シフト vol2

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夜明け

 あのボーイング機と自衛隊機の接触墜落事故から七年後、アメリカ、マサチューセッツ工科大学で教鞭をとる、一人の若い教授がいた。若いと言っても、すでに三十五を超えたぐらいだろうか・・・それでも、教授と名乗るには若すぎる年代だ。彼の名は、マイク・ミラー。細面で整淡な顔立ちをしているが、表情に乏しく、心をひたすら隠すタイプの人間だった。教授として招かれて、すでに三年が経つが、彼の経歴を知るものはほとんどなかった。
 アメリカは、長い不景気からようやく抜け出そうとしていた。人々は、今だ!とばかりに、景気を回復させるエネルギーをITなど先進技術に集中させている。その盛り上がるのが得意な国民性を生かして、株式投資も盛んに行われるようになり、ナスダック市場は緩やかながら、上昇を続けている。
 それに引き替え、日本は戦後最大の不景気に見舞われていた。数年前までの{日本が世界をリードする}と言った思い上がりにも等しい妄想はすっかり影を潜めていた。海外投資家が、日本から逃げて、アメリカに集中しだしたのも日本をどん底に追いやった要因の一つだとする評論家もいた。

 その日、マイクが行う授業は午前中だけだった。講義を終え講堂から出てきた彼に、講師のグレッグ・トーマスが声をかけた。
「もう終わりか? でも、家に帰っても一人なんだろう? さびしいね~」
「一人で午後を過ごすこと、イコール孤独で暇人と決めつけるのは、物事を一方からしか見ない、偏見主義者の考え方だよ」
マイクは無表情のまま答えた。
 グレッグも同じく量子物理学の講師だったが、マイクとは正反対の性格をしていた。しかし、なせか二人は馬が合う。彼がいつもマイクをからかっているように見えるのは、彼なりの挨拶のようなものだった。

「そりゃ、一方向しか見られないよ、僕は僕、君は他人、マイクの考えている事なんて解るわけないからね。あ、でも一つだけ解る事がある。今、腹が減っているけど、いつも通り、ベンチでサンドウィッチをかじるか、家でピザでも焼くか・・・悩んでいる・・・だろ?」
「一人暮らしだからこんなもんさ、別段暗い・・・って生活とも思わないが・・・君は家に帰れば君なりの幸せな家庭が待っている。君にとってワイフと息子は幸福の源ってところか・・・でも、僕にとっての幸福はまた別のところにあるのさ」
「ほう、その別のところ・・・とは、何かな。興味がある。なあ、たまには、ストリートの無国籍料理屋で、ランチでも食べないか?」

どうせランチと言ってもスナックのような料理ににドリンクが付いた程度なのだ。それがいやなら、ジャパニーズレストランで使い慣れないチョップスティックに悪戦苦闘する道を選ぶしかない。まあ、彼の言うとおり、家に帰っても暇なだけだ。今日の所は彼に従うか・・・グレッグには妙に人をのんきな気分にさせるところがある。結局マイクがいつも彼の調子に乗せられる形になるのだった。だが、それが別に彼を不愉快にさせる事もなかったが・・・

 二人が店に入ったのは午後一時を過ぎていた。ビジネスマンのランチタイムが丁度一段落したところだで、まだお客は多かったが、待たずに席へ座ることができた。
 目の前のストリートをパトカーが行き交っていたが、誰一人気に止める者はいなかった。
「みんなどうかしてるよ。この平和な民主主義国家のはずのアメリカで、毎日どれだけの犯罪が起きているか知っているか? これはもはや国家非常事態だね」
グレッグは冗談めかして、せせら笑って見せた。マイクはじっと行き交うパトカーを目で追っていたが、内心全く別の事を考えていた。
(格差が開きすぎている・・・景気が上向いたとは言え、マネーのほとんどは一部のビジネスマンや株のディーラーの贅肉を増やすことにしか繋がらないのだ・・・)
 グレッグがマイクの目の前に手を持ってきて左右に振っている。
「なに、ぼけっとしてるの? ほら、めしがきたぜ」

 チューインガムを噛みながら、ウエイトレスが料理とビールを運んできた。注文したのはトルコ料理では有名なシシカバブとケチャップポテト、スープのランチセットだった。
「おまたせしました~」
ウエイトレスが気持ちの全くこもっていない言葉を発している。
「おいおい! スープに指が浸かっているぞ! 汚いじゃないか」
さすがのグレッグもむっとした様子で抗議したが、彼女は何もなかったかのように、親指を「ぺろり」となめて、去っていった。
「まったく・・・」  

未だ怒りが収まらないのか、まだ彼女の方をにらんでいたグレッグだったが、マイクが突然意味不明な話を持ち出したので、一気に怒りも萎んでしまった。
「なあ、グレッグ、世界を変えるにはどうすればいいかな?」
「・・・・・?? なにぃ?」
(今まで得たいの知れない男だとは思っていたが、これはいよいよ怪しくなってきたぞ・・・)
「どういう意味だよ」
 マイクはポケットから小さなピルケースに入った黒い破片のような物を取り出して見せた。
「今まで、人に見せた事がなかったんだが・・・もう何も変わらない世界にうんざりなんだ」
グレッグは、ますます意味がわからなくなってきた。

「これは、ある研究の成果なんだ」
「ある研究って?」
「七年前、日本で起きた旅客機機の墜落事故を覚えているか?」
「いいや、飛行機なんか、毎年落ちてるからな・・・それと、なんか関係があるのか?」
「・・・何にも関係ない」
マイクはめずらしくちょっと意地悪げな表情を浮かべて、薄笑いをした。
「・・・??・・・なにぃ?」
「実はあの時、僕はボーイング社で燃料システムの開発をしてたんだ。それがだ、このチームは社内でもなかなか成果が上がらず、その頃閉鎖統合されるって噂があった」
「ふむふむ・・」
(これは、今まで誰も知らなかった彼の過去を知るチャンスかもしれないぞ)
「それで?」
「あの事故が起きた。そして、僕は社の事故調査委員として、日本へ飛ばされたんだ」
「その事故って、どんな感じのものだった?」
「悲惨だった。半ば左遷で飛ばされたやっつけ仕事かと思っていたが、冗談じゃなかった。飛行機同士の衝突だったが、片方は満員の旅客機、方や自衛隊機だったが、自衛隊機の乗務員四名は全員脱出して無事だった」
「ボーイング機の乗客は全員死亡か・・・・」
「・・・いや、たった一人、少年が生き残っていた」
「思い出したぞ!」
グレッグが突然興奮したように大声を出したので、周りの客の注目を集めてしまった。なぜか、マイクはそれを気にしているようで、先ほどのピルケースを隠してしまった。

「そうだ、確か、奇跡の生還、という見出しで、こっちの新聞にも取り上げられていたよな!」
「僕は、日本政府の調査団と一緒に彼に会う機会があった。少年は精神的ショックが大きかったのか、ほとんどしゃべってくれなかったが、最後に一言だけ僕に向かってこう言ったんだ
{人間が寿命を全うできる世界って、どうすればできるの?}ってね」

「・・・なるほど、自分を除いた他の乗客すべては、理不尽にも人生半ばで命を奪われたわけだからな・・・」
「・・・いや、僕にはもっとマクロな問いかけに聞こえたんだ。人間そのものの存在意義に関わる重さがあった・・・それがきっかけで、自分に課せられた使命ってなんだろう、って考えるようになったんだ」
 グレッグは、さすがにかみ合わない会話にいらいらし始めていた。

