不思議の国の少年少女(1)
第一章「目覚めればそこは不思議の国」
エリザベータはくるくる踊る。
彼女の踊りはとっても変。
だから犬も猫も鳥も森さえも、そしてピョートルもケラケラ笑ってる
けれども踊る。
彼女は踊る。
くるくるりん
くるくるりん
ピョートルは気付く。
エリザベータがとっても楽しそうだということに。
そう――これは幸せの舞踏会。
不幸なことが入り込む余地なんてどこにもない。
エリザベータもピョートルも、嫌なことなんて全部忘れて笑ってる。
「貴方も一緒にどう?」
エリザベータがピョートルに向かって手を伸ばす。
「ああ――踊ろう」
ピョートルはエリザベータの手を握り、そして一緒に踊りだす。
気づけば犬も猫も鳥も森も踊ってた。
みんなみんな踊ってる。
踊りは言葉、言葉は踊り。
何かを喋る必要なんて何処にもない。
だから言葉が通じなくても構わない。
必要なのは、そう――踊ることだけ!
さあ踊れ!
さあ踊れ!
踊りは全て、全ては踊り!
踊って踊って踊り尽くせ!
くるくるりん
くるくるりん
――――最初に気付いたのは、ピョートルだった。
「え……?」
森が、消えていた。周りは完全に闇に覆われているが、そこが先ほどまでとは決定的に違う場所であるということだけは分かった。
「何だこれ、どういうことだ……!?」
ピョートルは叫びだす。すっかり消え失せていた恐怖が蘇る。
「なあ、エリザベータ、これはどういうことなんだ!?」
「ふふふふ。ふふふふ。細かいことはいいじゃない、ピョートル。今はただ、踊りましょう?」
エリザベータはにこやかに笑う。彼女の踊りは止まらない。
「なっ……そんなこと言ってる場合じゃないんだって!周りの景色が急に変わってる!ここはどこなんだ!」
ピョートルは焦りだす。おかしい、おかしい、何かがおかしい、とひたすら呟く。
「うるさいわ、うるさいわ!何がそんなに不満なの? 笑えばいい、踊ればいい。そうすればみんなハッピー!何も嫌なことなんてありゃしない!」
エリザベータの機嫌が崩れる。
「それでもまだ邪魔をするというのなら――貴方はこの楽園にいるべきではないわ」
彼女は冷酷にそう告げて――すると、なんと湖からドラゴンが踊り出てくるではないか!
「な、なんだよこれ……」
ピョートルは呆然として、悲鳴を上げることすら出来ない。
ドラゴンは尾を振り回しながら雄叫びを上げる。
「いったい、何が起きてるんだよ……」
彼には現状が何一つ理解できていない。気づけばこうなっていた。地獄から楽園とまでとは行かないにしても幸せな場所へと逃げ込もうとしたら、気づけばこうなっていた。
「訳分かんねえよ!!」
彼にできることといえば、叫びながら、こうなるまでに起きた出来事を回想するくらいだった。
時はエカチェリーナ二世の治世。ロシア帝国の過酷な農奴制に反発し、プガチョフが史上最大規模の農民反乱を起こした。だがしかし、彼の闘いは大敗に終わってしまう。その後エカチェリーナ二世は農奴制を緩和し、今後このような反乱が起きるのを防ごうとする――と思いきや、農奴制をさらに強化し始めてしまった。エカチェリーナ二世は農奴を恐れたのだ。そうして、帝国の農奴達にとっては地獄の時が始まったのである。
「はあ、はあ、はあ……」
「頑張って、エリザベータ」
「う、うん……」
遂に耐え切れず、ピョートルとエリザベータは脱走した。向かう先は最寄りのコサック。そこに着いても本当に幸せになれるのかどうかはわからない。けれども、彼らにはそれしか選択肢がなかった。
(農奴なんて、もう懲り懲りだ……!)
