思いっきり腕でワタルの身体を締め上げた。
「うわわ、サッちん、痛いーっ」
 ちっちゃなワタルは、足をバタつかせている。
「ふんっ」
 ワタルを地面におろすと、ワタルは、フラフラしていきなり地面に倒れこんでしまった。

「あら! ワタル!」
「どうしよ! サエちゃん、ワタルくん、死んじゃったの?」
「そんなことないよ!」
「だって、動かなくなっちゃったよ」
 そういうとナツミは、ポロポロ泣き出した。
 私は、ワタルの口と、首筋に手を当てた。呼吸もしているし、脈もある。失神しているだけのようだ。
(子供って、こんなに簡単に気を失っちゃうの? こまったわ)

 私は、ワタルを何度か揺り動かすと、ワタルが目を開けた。
「あ、目あけた!」
 ナツミは、よかったとはしゃいでいる。
「だいじょうぶ? ちょっとやりすぎちゃった。ゴメンね。ワタル」
 そういうと、ワタルがニッコリ微笑んだ。

「サエコさん、会えましたね」
「え?」

 礼拝堂へ向かうバスでは、ワタルは静かに窓の外を眺めていた。
 ナツミが心配そうにヒソヒソと私に話しかけてきた。
「ワタルくん、いつもとちがうね、なんだか、大人の人みたい」
「そうだね、おかしいね」
「いつもは、はしゃいで先生に怒られるのに、今日はいい子だし」
 私は、じっとワタルを見つめていた。
(「サエコさん、会えましたね」……さっきまでサッちんて呼んでいたのが、サエコさん?)

 バスが止まって私とナツミが礼拝堂に向かおうとしたところで、ワタルがそっと私の肩を叩いた。
「サエコさん、ちょっと話があるんだけど」
 ナツミがびっくりしてワタルをみた。
「ねぇ、いつもはサッちんって呼んでるのに、なんでサエコさんなの?」
 ワタルは、びっくりした顔をして、ちっちゃな声で言い直した。
「サッちん、ちょっと話があるんだけどいいかな」
「うん、じゃナツミ、あとでいくから先にいってて」
「じゃね!」
 ナツミが礼拝堂に向かうと、ワタルは手首のブレスレットを見せた。

「あ! ブレスレット」
(ということは、新システムを利用している?)
「すいません、僕は、研究所で担当していたワタルです」
「研究所?」
「メガネの新システムを担当していた……」
「え! あの先生?」
 ワタルは少し照れながらうつむいた。
「実は、いろいろ不具合がありまして、困ったことになっています」
 私は、体のちっちゃなワタルが、大人びた言葉を話しているギャップがおかしくて思わず笑ってしまった。
 ワタルは、ちょっとムッとした顔をして話を続けた。
「笑い事じゃないんですよ、システム起動時にトラブルがあり、サエコさんのプログラムは誕生から28歳まで全ての記憶がターゲットになっています」
「え! 28年分の記憶をすべてみることになるの?」
 私は、生まれた頃から記憶が再現された意味を理解した。
「それって、すごいじゃない!」
「それが、28年分というと、現実には7日間も新システムにとどまることになって、飲まず食わずで7日間ということになり、身体が非常に危険な状態になります」
「え……」
「とりあえず、カプセルに穴をあけて点滴を打って対処はしましたが、体力を維持できるかわかりません」
「うーん……」
「とりあえず、今の状況をご理解いただけましたか?」
「わかったわ」
「それでは、ここまででいったんシステムから離脱をしていただきたいのですが、残念ながら新システムではまだ、赤ボタンでの離脱ができません」
「で?」

「強制的にシステムを停止しますので、そのことだけ認識していただきたいのです」
「でも、私、高校時代に、確認しておきたいことがあるのよ」
「システムを見直してから再度、アクセスしてはいかがでしょう?」
「でも、それには、まだ数週間かかってしまうんでしょ?」
「まぁ、そうですね……」
 私は、決断した。
「こうしましょう! 高校卒業までこのまま続けさせてちょうだい、もちろん、現実に私の身体が危険だと判断したら強制的にシステムを停止してもかまわないわ」
「でも、それでは、どんな影響がでるかわかりませんよ」
「いいじゃない、それだって実験データの一つになるんだし、それも覚悟の上だから」
「しかし……」
「文書かなにかで残さないとダメなんていわないでよ! 私がそういっているんだから」
「うーん」
 ちっちゃなワタルは腕を組み、考え込んでいる。
「私、この世界が好きなのよ、いろいろ面白いことがわかって楽しいのよ」

 しばらく沈黙が続いたが、ワタルは、了承してくれた。
「その代わりといっちゃなんですが、私は幼稚園卒園までこちらで確認をして離脱しますので」
「それは、かまわないけど、そんな態度じゃだめね、わたしのことはサッちんて呼んで、もっと子供らしくしてくれないと」
「子供らしく……ですか」
 私は、ワタルに向かって攻撃をした。
「ティアラ! アタック!」
「う……」
「もっとテンションあげて、反応しないと! 子供なんだから!」
「が、がんばってみます」
「私の記憶の中なんだから、ちゃんと演技してもらわないと台無しなんだから!」
「わ、わかりました」
 そういうとちっちゃなワタルは苦笑いをした。

 幼稚園は、実に楽しい毎日だった。
 毎朝、ナツミとワタルと私は、一緒に幼稚園にでかけたが、どうしてもワタルの印象が薄い。ワタルの横顔をみながら、私は思い出そうと努力したが、どうもピンとこないのがもどかしかった。
 幼稚園では、お遊戯の時間は、みんな真剣に身体を動かしているし、お弁当の時間も仲良くみんなで食べた。
 そして何よりも楽しいのは、お遊びの時間だった。絵本を読んでもいいし、お絵かき、あやとり、折り紙、ゴム段で遊ぶのはなんとも懐かしい。何度か遊んでいるうちに感も取り戻せてきた。一方の男の子は、外でサッカーや、大きな積み木を積み上げては壊していたりしていた。

 そんなある日、事件がおきた。
 私がお絵かきをしていると、高く積まれた大きなツミキタワーが、ゆっくり私のほうへ倒れてきたのだ。
「サエちゃんあぶない!」
 ナツミの声に私が顔を上げると、ツミキが落ちてきていた。そのとき、近くにいたワタルがサッと私に覆いかぶさり、ツミキを防いでくれたのだ。ちっちゃな身体のワタルに、次々大きなツミキがバラバラと当たり私とワタルは積み木に押し潰された。
 そしてツミキタワーが倒れきったとき、私が見たのは、血だらけのワタルの顔だった。
(大変! なんで血がでたの? って 思い出した! 私の髪留めが額に刺さったんだ!)
「ワタル!」
 ワタルの額がパックリ切れてジワジワと血が出ている。
「ナツミ! 先生呼んできて!」
 私は、そういうと、ポケットにあったハンカチを取り出して傷口に当てようとした。
「あ!」
 ワタルは、驚いたように私を見つめ、私の腕を押さえた。
「そのハンカチは、大事にしてたやつだろ、汚れちゃうからいいよ」
「なに、言ってるの、そんなもの、また買ってもらえばいいじゃない!」
 ワタルは、痛みをこらえて涙目になっている。
 私は、パックリ開いた傷口をハンカチでしっかり押さえた。
 先生が飛んでくると、ワタルは、近くの病院に連れて行かれた。

 ワタルが病院から帰ってきたのは夕方近かった。
 私とナツミは、ずっとワタルのカバンをもったまま待っていた。ナツミは待ちくたびれたのか、私に寄りかかって寝てしまっていた。

(「そのハンカチは、たしか大事にしてたやつ、汚れちゃうからいいよ」って……)
 私は何度もそのフレーズを繰り返した。どうしてそんなことをワタルが話したんだろう。
(あの時、私、どうしてたんだっけ……)
 私は、何度もツミキの倒れてくるシーンと、ワタルが頭から血を流しているシーンとを、繰り返し頭の中で再現してみた。

「あ、思い出した!」
 あの時、手にしていたのは、海外のお土産でパパからもらった大判のハンカチだったんだ。そして、そのハンカチをワタルの額に当てるのを躊躇していたのだ。さらに、ワタルの血がまるで汚いもののように、血だらけのワタルを残して自分だけそそくさと手を洗いに行っていた……。

 私は、愕然とした。
 確かに、小さな頃は親からもらったものは宝物だったのかもしれない。でも、今考えてみれば、そんなことよりも私をかばってくれたワタルを心配してきちんと手当てするのが当然のことだ。
(私ってなんなの! 自分本位で全然機転のきかない女の子だったの?)
「はぁ……」
 私は窓の外を見つめながら、ため息をついた。

「サッちん、男の勲章もらったぞー!」
 ワタルが先生につれられて帰ってきた。
「あんまり、暴れると傷口ひらいちゃうから、おとなしくしておこーね」
 先生がワタルの頭を撫ぜている。
「3針も縫ったんだぜ!」
 そんな話をするとナツミが心配そうにワタルを見つめた。
「ワタルくん、痛そう……」
「痛くないもんね」
 私は、ワタルに近づいてじっと見つめた。
「な、なんだよ、サッちん」
「ワタル、ありがとう、私のためにゴメンね」
「え? べ、べつに……」
 そういうと、顔を真っ赤にして私からカバンを奪いとると走り出した。
「ワタルくん、走っちゃダメでしょ!」
 ナツミの声が響く。私もナツミもワタルの後を追いかけ、お迎えのバスに乗り込んだのだった。

~~

 プシュー。カプセルが開いた。
 エリカはあわててカプセルに近づいた。
「ワタル兄さん、大丈夫?」
「いやぁ、おどろいたよ」
 ワタルはカプセルから出ると嬉しそうに笑った。
「なんだか、サッちんから、僕の幼稚園時代に負ったトラウマを消してもらったよ」
「サッちん?」
「ああ、僕が幼稚園時代にサエコさんをそう呼んでいたんだよ」
 ワタルは、ニコニコすると前髪を上げて額を出した。そこには薄っすらと傷跡が見える。
「ああ、それって幼稚園のときの怪我なんでしょう?」
「そう、僕は、ずっとこの傷口が嫌で嫌でたまらなかったんだ、なんか汚いものって感じてずっと隠していたんだよ」
 ワタルはエリカを見つめて話をつづけた。
「でも、今日からは、この傷跡は僕の誇りになったよ」
「どういうこと?」
「この傷は、サッちんとの事故が原因だったんだけど、一人傷ついて馬鹿をみたと思っていたんだ」
 ワタルは、端末を確認しながら話を続けた。
「でも、今回の彼女の記憶の中で、この傷は、彼女を守れたことに自分の中で大きな誇りになったんだよ」
 そういいながらエリカに微笑んだ。
「そういえば、サエコ様はどうなったの?」
「懸命に説得をしたんだけど、彼女自身、どうしてもシステムに残りたいというんだよ」
「そんなに、残りたいってなにか訳があるのかしら」
「ともかく、高校時代の3年間にこだわりがあるみたいだ」
「高校時代の3年?」
「ともかく、定期的に彼女の記憶の中に介入して、モニタリングしたほうがいいかもしれないな」
「協力者を探すって事?」
「そうだね、小学校、中学校、高校時代の彼女の名簿を調べて、彼女の身近にいて連絡が取れる人をさがそう」
「検索してみます!」
 そういうと、エリカは、急いで端末に向かうと検索を始めた。

連載5 #9なつやすみ

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【初稿】20140327(連載5)


~なつやすみ~

 ワタルは、サエコがこだわる高校時代に何があったのか、関係者からの情報を集めようと高校の名簿をしらべてみた。

 名簿を目で追っていくと見覚えのある名前が飛び込んできた。
「これ、これツヨシじゃないか?」
 ワタルは、大学時代の友人と同姓同名を見つけたのだ。偶然かもしれないと、大学の名簿も検索し、ツヨシがサエコと同じ出身校ということを確認した。
「まちがいない!」
 ワタルは、席を立つとロッカールームへもどり、携帯電話でツヨシに電話をした。

「ツヨシか? ワタルだ!」
「おお、ワタルか、ひさしぶり!」
「ひさしぶりだね! そうだ! 結婚おめでとう!」
「ありがとう、でも、挙式は来月だけどな」
「ところで、カゲヤマサエコって女性を知ってるか?」
「え! カゲヤマ……サ、サエコ?」
 ツヨシが驚いた声を張り上げた。
「知ってそうだな、悪いけれど、ちょっと協力してくれないか」
「ごめん、俺、サエコにはかかわりたくないんだ……」
「え? かかわりたくない?」
 突然、電話口の奥で女性の声が聞こえ、なにやらもめているのが電話口から聞こえてきた。
(「サエちゃんがどうかしたの?」「いや、なんでもないから」「ちょっと代わってよ」「ナツミ、おまえの電話じゃないんだから……」)

「サエちゃん?」
 ワタルは、確かに電話口の向こうで話していたのを聞いた。
「ツヨシ、もしかして結婚する相手のナツミさんって、サエコさんの幼馴染のナツミさんなのか?」
「え? ワタル、ナツミのこと知ってるのか?」
 驚いた。どうやら図星のようだ。
「実は、子供の頃、一緒に遊んだことがあるんだよ、ちょっとナツミさんに代わってくれないか」
「うーん」
 ツヨシは、電話を代わりたがらない。
「たのむよ、ツヨシ!」
 突然、ガサガサと音がしてナツミが電話口にでた。
「私、ナツミです、サエコになんかあったんですか?」
「あ、ナツミちゃん? 僕、ワタル、おぼえてる?」
「ワタル?」
「幼稚園のときに、額を切った……」
「え! あのワタルくん?」
 ナツミの声が、急に明るくなった。
「実はサエコさんがバーチャルツアーの新システムで困ったことになっているんだ」
「バーチャルツアー?」
「うーん、電話ではちょっと説明は難しいから、サエコさんがいるところまで来てくれないか?」
「それは構わないけど、サエコ合ってくれるかなぁ」
 ワタルは、苦笑いした。今の状態でサエコが拒否できるわけがない。
「だいじょうぶ! 1分1秒を争うんだ、車を迎えに行かせるから、すぐに出れるように準備をしておいて」
「え! そんな大変なことに?」
「お願いだ! すぐにきてほしい!」
「わかりました! 準備して待ちます」

 ワタルは、すぐに車の手配をした。そして、カプセルの中のサエコを覗き込むとつぶやいた。
「もうすぐ、2日目か……なんとかしなければ」
 ワタルは、ナツミがやってくるまで少し仮眠をすることにした。

~~

 給食当番が白い割烹着姿で配膳をしている。
「ちょっと、なんで男子と女子とおかずの量がちがうのよ! ズルイわよ」
 私は、思わず叫んでしまった。
「だって、女子は、給食残すじゃないか! だから、おかずは少しでいいんだよ」
「なに言ってんの! ちゃんと配りなさいよ! 残したら、その時、あんたにあげるわよ」
「いらないよ、サエの食べ残しなんか」
「いいから、ちゃんとおかずいれなさいよ!」
「ちぇ」
(まったく、子供のころから男はズルイ、自分の都合だけで勝手に判断するんだから)

 私は、カレーシチューの入った給食をもって席に戻った。
「ナツミ、あんたもちゃんと食べないと大きくならないわよ」
「うん……でもニンジンきらいだし」
「しょうがないわね、ニンジンもおいしいのに!」
 そういうとナツミのニンジンと私のジャガイモを取り替えた。
「サエちゃん、ありがと!」
 ナツミは私にニッコリ微笑んだ。
(うーん、かわいい!)
「だけど、さっきの男子が話してたのも、そうかもしれないよ」
「なんで?」
「だって、みんな同じ量でも、残しちゃったらもったいないじゃない」
「そうだけど……」
「だから、『少なめ?』とか聞いてくれるといいかなって思うんだ」
「そうだね! で、あまったら、お代わりすればいいもんね!」
(ナツミ、頭いいじゃない! うちの仕事場のスタッフにしたいぐらいだわ)
 私は、思わず感心してしまった。

 給食を食べながら、窓の外をみると、もう夏の日差しになっている。
 もうすぐ小学校4年生の夏休みがやってくる。

(小学校4年生、たしか、この夏、林間学校でナツミと大喧嘩したんじゃなかったかしら……)
 私は、ナツミの横顔を見つめていた。
(何が原因だっけ? 喧嘩して夏休み中、ずっと口もきかなかった気がする)
 私は、頭を抱えた。
(だいじょうぶ、今の私ならきちんと対応できるはず!)