「ぼちぼち本題に入ってくれよ。さっきの物体、あれはなんだ?」
「マイクロチップメモリーさ。あれに研究の成果が詰まっている・・・」
グレッグは今度は言葉を挟まなかった。仕草で話を進めるように促しただけだった。

「本来の仕事である燃料システムの研究も、もちろん社外秘で極秘事項だったんだが、その頃僕にはもう一つ極秘任務があった。上司から直接頼まれた仕事だったから、知っていたのは、僕とその上司だけだった」
極秘、極秘と聞かされると俄然興味が出てくる。グレッグは次第に物語に引き込まれていくような感覚を覚えた。

「わかった、その上司とトラブルがあって、こっそりデータを盗み出した・・・そうだろ?」
「勝手にストーリーを書き換えないでほしいな」
 マイクは食後のコーヒーを口に運び、一息入れた。
「しかし、研究を始めて一年半で、彼は不慮の事故で突然亡くなってしまったんだ」
「なに?くさいな~ 暗殺か?」
「だから! 話をそういう方向に持っていかないでくれ」
グレッグはよっぽどサスペンスが好きらしい。

「理論上ではあるが、研究はほぼ完成しつつあった。しかし本業の傍らにやっていた研究だったし、しかもそれを知っていたのは二人だけ。彼が死んでから、これをどうするべきか、かなり悩んだよ」
サスペンスがらみではないとわかったグレッグは、ちょっと不満そうにシュガーを二杯コーヒーに入れて一服の構えを見せた。

「で、その研究って?」
「常温核融合だ」
あまりにも突拍子のない発言に、グレッグはコーヒーを吹き出してしまった。

「・・・・本当かよ! 冗談だろ? 今までそれを完成させた・・・ってニュースは幾つもあったが、すべてがせネタか、再現不可能な非科学的手法によるものだった。それを研究していたって?」
「ああ」
「他の教授には黙っていた方がいいぞ。そんな研究していたなんて知られると、科学者として異端視されるからな・・・」
「だから、君だけに話した。会社としても三十年後をにらんで、次世代エネルギーの確保は重要な課題だった。僕の上司はその一環として独自のプロジェクトを計画したんだ」
「しかし、よりによって常温核融合とはね・・・」
「ばかばかしいか・・・?」
「・・いや、何というか・・・現実離れしているというか」
「化石燃料はいつか必ず枯渇する。そのときの事を考えて手を打つのは当然だろ?」
マイクはグレッグにこれを話したことが正解だったかどうか、判断しかねていた。

「いいだろう、信用するよ。でもいくつか質問もある」
結構あっさりと彼はマイクの話を信用した。いや、信用したと言うより、本当だったら、これに乗らない手はない・・という賭に出たのかもしれない。

「通常、核融合は一億度を超える温度が必要だ。だから、核分裂を利用する。しかし、それでは大量の放射能が発生するし、放射性廃棄物の問題も残る。その超高温核融合ですらまだ完成できてないんだぞ」
「それとは原理がまるで違うんだ。無尽蔵に海水中にある重水素を使うんだが、生成されたエネルギーはすべて熱に変換される。つまり中性子のような放射線も計算上は出ない、それこそ夢のエネルギーさ」
「ううむ・・・・」

 グレッグには午後の講義が残っていた。二人はストリートを歩き、キャンパスへ向かう途中でも話をやめる事ができなかった。
「さっきの、奇跡的に生還した少年の話だが、彼の言葉、いや、雰囲気に僕の心を動かす何かがあった。それがどうしても脳裏から離れなかった。だから、会社を辞めて、大学講師の職についても、この研究を独自に続ける事にしたんだ。そして、理論は一年ほど前に形になった・・・」
「しかし、なぜそれを俺に話したんだ? だれかに漏らしてしまうかもしれないぞ」
マイクは立ち止まり、これまでにないぐらいまじめな表情でグレッグに向き直って言った。
「なあ、二人で世界を変えてみないか?」

昇らない朝日

 マイクのあの突拍子もない”告白”から二年が経とうとしていた。世間ではミレニアムを翌年に控え、世紀末ムードは最高潮に達していた。しかし、それは事あるごとにマスコミが不幸な出来事や自然現象と結びつける事による、一種の大衆操作の一側面でもあったが・・・

 その日、マイクはグレッグ家にディナーの招待を受けていた。グレッグの妻、ティナはまだ三十代前半だったが、二十代かのようなの若々しさと美貌を兼ね備えた利発そうな女性だった。二人は学生時代からのつきあいだったが、よくも無骨な彼がこんな奥さんを射止めたもんだ、とマイクはいつも関心させられる。息子のデビッドはジュニアハイスクールに通う優等生で、まさに絵に描いたように幸福な中流家庭だった。

 マイクがグレッグ家を訪れたのは、夜の七時を回っていたが、彼の息子デビッドは友達の家に行っていて、不在だった。マイクはデビッドとも何度か合ったことがあるが、人見知りが激しいせいなのか、なかなかなついてはくれなかった。
 ティナがオードブルを運びながら、マイクに聞いた。
「前祝いだって彼言っていたけど、そろそろ何の事か教えてもらってもいいかしら?」
「ああ、いいよ。これまで一緒にやってきた研究が、ついに発表できるまでにこぎ着けた・・・って事だよ」
「それは、主人からよく聞くわ。問題はその内容よ、何の研究なの? この二年、その事がずっと気がかりだったの。何か危ない事じゃないでしょうね」
「ごめん、まだ、詳しくは言えないんだ」
やっぱりね・・・と言った表情で、彼女は肩をすくめて見せた。
 その時、システムキッチンにいたグレッグが言葉を挟んだ。彼は二本目のワインを開けようとしている最中で、すでに気分も良くなっているようだった。

「なあ、もう話してもいいんじゃないか? ティナは家族だ、僕もこの二年、研究の内容を聞かれる度に、話をはぐらかすのに苦労してきたんだ、独身のマイクには解らない苦労だよ」
「いや、しかし・・・・」
グレッグはワインをマイクのグラスに注ぐことで、話を遮った。
「マイクが、教授という立場で本当に助かったよ。大学の資料や機材を借りることができたしね。天は我々に味方している・・・これ以上、心配して何になる?」
「でも、話しても理解してもらえるかどうか・・・」

「ちょっと見くびらないで。私だって、グレッグと一緒に物理学を専攻していたんだから・・・解るわよ」
今は専業主婦のティナも学生時代はそこそこの成績を収めていた。そのプライドが傷つけられたのか、ちょっとむっとした表情になった。
 少し考え込んで、マイクは言った。
「わかったよ。じゃ、君から説明してくれ」
バトンをグレッグに渡す形で、マイクは料理に手を伸ばしていた。

 グレッグは今まで、喉に何かつっかえていたのが、取れたかのような表情で話し出した。
「僕らが研究していたのは、常温核融合とその具体的なエネルギーの取り出し方だよ」
ティナは一瞬何の事か解りかねる、と言う表情を浮かべたが、すぐにそれがどう言う物か理解したようだった。
「まさか・・・」
「そうだろ?信じられないだろう。でも、本当さ。元々はマイクが一人で研究してきた事を二年前から二人で具体化してきた・・・といったところだ。だから、理論そのものはマイクがすでに完成させていたんだ」
「でも、そんな事って可能なの?放射線とか、被爆の心配はなかったの?」
「それが一切放射線は出ない、夢のクリーンエネルギーなんだ。僕も最初は驚いたよ、実際そんな事が現実に起こりうるとはね・・・」
マイクは無言でワインを回した時にできる渦を見つめたままだった。グレッグは得意げにさらに続けた。

