心の襞
「心の襞一枚一枚に染み込むような感じ方がいいですなあ。そういう味わい方ですよ」
「暇なんですねえ」
「そうかな」
「だって、そんなところで立ち止まっている場合じゃないですからねえ、最近、僕は忙しくて」
「じゃ、食事中も味わって食べないのかね」
二人は一緒に昼ご飯中だ。
「味わいますよ。甘いとか辛いとか」
「そうじゃなく、思いも噛みしめながら、舌先で味わう。それは人生の楽しさでもあり、生きる上での豊かさなのだよ」
老バイトは自分で作った弁当を、青年バイトに見せる。
「毎日違いますねえ」
「君に見せるためじゃないよ。私自身が見て楽しむ。今日の出来はどうだったかと反省もするがね。弁当を真上から見たときの色合い、構成、そう言ったものを常に気にしている。たまに傑作が生まれる」
「今日の出来はどうなのですか」
「並だ」
「でも、見事ですよ。鮮やかなのに、派手じゃない。物静かで上品です」
「分かっているじゃないか、君も。理解しているじゃないか」
「僕もデザイナーですから、その程度のことは」
二人は画像修正のバイトに来ている。
「この蜜柑はねえ。皮を付けないと駄目なんですよ。そうでないと蜜柑色をお見せ出来ない」
「僕にですか」
「いや、私自身だ。これは蜜柑色としか言いようがない。色見本にもあるだろうが、それは平面的な色でね。このブツブツが加わることで蜜柑色となる。だから、ここからブツブツを取ると、もう蜜柑色とは言えない」
「柿色もそうですか」
「いいことを言うねえ。私からその話を引き出したいのかね」
「いえいえ」
「柿色はねえ、光沢なんだよね。あれは青空を背景にやや斜からの光線で、明るい箇所と暗い箇所が出来る。それを同時に見たときにしか柿色ににはならん。従って焼き物の色ね、柿右衛門が再現させようとした柿色。これは柿右衛門色と呼んでいるが、あの色へのこだわり、これだけは見事だよ。ただね、柿右衛門色でもやはり柿色にはならん。しかし、柿右衛門の努力という物語が柿色に見せる。まあ、壺がよかったんだろうねえ。壺と柿は近い形の立体をしておる。だから柿色としてのベースがいい。あれが海の色なら駄目なんだなあ」
「もうそのぐらいで」
「いやいや、柿右衛門噺をもっとやりたいのだが、まあ私もそれほど詳しくはない」
「はい」
「そのようにね、物事には、見れば見るほどに襞がある」
「シワのようなものですか」
「脳みそのシワのようなものだ」
「はい」
「そのひと襞ひと襞に思いを馳せると、物事が豊かになる。柿を食べるとき、蜜柑を食べるときもそうだ」
「先輩はきっといいデザイナーだったのでしょうねえ」
「それは他人様が評価すること。今の状態を見れば、結果が出ておる。ここの時間給は安い。まあ、座って出来る仕事なので、文句は言えないがね」
昼休みが終わり、二人はモニター前に戻った。並んで作業をしている。
何やら画像が表示されており、その色目などを変えていく作業だ。また、余計なものを取り払ったりもする。所謂レタッチだ。
老バイトのモニターが動いている。動画だ。映画のようだ。青年の方はSNSを交互に表示させている。
「先輩、複数の色目を変えたいのですが、このオレンジ色のような色目、柿色か、蜜柑色に変えれば、いい感じになりそうなんですが」
「そんなこと言われておらん。余計なことするな」
老バイトは映画ばかり見ている。それをモニターの端で見ながら、画像を弄っている。
「こんな絵にも襞があって、その襞の一つひとつを味わいながら、修正していくことが大事なんですねえ。先輩」
「そんなものオートに任せりゃいい」
「あ、はい」
「どうせモニターで見るんだ。モニターってのは、個々違うんだ。だから違う色目で見る。同じ色なんて誰も見ていないよ」
「でも、標準に合わせていますから、同じ色になりますよ」
「見るのは普通の人だ。買ったモニターで、そのまんまの癖のある色で見てるだ。だから、こんなものオートで、適当にやればいい」
「でも心の襞が」
「そういう思いをしながらやっている、というのを心の襞で感じればよろしい」
「あ、はい」
了
心の襞