糞蟲飼いメイデン
「ギャアアアアアア!!」
何処かで聴こえる断末魔。
ソレは余りにか細く貧弱で、用水路に流れ込む汚水が如き人の群には聴こえない。
幾ら彼等に問い掛け様とも返答は期待できず、只々拷問の様な苦痛が身体を蝕んでゆく。
幾千幾万もの蟻に体を覆われ食まれてゆく中、己を無下に扱う通行人等に澱んだ恨みと憤怒の心が迸る。
恨めしい。
何故アナタ達は私を見てはくれないのだ?
妬ましい。
何故こうも貴方達は私とかけ離れているのだ?
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいぃ!!」
誰も気づかぬ極小の命。
知らずに通過し、知らずに踏み、知らずに潰し、知らずに殺し、知らずに恨まれ、知らずに呪われる。
私達は知らない。
彼等が断末魔を上げていることを。
私達は知る由も無い。
私達の中に彼等が紛れ込んでいることを。
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「助けて助けて助けて助けて助けて助けて……」
廃墟の如き荒廃した土地にて、矮小な悲鳴が誰にも聞こえず木霊している。
か弱き叫びは鉄塔の下の赤土で発せられ、今にも息絶えようとしているかの様であった。
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて……」
ひたすらに助けを求め続けるは人にあらず。
其処に蹲りしは胡麻粒にも満たない只の一匹の小さな『蟲』である。
とは言っても、我々のよく知る六本足の『虫』では無く、我々のよく知る複眼を持つ『虫』では無い。
二本足で二本の腕のある二つの眼球を持った『蟲』である
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて……」
『蟲』は只々狂ったように助けを求めていた
『蟲』はただ音声を反復するだけの機械が如く声を出していた。
誰も通らぬ鉄のふもとで。
「やぁ、こんにちは。」
否、訂正すべきだろう。
誰も『通っていなかった』鉄のふもとである。
「助けて助けて助けて助けて……」
『蟲』は眼前少女の声に気付いておらず、ただ助けを繰り返し繰り返し求めている。
荒れ地に似合わない純白のドレスに身を包み、右目が純粋な黒で染まった少女は『蟲』に優しく微笑みかける。
「私が助けてあげる……いや飼ってあげる。」
「可愛い可愛い……私の『蟲』ちゃん。」
『抑蟲』
東京、某高等学校―
「でさー」
「キャハハなにそれありえなくない?」
「マジマジ、マジなんだってー」
放課後、夕暮れの差し込む教室の隅の席にて3人の女生徒が談笑している。
内容は日々の学校生活や色恋沙汰についてである。
「ねぇねぇ2人は『蟲姫』の噂って知ってる?」
女生徒の一人『ユキ』は椅子を逆向きに座り、何気なくそう前方の2人に問う。
一人は強気な雰囲気な長髪の少女『アメ』。
もう一人は眼鏡をかけた大人しい少女『ミゾレ』である。
「ムシヒメ?」
しかし2人の友人は『噂』を知らぬようで、互いに顔を見合わせて首を傾ける。
そして2人の反応を見ると、ユキはニヤニヤと笑みを浮かべて得意げな表情となり『蟲姫』の噂を語り始めた。
「『蟲姫』というのは下水道の奥深くに住んでいるお姫様で、自分のとこに来たヒトの『願い』をなんでも叶えてくれるらしいよ。しかも超~美人で、真っ白なドレスを着てるんだってぇ。」
ユキは目を輝かせ、嬉々としてその『噂』を語っていた。
彼女はこういったオカルト的な話が好きで、一時は『オカルト研究会』なる部を新設しようとした程である。
「ふーん……私だったらその『蟲姫』様に超絶格好良い彼氏つくってもらおうかな?」
アメは両手を頭の後ろで組みつつそう言う。
「アメちゃん、この前彼氏に振られちゃったもんねぇ。」
アメの発言に対し、おっとりとした口調でミゾレは言った。
「うっせ。」
アメは顔を赤らめ、ミゾレから顔を逸らすように頬杖をつき窓の外を眺める。
「おいおい~そこは突いてあげるなよ~本人だって気にしてるんだから。」
ユキはニヤニヤと微笑み、そっぽ向くアメの顔を覗き込む。
ミゾレもまた、そんな2人の様子を微笑ましく眺めていた。