「これが世界に発表されるとどうなると思う?」
「ノーベル賞確実かしら・・・」
ティナが冗談とも本気ともつかない表情で言った。
「それもある! でも、もっと大事なのは、人類がエネルギーの心配をしなくて済むようになるって事だよ。もちろん、知的所有権は我々が持っているから、莫大なお金が僕らの元に舞い込んでくる事にもなる」

ここで、ティナが思ってもみなかった、と言う感じの表情で目を輝かせた。
「それってどのぐらいかしら」
「大学側のT・L・O(テクノロジーライセンシングオフィス)との折衝にもよるけど、もう個人のレベルでは扱い切れない額になるだろうね・・・だから、僕らは共同で財団を結成して、貧困に悩む国の企業から優先的にエネルギーシステムの開発を援助して行こうと思っている。もちろんただではない、国際規約に照らし合わせて、その国のGDPに即した貸借契約を長期で結ぶ・・・」

  ティナはグレッグ達が何を目指しているのか、図りかねているようだった。
ここで、ようやくマイクが空になったグラスを置いて、話を始めた。
「僕たちは、これを発表する事で世界が変わるんじゃないかと期待してるんだ。世界を見回して感じてごらん、世間で騒がれるようにまさに世紀末的様相を呈している。国の崩壊、宗教や正義の名の下の戦争、テロ行為、貧富の差の拡大、犯罪の多発と低年齢化、経済の不透明化、劇的な環境の変化や自然破壊・・・これらは、すべてあるアンダーグラウンドで繋がっているんだ。・・・つまり、一部の人間による、富の独占さ」
「一部の人間って?」
「我々の事だよ。僕らは、国や人々が富むことができるのは、自分たちの努力の賜だと勘違いしている所がある・・・でもそれは間違いなんだ。富のほとんどは、発展途上国、さらに言えば、地球から搾取したものなんだ」
「そうかしら、それじゃ、私たちの二百数十年に及ぶ新大陸の開発の苦労が、単なる搾取の歴史だったとでも言うの?」
「そう考えても間違いではないよ。”富”つまりお金や快適な生活環境は、大地や森から搾取した物が姿を変えて流通してきたに過ぎない。物理で習ったろ? エネルギー保存の法則・・・地球そのものがエネルギーの固まりなんだ。だから、どんなに努力しても、富が何も無いところから突然湧いて来ることはありえない」

 話がややこしくなってきたと感じたグレッグは話題を元に戻そうと、口を挟んだ。
「もちろん、我々が研究した常温核融合も厳密に言えば、地球からちょっとだけ重水素という物質を頂戴する事になる。でも、これは無尽蔵と言っても過言ではない物質だ。ほんの僅かな量で、一国のエネルギーを軽くまかなえる・・・・僕たちはそれを利用して、貧困層の底上げができないかと思っているんだよ」

 ティナはまだ、何か納得できないようではあるが、この件はもう二年前に始めた当初から、単なる研究成果の発表に止まらず、その後の世界情勢をも考慮したプロジェクトとして、二人の中では位置づけられていた。

「カチャリ」
玄関が開く音がする。どうやらデビッドが帰ってきたようだ。しかし、リビングにやってくる様子もなく、そのまま階段を上がって部屋へ行こうとしていた。
「ちょっと、マイクが来てるの知っているでしょ、挨拶ぐらいしなさい」
ティナがリビングから顔を出して言った。デビッドはしかたなさそうに、登りかけた階段を下りてきて、リビングにやってきた。
「こんにちは、マイクおじさん」
「やあ、デビッド、久しぶりに会ったけど、背が伸びたなあ」
「じゃ、僕宿題があるから・・・」 デビッドは素っ気ない挨拶だけして、自分の部屋へと行ってしまった。

「ごめんなさいね。あの子も最近扱いが難しくなってきて・・・」
「いや、かまわないよ。僕もあのころはあんな感じだった」

ほろ酔い気分になっているグレッグが、ティナに言った。
「今日、話した事は、デビッドにもまだ秘密だぞ、来月学会で発表したあと、驚かしてやろう」
 もちろん、彼らもその計画を楽観視していた訳ではない。これを発表することによる諸問題は数え切れないほど噴出して来ることだろう。しかし、少なくとも世界に向けて、息詰まった感のあるこの時代の風向きを変えることはできるのではないかと考えている。本当の苦労はこれからかも知れなかった。
 だが、今日に限っては、ティナはともかく、マイクとグレッグは、そう言った心労が吹き飛んでいってしまうような気分に酔いしれていた。



 マイクはその日も、間近に迫った物理学会へ向けての草案作りに忙しくしていた。最もインパクトのある、最も効果的な発表の仕方は、実際に核融合装置を世界の科学者の前で見せてやることだ。その装置の準備は、ほぼできている。後は、理論とその後の世界がどう変わる可能性があるのかを説明するためのデータベースが必要だった。
 珍しく、彼はノートパソコンを抱えて、アパートから近いカフェでデータの打ち込みをしていた。先週のグレッグの家での楽しい会話や議論が頭をよぎる。今まで密かに押し込められていた膨大なエネルギーが、その日を境に一気に放出され始めたような開放感が彼にはあった。コーヒーも四杯目。かれこれ五時間近くもカフェの一角を占拠していたが、彼の集中力は途切れる事がなかった。

 気がつくと、もう夕方の五時を回っている。さすがに、腰が痛くなってきた。あまり根を詰めて、当日体調を崩したのでは元も子もない。
(今日はこれぐらいにしておくか・・・)
 マイクはコーヒー四杯分とちょっとの金額をテーブルに置いて、店を出た。

 通りは丁度会社帰りのサラリーマンであふれていた。その人の流れに逆らうように、アパートへと帰って来たマイクだったが、オートロックの解除ボタンを押そうとして、いつもと何かが違うことに気がついた。アパートの出入り口が開いたままだったのだ。試しにボタンを押してみても何の反応もない・・・(まったく)以前もこのような故障があった。研究の内容を考えると、もっとセキュリティのしっかりしたマンションに住むべきだったが、研究にすべてをつぎ込んできたマイクには、そんな家賃の高い所に住む余裕もなく、しかたなく、オートロックだけは付いている、程度のアパートを借りていたのだった。しかし、常駐の管理人はおらず、何か故障しても誰かが管理会社へ連絡するまで、誰も来てくれないのが現状だった。

 一瞬、訳のわからない不安が頭をよぎったが、よくある事だ・・・と、思い直し、そのまま自分の部屋へと向かった。
 マイクの部屋は三階にあった。エレベーターも付いていたが、それを待っているぐらいなら、階段を使った方が早い。彼はいつもそうしていた。それに、丁度エレベーターは三階あたりに止まっているようだ。それが下に向かって動き出したのは、マイクが階段側へと回った後だった。
 程なくエレベーターは一階に到着し、中から三人の見るからに住人とは違う風貌の男達が降りてきた。黒いサングラスに黒いスーツ。まるでスパイ映画にでも出てくるような出で立ちだ。手にはそれぞれ大きなボストンバッグ、一人はパソコンと思しきボックスを抱えている。三人は通りに止めてあったワゴンに乗り込むと猛スピードでその場を後にした。

