日記と私小説

 訪問好きの木下は、最近お気に入りの文学青年宅に通うようになった。確かに宅なのだが、昔、赤線だった頃の建物で、今は素人下宿屋として残っている。
 文学青年も興味深いが、木下はこの建物に入るのも好きだ。三和土から上がるとき、靴を脱ぎ、靴下のまま二階への階段を上るのだが、多くの人が上り下りしたのか、階段の角が丸くなっている。赤線以前は本物の遊郭だったのではないかと思うほど、年代物だ。階段そのものを道具屋から買ったのかもしれない。
「最近ブログをやってるねえ」木下が切り出す。
「ああ、小説だけブログに上げているだけじゃ、物足りないので」
 文学青年青木は純文学を書いている。私小説だ。しかし、ブログに上げている日記と、同じような話になっている。
 木下はその違いを聞いてみた。
「小説はあくまでもフィクションで、僕のは私小説風に書いているが、あれは僕自身じゃないんだ」
 しかし、木下には同じように見える。
「はっきりとした違いは何処にあるのかなあ」
「ああ、小説の場合は物語を優先させているんだ」
 木下にはそのようには見えない。
「筋が大事なので、伏線を張ったり、クライマックスで盛り上げたり、意外な展開になるようにしたりとかね」
 実は木下は、青木の小説より、日記のほうが面白いと感じている。日記の方が読みやすいのだ。たまに青木は長い小説をブログに上げているが、読むのが辛い。長いこともあるし、物語を追うのが面倒になっているのだろう。そのことをちらりと突いてみた。
「僕の日記は随筆じゃないんだ。エッセイでもない。あったことを適当に書いているんだ。断片的にね」
 確かに食べたものとか、行ったところとか、メモ程度のことだ。しかし、彼の小説よりも読みやすい。
「うーんどうかなあ、小説は作品になるけど、日記は作品にならないからなあ。まあ日記文学もあるけど、それはそれなりに難しいんだ。色々とネタを仕込むなりしないとね。それにそれ一本でやっている人には負けるよ。他に何も書いていないのだからね」
「でも、青木君の日記の方が、青木君の原液が良く出ていて、いいけど」
「ああ、それは私小説になりかけてならないようなものかな。ドキュメンタリーに近いかなあ」
「話がないほうがいいかも」
「え」
「いや、だから下手な小細工を弄した話より、そのまんまの方が罪が軽い」
「え、何が罪なの」
「だから、最近文章を読むのが面倒になってねえ。せっかく読んだのに、これかい、となることがある」
「音の出るもの何でも好きで……っていう唄、知らない?」
「伝説の三味線弾きの話かな」
「雪が舞いまくる唄だよ」
「あ、そう」
「だから、僕なんか、音の出るものじゃないけど、文字なら何でも好きなんだ」
「今もかい」
「そうだよ」
 木下もフリーライターとして文章を書いているのだが、他人の文章を読むのが苦痛になってきている。
「青木君の日記が罪が軽いのは、臭い芸をしていないから、適当に流し読み出来るからかな。飛ばして読んでることもあるけど。それが一番楽だったりして。ここは読まなくてもいいってね」
「じゃ、小説の何処が悪いの」
「一応青木君の小説は、全部読んでるよ」
「じゃ、問題ないね」
「問題は物語なんだなあ」
 木下はフィクション専門なので、そう感じるのかもしれない。
「物語が、何?」
「うん、物語に付き合うのが、しんどいと言うことか」
「話の面白さはストーリーの面白さだろ」
「それもあるけど、その人の嘘の世界と付き合うのが苦しいんだなあ。青木君は別だよ。どんなのを書くのか、興味あるから」
「ありがとう」
「しかし、何故日記の普通の文章の方がいいのだろ」と木下。
「でも、それをやると私小説になるよ」
「なるよって、君の小説、私小説じゃないか」
「田山花袋の蒲団に戻るべきなんだ」
 木下は期待通り絶句した。
「何か心配になってきたよ。木下君。僕はどの方角へ行けばいいんだ。相談に乗ってくれないか」
「それなんだよ。作品の話より、そう言う話のほうが面白いんだ」
「ああ」
 
   了

日記と私小説

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訪問好きの木下は、最近お気に入りの文学青年宅に通うようになった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-22

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