「ま、この手の話にありがちだけど『蟲姫』は『願い 』を叶える代わりに、その人の『大事なモノ』を奪ってしまうんだってぇ。」
「『大事なモノ』?」
ミゾレはキョトンとした様子で首を傾げ、ユキを見る。
「例えば『目玉』とか!!」
こちらを見つめるミゾレに対し、ユキは指でブイサインを作り、自らの両目を指す。
「えぇ~怖ぁい。」
ナダレは口を押さえ、ユキのアクションに同調するように声をあげる。
が、その眼は極めて穏やかで、そこまで畏怖している訳では無い事は明らかであった。
「おいおいナダレェ~信じてないなぁ?」
ユキはそれを感じ取り、肘でナダレを小突く。
「あははゴメンゴメン~。」
ユキからのスキンシップにそう反応するナダレ。
しかしその最中、ふてくされたアメの様子を視界に捉えようと横を見たナダレは、窓の外の様子に気づく。
そして笑顔が消え、彼女は表情を曇らせる。
「あれ?」
そしてミゾレは何かを思い出した様子でそう呟く。
「ん?どうした?」
ユキはミゾレの様子の変化に気づいたようで、肘での動作を止め、彼女にそう問いかける。
「今って……何時?」
そう尋ねるミゾレの表情は、先程までの明るいものではなかった。
「えっと……。」
ユキはそんなミゾレの雰囲気を察してか、携帯電話を取り出し画面に写る時刻を読み取る。
「……6時かな。」
「ごめん、もう私帰らなきゃ。」
ミゾレはそう言い残すと、そそくさと落ち着かない様子で帰りの準備を済ませ席を立った。
「どうした?」
ミゾレの変化にアメも気づいたようで、帰路へつこうとするミゾレに問いかける。
「……ちょっとね。」
しかし彼女はアメの質問には答えることなく、ぎこちない微笑みを向け、駆け足で教室を出て行った。
「……最近ミゾレ、付き合い悪くなったね。」
ミゾレのいなくなった教室で、アメは彼女の出て行ったドアを眺めつつ呟く。
「あー……確かアルバイト始めたっぽいね。」
ユキもまた同様の方向を眺め、アメにそう言う。
「でも仕方無いよ」
「あの子のお父さん会社クビになって……ミゾレ、学校に通うための交通費とか自分で稼いでるらしいし。」
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ミゾレ宅―
「こんな時間まで何処ほっつき歩いていたぁ!!」
男の怒声が鳴り響き、ミゾレは家内の壁に叩きつけられた。
「うぅ……」
体を打ち付け唸るミゾレに対し、一人の男が眼前へと立ち、彼女の様を冷徹な眼差しで見下ろす。
彼女、天空ミゾレは父親である天空ナダレから虐待を受けていた。
ナダレの会社は近年の不況の波に呑まれ倒産。
一家の大黒柱である筈の彼は職を失い、酒に溺れる日々を送っていた。
「お父さん……。」
ミゾレは背に感じる痛みに耐えつつ、眼前の父にそう言葉を漏らす。
「あぁ!?」
しかしナダレは『お父さん』という単語に苛つきを見せ、彼女を何度も蹴りつける。
「なんだぁ!!文句でもあんのかぁ!?ミゾレェ!!」
ミゾレは痛みに泣きじゃくり、ただただ父の虐待を和らげんと自らの腕で身体を覆っていた。
「アナタもうやめて!!」
我が娘を痛めつける夫にミゾレの母、天空コナユキはそう叫び彼の背に抱きつく。
「うるせぇ!!」
しかしナダレは妻である彼女を力任せに無理矢理振りほどく。
振り落とされた母は床に倒れ込む。
しかし彼女は半身を起き上がらせ、涙と怒りを浮かべた眼差しで夫を睨みつける。
「ミゾレはねぇ!!毎日学校行くためにアルバイトしているの!!」
そしてコナユキは叫ぶように夫にそう訴える。
己が妻の訴えに対し、ナダレは目を見開き驚いた素振り見せる。
彼はこの日まで知らなかったのである。
「なんでかわかる!?それもこれも全てアナタが会社をクビに……」
コナユキがそこまで語りかけたその刹那、彼女はナダレの拳を受ける。
「お母さん!!」
ミゾレはそう叫び、頬を押さえむせび泣く母のもとへと駆けつける。
「おい。」
だが母を心配する娘の背に対し、ナダレは威圧的に声を放つ。
ミゾレは肩をビクつかせ、唇を震わせ背後へと振り返る。
「お前、バイトしてるんだってなぁ?」
そこにかつての優しさを持った父の姿は有らず。
悪意に満ちた笑みを浮かべる武将髭の生やした男がそこにいた。
「え……?」