 先ほどの不安が現実の物になったのは、マイクが自分の部屋のドアを開けようとした時だった。ドアはすでに五センチほど開いていたのだ。どちらかと言えば、神経質な方の彼が出かける前に、鍵をかけ忘れるなどど言う事はあり得なかった。
 彼は、ドアの前に立ったまま、動けなかった。もしかしたら、何者かがまだ、この中にいるかもしれない。右目の瞼が引きつり、ノートパソコンが手汗でじっとりとしてくるのがわかった。マイクはドアに耳を近づけ、中の様子をうかがった。物音一つしない・・・
 そして、最大の勇気を振り絞って、ドアを蹴り開けた。それほど広いとは言えない部屋は一目で見渡せる。誰もいなかった。しかし、部屋の様子は、出かける前とは全く違っていた。あらゆる引き出しが飛び出し、中の物が引っ張り出されている。書類が床に散乱していた。
(泥棒にやられた!)
 しかし、よくみると、単なる泥棒ではなさそうだった。棚の上に置かれた、裸のドル札がそのまま残っている。
(何を盗まれたんだ?・・・・そうだ、いつも仕事に使っているデスクトップパソコンがない)
はっ、と何かを思いついた彼はデスクの引き出しも調べてみた。常温核融合に関する研究書類が一切なくなっていた。マイクは気は遠くなるのを感じ、両膝を床に着けてしまった。心臓の鼓動が早くなるのを感じた。額から汗がにじみ出る。
(どういう事だ!これは明らかに私の研究が目当てだ)
 いったい、この極秘研究がどこから漏れたのだろうか・・・まさか、グレッグが・・・いや、考えられなかった。彼はこの二年間一緒にやってきた同胞だ。研究の結果はお互いが共有している。マイクの情報を盗む理由は何もなかった。だとすると、どこかの企業による産業スパイか・・・もし、そうだとすると、グレッグの家にも・・・!
 マイクは慌てて電話のプッシュボタンを押した。受話器からは何も音がしなかった。
(線が切られている!)
これはまさしくプロの仕業だった。
 マイクは考える暇もなく、ありったけの現金とノートパソコンを抱えて、部屋を飛び出して行った。

 マイクが車を飛ばして、グレッグの家に着いたとき、不安が的中していることを悟った。警察の車両がグレッグの家を取り巻いていたのだ。だが、被害がどの程度の物か、想像できなかった。相手はプロだが、目的は研究に関するデータだ。まさか、グレッグ一家に危害を加える事もないだろう・・・
 マイクが車を降りたと同時に、刑事らしき人物が近づいてきた。
「マイク・ミラー教授ですね」
多少太り気味で無愛想なその人物は、ジョン・チェイニー刑事だと自分を名乗った。
「どうして私の名を知っているのですか、それと、ここで何があったんですか?」
「部屋の中に、あなたとグレッグ・トーマスさんが一緒に写っている写真がありました。それに、散乱する書類の中に、あなたの名が・・・」
「やはり、ここもやられたんですね、グレッグは?それに奥さんや子供は無事ですか?」
「どういう事ですか?今、ここも・・・と、おっしゃった」
「実は・・・」

 事情を説明しようとして、マイクは口ごもった。何かが言うべきではないと、ブレーキをかける。
「いや、この前、私の知り合いも、空き巣に入られましてね、たいした物は取られなかったので、警察には届けなかったようです。まったく、物騒な世の中です」
「そうですか、でも、こちらは空き巣ではありませんよ、強盗です」
「では・・・!」
「あなたは、トーマスさん一家とは深い親交があったようだ。申し訳ないが、遺体の確認を願えませんか」

  最悪のシナリオだった。まさか、企業スパイがここまでやるとは・・・いや、まだそれと決まった訳ではないが。
 玄関に張られた”立ち入り禁止”のテープをくぐり、部屋の中へ入ると、それがマイクの部屋の状況と非常によく似た状態だと解った。ただ、違うのは居間に横たわる、遺体が二体。・・・ティナとデビッドだった。
 写真班がしきりにカメラのシャッターを切っている。
「頭部に一発づつ・・・打ち込まれています。しかし、近所で銃声を聞いた者はいない。薬莢すら落ちていません。明らかにその手のプロの仕業ですね。それが、単なる強盗殺人のプロなのか、また、別の目的を持った連中なのか、今の時点ではわかりませんが・・・」

 マイクは両手で顔を押さえて壁に持たれ掛かってしまった。ごく平穏な家庭にこれほどの惨事が訪れようとは、だれが予想しただろう・・・
「それで、グレッグは?」
「いません。大学の方にも連絡をとりましたが、誰も居場所を知りませんでした」
 この部屋にはこれ以上居られない・・・ つい先日、ワインを飲みながら楽しく語り合ったティナは何が起きたのか考える暇もなく、三十余年の人生に幕を下ろした。まだ若干十三歳のデビッドは世界の広さと狭さ、生きることの意味さえも見いだせないまま、本来全うするべき時間のほんの僅かな間だけしか生きることを許されなかった。人間の死がこれほどまでに身近に感じられた事はなかった。なぜこんな事になったんだろう・・・なぜ、どうして・・・なぜ・・・
 マイクの脳は白い幕に覆われはじめた。思考回路のクロック数が極端に低下していた。 チェイニー刑事に支えられるようにしてグレッグの家を出たマイクだったが、グレッグが何処に消えたのか、何故家族まで殺さなければならなかったのかなど、謎に対して思いを巡らせる状況にはなかった。しかし、一つだけ確かな事が彼の精神状態をなんとか支えていた。それは、このままでは自分もあぶない・・・と言う事だった。

「ミラー教授。大丈夫ですか?」
チェイニー刑事の声が霞んで聞こえる。
「現場検証の必要があります。少々時間がかかりますが、後日あなたからも事情を聞かなければなりません。それまで、ご自宅で待機していただけますか? もちろん職場へは行っていただいてかまいませんが、旅行など家を空ける際は、ご連絡ください」
マイクはちらっとチェイニーを見やり一言
「解りました」と声を絞り出すのがやっとだった。

 しかし、彼の目の焦点は定まってはいなかった。いや、彼の視線はチェイニーを素通りして、二十メートルほど先の野次馬の中へと向けられていた。 その中には事件を聞きつけたマスコミも含まれていたが、明らかにマスコミとは違う目つきで事件を観察する人物が一人いた。黒い上下のスーツ、ブランド物と思しき磨き上げられた皮の靴。そのクールな衣装とは不釣り合いなほど手入れの行き届いていない、ぼさぼさの髪の毛。しかし、眼光だけは鋭く光っているかのように見える。髪の白さからして、五十歳ぐらいだろうか・・・
(自分を狙っているのか?)
マイクは喉から水分が蒸発し、気道が貼り付いてしまったような息苦しさに襲われた。今のマイクは小刻みに震える、追いつめられた子猫だった。被害者意識がそうさせるのか、野次馬の中に犯人の一人がいて、自分を今でも狙っていると言う恐怖心にとりつかれていた。そのため、単なるビジネスマンを暗殺者と思いこんでしまったのかも知れない。

 男は、マイクと目が合うと、一旦腕時計を見て、その場を後にした。
(自分の思い過ごしか・・・怪しいと思えば誰もが怪しく見えてくる・・・やはり精神状態がバランスを失っているんだ・・・)
マイクは働かない頭を振りながらなんとか冷静を取り戻そうとした。車のシートに身を沈め、目を閉じる。
(そうだ、今大切なのは冷静な判断だ。どう考え、これから何をするべきか・・・考えろ、考えるんだ・・・そして必ず生き延びてやる)

