シフト Vol4

(物語の始まりvol1はこちらから>http://slib.net/28439

始動

 人は何処まで歴史を遡って認識出来るのだろうか。気の遠くなるような長い旅。時には大海を渡り、時には氷河を縦断し、何処まで広がっていくのか・・・何を求めてその地にやって来るのか。
 一人一人の生きる時間は限られている。それは地球規模の尺度で測れば、まさに瞬きほどの瞬間でしかない。語るにはあまりにも短すぎるが、語られなければ、その歴史もまた無に帰する。だが、何万世代もの螺旋の連鎖が、無意識の中に蓄積され、今を形作る。細胞に宿る時間そのものが、生命の本質と言えるのかもしれない。事実、今ある肉体は、四十億年の結晶であって、そして「今」そのものは、連続した生命体の一面でしかないのだ。
 人は、今日も広がる。何度も生まれ変わり、引き継いできた「記憶」を明日にに伝えながら・・・

 人類発祥の地をアフリカとするならば、その足跡はアフリカ全土へ広がるグループ、ユーラシアを東へ縦断するグループ、ヨーロッパへと安住の地を求め北上するグループとに別れる。
 彼らは過酷な砂漠へも、極寒の氷河へも、荒れ狂う大海へも勇猛果敢に挑んできた。しかし、いついかなる時代でも、温暖で肥沃な土地は存在する。ではなぜ命をかけて、過酷な土地へと移動を続けたのか・・・勢力争いに敗れたからだろうか・・・もしそうだとすると、人類の数百万年に及ぶ歴史のほとんどは、敗走の歴史という事になる。しかし、それでは生命の根元に編み込まれている、強者生き残りの本質が崩れてしまう。現在の社会環境ならいざ知らず、太古にあっては、弱者は生き残れないのだ。つまり、こう考える・・・強者故に過酷な大地を目指し広く広く広がっていった・・・と。
 彼らが何を求めてそうしていたのか、彼ら自身も認識していなかったはずだ。日常生活の中においては、自分たちが膨張を続けている事など、理解するべくもない。それは目的無き進行だった。新天地を求めると言う本能と、行けども行けども、新たな大地が姿を現すという、無限の世界に対する畏敬の念がそうさせていた・・・としか言いようがない。
 しかし、彼らの大地は無限ではなかった。ついにその終点へと達する事になる。最初にたどり着いたのは、南アフリカの喜望峰からマゼラン海峡を横断してやってきた、アフリカ勢だった。遅れて、ベーリング海峡を迂回する形で、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸と南下してモンゴロイド勢がやってくる。二者は一時、お互いの利害が一致したためか、共存を続けた。しかし、ある時を境に、なぜかアフリカ勢は姿を消してしまったのだ。その後、北からやってきたモンゴロイドが、その地のネイティブとして、独自の文化を築いて行くことになる。
 そして、近代になってから初めてヨーロッパ勢がやってくる。しかし目的無き冒険者であった前者に比べて、彼らには明確な目的があった。支配と搾取・・・それは宗教的、または経済的背景を礎に、開拓と言うにはあまりにも一方的な侵略だった。
 確かに歴史的に見れば、強者による弱者の支配は珍しくはない。しかし、圧倒的な火力を用いて短期間に大陸を支配する事を古代の文明間の勢力争いと同一視するべきではない。「文明人」を名乗り、世界中を津波のごとき席巻した彼らは、数万年かけて人類が築いた冒険の歴史を数百年で覆してしまった。

名だたる探検者達を拝した大航海時代・・・
その傷跡は今なお多くの紛争として時代の歪みを象徴している。


 南米ペルーはある意味で、地球上における人類の最終到達点と言えるかもしれない。しかし、古代文明の数々を排出した彼の地は、いまなお不安定な治安とくすぶり続ける紛争とが入り交じった、混沌の中にあった。


 
 二〇〇二年六月。

 首都のリマから飛行機で一時間ほどのところに位置する北部の都市チクラヨで、あるプロジェクトが進行していた。ペルー政府の要請により、日本のODA(政府開発援助)の支援を受けた形で、それは進行していた。日本はペルーにとって最大の援助国であり、移住者も多いことから、ODAが関係したプロジェクトは、至る所で進行していたのだ。そのほとんどは灌漑施設の整備やインフラの近代化など、人々の生活に直結したものだったが、チクラヨでのそれは、多少趣が異なっていた。
 ペルーの領土の半分ほどの地域では、乾燥し荒涼とした砂漠が続いている。都市部では近代的な町並みが形成され、用水路や田畑の開発も進み、農業の分野でもある程度の収穫を期待できるが、一歩郊外へと足を運ぶと、その先は荒涼とした乾燥地帯が続き、まるで人類の拡散を防ごうとしているかのようだった。

 そんな不毛の大地にあえて挑もうとしている一握りの人間たちがいた。政府の委託を受け、リマ中央大学の協力の下、活動を続ける民間機関「ワワン・コーポレーション」。ワワンとはインカ時代から伝わるネイティブの言語、ケチュア語で「彼の子供」を意味した。「彼」とはこの場合、代々この地に伝わる神々を指す。ワワン社はこの神の領域で、新しい人間のありかたを今日も模索していた。

 
 「ちょっと!、アルベルト? アルベルトはどこに行ったの?」
 ワワン社、チクラヨ支部における、最高責任者のカルメンは、ふくよかな女性の多いお国柄とは対照的に、スマートな体型をしていたが、力強く張りのあるその声に叱咤されると、たいていの男は尻込みしてしまうほどの凄みがあった。実際の年齢は四十過ぎだったが、バツイチ独身で子供もいないせいか、三十台前半に見えた。

 「彼なら、さっきBプラントで見ましたよ」
ひげ面のオダールがパソコンに向かったまま、ペンでその方向を指した。
「まったく、また油売ってるの? ちょっと誰か、あいつを呼んできて!」
と、言いつつも彼女は一番近くにいたオダールを無言の内に指名しているようだった。

「え?僕が?・・・まあ、いいっすけど。でもちょうど間が悪い時だったらいやだなあ・・・」
「何訳のわからない事言ってるの? 早く行ってらっしゃい」
「へ~い」
オダールはパソコンをスリープさせて、しぶしぶアルベルトを目撃したBプラントへ向かった。

 ワワン社、チクラヨ支部には四つのバイオプラントが存在する。同じような形の直径四十メートルほどの円形ドームだが、中で栽培している植物はそれぞ性質の異なる物だった。違っているのは、植物の種類だけではない。温度や湿度、日照時間も異なる。そして最も大事な点は、各プラントによって、土壌に含まれるバクテリアが異なる点だった。

 「ねえ、ここ入ってもいいの? プラントの制御室でしょ? 見つかったら大変よ」
 「大丈夫だよ。それぞれのプラント制御は中央監視室でやってるから、ほとんどここに人は来ない」
 人気のない六畳ほどの空間にいくつものモニターと電子機器が並んでいた。壁の一角は大きな窓になっており、プラント内の様子が一望できる。その窓によりかかるように、二人の若い男女が肩を寄せ合って話し込んでいた。
 男はワワン社の研究員でプラント内の環境設備を担当するアルベルト。
女の方は政府の派遣要員で日系三世のシズカだった。シズカの祖父は、一九二三年に日本の移民計画が廃止される直前に広島からやってきた、最後の移民団に属していた。

 「ねえ、アルベルト。こんなにリマから遠い田舎町に、いつまで仕事しなければならないのかしら。こっちにきてもう二年になるわ」
 「僕なんか、もう四年さ。でも、今じゃここの暮らしも結構気に入ってるんだけどな・・・」
 「あなたは、若い女の子が近くにいればそれで幸せなのよね。先週もチーファ(南米風中華料理店)の子とデートしてたんだって?」
 「おいおい、誰がそんなこと・・・彼女は友達の姪っ子さ。一日面倒を見てくれってたのまれたんだ」
 「二十歳前の子が遊ぶのに保護者がいるのかしら?」

 アルベルトとシズカ。二人は同僚から見るとつき合っているように見えたが、実際のところ付かず離れずと言う関係ではないかとする見方もあった。アルベルトの社内で一番の友人であるオダールですら、その真相は計りかねていた。

 ウイーン。
自動ドアの開く音が聞こえ、シズカがはっとして振り返った。
 「あ、やっぱ、タイミング悪かったかな?」
 オダールが空いたドアの外からにやにやしながら声をかけた。
 それを見たアルベルトはバツが悪そうに、彼を手招きした。
「おかしな気を使ってないで、入ってこいよ。ちょうどバイオコーンの育ち具合をチェックしてたところだ」
「どうだか・・・それはそうと、ボスがお呼びだよ。かなりお冠みだいだけど」
「チッ、またかよ。何かというと俺を目の敵にしてるな・・・」
 アルベルトは窓の枠に腰掛けたまま、肩をすくめてため息をついた。

「シズカ、俺はおまえが思ってるほど、もてねーよ。俺を買いかぶってくれるのは、ありがたいけどね」
アルベルトは慣れた手つきでシズカの頬を一度なでて、部屋を後にした。

 それを見ていたオダールが再びにやけて、話しかけてきた。
「なあ、おまえら、実際どうなの?」
「どうって?」
シズカは多少の嫌悪感を漂わせて、横目でオダールを見た。
「もう、やっちまってるのかなあ」
ボフ! シズカは、無言でオダールのみぞおちにひじ鉄を打ち込み、そのまま出て行った。
 誰もいない部屋で、オダールは一人うずくまっていた。

 
 「ボス、お呼びで?」
しばらくスケジュールの管理に追われていたカルメンは、だるそうに話しかけてくるアルベルトを見て、怒りが再燃するのを感じていた。

「どこいたの! 仕事ほっぽり出して」
「それは心外ですね。プラントのチェックをしてたんです」
「あなた、そんなに再々チェックが必要なの? 自分のできの悪さを告白してるようなものね」
「お言葉ですが、プラントは俺にとって、作業現場です。こんな管理室に居座って、何が解るってんですか」
「えらそうな口を利くんじゃないの! そんな言い訳は、ちゃんとした成果を上げてから言って。今月の政府に提出する報告書が出てないじゃないの」
「はいはい今週中に出しますよ」
「明日までに!」

 どうもこの二人は相性が悪いとしか言いようがなかった。仕事を計画通りに進行させることにすべてを賭ける管理職と、ペルーの気質を受け継いだ、マイペースの研究員。しかも、口答えが日課とあっては、二人のいがみ合いもすぐには終わりそうもなかった。
 頭をかきながら、アルベルトが自分の席に戻ろうとした頃、ようやくオダールが腹をさすりながら帰ってきた。

 「みんなそろったわね」
今一度全員がいるかどうか確認しながらカルメンが立ち上がった。
 「じゃ、良く聞いて。みんなも理解してるように、このチクラヨプラントは政府の委託を受けて、バイオフィールドの研究をしているわ。その目的は、国土の大半を占める不毛の大地を緑化する事にあります。プロジェクトが発足して以来四年間それなりの成果を上げてきたと自負してます。でも・・・まだ実用まではほど遠い。しかも、国家予算は各国からの借金で破綻寸前だし、治安はいっこうによくならない。のんきにあてのない研究をこのまま続ける時間はないのよ」
 研究員には一様に不安の色が広がった。まさか、政府からの予算が打ち切られたのでは、と憶測する者もあった。

 「実は、このプロジェクトを実際に計画し、研究をバックアップしてくれていた、リマ中央大学が手を引くことになったの」
 誰一人口を開く者は無かった。大学から見放されることは即、プロジェクトの中止を意味していた。アルベルトも、背もたれを大きく傾け、手を頭の後ろで組んだまま、天井を見上げた。
 「でも、安心して。計画は中止にはならないわ。大学の後を継いで、日本の研究機関がプロジェクトに参加してくれるの」

 「ちょっと、待ってくださいよ」
 今まで無言でいたアルベルトが、椅子を回転させ立ち上がった。
「四年間も苦労してきた研究成果を日本人なんかに売り渡すんですか?」
「勘違いしないで。このプロジェクトは私たちワワン社の物ではないわ。知っているでしょ、予算のほとんどは日本のODAから分配されてるって。これは企業間の問題ではなくって、政府間の政治的問題なの」
「しかし、今までのノウハウはどうするんでんす? 試行錯誤の上に積み上げてきたテクノロジーは極秘事項ですよ。それを今頃やってきた民間企業にやすやすと手渡せるもんですか!」
「民間企業と言っても、あちらも日本政府から委託を受けた組織なの。第三セクターと呼ぶらしいわ。ある意味、我々と同じようなものね。優先すべきは研究成果の保守義務ではなく、どうやって早期に実用化させるかよ。そのためには、お互いの情報を共有することだって必要なの」
 憮然とした表情のアルベルトを無視してカルメンは続けた。

 「来週、日本側の代表がプラントを見に来るの。その時これからどんな協力関係が築けるか、会議をする事になってる。エメルダ、会合の草案を作っておいて」
 「了解しました」
 まだ納得のいかないアルベルトは、話が終わる前に管理室を出て行ってしまった。

 「アルベルト! これはもう決定事項なの。協力がいやなら、リマに帰りなさい」
 カルメンの声が彼に聞こえたかどうか・・・既に自動ドアのトビラは閉まっていた。
 
 

 リマ空港からチクラヨまでは、飛行機で一時間ほどだった。しかし、ペルーの国内線はせいぜん五十人乗るのがやっとの中古のプロペラ機が多く、乗り心地も決して良いとは言い難い。なにより、莫大な赤字を計上している航空会社にあって、ちゃんと整備点検されいるのかどうか、一抹の不安を感じる旅行者も少なくはなかった。