~~

 ワタルは、内線電話の呼び出し音で目が覚めた。
 顔を上げると、スタッフに連れられ女性がコチラを見ていた。
「ナツミちゃん?」
 ワタルが、そう話すと、女性は黙ってうなずいた。

 ワタルは、バーチャルツアーの話、V.L.R.P.(バーチャルライフリバイバルプラン)の話、そしてサエコがテストモニタに協力したいと積極的だったこと、特に高校時代にこだわっていた事を話した。
「というわけで、新システムの設定ミスで、サエコさんは28年間のイメージの中にいるんだ」
 ナツミは、カプセルのなかのサエコをじっと見つめていた。
「ともかく、体力が落ちる前に離脱させるように説得すればいいんですね」
「そのためには、ナツミさんにも準備をしてもらわなくてはなりません」
「わかりました、協力するから始めてください!」
 ワタルは、ナツミが新システムに接続するための準備に取りかかったが、データ補完が完了するまで6時間がかかってしまった。

「お待たせしました、これで新システムには入れるようになりましたよ」
「待っている間にバーチャルツアーをさせてもらったけれど、これってリアルでびっくりしました」
「ありがとう! でも、新システムはもっと驚きますよ」

 ワタルは、モニタに映し出されたサエコの年表を確認すると話した。
「おおよそ、今は、小学校4年生の夏休みになったあたり……」
「小学校4年生の夏休みですって!」
「林間学校があるのかな」
「私、今すぐサエちゃんに会ってきます、この夏休みの間、私、サエちゃんに話しておかなくちゃいけないことがあるんです」
 ワタルは、少し驚いた。
「じゃ、2ヶ月間60分でセットするから、かならずブレスレットの数字を確認してくださいね」
「わかりました」
 そういうと、ナツミはカプセルに入った。

~~

 林間学校初日の晩はキャンプファイヤーだった。
 私は、子供の頃から、家族でよくキャンプに行っていたこともあり、大はしゃぎをしていた。
(いけない、ここは冷静にナツミのことを考えておかないと)
 そうは思っても、みんなで楽しく歌を歌ったり、フォークダンスをしたりで、私は、興奮しながらも、チラチラとナツミを観察していた。

 そして各々の部屋にもどり、消灯までの自由時間は、トランプをしたり、男子の話や、怖い話をしたりとこれまた大興奮だった。
(ふぅ、ここまでは別段問題なさそう……)
 私は、ナツミがニコニコしている横顔を見ながらそっと胸をなでおろした。

 しばらくすると、部屋に先生がやってきた。
「さぁ、消灯時間だ! 明日も早いから、すぐ寝なさい!」
 そういうと、部屋が薄暗くなった。
 しばらくは、ヒソヒソ声やクスクスと笑い声が聞こえた。

 私は、目を閉じ、隣で寝ているナツミとの喧嘩のことを思い出そうと必死だった。すると、隣で寝ていたナツミが私の腕をつついてきた。
「サエちゃん、起きてる?」
「うん、起きてるよ」
「サエちゃん、私、ナツミだよ」
「え?」
 そういうと、ナツミは薄暗い部屋でブレスレットを見せた。
「あれ、そのブレスレットは……」
「私も、サエちゃんの話をワタルくんから聞いて、こっちへやってきちゃった」
 私は、おもわずナツミの手を握った。
「ひさしぶりだね、ナツミ」
「うん、ひさしぶり……」
 私は、ナツミに高校時代の話を聞きたかった。

 ・ツヨシは、文化祭の晩、告白したのはなぜか?
 ・ツヨシの手紙の意味は?
 ・ナツミが卒業式の日、怒っていたのはなぜか?

「ねぇ、ナツミ……高校の時」
 私が話をし始めると、さえぎるようにナツミが話してきた。
「サエちゃん、高校の時の話は、私もちゃんとしなくちゃと思ってる」
「う、うん……」
 ナツミは、薄暗い中私の顔をじっと見つめている。
「でもその話は、このシステムから出てからきちんと話すよ」
 私は、驚いてナツミを見つめた。
「ああ、ワタルに頼まれたのね」
「だって、サエちゃんの身体が心配なんだよ」
 突然、ナツミは目から涙がポロリと落ちた。
「ちょっと、ナツミ、こんな時に泣かないでよ」
「だって……高校卒業してから、久しぶりに会えたのに……サエちゃんがこんなことになっているだなんて」
「まぁ、最初はおどろいたけど……でも気が付かなかった自分のことが分かって楽しいよ、で高校の時なんだけど……」

「高校の頃の話は、ちゃんとシステムを出て、サエちゃんが元気になってから!」
「えー! そんなー!」
 ナツミは私の反応に、クスクス笑った。
(こんなに、私のことを心配してくれているのに、なんで喧嘩なんかしたんだろう……私)
 私は、おもわず涙があふれそうになり、あわてて寝返りを打ち、ナツミに背中をみせた。

「ところで、この林間学校でナツミと喧嘩したよね」
「したね……あれはサエちゃんが、ヒドいことをしたからだよ」
「うーん、ゴメン、私全然記憶にないんだ……たぶん、これから起こると思うんだけど」
「え? 覚えてないの?」
「うん、だから、先に謝っておくね、ごめんね」
 ナツミはクスクス笑い出した。
「サエちゃんらしいね」
「なにが?」
「サエちゃんのすごいところは、すばやい段取りと、嫌なことがあっても次の日にはケロリとしてるところ」
「そう?」

 ナツミは、そっと私の背中にくっつくと、耳元でコソコソ話をはじめた。
「ヒントは、肝試し」
 思わず、振り返ってナツミを見た。
「肝試し……あ! もしかして、マスク男の……」
 私は、はっきりと思い出した。

 林間学校の最後の2日間は、夜間に肝試し大会があった。驚かす班と、肝試しをする班に分かれて15分間隔で決められたルートを歩くというものだ。
 わたしとナツミは、同じ驚かす班を担当していたが、そのとき私がちょっとばかりナツミにイタズラをしたのだ。
 同じ驚かす班にもかかわらず、木の陰に隠れているナツミを逆に驚かしたのだ。しかも、私は、先生の男物のジャケットを着てマスクをして、変質者のごとく背後から襲ったのだ。
 ナツミは、悲鳴も出せず、その場で腰を抜かしてしまった。当時、私もあまりにやりすぎたとおもったのだが、それ以来ナツミは私の事を避け、一切口をきいてくれなくなった。

「ごめんね、ちょっとしたイタズラだったんだけど、やりすぎたね」 
「あれ以来、私、男の人としばらく話ができなかったんだよ」
「ごめんねナツミ……」
「ほんとうにそう思ってる?」
「うん、もちろんだよ」
 ナツミは、意地悪そうに私のことを見た。

「それじゃイタズラした罰に、小学校4年生の夏休み、このサエちゃんの世界でもう一度やり直そうよ!」
「え!」
「わたしも、あの夏休みはすごくつまらなかったんだ、なんどもサエちゃん家の玄関まで行ってたんだけど、どうしても許せなくて」
「ナツミ……」
「うふふ」
「ナツミ、ゴメンね、それじゃ、林間学校終わったら、思いっきり夏休みを楽しんじゃおう!」
「やったー!」
 私は、ナツミといっしょにクスクス笑った。

~~

 林間学校の肝試しも無事に終え、林間学校から帰ると、わたしとナツミは毎日いっしょに宿題をやったり、図書館で調べ物をしたり、バスにのって買い物にでかけたりと大忙しだった。
「やっぱり、ナツミといると楽しいな」
 私が、帰りのバスで話をするとナツミもうなずいた。
「だって、幼稚園から一緒だし、サエちゃんのこと良く知ってるし」
「うん、私だって泣き虫ナツミのことは詳しいよ」
「ふふ、でもすぐ忘れちゃうくせに……」
「ゴ、ゴメン!」
 ナツミは楽しそうにニコニコ笑った。

~~

「今日で、夏休みおわりだね」
 ナツミがバスを降りるとポツリとつぶやいた。
 私は、茜色に染まった夕焼け雲を見ていると、ナツミが私の手を握って立ち止まった。

「そうだ、サエちゃん、実際はこの夏休み中、喧嘩してたじゃない」
「うん」
「どうやって解決したか覚えてる?」
「えっと、どうしたんだっけ?」
「やっぱり、忘れちゃってたんだ!」
 ナツミは呆れたように私を見るとクスクス笑った。

「夏休み最後の今日、ちょうどこの場所でバッタリ会ったんじゃない!」
「そうだったっけ?」
 ナツミは私の顔をのぞきこんだ。
「そのとき、サエちゃんは、『ナツミ、ゴメンね』って、いきなりすごい勢いで泣き出しちゃったんだ」
 私は、目を伏せてそのシーンを思い出していた。
「あ……、そうだったね、そしたら、ナツミも泣き出しちゃったんだよね」
「うん、私もサエちゃんのこと、どうして許してあげられなかったのかなって、急に悲しくなっちゃって泣いちゃった」
 
 ナツミは、ブレスレットをちらりとみた。
「あ、もう時間がないよ、サエちゃん一緒にもどろうよ!」
「ナツミ、私、今回のことでいろいろ自分の事がよくわかってきたんだ、もうちょっと時間をちょうだい」
「でも……」
「たぶん、これから中学、高校でもナツミにはたくさん迷惑をかけていたのかもしれないけど、もっと自分のことを良く知りたいんだ、もちろん、ちゃんと帰るよ!」
「うん……」
 ナツミは、悲しそうな顔をすると、涙がポロリとこぼれた。
「ほら、ナツミはすぐ泣くんだから」
「だって……」
 私は、ナツミの手をぎゅっと握りニッコリ微笑むと、ナツミに背を向けて走り出した。
「サエちゃん、きっと帰ってきてよ、約束だからね!」
 ナツミの叫び声が、背後から聞こえてくると、涙がポロポロあふれてきたが、私はそれをぬぐうこともせず走りつづけた。

~~

「ナツミちゃん、どうだった?」
 ワタルは、カプセルからでてきたナツミに声をかけておどろいた。
 ナツミは、目を真っ赤にはらしてポロポロ泣いていたのだ。
「ナツミちゃん……大丈夫?」
 ワタルは、ナツミにハンカチを渡した。ナツミは、大きく息をすると、ワタルに微笑んだ。
「私、この時代のサエちゃんに会えてよかったです、長いこと胸につかえていたものがスッと取れた感じです」
「へ?」
「やっぱり、サエちゃんは、わたしの大事な友達です」
「うーん、僕も、幼い頃のサエコさんにあってよかったと思ってる、不思議だね、嫌なことを思い出すのかと思っていたんだけど、そうじゃなかった」
「サエちゃん……サエちゃん自身も自分のことが分かってきたっていってましたが」
「うーん」
「ただ、もう少し時間がほしいといってました」
「そう?」
 ワタルは、カプセルの中のサエコを覗き込んだ。

 気のせいか、サエコの身体がだいぶ痩せてきたような気がする。すでに3日目が終わろうとしている。
「ところで、ナツミちゃん、中学時代に一番身近にいた人物っていないかな」
 ナツミは、涙をぬぐい、ハンカチをワタルに返すと話をした。
「うーん、私はクラスが別になってしまって、部活もちがうし……あ! アイコちゃんがいます」
「アイコちゃん? 彼女に連絡とれる?」
「大丈夫だと思います! 彼女、協力してくれるかな?」
「まかせてください!」
 そういうと、ナツミは携帯電話を取り出した。

連載6 #10アイコ #11部活

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【2稿】20140402(連載6)
【初稿】20140330(連載6)


~アイコ~

 4月、中学校の入学式の日は、穏やかな天気だった。
 入学式と書かれた大きなタテ看板の前では、恥ずかしそうに親子揃って写真を撮っている姿がなんともほほえましい。
(たしか、私の両親は仕事で来れなくて、ナツミとナツミのご両親といっしょだったはず……)

「サエコちゃん、ナツミと一緒に看板の前に並んで!」
 ナツミのお母さんがカメラを構えてニコニコしている。
(うわ、ナツミちゃんのお母さん若くて、キレイ! っていうかあたりまえか!)
「サエちゃん、早く!」
「う、うん」
 私は、ブカブカのセーラー服をなんとかごまかそうと、大きく息を吸い込んでポーズをとった。
 フラッシュがチカチカっとしてシャッターがきれる。
(たしか、このときの写真は、ナツミとお揃いで買った中学時代のアルバムのトップに入れたんじゃなかったかしら)
「いい感じ!、じゃ、後でまたね!」
 ナツミのお母さんもとても嬉しそうだった。
 
 桜の花びらがヒラヒラと舞い、青空が気持ちいい。どことなくドキドキしてワクワクしてくる。
(こんなに、初々しい時もあったんだよね、私も……すっかり忘れてた)
 ナツミと一緒に校舎に向かうと、何やら人だかりができているのがみえる。