その瞬間、彼女の中で何かが崩れ去る音が鳴り響く。
「ちょうど酒切らしていたんだったわ。」
「お前……金持ってるんだろ?」
彼女は信じていた。
父は今でこそこの有様。
だが、いつの日か更正し、新たな職に就き、元のような父に戻ってくれるのだと。
そしてもう一度、家族仲良く食卓を囲む日が来るのだと。
しかし今、彼女の眼前に広がるは、己が汗水の結晶を食い漁らんとする父の姿。
「出せよ」
壊れてしまった『お父さん』の姿であった。
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街は夜の闇に染められ、所々に点在する街灯が彼女を照らす。
深夜ということもあり、誰ともすれ違う事無く彼女は走る。
「はっ……はっ……。」
息を荒げ、涙を流し、無我夢中で夜の街を駆ける。
父の変化に絶望を感じたあの後、気付けばミゾレは家を飛び出していた。
そして行く当ても無いまま、ただただ逃げるように走り続けていた。
父である筈の存在からの暴力から、受け入れがたい現実から逃げる様に。
「ウッ……ック……!!」
涙で視界がぼやけ、両手で顔を覆う。
それまでどれだけ走っただろうか。
周囲に彼女の知る景色は無く、見覚えの無い建物が立ち並んでいた。
そしてしばらくすると、彼女はある場所にて立ち止まる。
視界を奪っていた涙を拭い、ミゾレは眼前の景色を見上げた。
気付くと彼女はある入口に立っていた。
友人達より聞いたあの『噂』の場所の入口である。
「ここ……は……。」
眼前にあるは汚水が枯れ果て、ヘドロが地にこびりついたトンネル状の排水路。
その内部は吸い込まれそうな黒で染められ、仮に立ち入ったならば二度と光を拝む事は出来ない様な不穏な雰囲気を漂わせる。
彼女が前もろくに見ずに走り続けたとはいえ、果たしてこのような場所に辿り着くモノだろうか。
連日の天候により汚水が干からびていたとはいえ、この用水路は数メートルもの防壁に囲まれている。
幾ら情緒が不安定な状態とはいえ、このような場所に果たして入り込んでしまうものだろうか。
そんな疑問が浮かびそうなものである。
が、彼女の脳裏にはその様な疑問点は浮かぶ事無く、ただ『下水道』の入口を眺め、あの『噂』を思い起こしていた。
「……『下水道』。」
ユキの語っていた所謂、都市伝説の一つ。
『下水道』の奥深くに住み、訪れるニンゲンの『願い』を叶えるという存在。
『蟲姫』の噂だ。
ミゾレはふと笑みを零し、虚ろな目を浮かべる。
そして目の前の暗黒へと足を進めた。
ユキの『噂』を真に受けていた訳では無い。
全てがどうでもよく感じていた。
「ユキ、アメ……ゴメンね……私、会いに行ってみるよ。」
例えその先にあるモノが絶望であろうとも、彼女にとってはどうでも良かった。
寧ろ、何も無い暗黒の中で孤独にその命を終えようと、どうでも良いとさえ感じていた。
「『蟲姫』に……。」
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下水道内―
「暗い……。」
一寸先すら目視できぬ闇の中、ミゾレはそう呟いた。
『下水道』への侵入から数時間。
『蟲姫』の居城など見つかる筈も無く、彼女は壁に手の平を当てつつ暗中を歩いていた。
最初は枯れ果てていた道中も、今では足首まで汚水に浸かっている。
汚水からは異臭が発せられ、緩やかな水流が足取りを重くする。
衛生面としては最悪の状況。
全世界的に見て、日本は清潔で衛生面極めて優秀だ。
そんな高水準な環境を誇るこの国において、彼女のような一女学生がこのような汚染環境に置かれる事は極めて稀な現象だろう。
「……ははっ。」
彼女は思わず笑声を零す。
放課後の教室にて発する様な幸福さ故のモノでなく、これまでの人生において最悪の環境への嘲笑、己が行う愚行の馬鹿らしさ故のものであった。
一時の絶望からの命を投げ捨てる行い。
それも根拠の無い噂話からの行いである。
「何してるんだろう……私……。」
ミゾレは自らを卑下するようにそう言い、足を止める。
走り続け、歩き続け、彼女の体力はとうに限界を迎えていた。
「『蟲姫』なんて……本当にいる訳がないのに。」
何色かも分からない水に足を浸け、呑まれてしまいそうな闇の中、ミゾレは本音を口にする。