 「何度乗っても、国内線は緊張するね~」
天然パーマで、浅黒く小太りの日本人らしき男が、スパニッシュ系の男に話しかけていた。

「そう? カワサキは臆病だな・・・僕なんか何も感じないけど。それより、どうだい、この眺め。日本じゃ見られないだろう」
「ラウルはのんきすぎるんだよ。年間どれだけの飛行機が墜落してると思ってるんだい」
 カワサキと呼ばれる日本人は、三十半ばだろうか。愛嬌の良い細い目とは裏腹に、落ち着きが無く人と話をしていなければ、不安でならない様子だった。
 かたや、ラウルはのんびりとしたスペイン系の血を引いているのか、のんきに眼下に広がる白い砂漠と、雲一つ無い青空とのコントラストを楽しんでいた。

 「ところでラウル、知ってるか? 今度の仕事内容」
 「何言ってるんだい? 先日所長からあらましを聞いたじゃないか」
 「いや、もっと具体的に・・・バイオテクノロジーを研究している機関だと言う事はわかった。しかし、我々の会社はインフラにおけるエネルギーシステムの開発が主な仕事だ。微生物の専門家なんていないじゃないか」
 「まあね。でも、その方面の専門家はあちらにいるんじゃないの? 僕らは僕らの仕事をこなせばいいんだと思うけど。 チーフなら詳しい内容を知ってるでしょ。聞いてみたら?」
 一番通路側に座っている、まだ若い日本人は、チーフと呼ばれていた。眠ってはいなかったが、前方を見つめたまま、何か考え事をしているようだった。

 隣のカワサキが声を潜めて顔をラウルに近づけた。
「だめだよ、彼は飛行機の中じゃ、一言もしゃべらない。普段は聡明なエンジニアなんだけどな・・・なぜなんだろうね」

 航空機内では何もしゃべらない男。テイサンエナジー・ペルー支社のチーフエンジニア、広野雅斗。 二十六歳になっていた。

 
 チクラヨ空港は寂れた町に似つかわしい寂れた空港だった。タラップを降りれば目の前に粗末なエアポートの出入り口があり、数人の観光客が行き来するだけの、殺風景でほこりっぽい景色が続いている。少ない環境客を目当てに数点の露天が軒を連ねている横で、マシンガンを片手に目を光らせる軍人の姿もあった。

「ミスター・ヒロノ?」
 突然、空港前の通りを一人のペルー人が走り寄ってきた。軍人の姿に恐怖感を抱いていたカワサキが、驚いて後ずさった。
「初めまして、私はワワン社システム管理をしています、オダールと言います」
 オダールはカルメンの命令で、広野達一行の出迎えに来ていたのだ。カワサキが汗を拭きながら安堵の表情を浮かべた。

「わざわざのお出迎え、ありがとうございます」
 雅斗はテイサン・エナジーの名刺を渡し、一通りの挨拶が終わると、オダールが愛想の良い笑顔で、車へと案内した。
「いや~それにしても、ミスター・ヒロノは英語が達者ですな。それにその若さで主任とは恐れ入ります」
 オダールの社交辞令にも雅斗は笑みで答えるだけだった。だが、その表情は機内にいた時と比べると、大いにリラックスしているようでもある。それを見たラウルが、またカワサキに耳打ちした。
「チーフも機嫌が治ったみたいだな、でも、この人何考えてるんだろうね」
「しっ!、声がでかい。彼は天才なんだよ。僕らとは出来が違うんだ。近い将来支社長になるのかもしれないな」
「なるほど、天才の頭の中は覗き見れないか・・・でも、もしそうなら、今の内に取り入っとくかな」


オダールの運転する四輪駆動車は、砂埃の舞う悪路を北へと進んでいた。点在する集落は赤茶けた干しレンガ造りの家が多い。車の巻き上げる煙はいつまでも空をさまよい、からからに乾燥した街並みをさらに黄色く染めていた。
雅斗は後部座席で揺られながら、時々出会う埃まみれの子供達に目をやっていた。決して裕福とは言えない環境でも、作物の育たない干からびた大地でも、ここが彼らの故郷なのだ。突然、水に恵まれた木々の生い茂る日本につれて来られたら、逆に落ち着かないだろう・・・人は子供の頃に住んだ土地を最も恋しがる。・・・野辺山の風景は、あのままだろうか・・・天文台のパラボラアンテナは今も動いているだろうか・・・・

「ミスター・ヒロノ」
ハンドルを握ったオダールがミラー越しに、愛想の良い笑顔を見せて話しかけてきた。
「マサトと呼んでください」
「おお、そうですか。ではマサト。ここら辺は沢山遺跡があります。作物もまともに育たないので、観光が唯一の収入源なんです。でも、子供達には気を付けてくださいね」
雅斗は路上の少年に目をやりながら静かにうなずいたが、カワサキにはその意味がわからなかった。

「子供達に? なんで? それより空港前にいた軍人の方がよっぽど怖いけど」
 オダールはにやけて車を路肩に停止させた。と、同時に近くにいた数人の子供達が寄ってきた。どこから現れたのか、いつの間にかその数は十人ほどになっていた。助手席に座っていたカワサキは驚きのけぞったが彼らは空いていた窓から手を差し入れ、口々に「シュー・ポリッシング!」と叫んでいる。
「な、なんだ?この子達は? 靴磨きは必要ないぞ!あっち行け!」
 窓から手を突っ込み、カワサキのネクタイをつかみ、顔や手を触ってくる。
「ちょっと!、やめろ。早く車を出してくれ!」
 子供じみた笑みを浮かべ、オダールが再び車を走らせた。後部座席に座ってる雅斗とラウルは顔を見合わせて笑うばかりだった。
「ちょっと、ひどいじゃないですか。ああ!、ポケットに入れていたサングラスがない!」
「ははは、いや、失礼。取られたのが財布じゃなくて良かったですね。このあたりはあまり作物も育たないし、収入源と言えば観光客目当ての商売ばかりなんですよ。それもレストランが運営できればいいほうで、ほとんどは土産物を売ったりしてわずかな賃金を得てるんです。子供達も靴磨きをしてお金をもらいます。外国人と解れば寄ってきますよ。悪気はないでしょうが、中にはスリまがいの事をする子もいます」

 からかわれたと悟ったカワサキは顔を紅潮させ口をパクパクさせさせるだけだった。あまりの怒りと驚きに言葉すら出てこないようだ。にやけながら事の次第を観察していたラウルが、今度は雅斗に耳打ちした。
「俺たち、あまり歓迎されてないのかも・・・」
雅斗は少し眉を動かして、おどけた表情を見せただけだった。


空港から約一時間。雅斗らを乗せた車はようやくプラント施設へと到着した。市街地から五十キロメーターはあるだろうか・・・近くには寂れた街が一つだけあるだけで、そのほかは畑すらない、岩と砂だらけの世界。ほとんど雨も降らないので、植物と言っても人の背丈程の草が点在するだけだった。
そんな劣悪環境に忽然と姿を現す四つのドーム・・・さながらSFに出てくる火星基地のようでもある。

「ミスターヒロノ、遠いところをご苦労様です」
中央監視室に通された雅斗達は、まずボスであるカルメンと挨拶を交わした。その後、現場のスタッフが一通り紹介されたが、途中でカルメンの表情が曇った。
「本当はもう一人、アルベルトってやつがいるんだけど、ちょうど今プラント点検に出ていて・・・」
取り繕うようにどもったカルメンは、八つ当たりするかのように、オダールを睨みつけた。オダールは、眉をひそめて首を横に振るだけだだった。どうやら、アルベルトはワワン社員とテイサン・エナジー社員の顔合わの儀式をすっぽかしてしまったようだ。

「それはそうと、今回、日本の優秀な技術者の方々に参加してもらえると言う事で非常に心強く思います」
カルメンの、取って付けたような不自然な社交辞令に、オダールは吹き出しそうになった。
「こちらこそ、このようなすばらしいプロジェクトに参加できて光栄です」
雅斗の方は、いたってまじめな様子だ。
「本当に、この計画はすばらしいんです。バイオフィールドが完成すれば、我が国だけでなく、世界中の飢餓に苦しんでいる人々にとって大変な朗報になります。ただ、それには費用と優れた人材が必要です。ミスター・ヒロノ、聞くところによると、あなたは人並み外れた才能の持ち主だとか・・・我々も大いに期待するところです」
雅斗はちょっとバツが悪そうに頭を掻いた。
「いえ、どのように情報が伝わっているかわかりませんが、私はそのような人間ではありません。ただ、必要があれば、何にでもチャレンジしていきます。バイオマスの分野も一通り勉強してきました。ただ、我々の仕事はプラントのシステムを見直す事です。本業の研究は皆さんにはかないません」
「まあ、お手並み拝見しましょ・・・」
カルメンは浅黒い顔に並びの良い白い歯を見せて笑った。
「ここでは、普段スペイン語を使っていますが、全員英語も達者です。ご安心を・・・じゃ、オダール! 皆さんをプラントに案内して!」
「へ~い」


Bプラント制御室・・・人気もなく空調の効いた室内は休憩場所にはもってこいだった。日頃の日課のようにアルベルトは、シズカと共にこの場所を二人だけのカフェのように使っていた。
「ねえ、今日、日本からのチームが打ち合わせに来るんでしょ。こんな所にいたら、またどやされるわよ」
「気にするこたぁないよ。どうせただの顔合わせだ。小太りメガネのちんけな日本人に愛想振りまくような趣味はないね」
アルベルトに、とりわけ日本人に対する差別意識があったわけではない。自分達の成果を横取りされると言う、脅迫概念がどうしても払拭されず、結果日本チームに対する嫌悪感がどうしてもぬぐい去れないのだ。

「プロジェクトの報告書は出したの? この前叱られてたでしょ」
「ああ、あれね。ちゃんと出したさ。結果を見せないと金出さない、って脅されたんじゃしかたない・・」
「また、私にも見せてよね」
「ああ、いいぜ。でもあんな堅苦しい報告書をよく読もうなんて思うよな」
「興味あるもん。せっかく研究所に勤務してるのに、研究成果を見られないなんて、もどかしいじゃない」
「確かに、政府派遣要員とは言え、シズカは経理を任されてるだけで、研究者じゃないもんな。でも、本当は俺たちの監視役じゃないの? アルベルトって野郎が金の無駄遣いしてる、ってちくってないだろうな・・」

この研究所に限らず、政府から委託された機関には研究員しか入れないブースが存在する。例え政府の人間でも、研究者でないシズカは、本来このプラント制御室にも入れないのだが・・・アルベルトの魔法のIDカードがそれを可能にしていた。
「まさか~」
「だよな。何せ俺たちは、一心同体、こうしていつもここで愛を確かめ合ってる・・・そんなパートナーを売るなんてあり得ねーな」
「あら、いつ私たちが愛を確かめ合ったの?」
「心にも無いことを・・・いっそ、体も一心同体にならないか?」
シズカは、笑顔でアルベルトの足先を踏みつぶした。

エアドアが開き、突然人影が目に飛び込んできた。そこには、いつもながらバツの悪そうな表情のオダールと雅斗達が立っていた。
「やあアルベルト、ここにいたのか?」
オダールは、思いも寄らないところで会った、と言わんばかりに驚いて見せた。アルベルトはそれには答えず、今までの甘く和やかな空気をかき乱されせいか、憮然と一行を睨んだ。
「ヘイ、ちとまずいところに来ちゃったんじゃないの?」
二人の間柄が気になるのか、彼の態度が気に入らなかったのか、初対面にも関わらず、ラウルが冷やかす。
「おい!失礼だぞ」
慌てて、川崎がフォローした。
「ミスターアルベルトと言えば、ここの技術主任だぞ。これから一緒にやっていくパートナーになんて事言うんだ!」
川崎はその小心者故か、あらゆるもめ事が大嫌いだった。少しでもトラブルの種があると、なりふり構わずその火を消そうとする習性があるようだ。

「ふ~ん。あんたがテイサンエナジーのチーフかい」
アルベルトはその体格の差を見せつけて優位に立つかのごとく、川崎に近づき、見下ろした。
「ちがうよ、アルベルト。ボスは彼だよ」
ここに至って、オダールが初めて雅斗を紹介した。

「自己紹介が遅れました。テイサンエナジーのチーフエンジニアで、ヒロノと言います」
自己紹介するまでもなく、本来ならオダールがお互いの紹介役をするのが筋ではあるが、最初から険悪な雰囲気での紹介の仕方を彼は心得ていなかった。

アルベルトは傍らの若い技師を驚きの表情で眺めた。
「まさか! こんな子供がボスだって? 日本の企業には人材がいないのかい?」
さすがに度を超した侮辱にラウルの表情がこわばる。普段は穏やかな男だが、人一倍筋を通そうとする所もある。雅斗の言葉が数秒遅れていたら、アルベルトの胸ぐらをつかんでいたかも知れない。