夜の闇の中で

 市街地を抜ければ、民家もまばらになり、原生林と広大なトウモロコシ畑が延々と続いていた。この辺は夜になると、未確認生命体が現れ、家畜や人を襲う、と言う噂が絶えない。また、去年はミステリーサークルが見つかって脚光を浴びたこともあったが、自分がいたずらでやったと、数人のグループが名乗りを上げて、人々の顰蹙を買った事もあった。まったく、この国の人間と来たら、自分たちが文明社会のリーダーであると自負している割には、非科学的な話題を本気で信じてしまう。本当に教育水準の高い文明人なのか、疑いたくなる。

 夜の国道は交通量も少なく、街灯もないので、車のヘッドライトを消してしまえば、そこは全くの闇になる。人間の心理としては、闇に紛れて得たいの知れない物がうごめいていても信じてしまうのかもしれない。かく言う自分も、そう言う{闇に紛れた得たいの知れない存在}であるのだ。男は一人苦笑いを浮かべてぼさぼさの髪をかき上げた。
 男の乗った黒塗りのコルベットはヘッドライトとテールライトだけを残して闇と同化しているかのようだった。車が黒塗りなら服装も黒ずくめ・・・若干白髪の混じった頭髪と妙に青白く見える顔の皮膚だけが逆に浮かび上がって見える。闇に生きる者としては、まるで三流ドラマの悪役のようにはまりすぎた感のある出で立ちだが、これは伝統を重んじる結社の規則だからしかたがない。

 車は目印も表示も何もない農道に入り、数百メートル走って止まった。そこは寂れた、今では誰も住んでいないかのような農家の母屋だった。周りには小屋が三つほどあり、さらにサイロらしき塔のような物があるが、長年使われた形跡がなかった。男はその母屋の入り口をノックし、扉が開くのを待った。しばらくして、中から別の男が現れ彼を中へ導いた。部屋の中は外見とは違って、通常の生活が営めるほどの設備は整っている。しかし、そこにいた連中と来たら全く生活感が乏しく、とても家族と言うにはほど遠く、掃除が行き届いていないのか、饐えた臭いさえただよっている。

 やせ形でワックスをかけたかのように照り上がった頭の初老の男と、いかにもビジネスマン風で、喉の周りに余分とも思える脂肪を蓄えた顎髭の中年男、それに夜にもかかわらず真っ黒なサングラスとし、妙にもみ上げの長い年齢不詳の男・・・  彼を出迎えたビジネスマン風の男は無言で食べかけだった冷めたピザをほおばり始めた。変わって、ソファに腰掛けていた初老の男が問いかけた。

「状況報告を。コールドマン」
「問題はなさそうだ。警察は強盗殺人として処理してる」
彼、すなわちコールドマンは無表情に答えた。
「しかし、マイクミラー教授の方はしくじったな」
「いや、ミラー教授は何もしゃべっていない。それに、しゃべったとしても、大丈夫だ。何重にも手は打ってある」
「まあ、いざとなれば切り札を使うだけだがな・・・」
そう言いながら、初老の男は窪んだ目を電気の消えた真っ暗な隣部屋へ向けた。

 グレッグは朦朧とした意識の中で、男達の会話を聞いていた。何が起こったのか、未だに把握できない。しかし、今自分の置かれている状況から、何者かに連れ去られ、監禁されていると言う事実は理解できた。国勢調査を装って進入した男達に突然何かのガスをかけられてからの記憶がなかった。妻や子供はどうなったのだろう・・・ 早く逃げなければ、と言う焦りと、家族がどうなったのかと言う心配が、波のような焦燥感を伴って押し寄せてくる。金が目当てだろうか・・・心の中でそうあってほしいと言う願いがわき上がってきた。そうであるなら、家族は無事だ。自分を使って身代金を要求する。当然家族が支払いの交渉相手となる。万が一交渉が決裂するか、受け渡しが失敗しても、殺されるのは自分一人で済む・・・
 殺されるのは、怖い。無性に怖い。考えただけで腰から力が抜け、汗がにじみ出てくる。しかし、妻や子供が殺されるのは、もっと怖い。何とか犯人と話をしなければ・・・何が目的か、家族はどうなったか、それだけでも確認しなければならない。

 カチャリと音がして誰かが部屋へ入って来た。ドアから漏れる薄明かりに男の体がシルエットになる。グレッグは一瞬凍り付いたように男を見上げた。表情はわからないが、ぼさぼさの髪の毛が妙に印象的だ。男は足を広げ、棒立ちのまま手を腰の前で組んだ。頭を多少傾けて、グレッグの顔色を伺っているようだった。つぶやきとも思えるほどの低く、感情の全くこもっていない声が、暗闇の霧の中で波紋のように伝わってくる。

「あなた方はちょっと先走りすぎましたね。来週にも発表しようとされていた、あの研究は、二十年後でも良かった技術です。でも心配はご無用です。我々がしかるべき時に、しかるべき場所で世に出します。それまでは、大切に保管させていただきますよ」
 男はそれだけ言うと、部屋を出ていった。グレッグは、何とか家族の安否を確かめようともがいたが、厳重に縛られた体は立ち上がることもできず、ガムテープを貼られた口からはうなり声しか出てこなかった。
 当分バタバタと暴れてみたが、らちは開かなかった。息が切れ、額から汗が滴り落ちる。彼らの目的は金ではなかった。あの研究だ。  常温核融合・・・  
 グレッグは男が発した短い情報を元に、記憶の糸をたどり寄せた。
(そうだ、昔聞いたことがある。この世界の仕組みは、ある特定の組織が決定し、道筋をたてている・・・と) でもまさかそのような三流小説じみた組織がこの世に存在するなど、誰も本気にしてはいない。グレッグもそうだった。しかし、世界経済はもとより、戦争や国家の崩壊にまでその組織は関与している、などどまことしやかに噂されているのも事実だ。
 現に、これまで色々な、世紀の発明かもしれないとされた技術は、ほとんど世に出ることなく、異端視されるか、無視される形で、いつの間にか姿を消していった。中にはその発明者とされる人物が行方不明になったと言う事象も沢山ある。これが、酒を酌み交わしながらの席で出た話題なら、グレッグも一笑に賦するところだろう。しかし、この状況では、あながち全てが架空の産物とも思えなくなる。
 この展開によって、グレッグには心配しなければならない人物が一人増えた。 (マイク・・・)  

 部屋に戻ってきたコールドマンは「ふう」と一息ため息をついた。その目には自分が殺した人間に対する哀れみや罪悪感は微塵も感じられなかったが、ただ体力的な疲れを感じているようだった。
「この件が終わったら、休みを取れ」
初老の男は鋭く顔色を見抜くと静かに言い放った。
「大丈夫だって。ターゲットには何の感情も持っちゃいない。ただ、任務をこなすだけだ。今までもそうだし、これからも何も変わらない・・・ 小さい頃からそう教育されてきたからな」
コールドマンは、「仕事」に対して多少なりとも感情移入している、と見られたのではないかと不安になった。