「新入生は、こちらの掲示板でクラスを確かめてから教室へ入ってください」
 上級生が大きな声で案内をしている。

「サエちゃん! いっしょのクラスがいいなぁ」
「そうだね」
 私は、そう言うとナツミのセーラー服姿をじっくりと観察してみた。
 髪の毛はツインテールからおさげになっているし、セーラー服の肩が落ちてしまっている。袖も手のひらが半分くらい隠れてしまって、ちょうどお姉さんのセーラー服を小学生が着てみたような感じになっていた。
「うふふ、ナツミのセーラー服もブカブカだね!」
「うん、でもすぐ大きくなるからって……」
「それじゃ、たくさん、ご飯も食べなくちゃね」
「うん、ニンジンもね!」
「えらい! ナツミちゃん、えらいねぇ!」
「もう! サエちゃんたら、いじわるなんだから」

 掲示板の前にやっとのことで出てみるとナツミと自分の名前をさがしてみた。
 すると、ナツミはA組、私はB組だった。チラリとナツミを横目でみると、ナツミがうつむいている。
「ちょっと! ナツミ、まさか入学早々泣かないでよ! あとでA組に遊びにいくから!」
「うん……じゃ、あとでね」
 何度も、私のほうを振り返りながらナツミはトボトボとA組に消えた。

(あいかわらずだなぁ ナツミは……)
 私もB組の教室に入った。すでに何人かが自分の席に座っておしゃべりをしている。
 黒板に目をやると、A3用紙の席次表が貼りだされており、自分の名前をさがすと席についた。
 ふと隣を見ると、やはり背の高い女子が、キョロキョロと教室を見回している。

「あ、私、サエコ、よろしくね」
 声をかけると、その背の高い女子は、じっと私の顔を見つめてきた。そして、しばらく沈黙があり、いきなり言い放った。
「80点」
「え?」
 私が、聞きなおすと、今度はかなり大きな声を出した。
「あんたは、80点」
 彼女は、私に点数をつけてきたのだ。

 私は、カチンときた。人がせっかく挨拶をしているのに、人の顔をみて点数をつける神経がわからない。
「あんた、ちょっと失礼じゃないの! 何! 80点って」
「訂正、70点」
「はぁ? 訳わかんな……」
 ますます、頭にきてしまった。そして言い返そうとして、ハッと気が付いた。
(このやり取り……そうだ! 思い出した! この子アイコじゃない! たしか、アイコはヘアアレンジに凝っていて、クラス中の女の子に髪型ランキングをつけてたんだ!)

「ふっ」
 私は、少し余裕をもって、彼女に向かって、大きな声で話してみた。
「うふふ、あなたのは、20点、最低ね」
 すると、彼女は、一瞬驚いた顔をしていたが、すぐにキッと私を睨みつけてきた。
「何! あんたに何がわかるっていうの」
「ふふ、髪の毛、アナタのはちょっとパサパサ、おまけにツヤもないじゃない……最低!」
 私が話をすると、彼女はいきなり席を立ち、私の髪の毛に手を伸ばしてきた。
「あなたも、たいして変わらないじゃない」
「ふふ、あんたとちがって、私は手入れをしなくてもこの程度だから」
「ふん」
 彼女は不機嫌そうにプイと横を向いた。
(アイコ……気難しい性格だけど、最初は、こんなにヒドかった?)

 私は、もう一度、挨拶をした。
「私は、サエコ、よろしくね、パサパサさん」
「パサパサいうな、私には、アイコって名前があるんだから」
 アイコは、怖い顔をして私を睨んできた。
「50点」
 私が、さっきのお返しとばかりに点数を告げた。
「え?」
 アイコは、私の顔を見つめ、少し考えてると大きな声を出した。
「いいじゃない、アイコって名前は、私、気に入ってるんだ、あなたにとやかく言われたくはないわ」
「名前のことじゃないわよ、アナタのセーラー服の着こなしよ」
「え!」
 アイコは、あたふたと、自分の制服を直し、スカーフの形も綺麗に直した。
「どう? 点数を付けられた気分は……」
「う……」
 アイコは、呆然と私をみていた。
「人の点数付ける前に、自分の点数つけなさいよ、バカじゃないの」
 私が話すと、アイコは目を伏せた。
「あーあー、悪かったわよ、あやまりますよ、ゴメンなさい」
 私は、アイコに微笑んだ。するとアイコも、苦笑いをみせた。
(そうそう、この素直さがアイコのいいところ……)

 これが、アイコとの最初の会話だった。
 しかしその後も、何かと物に点数をつけランキングをつけるのには呆れてしまった。男子のイケメン度合、先生のファッションセンス、女の子の歩き方まで、細かく点数をつけてはノートにメモをしていた。

「ねぇ、そんなに点数をつけてどうするのよ?」
「私ね、将来は美容師になろうかと思ってるのよ」
「それで?」
「美容師といえばね、ヘアースタイルだけじゃなくて、ライフスタイルの提案とかもしていきたいわけですよ」
「はぁ?」
「というわけで、ともかく、サッと誰かを見かけたら自分のなかで、この人はどのくらいのレベルって、サッと反応できるように訓練してるわけ」
「ふーん」
(そんな話していたっけなぁ、でも、実際、アイコは高校卒業後、専門学校を出て立派に美容師になったわけだし……エライなぁ)

 私は、おもわずクスクス笑ってしまった。
「なによ? おかしい?」
「いえいえ、がんばってね! っておもっただけ」
「うん! まぁ、ありがと……」
 アイコは、ニッコリ微笑んだ。

~~

 本格的に授業がはじまり、クラスの中もだいぶ落ち着いてきた。
 昼休みになると私は一人でこっそり校内を歩いてみた。中学時代に良く足を運んだ図書室や音楽室、体育館等を覗くとなんとも懐かしい。
(何も、変わっていない……ていうか、私の記憶の中にあるイメージだから当然よね)
 そんなある日、階段を登って、生徒会室前にくると、なにやら掲示板には、カラフルなチラシがいっぱい貼り出されていた。
「部活動?」
(そういえば、私、なんでアノ部活やってたんだっけ……?)

「サエコ! みつけた!」
 突然、背後から大きな声が聞こえて、私は飛び上がってしまった。
「あ、びっくりした! ちょっと驚かさないでよ」
「ゴメンゴメン、最近、昼休みになるといつも姿が見えないから探してたんだよ」
「あはは、ちょっと、校内を見て回ってたのよ」
 私が返事をすると、アイコは、まるで私の話は無視で、掲示板のチラシに釘付けになっている。
「これ部活のチラシじゃない、サエコは何かやるの?」
「うーん、あんまり人と群れるのは好きじゃないんだけど……」
 するとアイコが、左手を腰に手をやり、右手で私を指差してきた。
「そんなことじゃ、大人になってから困るよ! もっとたくさん友達もつくっておしゃべりしなくちゃ!」
「まぁ、そういうあんたもがんばりなさいよ!」
「もちろん!」
 と、アイコが答えたかとおもうと、いきなり私に襲い掛かってきた。

「え? ちょっと、ちょっと! 何? 何? 何?」
「だって、可愛いんだもん、サエコ!」
「えぇぇぇ?」
 私が後ずさりをすると、アイコが、サッとブレスレットを見せた。

「あ! ブレスレット! え! アイコもこっちに来たの?」
「だって、ナツミが泣いて頼んでくるんだもん、仕方ないじゃない」
「ナツミは、泣き虫って知ってるでしょうが……アイコだって!」
 アイコは、私の話を無視して、美容師らしく自分の髪の毛を触って確かめていた。
「枝毛ないんだ……私」
(まるで人の話を聞いていない! 何なのよ!)
「ちょっと! アイコ聞いてる?」
「はいはい、ちゃんと聞こえてるって! でもね、今回は別!」
「別?」
「サエコ、あんたの身体、かなりヤバイことになってるんだよ」
「そうなの?」
「研究所のワタル? あのメガネ男から、サエコを説得できるのは私くらいだっなんて言われたし」
「アイコ、私は、高校時代のツヨシの告白、手紙、それからナツミの喧嘩のことだけは今回確認しておきたいのよ」
「まぁ、サエコの気持ちは分かるけど、この世界って、サエコの記憶でできているんでしょう? ということは、結局、サエコの都合のいい結果にしかならないんじゃない?」
「そりゃそうだけど……でも、私自身、何か見落としたものがある気がしてならないのよ」
「見落としねぇ」
 アイコは、私の顔を覗き込むと、小さな声でヒソヒソ話をしてきた。
「ともかくサエコとこの3年間は一緒させてもらって、いろいろ話をさせてもらうからね」
「いいけど、くれぐれも邪魔はしないでよ」
「さぁ、それは、どうかな!」

 アイコは、掲示板に張られたチラシに視線を戻すと、例によって点数をつけはじめた。
 私は、また始まったと呆れたが、いずれも低い点数ばかりだ。
「あ、これ! 満点!」
 突然、アイコが大声をあげた。
 私は、驚いてアイコが指差した部活のチラシを見た。

「弓道部」

「ちょっと、ちょっとアイコ、あんた弓道ってわかってるの?」
「ぜんぜん!」
「私の母親がやってたけど、あれは礼儀礼式と精神鍛錬というか、とても生半可じゃできないわよ」
「だってこの上着に袴って清楚な感じがするじゃない、それに胸当ても女性って感じしない?」
 私は、呆れてアイコの肩をポンと叩いた。

「アイコ、もしかして、部活って見た目で選んでる?」
「というか、せっかく女に生まれてきたんだから男子からチヤホヤされたいじゃない」
 私は、キッとアイコを睨んだが、アイコは無邪気そうにこちらを見ている。
「ちょっと! アイコ、ココではちゃんと中学生になりきってよ」
「もう! わかってるって!」

 とはいったものの教室に戻っても話の中心は男子のことばかりだった。
「ねぇ、サエコ、男の子に興味ないの?」
「ウザいだけじゃない、やさしくすると勘違いしてくるし」
「勘違い?」
「この間も本屋さんで雑誌を選んでたら『その本を取ってくれませんか』って言われて……」
「ふんふん! イケメン?」
 アイコは身を乗り出して興味津々のようだ。
「まぁ、雰囲気はいい感じだったんだけど……」
「だけど?」
「取ってあげた本が、巨乳美少女ゲームの攻略本だった」
「あぁー、それはさぁ、個人の趣味だからさぁ」
「所詮、男の子ってエロいことしか考えていないのよ」
「ま、でも逆に健康的じゃない、それに男の子だって色々なタイプもいるし!」
 アイコは、そう言いながら、クラスを見回した。

 男子といえば、教室の後ろでプロレスごっこをやってるか、カードゲームでワイワイ騒いでいるか、寝てるかぐらいだ。
「まだまだ、お子様って感じかな……」
 アイコは、ため息をつきながら私の顔をみて苦笑いをした。
「大人と子供の中間なのよね」
「でも、そんな男子でもチヤホヤされたいなぁ」
「チヤホヤねぇ……」
(「チヤホヤ……」この会話、思い出した! 結局、この目的でアノ部活に入ったんだった)

「じゃ、アイコ、チヤホヤされる部活に入ろうよ」
「え?」
 私は、アイコにニコニコ笑ってみせた。

~部活~

「作戦は、こう!」
 私は、アイコに女子力アップのために、料理研究部で腕を磨き、毎日のお弁当の際に試食と言っては料理を出すことを提案した。男子は、ホイホイ味わって私たちの女子力にひれ伏すことになると説明した。
「どうよ!」
 私が、一気にしゃべると、アイコはポカンと口を開けたまま私を見つめていた。
「サエコ、天才っていうか、思い出したわよ! でも、さっきチラシあった?」
「あったよ、すごいガサツなチラシだったけど……」

 実は、この中学校の部活から、社会人になってからも女子力アップのために料理には、興味を持つことになったのだ。

 放課後、私とアイコは、家庭科室に向かってみた。
「あれ、誰もいないね……」
「チラシには、確か、ココってあったんだけど……」

 すると、奥の準備室から軽やかな包丁の音が聞こえてきた。
 私たちは顔を見合わせ、そっと準備室を覗いてみた。すると、そこには長身の男子が、真っ赤なバンダナを頭に巻き、緑色のエプロンをつけてキャベツを一心不乱に刻んでいた。
 私は、頃合いを見て声を掛けることにした。

「あのぉ、料理研究部ってここでしょうか」
「そうだけど、なにか?」
 長身の男子は、こちらには目もくれず、次のキャベツを刻み始めた。

「入部希望で、見学に来たんですが……」

 突然、包丁の動きが止まった。
「なに! 入部希望!」
 そう言うと、包丁を置き、はじめて振り向いた。
「おぉ、女子の部員は初めてだ!」
 突然、アイコがヒジで私に合図した。
「サエコ、すごい、イケメン!」
 アイコは私に耳元でつぶやいたが、私は、その長身の男子を見てうんざりした。あの巨乳美少女ゲーム攻略本の男子だったのだ。

「ごめんなさい何か私、勘違いしてました、失礼します、さようなら」
 私は、そう言うと、くるりと向きを変えて準備室を出た。
「え! ちょっと、サエコ!  どうして?」
 アイコが私を追いかけてきた。
「あいつはキモいからイヤ!」
「え! どういうこと?」
「ほら、さっき話した巨乳美少女ゲーム攻略本の男子よ」
「えぇぇぇ!」

 家庭科室を出ようと扉を開けた瞬間、突然、こんどは私は何かにぶつかり家庭科室内に弾き戻されてしまった。
「あいたた……」
 私は、入り口を見上げた。入り口には、真っ黒に日焼けし、髭をはやしたむさ苦しい男が、ジャガイモのはいった箱をもって立っていた。
「あ、ゴメン、気が付かなかった、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です」
 私は、急いで立ち上がると扉に向かったが、袋をぶら下げた男子がゾロゾロと入ってきて外にはでれない。

 突然、準備室のほうから声がしてきた。
「あ、その2人入部希望者らしいから、部長!キチンと対応お願いしますよ」
 すると、さっきのジャガイモ男が驚いたようにコチラを見つめた。

「あ、いいえ、私の勘違いでした、失礼します」
 そう言いながら、私は、さっさと部屋をでようとしたが、いきなり、私たちの前に、ジャガイモ男が立ちはだかった。

「すみませんが、通してくれませんか」
私が話すと、頭上から威圧的な声が響いてきた。
「あのさ、君たちさ……」
 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。
「まぁ、せっかくだからさ、料理食べて感想もらってもいいかな」
 驚いて顔をあげると、怖い顔でコチラを睨みつけている。

 アイコは、私の腕を引っ張ると小声で話をしてきた。
「いいじゃない、なかなか面白そうだし、料理もつくってくれるのなら、適当に話して帰えればいいんだし」
「うん、そうだけど」
「じゃ、きまり!」
 アイコは、ジャガイモ男と話をした。

 むさくるしい男たちは、バンダナを頭に巻きエプロンを身につけると、ジャガイモを洗い、皮のついたままラップでくるみ電子レンジで蒸かしはじめた。
 蒸しあがった熱々のジャガイモは、包丁で半分に切られると、慣れた手つきで、ツルリと皮から中身を取り出されていく。そしてマッシャーでどんどん潰されていく。
 別の部隊は、玉ねぎと挽肉を炒めワインをふりかけている。そして両者を合わせ塩コショウと生クリームも加え、小判状に整形すると、小麦粉、溶き卵、パン粉をくぐらせ、大鍋の油で揚げていく。
 さらに手が空いた部隊は、どんどん片付を始め、あっという間に、千切りキャベツに熱々のコロッケが盛り付けられていく。
 30分もしないうちに、コロッケが30個近く出来上がった。家庭科室は、コロッケの香りで充満している。

「すごい! すごいよ、サエコ!」
「素晴らしい段取りと組織力!」
 私もこれには驚いた。

「さぁ、試食だ、君たちもこっちで食べようぜ」
 巨乳美少女ゲーム攻略本のイケメンが手招きをしている。アイコは、コロッケの香りに吸い寄せられるように隣に座っている。

「さぁ、君もこっちで、感想を聞かせてくれよ」
 ジャガイモ男が私を見ている。
(なんか、気に入らない……これじゃ女子力アップというよりも、コロッケで釣られている女って感じじゃない)
 とは言っても、この状況下ではどうすることもできない。

 コロッケを一つ箸でつまんだ。
「ソースはつけないの?」
「そのままいただくわ」
 私がナツミに答えると、ジャガイモ男は、ピタッと箸を止めた。

 サクっとコロモが割れ、甘いジャガイモの香りと玉ねぎ、挽肉からのエキスがジワッと流れ込んでくる。
(美味しい、でもちょっと塩味が足らないかな?)
 もう一口目を食べようとして、あたりが静まり返っていることに気がついた。男部員たち全員が私の顔を見つめている。
(え? なにこの状況!)