「ははは、日本人は欧米人に比べると若く見られますから。これでも、二十六歳なんです」
「ふん」
「ミスターアルベルト。私たちは、あなたの仕事の邪魔をするつもりはありません。むしろ手助けをしたい。リマにいてもここのプロジェクトは時々話題に上ります。人々の関心はかなり高いんです。そんな事業に参加させて頂く機会を得て、とても光栄に思います」
雅斗は一言一言ゆっくりと確実な英語で話した。上辺だけの社交辞令ならすぐに見破られてしまう。しかし、雅斗は心にも無いことを言うだけの、要領の良さを持ち合わせていなかった。川崎もラウルもそのことは良く心得ていたので、その言葉が真実だと悟ったが、初対面のアルベルトには通用しないようだった。
「はっ。どうせすぐにしっぽを出すさ。金を出しているのは自分たちだから、言うことを聞けってね」
アルベルトは、無意味な会話に終止符を打つべく、制御室を出て行った。
ようやく事が収まってほっとしたのか、オダールがBプラントの解説を始めた。

 傍らで言葉を挟むこともなく、やりとりを見ていたシズカは、このヒロノと言う青年が気になっていた。端整な顔立ちもさることながら、真っ黒い瞳の奥に深遠な深みを垣間見たような気がしたからだ。
 まだ意識レベルには上って来なかったが、彼女の動物的感が何かを捉えようとしていた。



<バイオフィールドにおける実験成果と課題分析報告書 二〇〇二年度後期抜粋>

 昨年来、プラントにおいて、Σバクテリアの定時撒布を続けて来た結果、高山環境を再現したBプラントにおいては、土壌有機物の量が通常の一、五倍に達し、トウモロコシの生育を二十%押し上げた。
 しかし、高温乾燥地を再現したCプラントにおいては、Σバクテリアが酸化物を生産し、有益な有機物の生成を阻害する結果となり、作物の生育レベルが逆に低下した。
 Bプラントと同じ気候条件でも、散布水分量が異なるA、Dプラントにおいては、効果を確認できず。
 多条件でも安全で安定した効果を得るためには、さらなる研究の継続が必要。
とりわけ、気候にに対して安定した活動をする、αバクテリアの遺伝子の一部をΣバクテリアと組み替える作業を、来年度以降の目標とし、五年以内の実用化を目指す。

                以上

 雅斗たちがプロジェクトに合流して、四ヶ月が経とうとしていた。ペルーはすっかり夏の気配が漂いはじめ、ワワン社では大きな成果も上げることなく、二〇〇二年が暮れようとしていた。(南半球なので、季節が逆)
 しかし、政府に対する報告書には、希望的要素を加えなければならず、総括をするカルメンを悩ませていた。
 外部スタッフである、テイサン・エナジーのチームはこの数ヶ月、ワワン社の計画に沿って、ドーム内の環境制御システムの刷新と、エネルギーを安定供給するためのシステム開発に追われていた。
その分、アルベルトはバクテリアと作物の育成状況の管理に集中することができたのだが・・・


 年の瀬も押し迫った十二月の末、集中管理棟の隣に隣接するラウンジでは、雅斗とラウルが今後の事業の進め方を模索していた。
ブラックコーヒーの香りを楽しむように、紙コップを鼻先で回すラウルと、もう三十分も沈黙して考え込んでいる雅斗・・・ラウンジの窓からは夏本番の鮮やかな日差しが差し込んでいたが、標高が高いせいか、それほど暑さは感じない。遙か彼方には、万年雪をたたえるアンデスの山並みが、悠久の時を刻んでいた。

「ねえチーフ。ぼちぼち新しい方針を打ち出さないと、これじゃ我々まで無能視されますよ」
沈黙に我慢できなくなったのか、ラウルが突然切り出した。
雅斗はアンデスを慈しむような眼差しで眺めながら答えた。
「そうだろうか・・・ 確かに僕たちがここに来てから、まだ飛躍的な研究成果は得られていない。でも、今までそうだったように、彼らは小さな発見を積み重ねながら、それなりの成果は上げていると思うが・・・」
「我々が、ワワン社のバックアップに来た経緯を思い出してみてください。その地道すぎる歩みに苛立ったペルー政府が、日本政府を通じて人的支援をオファーしてきた。我々が来なければ、予算も打ち切られていたんですよ」
「その予算だがな・・・もともと少なすぎるところに、成果だけを求められる・・・バイオフィールドは、一国だけを救うためのプロジェクトではなく、飢えと貧困から人類を救うという大儀があるはずだ。そんな壮大なはずの計画を僅か数年の時間と、最低限の予算しか与えられず、ここまでやってきた。たいした物だと思わないかい?」
「甘い! 甘いっすよ。それにチーフの言っている事は矛盾してる」
「?」
「世界から飢えを無くすのが目的なら、なおさら急がなければならないじゃないですか。それに、時間の事を言うなら、我々だって、一年間というタイムリミットがあるんだ・・・社長に言われたでしょう。一年して成果が得られなかったら、引き上げるって」
「・・・だな。そして、もう半分過ぎてしまった」

「チーフが何考えているか、当てましょうか」
「ラウル、いつから占い師になったんだ?」
ラウルは、冗談めかした雅斗から視線を外し、窓の外へ目をやった。
「このドームの周囲に例のものを使ってみたい・・・違いますか?」
雅斗は無言だった。陽光の中、陽炎に揺れるアンデスの神々が、平原にへばりついた、四つのドームを見下ろしていた。


日本で言うところの、大晦日・・・ワワン社においても、一年を締めくくる一つの節目でもある。とは言え、実験素材達が休みをくれる訳でもなく、例えニューイヤーを迎えても、研究員達はいつもと変わらぬ日課をこなす事になる。
だが、今日だけは集中管理室に監視員を残し、夕方からはラウンジを解放して、ささやかなパーティが繰り広げられていた。研究員も事務員も、外部スタッフも、政府の派遣要員も、この日だけは何もない砂漠での、イベントを楽しんでいた。

「シズカ。どう、楽しんでる?」
日頃はクールで仕事には厳しいカルメンも、ほろ酔い気分でスタッフを捕まえては、皮肉も交えながら一年間の労をねぎらっていた。

「色々ご苦労だったわね」
「いえ、所長こそ、よくここまで事業をまとめられましたわ」
「それよ、それ。どうなの? 政府の派遣員として、この一年どう評価する?」
「私にはよくわかりません。予算の管理をするばかりで、研究内容までは把握してませんから・・・」
「へえ? でも、よくプラント内で、アルベルトに”授業”受けてるじゃない? てっきり研究の進行チェックも、してるのかと思ってた」
 カルメンは意地悪げに上目遣いでシズカの顔を覗き込んだ。

 「まさか・・・アルベルトはいい友達ですよ。それに研究のチェックだなんて、とんでもない」
 「まあ、いいわ。で、来年度はどうなのかしら。テイサンエナジーの協力を得たとは言え、さすがに半年では、その成果もまだ見えない。今年の報告書にも、あと数年の猶予が必要と書いたけど、お役人は理解してくれるかしら。シズカ、何か聞いてない?」
 「いえ、来年度の事は何も・・・でも、昨年からの流れだと、やはり予算は縮小傾向にありますね。やはり研究よりも、目先の治安回復や国内全土に渡る、インフラの整備の方が優先課題ですから・・・」
 「日本側は何か言ってきてる? なんとなくだけど、マサト達も、もっと研究内容に踏み込んだ作業がしたいようだけど」
 「そうですね。彼らには一年というタイムリミットがあるようです。そう言う意味では、私たちよりシビアな条件を背負っていると言えるかも知れません。逆に考えれば、彼らをもっと懐に取り込むことによって、成果が上がられれば、予算も増える可能性はありますね・・・」

 
 夕日が地平線に半分沈み、紺色に澄み渡った大気が、山並みの稜線をくっきりと浮き上がらせる。横殴りの光線が、ドームのポリゴン一枚に反射し、それはまるで大海原の、灯台のごとき輝きを見せていた。
 月面のように透明感のある空間を砂煙を上げて、一台のジープが走ってきた。中から汗を拭きながら降りてきたのは、川崎と背の高いアメリカ人だった。

 「よう!カワサキ! 間に合わないかと思ったぜ」
 いち早く彼らを見つけたラウルが、上機嫌で近づいてきた。
 「うっ、もうかなり飲んでるな・・・チーフはどこ?」
 「さっき、カルメン所長に呼ばれて、どっか行ったな・・・えっと、あ、いたいた。あそこ」
 雅斗とカルメンは、窓際のチェアでなにやら話し込んでいた。
 「チーフ! カワサキが戻ってきましたよ!」
 人の話に割って入るデリカシーの無さは、酒が入っているからだけではかったが、みんなラウルの性格を知っていたので、もうそれを咎める者もいなかった。

 「あ、お話中すいません」
 カワサキが申し訳なさそうに、近寄ってきた。
 雅斗はその後ろにいた、背の高いアメリカ人を見て、軽く会釈をした。
 年は四十代だろうか・・・棒のようにひょろっとした体型と、メガネの奥で窪んだ眼球だけが忙しなく動くのが、印象的な男だ。
 「彼が、例の契約社員です。名前は、えっと・・・」
 「マ、マイケル・ホワイトニングです」
 話につまったカワサキを見て、男が自分で名乗った。

 「ああ、あなたが・・・リマの社長から話は聞いています。チーフ・エンジニアのマサト・ヒロノです」
 二人は握手を交わしたが、マイケルの目は驚きの表情を浮かべていた。
 「君、いや、あなたがチーフ?・・・あ、失礼。あまりにも若かったもので・・・」
 しかし、その驚きには、それとは別の、何かひっかかるような、無くした物を記憶の底から掘り出して来るような、そう言う違和感を漂わせていた。

 「へえ、ニューフェイスね」
 興味深げに、カルメンが話に加わった。
 「どこで拾ってきたの?」
 「僕も会うのは今日が初めてなんですが、リマの半導体工場に、優秀な技術士がいると言うので、社長がヘッドハントしたらしいんです。私たちがチクラヨに来た後の事です」
 「なるほど、それであまりにも優秀だから、プロジェクト要員として、追加派遣されたってわけね。貧乏くじ引いたわね」
 カルメンの皮肉にも、気を害することもなく、マイケルは作り笑顔で答えた。
 「いえ、私は都会より、田舎の方が好きなんです。ここに来れて喜んでいますよ」
 「田舎なんてもんじゃないわ。一歩山に入れば、ネイティブアメリカンの特別保護区があり、今でも狩猟生活をしている。街と言えば、三十キロメートルほど先に、しけた町が一つだけ。秘境よ、ここは。アメリカ人に耐えられるかしら」

 雅斗は四人そろったところで、話を切り出そうとしていた。しかし、ここは会議の場ではなく、一年の労をねぎらう場であることも理解していた。しかし、真剣な場で話すより、話題も弾むこう言う席での方が、スムーズに事が運ぶのでは無いかとも感じていた。

 雅斗が思案しているのを感じてか、ホワイトニングが近づいてきた。
 「ボス、なぜ私がここに呼ばれたか、話しておくべきではありませんか?」
 雅斗はマイケルの目の奥をちらっと覗き見て、頷いた。
 「カルメン。話があります・・・」

 カルメンは、笑みを浮かべ、目を細めながら雅斗の方を見た。
 「実は我々には、協力できる時間が限られています」
 「そうらしいわね。だから、そろそろ何か言ってくるんじゃないかって思っていたわ」
 「ワワン社の信念と、堅実なプロジェクトの運営は尊敬に値します。しかし、この研究は成果を確実な物にする必要がある・・・科学の分野の中でも、この計画は急がなければならないのです。何万光年も離れた星を研究する、天文学者とは訳が違います」

 例に天文学者を上げてしまって、雅斗は、はっとした。幼い時分の父親との会話を思い出しそうになり、急いでそれを施錠したはずの、遙かなる引き出しへと、押し戻した。

 「つまりは、思ったような成果を上がられない私たちのやり方が、気に入らない・・・そう言う事?」
 カルメンは表情を変えることなく、確信を突いてきた。雅斗は実直なカルメンの性格に従うことにした。
 「はっきり言えばそう言う事になります。でも、決してプロジェクトの方向性は否定しません。私たちは、今までの研究成果を土台に、あらたな方針の下、あと半年で結果を出したいと思っています」
 「資金援助をしてもらっている日本政府には感謝してるわ。その関連機関である、あなた達の意見もないがしろにはできないわね。でも、半年で、というのはどうかしら・・・いくらなんでも時間が足りない・・・」

 一呼吸おいて、雅斗は結論を後日に持ち越すことを提案した。
 「まあ、こういったパーティーで事を決めるような内容でもありませんから、プランと概要をあなた宛にメールしておきます。一応目を通してご判断いただけますか?」
 カルメンは、無言のまま、目配せでうなずいた。
 

 パーティーを早めに引き上げた、雅斗たち四人は、ワワン社が用意した宿泊ブースへ戻る車の中で、実際の計画進行について話をしていた。
 「しかし、チーフ。あのシステムをぶっつけ本番で使用して、大丈夫ですか?」
 助手席のカワサキが、心配そうに後ろを振り返った。手にはパーティーの残り物を詰めたランチボックスが、しっかりと握られていた。
 「問題は起こらないと思うよ。植物に対する効果は、実証済みだし、まして、ワワン社のプロジェクトを変更する必要もない訳だから、彼らも異を唱える理由がない・・・」
 雅斗は一度決定した事案を覆すことは、ほとんどなかった。その事をカワサキ達も知っていたので、普段は必要以上の具申をする事はなかった。しかし、今回の計画は通常業務を逸脱した要素を多分にはらんでおり、おもしろがって前向きに考えるラウルと違って、カワサキには、不安をあおる要素だらけの計画に思えていた。