 この組織はマフィアやCIA、はたまた、それらと繋がりを持つスナイパーやヒットマンと呼ばれる暗殺者などとは、全く違う所に位置していた。国籍を持たず、国家間や企業間の利益に応じた力の舵取りを主な仕事とする。ある国の利益を害する案件があれば、時には国債や株式を操作し、時には時代の流れに不用と思える人物を抹殺する。それでいて、表には全く姿を現さない、そのための徹底した組織教育がなされていた。
 なぜある国を混沌と戦争へと駆り立てるのか、なぜある企業は破産においやられるのに、ある企業は強力なバックアップにより世界規模の大企業にまで祭り上げられるのか、なぜある人物を消去しなければならないのか・・・これらはすべて世界情勢の均衡を保つという”大儀”の元で実行され、また、実際手を下すエージェントも、心底それが正しいと信じていた。
 ヨーロッパに始まり、数百年に渡って多くの国々を操作してきた彼らは、インクのシミがじわじわと広がるかのように、その活動範囲を広めてきた。今では、北半球のほとんどの国と企業に浸透し、何食わぬ顔で善良な市民を演じているのだった。各組織員はそれぞれの持ち場で、普通の暮らしをし、普通の仕事をこなしていた。したがって、組織員同士が大勢集まると言うこともなかったし、まして、組織全体の規模や構造を知るものもほとんどいない。彼らは自分が属する組織の名称すら知らず、ただひたすら指令に忠実に従うだけだった・・・莫大な報酬と引き替えに・・・  
 また彼らには世襲がない。結婚をして家庭を持つことを禁じられているからだ。ではどうやって新たな組織員を取り入れるのか。それは、深く深く”浸入”した彼らが、それぞれの社会において知り合った人間の内、自分の存在意義に疑問を抱いているような人間をスカウトし、数年に渡って洗脳教育を施し、組織員へと変えて行く。そうやって少しづつ仲間を増やしながらもお互いの監視は怠らない。もし、誰かに裏切りの予兆があれば、即座に本部から、ターゲットとして指定を受け、抹消されてしまうのだ。

 アイスマンも例外ではなく、彼の”仕事”を疑問に思ったこともなかった。むしろ、自分が世界を動かしているのだ、と言う自負が彼を次の仕事へと駆り立てていた。しかし、言い得ぬ不安が襲ってくることは、ぬぐい得ない・・・ 本部の情報管理は徹底しており、少しでも怪しい人物は、ターゲットと見なされるおそれがあるため、組織員と接するときはいつも緊張を強いられる。彼らは多額の報酬や達成感と引き替えに神経をすり減らさなければならなかった。独自の暗号技術で構築された独自のネットワークは、指令を受けるだけでなく、時には密告用回線としても使われるのだ。

「家に仕掛けた盗聴器は処理したか」
初老の男は用心深くサングラスの男に尋ねた。
「もちろん。書類やデータも含めて支社の人間に渡してある」
「そうすると、後は彼だけか・・・」
「そうだな。それが済むと、この家を処理班に任せるだけだな・・・」

「マイクミラーの件は俺に任せてくれ。彼の所在に関する情報はもうすぐ入ってくる。数日でカタを付けてやる」
コールドマンは、率先して仕事に専念する自分を演出していた。別に彼でなくても出来る仕事だった。しかし、常に最高の成果を上げる組織員として見られるためには、実際の行動を見せておく必要がある。この張りつめた焦燥感も後数日の辛抱だった。
 コールドマンは初老の男に聞こえないよう、また一つため息を吐いた。



 マイクはその夜、ひっそりと身を隠すかのように、ボストンの安ホテルの四階に宿をとった。いつしか冷たい雨が、窓から見える路面を濡らしていた。後を付けられたのではないかと不安になり、カーテン越しに外を見る。どうやら、怪しい車は止まっていないようだ。
(これからどうするべきか・・・)
マイクは、働かない頭を抱えてベッドに座った。テーブルの上には、すでに飲み干したビール缶が置かれている。もし、グレッグの家族を殺した犯人が、自分も狙っているとしたら、のこのこ職場にも行けない。かといって、何者かも解らない相手から、身を隠し、一生逃げながら暮らす訳にもいかない・・・やはり、警察に相談しよう・・・核融合の公表は遅れるかもしれないが、グレッグや自分の命には代えられない。すぐにでも、チェイニーとか言う刑事の元で保護を求めよう。
 そう決心すると、多少頭が軽くなった。
(そうだ・・・重要なデータを奪われてしまったが、こちらには研究結果とその経過を証明するデータが残っている)

 マイクは、ホテルに入る前に、ある金融機関の貸金庫に大事なデータが入ったノートパソコンを預けていた。犯人の目的が自分の研究である可能性が高い以上、自分の持っているデータは、安全な場所に隠す必要があると考えたのだった。しかし、冷静に考えれば、彼の研究は誰にも奪うことはできないのだ。例え、データを盗んだとしても、それを使って利益を求めようとすると、今回の犯行がバレてしまう。
 では、なぜ人を殺してまで、核融合のデータを盗んだのか・・・それは、解らない。もしかすると、公表するな、と言う脅しかもしれない。  どちらにしても、後は警察に任せるしかない。一刻も早く、犯人を捕まえてくれて、グレッグが無事戻ってくるのを願うだけだ。

 マイクは、ベッドから立ち上がると、テーブルの上の電話を取った。昼間にもらった名刺をポケットから出し、ダイヤルする。二回ほどコール音が鳴った後、女性が応対に出た。
「はい、殺人課」 「えっと、昼間のトーマス家の事件でお話があります。チェイニー警部はおられますか?」
「お名前は?」
「ミラー、マイク・ミラーです」
「警部はもう帰宅されましたが、連絡は可能です。そちらの所在をお知らせください」
「ボストン、ダートマウス・ストリートのシャインズホテル四○二です」
「わかりました。警部から連絡させます。しばらくお待ちください」
 マイクは受話器を置き、力が抜けたように、ベッドに横たわった。


 マイクは、いつしか砂漠の中の廃墟を歩いていた。壁は崩れ落ち、割れた窓を砂を巻き上げた風が吹き抜ける。極度に乾燥している建物からは、人間はおろか、生き物の気配は感じられなかった。にもかかわらず、彼は何かに脅えなければならなかった。何から逃げているのか、自分でもわからない・・・
 どこからか、声が聞こえる。
「おまえのせいだ」
マイクは振り返ったが、声のする方向に人影はなかった。彼は声を振り払うかのように走り続けたが、その声は何処までも追ってくる。そして、次第に、大勢の声に変わっていく。
「おまえのせいだ」
「おまえがこんな世界にしたんだ」
「どうしてくい止めなかった!」
「私たちの世界を返せ!」
 どんどん強くなる声から逃れようと耳をふさいでも意味がなかった。その声は、自分の頭から聞こえているのだ。
「ちがう! 僕じゃない」
「僕は、こうなるのを止めようとした」
「でも、できなかったんだ。何か大きな力が働いて、僕を押さえつけた」
「僕は、何もできなくなった・・・」
「僕のせいじゃない」

 マイクは、廃墟の先端までやってきた。そこから先は、どこまでも続く砂漠だった。(これは・・・)世界のなれの果てなのか・・・温暖化の進行はついに世界を破滅に追いやったのか・・・
 彼の目の前で、砂が盛り上がったと思うと、地面から何かがはい出してきた。
「まったく、おまえの口車に乗ったおかげで、えらい目にあったぜ」
顔は干からび、ゾンビ化していたが、紛れもなくグレッグだった。
「俺だけ死んで、なんでおまえが生きてるんだ」
「こっちに来い」
グレッグはマイクの足を掴むと、砂に引きずり込んでいった。
「ぐわぁ~!・・・・」 叫んだつもりでも、言葉も声も出ない。ただうなり声を発しながら、彼は砂に吸い込まれて行った。


「うわっ!」
恐怖に打ちのめされたマイクは、目をむいたままベッドから飛び起きた。首筋に汗が流れる。鼓動が激しい血流を生み、耳鳴りとなって聞こえてきた。時計を見た。寝ている時間は、わずか十分ほどだった。
(たったこれだけの間に、あんな夢を見たのか・・・)
マイクは、しばらく動けなかった。ようやく自分を取り戻した時、突然、ドアがノックされ、彼の心臓は再び強打された。