「ど、どうだ?」
 ジャガイモ男が、私に感想を求めている。
(なんだっけ、こんなことあったわよね、なんだっけ……でも、このコロッケ、正直、もうちょいの味なのよね……)

「美味しいけれど……」
 私が口を開くと、部員全員が耳を澄ましている。
「けれど……?」
 ジャガイモ男はイライラして聞き返してきた。
「塩味が少し足らない気がする……」

 一斉にザワザワと部員達から驚きの声が上がった。
 怖い顔をしていたジャガイモ男が、急に笑顔になった。
「合格だ……入部を許可する」

「え! まだ入部するとか決めてませんけど……」
「かまわん! ただ、入部資格はクリアだ、そっちの連れも食べっぷりがいいから合格だ」
 そう言うとガハハと笑った。
 私がアイコを見ると、すでに3個目をハフハフしながら食べていた。
(でも、当時の部長ってこんなだったかなぁ……これもシステム補完?)

 それからというもの、私とアイコは、料理本を読んでは、料理をするようになった。
 さらに、部活では、単に料理を作って食べるだけではなく、道具の使い方、調理方法、味付け、盛付け、料理の出し方等を紹介する動画をみたり、専門の外部講師を招いて講義を聴くこともあった。

~~

 中学2年生になると、女子部員の後輩も入り、さらに賑わい料理研究部らしくなってきた。
 正直、私自身、中学時代にこんなに充実した日々を送っていたのかどうか疑問に思ったが、そもそも中学時代の記憶があまりない。もしかしたら、システムが私の記憶から補完をして見せてくれているのかもしれない。

 中学2年生も残すところあと1ヶ月になったある日、部長のジャガイモ男が卒業したあとの、新部長の選任について話し合いがされた。もちろん、2年生は、私とアイコしかいない。そこで、ジャガイモ男が、部長昇進試験なるものを実施して決めるということになった。
 試験の内容は、食事の基本である一汁三菜(汁物1品と主菜1品+副菜2品)を決められた時間内に完成させるというものだった。
「いいか、一つ一つの料理が素晴らしくても、一番美味しいタイミングで提供することが大切だ!」
 ジャガイモ男は、そういうと試験日程を決めた。

 一番美味しいタイミング……このためには、段取りが重要だ。
 まずは、きちんと下ごしらえをし、順序良く並行処理をしながら料理を作らなければならない。そのためには火にかけている鍋にも均等に気配りをし、器も料理に合わせて冷たく・温くしなければならないし、さらに盛り付けのための時間もとっておかなくてはならない。

 いつもジャガイモ男が語っていた言葉が気になる。
「いいか、我々が目指しているのは、単なる栄養補給ではない! 食事を、楽しんでもらうこと、そして心に残るひとときをすごしてもらうことこそが最大の目的である」

 私は、図書館で借りた料理本やネットを調べて献立に悩んでいた。すると家に電話がかかってきた。
「もしもし?」
「あ、サ・エ・コ? ごふっ」
「あ、アイコ、なにその声は!」
「ゴメン、サエコ、私インフルエンザになった……」
「えー! あんた、部長の試験って明日だよ」
「ゴメン……無理だわ」
「うーん、まぁ、しょうがないわね! ともかくなんとかするから!」
 結局、私一人が料理を作ることになったが、合格しないと部長の席が空いてしまうことになる。

「カゲヤマ! 準備はいいか!」
 ジャガイモ男が号令をかける。
「それでは、制限時間30分!はじめ!」

 私の献立は、主菜にブリの照り焼き。副菜には、キンピラゴボウと、ポテトサラダ。それに豆腐の味噌汁だ。
 まずはお湯を沸かしはじめ、ゴボウとニンジンを洗い薄切りにしたあと千切りし水にさらす。
 続いてブリの切り身に塩を振り、タレの材料を調合しておく。
 お湯が沸いたら出汁をとり、ジャガイモは良く洗ってラップにつつみ電子レンジで加熱。
 鍋にゴマ油をひいてゴボウとニンジンを炒め酒をふってしんなりしたらタレをいれて煮含める。
 アツアツのジャガイモを半分に切って皮をツルンと剥いてマッシュ。塩コショウで味をつけ生クリームとマヨネーズで和えると冷蔵庫にいれる。
 キンピラゴボウが煮含まったところで火からおろし余熱でさらにタレを絡みつける。
 ブリをフライパンで焼き始めると残り10分。
「あわてない!」
 私は、ブリの表面を中火で焦がし、裏返すと弱火にして蓋をする。
 豆腐を刻み、だし汁にいれると火をつけて沸騰直前まで加熱する。
 ブリに両面焦げ目がついたら、フライパンの余分な油と汚れを拭きとり、用意してあったタレをかけて煮始める。
 盛り付ける器を水でぬらし、電子レンジで加熱して温めはじめる。
 出汁が沸騰したら火をとめて味噌を溶ぐ。
 冷蔵庫からポテトサラダを盛り付け、キンピラゴボウも盛りつけ白ゴマをふる。
 焼きあがったブリを温めておいたお皿に盛り谷中しょうがを飾って完成!

「それまで!」

 ご飯を盛り付け忘れてしまったのが悔やまれるが、ジャガイモ男は慎重に出来上がったおかずを見つめる。
 豆腐の味噌汁から湯気が立ち、ブリも味が染みている。キンピラもゴマ油の匂いがうまく出ているし、冷たいポテトサラダもまぁまぁの出来だとおもう。
 じゃがいも男は、一品一品確認し、箸をつけた。
 そして、大きくうなずいた。

「よし! 合格! カゲヤマ、お前、いい嫁さんになれるぞ! 部活は頼んだぞ!」
 そういうと部長はガハハと笑い部室を出ていった。

 私は、この部活を通じて、きめられた時間で最高のものを作り上げるために必要な、企画、準備、そして段取りの大切さと、道具や食器の手入れ、そして食べていただく方への気遣いについて学んだような気がする。
 いつしか部活ばかりでなく、教室でも「段取りのサエコ」と呼ばれるようになったのもこの頃からだった

~~

 月日は過ぎ、中学3年生になると、最大のストレスは高校受験だった。授業の内容は理解していても、PCを使えばすぐに終わる計算をいちいち紙に書いて計算するのは実に面倒だった。
 それでも、段取り良く勉強メニューをこなし、なんとか自分の進学する高校は合格圏内となり、アイコ、ナツミと一緒の高校に入学が決まった。

「サエコ! もうすぐ3月14日だね」
「あ? ホワイトデー?」
「そうそう、中学時代も最後だから、ちょっと本気だそうかと思ってるのよ」
「本気?」
 私が、首をかしげると、アイコは自分のカバンからなにやら取り出した。
「ジャーン」
 アイコが取り出したのは、横断幕だった。

「ひと月遅れのチョコレート対決!女王の座はどっち!」

「何これ?」
 私が呆れてアイコを見つめると、とんでもないことを言い出した。
「サエコと私と対決するのよ、で、サエコが負けたら、システムから強制離脱させる!」
「え?」
「クラスの40人全員にチョコを配って採点してもらう! いいわね」
 アイコが、いつになく真剣な顔をしている。
「そ、そんな……」
 アイコは、実にアイコらしいアプローチで私の身体を気遣ってくれているのだろう。
 でも、私は負けるわけにはいかない……。
 私は、覚悟をきめた。
「勝負するわ! その代わり、私が勝ったら、絶対私のこと応援してよ!」
「え! 何マジになってんの!」
「絶対だからね! 私はマジ、笑いたければどうぞ! 絶対勝つからね!」
 さっきまで真剣な顔をしていたアイコだが、私の自信たっぷりの答えに少し動揺をしているようだ。
「ま、まぁ、楽しくやろうよ、中学最後の対決なんだし」
「真剣勝負だよ! アイコ!」
「もう、サエコったら!」
 私は、アイコと一緒に笑った。

 こうして私達は、チョコレート対決をすることになったのだ。 

連載7 #12決戦 #13文化祭

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【2稿】20140403(連載7)
【初稿】20140402(連載7)


~決戦~

 チョコレート対決にあたり、アイコから対決条件の紙と素材のチョコレートが渡された。対決条件の紙には次のように書かれていた。

 ・素材のチョコレートは事前に渡された物を使うこと。
 ・スイーツであればどんなものでもかまわない。
 ・クラス全員に配布し、見た目と味わいで勝敗を決める。

 私もアイコも、中1・中2のバレンタインデーで、トリュフチョコや生チョコ、チョコレートケーキ、クッキー等を作ったことがあるので、だいたいウケがいいものはわかっている。
 そこで、今回は、オーソドックスに型抜きチョコに決定した。見た目もポイントになるので、型と飾りつけも工夫が必要になりそうだ。そして味わいも含めて一番重要なのは、テンパリング(チョコレートを湯煎で溶かし艶やかで綺麗なチョコレートに仕上げる技術)ということになる。これで見た目も綺麗で最高のチョコレートになるはずだ。
(今日は、3月10日だから今日を入れて4日間……アイコは、何をつくるのだろう)
 私は、インターネットでテンパリングについての情報を探してみたが、どれも方法は同じのようだ。ここは、ちょっと差をつけるため、プロに直に教えてもらうのが一番と判断した。
 私は、街中のケーキ屋さんを調べ、かたっぱしからチョコレートを1粒を買っては食べて点数をつけてみた。
(ここは、自分の目と舌で確認しないと)
 いくつチョコレートを食べただろうか。やっとのことで街中のケーキ屋さんのチョコレートを味わった。そして、メモした点数を集計してみた結果、ランキング一位は、最近できたばかりの閑静な住宅地にポツンとあるチョコレート専門店ということになった。

 私は、再度、そのお店に伺うと、無理は承知でお店の方にチョコレート作りの見学をさせてほしいとお願いしてみた。
「え? テンパリングの方法を教えてほしいって?」
 厨房からでてきた40代の若い店長がニヤニヤしながら私のことを見ている。
「どうしても、ひと月遅れですけどバレンタインに最高のチョコレートをつくって渡したいんです!」
「まぁ、見学するのはいいけど、チョコレートの種類で多少温度管理もちがうから参考になるかなぁ」
「試行錯誤は覚悟の上です、ともかく負けたくないんです」
 と店長にキッパリ話すと、さっきまでニヤニヤしていた店長が、急に真面目な顔になって私を見つめた。そして、サラサラとお店のチラシの裏側に一般的なテンパリングの方法を書いてくれた。
「気合はいってるね! まぁ、手順はココにメモしたけど、あとは作業場での作業を見せてあげよう」

 私は、ガラス越しに店長、いや、ショコラティエの作業を見守った。
 チョコレートを60℃の湯銭にかけて50℃まで温め、冷水でいったん26℃までかき回しながら均等に冷ます。実にリズムカルにそしてスムーズにチョコレートが操られていく。そして再度、湯銭を瞬間し、かき回しながら、31℃まで温め仕上ける。その加減が絶妙だった。
 ガラス越しに、温度計を見せてはその作業を身振り手振りで教えてくれた。なんでも、この温度変化で、チョコレートはずいぶんと変化してしまうのだそうだ。また、型抜きするための絞り袋(コルネ)の作り方や、型に入れる方法についてももらった。
「ともかく実践と、手際だな! がんばってな」
「ありがとうございました!」

 私は、さっそく、市販の板チョコを買い、店長の作業を思い出しながら作ってみた。
「ダメだ、白く濁ってる」
 型にいれてから冷蔵庫で1時間。出来上がったものを見てみるとツヤがでてこなかったり、白くにごってしまったりとなかなか上手くいかない。
 気を取り直し、温度設定をもっとシビアにして2度目にチャレンジ。今度は、上手くいったが、型から抜いたチョコレートにポコポコと気泡ができてしまった。
 そして、3度目。ついにツヤツヤのチョコレートができた。
 一粒、食べてみるとなんともいえない口解けのよさもある。
「よし!」
 翌日、私は、出来上がったチョコレートを持って店長を訪ねることにした。

「うん、いいね、はじめてにしては上出来だよ、ただ、このままじゃ、つまらないから、ナッツやドライフルーツで飾ってみよう」
 アドバイスをもらい、飾りつけの方法や、ラッピングについても教えてもらった。

 そして、3月13日の昼過ぎ、ショコラティエの教えどおり、アイコから渡されたチョコレートの塊を刻み、ゴムベラに温度計を輪ゴムで止めると作業に入った。
 あわせて、ナッツとオレンジのドライフルーツを細かく刻みトッピングの準備も万全だ。型は、シリコン製のハートにしてみた。
 慎重にチョコレートを作り、クラス全員分をラッピングし終えると、時計は深夜1時をまわっていた。