 落ち着かない表情のカワサキを横目に、ハンドルを握るラウルが、にやけながら、口を挟んだ。
 「しかし、あれですね。最大の問題は、アルベルトをどう説得するか・・・そう言えば、今日のパーティー、彼、いませんでしたね。俺たちと楽しく酒なんか飲めないって事ですかね・・・」
 「アルベルト?」
 後部座席で、黙って会話を聞いていた、新人のマイケルが怪訝そうに訊ねた。
 「ああ、俺らのやることすべてに反対する、反テイサン・エナジーの急先鋒・・」

 個人的な感情で、アルベルトを非難するラウルを見て、マサトは制した。
 「ラウル、彼は我々を差別している訳じゃない。自分の仕事に誇りを持ってるんだと思う。だからこそ、我々の関与を否定してしまう・・・でも、この計画には、なんとか賛同してもらわなければ・・・彼の仕事を手助けする、一つの試みである事を理解してもらわなければならない」
 「もちろん、あいつも科学者の一人。普通のプロジェクトであれば、それなりに理解できるでしょう。ですがねチーフ、今回の計画は、ちょっと”非科学”が入ってるんでね・・・あの石頭に解ってもらえるかな」

 「非科学ではありません」
 自分も科学者の端くれである、とでも言わんばかりに、マイケルが身を乗り出した。
 「前例の報告書と、その時のシステム設計図を見ました・・」
 自発的発言が過ぎたと、感じたのか、マイケルは急に声を潜めて、話し出した。

 「昨年十一月、クスコで行った、灌漑施設の水路建設での案件ですよね。我が社はその時、効率よくダムの水を各地域へ分配するための制御システムを開発・・・と、ありました。しかし、この計画には驚くべき、副産物があった・・・つまり、その際チーフが開発した、超伝導コイルを使用した電磁誘導による流体加速器が思いも寄らぬ効果を発揮した、と書かれています」
 「そうそう、あのときは、俺もにわかに信じられなかったな」
 ラウルは回想に浸るかのように、頷いた。

 「この、新しい流水システムは、モーターも使わず低電力で、荷電されたパイプの中の水を目的地まで運ぶことができます。つまり、地面の高低差や大型ポンプに頼らず、広範囲に、安定した圧力の水を供給できると言うメリットを生かそう・・・とする計画だった訳です。
しかし、その目的地である、田畑では、あらゆる生物が大量発生したと、記されています。当然、農作物を食い荒らす、害虫も大量発生しました。しかし、にも関わらず、作物の収穫は、通常の一、五倍を記録したとか・・・」
 「そうそう、それもたった三ヶ月でね」
 「会社としては、この事実を科学的に解明しようと、研究班を立ち上げた直後、農村部からクレームが入り、研究レベルに上げる前に、動力を既存のモーター方式に変えてしまった、と書いてあります」
 「まあ、しかたないさ。あの水を使った農地だけは、作物が尋常じゃない育ち方をしたんだけど、そこで発生した害虫が、他の田畑を荒らしたんじゃ、回りの人間は黙ってないからな~」
 「それで、あの現象を裏付ける調査をすることもなく、流体加速器はお蔵入りになってしまった・・・つまり、科学的か、非科学的か、今の状況では何も解っていないんですよ」
 パーティーの残り物をつまみながら、カワサキが怪訝そうな顔をした。
 「マイケル、何が言いたいの?」
 「私が思うに、ボスが設計した、流体加速器は第五の場、つまり未知の量子的エネルギーを発生させていたのではないかと・・・」
 「何それ?」
 「私は、その現象を“αニュートリオン効果”と呼んでいます。皆さんもご存じでしょう・・・我々の宇宙は、四つの基本的な力に支配されている・・と言う事を」
 「あ、あれね。何だっけ、確か、重力、電磁気力、強い力、弱い力・・・学生の時、習ったな」
 多少不安げなラウルが、記憶の糸をたぐるように、答えを絞り出した。

 「そうです。それで、重力は重力子、電磁気力は光子、強い力はグルーオン、弱い力はウイークポゾンをそれぞれ介して働きます。私の提唱するαニュートリオンは、それらのすべての力を結びつける”第五の力”の媒体子なのです。結論から言うと、その第五の力が、量子レベルで生物に影響を与えたのでは、と思っているのですが。水に科学的変化がなくても、目に見えない量子的変化が静物の根源に影響を与えたのではないかと・・・」
 「おいおい、訳わかんないって。ちんぷんかんぷんだよ」
 さすがにお手上げのラウルが、多少いらつき始めた。

 乾燥した大地を覆う澄み切った大気。月光は遮る物もなく、車内に光滴をちりばめている。それまで沈黙していた雅斗の瞳が、青い軌跡となってマイケルを貫いた。
 「ミスター、ホワイトニング」
 突然雅斗から名前を呼ばれて、マイケルは思いよらず背筋を伸ばしていた。それは、若きボスに対する畏怖ではなく、雅斗の深遠な眼差しに、ともすれば吸い込まれそうな錯覚を覚えたからだった。
 「チ、チーフ。マイケルと呼んでください」
 「では、マイケル。今の理論は自分のアイデアですか? と言うのも、そもそも、第五の力など物理学会では認められていないはずです。まして、すべての力を結びつけるとなると、超統一理論とも関わってくる・・・今現在、重力を含めた統一論は確立できていないがずですが」
 「い、いえ、別に私の理論という訳ではなく、ある物理学者が書いた著書の受け売りなんです。あくまで、理論上の可能性としてお話ししたまでで・・・口が過ぎました。お許しください」
 雅斗の表情からは先ほどの深く青い輝きは消えていた。

 「いえ、可能性の論議に水を差すつもりはありません。僕も物理は好きですから、あなたの話に多少興味があったんです」
 「なんだ、マイケル。ちょっと小難しい事を言うもんだから、もしかしてすごい学者かと思ったじゃないか」
 小難しい会話は極力避けるタイプのカワサキが、ミラー越しに愛嬌のある笑いを見せた。
 マイケルはその後、何かに怯えるように、何かを思い出したように黙り込んでしまった。

 車は僅かな明かりが点在する集落へと滑り込んでいった。都会的なリマとは違って、古代からの伝説が、まだまだ受け継がれているこの地は、月明かりにさえ神聖なる意志を感じる。月光がもたらした漆黒の影には、何が潜んでいるのか・・・それらを見極める事ができる者はまだいなかった。
 
 年が明けて、二〇〇三年一月。
 新年の挨拶もそこそこに、カルメンは新たなプロジェクト概要を発表した。それは雅斗らが計画し、立案したものに沿った形になっていた。当然、アルベルトの猛反発は想定の範囲内だったが、説得するには、あまりにもその溝は深かった。

 「ボス、何考えてるんですか! よりによってあんな訳のわからない計画を鵜呑みにするなんて。我々の研究は地道な作業の繰り返して積み重ねてきたものです。その成果を台無しにするつもりですか?」
 「アルベルト! 何度も言うけど、私たちの研究内容は変わらないわ。今までの成果を捨てる訳じゃないの。このプラントの仕組みを少し変えて、成長の促進を促そうという計画よ」
 「だが、その仕組みが問題だ! 何です?
超伝導電磁誘導コイルを用いた流体加速器の中で、αニュートリオンと言う特殊な場を発生させる・・・って。訳わかりません。いったい、それでどんな効果があるんですか」
「だから、それで植物やバクテリアの成長率が何倍にも膨らむの!」
「誰がそんなことを証明できるんです? 聞いたことがない・・・」
「確かに、今までどこの学会でも発表がないわ。でも、マサトの理論と以前の実験結果を見る限り、信憑性は高いと思うの。逆に言えば、このプロジェクトでこの理論が実証さっれれば、我々との共同開発として世間に公表できる。世界中から注目されて、今後実用化においては、中心的役割を果たせることにもなるの。研究にはリスクは付きものよ。勇気ある試みが、あらたな世界を作るのよ!」
 「・・・勝手にするがいいさ! 予算が削減され、空前の灯火のこのプロジェクトに、引導を渡すことになるでしょうよ!」
 アルベルトは捨て台詞を残し、センタールームを出て行った。その時、入れ違いで入ろうとしていた、総務のエメルダとぶつかりそうになったが、誤る余裕もないほどの激昂だった。エメルダは、アルベルトに何かを聞こうとしたが、とりつくしまもないと判断し、言い留まった。

 残されたカルメンは、閉まった自動ドアを見つめ、ため息をつき、独り言のようにつぶやいた。
 「しかたないわね・・・彼の協力は必要だけど、しばらくプロジェクトから外しましょう。結果が出てきたら、考えも変わると思うわ」
 「あの・・・所長?」
 「ああ、エメルダ。どうだった? シズカはいた?」
 「いえ、どこにもいません。それで、アルベルトに聞こうと思ったんですが、あの様子じゃ・・・」
 「そう。マサトの計画に必要な機材を揃えるための予算について、相談したかったんだけど、後でいいわ」
 「それと・・・」
 「なに?」
 「さっき、情報システム部の者から聞いたんですが、所内のサーバに何者かがアクセスした形跡があるって・・・」
 「? いつの事? どこからアクセスしたか解るの?」
 「年明け早々に一回だけあったそうです。ただ、沢山の国のアクセスポイントを経由しているので、IPアドレスまでは突き止められないそうです」
 「そう、まあ、こういう研究機関には、年に何回かハッカーの侵入があるものよ。ほとんどはセキュリティに引っかかって大きな問題にはならないわ」
 「そうですね・・・」
 「じゃ、今後のスケジュールを練りましょう。オダールも呼んできて」
 「わかりました」
 
 

 「・・・もしもし、聞こえる?」
 「・・・ああ、ウインクローズか? この通信、暗号化してるか?」
 「ええ、暗号化処理をした音声データを衛星回線に乗せて発信してるわ」
 「去年、報告のあった、プラント計画の件か?」
 「ええ・・・レベルSの可能性が高いわ」
 「それほどの重大案件か?」
 「サーバにアクセスして取り出した情報を分析した限りでは、ノーベル賞クラスと判断できるわ」
 「わかった、手を打とう。私もそちらに行く。これで通信を終わる」
 「待ってるわ。コールドマン・・・」
 
 (まったく、自分だって実働隊のくせに、偉そうに・・でも、中央に近い人物がわざわざこの辺境の地に来るというのは、興味深いわ。どんな人間かしら・・・)

 「シズカ!」
 「!」
 今まで、ウインクローズというコードネームに支配されていたシズカは、突然本名を呼ばれて、はじかれたように振り向いた。
 そこには、日常に引き戻されるような笑みを浮かべた、無邪気なオダールの姿があった。
 「こんな所にいたのか? 就業中にプラントの裏口で携帯電話? アルベルトが見たら妬くぞ~」
 「な、何勝手な妄想してるの! それより、何の用?」
 「ああ、ボスが探してたよ。これからミーティング開くんだって、アルベルト抜きでね」
 「・・・そう。すぐ行くわ」

 
 
 <二〇〇三年上半期、αアクセラレーション・プロジェクト、計画書 抜粋>
 
 ペルー国内における砂漠地帯の開墾を目的とし、数多くの成果を上げてきた、バイオフィールドプロジェクトをさらに躍進させるべく、日本のテイサン・エナジーと共同で高電磁エネルギー「αニュートリオン場」を発生させる装置の開発、実験に着手する。
 
 すでにテイサン・エナジーにおいては、その臨床実験で、成果が確認されており、我が社としては、システムの応用実験を重ねていき、二〇〇四年四月には、Cプラントにおける作物育成率を五〇〇%アップさせる。
 
 その後、プラントシステムの特許権を申請し、政府援助の元、グローバルな事業展開計画を推進する。なお、学術的理論の特許はテイサン・エナジーに帰属する。
 
 開発予算の配分は、ODA分配枠からワワン社五〇%、テイサン・エナジー五〇%とする。
 総責任者 ワワン社 カルメン・ルカレッティ
 開発責任者 テイサン・エナジー マサト・ヒロノ
 運用制御責任者 ワワン社 アルベルト・アンドラーデ


 カルメンが作成した計画書は、驚きを持って、研究員達に受け止められた。当然、アルベルトが噛みついた様々な疑念は、誰しも持っていたが、政府機関からのお墨付きがあったのでは、従うしかない・・・
 
 「しかし、政府もよく許可を出しましたね。どうやって説き伏せたんです?」
 所長のカルメンに対し、聞きづらいことを無邪気にも質問できるのは、オダールの特技だろうか。カリスマ的な威圧感をかわす術を知っているかのようだ。
 「・・・シズカに口を利いてもらったの。直接担当長に会って話ができたわ」
 「なるほど。そのお偉いさんは納得しましたか?」
 「技術的な事に関しては、ずぶの素人よ。だから、結果予定だけ説明して、計画の詳細は分厚い書類を送っておいたの・・・見ないでしょうけどね。どちらにしても、政府にとって、内容なんてどうでも良い事よ。万が一うまく行けばそれで良し。もし失敗したら、このプロジェクトを閉鎖できる・・・予算を他に回せるって訳」
 「なるほど、我々にとって失敗は許されない訳ですね。こりゃ厳しい・・」
 オダールは、状況の緊迫感とは無縁の表情で、肩をすくめて見せた。
(最大の問題は、アルベルトをどうやってやる気にさせるか、なんだけどな・・・)