 「コンコン・・・コンコン・・・」
そのノック音は、静かに、そして執拗に続いた。七回目のノックで、マイクはようやく立ち上がり、ドアへと向かった。こちらの様子が知られないように、息を殺して覗き窓を覗く。球面に映り込んだように変形した顔が、こちらを伺っている。
(チェイニー刑事だ)
マイクは、安堵の吐息を漏らし、ドアを静かに開けた。

 「どうなさったんです? 家に帰らなかったんですか?」
相変わらず無愛想な表情のまま、口だけ笑顔を造ってチェイニーは訪ねた。
「ええ、ちょっと思うところがありまして・・・それにしても、早かったですね。電話してからまだ十五分もたっていません。それに、まず電話が来る物と思っていましたから、ちょっと驚きました」
「俊敏なフットワークが事件を解決に導く事はよくあります。電話で確認する暇があったら、まず、その場へ駆けつける・・・これが、捜査の第一歩です・・・と、まあ、これは建前で、実はこの近所のバーで、一杯やっていたんです」
「そうでしたか、それは申し訳ないことをしました」
「いいえ、酒よりもこちらの方が面白そうでしたのでね。事件について、何か知っているんですね?」

 チェイニーは重大な情報が、目の前にぶら下がっていると言う期待に、目を輝かせているようだった。
窓の外に一度目をやって、マイクは話しだした。
 「確証という物は、何もありませんし、犯人の心当たりもありません。しかし、状況証拠からして、目的は、我々の研究ではないかと・・・もしかしたら、それを盗むのが目的の、産業スパイかもしれません」
「それ、というのは?」 マイクは、説明に困った。どのように話せば、相手が理解しやすいか、思考を巡らせた。しかし、切り出したのは、チェイニーの方だった。

「研究というのは、常温核融合の事ですか?」
「どうしてそれを!」
「私たちも、馬鹿じゃない。警察の中には、科学を得意とする部署もあるんです。トーマスさんの家から、その方面の資料が沢山出てきました。それで、あなた方の研究のおおよその検討を付けた、と言う訳です」
「そうでしたか。でも、資料やデータは私の家にもありました。それらもそっくりとやられてしまいましたよ。運良く、私は外出していたので、助かりましたが」
「ほう、あなたの家も?」
 マイクは若干の違和感を感じながらも続きを話した。
「ええ。でも、研究課程はすべて別のハードディスクにバックアップしてありましたから、盗まれても、彼らはそれを公表することはできません」

 警部は、少し考えてから優しく言った。
「ミラーさん、ここでお話を聞いても、調書を取れません。お手数ですが、警察署で今の話をもう一度してもらえませんか」
「わ、わかりました。しかたないですね」

 マイクは、ロビーでチェックアウトを済ませると、出口で待っていたチェイニーに車に乗るよう進められた。パトカーではなかった。
「ミラーさん、すいませんが、職務時間外でしたので、私用の車で署までお送りします。私は酒を多少飲んでいますので、友人が運転をします」
  中を覗くと、白髪の混じった男が、運転席から会釈をした。
(しかし、よりによってコルベットとは・・・刑事には似合わないな・・それとも、この男の車か)
 二人は、後ろのシートに体を潜り込ませた。黒塗りのコルベットは、白い水蒸気だけを残して、雨の降る闇へと消えていった。

 五分ほどしてから、チェイニーが口を開いた。 「ミラーさん、先ほどのバックアップデータなんですが・・・何処にあるんです?」
マイクは、先ほどから妙な胸騒ぎに襲われていた。それが何なのか、思考を巡らせていたので、彼の質問を聞き逃した。
「え? 何です?」
「ですから、バックアップデータです。何処なんですか?」
マイクの頭の中で、何かの回線がようやく繋がろうとしていた。ふと視線を感じ、目を前にやると、バックミラーからこちらを伺う、白髪頭の運転手と目があった。
(この視線・・・前にも感じたことがある。そうだ、今日の昼間、あの事件現場で・・・)

 マイクの額に汗が滲んできた。
「チェイニー刑事。なぜ、データの事ばかり気にするんです? それに、さっき、私の家も被害に遭った、と言った時、全然驚きませんでしたね」
マイクは視線を逸らせたまま、聞いた。昼間と同じような喉の渇きを覚える。
 チェイニーは何も言わなかった。ただ、無言の圧力が、車内の気圧を数ヘクトパスカル上げているようだった。

「この車、何処に向かって居るんです? どうも方向が違うようだが・・・」
車は、高速道路に入った。ドアを開けて飛び降りるのは不可能だ。マイクはパニックで気が遠くなるのを押さえながら、なるべく冷静を装っていた。
「あなたたち、何者なんです!」

「グレッグトーマスさんは、まだ無事ですよ」
運転している、白髪頭で無精髭を生やした男が、無表情のまま言い放った。その一言で、自分の立場が決定的になった。
 彼らが何者かは解らない。でも確かなことは、グレッグの家族を殺し、グレッグをどこかに監禁し、今自分も彼らの手中に落ちてしまったと言う事だった。
「トーマスさんの命はあなたが握っている。我々もできるだけ人は殺したくない。どうか、協力してほしい」
チェイニー刑事と名乗る男は優しく、低く、はっきりとした口調で話した。
「あ、あなたは警官でしょ。どうしてこんな犯罪に手を染めるんです」
懇願とも思える口調でマイクが訪ねる。
「犯罪かそうでないかは、法律が決める。その法は国が決める。でも我々はどの国にも属さない。アメリカの法は我々を縛ることはできないんです。長い目で見れば、私たちのやっていることが正しいと理解できますよ」
「人殺しが正しい? 冗談じゃない! 何処の世界でそんな理屈が通用するって言うんだ?」
「人間の歴史は、無数の屍の上に成り立っているんです。もちろん個人的感情や利益のために人を殺すのは人道的に許されないでしょう。でもそれが国や民族を救うという大儀の元では、歴史になります」
「ばかな! じゃあ、あんたの言う大儀って何なんだ」
「今の大儀は、あなたが実行しようとしている計画を阻止し、世界の安定を確保する事です」
「安定? この混沌に満ちた、破壊的情勢を安定だと言うのか? むしろ、僕たちは貧困層を無くし、それこそ世界の安定を目指して活動しているんだ。それをなぜ力ずくで止めなければならないんだ」
「いいですか? ミラーさん。もし今、あなたが常温核融合を世界に向けて発信し、数年で実用化されたら、世界はどうなると思います?」
「・・・」
「まず、原油産出国である、中東の情勢が極端に悪化し、戦争になるでしょう。今の世界経済は原油に頼り切っている・・・それが数年でひっくり返るんです。中東諸国は国の基盤を失います。また、石油関連の株は大暴落し、世界的な恐慌がやってくる。核融合による、新たな経済基盤が確立される前に、世界は破滅的な状況に追いやられますよ」
「それは、あんたらの勝手な理屈だろう。もしかしたら、安価なエネルギーが発展途上国にまで浸透し、国家間の経済格差を縮めるかもしれない。それに、核汚染や地球温暖化に歯止めをかけることができるかもしれないんだ。その可能性を考えたことがあるのか?」
 チェイニーは薄笑いを浮かべて言った。
「それを、あなた達二人で成し遂げようと?・・それこそ、無計画な素人による暴挙と言わなければなりませんな。我々は綿密な計画の元に・・・・」
「あんたら、狂ってる!」