「こんなことしたって……お父さんは……昔のお父さんは帰って来る訳無いのに……。」
そして彼女はしゃがみ込み、顔を両の腕で隠す様に覆う。
「ウゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
ミゾレが絶望に打ちひしがれるその刹那。
低い重低音の叫びが下水道内に響き渡る。
「……え?」
無論、彼女の発したモノでは無い。
かと言って無生物の放てる代物でも無かった。
咆哮。
ミゾレは突如発せられた轟音に思わずその顔を上げる。
そして辿り着く。
真なる『入口』に。
「これって……。」
彼女は目を見開いた。
そして眼前の光景に驚愕する。
ドア。
ミゾレの眼にはドアが写っていた。
暗中にて不自然に建て掛けられたソレは、明かりに照らされている訳でも、自ずから発光している訳でも無い。
にも関わらず、ハッキリとその存在を主張している。
何処にでもありそうな木製のドア。
家屋にあるような、まず下水道内ではお目にかかる筈の無い代物であった。
ミゾレは立ち上がり、ドアの傍まで駆ける。
そして恐る恐るドアノブへと手を伸ばし、その扉を開いた。
扉を開く際の軋む様な音が鳴り響き、彼女はその内へと入る。
「あら……?」
彼女の目に飛び込むは椅子に座り、紅茶を片手にこちらを見つめる純白ドレス姿の女性。
ミゾレの姿を見、彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべる。
「いらっしゃい。」
ティーカップを眼前の机に置いて彼女は首を傾け、迎える様にミゾレに微笑んだ。
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白い椅子に座るその彼女。
金色の長く煌びやかな髪を垂らし、王族の如く白いドレスを着こなすその姿は、数々のお伽話のプリンセス達を彷彿とさせるようであった。
またその容姿は、女であるミゾレですらも息を呑み、その場に立ち尽くす程に美しい。
「綺麗……。」
ミゾレは思わず心内にあった言葉をそのまま外に出す。
恐らくは件の噂の『蟲姫』であろう目の前の女性に、ミゾレは先程までの不衛生な環境での記憶を、遠い過去の遺物とせんとまでに見とれていた。
「お嬢さん。」
本来の目的を忘れかけていたミゾレに対し、ドレス姿の女性はにこやかな笑顔を浮かべつつミゾレに声をかける。
「は、はい!!」
ミゾレは彼女の声に気づき、慌てて返事をする。
「さぞお疲れになったでしょう……そちらにお座りなってはどうかしら?」
ドアの前で立ったままのミゾレに対して、彼女は机を挟んで自らの向かいにある椅子を手の平で示し、そこに座るように促した。
そして二つの椅子に挟まれるは、小さな円形のこれまた真っ白なテーブル。
そこには彼女が先程まで口をつけていたのであろうティーカップが置かれ、中に注がれた琥珀色の液体からは湯気が微かに立ち上っていた。
「暗く、汚く、臭い『下水道』を歩いて来たのでしょう?」
ふふふとどこか妖しげな笑みを浮かべつつ、彼女は首を傾けミゾレの足元を見つめる。
ミゾレの足は汚水で浸され濡れており、その足元からはポタポタと水滴が滴り落ちていた。
「私……『蟲姫』の力を求めてね。」
そして彼女は己を『蟲姫』である事をさらりと暴露した。
そう、彼女こそがニンゲン世界の地下に張り巡らされた『下水道』住み、自らを訪れる者の『願い』を叶えるとされる存在。
『蟲姫』である。
「ふふふ、アナタも『願い』があってきたのでしょう?」
『蟲姫』は人差し指の腹を唇で咥え、妖艶な眼差しでミゾレを見つめる。
「は、はい。」
眼前の女性が『蟲姫』であるという驚きを隠せないまま、ミゾレはそう答える。
ただの噂であると、都市伝説の一つであると、そう思われていた存在が目の前で存在している。
オカルト好きのユキならば、きっと狂喜乱舞する所だろう。
だがミゾレは眼前にて微笑む『蟲姫』に対して、えも言えぬ恐怖を抱いていた。
それはきっと彼女にとって、否、多くのニンゲンにとって『蟲姫』の存在は極めて異質なモノであるが由縁であろう。
「なら聞かせて頂戴……そして叶えてあげる。」
「アナタの『願い』を。」
糞蟲飼いメイデン