 Bプラント制御室

 「運用責任者に選ばれたわね。おめでとう、アルベルト」
 「そりゃ、何の嫌みだい、シズカ?」
 「気持ちはわからなくもないわ。築き上げて来た、多くの実験結果を無駄にしてしまうって思ってるのね」
 「そうじゃないさ、俺が頭に来てるのは、日本人に対してでもなく、所長にでもない・・・ペルーの政府にさ。なぜ、この国が未だ多くの紛争や貧困を抱えていると思う?」
 「政府組織の人間としては、耳が痛いわね。でも、この国には、西欧諸国にはない、複雑な時代背景があると思うの。一長一短には行かないわよ」
 「もちろんそうさ。だけど、お役人が今のまま自分の利権ばかり追求していたらどうなる? 三十年、四十年後のこの国を真剣に考えている人間がいると思うかい?」
 「このプロジェクトも、もっと長い目で見ろ、って事?」
 「ああ、少なくとも、一年で収穫量を五倍にするなんて大ぼらに乗せられるより、予算が切られても、細々と研究を続ける方がよっぽどましだ・・・」
 「・・・・・」
 「俺は、ここを去るよ」
 「そんな、そこまでする事ないじゃない」
 「うれしいね。止めてくれるのか? 解ってたよ、シズカの気持ちは」
 「何誤解してるの? もっとうまく立ち回る術を身に着けなさい、って事よ」
 「は! ポーカーフェイスを気取って、所長にゴマでもすれってのか?」
 「そうじゃない! ・・・この計画が、思ったほどうまく行かなかったとしたら・・・?」

 シズカは急に声を潜めて、アルベルトに耳打ちしてきた。
 「おい、何考えてるんだ? プロジェクトの妨害をしろってのか?」
 「そんな大げさの物じゃないわ。あなたは制御責任者・・・ほんの少し制御装置の値を変えるだけで、バクテリアの発生をコントロールできるんじゃないの? 完全な失敗に終わったら、政府援助は無くなるわ。でも、ほんの少しでも成果が上がれば、予算は継続・・・しかも、マサトの計画ほど、思わしい成果には至らない・・・結局、元のプロジェクトを再開しようって話になるんじゃないかしら」
 「そんなうまく事が運ぶもんか。第一、環境システムの制御だけをいじって、どうなるもんでもないさ。マサトが設計したマシンを制御できなきゃだめだよ・・・俺たちに、それはできない・・・」
 アルベルトは、何に対して突っ張っているのか、何を守ろうとしていうのか、自分では解っているつもりだった・・・・しかし、工作をしてまでそれを守って、はたして自分が納得できるのか・・・定かではなかった。

 「ねえ、マシンの工事は誰がやるの?」
 「・・・リマ中央大学の研究棟を設計した業者を使うみたいだけど。まあ、あそこならどんな設備も安心して委せられるからな」
 「そこに政府組織の工作員を潜り込ませましょう」
 「なに!?」
 「驚くことはないわ。ペルーも、警察組織、軍隊にまたがる防諜機関を持ってるの。その科学班の中に知り合いがいるの。この程度の仕事なら、頼めば軽く引き受けてくれるわよ」
 「シズカ・・・君は、いったい・・・」
 小ぶりで、一見大人しそうなシズカ。時に見せる知性を秘めた黒い瞳、小悪魔的な魅力を持った政府の派遣職員。
 だが、アルベルトはこの日、今まで感じたことのない、黒霧に満たされたような、彼女の側面を垣間見た。何か恐ろしいような、それでいて、もう引き返せない様な強い磁場を感じつつ、かすかに笑みを浮かべたその表情から漂うミストに強く引き込まれていった。

 
 二〇〇三年、三月
 
 チクラヨでは、秋を感じさせるアンデスからの冷たい風が、乾燥した大地をさらに殺伐とさせていた。
 ただ、荒涼とした白い大地に、月面基地のごとく浮かび上がる四つのドームだけは、新たな時代にシフトしようとする活気に満ちていた。
 大きな成果もなく、ただ漫然とプラントの実験結果を記録していた職員達も、久しぶりの路線変更に、期待と不安を募らせつつも、自然とモチベーションが高まるのを感じている。
 プラントの横には、多数の工事用重機やシステムの部品が山積みされ、工事関係者のテントも設置が終わっていた。
 
 「ふう、いよいよですね。世紀の大実験に向けた準備は万端です。後は、ボスがゴーを出せば動き出しますよ」
 ラウルは、積み上がったパイプや電子部品を眺めつつ、まるで親からプラモデルをプレゼントしてもらった少年のような表情を浮かべた。
 「ああ、いよいよだ。この計画がうまく行けば、テイサンエナジーの利益になるばかりでなく、ペルーやひいては砂漠化が進む国々に潤いを与える事ができる・・・」
 雅斗は、少し考えて、申し訳なさそうな目でラウルを振り返った。

 「・・・と、ここまでは建前で、実は、みんなには申し訳ないと思っているんだ」
 「え? 何故です?」
 「このプロジェクトは、会社のため、ペルーのため、世界のためと言いう、大義名分を詠って出発した・・・でも、本当の所、僕にとってそんなのは、どうでも良いことなんだ。この実験は、他人のためではなく、自分のためでもある。全くの個人的な知的好奇心を満たすためのプロジェクト・・・はは、公私混同も良いところだな・・・」
 ラウルは、雅斗の目を覗き込み、少し考えてから、工事現場へ視線を戻した。

 「だから? 我々に申し訳ない・・・と?」
 「ああ」
 「少なくとも、私はちっとも気にしちゃいませんよ。それどころか、何が起こるのか、とにかくワクワクしてるんです・・・・ボス、リーダーには二種類あると思うんです。堅実に石橋を叩いて渡る人間と、直感を頼りに思いも寄らない行動を実践する人間です。あなたは後者でなければならないと思う。私はどこまでも付いて行きますよ」
 「・・・ありがとう。申し訳ないが、もうしばらく付き合ってもらうよ」
 「ええ、どこまででも」
 
 翌日、αアクセラレーターの設置工事は竣工した。計画では三ヶ月で工事は終わり、その後一ヶ月の試運転を経て、八月には本稼働にこぎ着ける計算だ。
 ただ、物が大きいのと、ほとんどの作業員が初めて見るような機械類を狂い無く設置しなければならず、実際はもっと時間がかかるものと、誰もが予想している。
 事実、設計図があり、それも基づく機械や部品も揃っているのに、それが何なのか理解して作業できる人間はほとんどいなかった。ただ、派遣されてきた現場監督の、ヴァロージャとその助手のサンドラだけは、扱っている機械が、何らかの素粒子加速器であることを理解していた。

 「サンドラ、このリング状のチューブ、何だと思う?」
 ヴァロージャは助手を試すかのような口調で質問を投げかけた。
 「私は物理学には詳しくはありませんが、見たところ、加速器のようですね。それも、重イオンを使用した、静電加速器に似ています」
 サンドラは、浅黒い皮膚と漆黒の瞳を持った、聡明な女性だった。マヤ族を先祖に持つというだけあって、顔立ちは生粋のモンゴロイド系ではあったが、端整でしまりのある表情から、知的な情熱を感じさせる魅力を放っていた。
 「さすが、うちの所長が目を付けて引っ張ってきただけの事はある。我が社は企業の化学プラントばかりを手がけて来たが、いっこうに売り上げが伸びない・・・だから所長も、この政府関連の事業に参加する事には、かなりの熱の入れようだったからな。サンドラにはそれなりの働きをしてもらわないと・・・」
 「任してください。理論的な事はわかりませんが、化学プラントは沢山手がけて来ました。この施設も完成が楽しみです」
 「・・・そうか。それにしても、このマシン、ちょっと変わってるな」
 「ええ、確かに。ただの加速器ではなさそうですね。普通、この手の物は、小さくても直径数キロメートルにはなります。しかし、これはせいぜい百メートル。規模としては医療用加速器のレベルです。そんな物をここに設置して何の意味があるんでしょう」
 「それだけじゃない。電子を加速するにも、パワーが少なすぎる。これじゃとても陽子加速はできない。それに、加速器は粒子同士を衝突させるのが主な目的だが、この構想じゃ衝突は起こらないな」
 「リング状のパイプが二重になっているのも変です。片方のパイプは真空・・・もう片方には重水素を満たすようですね・・・それに、普通は加速装置部分だけにあるはずの電磁コイルが全体を覆ってます」
 「ううむ、何が始まるのか・・・久々に面白くなりそうだな」
 「・・・」
 
 冬まっただ中の八月を迎え、チクラヨでは乾燥した強風に乗って、砂塵が舞うことも珍しくなくなってきた。細かい紛砂は密閉度の高い研究所の中にまで進入してくる。当然、精密部品を多く扱うαアクセラレーターにも多くの影響を与えてしまっていた。
 完成予定日は間近に迫ってきているのに、同じところでいつも足踏みをしていた。
 
 「今日も成果なしか・・・」
 切迫感のないラウルが足場から降りてきてつぶやいた。
 「いや、完成には近づいているよ。ラウル」
 工事関係者が宿舎へ向かう中、雅斗は通勤ラッシュの雑踏で、一人立ち止まり空を見上げる少年のような眼差しでプラントを見ていた。
 「しかし、電子の加速で、不安定な波形が発生するのをどうしても修正できません。これさえ調整できれば・・・マイケルも不眠で再計算を続けていますけどね。スケジュールの遅れは否めません」
 「しかたないさ。実際動かしてみて、何の成果もなければ計画自体が泡と化す・・・どんなに遅れても、何らかの成果が上げられれば、それでいい」
 雅斗は今すぐにでも実験を始めたい気持ちを押し殺し、ただひたすら待つ忍耐力のキャパシティーを広げる努力を余儀なくされていた。人々には落ち着いた、しかしどことなくポーカーフェイスを気取っている印象を与えている事には気がついていたが、内心多くの問題に苛立ちが募っていたのも事実だった。
 
 満月の月明かりが、寒々と砂漠に佇む四つのドームに四点のハイライトを浮かび上がらせていた。隣接する作業員用宿舎では、雅斗の部屋と、マイケルの部屋にだけ明かりがともっている。
 「チーフ、起きていますか?」
 マイケルが雅斗の部屋のドアをノックしたのは、深夜の三時頃だった。

 「どうぞ、入って」
 「遅くまで起きていらっしゃいますね」
 「ああ、ちょっと学生時代に作ったおもちゃの事を思い出して考え込んでしまった・・・」
 「おもちゃ? 何ですそれ?」
 マイケルが怪訝そうな視線を雅斗に投げかけたが、こんな夜更けに世間話をする状況でもなく、そそくさと本題にはいった。
 「実は、何度計算してもマシンの不整脈の原因がつかめません」
 「そうみたいですね」
 「それで考えたんですが、誰もプラントと加速器の周りにいない今の時間を使って、一度テストできないかと・・・」
 「? なぜです?」
 「いや、うまく言えないのですが、このマシンの理論にカオスの数式を当てはめて見ると、安定する可能性があるのではないかと・・・つまり、人の思念をできる限り排除した状態で実験を行うと、同じ条件でも違う結果が出るという、一つの可能性なのですが」
 「・・・」
 「あ、いや、おかしな事を言っているのは承知しています。人間の意識が人工物の動作に影響を与えるなんて事は、どんな教科書にも書いてありません。しかし、私がやっていた昔の研究で、理論上はその可能性があるという計算結果が出たことがありました。しかし、これは量子の世界の話で、現実世界では起こりえない事もわかっていました。でも、今回・・・」
 「すぐやってみましょう!」
 雅斗は珍しく興奮を表に出しマイケルの話を遮り、立ち上がった。今まで小さな凝りとして、意識の流れを阻害していた固まりが、溶け始めたのを感じていた。
 「いや、しかし、単なる思いつきでこんな深夜に機械を動かすなど・・・」
 「現場監督のヴァロージャだけを起こしてすぐにCプラントへ向かってください」
 
 午前四時。朝日が昇るにはまだまだ時間があったが、雅斗にとっては、一秒たりとも無駄にはできないという思いにかき立てられていた。
 「何です?こんな早朝に」
 連日の工事で疲れ果てている上に、この寒い早朝にたたき起こされ、ヴァロージャはかなり苛立っていた。

 雅斗は一回りも年が上のヴァロージャをなだめるように言った。
 「申し訳ありませんが、今から加速器を動かしてもらえませんか?」
 「どういう事ですか? いくら急いでいるとは言え、こんな夜更けにやることではないでしょう。それにカルメンさんの許可もないし・・・」
 「とにかく、今は何も言わず、動かしてください。責任は私が取ります」
 若いとはいえ、マシン設計の責任者にそこまで言われると、その背景にどらだけの理由があるのかと、気になってくる。

 午前四時二十三分。雅斗、マイケル、ヴァロージャの三人だけが見守る中で実験は再開された。
 
 これまでバイオフィールドの研究棟として使われてきたCプラントは、αアクセラレーションプロジェクトのために、環境をシミュレートするシステムが再構築されている。そして、その生まれ変わったドームを取り巻くように二重のパイプと指向性コイルが、まるで新たな生命を生み出す苗床のように張り巡らされており、さながら巨大なタマゴに血管を伝って養分を補給しているかのようにも見えた。
 プラントの一角、旧制御室に設けられたスーパーコンピューターのコントロールルームでは、マイケルが一人で最終チェックを行っていた。ほかの二人は五十メートルほど離れた地点で待機している。少しでも人間の思念を排除するためだ。
 しばらくして、マイケルがドームの外に出てきた。

 「チーフ、準備できました。後はこのモバイル端末で遠隔操作できます」
 彼が持っていたのは、手の平ほどのPDAだった。もちろん、このシステムを操作できる程度のチューンナップはされている。
 「よし、初めてください」
 雅斗は一呼吸置いてGOを出した。
 