そして彼らの逃走劇は始まった。追うは軍人、逃げるは少年少女。結果は明白……。
だがしかし、それでも彼らは逃げていく。
走って走って気づけばそこは森の中。
「はあ、はあ、どこだろここ……」
ピョートルが呟く。
「嘘!分かんないの!?」
彼はエリザベータに聞こえないようにしたつもりだったが、聞かれてしまっていた。
「う、うん……」
「どうするのよ!」
「……とりあえず少し休もう。疲れたろ? 疲れてちゃろくに頭も働かないよ」
「ええ、そうね……」
二人は倒木の上に腰掛けた。
「……」
「……」
表情は、暗い。
(どうすればいいんだ……。俺だけならここで野垂れ死ぬのもありかもしれない。けど、ここにはエリザベータもいるんだ!何とかしなきゃ、何とかしなきゃ……)
ピョートルは焦る。焦る。とにかく焦る。
「すぅすぅ……」
対するエリザベータは、そんなピョートルのことなどお構いなしに眠ってしまっていた。ピョートルは彼女が寝ていることに気付いていない。もっとも、たとえ気付いていたとしても叱りつけたりはしない。エリザベータに体力がないのはピョートルもよく知っているし、それに何よりも、彼は彼女のことが好きなのだった。
ピョートルとエリザベータは同じ村に、同じ農奴の身分で生まれた。そして、同じ頃に両親を亡くした。プガチョフのせいで増えた負担に耐えるのに大人たちは精一杯で、誰も彼らを養ってはくれない。だから彼らは二人だけで生きてきた。そしてそのうちに、ピョートルはエリザベータに恋をしていたのだ。
(どうすれば……)
けれどもその気持をピョートルはエリザベータに告げてはいない。こんな大脱走を試みる勇気はあるくせに、好きな女の子に思いを告げる勇気はないのだ。だがしかし、彼のエリザベータに対する思いは本物である。この脱走劇だって、彼女のためにやったと言っても過言ではない。とはいえ、完全に道に迷ってしまい途方に暮れてしまっている今となっては、果たしてこれが本当にエリザベータのためになっているのかは全くもって疑問なところであるが。
「……」
ピョートルは無言で立ち上がると、周りをうろうろと歩き始めた。じっと座っていてはいいアイデアも浮かんでこないと思ったのだ。
「う~ん……」
ピョートルが小枝を踏んだ音でエリザベータは目を覚ました。
「ねえ、ピョートル。あれは何かしら?」
眠い目をこすりながらエリザベータは遥か彼方を指さす。
「どれのことだい?」
ピョートルはエリザベータの指が示す方を見るが、いったい何のことなのかさっぱりわからない。
「付いてきて」
エリザベータが立ち上がり、歩き出す。
(何だか随分歩くの早いな……。もう回復したのか? でもまだそんなに時間は立っていないと思うけど……)
不思議に思いながらもピョートルは付いて行く。
「これよ、これ!」
しばらく歩いて行くと、不思議な模様の描かれた大樹のもとへとたどり着いた。
「何だ、この模様……。いや、その前にこの樹は何だ? でかいなんてもんじゃない!何でこの樹だけこんなに……?」
考えながら、ピョートルは大樹に触れた。
「そんなのどうでもいいじゃない」
エリザベータも同時に触れた。
すると大樹が光りだした。
「なんだ!?」
ピョートルが焦るがもう遅い。もう、“始まっている”。
「ふふふ」
一方のエリザベータはとってもご機嫌。それはもう、まるで別人のごとく。
「うわっ!」
「あははははは!」
そうして二人は吸い込まれていった。
ピョートルが目覚めると、そこはまた森の中だった。
「さっきと同じ森か……? エリザベータは――」
「ふふふふ、あはははは!」
ピョートルがふと横を見ると、そこにはとっても楽しそうに踊るエリザベータの姿があった。それを見ていると、ピョートルも、何だかどうでも良くなってくる。
「貴方も一緒にどう?」
だから、エリザベータに誘われると、
「ああ――踊ろう」
いっさい躊躇うこともなく、一緒に踊り始めていたのだった。
そうして――冒頭に戻る。
不思議の国の少年少女(1)
「浦島」(http://slib.net/28309)の後書きに書いたように、シリアス系の作品再始動!って感じです。されども毎度おなじみ行き当たりばったり。けど、この作品ならそんな感じでも何とかいけるような気がします。第二章ができるのはいつだろう……できるだけ早く出せるように頑張ります。