~~

 3月14日、ついに決戦の時がやってきた。
 事前からアイコの横断幕が教室に貼り出されていたこともあり、ホームルームでの決戦は、ピンと張り詰めた厳格な雰囲気になっていた。
 アイコは、しっとり濃厚なチョコレートパウンドケーキを作ってきた。そして私は、一粒一粒がピカピカに磨かれたナッツとドライフルーツがトッピングされたハートのチョコレートだ。もちろん、クラスのみんなには、どちらがどっちとは知らせていないが、それぞれが紹介されると、クラス中からどよめきがおきた。
「本当に2人が作ったのか?」とか「お店に並んでいるやつを買ってきたんじゃないのか?」などと声が聞こえてきた。

「それじゃ! これから試食します!」
 アイコが、宣言すると、クラスが静まりかえった。私とアイコが、各人にチョコレートを配り、採点基準についてクラス委員長が「見た目1ポイント、味わい1ポイントをいずれかに投票」で集計することを説明した。
「では、おねがいします!」

 クラスのみんなが、それぞれ見た目や、味を確認しているが、「すごい!」「おいしい!」という声があちこちから聞こえてくる。
 私もアイコのパウンドケーキを食べてみた。
(え! これ美味しい! これは、もしかして、私の負けかも)
 アイコのパウンドケーキは、チョコレートチップが埋め込まれたしっとり濃厚な味わいだ。私はチラリとアイコを見ると、ちょうどアイコも私のチョコレートを口に入れたところだった。
 そして、驚いた様子で私のほうを見ている。
「ちょ、ちょっと、サエコこれ、すごいなめらかなんだけど!」
 ヒソヒソ声でアイコが私に話しかけてきた。
「アイコのも、すごいおいしいよ、これ、いままで食べたパウンドケーキの中では一番だよ」
 お互い相手を褒め称えてみたが、不安は募る一方だった。もしかしたら、アイコもそうかもしれない。
(できるかぎりのことはしたんだから……負けてもしょうがないわ)

「それでは、集計します」
 集計用紙が集められ、得点がつけられていく。見た目の点数は、私のほうがリードしているが、味わいについてはアイコが上回っている。
「結果は……見た目ポイントは21対18、味わいポイントは18対21で、合計すると39対39で……」
 突然、委員長が集計用紙を再度数え直し叫んだ。
「あれ! 1枚たらない! 誰? 出していないのは!」
 私は、クラスを見回した。

 すると、アイコが立ち上がり、集計用紙を手に持って掲げた。
 アイコは、私をみるとニッコリ微笑んだ。そして、集計用紙を委員長に手渡す。
 私は、一気に力が抜けてしまった。
(終わったわ、たしかにアイコのケーキは最高……私もココまでいろいろ体験して自分が見つけられたし、もう、あきらめないと……まぁ、高校の件は、システムから戻ったらナツミからじっくり話を聞こう……)

「見た目ポイント22対18、味わいポイント19対21、合計41対39で型抜きチョコレートの勝ち!」

「え?」

 私は、驚いた。そして、アイコを見つめた。アイコは、私にウィンクして、拍手をしている。
「ア、アイコ……なんで!」
 アイコがニコニコしている姿が、だんだん涙でかすんでいく。
「サエコ! このチョコレートはスゴイよ! 最高だよ!」
 アイコはそういうと私の腕を掴んで高く掲げてくれた。
 クラス全員からは、私に拍手が沸き起った。

~~

 放課後、私は、いまだ放心状態で教室に残っていた。
「サエちゃん、どうしたの? チョコレート対決の話、さっきアイコちゃんから聞いたよ! おめでとう!」
 振り向くと、ナツミが心配そうに廊下から教室の中を伺っていた。
「あ、ナツミ……」
 私は、カバンから包みを取り出すとナツミに渡した。
「はい、これはナツミの分!」
「ありがと! そういえば、アイコちゃんは?」
「うん、今、部室でチョコレートパウンドケーキの作り方をやってるはず」
「サエちゃん部長じゃなかったっけ? 行かなくていいの?」
「うん……」
「なんだか、疲れちゃって……ちょっと休憩……」
「え、サエちゃん! ちょっと、サエちゃん!」
 私は、そのままフッと意識がなくなってしまった。

~~

「まずい、さっきまで血圧が高いと思ったら、今度はいきなり低すぎる」
 医療チームの叫び声で、仮眠中のワタルは、ハッと起き上がった。
「な、なんだって!」
 ワタルは、急いでカプセルのところまでやってくると、サエコを覗きこんだ。
 なぜか、サエコの目からポロリと涙がこぼれていた。
 ワタルは、年表を確かめた。まもなく4日目も終わるので、中学校を卒業する頃だろう。

 プシューっとアイコが入っているカプセルが開いた。アイコも18時間のツアーから帰還したのだ。
「ああ、面白かった!」
「お疲れ様です、ちょっと休んだら話を聞かせてほしいんだけど」
 ワタルは、アイコに呼びかけた。
「ちょっと、ちょっと、あわてないでよ!」
「あ、すみません、ついさっき、サエコさんの血圧が急上昇、急下降したので……」
「え!」
 アイコは、頭に手をやってシマッタという表情をした。
「チョコレートでちょっとした対戦をやったのよ、私が勝ったらサエコをシステムから離脱させるって条件でね」
 ワタルは、身を乗り出した。
「で! どうなったんです?」
「うーん、私が負けてあげました!」
 明るくアイコが微笑んだ。
「へ? なぜ! 離脱させるように説得しなかったんですか!」
 ワタルが、アイコを問い詰めたが、アイコは、ウィンクをすると……
「続きはのちほど、ちょっとシャワー借りるわよ」
 というとシャワー室に入っていった。

 ワタルは、アイコの後ろ姿を呆然と見送っていたが、エリカが声をかけてきた。
「あ、ワタル兄さん、ツヨシさんの記憶データの補完が終わりました」
「ありがとう、じゃツヨシのところへいってくるよ」

 ワタルは、ツヨシが待機している部屋の扉を開けた。
「ワタル! オレはサエコとはかかわりたくないんだ! もう、うんざりなんだよ」
 ツヨシは強い口調で叫んだ。ワタルもツヨシがこんなに不機嫌なところはみたことがない。ワタルは、静かに話を進めた。
「ツヨシ頼むよ、サエコさん、このままじゃ危険な状態なんだよ、救えるのはお前しかいないんだ!」
「いやいや、それはどうかな、オレじゃ、それこそトドメを刺すかもしれないぜ」
「そんなことないさ、それより、ナツミさんの口から『ツヨシがシステムに入らないのなら婚約は破棄します』って言葉がでるとは思わなかった」
「あぁ、まったくだ……」
「まぁ、ナツミさんは、おまえのことを信じているから、そんな言葉がでたんだろ」
 ツヨシは、頭を抱えてしばらく考えこんでしまった。そしてゆっくりワタルを睨みつけた。
「わかったよ、システムに入ればいいんだろう! 早いところやっちまおう!」
 そういうと、ツヨシは、カプセルに入った。
「ツヨシ、いつ頃にアクセスすればいいんだ?」
「そうだなぁ、高校2年の秋の文化祭から卒業までだから1年半くらいか」
「わかった、それじゃ横になってくれ」
 ワタルが始動ボタンを押すと、カチっとツヨシのカプセルが閉じた。

~~

「おまたせ!」
 ワタルが、振り向くとアイコがシャワーを浴び、着替えて出てきた。
「いやぁ、びっくり、このシステムの中のサエコは、当時と全然ちがうよ」
「ちがう?」
 アイコは、椅子に座わると話を続けた。
「当時は、何をするのも、どこかいつも冷めてたんだよね」
「冷めてた?」
「学校でもそうだし、部活でも段取をきめちゃうと後は淡々と作業するだけで、なんかこう熱くなるものってなかったんだよね」

 アイコは、突然、クスクスと思い出し笑いをした。
「ところがね、このシステムの中では、すごい必死で、びっくりしちゃった」
「まぁ、どうしても高校時代のこだわりがあるみたいだから……」
 ワタルが話をすると、アイコが手を振った。
「まぁ、それもあるだろうけど、中学時代もすごく必死だったよ、部活も充実してた、でね、私との対決で、おそらくサエコは懸命にチョコレート作ったんだろうね、ものスゴイ気合を感じて、私、協力することに決めちゃったんだ」
「でも、サエコさんの体力が……」
「大丈夫! あの気合の入れ方は半端じゃないから、サエコは必ず戻ってくるし、戻ってくるまでは、絶対サエコの身体は動き続けるはずだよ」
「そんな……」
「今回、このシステムでサエコに一緒に過してみたけど、サエコが弱音を吐くこともなかったし、ピンチになっても絶対に逃げなかった」
 アイコが右手でこぶしを作ると自分の左胸を叩いた。
「あの根性はすごいね、『なに、一人でマジになってんの? カッコ悪い』ってからかわれて、笑いモノにされても『笑ってくれてありがと、楽しんでくれた?』とか言っちゃってスルーするんだもん」
「え? もともとそういう性格じゃなかったんですか?」
「ちがうちがう! 当時は『うまくいかなかったのは、段取りが悪かったから』とか『周りの不確定要素が邪魔しているから仕方ない』とか言っちゃって、いつも逃げてばかりだった……」
「そうなんですか?」
「だから、おそらく彼女自身、高校時代の想い出に真っ向勝負をしたいんだとおもうわけ」
「うーん、しかしなぁ」
「なんとかしてあげてよ! 先生」
「うーん、まぁ、医療チームとは相談してみるけど」

~文化祭~

「サエちゃん! サエちゃん!」
「え?」
 私は、気が付くと、ナツミが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
(あれ? ここは?)
 あたりを見回すと、教室は夕日でオレンジ色に染まっていた。
「サエちゃん、帰ろうよ! ここんところの文化祭実行委員会で疲れがでたんじゃない」
「文化祭?」
 私は、ナツミをじっと見ると、なんと、制服が高校のときのものに変っていた。
(あれ、中学校のアイコとの対決のあとから記憶がないけど、文化祭の実行委員会ってことはもう高校2年生?)

「ナツミ! 今日って何日!」
「え……きょうは、10月4日だけど」
 そういいながら、教室の黒板の日付を指差した。
 私は、懐かしい教室を見回し、黒板の横に貼ってある文化祭のポスターを見つめた。文化祭は、10月16・17・18日となっている。
「ごめん、ナツミ、私まだちょっとやることがあるから、先に帰って!」
「そうなの? じゃ、この生徒会のノートは置いていくね」
 そういうと、ナツミは教室を出て行った。

(もう生徒会長になってるんだ。でもなんで立候補したんだっけ?)
 私は、ナツミが置いていったノートをパラパラめくってみた。

「エンジン全開! 最高の高校時代を 刻み込もう!」
(これ……生徒会のスローガン? だったっけ?)

「私は、生徒のみなさんが楽しい高校生活をすごせるように、最高のイベントを企画運営します!」
 次のページには、会長の挨拶要旨が書かれていた。そして、体制図には、ツヨシ、ナツミの名前があり、なぜかアイコは二重線で消してある。
(そういえば、アイコって高校時代どうしてたんだっけ?)

 さらにページをめくると、文化祭、体育祭、合唱祭、星空祭等いろんなイベントでの企画がいろいろ書き込まれ、それぞれの企画に応じたスケジュール、実行委員の募集、学校側への申請、各部会への通知のタイミングが書かれている。
(あら……これツヨシが担当してつくったんだ)
 スケジュール表の下に担当者ツヨシと書いてある。
 しかし、その表の余白には、私の文字で「10月4日スケジュールやりなおし!」書き込みがされていた。
(え? どこがいけないわけ?)
 私は、何度も見直したが、スケジュールはカンペキだ。きちんと調整日を設けてあるのは充分評価するべきだ。 
 さらにページをめくると、私の文字で10月4日の件について指示が書いてある。
「予算は、10%カット、スケジュールは、調整日を半分に減らすこと!」
(なにこれ、これじゃ、一つでも作業が遅れれば、全体に影響がでてしまう)
 私は、急いでスケジュールの余白にある「やりなおし」の文字を「ありがとう!」と書き換えた。そして、指示書も次のように書き換えた。
「予算は、できるだけ無駄はカットできないか検討はすること、スケジュールは余裕をもって」

 突然、教室の扉がガラっと開いた。
「あれ、まだいたの? 会長!」
 振り向くと、ツヨシが部活を終えてもどってきたところだ。
「どう! イベントスケジュールみてくれた? 結構時間かけてつくったんだぜ」

 私は、ノートを再度確認して、うなずいた。
「あれ? 今日は、いつもとちがうな! どうした?」
「スケジュール、良く出来ているとおもう!」
 私が、ノートをツヨシに渡すと、ツヨシは、チラチラ私の顔とノートを見比べている。
「会長、たしか予算10%って言ってなかった?」
「もちろん、予算は引き締めていくけど、必要なところは使わないとね、それに調整日も余裕があるから多少段取りが遅れても対応できるわね」
「え? それでいいの?」
 ツヨシは、突然、笑い出した。
「昨日まで、『段取りがうまくいかなかったら、ツヨシあんたのせいだからね』って言って散々わめいていたのに」
 私は、驚いた。
(え! わたし、当時はそんなに段取りどおりいかないと癇癪おこしていたの?)
「と、ともかく、直近は文化祭だから、学校側への申請と、各部会、各クラスへの案内と準備委員会召集の手配は予定通りにね」
「オッケー! じゃ、帰えりますか」

 学校を出ると、もうすっかりあたりは暗くなっていた。私は、街灯に照らされるツヨシの横顔をじっくりと見ていた。
「うん? どうした?」
 ツヨシが不思議そうにこちらを見る。私は、あわてて目をそらしてアイコのことを聞いてみた。
「あのさ、アイコがなんで生徒会にいないのかとおもって、ツヨシ知ってる?」
「え! 何いってんだよ! 選挙おわってからアイコと大喧嘩したじゃないか、女同士の喧嘩って、こえーっておもったよ」
 ツヨシに詳しく話をきいてみると、どうやら喧嘩の原因は私の生徒会運営方針に関係があるらしい。
 アイコは、なんでも自分で決めてしまう私のやり方を「あまりに独裁的だ」と批判をしたらしく、私も、アイコに「そんなに気に入らないのなら、やめればいい」といったらしい。
(そんなに、私セッカチだったのかなぁ、悪いことしたなぁ……)
「アイコに謝らないと……」

~~

 翌朝、わたしはアイコの教室に向かった。
 アイコは、私を見るなり、不機嫌になるのがわかった。
「これはこれは生徒会長殿? なにか御用ですか?」
「ちょっと、アイコ、悪かったわよ、ゴメンね」
 アイコは、笑いながら話した。
「何のこと? 別にいいじゃない、会長殿の思い通りにやればいいんだし」
「思い通りに? 私もいろいろ考え直してみるから……だから協力してくれない」
「いまさら、そんなこと言われても信じらんない! 帰ってよ!」
「何が気に入らないのよ?」
 アイコは、私を指さして大きな声で叫んだ。
「生徒会長になったとたん、なに、あの言い草『これからは、私がすべて段取るから指示どおり動くように』って!」
「え?」
「冗談じゃないよ! サエコあんた、忘れたわけじゃないでしょ! ああ、アタマにくる!」
 アイコは、ガンとして聞いてくれない。