 マイケルがPDAのエンターキーをタップする・・・数秒遅れてドームを周回するリング型チューブのサブシステムにライトが点灯し、マシンが低周波を発し始めた。それはリング型の加速器内部で、電子が高速回転を始めた事を意味する。
 音はそれほど大きくないが、脳幹を刺激するような深く重たい振動だった。
 五分後、マイケルの端末にブルーのインジケータが点灯した。
 「素粒子の速度は最高に達しました。光速の九十九、九八パーセントで安定しています・・・・・・・どうやら成功のようです」
 雅斗とマイケルは無言のまま握手を交わした。二人とも安堵と気の高揚を押し隠すかのように、笑みを浮かべてプラントの鼓動を聞いていた。
 ただ一人、ヴァロージャだけが、状況を飲み込めず、半開きの口をかすかに動かすだけで、その場に立ちすくんでいた。


 
 二〇〇三年、八月二十六日。計画発表から半年という短期間でαアクセラレーション・システムは完成し、その試運転の日を迎えていた。実際は計画より多少の遅れを見たが、十分取り戻せる範囲内だった。この日のためにワワン社は通常の研究を中断し、人員を新たなプラント開発に回していた。テイサン・エナジーにとっても、ワワン社研究員と同じく、背水の陣で望む一大プロジェクトとなった。
 ただ、広野雅斗にとっては、それ以上の個人的願望の成就に向けた第一歩でもある。一社員としての責任の全うは言うまでもないが、実の所、勝手な研究を重ねて、支社長から煙ただられているのも事実だった。社員の中にはスタンドプレイに走る身勝手で協調性のない若造、と見る向きもあったが、何故か短期間でチーフの座に付いている・・・噂では親会社からの内密の指示があったとも伝えられるが、それ以上に彼のスタンドプレイが、結果に結びついている、という現実を会社として受け止めざるを得なかった、という所だろうか。
 
 朝の乾燥した冷たい空気を突き破り、鋭い太陽光がドームに降り注いでいる。球状の屋根で乱反射した光が、周りを白銀に染めていた。
 
「マサト、いよいよね」
 カルメンが透き通った光を受けてやたら白く輝く歯を覗かせながら、ドームを見上げている。目の前では、急遽設置された、屋外のコントロールパネルが、今や遅しと出番を待っている。
 雅斗は事業に携わった人たちの顔を見回した。
 「アルベルトはどこです?」
 計画がいよいよ実行されようと言うこの時期になっても、アルベルトはろくに口も聞いてくれない。かといって、プロジェクトを無視する訳でもなく、彼の責任における仕事はしっかりとこなしていた。
 「ああ、あいつの事は気にしないで。実験が成功すれば考えも変わるでしょう」
 「いえ、礼を言いたかったのです。彼の協力が無ければ、プラントの再構築はできなかった。我々がマシンの設置に専念できたのも彼のおかげなんです」
 「礼は、実験が成功してからにして。もし、失敗でもしたら、私だって彼の側に立つことになるかもよ」
 雅斗は苦笑いしながらカルメンを見返した。彼女の発言は冗談とも本気とも取れないが、事実、実験の失敗はカルメンばかりではなく、テイサン・エナジーの技術者たちの将来をも、抹殺してしまう恐れがあるのだ。

 だが、雅斗には気負いは無かった。根拠のない、自信とでも言うか、彼にはある種のエネルギーを敏感に感じる力があった。そして今日、この場に置かれた自分という一点が表層の意志とは別に、海流魚のように、うねりに導かれながら、より大きな流れに合流しようとしている・・・そんな必然的な場のポテンシャルを感じていた。そう、あの薄暗い間借りの実験室での出来事以来、雅斗を支配していた思考、いや思想が今具現化するべくその時を待っているのだ。
 同僚や部下を個人的な願望のために巻き添えにするかも知れないという罪悪感は、静かな深海へと沈殿して行った。
 
 「オダール、バクテリアの繁殖制御システムはチェックしたか?」
 Cプラントに隣接する制御室では、アルベルトとオダールはプラントの最終チェックをしていた。
 「ああ、もうすぐだ。しかし、考えるに、これって今までの研究とあまり変わらないような気がするな」
 「今頃気がついたのかよ。あのマサトってやつは、とんだ食わせ物だぜ。たいそうな装置を周りに配備して、いかにも科学的実験をやってます、って顔して、実の所、俺たちの研究の延長でしか無いわけだよ」
 オダールはコンパネとにらめっこをしながら、形だけ相づちを打った。

 「でも、彼には何か予想もしないことをやってしまうんじゃないか、って言うオーラみたいな物を感じるんだけどな・・・」
 「おいおい、お前までそんな事を言うのか?」
 アルベルトは急に不機嫌になり、作業を投げ出してしまった。
 「やめやめ。今更チェックしたって同じだよ。それに、一週間前になって、何故コントロールパネルをこの制御室から外に移動したんだ? 余計な手間をかけさせやがって。何考えてんだ、あいつは」
 「よくわからないけど、人は近くにいたら実験に影響が出るかららしいよ」
 「ますます、わかんね~。人がいようがいまいが、このプラント内部には何も影響なんてありゃしないさ。そのために俺たちがこうやって人工環境装置のプログラムを作ってるんじゃないか。実験期間の三ヶ月間は寸分の狂い無く、内部の環境を制御してみせるぜ」
 とは言ってみたものの、アルベルトは釈然としない腹立たしさを自分に向けていた。
 (シズカ、本当にこんな事して大丈夫なのか?)
 

 実験は、それそれ環境条件の違う直径三メートルほどの密閉ブースを十器円形状に並べたCプラントで行われる。各ブースには同種のバクテリアが培養されており、今回の実験結果を元に、最も繁殖率の高かった環境条件を後で再現し、植物を使った臨床実験を行う計画になっていた。
 実験の期間中は他のプラントは停止させ、職員はプロジェクトに専念する。普段なら、人工環境の中、青々と茂る植物に満たされた各プラントは、今はひっそりと静まりかえった屋内競技場のような佇まいに変貌していた。
 誰もいないはずのDプラント制御室・・・始動へ向けた実験を間近に控え、職員は屋外で待機する中、ここでも二人の女性が最終的な打ち合わせをしていた。
 「シズカさん、必要なプログラムは配備しておきました」
 「ありがとう、サンドラ。これで私も政府に向けて面目が立つわ」
 政府から派遣されているシズカ、αアクセラレーターの施工を担当する助手のサンドラ。二者に公の接点はなかった。だが、二人には利害を超えた信頼にも似た絆があるように見えた。

 「でも、政府の事業の一環でもあるワワン社のプロジェクトを政府自身が破壊するなんて、腑に落ちません」
 「表向きの開発支援と、本来あるべき利害は必ずしも一致しないわ。それにシステムを破壊するわけではない・・・一通りの情報を得られたら、プロジェクトを失敗へと導く・・・それだけの事よ。誰の目にも技術的ミスによる失敗、と映るでしょう。これで今後、政府は無用の出費をしなくて済む。本当に必要な、国民の幸せを考えた事業へ予算を回せるの。さらに、今回の理論とシステムのプログラムを手に入れる事で、将来、必要な時期がきたらそれを有効に利用できるの・・・・あなたは、国益に適った仕事をしたのよ」
 「国のためにやったのではありません。あなたのためです。もしこれが違法な事で、あなたが投獄されたとしても、私、一緒に行きます。秘密を漏らすこともありません。だから私を信用して・・・」
 「・・・サンドラ・・・」
 二人は肉親よりも深い愛情を確かめ合うように見つめ合っていた。やがて、それが真の愛であることを確信した行為へと導かれていく。熱い抱擁とキス。懐疑と信頼、不安と安堵が入り乱れ、シズカはサンドラの髪をまさぐった。
 サンドラ自身、気がついていたのかも知れない・・・政府からの指示というには、あまりにも暗澹たる深い闇の側面を覗かせる、シズカの瞳に。どのような事情があるのかは何も聞いていなかったが、それを聞くにはすべての愛を犠牲にする覚悟が必要であることも承知していた。今のサンドラにとって、その代償は死よりも大きかった。
 
 「みんな揃ったかしら?」
 それぞれの持ち場から戻ったきた研究員と雅斗たちを前に、カルメンは最後の指示を出そうとしていた。
 「手探りの中、この半年間、みんな良くがんばったわ。知っている通り、このプロジェクトの根幹でもある、αアクセラレーションが発生させる”αニュートリオン”は現在の科学ではまだ実証されていません。従って、それを関知するセンサーもない。成功か失敗かを判断するには、三ヶ月後の結果を見るしかないのです。
 でも、私は信じている。マサトたちのやってきた臨床試験を見る限り、何かが必ず起こります。もしかしたら私たちは、科学が新しい段階へとシフトする分岐点に立っているのかもしれない。
 年が明ける頃には、世界中がこのチクラヨに注目する事になるでしょう。その喜びをみんなで分かち合いましょう」

 カルメンのカリスマ性のなせる技か、それとも、本当にこのプロジェクトにすべてをかけてきたと言う意気込みか、最初はまばらだった拍手も、数秒後には一気に最大級の歓声へと変わっていた。
 プロジェクトの初めから、デジカムでの記録を撮り続けてきた川崎も、人なつっこそうな笑顔はそのままに、大量の涙でファインダーを曇らせていた。

 「そいじゃ、始めますか?」
 ラウルが例によって緊張感のない仕草で雅斗に目配せした。
 「ああ・・・・マイケル、お願いします」
 コントロールパネルの操作を任されたのは、屋外操作を提案したマイケルだった。
 「了解、チーフ。起動します!」
 普段大人しい、目立つのが嫌いなマイケルだったが、この日ばかりは誰もが初めて聞くほどの、張りのある声で答えた」
 
 コントロールパネルのディスプレイに表示されているスクリプトが、準備の完了を知らせた。勢いよく、確実にキーボードのエンターキーが押される・・・・
 
 しばらくして、三十メートルほど離れた場所にある、Cプラントから重低音のような体の芯に響くパルスが発生し始めた。重たく、深いその波は次第に大きくなり、何かの加速を促している、と言う感覚に誰もが囚われた。
 「チーフ、素粒子の加速は安定しました。あと三分で重水素とシンクロを始めます」
 ディスプレイに次々と表示される、グラフや数値を慎重に確認しながらマイケルが報告する。
 「よし、ここからが新たな領域だ。みんなよく見て! そして、何かを感じるんだ」
 雅斗は待避ブースの柵を握りしめ、ドームを睨んだ。
 
 「順調のようね・・・」
 いつの間にか、アルベルトの後ろにシズカが歩み寄っていた。
 「ああ、今の所はな」
 「後何分?」
 「四十分でドーム内の環境維持装置のレベルがダウンし始める。それまでに記録を取れるか?」
 「こっちは大丈夫。サンドラがコンピュータにワームを忍ばせたわ。もうすでにあらゆる情報の記録を始めているはず」
 「そうか・・・証拠は残らないだろうな」
 「政府の諜報部員をなめないで」
 不敵な笑みを浮かべてシズカは作業員たちの中へと消えていった。

 アルベルトは一抹の不安を抱えていたが、それは破壊工作の失敗を心配したためではなく、知らないうちに、得たいの知れない闇へと引きづり込まれてしまったのでは無いかという、言い得ない不安感からだろうか。いや、目の前の根拠というものを無視し、自分のテリトリーを浸食してくる若い日本人の想像を超えた試みが、実は正しい道を示しているのでは無いかという、受け入れがたい可能性に対する恐怖からかも知れない。
(だが、その試みも闇に葬られる。来月には、元通りの自分がここにいるだろう・・・そうだ、元に戻るだけなんだ・・・)

 「はいはい、チーフも笑ってください。ラウル! 動き回らないで! ぶれるじゃないか!」
 やたら上機嫌の川崎がデジカムを回しながら、雅斗やラウル、マイケルを納めようと動き回っている。
 「おい、記念写真じゃないんだから、俺たちを撮らなくっていいんだよ」
 「何言ってるの? あと少ししたら、この映像が全世界に流れるんだよ! もっと笑顔作って!・・・・ん?・・・・」
 川崎が構えているデジカムの動きが止まった。ファインダーを覗きながら、何か考えている・・・
 「川崎さん、どうしました?」
 突然動きを止めた川崎を不振に思い、雅斗が軽い気持ちで訪ねた。

 「いえ、・・・あれ何でしょう?」
 「?」
 「皆さんの後ろです。ほらあれ・・・」
 また、取るに足らない話題で自分たちを呆れさせようとしているのか、と誰もが思った。
 振り返り、一同目を懲らす・・・・
 「どれだ?」
 「あれですよ、土煙」
 「・・・何か、車のようだな」

 よく見ると砂漠の遠方、約一、五キロメートルほどの距離に何本かの土煙が立っていた。
 「誰かお客さんが来る予定ってあったかな?」
 「噂を聞きつけた、マスコミじゃないですか?」
 雅斗は無言で土煙を凝視している・・・だんだんとその土煙は大きさを増し、その車両がかなりのスピードで近づいて来ることがわかった。
 いつの間にか、雅斗の隣で青ざめた表情のマイケルが目を血走らせて立ちつくしていた。
 遠くでカルメンの声が聞こえる。
 「オダール! あの車、何?」
 
    ドドン!
    