 我慢ができなかた。しかし追いつめられているのは明らかにマイクの側で、これから殺されるかもしれないのだ。議論で説き伏せられる相手では無いことは確かだった。
「秘密結社か何か知らないが、神にでもなったつもりか」

 二人とももう口を開かなかった。いつしか、車は高速道路を下り、トウモロコシ畑の中の道路を走っていた。



 グレッグは、時々意識が遠のきながらも、何とか正気を保っていた。耳を澄ませても、もう男達の会話は聞こえない。しかし、時々物音は聞こえる。誰かが居ることは確かだった。長い時間、もがいていたせいか、心なし縛られているロープが弛んだようにも思える。でもだからといって、ここを抜け出せるとは思えなかった。
 長時間縛られていたせいか、背中や腰のあちこちが痛み、手の感覚は無くなっている。節々の痛みを緩和させるために、時々体の向きを変えなければならなかった。
(いたっ!) 
体をよじった際に、グレッグは腕の辺りに痛みを感じた。何か突起物があり、そこに引っかかって、腕を切ってしまったようだ。
(釘が出てる!)
 わらをもすがる思いだった。彼は何も考えず、ひたすら釘に縄をこすりつけて、それを切ることに集中した。

 車は、水しぶきを上げながら、農道を右折し、スピードを緩めた。
(グレッグが捉えられている・・・)
マイクは自分だけが逃げられる状況に無いことを悟った。もう、彼らに協力し、命だけでも助けてもらうしか、道は残されていなかった。
 サイロの見える農家の母屋に車が止まり、チェイニーは下りるよう、目で合図した。

 グレッグは、車が止まる音を聞いた。しばらくして、ドアが開き、数人の男が入って来たようだった。しばらく、物音が続き、そして、「座ってください」という男の声が聞こえた。彼らの会話は、声が低く聞き取りにくかったが、なんとか内容を理解する事はできた。

 マイクは、部屋の中を見渡したが、とても国際的秘密組織が、アジトにするような建物には見えなかった。ただ一つ、チェイニーを除く男達の出で立ちが、尋常ならざる集団であることを物語っているかのようだった。

 「さて、あなたには、選択肢が二つあります」
頭の禿げた初老の男が、優しい口調で切り出した。
「我々に協力し、将来に渡って我々の秘密分子として活動するか、ここで二人とも、歴史の闇に葬られるか・・・」
「あんたら、一つ忘れていることがあるよ」
マイクは隠し持っていた、最後の切り札を出した。
「そこにいる彼(チェイニー)にも言ったが、私はデータのバックアップを持っている。そしてそれをある人物に託してある。私に何かあるか、消息不明になると、彼がそのデータをインターネットで全世界に公表する事になっている」

マイクは、話の主導権を得ようと、極力落ち着いた、冷静さを装ったトーンで話した。
「データが公表されれば、お宅らのもくろみは失敗することになるよ」
  だが、男は全く怯むことはなかった。
「はっはっ・・・ありがちな命乞いの文句だ・・・私の経験上、この手の揺さぶりの九十%は、はったりです」
「・・・賭けてみるか?」
「いいですよ、賭は我々の方が有利だ。九十%の勝率は、悪い方じゃありませんからね」

 もう、奥の手は残っていなかった。マイクが敗北を認めたかのように、目線を落とす・・・
「どうです。取引しませんか。あなたの命を助ける代わりに、あなたは、データの所在を証し、未来永劫、我々の仲間になってもらう。もちろん、それなりの洗脳教育はさせてもらいますが、命には替えられないでしょう。本当はあなたを消してしまっても、問題はないんです。それでもデータは誰の手にも渡らない・・・でしょ? しかし、あなたはラッキーです。高度な知識を持ち、信念もある。しかも、家族はおらず、友人も少ない・・・我々が引き取るには打ってつけなんです」
「・・・しかし・・・グレッグは? 彼はどうなる。彼も助けてもらえるんだろ? 何処にいるんだ」
「彼は、無理です。同士にできるのは、同一案件から一人のみ。それに彼は社交的すぎる、この仕事には向いていません」
「それじゃ、最初から殺すつもりだったのか! 私をここへ連れて来るためのおとりだったのか?」

 マイクは気が動転した。当然取引にはグレッグの命も含まれると思っていたからだ。
(自分だけ助かれるものか!)
 しかし、そういった感情とは裏腹に、恐怖心がどんどん大きくなる自分を押さえられずにいた。
「信用できるもんか。絶対信用できない。あんたらは、結局全てを消し去らなければ、気が済まないんだ。グレッグの家族を殺したように!」

 扉の向こうの方で物音がしたような気がした。コールドマンは、いぶかしげに振り返り、ゆっくりと扉の方へ歩いて言った。その時!

 「ガシャーン バリバリ」

 大きな破壊音が鳴り響いた。同時に何かが扉から飛び出してくる。
「グレッグ!」
マイクが叫ぶと同時に、グレッグは血まみれの腕に抱えた棒きれを振り回し、近くにいたサングラスの男を叩き倒した。すぐさま、銃を抜こうとするコールドマンを棒きれで威嚇し、狂ったように叫びながら、外へ飛び出して行った。
(グレッグは今の話を聞いていたのか・・・しまった)
マイクを襲う後悔の念。 男達は、それぞれ、銃を携え彼の後を追った。マイクが最後に飛び出した時、自動車の猛スピードで走り去る姿が見えた。
 グレッグはまんまと、コールドマンのコルベットを奪って逃げたのだ。しかし、彼のあの表情・・・正気を失っていた・・・

 男達はそれでも、平静を装っているかのように落ち着いていた。車に向かって銃を構えた小太りの男をコールドマンが制する。
「くそ、俺の車が・・・」
 彼が目を伏せたと同時に、五十メートルほど先で、爆音と共に車が炎上した。燃え上がるタイヤが、車体を追い抜き、何処までも転がって行った。

 彼らの証拠隠滅は徹底している。もし、第三者に車が奪われた時の事を想定し、エンジンをかける際は、ある特殊な操作をしなければ、数秒で爆発するように設定されていたのだ。
 初老の男は、笑みを浮かべながら、冗談めかしてコールドマンに言った。
「手間が省けたな」
憮然とした表情の彼が、母屋に戻ろうとした時、小太りの男が慌てて飛び出してきた。
「いない!」

 コールドマンが中を確認する。マイクの姿は何処にもなかった。
「すぐ探せ!」
初老の男が命令を出す前に、コールドマンは走り出していた。
 しかし、周りは広大なトウモロコシ畑。しかもこの雨が、あらゆる音をかき消していた。
 

 結局三人がかりの捜査にもかかわらず、マイクを見つける事はできなかった。荒涼とした畑を見渡しながら、コールドマンは歯切れの悪さを感じていた。

 次の日から、マイクの消息は誰にもわからなくなった。当然、大学にも姿を見せず、無断欠勤が続いたせいで、解雇処分となった。グレッグ家の事件は、チェイニー刑事の”計らい”で強盗殺人として捜査さされた。グレッグと思われる死体が、船着き場で見つかったが、犯人に繋がる物証もなく、同時期に姿を消したマイクにも容疑が掛けられたが、これも証拠不十分で結局この事件は、迷宮入りとなってしまった。

シフト vol2

シフト vol2

自分でも気が付かないうちに、見えない力に流され翻弄される青年を描いたSF大河、第ニ部。人と宇宙と意識がある1点で交わる時、新たな扉が開かれる。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-02-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 夜明け
  2. 昇らない朝日
  3. 夜の闇の中で