(ああ、私って、そんなに自意識過剰だったのかなぁ、普通に話したつもりだったんだけど……これじゃアイコが怒るのもしかたない)
 
 私は、何も言わずにがっくり肩を落として、教室をでた。
「あら? 会長さん、逃げちゃうんだ? もっと、私に話をしにきたんじゃなかったの?」
 アイコの皮肉たっぷりの言い草が背中に突き刺さる。
 私は、当時の自分に対して悔しさでいっぱいになった。
「ゴメンね、アイコ……ゴメンね」
 私は、そう言うのが精一杯だった。廊下に急いで出ると涙が止まらない。
 廊下にいた生徒はびっくりした顔をしていたが、私はそのまま廊下を歩いた。

 生徒会室にもどるとナツミが驚いた顔をしていた。
「サエちゃん、どうしたの? 目、真っ赤だよ?」
「なんでもない、ちょっとアイコと話をしてきただけだから」
「サエちゃん、ともかく、私達でがんばってみようよ、きっとアイコちゃんもわかってくれるよ」
 私は、小さくうなずいた。

「それでは、文化祭についての会議をはじめます」
 ナツミが実行委員として集まった部活のメンバーやクラスの代表を前に話をし始めた。

 私は、ナツミの話を聞きながら、窓の外にみえる青空を見ていた。
(当時、なんで私はこんなにチカラをいれていたんだろう……)
 大方の話もおわり実行委員がバラバラと部屋から出て行くと、青空はすっかり茜色に染まっていた。

「会長さんいる?」
 私は、扉をみるとアイコが立っていた。
「アイコ……」
「まったく、どうしたの? さっきのサエコ、いつもの調子とちがうよ、なんか張り合いないし!」
 私は、アイコをじっとみつめた。
「って、サエコきいてる?」
 私は、また涙があふれてきた。そして、生徒会のノートの表紙に涙がポタポタ落ちた。
 アイコはあわてて、私のところにやってきた。
「ちょ、ちょっと、サエコ、あんたいつからナツミみたいになったのよ!」
「ゴメンね、アイコ……」
「私も、ちょっと言い過ぎたわよ……何も泣くことないでしょ! クラスの文化祭実行委員で参加することにしたから、それでいいでしょ! その代わり、バンバン言わせてもらうから!」
 そういうと、アイコが私の頭をポンと叩いた。
「ありがと……」
 私は、堰を切ったように涙があふれてしまった。
「ちょっと! サエコどうなっちゃったわけ? サエコも泣き虫?」
 そいうと、アイコはギュっと私を抱きしめてくれた。
(なんで、こんなに嫌われてまで、生徒会長なんてしてたんだろう、馬鹿みたい)

~~

 文化祭開催まであと5日になった。
 それぞれのクラスや部活動の準備も順調だと報告が届いている。あとは、校門のゲート製作と垂れ幕の準備、そして刷り上ってきた文化祭パンフレットの配布作業をしなければならない。
「サエちゃん、各会場のスケジュールの確認と、進行役の放送部との打合せはおわったよ」
 そういうと、体育館、校庭のステージ等のメイン会場と、各教室への放送スケジュールをとりまとめて提出した。
「大丈夫そうね、次のステージにでる人には、かならず10分前までには準備しておいてもらうように伝えておいてね」
 私が、コメントするとナツミはノートにその旨書き込んだ。
「あ、サエコ会長、ゲートはもうすぐ出来上がるけど、当日まではシートで覆っておく?」
 ツヨシからも報告があった。
「でも、シートをはずすときに壊れちゃうといけないから、そのままでもいいんじゃない?」
 私が話すと、アイコが横から口を挟んだ。
「そうだ『あと×日』とかカウントダウンしておけばいいんじゃない」
「それはいいな、みんなもテンションもあがるだろうし」
 ツヨシが紙にイメージ図をサラサラと書いた。
「いいね!」
 私も、アイコも一緒に声をあげた。

 どんどんノートに書かれていた企画が形になっていく。
 これは一人では到底できない、それぞれが自分の役割を決めて動かなければ実現できないものなのだ。

 そんな中、私は、ナツミとツヨシを特に注目することにした。
 文化祭が近づくにつれて、いままで予想もしなかった問題が山積していた。当初に予備日をとっていたスケジュールでもたらず毎日帰りが遅くなってしまっている。その中でもツヨシは、精力的に動いていた。人手がたらなければ、周りに声をかけて人を集め、自らも率先して作業をこなしている。
 ナツミもツヨシを手伝っているが、ツヨシといるときは、とても嬉しそうな顔をして輝いている。

(そういうことだったんだ!)

 準備最終日、この日も帰りは真っ暗だった。ツヨシとナツミと私の3人は、明日の文化祭が待ち遠しい反面不安だった。
 ツヨシは、やたら私に声をかけてくるし、ナツミは懸命にツヨシに話しかけ、私は2人の話を整理するのが大変だった。

 ツヨシが途中でわかれると、私は、ナツミに話しかけた。
「ねぇ、ナツミ、ツヨシったら文化祭に、すごいチカラいれてるよね」
「うん、なんとしても文化祭を最高なものにしたいんだって!」
「そっか……私も、そう思ってる」
「サエちゃん、私もだよ!」
 街灯がナツミの楽しそうな笑顔を照らしている。私は、ナツミの手をにぎり、足を止めた。
「どうしたの? サエちゃん」
「ねぇ、ナツミ、ツヨシのこと好き?」
「え!」
 ナツミは、いきなり真っ赤な顔になって。
「な、なんで突然? まぁ、ツヨシくんのことは尊敬してるけど」
「けど……?」
 ナツミは、私から目をそらすとうつむいてしまった。
「な、なんでもない!」
 そういうと、私の手を振り払って走りだした。
「ちょっと! ナツミったらぁ」
 私が声をかけると、ナツミは振り向くこともなくバイバイと手をふり暗闇に消えた。
 
~~

 文化祭は、予定通りの盛況ぶりだった。なんのトラブルや事故もなく、予算も8%カットできた。
 生徒会室での反省会がはじまった。
「みなさんのおかげです、文化祭は無事終了できました、どうもありがとう!」
 私が挨拶をすると、実行委員からも拍手が起こった。
 ジュースとお菓子をたべながら、それぞれの苦労話を聞いてまわった。みんなの笑顔は、私にはなによりも嬉しかった。反省会も大いに盛り上がる。
 夜7時になり、お開きとなった。明日は、最終的な後片付けも待っている。

「サエコ会長、ちょっといいかな」
 ツヨシが私に声をかけてきた。
(あ! すっかり忘れてた! 告白されるんだっけ、この後?)

「あ、どうしたの?」
(ああ、わかっていても、ドキドキしちゃう)

「オレ、サエコ会長のこと、ずっと前から好きだった」
 ツヨシは、すごい真面目な顔で、私をじっとみつめている。
「え?」
「オレと付き合ってくれないか……」
(告白キター! どうする私!)

 私は、じっとツヨシを見つめた。ツヨシは、両こぶしをグッと握り締め、真っ赤な顔をして懸命に私に告白をしてくれている。でも、当時の私は、そんなツヨシの想いなんか気にもとめていなかった。
(ああ、私って、最低だわ……たしかにアイコが怒るのもしかたないわね)
 私は、そんな自分に悲しくなって、思わず涙がポロリとこぼれてしまった。
 ツヨシは、私の涙をみて驚き、オロオロしている。
「え? あのサエコ会長……オレ……」
「ツヨシ、ありがとう……でもね、あなた、告白する相手をまちがえてるよ」
「え?」
 ツヨシが驚いて私の顔を見つめている。

「ゴメンなさい、私には、別に好きな人がいるの、だから付き合えない」

 我ながら、びっくりするようなウソをついてしまった。まぁ、逆にココまで言えばツヨシもあきらめてくれるだろう。
「ほ、ほんとなのか!」
 ツヨシが、私をおどろいて見ている。
 私は、小さくうなずくと、ツヨシは、がっかりした様子でうつむいてしまった。

「でもね、ツヨシの身近で、すごくツヨシのこと想っている子がいるの気が付かない?」
「オレのこと想っている子?」
「鈍いなぁ、ツヨシ! 出直してきなさい!」
 私は、そういうとツヨシを置いてさっさと生徒会室を後にした。
(さよなら、ツヨシ……)

~~

 翌日、家の玄関をあけるとナツミが待っていた。いつもは公園近くで落ち合うのに、家までくるのは珍しい。
「あ、あれ? ナツミどうしたの?」
「サエちゃん、ちょっと話があるんだけど」
「え?」
 ナツミは、横をむいてモジモジしながら話し始めた。
「私、ツヨシくんのことなんか、なんとも……おもっていないからね」
「へ?」
(家まで訪ねてきて何をいうかとおもったら、ナツミもわかりやすいわね)
「昨日、ツヨシくんから電話があったんだ、サエちゃんに告白したけど『出直してこい』って言われたって」
「うん、話したよ」
「でね、サエちゃん、ツヨシくんの身近にツヨシのこと想っている子がいるのって話したって聞いたから」
「うん、話したよ」
 私は、なにもかくさずスラスラと答えた。
「だから、私、ツヨシくんのことが……」
 ナツミの話を遮って私が叫んだ。
「大好きなんでしょ!」
 すると、ナツミは私の声の大きさにドキンと震え、目にいっぱい涙を浮かべている。
「もう! ナツミ! どうしたのよ!」
「私、どうしたらいいんだろう、ツヨシくんはサエちゃんのことが好きだし……私、ツヨシくんのことが好きになっていいのかな」
「バカじゃないの! いいに決まってるでしょ!」
「だって……」
 私は、ナツミの頭をポンポンたたいて話した。
「あのね、私だってナツミがどんな気持ちでいたか、ずっと前から知ってるよ!」
「でもツヨシくんが……」
 私は、ナツミの両肩を掴むと大きな声で話をした。
「ナツミ! ツヨシが誰を好きだろうかそんなもん関係ないよ、まずは自分の気持ちをはっきり伝えないとダメだよ!」
「でも、断られるよ、きっと……」
「断られる? 関係ないよ! 断られたら、その時はその時でいいじゃない!」
 ナツミは、目を閉じてうなずいた。
 
~~

「あれ、お2人で登校ですか? めずらしいですね」
 校門のところにツヨシが腕章をつけて声をかけてきた。
 ナツミは、ツヨシをみるとハッとして顔を真っ赤にし、足早に校舎へ向かって走っていってしまった。
「ちょっとぉ! ナツミ!」
 私は、ナツミに声をかけたが、背後からツヨシの不気味な低い声が響いてきた。

「ひさしぶりだね、カゲヤマ会長」

「カゲヤマって」
 私は、驚いて振り返り、ツヨシを見た。
 ツヨシは、ゆっくり左手のブレスレットを見せた。
「え! あなたもコッチにきたの?」
「まぁ、いろいろあって、来ざるを得なくなったんだよ、本当は、君とはかかわりたくはなかったんだけど……気が付いたら校門で風紀委員の腕章つけてたってわけだ」
 そういうとツヨシは私をジロジロと見ている。
 私は、おもわず笑ってしまった。そして、ツヨシの顔を覗き込んだ。
「それはそれは、お疲れ様」
「なんだよ! せっかく来てやったのに……」
「はいはい、来てくれたことには感謝してるわよ、そうだ! 今の状況を話しておくよ」
「え?」
 私は、文化祭が無事に終了し、昨晩、ツヨシから告白をうけたことを話した。
「で、あなたからの告白に対して、私が『出直してきなさい!』って答えたところ……」
「ああ、そうですか」
 ツヨシは、表情一つ変えずに、冷ややかに私のことを見ている。
「まぁ、近いうちに、ナツミがアナタに告白するはずだから、覚悟しときなさいよ」
「え!」
 急にツヨシの顔色が変わった。
「なんで? そんなことになってるんだ?」
「私、こっちの世界で自分って人間をじっくり観察してきたのよ。幼稚園、小学校、中学校そして高校ってこのシステムの中で過ごして新たな発見があったわけ、でね、この文化祭でよくわかったことがあるのよ、それは、ナツミがずっとアナタの事が好きだったってことと、アナタは、それに全然気付かない大バカだって事かな」
 ツヨシは、首を横に振った。
「ちがう! オ、オレは……」
「何が、違うわけ?」
 ツヨシは両手を上げた。
「ちょっと、待ってくれ、オレの話も聞けよ!」
 ツヨシが大きな声を出したので私はびっくりした。
「オレは、サエコの企画力と実行力は尊敬していたし、いつもアクセル全開なサエコが輝いて見えてた、まぁ、オレのことはいつもコケにしてくれていたが、それでもスゴイとおもっていたんだよ」
 ツヨシは、いきなり私の肩を両手で押さえた。
「いいか、サエコは、まるで機械仕掛けのようで段取り通りコトが進まないと癇癪をおこすことはわかっていたから、ともかく文化祭がうまく進行して最高ものにしてやろうと努力してきたんだよ、だから、文化祭が終わったタイミングで告白したんだよ」
 ツヨシは、手を離し空を見上げた。
「でも、サエコは、いつもの通り、淡々と自分の話と段取りの話しかしてこなかった。正直、あの時はがっかりしたよ」
 そういうと私を軽蔑の眼差しでみている。

 私は、ツヨシに深々と頭を下げた。
「ゴメンなさい、私には、別に好きな人がいるの、だから付き合えない」
「え?」
 ツヨシは、突然のことでびっくりしている。
「でもね、ツヨシの身近で、すごくツヨシのこと想っている子がいるの気が付かない?」
「なんだよ、いきなり」
「鈍いなぁ、ツヨシ! 出直してきなさい!」
「出直す?」
 私は、じっとツヨシをみてクスクス笑った。
「本当は、こう答えてあげればよかったんだね、ツヨシ、ゴメンね」
 ツヨシは、憮然とした顔をしていたが、深くため息をついた。
「そうかもね……そしたら、手紙も出さなかったし、ナツミとサエコが喧嘩することもなかったかもね」
 私は、ツヨシの口からナツミとの喧嘩の話がでるとは思ってもみなかった。
「喧嘩? 喧嘩ってツヨシが絡んでたの?」
 ツヨシは、苦笑いをすると話をし始めた。