 突然、あたりに爆裂音が鳴り響いた。
 近づいてくる車両に気を取られていた何人かも含めて全員が、はじかれたように振り返る。
 何が起こったのか想像できた人間は一人もいなかった。Aプラントのドームが半分吹き飛び、今まさにその破片が職員の上に降ってこようとしている所だった。もうもうたる黒煙とキノコ雲が立ち昇っている。

 「みんな、離れて!! 全員待避!」
 いち早く危険を感知したカルメンが叫ぶと同時に、二回目の爆発が起こった。
 「今度はDプラントだ!」
 ラウルもパニック寸前の悲鳴にも似た叫びを上げる。
 「とにかく、みんな離れろ!」

 雅斗の脳裏に、久しく忘れかけていたあの光景がまざまざとよみがえった。黒煙と炎、爆発と”死”。恐怖に歪んだ人々の表情・・・今、あの時のように何らかの惨事が起こっている。直感でそれがこのプロジェクトと関係していることを理解した。
 誰もが次の爆発を予想し、プラントから離れようと砂漠に向かって走りだしていた。

 突然、雅斗の腕を誰かがつかんだ。

 「!?  マイケル!」
 恐怖に顔を歪ませた、蒼白のマイケルだった。
 「そっちに行っては危ない!」
 「どういう事だ?」
 「あの車両はやばい!」
 
 みんなが爆発を避けて逃げていく方角には、先ほどの車両がもう目の前に迫っていた。
 ジープ三台、トラック二台に約二十名ほどの男が分乗していた。逃げまどう人々の手前で停車したかと思うと、身軽い動きで、飛び降りる。手には自動小銃!
 
 ツタタタタ!!
 
 先に降りた二人がおもむろに発砲を始めた。霧吹きのごとく、小さな血しぶきを上げながら倒れていく研究員たち・・・
 事態が飲み込めないまま、パニックだけが数倍にふくれあがり、場は修羅場と化した。
 ワワン社が雇っていたセキュリティが短銃で応戦するが、一人二人と打ち抜かれ、わずかの時間で味方の銃声は鳴り止んだ。
 
 危険をいち早く察知したシズカとサンドラは、もう爆発は起こらないと踏んだプラント側に待避し、身を隠していた。遠巻きに時々聞こえるマシンガンの音と、逃げまどう研究員たちの悲鳴をただ、暗然と聞いていた。
 いきなり、目の前に男が走り込んできた。

 「アルベルト!」
 シズカが走り寄る。
 息を切らし、泥まみれになりながら、言葉を探している。服は血にまみれ、自身も額から出血していた。
 「はぁはぁ・・・・エメルダが・・・目の前で殺された」
 「! なんてこと・・・」

 「とぼけるな!」
 アルベルトは、密猟者に追われて逃げ場を失った猛獣のような形相で、シズカの首根っこをつかんだ。
 「ぐっ!」
 「これも計画の内なんだろ?!」
 「ま、まさか・・・誤解よ・・く、苦しい」
 「いや、お前は最初からすべてを破壊するつもりだったんだ。俺を利用し、データを入手したら、研究員共々施設を破壊する・・・誰の命令だ?! 言え!」
 「ち、違うの! これは・・・こ、これは・・・」
 
 外では、ようやく銃声が止み、生存者たちは逃げ場を求めて各ドームや制御室に押し寄せていた。
 男たちはドームを中心に輪を描くように、配置についた。武装兵の間をすり抜けて脱出を図るのはのは、自殺行為だった。
 
 雅斗はマイケルと共に、半分破壊されたAプラントの瓦礫の隙間に身を隠した。
 ラウルと川崎がどこに居るのか、そこからでは判断できなかった。
 「みんなは無事だろうか」
 「ミスター・ヒロノ、まず自分の安全を一番に考えてください。彼らにも必ず隙ができます。そのチャンスを待ちましょう」
 「マイケル、こういう経験が以前にもあったのか?」
 「え? 何故です?」
 マイケルは、雅斗の勘の良さに驚きを隠せなかったが、その問いには答えなかった。
 
 「マイケル、今、マシンはどういう状態だろうか」
 「まだ動いていると思います。破壊されたのは、A・Dプラントです。他からの影響を避けるため、Cプラントは完全独立系に再構築してありますから、たぶん影響は受けていないと思います」
 「すぐ、運転を中止できないか?」
 「コントロールパネルは彼らの支配下にあります。直接Cプラントへ行かなければ、操作は無理ですね」
 「これだけの不安定な人間の恐怖という思念が入り交じれば、加速共鳴した重水素から発生するαニュートリオン場も不安定になる・・・非常にまずいな・・・」
 「確かに、量子的に影響がないとは言えません。ですが、必ずしもあるとも限らない・・・前例がありませんから・・・」
 「いや、前例ならあるさ・・」
 「?」
 
 
 「は・・・話を聞いて。アルベルト、お願い」
 「お前の話など信用できるか」
 アルベルトは手をゆるめない、それどころか我を忘れたのか、その太い腕の血管はますます浮き出て、その形相からは明らかな殺意が感じ取れた。
 
  ガキン!
  
 金属質の鈍い音と共に、アルベルトはうつぶせに崩れ落ちた。
 「ごほっ・・・はぁはぁ・・・サ、サンドラ」
 そこには瓦礫から引っ張り出したと思われるパイプを両腕で抱え、立ちすくむサンドラの姿があった。
 「死んだのかしら・・」
 サンドラは初めて自分が人を殺したかも知れないと言う恐怖心と、シズカを助けたという達成感で放心状態だった。
 「・・・大丈夫、死んではいないわ・・それより、彼らから逃げる方法を探しましょう」
 「でもどうやって・・・」
 「・・・心当たりがあるわ」
 
 ドームを取り巻く男たちの中から、リーダーと思しき人物がドームに歩み寄った。サングラスに髭面、迷彩ズボンにジャケットと言う出で立ちだ。
 「我々は、ネイティブ解放連合である。この先祖から伝わる神々の聖地で、悪しき実験を行い、人民の貧困をも顧みず、人心を惑わす侵略者政府の犬どもに宣戦を布告する!」

 
 「反政府ゲリラか・・誰か、携帯電話で救援をよべないか?」
 瓦礫の隙間から様子をうかがっていた、雅斗とマイケルは、ようやく状況がわかってきた。
 「この地域では電波は届きません。衛星携帯も事務所に置いたままです。それにしても、ネイティブ解放連合と言えば、コロンビアを拠点にペルーやエクアドルにもその勢力を伸ばしているテロ組織ですね」
 まんじりともせず、視線をゲリラのリーダから離す事もなく、マイケルが小声で耳打ちした。
 「しかし、ペルー国内でこれほどの攻撃を仕掛ける事は、めったに無いのに・・・珍しいですね」
 
 ゲリラはドームに逃げ込んだ研究員たちをいたぶるかのように、ゆっくりと追い詰めていく。
 「ペルー政府のもくろみは、ここに崩れ去った。この忌まわしき生物兵器工場は我々を虐殺するために建設されたものに他ならない。そのような卑劣な手段を我々は黙認することはできない!」
 
 「ちょっと待って!」
 Aプラントの陰から、カルメンが姿を現した。誰の目にも無謀な行為だったが、不正義の圧力を最も嫌う彼女の気性は、みんな承知していた。
 「どこをどう間違えたら、ここが生物兵器工場になるの? あんたたち、下調べもなくこんなテロを起こして、社会が許すと思うの? ああ勘違いでした、じゃ済まないのよ!」
 「お前がボスか? こっちに来い!」
 ゲリラのリーダーは、ライフルをカルメンに向けたまま、あごで合図した。
 しばらく男を睨み付けていたカルメンだったが、近づけば、交渉の余地もあると踏んだのか、ゲリラ側へと歩いていった。
 
 シズカは、姿勢を低くしたまま、周りを注意深く見回していた。そして、ジープの座席に座っているゲリラとは趣の異なる風貌の男を見つけ、おもむろに携帯電話を取り出した。
 「シズカ? 携帯はここじゃ使えないわ」
 「大丈夫、これは衛星回線にアクセスできるの」
 シズカが素早い指さばきでダイヤルすると、しばらくして、ジープの男が携帯電話を取り出すのが確認できた。
 「・・・もしもし、コールドマン? これはどうした事? 私の計画がすべて無駄になったわ」
 「シズカ、いやウインクローズか・・・困ったお嬢さんだ、暗号化されて無いじゃないか・・・詳しく話すから、Cプラントに来てくれ。そこから回れるか?」
 「やってみるわ」
 
 カルメンの動向が心配な雅斗達は、リーダーの位置が見えやすい場所へ移動した。
 「カルメン、無理するなよ・・・」
 無防備な雅斗には今は祈ることしかできそうにない。しかし、焦りと不安が自らを支配してしまう前に何とかしなければならない・・・
 「ラウルと川崎は見えないか?」
 「・・・」
 もし、Cプラント近くに彼らがいたら、マシンを操作できるかもしれなかった。雅斗は少し乗り出して、様子をうかがおうとした。しかし、マイケルの無言の制止が入り、驚いて振り向いた。マイケルのまぶたは、眼球が今にも飛び出しそうなほど見開かれていた。その瞳にはこの上ない恐怖と絶望感を漂わせていた。彼の視線は、今、まさにジープから降りて、Cプラントへと向かおうとしている中年の白人へと向けられていた。
 「・・・・コ、コールドマン!!!」
 うなり声のように絞り出したその名前は、口にするのも耐えられないほどの、恐怖をマイケルに与えていた。
 「? 知っているのか?」
 雅斗は驚きを隠せなかった。マイケルはあのテロリストを知っている・・・?
 「・・・・・」

 マイケルは、しばらく目を閉じ、うつむきながら小刻みにふるえていた・・・そして、意を決したように口を開いた。

 「ミスター・ヒロノ。今この状況で、詳しい話をする時間はありません。しかし、これだけは言っておかなければならない・・・私はマイケル・ホワイトニングではありません。本当の名は、マイク・ミラー・・・一九九九年まで、アメリカのマサチューセッツ工科大学で教鞭を執っていました」
 「? どういう事です?」
 「私と友人のグレッグは、その頃、非常に画期的な研究をしていました。もし、完成していたら、今頃世界は変わっていたかもしれない・・・しかし、妨害工作によって、その計画は闇に葬られた・・・一緒に研究していた、グレッグ・トーマス一家も惨殺されました」
 雅斗は、瞬きもせず、マイクの言葉を待った。

 「私も彼らに捕らえられましたが、命からがら逃げることに成功しました。しかし、彼らは決してあきらめない、ターゲットはどこまでも追って行きます。私は彼らから逃げるべく、闇ルートを頼りに偽造パスポートを作って、メキシコ、パナマ、ブラジル、そしてこのペルーへと、逃避行を続けて来たのです」
 雅斗は一瞬何かに思いを巡らせているようにも見えたが、まずは目の前の問題に対処しなければならなかった。
 「生き延びられたら詳しい話を聞きましょう。今は目前の問題を解決しなければ・・・」
 「はい・・・」
 
 Cプラント内は実験の中枢であるため、セキュリティがかかっていた。武装ゲリラから逃れた人々も、IDカードを持っていなかったため、入ることができない。期間中出入りできるのは、各業務の責任者だけだった。

 今は武装ゲリラも多数の人質の管理に入ったのか、無駄な発砲の音もない。緊張が辺り一面に敷き詰められた状態で、Cプラント内部は静まりかえっていた。ただ、加速器から発生する重振動だけが、大地のうなり声のようにドームの共鳴を誘っていた。
 「コールドマン!」
 アルベルトのIDカードを奪ったシズカが、制御室に入ってきた。後ろから怯えた表情のサンドラが続く。
 「ウインクローズ・・・」
 コンピュータを収納するキャビネの裏から白髪交じりのぼさぼさ頭を掻きながら、死に神のような目つきをしたコールドマンが姿を現した。
 「どうやってここに入れたの?」
 「なあに、IDカードなどすぐに複製ができる。基本だよ」
 「こんな暴挙を本部が許すと思うの?」
 シズカは震える声を悟られまいと、深く絞り出すように話した。

 「本部の人間を見た事があるのかい? おじょうさん」
 「私を甘く見ないで! これでも、ランク3なのよ。歯車として使い捨てられるパシリと一緒にしないで」
 「そりゃ、失礼」
 「何故ゲリラをよこしたの? 私の計画で全部うまく行くはずだったのよ! それがすべて無駄になったじゃない!」
 「我々も、政治的判断に迫られる事がある・・・単に一企業の開発情報を盗むだけなら、産業スパイで充分じゃないか。我々はもっとグローバルな視点で物事を考えなきゃいかん。幸いこの地には憎悪と貧困が渦巻いている・・・そう言うところからはビッグビジネスが生まれるんだよ」
 「武器を与えて、けしかけたのね」
 「彼らは他の組織に比べて勢力的に劣っていた。何かを起こして力を認めさせない限り、彼らの生きる道は無かったろう・・・ゲリラに力が付けば、政府側も軍事力を高めなければならなくなる。ますます、我々のビジネスチャンスも膨れあがるってもんだ」

 シズカは組織の一員として、世界のバランスを取るための手助けをしていると感じていた。しかし、その組織そのものは、暗黒の中の黒煙のように、見ることも掴むこともできない・・・自分が抱く信念は、マインドコントロールによって埋め込まれた事は承知していたが、心の底に残る疑念は、いつも火種となってくすぶり続けていた。
 「ウインクローズ・・・自分の仕事をしろ。マシンの設計図とプログラムをモニターしたデータが取れているはずだ、それを預かろう・・・」
 シズカはコールドマンを睨み付けたまま、一歩下がった・・・その背後で何者かが近づく気配・・・・
 隣にいたサンドラがハッとした表情で振り向く・・・そこには、額を抑え、ふらつきながらもしっかりと握りしめられたピストルをシズカ、コールドマン双方に、交互に向けながら近づいてくるアルベルトがいた。
 
 
 「マイケル、いやマイク。あなたはここにいてください」
 「いえ、私も行きます。はっきり言って、あいつは怖い。人間じゃありませんから・・・でも、今日決着を付けます。これ以上逃げ回るのはごめんだ」
 雅斗は何か言いかけたが、それをマイクが制した。
 「Cプラントへ行くには外を迂回しなければならない。でもゲリラに見張られていては無理です。このシステムを構築する際に、ドームの設計図を参考にしました。私の記憶が正しければ、LANなどのケーブルの束を通す大きなダクトがあるはずです。ケーブルはすべて地下でメインコントロールルームへ繋がっている。当然Cプラントへも繋がっています」
 「距離は?」
 「およそ三十メートルほどでしょうか」
 「・・・よし、いきましょう」
 
 
 「動くなよ! これでも、銃は使えるんだ」
 意識を取り戻したアルベルトは、倒れているガードマンの銃を拾い、シズカ達の後を追ってきたのだった。
 「あんた、シズカの仲間か? コールドマンとか言っていたな・・」
 余計な手間が増えたことに苛立ったのか、コールドマンは不機嫌さを隠さず、舌打ちした。

 「あなた、確かシズカの彼氏・・・でしたかな? あなたの出番はない、下がっていてもらおうか」
 「そうはいかねえ。これだけの人を殺しといて、ただで済むと思うのか? 代償を払え!」
 「私を殺すと言うのか? この素人が」
 コールドマンはじりじりと時計回りに移動を始めた。

 「動くなって言ってんだ。ここでお前を殺したって俺はいっこうに構わない。でも、外の奴らとの取引も必要だ。あんたには人質になってもらう」
 「・・・くっくっくっ。これだから一般人は困る」
 アルベルトが何か言おうとした瞬間・・・銃口の先からコールドマンの姿が消えた。動物的身のこなしで、身を屈めたと思うと、予測不可能な回転運動で三メートルほどの距離を瞬間移動したのだ。
 アルベルトがコンマ一秒の遅れで、照準を合わせ直し引き金を引こうとした時には、コールドマンの腕に、サンドラが囚われた後だった。こめかみには、小型の短銃が押し当てられている。

 「サンドラ!」
 シズカが走り寄ろうとするのをコールドマンが眼光で制した。
 「お前は落第点だなウインクローズ・・・。こんな女と本気になるなんて・・・ランク3ならすべての理性と感情をコントロールできるよう訓練されているはずだが・・・」
 「どんなに潜在意識を書き換えても、人間の心は機械じゃない・・・次から次へ新しい自分が誕生するの。その一つをイレーズしてもコンピュータのフォーマットのようには行かないわ・・・あなたは単なる人殺し・・・殺人願望を組織の大儀に転嫁しているだけよ」
 「そうだが・・・何か?」
 にやけた口元とは裏腹に、闇の中からナイフで突き刺すような、鋭い眼光がシズカに向けられた、と思った瞬間、コンクリートの壁に銃声が木霊した。

 シズカは突然電源を切られた電動人形のように、カクンと膝を折り崩れ去った。眉間の穴からは、赤黒い血液がトクトクと流れ出していた。
 「いやーーー!!」 サンドラが正気を失ったような悲鳴を上げる。

 「シズカ!!!」
 走り寄ろうとするアルベルトへ、次の銃弾が撃ち込まれる。だが同時に、コールドマンの背後から叫び声にも似た声が響いた。

 「コーーールドマン!!!」

 パン!

 弾丸は急所を逸れて、アルベルトの右肩を貫通した。
 多少面食らった形で振り返ったコールドマンの後ろには、マイク・ミラーが硬直した表情で立っていた。

 「!・・・見たことある顔だな・・・会いたかったよ、ミラー教授」
 一瞬驚きを隠せなかったが、冷静さには一分の揺らぎも無かった。
 ここで募る話をするはずもなく、コールドマンはサンドラを小脇に抱えたまま、ためらいもなく銃口をマイクへ向けた。

 その時・・・・ダン!
 
 突然、証明が落ちた。非常灯が点灯するまでの僅かな時間、闇が空間を支配した。
瞬間、サンドラがコールドマンのみぞおちに肘鉄を食らわす。
 
 パンパン! ガタ、ドスッ
 
 闇の中、二発の銃声と何かを叩くような音が響き、非常灯が点灯した。
 
 床に倒れているサンドラはすでに息絶えていた。金属のパイプを持ったマイクが息を切らせている。その後ろに状況を確認する雅斗の姿があった。
 「クソ! サンドラが・・・」
 電源を切るタイミングを見計らっていた雅斗だが、切迫した状況下とは言え、犠牲者を出してしまった事にショックを隠せなかった。
 コールドマンの姿は無かった。

 「確かに手応えはあったのですが・・」
 マイクが持つパイプには血痕が付いていた。
 「とにかく、マシンを停止させてください」
 「わ、わかりました」
 
 床を這うようにアルベルトがシズカに近づく・・・さっきまでの怒りは消え伏せ、シズカを助けられなかったと言う懺悔の念に打ちのめされていた。
 「・・・シズカ・・・!!!!」
 震える左手で、頬をなでる・・・アルベルトは、大きく踏み外していた自分の判断と、シズカへの本当の気持ちを伝えられずに死なせてしまったと言う、後悔の坩堝に飲み込まれて行った。
 
 「・・おかしい・・停止・・できません」
マイクが辛うじて聞き取れる声で言葉を絞り出した。

 「何故です?」
 「システムに何かワームのような物が進入しています。それがタイマーを起動していて、途中の操作を受け付けません」
 「なんて事だ」
 
 αアクセラレーターから発せられる重振動が激しさを増してきた。
 
 「チーフ! この波形を見てください。どんどん不安定になっている。このままでは、制御不能になります」
 雅斗はコンピュータを初め、物理的システムの状況を手早くチェックして回った。
 
 「これか!」
 コールドマンが放った銃弾の一発が、陽子の加速を安定させるための、電磁コイルの一部を破壊していた。

 
 何かを見定めようとするかのようなシズカの視線は、アルベルトを素通りして、遙か彼方の宇宙に向けられていた。死の瞬間に何を見たのか。それとも何も感じなかったのか。一瞬でも自分の幻影が脳裏をかすめただろうか・・・
 すでにシズカの鼓動は、空間に響き渡る重振動へと取って変わっていた。まだ体温の残る骸を抱きしめて、アルベルトは異形の地でシズカと結婚式を挙げる幻影を見ていた。
 
 加速器とシンクロしていた重水素のリングが微振動を始めた。同時にその振動は加速器の振動と共鳴し、新たな波形を時空に生み出した。
 「これは・・・」
 雅斗は今まで何度か経験したことのある、独特な感覚に包まれていた。時間がすべてこの一瞬に練り込まれたような、そしてその一点が広大な宇宙のすべてにリンクしているような、不思議な感覚・・・・
 マイクの表情からも、恐怖や焦りは消え伏せていた。ゆったりとした時間の中で至福の時を家族と過ごしているような、そう言う安堵感に包まれていた。
 
 
 外では、新たな事態が発生していた。
 プラント内での銃声に気がついたゲリラが内部に突入しようとしていたのだ。
 カルメンは何とかリーダーを説得しようとするが、すでに臨戦状態の彼らには通じなかった。
 「内部に銃を持っているやつがまだいる! 探し出して来い! 人質の人数もまだ多い。適当に数を減らせ」
 「なんて事! 人の命をなんだと思ってるの?」
 ゲリラのリーダーは、噛みついて来たカルメンの頬をライフルの弾倉で殴打し、部下に命令を下した」
 
 その時!
 どこからともなく、煙幕弾が撃ち込まれ、白煙がドーム周辺の視界を遮った。
 同時に三方から兵士と思しき一団が一気になだれ込む。
 再びマシンガンやライフルの弾丸が飛び交う殺戮の場と化したプラントは、恐怖と悲鳴の思念が渦巻く異空間と化した。

 応戦するゲリラ兵と、確実にターゲットを潰していく兵士達・・・非現実の中を麻痺した感覚のまま逃げまどう研究員達・・・
 腹を撃ち抜かれた人間の悲鳴と苦痛。喉を撃たれて即死する間際に、永遠の生命を感じる事務員・・・

 いつしか、プラント周辺には砂嵐が渦巻き始めていた・・・それは、あたかも人々のあらゆる感情が吹き出し、渦巻き、プラントの中心部へと吸い込まれているようにも見えた。
 吸い出され、浮遊した感情をまさぐるように、人々意識はその中を泳いでいた。何故自分はここにいるのか、何故銃口をその人に向けているのか、何故今、自分は死を迎えようとしているのか・・・

 涙に暮れる兵士達、呆然と天を仰ぐゲリラ兵、過去の記憶に未来の真実を垣間見る研究員・・・
 修羅場となった戦場は、無秩序な異空間へと姿を変えていた。

 
 Cプラント内部では、加速器の波形がますます大きく、不安定となっていた。周辺に散乱する瓦礫や、ユニット部品は空中を舞っていた。
 「マイク! しっかりしろ!」
 雅斗は激しく回転する気流にもまれながら、マイクに近づき、肩を揺さぶったが、彼は両膝をつき胸に手を当て、一点を凝視したまま動かなかった。
 足下では、シズカの骸にすがったままのアルベルトが恍惚の表情を浮かべている。

 「システムをダウンできないのなら・・・ぶっ壊すしかないか・・・このままでは、加速器のリングまで破損し、全員被爆してしまう!」
 雅斗は落ちていた鉄パイプを手に取り、電源ユニットの変圧器に向けて振り下ろした。
 
 砂嵐の渦は次第に収まっていった。プラント内部で踊り狂っていた部品達も、静かに着地していく・・・脳幹にまで響いていた重低音も次第に止み、それとともに、一人二人と正気を取り戻していった。
 
 (今の、何?)
 未だ夢見がちの表情のカルメンは、漠然と周りの惨状を見回していた。
 (夢だったの?・・・いや、まだ夢の中にいるの?)
 
 パン!
 
 目の前に横たわる死体達が、夢であってほしい、と願ったそのとき、隣で銃声が響いた。
 どさっ、と言う音と共に、それまでカルメンに銃口を突きつけていた、ゲリラのリーダーが崩れ落ちた。こめかみからは血しぶきが上がり、右手に持つ銃からは、白煙が上っていた。
 近くでゲリラの部下の一人が涙を流し、しゃがみ込んでいた・・・
 「見たんだ、おれ。インティ(太陽)の神が目の前に現れ、我々を諭した・・・ああ、なんてことしたんだ!」
 
 場は軍によって制圧された。いち早く冷静を取り戻した軍の隊長が、残党ゲリラの逮捕を命じたのだ。
 
 「マサト! マイケル!」
 白煙が立ち上るCプラントから二人の人影が姿を現した。雅斗達だと気がついたカルメンが走り寄り、二人を抱きしめ、それぞれにキスをした。
 「カルメン、中にアルベルトがいる。銃で撃たれたんだ」
まさか!と言う表所のカルメンの後ろから、がっちりした体格の兵士が現れ言った。
「すぐ医療班を向かわせましょう」

 「あなた達は誰なの?」
 カルメンが怪訝な表情で訪ねた。
 「私は、ランチェス。ペルー特殊部隊の指揮をしています」
 「特殊部隊? 何故今日ゲリラの襲撃がここであると解ったんです?」
 雅斗はあまりにもタイミングの良い、部隊の動きに疑念を抱いていた。

 「あなたがセニョール・ヒロノですか?」
 「そうですが、何故それを・・・?」
 「我々はブルーフロー社より依頼され、あなた方の近辺を監視していました。このプロジェクトを守るためです」
 「ブルーフロー社?」
 雅斗には聞き覚えのない社名だった。無言でマイクに問いかけたが、首を横に振るばかりだった。
 「え? ご存じない? ふうむ、おかしな話ですな。あなた方も知らない企業から、あなた方を守るよう、政府を通じて依頼があるなんて・・・しかし、任務は失敗です。ゲリラ側に先手を取られた上、こんなにも死傷者を出してしまった・・・」
ランチェスは回りの惨状を見回し、悲痛な表情を浮かべた。

 「隊長! 日本から衛星電話です」
 部下と思しき若い隊員が走りより、ランチェスに電話を手渡した。
 {アロー。はい、それが・・・ええ、わかりました・・・}
 「セニョール、ヒロノ。あなたに電話です」
 「え? 誰です?」
 不可解な眼差しをランチェスに送り、雅斗は電話を取った。

 「もしもし、広野ですが・・・」
 「広野先生?」

 この声の響きに雅斗は、忘れかけていた遠い昔の懐かしくもほろ苦い、若葉のきらめきを感じた。しかし、あまりにも場違いな再会に、自らの記憶に間違いがあるのではないかと疑いをい持ったほどだ。ただ、記憶の糸は、間違いようもない一点へと集約されていった。

 「お久しぶりです。矢川ミライです」

シフト Vol4

シフト Vol4

自分でも気が付かないうちに、見えない力に流され翻弄される青年を描いたSF大河、第四部。人と宇宙と意識がある1点で交わる時、新たな扉が開かれる。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-03-03

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