「オレは、文化祭の企画会議が始まった頃からナツミに相談をしてたんだ、サエコに告白することをナツミも応援してくれてたんだよ」
「ナツミ……」
「で、告白した翌日、ナツミに結果報告したら、ナツミは、スゴくがっかりしていた、それで、再度チャレンジしようということになって、とりあえず手紙を出すことにしたんだよ」
「あの『出なおしてくるから、それまで待ってて欲しい』って手紙ね」
「そう……ところが、サエコは、大学受験だなんだと時間がとれなくて、その後告白のタイミングなんて全くなかった」
「うーん」
「それで、卒業式の日、声をかけたんだが……」
「え?」
「校庭の大きな木の下も、体育館裏のベンチも、先客でいっぱいでさ、階段の踊り場ぐらいしかなかったんだ」
(あ、思い出した、たしか、いきなり踊り場で抱きつかれて耳元で告白されたんだった……)
「それは、ナツミの提案だったんだよ、そしたら、いきなりバチーンと張り倒された」
「あたりまえでしょ、そんな卑劣なことされれば、誰だって怒るわよ」
「まぁ、たしかに、今になって冷静に考えればそうだけどね、で、ナツミがサエコに直談判するってことになって……」
「それで、ナツミがすごい勢いで飛んできたわけね」
(どこまでナツミは、お人好しなんだか……)

 私は、ため息をついた。打ち合わせ会のときのツヨシをみてニコニコしているナツミ。今朝の玄関で懸命に自分を抑えているナツミ。そしてツヨシが私に告白することを応援しているナツミ。
 そんなナツミの姿が私の頭の中をグルグルとまわっていたが、ある考えが浮かんだ。

 私は、ツヨシに頼みごとをすることにした。
「え? それ、オレがするの?」
「そう、私の記憶の世界なんだから、私の言うとおりにしてよ」
「うーん、やってはみるけど、どうなっても知らないぞ!」
「だいじょうぶ! うまくいくから!」

~~

 楽しい高校生活も最後の日がやってきた。
 ツヨシのブレスレットのカウンターから、今日の夕方にはツヨシは帰還するはずだ。そして、ワタルに報告がされれば、強制離脱することになるだろう。
 私は、空を見上げた。天気は快晴で気持ちもいい。

 卒業式も滞りなく終わり、教室で先生からひとりひとりに卒業証票が手渡された。
 私は、いつものように、教室から外の青空を見ていた。もう思い残すことはなにもない……。ツヨシとのことも、ナツミとのこともすべて理解できたし、自分についても知ることができた。

 誰もいない教室で、懐かしい教室を見渡した。
「ふぅ、この場所で、さんざん笑って、泣いて、怒鳴って、ドキドキしてたんだ」
 机をそっと撫ぜると、席を立った。

「サエちゃん、卒業おめでとう!」
 ナツミが廊下から私に声をかけてきた。
「ナツミもおめでとう!」
 ナツミの笑顔がなんだかまぶしい。
(よかった、ここでナツミと喧嘩することなく終わることもできた)

「ナツミ、一緒に帰ろう!」
 そういうと、教室を後にして廊下を歩いた。そして、階段を下りるところで私は足を止めた。
「あ、ゴメン、ナツミ! ちょっと忘れ物したから、先に下に下りてて……」
「うん」
 ナツミがゆっくりと階段を降りはじめる。そして私とすれちがいにツヨシがナツミを追いかけた。

「ナツミ!」
 ツヨシが、ナツミに声をかけるとナツミはニッコリ微笑んだ。
「あ、ツヨシくん! 卒業おめで……」
 ツヨシは、階段の踊り場で、ナツミをギュッと抱きしめた。
 温かな陽射しが2人を包んでキラキラ輝いている。
 ツヨシが階段上の私をみる。私は、小さくガッツポーズを取った。

 やがて、あたりが暗くなっていく……
(え! システムから離脱してしまうの?)
 学校の廊下も階段も、そしてツヨシとナツミの姿も暗闇に消えていく。

「私の記憶の世界、さようなら……そして、ありがとう」

 私は、つぶやきながら目を伏せた。

(あ! ちょっとまって、私の『好きな人』ってドコにいるのよ!)

 おもわず、目を開けてあたりを凝らして見たが、もう何も見えなかった。

連載8 #14帰還 #15スピーチ(了)

秘密の想い出 ~サエコの場合~  トラキチ3

【初稿】20140406(連載8)


~帰還~

 プシューとカプセルが開いた。
 ツヨシは、カプセルを手で押し上げ、あわてて出てきた。
「ワタル、卒業式、終わったぞ!」
「ツヨシありがとう、それじゃサエコさんの強制離脱を準備する」
 ワタルは、医療チームに指示し、ストレッチャーを用意させた。
「強制的にブラックアウトさせてシステムを停止する」 
 ワタルが非常用モードで直接コマンドを打ち込むと、次第にサエコの生体情報モニタに安定した波形が映し出された。
「よし、完全にブラックアウトしたようだ、システムから離脱完了だ、カプセルを開けるぞ」

 プシューと音を立て、カプセルが開く。
 テクニカルチームが、ケーブルを切断し、医療チームは、カプセルからサエコをストレッチャーに手際よく乗せかえると研修所内の集中治療室へ搬送した。
 ワタルは、チラリとサエコの横顔を見たが、どことなく満足そうな笑顔をしているようで安心した。

「ふぅ……」
 ワタルが大きく息を吐いた。
 ともかくシステムからの離脱は完了した。あとは、今回のシステムでの体験と実体験とのギャップをサエコ自身がどう対処するかということになる。
 これほど長い時間、システム内で過ごしていたのだから、現実とは違う価値観を持つ可能性もありうる。いずれにしても、時間をかけてカウンセリングをほどこし、現実世界になじませなければならない。
 ところで、サエコは、最後まで、システムの中にいるという自覚はあったのだろうか。いや、大丈夫だ。定期的に彼女の記憶に外部からアクセスし、ブレスレットの存在を見るたびにシステム内にいることを自覚していたはずだ。
 いずれにしても、それは彼女自身と話してみないとわからない。
 願わくば、このテストモニタに参加するきっかけになった、高校時代のこだわりについて、彼女が満足する体験ができていればいいのだが……とワタルは祈った。

「サエコはどうした? ワタル……」
 ツヨシが、シャワーを浴び着替えてもどってきた。
「ああ、いま集中治療室へ搬送したところだ、で、久々のカゲヤマサエコさんと会った感じはどうだった?」
「いやぁ、正直、驚いた」
「うん?」
「当時のサエコとは全く別人だ、まぁ、ナツミからは聞いていたんだが、実際に会って話して実感できたよ」
 ワタルはツヨシの変化を見逃さなかった。システムに入る前は、ひたすらカゲヤマと呼んでいたツヨシがサエコと親しみをこめて呼んでいる。
「なぁ、ツヨシ、サエコさんは、高校時代にどうしても確かめたいことがあるといっていたんだが、わかるか?」
 ツヨシは、目を伏せてうなずいた。
「おそらく……」
「おそらく?」
「オレがサエコに告白したこと、オレが出した手紙のこと、それから卒業式にナツミと大喧嘩したことぐらいじゃないかと思う」
 ワタルは、驚いてツヨシを見た。
「ちょっ、ちょっと待て! おまえ、サエコさんに告白してたのか? で、なんでナツミさんと結婚することになったんだ?」
「まぁ、今回もフラレたけどな、ともかくシステムの中でしつこく聞いていたからな」
「それで、サエコさんは納得できたんだろうか……」
 心配そうにワタルがツヨシを見た。
「たぶん、いや絶対に、サエコは納得できたとおもうよ、ただ……」
「ただ……?」
「気になることを言っていた、オレが告白したときに『私には好きな人がいます、と答えればよかったんだね』と話したんだよ」
「そりゃ、断るための口実じゃないのか?」
「うーん、ただ、サエコは妙に落ち着いて話していたし、これは誰かしらいるんだろうなってオレは直感したんだよ、だから気になったんだ」
 ツヨシは、穏やかに話をしている。
 やはりツヨシの態度は、カプセルに入る前の態度とは大違いだ。おそらくシステム内のサエコと出会い、ツヨシが抱いていたトラウマも解消されたのだろう。

~~

 システムから離脱してからすでに24時間が経過していた。しかし、サエコの意識はいまだ戻らない。
 心配して駆けつけたナツミもサエコの寝顔を見つめている。
 私が、状況を説明するとナツミはサエコの手を握り締めた。
「やっぱり、小学校のころに何が何でも離脱させていればよかった……」
 ナツミが涙声になる。
「そんなことはないよ、おそらく、まだ何か探し求めているものがあるのかもしれない」
「え?」
「ツヨシの話では、自分のブレスレットを見せて卒業式の夕方には離脱することは伝えてあったそうだ」
「ということは、離脱することは、ちゃんと認識していた?」
「そうだね、それは間違いない」
「それなのに、まだ何かあるのかなぁ……」

『私には好きな人がいます……』

 ワタルは、ハッとした。
「ナツミさん、サエコさんが今まで好きになった人って、誰がいる?」
「え? 突然、なんですか?」
「ナツミさんは、サエコさんとずっといっしょだったんだよね、サエコさんが憧れて好きだった人を知らないかなぁ?」
「うーん、いつもサエコのことは見てたけど、男の子というと、ツヨシ……ぐらい」
「え、そんなに男子と接点はなかったの?」
「だって、小学校の頃も『男子はズルイ』といっていたし、中学でも高校でもあんまり男の子と話しているところは見たことないです」
「うーん、ツヨシの話では、ツヨシにむかって『私には好きな人がいます』って話していたらしいんだ」
 ナツミは、しばらく考えていた。
 そして、カバンからいくつかの四角く折られた折り紙を取り出した。
「これは、サエちゃんからの手紙なんだけど……」
 ワタルは、その折り紙を見たとたん衝撃を受けた。
「こ、これ!」
「え? これはね、私とサエちゃんとの秘密の手紙なんだ、いつもこうして折ってやりとりしてたんだよ」
 ナツミが微笑みながら一つを解いて見せた。
「し、知らなかった」
 ワタルの顔がみるみる青ざめていく。
「どうしたの?」
「実は、幼稚園の卒園式のときに、これと同じものが僕のカバンの中にはいっていたんだよ」
「え?」
「サクラ色のすごくキレイな折り紙だったから、捨てられずに、写真のアルバムに挟んで取っておいた……」
「それじゃ、もしかしたら、それ、サエちゃんの手紙かもしれないよ」
「でも当時、あの事故があってから、サエコさんは、ずっと僕の事は避けていたし、そんな手紙なんて書くかなぁ……」
「でも、システムの中でも同じようなことは起こらなかったの?」
「いや、システムの中では、事故の直後に『ありがとう、私のためにゴメンね』って言われて、その後はいつもどおり楽しく遊んでいたし……」
 ナツミは、ワタルを見つめて話した。
「ねぇ、ワタルくん、その折り紙って今ドコにあるの?」
「たぶん、家かな……」

~~

(なんで、真っ暗なの?)
 私は、漆黒の闇の中にいた。全く何も見えない。自分が立っているのか横になっているのさえもわからない。

 突如、遠くの方でファンファーレが聞こえてきた。
「あ、これはプリンセスティアラ? まちがいない!」
 私は、ファンファーレの音を頼りに向かってみた。

 どこからともなくナレーションが流れてくる……。
『緑美しき大地を治め平和に暮らす王国がありました。しかし、その王国には、100年に一度、遥か北の山に棲むというドラゴンに生贄を差し出さなければ滅亡してしまうという伝説があったのです。
 そしてまたその年が巡ってきました。今回の生贄に選ばれたのは、王国一番、器量の良い娘と評判のナタージャでした。両親は一人娘が生贄となることを嘆き悲しみ、王様に娘の命を助けてほしいと懇願しましたが、王様でさえ、なすすべもなかったのです。
 ナタージャがキレイなドレスに身をまとい、馬の背に乗せられ北の大地に出発する日、王女ティアラは遠方の旅から王国に戻ってきたところでした。そして、ナタージャが生贄となったことを聞き大変驚きました。ナタージャはティアラの幼い頃からの親友だったのです。』

(懐かしい、プリンセスティアラのオープニングね)

 あたりが徐々に明るくなると、私は森の山道に一人たたずんでいた。目の前を生贄をのせた馬が通り過ぎていく。
「ティアラ! さようなら」
 馬上から涙声が聞こえてきた。
 私が見あげると、なんとナツミがキレイなドレスを着てコチラをじっとみつめていた。
「へ?」
(ちょ、ちょっと! なに? これ!)
 驚いて、自分の格好をよくよく確かめると、ヨロイを身につけ、腰には宝珠がついた美しい剣を装備している。これはプリンセスティアラの格好そのものだった。
(え? これってゲームの中? まぁ、このゲームの展開は、よくわかっているから、ナツミを助け出すことはできる……)
 私は、ちょっと戸惑いながらも、そっと一行の後に続いて歩くことにした。

 ナタージャの一行が深い森に入ると、たくさんの魔物が現れた。一行を守っていた兵士は傷つき次々と倒れ、とうとう護衛は私一人だけになってしまった。
 私は、このまま2人で逃げようとも話をしたが、ナタージャは、生贄がなければ王国が滅んでしまうかもしれないと固く拒むのだった。
 私たちは、暗い森を急いで抜け、次の村に到着したときには、あたりはとっぷり日が暮れていた。

 それから、2人きりの旅がはじまった。いくつもの森を抜け、草原をぬけ、北の山を目指し冒険を続けた。
 途中、立ち寄った村では、ヒミツの抜け穴や、貯蔵庫の場所も知っていたので、装備も揃えることもできた。
 順調にレベルもあがり、必要な薬品なども自ら調合することが出来るようになる。

 いよいよ山のふもとの村にたどり着いた。ここからは、山を登り、ドラゴン退治をすることになる。私とナツミは、薬草を煎じ、たくさんの回復薬も準備し、ナツミにも革鎧を着せると山を登り始めた。
(たしか、ドラゴンを倒すことはできなくて、岩屋に封じ込めるて終わりだったんじゃないかしら)

 山の中腹にたどり着いたとき、地響きが聞こえ、大地が揺れた。そしてあたりが真っ暗になっていく。私は空を見上げると、ドラゴンが太陽を遮りコチラをみていた。
「きたわ!」
 私は、剣を抜いた。剣についている宝珠が光り輝きはじめる。ドラゴンは、宝珠の光を確認すると襲い掛かってきた。

 ドラゴンとの戦いは、熾烈だった。少しづつ剣でダメージを与えるものの、タイミングがズレてしまうとドラゴンは空へ舞い上がりダメージを回復してしまう。
 私は、ひたすらドラゴンの火炎を避けては攻撃をした。
「回復薬はこれでおわりだわ」
 私は、最後の薬を飲み干し、ドラゴンの攻撃に備えた。死闘が続いたが、ちょっとした油断で、岩に囲まれた袋小路に追い詰められてしまった。
「しまった!」
 ここでは逃げ場がない。
 ドラゴンが、火炎を吹こうとした瞬間、私は目を伏せた。
 しかし、その次の瞬間、水煙があがった。
「あきらめたらダメだ!」
 目をあけると、小さな少年が大きな盾でドラゴンの火炎から守ってくれている。その盾は、水神の盾と呼ばれるもので、火炎を防ぐことができたのだ。

「ガドウルフ王子!」
 ナツミが叫ぶ。私がその王子をみると、なんと幼い頃のワタルの姿だった。

(え?)

「ティアラ、ここはオレがドラゴンをひきつけておく、山の頂上にある石の封印を元にもどすのだ! それからコレをもっていけ、かならず役に立つ!」
 ワタルは、私に、そう叫ぶと、紫紺のナイフを私に投げた。
 ドラゴンの火炎が収まると、ワタルは、黒い長いモリをドラゴンめがけて投げつけた。するとそのモリは、ドラゴンの目を貫いたのだ。
 ドラゴンは暴れ、目に突き刺さったモリに気をとられているスキに、私は、ワタルの紫紺のナイフを拾うと急いで山頂を目指した。

 山頂にやってくると、石の封印がズレて開いているのがみえる。私は、いそいでその封印を元にもどそうと、石に手をふれた。
 その瞬間、身体が熱くなるのを感じた。そして、私の身体から、もう一人の私が現れたのだ。
「我は、そなたの分身、石の封印を動かすことはまかりならぬ!」

 まるで鏡のようだった。自分とおなじ動作をするもう一人の自分。その自分が私が封印を元にもどすのを邪魔をする。
(こんな展開あったかしら……)
 剣を突きつけても、同じように剣が突きつけられ勝負がつかない。しかも、相手を傷つけると自らも同じようにダメージを受けてしまうのだ。
 どうにもこうにも相手を倒すことが出来そうにない。時間ばかりがどんどん過ぎてしまう。

「王子!」
 ナツミの悲鳴が眼下から聞こえた。
 私は、声の方をみるとワタルがまさにドラゴンに踏み潰されそうになっている。
「何かでドラゴンの注意をそらさねば!」
 私は、とっさに近くにある木の実をもぎってドラゴンに投げつけた。すると木の実が破裂して、ドラゴンにダメージを与えている。
 ドラゴンは、驚いたようにバサバサと羽ばたいた。

(あ、これは、怒りの実?)

「知んないの? ティアラは、怒りの実を食べるとキバの女王になって無敵なんだぞ!」

(え? そういえば、ワタルがそう言っていた)
 私は、木の実をかじってみた。するとみるみる身体が輝きはじめた。
(これが無敵状態? そうだ、無敵状態なら……)
 私は、ワタルの紫紺のナイフを左手に構えた。
 同じように、もう一人の私もナイフを取り出した。
「無駄なことよ、あきらめて立ち去れ」
「そうね、私は、もうあきらめることにするわ、だからここでこうするの」
 私は、左手のナイフで自らの胸を突いた。
 もう一人の私が驚いた表情を浮かべたが、彼女も自らの胸を突いた。

 ドクン……ドクン……

 私は、一瞬痛みがあったがナイフを抜くと傷口は光り輝き、すぐにふさがっていく。一方の私は、そのままその場に倒れると消えてしまった。

「いそいで、封印をとじなければ……」
 渾身のチカラを込めて石の封印を動かししっかり閉めることが出来た。

「これでよし! あとはドラゴンを倒すだけ」
 光り輝く私は、山頂から、ドラゴンの頭をめがけて飛び降り、剣を突き刺した。

「ティアラ! アタック!」

 まばゆい光がドラゴンを包み、ドラゴンがドーンと横倒しになった。
 私とワタルは、すかさずドラゴンの口の中に入り込むと、口の中から頭を剣で貫いた。
 ドラゴンの断末魔の雄たけびが聞こえた。
 が、次の瞬間、ドラゴンが最後の力を振り絞り、火炎を吹くのがわかった。ワタルが水神の盾で防御したが、あまりに至近距離からの火炎だったため、さすがの盾も吹き飛ばされてしまった……。
 私は咄嗟にワタルを抱きかかえた。無敵の私なら、火炎からワタルを守れるはずだ。

「ワタル、しっかりつかまって、私が守る!」

 熱い火炎の中で、私は必死にワタルを守った。しかし、身体はどんどん熱くなり、装備していたヨロイは溶けて吹き飛んでいく。
 そしてワタルも吹き飛ばされそうになった。

「ワタルー! ワタルーー!」
 私は、絶叫した。

~~

 ワタルは、驚いた。
 いきなり、サエコの絶叫が聞こえたのだ。
 あわてて、病室へ駆けつけると、両手を天井に掲げている。
「サエコさん、サエコさん!」
 ワタルは、サエコを揺り動かした。次の瞬間、サエコは、目を開けた。
「ワタル! ワタル!」
 サエコは、涙をポロポロこぼしながら、ワタルを強く抱きしめた。

「大丈夫、もう大丈夫です!」
 ワタルは、サエコの耳元でやさしくつぶやいた。
「私は、私は……」
「おかえりなさい! サエコさん」
 ワタルは、やさしくサエコを抱きしめた。

「もどれたのね?」
「もどれましたよ! 長い眠りから目覚めたんです」
「私、プリンセスティアラのゲームの世界にいたみたい」
「え? ティアラですか、なつかしいですね」
「ふぅ」
 私は、大きく深呼吸をした。
「落ち着いたら、少し話をしましょうか」
 ワタルは、そういうと病室の照明を少し上げた。

~~

 私は、ワタルが用意してくれた温かいミルクを受け取った。
 口に含むと、いままでの緊張がほぐれていくのを感じた。
「サエコさんがもどれてよかったです、システムから離脱しても意識がもどらず、一時はどうなることかと思いました」
「私も今回このシステムでいろんな自分を見ることができたわ」
「私も幼稚園時代に参加せてもらいましたね」
 ワタルが照れ笑いをした。
「その他、ナツミ、アイコ、そしてツヨシも参加してくれた」
「ええ、皆さんの記憶データもサエコさんの補完データに加えていますから、そうとう質の高いものだったとおもいます」
「とっても、満足! 私の知りたかったことは、すべて解決できました」
「よかったです、でも、ツヨシがサエコさんに告白していたとは知りませんでしたよ」
 私は、目を閉じて微笑んだ。
「いままで気が付かなかったけれど、当時、ツヨシには、酷いことをしちゃってた、でも、システムの中では穴埋めはできたと思う」
「それじゃ、彼らの結婚式もお祝いできますね」
「もちろん、お祝いしたい……ぜひ参列したいわ」

 私は、日を追うごとに順調に回復できた。エリカはもちろん、ナツミやアイコ、そしてツヨシまでもが見舞いにわざわざ足を運んでくれた。
 そして、返事をしていなかったナツミとツヨシの結婚式の参加をすることを伝えると2人ともとても喜んでくれた。
 また、ワタルが心配していたシステムからの影響も、数回のカウンセリングの結果、ほとんど問題がなく、当時の記憶とシステム内の記憶との混同もないということがわかった。

~スピーチ~

 6月の梅雨の季節には珍しく、空は真っ青に晴れわたっている。
 私は、ワタルに連れられて結婚式場に入った。
「サエコさん、とってもドレスお似合いですよ」
「ありがとう、ワタルも、メガネでなくコンタクトにすると結構いい男になるわよ」
「それは、それは、ありがとう!」

 新郎新婦の控え室をたずねると、純白のウェディングドレス姿のナツミがニッコリ微笑んでくれた。
「ナツミ、おめでとう! とてもキレイだよ!」
「サエちゃん、ありがとう! 私、サエちゃんに式に参列してもらえないかと思っていたから、今日来てくれて、とてもうれしいよ」
 ナツミは、ちょっと目が潤んでいる。
「ナツミ! 今、泣いてどうするのよ!」
「そうだよね、サエちゃん!」

 挙式は厳かに粛々と行われた。
 そして、披露宴会場に移ると、懐かしいクラスメートの顔もチラホラみえた。
「おお、カゲヤマひさしぶりだな!」
「会長! お元気ですか?」
 数名からも声をかけられた。

 披露宴が始まると司会者から、新郎新婦の子供のころの懐かしい写真スライドが流され、会場も大いに盛り上がった。
 そして、恩師や同僚からお祝いの言葉が続く。
 ツヨシもナツミも真っ赤な顔をしてうつむいたり苦笑いをしている。

「さて、ここで、新郎新婦をよく存じ上げている友人の方からお祝いのお言葉をいただきたく存じます、カゲヤマサエコさまお願いします」
「へ?」
 私は、驚いた。私にスピーチがあるとは聞いていなかった……。
「カゲヤマさま、どちらにいらっしゃいますか?」
 司会者が追い討ちをかけてくる。
「サエコ会長!」
 会場からアイコが声をあげる。私は、ゆっくり席を立つとマイクをつかんだ。

「突然の指名でおどろいています。でも、せっかくですから、私から一言、御二人にお祝いの言葉を申し上げたいとおもいます。
 ツヨシ、ナツミ、ご結婚おめでとうございます。この日に参加できて私もとても嬉しいです。
 私は、特に新婦のナツミとは、幼稚園からずっと一緒でした。さきほどスライドもありましたが、小さい頃は可愛くて……あ、もちろん、今もとってもかわいいですけれどね。」
 会場からクスクスと笑いがおきる。
「でも、いままで2回大喧嘩をしたことがありました。一度目は、小学校の頃、肝試し大会で私とナツミは、同じ驚かすチームだったにもかかわらず、私がイタズラをしてナツミを驚かせたら、ナツミは怒ってしまい、その夏休み中、一言も私と話をしてくれませんでした。もちろん、ちゃんと私が謝りましたけれど、すごく頑固なところがあります」
 ナツミは、真っ赤な顔をしている。
「頑固っていうのは、失言。とても誠実です。でも誠実すぎて、ちょっと泣き虫のところもあったりします」
 会場から笑いが起きる。
「二度目の大喧嘩は、高校の卒業式でした。でもこのときの喧嘩は、私には、なんで怒っているのかさっぱりわかりませんでした。そこで、先日、自分の記憶を旅できるシステムで確認してきました」
 会場からは、驚きの声。
「ほんとなんですよ。その中で気が付いたのです。高校時代から、ナツミは、ツヨシの事が大好きだったということがわかりました。
 私は、高校時代は生徒会長をしていましたが、それは名ばかりで、ツヨシとナツミに随分と助けてもらっていました。当時、私は段取りばかり気にする神経質な生徒会長だったわけですが、それを支えてくれたのがこの2人なのです。
 今日は、当時を振り返り2人に感謝するとともに、今度は、私が、2人を応援し見守りたいと思います」

 私は、マイクスタンドからマイクをはずし、新郎新婦のそばへ歩いた。
「ツヨシ! ナツミを泣かしたら、この私が許さないからね!
 ナツミ! あんたも家庭をもったら、泣いてるヒマなんかないんだからね! わかった!
 なんかあったら、すぐにとんでいくからね!
 まぁ、そうはいっても、私も忙しいから、そんなに呼ばないでほしいけどね」
 会場から笑い声が起こった。
「ツヨシ、ナツミ、いつまでも、お幸せにね!」
 私がマイクをもどすと、会場から大きな拍手がおきた。そして、ツヨシとナツミはニコニコ笑いながら会釈してくれた。

「ふぅ」
 私が自席にもどると、ワタルも拍手をしてくれた。
「すばらしいスピーチでしたよ、ちょっと笑っちゃいましたが」
「そう? こんな席で、普通に2人にお祝いの言葉をいえたのも、システムのおかげよ、ありがとう」
 ワタルは苦笑いをした。

~~

 披露宴も終わり、私はロビーのソファーに座っていた。
 ツヨシとナツミがワタルとなにやら話をしていた。ツヨシがワタルの背中をポンとたたき、こちらへやってきた。

「おまたせしました、それでは、自宅まで送りますよ」
「ありがとう」
 ソファーから立ち上がろうとすると、ワタルが話しかけてきた。

「ところで……これ、見覚えありますか?」
 ワタルは、ポケットから折り紙を取り出した。
「これは折り紙?」
「幼稚園の卒園式のときにカバンに入っていた折り紙です」
「幼稚園?」
 私は、じっと折り紙をみつめた。サクラ色の四角に折り込んだ折り紙。

「幼稚園……あ!」
 私の遠い記憶の中に、その折り紙は確かに存在していた。
 ワタルは、そっとサエコに手渡した。
「たしか、これは、ワタルに宛てた手紙だったとおもう、でも、なんて書いたかは、忘れちゃったけれど、どうしても伝えたくてカバンにいれた……」
「僕もこれが手紙だとは知らなくて、そのまま写真アルバムにはりつけてあったんですよ」
「あけてもいい?」
「もちろんです、そして、その手紙を聞かせてください」

 私は、おそるおそる折り紙を開けてみた。きつく折り込んである一片をとりはずすと、幼い字で添え書きがしてあった。

「サエコのひみつ」

 私もすっかり忘れていた手紙だ、その当時、私はどんな気持ちでいたのだろう、ワタルが不快に思うようなことが書いてあったらどうしようかと不安になったが、ゆっくりと広げてみた。
 その手紙を私は、何度も読み返し、顔を赤らめた。

「なんて書いてあるんですか?」
 ワタルがシビレを切らして聞いてきた。
 私は、ワタルに折り紙を渡した。

『ワタルくん、ケガのことゴメンね、ワタルくんは、わたしのことをまもってくれたんだね、ありがとう、おおきくなったら およめさんにしてね だいすきなワタルくんへ サエコ』

 ワタルは、私に微笑えみ、そして真面目な顔でつぶやいた。
「サエコさん、僕のお嫁さんになってくれませんか」
 私は、驚いてワタルを見つめると、涙があふれてきた。
 そして私は小さくうなずいた。
 
 28歳サエコ、なんとか結婚できそうです。

(完)

秘密の想い出 ~サエコの場合~

トラキチ3です。
最後まで、お読みいただきましてありがとうございます。

ループものを書いてみたい。そんな思いから作品をつくってみました。
今回は締切を自分で決めて連載をしてみましたが、書き溜めたものはあっというまになくなり、連載7、8はかなり厳しい状況になりました。

よかったら、ご意見、ご感想をいただければ幸いです。

秘密の想い出 ~サエコの場合~

サエコは、28歳で結婚するはずだった。 ところが、相手の男性は、自分の幼馴染と結婚することに! 傷心旅行に出発したサエコは、生死をかけるほどの旅となるとは思いもよらなかったが、驚きの事実を知ることになる……。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-06

Copyrighted
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